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私の創竜伝考察25
仙界の矛盾・前編


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No. 186
私の創竜伝考察25 仙界の矛盾・前編
冒険風ライダー 1999/10/25 22:14:53
 ―――創竜伝における「仙界」とは中国礼賛の集大成である―――

 私が創竜伝の「仙界」について抱いた感想がこれですね。創竜伝6・7の社会評論で派手に中国礼賛を行い、創竜伝8で「仙界」を登場させ、西洋・日本批判と対比させる形で中国を称揚する。これが創竜伝における田中芳樹の作戦だと思われます。机上の上では完璧な作戦ですね(笑)。まあ中国を礼賛するのは勝手ですし、中国の文物や文化を紹介したいという熱意も大いに結構な事ですが、日本やアメリカをほとんど言いがかりに近い社会評論で散々罵倒しておきながら、中国については何ら批判を展開しないどころか「黒を白と言いくるめてでも」礼賛するというその姿勢は、いくら中国好きだとはいえ、ダブルスタンダードのそしりを免れないでしょうな。
 さすがに田中芳樹も、軍事関連特集の時とは違って中国の実態を知らないという事はないでしょうが、中国神話の話はまあいいとしても、中国の政治・歴史についての社会評論はどう考えても不可解な記述が多すぎます。ストーリーと社会評論による中国礼賛に邪魔になりそうな事実を意図的に隠蔽しているようにしか見えません。
 そんなわけで、今回と次回の2回にわたって展開する「仙界の矛盾編」。その前編はこの「仙界の理論を支える中国礼賛の実態」にスポットを当ててみたいと思います。この中国礼賛の実態を暴く事が、同時に「仙界の矛盾」を暴く第一歩にもなります。「仙界」の理論を支えているのは「中国の政治・歴史」が中心ですから、それを中心に論じていく事にしましょう。
 それではまず、これについて論じてみる事にしましょうか↓


創竜伝6 P188下段〜P189上段
<「中国の歴史は圧政と暴政の歴史だ、だから中国はきらいだ、という日本人もおるそうだが、君たちはどうだね」
「ばかばかしいですね、そんな考えは」
 あっさりと始はいってのけた。
「たしかに圧政と暴政の歴史という一面も中国の歴史にはあります。ですが、それは同時に、勇敢な叛逆と崇高な抵抗の歴史でもあるでしょう。天安門虐殺事件のとき、素手で戦車の前に立ちはだかってその前進をとめた若者がいました。中国の未来は、戦車の出動を命じた独裁者なんかの上にではなく、そういう若者たちの上にある、と、おれは信じてますから」>

 この社会評論を読むたびに、田中芳樹の中国への一方的偏愛と、その愛情の犠牲になっている竜堂始君の低能ぶりを哀れむばかりです。そこまで強弁しなければ中国を礼賛できないというのでは、却って中国という国のマイナス面を強調するようなものです。「中国をもっと理解してもらいたい」という考えからこの社会評論を展開したのならば、全くの逆効果であったと申さなければなりません。
 さて、中国では度々「易姓革命」が起こって王朝の交代が行われてきましたが、実は中国では、これら「成功した革命」以外にも、多くの「未遂の革命」つまり「易姓革命を口実とした叛乱」や「宗教的秘密結社が起こした叛乱」が多数頻発しており、そのために中国は4000年に至るその歴史の間に、毎年必ず国内のどこかで戦争があったというほど戦乱が絶えない歴史を持っています。
 そしてそのような中国の歴史の特徴として、王朝滅亡期になると人口が激減するというスタンスがあります。それも半端なレベルではなく、王朝最盛期当時の人口の3割〜9割までが消滅するというほどの激減ぶりです。表にまとめて見ましょう。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
中国の人口変遷(年は全て西暦)
・ 前漢―→後漢(西暦2年―→57年)………………5959万人―→2100万人
(約3850万人減)
・ 後漢―→三国時代(157年―→220年)………5649万人―→ 763万人
(約4800万人減)
・ 三国時代―→隋(280年―→580年)…………1616万人―→ 900万人
(約700万人減)
・ 隋―→唐(606年―→626年)…………………4601万人―→1650万人
(約3000万人減)
・ 唐―→北宋(755年―→976年)………………5292万人―→1800万人
(約3500万人減)
・ 北宋―→南宋(1101年―→1160年)………4673万人―→1923万人
(約2700万人減)
・ 南宋―→元(1223年―→1264年)…………2832万人―→1302万人
(約1500万人減)
・ 元―→明…………………………………………………資料不明
・ 明―→清(1504年―→1644年)……………6010万人―→1063万人
(約5000万人減)
・ 太平天国の乱(1851年―→1861年)
4億3216万人――→2億6688万人(約1億6500万人減)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 これらの大幅な人口減の原因は王朝末期の戦乱にあります。
 まず、中国で戦乱が勃発すると、政府軍・叛乱軍ともに兵力を充実させようと大量の農民を駆り出します。しかも中国の軍勢は数十万〜百万ほどで構成されるために農業人口が激減してしまい、当然ながら農業生産力もそれに伴って減少します。しかもそれによって自然界のバランスが崩れると、イナゴなどの昆虫の大群が移動しながら作物を食い荒らしていくために、ますます農業収穫量が減少します。つまり食糧が不足することによって大量の餓死者が発生するのが第一の理由です。
 第二に自然災害による被害があります。戦乱によって黄河や長江の堤防が破壊されたり、そこに長期間大雨がつづいたりすることによる大水害が発生する事によって、数十万〜数百万の人たちが命を失います。今のように災害対策が科学技術も発展してはいませんから、これだけの死者が出ても不自然ではありません。
 そして第三の理由として、中国では「大義思想」という考え方があり、これが敵との殺し合いを一層苛烈なものにしているというのがあります。「大義思想」とは要するに「滅私奉公」とでも言うべき考え方で、一度君主に対して忠誠を誓ったら、最後まで忠誠を守らなければならないという思想です。この思想のために、中国では政府軍・叛乱軍を問わず、自軍がほとんど絶望的な状況になっても最後まで抵抗を続けてしまい、また相手側もこの思想に基づいて徹底的に敵を殺戮してしまうという歴史が2000年以上にもわたって続いてきました。そのため、戦乱自体によって命を落とす人の数も数百万〜千万単位の規模にまで跳ね上がります。
 さらには中国には「屠城」という考え方があります。文字通り「城を屠る」です。これは「城に篭城している人間は全部抹殺してしまう」というもので、この考え方にしたがって城塞戦の場合、敵だけでなく一般市民までが「敵に協力した」という理由で殺戮の対象になってしまうのです。攻城戦が終結した時、城内の人間が皆殺しにされたという例も珍しくなかったようです。
 また中国の会戦では、敵味方合わせて数十万〜数百万もの軍勢が激突するために、会戦における死傷者がかなりの数に上ること、また降伏しても、敵側の方に食糧の余裕がなかったり、釈放すると危険と判断された時には、捕虜を全部生き埋めにしてしまうという事も行われました。「長平の戦い」で降伏した趙軍40万に対する秦側の処置や、項羽による秦軍20万の生き埋めなどはその好例でしょう。
 中国における人口激減のこれらの理由を踏まえて改めて中国の歴史を見れば、中国の歴史を指して「勇敢な叛逆と崇高な抵抗の歴史」などと判定するのがいかに詭弁に満ちたものであるかが御分かりいただけるでしょう。「善政の基本とは人民を餓えさせないこと(銀英伝10巻 P41)」「数十年の平和は、数年間の戦争状態よりも幾万倍の価値がある(銀英伝1巻 P123)」という銀英伝における名言はどこに行ってしまったのでしょうか(笑)。そもそも「圧政と暴政ゆえに叛逆しなければならない」などというのは本来は不名誉なことではありませんか。政治が民衆に認められていないという事なのですから。日本の政治についてはあれほどメチャクチャな理由で罵倒しているというのに、中国に対してはこんな詭弁を弄するのですから、田中芳樹の中国評価がいかにダブルスタンダードであるかは一目瞭然でしょう。


 さらに田中芳樹はチベットがよほど憎いのか、次のような社会評論を展開しております。

創竜伝6 P108下段〜P109下段
<クラークは彼にしかできない笑いかたをした。笑いを半分おさめ、彼はあらためて茉理見やった。そして発せられた質問は、かなり風変わりなものだった。
「前世というやつを信じるかい、ミス・トバ」
「いいえ」
「輪廻転生というやつは?」
「ばかばかしいと思うわ」
 厳しい口調で茉理が断言すると、クラークは異議ありげな表情をした。
「だがチベット仏教の法王たるダライ・ラマは代々、輪廻転生をくりかえし、不死の人としてチベット人に厚く尊崇されている。君だって知ってるだろう」
「代々のダライ・ラマのうち、チベット人に殺された人が何人もいるのご存じ?」
「うん、まあね、知ってはいるが・・・」
 クラークが口をにごす。それと対照的に、茉理の口調は明快だった。
「自分の前世を知ってると称する人の話を聞くと、ほんとに不思議なのよね。前世では名もない庶民だったって人がひとりもいないんだもの。みんな前世では有名な英雄や芸術家だったり、お姫様だったりするのよ。家柄自慢もばかばかしいけど、前世自慢だってくだらないわ。現在の自分自身にそれほど自信がないのかしら」
「東洋人である君が輪廻転生を信じず、西洋人であるぼくのほうが信じているとはね。皮肉だな。だが魂の不滅については、別にぼくがいまさらいいだす必要もなく、古代から多くの賢者がね・・・」>

 また例によって「聡明な毒舌家」という設定であるはずの鳥羽茉理が低能ぶりを発揮しております。創竜伝における「聡明な毒舌家」とやらは、いつでもどこでも低能ぶりをさらけ出してくれるものですから、笑いとこき下ろしの材料には事欠きませんね(笑)。しかも「とうちゃん」と同様に「自分が低能である」という自覚症状もないというのですから、その知的退廃はどのくらいのレベルなのやら。
 「前世自慢云々」の話については「それはお前ら竜堂兄弟一派の事だろ」という軽いツッコミでも入れておくとして(笑)、とりあえず本題に戻すと、チベット民族は「唐」時代に「吐蕃」という王朝を形成していました。この「吐蕃」が763年、当時の唐王朝の首都・長安を陥落させ、14日間占領していたという歴史があり、このことは現代のチベット民族の誇りともなっています。そして現代のチベットでは民族独立運動がさかんになっており、中国政府の弾圧を受けています。中華思想を重んじ、中国大好きである田中芳樹にしてみれば、たかが「夷狄蛮戎」ごときに中華帝国の首都が落城させられた事実が許せなかったのでしょう。しかしだからと言って、わざわざ現在の中国のチベット支配を正当化してやる事もなかろうに………。
 中国には漢民族以外にも現在55もの少数民族がいるのですが、その大半が現在の中国の支配に何らかの反発を抱いており、その原因に中国政府の民族弾圧と漢民族への同化政策が挙げられています。田中芳樹にはぜひとも「セブン・イヤーズ・イン・チベット」という映画でも見ていただき、中国のチベット支配の実態というものを勉強してもらいたいところですが…………まあ無理でしょうね(笑)。
 田中芳樹の中国に対する偏執的な愛情と異民族蔑視に満ちた態度は次の文章によく表れています。その論調たるや、創竜伝で批判しているはずの「右翼の軍国主義者」そのものなんですけど(笑)↓

創竜伝7 P116下段〜P117下段
<西暦一一二七年、中国を統治する宋王朝は北方の金国の侵攻を受けた。そのような事態が生じるには、さまざまな外交上・戦略上の経緯があるが、とにかく腐敗した無能な宋王朝は、新興の金に対抗できず、敗北をかさね、滅亡寸前のありさまとなった。
 このとき黄河の南岸に布陣して金軍の来襲を防いだのが宗沢である。彼はもともと文官であったが、軍を率いてしばしば金軍を破り、また公正さと剛直さによって知られていた。信義にあつく、約束を必ず守り、私欲がなかった。彼は亡国の混乱のただなかで最前線に踏みとどまり、戦場から民衆を救い、さらに義勇軍を集めて金軍と戦おうとした。岳飛、韓世忠をはじめとする若い将軍や兵士が馳せ参じ、その兵力は一〇万をこした、この軍をひきいて宗沢がまさに黄河を渡り、金軍と決戦しようとしたとき、朝廷から使者が駆けつけ、戦いを禁じた。朝廷の重臣たちは、宗沢が大功をたてることを恐れたのである。宗沢が金軍を破って国土を回復すれば、重臣たちの地位が揺らぐであろう。彼らにとっては国土や民衆より、自分たちの権力の方がはるかにたいせつであった。>

 田中芳樹によると、「戦いを禁じる」ことが「国土や民衆を大切にしていない」という事になるそうです。こういうのを「右翼の軍国主義」というのではないでしょうかね(笑)。第一、南北の宋王朝は中国歴代王朝中最弱といわれているほどですから、下手に金と戦いを始めたら敗北する確率の方が高いのですけどね〜。
 この問題を論じるには、当時の宋王朝がなぜ弱かったのか、そして当時の漢民族の認識を論じなければ意味がないでしょう。宋王朝の軍事力が弱かった最大の理由は、当時の軍馬の補給地帯であった北方と西方の領土を宋が領有していなかったため、歩兵中心の軍隊を構成せざるをえなかったことが一番の原因です。それに対して北方の遼や金は騎馬中心の軍隊だったのですから、軍事的に圧倒的な格差があり、とてもじゃありませんが宋が金に勝ち、領土を回復した可能性は限りなくゼロといえたでしょう。そりゃ権力欲や保身が全くなかったとは言いませんけど、勝算ゼロの、しかも多くの犠牲者が出るであろう戦いを止めた当時の宋王朝の判断のどこが「国土や民衆を大切にしていない」のでしょうか? むしろ金と和平を結ぶ事の方がよほど「国土や民衆を大切に」しているのではないかと思うのですけど。
 そして以前に論じた秦檜評価論とも関連してくるのですが、なぜ秦檜が唱えるような和平論が否定されたのかといえば、それはまさに中華思想の観点から言えばたかが「夷狄蛮戎」でしかない女真族の金が、こともあろうに漢民族の王朝に対して反抗し、あまつさえ北半分の領土を奪ったことが許せなかったからです。その屈辱のフィルターにかけられた目で見れば、秦檜の和平論による平和共存と経済的繁栄など唾棄すべきものでしかなく、岳飛や宗沢のように軍事的格差を無視して「領土回復」を唱える事が正義であるというわけです。これこそが秦檜の和平論などが今なお悪し様に評価されている真の理由なのですけどね〜。しかも当時の朱子を中心とする宋の学者たちは、この鬱憤を晴らす理論づけの手段として「尊皇攘夷論」や「大義名分論」までぶっている始末です。そんなことをしたところで「金の軍事的優越」という現実に対抗できるわけでもないというのに。
 宋と金の和平から850年以上もたった今なお、秦檜がまともに評価されず、岳飛や宗沢が絶賛されるのは、異民族蔑視の中華思想が根底にあるという事実を、田中芳樹は意図的に隠蔽しているとしか思えませんね。いくら中国好きだとはいえ、そこまでして中国を誉めたいのでしょうか。却って逆効果ではないかと思うのですが。


 ではその異民族蔑視の行きつく先がどういうものであったか、それを見てみることにしましょう。

創竜伝10 P115上段
<むろん中国やインカが地上の楽園だったわけではない。それぞれの社会には矛盾も欠点もあった。だが、すくなくとも、中国の軍艦が英国まで大挙して押しよせ、麻薬を密輸し、ロンドンを砲撃し、バッキンガム宮殿に火を放って炎上させ、財宝を掠奪した、という史実はない。インカ人がスペインを侵略して国王をとらえ、むりやり改宗させたあげく殺害し、全スペイン人を奴隷にした、という史実はない。よその土地でそれなりに平和に暮らしている人々のもとに押しかけ、力ずくで屈服させ、殺し、姦し、奪い、破壊せずにいられない西洋文明の兇暴さとはいったい何だろう。歴史を学んで、始はそう思わずにはいられない。>

 またしても中国の史実隠蔽を行っていますね。確かにイギリスやスペインの「植民地支配における虐殺」はかなり残虐なものでしたし、言っている事に間違いはないのですが、だからといって中国が全くの無実と言わんばかりの結論はいったい何なのでしょうか。中国の歴史上、数多くの侵略が行われ、しかもその過程で異民族を絶滅に追いやってきた歴史を、まさか知らないわけではないでしょうに。
 中国では人口が増大すると既存の耕作地だけでは農業生産が追いつかなくなり、新しい耕地を求めて周辺の異民族領土へ拡大していこうとするために、春秋戦国時代の昔から領土拡張に熱心でしたが、その侵略の過程で多くの異民族が漢民族に同化・絶滅させられていきました。特に遊牧民族の耕作地を農耕地に次から次へと変えていくために、遊牧民族はなす術もなくその住処を追われていくしかありませんでした。そのような漢民族の侵略行為に対抗して出現したのが「匈奴」のような戦闘的騎馬遊牧民族であり、以後2000年以上にもわたって漢民族王朝と遊牧民族は対立することになります。そしてそれは何が原因かといえば、やはり「よその土地でそれなりに平和に暮らしている人々のもとに押しかけ」ていった漢民族の侵略行為にあると言えるでしょう。この問題で漢民族は、被害者ではなく加害者とみなさなければなりません。
 さらに秦や前漢・後漢、隋・唐なども積極的な侵略行為を行って異民族を服属・滅亡させていますし、三国時代に至っては、後漢最盛期の一割強にまで落ち込んだ人口を補うために、遊牧民族の強制連行という手段にまで訴えています。第一、同じ民族同士で王朝交代のたびに何百万〜何千万単位で人口を激減させる民族など、私は漢民族以外に知らないのですけど。
 「そうではない。一神教思想による大虐殺をこそ批判したいのだ」というのならば、中国にだって洪秀全の「上帝会」という宗教的秘密結社が起こした「太平天国の乱」という例があるではありませんか。何しろ洪秀全は「自分がキリストの弟である」などという誇大妄想的な確信をもっていたぐらいなのですから。これは「仙界」が管轄しているはずの「東方領土」で起こったのですから「牛種の陰謀」と強弁はできないでしょう(笑)。そしてこの乱による人口減は上記のように約1億6500万人にも及びます。一神教を批判するのならば、これも取り上げるべきであると思うのですけどね〜。
 全く「よその土地でそれなりに平和に暮らしている人々のもとに押しかけ、力ずくで屈服させ、殺し、姦し、奪い、破壊せずにいられない」中国文明の兇暴さとはいったい何なのでしょうね(笑)。


 さらに田中芳樹は、中国歴代王朝が文化というものをどう遇してきたのかも意図的に隠蔽しているようですね。創竜伝3巻の文化大革命の記述にも、それがはっきりと表れています。

創竜伝3 P161下段
<始は共産主義体制がきらいである。まず一党独裁というのが気に入らない。始は、いつでも少数派の立場を守りたい、野党精神を失わずにいたい、と考えている。ゆえに、野党の存在を認めない共産主義体制に、共感をもつことなどできないのだ。
 つぎに、歴史文化を破壊する硬直した画一性が好きになれない。東ヨーロッパの美しい古都市の、歴史ある地名が、「レーニン広場」だの「スターリン街」だのに変えられたのを知ると、なさけなくなる。その点、中国は文化大革命の最中でも北京を毛沢東市なんぞと改称したりしなかった。さすが文字の国だ、と、始は感心したりするのだが、まあこれはよけいなことである。>

 文革についてのこの記述がいかにいいかげんなものであるかは周知の通りでしょう。文化大革命によって多くの文化遺産が破壊され、政治的にも経済的にも大きく停滞してしまい、数千万単位の犠牲者を出すという害悪を中国にもたらしました。そして「都市の改名」については、以前に新Q太郎さんが論じているとおりです。
 そして何よりも「歴史文化を破壊する硬直した画一性」というのは、中国歴代王朝のほとんど全てに当てはまるものです。中国歴代王朝は、自分たちが滅ぼした前王朝の保護を受けていた文化・文物・建造物などを、自分の王朝の正統性を主張するという理由で徹底的に破壊してしまうため、前王朝の遺品がほとんど何も残らないのです。前王朝の遺産で残っているものと言えば石の建造物ぐらいのものでしかありません。例えば普通どこの国でも昔から伝わる多くの民謡というものがあるのですが、漢民族の場合、田植え歌の「秧歌(ヤンコ)」しか残っていません。前王朝の楽士や歌い手まで徹底的に殺戮の対象にされてしまうためで、これなどは前王朝に対する弾圧がいかに苛烈であったかという好例です。さらに中国では秦の始皇帝の「焚書」以来、大規模な思想的弾圧や本の処分・改竄が11回も行われており、この点でもいかに文化を破壊しているかが一目瞭然です。
 「歴史文化を破壊する硬直した画一性」を論じるのならば、中国歴代王朝の破壊ぶりをこそ論じるべきですね。これでいかに多くの「中国文化」が破壊されたか、計り知れないのですから。


 さて、これらの事実を「仙界」に当てはめてみたらどうなるでしょうか。「仙界」は「絶対中立・不干渉主義」を貫いているという設定になっていますから、当然ながら自分の領土で行われているとんでもない政治を黙認しているということになります。殺戮や言論・文化に対する弾圧の規模も、牛種が管轄している西洋と似たり寄ったりか、もしくはそれ以上のものがあるではありませんか。はっきり言って「仙界の連中」に牛種を非難する資格はありません。その前にまず、自分達の所業を直視しなければならないでしょうね(笑)。
 田中芳樹の西洋・日本批判や中国礼賛があまりにもいかがわしいのは、前者の論調を展開する事によって後者を正当化しようとしているとしか思えない記述にあります。西洋・日本批判も中国礼賛も大いに結構な事ですが、西洋・日本批判を展開するのならば、せめてもうすこし中国に対しても両論併記的な見方をしなければ「ダブルスタンダード」のそしりは免れないでしょう。ましてや、まともな検証も行わずに西洋・日本を罵倒し、逆に「黒を白と言いくるめてまで」中国を礼賛するとはどういう神経をしているのでしょうか。これで中国に敬意を払っているなどと考えているのならば、却って中国に対して失礼というものです。
 もちろん私とて、中国に良い部分があればそれを評価したいと思いますし、あまりメジャーではない中国の文物を日本に広めようとする田中芳樹の姿勢そのものは賞賛に値すると考えていますが、こんな「犯罪行為を無理矢理正当化する」ような礼賛評価しかできないのでは、田中芳樹がいくら喚いたところで日本人の中国に対する理解など深まるはずもありません。それどころか却って逆効果でしょう。
 本当に中国を理解してもらいたいのならば、もうすこし中国の実態にも目を向け、その上で「本当の長所」を評価すべきなのではないでしょうか。


 さて次の後編では、これらの事実を踏まえた上で「仙界のストーリー設定上の矛盾」を論じてみたいと思います。


「仙界の矛盾・前編」参考文献
・ 「侵略と戦慄・中国4000年の真実」……(杉山徹宗著 祥伝社)
・ 「妻も敵なり」…………………………………(岡田英弘著 クレスト社)
・ 「逆説の日本史6」……………………………(井沢元彦著 小学館)


No. 191
Re 186 : 例によって若干の弁護
ドロ改 1999/10/25 23:36:41
例によって、幾点かに絞って弁護をさせて頂きます。
1、王朝交代期の人口減少
中国における「人口」は戸籍に表される人口です。そして、この戸籍と言う奴は今と違って単に「納税」の目安の為に存在しました。(基本的に、歴代王朝はこれ以外の局面でも税金さえ予定通り入り、戦乱すら起こらなければ、あからさまな反体制(ex「反清復明」)を唱える団体でも放っておきましたし)当然、戦乱が終結した時には前の戸籍は役に立たず、作ろうにも「中国」の版図自体が縮小している上、作りなおす作業は一朝一夕では終らない為、戦乱直後の統計では見かけ上の人口は激減します。確かに人口は減少したでしょうが、5〜9割と言うのは無いかと思います。その意味で、中国を西洋と比べる時は注意が必要では無いかと思います。
つまり、田中芳樹が言うように、「中国は凄い」というのはこの点では完璧に誤りでしょうが、「中国は酷い」というのも違うかと思います。

2、前世論
これなんですが、「作者の意図」について別のアプローチが可能だと思います。
何かと言いますと、「僕の地球を守って」に倣ったのでは無いか、と言う事です。ずっと前に田中芳樹との比較で名前が出た事もありましたが、詳しく説明しますと、白泉社から出たこの作品は「母星のプロジェクトで地球を観察していた異星人が、ある事情で死亡した後地球に転生し、自分達の前世で何があったのかを紐解いていく」という内容です。これだけ書くとナンですが、別に行っちゃってる内容ではありません。しかし、問題なのは読者の受け取り方で、作者の元に「私も彼等と同じ夢を見ました。私もきっと彼等と同じ、云々」と言う手紙が殺到してしまったのです。恐らく、彼等が作中で「仲間」を捜す為に「○ー」を使うような事をしたのが一因でしょう。(私は作者の悪ふざけ、と感じましたが)これに驚いた作者は、白泉社の単行本にある1/4スペース(普通雑誌掲載時には広告が入ってるところ)を使い、「これはフィックションだ」と宣言したのです。(ま、マンガの場合後書きはありませんし)思うに、田中芳樹もこの作者と同じ事を経験したのではないでしょうか?(と、いうか必然とも思えるが)しかし、「後書き」は好評を受けてああ言う形になっている以上、まさかそれを無くして「後書き」を入れることも、四兄弟に「これはフィックション。我々は単なる作者の想像の産物で…」と語らせるわけには行かないでしょう。そりゃ、彼等は「父ちゃん」がどうこう、だの「出演者会議」でどうこう、だの言っていますが、それとまじめに読者にこれはフィックションで、と語りかけるのは違うでしょう。で、苦肉の策としてああなったのでは無いでしょうか?作者は少女マンガのファンの様ですし、有名作である「僕の地球を守って」にまつわる事を知っていても不思議ではありません。あのセリフにしても、茉理に要するに「前世はともかく今の私は私」と言う明快且つお約束な決別宣言への布石と見れば、不自然ではないでしょうから、「上手く組み込めた」と見ても良いのではないかと思います。
ただ、私はもしやるのなら、後書きを追加する形でも明快に「これはフィックションで…」と言うべきであったと思います。恐らく、それを言ってしまうと「社会評論」の痛快さ(実際私はそう感じていましたし)が無くなってしまう、と感じたのでしょうし、それは多くのファンにとって事実でしょうから、出版側の意向もあったでしょう。まあ、自業自得と言えばそれまでですが。


No. 193
Re191: 前世のはなし
heinkel 1999/10/26 02:07:29
うーん、あやしげなタイトル。それはさておき、


>「僕の地球を守って」に倣ったのでは無いか、と言う事です。

 あの後半部分の台詞は、当時の前世ブーム(?)に対してじゃないですか?
 田中芳樹の読者にあっち系の人は少ないと思いますけど。

 第6巻が出た当時って、前世占い、とかテレビでやってませんでしたっけ。タモリの前世は河童だ、とか。それで、自分の前世は戦国武将だったとか、天草四郎だったとか(こいつは今もいるな)いう人がいて。
 たしかにくだらないことですけど、それを、ダライ・ラマの話の後で持ってきたのはどういうわけでしょう。


No. 194
Re: 私の創竜伝考察25 仙界の矛盾・前編
ラインバック 1999/10/26 05:21:11
>つぎに、歴史文化を破壊する硬直した画>一性が好きになれない。東ヨーロッパ
>の美しい古都市の、歴史ある地名が、「>レーニン広場」だの「スターリン街」だ>のに変えられたのを知ると、なさけなく>なる。その点、中国は文化大革命の最中>でも北京を毛沢東市なんぞと改称した
>しなかった。さすが文字の国だ、と、始>は感心したりするのだが、まあこれはよ>けいなことである。

ここは私が創竜伝を読んでて一番笑わせてもらったところです。
西洋では個人名が地名などに使われてることぐらい知ってるだろうに。
田中芳樹はアレクサンドリやコンスタンチノープルも気に入らないんでしょうな。

中国に限らず東洋では名前というのは神聖な物。地名などに使うわけがありません。


No. 196
Re:ダブルスタンダード
小村損三郎 1999/10/26 19:49:54
久々の投稿です。
畑違いの部署に異動になりまして毎日死んでいるもので…。

冒険風ライダーさんは書きました
>  ―――創竜伝における「仙界」とは中国礼賛の集大成である―――
>
>  私が創竜伝の「仙界」について抱いた感想がこれですね。創竜伝6・7の社会評論で派手に中国礼賛を行い、創竜伝8で「仙界」を登場させ、西洋・日本批判と対比させる形で中国を称揚する。これが創竜伝における田中芳樹の作戦だと思われます。机上の上では完璧な作戦ですね(笑)。まあ中国を礼賛するのは勝手ですし、中国の文物や文化を紹介したいという熱意も大いに結構な事ですが、日本やアメリカをほとんど言いがかりに近い社会評論で散々罵倒しておきながら、中国については何ら批判を展開しないどころか「黒を白と言いくるめてでも」礼賛するというその姿勢は、いくら中国好きだとはいえ、ダブルスタンダードのそしりを免れないでしょうな。
>日本の政治についてはあれほどメチャクチャな理由で罵倒しているというのに、中国に対してはこんな詭弁を弄するのですから、田中芳樹の中国評価がいかにダブルスタンダードであるかは一目瞭然でしょう。


田中氏の中国に関するダブルスタンダードぶりが一番如実に出てる本と言えば「中国版・壇ノ浦の戦い」こと崖山の戦いと南宋の滅亡を描いた『海嘯』という作品でしょう。
銀英伝その他であれだけ否定していたはずの「忠君愛国」、「滅びの美学」、「国家&誇りの為に死ぬ」を全面的に礼賛した内容です(爆死)。
銀英伝や創竜伝を読んだ後に読むと目が点になること請け合いで、違った意味で「同じ作者が書いた物とは思えない」です。

漢民族同士の戦いならここまで極端ではなかったかもしれませんが、何せ敵がモンゴルですからもう遠慮会釈なしという感じで。
宋朝および文天祥、張世傑らそれに殉じた人達への礼賛の一方、モンゴルに対する悪意に満ちた記述が続き、しまいには戦闘中に元軍に降伏した人(寝返った訳ではない)まで悪し様に書かれる始末…。
暇な方はご一読を。

>・ 「侵略と戦慄・中国4000年の真実」……(杉山徹宗著 祥伝社)

えー、この本は私もちょっと立ち読みしましたが、殆どためにする言いがかりというか、何か韓国あたりで出版されている反日本と同レベルって感じのトンデモな印象を受けました。
人口に関する件はドロ改さんの言うとおりですし、秦軍の40万人虐殺や項羽の20万人虐殺は有名ですが、どう見ても誇大な数字で、「南京虐殺30万人」と同次元の話だと思いますが…。

>  田中芳樹の西洋・日本批判や中国礼賛があまりにもいかがわしいのは、前者の論調を展開する事によって後者を正当化しようとしているとしか思えない記述にあります。西洋・日本批判も中国礼賛も大いに結構な事ですが、西洋・日本批判を展開するのならば、せめてもうすこし中国に対しても両論併記的な見方をしなければ「ダブルスタンダード」のそしりは免れないでしょう。ましてや、まともな検証も行わずに西洋・日本を罵倒し、逆に「黒を白と言いくるめてまで」中国を礼賛するとはどういう神経をしているのでしょうか。これで中国に敬意を払っているなどと考えているのならば、却って中国に対して失礼というものです。
>  もちろん私とて、中国に良い部分があればそれを評価したいと思いますし、あまりメジャーではない中国の文物を日本に広めようとする田中芳樹の姿勢そのものは賞賛に値すると考えていますが、こんな「犯罪行為を無理矢理正当化する」ような礼賛評価しかできないのでは、田中芳樹がいくら喚いたところで日本人の中国に対する理解など深まるはずもありません。それどころか却って逆効果でしょう。
>  本当に中国を理解してもらいたいのならば、もうすこし中国の実態にも目を向け、その上で「本当の長所」を評価すべきなのではないでしょうか。

これは基本的に同感です。

「日本人の興味が偏っている」ことへの苛立ちは分らなくもないですが、西洋文明や近代日本への無意味な罵倒の一方で中国の事物にはやたらと「世界最初」「世界最大」「世界最高」をつけまくる現在の氏の手法はどう考えても“布教”には逆効果としか思えません。
ファンの人でも引いちゃう人や「中国物は読んでない」という人が多いのは、そもそも最初の姿勢の段階で読者の興味をかき立てるのに失敗してるのでは。
この辺はイエズス会の狡猾さを見習った方が良いのでは(笑)。


No. 197
Re191:中国人口論と前世論
冒険風ライダー 1999/10/26 21:15:58
>王朝交代期の人口減少

 これについては理由を3つばかり述べたはずですが? 徴兵に伴う農業生産力の低下、黄河や長江などの水害などによる自然災害、大義思想に基づく苛烈な殺し合い。これらはどう考えても西洋以上のものがあるでしょう。西洋でもドイツ三十年戦争(1618〜48)では当時のドイツ全体で2000万の人口が700万にまで減っているという歴史がありますし、黒死病による人口激減もありますよね。それらから考えてみても、上記の理由による人口激減は不自然なものではないと思いますが。
 中国では、新王朝が誕生するたびに必ず戸籍調査を行い、同時に前王朝が残した記録保管庫を真っ先に取り押さえ、これらを正史として記録に残すのだそうです。だから人口の変遷についてはかなり信頼性のある資料が残されています。確かに記録の不備もあるかもしれませんが、「大規模な人口減はなかった」ということはないでしょう。
 それにあの批評における私の論旨の根本は、「中国の歴史上における大人口激減を隠蔽して「勇敢な叛逆と崇高な抵抗の歴史」と主張するのはおかしいだろう」というものです。私が挙げた理由だけで、田中芳樹の「中国はスバラシイ」がいかに事実を覆い隠したものであるか、そして田中芳樹の「常日頃の主張」からしてもいかにひどいシロモノであるかが御分かりいただけると思いますが。


>前世論

 そもそも私に言わせれば、「四海竜王」だの「太真王夫人」だのといった「前世話」をストーリーに組み込んでいるというのに、どう考えても自己否定に繋がるような社会評論をキャラクターに語らせるという神経は理解に苦しむのですけどね〜。私は「僕の地球を守って」については何も知らないのでなんとも言えませんが、仮にドロ改さんの擁護論が正しかったとしても、それによってストーリーに悪影響を与えるのでは本末転倒もはなはだしいと言わなければなりません。まさに田中芳樹の「自業自得」です。敵側が前世を主張しているのならば、あの批判もまだ理解できるのですが。
 いかに彼らが前世話を否定したところで、彼らの安全を守っているのは、彼らが否定しているはずの「前世の力」ではありませんか。単に「前世自慢」をしている連中とは訳が違います。前世を否定するのならば、当然その「前世」によってもたらされた力も否定すべきです。まさか彼らも、あの力を「自分たちのみに備わった先天的な能力であり、前世とは何の関係もない」と考えているわけではありますまい。鳥羽茉理の態度には「前世を否定しつつ、前世の力を使っている」というパラドックスに対する自覚があるとはとても言えません。せめてその辺りの自覚や葛藤でも描かれていれば、もうすこし事情は変わったのでしょうが、それがない以上、あの鳥羽茉理の主張は「自己否定の妄言」と判定するしかありませんね。
 もし私があの場のランバート・クラークの立場にいたら、鳥羽茉理の前世話に対応してこう言ったでしょうね。
「じゃあドラゴン・ブラザーズの超人的な力や、君の鳥を操る特殊能力は前世の力というやつではないのかい、ミス・トバ」
とね。
 低レベルな反論ですが、この程度の反論も思い浮かばないランバート・クラークもかなりの低能と言わざるをえませんね。


No. 200
最も単純にして大きな破綻
本ページ管理人 1999/10/27 05:34:15
> 「僕の地球を守って」

 私は1/4スペースを楽しみにするというヤな読み方をしましたね(^^;) 文庫版ではこの部分が無くなっているようでガッカリですが。


 ともあれ、今更指摘するまでもないくらい明白なことですが、創竜伝の説教が決定的なまでにストーリーを破綻させている典型的な例ですよね。
 民主主義を説教する当の本人が、それとは最も縁遠い存在である「王」であるというのが笑止です。プロット作っていて何か思わなかったのでしょうか。


No. 370
田中芳樹ネタサイト
本ページ管理人 1999/12/04 03:25:22
http://www.secret-dan.com/members/oosawa/kyodo5.htm
の「田中(1999/11/30)」の項で田中芳樹の中国(三国志)についての知識について触れられています。
 とりあえず、やはりいかがわしかったんだわい、という感があります。今更ながら。


No. 373
Re: 田中芳樹ネタサイト
仕立て屋 1999/12/04 13:04:18
本ページ管理人さんは書きました
> http://www.secret-dan.com/members/oosawa/kyodo5.htm
> の「田中(1999/11/30)」の項で田中芳樹の中国(三国志)についての知識について触れられています。
>  とりあえず、やはりいかがわしかったんだわい、という感があります。今更ながら。


毎度、仕立て屋です。

ところで件の日記の主は誰ですか?
なかなかゆかいな人っぽいですけど。

>  とりあえず、やはりいかがわしかったんだわい、という感があります。今更ながら。

 田中センセに関して、過去(銀英伝)の栄光と現在(中国物)の鈍物様(ちょと言い過ぎか?)あたりの対比は、違いが鮮明なだけに、見比べる側からするとある種面白みに欠ける部分があるのかもしれませんが、実際、ちょっとでも中国史をかじったことのある人からすると指摘するにも値しないような頓ちき度満点、テント張り、元へ、てんこ盛り状態なのかもしれませんね。(われながら強烈な混文だわい)。
 中国史にまったく興味のないわたしには、あーそうなの?って感じなんですけど。


No. 374
田中芳樹ネタサイトについてなど
本ページ管理人 1999/12/05 01:25:26
> 毎度、仕立て屋です。
>
> ところで件の日記の主は誰ですか?
> なかなかゆかいな人っぽいですけど。

昔ログインの編集者をされていた方みたいです。たまに田中芳樹批判をやっていて、以前は創竜伝をトンデモ本に引きつけてと学会批判していました。
 いちおうトップページを挙げておきます。
http://www.secret-dan.com/members/oosawa/overload.htm


>  田中センセに関して、過去(銀英伝)の
> 栄光と現在(中国物)の鈍物様(ちょと
> 言い過ぎか?)あたりの対比は、違いが
> 鮮明なだけに、見比べる側からすると
> ある種面白みに欠ける部分があるのかも
> しれませんが、実際、ちょっとでも中国
> 史をかじったことのある人からすると指摘
> するにも値しないような頓ちき度満点、
> テント張り、元へ、てんこ盛り状態なの
> かもしれませんね。(われながら強烈な
> 混文だわい)。中国史にまったく興味の
> ないわたしには、あーそうなの?って
> 感じなんですけど。

 田中芳樹の中国モノをと学会的な読み方で芸にする方とか出てこないですかね。残念ながら、私には中国史一般に関してそこまでの知識はないですからね。
 宣和堂さんの「大罪」のサイトがそれに一番近かったでしょうか。


No. 376
Re: 田中芳樹ネタサイトについてなど
小村損三郎 1999/12/05 21:59:17
田中芳樹の三国志に関する文章や発言ははっきり言ってファンの人でも鼻白んでしまうような酷いものが多いんですけど、やはり付け焼き刃の知識でもって「三国志に興味の偏った日本人」をあげつらって得意になってたんでしょうね。
例えばこんなの

“三国志の時代ということで、他の人についてもいくらか話していきますけど、やっぱりこのリストを見て、何で諸葛孔明が入っていないんだという声は当然ありました。
『三国志演義』のつくりあげた虚像の魔力とはおそろしいもので、実際には天下取りに失敗した地方政権の宰相にすぎない人を、中国史上最高最大の軍師だと信じこんでいる日本人がたくさんいますね。それについては、この人は文官としての評価のほうが高いから、ということで、「私撰中国歴代名将百人」の文章に書いておきましたけどね。
まあここで。あんまり史実とフィクションを区別するのも野暮かと思いますけども、史実について申しあげておきますと、諸葛孔明という人は、そもそも劉備の本営で作戦指導にあたったということは一度もありません。だいたい劉備軍団とでもいうべき組織ができあがったのは赤壁の戦い以後なんですけども、それ以来、劉備の本営で作戦指揮にあたったのはホウ統です。西暦208年からですね。そのホウ統が、214年に戦死すると、それ以後214年から220年までは法正が本営で作戦指導にあたります。で、このふたりが死んでから、劉備はぱたっと勝てなくなるんです。”(『中国武将列伝』)

と、まあ自慢気に正史の蘊蓄をたれて“『三国志演義』の虚像”に惑わされている日本人を啓蒙してくれているつもりらしいのですが、件のサイトの文章を読んでからだと失笑を禁じ得ませんね。
まあ何故か三国志に関してだけは病的なまでに「史実」と「虚像」のギャップを言い立てることに執心しているにも関わらず、そのご当人が『演義』の設定に基づいて読者にエラソーに講釈を垂れていたなんて・・・ププッ・・・。

なお、この『中国武将列伝』は、文体を見ても分かる通り、明らかに口頭で語りちらしたインタビューをまんまテープから文章におこしただけという、「カゲッキー方式」のふざけた本です。脚注とイラスト目当てで買っちゃったけど・・・。

あと、こんなのもある

“(孔明が司馬懿もろとも魏延を焼き殺そうとして失敗し、責任を馬岱になすりつけた件について)
本文の説明によると、孔明は司馬懿とともに魏延をも片づけてしまうつもりだったけど失敗したので、馬岱に一時濡れ衣を着てもらって言い逃れをしたんだというんですけど、ぼくはこれを最初に読んだとき、ひどいことするなあと思ったんですね。三国志に出てくる策略のなかでも、これが一番汚いやり方じゃないかと思って、それ以後どうも孔明−フィクションの中の孔明ですけどね−に対して好意的になれない。ですから『三国志演義』を読んで孔明を持ち上げている人は、こういう話を読んでも孔明を尊敬するのかなあ、と不思議な気がします。”

・・・・・。

あのなー、一々こんな1エピソードを持ち出してまで巷の三国志ファンにケチをつけるこたーないだろ。
大体この程度で「アンフェア」だなんて言ってたら『水滸伝』の宋江なんてどうすんじゃい(^^;;)。

他にも、あちこちでNHKの『人形劇・三国志』を口を極めて罵倒してますが、いくつかの欠点があってもあの作品があればこそ若い世代に中国の固有名詞が受け入れられるようになったと思うんですけど。

田中芳樹と取巻き連中は自分達の布教と著作が市場に受入れられないのを、己の非力は棚に上げて「日本人の興味が偏っているのが悪い」なんて言ってますが、そーゆータワゴトはせめて『韃靼疾風録』の半分程度でも面白いものを書いてから言ってほしいものです。


No. 378
Re: 田中ネタサイト-人口から歴史を読む苦労
新Q太郎 1999/12/06 05:03:02
> http://www.secret-dan.com/members/oosawa/overload.htm


の「挙動不信」中にある田中批判から、少し興味をもったことを。
―――――引用―――――――――

何度も小説の中で「漢の時代には人口が約5000万人もいたが、漢末から三国時代にかけての混乱で約500万人までに減っている。人間とは凄まじいまでに殺し合うものだ」みたいな事を書いてますわな。
 けどこれって、戸籍に登録されている人口をただ読んだだけなんですわ。当時は、戦乱で流民が大発生して戸籍に登録されている人口や激減したという事情があった上に、魏呉蜀ともに民に捨てられて空いた土地を別な流民に与えて耕作せるっていう"屯田"を盛んに行なっていたわけだ。この屯田の民もまた戸籍には登録されず、魏などはそんな屯田の民が人口の半分を占めたっていうわけさ。ようするにスゲー的外れな言説なわけ。いくら戦乱の時代だからって、そんなに人死なないって、もー。

――――――――――――――――――
この問題は前にもここで論議されたけど、まあ十分の一、というのはいかにも極端だからこの通りなのでしょうな。
しかしそれはそれとして、「人口増加」とその社会の関係は、はたしてどのような関係・法則があるのか。

おそらく基本的には、食うものが保証されている時代ほど多くなるのでしょう。
日本の場合、江戸時代初期にはやはり、かなりの人口増加がみられたらしい。爆発、といってもいいくらい。それはあれだけ新田が開発され、元名エン武によって平和が到来すれば増えるだろうとは思う。
だからといって、平和が一番かといえばそうでもないらしい、
少なくとも、日本は戦国時代にもそれほど人口減少があったわけではない
(むしろ増えている?)。
江戸でも、藩ごとによって違うな。名君保科正之が「社倉制」(飢饉対策)を整備した直後の会津藩の人口増加は凄かったらしい(中村彰彦「名君の礎」より)。


教科書的知識でいうと、二毛作が広まったことや鉄器の普及で、生産力は戦乱にも関わらず上がったためか?
このへんは大陸における「戦国時代」も同様、らしい。食客、思想家、遊侠の徒を養えるようになっていったわけだし。

------------------------
仮説である。
日本では戦国時代に入って、土地の支配者に「領国経営」という概念が発生したという。百姓の生活を成り立たせて、彼らのご機嫌をある意味伺うようにならねば、隣国のライバルに勝てないからだ。室町戦国を通じて、農民の地位はたしかに向上している。

中国では?
ひとつには、遊牧民族との抗争において、庶民に至るまでの略奪・抹殺が(日本と比べて)徹底していたのではないか、という気がする。
また、流民の発生するような大範囲の大飢饉が気候・環境的に発生しやすい、ということもあるだろう。
さらに他地域の民族の大移動(征服者としてでも難民としてでも)、によっての増減が日本と異なり、あるはずだ。

また…いくつかあるが、書くのがしんどくなったので省略する。

ところで、歴史学では昔の国や地域の人数は、どう把握するのであろうか。
中国などでがっちりした統一王朝が成立すると税収・徴兵の関係上戸籍を整備するのであろう。
日本も、江戸時代とかは信用できそうだな。
しかしこれが流民が発生すると、把握できなくなると。
また、都市なら食糧、衣服の消費量や貿易量、排泄物の処理量などから割り出しているのか?

ヨーロッパは…?ペストの発生などもあるね。教科書的知識だと、これによる耕作者の減少が、農民の地位を高めたらしいが、人口が減少すれば庶民の立場がつよくなるのか?
マヴァールの後書きにもあったが、ジャガイモがなければ欧州の人口増加スピードは大きく変わっていたらしい

・・・えー無理やりまとめますと、「人口増減」のよって歴史上のいろんな地域、国家の安定度や生産力や民生の善し悪し、社会の安定度などを推定するのは大変面白そうで、また有効な手段だろう。

しかし、環境、気候、農耕技術、新品種、地形、民族移動、戸籍などの信用度、都市の形態などの差異を変数として考慮しないと、事実と異なった結論が出かねないな、
大変だな、ということです。

オチなし。


No. 6031
「創竜伝」考察25を読んで
たまたま 2004/11/10 17:35
はじめまして。突然失礼致します。
たまたま田中芳樹で検索したらここを見つけた者です。
自分も田中氏の言っていることに「?」と思うことの多い人間なので、
いま現在興味深く読ませて頂いている途中です。

で、上記考察25を読んでいましたら
「大義思想」なるものについて誤解があるようだ、と思い、今回投稿させて頂きます。
5年も前に書かれた文章らしく、もしかしたら現状に合わない物言いになってしまうかもしれませんが、その際はどうぞご容赦下さい。

上記考察25において、忠君愛国や滅私奉公(これ自体宋学からの言葉なんですが)的な大義思想が中国における戦争をより悲惨なものにした、といった内容の記述が見られるのですが、これは大きな誤解です。
特に長平の戦いに絡めてこれを言うのは、はっきりと誤りであると言い切れます。
というのは、中国において「個人は国家の滅亡に殉じなければならない」という考え方の発生自体、朱子学を中心とする宋学の形成を待たねばならないからです。
宋学以前の儒学では寧ろ方向性は逆で、敵前逃亡してでも子は親の為にわが身を大事にして、その一生を全うしなければならない。それが人として守るべき道とされてきたのです。
「身体髪膚、之を父母に受く、敢て毀傷せざるは孝の始なり」
「孝経」(成立期は戦国〜前漢代と言われる、つまり長平の戦いに被る可能性が高い)の冒頭です。
少なくとも宋学以前ではこうした考え方のほうがより一般的であったのは、孔子が敵前逃亡した兵隊を見つけたが寝たきりの親がいることを知っていたため許した、という逸話が美談として語られていることからも推測できます。
家族と国家は対立することの多い単位ですが、対立した際にはどちらかといえば家族が優先される思想だったのです。
ゆえに長平の戦いの時期に「大義思想」が中国全体のスタンダードであった訳がありません。

また、中国の兵隊は古来その士気の低さが悩みの種でした。
有名な「孫子」でも、兵隊の士気の低さを他の条件を使っていかにカバーするかについて非常に多く紙面を割いており、「兵隊はすぐ逃げ出すもの」という作者の前提がはっきり見てとれます。
到底「滅私奉公」などという高邁なスローガンを兵隊達が受け入れられるような様子ではなかったことがありありと表れています。
この辺り、旧日本軍のような「出来のいい兵隊」と同じ感覚で考えてはいけません。

では「大義思想」なるものがなぜ言われたか、というと、
これには宋代の科挙試験選抜による官僚層の形成というものが大きく関わっています。
宋代以前に支配階層であった貴族・豪族は新官僚に取って代わられた反面、新出の科挙官僚たちには新たな精神的支柱が求められたのです。彼らに通じるのは「自分たちは国家によって選ばれた、国家によってのみ身分が保証されている」という認識であり、それゆえに「科挙官僚は国家に対して忠誠を尽くさなければならない」という論理が広く彼らに認められた訳です。
因みに更に言えば、彼らにしてもあくまでも自分たちにとっての倫理観であって、自分たちより卑しい身分の人々に理解させようとも思ってなかった、「国家に殉じよ」という考え方は高級な身分である科挙官僚にこそ相応しい倫理であって、下賎の者などに分かる訳が無い、という考え方でもありました。
だからたかだかいち兵隊が意気顕揚に「お国に為に!」などと叫ぶなど、中国では想像もつきません。

以上、長くなりましたが、
戦乱による中国人口の激減はやはり戸籍把握の問題が最大の理由であり、
「大義思想」などというものは到底その理由とするに程遠い、ということだけを主張致したく、土足で踏み入れるようなことをしてしまいました。
長いうえに詰まらない内容で申し訳ありません。今後はもうこのような書込みは控えます。一度だけご容赦ください。


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