薬師寺シリーズ考察5

薬師寺シリーズ5巻 黒蜘蛛島

女王陛下のえんま帳

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薬師寺シリーズ考察5

投稿者:冒険風ライダー(管理人)
2008年12月10日(水) 21時31分

 今回は、薬師寺シリーズ5巻「黒蜘蛛島」と、薬師寺シリーズハンドブック「女王陛下のえんま帳」をセットで論じてみようと思います。
 実のところ、2003年10月に初刊行された薬師寺シリーズ5巻「黒蜘蛛島」は、同年6月に創竜伝13巻が出版されたこともあってか、ツッコミどころが極端に少ないんですよね。イラク戦争関係で狂喜乱舞した挙句、酒と麻薬を片手にストレス解消目的の文章が書き殴られまくっていたとしか評しようがない創竜伝13巻執筆の直後では、さすがの田中芳樹といえど、日本&アメリカ叩きのネタもたとえ一時的にせよ枯渇せざるをえなかったというのが正直なところだったのでしょう(苦笑)。
 一方、2004年1月に刊行された薬師寺シリーズハンドブック「女王陛下のえんま帳」は、社会評論的には5巻同様大したことはないものの、薬師寺シリーズ全体に関わるストーリー&キャラクター設定の重大かつ致命的な欠陥が露呈しているという点で、私としてはこちらの方がはるかにネタにしやすいところでしてね。この作品、薬師寺シリーズのためにはむしろ出さない方が良かったのではないでしょうか。
 その実態がいかなるものなのか、これから検証していくことに致しましょう。

薬師寺涼子の怪奇事件簿5巻「黒蜘蛛島」
2003年10月31日 初版発行

薬師寺シリーズ5巻「黒蜘蛛島」 光文社ノベルズ版P92上段〜P93上段
<現在の東京都知事は、若づくりの老人で、「東京からカラスと不法滞在の外国人どもを、のこらずたたき出してやる」と豪語している。新聞記者に、つごうの悪い質問をされると、イタケダガにどなりつけ、都庁には週二日しか出勤せず、自分の私邸に職員を呼びつけるのが慣習だ。「国賊は爆弾をしかけられてあたりまえだ」とか、「子どもを産めなくなった女は生きていてもしかたない」とか、「外国人は兇悪犯罪をおこすDNAを生まれつきもっている」とか、暴言放言もかずしれない。私などには、幼稚で無責任な煽動政治屋だとしか思えないが、都民とマスコミの支持は、なぜだか圧倒的である。知事は政策上の失敗が明らかになるたびに、警視庁をけしかけて六本木や歌舞伎町で外国人狩りをやらせる。
「警視庁も堕ちたもんだ」
 とは、舌が腐っても口に出すわけにはいかない。だが、警察内部の不祥事や兇悪犯罪の未解決から都民の目をごまかすために、マスコミと結託し、今日は六本木、明日は歌舞伎町と、TVカメラの前で外国人狩りをくりかえす光景を見せつけられると、なさけなくなる。偽造カードや大麻の末端の売人をつかまえ、組織犯罪をとりしまるのは、もちろんけっこうなことだ。当然のことでもある。だとしたら、姑息な目くらましなどに走らず、まじめに職務をはたすべきだろう。>

 5巻「黒蜘蛛島」および「女王陛下のえんま帳」で共通しているのが、「悪役が極端な外国人蔑視発言を行い、それに対応する形で地の文が外国人擁護の主張を行う」というパターンが展開されていることです。ここでは「現在の東京都知事」とやらがその悪役を担当しているわけですが、5巻「黒蜘蛛島」では、他にもカナダ総領事の高山正行なる人物がこんな発言を行っていますし↓

薬師寺シリーズ5巻「黒蜘蛛島」 光文社ノベルズ版P17上段〜下段
<「まぬけどもめ、おれさまを誰だと思ってるんだ。大日本国の総領事閣下だぞ。将来は外務次官さまだ。機密費を何億円も使える身分なんだ。そこらの愚民どもといっしょにしやがって、外交官特権をしらんのか。だいだいカナダは多民族国家だから知的レベルが低いんだ。移民や難民をいっさい入国させない日本を、すこしは見習え。世界一優秀な日本民族のなかでも、もっとも優秀な者だけが、選ばれて外務省にはいれるんだからな!」
「……ゲスね」
「まったく同感です」
 涼子の顔に危険な微笑が翼をひろげはじめた。>

 また、「女王陛下のえんま帳」では、平原成基という名前の悪役について、地の文こと泉田準一郎のモノローグがこのような紹介を行っています↓

薬師寺シリーズハンドブック「女王陛下のえんま帳」 光文社版P66
<このごろ政治家とマスコミが結託して、外国人に対する嫌悪感をあおりたてる風潮がある。一部の雑誌を読んでいると、日本にいる外国人は犯罪者と工作員ばかりという気がしてくるほどだ。
 平原博士はその種の低劣な雑誌にしばしば投稿して、外国人排斥を主張していた。おなじような思想の知人ができて、大学を追われた平原博士のスポンサーになったようだ。いくつかの工場を所有している資産家で、博士が研究を完成させたら特許権を折半することになっていたという。ところが平原博士は、おなじ日本人ともあまりうまくつきあえなかったようで、そのスポンサーとも疎遠になったのだそうだ。>

 何故かくのごとく外国人関係の問題が薬師寺シリーズ5巻「黒蜘蛛島」および「女王陛下のえんま帳」で何度も繰り返し主張されているのか? その理由は単純で、そのネタ自体が実は創竜伝13巻からトレースしたシロモノであり、かつ、薬師寺シリーズの地の文における主張がそのまま作者である田中芳樹自身の政治的信条でもあるからです。
 創竜伝13巻では、その終盤近くで竜堂兄弟の低能連中が「東京の政府のやることに、何でもかんでも反対」などという愚かなコンセプトをテーマにいくつかの政策提言を行っているのですが、その中に「外国人にも参政権をあたえる」「外国からの移民・難民に門戸を開放する」というものがあります。作家である田中芳樹としては、ネタの流用と己の政策提言の正当性確保を目的に、その創竜伝13巻の次に刊行された薬師寺シリーズ5巻「黒蜘蛛島」および「女王陛下のえんま帳」で、自分の主張と全く正反対の思想である外国人蔑視発言をデフォルメし、ネガティブイメージを読者に与えることを考えついたのでしょう。
 そして、創竜伝13巻における竜堂兄弟一派が主張する外国人関係の政策提言がそのまま田中芳樹自身の思想信条でもあることは、イギリス病のすすめ文庫版あとがきでもはっきり明示されています↓

イギリス病のすすめ・文庫版あとがき P239
<この四年の間に、イギリスには移民がさらに増え、文学、音楽、演劇、映画から料理に至るまで多彩で多様な創造と発展があいついでいます。それは非寛容と独善に対する寛容と自由の勝利です。このような勝利をこそ、「先進国」は誇りとし、永続させてほしいとつくづく思うのです。>

 そんなに外国人排斥の否定や移民・難民の受け入れ推進を行いたいのであれば、卑小化した悪役に元主張を悪意で改竄しまくったデフォルメ発言などをやらせるのではなく、元の発言をきちんと引用した上で「何故彼らの発言は国民から一定の支持が得られるのか?」という理由の検証から始めるべきではないかと私などは思うのですけどね。まあそんな能力もないからこそ、田中芳樹はフィクションの影に隠れて悪役および敵対思想の卑小化を性懲りもなく何度も繰り返さざるをえないのでしょうけど。
 それにしても、「イギリス病のすすめ」や「書物の森でつまずいて……」などの対談やインタビュー記事で、他ならぬ田中芳樹自身の口から自分自身の小説で書いたことと全く同じ主張が開陳されているということがすでに暴露されているというのに、まだそのような手垢のついた手法が通用すると田中芳樹は考えているのでしょうかね〜(>_<)。

 ところで、件の引用文で言及されている「現在の東京都知事」とやらのモデルが、5巻「黒蜘蛛島」の刊行時期から見ても、列挙されている発言の内容から考えても、石原慎太郎東京都知事であることは疑問の余地がありません。田中芳樹は石原慎太郎氏を当然のごとく評価してはいないようで、次巻の薬師寺シリーズ6巻「夜光曲」ではわざわざ「現在の東京都知事」を作中に登場させていつもの卑小化描写を行っていますし、それ以降の巻でも何かにつけて都知事の政策をあげつらって罵倒論法を展開しています。
 しかしまあ、石原慎太郎氏を相手に、都民はともかく「マスコミの支持は、なぜだか圧倒的である」と断言できるとは、泉田準一郎(=田中芳樹)は「現在の東京都知事」のどこをどう見てそんな評価を叩き出すに至ったのでしょうか? 第一、件の引用文で挙げられている「国賊は爆弾をしかけられてあたりまえだ」「子どもを産めなくなった女は生きていてもしかたない」「外国人は兇悪犯罪をおこすDNAを生まれつきもっている」などの「暴言放言」とやらは、他ならぬマスコミ自身が石原慎太郎氏の発言の一部を都合良く切り取って針小棒大なネガティブキャンペーンを行ったがために、本来何ら大したことのない事象が問題に「発展」しているのですけど(笑)。
 まず、「国賊は爆弾をしかけられてあたりまえだ」発言ですけど、これは2003年9月10日に石原慎太郎氏が亀井静香への応援演説を行った際、当時の外務審議官・田中均の自宅ガレージに爆発物が仕掛けられた事件について言及したものです。
 その全文は以下の通り↓

2003年9月10日 石原慎太郎氏が亀井静香応援演説
<いまの亀井候補が一言いった、北朝鮮とのかかわりの問題だって、何やってんですか。
 田中均というやつ、今度 爆弾しかけられて、あたり前の話だ。
 (日本の)政治家に言わずに、いるかいないかわからないミスターXと私は交渉したといって、向こうのいいなりになる。
 小泉総理がですね、これはけしからん問題だ、少し圧力をかけようと言ったら、その文言を声明の中から外そうとする。その役人が1人で仕切って、北朝鮮と渡り合えるわけがない。
 だったら私たちは、これだけの経済力をもってミサイルを作りいろんなことをやっていた北朝鮮に、経済的な抑制をする制裁をする。アメリカだってアルカイダに貿易センタービルやられた時に、アルカイダの家族からそういう資金を一応封鎖した。日本はなんでそれができないのかわからない。
 私は小泉総理に言ったら小泉さんもあまりはっきり言わない。あとの2人の候補もこの問題について全然コメントしない。
 我々の同胞が状況証拠から言ったら150人拉致されて帰ってこない。ほとんど死んでるでしょう。
 その国に私たちはわけのわからない金をつぎ込んで、いまでも万景峰号がやってきていろんな物を持って帰る。
 古くなった自転車持って帰る。その台座使ったりなんかしながら、機関銃作ったりミサイル作ったりしてるそうです。
 アメリカの議会で向こうの関係者がそう証言した。日本を火の海にしてやる。日本国を火の海にしてやると彼らは豪語して、100発あるかないかわからんけど、ミサイルのほとんどは日本の技術の部品でできている。
 こんなばかな関係をですね。しかも向こうの大将は頭下げながら悪いことをした、私の責任じゃない、親父がやったんで。
 実は私たちが日本人を拉致しましたと言って、5人だけ返して子どもを返さない。
 その時になんで我々は、子どもを返さないなら経済制裁するぞということを正面向かって言えないんだ。なぜ言えない。こういう候補が出てこない。私は亀井静香、みなさんの前でいま言ったけれども、もしこれをあなたが裏切ったら私はあなたを支持しない。亀井の倒閣運動をする。>

 これを読めば分かるように、この応援演説で石原慎太郎氏が元々問題にしていたのは日本の対北朝鮮外交政策だったのであり、田中均の件については全体のごく一部で触れられているだけでしかなかったわけです。しかし、常日頃から石原慎太郎氏を叩きたがっていた朝日新聞をはじめとするマスコミが、そのごく一部の発言内容のみを大いにクローズアップして大々的に報道し、一挙に問題にまで発展した、というのが真相です。
 さらにその報道を受けた翌日、石原慎太郎氏は以下のようなフォロー発言も行っています↓

2003年9月11日 石原慎太郎氏の発言
<北朝鮮の拉致、拉致と言ったって誘拐、殺人だ。あれがテロじゃなくて何なんだ。
 外務省の役人は北朝鮮がやったことをテロとは言わない。
 外務大臣も黙っている。
 あの田中均という審議官は何もしない。
 総理がブッシュさんと会ったとき「北朝鮮を相手にするとき、アメリカも手を貸してくれ。少しは圧力かけないと」ということで合意した。
 合意文書になったら田中均という審議官は「圧力」という字を削ろうとした。だれのために削るのか。私はこういう役人を信用できない。
 蓮池透さんが怒っている。総理が「少なくとも五人は生きている」という話を聞いて、平壌に行くことが決まったとき、田中均という担当の最高責任者が拉致された人の家族の所に行って初めて事情を聴いた。「あなた方の気持ちは分かります」と空々しく言った。
 今まで二十数年間ほったらかしにしていたやつらに、今ごろなんでおれたちの気持ちが分かるんだと。拉致された当人たちも帰ってから怒っている。
 当然、日本が持っているカードとして経済制裁をすべきだと思うが、「圧力」という文言を文章のなかから削ろうとする。
 私は、この男(田中外務審議官)が爆弾仕掛けられて当然だと言いました。それにはですね、私は爆弾仕掛けることがいいことだとは思っていません。いいか悪いかといったら悪いに決まっている。だけど、彼がそういう目に遭う当然のいきさつがあるんじゃないですか。
 起こっちゃいけないああいう一種のテロ行為がですね、未然に防がれたかもしれないけれど、起こって当たり前のような今までの責任の不履行というのが外務省にあったじゃないか。
 国民に向かってうそをついていた。
 だれのための外務省かわからないことをずっとやってきた。
 だから国民が怒って、その怒りがつまってつまって、高まってああいう形になる。これはね、私は否めないと思いますよ。私は何もね、あの男が殺されて当たり前だなんて言っているわけじゃない。
 国民は本当、怒ってる。政府は何をしてるんだ。外務省は何をしてるんだ。
 日本人が150人も連れて行かれて、ほとんど殺されて、それで抗議もしない。>

 ここでも石原慎太郎氏は日本の対北朝鮮外交政策について言及しているのですし、田中均の件についても「私は爆弾仕掛けることがいいことだとは思っていません。いいか悪いかといったら悪いに決まっている」と断った上で「だけど、彼がそういう目に遭う当然のいきさつがあるんじゃないですか」と批判を加えているわけです。にもかかわらず、朝日をはじめとするマスコミは、石原慎太郎氏の問題提起については一切言及することなく「都知事がテロを容認した」という方向にひたすら論をそらすことに終始している始末だったのです。
 次に「子どもを産めなくなった女は生きていてもしかたない」発言についてですが、これはそもそも石原慎太郎氏が「他人のこういう発言を興味深く聞いた」という出だしから話が始まったものなんですよね↓

週刊女性2001年11月6日号 「独占激白“石原慎太郎都知事吠える!”」
<これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど、”文明がもたらした最も悪しき有害なものはババァ”なんだそうだ。”女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です”って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって……。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。
 まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけど、そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね。
 何十億年か前にビッグバンで生命体が発生し、50万年前に人間が誕生し、農耕を始めたのが1万年前。そして今、われわれは美しくも、最後の輝きを見せる地球に生きているんです>

都政新報 2001年10月26日号
<この間すごい話をしたんだ、松井さんが。私は膝をたたいてその通りだと。女性がいるから言えないけど…。本質的に余剰なものは、つまり存在の使命を失ったものが、生命体、しかも人間であるということだけでいろんな消費を許され、収奪を許される。特に先進国にありうるわけだ。でね…、やっぱりやめようか(笑)。あれが実は地球の文明なるものの基本的な矛盾を表象している事例だな。>

平成13年東京都議会会議録第16号
<そして、他の動物、他の生命体とのかかわりの中で、人間が人間というものの存在を主張し過ぎたために、非常に横暴な存在になった。そして、彼が例を挙げたのは、ほとんどの動物は繁殖、種の保存ということのために生きて、それで死んでいくが、人間の場合にはそういう目的を達せない人でも、つまり、人間という尊厳の中で長生きをするということで、彼はかなり熾烈な言葉でいいまして、私はそのときに、なるほどなといいながら、しかし、それは政治家にはいえないから、あなたみたいな専門家じゃなきゃとてもいえませんなといって、そのときに慨嘆したんだ。(中略)私が思わずひざをたたいた所以の一つは、私の友人でもありました深沢七郎氏が書いたうば捨て山という、あの、要するに「楢山節考」という、年をとったそのおばあさんを、その部落の貧困のゆえに、あえて生きている人間を捨てに行くという、これは年をとった女の人が、他の動物の生存の仕方に比べれば、かなり横暴な存在であるという表現の、実は逆説的な一つの証左でありまして、私はいろんなことを思い合わせながら、その松井さんの話を非常に印象深く聞いたわけです。>

 「こういう発言を私は興味深く聞いておりました」という発言が、どこをどうすれば「都知事が女性を蔑視している!」とかいった類の話になるのか、むしろ私の方がそのロジックを知りたいところなのですが(苦笑)。
 ただ、石原慎太郎氏が引き合いに出している松井孝典氏は、月刊「自然と人間」2003年2月号で、

「石原氏の発言を見ると、私の言っていることとまったく逆のことだからね。私はこういう言い方はどこでもしたことはないし、おばあさん仮説という理論を私はいろんなところで話しているから、それを見てもらえば分かるでしょう」

と、石原慎太郎氏の発言が自分の意図とは異なっていることを明言していますので、松井孝典氏の論について間違った解釈と理解を説明していたという点については、都知事という影響力を鑑みれば批判されて然るべきではあるでしょう。
 しかしマスコミの論調はどうだったのかと言えば、ただひたすら「都知事が女性を蔑視している!」という方向に持っていこうとするのみで、挙句の果てには「女性の権利が侵害された」などという訴状が出されて裁判まで始まる始末。都知事を攻撃する戦略としては稚拙もはなはだしいのですが、朝日新聞を筆頭とするマスコミはよほど「現在の東京都知事」が憎くてしょうがなかったのでしょうね(苦笑)。
 全体の文脈や主張のテーマなどを完全に無視して発言の一部だけを都合良く切り取り、本来の発言の意図を捻じ曲げ、センセーショナルな報道を行って問題に無理矢理発展させるというやり方は、田中芳樹も大いに嫌っているであろうイエロージャーナリズムの十八番と言っても良いやり方であるはずなのですが、そんなシロモノをベースにして政治家批判を行うことに、少しは良心の呵責を感じたりはしないものなのですかね、田中芳樹や泉田準一郎は。

薬師寺シリーズ5巻「黒蜘蛛島」 光文社ノベルズ版P162下段
<日本でもそうだが、「行方不明になった不法入国者の正確な人数」など、統計のとりようもない。いまの都知事のように、不法入国者と聞いただけで犯罪者と同一視してヒステリーをおこす連中もいるが、むしろ問題なのは、不法入国者が組織犯罪の被害者になることなのだ。奴隷労働をさせられようと、人身売買されようと、彼らには不法入国したという引け目があり、公的機関にうったえることをためらってしまう。>

 さて、さしてネタがない薬師寺シリーズ5巻「黒蜘蛛島」の、ほとんど唯一にして最大のメインイベントが御登場です(笑)。ここでのお笑いポイントは、何と言っても「不法入国者と聞いただけで犯罪者と同一視してヒステリーをおこす連中もいるが」という部分でしょうね。わざわざ「いまの都知事」などを引き合いに出さなくても「不法入国者=犯罪者」というのは常識の範疇に属することでしょうに(爆)。
 こんなことでいちいち辞書を引くのもバカらしいのですが、私の手元にある旺文社国語辞典によると「不法」という言葉には「道に外れるさま。法にそむくさま。無法」という意味がありますし、goo辞典を紐解いてみても「ある行為が法律や規則に違反する・こと(さま)」という解説が出てきます。そして不法入国とは、法律に基いた在留資格を持たないまま、法律に依らない不正な手段で入国することに他ならず、違反した場合には国外退去や懲役・罰金刑などの罰則も存在します。日本では「出入国管理及び難民認定法」という法律で、不法入国の定義および罰則を規定しています。
 さらに言えば、不法入国者を国内の人間が匿ったり、職を与えて働かせたりした場合も、日本では「出入国管理及び難民認定法」第73条により、法的には立派な犯罪構成要素となります。「むしろ問題なのは、不法入国者が組織犯罪の被害者になることなのだ」って、不法入国者自体も、それにカネを与えて利用しようとする者も、どちらも違法そのものなのですし、泉田準一郎レベルのよほどの無知でもない限り、両者共にそれは充分以上に承知しているのですから、そんなものは大した問題などではないでしょうに(苦笑)。
 そして、己の社会的地位が法的に保証されることのない不法入国者およびその援助者達は、自分達がすでに犯罪者であることを自覚するからこそ、完全に開き直って日本国内でありとあらゆる犯罪行為に走るのであり、またそのような行為を憎むからこそ、「いまの都知事」のごとき不法滞在外国人排斥発言が幅を利かし、大多数の国民もこれを支持する、という構図ができあがっているわけです。そのあたりの事情を無視して「いまの都知事」の発言を論ったところで何の意味もないのですけどね。
 それにしても、「不法入国が犯罪である」などというごくごく一般的な常識すらも知らない泉田準一郎が、よりにもよって警視庁勤務の現職の警察官であるというのはいかがなものでしょうか。警察内部の不祥事や兇悪犯罪の未解決云々以前の問題として、こんな小学生レベルの法律知識すらもない人間が警視庁勤務になれるというのは、薬師寺シリーズ世界の警視庁とやらはそれほどまでに人材が枯渇してでもいるのでしょうかね(笑)。

薬師寺涼子の怪奇事件簿ハンドブック「女王陛下のえんま帳」
2004年1月20日 初版発行

 薬師寺シリーズ4巻「クレオパトラの葬送」を考察した時にホセ・モリタというストーリーのキーパーソンが存在したように、「女王陛下のえんま帳」に言及する際にも外せないキャラクターというシロモノが存在します。
 しかしこのキャラクター、作家たる田中芳樹はお笑いのつもりで創造したのでしょうか?

薬師寺シリーズハンドブック「女王陛下のえんま帳」 光文社版P48〜P51
<横合いから声をかけられた。
「あの、警視庁の方でしょうか」
 声の主は和服姿の美人だった。涼子を見なれた私の目にも、相当な美しさに見えた。年齢は二〇代後半というところか、つややかな黒髪をアップにしている。白絹の肌に、黒曜石の瞳、繊麗にして優婉、極上の博多人形みたいな美女だ。和風だが古風ではなく、そう、文明開化のころのガス灯や馬車が似あいそうである。その美女が、なぜだか上品な微笑を私に向けていた。
 ていねいに私は応じた。
「はい、そうですが……」
「まあ、やっぱり。はじめまして、あたくし、薬師寺絹子と申します」
「え、薬師寺とおっしゃると……」
 涼子の縁者だろうか。私が反応の選択に迷っていると、美女は深々と頭をさげた。
「妹がいつもお世話になっております」
「妹さん、ですか?」
「はい、あたくし、涼子の姉でございます」
 私は口をあけた。声が出て来ない。声を出したのは、振り向いた涼子だった。
「あっ、おキヌ……!」
 涼子の声に狼狽のひびきがあった。稀有なことだ。本人は傍若無人にして大胆不敵、他人を狼狽させるのが「ドラよけお涼」と称される彼女の本領である。
 立ちすくむ涼子の前に、莞爾として絹子サンが歩み寄る。見ると姉のほうが妹より五センチほど身長が低いが、女性としては背が高い。おどろいたことに、涼子は身がまえしつつ半歩しりぞいた。博多人形に気圧されるフランス人形というところ。
 事情が分からぬまま、フォローするつもりで私は口を出した。
「あなたにお姉さんがいらっしゃるとは知りませんでした」
 不用意な一言の報いとして、声の主である私は、たちまち嵐に直面するはめになった。
「知る必要のないことよ! 知ったら君、何か得することでもあるのッ!」
「全然ありません」
 不明なる私でも、一瞬で真理に到達せざるをえなかった。この姉妹は仲が悪いのだ。というより、妹が一方的に姉を忌避しているらしい。>

 薬師寺涼子の姉で、かつ傍若無人の薬師寺涼子が唯一恐れる存在、しかもアダ名が「おキヌ」、という時点でもうこれはネタ決定ですね。私が「検証!薬師寺シリーズ」以来、何度も繰り返し主張している「薬師寺シリーズはスレイヤーズと極楽大作戦の超劣化コピー作品」という持論を、薬師寺絹子は完璧に踏襲しているのですから。
 まず、妹が姉に対して苦手意識を持っていて一方的に忌避しているという設定ですが、これはスレイヤーズにおけるリナ・インバースの姉のキャラクター設定をそのまま持ってきただけのシロモノです。スレイヤーズのリナ・インバースには「郷里の姉ちゃん」ことルナ・インバースという姉がおり、この姉はリナ・インバースにとってほとんど唯一の天敵であると作中では設定されています。好き勝手かつワガママ放題に振舞う女主人公にとって唯一の天敵である姉、という点で両者は全く同じです。
 また、薬師寺絹子の性格設定もまた、ルナ・インバースのそれにそっくりです。ルナ・インバースは物静かな性格で、言動はのんびり丁寧ながらもどこかエグイところがあると設定されていますが、薬師寺絹子の性格や言動もほとんどこれと同じです。たとえば作中にはこのような描写があります↓

薬師寺シリーズハンドブック「女王陛下のえんま帳」 光文社版P52〜P53
<「ちょっと、泉田クン、よけいなマネしないでよ。こいつはあたしがつかまえてるから、そこらへんのダイヤをひろって!」
 そう叫び妹を見やって、絹子サンは優雅にほほえんだ。
「まあ、涼子ちゃんもずいぶんえらくなったものねえ」
 涼子は姉に応えようとはしない。桜色の唇を引きむすび、正面を向いたまま、半ば私を押しのけるようにして男の手首をねじあげた。必要以上のキビシサだ。
 男の悲鳴を聞いて、絹子サンは優美に眉をひそめた。妹の蛮行に心を痛めたようすである。
「泉田さん、とおっしゃいましたわね。さぞご苦労が多いことでしょう、ごめんなさい」
「いえいえ、何ごとも修行のうちでして」>

 また、「女王陛下のえんま帳」の作中記述、および別作品に収録されている田中芳樹インタビュー記事の中でも、薬師寺絹子について以下のように言及されています↓

薬師寺シリーズハンドブック「女王陛下のえんま帳」 光文社版P57
<薬師寺涼子だって石に雷が落ちて生まれたわけではないので、いちおう両親がいる。いや、健在なのは父親だけで、母親はすでになくなっている。そこまでは私も知っていた。
 あらためて考えてみると、薬師寺家では誰が女主人の役割をはたしているのだろう。当主の薬師寺弘毅氏は巨大企業JACESのオーナーだが、おかたい警察官僚あがりとも思われない艶福家で、六〇歳をすぎて愛人が五人いるという。月曜日から金曜日まで、曜日ごとに担当(何の?)が決まっているそうだ。公平な待遇といえばたしかにそうかもしれないが、逆にいうと、家庭の運営や家計の管理に関して主導権をにぎっている愛人はいない、ということになる。
 とすると、絹子サンが薬師寺家の実質的な支配者なのか。彼女の性は薬師寺だから、未婚なのか、結婚しているとしても婿養子をとっているのだろう。いや、左手に指環はしていないかったようだから、やはり未婚かな。どちらにしても私には関係ないが、絹子サンと涼子との会話から推察するに、すくなくとも鎌倉山の本邸は絹子サンの統治下にあるようだ。それをきらって、涼子はひとり暮らしをしているというわけか。>

SP薬師寺涼子の怪奇事件簿短編集 P161
田中芳樹×垣野内成美 放談URABANASIその4 「こぼれ話」編
<――先ほど涼子の父親の話が出ましたが、身内ネタでは姉の絹子が登場する短編(「呪われたダイヤ」、光文社刊「女王陛下のえんま帳」収録)がありましたね。
垣野内
 お絹さんは、いいキャラクターですね。また短編で読みたいです。
田中
 鎌倉の薬師寺本邸の事実上の支配者ですからね。父親もお涼も本邸には寄り付かない。ある意味、最強キャラです。
――悪気なく恐ろしいことをやってのける人ですよね。
田中
 うっかりかかわると、ヘタすれば死んじゃうかも(笑)。>

 スレイヤーズのルナ・インバースも、「あのリナ・インバースも恐れおののく最強キャラ」扱いですし、この辺りは本当に「まんま」なパクリですね。
 そしてそれ以上に露骨なパクリ、というよりもはや他作品からネタをそのままトレースしてきただけとしか評しようがないのが、薬師寺「絹」子という名前および「おキヌ」というアダ名です。これはどう見ても極楽大作戦におけるメインキャラクターのひとりである「おキヌちゃん」から何の加工もひねりもなくそのまま持ってきただけのシロモノでしかないではありませんか(笑)。薬師寺絹子の性格設定も、最初はあの性格と、極楽大作戦の美神令子(→薬師寺涼子)と小笠原エミ(→室町由紀子)の絡みから、天然ボケでパニックに陥ると強力な式神を暴走させて周囲に大破壊をもたらす六道冥子辺りの設定から引っ張ってきたのではないかと私は考えていたくらいでしたし(苦笑)。
 ただでさえ薬師寺シリーズには「スレイヤーズ&極楽大作戦の超劣化コピー作品」という評価が付きまとっているというのに、その評価をわざわざ自分から強化するようなことをして、田中芳樹は一体どうしようというのでしょうか。

 さて、薬師寺涼子が姉に対してこれほどまでに苦手意識と反感を持っている理由は何なのでしょうか? 「薬師寺絹子がルナ・インバースのパクリだから」という身も蓋もない大人の事情(笑)を排除して作中に理由を求めてみると、こんなエピソードが薬師寺涼子本人の口から語られる描写が存在します↓

薬師寺シリーズハンドブック「女王陛下のえんま帳」 光文社版P59〜P62
<それにしても、これほど姉を忌みきらう理由は何だろう。ペースを狂わされるから、というだけでもなさそうだ。
「だいたい、子どものころ、あの女はあたしを焼き殺そうとしたんだから!」
「へへえ」
「何よ、その消極的な反応は。あたしがホラを吹いてるとでもいいたいの!?」
 あえて返答する必要はないだろう。
「どうしても聞きたければ、事情を説明してあげてもいいけど……」
「はいはい、聞きたいです」
「誠意のカケラもない態度ね」
 いろいろとお気に召さなかったようではあるが、とにかく私は話を聞くことができた。
 涼子お嬢さまがご幼少のみぎり、秋深い時季で、薬師寺邸の広大な庭園には、庭師によって掃き集められた落葉が丘のように積みあげられていた(ここまでの記述で、庶民の反感をそそるには充分である)。
 その日、涼子は幼稚園の帰り途、「チョコレートをあげるからスカートを持ちあげて下着を見せて」と、カメラを手に近寄ってきた若い男の手からすばやくチョコレートをひったくると、足の甲を思い切り踏んづけ、さらにムコウズネを蹴飛ばし、全速力で家へ駆けもどってきたのだった。戦利品のチョコレートをたいらげ、証拠品の包み紙を隠滅するため庭に来てみると、こんもりした落葉の丘が、いかにも心地よげである。
 おさない涼子は、幼稚園で見せられた旧い名作アニメの影響か、メルヘンチックな気分になって落葉になかにもぐりこみ、ほどなく寝入ってしまった。
 そこへ小学二年生の絹子サンがやってきた。
「あらまあ、落葉が積みあげられたままになっておりますわ。庭師さんがおいそがしくて、落葉焚きができませんでしたのね。あたくしがお手つだいしてさしあげましょう」
 上品にひとりうなずくと、いったん家にはいって父親の英国製のライターを持ち出し、落葉の丘に火をつけた。さわやかに晴れわたった秋空の下、乾いた落葉は勢いよく黄金色の炎をあげ……。
「熱、あつ、熱……!」
 落葉の丘を吹き飛ばす勢いで、幼女が宙に飛び出した。スカートの裾に火がついているようだ。まさに昔話の「カチカチ山」である。絹子サンは目をみはった。
「まあ、意外なデキゴト、あたくし姉として妹の身を守らなくてはなりませんわ」
 何しろいい子だから、火をつけるに際して絹子サンはちゃんとバケツ一杯の水を用意していた。煙をあげてはしたなく芝生の上をころげまわる妹の身体を、しっかり片手で踏んづけると、絹子サンは頭からバケツの水をあびせ、妹の生命を救ったのである……。
「……あの女は、あたしがいることを知ってて落葉に火をつけたのよッ」
「それは考えすぎでは……」
「そうに決まってるでしょ! 君、何で笑うの?」
「笑ってなんかいませんよ」
「フン、笑ってもいいわよ。高価くつくけどね」>

 とまあこんなエピソードが原因で、薬師寺涼子は姉に対して苦手意識と反感を覚えるに至ったらしいのですが、しかし実はこのエピソードの作り方からして、やっぱりスレイヤーズの影響が色濃く出ているんですよね(笑)。スレイヤーズのリナ・インバースが姉に対して恐怖を抱くに至った理由も、幼少時より姉から受けていた桁外れのスパルタ教育が原因という設定ですから。
 「いつものことながら作り方が安直だよなあ〜」と私は苦笑しながら読んでいたわけなのですが、しかしここで私はある疑問を抱きました。それは、「何故ここまで姉を忌み嫌っている薬師寺涼子が、いつも作中の悪役を排除するのと同じ手法で姉を排除しようとしないのだろう?」というものです。
 これまでの薬師寺シリーズのストーリーを閲読しただけでも、薬師寺涼子は作中で何度も非合法な犯罪捜査および犯罪隠蔽工作を行っていますし、警察上層部のスキャンダルや弱みを探ったり、JACESの威光を盾に好き勝手な振る舞いをしていたりするわけです。ならば薬師寺絹子に対しても同じことを行い、弱みを握って脅迫したり、非合法的に闇に葬ったりしてしまえば、自分にとって脅威となる要素を消してしまうことができる、ということを薬師寺涼子は少しも考えなかったのでしょうか?
 スレイヤーズのリナ・インバースが姉に対してそのような行動を取らなかったのは、第一にルナ・インバースの戦闘能力をはじめとする実力がリナ・インバースのそれをはるかに凌いでいたこと、そしてそれ以上にリナ・インバースが姉に対して恐怖と同時に憧憬とライバル意識を抱いていたからです。つまり、リナ・インバースにとって姉は「目指すべき目標」「あくまでも実力で勝ち、超克したい相手」なのであって、恐怖はあっても恨みや憎しみは抱いておらず、また倒す際には一種の健全なスポーツマンシップにこだわらなければならない対象であるというわけです。
 しかし、薬師寺涼子の姉に対する感情は、恐怖と同等、あるいはそれ以上に恨みも憎しみも満載しています。はっきり言って、これまでの薬師寺シリーズの作中に登場した悪役に対したものと同等レベルの悪口を、薬師寺涼子は姉に対しても叩きつけているのです。ならばこれまで作中の悪役に対して行ってきたのと同じやり口を、姉に対して適用してはならない法的・道義的な理由など、薬師寺涼子には一切存在しないはずではありませんか。
 自分が気に入らない人間がいれば、自分から率先して相手と関わり、ありとあらゆる手を尽くして破滅に追い込む。それが薬師寺涼子という人間だったのではなかったのでしょうか?

 さて、この問題でひとつ考えられるのは、「適用してはならない理由」はないが「あえて適用していない」または「適用できない」理由がある、というものです。しかし、薬師寺涼子の性格および感情から「あえて適用していない」理由があるとは到底考えられませんし、また姉がいるにもかかわらず、薬師寺涼子は姉を差し置いてJACESおよび薬師寺一族の後継者扱いになっているわけですから、身分的・社会的な地位が邪魔で手が出せない、という理由も成立し難いでしょう。
 となると残るは「適用できない」理由以外にないわけですが、まずそこから連想されるのは、やはりスレイヤーズのルナ・インバースよろしく「薬師寺絹子の総実戦能力が薬師寺涼子のそれをはるかに凌ぐ」というパクリな理由(苦笑)ですが、しかし薬師寺涼子相手にそれは通用しないでしょう。薬師寺涼子にしてみれば、相手をとにかく破滅させれば良いのですから、何も正面から、それも腕力を使った決戦を挑む必要はないのですし、JACESの権力を駆使したり、薬師寺一族の跡継ぎという立場を利用したりすることで、薬師寺絹子を社会的に抹殺することだってできないわけではないでしょう。実際、これまでの薬師寺シリーズのストーリーでも、薬師寺涼子はまさにそういう手法でもってお偉方に対して優位に立ったり、悪役を破滅させたりしているのですから。
 他に考えられそうなのは、薬師寺涼子がお偉方の弱みを握って好き勝手な振る舞いを行っているように、薬師寺絹子もまた妹の弱みを握っていて、そのために薬師寺涼子が姉に手を出せない、というものですね。これだと薬師寺涼子の行動原理は姉譲りということになりますし、現時点ではこれが一番説得力がありそうなのですが……。
 しかし本当に問題なのは、「適用できない」理由の如何を問わず、薬師寺涼子が作中の悪役を破滅させてきたのと同じやり口を姉に対して「適用できない」場合、薬師寺涼子の人間性がとてつもなく卑小なシロモノになってしまう、ということにあるんですよね。つまり、薬師寺涼子は自分の権力が通じる相手や、自分より卑小な悪役に対しては居丈高に振舞うが、そうでない相手、特に姉に対してはただ忌み嫌うだけで何もできない状態になってしまう、というわけです。
 そうなると、創竜伝や薬師寺シリーズに登場する悪役と薬師寺涼子は、「強大な権力を行使できるお金持ち」という共通点を持つだけでなく、その人間性に至るまで完全無欠の同類、という結論が導かれることになってしまいます(笑)。何しろ、創竜伝や薬師寺シリーズに登場する悪役は、判で押したかのように「弱者には居丈高に振る舞い、強者には陰で反感を抱きつつも媚び諂う」という特性を必ずといって良いほど持っているものですからね(爆)。姉の登場で、薬師寺涼子の行動原理や人間性は、実は作中で卑小に貶められた悪役と全く同じものでしかないという、薬師寺涼子にとっては最低最悪の評価が下されることになってしまったわけです。
 実際、「女王陛下のえんま帳」における薬師寺涼子は、姉を意図的に避けるような言動・行動に終始する始末ですからね〜↓

薬師寺シリーズハンドブック「女王陛下のえんま帳」 光文社版P56〜P57
<自分の職場へ戻って、涼子に、絹子サンが待っている旨を伝えたが、上司はPCに向かったまま、
「事件の捜査にいそがしい。あんな女とのんびり茶飲み話なんかしているヒマはないッ」
 謎のダイヤ事件を利用して、涼子は姉との接触を回避するつもりのようである。>

薬師寺シリーズハンドブック「女王陛下のえんま帳」 光文社版P82〜P83
<やがて私は刑事部参事官の個人執務室に足を運んだ。上司が問いかけてくる。
「おキヌのやつ、帰った?」
「帰りましたが、伝言があります」
「聞きたくない」
「お伝えするだけお伝えします。来週の水曜日、だいじな法事がご実家であるとか。曾祖父さまの二十七回忌で親族ご一同が集まるので、ぜひご参列なさるようにと。確かにお伝えしましたよ」
 そのとき刑事部長がおんみずから姿をあらわした。おずおずと涼子に呼びかける。
「えーとだね、薬師寺参事官……」
 涼子が嵐をはらんだ沈黙をたもっているので、私が刑事部長に応対した。
「僭越ですが、お話をうけたまわります。参事官にご用のオモムキは何でしょうか」
 刑事部長はナイガシロにされた怒りを、卑屈な表情で押し隠した。
「いや、海外出張の話なんだ。薬師寺君にカナダへいってもらいたいんだが……どんなものだろうね」
 本来なら出張命令を拒否できるはずもないが、薬師寺涼子は「歩く例外」である。部長の言葉を聞くと、彼女の瞳が鋭くきらめいた。あたかもダイヤ製の短剣みたいに。
「それ、いつですか」
「え、いや、あの、ムリにいけなんていうつもりはないんだが」
「いつなんですッ!?」
「い、いそぐんだ、何せ国際的な事件だから」
「だから、いつ!?」
「来週の月曜日からだよ、いちおう一週間ぐらいで、捜査協力の形だけととのえてくれれば……」
 おびえる部長に目もくれず、涼子は私を見やって声をはずませた。
「聞いたでしょ、泉田クン、来週はカナダ出張よ。あたしは日本にいたくてもいられないの!」
「よかったですね」
 いいながら、私は不吉な予感におそわれる。涼子は海外出張を口実に、法事への参加をまぬがれるコンタンだ。それはいいが、彼女は前回のパリ出張のときひとりでいったか? いやいや、彼女にはいつも不幸なオトモがつくのではなかったか……。
「泉田クン、パスポートは持っているよね。すぐに出張の準備をなさい。あたしの準備もてつだうのよ!」
 かくして、私の不本意なカナダ出張が決定したのだった。>

 仮にも「女王様」だの「傲岸不遜」だのを売りにしている上、強大な権力と財力を駆使して他人を諂わせているキャラクターが、こんな作中に登場する三流悪役レベルの小人ぶりを披露してはマズいでしょう。薬師寺涼子であれば、たとえ相手が誰であっても、高笑いしながら押さえつけ、自分に従わせたり破滅に追い込んだりするところにこそ、作者自身も意図したキャラクター性があるはずなのですが。
 薬師寺涼子のキャラクター設定にルナ・インバース的な要素を不適合移植したところで、「強大な権力者」という特性による激烈な拒絶反応が起こり、薬師寺涼子にとってはより一層致命的な事態が発生する、ということが、作者である田中芳樹には分からなかったのでしょうかね〜(>_<)。

薬師寺シリーズハンドブック「女王陛下のえんま帳」 光文社版P77
<「地球上に七〇億も八〇億も、役立たずの人間がひしめいている図は絶望そのものだ。だが八〇億個のダイヤがころがっていると思えば、この世は宝石だらけの楽園と化す。わしの研究だけがこの世を楽園にできるのだ!」
 涼子が美しい嘲笑をひびかせた。
「これだから学のない人間ってイヤなのよ。あんたは人間をダイヤに変える方法を、さも自分の創意工夫(オリジナル)みたいに主張してるけど、とんでもない。何年も前に、とっくに考案されてるんだから」
「え、そうなんですか」
 私はおどろいた。博士はうなり声を洩らす。涼子が私をトガメタテした。
「泉田クンも知らなかったの? あきれた、常識じゃない」
 常識かなあ。
 とにかく涼子の説明によると、二十一世紀にはいって、アメリカはシカゴの葬儀会社が、顧客へのサービスとして始めたのだそうだ。
「愛する人が死者となっても、その灰をダイヤモンドに変えて、あなたの身近に置いておけます。おお、何と美しい思い出でしょう。ぜひあなたの愛する人を、たいせつな家族を、ダイヤにしてあげようではありませんか!」
 このサービスはもちろん有料だが、注文が殺到しているそうで、さて異常なのは二十一世紀という時代なのか、アメリカという国なのか、私のような凡人には判断がつきかねる。>

 本当に異常なのは「二十一世紀という時代」でもなければ「アメリカという国」でもなく、こんなモノローグを語り倒している泉田準一郎の頭の中身ではないかと思うのですけどね、私は(爆)。泉田準一郎の知的水準に、凡人などおよびもつかない明らかな異常が見られるのは、「不法入国者と聞いただけで犯罪者と同一視してヒステリーをおこす連中もいるが」という発言ひとつとっただけでも一目瞭然ですし(苦笑)。
 そもそも、人間の遺灰や遺髪をダイヤモンドに変えて遺族が大切に所持・保存する「メモリアル・ダイヤモンド」という考え方が「異常」と評価されなければならないものなのでしょうか? 愛する者や大切な親族が死に至った時、故人の思い出を何らかの形にして残しておきたい、と考えるのは人の感情として当然ありうる形態ですし、それを故人の遺品や宝物等を「形見」とすることで行うというやり方はごく普通に見られるものです。もっと露骨な形だと、故人の遺骨や遺灰そのものを自宅で保管している、という人だって存在するわけです。そういう人達にとって「メモリアル・ダイヤモンド」は、故人の形見を常に所持することができ、故人の存在を身近に感じることができる素晴らしいものであることは疑問の余地がないでしょう。
 人の死というものは、残された遺族にとっては衝撃的かつ残酷な事実であり、それを乗り越えるのは容易なことではありません。故人との思い出を残したいというだけでなく、残された遺族が悲しみを癒し、死の事実を受け入れ、乗り越えていくための方法論としても「形見を残す」という手法は昔から有効なものだったのですし、「メモリアル・ダイヤモンド」もまた、人によってはそれに寄与するものではあるわけです。そういう考え方が何故「異常」と評価されなければならないのでしょうか?
 また、これは「女王陛下のえんま帳」が刊行された後の話になるのですが、「メモリアル・ダイヤモンド」はアメリカ以外でも製作が行われるようになっています。確かに「メモリアル・ダイヤモンド」というサービスは2002年にアメリカのライフジェム社という会社によって始められたものですが、2004年に設立されたスイスに本社を持つアルゴダンザ社でも同様のサービスが始められていますし、日本にも支社が進出しています。また、人間のみならず、犬や猫などのペットの遺灰を使った「メモリアル・ダイヤモンド」の製作も行われるようになっているのです。「形見」という考え方は多かれ少なかれ万国共通なものなのですから、「メモリアル・ダイヤモンド」がアメリカ特有の現象などでないことはこれらの事例からも明白ですね。
 アメリカ同時多発テロやイラク戦争の影響に発狂していた田中芳樹の影響をストレートに受けたためか、何でもかんでもアメリカと結びつけてアメリカを罵りたがっている泉田準一郎の心情も分からなくはないのですが(苦笑)、その前に、「人の死」というものが残された遺族達に対して与える影響というものについて、スズメの涙程度でも考えてみたらどうなのですかね。

 薬師寺シリーズ5巻「黒蜘蛛島」および「女王陛下のえんま帳」の論評は以上となります。
 次回は薬師寺シリーズ考察は一回お休みして、別の作品について論じてみようと思います。

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