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私の創竜伝考察38
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No. 4644-4646
私の創竜伝考察38
冒険風ライダー 2003/10/02 19:30
 ところで今回の創竜伝13巻では、竜堂兄弟と小早川奈津子が様々ないきさつから手を組んだ挙句、「京都幕府」などという非合法かつ非民主主義的な暴力組織(爆)をでっち上げるというストーリーが展開されているのですが、このストーリーを初めて読んだ時、私は以前に論じられた「反創竜伝・思考実験編4 四人姉妹&牛種の逆転シミュレーション」関連の議論を想起せずにはいられませんでしたね。
 あの議論では、現代科学の水準ではどうあがいても物理的に殺すことができない竜堂兄弟をどうやって屈服させるかというテーマに対して、私は「あえて連中に国家権力を与えて権力の陥穽に引きずり込み、自縄自縛の足枷を嵌めてしまえば良い」という策を提示し、その後は「ではどうやって連中に権力を与えるか?」という話題で他の投稿者と論じあっていたのですが、結局、「竜堂兄弟のあの破綻だらけの御都合主義的な性格では、支離滅裂な屁理屈をこねられた挙句、一方的かつ感情的に拒絶されてしまうのではないか」という反論が、終始大きな障害として立ちはだかり続けていました。私にとっては極めて皮肉なことに、他ならぬ私自身が今まで何度も繰り返し指摘し、またその醜悪さを公に晒すことをも目的としていたはずの竜堂兄弟の致命的欠陥こそが、件のシミュレーションの実現を妨害する最大の要素となっていたわけです。
 ところが今回、竜堂兄弟一派は「自分から権力機構をでっち上げて日本を変革する」などという、それまでの連中自身の言動や行動からは到底考えられないような選択肢を自分達から進んで選ぶことで、私が提示した方策が抱えていた最大の問題点「どうやって連中に権力を与えるか?」という命題を名実共に完全消滅させてしまいました。これによって、あの議論で私の仮想シミュレーションが提示する「竜堂兄弟を陥れる陥穽の論法」は、仮想の域を出て本当に竜堂兄弟の政治的・思想的正当性に致命的な大ダメージを与える必勝必殺の策となる可能性が出てきたのです。
 もちろん、「あの」創竜伝のことですから、当然ありとあらゆる御都合主義的かつアクロバット論法を駆使した破綻だらけの作品設定や中小エピソードを総動員してでも、私が提示した仮想シミュレーションが描く「権力の陥穽」や「自縄自縛の足枷要素」を何が何でも回避しようとすることでしょう。しかし、あくまで連中が本気で権力というものを掌握しようと考えるのであれば、あの仮想シミュレーションが提示する「竜堂兄弟一派の政治思想面における構造的矛盾」を、連中は遅かれ早かれイヤでも直視せざるをえなくなるのです。直視できなければ、連中は今まで自分達が行ってきた言動と行動の政治的・思想的正当性に自分で止めを刺すことになるばかりか、逆に今まで自分達が開陳してきた社会評論の批判内容全てが自分達自身の身に跳ね返ってくることになるのですから。
 さすがに連中も、今回ばかりはそれなりの危機意識と覚悟を持って自らの言動と行動に注意するよう心掛けなければならないのではないかと思うのですけどね。まあこれまた「あの」竜堂兄弟一派のことですから、おマヌケにも本当に無視してしまうことも決してありえない話ではないわけなのですが(笑)。
 それでは前回に引き続き、今回も創竜伝13巻の論評を始めることに致しましょう。




P109上段〜P110上段
<にがい笑いが一同をとらえた。この部屋にいるのは、中国、ドイツ、フランス、ロシア各国の駐日大使たちであった。
 一般市民の社会でも、最大のエンターテイメントは他人の悪口である。ストレスの解消になるし、特別なハードウェアの必要もなく、経費もせいぜい酒代くらいのものだ。まして舌が商売道具の外交官たちだから、自国の機密と無関係に会話をはずませるとなれば、その場にいない者の悪口になるのは当然だった。
(中略)
「合衆国(アメリカ)、連合王国(イギリス)、日本。この『正義の枢軸』が国際世論を無視して暴走するのを、何とか制止しないと、世界は破滅する。そんな相談をしたこともあったな」
「国際世論というか、やつらは国内世論も無視しているのだからな。いや、過去形でいうべきか」>

「一般市民の社会でも、最大のエンターテイメントは他人の悪口である。ストレスの解消になるし、特別なハードウェアの必要もなく、経費もせいぜい酒代くらいのものだ。」
 いや〜、私も創竜伝の色々な社会評論やストーリー内容といったものを検証してきましたが、これほどまでに「立派な正論」と呼べるだけの文章に出会ったことは正直言ってなかったですね〜(^-^)。これはただ単に一般論として正しいというだけでなく、今まで創竜伝で無為無用の社会評論で愚劣な日本罵倒論を大量に書き散らしたり、薬師寺シリーズ「魔天楼」の文庫版あとがきで「ストレス解消のためにこんな作品を書いてみました」などと堂々と公言したりしてきた田中センセイが主張することによって「実践者のみが持つ迫力」というものが加わり、他者を圧倒する凄まじいまでの一貫性と説得力を醸し出しています(笑)。全く、これほどまでに田中芳樹と田中作品の特性を見事に体現している文章は他に存在しえないでしょう(爆)。
 しかし同時に、その「最大のエンターテイメント」であるところの「他人の悪口」にも、当然のことながら質の優劣というものが存在するのであって、残念ながら創竜伝や薬師寺シリーズにおける「他人の悪口」は、「劣」グループの中でもはるか最下層レベルに位置するシロモノでしかないがために、田中芳樹の個人的価値観を共有できない他人にとっては全くと言って良いほど「エンターテイメント」たりえていない、というのが問題なのですけどね〜。例によって例のごとく、創竜伝における本筋のストーリーとは直接的にも間接的にも何ら関わりがないにも関わらず、創竜伝13巻の作中で描写されている中国・ドイツ・フランス・ロシアの駐日大使達の間で長々と交わされている「他人の悪口」の数々などは、まさにその典型例とされるシロモノでしかないのですけど (>_<)。
 そもそも、この作中描写で集まっている国の大使達が、自国の歴史を全く顧みることなく、アメリカ・イギリス・日本を指して「国際世論を無視して暴走するのを何とか制止しないと世界は破滅する」と喚きたてるのは滑稽な話でしかありません。連中は他ならぬ自分達の国に「国際世論を無視して暴走」した前科が全くないとでも思っているのでしょうか?
 ドイツはかつてヒトラーの独裁政治の下、「国際世論を無視して」周辺諸国に対する侵略行為を行って第2次世界大戦を勃発させた挙句、自国に対しても他国に対しても多大の犠牲者と莫大な損害を与えるに至りました。
 フランスは1956年〜57年にかけての第2次中東戦争でイギリスと共にエジプトに出兵してスエズ運河を占領した結果、アジア・アフリカ諸国をはじめとする「国際世論の非難」を浴びていましたし、1995年〜96年には、核廃絶を訴える「国際世論の反対を押し切り」、南太平洋のムルロア環礁やファンガタウファ環礁などで実に6回にわたる核実験を強行しました。
 ロシアは旧ソ連時代に、数千万単位の自国民虐殺と数多くの他国への侵略行為を「国際世論も国内世論も全て無視して」行っていましたし、またソ連崩壊後もチェチェン共和国に侵攻して一時期「国際世論の非難」を受けていました。近年は一転して国際世論の支持が得られるようになっていますが、それはチェチェンの武装勢力がロシアに対して過激なテロ行為を何度も行って国際世論の非難を浴び、またアメリカの同時多発テロなどによってテロに対する目が世界的に厳しくなったためであって、別にロシアが道徳的に正しかったからなどではありません。
 そして中国もロシアと同様、「大躍進」や「文化大革命」に象徴される数千万単位の自国民虐殺や、チベット・満州への侵略や中越戦争などに見られる他国への侵略行為を「国際世論も国内世論も全て無視して」実行していますし、また1995年にはフランスと並んで地下核実験を行い、核廃絶を訴える「国際世論の非難」を浴びています。また現在でも言論・思想の自由が基本的に認められていない中国では、国内世論など中央政府の都合や意向によっていくらでも操作されるものでしかなく、民主主義を採用している先進諸国で定義されているような意味での国内世論など、事実上存在しないも同然です。
 件の4ヶ国が、自国におけるこれらの歴史的事実を棚に上げて「国際世論を無視して暴走」という理由で他国を非難したところで、そんなシロモノには何ら一貫性も説得力も見出すことはできないでしょう。こと「国際世論を無視して暴走している」という点では、ここでアメリカ・イギリス・日本を非難している4ヶ国もまた「同じ穴の狢」でしかありませんし、彼らの国が将来また同じ「過ち」を繰り返さないという保証などどこにも存在しないのですから。
 どうもここで登場している4ヶ国の大使達には、「自己客観視の視点」というものが根本的に欠如しているのではないでしょうか。この先でも展開されている彼らの会話の節々に、私はそれを感じずにはいられないのですが。


P110下段〜P111上段
<「武力行使とはよくいったものだ。宣戦布告なしに戦争をしかける、ということではないか」
「宣戦布告しない以上、国際法にさだめられた戦争ではない。したがって国際法を守る義務はない、という論法だ」
「アメリカは国際刑事裁判所の設置にも反対しとる。アメリカ軍の戦争犯罪を国際法廷でさばくことを拒否し、つまりは非戦闘員の大量虐殺も、捕虜の虐待も、国際法に束縛されず、やりたい放題いうわけや」
 大使たちの声に怒気があふれかけた。
「ただ、公正に見ればアメリカに戦争をしかけられる側も無辜ではありませんがね」
「ほほう、あなたは地上に無辜の国があるとでもいうのかね。一党独裁から、市場の閉鎖性にいたるまで、あの国のイチャモンをまぬがれうる国など存在せんよ」
「たとえば、イラクがイランに対して使用した化学兵器は、アメリカが売りつけたものだ。それにアメリカ軍はアフガンに侵攻したとき、ダムを破壊して一〇〇万人の国民から飲料水をうばい、水路には毒を流し、土壌を放射能で汚染した。これは人道的で民主的なことなのかね」
「私に尋くことじゃないでしょう。だいたい私は人道主義者じゃないのでね。君たちと同様に」>

 たとえばこれなども、連中がアメリカの悪口に熱中するあまり、自分達自身の国のことがまるで見えなくなっている好例ですね。先にも述べたように、口を極めてアメリカを罵っている4国もまた、過去に他国への侵略や民衆の虐殺などを積極的に行っている前科が存在するのですから、こと「人道的」だの「民主的」だの「国際世論の遵守」だのといった分野では、他ならぬ自分達自身ではっきりと認めているように、彼らもまたアメリカを声高に非難できるような立場にはないはずなのですがね〜。
 そして、アメリカが国際刑事裁判所(ICC)の設置に反対しているという話についても、フランスとドイツはともかく、中国とロシアの大使達にアメリカのことをとやかく言う資格は全くありません。なぜなら中国とロシアもまた、国際刑事裁判所設置条約(ローマ規定)を批准しておらず、アメリカと共に反対の意思を表明している国のひとつなのですから(笑)。アメリカの悪口を言うこと自体は別にかまわないのですけど、発言した瞬間にすぐさま自分自身に跳ね返ってくる「他人の悪口」というのは傍から見ていて非常に滑稽でしかないということが、あの大使達には理解できないのでしょうか?
 ちなみに国際刑事裁判所というのは、国際社会に影響を及ぼすジェノサイド・戦争犯罪・人道に対する罪などを犯した個人の責任を裁くことを目的に、様々な過程を経て2003年3月11日にオランダのハーグで正式発足した常設裁判所のことを指します。それまでは国際社会が放っておけないような個人による重大な人権侵害事件が発生する都度、国連の安全保障理事会が特別の国際刑事法廷を臨時に設置して裁判を行っていたのですが、安全保障理事会が紛糾したりすると裁判所が設置されないという弊害が存在することや、いちいち必要に応じて裁判所を設置していては金がかかりすぎる上に非効率的であることなどから、常設の裁判所が国際的に求められ、多くの国の賛同を得て設立に至ったわけです。
 このような国際刑事裁判所に対してアメリカが強い懸念を示している背景には、国連をはじめとする国際機関に対するアメリカの不信感があります。これは過去にアメリカが国連運営や国際平和維持活動予算の4分の1もの資金負担をしながら、自国の国益の観点からアメリカに反対する諸国の画策で決議や選挙で煮え湯をのまされたことが根っこにあるのですが、国際刑事裁判所の裁判官や検察官の選出が公正に行われるのか、そして選ばれた裁判官や検察官が反米感情の持ち主でアメリカに不利な判決を下す恐れがないかといった懸念が、アメリカとしては無視できない問題なわけです。
 世界の紛争や国連の平和維持活動などは、アメリカ軍がリードして進めなければならないケースがほとんどであり、それだけにアメリカ軍は現地の偶発的なトラブルに巻き込まれる危険性が大きく、悪意の訴追も受けやすいようになっているのです。しかも悪意の訴追による裁判の結果、厳しい判決でも下ろうものならば、他の将兵の士気に及ぼす影響は甚大であり、国民の怒りを買うのは必至です。アメリカにしてみれば、(たとえ他者から見れば独善的なところが垣間見られるにせよ)自分達こそが世界の紛争解決や平和維持活動に最も貢献しているという意識と誇りを持って仕事をしている時に「お前達は犯罪者だ!」と石を投げられれば、そりゃ不愉快にもなるでしょう。
 それにアメリカには、過去に極東国際軍事裁判(東京裁判)という恣意的かつ一方的な私刑裁判を開廷した前科もありますからね。この裁判が「罪刑法定主義」にも「法の不遡及原則」にも反した暗黒裁判であり、アメリカの日本隷属化計画と政治ショーの道具として利用されたシロモノに過ぎなかったことは、裁判を開廷した最高責任者であるマッカーサー自身や、判事に選出された各国の代表者ですら明言しているほどです。他ならぬアメリカ自身にあのような暗黒裁判を取り仕切った経験があるからこそ、アメリカは国際刑事裁判所の危険性や構造的欠陥もよく理解しているわけです(爆)。
 アメリカが超大国であるが故に抱える固有の問題や、国の利害や政治的思惑が絡んでくる裁判における客観的公正さと信頼性の問題。これらの問題を解決せずして、ただアメリカの自国至上主義的な態度を表層的に捉えて非難するだけでは短絡に過ぎると思うのですけどね〜。


P111下段〜P112上段
<「アメリカの現政権は戦争党が支配しているわけだが、永久にそれがつづくわけではない。それが我々にとっての希望だ。もうすこし、そう、ほんのもうすこし、常識と自制心を持った政権に登場してもらおうじゃないか」
「常識的な見解だね。まさに、問題は、西暦二〇〇〇年以降の大統領にある」
「アメリカ大統領の意思は、全キリスト教社会の意思ではないぞ。二〇〇三年のイラク侵攻に際しては、当時のローマ教皇とイギリス皇太子が公然と反対した。アメリカは、それらを全て押しきったのだ」
「それは異とするにたりませんな。アメリカ政府は、キリスト教徒ではない。キリスト教徒なら、右の頬を打たれたとき、左の頬を出すはずです」
「ほう、それは知らなかった」
 皮肉っぽくつぶやいたのは中国大使である。他のキリスト教国の大使たちは苦笑した。一九世紀から二〇世紀にかけて、彼らの国がやったことを思いおこしたのだ。>

 中国に関わることに対してだけは、「なぜか」突然思い出したかのように大使達の得手勝手な主張にツッコミが入る辺りが創竜伝ならではの「ご愛嬌」といったところですが、そういうツッコミを入れている中国大使が仕えている中国政府もまた、アメリカや「他のキリスト教国」に勝るとも劣らない虐殺や侵略行為や核実験などを強行している「常識と自制心が著しく欠落した戦争党」である点については誰もツッコミ返さないところも、創竜伝の本領発揮なんですよね〜(笑)。
 それに、アメリカのイラク戦争遂行に際して「当時のローマ教皇とイギリス皇太子が公然と反対した」という事実を提示することに一体何の意味があるというのでしょうか? 「アメリカは、それらを全て押しきったのだ」も何も、ローマ教皇だのイギリス皇太子だのといった「他国の人間」の意思表明にアメリカ政府が従わなければならない義務など、法的にも道義的にも全く存在しないのですし、そもそもローマ教皇やイギリス皇太子がイラク戦争反対の意思表明を行った「だけ」で、ただちに彼らの意見が「絶対的に正しく」、アメリカのイラク戦争遂行政策が「絶対的に間違っている」と決定するわけではないでしょう。これはただ単に「こういう立場の人達がアメリカの政策に反対の意思を表明している」という事実を提示しているだけのことでしかなく、アメリカのイラク戦争遂行政策の間違いを立証することはおろか、「アメリカの横暴さ」の証明にすら全くなっていないのです。
 第一、このような論法を使ってアメリカ批判を展開している大使達自身の国はどうだというのでしょうか? たとえば歴代のローマ教皇は、核兵器の廃絶と、世界各国で行われている核実験に対する反対の意思を公然と表明しており、特に前述のフランスの核実験が南太平洋にて強行されていた1996年1月には、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が「実効性ある国際的な管理下で、できるだけ早く核兵器の開発実験に終止符が打たれなければならない」という主旨の新年演説を行っているのですが、当時のフランスはそれでも核実験を強行しましたし、核保有国の中で、その演説に感銘を受けて「核兵器は全て廃絶する」「核実験は今後一切永久に停止する」と世界に向けて誓約した国は1国たりとも存在しませんでした。この事例を件の大使達が展開していたアメリカ批判の論法に当てはめれば、ドイツ以外の3ヶ国の大使達もまた、アメリカと同様の「過ち」を犯していることになるわけで、まさにこういうのを一般的には「墓穴を掘る」と言うのではないですかね(笑)。
 ところで、この論法はどうも最近の田中芳樹のお気に入り論述手法でもあるらしく、アメリカのアフガニスタン侵攻の際にも、「イギリス病のすすめ」の文庫版あとがきで、他ならぬ田中芳樹自身がこの論法を得意気になって披露している箇所が存在します↓

イギリス病のすすめ・文庫版あとがき P237
<どうせキリスト教文明の指導者に拝謁するなら、ローマ教皇にしてみたらいかがでしょう。カザフスタンを訪問した教皇ヨハネ・パウロ二世は、「宗教を戦争の口実にしてはいけない」と語りました。歴史から学んだ人の言葉は重いものです。でも日本のマスコミのあつかいはいちじるしく小さかったですね。>

 しかし、田中芳樹の大好きな「民主主義真理教」の論法でいくならば、たかがひとりの、それも所詮は政治的な実権を持たない「非民主主義的」かつ「宗教的・排他的な」ローマ教皇やイギリス皇太子ごときの発言などよりも、一応民主主義的な手続きに沿って「イラク戦争遂行」を決定したアメリカやイギリスの議会や政府の意思の方がはるかに尊重されるべきものなのではないのですかね? 偉大なる民主主義を心から信奉しているであろう田中芳樹御大ともあろうものが、何故「非民主主義的」かつ「宗教的・排他的な」ひとりの人間の発言が正しいという「牛種的な考え方」をもって「民主主義的手続きに沿って決定されたアメリカの政策」を非難しているのか、私は非常に理解に苦しむのですが(笑)。
 それと田中センセイにひとつ忠告なのですけど、小説中の地の文やキャラクターの主張に、あのような対談・評論本で掲載されている自分自身の主張を混ぜ合わせてしまうと、「フィクションだから許される」だの「これはあくまでも小説中のキャラクターが勝手にほざいているタワゴトの類であって、作者自身の本心ではない」だのといった「手垢のついた詭弁」の類すら全く通用しなくなってしまうので、作品の品質向上と自己保身のためにも、この手の手法はいいかげんに止めた方が良いのではないでしょうか(笑)。まあ実際のところ、もうすでに「手遅れ」な段階に達しているとは思いますし、田中センセイがあくまで「俺は最初から個人的なストレス解消のために創竜伝や薬師寺シリーズを書いているんだ!」と開き直られるのであれば、私の忠告など非常に野暮な話でしかないのかもしれませんけどね(爆)。


P112上段〜下段
<「日本も日本だ。まともな議論には参加せず、裏でこそこそ工作する。経済援助をちらつかせて、ボスのいうことをきくよう強要する。当時の日本政府のやりかたは、とうてい誇りある人間のおこないではなかった」
「まあ私は日本には多少、同情しているのですよ。ボスに見放されたら、世界中に友達などひとりもいない。そう日本の政治家が公言していましたからな。ボスのいうことをきくしかないのです」
「そんなことを公言すること自体が、誇りある人間のおこないではないというのだよ」
「まあまあ、それよりもアメリカは、この何年かの失敗つづきで、すこしはこりたのかな」
 そう問われたフランス大使は、洗練された微笑を口もとにたたえた。
「さあてね、猿なら二度ぐらい失敗すればこりると思いますが、アメリカは猿じゃありませんからな。いやいや、失礼な比喩を持ち出してしまったようです」
 誰に対して失礼なのだ。ドイツ大使も中国大使もロシア大使も同じ質問を胸中で発したが、声には出さない。皮肉とも自嘲ともつかない笑声がやむと、彼らはひとりずつ安楽椅子から立ちあがり、ドアへと歩んだ。>

 ここで挙げられている「日本の裏工作や経済援助」云々の話がもし本当なのであれば、むしろ逆に今の日本政府を手放しで絶賛しても良いとすら私は考えるくらいなのですけどね。それは日本が国としてきちんと自国の国益を考え、努力していることを意味するわけなのですから。もちろん現実には、日本ほど経済援助を積極的に行っているにもかかわらず、自己主張が少ない国もないのですがね。
 特に中国などは、日中友好条約でとっくに解決済みになっているはずの「日本の戦争責任」というお題目をいつまでも蒸し返し、日本に対して居丈高に謝罪と賠償を求め続けた挙句、日本が中国に対して行った政府開発援助(ODA)を使って自国の軍備増強や民間ビジネスや他国への経済援助(!)を行っているような「恥知らず」な国ときています。しかも中国国民は「日本が中国に経済援助している」という事実すら自国の政府から全くと言って良いほど知らされておらず、さらに中国政府高官の中には「ODAは日本が当然払うべき戦時賠償の代替」などと公然と語る人間までいるというのですから、これなどはまさに「恩知らず」以外の何物でもないわけで、日本ももう少し中国に対して強硬な態度に出ても良いのではないかとさえ思うのですけどね。
 そもそも、国家が行う経済援助というのは、多かれ少なかれ自国の国益に繋がるからこそ行われるものなのであって、そんな「当たり前」のことをわざわざ強調することに一体何の意味が存在するというのでしょうか? まさか、4ヶ国の大使達の国が「相手国に対して一切の感謝も見返りも求めることのない、100%完全無欠な慈善事業として他国への経済援助を行っている」というわけでもないでしょうに(笑)。


 さて、今まで述べてきたように、創竜伝本筋のストーリーの流れとは何の関係もなく挿入されている、中国・ドイツ・フランス・ロシア4ヶ国の駐日大使の間で交わされている「アメリカと日本に対する悪口」の数々は、そのほとんどが多かれ少なかれ自分達自身に跳ね返ってくるような非常にマヌケなシロモノでしかないわけなのですが、何故このような醜悪かつ滑稽な構図が生じるかと言うと、その原因は全て、一連の会話の中に「悪口を言う方も言われる方も【国益を追求する国家】という点では本質的に同じである」という認識が根本的に欠落しているところにあるんですよね。
 歴史的に「国家」という政治システムが人類社会に登場した時から、国家が国益を追求するのは当然のこととして認められています。そして、国益を追求する国家同士が何らかの理由で衝突した時、国家間同士の対立が生じ、場合によっては「武力による戦争」にまで至ることがあるのもまた、これまでの人類史において何千回以上も繰り返されてきた「政治の世界の常識」です。もちろん「何が自国にとっての国益であるのか」については、その時々の状況で、また人によっても、様々な定義や解釈が導き出されて議論百出するわけなのですが、どのような事項が「国益」と定義されるにせよ、その国益の実現が国にとって利益になると判断されるからこそ、国家は様々な政策や戦略を立案し、場合によっては戦争を起こし、多大な犠牲を払ってでも、国益を追求しようとするのですし、またそれこそが国家として当然の責務と責任であるとされるのです。
 そして、件の4ヶ国の大使達が並べていた「アメリカと日本に対する悪口」の数々も、蓋を開けてみれば、結局のところ、アメリカと日本の「自国の国益追求のための諸政策」が「2国の悪口を並べている国々の国益」には合致しないという、ただそれだけのことでしかないのです。イラク戦争を遂行したアメリカを「独善的」「強権的」と罵る国にしたところで、結局はアメリカと同じか、あるいはそれ以上にエゴイスティックな理由で反対を表明していたに過ぎないのですから。
 イラク戦争の際、フランス・ロシア・中国がアメリカに反対していた真の理由は、この3国がイラク国内に石油利権を確保していたことにあるのです。湾岸戦争後、イラクはフランス・ロシア・中国・マレーシアなどにイラク国内の石油開発権を与えることで、経済制裁の苦境を脱しようと画策していました。その中でも特に大口の契約を取っていたのが、フランスのトータル・フィナ・エルフ社と、ルクオイル社をはじめとするロシア系の石油会社群で、前者は推定総埋蔵量260億バレルと言われるイラク南部のマジヌーン油田とビン・ウマール油田、後者は推定埋蔵量150億バレルとされる西クルナ油田他、大小6箇所の油田の開発権を、それぞれ手中に収めていたのです。また中国も、CNPC社がイラク油田開発プロジェクトに参画しており、この3国がフセイン政権下のイラクと深い利害関係にあったことが分かります。
 またそれとは別に、フランス・ロシア・中国はイラクへ大量の武器輸出を行っていたトップ3でもあり、特にフランスとロシアは1980年代のイラン・イラク戦争時における武器輸出で巨額の債権を獲得していました。その債権の総額は、フランスとロシアでそれぞれ数十億ドル以上にも達すると言われており、まさに四人姉妹的「死の商人」と呼ぶにふさわしい「活躍」ぶりを見せていたのです。すくなくとも、イラクに対して以上のような経歴を持つこの3国に、アメリカを「平和的」ないしは「人道的」な観点から非難する資格などないでしょう。
 上記3国がアメリカのイラク戦争遂行に反対していたのも、全ては今までに述べた石油利権やイラク債権を失いたくなかったからです。アメリカとイギリス主導のイラク攻撃でフセイン政権が打倒され、新政権が樹立されれば、上記3国は美味い汁を吸わせてくれる「お得意様」を失うと同時に、今まで自分達が営々と築き上げてきたイラク国内における石油利権とイラク債権の全てを棒引きされてしまうことにもなりかねなかったからこそ、あれだけ強硬にアメリカに対して反対の意思を表明していたわけです。
 では唯一、上記で名前が挙がっていなかったドイツはどうなのかというと、この国の場合は、単に伝統的な平和主義の影響が根強い国内世論や与党内の意見に迎合しなければ選挙に勝てないという事情から、選挙対策の一環としてイラク戦争反対を唱えていただけでしかないのです。しかもドイツの平和主義には別にこれといった一貫性があるわけでもなく、イラク戦争と同様に国連安保理の決議が行われなかったコソボ紛争の際には、NATO軍の一員としてアメリカと共にセルビア空爆に参加していますし、またイラクに対しても、クルド人抹殺に大量使用されたと言われる毒ガスの製造に必要な設備や化学薬品などを積極的に輸出したりしていたのです。要するに、自国のエゴイスティックな御都合主義に基づいて行動しているという点では、ドイツもまたアメリカや他の3国と変わるところがないわけです。
 所詮は国同士のエゴイスティックな国益がぶつかり合い、常に不協和音を奏で続けている国際社会に、100%天然素材の理想主義に立脚した普遍的な正義など存在しえないのです。にもかかわらず、国際政治を語る際に、わざわざ「人道的」だの「民主的」だの「国際世論の遵守」だの「ローマ教皇とイギリス皇太子」だの「誇りある人間の行い」だのといった「筋違いな評価基準」を持ち出して日本やアメリカを罵倒しようとするから、「筋違いな評価基準」に基づいた「筋違いな罵倒論法」が、大使達の仕えている国が過去に行っていた「自国の国益追求のための諸政策」にそっくりそのまま跳ね返ってくるという、非常に滑稽な構図が発生するわけです。
 何故そのような「筋違いな評価基準」に基づいた「筋違いな罵倒論法」を、件の4ヶ国の大使達が口にしているのか? その疑問については、もうすでに解答は出ているも同然でしょう。それらの「筋違いな罵倒論法」は作者である田中芳樹自身の主張なのであり、創竜伝の作中に登場している4ヶ国の大使達は「田中芳樹のマリオネット」として「筋違いな罵倒論法」を意味もなく喋らされているわけです。何度も繰り返しているように、4ヶ国の大使達の会話シーンは、創竜伝本筋のストーリーの流れとは何の関係もなく挿入されているシロモノでしかないのですし、大使達の会話文章の中に、他ならぬ田中芳樹自身が「イギリス病のすすめ」文庫版あとがきで展開していた論法と同種の内容のものまで含まれているのですからまず間違いないでしょう。
 もちろん、そんなものに「最大のエンターテイメント」たる「他人の悪口」としての価値など全く存在しないばかりか、創竜伝という作品の品質をより一層低下させる有害無益なシロモノでしかないことなど、誰の目にも明らかなのですけどね。創竜伝1巻から13巻まで、実に16年近くもの間ずっと同じことを何度もしつこく繰り返した挙句、自分の作品と名声を自分でひたすら貶め続けているというのに、田中芳樹は「懲りる」ということを知らないのでしょうか(笑)。


 ところで、今まで述べてきたことから、私は件の4ヶ国の大使達が交わしている会話内容のほとんどを非常に醜悪かつ滑稽極まりないバカバカしいシロモノとしか見ていないわけなのですが、ただ1箇所だけ、個人的に異論の余地なく全面的に賛同できる会話描写があったんですよね。
 それはこれのことなんですけど↓

<「まあ私は日本には多少、同情しているのですよ。ボスに見放されたら、世界中に友達などひとりもいない。そう日本の政治家が公言していましたからな。ボスのいうことをきくしかないのです」
「そんなことを公言すること自体が、誇りある人間のおこないではないというのだよ」>

 いや〜、非常にスバラシイ発言とは思いませんか? 「日本に対する同情」云々の話は4ヶ国の大使達の希望的観測に満ちた誇大妄想ということで片付けておくとして、「ボスに見放されたら、世界中に友達などひとりもいない」と「公言すること自体が、誇りある人間のおこないではない」のだそうですよ。
 となると、過去に以下のようなタワゴトを公然とほざいていたような連中は、当然のことながら「誇りある人間」ではないし、その行為もまた「誇りある人間のおこないではない」と評されることになるのですね↓

創竜伝2巻 P169下段〜P170上段
<「四人姉妹の政治力、財力と、あなたがた兄弟の力とを化合させれば、恐れるものは何もないはずよ。もっとも、すでにわたしは、四人姉妹の最高意思以外、何も恐れてはいないけどね。これから、祖母と母を捨てた日本を、苦境に追いこみ、日本人から富をしぼりあげてやるための日々がはじまるのだわ」
「他の人にも言ったことがありますけどね、日本が滅びるのは、いっこうにかまいません。むしろ滅んだほうが、他の多くの国のためかもしれませんけどね」
 続の声が、一段とそっけなさを増した。>

創竜伝3巻 P140下段
<そして一方では、際限のない軍事大国化がある。一九八八年、アメリ力の下院において、国務省高官が「日本の軍事予算は、フランス、イギリス、西ドイツを一挙に抜き去って世界第三位となった」と証言した。同年七月のワシントン・ポスト紙は、「戦争放棄をうたった憲法を無視して、日本は世界最大級の軍事大国のひとつとなった」と論評した。インドネシアの大統領は、日本の防衛庁長官に、「軍事力で勝つような時代ではない」と忠告した。かつてアメリ力国務長官をつとめたキッシンジャーは「米ソ両国はおたがいだけを見ているが、日本というあらたな軍事大国が出現しつつあることを忘れぬほうがよい」と述べた。世界じゅうの国々が警戒を強めつつある。知らないのは当の日本人だけである。>

創竜伝6巻 P174下段〜P175上段
<1989年末の歴史的な米ソ首脳会議で当時のアメリカ大統領がソビエト共産党書記長に対し、「私は日本の首相を全く信用しない。彼らは約束を守った事がない。日本人全体がそうなのか、政治家だけがそうなのか‥‥」と語ったのは有名な話である。
「おごれる者久しからず」
 そう平家物語に評された平清盛の栄華は、保元の乱の勝利から彼自身の死まで、二五年間である。豊臣秀吉の天下は、織田信長の死から秀吉自身の死まで、一六年間にすぎない。日本の繁栄は、一九六四年の東京オリンピック以来、三〇年をこす。その間、世界の富をかき集め、外国の土地や会社を買いあさり、東南アジアの熱帯雨林を丸坊主にし、鑑賞のためでなく投機のために美術品をかき集めた。
「日本の政治は四流だが経済と技術は世界一だ」という評判も得た。「日本人は繁栄のためなら不正や腐敗など平気な国民だ」と評したのはドイツの新聞であり、「日本人は犯罪者に統治される事をなんとも思わない」と評したのはアメリカの雑誌である。
 もう十分過ぎるほど、日本は繁栄をきわめたかに見える。>

創竜伝7巻 P123上段〜下段
<「……長兄たる者、楽じゃないのう」
 黄老は白髯のなかで微笑した。
「生まれ育った日本を捨てることになっても、知るべきことは知らねばならぬ、か」
「別に日本は惜しくないです」
 辛辣な台詞は次男坊続のものである。
「だが日本は繁栄しているのだろう? 世界一といわれるほどに」
「その繁栄とやらは、ギャング級並のモラルしか持たない財界指導者とやらが、法も倫理も、サラリーマンの権利も消費者の幸福も、すべて無視して、外見だけはでに飾りたてた砂のお城ですよ」
「ほう、手きびしいのう」
 黄老は笑った。
「すると、こうは思わんのかね。日本はアメリカのいうなりになるのをやめて、独自の道を歩むべきだ、とは」
「日本がアメリカと対決して独自の道を歩むと喚いたところで、どこの国が応援してくれるというんです?」
 続の声は、氷点のはるか下にある。
「アメリカを敵にまわすことになっても日本との友情に殉じる。そういってくれる国が地球上のどこにあるというんですか」
「ざまあみろ、ひどい目にあうがいい、と手をたたいて喜ぶ国なら五〇ぐらい心あたりがあるがな」
 辛辣な台詞を、悠然たる口調で黄老はいってのけた。>

創竜伝8巻 P175下段
<瑤姫は呼吸をととのえた。
「それにしたって、食糧も石油も自給できるわけじゃないし、保護貿易をやられても日本はこまるわけでしょ。他国と仲よくしなきゃ生きていけないくせに、友だちをへらすようなことばかりいうのはどういうわけかしらね」
「友だちなんてもともといませんよ」
 そう続はいったが、これはいささか身も蓋もなさすぎる意見だった。
「仙界の住人だって、そうえらそうにお説教できる柄じゃないけどね。日本人って、秀才自慢の割には外交と戦略のセンスがなさすぎるんじゃないかしら」
「いいかえれば向上の余地が大いにあるってことだ。有権者としてはそれに期待するよ。先は長いんだ」
「長ければいいんですけどね」>

 ……なるほど、確かに連中の愚かしい発言の数々は「誇りある人間のおこない」とは到底言えたものではありませんね(笑)。地の文や主人公クラスの発言が全面肯定的に扱われるはずの創竜伝で、あのような自己否定に繋がる会話が、それも当然のような論調で描かれているとは、どうやら上記発言を行っていた方々(地の文を書いた作者含む)は、とうとう「創竜伝」という作品そのものにすら見捨てられてしまったようです(爆)。
 過去の発言を何ら省みることも総括することもなく、ストーリー設定に合わないその場凌ぎでデタラメな社会評論などを開陳すれば、かくのごとく無様な醜態を晒すことになる。こんなことは、本来ならば私などが何度も繰り返し強調する必要もない「作家が持たなければならない基礎認識レベルの心得」程度のことでしかないはずなのですけどね。サルでも2度くらい失敗すればいいかげんに懲りると思うのですけど、田中芳樹はサルではないということなのでしょうか(笑)。いやいや、「サルに対して」大変失礼な比喩を持ち出してしまったようで申し訳ないのですが(爆)。



P123下段〜P124上段
<「あー、もうヤッカイなオッサンだな!」
 思わず終が声を大きくすると、前首相が床の上で目を開き、せきこんだ。トビマロとは何かわからないが、自分の利害安否がからんでいることは理解できたのだ。
「ゴホゴホ、うう、苦しい……」
「兄さん、相手は病人だから」
「うー、わかってる、わかってるってば」
 かつて長兄の始は、「テーマパーク内の客を無差別に殺戮する」という敵の脅迫を、冷然としりぞけたことがある。それも相手がまだ人質をとっていなかったからで、今回のほうがはるかに始末が悪い。>

 すいませんが竜堂始くん、アナタハナニヲイッテイルノデスカ?
 過去にキミが「『テーマパーク内の客を無差別に殺戮する』という敵の脅迫」とやらを「冷然としりぞけた」理由は「相手がまだ人質をとっていなかったから」などではなかったでしょう。竜堂始は以下のような敵との話し合いの末、「敵の脅迫」を「冷然としりぞけ」るに至ったのではありませんか↓

創竜伝2巻 P17下段〜P19下段
<ラビットマンは、赤い目でじろりと続を見たが、交渉相手は長兄のほうと決めているらしく、すぐに視線を始に戻した。
「さて、ここには八万人の老若男女がいる。何の罪もない善良な市民たちだ。彼らを騒動に巻きこみ、被害を与えることになったら、君たちの良心は、さぞ痛むんじゃないのかね」
 なお返事をしない始を見やって、ラビットマンは、悦に入った笑声をたてた。
「そう思ったら、さっさと吾々といっしょに来てもらおうか。でないと、八万人の安全は保証できんぞ」
 ここでようやく始が返答した。
「あいにくと、ぜんぜん思わないね」
「なに……?」
「巻きこむのは、あんたたちだ。おれたちじゃない。残酷で卑劣で恥知らずなのは、あんたたちであって、おれたちじゃない。何人が巻きこまれようが、それはあんたたちの責任であって、おれたちの知ったことじゃない」
 言い終えると、さっさときびすを返しかける始だった。
「ま、待て!」
 狼狽して、ラビットマンの声が高くなる。
「八万人のお客がどうなってもいいというんだな」
「自分に尋けよ。おれたちが返事する筋合じゃない」
 言い放ってから、始は、長剣をみがく騎士のような笑いを浮かべた。
「もっとも、八万人ぜんぶ殺せると思うなよ。その前に、お前さんを再起不能にしてやるからな。何をやるのもご自由だが、つけは払わなきゃならんだろうぜ」
 ラビットマンの声が、一転して低くなった。
「よし、よく言った……」
 相手に責任を負わせようとする、ラビットマンの卑劣な詭弁は、始の豪毅さによって、みじめに粉砕されてしまったのである。始の知性なり理性なりが骨太であるのは、ラビットマンのようなえせ論理にけっして迷わされないことだ。
 もともと、始は、自分が正義の味方だなどとは思っていない。正義の味方というものは、しばしば、自分が全能であるように思いこむ、あらゆる悪を防ぎとめ、すべての人を救うのが自分の責任であり、自分にはその力が具わっていると信じているようである。あいにくと、始は、他人の悪辣さや卑劣さを、自分の罪として背負いこむ気は、まったくなかった。ラビットマンの罪は、ラビットマンがつぐなうべきであるはずだった。
 ベアマンやピエロが、ラビットマンの表情をうかがった。命令を待っているようすで、手をもじつかせる。だぶついた衣服の下に凶器が隠されているのは明らかだった。
「かわいげのない青二才どもが……」
 ラビットマンの赤い目が、にせもののルビーのような光りかたをした。肉食の巨大な兎がいるとすれば、まさにそれだった。
「いいか、後悔するなよ。死者が出たあとで悔やんでも遅いぞ」
 すでに破産した脅迫の台詞を、ラビットマンはふたたび口にした。それが合図だった。>

 ……で、この作中描写のどこをどう読むと、「相手がまだ人質をとっていなかったから敵の脅迫を冷然と退けることができた」などという、無から有を生み出すような珍解釈を導き出すことができるのですかね? この作中描写をどう読んでみても、件の竜堂始は、「自分達と無関係な8万人の老若男女が自分達の騒動に巻き込まれた結果、どれだけの犠牲が生じようが、その責任は全て自分達に対して攻撃を仕掛けてきた側にあるのであって、俺達の知ったことではないし、自分達が罪を背負い込む必要も責任もない」という理由で「敵の脅迫」を「冷然と退けている」ようにしか見えないのですけど。
 もちろん、創竜伝2巻で竜堂始が敵に対して提示している理由では、「相手が人質を取っているのか否か」という点など何ら問題にはなりません。いやそれどころか、敵側が「八万人の安全は保証できんぞ」「八万人のお客がどうなってもいいというんだな」とまで言い切っているのに対して「おれたちの知ったことじゃない」とこれ以上ないほど明確に切り返しているのですから、竜堂始は「自分達と無関係な8万人の老若男女」が「敵の犠牲になること」をも前提かつ考慮に入れた上で、事実上「俺達相手に関係のない人間を人質に取っても犠牲にしても無駄だ」とはっきり公言しているも同然なわけです。そして、竜堂始が威勢良く啖呵を切って「敵の脅迫を冷然と退けた」その主張が、ハッタリでも何でもない竜堂始の本心であったことは、竜堂始の考え方が「地の文として」詳細に語られている記述があるのを見ても一目瞭然ではありませんか。
 第一、「テーマパーク」ことフェアリーランドで竜堂始が「敵の脅迫」を受けていた時点で、どうやって「相手がまだ人質をとっていなかった」などという事実が竜堂始に分かるというのでしょうか? 竜堂始を脅迫している敵は「八万人の安全は保証できんぞ」「八万人のお客がどうなってもいいというんだな」とまで公言しているのですし、この時点では、敵側が遠隔操作可能な爆弾なり毒ガス兵器なりをフェアリーランドのどこかに仕掛けて大規模な大量殺戮を謀っているという可能性も完全に否定できる要素ではなかったでしょう。また、仮にこの時点で敵側がその手の「隠し玉」を持っていないことが事前に判明していたとしても、敵側が公言するように8万人の客が竜堂兄弟との騒動に巻き込まれる過程で、敵側が竜堂兄弟の攻撃から身を守るための「壁」や「盾」として無関係な客を利用したり、自分達の通行の妨害となる客に対して危害や暴行を加えたりする可能性だって存在するのです。このような未知の要素と未来の可能性について考慮してみれば、すくなくとも「相手がまだ人質をとっていなかった」という理由では、あの時点で「敵の脅迫を冷然と退ける」ことが事実上不可能であったことは明白でしょう。
 そして、創竜伝2巻におけるその後の竜堂兄弟の行動もまた、まさに「自分達と関係のない人間にどれだけの犠牲が生じようが、俺達の知ったことではない」を地で行ったとしか評しようがないものでした。フェアリーランドでは、敵に向かって言い放った宣告通り、赤の他人をも巻き込んだ大騒動を繰り広げていましたし、その後の東京港連絡橋やビッグボウル、それに東京都庁の破壊などでも、竜堂兄弟が引き起こした騒動に少なからぬ赤の他人が巻き込まれて、重軽傷を負ったり器物損壊などの被害を受けたり、場合によっては不慮の死を遂げたりしているはずでしょう。もちろん、そのことについて連中が悔いている様子は全く窺えませんし、あれだけの破壊活動を展開していながら、自分達と無関係な人間をひとりたりとも犠牲にしていないなどということも考えられません。これから考えても、創竜伝13巻における竜堂始の回想描写と実際の該当シーンとの間には、非常に大きな断絶が存在すると言わざるをえないのです。
 ちなみに、創竜伝2巻のフェアリーランドにおける騒動が勃発したのは創竜伝時間の7月22日、創竜伝13巻から遡ること3ヶ月と数日ほど前の話でしかないのですけど、あれほどまでに記憶に鮮明に残るであろう出来事で他ならぬ自分自身が考えていたことさえも忘れてしまうとは、どうやらここにも新たなるアルツハイマー型老人性痴呆症の重症患者が誕生したようです(笑)。それとも竜堂始は、何もかも全て承知の上で、意図的かつ確信犯的に自己の記憶を捻じ曲げている「誇大妄想狂の歴史改竄論者」と評価するのが妥当なところなのでしょうか(爆)。何しろ、四人姉妹の「染血の夢」計画に対して「反対のための反対」を繰り広げるほどに「3流ヒューマニズムの信奉者」である今の竜堂兄弟にとっては、過去「自分達と関係のない人間にどれだけの犠牲が生じようが、俺達の知ったことではない」と主張していた「忌まわしき歴史の記憶」など、全否定の対象でしかないでしょうからね〜(>_<)。
 まあ私個人としては、どちらの評価でも一向にかまわないと思いますので、「アルツハイマー型老人性痴呆症の重症患者」か「誇大妄想狂の歴史改竄論者」か、どちらか好きな呼ばれようを選んで下さい、竜堂始くん(笑)。



P125上段〜下段
<竜堂続が三人組の傍に歩み寄った。
「蜃海さん、以前、何かの本で読んだことがありますけど、日本の首都は東京だと法律で決まっているわけではないんですね?」
「うん、たしかに、東京を首都とする、という法律も勅令も出たことはない。それが歴史上の事実だ。西暦七九四年に平安京に遷都したときの勅令が、無効を宣言されたこともない」
「ということは、法律上、日本の首都はまだ京都なんですね」
「現実を無視して法にこだわれば、そういうことになる」
 蜃海がそういうと、続は微笑した。華麗と不敵と邪悪の三者をたして二で割ったような微笑だ。
「現実は、これから変えるんです」
 立ち去る続の背中を、やや茫然と蜃海は見送った。>

 アルツハイマー型老人性痴呆症の病状が加速度的に悪化している法律違反の常習犯達が、いくらその中身の足りない頭を捻りながら「知ったかぶりの法律論」を得意気に語ったところで、そんなシロモノに何ら有益な価値などありはしないのですよ、御二方。キミ達の愚劣極まりない「知ったかぶりの法律論」は、純粋に法律論としても杜撰であるだけでなく、自分達が「東京の政府」とやらに反旗を翻すための政治的正当性の担保にすら全くなっていないのですけどね。
 まず「西暦七九四年に平安京に遷都したときの勅令が、無効を宣言されたこともない」という認識そのものがすでに間違っています。794年の桓武天皇による平安遷都の詔勅は、1868年(慶応4年/明治元年)7月18日に明治天皇が出された「東京奠都ノ詔」によって更新され、名実共に無効となっているのです。「奠都(てんと)」とは「都を定める・建設する」ことを意味する言葉であり、この「東京奠都ノ詔」には、「江戸」を「万機を親政する天皇が居住する『東の京』」という意味を持つ「東京」に改称し、「西の京(京都)」と同等同格の首都とすることが書かれています。これは厳密には「京都・東京を共に日本の首都とする【二都並立】」を定めたものであり、「京都から東京への【遷都】」とは言えないのですが、すくなくともここから「東京は首都ではない」「京都【だけ】が日本の首都である」という論は全く成立しえないのです。
 その後、明治政府の中では「京都ではなく東京の方をこそ重視するべきである」という意見が次第に強くなっていきます。そして1868年9月20日、明治天皇による東京行幸が実施され、そして天皇が東京に到着された同年10月13日には、「江戸城」が「東京城」に改称され皇居と定められます。この時は京都に対する配慮などもあって、天皇は一旦京都に帰還されることになったのですが、翌1869年(明治2年)3月7日には再び東京行幸が行われ、天皇が東京に到着された同年3月28日、「東京城」が「皇城」へと改称されるのです。
 この「江戸城」が「東京城」を経て「皇城」と改称されたことにも極めて重大な政治的意味があります。「皇居」であれば、それは「天皇がお住まいになる空間」という意味を持つ言葉なので、行在所(臨時の皇居)も含めれば日本に何ヶ所あってもかまわないものなのですが、「皇城」とは「皇居」だけでなく、天皇の下で政治を行う政治家・有司(官僚)が集う官公庁の集合体が存在することをも表現しています。つまり、「江戸城」から「皇城」までに至る改称の流れは、東京が事実上「政治中枢の首都」として定められたことを意味するのです。先の「東京奠都ノ詔」と併せ、慣習法的にはこれをもって事実上の遷都宣言とみなすことができるでしょう。
 また、「東京」を日本の首都と認める天皇の詔勅としては、「東京奠都ノ詔」以外にも、1923年(大正12年)9月12日に当時の摂政裕仁親王(後の昭和天皇)の名において出された「関東大震災直後ノ詔書」というものが存在します。この詔書の中には、「東京ハ帝国ノ首都ニシテ政治経済ノ枢軸トナリ国民文化ノ源泉ナリ一般ノ瞻仰スル所ナリ」という一文があるのですが、まさにこの文章こそ、日本の天皇が「東京」に対して「日本の首都」としての正当性を「公式の詔勅」で自らお与えになられたことを意味する一文なのです。これによって「東京」は、明治天皇の「遷都の詔勅」という正当性がなくても、同じ皇位を受け継ぐ天皇から「首都」としての政治的正当性が与えられたことになるため、「京都首都論」の法的根拠は名実共に消えて無くなるのです。
 さらには日本の法律の中にも、「東京」を明確に「日本の首都」と定義している法律は存在するのです。1950年(昭和25年)6月28日に公布された「首都建設法」の第1条には「この法律は、東京都を新しく我が平和国家の首都として十分にその政治、経済、文化等についての機能を発揮し得るよう計画し、建設することを目的とする」と書かれており、その「首都建設法」を改正して1956年(昭和31年)6月9日から施行された「首都圏整備法」の第2条にも「この法律で『首都圏』とは、東京都の区域及び政令で定めるその周辺の地域を一体とした広域をいう」という、非常に明確な「首都の定義」が定められています。竜堂続と蜃海三郎の言動とは反対に、法律的にも「東京」はすでに首都として証明済みなのです。
 そして、「東京」が日本の首都として定められている証明の極めつけは、1990年(平成2年)11月7日に衆議院において可決された「国会等の移転に関する決議」です。その文中にはこれ以上ないほど明確に「首都東京」と記載されており、「首都東京」を前提とした「首都機能移転」に関する報告などがまとめられています。「民主主義的手続き」に沿った選挙によって国民から選出された国会議員が「首都東京」を認めているのですから、田中芳樹や竜堂兄弟一派のお歴々がこよなく愛しているであろう「民主主義真理教」の論理から言っても、日本の首都は名実共に「東京」であると考えるべきでしょう。
 以上のように、日本の慣習から言っても法律論的に見ても民主主義的手続きから考えても、日本の首都は「東京」であって「京都」ではありえないのです。「法律上、日本の首都はまだ京都なんですね」「現実を無視して法にこだわれば、そういうことになる」などという見当外れかつ間違いだらけな会話を交わしているあの2人がいかに無様なマヌケぶりを晒しているか、分かろうというものではありませんか(笑)。


 ところで竜堂兄弟と3バカトリオのお歴々は、「現実を無視して法にこだわれば……」という論法を使えば、中央政府に反旗を翻す自分達の行為を正当化できると考えて「京都首都論」なるロクでもない紛い物をでっち上げたようなのですが、その前提自体が実は「自分達でも正しいとは全く信じていない嘘論法」であることを自白する会話が、件の「京都首都論」を語った何とわずか1ページ後に、他ならぬ竜堂兄弟自身の手によって暴露されています↓

P126上段〜下段
<「国をあげての幻想から解放され、適当なところで落ち着いて、平和な小国として生きていけるなら、政府が幕府に変わっても別にかまわんよなあ」
 虹川の声に、水地と蜃海がうなずく、一〇歩ほど離れたサロンの一隅では、竜堂家の長男が次男に苦言を呈していた。
「あんまり調子づかせるなよ。りっぱに内乱罪だぞ」
「内乱罪をおそれるような小早川奈津子ではありませんよ」
「何でお前が胸を張るんだ」
「いや、ま、オモチャはこわれにくいほうがいいじゃありませんか。あの怪女に思う存分、腕力をふるってもらいましょう。このままおとなしくしていたって、どうせ政府のほうで、放っておいてくれませんよ」
 続のいうことは正しい。もともと平和に暮らしていた竜堂家の生活権を、一方的に侵害し、テロリストとして追いまわし、家へ帰れなくしたのは、日本国の政府であり、背後にひかえた暗黒の勢力であった。>

 「語るに落ちた」とはまさにこのことでしょう。本当に「現実を無視して法にこだわる」といった論法を使うのであれば、「京都首都論」が法律上保証されているか否かの問題以前に、日本の刑法第77条に「明確な規定が存在する」内乱罪に違反するなど言語道断であるはずではありませんか。何故「現実を無視して法にこだわる」が「京都首都論」には適用されて「内乱罪」には適用されないのですか? いくら自分達の論理が破綻しているからとはいえ、こんなにも早く「自殺点」を出してしまうことはないでしょうに(笑)。
 さらに言えば、今後「京都幕府」とやらの「反中央政府活動」が活発になればなるほど、「内乱罪」以外の「明確な規定が存在する」罪状の数々もまた、竜堂兄弟一派や小早川奈津子の犯罪履歴に追加で大量に書き記されていくことになるでしょうし、連中が錦の御旗として掲げる「京都幕府」に対して「破壊活動防止法」が適用されることも考えられます。いくら連中が「幕府」だの「征夷大将軍」だのと自称したところで、その実態は、かつてオウム真理教が「科学技術省」だの「厚生省」だのといった省庁制を教団内部で導入して疑似国家の体裁を取っていたのと、本質的には何ら変わるところがないのですしね(爆)。そして、そのようなオウム真理教が、大多数の政治家や国民からどのような目で見られていたのかについては、もう今更いちいち言及するまでもないでしょう。あの連中は「それと同じ目が自分達にも向けられるかもしれない」とは少しも考えなかったのですかね?
 いやそれどころか、現時点でさえ、すでに竜堂兄弟一派には自己の犯罪履歴を派手に飾りたてるだけの罪状が数え切れないほど大量に存在しているではありませんか。「公務執行妨害罪」「住居侵入罪」「器物破損罪」「傷害罪」「強盗罪」「略取誘拐罪」「恐喝罪」そして「殺人罪」……。もちろん、竜堂兄弟一派が犯したこれらの犯罪行為は、証拠も証人も充分に存在する上、未だ時効を迎えているわけでもないのですから、行政側が合法的に立証していくのは極めて容易なことです。こんな無様なテイタラクを何ら顧みることなく「現実を無視して法にこだわる」などという論法を駆使したところで、連中の政治的・思想的正当性が「法的に」保障されることなどありえるはずもないでしょうに。
 そしてこれが一番重要なことなのですが、竜堂続は以前、森喜朗元総理モドキの新首相に政権を覆された前首相に対して、以下のようなお説教を得意気になってかましているんですよね↓

創竜伝4巻 P121上段〜下段
<「首相、あなたは、近代国家というものがどういうものか、ご存じなんですか」
 竜堂続の礼儀ただしさが、どれほどおそるべきものであるのか、首相は知らない。だが何となく圧倒されて、「ええと」などとつぶやいていると、鋭く切りこまれてしまった。
「近代国家というのは、元首だって最高権力者だって、きちんと法律を守らなきゃならない、そういう国のことをいうんですよ! いちばん日本の法律を守らなくてはならない人が、超法規ですって? あなたはいったい、近代の人間なんですか。ぼくたちを大新聞の政治部記者と同列に見ないでいただきましょう」>

 また竜堂続の「とうちゃん」自身も、かつてこんなことを述べていたはずです↓

イギリス病のすすめ・あとがき P230
<さて、日本では、選挙違反と収賄とで二度まで有罪になった人物が大臣になるという、これこそ前代未聞の大事件がおこりました。「法律に触れなければなにをやってもいいはずだ」という声もありますが、法律以前に常識の問題でしょう。「公僕のモラルが一般市民より低レベルであってはならない」というのは、世襲制独裁国家ではいざしらず、「先進国」ではあたりまえのことです。土屋君なら「イギリス人に尋いてみればいい」というでしょう。イギリスが理想国家というわけでは、むろんありません。日本を映す鏡として適正なサイズではないかと思われるのです。>

 ↑これらの記述から考えれば、竜堂兄弟一派の「反中央政府活動」についても、以下のようなことが当然主張できるのではないですかね↓

<近代国家というのは、元首だって最高権力者だって、きちんと法律を守らなきゃならない、そういう国のことを言うのでしょう? 元首や最高権力者というのは一番日本の法律を守らなくてはならない人のはずなんですよね? 「法律に触れなければなにをやってもいいはずだ」という声もありますが、「公僕のモラルが一般市民より低レベルであってはならない」というのは、法律以前に常識の問題ではないのですか? それなのに、様々な犯罪行為を積み重ねた「超法規」でもって京都を首都にし、日本の国政を変革するですって? 竜堂続は一体、近代の人間なんですか。私達一般読者を竜堂兄弟一派の低能連中などと同列に見ないで頂きましょう(爆)。>

 悲しいかな、竜堂兄弟一派が主張する政治的・思想的正当性などというものは、他ならぬ連中自身がかつて得意気になって提唱していた社会評論やお説教を片っ端からぶつけていくだけで、いとも簡単に瓦解する程度のシロモノでしかないのですよ(笑)。後先考えずにその場凌ぎの奇麗事ばかり喋りまくり、大局的な見地に基づいた政治のグランドデザインについてこれまで何ひとつ考えることのなかったツケが、今ここに回ってきているわけです。
 今後、竜堂兄弟一派が「京都幕府」とやらを運営したり、森元総理モドキの新首相政権と対立したり、政策提言を行ったりする都度、この手の「過去の発言との整合性」の問題がひっきりなしに浮上してくることになります。そして冒頭でも述べたことですが、連中はこの構図を正面から直視した上で、自分達の過去の発言と何ら矛盾することのない政治運営を行わなければ、上記で示したような「かつて連中自身が発した過去の社会評論」からの攻撃を受けることによって、竜堂兄弟一派が主張する政治的・思想的正当性は完全に崩壊するのです。まさにこの構図が竜堂兄弟に対する最悪最凶の殲滅攻撃に成り得ると判断したからこそ、私も「反創竜伝・思考実験編4」のような仮想シミュレーションを提示したというのに、誰でも簡単に理解できるであろうその致命的な基本構図を全く顧みることなく、その場凌ぎの3流政治論などを相も変わらず提唱している辺り、「やっぱり連中は白痴レベルの頭の悪いキチガイな狂人なのだなあ〜」と嘆かずにはいられないですね(笑)。
 まあせいぜい、その中身の足りない頭を必死に捻って可能な限り馬脚を露わさないように努めることですな、竜堂兄弟一派の皆様。正直、もうすでに手遅れであろうとは思うのですが(笑)、もし今後少しでも「非民主主義的」だの「独裁政治」だの「非合法」だの「軍事大国化」だの「武力行使」だのといった、キミ達自身が過去にロクでもない論法で全否定していた政治活動が現れたら、情け容赦なくキミ達自身の過去の発言を当て嵌めて断罪してあげますから(爆)。


No. 4658
Re:私の創竜伝考察38
lulu 2003/10/09 02:13
>  このような国際刑事裁判所に対してアメリカが強い懸念を示している背景には、国連をはじめとする国際機関に対するアメリカの不信感があります。これは過去にアメリカが国連運営や国際平和維持活動予算の4分の1もの資金負担をしながら、自国の国益の観点からアメリカに反対する諸国の画策で決議や選挙で煮え湯をのまされたことが根っこにあるのですが、国際刑事裁判所の裁判官や検察官の選出が公正に行われるのか、そして選ばれた裁判官や検察官が反米感情の持ち主でアメリカに不利な判決を下す恐れがないかといった懸念が、アメリカとしては無視できない問題なわけです。
>  世界の紛争や国連の平和維持活動などは、アメリカ軍がリードして進めなければならないケースがほとんどであり、それだけにアメリカ軍は現地の偶発的なトラブルに巻き込まれる危険性が大きく、悪意の訴追も受けやすいようになっているのです。しかも悪意の訴追による裁判の結果、厳しい判決でも下ろうものならば、他の将兵の士気に及ぼす影響は甚大であり、国民の怒りを買うのは必至です。アメリカにしてみれば、(たとえ他者から見れば独善的なところが垣間見られるにせよ)自分達こそが世界の紛争解決や平和維持活動に最も貢献しているという意識と誇りを持って仕事をしている時に「お前達は犯罪者だ!」と石を投げられれば、そりゃ不愉快にもなるでしょう。

参考までに…
産経 2003/09/25記事に「◆【国連再考】(24)第3部(4)米のユネスコ脱退 腐敗や欧米敵視を理由に」と
言う記事が掲載されており、その辺りの経緯が書かれております。
国際機関が決して中立的な立場ではなく、イデオロギー的な組織であること
が改めて理解できます。
-------------------------
◆【国連再考】(24)第3部(4)米のユネスコ脱退 腐敗や欧米敵視を理由に

 国連の光と影、虚と実を劇的に示したのは一九八〇年代のユネスコ(国連教育科
学文化機関)と米国のロナルド・レーガン政権の激突だろう。
 ユネスコは国連大学の母体でもあり、国連の専門機関の一つである。国連専門機
関はユネスコはじめ国際労働機関(ILO)、国連食糧農業機関(FAO)、世界
保健機関(WHO)など計二十近くを数える。

 国連には国際的な平和と安全を保つという目的についで、経済的、社会的、文化
的、人道的な国際問題の解決のために国際協力をするという目的がある。そのため
に存在するのが国連経済社会理事会である。同理事会が国連本体とユネスコのよう
な専門機関との連携にあたるのだ。

 そのユネスコが一九八〇年代に米国と深刻な対立を引き起こした。そのエピソー
ドはいまも米国側で国連との関係のあり方を語るときによく言及される。

 ユネスコの活動目的は組織の名称どおり、教育、文化、科学を通じて各国民の協
力を促進し、世界の平和と安全に貢献することだとされる。八〇年代当時は世界の
計百六十一カ国が加わっていた。

 このユネスコの最高責任者である事務局長に一九七四年に選ばれたのがセネガル
人の教員出身のアマドゥ・マハタル・ムボウ氏だった。頭の回転が速く、押しの強
いムボウ氏はアフリカ人としては初の国連関連機関のトップとなった。そして独特
のリーダーシップを発揮して、ユネスコを牛耳っていく。

 ムボウ事務局長は六年の任期を終え、八〇年には再選される。二期目になると、
まずアフリカの政治的立場をことさら強調し、欧米諸国に反抗的な態度を露骨にと
るようになった。とくに米国への敵視の姿勢が目立った。そして八〇年代はじめに
は「新世界情報秩序」という構想をユネスコのプロジェクトとして実施することを
宣言していた。

 「新世界情報秩序」はそれまでの世界の情報が欧米諸国のマスコミに独占されて
きたのを排し、第三世界が主役となり、情報・報道の国際秩序を再編するという構
想だった。そのためには政府が記者を個別に審査して、記者資格を与えるか否かを
決める、という案も入っていた。ムボウ氏のこうした反欧米の動きは、そのころユ
ネスコのような国連関連機関では最大数を占めた旧植民地の第三世界新興諸国に支
持されていた。

 ムボウ氏はユネスコの運営でも独裁者と呼ばれた。個人の威光を徹底させ、事務
局員の雇用にも縁故を遠慮なく利用して登用し、経理にまでずかずかと介入するよ
うになった。やがてパリの高級アパートの豪壮なペントハウスに住む生活様式のた
めに、「ユネスコの資金を不当に私用にあてている」という非難をあびるようにも
なった。

 そのムボウ氏の言動に米国のレーガン政権が激しく反発した。そのころの米国は
国連でも国際社会でもソ連の脅威への対応に忙殺されていた。東西冷戦のそんな最
中に中立に近いはずの第三世界が自陣営に敵対的な態度をとることにはユネスコの
全経費の四分の一を一国だけで負担してきた米国として怒りを爆発させたようだっ
た。

 一九八四年には米国議会も乗り出して、米国の会計検査院がユネスコの経理など
監査することになる。ユネスコ側はその受け入れを認めたのだが、パリ市内のユネ
スコ本部ビルではその監査が始まる一週間前に突然、書類保管室で火事が起きて、
書類の一部が焼けてしまった。パリの警察は放火と断定する。

 だが米側では監査を実施し、ユネスコには使途不明金が少なくとも一千四百万ド
ルあること、ムボウ事務局長が中心となりメキシコで開いた会議は書類上の経費は
約五万五千ドルとされたが、実際には六十万ドルもの支出があったこと、全世界で
仕事をするはずの職員三千三百人のうち七割もがパリ在住であること、などを明ら
かにした。

 米国政府はムボウ氏が腐敗や反欧米偏向を正す改革を一年以内に実行しなければ、
ユネスコから脱退するという方針を決める。米国のユネスコ駐在大使のジーン・ジ
ェラード女史がその旨を通告すると、ムボウ氏は「マダム、ミシシッピ州あたりの
ニグロと話をしている気にならないように」と、冷笑したという。

 米国は結局、八四年末にユネスコを脱退した。イギリスとシンガポールもあとに
続いた。国連機関の特殊なあり方を示す出来事だった。(ワシントン 古森義久)


No. 4661
Re:私の創竜伝考察38
蜃気楼 2003/10/14 13:53
> P110下段〜P111上段
> <「武力行使とはよくいったものだ。宣戦布告なしに戦争をしかける、ということではないか」
> 「宣戦布告しない以上、国際法にさだめられた戦争ではない。したがって国際法を守る義務はない、という論法だ」

 「宣戦布告しない以上、国際法にさだめられた戦争ではない。したがって国際法を守る義務はない」という抜け道をふさぐために今日の戦時国際法は「戦争」ではなく「武力行使」を規制していると私は理解しているのですが。
 アメリカが戦時国際法違反をこんな稚拙なロジックで正当化した例があったのでしょうか?


No. 4664
宣戦布告は必要なかった。
蜃気楼 2003/10/18 07:58
 前回の投稿は記憶に頼っていたので少し腰が引けています。
 今回ちゃんと調べたので少し過激になったやつを。
 最初っから調べろって?その通りですハイ。


> 「武力行使とはよくいったものだ。宣戦布告なしに戦争をしかける、ということではないか」

 大使閣下が国際法のイロハも知らないということが良くわかる発言です。(笑)
 アメリカは宣戦布告はしませんでしたが最後通牒をフセインに突きつけて、それをフセインがけってから開戦していますので、この点に関しては全く合法です。

 だいたい、国連憲章を読んでいれば、「武力行使=宣戦布告なき戦争」などという発想は出てこないはずですが。
 「武力行使=宣戦布告なき戦争」なら、宣戦布告さえすれば戦争し放題ですよ?「これは戦争であるから国連憲章によって禁止されている武力行使ではない」と言えばいいんですから。
 (国連憲章は「武力行使」を禁止していますが、「戦争」は禁止していません。まあ、普通の人は「武力行使」と言う概念は「戦争」も含むので当然「戦争」も禁止されていると解釈するんですけどね。)


> 「宣戦布告しない以上、国際法にさだめられた戦争ではない。したがって国際法を守る義務はない、という論法だ」

 『「宣戦布告しない以上、国際法にさだめられた戦争ではない。したがって国際法を守る義務はない」という抜け道をふさぐために今日の戦時国際法は「戦争」ではなく「武力行使」を規制している』ことを明示的に示している条約を探したらありました。
 それもよりにもよってジュネーヴ条約です。(笑)

ジュネーヴ条約(第一条約)
<第二条〔条約の適用〕 平時に実施すべき規定の外、この条約は、二以上の締約国の間に生ずるすべての宣言された戦争又はその他の武力紛争の場合について、当該締約国の一が戦争状態を承認するとしないとを問わず、適用する。>

 よってアメリカが戦時国際法違反をこんな稚拙なロジックで正当化するはずはないと断言します。もし有ったら教えてください。
 お詫びして訂正したあとでそんなあほな発言をした米政府関係者を嘲笑しますので。

 創竜伝世界のアメリカは現実とは違うとしても、大使閣下はアメリカが「宣戦布告しない以上、国際法にさだめられた戦争ではない。したがって国際法を守る義務はない」などと言っていたのなら、「アメリカはジュネーヴ条約を破棄したらしい」とでもいやみを言えばいいのに、ジュネーヴ条約すら知らないのに大使をやってるんでしょうか?
 こんな人間が駐日大使をやっているのはそれだけ創竜伝世界の日本が落ちぶれているという作者からのメッセージなのでしょうか?
 それとも創竜伝世界にはそもそもジュネーヴ条約がないとか。


No. 4668
Re:宣戦布告は必要なかった。
かりんとう 2003/10/18 19:49
宣戦布告については20世紀初頭に現れた比較的新しい考えで宣戦布告をしない=邪道、宣戦布告をする=正統というのはおかしな考え方で、例えば日本が日中戦争において中国側に宣戦布告をしなかったのはアメリカからの物資輸入によりようやく戦争が継続できる状況にあって@宣戦布告をするA戦時国際法が発動され必要物資の輸入がストップする(特にアメリカから)B戦争継続不能となる・・ということを恐れたためです。また、中国側も同様で宣戦布告をすることによって、アメリカが中立化し援助がうけられなくなることを恐れた結果です。加えて言えば、ソ連が日本に宣戦布告をおこなったタイミングは、ソ連軍がソ満国境を越えるわずか一時間前に駐ソ日本大使に伝達するという到底正統とはいえないもので、日本大使が本国に打電しようとしてもできないように大使館を封鎖状態にしてあったそうです。このように宣戦布告をするしないを正統か邪道かのように議論するのはおかしい。


No. 4686
その他2題
新Q太郎 2003/10/20 23:03
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「日本も日本だ。まともな・・・(略)・・・誇りある人間のおこないではなかった」
「まあ私は日本には多少、同情しているのですよ。ボスに見放されたら、世界中に友達など・・・(略)」
「(略)、誇りある人間のおこないではないというのだよ」
「・・・アメリカは、この何年かの・・・(略)」。
「・・・アメリカは猿じゃありませんからな。いやいや、失礼な・・・(略)」

「アメリカを敵にまわすことになっても日本との友情に殉じる。そういってくれる国が地球上のどこにあるというんですか」
「ざまあみろ、ひどい目にあうがいい、と手をたたいて喜ぶ国なら五〇ぐらい心あたりがあるがな」

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これらの悪口に対し、だれかこういってくれる人が出てこないでしょうか(笑)

「やつらにあるとすれば、経済力や技術力でアメリカや日本に既に追いぬかれたという恐怖感だ。いったん追いぬかれたあと、二度と追いつくことができず、置き去りにされてしまったという恐怖感。ふふふ、自信喪失が後ろ向きのヒステリーに結びついたあげく、これらの国の外交官どもにできることは、アメリカや日本の悪口をいいたてることだけになってしまった・・・・」


うわー、違和感がねえ(笑)


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