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私の創竜伝考察37
創竜伝13  噴火列島


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No. 4586-4587
私の創竜伝考察37
冒険風ライダー 2003/09/22 18:48
 「新たな波紋を呼ぶこと必至の超人気シリーズ最新作!!」
 ……というのが、今回から4回に分けて論評する創竜伝13巻のノベルズ版裏表紙に書かれている宣伝文句なのですが、確かにあれほどまでに支離滅裂かつトンデモ電波大放出のデタラメな社会評論を意味もなく大量に垂れ流しながら、今までのストーリー&作品・キャラクター設定の整合性を徹底的に破壊してしまうような愚劣で醜悪で滑稽な作品構成に仕立て上げれば、非常に悪い意味で「新たな波紋を呼ぶこと必至」ではあったことでしょうね(笑)。
 今回の創竜伝13巻は、9巻の続編で竜堂兄弟の前世話が中心だった12巻から一転、1巻〜10巻までの流れを汲んだ本筋のストーリーに戻っているのですが、作者が「イラク戦争」関連をはじめとする反日・反米ネタに狂喜するあまり発狂でもしたのか、それとも冗談抜きで本当にクスリでも打ってラリった状態で小説を執筆していたのか、近年稀に見るほどに時事ネタ&偏向評論&それに伴うストーリー破綻が目白押しですね。毎度の事ながら、創竜伝における田中芳樹の常軌を逸した狂態ぶりには、ただひたすら驚かされるばかりです。田中芳樹と創竜伝は一体どこまで迷走すれば気がすむのでしょうか。
 いいかげん、創竜伝で時事ネタ&偏向社会評論がひとつ語られる毎に、創竜伝のストーリー&作品・キャラクター設定は矛盾と破綻の度合いを深め、作者である自分自身のバカさ加減が露呈されていくことになるという事実を、田中芳樹はひとりの「エンターテイメント創作家」として素直に反省し、是正していかなければならない時期に来ているのではないかと思うのですけどね。ああまで矛盾と破綻の多い創竜伝の記述を読むたびに、私は田中芳樹のトリップ状態がどこまで突き進むのかを事前に予測できない、自分の想像力の限界を思い知らされるのですが(T_T)。
 それでは、前置きはこのくらいにして、そろそろ創竜伝13巻の記述内容を検証する作業に入っていくことにしましょう。


創竜伝13「噴火列島」
2003年6月6日 初版発行



 さて、創竜伝13巻で誰もがすぐさま指摘できる設定破綻といえば、やはり何と言っても、これまでの創竜伝のストーリー中で何度も繰り返し明示されていた「二〇世紀の終わりを数年後にひかえた年」が、何の伏線も前触れもなく突然21世紀に突入してしまったことでしょう。創竜伝13巻の作中には、作品世界が21世紀に入っていることを強調する文章が何度も繰り返し登場していますし、どう見ても「21世紀初頭の世界観」をベースにしているとしか考えられないエピソードや、21世紀に入ってから出てきた時事問題をネタにした社会評論などまで語られている始末です。
 今回、少し本格的に調べてみたのですが、創竜伝の巻毎に経過している創竜伝世界の時間の流れは、作中記述に書かれている月日と時間経過などから、以下のようになっているものと考えられます(5巻と11巻は本編と無関係な外伝ストーリーなので除外。また3巻と4巻、および10巻以降の日時は、創竜伝の作中に明確な記載が存在せず、大まかな時間経過しか分からないため、前後の流れから逆算した推測によるもの)↓

創竜伝1巻  3月末〜6月
創竜伝2巻  7月22日〜8月4日
創竜伝3巻  8月5日〜8月7日
創竜伝4巻  8月7日〜8月10日
創竜伝6巻  8月17日〜8月24日
創竜伝7巻  9月15日〜9月下旬
創竜伝8巻  10月1日〜10月中旬
創竜伝9巻  10月中旬〜10月下旬
創竜伝10巻 10月下旬(作品世界の時間経過3〜4日程)
創竜伝12巻 10月下旬(作品世界の時間経過0.5日)
創竜伝13巻 10月下旬〜11月上旬?(作品世界の時間経過2日)

 もちろん今更言うまでもなく、これらの時間経過は全て「同じ年」の中で発生しているものであり、たとえば創竜伝9巻と10巻の間でまる1年以上経過しているなどといった類の作中設定はありません。いくら現実世界における創竜伝1巻初版発行(1987年8月5日)から13巻初版発行まで、実に16年近くもの歳月が経過していたとしても、作中における時間経過は、あくまでも上記で挙げた流れしか存在しないのです。
 ところが創竜伝13巻では、そのような創竜伝世界における時間の流れを全て無視された挙句、突然何の脈絡もなく「二〇世紀の終わりを数年後にひかえた年」から「21世紀(最低でも2005年以降)」へと「作品世界まるごと」時空転移させられているばかりか、小説としてのストーリーや作品世界を構築している社会情勢や世界観さえも、現実世界のそれに合わせて著しく変貌させられてしまっているのです。しかも創竜伝の作中人物達は、誰ひとりとしてその重大な作中事実に全く気づいていないばかりか、「時空転移」に伴い著しく変貌してしまったはずの社会情勢や世界観を、何ら違和感を覚えることもなく当然のように語っているというのですから、その「驚異的なまでの御都合主義」にはただひたすら驚かされるばかりです(笑)。
 そして、何故創竜伝13巻でこのような作品世界そのものを崩壊させかねないレベルの「時空転移」が発生しているのかと言えば、これまた今更言うまでもなく「作者である田中芳樹自身が、21世紀以降に発生した現実世界の時事・社会問題についてのウンチクや説教を読者に向かって垂れたかったから」という以上でも以外でもないでしょう。これまで述べてきたように「二〇世紀の終わりを数年後にひかえた年」という作品設定と、作品世界における時間の流れに従う限り、作品世界の時間を「21世紀」に設定し直さなければならない「ストーリー上の必然性」など存在するはずもないのですから。
 すでに旧ソ連関連の描写や、これまでの筆舌に尽くしがたい遅筆などによって「作品世界と現実世界の著しい齟齬や乖離によるストーリー&設定破綻」が様々な形で発生しているというのに、未だに作品世界を無理矢理にでも現実世界に合わせようとし、結果として同じ失敗を拡大再生産しながら何度も繰り返してしまう田中芳樹。そこまで「小説を筋の通った形で完結させること」をないがしろにし、「フィクション作品の名を借りて社会評論を書くこと」自体が自己目的化することの一体どこに「エンターテイメント創作家」として誇りと存在意義があるというのでしょうか?
 まあ実のところ、田中芳樹自身も本当は薄々気づいているのでしょう。自らの作品中で開陳する社会評論単体に「エンターテイメント作品としての商品価値」などほとんど存在せず、大半の読者からも本当にどうでも良いシロモノとしてしか見られていないことに(爆)。何しろ、一応は田中芳樹関連の著書であるにもかかわらず、純然たる対談・エッセイ集である「イギリス病のすすめ」や「書物の森でつまずいて……」などが、小説と比べても壊滅的なまでに売れていないという、覆しようのない厳しい現実が存在しますからね〜(苦笑)。その事実から目を逸らし、あくまで「公刊される著書の中でストレス発散がしたぁ〜い」などと余計なことを考えるのであれば、たとえ作品の整合性を放棄してでも、田中芳樹は自らが執筆する「フィクション小説」という媒体を、なりふり構わず使うしかないわけです(>_<)。
 もちろん、田中芳樹のこの傾向は、大多数の読者にとっては傍迷惑もいいところでしかありませんし、仮にもプロの作家である田中芳樹のたかが個人的な事情などに、いちいち読者が同情してやる必要もないのですけどね。「お客」である読者のことを一番に考えることこそが、「プロの作家」としての本来あるべき姿なのですし。


 さて、上記で述べたように「時間設定に辻褄が合わない」という時点で、すでに創竜伝13巻がストーリー&作品設定的に見て破綻しているのは明白なわけなのですが、実のところ、これほどまでの設定破綻でさえ、創竜伝13巻全体からすれば、まだまだ「壮大な破局へのプロローグ」の一端を担っているに過ぎないのです。
 前述のように、創竜伝13巻では「二〇世紀の終わりを数年後にひかえた年」から「21世紀」への「時空転移」が世界的規模で発生しており、それに伴い、現実世界における社会情勢や世界観が創竜伝世界に移植されています。しかし今更言うまでもなく、創竜伝という作品には、創竜伝独自の作品設定や世界観というものが現実世界とは別個に存在しているのであり、またそれらをベースにしたストーリーの流れというものが今まで積み重ねられてきているわけです。そのような「作品世界の設定や世界観」も「これまで積み重ねられてきたストーリーとの整合性」も完全に無視して、現実世界に合わせた社会情勢や世界観を強引に作品世界へ移植してしまったらどうなるか?
 今回の創竜伝13巻では、この「世界設定の不適合移植」によって発生したストーリー&設定破綻が信じがたいほど大量に存在するのです。はっきり言って、今回の田中芳樹は、過去の創竜伝ストーリー&作品設定を最初から悉く知り尽くしていながら、それら全てを意図的に黙殺した挙句、昨今の時事問題を語る「だけ」のために、全く新規のシナリオを無理矢理にでも立ち上げようとしていたとしか思えません。こんなシロモノで読者からカネを巻き上げること自体が、小説という作品形態に対する冒涜であるようにすら思えてくるのですけど。
 では、その破綻の実態はいかほどのものなのか? それについてこれから検証していくことに致しましょう。



P42下段〜P44上段
<「何とかしてお役所をつかまえるんだ。いったんやつらの弱みをつかんだら、いくらでも公費をまわしてくれるさ」
「あぶないことをいうなよ」
「そちらこそ、かたいこといいなさんな。この国自体がどうなるかわからんのに」
「この国自体がどうなるかわからない、か……」
 虹川が溜息をつく。
「信じられんよ。おれが子供のころ、成人たちは本気でいっていたんだからな。日本の経済力は世界一だ、日本は富の力で世界を支配する、二一世紀は日本の世紀だ……」
「ことごとく妄想だったよなあ」
 水地が感慨深げに天井をあおぐ。虹川は自分で自分の茶碗にお茶をそそいだ。
「このままだと、かなりの数の人たちが日本を捨てて海外に脱出するかもしれんな」
 蜃海が皮肉っぽい視線を友人たちに向ける。
「どこの国が日本人を受け容れてくれるっていうんだ? 日本はいままで移民をまったく受け容れなかった。難民も、追い返したり、罪人あつかいして収容所に放りこんできた。そんなことをやってきた日本人が難民になったとき、さて、どうなるか。まあ、おれ自身もそのひとりになるとして、末路をぜひ見とどけたいもんだ」
「見とどけるのも悪くないが、ちょっと気が早すぎるぞ。関東から東海にかけてはひどい状況だが、この関西も、北海道も九州もまだ無傷だ。再建のための基地はまだあるんだし……」
「まだアメリカさまにしぼりとられずにすんでいる資金も、いくらかあるしな」
 こもごもという虹川と水地に、蜃海は応じた。
「日本人は、明治維新と、第二次世界大戦後の復興とで、民族的なエネルギーを費いはたした、という説がある。かつて栄光を誇ったスペインやポルトガルとおなじでな。誰も気づかないうちに衰亡してしまうんじゃないか」
 年長者たちの悲観的な会話に、次男坊の続が口をはさんだ。
「ま、だとしたら衰亡の過程を楽しみましょう。人類の歴史が今後もつづくとしたら、一国の衰亡をきちんと記録しておくのは、現代人の義務……」>

 こいつらのどうしようもなく支離滅裂かつその場限りで刹那的な言動も本当に久しぶりに見た気がしますけど、創竜伝の巻数が増えるのに比例して悪化の度合いを深めていた連中の無知と低能ぶりは、とうとう今までの創竜伝のストーリー中で自分達自身が直接関わったイベントや言動さえも完全に忘却し去ってしまうレベルにまで達してしまったのですね(笑)。まあもっとも、すでに治癒不能なレベルにまで悪化していた連中の重度の知能障害に、アルツハイマー型の老人性痴呆症という属性が新たに付加されたところで、今更何かが変わるわけでもありませんけど(暴)。
 そもそも、あの連中がさも「過去の栄光」を懐かしんでいると言わんばかりの論調で語っている「日本の経済力の実態」については、創竜伝13巻の作品時間から遡る事約3ヶ月ほど前の7月30日に、他ならぬ自分達自身で下記のような評価を下していたはずではありませんか↓

創竜伝2巻 P141下段
<「まったく腐ってるな、蜃海さんよ」
「そうさ、上からまんなかへんまで、のきなみ腐ってやがる。与党も野党も財界もジャーナリズムも。そのくせ経済力は世界一で、街には物があふれてる。こいつはどうみたって、世界の構造それ自体が、よっぽど甘くできているとしか思えんな」>

 過去の創竜伝の作中にかくのごとき描写が存在するのですから、連中の立場であれば、何も「おれが子供のころ、成人たちは本気でいっていたんだからな」などというレベルまで過去に思いを馳せずとも、ほんの3ヶ月前を振り返ってみるだけで、他ならぬ自分達自身が「日本の経済力は世界一である」と述べた上で、それに対して批判的言動を行っていた「過去の作中事実」を、いとも簡単に思い出すことができるはずでしょう。「日本の経済力は世界一」であることを「自ら積極的に」認めた上で展開されている日本批判系の社会評論は、これ以外にも「過去の創竜伝」における地の文とキャラクター言動の中にいくつも存在しているのですし、第一、アレだけ弾劾的かつ説教調な日本批判を有頂天になって展開しているのであれば、作者も作中キャラクター達も、自分達の過去の言動を全く思い出せないなどという想定など、本来ならば到底考えられないことであるはずです。
 にもかかわらず、過去に自分達自身ではっきりと認めていたはずの「日本の経済力は世界一」という「作中事実」を「ことごとく妄想だったよなあ」の一言で片付けてしまったら、それは同時に、自分達自身が過去に行っていた日本の経済力分析とそれに立脚した日本批判系社会評論もまた「ことごとく妄想だったよなあ」と自ら積極的に認めることにも繋がってしまうではありませんか(笑)。何しろ、あのおバカな連中が創竜伝2巻その他で行っていた「経済大国日本に対する社会批判論」は、今更改めて言うまでもなく「『日本の経済力は世界一』が正しい」という前提に立脚しなければ全く成立しえないのですから、当然そういう結論にならざるをえないでしょう。
 以前からつくづく思っていたことなのですけど、連中は社会評論を語る際に、何故「過去の自分達自身の言動を振り返る」ということを全く行おうとしないのでしょうか? 自分達がかつて何を言っていたか、それを省みることも総括することもなしに、過去の自分達自身の言動を勝手に覆し、これまでのストーリー設定にすらも合致しない社会評論など語ってしまったら、それが作品に与える悪影響は計り知れませんし、作中キャラクター達や連中を描写する作者自身もまた「どうしようもなく無知で頭の悪いダブルスタンダードかつ低能なバカ」呼ばわりされても文句は言えないのですがね〜。

 それと、日本に対して脳内妄想に基づいた愚痴と誹謗中傷を吐き散らすしか能のない虹川・蜃海・水地の3バカトリオが偉そうにのたまっている「日本における移民と難民の受け入れ問題」についてですけど、例によって例のごとく、表層的な事実のみを表面的に見据えただけで感情的な罵詈雑言を吐き散らす悪癖が剥き出しになっていますね。ロクに事情を調べもせずに、よくもまあ毎回毎回アレほどまでに日本に対する罵詈雑言を意味もなく並べ立ててバカを晒せるものだと、いつものことながら呆れてしまうのですが。
 そもそも、移民にせよ難民にせよ、何ら留保条件を付加することなく、人道的見地からただひたすら無条件に国として受け入れることが絶対的に正しいという前提で「国としての移民/難民受け入れ問題」を語っていること自体がすでに大間違いなのです。言語も社会風習も文化も全く異なる社会に溶け込めない外国人の大量流入は、様々な政治的・経済的・文化的な差別・摩擦・軋轢などを引き起こし、深刻な社会問題化する危険性が極めて高く、犯罪の増加&凶悪化や治安の悪化の原因にもなります。また不況時には外国人労働者の増加に伴う雇用問題がクローズアップされ、場合によっては外国人排斥運動にまで発展するということも決して珍しい話ではありません。
 外国人の移民/難民受け入れを積極的に行っているアメリカやヨーロッパ諸国でさえ、増加する外国人移民/難民の扱いや、彼らと自国民との間で発生する様々な社会問題には多かれ少なかれ頭を抱えているのが実情で、特にイタリア・フランス・オランダなどでは、外国人移民/難民の排斥を唱える政治団体や政党が、国民の支持を集めて公然と台頭するという政治現象すら発生しているほどなのです。国民にしてみれば、移民/難民の大量受け容れは、自分達の生活が脅かされることにも繋がりかねない切実な問題なのですから、昨今の不況事情と併せてこのような現象が生じること自体は自然の成り行きというものでしょう。
 「移民/難民受け入れ」というのは、ただ国が門戸を開いて受け入れさえすればそれで終わる問題などではなく、元から自国に定住している自国民と外国人移民/難民との間で必然的に生じる事になる様々な差別・摩擦・軋轢などをどのようにして解消し、互いに共生させていくか、という問題こそが、政府や社会が本当に取り組んでいくべき本当に重要なテーマなのです。「可哀想だから」だの「人道的見地」だのといった感情的な理由で大量の外国人移民/難民受け入れを不用意に行った挙句、結果として国民の大多数を不幸にする有害な社会的混乱を引き起こすくらいなら、最初から受け入れを必要最小限度に抑え、社会問題発生の種を事前に摘んでおく国家政策の方が、自国民だけでなく外国人移民/難民に対しても相応の責任を取っていると言えるでしょう。国家には、他国の難民や移民よりも、自国の国籍を持つ自国民の財産と安全をこそ、優先して守らなければならない責任と義務があるのです。
 問題の本質をロクに検証することなく、お涙頂戴的な安っぽい3流以下のヒューマニズムだけで感情的かつ無責任に政治を語ることほど醜悪なことはない。私はあの連中の言動からそのことを今まで嫌というほどに思い知らされたのですけどね〜。



P76下段〜P77下段
<総領事は不審げにヴィンセントを見つめながら、ようやく口をはさんだ。
「ご存じのように、日本では先日、首相が交替しました。この非常時に政変というのはアジアの後進国ならではですが、新首相なる人物が、日本の政界にあってもきわだって愚鈍な……」
「どれほど無能で腐敗した権力者であろうとかまわんさ。日本国内で好きなことをやらせておけばいい。外交と軍事の実権をわが合衆国にゆだね、わが軍に基地と維持費を提供しつづけさえすれば、未成年売春の前歴があろうと、YAKUZAと結託しようと、われわれの知ったことではない」
 総領事の言葉を奪いとるようにまくしたてるヴィンセントだった。
「だいたい、この国を統治するなど、楽なものだろう? この国の市民は絶対に革命などおこさんからな」
「絶対に、ですか」
「絶対にだ。日本人は、権力者に対して暴力によって異議をとなえるエネルギーを、一九七〇年代のはじめに費いはたしたのだ。いい悪いは別としてな。メイジ時代には、ロシアとの戦争の直後に大挙して警察をおそった。タイショー時代にはコメソードー、ショーワ時代にはアンポトーソー、ヘイセイ時代には……何かあるかね?」
 いちおう問いかけられる形になったので、総領事は答えようとしたが、ヴィンセントは相手の答えなど必要としていなかった。
「何もない、ナッシング、ナッシング!」
 ヴィンセントは声を張りあげ、両腕までも振りあげた。総領事はかろうじて渋面をこらえた。クリーニングをすませたばかりのスーツの襟元に、補佐官の唾がかかったのだ。この秀才面のきらわれ者が、これほどエキセントリックな人物だとは知らなかった。>

 ヴィンセント君、キミはこれ以上ないほどに低レベルな知能水準を体現している創竜伝シリーズの中では比較的マトモな頭の構造の持ち主であると今まで私は評価していたのですが、どうやらそれはとんでもない買い被りだったようですね(T_T)。まあ創竜伝という愚劣な作品で、多少なりともマトモな思考法で動く作中キャラクターを求めること自体がそもそも間違っていたのでしょうけど(笑)。
 それにしても、仮にも「アメリカ大統領補佐官」かつ「四人姉妹の幹部」であらせられるヴィンセント君ともあろう者が、こんな支離滅裂かつ杜撰な日本国民論などを唱えているようでは困りますね。だいたい、君が散々強調している「権力者に対して暴力によって異議をとなえるエネルギー」とやらの実態が、「日露戦争後の日比谷焼き討ち事件」だの「1918年(大正7年)の米騒動」だの「1960〜70年代の安保闘争」だのといったシロモノでしかないのなら、「いい悪いは別」どころか「そんなものは完全に無くなってしまった方がはるかにマシ」としか評しようがないのですけど。
 まず、「日露戦争後の日比谷焼き討ち事件」ですが、これはポーツマス条約による日露戦争終結後の1905年9月5日、日比谷公園でポーツマス条約締結反対の集会が行われ、これを警察が無理に解散させようとしたことから暴動に発展、警察本署・分署・派出所の放火や打ち壊し、内務大臣官邸の襲撃、および当時「桂首相の御用新聞」と言われており、数ある新聞の中で唯一、政府のポーツマス条約締結に賛意を示していた国民新聞社の焼き討ちなどが行われた事件です。これは当時日露戦争で連戦連勝しつつも、すでに国力も継戦能力も限界に達していた日本側の台所事情を全く知らなかった民衆が、「ロシアから賠償金を取り立てろ! 取れないならばロシアとの戦争を継続しろ!」というスローガンに呼応して引き起こした事件であって、「現実をまるで理解することなく感情に走った」「新聞社の言論を暴力で弾圧した」という観点から見ればむしろ「日本近代史の汚点」とすらいえるものです。
 次の「1918年(大正7年)の米騒動」は、そもそも「権力者に対して暴力によって異議をとなえるエネルギー」の事例として出すこと自体が不適切です。これは当時第一次世界大戦による好景気とシベリア出兵を当て込んだ米商人の米買占めが横行したために米価が著しく急騰、それに耐えかねた富山県魚津の主婦らによる県外への米移送阻止が発端となって全国に波及した大規模暴動事件です。これは明らかに将来の利益を見越して投機的に行われた「米商人の米買占め」が主原因で発生したものですし、民衆の攻撃対象となったのも米屋や米商人ばかりです。そして当時の政府はというと、むしろ逆に米価の高騰を抑えるための米価調整を行っていた(結局は失敗したのですが)というのが実情なのですけど、一体これのどこが「権力者に対して暴力によって異議をとなえるエネルギー」に該当するのですか?
 そして最後の「1960〜70年代の安保闘争」に至ってはもはや失笑ものでしかありません。何しろ暴動の発端となった1960年の岸信介内閣による日米安保条約の改定は、それまでの安保条約の運用面における不都合な点や問題点をある程度解消するものであり、むしろ日本にとって有利なものでさえあったにもかかわらず、「安保反対」のスローガンが掲げられた暴動やデモが繰り広げられたのですから。彼らは自分達が反対していた安保条約改定の内容すらロクに理解することなく反対運動を展開していたわけで、まさに「反対のための反対」という言葉がこれほどまでにピッタリ当てはまる醜悪な反政府運動もそうそうあるものではないでしょう。
 このような暴動事件の類を「権力者に対して暴力によって異議をとなえるエネルギー」などと評した挙句、「この国を統治するなど、楽なものだろう?」などと言い切ってしまうヴィンセント君の無知と自信過剰に満ち溢れたキチガイぶりには、私も思わず爆笑せずにはいられませんでしたね。第一、仮にも言論・思想の自由がそれなりに認められ、国民の世論や報道が政治を左右する民主主義国家において、権力者に異議を唱える手段が「暴力」しか存在しないという完全に間違った前提で政治論を語っていること自体、すでにトンデモであるとしか言いようがないのですけど。
 ああ、それと余談ですけど、ヴィンセント君は「権力者に対して暴力によって異議をとなえるエネルギー」について「ヘイセイ時代には……何かあるかね?」と質問を投げかけていらっしゃいましたが、こんなアホな流れで反権力暴動を語っても良いというのであれば、それに対する回答として「1995年(平成7年)のオウム真理教による地下鉄サリン事件」を挙げても良いのではないですかね? 一応アレも、ヴィンセント君が提唱するレベルの「権力者に対して暴力によって異議をとなえるエネルギー」には間違いなく該当するのですし(笑)。



P77下段〜P78上段
<ヴィンセントの声がさらに高まる。
「やつらにあるとすれば、経済力や技術力でチャイナやコリアに追いぬかれる恐怖感だ。いったん追いぬかれたら、二度と追いつくことができず、置き去りにされてしまうという恐怖感。ふふふ、自信喪失が後ろ向きのヒステリーに結びついたあげく、この国の保守派どもにできることは、チャイナやコリアの悪口をいいたてることだけになってしまった。コリアは永遠にジャパンに追いつけない、チャイナは五年以内に崩壊する……」
 身ぶり手ぶりをまじえて、大統領補佐官の演説はさらに熱を加えていく。
「毛沢東が死んだときにも、トウ小平が地上から去ったときにも、チャイナは五年以内に崩壊するはずだった。だがそうはならなかった。いまや、チャイナが五年以内に崩壊するなら、それより二年早くジャパンの経済が壊滅するだろうといわれておる」
 総領事は力なくうなずいた。もはや口をはさむことを断念してしまっている。
「ジャパンを肥え太らせる時代は終わった。今度はチャイナを肥え太らせる。肥えて、太って、ふくらんで……血色よくふくれあがったところで……」
 いきなりヴィンセントは両手をひろげた。
「バン!」
 大声を上げると、ようやく口を閉じた。>

 で、あまりにも内容的にイタすぎるヴィンセント君のアジテーションはまだしつこく続いているわけなのですが、今回の主張内容は、評論としてだけでなくストーリー&作品設定の観点から言っても前段の発言以上に致命傷ですね。世界を経済的に実効支配している「四人姉妹の幹部」にして「アメリカ大統領補佐官」の地位にあるヴィンセント君ともあろうものが、この程度の杜撰な経済知識で世界戦略を決定してしまって本当に大丈夫なのでしょうか?
 確かにここ数年、中国と韓国が経済的にも技術的にも飛躍的な発展を遂げているのは事実です。しかし、その内実について少し調べてみれば、中国と韓国の発展が実は日本の経済力と技術力に大きく依存している「張子の虎」に過ぎず、様々な問題を抱えているということくらい、誰でも簡単に分かりそうなものなのですけど。
 まず経済力についてですが、国の経済規模を表す指標として用いられる国内総生産(GDP)で比較すると、2000年度の日本のGDPはドル換算で約4兆ドル(約500兆円前後)で、世界経済における日本のGDP構成比も14.4%とアメリカに次いで高いのに対して、中国は公式発表で約1兆1000億ドル(GDP構成比3.3%)、韓国は約4500億ドル(GDP構成比1.3%)となっています。このデータを見ただけでも、日本は未だに中国と韓国を合計した以上の経済力を誇っていることが一目瞭然なわけで、すくなくとも中国と韓国より軽視して良いものなどでは決してないのです。
 また、中国や韓国の技術的・経済的発展は、そのほとんどが外資系の技術供与や資本投資に依存している状態で、特に韓国の製造業は日本の部品産業からの輸入なくしては成立しえないとすら言われています。韓国の中でもっとも隆盛を誇っている半導体生産にしても、その内実は、日本から技術供与を受け、日本から製作機械を輸入し、日本から部品や素材を輸入してメモリを作っているのが実情ですし、自動車産業などは、日本の自動車メーカーから自動車製造に必要な部品の大部分を購入しているため、円高が進むと「生産すればするほど赤字になる」という事態すら招くことがあります。韓国経済は、いくら高度な完成品を使って利益を上げても、日本から設備や部品を購入する際に大半が吐き出されてしまう「鵜飼の鵜」状態になっているのです。
 そして、中国が「世界の工場」などと巷でよく言われるようになった理由にしても、その内実は、中国に進出した外資系企業の技術移転や資本投資を受けた上で、日本の10〜25分の1と言われる桁外れの人件費の安さを駆使して質の低い膨大な労働者を物量投入した大量生産体制とコピー技術に拠るところが大きく、外資系企業の進出と援助抜きでは未だに自立できないというのが実状です。こちらは「人件費の安さ」が何よりも外資系企業にとって何よりの魅力になっているわけですが、実際には労働争議の乱発や中国政府の得手勝手な政策などで何かとトラブルが絶えず、「果たして進出するだけの価値はあるのか」という疑問さえ、外資系企業の間では囁かれているほどです。
 中国にせよ韓国にせよ、現時点では外資系企業の資本投下や経済的援助を受け、また技術供与が積極的に行われているからこそ上手くやっていけている一面があるわけです。いくら日本に諸々の問題があるといっても、すくなくとも技術にせよ経済にせよ、日本は独力で立派に自立できているわけですから、この「他者依存」「他力本願」的な状況を打開しない限り、中国と韓国が日本を経済的にも技術的にも追い抜くことはありえないでしょう。
 中国と韓国の経済的発展の裏には、このような経済的・技術的問題が常に横たわっており、さらにこれに政治的な問題などが複雑に絡んで、問題の深刻さをさらに解決困難なレベルに押し上げるからこそ、「コリアは永遠にジャパンに追いつけない」だの「チャイナは五年以内に崩壊する」だのといった諸説が、ヴィンセント君の言う「この国の保守派ども」の間で唱えられているのですけどね。「経済力や技術力でチャイナやコリアに追いぬかれる恐怖感」などという理由だけで、そのような説が大真面目に唱えられるわけがないではありませんか、田中芳樹や竜堂兄弟じゃあるまいし(笑)。

 ところでヴィンセント君は中国に対して何やら一家言をお持ちのようで、「ジャパンを肥え太らせる時代は終わった。今度はチャイナを肥え太らせる」などと得意気になってほざいていらっしゃるようですね。ではそのヴィンセント君に敬意を表し、中国経済の問題点と課題について、私が少しばかり検証してさし上げることに致しましょうか。
 まず、おそらくはヴィンセント君が中国を過大評価する最大の要素であろう、中国において毎年声高に報じられている高度経済成長についてですが、これは中国政府による国債発行や公共事業の乱発にその大部分を依存しているところが非常に多く、国家財政に深刻な大赤字をもたらしています。しかも年毎の国債発行額も累積国債発行残高も年々増額する傾向にあり、それでさえ企業収益や消費がなかなか伸びないがために、高度経済成長の維持が次第に難しくなりつつあるのが現状なのです。今後も中国政府がこのやり方を続けていけば、いずれは累積国債発行残高がGDPを上回るとすら言われており、中国経済の発展に大きな禍根を残すことにもなりかねません。
 さらに中国における国営企業の問題があります。社会主義政治体制という建前上、中国には数多くの国営企業が存在するのですが、国営企業はただでさえ非能率的で企業としての競争力が低いのに加え、中国の場合は単に営利団体であるに留まらず、従業員の医療・退職・養老年金・交通・子女の教育・生活面のサービスなど、各種区の非営利性の福祉活動に対しても責任を負わなければならなかったため、より一層の負担過剰や経済効率の遅れがもたらされたのです。もちろん、社会主義を標榜したがために、大量の余剰人員を無用に抱え込んでいたことも、この傾向に大きな拍車をかけることになりました。
 そのため、中国は1983年以来、国営企業の改革に乗り出しているわけなのですが、その結果は惨憺たるもので、国営企業の整理に伴う銀行からの借金の踏み倒しや、国営企業経営者や幹部による汚職や国有財産の私物化&大量流出が多発した挙句、大量の失業者を社会に輩出し、結果としてより多くの社会問題を新たに生み出すことになってしまったのです。今でも中国における国営企業の改革は、多々ある経済改革の中でも特に深刻なボトルネックであると言われており、今後の中国経済にとって致命的なアキレス腱となることは間違いありません。
 これに伴い、中国の国営銀行が国営企業に貸し付けた膨大な不良債権の存在も深刻な問題となっています。不良債権問題自体は日本にも存在しますが、日本の場合、銀行からの貸し付けを受けた企業にはそれなりの収益が期待され、そのための企業努力が行なわれたにもかかわらず、結果的に借りた金を返せなくなったというケースが大半であるのに対して、中国の場合は貸し付ける側も借りる側も国営であり、不良債権化することが分かっている放漫経営の国営企業に対しても、「政府の指令」によって国営銀行による貸し付けが行われるところに特徴があります。中国の中央政府にしてみれば、国営企業は「社会主義市場経済」を実現するために必要不可欠なものであり、また国営銀行にとって「政府の指令」は絶対なものであるため、足手纏いになると分かっていても国営銀行は国営企業を見捨てることができず、結果、この積み重ねによって中国の不良債権問題は著しく拡大していったのです。
 このような中国の不良債権の国内総生産(GDP)に対する割合は、中国政府の公式統計だけでも実に25%もの高水準に達しており、しかも中国政府は不良債権を非常に甘く定義しており、公式統計ではその額が低く抑えられているため、実際には37〜50%に上るとさえ言われています。これがいかに深刻なパーセンテージであるかは、2002年9月時点における日本の金融機関全体が抱えている不良債権約40兆円のGDPに対する割合が約8%、貸出総額の約9.5%であることを見れば一目瞭然でしょう。国営銀行の膨大な不良債権処理の問題は、中国の経済的信用が基本的に破綻をきたしつつあることをも示しており、これが解決できなければ、中国経済がいずれ深刻な危機を迎えることになるのは目に見えています。
 また、現在の中国では貧富の格差が著しく、国民全体のわずか15%を占める富裕層が国民所得全体の実に85%以上の富を独占しており、残り85%の国民はわずか15%の所得を取り合い、貧困に喘いでいるという、圧倒的な経済的不平等格差状態が続いています。また、国営企業改革や農村からの出稼ぎラッシュに伴って発生した失業問題も深刻で、中国における全国の失業者総数は約1億6000万人以上を数えると言われており、実に20%近くにも上る失業率を記録しているのです。この貧富の格差は、下手をすれば社会的動乱の要因にすら充分になりえるほどに深刻な問題であると言えます。
 中国における貧富の格差は、教育にも重大な悪影響を与えています。経済発展する大都市へ出稼ぎするべく青年層の労働者が大量に農村から流出した結果、農村部の教育は凋落してしまい、初等教育すら全く受けることができない児童が大量に増えているのです。これは文盲と半文盲を毎年大量に排出し続けることに他ならず、中長期的に見れば都市と農村の間にある貧富の格差のより一層の拡大をもたらすと共に、労働力の質の低下や犯罪発生率の増大にも繋がります。これも間違いなく、中国の経済発展にとっても大きなボトルネックになることでしょう。
 そして最後のとどめは中国の環境問題です。中国は現在、世界で最も砂漠化が進行している国のひとつで、主に化学肥料の大量使用による土壌の質の悪化が原因で、すでに国土面積の約38%が砂漠化していると言われています。また中国経済の発展は、必然的に水質汚染・大気汚染・都市の廃棄物汚染・化学物質汚染などといった諸々の公害問題を引き起こし、中国の生存基盤と生態環境を著しく破壊しています。さらには、全中国の自然環境が許容する最大人口は15億〜16億と言われており、中国はこれ以上人口を増やせないところにまで追い詰められているのです。
 で、私がざっと中国が抱える諸問題をざっと見渡しただけでも、さし当たってこれだけの問題が中国には存在するわけなのですけど、ヴィンセント君はこの惨状で一体どうやって「ジャパンを肥え太らせる時代は終わった」だの「今度はチャイナを肥え太らせる」だのといった非現実的な主張を展開することができるのでしょうか? どうも私には、ヴィンセント君の意識が何者かに乗っ取られており、その人形使いの操るがままに、このような支離滅裂なタワゴトを意味もなく喋らされているように思えてならないのですが(爆)。

 さて、上記の主張はあえて創竜伝世界のストーリー&作品設定をあえて無視し、現実世界向けの評論に対する反論として行ったわけなのですが、実はヴィンセント君の主張は、純粋にストーリー&作品設定の観点から見ると、さらなる深刻な破綻をきたすことになるのです。なぜなら、創竜伝世界における中国と韓国は、ヴィンセント君が主張するような「バラ色の未来絵図」どころか、四人姉妹が推進していた50億人抹殺計画「染血の夢」によって、国が崩壊するレベルの深刻な災厄の数々に見舞われているからです。
 創竜伝7巻に描写されている四人姉妹首脳部の会話シーンが、そのことを象徴しています↓

創竜伝7巻 P216上段〜下段
<大君たちは話題を変え、自分たちのあげた成果を確認しはじめた。
「北京で中国の国家主席が死去した。年齢は九〇歳。ま、天寿というべきだろうな」
「死因は?」
「急性心不全ということになっておる」
「それはそれは……」
 心不全とは、心臓が活動を停止した、という意味であるから、すべての死にあてはまる症状であり、正確な死因とはとうていいえない。他人事のような大君たちの口調だが、中国の国家主席の心臓に、見えない針をうちこんだのは、大君たちのやはり見えない手であった。大水害や蝗害によって混乱しつつある中国は、権力闘争の深刻化によって分裂と解体の方向へ進むであろう。>

 この会話は創竜伝時間の9月下旬頃、つまり創竜伝13巻から遡ること約1ヶ月ほど前に行われた会話です。そしてその会話内容から、この時点における中国は、各地で大水害や蝗害が多発して大被害を受けていたところに、国家主席が四人姉妹の手によって「始末」されたことがすでに確認されており、やがてこの流れに沿って権力闘争が深刻化し、国として「分裂と解体の方向へ進むであろう」とさえ、四人姉妹首脳部の間では考えられているのです。
 しかも、四人姉妹が推進していた「染血の夢」計画というのは、すくなくとも表面的には「過剰に増えすぎた人間と、政治的にも経済的にも足手纏いにしかならない発展途上国や極貧国を全て始末して新たな世界支配体制を築き上げ、人類の更なる進化と発展を目指す」という理念の下で立案・実行された計画であり、その抹殺されるべき「政治的にも経済的にも足手纏いにしかならない発展途上国や極貧国」の中に中国も韓国も含まれていたのです。つまり創竜伝世界では、中国も韓国も「生き残らせるに値しない、政治的にも経済的にも取るに足りない国」というのが「作中事実」であり、また全ての作中キャラクターにとっての共通認識でもあったはずなのです。
 そしてこれが一番重要なことなのですが、四人姉妹の幹部で「染血の夢」計画を推進している中心人物のひとりでもあるヴィンセント君は、当然これら四人姉妹の基本方針や中国の政治情勢を誰よりも詳細に知っている立場にあるはずなのです。実際、創竜伝時間の10月1日には、他ならぬヴィンセント君自身が、当時の四人姉妹のボスであったランバート・クラークに対して、中国の政治情勢の詳細を報告している描写まで存在しているのですから間違いありません↓

創竜伝8巻 P22下段〜P23上段
<「インドも状況をもっと加速できるはずだ。カルカッタ、ボンベイ、デリーにボツリヌス菌をまけ。今年のうちに二億人を死なせろ。ところで中国はどうなっている?」
 尊大な口調にさからうこともできず、ヴィンセントは卑屈に答えた。
「北京と天津で、解放軍どうしの衝突がおこりました。すでに死者は一〇〇〇人をこえ、使用する武器はエスカレートする一方です。近いうちに一方のがわが戦術核兵器を使用することになりましょう」
「紫禁城の美術品だけは、そこなわぬようにしろよ」
「承知しております」>

 ……ほんの1ヶ月ほど前までこのような深刻な政治情勢にあり、かつ四人姉妹&牛種にも見捨てられていたはずの中国が、一体どのような魔術を使って「いまや、チャイナが五年以内に崩壊するなら、それより二年早くジャパンの経済が壊滅するだろうといわれておる」だの「ジャパンを切り捨ててチャイナを肥え太らせる」だのと四人姉妹の幹部に言わしめるようなレベルにまで政治的・経済的な成長を遂げたというのでしょうか? 第一、四人姉妹が推進していた「染血の夢」計画が撤回されたのは、創竜伝13巻から遡る事つい2〜3日ほど前の話であって、それまでは当然のことながら「染血の夢」計画に基づき、中国を滅ぼす策謀が四人姉妹&牛種によって推進され続けていたはずなのですけど。
 つい1ヶ月ほど前に自分自身が直接関わった、中国の国家崩壊レベルに達している政治的・社会的混乱をすっかり忘却し去った挙句、「ジャパンの時代は終わった。これからはチャイナの時代だ!」などと作中事実無視の日本罵倒・中国礼賛を絶叫するヴィンセント君。どうやらアルツハイマー型老人性痴呆症を患っているのは竜堂兄弟や3バカトリオだけではなかったようですね(笑)。なるほど、今までのヴィンセント君の信じ難いほど突発的かつ支離滅裂な狂態ぶりも、そう考えればあっさり納得がいきます(爆)。
 それにしても、創竜伝における主要な作中キャラクターの全てを重度の急性痴呆症などに仕立て上げることで、作者は一体どのような奇想天外なストーリー展開を考えているのでしょうか(>_<)。



P84下段
<一九九五年、阪神・淡路大震災の直後、アメリカ軍は病院船マーシーを派遣したいと日本政府に申しこんだ。マーシーは最新式の手術室一二とベッド一〇〇〇以上をそなえていたが、日本政府はなぜかせっかくの厚意を拒絶した。そのため、多くの被災者が緊急治療を受けることができず、死に至った。>

 田中センセイ、ひとつ質問があるのですが、何故ただの一度として「日本では民主主義的手続きによる与野党の政権交代が全く行われていない」と作中で設定されている創竜伝世界の中で、現実世界における「元万年野党の社会党首相・村山富市」のエピソードが語られなければならないのですか? いくら日本の政権与党が嫌いだからといって、元万年野党の社会党と村山富市が犯した「阪神大虐殺」とまで呼ばれる史上最悪の大失態の責任まで、日本の政権与党に押しつけることはないでしょう。日本を憎むあまり「何でもかんでも日本政府が悪い」と喚きたくなる気持ちは理解できないでもありませんが、せめて自民党と社会党を区別して見分ける程度の識別能力くらい身に付けておかないと、小説執筆どころか、毎日の生活にも差し障りが出てくるのではありませんかね?
 それに「日本政府は【なぜか】せっかくの厚意を拒絶した」にしても、理由は誰の目にも明白なものだったではありませんか。原因は全て、元万年野党の社会党が長年保持していた絶対的平和主義と反米・反自衛隊思想と村山富市の職務的怠慢にあり、これらのためにアメリカ軍の救援受け入れのみならず、阪神・淡路大震災における全ての救援活動が阻害されたのです。いつも論旨を明確にして舌鋒鋭く日本批判を展開していらっしゃる田中センセイともあろうものが、肝心要のこの部分を曖昧にしてしまっては、少々どころかかなりマズイのではないでしょうか。
 それと、確か偉大なる田中センセイは、創竜伝4巻にて以下のような金言を残していらっしゃいましたよね↓

創竜伝4巻 P173上段〜下段
<ところで、世の中には、こういうタイプの人がいる。責任感や使命感が過剰で、自分がやらねば誰がやる、と思いこみ、他人のやることに口を出し、手も出し、結果として事態を悪化させるタイプだ。国家にもときどきあるタイプだが、それはともかく、終に集団KOをくらったレインジャーのひとりが、このタイプだった。彼は浅い失神からさめて、顔に吹きつける強風の存在を知った。降下扉があいて、そこにテロリストの若者が背中を見せて立っているのを見たとき、彼の責任感と使命感がショートした。
「逃がさんぞ、テロリスト!」>

 この論法からいくと、阪神・淡路大震災当時の村山富市は、アメリカという「責任感や使命感が過剰で、自分がやらねば誰がやる、と思いこみ、他人のやることに口を出し、手も出し、結果として事態を悪化させるタイプ」の「傍迷惑な内政干渉まがいの申し出」を排した「英断」を下したとすら言えるわけで、田中センセイの立場や反権力的な基本スタンスから考えれば、本来ならば批判どころかむしろ諸手を挙げて絶賛するべきところですらあるはずでしょう(爆)。
 にもかかわらず、「責任感や使命感が過剰で、自分がやらねば誰がやる、と思いこみ、他人のやることに口を出し、手も出し、結果として事態を悪化させるタイプ」をさぞかし毛嫌いし、しかも見方によっては、これまた蛇蝎のように嫌っている「アメリカの独善的な内政干渉や軍事活動」を断固として排除したとも取れる村山富市の「英断」を、何故田中センセイが高く評価しようとしないのか、その点についても私は疑問を覚えずにはいられないのですが。
 これらの疑問に対する何らかの総括ないしは釈明がない限り、上記引用で示したような論の変遷を、一般的には「節操のない変節」と呼ぶのではないかと思うのですけどね。


No. 4588
Re:私の創竜伝考察37
石田 2003/09/22 21:58
冒険風ライダーさん、はじめまして。
創龍伝考察ついに再開ですね。待ってました。
といっても、二年、間が空いていたのは「とうちゃん」の遅筆所以というところで、どうしようもありませんでしたね。

田中さんが、赤川次郎なみの刊行速度を持っていればただの「とち狂ったサヨク野郎」(品のない言い方ですが思いつかなかったので)で済むんですけどねえ。

僕は2年前、10巻で読むのを止めてしまったので細かい点に言及することはできませんが、ここだけは許すことができません。

> P84下段
> <一九九五年、阪神・淡路大震災の直後、アメリカ軍は病院船マーシーを派遣したいと日本政府に申しこんだ。マーシーは最新式の手術室一二とベッド一〇〇〇以上をそなえていたが、日本政府はなぜかせっかくの厚意を拒絶した。そのため、多くの被災者が緊急治療を受けることができず、死に至った。>


当時、僕の住んでいた長田区の菅原町は、ほぼ全域が焼失し僕の周りでも多くの人が亡くなりました。
僕がよく遊んでもらった近所のラーメン屋のお姉さんは、がれきの下敷きになって四日ほど生きていましたが、5日目に自衛隊の人に助け出された時にはもうこときれていました。
今でも僕が後悔しても仕方がないと思うのですが、あの時、貝原知事や笹山市長、村山総理が「責任感や使命感が過剰で、自分がやらねば誰がやる、と思いこんで」くれたら、お姉さん(当時、幼かった僕は名前を覚えていませんでした)は死なずにすんだのではないか、と今でも考えてしまうのです。

その一点においては、当時の為政者に対して怒りを覚える僕と田中氏の気持ちは同じです。
しかし、人の死をただ自分のストレス解消の道具に使う彼の態度に対しては「何様のつもりだ」というような殺意に近い怒りを持ってしまうのです。


No. 4603
記憶が曖昧だが・・・
新Q太郎 2003/09/29 03:57
> 「毛沢東が死んだときにも、トウ小平が地上から去ったときにも、チャイナは五年以内に崩壊するはずだった。だがそうはならなかった。いまや、チャイナが五年以内に崩壊するなら、それより二年早くジャパンの経済が壊滅するだろうといわれておる」


・・・もう私モウロクして、創竜伝の細部なんか忘れてるんだが、(現実の)天安門事件に対応して、だれかの言葉を引用したりして「こんな政府に未来はない」とか書いてらしたのは田中氏ではなかっただろうか?


No. 4605
Re:私の創竜伝考察37
でんでん太鼓 2003/09/29 12:24
冒険風ライダーさん、初めまして。創竜伝最新刊の考察を拝読しました。実は私は、冒険風ライダーさんの過去の考察については、違和感を覚える箇所もあったのですが、今回の考察についてはその8割に賛同します。「作者である田中芳樹自身が、21世紀以降に発生した現実世界の時事・社会問題についてのウンチクや説教を読者に向かって垂れたかったから」というご指摘は、わざわざ本編を読まなくても、巻末の参考文献一覧を見るだけでも分かります。

>「日本の経済力は世界一」
バブルの最中には田中氏自身も全く気付いていなかった日本経済の実態を、先刻ご承知とばかりに訳知り顔で説教する姿は、実に嫌らしい。恐ろしいくらいに露骨な後出しジャンケンですね。

>「日露戦争後の日比谷焼き討ち事件」
(最近では日朝首脳会談後の日本のタカ派的言説の横行と類比されることもある)日比谷焼き討ち事件など、田中氏なら軍国主義者どもの集団ヒステリーとして、言下に斬って捨てそうなものですが。地下鉄サリン事件もそうですが、田中氏は最近の外務省審議官・田中均氏への爆弾テロ未遂事件も、(外務省という)公権力への市民たちの暴力的反抗として肯定なさるのでしょうか? そうだとすると、田中氏は一見激しく対立するかに見える東京都知事・石原慎太郎氏とも、そう違わないメンタリティーをお持ちなのかもしれませんね。

最近、長らく中絶状態にあった田中氏のスペースオペラ『タイタニア』がEXノベルより再開され、一ファンとしてはとても喜んでいます。早速、新版を購入して、魅惑的な銀河世界と登場人物たちに胸躍らせながら読んでいますが、このような稀に見る傑作の一方で、『創竜伝』のような愚劣な物語が、同一人物の頭脳から生み出されているという事実に、今更ながら驚愕を禁じえません。


No. 4648
ヨシ・タナーニヒト演説ふたたび。
新Q太郎 2003/10/04 00:32
> 「だいたい、この国を統治するなど、楽なものだろう? この国の市民は絶対に革命などおこさんからな」
> 「絶対に、ですか」
> 「絶対にだ。日本人は、権力者に対して暴力によって異議をとなえるエネルギーを、一九七〇年代のはじめに費いはたしたのだ。いい悪いは別としてな。メイジ時代には、ロシアとの戦争の直後に大挙して警察をおそった。タイショー時代にはコメソードー、ショーワ時代にはアンポトーソー、ヘイセイ時代には……何かあるかね?」
>  いちおう問いかけられる形になったので、総領事は答えようとしたが、ヴィンセントは相手の答えなど必要としていなかった。
> 「何もない、ナッシング、ナッシング!」

---------------(佐々淳行「東大落城」より)------------------

(安田講堂事件と神田カルチェラタン闘争、たった2日間だけで)
警官の負傷者710名(うち重傷者31名)一般人14名、学生47名(重傷1名)。

昭和43年 負傷隊員数4033名
昭和44名 負傷隊員数2195名

-------------------------------------------------------


「お集まりの警官諸君、学生運動家諸君!今日、我々がこの場にはせ参じた目的は何か。70年代において散華した暴動参加者の人々の英霊を慰めるためである。彼らは貴い命を、権力者に対し暴力によって異議をとなえるがためにささげたのだ。

貴い生命と、いま私は言った。まことに生命は貴ぶべきものである。しかし、諸君、彼らが散華したのは個人の生命よりもさらに貴重なものが存在するということを、後に残された吾々に教えるためなのだ。それは何か。すなわち革命である!

彼らの死は美しい。小我を殺して大義に殉じたからこそだ。彼らは良き夫であった。良き父親であり、良き息子であり、良き恋人であった。しかし彼らはその権利を捨てて暴力デモや内ゲバに赴き、そして死んだのだ!運動家諸君、私は敢えて問う。
70年代に警官や運動家は何故死んだのか?」

「デモと暴動で一般社会に混乱を起こして、警察も取り締まらざるを得なかったからさ」
独白にしては声が大きかった。

・・・・(中略)

「私は、安保闘争の中で、ある党派のテロに殺された○○の婚約者です。いいえ、婚約者でした」
「私はただ、先生にひとつ質問を聞いていただきたくて参ったのです」

-------------------------------------------------
第一演説
http://tanautsu.duu.jp/kousatsu01_20.html

関連議論
http://tanautsu.duu.jp/the-best01_03_01_aa.html


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