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初代管理人の本論8
小説か? 評論か?


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初代管理人の本論8
小説か? 評論か?


 ここでは、小説だか評論だか判別できない文章を取り上げてみる。以下の文章はその代表的なものを選んだ訳であるが、これらは氷山の一角でしかない。これらと同じような文章が、創竜伝にはゴロゴロしている。



(前略)…隣席の若いカップルの高い話声が耳に飛び込んできた。ヨーロッパに行ったけどさ、だめよ、古くてくさくて汚れてて、みんな要領が悪くて、日本語もへただし、なまけ者だし、車の型だって古いし、街も貧乏くさいし、夜には店が閉じちゃう。日本のほうが綺麗で便利よ、日本が一番ね…。
 このごろああいう手合が妙に増えているな、と、蜃海は思った。外国と日本をくらべて、劣っているとか遅れているとか一方的に決めつける手合いが。(中略)
 一九八八年には、すでに、そういった風潮を象徴する事件が、たてつづけにおこっている。
 マレーシアでは、視察旅行とやらで訪問した東京都議会議員が、酔っぱらってイスラム教寺院の中で立小便をした。
 イタリア、正確にはバチカン市国でだが、サンピエトロ大聖堂で日本人学生が騒ぎを起こした。(中略) たまりかねて、聖職者が注意したところ、
「てめえ、うるせえ、バカヤロー、何をしようとおれの勝手だ」
と、あらんかぎりの暴言を吐き、なぐりかかるそぶりまで見せた。(中略)あまりのことに耐えかねたサンピエトロ大聖堂がわでは、一時期、日本人観光客を締め出してしまった。
(中略)たとえは、日本の伊勢神宮あたりで、酔っぱらったマレーシア人が立小便をしたら、日本人はどう思うか。奈良の法隆寺などで、イタリア人の学生が大声をあげてふざけまわり、注意する日本人に暴言を吐いたら、日本人はどう感じるか。そのていどの想像力さえ、日本人は失いつつあるのだろうか。
 日本人で、ボランティア活動によって他国の人々に奉仕している人は数多くいる。ミクロネシアの小島に自分たちの手で学校を建てたり、ネパールの山奥に電気を引くため努力したり、アフリ力の病院で伝染病の根絶につくしたり、そうやって現地の人に感謝されている日本人はたくさんいるのだ。だが、他国の人もボランティア活動をやっている。一方、ローマ教皇のおひざもとであるサンピエトロ大聖堂で、非礼のかぎりをつくして立ち入り禁止をくらったのは、世界中で日本人だけである。残念なことに、善行より愚行のほうが、より強い印象を残すものなのだ。そして一方では、際限のない軍事大国化がある。一九八八年、アメリ力の下院において、国務省高官が「日本の軍事予算は、フランス、イギリス、西ドイツを一挙に抜き去って世界第三位となった」と証言した。同年七月のワシントン・ポスト紙は、「戦争放棄をうたった憲法を無視して、日本は世界最大級の軍事大国のひとつとなった」と論評した。インドネシアの大統領は、日本の防衛庁長官に、「軍事力で勝つような時代ではない」と忠告した。かつてアメリ力国務長官をつとめたキッシンジャーは「米ソ両国はおたがいだけを見ているが、日本というあらたな軍事大国が出現しつつあることを忘れぬほうがよい」と述べた。世界じゅうの国々が警戒を強めつつある。知らないのは当の日本人だけてある。
「冨によって精神的な豊かさを増す民族もいるが、残念ながら日本人はそうじゃないらしい。この成金民族が、どこまで増長し、どこへ流れていくのか、いっそ見ものだな」
 蜃海はそう思う。彼の述懐を聞いて、虹川が、にやりと笑った。
「あまり大きな声でそんなこというなよ。いまの社会を否定するけしからん奴だといわれるぞ」
「おれは否定しているんじゃない。批判しているんだ」
「ところが世のなかには、否定と批判の区別もつかない奴らがいるのさ。世界一すぐれた日本の社会を否定する者は日本から出ていけ、なんてことを平気で口にする奴らがな。そしてそういう奴らが、でかいつらでのさばってるのが現実だ」
「いやな時代だな」
「まったくだ、ろくでもない時代だぜ」
(創竜伝3巻 P139〜P141)


>知らないのは当の日本人だけてある。

って、じゃあこれ書いてるあんたはどこの人だよ?(笑)
 とツッコミたくなる文章だ。
「ローマ教皇のおひざもとであるサンピエトロ大聖堂で、非礼のかぎりをつくして立ち入り禁止をくらったのは、世界中で日本人だけである」という説は、出典が明らかになっていないので、本当に「日本人『だけ』」かどうかさっぱり判らない。他国の人間で、非礼のかぎりをつくして立ち入り禁止をくらったのは、絶対に居ないのだな?



 アメリカ合衆国では、大統領が株の売買をおこなうことを、法によって禁止している。実質的に四人姉妹の政界代理人にすぎないとはいえ、公権力をつかさどるからには、私人としての利益を追求してはならない。法制度がそうなっている。それが近代民主国家というもので、権力者が公私混同をほしいままにして私腹を肥やすような国、たとえばソ連や日本などは、近代民主国家とは、とてもいえないであろう。一方は軍事力が、一方は経済力が、異常に肥大し、イギリスやフランスから、「この両国さえ消えれば世界は平和だ」と痛烈に皮肉られている現実である。日本人は、自分の国は平和な文化国家だと信じているだろうが。
日本国政府の年間予算で、軍事予算は全体の六・五パーセントを占める。 一方、文化・芸術関係の予算は、○・○七パーセントでしかない。西ドイツの一・○四パーセント、フランスの○・四二パーセントにくらべ、目をおおわんばかりの惨状である。予算額から見れば、日本が文化大国であるか軍事大国であるか、答は歴然としている。保守派の論客でさえ、あまりのひどさにたまりかねて、「もっと文化・芸術関係の予算をふやせ」と意見したほどだ。だがその意見を首相が受けいれることはないだろう。古い寺院を修復したり、人形劇やオぺラを振興したって、一円の見返りがあるわけでもないのだから。
(創竜伝3巻 P97)



 創竜伝の設定と田中芳樹の評論が食い違い、矛盾してせめぎ合っているのがよくわかる一節だ。
 四人姉妹に操られていて、どこが近代民主国家だっつーの。



「日本の公安警察は、まことに特異な能力を持っている。政府高官の汚職や疑惑がおおやけになった直後、かならず外国のスパイが逮捕されたり、過激派の犯行が明らかになったりする」
そうアメリ力の新聞が皮肉ったことがある。 一九八八年にR事件とよばれる新興企業がらみのスキャンダルがおき、首相や大蔵大臣の名前が事件に出てくると、いきなり「フィリピンの日本人誘拐事件は日本の過激派のしわざだった」というニュースが発表された。 一時は大さわぎになったが、その後、何の続報もなく、いつのまにやら話は立ち消えになっ
てしまった。こんな例はいくつもあって、公安警察のやりくちはワンパターンなのだが、 マスコミがまたそのつど、ほいほいとじつによく踊るのである。お隣りの国でおきた「旅客機行方不明事件」も、いつのまにか「旅客機爆破事件」になり、「美貌の女スパイ事件」になり、「拉致された日本人女性事件」になって、さて肝腎の旅客機と乗客はどうなったのやら、ろくに捜索もされぬままに、いつのまにか人々の記憶は薄れてしまったのだ。何と御しやすいマスコミであり、何と忘れっぽい国民であろう……。
(創竜伝3巻 P118)



 これなどは現実と虚構のボーダーラインを使った卑怯な評論であろう。わざわざ「一九八八年」と起こった年を記載して現実世界を意識させておきながら、主張自体にはなんの根拠もない。ここまで具体的に例を挙げておきながら、小説でフィクションだから関係ない? ふ〜ん。(旅客機爆破事件が「ろくに捜索もされぬまま」? 田中芳樹にとっては、きっと、オウム事件も酒鬼薔薇も日本人拉致疑惑も汚職隠しの陰謀なのだろうね)
 それにしても、田中芳樹は本当は陰謀史観が大好きなんじゃないの?



「死者が出るから戦争は悪だ、という考えは幼稚で感傷的なものだ。生命より貴重な正義と国家の威信というものが、この世には存在するのだ」
そういうことを主張する人間が、最前線で戦死した例は、アメリカでもソビエトでも日本でも、けっしてなかった。べトナムのジャングルで、蚊に刺され、蛇に噛まれ、死の恐怖をまぎらわせるために服用した麻薬のために心身ともぼろぼろになり、血と汗と泥にまみれて死んでいったのは、無名の兵士たちであり、大統領でも国防長官でもなかった。 一九八九年にアメリカ合衆国の副大統領に就任した人物は、父親の地位と権力を利用して徴兵のがれをやり、べトナム行きをまぬがれた。
つまり、人の世に、「権力者の生命の価値をしのぐほどの正義」は存在しないのであろう。「生命より正義がだいじだ」と権力者がいうとき、生命とは「他人の生命」であって、自分や家族の生命ではない。このことは、誰でもおぼえておいたほうがいい。
このような書きかたをすると、「世の中はそれほど単純なものではない」という言いかたで反論してくる人がいるものだが、複雑な議論というものは、単純な疑問を解決してからおこなうものだ。世のなかに、生命よりたいせつなものはたしかにあるかもしれないが、それはひとりひとり異なる。権力者の美辞麗句にだまされないほうがいいだろう。むろん世の中には、「だまされたいの、だましてェ」という趣味の人もいるだろうから、そういう人は勝手にすればいい。ただし、破滅するのは自分だけにして、「だまされないぞ」と思っている人をけっして巻きこまないことだ。
(創竜伝4巻 P185)



 小説だか評論だか理解できない駄文の極めつけの一つがこれ。おいおい、誰が誰に向かってアジってるんだ?(笑) 『「だまされたいの、だましてェ」という趣味の人』…自分と立場の違う人間に対して、あまりに感動的な評価であり表現だ。自分が一方的で一元的で恣意的な視野しかないことを、自ら晒している。
 ちなみに、ここでも例の如く根拠が無いことを並べている。

「そういうことを主張する人間が、最前線で戦死した例は、アメリカでもソビエトでも日本でも、けっしてなかった。」

 根拠は? 確かに、いやいや徴兵された人や、無理矢理最前線に行かされて死んだ人はいっぱい居た。だからといって、戦死した人が全て無理矢理強制されていたという論理には、相当な無理がある。「死者が出るから戦争は悪だ、という考えは幼稚で感傷的なものだ。生命より貴重な正義と国家の威信というものが、この世には存在するのだ」と信じて、自ら最前線にいって戦死した人もいっぱい居た。田中芳樹は、戦死した人たちに同情しながら、こういう死者達を『「だまされたいの、だましてェ」という趣味の人』と貶めているのだ。
 「権力=悪・無名=善」という自分の世界観の図式に現実を当てはめて解釈したため、寸足らずで独善的な現実把握しかできていないのである。


 小説だとしたら、その世界観はめちゃくちゃだ。評論だとしたら、まったくルール無視だ(最低限引用の原典くらいあげろ)。そのくせ、これを批評として反論したら、「小説なんだから」とまるで免罪符代わりに小説を使う。「小説」という表現技法もナメられたものだ。
 だいたい、わざとらしく小説の中に評論など入れるな。本当に世の中に問いたいことがあるのなら、創竜伝を丸ごと全巻評論集にしろ。私は、創竜伝には、小説の中に評論を入れて、なにか素晴らしいことを書いたつもりになっている自己満足しか感じることは出来ない。


 掲示板で、よく「田中芳樹についてそう思っているのなら、小林よしのりはどうだ?」という類の質問を受ける。二人の主張を置いておくとしても、「この物語はあくまでフィクションであり、現実の事件・団体・個人などとは無関係であることを、とくにお断りしておきます。」という評論の本質と正反対の免罪符をかざしていない一点だけで、私は小林の方が数倍真摯であると思う。



田中芳樹を撃つ!初代管理人 石井由助







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