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私の創竜伝考察32
創竜伝最大の破綻・前編


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No. 1213
私の創竜伝考察32 創竜伝最大の破綻・前編
冒険風ライダー 2000/7/24 20:30:32
 「私の創竜伝考察シリーズ」もとりあえず既存の巻である創竜伝11巻まで一巡しましたので、今回より3回に分けて、創竜伝のストーリー全体に大きな悪影響と破綻をもたらしている最大の矛盾を検証する特集を展開しようかと思います。1回目は「イギリス礼賛に見られる社会評論破綻の本質」です。
 創竜伝7巻における中国礼賛や中国物の小説の影に隠れているために以外と知られていないようなのですが、田中芳樹はどうもイギリスという国に相当な思い入れがあるようで、創竜伝10巻において、社会評論の半分を使ってまで盛大な礼賛論を展開しておいでになっています(笑)。
 このイギリス礼賛が田中芳樹の社会評論の例に漏れず、論理的な破綻をきたしている事は今更言うまでもない事ですが、仮にそのような「社会評論の論理的破綻」という要素を除外したとしても、創竜伝のストーリーで一貫して語られている「牛種ないし西洋世界による悪意に満ちた世界支配」との整合性を、創竜伝10巻のイギリス礼賛論は全く考慮に入れていないようにしか見えません。これがどれほどまでに創竜伝のストーリーに大きな破綻をもたらすかは小学生でも分かりそうなものなのですけど。
 それでは創竜伝10巻におけるイギリス礼賛の実態について検証してみる事にしましょうか。



創竜伝10巻 P81上段〜下段
<大英博物館に対しては「世界最大の盗賊の宝物庫」という悪口がある。何しろ世界各地へ出かけては侵略と征服と掠奪とをくりかえした大英帝国の、いわば悪事の証拠品が集められているのだ。エジプト、インド、アフリカ諸国、中近東諸国、それに中国。王宮に火を放ち、王墓をあばいて奪った彫刻、絵画、陶磁器、宝石、金銀細工、織物、古文書の巨大な山。ギリシアやエジプトの政府が、「我々をだまし、あるいは力ずくで奪った財産を返せ」というのも、もっともなことである。
 そういった事情を承知の上で、始はやはり大英博物館の存在に感動する。知識に対する貪欲さ、美に対する執念、文化に対する敬意、それらの人類の精神的な活動が、地球上の一点に集まり、「大英博物館」の名に象徴されているからだ。英国人が奪いとっていくまで、各国の人々が自国の文化や歴史の貴重さに気づかず、砂に埋もれ、朽ちはてるままに放置しておいたのも、残念ながら事実である。もし王宮の奥に隠して誰にも見せないというのなら英国人を弁護する余地はないが、すべてがたいせつに保存され、修復され、展示されており、外国人である竜堂兄弟も無料で見学できるのだから、ある意味で、軍事力と資本力によって世界を制覇した大英帝国が、文化においては敗者におよばないことを自覚した証拠ともいえるのだ。>

 創竜伝7巻における朝日新聞顔負けの中国礼賛の時もそうでしたけど、どうして田中芳樹や創竜伝のキャラクターってこんなに実状を全く反映していない礼賛論しか唱える事ができないのですかね。見当ハズレな礼賛論はその礼賛対象に対する誤解と偏見を読者に与え、却って礼賛対象に対して失礼になるのではないかという事ぐらい、少しは考えた事がないのでしょうか。
 そもそもこのようなイギリス礼賛をどうして創竜伝の中で行う必要性があるのでしょうか? 創竜伝における西洋世界の設定は「牛種の陰謀に従い、唯一絶対の神の名の元で植民地戦争を世界中に展開し、植民地に対する圧政と暴政に基づく搾取と大虐殺を行ってきた悪逆非道な存在」という設定になっていたはずです。そしてイギリスはその植民地支配を繰り広げてきた西洋世界の中でもダントツのトップの座についていた国家であり、創竜伝の中では一貫してそのような価値観が否定されているのです。そうであるならば、植民地争奪戦におけるチャンピオンとして君臨していたイギリスの植民地支配の歴史と価値観を、創竜伝では徹底的に否定しなければならないはずではありませんか。
 ところが創竜伝10巻においては一応イギリスの植民地支配に対する言及はあるものの、それを無理矢理な礼賛論で弁護していくという評論がいくつも存在し、全体として見るとイギリス礼賛論としか見えないような論調に仕上がっているのです。このような礼賛評論は創竜伝のストーリーの中では全く不必要であるばかりか、設定的にはむしろ相反する要素であるとすら言えるでしょう。
 「薬師寺シリーズ」の時もそうでしたが、田中芳樹はストーリーと社会評論とが全く噛み合わなくなってしまう可能性について、作家として少しは考えてみた方がよいのではないかと思うのですけど。田中芳樹はあくまでも評論家ではなくて小説家であるというのに、本業たるストーリー構成をほったらかしてまで副業でしかない社会評論などに熱中してどうするというのでしょうかね。

 さて、そのようなストーリーとの整合性にあえて目をつぶり、評論の内容についてのみに言及したとしても、いつもの社会評論の御多分にもれず、やはりその評論の主張や論法もまた支離滅裂のカタマリときているのですから何とも言えませんな(>_<)。田中芳樹も、もう少し自分がいかに破綻した評論を小説中に書いているのかを自覚してほしいものなのですが。
 だいたい、いくら大英博物館を礼賛したいからと言って、その大英博物館の展示品が「外国での掠奪品」である事に言及しておきながら、その掠奪品の「すべてがたいせつに保存され、修復され、展示されて」いて、大英博物館が「外国人である竜堂兄弟も無料で見学できる」という事実があれば完全に免罪されるというのは一体どういう事なのですかね? 大英博物館がどれほどまでに掠奪品を大切に保存し、それを一般に無料公開したところで、所詮掠奪行為はあくまでも掠奪行為であり、それらの展示品がイギリスが他者から政治と暴力の力を使って無理矢理に奪い取ってきたものであるという事実に何ら変わりはないではありませんか。そこでは本来、掠奪行為について何ら弁護の余地がないと主張するのが、今までの創竜伝の論調から言っても普通なはずでしょう。
 そもそも田中芳樹は、イギリスよりもはるかに穏当な「合法的な商取引」に基づいて様々な芸術作品を購入していった日本の資産家に対して、こんな全面否定的な評価を下していたではないですか↓

創竜伝7巻 P128下段〜P129上段
<本来、富は文化を育成するのに欠かせないものである。大富豪メジチ一族の生んだルネサンス文化。足利義満が育てた室町文化。文化とは巨大な富を注ぎこむパトロンなくしては誕生しえないものだ。だが現代日本の富は文化を育まなかった。無名の画家を育成し、そのなかから新たな才能を発掘するというのではなく、すでに世界的な名声をえた大家の作品を買いあさり、独占し、一般に公開しようとしない。他国が生み育てた才能の結実を、金銭でわがものにしてしまう。発掘や育成というリスクを負わず、よい結果だけを横取りしてしまうような姿勢が他国の反発を買うのだ。>

 一個人の資産家が合法的商取引に基づいて購入する例と、国家が政治と暴力を使って掠奪した例とは、資産の概念(私有財産と国家財産)も取得の合意性(双方の合意に基づく商取引と一方的な国家的掠奪行為)も全く違うものであるというのに、その両者を全く同一のものとして比較した挙句「一般に無料で公開されているからスバラシイ」なんて言って国家の方を擁護するような人なんて私は初めて見ましたよ(笑)。あまりにも独創的すぎる発想で理解に苦しみますね。
 この論法を使えば、イギリスだけでなくフランスやロシア等をはじめとする西洋世界全ての植民地支配や侵略・掠奪行為なども「掠奪品を展示した博物館をつくって一般に無料公開」しさえすれば完全に免罪される事になりますし、逆に資産家が合法的な商取引に基づいて購入した芸術品や美術品なども、一般に公開しなければ非難の目にさらされるという事になってしまいます。これは私有財産と合法的商取引の重要性を全く理解せず、他者から力ずくで無理矢理に金品を奪う事を誇らしげに語る「居直り強盗」の論理です。
 そもそもこのような論法は創竜伝のストーリーの観点から見ても、西洋世界を支配している牛種に対して免罪符を与え、彼らの植民地支配や侵略・虐殺・掠奪行為を正当化させる事になってしまい、竜堂兄弟や「仙界の連中」の牛種に対抗するための拠って立つ基盤や正当性といったもの(そんなシロモノが創竜伝にあればの話ですが(笑))が崩れてしまうのではないかと思うのですけど、当然の事ながら田中芳樹はそんな事は全く考えてはいないのでしょう。評論したいがためにストーリーを捻じ曲げるからこんな破綻が生じてしまうのですけどね〜。


 ところで田中芳樹が異常なまでの熱意をもって礼賛している大英博物館の入館無料の件ですけど、これについてもまたトンデモなタワゴトを喚き散らしているようですから、それについても触れてみる事にしましょう。

創竜伝10巻 P79下段〜P80上段
<「大英図書館ってのもどこかにあるんだよな」
「大英博物館のなかにあるんだよ」
「そうか、それで博物館の入館料は?」
「無料だって」
「無料? これも無料かあ」
 終はうなった。英国では、日本とちがって、国民の税金が正しく有効に費われているらしい。>

 たかが大英博物館の入館料が無料であるという「表層的な事実」を指しただけで、イギリスが日本よりも「国民の税金が正しく有効に費われているらしい」という結論に達してしまうとは驚きました。まさか田中芳樹は「タダより高いものはない」ということわざを知らないのではないでしょうかね(笑)。これはこと政治・経済の世界においては完全に事実なのですけど。
 確かにイギリスの大英博物館は入館料無料ですし、それ以外のイギリスの美術館や博物館なども無料の所が多いそうですが、かつてその博物館の運営資金を全てイギリス政府が負担した結果、イギリス政府の財政が深刻な大赤字を抱え込んでしまったことがあったという歴史的事実を田中芳樹は知らないのではないでしょうかね。何しろ採算性が度外視されていたため、ただ政府の財政から博物館へとカネが出ていくだけで、何ら建設的な利益をイギリス政府にもたらしたわけではなかったのですから、博物館維持のための補助金によって政府が深刻な財政赤字に陥ったのも当然といえば当然の帰結だったのです。
 しかも「外国人に対してまで無料」という事は、当然の事ながら外国人観光客が落としていく外貨にも全く期待をかけることができず、しかもそれに関する負担までイギリス国民が税金を使って補っていかなければならないわけで、これは国家財政の効率性という観点から言えば「税金の正しく有効な使い方」どころか、むしろとんでもない「税金の浪費」ですらあるのです。何しろ莫大な収入が得られるかもしれない貴重な財源を全く生かすことなく、ただひたすら無意味な財政支出をやっているだけなわけですからね。
 そこでこのような状況をなんとか打破するために、イギリスはマーガレット・サッチャー首相の時代、博物館や国有企業などの大々的なエージェンシー化(独立行政法人)が進められることになり、その結果、イギリスの博物館や美術館などはある程度自力で運営費用を調達する方法を模索しなければならなくなりました。そこでそれらの博物館や美術館は自らオリジナルグッズを売りこむ商売を始めたり、企業・団体などのスポンサーなどを募ったりして、何とか経営を維持していこうと必死になっているのです。もちろん、その過程で入館料を有料にした博物館や美術館もあります。
 この流れは大英博物館もまた例外ではなく、これまで来館者の志として受け取っていた入館料を正式に有料化し、600万人にも達する来館者の収入を安定的に集め、それを博物館の運営に当てようという動きがあるのです。これは博物館経営という観点から見ればむしろ当然の流れであるとすら言えるでしょう。いくら繁盛していようと、採算の取れず、資金も調達できないような博物館や美術館はイギリスでは潰れるしかないのです。薄情に聞こえるかもしれませんが、それがイギリスの博物館経営における現実というものなのです。私はむしろ国家の補助金づけに頼っているような運営などよりもよほど健全な経営方針であると思いますけど。
 このような背景事情を全く直視せず、単なる一庶民の観点から「入館料無料はスバラシイ」と言ってのけただけでなく、さらにそれをもって、間違いだらけの「税金の正しく有効な使い方」を云々したり、イギリスの植民地支配や侵略行為に対する免罪符としたりする無神経ぶりは全く大したものです。いくらイギリスを礼賛したいからって、これでは却ってイギリスに対して失礼なのではないですか?

 あと、イギリスの博物館や美術館の入館料が無料である理由にも言及しておくと、イギリスの美術館や博物館は元々貴族や王族が所有していた貯蔵品を民衆に向けて公開するために設立されたという歴史的経緯から、国民に向けた啓蒙的・教育的芸術組織として無料であるべきだと考えられているためで、別に田中芳樹が主張するような「軍事力と資本力によって世界を制覇した大英帝国が、文化においては敗者におよばないことを自覚した証拠」などという「崇高な理由」に基づくものではありません。これはむしろ「文化や歴史の違い」という観点から論じるべき問題でしょう。
 ひとつの事実をただ表層的に眺めただけで、ロクな調査も検証も行わずにすぐ短絡的かつ御都合主義な結論を出すのはやめていただきたいものですね。こんな下らないタワゴトを読まされる方も迷惑極まりないのですから。


 創竜伝10巻における異常なまでのイギリス礼賛はとどまるところを知りません。次の社会評論では「街角の旧式な時計を見た」という、ただそれだけの描写からムチャクチャな論理の飛躍を行っています。

創竜伝10巻 P93下段〜P94上段
<四人はB&Bを出て、おおざっぱにテムズ川の方角へと向かった。一軒の店にはいって買い物をし、街角の旧式な時計を見ると九時半である。
 始はデジタル時計よりアナログ時計のほうが好きだ。デジタル時計は「五時五七分」というように単一の基準と表現を押しつけてくるが、アナログ時計だと「五時五七分」「六時三分前」「もうすぐ六時」という風にさまざまな見かたができる。ゆとりと多様性を感じさせてくれるからなのだが、「緻密さと正確さとを欠く時代遅れのもの」といわれれば、たしかにそれまでである。だが万人が秒以下の単位まで厳密な時間に追われる必要はないだろう、とも始は思うのだ。そして、アナログ時計の心地よさをロンドンの街に感じる。古いビルを建てなおすときに、内装や設備は最新式にしても外見は古いままに保つ。日本橋の真上に高速道路をかぶせて建設し、醜悪な市街づくりに狂奔してきた日本では、泡沫経済がはじけて消えた後に、コンクリートの原野だけが残った。あらゆる亡命者を受け容れ、王室に対しても言論の自由を認めた大英帝国の度量を学びとらないまま、虚妄の繁栄を終わろうとしている。かつて「日本だけが永遠に繁栄する」とか「株と土地は永遠に値が上がりつづける」とか主張していた経済評論家たちは、いまごろどうしているのだろうか。>

 竜堂始くん、キミのアナログ時計に対する愛は分かった(笑)。
 それにしても、たかがデジタル時計とアナログ時計の違いを語るというのであればそれだけに終わらせておけば良いものを、日本のバブル景気とイギリスの民主主義という、何の相関関係があるかも全く理解不能な2つの事象を並べて論じた挙句、あたかも日本のバブル景気の崩壊が「日本の非民主制」に原因があったといわんばかりの主張にはウンザリしますね。前回の「私の創竜伝考察31」でも主張したように、日本のバブル景気が崩壊してしまった最大の原因は、1990年当時の大蔵省銀行局長・土田正顕が発した「総量規制通達」によって、土地の実勢価格がギネスブック級の大暴落を起こしてしまった事が最大の原因なのですけど、確かに日本の経済評論家達も、まさか「大蔵省銀行局長の職権濫用によってバブル景気が一気に叩き潰される」などとはさすがに予測できなかった事でしょうね(笑)。大蔵省銀行局長がそこまで愚劣な事を独断でやらかすとは普通考えませんもの。
 それに第一、バブル景気がどうこう言うのであれば、イギリスにだって1720年の「南海泡沫会社事件」というバブル景気の実例があるのです。これはオランダのチューリップ事件と並ぶ、バブル景気の代表的な事例のひとつと言われています。
 この事件について簡単に説明しますと、そもそもの発端は18世紀のイギリスで南米貿易のために南海会社という株式会社が設立され、この会社がイギリスの国債を一手に引き受ける代わりとして貿易特権を与えられる事になったことにあります。そのために「これは大儲け間違いなし」と考えた資産家が先を争って南海会社の株を購入した事によってバブルが発生したわけですが、実はこの会社がとんでもないインチキ会社で、その結果、1720年に南海会社の株が大暴落し、バブル景気が崩壊してしまうのです。
 ところがこの「南海泡沫会社事件」を徹底的に利用して大儲けをした政治家がいました。それがイギリス史上最初の実質的首相であるロバート・ウォルポールです。彼はこの事件を利用して株を高値で売りさばき、元手の20倍もの利益を得た事が評判となり、時の国王ジョージ一世から首相に任命される事になりました。そして彼の21年間にわたる首相在任時代にイギリスは飛躍的な政治的・経済的発展を遂げ、後の産業革命や植民地争奪戦の勝利の礎が作られたのです。
 日本がイギリスから学ぶべき点があるとすれば、この「南海泡沫会社事件」におけるロバート・ウォルポールの事例をこそ見習うべきなのであって、イギリスの事例のような経済的繁栄の契機ともなりえるバブル景気それ自体を否定するなど言語道断です。実際、日本はバブル景気を全否定した愚かな「総量規制通達」によって、長期にわたる深刻な不景気に陥ってしまったではありませんか。
 アナログ時計に対する麗しき愛情(笑)に自己陶酔したウンチクを垂れる前に、もう少しバブル経済の功績について真剣に考えてみたらどうなのですかね? 竜堂始くん。

 それから「あらゆる亡命者を受け容れ、王室に対しても言論の自由を認めた大英帝国の度量を学びとらない」って一体何なのでしょうか? 日本にはめったに亡命者なんて来ないし(不法入国者達は山ほど来ますが(笑))、そもそも亡命者の無制限な受け入れは、日本の治安維持の問題や文化・生活習慣の違いによる差別問題、そして長期的には雇用問題まで発生させるため、ただひたすら受け入れれば良いという話でもないでしょう。大量の不法入国者や外国人労働者の存在が、世界の先進諸国の間でも非常に深刻な問題となっていることを知っているのでしょうかね。「亡命者を大量に受けいれる」となれば、これがさらに深刻な問題となってしまうのは確実ではありませんか。
 そして日本の皇室に対する言論の自由って日本では充分すぎるほどに保障されているはずなのですけど。日本の新聞の大半は皇室に対して全然敬語なんて使用しないし、朝日新聞に至っては一般人と何ら変わらない扱いである上、皇室の方々のプライバシーを平気で暴くような報道をすら行っている始末です。1999年末の東宮妃殿下(雅子様)御懐妊報道などはその典型例でしょう。イギリスでも、パパラッチのストーカーまがいの追跡によってダイアナ元王妃が自動車事故で死亡してしまったという例があります(まあ全ての原因ではないかもしれませんが)。これらの事例は、皇室や王室に対する言論の自由が無制限に認められているがために発生してしまった悲劇ではありませんか。
 イギリス王室や日本の皇室に対する批判がイケナイとは言いませんが、すでに充分すぎるほど無制限な自由が認められて却って弊害すら発生している日本の皇室報道を指して「王室に対しても言論の自由を認めた大英帝国の度量を学びとらない」はないでしょう。日本で言論の自由が束縛されているというフィクションに基づいたタワゴトもいいかげんにしてほしいものなのですけど。
 あとこれは創竜伝のストーリーにおける深刻な疑問なのですけど、どうして全体主義的な支配体制を目指している牛種が支配しているはずのイギリスでさえ王室に対する言論の自由が認められているのに、それに対抗しなければならないはずの仙界や天界の支配領域であるところの中国には一切の言論の自由が認められていないのでしょうか(笑)。


 さて、このような言論破綻をきたしてまで竜堂始(=田中芳樹)に異常礼賛されているイギリスも、侵略対象の相手がこと偉大なる中国サマ(笑)ともなると、一転して徹底的な弾劾の対象にされてしまいます。ここまで180度方向転換された言動には、呆れるのを通り越して逆に感心させられてしまうのですが。

創竜伝10巻 P113上段〜下段
<話題を変える必要を感じたようだ。ランバートは始の言葉をあえて無視し、自分かってに話を進めはじめた。
「我々は昔、戦いに敗れて東の地を去り、西の涯におもむいた。そして三〇〇〇年近くたってようやく復讐のひとつの機会を得た。一八四〇年の阿片戦争だ」
 阿片戦争。歴史上もっとも醜悪な開戦理由を持つこの戦争について、むろん始はよく知っている。中国との貿易を求める英国は、強引きわまるやりかたで事を押し進めた。
 英国人のあつかましさに、中国人は呆然としたであろう。呼びもしないのに押しかけてきて、「皇帝に会わせろ」と騒ぎたてるのだから。「しようがない、遠くから来たのだから会わせてやる。そのかわり礼儀は守れよ」というと、「そんな礼儀はわが国にはない」と答えて、中国人なら誰でも守る礼儀を守らない。あきれて、「もう来なくていいぞ」というと、「傲慢な中国人は、我々に異常な礼法を要求し、あげくに追いはらった。何という野蛮な奴らだ。こらしめてやる」と喚きたて、軍艦に武器を積んで押し寄せ、砲撃を加える。麻薬である阿片を密輸して巨額の利益をあげ、阿片の害を憂えた中国の役人が密輸品を没収して焼きすてると、「けしからん、この侮辱を赦すわけにはいかぬ」と全面戦争をしかけた。麻薬の密輸を禁じられて相手に戦争をしかけた国は、世界史上、英国だけである。>

 イギリスがどれほど高圧的な砲艦外交を展開しようが、麻薬の密輸を禁じられたという理由で中国に戦争をしかけようが、そんなものはどうでも良い話ではないですか。竜堂始のイギリス礼賛主張に従えば、たとえどれほどイギリスが暴虐の限りを尽くそうが、大英博物館に掠奪品を大切に保存・展示して一般に無料公開しさえすれば全ては免罪されるのですから(爆)。いくら相手が偉大なる中国サマだからって、たかだがその程度の罪でイギリスを弾劾してはイケマセン(笑)。
 しかしイギリス人の言う通り、ホントに中国(当時は清王朝)という国は傲慢な国ですね(笑)。せっかくイギリス人が遠路はるばるやってきて、清王朝に対して「貿易」を申し込んだにもかかわらず、夷狄蛮戎の「朝貢」の礼である「三跪九叩頭」を要求してきたというのですから。確かにそんな礼儀は世界中で中国にしか存在しないし(笑)、そんな礼儀を実行する事はイギリスが中国の属国であると自分から宣言するような愚劣な行為なのですから、そりゃイギリスの方だって拒絶しますわな。
 で、当時はヨーロッパ諸国による植民地争奪戦の時代なのですから、自国と相手国との国力差もわきまえずにこんな身のほど知らずの愚行を行ったら、相手国に対して「私を侵略してください」と言っているようなものなのですからね。当時の清王朝は自国とイギリスとの絶望的な国力差や、自国の兵力がいかに弱体・旧式化したシロモノであったのかをきちんと自覚した上である程度相手に譲歩した外交を行い、自国の近代化を進めるべきであったと思うのですけど、もちろん中華思想に頭からかぶれてしまっていた当時の清王朝首脳部にそんな発想があったはずもなく、常に無意味な強硬外交を展開してイギリスをはじめとするヨーロッパ諸国の怒りを買っていただけなのですから、当時の政治情勢を考えれば侵略されて当たり前だったと言えますね。
 まあいいじゃないですか。イギリスは竜堂始の御希望通り、阿片戦争での大量の掠奪品を大切に保存し、大英博物館に展示して無料で一般公開しているのですから(笑)。何もイギリスは阿片戦争時における大量の掠奪品を全て隠蔽・破壊してしまったわけではないのですから、それによってイギリスが行った侵略・掠奪の罪は全て相殺されてしまっているわけで、それ以上何かイギリスに責められるべき罪があるとでもいうのでしょうか(笑)。

 まあ冗談抜きで言わせてもらうと、当時の清王朝がいかに傲慢で現実が全く見えていない政治・外交政策をやっていたかは、ペリーの黒船来航から明治維新に至るまでの日本の政治・外交政策と比べてみても一目瞭然でしてね。
 日本ではペリーが黒船で「呼びもしないのに押しかけて」きた時、当時の江戸幕府は清王朝と違って無駄な抵抗は一切せず、さっさと日米和親条約を結び、開港する事にしました。なぜなら当時の江戸幕府や藩主は西洋諸国との国力格差を知っていましたし、事前情報でペリー来航の意図が「捕鯨船の補給」を要求しているにすぎないということを知っていたからです。
 最初の頃は日本でも、長州藩が下関海峡で外国船を意味もなく砲撃したり、薩摩藩が生麦事件を起こしたりと、やたら外国に対する強硬姿勢を取ったりもしていたのですが、彼らも外国との戦争で敗北するとさっさと開国派になっています。
 これは一見すると屈辱外交を展開しているようにも見えますが、もちろん実際はそうではありません。相手の方が自分よりも何倍も強いと見極めたからこそ、彼らはあえて列強諸国に譲歩し、その上で列強諸国に習って自国の近代化を推進する事を考えたのです。自分の力量もわきまえずに強者にむやみやたらと挑みかかるのは単なる「蛮勇」でしかありません。すくなくとも江戸幕府や明治維新の薩長などは、清王朝などと違ってその辺りをよくわきまえていたのです。
 そのような日本と比べれば、当時の清王朝がいかに傲慢であり、現実を何ら直視せずに「蛮勇」を振るっていたかが分かろうというものではありませんか。当時のイギリスと清王朝、一体どちらがより「身のほど知らずの傲慢」であったのか、竜堂始にはもう少し直視してもらいたいものなのですけど。


 さて、上記の社会評論でせっかくのイギリス礼賛を覆してまでイギリス弾劾に走ったにもかかわらず、次の社会評論ではまたイギリス礼賛に戻ってしまいます。言動が二転三転してホントに忙しい事ですね(笑)。しかも今度は民主主義に対する超理想主義的な妄想まで入っているというのですから、もう「処置なし」と言いたいですね、私は。

創竜伝10巻 P148上段〜下段
<すでに夕方に近く、暗い空の下でロンドン塔は黒々とわだかまっている。宮殿と要塞と牢獄とを兼ねる石造りの城は、歴史と武器と財宝との一大博物館である。
 一方では侵略と掠奪によって多くの国々に危害を加えながら、もう一方では自由な議会と自由な大学と自由な新聞とをつくりあげ、多くの亡命者を保護し、人類の文化遺産を保護してきたのが英国の近代史だ。ロシアやドイツや日本で秘密警察が言論弾圧に狂奔していたころ、英国では新聞が堂々と王室の悪口を書きたてていた。これひとつとっても、ロシアやドイツや日本ではなく、英国が世界を支配したのは当然であったような気が、始はする。まったく、ソビエト連邦やナチス・ドイツや大日本帝国が世界を支配するようになっていたら、どのような世の中が出現していたことか。現在よりひどい時代になっていたことはまちがいない。
 始は苦笑した。「そんなひどい時代にならずにすんだのは、四人姉妹が世界を管理していたからだ」と、四人姉妹の味方ならばいうのだろう。単に富や権力を独占するだけでなく、よりよい世界をつくるための無数の人々の英知と努力までも、四人姉妹はひとりじめしようとするのだろう。>

 「大英博物館に諸外国からの掠奪品を大切に保存・展示して一般に無料公開すれば、全ての侵略・掠奪の罪は免罪される」の次は、「新聞が堂々と王室の悪口を書きたてている国は、世界を支配するのが当然である」ときたわけですか。ここまでイギリスの植民地支配を全面肯定的に書ける神経はもはや理解不能です。田中芳樹が非難する「文部省の右翼の軍国主義者」だって、いくら何でも自国の歴史をここまで堂々と正当化するような事はしていないと思いますけど(笑)。
 そもそも国家関係において他者に優位に立つ要素のひとつに、何で「民主主義国家における言論の自由」などがクローズアップされなければならないのでしょうか? イギリスが民主主義国家であろうが専制君主国家であろうが、そのような「民主主義国家における特典」自体は他国を圧倒し、植民地支配を成功させるのには何の役にも立っていません。イギリスが世界の国々を制圧し、世界一の植民地保有国となった最大の理由は、

1. 世界に先駆けて産業革命を達成し、経済力と海軍力とがそれぞれ充実していた事
2. 島国という地政学的条件に恵まれていて対外外交がやりやすかった事
3. 金権政治家ウォルポールなどの有能な政治家による巧みな政治的・外交的手腕の成果

などにあるのであって、「新聞が堂々と王室の悪口を書きたてて」いた事など、イギリスが植民地争奪戦において勝利した事とは何らの関係のない事です。無関係な事柄同士を無理矢理につなぎ合わせて勝手な事を喚きたてるクセもいいかげんにして欲しいものなのですが。
 第一、それほどまでに「民主主義の概念」がスバラシイものであり、世界を支配する一要素たりえるというのであれば、なぜ第2次世界大戦において民主主義国家フランスは「秘密警察が言論弾圧に狂奔していた」全体主義国家ナチス・ドイツごときの電撃作戦で一瞬にして敗れ去り、「新聞が堂々と王室の悪口を書きたてている」イギリスがこれまたナチス・ドイツごときに降伏寸前にまで追いやられたのですかね? この一事だけを見ても「民主主義の概念」と政治における覇権争奪戦とは何らの相関関係もないことを充分すぎるほどに示しているではないですか。
 はっきり言って、ここまで政治の現実を全く無視し、ひたすら「民主主義はスバラシイ」などと喚きたてる田中芳樹ないしは竜堂始の民主主義崇拝思想は、ひたすら無盲目に信奉するという一点において、もはや一種の宗教信仰に近いものにすらなってしまっています。しかも侵略だろうが植民地支配だろうが「民主主義」を持ち出して免罪しているその姿は、まさに田中芳樹が常日頃から散々批判しているはずの「宗教的狂信者」そのものではありませんか。
 しょせん「民主主義」というシロモノは政治形態のひとつの姿であるにすぎないし、何ら普遍的な価値観を持っているわけでもありません。それをあたかも「神聖不可侵な絶対的価値観」として仰ぎ見、いいかげんな理由をつけてまで絶賛するその姿勢こそ、却って民主主義を冒涜し、貶めるものではないのですか?

 ところでこの社会評論においては「新聞が堂々と王室の悪口を書きたてていた」イギリスとの対比として「秘密警察が言論弾圧に狂奔していた」ロシア・ドイツ・日本などが並べられていますが、イギリスを礼賛する時にロシア・ドイツはともかく、日本をイギリスと対比して貶めるのはちょっとヤバイのではないですか? イギリスと日本は20世紀初頭に「日英同盟」を結んでいた間柄ですし、日露戦争時にイギリスは日本側の肩を持ってロシアに対する様々な政治的妨害を行っていました。したがって、この社会評論の主張に従えば「新聞が堂々と王室の悪口を書きたてていた」イギリスが「秘密警察が言論弾圧に狂奔していた」日本の国家存続に手を貸していた歴史的事実が厳然として存在する以上、イギリスもまた日本における言論弾圧の共犯者という事になります。このような国のどこが「偉大なる民主主義国家」であるというのでしょうか(笑)。
 まあそのような冗談はさておき、そもそも日本の歴史においてドイツやロシアと同列に並べられるほどのレベルの言論弾圧が行われた時代が一体いつ存在したというのでしょうか? 治安維持法による検挙者数なんてナチス・ドイツやソ連におけるそれよりも2桁は少ないし、治安維持法制定最大の目的はあくまでも「ソ連と内通していたコミンテルン日本支部・日本共産党を抑える事」にあり、しかもその後の法的な拡大解釈の不幸があったとはいえ、この法律に基づいて死刑を宣告された思想犯はひとりもいないのです(尋問過程による拷問によって死んだ人はいくらかいましたが)。確かに戦前の日本に言論弾圧があった事は否定しませんが、それでもナチス・ドイツやソ連における言論弾圧などと同列に並べられるのは不当評価もいいところです。
 ましてや明治時代の日本に至っては立派な「言論の自由」が存在していたとすら言っても過言ではありません。日露戦争時に反選論を唱えていた内村鑑三や幸徳秋水達は当局から弾圧もされていなければ、新聞や雑誌に掲載されていた記事も発禁処分にもならなかったし、日清戦争あたりまでは天皇に対する悪口等もさかんに言われつづけていて、その頃日本に来日していたドイツ人のベルツという人は「日本人ほど君主に対する尊敬の念を欠く国民は他に知らない」とまで言っていたほどです。ということは、あの社会評論の論理に従えば、明治時代の日本には世界を支配する資格があったという事になりますね(笑)。
 民主主義を崇拝するのもイギリスを礼賛するのも結構な事ですけど、どうせやるのであればもっと万人に説得力を与えられるだけの理論を展開してもらいたいところなのですけど。どうして田中芳樹の礼賛論は、田中芳樹が散々非難しているはずの「犯罪を無理矢理正当化する」という方向性しか示す事ができないのでしょうか?


 このような宗教的狂信者を想起させるような愚劣なイギリス礼賛と民主主義崇拝思想は、創竜伝のストーリーに対しても深刻な悪影響を与えています。創竜伝10巻におけるランバート・クラークと竜堂始による舌戦などはその最悪の象徴とすら言えるのではないでしょうか。

創竜伝10巻 P115下段〜P116上段
<「すべては神の御意による。これにさからう者はことごとく討ち滅ぼすのが、使徒たるものの務めだ」
 ランバートは笑った。インカ皇帝に改宗をせまったときのピサロもかくやと思われる笑いだった。
 始の左右で弟たちがさりげなく戦闘態勢をととのえた。無言のうちに始はそれを制していたが、ゆっくりと口を開いた。
「それがお前たちの独裁を正当化する口実か」
「無政府状態より独裁政治のほうがましだというではないか」
「独裁政治より民主政治のほうがよりましだな」
 ランバートの上唇がまくれあがった。
「ほう、こいつは意外だが、君は民主政治とやらを信頼しているのかね。現在の君たちの国は、無能で腐敗した政治家と、罪なき者を死に追いやって反省もせず責任もとらない恥知らずの官僚とに支配されているではないか」
「我々は民主政治のもとにあって、民主政治の悪口をいくらでもいえる。だが独裁政治のもとで独裁政治の悪口はいえない。その一点だけで充分すぎるほどだ」
 始は鋭くランバートを見すえた。>

 この連中は自分達が今一体どこに立っていて、どのような立場からものを言っているのかさえも全然理解しないままに舌戦を展開しているのではないでしょうかね。こんな白痴レベルの舌戦を展開する事に何ら疑問も覚えないようなマヌケな連中が、創竜伝において「聡明な毒舌家」などと評価されている事自体、創竜伝全体の低レベルぶりを証明していて皮肉ですな。
 今更言うまでもない事ですが、この舌戦が展開されている舞台は「牛種の支配領域」にして、竜堂兄弟が「偉大なる民主主義国家」としてやたらと礼賛していたイギリスであり、民主主義はその「牛種の支配領域」で作られた思想です。そしてその「牛種の下僕」という設定であるところの四人姉妹は、本音はともかく、すくなくとも建前の上では「民主主義擁護」をスローガンにして世界支配を行っている存在ですし、また実際に彼らの行動によって民主主義がここまで発展してきたという事実だってあるでしょう。そのような「実績」を持つ牛種(ランバート・クラーク)が、民主主義をアレほどまでに崇拝している竜堂兄弟を前にして、なぜわざわざ民主主義を全否定するような事を述べなければならないのでしょうか? むしろここで牛種の代表者たるランバート・クラークは、竜堂始の民主主義崇拝論に対してこう言い返しても良かったはずです↓

「全くその通り。そしてその民主政治とは我々牛種によって作られ、発展してきたものだ。だからこそ我々は宗教的動機に基づいた侵略によって人界を支配することができたのだ。3000年もの間、硬直した皇帝独裁体制などに固執してきた仙界・天界の連中およびその支配領域たる中国、そしてそのような連中を無条件かつ無盲目的に信じるようなお前ら竜種などと違ってな」

 こう言い返されれば、竜堂兄弟の御歴々は牛種に対して何も言い返す事はできないでしょう。これは竜堂兄弟のマヌケなイギリス礼賛論と完全に一致する論理ですし、牛種には「民主主義擁護の実績」だってちゃんと存在するのですからね。彼らはすくなくとも「悪法に従う必要はない」などと堂々と公言する竜堂兄弟や、旧態依然な皇帝制度を温存しているような仙界・天界の連中などよりもはるかに模範的な「民主主義者」でしょう。そのような「自分達の強み」を捨ててまで、あの舌戦で牛種が竜堂兄弟に対して、わざわざ民主主義を全否定するような主張を行う必要性が一体どこにあるというのでしょうか。うまくすれば完全に竜堂兄弟を理論で屈服させる事だってできたかもしれないのに。
 そして民主主義思想が作られた歴史的背景や、牛種や四人姉妹の「実績」を何ら顧みずに、牛種に向かって民主主義崇拝論を展開した竜堂始もまたどうしようもない阿呆であるとしか言いようがありませんね。創竜伝における牛種のストーリー設定を少しでも知っていれば、上記のような反論など誰でも考える事ができる程度の理論でしかないではありませんか。そもそもアレほどまでに「牛種の支配領域」のひとつであるイギリスを「偉大なる民主主義国家」として礼賛しておきながら、その主とも言える牛種に対して民主主義崇拝論を展開する事に、竜堂始は何か疑問や矛盾を覚えなかったのでしょうか。創竜伝におけるストーリーの支離滅裂ぶりも、ここまで来るともはや感動的ですらあります。
 その場その場で無意味な民主主義崇拝論などを、ストーリーとの整合性を全く考えないで展開するからこのようなストーリー破綻が発生するのです。田中芳樹の愚劣で知性の欠片も見出せない「社会評論展開病」もいいかげんにしてほしいものですが。


 ところでこれほどまでのストーリーおよび社会評論の破綻を生み出しているイギリス礼賛ですが、さらにストーリーの原点に戻って考えてみると、そもそも創竜伝のストーリーの過程において、イギリスが舞台にならなければならない必然性が一体どこにあるのかという疑問が出てきます。
 創竜伝のストーリーを最初から見てみると、元々創竜伝において四人姉妹が自分達の根拠地としていたのはイギリスではなくスイスのチューリッヒであり、イギリスは創竜伝8巻初頭におけるランバート・クラークの結婚式に至るまで伏線としてすら登場していません。しかもその後四人姉妹から全ての実権を奪ったランバート・クラークがスイスのチューリッヒからイギリスのロンドン郊外へと根拠地を移した理由さえも、創竜伝のストーリー中において全く説明されていないのです。
 スイスのチューリッヒが四人姉妹の根拠地であった理由については、創竜伝の中でもある程度語られているように、

1. ニューヨークに比べて環境が良いこと
2. 影の支配者である立場上、目立ってはならないこと
3. 永世中立国スイスの地理的・政治的安定性

 などで充分に説明できるのですが、イギリス・ロンドン郊外への根拠地移転はこの3つの条件を全く満たしていない上、創竜伝のストーリー設定によると、その時期におけるイギリスのロンドンでは、拝外主義の極右団体とアフリカ諸国からの移民との間で激しい衝突が続き、内務大臣が非常事態宣言の布告を首相に求めるという劣悪な政治的懸念材料まであるのです。スイスのチューリッヒという安定したところを捨ててまで、わざわざそんなところに根拠地を移転しなければならないような理由が一体どこにあるというのでしょうか?
 創竜伝10巻においてイギリスが舞台になっているのは、どう読んでみても田中芳樹が創竜伝10巻における支離滅裂なイギリス礼賛論を展開したいがために、ストーリー本来の道筋を無理矢理に捻じ曲げた結果であるようにしか見えません。創竜伝におけるイギリス礼賛の事例は、創竜伝がストーリーよりも社会評論優先で書かれているという何よりの証拠なのではないでしょうか。



 それにしても創竜伝のストーリー破綻の救い難いところは、これほどまでのストーリー破綻をもたらしているイギリス・民主主義礼賛でさえ、創竜伝におけるストーリー破綻のほんの一部を構成しているにすぎないと事実にあります。上で挙げた牛種と竜堂兄弟との問答に象徴されるように、創竜伝では敵対する陣営の全てに大きなストーリー破綻要素が存在するのですからね。
 そんなわけで、次の特集では創竜伝における悪役を担当している牛種や四人姉妹の実態について検証してみようと思います。


No. 1219
Re: 私の創竜伝考察32 
本ページ管理人 2000/7/25 01:09:29
>  あと、イギリスの博物館や美術館の入館料が無料である理由にも言及しておくと、イギリスの美術館や博物館は元々貴族や王族が所有していた貯蔵品を民衆に向けて公開するために設立されたという歴史的経緯から、国民に向けた啓蒙的・教育的芸術組織として無料であるべきだと考えられているためで、別に田中芳樹が主張するような「軍事力と資本力によって世界を制覇した大英帝国が、文化においては敗者におよばないことを自覚した証拠」などという「崇高な理由」に基づくものではありません。これはむしろ「文化や歴史の違い」という観点から論じるべき問題でしょう。

 どちらかというと、ノーブレス・オブリージ(貴族の義務)というヤツでしょうね。これは。
 民主主義云々というよりは、貴族制、封建制の美点というべきでしょう。
 むしろ、芸術のようなものに関してはパトロンが必要で、その意味では民主主義と芸術はかなり相性がよくないように思えますね。
 私は民主主義の芸術というと、どうしても「人民〜」とか「市民〜」という、それこそキッチュなものを連想してしまいます。


> 創竜伝10巻 P93下段〜P94上段
> <四人はB&Bを出て、おおざっぱにテムズ川の方角へと向かった。一軒の店にはいって買い物をし、街角の旧式な時計を見ると九時半である。
>  始はデジタル時計よりアナログ時計のほうが好きだ。デジタル時計は「五時五七分」というように単一の基準と表現を押しつけてくるが、アナログ時計だと「五時五七分」「六時三分前」「もうすぐ六時」という風にさまざまな見かたができる。ゆとりと多様性を感じさせてくれるからなのだが、「緻密さと正確さとを欠く時代遅れのもの」といわれれば、たしかにそれまでである。だが万人が秒以下の単位まで厳密な時間に追われる必要はないだろう、とも始は思うのだ。そして、アナログ時計の心地よさをロンドンの街に感じる。古いビルを建てなおすときに、内装や設備は最新式にしても外見は古いままに保つ。日本橋の真上に高速道路をかぶせて建設し、醜悪な市街づくりに狂奔してきた日本では、泡沫経済がはじけて消えた後に、コンクリートの原野だけが残った。あらゆる亡命者を受け容れ、王室に対しても言論の自由を認めた大英帝国の度量を学びとらないまま、虚妄の繁栄を終わろうとしている。かつて「日本だけが永遠に繁栄する」とか「株と土地は永遠に値が上がりつづける」とか主張していた経済評論家たちは、いまごろどうしているのだろうか。>

 これは面白いですね(笑)。
 そもそも、デジタル=合理的、アナログ=非合理的という前提が間違っていますね。
 なぜ車のメーターがアナログ主流かというと、速度や回転数を一目で総合的に判断するには、アナログの方が合理的だからです。
 そもそも、「ゆとりや多様性」なんてデジタルかアナログかという問題じゃないでしょ(笑)
 デジタル時計に遊び心を見つける人もいれば、アナログ時計を四角張って見つめる人もいる。
 相変わらず、図式から帰納的に現実をこじつけているやり方ですね。
 これってトンデモ科学と同じ思考法なんですけれど……


No. 1414
英国公文書館を
デスザウラー 2000/9/21 17:12:19
 実際に利用して来た人物から聞いた話です。
 一度にコピーを申請して受け取れるのは5ページ分まで。そして、ど
えらく待たされる。それ以上は後日渡しです。おまけに、銭が高い(正
確な料金は聞いたけど忘れました)。

 一方、税金を浪費する事では世界に冠たる我国の国立国会図書館では、
著作権法の制限により一度に一冊の本の半分未満なら何枚でも可能です。
即日渡しも可能。上記よりも短い待ち時間で。御丁寧に郵送までしてく
れます。一枚あたり、30円。これは確実に英国のそれより安い。

 竜堂さんちの誰も、著者も、一度も国会図書館を利用した事がないの
でしょうか?


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