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私の創竜伝考察27
創竜伝9  妖世紀のドラゴン


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No. 658
私の創竜伝考察27
冒険風ライダー 2000/2/24 20:46:32
 ここ最近の用事からようやく解放され、「私の創竜伝考察シリーズ」を再開させるめどが整いましので、いよいよ連載を再開したいと思います。しかし今年に入ってからの創竜伝批判って、今回が初めてなんだよな〜。
 今回より創竜伝9巻に入り、いよいよ終わりも近づいてきたという所ですが、この9巻の社会評論の特徴はとにかく歴史に関する話が異常に多いという事ですね。当時から疑問に思ったばかりではなく、今となっては完全に破綻した評論ばかりですので、論評する事自体は楽なのですが、数が半端じゃないんですよね〜(T_T)。
 それでは、久しぶりの創竜伝批判、始めましょうか。


創竜伝9「妖世紀のドラゴン」
1994年11月25日 初版発行


P41下段〜P42上段
<「だいたいが日本人は恐慌が好きなんだからねえ。いつかの米不足のときだってそうだったじゃないか。国産米以外の食糧はありあまっているのに、いまにも餓死しそうに騒ぎまくって、あげくに外国産の米を捨ててしまうんだからねえ。罰あたりもほどほどにしてほしいよ」
 何といっても首相は第二次大戦中から直後にかけての食糧不足の時代を知っている。米どころかイモもなく、おとなも子供も痩せこけ、栄養失調のため目が見えなくなったり髪がぬけたりし、飢えをみたすために雑草まで煮て食べ、腹痛で苦しんだものだ。高級料亭で河豚や伊勢エビを食べちらかしながらも、ふと子供のころの空腹が生々しい記憶となってよみがえり、首相はそらおそろしくなることがある。こんな繁栄と飽食とが永遠につづくわけがないのだ。首相の精神にひそむもっとも迷信的な部分が、くりかえしささやいていた。「これは天罰である」と。>

 これは創竜伝9巻にて富士山が大噴火し、東京が壊滅的なダメージを受けた時の日本国首相の感想ですが、彼によると、富士山の大噴火は日本がかつての「食糧不足の時代」から「繁栄と飽食」ができるまでの経済的発展をなしとげた事による「天罰」なのだそうです。この論理でいくと、1995年1月17日の阪神大震災の被災者たちも当然のことながら「日本の繁栄と飽食」による正当な「天罰」を受けたという事になりますね。全くこれほどまでに経済発展を憎む発想も珍しいものですな。日本国首相も作者に余計な社会評論を語らさせられて気の毒なものです(T_T)。
 そもそも日本が「食糧不足の時代」から「繁栄と飽食」ができるまでの奇跡的な経済発展は、他の誰でもない日本人自身の手によってを成し遂げられてきたものではないですか。自由貿易体制下で平和裏に経済的発展を成し遂げる事のどこが悪いというのでしょうか。日本は別に他国に質の悪い製品を押し売りしていった訳ではなく、世界最高水準の技術力と工業力でもって製品を開発し、正当な商業行為を行ってきたからこそ、これだけの経済的繁栄が成し遂げられたのです。したがって、これは他国に誇るべきことでこそあれ、決して引け目を感じなければならないものではありません。
 それにどのような形であれ、経済が発展している事は良い事なのです。経済力が国家の基盤を成しているというのは政治・経済の初歩の初歩です。経済力が充実していればその国の国民全体が潤い、国内政治的にも内政・治安が安定し、国際的にも自国の発言力を強化する事ができるのです。経済力のない国なんて、それこそ日本の「食糧不足の時代」のように悲惨なものですよ。だからこそ世界の全ての国々は政治の基盤である経済力を発展させようと必死になるのであって、過去の「食糧不足の時代」を顧みて「現在の経済的繁栄が罪悪である」などというレベルでまで「過去を懐かしむ事ができる」というのはとても幸福な証ではありませんか。経済的に苦しんでいる国にそんな事をする余裕などありませんからね〜。
 しかも「経済的繁栄を憎む」という発想は極めて危険なものです。ナチス・ドイツや共産主義、それに戦前の日本の「国家社会主義」は、その全てが「経済的繁栄を憎む」という発想から出発しているのです。そしてそれがどういう末路をたどったかは今更言うまでもないでしょう。現代日本でも「経済的繁栄を憎む」発想からバブル経済を自ら潰してしまったことで長期の不況を呼んでしまった事は記憶に新しいでしょう。「経済的繁栄を憎む」という発想は、他人の成功を妬む嫉妬心と、政治の基盤が経済から成り立っているという基本が全く理解できていない事から出てくる考え方なのです。
 さらにいえば、経済的衰退は必然的に起こるものではなく、経済政策の失敗や税制システムの欠陥によって起きるものなのであって、別に「天罰」でも何でもありません。ましてや、経済発展と全く無関係な天変地異を「繁栄と飽食による天罰である」などと勝手に決めつけるのはやめていただきたいものですね。古代の中国じゃあるまいし(笑)。

P106下段〜P107上段
<「楊家将演義」は中国の有名な歴史小説で、日本ではなぜか全く知られていないが、「楊家の女将軍たち」として欧米でも知られている。宋の時代の中国は北方騎馬民族の侵入に悩まされたが、楊という武人の一族が彼らと勇敢に戦い、武勲をあげ、天下に名をとどろかせた。その一族は幾人かの有能な女性の将軍にひきいられ、とくに穆桂英という女性は、隋末唐初の花木蘭、南宋の梁紅玉、明の秦良玉らと並ぶ中国史上最大のヒロインである。「楊家将演義」は民族の興亡と戦乱を描いておもしろいだけではない。男尊女卑の世界と思われている中国史の中で、じつは才能と実力のある女性が大活躍していた、という事を知る上でも貴重な作品である。中国では劇にもなり映画化もされているが、日本では翻訳すらされていない。日本における中国文学の紹介は、ごく一部の作品にかたよっているのだ。>

「日本における中国文学の紹介は、ごく一部の作品にかたよっているのだ」
 それがどうかしたのですか? 日本で中国文学が紹介されようがされまいが別に一般の日本人の知った事ではないでしょう。田中芳樹の中国シンパとしての感情が満足されないというだけの話ですな(笑)。第一、自分の中国作品がまともに売れない事についての愚痴を言われてもねえ〜(-_-;)。
 「日本における中国文学の紹介は、ごく一部の作品にかたよっている」最大の理由は、それが一般ウケしないものであるからです。一般ウケしない理由は「文化の違い」「感受性の違い」でだいたいの説明はつくでしょう。小説を売りこむのも一種の商業活動である以上、出版社が利益にならない翻訳や出版などするはずがないでしょうに。
 もし本当に「自分はこの作品が面白いから世に広めるべきだ」と思うのならば、小説のストーリーの中で無為無用な愚痴をこぼす前に、まずは自分が気にいった中国文学が受け入れられるような下地を自ら積極的に作っていくべきでしょう。さし当たっては、中国の歴史の簡単な概要を、誰にでも分かりやすいように説明する事から始めなければなりません。一番いい方法は、田中芳樹が中国の歴史参考書でも編纂することですね。そしてそれに基づいて小説を書けば良いのです。もちろん小説の中に一方的な思い入れや感情的な評論などが入ってはいけません(笑)。すくなくとも、創竜伝や今までの中国小説のような中国礼賛と感情的評論などでは、却って中国嫌いを増やすだけだと思うのですがね。
 上記引用の「楊家将演義」についての記述の中にも中国礼賛の一端がうかがえますね。
「男尊女卑の世界と思われている中国史の中で、じつは才能と実力のある女性が大活躍していた」
というのは一体何なのでしょうか? これだけ見るとまるで中国という国が昔から男女平等という考え方が発達していたスバラシイ国であるかのように見えますが、実際はもちろんそうではありません(笑)。「纏足」の慣習ひとつをとっても、とても「男女平等」を主張できるような国ではないですね。
 過去の中国で「才能と実力のある女性が大活躍していた」というのであれば、むしろ中国の男尊女卑の風土を直視した上で、それでも彼女たちが「凄まじい男尊女卑の風土の中で男勝りの活躍をした」という事実をこそ、称えるべきなのではないのですかね? いくら中国を礼賛したいからといって、中国の負の側面を隠蔽してどうしようというのでしょうか。それこそ田中芳樹が「間違いだらけの社会評論」で批判しているナチス・ドイツと同じ所業であると思うのですけどね。

P122上段〜下段
<名越たちの商売は、先進国民の富とエゴイズムによってささえられている。たとえば、目の角膜を移植すれば失明せずにすむ場合がある、ということは広く知られているが、最近、日本人に対しておこなわれた新聞社のアンケートによると、「自分の角膜を他人に移植するのはいやだ」という人が六八パーセント、一方、「自分が失明したら角膜移植手術を受けたい」が六七パーセントであったという。三人にひとりが、「他人に角膜をやるのはいやだが自分はもらいたい」と考えているわけで、おいおいそれはないだろう、といいたくなるような結果だが、完全な心臓死の後に手術をすることになっている角膜でさえこうである。これでは需要と供給のバランスがとれるはずはなく、そのエゴイズムにつけこんで名越たちは利益をあげてきたのだ。>

 おいおいそれはないだろう、田中芳樹よ(笑)。臓器移植手術の問題は国によって国民の世論や対応も全く違いますし、その国それぞれの法制問題と倫理観の問題、それに臓器売買などの医療犯罪の問題なども絡み合って問題が複雑化しているため、「臓器提供をすればそれで良い」で簡単に片づけられるものではありません。よくもまあここまで問題を単純化できますね。
 患者が臓器移植手術で助かりたいと考えるのは当たり前です。自殺願望者か宗教的な価値観を持った人でもない限り「絶対に臓器移植手術は受けない」などと言いきれる人はまずいないでしょう。家族だって「生かしてやりたい」と思うでしょうよ。そもそも患者が助かる有効な手段のひとつとして臓器移植手術があるのですから、自分が助かる手段としてそれを利用しようとする事は当然の事です。
 ではなぜ移植の際の臓器提供例が少ないのか? これは提供側の臓器提供に関する知識の不足と、マスメディアによるいいかげんな扇情報道と過剰報道が行われている事に原因があるのです。知識の不足が臓器提供に対する偏見と誤解を生んでいるために臓器提供をためらわせているという事情があり、しかもそれをマスメディアが感情的な報道で煽っているという図式があるのです。しかも1999年3月の臓器移植手術に関する報道に見られるように、プライバシー侵害を含む過剰なまでの情報公開によって人権が侵害されるということもあるでしょう。これでは臓器提供にためらいを覚えるのは当たり前です。そういった事情を完全に無視して「臓器提供をしないのはエゴイズムの発露である」と決めつけられる神経は大したものですね。そこまで言うのならば言いだしっぺの自分自身こそが積極的に臓器を提供すればよかろうに(爆)。
 そもそも上記の新聞社のアンケート調査当時(1994年以前)、日本ではまだ臓器移植法が施行されていません。臓器移植法の施行は1997年で、それまでは脳死判定移植に関する法律は全くなかったため(心臓停止による臓器提供に関する法律は1979年成立)、この状況下で下手に脳死による移植手術を行うと、手術をおこなった医師が殺人罪に問われてしまう可能性すらあったのです。1968年の日本最初の心臓移植である和田移植の際にもこのことが問題になりました。そのため日本ではつい最近まで「心臓死による臓器提供『しかできなかった』」のです。それが何で「完全な心臓死の後に手術をすることになっている角膜『でさえ』こうである」などという論調になるのでしょうか。無理矢理に「先進国民のエゴイズム」とやらを断罪しようとするからこんな変な主張が出てくるのです。
 さらに臓器移植関連の問題について言えば、近い将来にクローン技術を使用した臓器移植手術が技術的に可能になると言われていますが、田中芳樹に言わせればこれは当然積極的に支持すべき話なのでしょうね。実はこれも科学技術と倫理観の間で結構もめている問題なのですが、これが話題になったときに、どうか自らの「臓器提供拒否=エゴイズム」発言を、何の反省も釈明もなしに無言で撤回することのないようにお願いしたいものですね。それが自らの言動の責任というものです。

P134上段〜下段
<シンガポールから来た張氏は席を立つとき、日本人一同に向かって言い放った――自分は幼いころ目の前で父と祖父を日本軍に殺された。日本刀で斬首された父の顔を覚えている間、とうてい日本人とは協力できない、と。日本人一同は反論できず、沈黙して見送るしかなかった。
「シンガポールの華僑虐殺がこんなところで祟るとはなあ」
 蜃海が肩を落とすと、虹川が頭を振って応じた。
「おれたちはろくに学校で教わらなかったが、被害者の方は忘れちゃくれんよなあ」>

 私などは小・中・高校の間、一貫してこのテの「日本人による残虐行為」をいやというほど教えられてきたものなのですが、彼ら「日本人一同」は余程右に偏った学校で歴史教育を受けていたのでしょうな(笑)。第一、蜃海と虹川が在学していた学校って、竜堂兄弟の母校でもあるはずの「共和学院」ではありませんか(創竜伝2巻 P140)。あの「リベラル」を謳い、文部省の干渉をはねのけている私立学校という設定であるはずの「共和学院」が、そこら辺の国公立学校よりもはるかにひどい「右傾化教育」をしているとはとんでもない話ですな(笑)。田中芳樹は自分が作った小説中のキャラクター設定すら忘れてしまったのでしょうか(笑)。話をいいかげんに作っているからこういう矛盾が発生するのですよ。
 それにしても相変わらず「被害者の感情」という「錦の御旗」を前面に出して異論を封殺しようとしていますね。いつもの事ながら醜悪なテですな。「被害者の感情」などを前面に出されれば、たいていの人間は思考停止せざるをえませんからね〜。私が感情論が嫌いな理由のひとつがこれです。まあ今回の「シンガポールの華僑虐殺」の場合は相手の勝手な被害者意識にすぎないことだと分かっているので、ふがいない「日本人一同」に変わって反論しておきましょうか(笑)。
 そもそも何故にシンガポールをはじめとする東南アジアの華僑が日本軍の攻撃対象となったのか? まず、マレー半島をはじめとする東南アジア一帯の華僑が、現地の植民地支配階級であった事がひとつ。今でも東南アジア一帯の華僑は現地の主要なマスコミと経済を掌握していますし、東南アジア各国も華僑を警戒の目で見ていて、ことに田中芳樹が日本批判のためにやたらと持ち上げていたインドネシアは華僑に対する措置が最も厳しい国です。何しろインドネシア独立運動の攻撃対象のひとつは華僑の経済搾取だったくらいなのですから。
 そしてこちらの方が重要なのですが、現地の植民地支配階級である華僑は、日本軍が進駐するとハーグ陸戦協定で禁止されているはずの便衣隊を使ったゲリラ戦法を展開したために、ゲリラと一般人との区別がつかなくなってしまったのです。一般人が巻き込まれる事になるこのような状況を防ぐために、国際法上、便衣隊には捕虜になる資格もなく、その場で殺しても良い事になっているのです。もちろん、日本軍が行ったゲリラ掃討戦の過程に巻き込まれた本当の民間人もいたでしょうが、そもそも華僑が便衣隊などを使用しなければ民間人が戦争に巻き込まれる事自体がなかったのですから、「シンガポールの華僑虐殺」なるシロモノの責任の大半は、実は便衣隊戦法を行った華僑側の方にあるのですし、そもそも「虐殺」などと定義できるものではないのです。
 さらに、この「シンガポールの華僑虐殺」には後日談があります。戦後、イギリス軍がシンガポールに再びやってきた時、当時の全マレー半島における裁判の最高責任者となった日下判事がイギリスによって裁かれる事になりました。もちろん容疑は華僑側が言うところの「シンガポールの華僑虐殺」で、日本軍と戦った華僑に対する処刑命令を彼が出した事についての裁判です。
 ところが日下判事はこの裁判で無罪となりました。その理由はもちろん、日下判事の処刑命令が国際法上における合法的な命令であったからです。このことからも「シンガポールの華僑虐殺」などというシロモノが虚構の上に立っているかことがお分かりいただけるでしょう。「シンガポールから来た張氏」とやらの父と祖父とが殺されたのは、自分達華僑がゲリラ戦を行った当然の報いであると諦めてもらうしかないですね。ましてやその怒りを「日本人一同」に向けるなどお門違いもいいところです。
 ところで「仙界の矛盾」を書いていた時から思うのですけど、何で竜堂兄弟一派って相手の感情的な主張に対して全く反論しようとしないのですかね? 「仙界の人間蔑視論」の時だって、相手に反論して説得なり交渉決裂なりに持っていかなければストーリーが前に進まないにもかかわらず反論どころか同調すらしていますし。彼らの自己主張が全く無い事が、創竜伝のストーリー破綻の理由のひとつになっていると思うのですけどね〜。
 まああのような「信念」の全くない「感情屋」などに、そのようなシロモノを求めるのは無理なのかもしれませんが(笑)。

P134下段〜P135上段
<……九世紀、唐代の中国に仇士良という人物がいた。悪名高い宦官で、皇帝をあやつって権力をほしいままにし、自分に反対する重臣たちに無実の罪を着せて殺し、賄賂をむさぼって巨富をたくわえた。晩年に至ってついに失脚し、財産を没収されたのだが、この宦官が引退するとき、後輩の宦官たちにつぎのような「教訓」を残している。
「吾々宦官の権力は、皇帝をあやつることによって得られる。そのためには皇帝を愚かで無知な状態にしておかなければならん。皇帝を愚かにしておくには、本を読ませてはいけない。とくに、けっして歴史を教えてはいかんぞ。過去の歴史を知り、現状に疑問をいだくようになったとき、皇帝は宦官のいうなりにならなくなるのだ」
 人間を愚かな状態においておくためには、歴史を教えてはいけない。一〇〇〇年以上も往古の宦官の教訓は、現在も生きている。第2次大戦の前後に日本軍が犯した様々な蛮行――南京大虐殺、シンガポールの華僑虐殺、重慶への無差別爆撃、従軍慰安婦強制連行、中国人労働者の強制重労働、沖縄住民のマラリア汚染地連行――などの事実を、文部省が歴史の教科書から抹殺しようとしたのは、仇士良の教訓を実行しようとしたのである。こうして、若い人々に歴史を教えず、無知な状態に置きつづけた結果、サイパン島やシンガポールでどんなことがあったか知らない若い観光客が現地の人々の反感を買うことになる。虐殺を記念する碑の前でVサインをつくって笑いながら記念写真を撮ったりするわけだ。>

 唐代の中国の仇士良とやらも、田中芳樹にロクでもない引用をされるとは、いくら悪党であるとはいえ気の毒なものですね(T_T)。故人も墓の下で泣いていることでしょうな(笑)。だいたい仇士良という宦官が日本の自虐史観のような歴史教育を想定してこんな事を言ったわけではないことぐらい、すぐに分かりそうなものなのですけどね。中華思想を信棒している中国でそんな教育が行われるわけがないですし、仮に教えられたとしても「罪悪」としてではなく「栄光と繁栄の歴史」として定義される事でしょうよ。中国における残虐行為なんて、日本とは比較にならないほどに数も多ければ虐殺数も半端ではないのですから。
 仇士良が主張したかった事はむしろ逆で、歴代皇帝の偉業とか、偉大なる帝国の歴史などといった「栄光の歴史」を皇帝に教えるなという意味でしょう。そのような歴史を教えられる事によって自分に自信を持った皇帝が今の現状をふりかえり、宦官の支配体制に疑問を抱いてしまう事を仇士良は恐れたのでしょう。中国歴代王朝における歴史の定義と中華思想を考えてみれば、仇士良の言っていることは、田中芳樹の言っていることとは反対に日本の「右傾化教育」の否定であり、田中芳樹がやたらと強調したがる「日本の残虐行為を教える事」の肯定なのです。それは前の社会評論で取り上げた「シンガポールの華僑虐殺」に見られるような昨今の歴史教育問題で、歴史的背景も全く理解せずに「過去の日本が多くの残虐行為を行った」と思いこみ、それなりの償いをするのが当然であると考える人が多いのを見ても一目瞭然ではありませんか。むしろ田中芳樹が主張している「歴史教育で日本の残虐行為を教える事」の方が「仇士良の教訓」を忠実に守っている事になるのです。
 それに仮に万が一、ここで取り上げられている「日本軍が犯した様々な蛮行」が全て事実であったとしても(そんな事はありえないが)、それらを思想形成期にある過程の小・中学生にひたすら教え込む事が将来にわたってどれほどの影響力を持つことになるのか、少しは考えた事があるのですかね? 私自身もこういう教育を受けてきたので、その悪影響については知り尽くしていますよ。自分に自信が持てなくなり、親や祖父たちを憎むようになってしまうのです。これが昨今の教育問題と密接に関わっている事はまず間違いないでしょう。
 「インディアンの大量虐殺」「黒人奴隷によるプランテーション」をはじめとする様々な残虐行為を行ってきたアメリカでも、小・中学校あたりの歴史授業では「栄光の歴史」しか教えられる事はなく、「残虐行為」などはもう少し成熟した大人になってから教えられるのが常識です。しかも日本以外の国では、学校の授業が始まる前に「その国の国旗と国家に対する忠誠の宣誓」を行うのが普通なのですけど、これなどは田中芳樹に言わせれば全否定の対象でしょう。日本のありもしない「右傾化教育」などを批判するよりも先に、諸外国の教育方針を弾劾する事から始めた方が良いんじゃないのですかね? 全く相手にされないと思いますけど。
 それから前にも言いましたけど、実際に教育現場で力を握っているのは文部省ではなく日教組をはじめとする教育組合で、彼らは公然と文部省の基本方針に反抗しています。彼らの暴走を食い止めるために文部省がいろいろ指導しているという事実を、どうか少しは直視していただきたいものなのですが。


 それにしても、創竜伝8巻と9巻の間の2年間で余程フラストレーションでもたまったのか、8巻で一時減った社会評論がまた増えているのはどういうわけなのでしょうね。書いた数だけ墓穴を掘ることになるという事が、あの御仁には分からないのでしょうか。


No. 665
Re: 私の創竜伝考察27
本ページ管理人 2000/2/27 07:22:30
> P41下段〜P42上段
> <「だいたいが日本人は…

 これに関しては「小説」として許されるとは思います。冒険風ライターさんの批判は、田中芳樹ではなく、小説中の日本国首相への批判となりますから。
 まあ、こんなに直接的でバレバレなやり方でしか表現できないというのは、小説家としてのレベルの低さの現れだとは思いますけどね。


> P106下段〜P107上段
> <「楊家将演義」は中国の有名な歴史小説で…

 実はこの田中芳樹の言い分ってのは、彼が毛嫌いしている(はずの)ノストラダムス研究家のやり口と同質なんですよね。
 たとえば、どんな暴政や圧制であっても、部分的に見れば「(田中芳樹的)民主」に当てはまる部分はあるものなんです。
 そのミクロの部分を自分の思想に当てはめてマクロを語れば、そりゃどんなことでも「民主的」になりますよ。
 ノストラダムス研究者が、事実を予言に当てはめて解釈しているようなものですから。
 当時の中国は、極端な差別社会、男女不平等社会でした。
 それで良いじゃないですか!
 現在の価値観を無理矢理当てはめて解釈することこそ、当時の中国の歴史に唾するようなものだと思います。


> P122上段〜下段
> <名越たちの商売は、先進国民の富と…

 別に富んでいるものが富んでいるが故に卑しいのではなく、富んでいるが為のエゴということですね。
 貧しきものはハシた金のために人を殺し、富んでいるものは金に飽かせて内臓を買う(ここでは)ということであるだけです。
 悪いとするならどっちも悪いということですね。
 それにしても、自分の言説をことごとく裏切っている田中氏の事ですから、もし自分が臓器移植が必要になったときは………ねぇ?


> P134上段〜下段
> <シンガポールから来た張氏は…

 私としては、張氏が個人的に日本人を憎み、協力しないのは良し。殺された原因が理尽だろうが理不尽だろうが、それが感情というものです。
 しかし、それで感情レベルの私的領域を超えるものではなく、公的領域では全く別に考えられるべき事は、冒険風ライダーさんの指摘しておられるとおりですね。


> P134下段〜P135上段
> <……九世紀、唐代の中国に仇士良…

 これに関しては全く同感です。
 だいたい、「現状に疑問を抱いて」なんかいるのでしょうか? 当の本人が。
 現在の価値観をむりやり昔の中国に当てはめ、「昔の中国もこんなに男女差別がない『近代的』な社会だったんだぞぉ〜」みたいな事を言っている人が、歴史に学んでいるなんてとても思えませんね。


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