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初代管理人の本論8 関連議論集3
田中芳樹と小林よしのりとの比較について


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No. 1202
久しぶりに見て
投稿者:satoko 1999/5/09 14:00:37
おひさしぶりです。以前少し書かしていただいたsatokoです。
この間かきたかった質問意見を遅くなりましたが書かしていただきます。

その1、なぜ批判するべきが田中芳樹氏なのか?
この間のレスで聞きたかったのは、「小説や漫画以上に影響を与えるものはない。」という主張の石井さんに「なぜ、田中芳樹氏や小林よしのり氏以上に影響力を与えない、与える力がない思想家に対して批判の目を抜けないのか。」という事です。私は田中氏、小林氏はあくまで大衆娯楽の創作者という認識を超す事はありません。(これで田中ファンの人に誤解されたので書いとくと、そのことと私が田中作品が面白いと感じているかはまったく別問題です。)にもかかわらず、というか娯楽ものには娯楽もののエンターテイメントがあり、思っている以上にオーバーに書く事は当然あると思いますし、それがわからないほど、現代の読者はばかではないと思うんです。ですから、それほどオーバーに田中氏を批判する必要はないのではないでしょうか。

その2批判、批評者たるに徹しすぎて文章を読み取れてないのではないだろうか。
これはこのHPにはじめてきた時に一番に感じたものです。「このHPの人は言葉はよく知ってるが、文を読むという事は知らないのではないだろうか。」これは率直な感想です。例を出してみると、メイン文の6の所に「非国民という醜悪な言葉を・・・、万葉集の時代にも・・・(以下省略)」の部分で「この時代の国に対する認識が・・・。」云々とかかれていましたが、あれは普通に読めばただの比喩である事が分かるはずです。「非国民」という「醜悪な言葉」に対して「万葉集」や「平家物語」という日本文学の中でも高尚とされている文学を「高尚な言葉」という比較の言葉として使っているに過ぎません。あそこを普通に読んで、あんなふうに感じる読者は多少なり歪んだとらえ方を、または率直に取りすぎていると感じます。批評者が「じゃあ、変わりに小説を書いてみろ。」などと下らぬ事を言われる事がありますがそんな必要はないです。が、比喩やその他のそこに込められた技術を見抜けぬ人が「自分は批判者ではなく、批評者だ。」といっても私には納得はできません。特に田中作品にはそういった技術が使われている事がおおく、それを最初から穴を見つけてやろうと思って読めばつくべきところは多くあります。ですが、そこを突けばつくほど、田中ファンは「何をくだらない事を。」と失笑してここでの批評から離れていくと思います。せっかくいい意見もあるのに。

その3田中氏と小林氏の比較などまったく意味のない事である。
「参考文献を出してる分、小林氏の方が田中氏より真摯で・・・。」らしき言葉を何度かみかけましたが、まったく無駄な事です。なぜなら、田中作品の中にある政治評はいうなら小説の中のエッセンスに過ぎません(それが行き過ぎとかはこれとは別問題である)「創竜伝」を例に取るならば、竜堂兄弟は国家権力に何度も危険な目にあわされているわけで、それに対していわゆる反発や嫌悪感を感じて当然なわけです。その雰囲気を更に醸し出す部分で使われているのです。ですから、フィクションで当然ですしその事を責められるものではありません。ひるがえって小林氏の「ゴー宣」などは読者に対する告発、問題定義を目的としているものです。これが参考文献を出すのは当然の事では?少し話がそれた気がしますが、田中氏と小林氏では、まったく使っている目的が違い、うまい表現はできませんが絵本と政治論文を比較して批判しているような感を否めません。

その4 田中作品少女趣味について(笑)
ここに来ていらっしゃる方はほとんど男性のようなので、おそらくコバルト文庫など読まれた事はないのでしょうが、これを読んだ後もう一度意見を聞いてみたいです(笑)コバルト文庫ではきゃら作りの神様といっていいだろう(笑)藤本ひとみがコバルトから離れた時、すばらしい女流作家である事を考えた場合、ケースバイケースが田中氏にも許容してあげてもいいんじゃないかなと。まあ、これは女性ファンの戯言とおもっていただいていいのですが(笑)

相変わらずまずいぶんで理解しにくい所も多々あると思いますが、おっしゃってくださいましたらもう一度書き込みますのでよろしくお願いします。


No. 1203
何だかなぁ、トホホ
投稿者:仕立て屋 1999/5/09 16:52:42
いままでの苦労はなんだったのか、、、、
 いろんな方々が論理的に論じてきたのは無意味だったのか、、やはり、万人に通ずる意見の出し方って難しいのだなぁ。

 卑怯な書き方をしたが、理由を説明するのもだるいので、荒らしと判断されましたら削除されたし。


No. 1204
そんなの当然じゃないですか。
投稿者:satoko 1999/5/09 18:43:32
仕立て屋さんへ
「万人に理解してもらうの意見を言うのは難しい・・・。」なんて当然です。私だって下に書いた意見で皆さんに納得してもらうつもりはないし。でもそこから、さらに相手を完全にとは言わなくとも、理解を示してもらえるよう努力するからこそ、進歩があるのでは?

「理由も書くのもたるい」とのことですが、おそらく私の意見を読んでのことでしょうが、もしこのまま、理由を書かずにこのままにしていれば少なくとも私はこれから先のあなたの意見に正当性を感じる事はできません。このページのほかの人に感じる(たとえそれが腹立たしいものだとしても)誠意を、あなたに見出す事はできなくなるでしょう。

他の人が積み上げてきた理論云々ほど、他の人に失礼な話はないと思います。他の方がここまで積み上げてきた理論をばかにしてるのはあなたのその投稿では?別に腹立たしく思ったりするのはかまわない事と思いますが、あきれ気味にこたえるというのは普通に考えて、礼儀知らずだといわれても仕方ない事はわかっていただけると思います。

雑文ですいませんでした。


No. 1205
レス
投稿者:仕立て屋 1999/5/09 22:36:19
 礼儀知らずととられたのでしたらかまいません、そのつもりで発言したのですから。
 まず、ここでの話題や批判の対象が田中氏中心になるのは当然であります。なぜなら、このホームページの趣旨を読んでいただければ、ご理解いただけると存じます。そこを踏まえた上で以下、わたしの意見を述べます。

 そもそも、作家に対する批判、批評というのは、その作品自体は当然としてその作品に対する作家の姿勢もまた対象となりましょう。
 なぜ、小林氏の姿勢が真摯であって田中氏がそう受け止められないのか。作家とは執筆をなりわいとしているのですからその作品のジャンルの如何にかかわらず、それらに対する反動をもすべて引受ける位の覚悟が必要です。小林氏が己の基本姿勢を明確にし、自らの作品に対するレスポンスを引受けようとしている一方で、田中氏の場合はフィクションを歌うかぎりそれらから免責されるのです(故意でなくとも)。
 たしかに物語のメインを飾るための要素としての政治批評もあるでしょう。しかしながら、そのとき気を付けるべきはそのエッセンスに不偏性がなければならないということです。でなければ万人受けは不可能であります。創竜伝においては明らかにある種の政治姿勢にたって政治批評がなされているのですから(ましてや実例を-出典の不明な-)、それと異なる政治的立場の人間から批判を受けるのは当然です。このような場合、その作品はフィクションを越えて政治評論の色を帯びてしまうのです。フィクションを歌う限りはそんな意見は封殺されてしまいます。ここに作家の作品に対する姿勢が現れるのではないでしょうか。あなたは、

>参考文献を出してる分、小林氏の方が田中氏より真摯で・・・。」らしき言葉を何度かみかけましたが、ま
ったく無駄な事です。なぜなら、田中作品の中にある政治評はいうなら小説の中のエッセンスに過ぎません
(それが行き過ぎとかはこれとは別問題である)

"別問題"とおっしゃいましたが、それこそが重要なことであるのに(そして、それに対する意見が述べられてきたのです)、"無駄"のひと言で切って捨てておいでになります。わたしが、失礼なレスをしたのもそのためです。フィクションと断りを入れられた瞬間から(あなたの発言にもありますが)、わたしは口を閉じざるをえません。

 わたしが先の発言で"万人に通ずる意見を論じるのは難しい、云々"と述べましたのは、俺様ランチさんらが提言された昨今の特定の立場にのみ受けるような発言が幅をきかしているという言葉の趣旨を受けての発言であって、単に異論の持ち主を論破するのが難しいと言った訳ではありません。
 たしかに武器の記述など舞台設定の不備などをもって一方的に田中作品を切るのは、木を見て森を見ずかもしれないが(これは田中氏の作品に対する姿勢として別に批判の対象となりうるが)、あなたが問題としている部分においては決して不偏性のない内輪うけのみに終止した論とは言えないでしょう。相手の意見に反論する場合、相手の論旨を正確につかんだ上で(&このホームページの趣旨を踏まえた上で)、行っていただきたいと存じます。

 長々と失礼いたしました。


No. 1206
仕立て屋さんへ
投稿者:satoko 1999/5/09 23:51:27
なるほど理解できました。私の文がまずいために大きく誤解をさせてしまったようで、反論させていただきます。私があのなかで書いた。「行き過ぎであるとかと別問題である」という記述に関して、「無駄な事だ」と判断されたようですが、それは私の文の悪さもあるでしょうが、違います。行き過ぎである部分に関するここでの討論は、私はどちらかといわれれば田中信者と言ってもよい方だと思いますが、納得する所も多くすばらしいものだと思います。その点は私が知ってるほかの田中ファンの多くが認める所であり、私ももっと面白い討論などを期待しているくらいです。ですが、私があそこで書いたのは「田中氏の作品は小説である。その内容を批判するのはわかるとして、なぜ小林氏と比べる必要があるのか。」ただ一点のみであり、あそこで言う「別問題」とはその内容を切り離して考えてほしい、というものです。でなければ、「行き過ぎだから批判してるんだ。」で終わりですから。

ですが、一田中ファンとしてみてみればそれは納得しうる解答だとは思いません。私も「創竜伝」の中にある田中政治論的な部分はストーリーを混乱させる部分は多々あると思うし、そこを批判されても、まあ沿うかなと思いますが、批判の中にジャンルが違う人を比較に出して真摯であるかどうかという事を問うのは、田中ファンに楔を打ち込むという目的であるこのHPにあって、田中ファンがあきれる事のない記述ではないと少なくとも私は思う。

それでもなお、理解できないというなら私はあなたに対して何も言う事はできません。すくなくとも、私という田中ファンにはあなたが楔を打ち込む事はできなかった、そういう事になるだけの事ですから。


No. 1207
ですから、論旨を汲んでください
投稿者:仕立て屋 1999/5/10 01:20:03
 satokoさんへ

 わたくしは全然、誤解などしておりません。ゴー宣と創竜伝が別ジャンルだということも理解しております(satokoさんの文脈上の別問題の使い方は明らかにそう取れませんが、文章全体からそのように理解しております)。その上で申し上げているのです。作家は書きたいものをまず、明らかにすべきです。その際、おのずとどのような体裁を取ればよいかきまるものでしょう。ゴー宣はあなたのおっしゃるとおり問題提起なのですからあのような形になったのですし。そのときギャグ漫画が描きたいのなら”おぼっちゃまくん”のような形態をとるでしょう。つまり、どのような場合でも作品に取り組む際はその姿勢をはっきりさせるべきなのです。一方、創竜伝はどうでしょうか。ファンタジー活劇があれほどまでに(実世界でも問題になったような事柄を例に挙げて)政治偏重するのはいかがなものでしょうか。わたしも実は8巻まで創竜伝を購読していますし、1巻目はそれなりに楽しく読みました(途中で、中国神話に突然切り替わったときにあれっと思いましたが)。全体的にはファンタジーと取れますが、現実世界の事柄を主に挿入されていますし、なかには同じ日本人として腹立たしい内容のものも(繰り返し申し上げます。普遍性があれば、ファンタジーとしてキャラに感情移入できるのです。あのように現実世界とオーバーラップされるとどうも、、名作、銀英伝にも政治的発言はありますが、それらには普遍性があります)あります。そこで、思うのです。どっちかにしてくれよ、せっかく楽しく読んでたのに、という具合に。それでもこの作品はフィクションという枠をもちいています。田中氏はどちらかはっきりすべきです。反論しようにもフィクションである限り、対象が曖昧になってしまってしまうのです。この場合、作品の内容をある部分破錠させる要素としての政治批評としか批判できなくなります。このような意味で小林氏と田中氏を比べているのですよ。”作品に取り組む際の真摯さ”ですね。

>それでもなお、理解できないというなら私はあなたに対して何も言う事はできません。すくなくとも、私という田中ファンにはあなたが楔を打ち込む事はできなかった、そういう事になるだけの事ですから。

 こういう言い方はいかがなものでしょうか。これでは、価値観の相違で終わってしまいます。上記にあるとおり、あなたの論旨はつかんだ上で申し上げているのです。わたしもある意味、田中ファンですよ。もう少し、相手の論旨を汲んだ上でのレスを期待いたします。

>「理由も書くのもたるい」とのことですが、おそらく私の意見を読んでのことでしょうが、もしこのまま、理由を書かずにこのままにしていれば少なくとも私はこれから先のあなたの意見に正当性を感じる事はできません。
 (中略)
>他の人が積み上げてきた理論云々ほど、他の人に失礼な話はないと思います。他の方がここまで積み上げてきた理論をばかにしてるのはあなたのその投稿では?

 ひとつのことであなたがこれからなされるであろう発言を決め付けることはいたしませんし、そのような権限をわたしは持ちません。ただ、刺激を求める身として、僭越ながら、これからもあなたの、レス、ご意見、期待しております。

 ところで、あたなたの上記発言の中略以降、論理的にご説明いただけませんか?よくわからないもので、、、。

 これにて失礼。


No. 1209
私見
投稿者:Merkatz 1999/5/10 06:55:43
このサイトの意味やスタンスについてずいぶん論じられてますね。
「右傾化」という非難は仕方ないかなと思います。だって批判対象たる田中芳樹が「極左傾化」してますから、それに対する批判は自然と「右傾化」せざるをえないでしょう。
しかしそんな中でもレッテル貼りは行われてなかったと、私は思うんですけど。皆さんの批判は常に論理的で「左翼だからダメ」のような切捨ては全然なかったと思います。

それにこのサイトが新規読者の獲得に実績を上げているのは事実ですし。私がその証拠。ここのサイトに来なかったら、絶対創竜伝なんて読んでませんよ。
ここでいろいろ批判されていたから、いっちょ読んでみるか、という気になったんです。次は馬ネタで盛り上がった「アルスラーン」も読んでみたいと思ってますし。

確かに非常に細かいことまで突っ込んでいるんで、ファンの人から見れば「だから何?」と思うのも無理はないとも思いますが、「創竜伝」に限って言えば、社会批評が作品としての構成をぶち壊しているのが問題なのであって、ここの人たちは常にそれを前提として論じてきたはずです。
ですからファンの人たちもそこのところを理解してほしいと思います。ここの人たちは(自分も含めて)重箱の隅をつついて喜んでいるのではなく、田中作品のこういう所が作品の面白さを削いでいるぞと言いたいのです。
それを指摘するのに作者の思想にまで言及せねばならないところに、小説に社会批評を混ぜ込んだ「創竜伝」の業の深さがあると思うのですが。

管理人さんの「レッテル貼りはやめよう」との提言ですが、私は何のために批判を行っているのかを明らかにするほうが重要だと思います。
常連さんにとっては「社会批評が作品構成をぶち壊している」というのは暗黙の了解であっても、ここに初めて来るファンにとってはそうではありません。
ですから「こうこうこうだから、これが作品をくだらなくしている」「ああだから作者の誠意が感じられない」という風に、その批判対象が作品に及ぼしている影響を言及するほうが良いのではないでしょうか。
思想批判でとどめるのではなく、それが結果として作品に悪影響を与えているよと付け加えたほうが良いと、私は思うのです。


No. 1210
自分の言葉ではなしてみようと思います。
投稿者:satoko 1999/5/10 14:14:43
どうも、カッコつけて難しい言葉で話そうとして誤解を招くようなので、ふつ〜の話し方で書いてみよと思います。

Merkatzさんのご意見すごくわかりやすくて、ふむふむと思いながら読んでました。(^^)
そこを踏まえた上で、一つ言いたくて書いてます。実は私が前に書いた意見で、「なぜ田中芳樹なのか。」という事に関しておそらく「極左翼化してるからだ。」という答えが返ってくるだろうと思ってました。でそこから言いたかったのは、ここでは少し誇大に田中氏を評価(?)しすぎてないかな〜。という本音です。

私の友達の「田中信者」(この表現笑える)は「田中作品に対する批判がある。」それだけで許せないようです。だから私が「田中中国小説きら〜い。」とか言うだけでもまじきれになっちゃいます。その子に無理矢理うちに遊びに来た時このHPを見せました(冗談で)。いらいらしているようでしたが、メイン文の途中までは「悔しいけど、そうかも・・・。」といっていたのが、「小説なら許される」の項を読んだ瞬間に壊れました(笑=こんなにあてはまる言葉はないと思うくらい)「こんなHPぶっつぶしてやる〜!!」と言い出した彼女を私と彼女の彼氏でなだめても(それも冗談半分だったけど)「こんなくされいけんに誰が共感するか〜!」の一点張りでした。

途中まではほんとにちゃんと読んでたんです。なのに、あまりに露骨ないやみによってそれ以外の本当に共感できる意見が消されてしまったのです。

私はここでの議論で田中氏の記述が左翼よりなものに関して、右翼的な意見に傾くのは当然だと思います。それは同じ意見です。ですが、ここで書かれている田中像が本当に正しいものでしょうか?どうも私にはあまりに極端に田中像を作り上げているのではないかなと、それを見るとなんだか、その意見に説得力なく感じるようになるんです。

もちろん、ここのHPがただたんにみんなで悪口いお〜ぜ〜、とか、田中ファンでも理解できないやつはほっときゃいい。という目的のものであれば別にかまわないかな〜と思いますが、ここは論議を目的にしている場と感じられるし、石井さんをはじめとして「理解してもらおう。」という誠意を感じるとてもよいHPだと思います。だから、読みたくない人に無理に読ませるのは私の友達だけとして(笑)いろいろな面から見てみたいというファンが、抵抗ない、少なくとも、理論をよむきもしないなどとなり得るような所ははずしてもいいんじゃないかと思います。

そういう意味で「田中は極左だ!」とか言う表現じゃなく「こうこうこういうとこから、田中氏の考えがおかしい。」という表現になった方がいいんじゃないかなと感じるので、多分管理人さんやその他の人が言ってたのも「右翼的な意見はいうな。」というものじゃなく、「極端に田中氏を左翼扱いするのはやめよう、理論的に責めていこう。」というものだったのかなという気がします、違うかもしれないですが。そんなんわかってるよ、ってかんじたらごめんなさいねm(−−)m、とりあえず、以前来た時、田中氏がまるで悪の権化か、ただの変態か(笑)といわんばかりの掲示板での書き込みがあったこともあって確かに理論的に話してくださってる人もいるが、そういう幼稚な人もいて辟易した田中ファンが「下らん」として離れていった人がいる事からかんがえて、あの忠告は軌道修正するのにすごくいい事だったんじゃないかなと思います。

それでは雑文ですいませんでした。仕立てやさんへのレスはもう少し冷静になってから書く事にします。


No. 1211
そうですね
投稿者:仕立て屋 1999/5/10 17:20:28
>常連さんにとっては「社会批評が作品構成をぶち壊している」というのは暗黙の了解であっても、ここに初めて来るファンにとってはそうではありません。


 そうですね。わたしもそれには同意します。ただ、わたしが1203発言においてあのような失礼な物言いをしたかと申しますと、satokoさんが1202の発言の冒頭にて以前にも発言された、云々とご発言されていたのを受けて、ああ、一応は創竜伝における田中氏の真摯さの欠如の項を(この掲示板の初期に論じられているので)お読みになってるのだ、それを踏まえた上でさえあのようなの発言(1202のその3)をされるのか、ああ、むずかしや〜〜〜と感じたからです。
 もう少し、寛容さがひつようでした(ちょっとえらそうか?失礼)。


No. 1214
satokoさんへのレス
投稿者:本ページ管理人 1999/5/10 23:46:31
>その1、なぜ批判するべきが田中芳樹氏なのか?

 これについての主な説明は前回行ったと思うので、今回は思想家について述べます。
 確かに有効な言説の伝え方を模索せず、狭い世界で旧態依然としている論壇には批判される部分があります。しかし、「知識人の本は力作であれば力作であるほど難解になって売れにくい」と今回のゴー宣が喝破しているように、原理的に大衆社会に於いては知識人は影響力で小説家や漫画家に勝ちようがありません。
 「竹槍で戦っている論壇村に核兵器を持ち込んだようなもの」と民俗学者の大月隆寛氏がゴーマニズム宣言を評しましたが、この言葉は論壇とエンターテイメントの関係を端的に表している比喩だと思います。この言葉には「それだけ桁違いの影響力があるのだから、自分の力をよく認識して自律してくれ」というニュアンスもあるのですが、田中氏はこの点に於いてあまりにも無自覚にやりすぎたと思っています。


>その3田中氏と小林氏の比較などまったく意味のない事である

 ゴー宣がらみの話になったので、ちょっと順番を変えてお答えします。
 まず、「参考文献を出してる分、小林氏の方が田中氏より真摯で…」とありますが、「『この作品はフィクションであり実在の人物団体うんぬんとは関係ありません』という評論としての責任逃れの一文を入れてない分、小林氏の方が田中氏より真摯で…」という趣旨のことならば私も述べたと思いますし、掲示板でも出てきたと思います。もちろん、創作小説である以上は、「この作品はフィクション…」という断りを入れること自体は、当然のことです。ですから、創竜伝でも首相や保守の政治家を愚劣に描くことは小説として許されると思います。ですが、創竜伝中にはリクルート事件や大韓航空爆破事件などの実在の事件やマハティール氏など実在の人物に対する明確な評論が存在します。たとえば、全くストーリーに関係のないところで明確にマハティール氏と判る記述に対して「独裁者で反民主的だから言うことを聞く必要はない」と評論しておいて、「これはフィクションだから」ということは卑怯であり、小説という表現技法を隠れ蓑にしていることで小説を貶めていると思うのです。もちろん、マハティール氏が独裁者で反民主的という主張を持つこと自体は結構なことです。その主張に自信があるのなら、「フィクション」である創作小説と一緒にせず「現実の」評論として語ればいいのですし、風刺というのなら「超能力兄弟が悪の財閥と戦う活劇」がテーマの小説の中にわざとらしく入れるのではなく、明確に風刺をテーマにした小説を書けばいいのです。
 閑話休題。
 少々話題がずれましたが、私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません。ただ、まったく無意味とは思いませんし、比較するというのであれば、以上の理由から小林氏の方が自分の発言に責任を持っていると考えます。


>その2批判、批評者たるに徹しすぎて文章を読み取れてないのではないだろうか。

>メイン文の6の所に「非国民という醜悪な言葉を・・・、万葉集の時代にも・・・(以下省略)」の部分
ですが、今読み返してみるとマズい文章だと思います。この点に関しては、自分の未熟さを恥じます。ですが、内容に関しては、今でも恥じるところのないものであると自負しています。
>あれは普通に読めばただの比喩である事が分かるはずです。
とのことですが、非国民という言葉の発生起源を考えれば、これに「万葉集」や「平家物語」を対置することはあまりにも不適切です。「比喩やその他のそこに込められた技術」として問題があると言われかねない記述だと思います。


>その4 田中作品少女趣味について(笑)

 については少々答えに窮しますが(^_a^;)、ライトノベルであると言うことに関しては、「アルスラーン」と「創竜伝」(共にライトノベルであっても評価が違う)の差、とだけお答えしておきます。


>私の友達の「田中信者」(この表現笑える)は「田中作品に対する批判がある。」それだけで許せないようです。だから私が「田中中国小説きら〜い。」とか言うだけでもまじきれになっちゃいます。その子に無理矢理うちに遊びに来た時このHPを見せました(冗談で)。いらいらしているようでしたが、メイン文の途中までは「悔しいけど、そうかも・・・。」といっていたのが、「小説なら許される」の項を読んだ瞬間に壊れました(笑=こんなにあてはまる言葉はないと思うくらい)「こんなHPぶっつぶしてやる〜!!」と言い出した彼女を私と彼女の彼氏でなだめても(それも冗談半分だったけど)「こんなくされいけんに誰が共感するか〜!」の一点張りでした。
>
>途中まではほんとにちゃんと読んでたんです。なのに、あまりに露骨ないやみによってそれ以外の本当に共感できる意見が消されてしまったのです。

 しかし、強烈なインパクトは間違いなく残せたのではないでしょうか(笑)。であれば、このHPはその友人の心に楔を打ち込めたと思います。
 私も、田中芳樹の盲目的ファンであった時代には、田中氏の理論を論破するような理論に対して同じような反応をしていたと思いますし、そのような理論は不愉快でした。しかし、その不愉快さが心のモヤモヤとして残って忘れられなかったからこそ、常にそれに対する反論を考え、それが不可能ということになったとき、それが田中芳樹の姿勢に疑問を抱く契機となったのです。
 satokoさんの友人に関しては、今現在は熱狂しておられるようなので、今このサイトを読んでもらうことは無理かも知れません。しかし、多少なりとも冷静になったときに(いつかは必ずそういう日が来ます)、このサイトは自分があれだけ熱狂した田中芳樹とは何だったのかということを考える参考になるのではないかと思います。


No. 1218
横レスですみません
投稿者:仕立て屋 1999/5/11 01:30:16
 横レスで申し訳ありませんが、一言(取り立てて意味はないけどね)。

>少々話題がずれましたが、私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません。ただ、まったく無意味とは思いませんし、比較するというのであれば、以上の理由から小林氏の方が自分の発言に責任を持っていると考えます。


 こんな言い方は失礼であるかもしれませんが、ちょっと気になったものでお尋ねします。
これは一種のリップサービスですか?それとも本心からですか?たしかに、創竜伝における田中氏の姿勢を批判する際、何故その引き合いに小林氏を持ち出さなければならないのかと問われますと答えに窮します。ですが、管理人さんもご承知のとおり、件の田中氏の真摯さの欠如を論じていたのは、ちょうど小林氏の著書(戦争論など)が話題になっていた頃合であったわけで、その流れの中で小林氏が対極者として引き出されてきたのではないでしょうか。そこには別段、右翼的意図があったようには思えません。で、小林氏のことを考えてみると、彼はゴー宣や戦争論の類を描くまでは、おぼっちゃまくんなど(すみません、お気に入りなもので)ギャグ漫画主体でしたよね?そこから社会評論の類に切り替えたとき、本人も作品の中で言ってるわけですよ、”己の身を正す”と。”次やりたいもの”はフィクションという表現形式を採っているわけにはいかないと(←これはわたしの解釈です、あしからず)。
 小林氏も元々は田中氏同様、純粋にエンターテイメント主体の作家だったのですよ。しかし、やりたいものが変わればそれにふさわしい表現形式があることを自覚した上で、エンターテイメントを持たせつつもあのような体裁を採ったわけです。翻って田中氏はどうでしょうか。同様な観点から見つめてみると、やりたいことに最適な形を模索するという姿勢を故意かどうか、無自覚なのかどうか分かりませんが、読者に見せようとしないではありませんか。もとは田中氏同様、エンターテイナーだったいう素性をかんがみて田中氏に対する作家として小林氏を引き合いに出すのは、以外に最適だったかもしれませんし、比較する上で”非常に”意義のある話題でなかったでしょうか。

 まあ、以上のようなことは管理人さんも十分承知した上だと考えます。第一、この件はわたしが言い出しっぺだったわけではありませんし、自分自身、何故、そこまでくそまじめにレスしてるん?という気がしないではありません。ですが、”とりたてて意味があるとは思いません”とおっしゃられますとこのホームページの歴史を振り返った場合なんだか違和感があったもので横レスいたしました。

 わたしも正味、すらっと流そうと思えば、そうしていたところなので(なぜか、魔がさして1203のようなアホな反応しめしちゃいましたが)この話題はこれくらいにしたいと思います。

 失礼をば。


No. 1219
RE.1218
投稿者:本ページ管理人 1999/5/11 01:57:28
>>少々話題がずれましたが、私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません。ただ、まったく無意味とは思いませんし、比較するというのであれば、以上の理由から小林氏の方が自分の発言に責任を持っていると考えます。

satokoさんがこのことを論の本旨のように述べていますが、それを踏まえて本旨ではない余談だという(比較対象論としてまとめていないしするつもりもない)意味で「私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません」と書きました。

>”とりたてて意味があるとは思いません”とおっしゃられますとこのホームページの歴史を振り返った場合なんだか違和感があった

に関しては、「まったく無意味とは思いません」と述べているとおりです。


No. 1220
レスありがとうございます!
投稿者:satoko 1999/5/11 02:29:48
管理人さんれすどうもです(^^)わかりにくい文に親身にこたえてくださってほんとにうれしいです。

とりあえず、最初に謝っておくと書き方がまずかったせいで、またもや誤解をさせてしまったかもしれないのですが、田中氏と小林氏の比較については「小林氏と田中氏の比較というやり方が間違ってる。」という事が言いたかっただけなんです。

ここのベストで「田中ファンに小林ファンはいないだろう」みたいな事があった気がするので言うといい加減と思われるかな〜と思って言わなかったのですが、私はかなりの小林よしのりファンです(笑)「田中芳樹と小林よしのりをどっちを彼氏にする?」ときかれれば間違いなく「よしりん!」とこたえるくらい(笑)

冗談はさて置き、「ゴー宣」ほぼ全巻そろえてるくらいのよしりんファンとしてみれば、他の人に「真摯である。」といわれれば、すごくうれしいです。(ただあそこでは、田中氏と比べればという限定だけど)それとは別に田中作品に政治的な所でストーリーの邪魔になるから愚痴なら他でいってほしいなと思う部分はあります。ですがそれとこれとをくっつけるのはいかがなもんでしょう?

たとえばなしのようにするのが一番わかりやすいと思うので(というか好き(笑))かいてみますと、たとえば、ある人がすごく赤川次郎の推理小説が好きだったとします。その人に対して、「ほんとに赤川次郎は取材してから書いてるのか、それに比べて山村美砂の作品はよくしらべてあるので臨場感あるいい作品じゃないか。」といわれれば悔しくても納得できると思います。
ところがこれが「本当に赤川次郎は取材してから書いているのか、それに比べて横山漫画三国志は中国に調べにいっただけあって臨場感あるじゃないか。」といわれて赤川次郎のファンが納得するでしょうか?それが真実をさしていても、それは違うだろうって感じになるのが普通だし、論法的に間違っています。

「それが行き過ぎだとかは別問題だ。」と書いたのは小林氏が「真摯である」ということ(ただこれは譲れないですが、参考文献を出すのは当然しなければいけない事です)や田中氏が真摯的ではない、という事に反論したい、を問題にしてるのではなく、そういう論法が間違ってるのじゃないだろうかというための言葉だったんです(これは仕立て屋さんへのレスになっちゃうか?)

ジャンルの違いを超えての批判というのは、論評を行う上でタブーとされているのはご存知だと思うのですが、その上でかかれたのかちょっと聞いてみたいなと思います。

長くてごめんなさいm(−−)m


No. 1221
そのとおりです。すいません。
投稿者:satoko 1999/5/11 02:40:16
管理人さんへ、つけくわえて謝るとわたしもあそこに書かれている本旨ではないことがわかっていたにも関わらず、揚げ足取りのような事を書いてごめんなさい。そのとおりです。軽く書くつもりだったのに大きく書いてしまってすいません。反省します。


No. 1222
質問です
投稿者:仕立て屋 1999/5/11 03:34:18
>satokoさんがこのことを論の本旨のように述べていますが

 この部分がよく分からないのですが(私の解釈力の無さか)。つまり、ここでお使いの本旨が誰の本旨のことを言われておられるのか
ということです。
 私がsatokoさんとのやり取りの中で使っていた論旨という言葉に引っ掛けて、satokoさんの1202のご発言におけるsatokoさんの文章全体の本旨を私が誤解しているという意味でお使いになっていらっしゃるのだとしたら一言、言わねばなりません(私の妄想か?違っていましたらお許しを)。
 satokoさんの1202のご発言においては質問というか意見がそれぞれ意味合いにおいてほぼ独立し、1〜4に分けられ、為されています。1、2、4は特に取り分けて言うことはありませんでしたので、3に対してのみ発言1205において私はレスしたのです。それに対するsatokoさんの1206のご発言における内容が私の1205の論旨を汲んだものではなかったのと1204のご発言の一部に対して思うところが有った(これは私の発言1203が無礼だったのを考えるといたしかたありませんが)為に(わたしも面識のない人に論旨を汲めなどと言う言葉を使うのはあまり好みませんが)あのような言い方をしたまでです。そもそもsatokoさんの発言1202の3におけるご意見は”別ジャンルの本を比較して論ずるのは無駄である”というのがその3における本旨ではないかと思われるのですが(その引き合いに”参考文献を出してる分、小林氏の方が田中氏より真摯で・・・”が出されていたように存じます)、違いましたでしょうか。この3をうけて管理人さんがご発言1214の3に対するレスをつけておられ、そこにおいてsatokoさんのご意見に”すべてではないがある部分において”納得されておられる(リップサービスでなければ)のを踏まえますと、私の発言1218に対する管理人さんのご発言1219の私へのレスは的を得ていないように思われます。私の気のせいでしょうか?
 わたしの勘違いでしたら、お詫びいたします(本当はこんな野犬のようなマネはしたくないのですが)。もし、私の創竜伝ファンの方々に対する発言がお気に召されないのでしたら、高飛車な発言は今後控えたいと思います{管理人さんが小林氏に対して支持するものでもなく中立の立場であることは承知しております。が、管理人さんのこのホームページの意図という部分とコンテンツ8の中での小林氏に対する言及”一点だけで、私は小林の方が数倍真摯であると思う”を考えるとわたしもその”一点”においてくそまじめに論を展開したのですが(satokoさんのご発言1202その3の論旨がその”一点”に反論するものでしたから)、管理人さんのご発言1214の3のレスや1219の内容から私はこのホームページでの位置の立ち方がわからなくなったもので}

 よろしく、お願いいたします。


No. 1223
RE:1220,1221
投稿者:仕立て屋 1999/5/11 03:44:27
 もっと言葉を大切にしてください。
おっしゃられていることが、全然一貫していないではないですか。

>「それが行き過ぎだとかは別問題だ。」と書いたのは小林氏が「真摯である」ということ(ただこれは譲れないですが、参考文献を出すのは当然しなければいけない事です)や田中氏が真摯的ではない、という事に反論したい、を問題にしてるのではなく、そういう論法が間違ってるのじゃないだろうかというための言葉だったんです(これは仕立て屋さんへのレスになっちゃうか?)


 全然、回答になっていませんし私のあなたへの反論の趣旨とずれています。ころころ変わる主張にいちいちくそまじめにレスした私が馬鹿みたいじゃないですか。

 疲れました。しばらく、ROMに戻らせていただきます。


No. 1224
よしりんとよしきん
投稿者:本ページ管理人 1999/5/11 03:46:26
 小説である創竜伝と評論であるゴー宣を比較するのはどうかということなのでしょうが…

 おそらく、羊頭狗肉という故事がこれほど当てはまる事例も珍しいと思うのですが、創竜伝は小説の名を借りてはいますが実態はアジテーション評論集というのが現実だと思います。または評論が小説の「ひさしを借して母屋を取」っている状態。

 暇になったら創竜伝の内、評論部分がどれだけの割合を占めるか測ってみたいと思っています。
 きっと面白い結果が出てくると思う(^_a^;)


 「小説だから評論と比べるな」というのは正論です。芥川龍之介の「羅生門」とK・シュミットの「政治神学」のどちらが優れているかを述べよ、というのは無茶な話です。しかし、創竜伝が小説の名を名乗っていても実質は評論では、評論のゴー宣と比べることは無茶だとは思いません。
 また、田中芳樹の羊頭狗肉の姿勢も責められてしかるべきですよね。小林よしのりとの比較にはその部分もあります。少なくとも、小林よしのりは羊頭狗肉はやっていませんから。
(ただ、三流の内ゲバ解析論よりもドストエフスキーの「悪霊」のほうが真実をついているというようなことはあります。創竜伝のようにわざとらしく評論を入れなくても評論以上に真実を語れるこれこそが本当の「小説」の力なのですが、ここでは例外として置いておきましょう)。


No. 1227
RE.1222
投稿者:本ページ管理人 1999/5/11 04:28:29
『satokoさんがこのことを本論8やこのサイトの本旨のように述べていますが、それを踏まえて本旨ではない余談だという(比較対象論としてまとめていないしするつもりもない)意味で「私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません」と書きました』


 とするとわかっていただけるでしょうか。>参考文献を出してる分、小林氏の方が田中氏より真摯で・・・の部分が私の本論8の『「この物語はあくまでフィクションであり、現実の事件・団体・個人などとは無関係であることを、とくにお断りしておきます。」という評論の本質と正反対の免罪符をかざしていない一点だけで、私は小林の方が数倍真摯であると思う』部分の誤解だと認識しましたので、その誤解部分への反論とともに、『そんなに大きく扱っているけど小林よしのりと田中芳樹の対比は本論8及びこのサイトの余録であって「本旨」ではないですよ』というつもりで「私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません」と書きました。


 仕立て屋さんとsatokoさんがこの件に関して論争していたことを考えれば、少々配慮に欠ける書き方だったかも知れません。申し訳ありませんでした。
 しかし、上記した以外に他意はありませんので、よろしくご理解ください。


No. 1228
わかりました
投稿者:仕立て屋 1999/5/11 05:27:13
 わかりました。私が誤解していたようです。ご返事ありがとうございました。
 ただ、運営者でもない私が僭越ながら言わせていただくと、このホームページの”本旨”とはいったいなんなのでしょうか?このホームページの冒頭の緒言をご覧になっていただくと(って管理人さんがお書きになっているのですから私が言うまでもありませんが)、田中氏の作品に対する取り組み姿勢とそれが軽んじられた場合にその作品がどのような果実として結実してしまうのか、そしてそれを良しとするファンに楔を僅かでも打ち込められたら、ということではなかったでしょうか?そしてここは掲示板におけるさまざまな方々の意見の積み重ねによって成り立っているのではないでしょうか(中には少し外れつつもそこから派生していろんな話題に盛り上がるのもまた、楽しく、それはそれで良しです<---こういった話題のほうがむしろ私にとっては好ましいくらいです)。そんな集まりに依っているこの場において、ましてや、田中氏の姿勢を比較するのに(断っておきますが、あくまで姿勢であって作品の内容事態を比較しているのではありませんよ<--ここがsatokoさんの私の発言に対する勘違いです)引き合いに出された(言い出しっぺはわたしではありませんよ。変な正義感を出したまでです)小林氏のくだんの話題を”余禄”と捉えてらっしゃるのを拝見いたしますと、それではいったいその本旨というのは一体何であり何によって成り立っているのかと疑問を感じざるを得ません。 わたしが野犬のごとく噛み付いたのもここだけは譲れないと思ったためです。要素をないがしろにした本質ってのに如何ほどの価値があるのでしょうか?

 えらそうにくどくどと述べましたが、頭を冷やしてまた出直します。そのときはみなさんよろしくお願いいたします。


No. 1229
補足というか
投稿者:仕立て屋 1999/5/11 05:52:23
 何も小林氏が最初から思想家であり学者であり、評論家であったのなら参考文献を出すのは当然でありましょうし、田中氏が創竜伝においてそうしないのを批判するのはジャンルを超えたタブーを犯していることになりましょうが、しかし、よく考えてみてください。小林氏はもともとギャグ漫画家だったのですよ。そして路線変更した場合に彼はそのまま、ギャグ漫画家を騙って(本人は今でもギャグマン画家とおもっているかもしれないが)評論まがいのことをぶっ放すことだってできたのです。それをしなかった小林氏と比べると田中氏の創竜伝にはそんな執筆者としての真摯さの欠片も感じられないのです。わたしはこのことを何度もレスしてきたのですが、、、、、、


No. 1230
この件に関してはほんとにこれで最後とします
投稿者:仕立て屋 1999/5/11 06:49:26
 ジャンルは違えども作品に取り組む姿勢を見比べた場合、そこに流れる本質は源流をたどれば、ここの緒言および、本旨に太く確実にリンクしていると私は思うからこそ、おかしなほどこだわったのです。そしてこれを余禄とされると、じゃぁ、根源的に根っこにおいて繋がっている(私の主観です)このサイトの本旨とは何ぞや?と問いただしたくなったのです。わたしの勝手な思い込みかもしれませんが。


No. 1240
まとめレス
投稿者:本ページ管理人 1999/5/12 14:21:50
>ジャンルは違えども作品に取り組む姿勢を見比べた場合、そこに流れる本質は源流をたどれば、ここの緒言および、本旨に太く確実にリンクしていると私は思うからこそ、おかしなほどこだわったのです。

>ジャンルは違えども作品に取り組む姿勢を見比べた
というのはちょっと小林よしのりを引き合いに出す趣旨が違うと思います。ジャンルを無視して自分の仕事に取り組む姿勢を比べるのであれば、野茂選手の野球に対する野球選手としての姿勢や黒沢監督の映画にかける映画監督としての姿勢を、田中氏の小説に対する作家としての姿勢と比べても良いわけですから(もちろんこの比較は「妥当」だと思いますが)。
 しかし、ここで小林よしのり氏が引き合いに出されるのは、エンターテイメントの旗手が評論に手を出すという姿勢が共通するからであり、評論をする以上はその評論に対する姿勢の比較としてわかりやすいからです。
 ですから、田中芳樹の職業に対する姿勢を問うための有力な検証として小林よしのりとの対比は有効ですが、検証は検証に過ぎず、本旨ではないのです。


No. 1265
レス to 1240(管理人さん発言)
投稿者:仕立て屋 1999/5/20 07:16:23
 十分にクールダウンしたのでレスします。

 レスの前にひとつ言っておきたいことがあります。一連の管理人さんから私へのレスを眺めていると、知ってか知らずかどうも細切れレス、つまり、発言の主旨を汲んだレスではなく、単文だけをとりあげてのレスが目に付きます。単文抽出による反論はたやすいですよ。前後関係を無視できますから。

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>>ジャンルは違えども作品に取り組む姿勢を見比べた
というのはちょっと小林よしのりを引き合いに出す趣旨が違うと思います。ジャンルを無視して自分の仕事に取り組む姿勢を比べるのであれば、野茂選手の野球に対する野球選手としての姿勢や黒沢監督の映画にかける映画監督としての姿勢を、田中氏の小説に対する作家としての姿勢と比べても良いわけですから(もちろんこの比較は「妥当」だと思いますが)。
 しかし、ここで小林よしのり氏が引き合いに出されるのは、エンターテイメントの旗手が評論に手を出すという姿勢が共通するからであり、評論をする以上はその評論に対する姿勢の比較としてわかりやすいからです。
 ですから、田中芳樹の職業に対する姿勢を問うための有力な検証として小林よしのりとの対比は有効ですが、検証は検証に過ぎず、本旨ではないのです。
----------------------------------------

 あのね〜、いつ私がジャンルを超えた比較を一般化しましたか?こういうレスのつけ方は自覚しておられるのならある意味納得できますが(私を馬鹿にしてるのかい?とは思います)、
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>しかし、ここで小林よしのり氏が引き合いに出されるのは、エンターテイメントの旗手が評論に手を出すという姿勢が共通するからであり、評論をする以上はその評論に対する姿勢の比較としてわかりやすいからです。
 ですから、田中芳樹の職業に対する姿勢を問うための有力な検証として小林よしのりとの対比は有効ですが,,,,
---------------------------------------
 これは私がおぼっちゃまくんの例を出したりしてさんざん主張してきたことそのものなのですけど。それをそのまま返されても答えようがないのですが、、、それともそれを汲み取られずにレスされているのでしたらおどろきです。ですから、管理人さんの主旨が
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>検証は検証に過ぎず、本旨ではないのです。
----------------------------------------
の部分だと良心的に解釈することにします。が、これにしたところで、わたしがいつ、この”意義ある”検証を本旨だといいましたか?このサイトにおける緒言と緒言を具体化したコンテンツ8の主旨を補強する要素(検証材料<----確かに、'よく小林よしのりのことを聞かれるけれど'と最後におまけ的に述べられていますが、この小林よしのりの話は明らかに主旨の補強として用いられています、でなければ、持ち出す必要がありません)であるとは主張しておりますが。で、管理人さんが頻繁にお使いになるサイトの本旨のことなのですが、私はそれを先ほど申し上げたように緒言のことだと理解しておりましたが違いましたでしょうか?だとすれば、その緒言の具体化のひとつであるコンテンツ8においてその補強的検証の部分が否定された場合、当然、コンテンツ8の主旨も論理的関係上、否定されかねないのはおわかりになりますね。ですから、管理人さんのsatokoさんへのレス
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>閑話休題。
 少々話題がずれましたが、私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません。ただ、まったく無意味とは思いませんし、比較するというのであれば、以上の理由から小林氏の方が自分の発言に責任を持っていると考えます。
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 の部分に対してわたしが何故カチンときたかは分かっていただけると思います。つまり、自らの主張の補強的検証がsatokoさんの発言において'無意味”と言われているのに(論理構造上、コンテンツ8の主旨も危うくなる)、その検証自体は取り分けて意味がなくしいて言えば云々、とおっしゃられていることに”エラありやんけ、自分で使っといてそれがたいした意味はないってのはこりゃ、いかに?”と感じた次第です。これがもし、”田中氏のスタンスを批判するためにあえて小林よしのりを持ち出す必要はない”とおっしゃられたのでしたら、まだ、わたしも納得できたのですが(ですが、管理人さん自ら持ち出してらっしゃるのですから、おかしな話です)。しかし、これはニュアンスがまったく異なります。そもそも、自らの主張をわかりやすくするために比較対象を用いるのはよくあることですし、この場合、ちょうど掲示板で話題になった小林よしのりのスタンスとの比較を持ち出すのはごく自然な流れだと思われます、管理人さんもそう思ったのではありませんか?また、管理人さんのおっしゃるサイトの本旨なるものが主に緒言における内容であるのなら、コンテンツ8の主旨はかなりの部分その本旨に重なるとおもわれますが、どうでしょうか?わたしが何故、あれほど、satokoさんや管理人さんにこの部分で噛み付いたのかは以上の理由からです。管理人さんの概ねおっしゃりたいことはわかりますが、ここが文字情報のみの世界であり、また、それのみが相手の主張を汲み取るヨスガであるとするならば、主張、スタンスに論理矛盾を感じざるを得ません。それとも、管理人さんのおっしゃる本旨が私の理解している本旨とは違うところにあるのでしたら、わたしの見当違いということでご容赦ください。その場合、管理人さんの本旨なるものをご説明ください。でないと当サイトにおいて如何なる立場で発言してよいものか、私、迷ってしまうもので。
 あと、どうでもよいことですが、小林よしのりとの比較の件を私が先に言い出し、本旨だと私が主張しているように受け取られているようですが、少なくとも、先に触れてるのは私よりも管理人さんのほうが先なのですし、わたしは、その比較がこのサイトの主旨の補強に十分機能していると感じられるから、こだわってることだけ付け加えておきます(私が頻繁に言い出しっぺは私じゃないと繰り返していたのは、心のどこかで、別に俺が最初に小林よしのりとの比較を思いついたわけではないのに、なんで、こんなにくってかかってるんやろ?という気持ちがあったものですから。satokoさん、そういうことですのであしからず)。
 なんか、ケンカ売っちゃってるなぁ、俺。酔っ払いのクダまきのようになっちゃいましたね。常日頃、サイトの運営おつかれさまです。大変だとは存じますが、これからもよろしくお願いします。


No. 1266
補足
投稿者:仕立て屋 1999/5/20 07:54:12
 コンテンツ8の補強的検証で管理人さんが採用された小林よしのりと田中氏のスタンス比較がもし、否定されるとしたら、
 比較=間違いもしくは無意味--->フィクションにノンフィクションを織り交ぜた評論まがいの小説が肯定されかねない--->田中芳樹が創竜伝において評論まがいをかましてもそれはそれであり
 ってなことになるのはわざわざ指摘しなくともおわかりでしょう(管理人さんがそんなことは意図していないのはこんなサイトを立ち上げられてることから十分推定されますが、文字情報からはそうは取れません)


No. 1275
ちょっとだけ。
投稿者:satoko 1999/5/24 01:48:46
仕立て屋さんへ
いいだしっぺについての隠された意味に思わず吹き出したんですが、こたえる必要がないとわかってますが、とりあえず一言だけ。

管理人さんがあのレスで「取りたてて意味がない」とおっしゃったのは当然だと思うんですよ。なぜなら、私自身あそこを使う時に「そんなに8の本旨と関係ないから揚げ足取り易い。」(管理人さんごめんなさい)と感じた部分でしたから。補足説明というものは確かに理解させるのに役立ちますが、その他の部分を読めば完全に主張されたいことが理解できますし、あの部分がなくても成り立つという意味で特に取りたてて意味ないという事なのでは?

後、あんまり関係ないですけど「はっきりいってやればいいのに。」みたいな事を感じたと管理人さんに意見してるようですが、そんなに田中ファンを叩き潰したいのでしょうか?管理人さんやその他の方が理性的にレスや意見してくれてるので田中ファンはあきれたり、関わらないようにしようとせずにいるのを知っていただきたいです。もちろんここが、田中氏の悪口言うだけの所と認識なさってるのでしたら別ですが、とりあえず、偏りを無くすため管理人さんはファンのがわの意見も聞きたいとおっしゃってるようですので、あまりそのようには言わない方がいいのでは。下世話な事ですいません。すくなくとも私は負けず嫌いで、あなたにこう書いてますが、本音はもう関わりたくないといったものになってます。

雑文で失礼しました。


No. 1281
よしりん・よしきん問題のこちらからの総括
投稿者:本ページ管理人 1999/5/26 03:14:38
 まず、最初に個人的な都合からお返事が遅れてしまったことをお詫びします。
 また、すでに仕立て屋さんが矛先をおさめていることを宣告しているのに、結果として後出しジャンケンのような形になってしまったこともお詫びしたいと思います。




>田中氏の作品に対する取り組み姿勢とそれが軽んじられた場合にその作品がどのような果実として結実してしまうのか、そしてそれを良しとするファンに楔を僅かでも打ち込められたら、ということではなかったでしょうか?そしてここは掲示板におけるさまざまな方々の意見の積み重ねによって成り立っているのではないでしょうか。そんな集まりに依っているこの場において、ましてや、田中氏の姿勢を比較するのに引き合いに出された小林氏のくだんの話題を”余禄”と捉えてらっしゃるのを拝見いたしますと、それではいったいその本旨というのは一体何であり何によって成り立っているのかと疑問を感じざるを得ません。 わたしが野犬のごとく噛み付いたのもここだけは譲れないと思ったためです。要素をないがしろにした本質ってのに如何ほどの価値があるのでしょうか?
>つまり、自らの主張の補強的検証がsatokoさんの発言において'無意味”と言われているのに(論理構造上、コンテンツ8の主旨も危うくなる)、その検証自体は取り分けて意味がなくしいて言えば云々、とおっしゃられていることに”エラありやんけ、自分で使っといてそれがたいした意味はないってのはこりゃ、いかに?”と感じた次第です。
>わたしがいつ、この”意義ある”検証を本旨だといいましたか?このサイトにおける緒言と緒言を具体化したコンテンツ8の主旨を補強する要素(検証材料<----確かに、'よく小林よしのりのことを聞かれるけれど'と最後におまけ的に述べられていますが、この小林よしのりの話は明らかに主旨の補強として用いられています、でなければ、持ち出す必要がありません)であるとは主張しておりますが。で、管理人さんが頻繁にお使いになるサイトの本旨のことなのですが、私はそれを先ほど申し上げたように緒言のことだと理解しておりましたが違いましたでしょうか?だとすれば、その緒言の具体化のひとつであるコンテンツ8においてその補強的検証の部分が否定された場合、当然、コンテンツ8の主旨も論理的関係上、否定されかねないのはおわかりになりますね。


 では、もしコンテンツ8に小林氏との対比がなかったら、このコンテンツやこのサイトの説得力はなくなりますか?
 極論ですけど小林氏がこの世に存在しなかったとしたら田中芳樹の評論とフィクションの混同という卑怯な方法を批判できませんか? そうではありませんよね。小林よしのりが居てもいなくても田中芳樹のやり口はルール違反の卑怯なやり方であり、批判されてしかるべきなのです。小林よしのりを引き合いに出したのはそれをわかりやすく提示できる具体的な例であるからにすぎません。
>要素をないがしろにした本質ってのに如何ほどの価値があるのでしょうか?
 とのことですが、この程度の要素をないがしろにした程度で価値が失われる本質というものは、しょせんその程度の価値しかないと私は思います。その意味でこの比較(という要素)には「とりたてて意味があるとは思いません。ただ、まったく無意味とは思いません」。
 ということですので、
「だとすれば、その緒言の具体化のひとつであるコンテンツ8においてその補強的検証の部分が否定された場合、当然、コンテンツ8の主旨も論理的関係上、否定されかねないのはおわかりになりますね。」について私は「全くわかりません」と答えます。


>あのね〜、いつ私がジャンルを超えた比較を一般化しましたか?こういうレスのつけ方は自覚しておられるのならある意味納得できますが(私を馬鹿にしてるのかい?とは思います)、
>ただ、最後に言わせていただくと、管理人さんのレス1240は、ちょっと、私の主張を捻じ曲げ過ぎでは?

 まあ、確かにレスとしては的外れな上に舌足らずであると思います。自分でもそうとう論点・趣旨がゆるかったと反省しているのでお気を悪くされたら謝ります。ですが(自覚というほどではないが)、あえていちいちこのようなことを書きたくなる下地はありまして、(ただしヒネくれてますので直接の答えとしては支離滅裂だと思います)


「 何も小林氏が最初から思想家であり学者であり、評論家であったのなら参考文献を出すのは当然でありましょうし、田中氏が創竜伝においてそうしないのを批判するのはジャンルを超えたタブーを犯していることになりましょう」

 という部分が引っかかったんですよ。極論、もしも小林氏が学者だったとしたら田中芳樹のイレギュラーフィクション評論を批判できないように書いておられますけど、私には仕立て屋さんのそういうこだわり方が理解できなかったので。
 別に私は比較対象がよしりんでなく西部邁でも網野善彦でもドストエフスキーでも、「学者・小林よしのり」だとしてもいいんですよ。それでも田中芳樹のイレギュラーフィクション評論に対する姿勢は批判できますから(田中芳樹がフィクションという自分のフィールドを踏み出した以上は当然のこと)。
 確かに小林よしのりとの比較はともにエンターテイナーとしての側面を持っているからわかりやすいし、この比較でなければできない指摘もできます(おぼっちゃまくんとゴー宣に対するよしりんのスタンスが違うけど創竜伝はそうではないとか)。ですが、小林よしのりを引き合いに出さなければ批判できない部分というのは、引き合いが評論家や学者であったとしても批判できる部分を差し引いた部分であり、だからこそ余技であると思うわけです。


>これがもし、”田中氏のスタンスを批判するためにあえて小林よしのりを持ち出す必要はない”とおっしゃられたのでしたら、まだ、わたしも納得できたのですが(ですが、管理人さん自ら持ち出してらっしゃるのですから、おかしな話です)

 ずっとこういってきたつもりなのですが、伝わってなかったようですね。言葉足らずですみません。でも例に挙げたから「そんなこというのはおかしな話」というのがよくわからんのですよ。「必要じゃないけどあったほうがいいもの」だってあると思いますので。


>また、管理人さんのおっしゃるサイトの本旨なるものが主に緒言における内容であるのなら、コンテンツ8の主旨はかなりの部分その本旨に重なる

 私がゴー宣を「横紙破り」だけど創竜伝はそうではないと評していることですか?
 えーと、喩え話ですけど、エンターテイメントを空手、評論をボクシングに例えるとします。
 空手家よしりんは、ボクシングのルールを守ってはいますが、空手のスタイルで戦い、それなりの効果をあげています。私はそれを見てこう思います「ボクシングの戦い方としては横紙破りだけど、ルールに違反してないし、すごいな。」
 空手家むらかみは、ボクシングのリングにあがるのに、空手を捨て、あえてボクシングスタイルで戦うことを決意しました。私はそれを見てこう思います「潔い態度だな。空手にもボクシングにも愛着と責任がなければできないことだ」
 空手家よしきんは、ボクシングのリングでローキックを連発していきがっています。私はそれを見てこう思うでしょう。「卑怯だ。コイツなにか勘違いしている。ボクシングやるつもりならさっさとボクサーに転向しろよ」
 ちなみにさっきの話だと西部邁や網野善彦は生粋のボクサーですから、空手家よしりんを比較に出さなくても同じようによしきんのインチキボクシングの批判は可能です。
 余談でした。


No. 1282
補記
投稿者:本ページ管理人 1999/5/26 03:31:57
>コンテンツ8の補強的検証で管理人さんが採用された小林よしのりと田中氏のスタンス比較がもし、否定されるとしたら、
> 比較=間違いもしくは無意味--->フィクションにノンフィクションを織り交ぜた評論まがいの小説が肯定されかねない--->田中芳樹が創竜伝において評論まがいをかましてもそれはそれでありってなことになるのはわざわざ指摘しなくともおわかりでしょう

 私は「小林よしのりと田中氏のスタンス比較」の意義は大したものではない、と繰り返し言っていますけど、意義がゼロだとかマイナスであるだとかは一度も言っていません。つまり、一回も「否定」はしていません。
 「否定」という取り方はえらく極端だと思いますが。


No. 1309
さらに後出しで申し訳ないです。スマン
投稿者:仕立て屋 1999/6/04 08:37:49
 管理人さん、ご苦労様です。遅れ馳せながら40000ヒットおめでとうございます。

 ご発言、1281、1282について、すこしだけ付き合ってください(やめると言っときながらもうしわけないっす。単なる揚げ足取りでうざったく見えるかもしれませんが、重要だと思います)。

>では、もしコンテンツ8に小林氏との対比がなかったら、このコンテンツやこのサイトの説得力はなくなりますか?

 いえいえ、そんなことは決してありません。十分、説得力がありますよ(基調として私、管理人さんのスタンスとコンテンツ8の主旨を理解しておりますし、同調いたします<今までの私の発言を見ていただければ自明ですか?)。ただし、この反論はよく考えていただければ、おわかりになるはずですが、ちょっと、不可思議です。批評家がある命題について論じる際、具体例あげて主旨補強をするのはよくあります、ってゆうか、普通です。そこで、管理人さんの論調をこれに当てはめると、その具体例を外した場合、この批評家の主張は説得力が欠けるか?とおっしゃってるのと同値ですよね。そんなはずが無いことは自明であって(主張に無理が無ければの話ですが)このような反論をなさるのはほんと不可思議でなりません。ところで、管理人さんにお尋ねします。主旨と具体例が概念的に同一のことを意味していなければ、具体例は具体例として機能しないってのは同意されますか(たとえば、コンテンツ8の主旨と小林、田中の比較を採用なされた際の管理人さんの意図としては、概念的にその主旨と相通ずるからでしょう?もし、これに同意なされないのなら私の主張は根本から、すれ違いってことになるので、このままフェイドアウトいたします)?いいですか?’概念的に’ですよ。これを前提として述べます。で、主旨と具体例の関係に話をもどしますが、ある批評家Aがライバル批評家Bに”その具体例は’無意味’だと言ってのけられた場合(そんな奴いないだろうけど、素人同士ではよくあります)、批評家Aはどのように対処するでしょうか?”主旨でないし、おまけついでの例だから、それほど、意味があるとはおもいません”と果たして言うでしょうか?主張と概念的に同一の具体例が’無意味’と言われているのに、頓着しないはずがありません。私が1266において申し上げたのは、つまり、同一概念の具体例”小林、田中の比較”が’無意味’と言われているのに頓着しないってのはどういうことですか?ってことです。わたしも、”小林、田中の両比較”を’単独’で見た場合は、確かに、それほど意義はないのは同意いたします。しかしながら、言説において’適切な’具体例として組み込まれた場合は話が別です。

>私は「小林よしのりと田中氏のスタンス比較」の意義は大したものではない、と繰り返し言っていますけど、意義がゼロだとかマイナスであるだとかは一度も言っていません。つまり、一回も「否定」はしていません。
 「否定」という取り方はえらく極端だと思いますが。


 あの〜〜すみませんがよく言葉をみてくださいね。わたしはなにも管理人さんがご自分の論旨補強のための具体例を自ら’否定している’とは申し上げておりません。’否定されたている’のに(もう一度satokoさんのご発言1202を見てください、普通に読めば、この比較が無意味であると、つまり、否定されているのが読みとれますよね)、頓着しないのはおかしいと申し上げているのです。この’否定’を看過するということは、具体例と同一概念であるその主張の否定をも看過するに等しいもうしあげたかったのですが、、ですから

>「だとすれば、その緒言の具体化のひとつであるコンテンツ8においてその補強的検証の部分が否定された場合、当然、コンテンツ8の主旨も論理的関係上、否定されかねないのはおわかりになりますね。」について私は「全くわかりません」と答えます。

 とおっしゃるのには、あまりに言葉を大切にしていないというか発言者としてあまりに大雑把過ぎるように感じられます。

>別に私は比較対象がよしりんでなく西部邁でも網野善彦でもドストエフスキーでも、「学者・小林よしのり」だとしてもいいんですよ。それでも田中芳樹のイレギュラーフィクション評論に対する姿勢は批判できますから(田中芳樹がフィクションという自分のフィールドを踏み出した以上は当然のこと)。
 確かに小林よしのりとの比較はともにエンターテイナーとしての側面を持っているからわかりやすいし、この比較でなければできない指摘もできます(おぼっちゃまくんとゴー宣に対するよしりんのスタンスが違うけど創竜伝はそうではないとか)。ですが、小林よしのりを引き合いに出さなければ批判できない部分というのは、引き合いが評論家や学者であったとしても批判できる部分を差し引いた部分であり、だからこそ余技であると思うわけです。

 なるほど、そういうことだったのですね。納得いたしました。しかし、単に、'イレギュラーフィクション評論に対する批判'に対して”西部邁でも網野善彦でもドストエフスキーでも”ってことになるとそれこそsatokoさんがおっしゃられたように”ジャンルを超えた比較はタブー”ってことを私は申し上げたいです。あそこの具体例として小林を持ってきているからこそ、コンテンツ8における最後の比較はスパイスが聞いて具体例として成立するのだと確信いたしておりますが、単に、批評に不適切な表現形式を用いる愚、不誠実さを批判するのに’小林、田中比較’を採用なさったとするならば、まったくもって、それこそ無意味でしょうね(苦笑)こうしてみていくと管理人さんの主張はどうにもぶれていて定まらない印象がぬぐえません(失礼ですが、純粋に言説から判断いたしますとこうなります。管理人さんの基本的主張は理解しておりますが)。

>必要じゃないけどあったほうがいいもの」だってあると思いますので。

 そうですね、主旨と概念的にかすらないのであれば、そのとおりです。しかし、概念的に共有する文言を否定された場合に、頓着しないってのは、発言に無責任でありますし、’あったほうが良い具体例がなくたっていいじゃない’的な論法は論旨のすり替え以外のなにものでもありませんし、不誠実です。


>ちなみにさっきの話だと西部邁や網野善彦は生粋のボクサーですから、空手家よしりんを比較に出さなくても同じようによしきんのインチキボクシングの批判は可能です。
 余談でした。

 雑感、むちゃくちゃであります。コンテンツ8の主旨は、評論ぶっこいてるのに、原典も示さなければ、ノンフィクションの形式もとってないという’単なるルール違反’を批判しているものなのですか?それじゃ、とりわけてこのサイトが存在する意味はありませんし、そんなことは他でもやってることでしょう(っていうか当たり前過ぎて見つけ出すのに困難を極めることでしょう)。ちがうでしょう?田中作品の創竜伝以前のフィクションの名作群があり、比較して創竜伝においてはスタンスが半端で小説としても評論部分が癌となり、評論として見ても原典も明かさず、ノンフィクションの形式を取らず、表現者として不誠実だと主張されてるわけでしょう?つまり、小説家としての田中芳樹を前提にしているのではないのでしょうか?だからこそ、画期的なのではありませんか。この流れで管理人さんは西部邁や網野善彦らを採用せずに小林をあえて採用されたものだとずっと考えていましたし、コンテンツ8を見る限りそれが自然ではないでしょうか。実際、あそこに西部らと比較した文章を挿入してみてください。それでも不自然でないとおっしゃるようでしたら、これ以上言うに値せずとします。繰り返しますが、

>確かに小林よしのりとの比較はともにエンターテイナーとしての側面を持っているからわかりやすいし、この比較でなければできない指摘もできます(おぼっちゃまくんとゴー宣に対するよしりんのスタンスが違うけど創竜伝はそうではないとか)

 当然、この比較でしか論ぜられないからこそコンテンツ8において採用されていると読むのがごくごく自然だと存じます。

以上、後出しジャンケンさらに後出しさせてください。誤解されたままってのは本意でないので、一応の納得が得られれば、通常モードにもどります、お付き合いください。わたしもくだらないなぁとはおもってますけど。


No. 1310
まずは「無意味」から
投稿者:本ページ管理人 1999/6/04 09:54:23
> あの〜〜すみませんがよく言葉をみてくださいね。わたしはなにも管理人さんがご自分の論旨補強のための具体例を自ら’否定している’とは申し上げておりません。’否定されたている’のに(もう一度satokoさんのご発言1202を見てください、普通に読めば、この比較が無意味であると、つまり、否定されているのが読みとれますよね)、頓着しないのはおかしいと申し上げているのです。

 私はsatokoさんのNo.1202に対しては明確に無意味だとは思わないと述べています。で、その時に使った「とりたてて意味があるとは思わない」の趣旨については無意味とは全く異なる旨をすでに説明しています。
 satokoさんの言に対して「そうです。無意味でした」とは一言も言っていません。「頓着」するというのがどういう態度であるのかわかりませんが、その頓着が仕立て屋さんのような行動であるならば、私はそういう戦法を取りません。


>>「だとすれば、その緒言の具体化のひとつであるコンテンツ8においてその補強的検証の部分が否定された場合、当然、コンテンツ8の主旨も論理的関係上、否定されかねないのはおわかりになりますね。」について私は「全くわかりません」と答えます。
>
> とおっしゃるのには、あまりに言葉を大切にしていないというか発言者としてあまりに大雑把過ぎるように感じられます。

 繰り返しますが、私は小林よしのりと田中芳樹の比較が無意味であることを肯定したことは一度もありません。satokoさんのレスに関してはあえてソフトな語り口にしていますが、よく読んでいただければ「無意味」に関しては否定している文脈であることがわかると思います(って、はやく過去ログをアップデートしなきゃいけないですけど…)


 以下、いろいろありますが、話がこじれだしたキーの一つはこの「無意味」の取り方だと思いましたので、取り急ぎ。


No. 1312
レス
投稿者:仕立て屋 1999/6/04 18:44:27
 毎度,仕立て屋です。

>私はsatokoさんのNo.1202に対しては明確に無意味だとは思わないと述べています。で、その時に使った「とりたてて意味があるとは思わない」の趣旨については無意味とは全く異なる旨をすでに説明しています。satokoさんの言に対して「そうです。無意味でした」とは一言も言っていません。「頓着」するというのがどういう態度であるのかわかりませんが、その頓着が仕立て屋さんのような行動であるならば、私はそういう戦法を取りません。


> 繰り返しますが、私は小林よしのりと田中芳樹の比較が無意味であることを肯定したことは一度もありません。satokoさんのレスに関してはあえてソフトな語り口にしていますが、よく読んでいただければ「無意味」に関しては否定している文脈であることがわかると思います(って、はやく過去ログをアップデートしなきゃいけないですけど…)


 以下、いろいろありますが、話がこじれだしたキーの一つはこの「無意味」の取り方だと思いましたので、取り急ぎ。


 やっと私の論旨に沿った反論が得られましてうれしく思います。そうです,私の主張を崩すとしたらこの'無意味'の捕え方に尽きるものと考えていましたし,ここしか反論する余地はないように思います(偉そうかもしれませんが,そう思います,失礼)。で,私なりの無意味の捕え方について述べます。


>ゴー宣がらみの話になったので、ちょっと順番を変えてお答えします。
 まず、「参考文献を出してる分、小林氏の方が田中氏より真摯で…」とありますが、「『この作品はフィクションであり実在の人物団体うんぬんとは関係ありません』という評論としての責任逃れの一文を入れてない分、小林氏の方が田中氏より真摯で…」という趣旨のことならば私も述べたと思いますし、掲示板でも出てきたと思います。もちろん、創作小説である以上は、「この作品はフィクション…」という断りを入れること自体は、当然のことです。ですから、創竜伝でも首相や保守の政治家を愚劣に描くことは小説として許されると思います。ですが、創竜伝中にはリクルート事件や大韓航空爆破事件などの実在の事件やマハティール氏など実在の人物に対する明確な評論が存在します。たとえば、全くストーリーに関係のないところで明確にマハティール氏と判る記述に対して「独裁者で反民主的だから言うことを聞く必要はない」と評論しておいて、「これはフィクションだから」ということは卑怯であり、小説という表現技法を隠れ蓑にしていることで小説を貶めていると思うのです。もちろん、マハティール氏が独裁者で反民主的という主張を持つこと自体は結構なことです。その主張に自信があるのなら、「フィクション」である創作小説と一緒にせず「現実の」評論として語ればいいのですし、風刺というのなら「超能力兄弟が悪の財閥と戦う活劇」がテーマの小説の中にわざとらしく入れるのではなく、明確に風刺をテーマにした小説を書けばいいのです。
閑話休題。
 少々話題がずれましたが、私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません。ただ、まったく無意味とは思いませんし、比較するというのであれば、以上の理由から小林氏の方が自分の発言に責任を持っていると考えます。

 以上,ご発言1214から


 文脈を解釈しますと,まず,(1)創竜伝において田中氏がフィクションなのかノンフィクションなのか立場を明らかにせず,その結果,結実した物が中途半端な作品に仕上がってることを述べられています。次に(2),(1)を閑話休題として'話題がずれた'としておられます。最後に(3),(2)をうけて,"私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません。ただ、まったく無意味とは思いませんし、比較するというのであれば、以上の理由から小林氏の方が自分の発言に責任を持っていると考えます"と(1)を客観的にあたかも他者の発言かのように"比較するというのであれば"と評しておられます。これを踏まえてもう一度コンテンツ8を読み返して下さい。(1)を(2)において本旨ではないとして話がずれたとおっしゃられていますが,普通に読めば(1)の内容はそのままコンテンツ8の主旨と同じことを意味していると思われませんでしょうか?それなのに(2)でそれが本旨ではないように述べられ,また,コンテンツ8における'小林,田中比較'を無意味としたsatokoさんの主張に対する回答として(3)のように文脈上,概念的に主旨と共通する(これに対する管理人さんからの返事がまだありませんので保留としたほうがいいのかな)'小林,田中比較'の例をあたかも客観的に文脈から切り放して"比較するというのであれば"とし,コンテンツ8においては"私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません"と蛇足のような扱いです。で,"ただ、まったく無意味とは思いませんし、比較するというのであれば、以上の理由から小林氏の方が自分の発言に責任を持っていると考えます"とさらに文脈から切り放した形で評価されております。もし管理人さんが私の発言1309における'主旨とその具体例の概念上の相関関係'を否定されるのでしたら,私の'文脈から切り放した形で評価=あった方がより良いが,あってもなくてもよいと管理人さんが考えておられると私が感じる'に'否'とされて結構です。が,そうでないのならこのような反論は無しです。ですから,

>私は小林よしのりと田中芳樹の比較が無意味であることを肯定したことは一度もありません

は言葉上そのとおりでしょうが(同意します),

>satokoさんのレスに関してはあえてソフトな語り口にしていますが、よく読んでいただければ「無意味」に関しては否定している文脈であることがわかると思います

 とされるのは,(1)を(2)->(3)とされた瞬間から文脈上,論理的に無理があります。その証拠にsatokoさんのご発言1220をよくごらんになって下さい。彼女は管理人さんの"あえてソフトな語り口"を誤解?されて管理人さんがおっしゃる”「無意味」に関しては否定している文脈であること”とは受け止められていませんよね。私だってsatokoさんの解釈は間違っていないと思いますよ。それなのに管理人さんはそのことをその後の発言において言及されていませんから私は発言1309おいて"看過"としているわけです。このながれで私の発言1309をよく見返してください。管理人さんのご発言1310の管理人さんの'無意味'の捕え方は論理的にいって後付けの感をぬぐえません。また,ご発言1281における"小林よしのりが居てもいなくても"や"小林よしのりを引き合いに出さなければ批判できない部分というのは、引き合いが評論家や学者であったとしても批判できる部分を差し引いた部分であり、だからこそ余技であると思うわけです"そして"この程度の要素をないがしろにした程度で価値が失われる本質というものは、しょせんその程度の価値しかないと私は思います"はまったくの奇弁でありましょう。なぜなら,私の発言1309において申し上げたように主旨に対する十分条件である具体例(この場合の要素)を’削除’しても主旨がそこなわれますか?云々の論法が至極あたりまえのことを言ってるだけとしか私には評価できないからです。わたしは十分条件が’否定’された場合にその十分条件を’真’だと主張しなければおかしいのではないのかと申し上げているのです。それに対する管理人さんのレスがご発言1310となるわけですが,1310を見る限り正しい反論です。しかし,上記のように1214を解釈すると矛盾が生じるのです。
 最後に私の発言1309に対する最初のレスがご発言1310のようになることは予想しておりましたので,別の視点から(違う側面であって結局,言いたいことは同じかも)ひとつ申し上げときますが,1310の論調(satokoさんの無意味発言を結果的に否定している云々)と1281における'小林,田中の両比較'が無くとも主旨は成立するとする論調の'意図'は矛盾するものと存じます。しかし,これもまた私の発言1309における'主旨とその具体例の概念上の相関関係'に同意されないとするならば,その限りではありませんが。

以上,長文にて失礼します。あ〜俺ってウザイ?


No. 1315
補足
投稿者:仕立て屋 1999/6/04 23:58:56
satokoさんの’無意味’は命題への否定を意味し、管理人さんのそれを受けての’無意味’は文字通りの意味の在る無し、つまり、在っても無くても変化無しの意でありましょう。しかし、命題の否定に対する反論がその真偽を正さず、在るか無きかで答えるのは筋違いであります。またその際、”私も云々”と’も’と言うあたりが、否定をも内包していることがわかります。その後の”しいて言えば”の部分は文字通りの’無意味’の使い方に戻っていますが。


No. 1316
あーもうやめやめ!!
投稿者:Merkatz 1999/6/05 05:08:20
仕立て屋さんが管理人さんの発言にこだわっておりますが、あれは管理人さんが悪いですよ。
私もあのやり取りを読んでいたとき、「???」と思いましたよ。言っていることが矛盾していましたから。
「satokoさんの言う通り無意味です」と言ったかと思えばその直後に、「まったく無意味でもない」と言ってみたり、「私は意味が無いという趣旨で無意味と言ったのではない」と弁解したり。
あそこは管理人さんが八方美人にすぎたと思います。satokoさんは言葉どおりの意味で「無意味」とおっしゃったのですから(それ以外に解釈しようがない)、不用意に追従したことに仕立て屋さんが怒るのも無理ないですよ。
仕立て屋さんがおっしゃるように、自説の補強として田中芳樹とよしりんの比較をした訳ですから、その比較は論旨を具象化したものです。それ自体が無意味だと言われたんですから、それは論旨に対する否定とほぼ同じ行為です。それを簡単に、はいその通りです、なんてやってはそりゃ仕立て屋さんも管理人さんの本意を疑いますよ。
「無意味」の言葉の解釈なんてするだけ無駄です。「無意味」は「無意味」であって、そこに何らかの含みを持たせることなんてできません。
管理人さんは素直に自分の不注意を詫びるべきだと思います。私はずっとこのサイトの誠実さ・真摯さを評価してましたが、さすがにあの行為は不誠実を感じずにはおれませんでしたよ。あれでは常日頃批判している田中芳樹と同じです。
少々きついかもしれませんが、ここが批判サイトとして機能するためにも、間違いは素直に認めようではありませんか。


No. 1321
わかりました。もう、やめます(マジ、ほんま)
投稿者:仕立て屋 1999/6/07 04:20:53
 でも、ちょっと、グチを言って終わります。

最近、なんだか、以前発言されていた方もなかなか書き込みなされなくなってきており、あ〜やっぱ、私の生産性のない(主に、けじめの為、書き込み続けてきましたが)論争が、この場をこうムサイ雰囲気にしちゃったのかなぁ、と少し心配しております。スマぬ。
 くりかえし手を替え品を替え主張してきたつもりですけど、そのたびに見当違いなレスが帰ってくる始末。下品な下ネタ罵倒がのど元まで出てきてるのを押さえつつ、忍耐きかしたんだけど。1275satokoさんのご発言ではえらい言われようで、「俺そんなに言われるほど悪いことしてるかなぁ、まるで、低脳バカみたいワシ」ともう反論する気力もなく、正直、最近、書き込みするのが精神的にツラくて、一人相撲しているような針のむしろ的心持でした。それにしても私って文章力ないんかなぁと落ちこんどりましたが、Merkatzさんのご発言により私の中で一応のけりがつきましたので、この件につきましては、以降、いかなるレスがつこうとも少なくとも反論はおこないません。みなさま、ご迷惑おかけしました。そして、今後とも宜しくお願いいたします。


No. 1334
お騒がせしました
投稿者:本ページ管理人 1999/6/09 05:33:17
 しばらく所用で出かけていたもので、大変返事が遅れてしまいました。ともかく、結果としてふたたびあとだしの形になってしまったことをお詫びします。


 ・「無意味」について
 「satokoさんの言う通り無意味です」と述べたつもりはないんですが、問題なのはそのように受け取られてしまったような言葉と文脈になっていることですね。つまり、私の主観はともかく客観としてはそのようになっているわけで、この件に関しては、不注意で誤解と混乱を招いたことをお詫びします。
 主観を排してみれば、仕立て屋さんの指摘点も随分と腑に落ちるものだと思いました。思いこみとは恐ろしいものですね。



>しかし、単に、'イレギュラーフィクション評論に対する批判'に対して”西部邁でも網野善彦でもドストエフスキーでも”ってことになるとそれこそsatokoさんがおっしゃられたように”ジャンルを超えた比較はタブー”ってことを私は申し上げたいです

「単に、'イレギュラーフィクション評論に対する批判'に対して”」であれば、正統派である学者でも比較として妥当だと思います。”ジャンルを超えた比較はタブー”と仰りますが、まずはじめにジャンルを超えるタブーを犯しているのは田中芳樹の方なのですから。
 まあ、あえて小林よしのりを比較に用いたのは、小林よしのりの場合は「単に、'イレギュラーフィクション評論に対する批判'に対して”」+αがあるからなのはご指摘の通りですし前にも述べたとおりです。
 もちろん、小林よしのりの場合と、学者の場合では比較の仕方は異なります。私は学者が自説を展開するにあたって憶病なほど慎重であるであることを知っています(テレビ学者の類の例外は除く)。それは学者が事実を積み上げる職業だからです。豪快に真実を提示することで物語のダイナミズムを表現する小説家とは根本的にスタイルが違うのです。田中芳樹は、このスタイルの違いを(意図的か無意識かはともかくとして)明確に破っています。それは例えるならボクシングでのローキックであり、サッカーでラグビーのように手でボールを抱えて走るような行為なのです。
 田中芳樹は、この物語と評論のスタイルの違いを利用(悪用といってもいい)して評論を行い、ルールを守った評論がまず得られないような影響力を得ています。


>「また、管理人さんのおっしゃるサイトの本旨なるものが主に緒言における内容であるのなら、」
>「……コンテンツ8の主旨は、評論ぶっこいてるのに、原典も示さなければ、ノンフィクションの形式もとってないという’単なるルール違反’を批判しているものなのですか?…………ちがうでしょう?田中作品の創竜伝以前のフィクションの名作群があり、比較して創竜伝においてはスタンスが半端で小説としても評論部分が癌となり、評論として見ても原典も明かさず、ノンフィクションの形式を取らず、表現者として不誠実だと主張されてるわけでしょう?つまり、小説家としての田中芳樹を前提にしているのではないのでしょうか?」

 「小説家」であり「表現者」でもある田中芳樹を前提にしています。そして、表現者として不誠実な大きな原因が評論部分である以上は、正統な評論と対比させることもなされるべき事だと思うのです。イレギュラーの評論が不相応の影響力を有している現状に対する打破も、このサイトの趣旨ですから。ですから、「実際、あそこに西部らと比較した文章を挿入してみてください。それでも不自然でないとおっしゃるようでしたら、これ以上言うに値せずとします」とありますが、小林よしのりとの比較が妥当であることをおいといても、けっして不自然だとは思えません(唐突ではあるが)し、本当に「それじゃ、とりわけてこのサイトが存在する意味はありませんし、そんなことは他でもやってることでしょう(っていうか当たり前過ぎて見つけ出すのに困難を極めることでしょう」と説明できるくらい田中芳樹の影響力が失われているのであれば、このサイトの存在は確かに必要ないと思います。しかし、現に田中芳樹の影響力が相当の力を持っている状況であるからこそ、このサイトを私は立ち上げるつもりになったのです。



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