エントリー

九州内の原発全停止および昨今の原発問題の真の争点

九州内における全ての原発が停止し、政府および九州電力から節電が要請される事態になっています。

http://megalodon.jp/2011-1227-0107-09/www.nishinippon.co.jp/nnp/item/279434
>  九州電力玄海原発4号機(出力118万キロワット、佐賀県玄海町)が25日午後11時すぎ、定期検査入りした。九州の原発全6基の運転が停止、政府と九電が企業や家庭に要請している5%以上の節電期間が26日午前8時にスタートする。九電の全原発停止は1980年以来31年ぶりで、81年に原発が複数基体制になって以降は初めて。九電管内での節電要請は第1次石油危機で15%の使用制限令が出た1974年以来37年ぶり。
>
>  全原発停止を受け、九電は火力発電の補修時期をずらすなどして稼働率を上げ、他電力からの融通などで供給力を高めるが、今冬の最大需要予測に対する供給余力(予備率)は0・8%に低下する。昨冬並みの厳冬になれば、予備率がマイナスになり供給不足に陥る懸念があり、前年比5%以上の節電が必要と判断した。
>
>  5%以上の節電要請は、26日から来年2月3日(12月29日-1月4日を除く)の平日午前8時から午後9時。強制力はなく、自主的な協力にとどまる。病院や鉄道などは対象外で、業務に支障がない範囲での協力要請となる。

原発を停めたところで事故の可能性が何も減殺されることなどないことは、かの福島第一原発ですら自動停止には成功している&4号炉が震災時に点検中で停止していたにもかかわらず、立派に事故が発生してしまっている事例で既に実地で証明されてしまっているのですが。
その事例を目の当たりにしてなお、停めることに躍起になるというのは、正直「無駄」以外の何物でもありませんね。
電力不足の懸念に加え、火力発電による代替で燃費が跳ね上がり、それが回りまわって電力料金の値上げという形で一般庶民にも返ってくるのが確実なのですから。
実際、LNG火力発電で使用する天然ガスが高騰していることから、来年2月の電気料金が値上げされるとのことですし↓

http://megalodon.jp/2011-1228-2115-12/sankei.jp.msn.com/economy/news/111227/biz11122717140027-n1.htm
>  電力10社と都市ガス大手4社は27日、原燃料調整制度に基づく来年2月の電気・ガス料金を発表した。算定根拠となる9-11月の液化天然ガス(LNG)の平均価格が上昇したため、中部電力は標準家庭で前月比12円、九州電力も同じく3円値上げする。
>
>  一方、価格が下落した原油を火力発電燃料に多く使う北海道や沖縄など6電力は値下げする。
>
>  ガス料金では、2月からマイナス1・2%の料金改定を行う大阪ガスが前月比41円の値下げ。東京ガスなど他の3社はLNG価格上昇を反映し8円値上げする。

石油や天然ガスなどでは市場価格や国際情勢の動向などで安定的な供給が難しいからこそ、安価な燃費で膨大かつ安定的な電力供給を可能とする原発が重宝されてきたという歴史的経緯を抜きにして「脱原発」などやっても、無意味どころか有害ですらあるでしょう。
「脱原発」をやりたいならば、きちんとした代替案を用意し「原発が無くても大丈夫な大量発電&安定供給体制」を確立した上で行うべきなのですが。

それにしても、昨今の原発停止問題を見ていると、もはや「実際の原発が安全か否か」「代替案はどうするべきか」などは既に主要な争点ではなくなっているように思えてなりませんね。
今の状況は、「脱原発」「反原発」を絶対的な教理とする新興宗教が、それに反する人間を「神に逆らう異教徒」として断罪するという、一種の十字軍的様相を呈しているというのが実態に近いのではないでしょうか。
「原発を停める」ことにこだわるのも、実際の原発の安全性や危険度が問題なのではなく、とにかく目先の錯覚レベルな心理的安心感を得たいからなのではないかと。
こうなると行政側も「原発を再稼動すると世間およびマスコミから叩かれる」と考えるようになってしまいますし、地方議会なども「信徒」の票に配慮せざるをえず「触らぬ神に祟りなし」とばかりに原発再稼動に言及しなくなっていくでしょうね。
科学ではなく宗教なのですから、「原発を停めても安全ではない」という実態に即した正論を少し唱えただけでも「神に逆らう悪魔の言葉」と見做され、さながら魔女裁判のごとく聴衆から断罪されることにもなりかねないわけで。
この辺り、震災直後における「自粛」を強要する「空気」と構図は全く同じですね。
非合理的な感情論が問答無用で万人に押し付けられる、という点において。

こんな愚かしい反原発バカ祭り、一体いつまで続くというのでしょうか。
これまで散々なまでに原発問題を弄んできたカンガンスと民主党の存在共々、一刻も早くこの世から消えて欲しいものなのですが。

薬師寺シリーズ9巻の2011年末時点の執筆状況

https://twitter.com/wrightstaff/status/151127836617478144
<田中芳樹の新作『薬師寺涼子の怪奇事件簿』、本日、第一章をお渡ししました。まだ先は長いですが、まずははじめの一歩です。>

……は?
確か銀英伝舞台版のニコファーレ会談で、当の田中芳樹本人が以下のようなことを述べていませんでしたっけ?

http://www.gineiden.jp/doumei/special01c.html
司会者
> 本当に田中芳樹先生に生の時間を共有していただくということは貴重な機会であると思うんですが、先生、ニコニコ生放送、ニコファーレに来るというのは初めてですよね?

田中芳樹
> はい。初めてです。本当は今頃は机に向かって、
ある作品の第四章を書いているはずなんですが、そちらはちょっと置いておいて。

「ある作品」って薬師寺シリーズ以外にありえませんよね。
「らいとすたっふ」の社長氏が公表している執筆スケジュールを見ても、現在執筆しているのは薬師寺シリーズなわけですし、社長氏ツイートでも「髑髏城の花嫁の次は薬師寺シリーズ新刊」だの「現在薬師寺シリーズ執筆中」だのと語られていたりするのですから。
そもそも、薬師寺シリーズ新刊の執筆を始めたのが2011年5月で、それから既に半年以上も経過しているにもかかわらず、それだけ時間をかけても実際に完成しているのが未だ第一章だけって……。
ニコファーレ会談の「第四章執筆中」でさえ、私は遅いと思ったくらいだったのに、どれだけ執筆速度が遅いのでしょうかね、田中芳樹は。
ニコファーレ会談の発言を聞いた際には、「執筆開始から(ニコファーレ会談時点で)5ヶ月近くも経過したわけだし、当然一章~三章は既に執筆を終えているのだろう」と普通に私は考えていたくらいなのですけどね。

ニコファーレ会談での発言と「らいとすたっふ」公式のツイート内容のズレについては、田中芳樹が二章と三章を執筆途上で一旦飛ばして四章を書いていた可能性も考えられますから、必ずしも矛盾や不整合とは断じえないのですが、それにしても想像以上に遅すぎる進行です。
一章が完成するだけで半年以上もかかるということは、作品全体の章の数は8~9といったところでしょうから、完成までには単純計算で実に4年以上もかかることになってしまいます。
章が進むにつれて執筆速度が早くなると考えても、こんな調子では、来年も薬師寺シリーズの新刊1冊だけで新作刊行が終わってしまうように思えてなりませんね(T_T)。
それどころか最悪、来年の刊行数ゼロで、新刊刊行が再来年以降にまでズレ込む可能性すらも、完全にないとは言い切れないわけですし(-_-;)。
たかが「ストレス解消」ごときにいつまで時間をかけるつもりなのでしょうかね、田中芳樹は。
そのくせ一方では、垣野内成美女史による薬師寺シリーズのオリジナルストーリーマンガ「SP3薬師寺涼子の怪奇事件簿短編集」のカバーで、こんなことをのたまっていたりしますし↓

> オリジナル短編が
> 面白いので、
> 編集サンに言ってみました。
>
「もう原作はいらないのでは?」
> 返事は「このごろ節電で
> 夜道が暗いですね。
> 気をつけてください」、
> どういう意味でしょうか?

田中芳樹的にはいつもの悪ふざけやギャグのつもりなのかもしれませんが、例によって例のごとく己の遅筆ぶりについて全く自覚がない能天気な発言としか評しようがありませんね。
すくなくとも私は薬師寺シリーズの新刊なんかに全く期待などしていませんし、むしろ冗談抜きで「原作なんか要らないから、垣野内成美女史に著作権ごと作品を売り飛ばせ」と結構本気で考えてすらいるくらいなのですが。
どうせ田中芳樹には既にパチンコに自分の作品を売り飛ばした前科もあるわけですし、当の薬師寺シリーズおよび作中の登場人物達にとってさえも、垣野内成美女史に執筆を続けてもらった方が、現実世界の出版社&読者も含めて現状よりはるかに幸福になるというものでしょう。
田中芳樹ではせいぜい「強者に媚び弱者に居丈高な権力亡者の化け物」としてしか薬師寺涼子を描くことができないわけですし、それ以前に連載が続かないのですから。
ただ当の田中芳樹にそれを実行する気配が全く垣間見られない上に、執筆スケジュール上、薬師寺シリーズの新刊が完成しないと次のタイタニア4巻執筆に着手しないであろうことが確実だからこそ、「さっさと書けよ」と言わざるをえないわけで。
当人が捨てたいというのであれば本当に捨てて欲しいのですけどね、薬師寺シリーズなどというゴミ作品は。

映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」感想

ファイル 488-1.jpg

映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」観に行ってきました。
日独伊三国同盟の締結および大東亜戦争(アメリカ命名:太平洋戦争)の開戦に反対しながら、開戦の発端となる真珠湾攻撃を決断せざるをえなかった山本五十六の足跡を描いた、役所広司主演の作品。
なお、今作が2011年における私の最後の新作映画観賞となります。

山本五十六の足跡を辿る物語は1939年の夏から始まります。
当時、日本は2年前に勃発した支那事変が泥沼化する中、ナチス・ドイツからイタリアを含めた日独伊三国同盟の締結を求められていました。
ドイツの実力に心酔していた陸軍、およびマスコミに煽られた国民世論は日独伊三国同盟の締結をすべきだと主張しますが、海軍大臣の米内光政、軍務局長の井上成美、そして今作の主人公にして海軍次官の山本五十六が断固とした反対の声を上げます。
彼らは反対派から暗殺やクーデターまで示唆されますが、それでも自らの信念を曲げることなく同盟の締結に反対し続けました。
ところがそんな折、ドイツが日本の宿敵だったソ連と突如不可侵条約を締結してしまい、当時の平沼内閣が「欧州情勢は複雑怪奇」という有名な言葉を残して総辞職。
さらに9月1日にはドイツがポーランドに侵攻を開始、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告することで第二次世界大戦が勃発します。
内閣が総辞職したことと国際情勢が激変したことで、日独伊三国同盟締結のための一次交渉は頓挫し、山本五十六らの懸念はひとまず収まりを見せました。
山本五十六は「根本的には何も解決していない」として引き続き同盟締結への動きを牽制すべく海軍次官として働きたいとの意向を示しましたが、米内光政海軍大臣は山本五十六が暗殺される可能性を懸念し、彼を安全な場所である軍艦長門の中に避難させるべく、連合艦隊司令長官に任命します。
連合艦隊司令長官に就任した山本五十六は、持ち前の持論からいずれ航空機の時代が来るとの考えから、航空戦力の充足を図るようになります。

翌年1940年5月になると、ポーランド侵攻以来軍事行動の動きを止めていたドイツが今度は西部へ侵攻。
ベネルクス三国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)とフランス北部が瞬く間に制圧された上、フランス本国も6月には首都パリを占領され、ナチス・ドイツに降伏を強いられるのでした。
この報を受け、日本では再び日独伊三国同盟締結の動きが活発化。
今度も山本五十六は同盟締結に反対の意向を示すのですが、しかし今度は同じ海軍内の上層部も締結に賛成する側に回ってしまい、山本五十六に対しても海軍の方針に従うよう要求してきたため、同盟締結を止める術を断たれてしまいます。
日独伊三国同盟締結から1年の間に、アメリカとの関係は大きく悪化。
日本とアメリカの国力差を誰よりも熟知する山本五十六は、やがて「初撃で大ダメージを与えアメリカの戦意を喪失させ早期講和に持ち込む」ことを目標に、真珠湾攻撃作戦を構想し始めるのですが……。

映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」では、ストーリーの基本的な流れは、日独伊三国同盟締結前~敗戦までの歴史を忠実になぞっており、また登場人物達の名前も当時実在していた人物の実名を使用しています。
また、陸軍省や海軍省といった当時の組織名や、大和・長門などの艦船名などもについても、史実のものをそのまま採用しています。
映画のタイトルからして「太平洋戦争70年目の真実」と銘打っているわけですし、この作品は完全なフィクションではなく、実話と実際の歴史を元に実在した人物のエピソードを語るというスタンスを最初から明らかにしているわけです。
ところが、そんなスタンスであるにもかかわらず、この作品には何故か「史実に反した架空の存在」が入りこんでいます。
それは、作中で山本五十六にしばしばインタビューを行い、作中でも「国民世論を煽っている」と評されていた「東京日報」という名の新聞社です。
作中でこの新聞社の名前が初めて出てきた時、私は「そんな新聞社が当時あったのか?」と疑問を抱かずにはいられませんでした。
しかも、いくらgoogleやwikipediaなどで調べてみても、そんな名前の全国系新聞社の痕跡は当時にも現代にも全く見当たらないんですよね。
一応googleだと「有限会社東京日報」という会社名と連絡先が書かれているページが出ては来たのですが↓

有限会社東京日報社
http://www.mapion.co.jp/phonebook/M10016/13207/21331652293/

しかしこの会社は公式サイトが全く見つからず、上記ページ内容以外の詳細は一切不明。
wikipediaにすら情報が載っていないことから鑑みても、この名前の企業が作中に登場する「東京日報」と同一の存在であるとは到底考えられません。
仮にも日本の国民世論を左右できるだけの影響力を持つ、あるいは過去に持っていた新聞社の詳細情報がWeb上に全く記載されていないなどという事態が、今の世の中で考えられるのでしょうか?
となると必然的に、作中における「東京日報」という名の新聞社は全く架空の存在である、と断じるしかないわけです。
しかしそれにしても、「太平洋戦争70年目の真実」などと銘打ち、しかも歴史的経緯や実在の人物名および組織名もそのまま採用している作品で、新聞社だけが架空の存在として登場する、というのは少々どころではなくおかしいと言わざるをえないでしょう。
しかも、この「東京日報」が作中で果たしている役割は決して小さなものではなく、史実に実在している(いた)のであれば実名を載せて然るべき存在であるはずです。
では、この「東京日報」というのは一体何物なのでしょうか?

今回の映画を製作したスタッフ達も、まさか「東京日報」という名前の全国系新聞社が当時実在していたと本気で信じていたわけではないでしょう。
作中の細々とした史実と異なり、そんなことは下手すれば小学生ですら知っている程度の知識でしかないのですから。
となると、作中の「東京日報」には元ネタがあり、何らかの理由で架空の名称を使わざるをえなかった、と考えるのが妥当なところです。
ではその元ネタとは何なのか?という話になるのですが、実のところ、「東京日報」の元ネタなんて簡単に絞り込むことが可能だったりします。
それは当時の「東京日日新聞」および「東京朝日新聞」。
前者は1943年に名称を変更した現在の毎日新聞、後者は1940年に当時の「大阪朝日新聞」と題号を統一した現在の朝日新聞です。
この2つの新聞は、当時の名称が「東京日報」と似通っているだけでなく、国民を戦争に煽りたてる記事を書きまくって部数を伸ばしたという点においても作中の「東京日報」と合致します。
作中でも繰り広げられた真珠湾攻撃とミッドウェー海戦では、朝日新聞がこんな報道をやらかしていたわけですし↓

ファイル 488-2.jpg
ファイル 488-3.jpg

特にミッドウェー海戦の「戦勝報道」なんて、敵艦船撃沈の写真がないという作中の描写と全く一緒ですしね(苦笑)。
他にもこんな精神論じみたタワゴトをぶち上げていたり↓

ファイル 488-4.jpg
ファイル 488-5.jpg

こんな「歴史的事実」が立派に存在する以上、作中の新聞社も「東京日報」などという架空の名称などを使うのではなく、素直に「朝日新聞」「毎日新聞」という実名を使った方が、史実にも「より」忠実になって良かったのではないかと思うのですけどねぇ(笑)。

もちろん、当の朝日新聞と毎日新聞にしてみれば、自分達の恥をばら撒く以外の何物でもないそんな行為は到底許せるものではなかったのでしょう。
特に朝日新聞には、1994年にリヨン社から発刊された「朝日新聞の戦争責任」という戦前報道を追及する本を、記事の著作権侵害などという意味不明な理由でもって廃刊に追い込んだ前科もありますし↓

朝日新聞の戦争責任
http://www.amazon.co.jp/dp/4872332369

今作における山本五十六は、「東京日報」の主幹である宗像景清が「国民の声」とやらを呼号して日独伊三国同盟に賛同するよう述べてきたことに対し、「その国民を煽っているのはあなた方ではないのですか」などと打ち返したりしていますから、新聞社の名前が実名だったら、現実的にも非常に愉快なエピソードになったであろうことは確実だったのですが(爆)。
やはりこの辺りは「自社の歴史の真実が表に出ることを非常に忌み嫌う新聞社様の意向に逆らうことができなかった」という大人の事情でも介在していたのでしょう。
朝日新聞と毎日新聞も、常日頃から「先の戦争について反省し、周辺諸国に対して謝罪しなければならない」「歴史の真実を捻じ曲げることはできない」などと述べているのですから、国民を戦争報道で煽ったという戦前における過去の事実を直視して素直に自社名を使わせてやれば良いものを(-_-)。
しかしまあ、「太平洋戦争70年目の真実」と銘打つ作品に登場する新聞社の名前がウソというのは、ブラックジョークにしてもなかなかに上手いセンスとしか言いようがないですね(苦笑)。

新聞社の名称以外のことに目を向けてみると、真珠湾攻撃の際に山本五十六が「攻撃に先立ち宣戦布告の文書を出させるよう本国に伝えてくれ」「日本人は奇襲を仕掛けるにもまずは枕を蹴ってから攻撃するものだ」などと述べていた辺りの描写は、いかにも「未来人的な視点に基づいた発言」としか思えなかったですね。
山本五十六が過去に参戦していた日清・日露戦争でも、日本は宣戦布告してから開戦なんて全くやっていませんでしたし、初撃の奇襲作戦後に宣戦布告というのは両戦争でも同じ流れを辿っています。
当時は「宣戦布告してから戦争をすべきだ」という国際ルールなど存在しませんでしたし、国際法で宣戦布告について定義されて以降も、そんなルールをバカ正直に守っている国なんて現代に至るまでほとんどないですね。
しかも当時の日本には、アメリカからハル・ノートという最後通牒を突きつけられて「開戦に追い込まれた」という一面もあったわけですし。
だから「当時の山本五十六がこんなことを言っているはずないだろ」というのが、この辺りのことについての率直な感想でしたね。
むしろ、圧倒的な国力差なのに相手に正々堂々を要求するなどというアメリカ側の宣伝に面食らっていたのではないかなぁ、とすら考えたくらいだったのですが。

内容的には史実をベースにした歴史物なので、先の見えない展開を楽しむというタイプの映画では間違ってもないですね。
当時の日本の「空気」について知りたい方と、役所広司をはじめとする俳優さんの演技が見たいという人向けの作品、と言えるでしょうか。

映画「ニューイヤーズ・イブ」感想

ファイル 487-1.jpg

映画「ニューイヤーズ・イブ」観に行ってきました。
大晦日(ニューイヤーズ・イブ)である2011年12月31日のアメリカ・ニューヨークを舞台に、複数の男女カップルの間で繰り広げられる様々な出会い・悩み・エピソードが繰り広げられ交叉する物語。
なお、この作品は映画「ワイルド7」と同日に2本連続で観賞しています。

毎年のニューイヤーズ・イブに、ニューヨークのタイムズスクエアで行われているカウントダウンセレモニーとして行われるポール・ドロップ。
このポール・ドロップの完遂をラストのメインイベントに据える形で、映画「ニューイヤーズ・イブ」の各エピソードは語られていきます。
各エピソードのコアとなる登場人物およびカップルは以下の通り。

1.タイムズスクエア協会の副会長として、ポール・ドロップのイベントを進行していく責任者であるクレア。
2.妹の結婚式に出席した後、去年のニューイヤーズ・イブで一緒に過ごした女性と約束した「1年後の再会」を果たすためにニューヨークへと向かうサム。
3.パーティーやイベントなどに出張し、客の要望に応じて料理を提供する「ケータリング」の仕事を担っているローラと、ニューイヤーズ・イブでライブを行う有名ロックスターのジェンセン。
4.25年以上勤めてきた会社に辞表を叩きつけたイングリッドと、パーティー券をネタに彼女の夢の達成を手伝うバイク便のポール。
5.新年を迎える際にファーストキスをしようと憧れの男子同級生と約束したものの、母親キムの強固な反対で外出を禁止されてしまう15歳のヘイリー。
6.新年最初に生まれた赤ちゃんには賞金が与えられると、互いに敵愾心を燃やして年明け早々の出産を狙うバーン夫妻とシュワブ夫妻。
7.その同じ病院で余命僅かと宣告されている老人スタンと、ニューイヤーズ・イブの真っ只中に彼を見守り続ける看護師エイミー。
8.大晦日を嫌い、アパートに飾られた新年祝いの飾りを片っ端から剥ぎ取るランディと、彼とたまたまエレベーターに乗り合わせたエリーズ。

また、「1」のクレアと「2」のサムにも相方となる男女がそれぞれ存在するのですが、それは終盤で明らかになります。

序盤は大量の登場人物が、それも短い時間の間に顔見せとばかりに一斉に出てくるため、結構混乱するところがありますね。
情報が出揃って何とか登場人物達の相関関係などが理解できたのは、物語中盤も半ばになってからのことでしたし。
ひとつの映画で複数の登場人物主導の複数ストーリーが展開されるというパターンは、過去に私が観賞した作品でも「ヒアアフター」と2008年公開映画「バンテージ・ポイント」がありますが、今作はこの2作品を融合した感じですね。
ひとつのイベントを個々8人の人間の視点から描く、という点は「バンテージ・ポイント」に近いのですが、ひとつのエピソードから別のエピソードにザッピングする手法は「ヒアアフター」のそれを採用しています。
最初はバラバラに見えるストーリーが揃うことで、作品の全体像が見えてくるというのは同じでしたし。
「4」のエピソードに登場するポールが、「5」のエピソードにおける母親キムと家族関係にあったり、「8」のランディと親友でしばしば電話をかけたりするのも、この手のザッピング作品ならではの光景ですね。

各エピソードは全体的にラブコメディ的な要素がかなり強いですね。
「2」のエピソードでは、音声認識カーナビの支離滅裂な反応に四苦八苦するサムの姿が描かれていますし、「4」と「6」では登場人物達による漫才的な掛け合いがしばしば行われます。
各エピソードの内容自体は、現実でも普通にありそうな悩みや思いを抱えた人々の物語ではありましたが。

逆に、日本では考えられないものの、アメリカではいかにも「らしい」話だなぁ、と考えてしまったのは「8」のエピソードですね。
このエピソードでは、全く面識がなかった2人の男女がたまたま乗り合わせたエレベーターが故障してしまい、2人が閉じ込められるところから語らいが始まるのですが、2人がエレベーター内に閉じ込められた時間が実に数時間にも及ぶんですよね。
しかもエレベーター内では外部と全く連絡が取れず、携帯も通じないというありさま。
にもかかわらず、数時間後にアパートの管理人がエレベーターを再起動させ2人を解放した際には、「言ったろ、8時間以内には直るって」などと言い放つ始末だったんですよね。
いや、エレベーターが停止&中に人が閉じ込められてから問題解決までそこまで時間がかかったら日本では全国ニュースレベルな上にアパートの管理人は住人から総スカンを食らうのが当たり前だろ、などとツッコミを入れずにはいられなかったのですが。
エレベーター事故自体は日本でもあるでしょうが、問題解決にそこまで時間がかかるケースは震災などの大規模災害時くらいなものでしょうし。
この辺りはむしろ、時間にあそこまでキチキチな日本の方が世界標準からすれば異常なのでしょうが、それでも日本人的視点から見たら「いかにもアメリカらしい適当さだよなぁ」とついつい考えてしまいますね(苦笑)。

内容的には、女性または男女カップルで観賞するには最適な映画、といったところでしょうか。

映画「ワイルド7」感想

ファイル 486-1.jpg

映画「ワイルド7」観に行ってきました。
1969年~1979年にかけて週刊少年キングで連載された同名の原作マンガを、現代に舞台を替え実写映画化したアクション物。

物語は、マシンガンを持った武装集団が銀行強盗をやらかした挙句、人質のために警察が手を出せない中、人質を一方的に虐殺して逃走するところから始まります。
凶悪犯達を取り逃した警察は、7人の(元?)犯罪者達で構成される超法規的警察組織に対し全権限を移譲、凶悪犯達の抹殺を命令します。
命令を受けると同時に、海上に架けられた高速道路の立橋?とおぼしきところを走っている大型トレーラーから7台のバイクが現れ、犯人が逃走している現場へと急行します。
一方、凶悪犯達は、襲撃と逃走の際に使用したクルマを爆破し、予め用意していた別のクルマに乗り換えると共に、逃走のための保険としてただひとり連れていた人質の女性を、自分達の安全が確認されたとしてまさに射殺せんとしていました。
そこへ突然、猛スピードで突っ込んできたトレーラーの直撃を受け、乗り換え用のクルマを大破されてしまう凶悪犯達。
かろうじてクルマから脱出した凶悪犯達は、各々が手に持っていたマシンガンをトレーラーに対してぶっ放し反撃を開始しますが、トレーラーは頑丈な上に運転席も蛻の空状態。
そこへ、先ほどトレーラーから出てきた7台のバイクが、これまた猛スピードで凶悪犯達へと向かってくるのでした。
もちろん、敵以外の何者でもない彼らに対しても、凶悪犯達は躊躇することなくマシンガンを乱射するのですが、7台のバイクは卓越したバイクテクニックを駆使して銃撃をかわしていきます。
そして逆に、7台のバイクからの発砲により、凶悪犯達は次々と致命傷を被り倒れていくのでした。
かろうじて生き残った数名の凶悪犯達を、7台のバイクは完全包囲し「お前達を【退治】する」と言い放ちます。
「退治? 逮捕の間違いだろ」と言い返しつつ、クルマの中に潜んでいた人間と共に反撃の機会を伺う凶悪犯達。
彼らには当然、日本の警察が発砲にとにかく慎重であり、ましてや犯人を射殺するなどよほどのことでもない限りはできないという事実を知っているからこそ、簡単に反撃できると考えていたのでしょう。
しかし彼らは凶悪犯達の抹殺を命じられた超法規的警察組織であり、そんな考えが通用するわけもありません。
かくして、凶悪犯達は反撃どころか、その場で躊躇なく超法規的警察組織の7人によってあっさりと全員「逮捕」ではなく「退治」されてしまうのでした。

一連の事件は、公的には「凶悪犯達が逃走の途中で事故を起こした」として処理され、超法規的警察組織の存在は一言半句も表に出てくることはありませんでした。
しかし、一連の事件を追っていた東都新聞社のジャーナリストにして重度のヘビースモーカーでもある藤堂正志は、事故として片付けられてしまった事件の結末に疑問を抱きます。
ここ1年ほど、凶悪犯達が突然事故で全員死亡するという事件が頻発しており、7人の元犯罪者達で構成される超法規的警察組織の存在も、通称「ワイルド7」と呼ばれる真偽の程が疑わしい都市伝説として密かに語られていました。
そして藤堂正志は、偶然撮影されたらしい「ワイルド7」が凶悪犯達を始末している現場が映っている動画を持っており、「ワイルド7」が実在しているとの確信を持つに至ったのです。
ところが東都新聞社の上層部は、警察から圧力を受けている影響もあるのでしょうが、藤堂正志の言うことをマトモに取り合おうとしません。
東都新聞社の新人記者である岩下こずえは「ワイルド7」の存在に懐疑的で、何かと暴走しがちな藤堂正志のサポートに回るのですが…。
ちなみに、この岩下こずえの出自が、物語後半の展開に大きく関わってくることになります。

一方、「ワイルド7」はその後も凶悪犯達を「退治」していく任務に従事していくのですが、その「退治」の最中に本来「ワイルド7」が始末すべき凶悪犯を遠距離から抹殺してしまう謎のスナイパーが出現します。
当然「ワイルド7」もスナイパーを追跡するのですが、「ワイルド7」と同じくバイク使いであるスナイパーはよほどに逃げ足が早いのか、それとも周囲の地理を知悉しているのか、「ワイルド7」の追跡力でも力及ばず、あえなく取り逃がしてしまいます。
「ワイルド7」には、過去にも同じスナイパーによって獲物を掻っ攫われた経緯があり、また射殺されている凶悪犯が全て「広域指定犯罪グループM108号」のメンバーであるという共通点を持つことから、「ワイルド7」内でも謎のスナイパーの掌握が優先事項となっていきました。
そんなある日、「ワイルド7」の一員にして物語の主人公である飛葉大陸(ひばだいろく)は、謎のスナイパーの手がかりを掴むため埠頭のクラブに立ち寄った際、ひとりの女性を目撃します。
その時はただすれ違っただけのその女性がどことなく気になった飛葉大陸は、後日街中をバイクで疾走している最中、偶然にもバスに乗り込んだその女性を再び目撃する機会に恵まれます。
バイクで強引にバスを止め、バスから降りてきた女性に「どこかで見たことがあるような…」と話しかける飛葉大陸。
会話を交わした末に「人違いだった」とその場を離れようとする飛葉大陸でしたが、その時女性の方から「あなたのせいでバイトに遅れそうだから送って行って」と主張してきます。
彼女の名前は本間ユキといい、とあるレストランでウェイトレスのバイトをしていたのでした。
彼女の要求通り、レストランまでバイクで送って行った飛葉大陸は、さらに「レストランの売上に貢献して」と言われ、これまた要求通りに色々なものを注文して飲み食いしていくことになります。
そして気がつくと、飛葉大陸は本間ユキが住んでいるとおぼしきアパートの一室で裸になって眠っていたのでした。
本間ユキの話を聞く限りでは、どうも描写されない部分で男女の濡れ場シーンでもあったようなのですが、その割に本間ユキはどことなく淡々としていますし、飛葉大陸もあっさり服を着てその場を後にします。
時を同じくして、制約会社が極秘裏に開発を進めてきた致死性90%以上を誇るウィルスが盗まれるという事件が発生します。
ウィルスを強奪した犯人達は、政府に対し2億ドルの指定口座振込みを要求し、要求に応じない場合は、ウィルスを積んで東京を飛行している飛行船を爆破してウィルスをばら撒くとの脅迫を行ってきたのです。
要求に応じても犯人側が飛行船爆破を止めるという保証はないと確信した警察側は、バイオテロを阻止すべく「ワイルド7」の出動を命じるのですが……。

映画「ワイルド7」では、現代日本が舞台とはとても思えないほどに敵味方問わず銃や重火器の類を乱射しまくるシーンが頻繁に登場します。
犯罪のためならば手段を問わない凶悪犯達や、その凶悪犯を抹殺するよう命じられる「ワイルド7」の面々が発砲に躊躇しない、というのはむしろ当然のことでしょう。
ところが作中では、SATや機動隊などといった警察所属の一般的な警察官ですら、発砲に全く躊躇している様子がないんですよね。
物語後半では、黒幕によって「7人の犯罪者集団」として指名手配された「ワイルド7」の面々に対し、SATや機動隊が公安調査庁内で派手に銃撃を浴びせまくるシーンが存在します。
しかし、そもそも日本の警察にそんな強硬手段を行うことができる権限が事実上無いに等しいからこそ、「ワイルド7」のような超法規的な存在が必要になったのではないのでしょうか?
「踊る大捜査線」シリーズや現実世界における警察絡みの報道に象徴されるように、日本の警察は銃の乱射どころか「1発発砲した」というだけでもマスコミや世間一般から多大な非難を浴び、正当な理由があってさえも警察官が始末書を書かされるというほどに、世界的に見ても銃の扱いについてとにかく異常なまでにうるさく言われる組織なのです。
「ワイルド7」が武装した凶悪犯であるという事実が周知されていてもなお、作中で見られたような銃撃戦を警察が行うためには、どれほどまでの法的な手続きと時間が必要となることか……。
現実どころか、フィクションの中でさえも、最近の警察はただの1発でも発砲することについてすら慎重な姿勢を示すのは当たり前、それどころか現場からの悲鳴のような要請があってさえも、官僚答弁的な対応で現実を無視した真逆の命令が下ったりするのがすっかりスタンダードと化している感すらあります。
「SP」シリーズ映画「DOG×POLICE 純白の絆」 などでも「自己保身に邁進する硬直しきった官僚機構としての側面を持つ警察機構」が作中人物によって問題視されていますし、それを破天荒な形で破る主人公の姿が爽快感として描かれていたりするわけです(まあ後者の場合は掟破りをしすぎて逆に問題になっていますが)。
それらの現実と過去の作品を見慣れてきた人間としては、「ワイルド7」における警察の過激としか評しようのない銃撃戦は、大いに違和感を覚えざるをえないところでして。
警察にあんなことができるのであれば、そもそも「ワイルド7」なんて必要ないのでは?などという根源的な疑問まで出てくるありさまでしたし(^^;;)。

もちろん、原作の「ワイルド7」の出自を考えれば、銃撃戦をも含めた問答無用とも言える派手なアクションシーンが頻発するのはむしろ当然のことではあるでしょう。
1970年代頃の警察を扱っている作品では、今から考えればとても信じられないレベルの荒唐無稽な派手なアクションや銃撃戦を、犯人どころか警察側も披露していたりするのがむしろ当たり前だったわけですし。
また、作中のような世界観だからこそ、ハリウッドばりのアクションシーンや銃撃戦が展開できるという利点も当然あるわけで、そこはまさに「フィクションならではの約束事」として割り切るべきではあるのでしょうけど。
ただそれにしても「思い切ったことをやっているなぁ」とはついつい考えざるをえないですねぇ、私としては。

また、「ワイルド7」の構成員である7人は、その全員がバイク使いで、作中でも高度なバイクテクニックを使って敵を翻弄しています。
何故全員がバイク使いなの? と原作を知らない私は当然疑問に思ったのですが、どうも「ワイルド7」メンバーのひとりであるセカイが他の仲間達にバイクテクニックを教え込んだ結果だったようですね。
今作におけるバイクに対する思い入れは相当なもので、物語後半では建物の中にまでバイクを持ち込み疾走するシーンまであったりします。
この作品、バイクに対して相当なまでの思い入れがあるのだなぁ、と観ていて思った次第です。
これもまた1970年代当時とは事情が異なるのでしょうが、現代は完全なクルマ社会であり、自転車や原付・オートバイなどの自動二輪車は軒並み冷遇される傾向にありますからねぇ。
「不安定で危ない」という宣伝効果による悪しきイメージも手伝って、バイクに乗る人は減少の一途をたどっていますし。
作中のようにバイクにこだわる人も、今では少数派なのではないかなぁ、と。

作中では、ハリウッドばりのアクションシーンや銃撃戦、それにバイクテクニックなどが大いに披露されていますので、そういう系統の作品が好みという方には文句なしにオススメできる映画ですね。
ラストを見る限りでは続編もありそうな雰囲気だったのですが、続編が作られることは果たしてあるのでしょうか?

「若者のテレビ離れ」を招いたテレビ局の問題

厚生労働省の「全国家庭児童調査」によると、テレビを観ない子供が2004年よりも2倍強にまで急増しているそうです。

http://megalodon.jp/2011-1223-1950-38/sankei.jp.msn.com/life/news/111223/trd11122313450013-n1.htm
>   テレビやDVDを「ほとんど見ない」と答えた子どもの割合が2009年は6.6%に上り、2.6%だった前回04年調査の2倍超に増えたことが22日、厚生労働省の「全国家庭児童調査」で分かった。高校生に限ると10.5%で、04年より6.6ポイント増えた。(サンケイスポーツ)
>
>  見ている場合でも、1日の視聴時間は全体的に減少。「2時間以上3時間未満」は3.7ポイント減の26.0%、「3時間以上」は3.4ポイント減の25.8%だった。
>
>  一方、携帯電話の利用時間は増え、「1時間以上2時間未満」が3.3ポイント増の9.8%で、「2時間以上」が2.8ポイント増の16.7%だった。
>
>  調査は全国の小学5年から18歳未満の子どもを対象に5年ごとに実施。今回の調査には1098人が答えた。

昔は「テレビっ子」という言葉が流行語となったほどに、テレビは国民生活と密接に結びついていたものだったですが、時代も大きく変わりましたね。
昨今のテレビの衰退ぶりがまたもや証明された形です。

子供がテレビを観なくなった大きな理由としては、携帯電話やネットの台頭でそちらに熱中するようになった結果、テレビを観なくなったという事情ももちろんあるでしょう。
ただ、テレビの場合は「子供向けの番組が著しく減った」という要素も少なからずあるのではないでしょうか。
以前はゴールデンタイムの早い時間帯である19時~20時頃は子供向けアニメや特撮番組が放送されていたものだったのですが、最近はどのチャンネルを見てもバラエティー番組ばかり。
また子供向け番組そのものも、テレビ東京系列に著しく偏っている傾向が顕著な一方、それ以外のテレビ局ではほとんど放映されることすらありません。
かつては夏休みの朝から昼、および夕方頃にかけて積極的に放映されていたアニメの再放送なども、最近では影も形もなくなってしまいました。
子供向けの番組をテレビが全くやっていないのに、子供がテレビを観るなどありえないでしょう。

で、何故テレビから子供向け番組が激減したのかと言えば、やはりこんな事情があったりするわけで↓

http://megalodon.jp/2011-1223-2051-55/www.cyzo.com/2011/08/post_8094.html
>  夏休みの子ども向け再放送、なぜやらなくなってしまったのか。テレビ番組の構成作家は言う。
>
>
「単純に一言でいうと、視聴率が取れないということになってしまいますね」
>
>  アニメ番組自体に視聴率が期待できない時代だというのである。
>
> 「一部を除くと、ゴールデンでもアニメはほとんどやらないということなどからも分かる通り、テレビ全体で見るとアニメは下降線をたどっているんです。
テレビは子どもよりも、40代50代が見るものにどんどん変わってきていますね
>
>  数字が取れないと、やはりいいスポンサーもついてくれなくなるわけで、
>
> 「テレビは結果を見てやる側面が強いので、その傾向は強まっていきますよね。ただ逆に、たまたまアニメ再放送をやって、たまたま結果がよかったらまた流れ始めるのかもしれませんしね」

……そりゃテレビを観る子供が減るのは当たり前でしょうねぇ。
当のテレビ局側が40代50代向けの大人向け番組ばかり制作しているのであれば、ただでさえテレビ以外の選択肢が増えている子供がテレビを視聴しなくなるのは至極当然というものです。
TVにおける時代劇の衰退と同じで、ここでもやはり視聴率至上主義が大きな弊害となっているわけです。
ここでさらに子供からの視聴率が獲得できなくなれば、テレビ局側はそれを改善するどころか、今よりも一層子供に背を向けた番組ばかりを作って視聴率稼ぎに邁進し、更なる若年層のテレビ離れを加速させるのでしょう。
それは「若者のテレビ離れ」という世代論で片付けることなどできない、テレビ局側の自業自得以外の何物にもならないでしょう。
今の調子で若年層のテレビ離れを進めていけば、最終的には誰もテレビを観なくなり、目先の視聴率稼ぎすらも不可能になる、という事態にいずれは直面することにもなりかねないにもかかわらず。
昨今のテレビ事情を見る限り、テレビはこの救いようのない悪循環にどっぷりハマっている惨状を呈しているとしか評しようがないですね。
目先の視聴率至上主義を捨てない限り、テレビが往年の実力を復活させることができるとは到底考えられないのですが。

TVにおける時代劇の衰退と本当の需要

TBSの時代劇番組「水戸黄門」が最終回を迎え、42年続いたシリーズそのものにも終止符を打つことになりました。

http://megalodon.jp/2011-1220-2108-04/www.j-cast.com/2011/12/20116977.html
>  TBS系の時代劇「水戸黄門」が2011年12月19日に最終回を迎え、42年間にわたる放送にひとまず終止符を打った。
>
>  この日は、スペシャル番組として放送された。番組では、歴代の「格さん」役や由美かおるさん、あおい輝彦さんらレギュラーが出演し、最終回に花を添えた。

TVにおける時代劇の衰退は、制作費の高騰と視聴率の低迷が大きな原因であると言われています。
しかし、視聴率の低迷は時代劇に限らず全てのTV番組どころかTVそのものが抱える問題でもありますし、視聴率1位であるはずの番組最高視聴率が20%にも届かないなどという惨状を呈していたこともある昨今のTV業界で、「水戸黄門」の視聴率がそこまで群を抜いて低いということもないのではないか、と個人的には思えてならないのですが。
制作費についても、高い品質の番組を作ろうとすればそれだけ費用もリスクもあるわけですから、それをケチって良い番組が作れる方がおかしいのではないかと。
現に、安い制作費で作られているバラエティー番組など、昨今はあまりにも安易に乱発され過ぎて視聴者から飽きられており、むしろTV離れの大きな原因にすらなっているくらいです。
何かとテレビ局批判の対象になる「韓流ブーム」なども、そうした流れの延長線上にある問題でしょう。
アレも、テレビ局側にしてみれば「自前で製作するより安くて手軽だからプッシュしている」というのが偽らざる本音なのでしょうし。
それで番組の品質を下げ、更なる視聴者離れを加速させているのでは世話は無いのですけどね(苦笑)。
制作費と視聴率にこだわる今の番組制作スタンスを、テレビ局は一度抜本的に見直す必要があるのではないかと。

一方で、時代劇そのものの需要は、昔と比較してもそれほど下落しているというわけでもないようです。
たとえば、こんな事例もありますし↓

http://megalodon.jp/2011-1220-2218-10/www.j-cast.com/2011/12/10115176.html?p=all
>  TBSの「水戸黄門」が2011年12月19日に最終回を迎えるなど、お茶の間で長年親しまれてきたテレビ時代劇が今まさにがけっぷちに立たされている。
>
>  そんな中で加入者を伸ばしているのが、早朝から深夜まで時代劇を放送している「時代劇専門チャンネル」だ。視聴世帯数は2011年9月現在816.1万世帯に上り、有料放送としては屈指の人気チャンネルとなっている。

(中略)
>  契約者増で同チャンネルでは過去作にとどまらず、すでにスカパー!などとの共同出資でオリジナル作品制作にも乗り出している。11月には第2作「鬼平外伝 熊五郎の顔」を、BSスカパー!で放映した。こんごも撮影所を維持し、時代劇を制作できるスタッフを確保しながら、自前の時代劇コンテンツを作り続けていくことも狙いと見られる。

時代劇専門チャンネル公式サイト
http://www.jidaigeki.com/

また映画でも、2010年後半は時代劇作品が数多く公開されましたし、興行収益的にもそれなりの成功を収めているものもあるわけです。
作品内容も以前の時代劇と比べてマンネリ感が少なく、今風にアレンジされていて一般受けしやすいものになっているものが大半です。
今も時代劇に相応の需要があることはこれらの事例からも明白でしょう。

制作費と視聴率しか眼中にないスタンスを今なお頑迷に固持し続けているテレビ業界の未来はあまり明るいものではないでしょうが、時代劇は媒体を変えて生き続けて欲しいものですね。

銀英伝舞台版の大阪公演が決定

銀英伝舞台版第二章・自由惑星同盟編が、東京だけでなく大阪でも舞台公演されることが決定しました。
NHK大阪ホールで2012年4月28日と29日にそれぞれ1回ずつ公演されるのだとか。

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/
第二章 自由惑星同盟編 トップページ
http://www.gineiden.jp/doumei/
大阪公演告知
http://www.gineiden.jp/doumei/special02.html

ただ、東京での舞台公演が総計14回であることを考えると、何とも少ない回数とは言わざるをえないところですね。
大阪を中心とする阪神・関西圏は、東京を中心とする関東圏に次ぐ人口と経済力を持っているのですから、客入りもそれなりの数は見込めるはずなのですが……。
これが東京と大阪の格差なのかなぁ、などと変なことをついつい考えてしまったり(^^;;)。

一応、公演場所となる多目的ホールのNHK大阪ホールは、舞台の座席数が1階席と2階席を合わせて1417席あるのだそうで↓

NHK大阪ホール
http://www.nhk-osakahall.jp/

第一章・銀河帝国編が上演された青山劇場の舞台座席数が1200でしたから、舞台の規模的にはそれと比較しても決して見劣りするものではないのですけどね。
公演時期を見ても、世間一般的にはゴールデンウィークの初日と2日目、それも土・日という「一般人が足を運びやすい」時期をチョイスしていますし。
外伝はどうだったのか不明ですが、すくなくとも第一章・銀河帝国編の舞台では観客席を全部埋めるほどの盛況ではあったようなので、大阪公演でも観客席を全部埋められる自信と勝算自体はあるのでしょう。

第二章・自由惑星同盟編のストーリー内容や配役の詳細について未だ何も伝わってこないのですが、そちらの続報にも期待したいところですね。
相変わらず私は舞台公演を観には行けないのですが(T_T)。

金正日の死去と朝鮮有事の可能性

北朝鮮の金正日が死去したと、朝鮮中央テレビと朝鮮中央放送・平壌放送が一斉に報じました。

http://megalodon.jp/2011-1219-1922-22/sankei.jp.msn.com/world/news/111219/kor11121912050003-n1.htm
>  【ソウル=加藤達也】北朝鮮の朝鮮中央テレビと朝鮮中央放送、平壌放送は19日正午からの「特別放送」で、最高指導者の金正日総書記が死去した、と伝えた。69歳だった。葬儀の日程などは不明。
>
>  北朝鮮は昨年から金総書記の三男で朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長を務める金正恩氏を中心とする三代世襲態勢への移行を推進していた。金総書記の死去が今後の北の核活動を含む対外政策にどのように影響するか、米韓など各国は不測の事態に備え情報の収集と分析に全力を挙げる。

後継には金正日の三男・金正恩が有力視されていますが、その権力基盤は極めて不安定であると内外から評価されており、今回の事件が発端となって権力闘争や内乱が勃発する可能性も囁かれています。
また一方では、国内の不協和音や国民の不満をそらすために、韓国や日本に対する挑発的な軍事行動などに打って出る危険性も考えられますね。
北朝鮮は2010年11月に韓国西方にある延坪島に陸上砲撃を敢行していますし、日本に対しても拉致事件その他の所業を働いていた前科があるのは周知の事実です。
そして、北朝鮮は日本にも韓国にも朝鮮総連等の出先機関を持っており、本国の意を受けたそれらの出先機関が何らかの破壊工作等を行ってくる危険性もないとは言い切れません。
既に韓国軍は、北朝鮮の暴発に備えて全軍が非常警戒態勢に突入しているのとのことで、日本も何らかの警戒態勢を布くべきなのではないかと。
まあ、北朝鮮を心の祖国と仰いでいる議員が多いと言われる民主党政権にそんなことができるのかと問われれば、大きな疑問符をつけざるをえないところなのですけどね。

映画「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」感想

ファイル 481-1.jpg

映画「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」観に行ってきました。
トム・クルーズ主演のイーサン・ハントが様々なミッションに挑む人気のスパイアクションシリーズ第4弾。

物語の冒頭はハンガリーのブダペストから。
とある建物の屋上に出てきた1人の男が、2人の追跡者に追われているところが画面に映し出されます。
追われていた男は屋上から飛び降りつつも反撃し、瞬間的に膨らんだクッションによってほとんど無傷で降り立ち追跡者から逃れることに成功しますが、その直後に通りがかりの女性に扮した暗殺者サビーヌ・モローによって殺されてしまいます。
そこから舞台は、ロシアの刑務所に囚われの身となっている主人公イーサン・ハントへと移ります。
何故彼がそんなところにいるのかについては物語後半および終盤で明らかになるのですが、この伏線の張り方もなかなかに上手いですね。
それはさておき、そんな彼を救うべく、イーサン・ハントが所属するアメリカの秘密組織IMF(Impossible Mission Force:不可能作戦班)によって派遣された2人のエージェントが、イーサン・ハントの脱出の手引きをし、彼を救出することに成功します。
2人のエージェントに対し、自分が救出されたということは何か重要な任務があってのことだろうと問い質すイーサン・ハント。
実は2人のエージェント、ジェーン・カーターとベンジー・ダンは、冒頭で殺されてしまったもうひとりのエージェントであるトレヴァー・ハナウェイと共に「コバルト」というコードネームを持つ人物と協力する密使を追っており、彼から核ミサイル発射コードを奪取するのですが、その直後にサビーヌ・モローによってコードを奪われてしまったのでした。
そしてIMFからは、「コバルト」についての情報が保管されているモスクワのクレムリンに侵入し、情報が消される前に手に入れるよう命じられるのでした。

ロシア軍の高官に変装し、幾分かのアクシデントがありつつも何とか保管庫への侵入に成功するイーサン・ハントとベンジー・ダンの2人。
しかし時既に遅く、肝心の「コバルト」に関する情報は消されてしまった後でした。
この時点でミッション失敗が確定してしまい愕然とするイーサン・ハントですが、そこへ追い討ちをかけるかのように、IMFの周波数を使ったクレムリンの爆破通信がどこからともなく流れてきます。
身の危険を感じ、ただちにクレムリンからの逃走を図る2人でしたが、クレムリンの爆破テロがあまりにも大規模すぎて結局巻き込まれてしまい、イーサン・ハントは意識を失ってしまいます。
次にイーサン・ハントが目覚めたのは、爆破テロに巻き込まれた人達でごった返しているロシアの病院。
そこにはロシア側の諜報員であるアナトリー・シディロフが、イーサン・ハントをクレムリン爆破事件の犯人として事情聴取する姿勢を見せつけていました。
何しろ、爆破前にIMF周波数による爆破通信が流れていたのですから、これ以上の有力な証拠はないわけです。
しかし、当然のことながら全く無実のイーサン・ハントは病院を脱出し、IMFと連絡を取り、たまたまロシアに滞在していたIMFの長官および分析官であるウィリアム・ブラントと合流します。
IMF長官はイーサン・ハントに対し、彼にクレムリンの爆破テロ事件の容疑がかかっていること、そしてロシアとの核戦争を避けるためにアメリカ政府が「ゴースト・プロトコル」を発動し、IMFが解散になった事実を伝えます。
その上でIMF長官は、イーサン・ハントに引き続き任務を続けさせ、IMFの汚名を返上させるために、彼を逃がそうとするのでした。
ところがそこへ、アナトリー・シディロフ率いる狙撃隊が襲撃。
乗っていた車は川に転落してしまい、IMF長官も殺されてしまったのでした。
運良く初撃を逃れたイーサン・ハントとウィリアム・ブラントは、何とかその場を脱出し、「コバルト」の行方を追うのですが……。

映画「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」では、ミッションを遂行する際にとにかくアクシデントが頻発します。
一番その手のアクシデントが頻発しているのは、ドバイの最高峰828メートルの高さを誇るビルであるブルジュ・ハリファでのミッション時。
変装に必要不可欠であるはずのマスク製造装置が故障してしまったり、エレベータなどの操作にビルの外側からサーバルームに侵入しなければならないことが現地で判明したりと、登場人物ならずとも「おいおい大丈夫か」と言いたくなるほどにトラブルが頻発し、その都度イーサン・ハントが無茶苦茶なアクションと決断で尻拭いをしなければなりませんでした。
映画の予告でよく喧伝された、トム・クルーズ本人がノースタントで演じたという「ブルジュ・ハリファ外壁のロッククライミングシーン」も、そういう過程を経てやる羽目になったシロモノだったりします。
突発的かつ準備不足なままに制限時間も厳しいギリギリの状態でミッションに挑むのですから、色々と不測の事態が起こってしまうのもある意味当然のことではあるのですが、子の辺りは見ている方も終始ひたすらハラハラさせられましたね。

また今作では、最新技術を駆使したであろう様々な小道具も見所のひとつです。
冒頭のシーンでも、ポケットに入る程度の大きさから起爆と共に巨大なクッションとなる小道具が登場していましたし、2回の瞬きと共に写真が取れるコンタクトレンズや、東京モーターショー2011にも出展されたというBMW-i8も出てきます。
本格的な実用化はまだ先のことではあるでしょうが、いずれは作中に登場していた小道具も一般的になる日が来るのでしょうねぇ。

作中の舞台は、ブダペスト(ハンガリー)・モスクワ(ロシア)・ドバイ(アラブ首長国連邦)・ムンバイ(インド)と、まさに世界のメジャーどころを転戦しています。
ストーリーも「自分達に着せられた冤罪を晴らす」と「核戦争の阻止」がセットになっている、久々にハリウッドらしい単純明快な勧善懲悪物になっています。
それでいて、一種の人間ドラマ的な要素もふんだんに盛り込み、特にウィリアム・ブラント絡みのエピソードはラストで大どんでん返しがあったりしますし。
ただ、この辺りのエピソードについては前作のストーリー設定なども絡んできますので、予め前作を復習しておいた方が良いかも知れません。

トム・クルーズのファンという方はもちろんのこと、アクション物&スケールのでかい作品が好みという方にも文句なしにオススメできる一品ですね。

ユーティリティ

2025年05月

- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ページ

  • ページが登録されていません。

新着画像

Feed