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私の創竜伝考察8
創竜伝3  逆襲の四兄弟


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No. 973
私の創竜伝考察8
投稿者:冒険風ライダー 1999/3/28 01:20:11
 創竜伝を読んでいると、田中芳樹の軍事音痴ぶりが露呈していますね。これがあの銀英伝やアルスラーン戦記の著者かと疑いたくなるほどです。自衛隊法も読まないで自衛隊を作品上で好き勝手に動かしているようですが、少なくとも今のところ、創竜伝のような軍事行動は絶対にできないんですね。今回はこのあたりを指摘しようかと思います。
 それでは、創竜伝3の検証を始めましょう。

P101下段〜P102上段
<「戦車を乗っとっちゃおうよ」
 不意に余が提案した。竜堂家の末っ子は、半分とれたドアをいっしょうけんめい引っぱっていたのだが、ガラスが砕け散った窓ごしに、路傍で周囲を睥睨している戦車の姿に気づいたのだった。>
P109下段
<次のような内容の命令が、それにつづいていた。
「多数の戦車をもって、強奪された戦車を完全包囲し、追いつめ、行動を封じて捕獲せよ。マスコミに公表する必要はない。テロリストどもは市ヶ谷の本庁内に収監し、社会との接触をいっさい絶つ」>

 まず、こんな展開自体がありえない話です。今の道路交通法では、戦車が道路を走る事自体ができないようになっています。また、自衛隊の車両は緊急自動車に指定されていないために、信号で赤信号に遭遇したら停車しなければなりません。それから発砲許可も上からの指示(上がさらに上の許可を求めるために、最終的に首相の許可が必要)が必要です。その他、自衛隊の展開や軍事行動には道路交通法の他、建築基準法や病院法、自然公園法など自衛隊とは一見何の関係もない法律による様々な制約があり、これらを創竜伝の自衛隊に適用すると、創竜伝3はストーリー上の根幹から完全に崩壊します。
 まあこんな生真面目な批評は皆さんを唖然とさせると思いますので、この辺でやめておきますか。自衛隊についてもっと詳しい人がいたらさらに詳細に教えてくださいね。

P111下段
<秩序をたもつため、と称して、権力者はすぐに情報統制をやりたがるが、情報の不足は、かならず流言蜚語を生む。そんなことは、二〇〇〇年以上も昔に、古代中国の賢者が指摘しているのだが、権力者の心理構造は、いっこうに進歩しないものであるらしい。>

 自分のことを棚に上げて論評している田中芳樹のために、私が次のような主張を展開いたしましょう。
「読者を不安に陥れないため、と称して、遅筆の小説家はすぐに自分の本の発売日について情報統制をやりたがるが、情報の不足は、かならず流言蜚語を生む。そんなことは、二〇〇〇年以上も昔に、古代中国の賢者が指摘しているのだが、遅筆の小説家の心理構造は、半世紀生きていてもいっこうに進歩しないものであるらしい。それどころか、逆に退化しているようにすら見えるのは気のせいであろうか」

P128下段
<乗員の居住性をよくするため、戦車にエアコンをつける、そのために腹部の装甲を薄くする。兵器としては本末転倒だが、何となくおかしくて、本気で起こる気になれない。もう一歩、踏みこんで考えれば、こんな戦車を発注する自衛隊も、生産する兵器産業のほうも、真剣に戦争する気はなく、巨額の軍事予算を仲よく分配して共存共栄しているというわけではあるが。>

 居住性もまた兵器の必要条件であると、以前この掲示板で誰かが指摘していましたが、それはともかく、こんな「役立たずな戦車」をつくっている日本を、次のようにののしっています。

P140下段
<そして一方では、際限のない軍事大国化がある。一九八八年、アメリ力の下院において、国務省高官が「日本の軍事予算は、フランス、イギリス、西ドイツを一挙に抜き去って世界第三位となった」と証言した。同年七月のワシントン・ポスト紙は、「戦争放棄をうたった憲法を無視して、日本は世界最大級の軍事大国のひとつとなった」と論評した。インドネシアの大統領は、日本の防衛庁長官に、「軍事力で勝つような時代ではない」と忠告した。かつてアメリ力国務長官をつとめたキッシンジャーは「米ソ両国はおたがいだけを見ているが、日本というあらたな軍事大国が出現しつつあることを忘れぬほうがよい」と述べた。世界じゅうの国々が警戒を強めつつある。知らないのは当の日本人だけてある。>

 上のような戦車を造っている国を「際限のない軍事大国化」していると評論するとは大したものです。このあたり、フィクションと現実の設定の矛盾を感じますね。軍事費については、以前にも論評しましたのでここでは省略します。
 あ、それと「世界じゅうの国々が警戒を強めつつある」国は、田中芳樹が大好きな中国と北朝鮮であるという事を付け足しておきます。

P140下段〜P141上段
<「冨によって精神的な豊かさを増す民族もいるが、残念ながら日本人はそうじゃないらしい。この成金民族が、どこまで増長し、どこへ流れていくのか、いっそ見ものだな」
 蜃海はそう思う。彼の述懐を聞いて、虹川が、にやりと笑った。
「あまり大きな声でそんなこというなよ。いまの社会を否定するけしからん奴だといわれるぞ」
「おれは否定しているんじゃない。批判しているんだ」
「ところが世のなかには、否定と批判の区別もつかない奴らがいるのさ。世界一すぐれた日本の社会を否定する者は日本から出ていけ、なんてことを平気で口にする奴らがな。そしてそういう奴らが、でかいつらでのさばってるのが現実だ」
「いやな時代だな」
「まったくだ、ろくでもない時代だぜ」
 そして、ろくでもない結論だった。>

 「さらに、ろくでもない社会評論であった」と補足しておきましょう。
 さて、日本人をつかまえて「成金民族」とはよく言いましたね。日本が独立を保ちつつ、ここまで成長するのにどれだけ大変だったか、このキャラクターたちには全く分かっていないようですね。私に言わせれば、最近日本からやたらとODAをふんたくり、高い高度成長率を達成している中国の方がよほど成金のように見えるのですが。
 「あまり大きな声でそんなこというなよ。いまの社会を否定するけしからん奴だといわれるぞ」虹川さん、蜃海さん、安心してください。そんな事を言う奴など日本にはほとんどいませんから。よほどのアホを除いて。
「ところが世のなかには、否定と批判の区別もつかない奴らがいるのさ。世界一すぐれた日本の社会を否定する者は日本から出ていけ、なんてことを平気で口にする奴らがな。そしてそういう奴らが、でかいつらでのさばってるのが現実だ」
これについては少し私の手で改編しましょう。
「ところが世のなかには、否定と批判の区別もつかない奴らがいるのさ。日本が世界中から嫌われ、軍国主義化しつつあるなどと現実感のない社会評論を展開している新聞や小説家を批判する者は右翼の軍国主義者であるから日本から出ていけ、なんてことを平気で口にする左翼連中がな。そしてそういう奴らが、でかいつらでのさばってるのが現実だ」

P142下段〜P143下段
<「アッシリア滅び、バビロン滅び、ペルシア滅び、そして今カルタゴも滅びさりぬ。つぎに滅ぶるは、これローマか……」
「小スキピオですね」
 紀元前一四六年、三〇〇年にわたるローマ帝国とカルタゴの抗争についに決着がついた。劫火と流血のなかに炎上するカルタゴの市街を、馬上からながめやって、小スキピオの名で知られるローマ軍の司令官は涙を流した。敵国の滅亡を目前にして、いつかかならず自分の祖国もほろびるであろうことを予見したのである。小スキピオの死後、時代をへてローマは滅びた。その後、いくつの強国が滅び、あるいは没落したことだろう。人間がかならず死ぬように、国もかならず没落する。日本だけが例外であるとは、始には思えない。
「でも、大半の日本人は、日本の繁栄が永遠につづくと信じていますよ」
「信じるのは彼らの勝手さ」
「ええ、信じるのはね。問題は、他人にむりやりそれを信じさせようとする輩がいることです」
このふたりは、ほんとうに高踏的な話が好きなのね、と、茉理は苦笑する思いである。>

 このふたりは、ほんとうに日本をおとしめるための低レベルかつ非現実的な社会評論が好きなのね、と、私は冷笑する思いですね。
 ローマの例をもってきて国が滅びないということはない、というお説教はまあよいとして、なぜそこで日本が挙げられるのでしょうか? 強国が滅びる、という例ならば、この当時のソ連やアメリカを挙げる方が適任でしょう。この2人はよほど日本が滅亡してほしいのでしょうか。日本がいざ滅亡する時、この2人は喜びの涙を流すのではないでしょうかね。
 そして次の文は、始と続の会話を改編したものです。
「でも、大半の日本人は、近い将来に日本が絶対に滅びると信じていますよ」
「信じるのは彼らの勝手さ」
「ええ、信じるのはね。問題は、他人にむりやりそれを信じさせようとする遅筆の小説家がいることです。どうにかならないものなのでしょうか。あの性癖は」

P143下段〜P144上段
<ある男が、辺境にあるひとつ目人の国に出かけていく。ひとつ目の人間をつかまえてつれ帰り、見世物にしてやろうと計画したのだ。ところが反対に、自分のほうが彼らにつかまってしまい、「珍しいふたつ目の人間だ」というので見世物になってしまう。長いこと見世物になっているうちに、男は、ふたつ目の自分こそ異常なのではないかと思いはじめ、自分の片目をつぶしてしまうのだ。多数が正常で少数が異常、という決めつけかたの愚かさを笑う話である。現代の日本だって、このひとつ目の国に似ているのではないか。>

 多くの人間があれほど様々な意見を主張し、様々な意見対立が存在する日本のどこを見て、「現代の日本だって、このひとつ目の国に似ているのではないか」などと主張しているのか、私にはさっぱり理解できません。田中芳樹の考えは「多数が異常で少数が正常」なのでしょうけど、これだって愚かな決めつけだと私は思うのですがね。

P162上段〜P163上段
<たとえば、一九五○年代のアメリカ合衆国では、「アメリカの社会を害する本とその著者を、社会から追放しよう」という一大運動がまきおこった。
その結果、まず犠牲になったのが、「ロビン・フッドの冒険」である。義賊ロビン・フッドは金持ちから金を奪って貧しい民衆に分け与える。これは共産主義思想を宣伝する悪い本だ、というわけである。
つぎに「トム・ソーヤーの冒険」と「ハックルベリ・フィンの冒険」が槍玉にあげられた。トム・ソーヤーは学校や教会に行くのをさぼる。ハックルべリ・フィンは父親から逃げ出して各地を放浪する。だから、これは健全な家庭のありかたや学校教育制度を否定する、無政府主義の本だ、というわけだ。こんな本を読んではならない!
「ロビンソン・クルーソー」や「十五少年漂流記」も読んではならない。無人島に漂流して自分たちだけで勝手な生活を送るなど、国家制度を否定する思想である。このような悪書は焼きすてるべきである。
 ……信じられないほどばかばかしい話だが、「マッカーシズムの時代」として知られる歴史上の事実である。世の中には、狂犬のような人たちがいて、そういう人たちが権力をにぎると、自分が気に入らない本はすべて悪書と決めつけ、その著者を社会的に抹殺しようとするのだ。民主主義の総本山といわれるアメリ力でさえそうなのだ。もともと日本のように少数派を排除する傾向のつよい社会で、始たちが疎外されるようになるのは当然かもしれない。他人と同じことさえやっていればいい、他人とちがうことをすれば村八分されるような社会だから。「一億一心」・「挙国一致」がこの国の社会正義なのだから。>

 ちょっとちょっと、「「一億一心」・「挙国一致」がこの国の社会正義なのだから」って、いつの時代の社会評論を展開しているのです? 思考回路が50年ほど遅れてません?
 私がこの評論を現実に適応するように、結論部分を改編しましょう。
<世の中には、狂犬のような人たちがいて、そういう人たちが権力をにぎると、自分が気に入らない本はすべて悪書と決めつけ、その著者を社会的に抹殺しようとするのだ。その最も代表的な例は左翼メディアの牙城である朝日新聞である。もともと日本のように少数派を礼賛する傾向のつよい社会で、少数派の極左左翼に悪とみなされた体制派が疎外されるようになるのは当然かもしれない。左翼と同じことさえやっていればいい、左翼の主張とちがうことを言えば左翼によって社会的に抹殺されるような社会だから。「日本政府は過去の戦争責任の賠償を」「反体制万歳! くたばれ権力者!」がこの国の社会正義なのだから。>
う〜ん、ちょっとできが悪いかな?

P184上段〜下段
<アメリカ軍基地は、日本を守るためにあるのだという。ここに、いささか古いがひとつの資料がある。一九五二年から八四年までの間に、在日アメリカ軍がおこした事故および犯罪の数は一七万八四七三件、それによって死亡した日本人は一二一〇名。日本の法律によって処罰されたアメリカ軍人はゼロ。アメリカに帰って刑に服した者ゼロ。日本を守るとは、何者から何を守るということだろうか。始は疑問を持たざるをえない。それとも「ソ連が日本を侵略したら、もっとひどいことになるから、アメリカ軍の犯罪ぐらいがまんしろ」ということだろうか。そういう論理で、死者の遺族を納得させることができるかどうか、やってみるといいのだ。>

 P140下段の社会評論と照らし合わせると、田中芳樹は在日米軍をアメリカに撤収させた上、自衛隊を廃止して日本を無防備国家にすべきであると考えているようですね。そんな事をすればそれこそソ連(当時ですけど)や中国、北朝鮮などが舌なめずりをして侵略してくるでしょうに。
 それと機動隊の記述と同じように「絶対弱者」を前面にだして反論しにくくする手法は、はっきりいって卑怯な論法ではないでしょうか。ご丁寧に具体的な数字まで挙げていますね。私は1年間の交通事故件数や交通事故による死亡者数よりもずっと少ないと思いますが、普通はやはり躊躇してしまうでしょうね。
 アメリカ軍の駐留に問題がないとはいいませんが、それがダメだというのならば、それに変わる具体的で現実的な代案を提示してほしいものです。それがないと、一般国民は納得しませんよ。

P208下段〜P209上段
<むろん反逆者のすべてが建設的な改革者になれるわけではない。だが、改革者はすべて反逆精神の所有者だった。現状を無批判に受けいれ、ぬくぬくとそこに安住し、つねに多数派に所属して少数派を疎外するような人たちが、あたらしい歴史をつくった例はない。>

 ならば田中芳樹にあたらしい歴史をつくれるはずがありませんね。左翼陣営という「多数派」に「安住」して、自分たちの批判をする「少数派」を「疎外」するような人なのですから。
 さらにここも、文章改編してみましょう。
「むろん権力者に対する反逆者のすべてが建設的な改革者になれるわけではない。というより、日本の左翼の大部分が非建設的な運動家だった。現状を素直に受けいれ、普通にそこで安住している人を、自分たちの利益と運動の継続だけのために無理やり運動に引きずり込もうとする連中が、あたらしい歴史をつくった例はない。」

 今回は文章改編が結構多かったですね。これだと結構文章作成が容易なんですよね〜。今回の批評はどうだったでしょうか。
 次から4巻の批評に入ります。


No. 974
強盗を目の前にして防犯は必要無いと力説する愚
投稿者:M野 1999/3/28 02:39:58
>P128下段
<乗員の居住性をよくするため、戦車にエアコンをつける、そのために腹部の装甲を薄くする。兵器としては本末転倒だが、何となくおかしくて、本気で起こる気になれない。もう一歩、踏みこんで考えれば、こんな戦車を発注する自衛隊も、生産する兵器産業のほうも、真剣に戦争する気はなく、巨額の軍事予算を仲よく分配して共存共栄しているというわけではあるが。>

つまり田中先生は、サウナ風呂の中に何時間も詰められた状態で、判断力、計算能力、動体視力、反射神経が
まったく鈍らないというわけですか。
私は戦車のことはよく知りませんが、空調をしっかりしないと、酸欠と脱水症状で兵士の能力が低下すると
思いますが、どうなんでしょうか

>P140下段の社会評論と照らし合わせると、田中芳樹は在日米軍をアメリカに撤収させた上、自衛隊を廃止して日本を無防備国家にすべきであると考えているようですね。そんな事をすればそれこそソ連(当時ですけど)や中国、北朝鮮などが舌なめずりをして侵略してくるでしょうに。

北朝鮮の脅威が高まっている現在において、現実的な代案の無い反自衛隊・反米軍は指示を得にくいと思います。


No. 984
>私の創竜伝考察感想7&8
投稿者:石井由助 1999/3/30 02:28:57
>P67上段〜下段
><「きたない、外見が他のものとちがっている、というだけで、相手の生命を奪って平然としていられる、そういう人間、ヴラドの子孫のような人間が、日本人の若い世代には、どんどん増えているわ」
> 声もなく、蜂谷は聞き入った。冷徹なはずの彼も、レディLの話に圧倒されていた。
>「そして、彼らの特徴として、かならず複数でひとりを、多数で少数を襲うこと。一対一の闘いなど絶対にしない。相手を一方的に傷つけ、決して自分は傷つかず、自分ひとりで責任をとることはない。笑うべきことに、匿名でいやがらせの手紙を送るていどのことでさえ、自分ひとりだけではできず、仲間とつるむのよ」
>「…………」
>「若い世代が、これほど精神を荒廃させ、腐食させつつある国は、日本の他にないわ。二一世紀がほんとうに楽しみだこと」
>「そ、それがヴラド計画だと……」
>「最初はべつの名が考えられたそうだけど、芸がないということで、ヴラド計画と命名されたの」
> 最初に考えられた名は、「ヒットラーの孫」という。>

引用させていただきました。
 それにしても酷いですね。「それって日本人特有の現象じゃねぇだろ」という日本人論に対するもっとも基本的かつ低レベルなツッコミが有効なあたり、三流と呼ぶのもおこがましいかも知れません。
 >そして、彼らの特徴として、かならず複数でひとりを、多数で少数を襲うこと。一対一の闘いなど絶対にしない。相手を一方的に傷つけ、決して自分は傷つかず、自分ひとりで責任をとることはない。
 っていうけど、単にそれは多数で少数を襲うのが兵法の常道だからでしょう。小は喧嘩から大は戦争まであるけれど暴力の基本は同じです。田中氏だって、自分の小説の中でそれを常識として描いているではないですか。私は田中小説のほとんどに目を通していますが、「やあやあ我こそは!」と名乗りをあげながら単身ずつ敵陣に突っ込んでいく鎌倉武士のような戦い方をしているのを見たことがありません。むしろ、戦力の分散を戒め戦力の集中こそを推奨していますよね。
 イジメをするガキどもの精神性や加減を知らない集団暴行自体は非難して悪いわけがありませんが、それを日本人論や一部の時代の一部の民族の一部の世代特有の現象であるかのように論じるのは笑止です。
 ところで、ヴラドといじめガキの精神性ですが、確かに共通している部分もないこともないですが、基本的には全く別のものだと思っています。
 ヴラドには超大国トルコから小国を守るための国家統一という義務と理由がありましたし、彼が排除した集団の傾向から、おそらくアジールの理論が関係あるのではないかと私は考えています(はっきりいって不勉強です。ツッコミ求む)。
 ただ、少なくとも、この件に関する田中芳樹の歴史認識はいかがわしいものだわい、ということは間違いないと思います。


>第2次世界大戦後、私立大学出身で首相となった人に、石橋湛山がいる…
>石橋湛山がこのように述べたのは、植民地支配が悪いと考えたからではありません。石橋湛山が経済的な計算…

 これは知りませんでした。てっきり、「どうせ社会党の数少ない首相だからだろ」と思ってました。
 勉強になります。


>イギリスやフランスから、「この両国さえ消えれば世界は平和だ」と痛烈に皮肉られている現実である。

 もし日本のジャーナリストなどが「中国と北朝鮮が消えれば世界は平和だ」と言ったら、「日本人の傲慢な差別意識が云々」と評論するのではないでしょうか。この人は。
 それなのに、日本だと傲慢でも差別でもなく金言なのですか。いやはや…


>自衛隊の展開や軍事行動には道路交通法の他、建築基準法や病院法、自然公園法など自衛隊とは一見何の関係もない法律による様々な制約があり、これらを創竜伝の自衛隊に適用すると、創竜伝3はストーリー上の根幹から完全に崩壊します。

 面白い視点ですね。このあたりから攻めるのもアリかもしれません。誰か続編求む!!


>日本人をつかまえて「成金民族」とはよく言いましたね。日本が独立を保ちつつ、ここまで成長するのにどれだけ大変だったか、

 そのとおりです。日本の経済がここまで発展したのは我々の祖父母や父母が心血を流して働いたからであって、突然豊かになったわけではありません。ましてや、田中芳樹が1ミリグラムたりともそれに貢献していないのは明白です。
 まあ、これはバブル期に書かれたものであるということで、情状酌量の余地はあるかもしれません。それにしても、その成金によって、創竜伝のようなノベルスが何百万部も売れる社会が出来たことを忘れてはいけませんね。田中芳樹がろくすっぽ続編も書かずにいい暮らしが出来ているのは、間違いなく成金社会の故です。昔、「敵の粟は食まず」といって節を通し獄中で餓死した思想家がいましたが、それらに比べなんて甘ったれたことでしょう。成金の粟を食んでいい暮らしをしている人間が成金を軽蔑するのは、節度も何もないもっとも醜い姿の一つですね。


>そういう論理で、死者の遺族を納得させることができるかどうか、やってみるといいのだ。>

 何様のつもりでしょうかね。虎の威を借る狐。死者や弱者を自分の論理のために食い物にする傲慢さを感じます。


>つねに多数派に所属して少数派を疎外するような人たちが、あたらしい歴史をつくった例はない。>

 基本的に権力者による統治とは少数による多数の支配だと思うのですが。


No. 987
石橋湛山(と、高坂正尭)
投稿者:新Q太郎 1999/3/30 04:33:17
**********************
>第2次世界大戦後、私立大学出身で首相となった人に、石橋湛山がいる…
>石橋湛山がこのように述べたのは、植民地支配が悪いと考えたからではありません。石橋湛山が経済的な計算…

 これは知りませんでした。てっきり、「どうせ社会党の数少ない首相だからだろ」と思ってました。
***********************

ええと、湛山は社会党ではないんです。社会党の石橋は「非武装中立」のバッタもんですから(笑)。湛山は自由党→保守合同で自民党です。

それで、その「小日本主義」や植民地放棄論、剛直な気質と経歴が、今の(純粋)左翼全滅時代の敗残兵(土井たか子や佐高信、そして田中芳樹1)に最後の守り本尊扱いされているところはありますね。

とはいえ、湛山が本当に純粋な経済論だけで植民地放棄論を唱えたかというとそうとは言い切れません。多分大正・昭和前期の比較的自由な時代でもストレートに「朝鮮台湾を独立させよ」というのは反国家的発言とされるおそれがあったので、「計算すると、領有は損じゃないか」というのを隠れ蓑にギリギリの論陣を張っていたという節があります。
また、経済論だとしても当時の被植民者のナショナリズム・そして解放時の(同じく植民地を持つ欧米への)道徳的優位性をその計算にいれていたのですから、彼の反植民地には道徳的判断もあった、と捉えるのがよる自然だとは思います。
彼が朝鮮の『三・一独立運動』を論じた文章などを読んでも(http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/3/0070050.html)そう思えます。ちなみに私はこれを読んで、「これ、後から状況みて書き換えたんじゃねえか?本○勝○みたいに」と失礼にも思ってしまったほど、優れた予測と洞察に満ちています。ほとんどヤン・ウェンリー。

さらにしかしながら、「彼が首相の座に留まれば・・」というのはケネディがそうであるように多分に幻想の世界。
前述した、湛山を持ち上げる左翼敗残兵の佐高氏が名著「宰相吉田茂」を書いた政治学者・故高坂正尭氏と対談し、この石橋湛山について痛烈に皮肉られたことがあります(佐高「日本への毒薬」)。
高坂「(石橋は首相はほとんどやってへんで病気になっちゃったから、評価の対象ではないと言うことにしとるんですよ。彼には彼なりの欠点があったに違いないんで、長くやってれば、どっかで失敗したに違いないんですね。(略)ほんとに実力を試せなかったもんでね。だからかえってイメージが残っちゃったんですよ。(略)”巨悪石橋”なんて言われたかもしらん。」

この後、ちゃんと石橋のどこを評価すべきかについても高坂氏は冷静に論を進めているが。それにしても高坂氏はこの対談で、合気道の名人の如、佐高の議論を次から次へと(言葉は優しいのだが)一言ふたことであやし、自爆させ、切り捨てている。ぜひ一読頂きたい。(歴史の知識をもとに現在社会を解剖するというのには、これくらいの知識と常識が必要だということですぞ田中センセ。ところで故高坂先生には、大ファンの阪神を野村が建て直す(?)のをみて欲しかったですな。)

余談が過ぎてしまいましたが、石橋湛山という人物もなかなか調べるに値する興味深い人です。この人物に興味をもったのが田中氏の例の一文なのだから、そこは彼に感謝せねば。

・・・最後に湛山のこんなエピソードを。

終戦の詔勅が下り、国民が打ちひしがれて明日への不安と食べ物の不足に悩んでいる時、ひとり湛山は(植民地と軍備という重しの取れた)日本の発展をすでに予測し、自分尾新聞の社説に「新生日本の未来は実に洋々たり」と書きました。
それを読んだ友人(日経新聞の幹部)は「ああ、かわいそうに!せっかく平和が来たのに、彼は敗戦のショックで気が狂った」と嘆いた、といいます。
戦時中軍部の圧迫に負けず湛山と交際していたほど、彼を尊敬した知識人でさえ、その未来予測にはついていけなかった、というおはなしです。

ちなみに私がこれを知ったのは谷沢永一の本。湛山は彼も評価している人なわけで、なかなか一筋縄ではいきません。


No. 988
醜悪
投稿者:新Q太郎 1999/3/30 04:45:49

「そういう論理で、死者の遺族を納得させることができるかどうか、やってみるといいのだ」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

そう、あんまり下らないので忘れていたが、この一文こそ全創竜伝中でも一、二を争う醜悪な部分である。冗談抜きにへどの出るような文章。

では田中先生
「毛沢東の評価は今後50年しないと決められない」を文化大革命の被害者に、

「公安は不要、刑事警察が犯罪後にその犯罪を裁けば十分」
をサリン事件の被害者および、上一色村住民に、

「フランス革命やロシア革命は民衆の中から出てきたもの」
をヴァンデで溺死刑に処せられた人やチェ・カーにひとまとめで銃殺された被害者に

面と向かって言ってくださることをお願いもうしあげます。実際の被害者は、議論の正否やリクツを超えた感情によって悲しみ、怒っているのだろうし、それが当然かつ自然だ、ということだ。。

ああ、しかし写すだけでこういう文章はいやになる。


No. 989
そういう論理で、死者の遺族を納得させることができるかどうか、やってみるといいのだ
投稿者:本ページ管理人 1999/3/30 05:36:04
ならば、
「降りかかる火の粉は実力で払いのける」「襲ってくる権力者が悪いのだ」
「ガンジーの非暴力主義は偉大だが俺達は偉大じゃないから構わない」
 そういう論理で、ドラゴンに殺された自衛隊やアメリカ軍の、フェアリーランドの混乱に巻き込まれ都庁の紅竜王の炎に巻き込まれた人々の、死者の遺族を納得させることができるかどうか、やってみるといいのだ。

 しかも、殺されたあげくに「日本人は何でもイベントにしてしまう。奴隷の殺し合いに興じていたローマのクソ貴族と一緒。滅んでも構わない」などと評されようものなら、遺族にとってこれ以上の侮辱はないですね。

 あえて現実と小説を混同させてみました。田中氏のあの記述は、竜堂兄弟自体に対するカウンターパンチになるというハナシ。
 不愉快な話題を蒸し返して済みません>新Q太郎さん。


>ええと、湛山は社会党ではないんです。社会党の石橋は「非武装中立」のバッタもんですから(笑)

なにいいいい(笑)
ややこしいなあ、もう。
恥の上塗りでしたね。


No. 996
石橋湛山その他
投稿者:小村損三郎 1999/3/30 22:41:55
>余談が過ぎてしまいましたが、石橋湛山という人物もなかなか調べるに値する興味深い人です。
>この人物に興味をもったのが田中氏の例の一文なのだから、そこは彼に感謝せねば。

私が石橋湛山を知ったのは「帝都物語」(笑)。
この小説では石橋が病気になったのは、加藤保憲に蠱毒を盛られた為、ということになってます(^^;;)。

また、この人がすっぱり辞めたのは、戦前、暴漢に襲われて負傷した浜口雄幸首相が議会に出てこれないのに辞任しないのを批判した手前、自分の時も恋々と居座る訳にいかなかったから、らしい。(勿論これはこれで非常に立派な態度であるが)

>「そういう論理で、死者の遺族を納得させることができるかどうか、やってみるといいのだ」
>実際の被害者は、議論の正否やリクツを超えた感情によって悲しみ、怒っているのだろうし、それが当然かつ自然だ、ということだ。

以前、「ウルトラマンやマジンガーに踏み潰されたビルの中の人のことまで思いやってたらこれらの作品は見れない」なんてことを書きましたけど、コレを正面からやっちゃったのが「ガメラ3」。(渋谷破壊シーンは必見!)
劇中の「ザ・ワイド」で、「2」に登場した川津祐介演じる学者がガメラを弁護するようなことを言って、コメンテーターの小沢遼子(本人役(笑))にツッコまれるシーンがあります。
観客には川津のセリフは全く正論に聞こえますが、犠牲者の遺族が聞いたらたしかに怒髪天を突くような言い草でしょう。劇中世界では、間違いなくあの後局に抗議の電話が殺到したと思われます。
ことほど左様に被害者や遺族の感情というものは、事の理非や事実認定などというものとは関係無く根源的に湧き上がるもので、それは全くもって無理も無いことだし、誰にも批判や否定できるものではありません。
それだけに、無関係な人間が自説の補強材料や反論封殺に利用する姿勢には反吐が出るような嫌悪を覚えます。(小林よしのりが薬害エイズ運動に違和感を感じるようになったのはこれも一因な訳で)
これは何も田中芳樹や左翼に限ったことではなく、少年法論議や死刑廃止論議等に於いては右派にも同種の論調が見られます。
(しっかし、国内の刑事事件の話になると、左右共に、まるで申し合わせたようにコロッと主張を入れ替えてしまう様はホントに笑えますなあ。)

余談ですが、創竜伝の別の箇所で
“「後からだったら何とでも言える」「その場に居もしなかった奴に何が分る」という人がいるが、始は果たしてそうだろうか、と思う。後になって冷静な目で見てこそ真実が分ることもあるのではないか”
というような部分があったと思います(手元に本が無いので、記憶だけに基づいた不正確な引用です。誰か訂正頼む)が、正直
>「そういう論理で、死者の遺族を納得させることができるかどうか、やってみるといいのだ」
なんて主張と同一人物の言葉とはとても信じられません。
一体田中氏は本気でこの件を書いたんでしょうか。
それまでの自分の主張(しかもそれでもって他者を罵倒している)とここまで根本的に相反したことを堂々と書きちらせる神経には、この人はまともな羞恥心を持ち合わせているのだろうか、とすら思いましたね。

>ところで故高坂先生には、大ファンの阪神を野村が建て直す(?)のをみて欲しかったですな。

野村監督の正体&「野村一族の野望」については下の「プロ野球噂の真相」(笑)を参照のこと。
http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/tigers/yakyuindex.htm


No. 999
石橋湛山
投稿者:不沈戦艦 1999/3/30 23:53:36
 えーとですね、湛山が「植民地なんか持っても何の得にもならない。」という考えだったのは事実です。実際、朝鮮総督府は、毎年本土から予算を獲得して(朝鮮経営がインフラ投資ばかりで儲からなかったから)いましたし。台湾は利益を上げていましたけどね。満州も赤字だったですし。実は、2次大戦前でも、すでに植民地は持って引き合うものではなかったんですよ。民族意識も高まりましたしね。湛山はそのことを正確に認識していたのだと思います。だから敗戦時に、「これで日本には輝かしい未来が」と考えるようになったんでしょう。重荷でしかない、植民地を敗戦という強制によって切り捨てることが出来た訳ですから。日本は、「植民地を獲得することが、国を豊かにする唯一の手段である」という幻想から逃れることが出来た訳です。却って、植民地の維持に拘ったイギリスなどは没落しましたよね。しかもその試みはほとんど失敗しましたし。今のイギリスの興隆は、サッチャー政権以後の話です。却って、田中芳樹あたりは、「植民地を持っても得にはならない。大損だ」って解っているんだかどうか、疑問に思います。

 これらの意味で、私は湛山を評価しますね。これは余談ですが、昔いた会社の初代社長でしたし(わははは)。


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