薬師寺シリーズ考察1

薬師寺シリーズ1巻 魔天楼

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薬師寺シリーズ考察

投稿者:冒険風ライダー
2008年03月26日(水) 21時00分

 今回より、薬師寺シリーズを1巻から順に論評していく新企画を展開していきたいと思います。
 薬師寺シリーズは、田中作品の中では「現代世界を舞台にしている」「ストーリーとは何の関係もない【現実世界向けの社会評論】が、作中に不必要かつ大量に挿入されている」という点において創竜伝と双璧をなすシロモノなのですが、タナウツでは不思議と話題になることが少なく、タナウツサイト内でとにもかくにもまとまっている薬師寺シリーズ関係のコンテンツが、以前に私が立ち上げた「検証!薬師寺シリーズ」くらいしかないという状態が長く続いていました。
 しかし、薬師寺シリーズも2008年3月時点ですでに8巻目が刊行されるほどの長いシリーズになっていることや、マンガ・アニメへの進出によるメディアミックス化が著しいこと、そして何よりも、作者である田中芳樹およびその忠実なる下僕であるところの「らいとすたっふ」が、創竜伝続巻の事実上の無期限凍結を行ってまで薬師寺シリーズに主力を注ぎ込もうとしていることなどから、私は薬師寺シリーズもまた、創竜伝と同様にストーリー・社会評論の両観点から一度徹底的に検証し、叩き潰す必要があると判断するに至ったわけです。
 今回の新企画で、薬師寺シリーズが抱える様々な問題点を明確にし、田中芳樹およびファンに対して何らかの楔を打ち込むことができれば幸いです。
 それでは、第1回目となる薬師寺シリーズ考察を始めることと致しましょう。

薬師寺涼子の怪奇事件簿1巻「魔天楼」
1996年10月15日 初版発行

 さて、薬師寺シリーズというのはそもそもどのような経緯で誕生したものなのでしょうか?
 もちろん、その根底には本人自ら「魔天楼」講談社文庫版のあとがきで明言しているように「ストレス解消のため」というのがあることは疑いの余地がないのですが(笑)、それはとりあえず今は横に置いておくとして、より詳細かつ具体的な動機としては、田中芳樹の対談や評論・インタビュー記事をかき集めた著書「書物の森でつまずいて……」の中で本人が熱く語り倒しています。

書物の森でつまずいて…… P59〜P61
(毎日が八月三十一日 ―― 作家生活二十五周年インタビュー/聞き手:赤城毅)
<赤城:
 世界がどんどん広がっていく中で、ついに最強のスーパーヒロイン、といいましょうか(笑)、薬師寺涼子の登場となるわけですが。
田中:
 どうも、避けては通れないようですね(笑)。
赤城:
 田中さんの作品の中では、たいてい女性はみんな強くて、よよと泣き伏すヒロインって出てきた覚えがないんですけども。またこれは群を抜いて、軽く三、四馬身は抜いて強いように思います。どうしてまたこういうヒロインを?
田中:
 そう、おっしゃったようにぼくは、よよと泣き伏すヒロインって、書かないというより書けないんですね、どうも。『銀英伝』のアンネローゼは泣き伏すタイプかと読者は思われたようですが、最後にちゃんと刺客にスタンド投げてますし(笑)。どうも女の人が元気なほうが、書き手としても読み手としても気持ちいいんですね。
赤城:
 それはまったく同感ですね。一昔前のハリウッドの冒険映画みたいに、ヒロインは気絶するしか能がないのでは困っちゃいますから。
田中:
 気絶してくれるならまだいいんですが、殺人鬼を見かけてキャーと叫んでわざわざ居場所を教えたりね(笑)。
赤城:
 それではたまらんということで、まわりを振りまわしっぱなしのヒロインが出てくるわけですかね。
田中:
 最初からヒロインということではなかったんです。講談社ノベルズの編集さんとの雑談の中で「近頃の名探偵は屈託するようになった」という話を聞きまして。事件を解決したのに「おまえがよけいなことをするから、おれの人生はめちゃくちゃになった」と犯人に責められて探偵が悩む、というパターンが増えてたらしいんですね。「じゃあ反対に、犯人に微塵も同情しない探偵がいたらどうだろう」。つかまった犯人に「お前のせいで俺は」と言われて「わっはははは、ざまあみろ」とあざ笑う探偵。「この場合、男にアッハハハと笑われるよりも、女性にオーッホホホと笑われるほうが、より傷つくね」「うん、立ち直れないと思う」「じゃ探偵役は女性だ」ということになって、そのうち書こうと思ってたんだけど。>

 この内容から考えると、薬師寺シリーズで田中芳樹が当初志向していたのは「元気で周囲を振り回す女性探偵を主人公とした【ミステリー小説】」だったのではないかと思われます。
 「ミステリー」の定義については、辞書によると、

(1)神秘的なこと。不可思議。なぞ
(2)怪奇・幻想小説を含む、広い意味での推理小説

 ということになっているのですが、これでは下手をすれば創竜伝なども「ミステリー小説」と定義しなければならなくなりますので、ここでは以下に提示してある「田中芳樹自身によるミステリー(およびSF・ホラー)の定義」をベースにした推理探偵物、ということで話を進めていきます。

夏の魔術1巻 徳間ノベルズ版P70下段〜P71上段
<「これからどうなりますかねえ、いったい」
「そいつは、われわれが置かれた状況によるさ。ミステリー的状況か、SF的状況か、ホラー的状況か、それによって変わるだろう」
「どういうことです?」
「ミステリー的状況なら、いずれ合理的な回答が導き出されることだろう。SF的状況なら、多少われわれの常識と異なるとしても、それなりに整合性のある論理的な結末が与えられるだろう。だがホラーだと、そういったものは求めようがないね」
「そういうものですか」
「それはそうさ。ホラーは感情の激動を目的とするものであって、その原因を解析するためのものではないからね。状況を論じること自体が、そもそも的はずれというものさ」>

 さて、そう定義しますと、「田中芳樹が【現実世界に立脚した合理的な説明を要する】ミステリー系の推理小説を書くのか?」という疑問を抱く人もいるかと思いますが、田中芳樹も「銀河英雄伝説読本」に収録されている銀英伝外伝「朝の夢、夜の歌」という作品で、ミステリー系推理小説的なストーリーを執筆していたことがありましてね。推理小説としての評価は置いておくにしても、田中芳樹がミステリー系推理小説を志向すること自体は、過去の執筆履歴から考えてもおかしくはないのではないでしょうか。
 また、薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」の序盤には、こんな文章も書かれております↓

薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」 講談社文庫版P25〜P26
<「お気に召していただけましたか」
 暇をもてあましているとも思えないが、支配人が私たちのテーブルにやってきた。よほど涼子がこわいらしい。私にもその気持ちはよくわかる。
「最後のコーヒーで三〇点減点ね」
「それは申しわけございませんでした。コーヒー代はなしにさせていただきます」
「当然ね。こんな地の涯まで来てくれるお客を失望させるものじゃなくってよ」
「おそれいります。地の涯と申しますと、第二次大戦のころ、日本軍の秘密研究所で捕虜を人体実験に使って、敗戦のとき死体を東京湾に沈めた。その上に埋立てをしたんで、湾岸副都心には最初から呪いがかかってる、なんて話もございましてね」
「信じてるの?」
 と、涼子の反応は身も蓋もない。支配人は苦笑して、右手を宙に泳がせた。
「ま、都市伝説のひとつでしょう。日本軍もそうやたらと手をひろげてはいないと思いますよ。私がむしろ気になるのは……」
 いいかけて、支配人の舌にブレーキがかかった。彼の視線の先を、銀髪長身の初老の紳士が通過していった。支配人は三秒ほどの沈黙の後、声をひそめた。
「あの方が、このビルを運営している湾岸開発事業団の理事長でして、高市とおっしゃいます。辣腕というだけでなく、東洋の叡智である風水学にも造詣が深く、このビルの設計にも風水学が生かされているそうで……」
「ばかばかしい」
 東洋の叡智とやらを、涼子は一刀両断してのけた。
「風水学がすべて正しいなら、古来、滅びる王朝なんて存在しないわよ。血液型や星座占いよりはもっともらしいけど、茶飲み話の種以上のものじゃないわね」>

 「旧日本軍に人体実験で殺された死者の呪い」だの「風水学」だのといったオカルト的要素を、主人公たる薬師寺涼子が「ばかばかしい」「茶飲み話の種以上のものじゃないわね」と「一刀両断してのけた」という描写を、それも作品の序盤に持ってきているわけです。これから考えれば、薬師寺シリーズが「(オカルト的要素を完全排除した)現実世界に立脚した合理的な説明を要する」ミステリー系の推理小説を志向している、と考えるのは自然な流れというものでしょう。
 また、ストーリーの流れを見ても、物語中盤付近までは「一見非合理的に見えるトラブル」が多数多発していても、終盤で探偵役が「現実世界に立脚した合理的な理論」で全て説明してしまえれば「ミステリー系推理小説の一情景」として処理することも不可能ではない描写が続いていたため、「一体どうやって合理的に説明するんだ?」というミステリー系推理小説的な期待を抱かせる構成になっているわけです。
 これらのことから考えると、薬師寺シリーズがすくなくとも当初志向していたのは「元気で周囲を振り回す女性探偵を主人公とした、【現実世界に立脚した合理的な説明を要する】ミステリー系の推理小説」だった、ということになるのではないでしょうか。

 しかしまあ、今更言うまでもないことかもしれませんが、この薬師寺シリーズが当初志向していた方向性は、薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」のストーリーが100ページも進まないうちに早くも頓挫し始めることになります。
 その最初の一撃が、以下の文章となります↓

薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」 講談社文庫版P95〜P96
<「ドラよけお涼」に関する噂のひとつを、私は思い出した。「ドラキュラもよけて通る」。なぜドラキュラなどという名が引きあいに出されるのか。
「どうも彼女がかかわると変なことがおこるんだ」
 変なこと、とは、現代科学の常識が通用しないことだ。良識ある人々に忌避され、神秘主義者やオカルト業者や自称超能力者たちに喜ばれるようなこと。涼子がかかわると、なぜかそういったことがおこる。ゆえに涼子は「切り裂きジャックもよけて通る」とか「怪人二十面相もまたいで通る」とかは評されなかった。「キリよけ」とか「ニジまた」と呼ばれず、「ドラよけ」と呼ばれるようになったのだ。>

 ……何と言うか、他ならぬ薬師寺涼子自身がつい70ページほど前で全否定的なまでに一刀両断していた、「旧日本軍に人体実験で殺された死者の呪い」だの「風水学」だのの話は一体どこにいってしまったのですか、と思わず言いたくなるようなシロモノですね、ここの文章って。「現代科学の常識が通用しないこと」が薬師寺涼子の周囲で起こっているのであれば、「旧日本軍に人体実験で殺された死者の呪い」や「風水学」だって、別にあっても不思議ではなくなりますし、バカバカしいことでもなくなってしまうでしょうに。
 それに、この文章って「なぜドラキュラなどという名が引きあいに出されるのか」と言う理由の説明にすら全くなってはいないのですけどね。「現代科学の常識が通用しないこと」「良識ある人々に忌避され、神秘主義者やオカルト業者や自称超能力者たちに喜ばれるようなこと」から、どのような論理と過程を経て「ドラキュラ」という名が導かれるのか、という説明が完全に欠如しているのですから。別にドラキュラでなくても、「ドラゴンもまたいで通る」から「ドラまたお涼」でも一向に構わないのではありませんかね(爆)。
 どうせ元ネタは誰の目にも一目瞭然なわけなのですから、素直に「スレイヤーズからパクリました」と表記するか、そこまで露骨かつ正直でなくても、「某ライトファンタジー小説の女主人公の呼び名からトレースして……」といった類の文章でごまかす、くらいの工夫をこらして説明しておいた方が、ここでは却って良かったのではないかと思うのですけどね〜。

 そして物語も中盤を過ぎると、合理的には説明不可能な現象の多発で死者が続出し、現場は混乱の渦に巻き込まれることになるわけですが、その際に薬師寺涼子が取った行動が、薬師寺シリーズが「【現実世界に立脚した合理的な説明を要する】ミステリー系の推理小説」との決別を宣言する決定打となります。

薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」 講談社文庫版P161〜P162
<デパート内は照明もつき、人もいたが、本来の活気はまったくなかった。閉じこめられた客どうし、店員どうしが集まって、おびえたように低声で会話をかわしている。幼児の泣き叫ぶ声も聞こえた。
(中略)
 売り場案内の表示板の前で涼子が立ちどまったので、私は問いかけた。
「どの売場に行くんです?」
「どこだと思う?」
「全部の階を見てまわる、なんていうのはごめんですよ」
(中略)
「本屋よ!」
「本屋は四階ですが……」
「そこへ行って、『幻獣妖虫大全』という本を探すの。手伝いなさい」>

 目の前の現場が混乱を極める中、突然「架空のオカルト本」を探し出すという、「【現実世界に立脚した合理的な説明を要する】ミステリー系の推理小説」とは到底相容れないことをおっぱじめる薬師寺涼子。ちなみにここで出てきた「幻獣妖虫大全」なる本は、ここまでの描写で伏線として登場してすらおりません。
 そして、美神令子とリナ・インバースの超劣化コピーロボットの役割を担う薬師寺涼子は、そんなオカルト本を片手に、突然「犯人はこいつだ!」などと電波な断定を始めてしまうわけです↓

薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」 講談社文庫版P166〜P167
<石の中に住む妖虫。いちおうサソリの一種とされているが、むろん近代生物学の検証を受けているわけではない。そもそもサソリとは、節足動物蛛形類に属する一群の動物の総称で、一対のハサミと四対の足がある。四対とは八本だから、まったくクモと同じだ。
 涼子の手にある本のイラストを、あらためて私はのぞきこんだ。たいしてこわくはなかったが、静止した絵だからであろう。これが眼前で八本の足をくねらせて動く姿を想像すると、やはり相当に気色悪かった。
「今夜の一連の事件の犯人がこいつだ、というんですね」
 私は涼子に確認したが、「犯人」という表現は正確ではない。「犯虫」とでも呼ぶべきだろうか。
「九割がたね」
 涼子は慎重に応じた。>

薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」 講談社文庫版P171〜P172
<「ハーゲマイヤー碑文」には、その「石棲妖蠍(バレオロザキス)」に関する伝説がいくつか収録されているのだが、ユダヤ系の学者が著した「研究序説」では、ペルガモン王国がローマ帝国に吸収された直後、おとなりのポントス王ミトラダテス六世が「石棲妖蠍」を退治した。その方法はというと、「オリーブの恵みが平和を回復する」というものだったという。
「……何のことです?」
 私の質問は当然のものだったと思うが、涼子の返答はいつものように明快ではなかった。
「猫にマタタビ、みたいなもので、オリーブかその油で怪物をおびき出したんだと思うけど、正確にはわからないのよ。大理石がトルコ産だと聞いて、あたしはこの伝説を思い出したの」
「ははあ……」
「どう、怪物の存在を信じる?」
「信じますよ」
 心から私はそう答えた。「ドラよけお涼」が実在するのだから、壁の中にひそむ怪物の存在ぐらいのことは信じてよい。>

 ちょっとちょっと泉田君、アンタは同じ日のほんの少し前に薬師寺涼子が、どこからどう見てもオカルトに属するであろう「旧日本軍に人体実験で殺された死者の呪い」「風水学」に対して「ばかばかしい」と全否定かつ一刀両断していた様を眼前で見ていたはずでしょう。にもかかわらず、突然「架空のオカルト本」の中にある架空の虫が今回の事件の犯人(?)であると喚きだした挙句、「どう、怪物の存在を信じる?」などと自分に迫ってくる超劣化コピーロボットに対して、少しは疑問を抱くとか、「ついさっき他ならぬあなた自身がオカルトを全否定していたのでは?」とツッコミを入れようとは考えられなかったのですかね?
 薬師寺涼子の犯人推理手法は、作者である田中芳樹自身の定義による「ミステリー的状況」にも、一般的なミステリー系推理小説のルールにも明白に違反しています。一般的なミステリー系推理小説には「ノックスの十戒」と呼ばれる一定の基本ルールが存在するのですが、その条項は以下のようになっています。

 1.犯人は小説の初めから登場している人物でなくてはならない。又、読者が疑うこと
   の出来ないような人物が犯人であってはならない。(例、物語の記述者が犯人)
 2.探偵方法に超自然力を用いてはならない。(例、神託、読心術など)
 3.秘密の通路や秘密室を用いてはいけない。
 4.科学上未確定の毒物や、非常にむつかしい科学的説明を要する毒物を使ってはいけ
   ない。
 5.中国人を登場せしめてはいけない。(当時の欧米における人種感の反映)
 6.偶然の発見や探偵の直感によって事件を解決してはいけない。
 7.探偵自身が犯人であってはならない。
 8.読者の知らない手がかりによって解決してはいけない。
 9.ワトソン役は彼自身の判断を全部読者に知らせるべきである。又、ワトソン役は一
   般読者よりごく僅か智力のにぶい人物がよろしい。
10.双生児や変装による二人一役は、予め読者に双生児の存在を知らせ、又は変装者が
   役者などの前歴を持っていることを知らせた上でなくては、用いてはならない。

もちろん、「ノックスの十戒」はあくまでも「ミステリー系推理小説を執筆する際の心得・基本ルール」であって、絶対的な戒律などではありませんが、それでもさすがに「1(怪物は小説の初めから登場していないし、そもそも「人物」ですらない)」「3(怪物は壁や床をすり抜けられる能力を持つ上、そのメカニズムが不明)」「6(例の犯人推理は薬師寺涼子の直感もしくは電波受信の賜物でしかない)」「8(怪物の正体を知る手がかりは読者が事前に知ることのできないものだった)」と4つもの項目に対して違反を重ねていてはマズイでしょう。しかも、何度も言うように薬師寺涼子自身、「旧日本軍に人体実験で殺された死者の呪い」「風水学」を一刀両断に切り捨てている言動を行っているにも関わらず。
 かくして、せっかく当初はミステリー系推理小説を志向し、そのためのお膳立ても整えていたにもかかわらず、作者たる田中芳樹がプロ作家としてはおよそ考えられないほどに安直な解決法に突っ走ってしまったがために、薬師寺シリーズはひとつの可能性を自ら閉ざしてしまうこととなったわけです。

 ではミステリー系推理小説として以外の観点から見た薬師寺シリーズの可能性についてはどうなのか? 実はこちらの方がミステリー系推理小説として見た時以上に頭が痛くなるような惨状を呈しているのが実情なのです。
 現代世界の常識の観点から見れば、どこかの電波を受信したとしか思えないおバカな犯人推理を行ってのけた薬師寺涼子は、その電波な推理のスバラシイ出来栄えを自慢でもしたかったのでしょう、警察のお偉方にその推理を話しに行くことになります。

薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」 講談社文庫版P173〜P174
<女性どうしが激しく口論する声が聞こえた。それだけで声の主がわかった。むろん私の上司と岸本の上司である。
「あなたのいう大胆な推理とやらは、根拠のない妄想のことでしょ!」
「オホホホ、根拠はあってよ」
「どんな根拠よ」
「あたしの教養と学識が、事件の真相と犯人の正体とを、あざやかに見抜いたのよ。正確にいうと人間じゃないけどね。あたしだからこそできたことだわ」
 室町由紀子が噴火寸前の表情になると、涼子はひときわ意地悪くせせら笑って、無言で床にすわりこんでいる警視総監のほうを向いた。
「小物なんか相手にしていられないわ。総監、話を聞いていただけますか」
「君、順序というものがある。まず私を通してだな」
 しゃしゃり出る警務部長を、涼子は平然としりぞけた。
「無駄な手間をかけたくありませんの。事は急を要します。そうあたしが申しておりますのよ」
「……話してみなさい」
 総監が立ちあがった。涼子より身長は低いが、身体の幅は広い。涼子は総監をしたがえて――そうとしか見えなかった――会場の一隅に移り、説明した。一〇分間ほどして、ふたりは他の人々のところにもどって来た。総監が、半ば一同に向けて口を開いた。これまでに見たこともないほど顔色が悪いのは、怪物の話を聞かされたからだろう。
「わかった、私が責任をとろう」
 安穏な老後は断念した、ということだろうか。総監はとうとう最終的な発言をして、涼子を満足させたのである。>

 前述の泉田準一郎もそうなのですが、その導き出された過程からして突発的かつ不自然でツッコミどころ満載な薬師寺涼子の電波理論が、何故ここまですんなりと周囲に受け入れられてしまうのでしょうか。ただひとり、かろうじて室町由紀子が「根拠のない妄想」という至極妥当な評価を薬師寺涼子に叩きつけておりますが、所詮は元作品でも影の薄い小笠原エミのクローン人形に過ぎない彼女の主張は、ストーリーの都合によるものなのか、あっさりとスルーされて終わりですし。
 考えてもみてください。いくら現実世界で大規模かつ原因不明なトラブルが発生しているとはいえ、何の脈絡もなく「これは妖怪や怪物の仕業だ!」などと大真面目に語る人間がいたら、それに対する周囲の大多数の反応は「こいつ頭がおかしいんじゃないか?」「気でも狂ったのか?」といった類のものになるのが普通ではないでしょうか。ましてや、薬師寺シリーズの世界観は、スレイヤーズや極楽大作戦のような「妖怪・怪物および怪奇現象が日常的に出現・発生することが常識とされている世界」などではないのですから、特殊なオカルト信奉者ならばともかく、普通一般の人達は、非常識なオカルト的現象に対してまず懐疑の目を向けざるをえないはずでしょうに。
 オカルトが(すくなくとも公的には)否定されている世界であくまでもオカルト的な主張を行い、その主張を万人に認めさせようというのであれば、まずはそれ相応の客観的に認められる証拠を提示し、筋の通った説得力のある論を展開することが必須条件なのではないかと思うのですけどね。そういうある意味「王道」的な描写を抜きにして薬師寺涼子の突拍子もない推理話が展開され、しかもそれを周囲も現実も何の疑いを持つことなく受け入れてしまうから、ホラー話として見てさえ理解に苦しむ描写になってしまうのですが。
 この辺り、どうも薬師寺シリーズには全体的に「手抜き描写」が目立つんですよね。まあ、「ストレス解消のためにこんな作品を書いてみました」などと作者本人が公言しているだけあって、薬師寺シリーズでは「1+1=2」以上に難しいことを田中芳樹は考えたくなかったのかもしれませんけどね(笑)。

 さて、薬師寺シリーズには、これまで論じてきたように、一方では電波的かつ突発的な妖怪犯人説が飛び出したかと思えば、他方では「魔天楼」の序盤にあるようなオカルト全否定的論評があり、しかもこの両者は共に同一人物によって発言されたものであるわけです。
 この何らかの自己破産的精神障害を煩っているとしか思えない珍現象は、むろんそれ単体だけでも薬師寺シリーズという作品、および薬師寺涼子という作中キャラクターに対して非常に大きな悪影響を与えているわけなのですが、何を血迷ったのか、薬師寺涼子はこの致命的大矛盾をさらに拡大する方向へ自ら邁進することになります。

薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」 講談社文庫版P176〜P177
<「総監、あたしからもお願いがあります」
「な、何だね」
 総監は半歩しりぞいたが、それを非難しようとは私は思わない。涼子が微笑したのは、総監を安心させるためだったにちがいないが、どれほど効果があっただろうか。
「今夜の事件について、公式発表の内容をよく考えていてください。合理的な説明でつじつまをあわせていただきたいんです。お願いできますかしら」
「う、うむ……」
「総監だけが頼りですわ、この件に関しては」
 薬師寺涼子でも、いざとなればこのていどのことはいえるのである。総監は無言のまま、くりかえしうなずいた。>

 薬師寺涼子の言う「今夜の事件」というのは、壁や床の中を自由に移動できる怪物がビルの中を暴れ回り、美術品を破壊したり、多数の人々を殺傷したりした、というものです。これに対する最も合理的な説明というのは、怪物の存在と被害を証明する客観的な証拠を明示した上で、事実をありのままに話す、ということであるはずです。事実関係から言っても、警察の存在意義および保身の観点から見ても、これに勝る選択肢があるとは考えられません。
 ところが、薬師寺涼子が総監に求めた「合理的な説明」はそうではないのです。こともあろうに、あの美神令子の出来損ないは、怪物の存在そのものを隠蔽することを最優先にするよう要求したのです。

薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」 講談社文庫版P217〜P218
<ふと気がつくと、室町由紀子が私たちの前に立っていた。私を見て「ご苦労さま」というと、すぐ身体ごと涼子に向かって話しかける。ごく事務的な口調で説明したのは、高市理事長の妄想とコンピューターの暴走という線で話をつくる、怪物の存在は絶対に認められない、基本となる報告書は彼女がまとめる、というようなことであった。それらを話し終えると、由紀子は、やはり事務的にあいさつして背を向けた。彼女を見送って、私は上司に視線を転じた。
「あれでいいんですか」
「いいのよ。警察と科学者がオカルトを認めちゃいけないの。あたしも外部に対しては自分の功績をフイチョウする気はないわ。全部、総監にゆずってあげてよ。オホホホ」
つまり総監が全責任をとらされるわけだ。気の毒ではあるが、もともと涼子を採用したほうが悪い。自分自身の管理能力を再確認するためにも、何とか無難にこの一件を処理してもらうとしよう。>

 「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などという目的のために真相を隠蔽した挙句、他人の罪を勝手にでっち上げる、ということを、薬師寺涼子は警視総監に要求していたわけです。オカルト否定もここまでくると病気ですね。
 そもそも、ここで怪物の存在を隠蔽することに一体何の意味があるというのでしょうか? ビルの中で多数の死傷者と破壊をもたらした犯人はあくまでも怪物なのですから、真相究明の観点から言えば、怪物の存在を客観的な証拠付で公に明示した上で、そのことを大々的にアピールするのは至極当然のことなのですし、再発防止の視点から見ても、今回の怪物事件を教訓とすることによって、今後同種の事件が起こった場合により効果的な対処法を警察および世間一般は身につけることができるようになるのです。
 それに何よりも、「警察の自己保身」という点から考えてさえ、今回の事件で怪物の存在を公に認めることは最善の選択であると言えるのです。得体の知れないオカルティックな怪物がビルの中を暴れ回って多数の死傷者が出る、などということを、現代世界の常識に縛られている薬師寺シリーズ世界の警察が事前に予測できるわけがないのですから、世間や遺族に対しても説明がしやすいですし、理解も得られやすいでしょう。身も蓋もない言い方をすれば、公に認めた怪物に事件の全ての責任を押しつけることによって、警察の面子を保つことができるというわけです。
 一方、今回の事件で怪物の存在を認めない、となると、まず事件の真相が闇に葬られてしまい、それによって再発防止の対策も行えなくなり、警察は今回の事件について言われなき非難を浴びなければならない、とデメリットだらけです。しかも、後日このことが露呈すると、今度は「事件の真相を意図的に隠した」ということで、また新たな非難を世間から受ける可能性まで出てくるのです。
 目の前でオカルティックな事件が発生し、多大な死傷者や被害が発生しているというのに、科学的・合理的に説明できないからその存在自体が認められない、というのでは、それこそ宗教的な狂信者やオカルト信奉者とどこが違うというのでしょうか。

 そして、「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などという、現実の前に破綻した意味不明な建前にこだわるあまり、他人の罪を勝手にでっち上げるに至ってはもう笑うしかありませんね。
 そもそも、ここで話が上がっている高市理事長とやらが今回の事件と密接に関わっている、という証拠どころか証言すら、「魔天楼」作中のどこにも見出すことはできないのですけどね。講談社文庫版P178で、薬師寺涼子が高市に対して怪物の件について直接問い質した際にも、高市は怪物について何ひとつ言及していませんし、その後はビルがクレーン車の鉄球で破壊されようとした際に、それを命じた警視総監に逆上して襲いかかり、暴行障害・公務執行妨害の現行犯で逮捕されてお終いだったのですから。現行犯についてはともかく、怪物の件については、彼はすくなくとも完全なクロではない、と判定するしかないわけです。
 その高市を、「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などという破綻した名目のために、「高市理事長の妄想とコンピューターの暴走という線で話をつくる」ことで事件の黒幕に仕立て上げる、などということが、刑事捜査の観点から見て許されることなのでしょうか。これは全てを承知の上での確信犯であるという点で誤認捜査や誤認逮捕などよりもはるかに悪質なものであり、警察権の乱用と見做されるものですらあるのです。
 オカルトに依存しながらオカルトを全否定するという、「魔天楼」のみならず薬師寺シリーズ全体を蝕む病理を、この問題はこれ以上ないほど醜悪かつグロテスクに象徴していると言えるでしょう。

 田中芳樹は結局、薬師寺シリーズで一体何がしたかったのでしょうか? 女性が主人公の探偵物をやりたいと述べていた上に作中でオカルト否定をやっているものだからミステリー系推理小説でも書こうとしているのかと思えば、何の脈絡もなく唐突に妖怪を事件の黒幕として登場させるし、そのくせオカルト否定だけは相変わらず固持し続けるし。どう見ても行き当たりばったりとしか思えない便所の落書きなどしていないで、少しはストーリー全体のプロットをきちんと練った上での作品執筆を心がけて頂きたいものなのですがねぇ〜(T_T)。
 まあ、本人が明言し、私も何度も強調しているように、田中芳樹が薬師寺シリーズを書きたかった唯一絶対にして最大の動機は「ストレス解消のため」なのですから、田中芳樹以外には誰も理解できない楽しみというものが存在するのかもしれないのですけど(笑)。

 さて次回は、薬師寺シリーズ2巻「東京ナイトメア」について論じてみたいと思います。

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