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薬師寺シリーズ考察1−B
薬師寺涼子の怪奇事件簿1巻 「魔天楼」


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No. 8001
Re:Re7995/7997:2者レス
ダボ 2008/04/20 00:50
>  その手の描写って、ミステリー系推理小説にもそれなりに存在するものではありませんか? 密室殺人等に見られるような犯罪の不可能性などは、事件がいかに難解なものであるかを強調するために登場人物が口にしまくるものですし、妖怪の存在や怪異事件である可能性にしても、物語序盤では「これは○○の祟りじゃ!」「怪物の仕業だ!」などと大声で主張するピエロ役がいたりするものです。
>  そういう「犯罪の不可能性」や「妖怪の存在や怪異事件である可能性」を全て合理的に説明して事件を解決し、読者に爽快感を与えるのがミステリー系推理小説の醍醐味なのですから、序盤にその手の描写がたくさんあっても、ただそれだけでは「これはミステリー系推理小説ではない」と断定するには至らないですね。ミステリー系推理小説の場合、名探偵の最後の説明こそが最も重要なものなのですから。
>  その名探偵役の推理理論があんな電波な妖怪犯人説でしかないのではねぇ……(>_<)。これならば、最初から妖怪の存在を前面に押し出してその存在を大々的にアピールし、ホラーアクションであることを明示しておいた方がはるかにマシだったと思うのですが。

>物語序盤では「これは○○の祟りじゃ!」「怪物の仕業だ!」などと大声で主張するピエロ役がいたりするものです。

代わりに怪物の仕業だったのに、
<「今回の件はコンピューターが暴走した、と考えるのが妥当でしょう」>(ノベルズ版P46)
などと言った室町由紀子というピエロはいましたが(笑)
というのは冗談にしても、ホラーにおいて怪物を謎のまま引っ張るというのはそんなに特殊なことなんですかね?
「妖怪が直裁的に暴れている描写」が無ければホラー小説として認められないというのも随分と偏った意見だと思いますが?

>「これはミステリー系推理小説ではない」と断定するには至らないですね。

一見オカルトに見えて実は合理的のミステリーもあれば、合理的世界と思わせて実はというホラーもあるでしょう。
そもそもこれはホラーアクション小説であり、むしろ「これは【当初は】ミステリー系推理小説だった」と断定するには至らないのでは?というのが私の主張なので、別に断定できなくてもそういう考え方も出来る程度で問題ありません。
ミステリーの要素といってもせいぜい涼子達が警察として関係者に話を聞いた程度で、「怪しい発光現象を調査に来た科学特捜隊(ウルトラ警備隊の方が相応しいか)」程度のものでしかないと思いますが。

結局ファン(信者)にしてみれば、「勝手に読み違えておいて、何を見当はずれの批判しているの」で終わりにされるのではと思うのですよ。
ミステリー小説で『「犯罪の不可能性」や「妖怪の存在や怪異事件である可能性」を全て合理的に説明』したことに対して、「【当初は】ホラー小説を志向していたのに突然ミステリー小説に変わった」と批判するのと同じこと・・・とは言いませんが、「誰もミステリー系推理小説などと言ってないのにそれの出来が悪いと言われてもそんなことは知らん」で済まされるのではという懸念の方が強いです。

>  この辺りは、「魔天楼」序盤の描写から第一印象でミステリー系推理小説として見た場合でも、そう見えるだけの妥当性はある、という話ですね。上の主張も含めて。

妥当性はあったとしても「断定」出来なければ批判としては弱いのではということです。

>  では例の冤罪問題についてはどう説明します? 「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などというタワゴトを理由に高市理事長に無実の罪をなすりつけた件は。
>  ここでいうオカルトというのは、疑問の余地なく例の怪物のことを指しているのですし、この描写は薬師寺涼子の傍若無人な性格の発露として書かれたものですらないのです。警視総監は、事件の詳細を全て公開して怪物に事件の全ての責任を負わせてしまえれば己の地位と名誉を保つことができたにもかかわらず、自分の地位を棒にふってまでこのタワゴトを実行したわけですし、堅物として描かれているはずの室町由紀子ですら、しかも法律違反のオンパレードであるにもかかわらず、この薬師寺涼子のタワゴト理論には当然のように従っている始末なのですから。ここでも、「ホラーアクションとなればそこまで厳密さが必要かとなるとやはり疑問です」となるのでしょうか?
>  というか、厳密さ云々以前の問題として、そもそも、薬師寺シリーズの世界では怪物の存在が実際に確認されているにもかかわらず、それでもなお「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」としなければならない合理的な理由が一体どこにあるのか、それ自体が作中では全く説明されていないのですけど。

「冤罪問題」については7990で同意しております。
涼子が、
<「青銅のライオン像までコンピューターに制御されていたわけじゃないでしょ。まさか、ロボットだったとも思えないしね」>(ノベルズ版P46)
と言っている様にこれでは公判を維持出来ないでしょう。冤罪をでっち上げまでして何も解決出来ず、かえってダメージを広げています。
これでは厳密さ以前の問題でしょう。
例えばどういった処理をするか明らかにせず、涼子に「面倒な後始末はお由紀にでも任せるわ」とでも言わせて有耶無耶しても(作品の出来としてはともかく)ホラーなら許容範囲だと思いますが。

余談になりますが、「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」としなければならない合理的な理由は分かりませんが、怪物の存在が実際に確認されているにも関わらずそれが世界の常識になっていないのは、今まで世界の誰もそれを発表していないとか今回がはじめてのケースだったということですかね。
むしろ事勿れ主義だとか官僚批判のネタにでも使いそうな気もしますが。

>  実のところ、私はミステリー系推理小説として以上に、ホラーアクションとして見た薬師寺シリーズを全く評価していないものでしてね(苦笑)。
>  何故私がミステリー系推理小説としての観点から見た検証を行っていたのかについては、前の投稿でも述べていた通りですが、それとは別に、作中のオカルト否定の醜悪さを強調する手法として、「ミステリー系推理小説としての薬師寺シリーズは論外だが、ホラーアクションの観点から見た薬師寺シリーズはさらにダメダメである」という論理展開をやってみたかった、というのもあります。その方が「何も考えてなかった証拠」としての批判に+αの効果を加えることができると考えたものでして。

「ミステリー系推理小説としての薬師寺シリーズ」と言ったところで「見当外れ」と聞く耳を持たない可能性があるので、「ホラーアクションとして見た薬師寺シリーズを全く評価していない」のなら「ホラーアクションの観点から見た薬師寺シリーズは」「ダメダメである」だけで十分。と、いうのが私の主張です。

>  薬師寺シリーズのオカルト否定は、路線が確定しているはずの2巻以降にも相変わらず存在する始末ですからね〜(>_<)。今後展開されるであろう薬師寺シリーズ考察でも、「オカルトに依存しながらオカルトを否定する滑稽な図式」は大きなテーマのひとつになるでしょうね。

次回以降も楽しみにしております。


No. 8002
Re:Re7995/7997:2者レス
つっくん 2008/04/20 02:55
> >つっくんさん
>  タナウツでは珍しいタイプな方の登場ですね(笑)。
>  薬師寺シリーズが銀英伝に次いで好きだ、という人を、私はタナウツで初めて見たような気がしますが(^^;;)。

ここまでふざけた主人公も珍しいからいいですねぇ、「ピカレスクロマン」として読んでいます。
お涼は、勧善懲悪(本人曰く「興味があるのは懲悪のみ」で「あたしが気に食わないことはそれが全て悪」)の単純なキャラクターですから安心して楽しめます。おまけにストーリーまでが水戸黄門よろしくワンパターンですし。
それに新刊このシリーズくらいしかないですしね。7都市物語やらタイタニアの続きも読みたいですが無理でしょうしね。


> 1.作中キャラクターの主張はあくまでも作中キャラクターの主張とした上で、その内容についての批判を行い、その作中キャラクターの矛盾と破綻を明らかにすることによって、そのような作中キャラクターおよび作品の破綻を作り出してしまった田中芳樹の作家責任を追及することができる。
> 2.小説外の対談やインタビュー記事等で、田中芳樹が作中キャラクターと同じ主張を展開していた場合、作中キャラクターの主張=田中芳樹の主張の図式は成立する。

冒険風ライダーさんてのは、田中センセが書いてあることはなんでも額面どおりに信じるんですか。それともそのフリをして田中センセを叩いているだけですか。
でもここまでけなしているのは額面どおり認識しているわけですから、カリンがユリアンに言った「民主主義って素敵ね」「だって伍長が中尉さんに命令できるんだもの、専制政治だったらこうはいかないわ」と言う台詞に対しては当然「田中は民主主義がわからないばか者だ。民主国家であれ上官に対し命令するなど軍令違反であり、そんなことも知らない田中は小説を書く資格がない」ってことになりますよね。じゃあ、「ろくでん」さんと一緒じゃないですか。逆にこれは男女の恋愛の機微だと言うならダブルスタンダードになりませんか。
とにかく、涼子シリーズに皆が言及しないのは、愚作以外にも主役キャラが清清しいほど自己中心で首尾一貫しているからです。

ちなみにお涼が弱者保護なんてことは本心では言ってません。要は相手を怒らせるようにまぜっかえしているわけだから、なんでもいいのです。何度も言うように「自分自身に関しないことについては、涼子はよく正論を吐くのである」からです。

「オカルトに依存しながらオカルトを否定する滑稽な図式」として摩天楼の冒頭のレストランで呪いとか風水を信じてないとか出してましたが、デートの最中(泉田はともかく、お涼の主観ではそうでしょう)に、支配人が下らない話をしだしたら、さっさと打ち切って、デートの相手との甘い会話に戻りたいじゃないですか。もっとも旧日本軍の呪いは「信じているの」とは聞いたが別に否定していないですがね。
泉田の底の浅い社会評論もノンキャリが政治家や上司や官僚組織をバカにしているだけなので、ストーリーを破綻するほどでもないと思います。というか、そもそも最初からストーリー破綻してませんかこれw。

事件発端、泉田お涼の愚痴(ただのノロケ)を言いながら登場
事件捜査という名のデート
犯人(怪物)と接触
二人で食事(デートの続き)
腹ごなしに襲ってきた犯人達と立ち回り(ここまでで、メイド部隊とお由紀部隊と接触)
独断と偏見と勘で真犯人を解明(でっち上げでも発見でもいい)
敵地に乗り込み大暴れ、犯人退治

毎回これだもんな、よくこんなもの批判する気になりますな。頭が下がります。


>  「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけないの」的な対応を警視総監に迫っていた張本人はどこの誰でしたっけ? しかも警視総監は、怪物の存在を公にして事実を公表していれば辞任せずに済んだにもかかわらず。
>  それに「四角四面の堅物」ならば、警察官としてはオカルト云々よりも先に法律違反についてこそ目くじらを立てるべきだと思うのですけどね。自分達がやっていることは冤罪行為そのものである、ということを、まさか自覚できていなかったわけではないでしょうに。
>  自分の目の前にオカルトが存在するにもかかわらず「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などという固定観念を頑固に持ち続けた挙句、警察に冤罪のススメなどを促している真のバカこそが、薬師寺涼子に他ならないのですがね。あの美神令子の出来損ないが余計なことをしなければ、警察はすくなくとも支離滅裂な理由で冤罪行為をやらかすことはなかったというのに。

これは違いますね。「怪物の存在は絶対に認められない」と言ったのはお由紀です。お涼はこう言ってます。P177「今夜の事件について、公式発表の内容を良く考えていてください。合理的な説明でつじつまを合わせていただきたいんです」
じゃあなんでこんなことを言うのか。要は自分が大暴れした後に責任を負いたくないから、こう言ってるんですね。
同じページに「涼子が席を譲るのは、譲った相手に責任を押し付ける場合にかぎるのだ。要するに涼子は派手なアクションを引き受ける代わりに、地道な捜査や尋問は由紀子に押し付けることにしたわけだ」と書いてあるとおりで、説明責任を果たしたくないから、上司に「合理的な説明」を押し付けたわけです。その裏には(どうせバカな警察官僚は怪物の仕業なんて言えないでしょ)と官僚組織をバカにしきった態度があるからです。
ちなみに巻を追うときちんとお涼の行動原理が説明されて「いま警察に通報すると、好き勝手ができない。だから知らん顔で、まずカタをつけた上で、後始末だけ警察にさせる気ですね」となるわけです。
ただ警視総監とお由紀の対応は問題ありますねえ。特にお由紀。でも警視総監に命令されたらあんなものじゃないですか。彼女は上役には従うし。このエピソードは日本の警察は無能で真実を見いだせなくて迷宮入りするのが関の山という田中センセの認識がでているんでしょうね。

お涼は何度も言うように自分が楽しめればそれでいいので、「法を捻じ曲げ、無実の人間を牢獄に放り込む。これこそ権力者で無ければ出来ない楽しみじゃなくって?」とほざいている人間に良識を求めても無駄でしょ。大体真実にもあまり興味ないし(金儲けには凄く興味がありますがね)

話は変わりますが「美神令子の出来損ない」というのはいやですね。美神令子は顔が嫌いだし、横島はまさに邪まなところが嫌いですから。「絶対可憐チルドレン」は面白いんですけどね。この辺は好みの差だと思います。ジパングなんてあほらしくて連載やめろと思ったし。まあ、お涼シリーズはお涼と泉田のコンビが気に入るか、気に入らないかで激しく評価が変わるので無理して読む必要ないと思いますけどね。辛いでしょ。こんな主人公。僕は大好きだけどw
ちなみに最近はこのシリーズ「長編新伝奇小説」と銘打たれていまして、伝奇小説とはwikiによれば「フィクションの根拠に、史実とは異なる歴史や血筋あるいは奇異な伝承・民話などを用いる小説の形式。たとえば「封印されていた古文書」であるとか「呪われた旧家の血筋」であるとか「某地方に伝わる風習」であるとか「歴史の裏舞台で暗躍した秘密組織」などを軸に何らかの超常現象や超能力も関与しながら物語が展開する。」となっています。更にそれに「新」がつくわけですから、小説の形態で批判するのはお門違いのような気がします。


No. 8003
Re8001/8002:薬師寺シリーズ諸々レス
冒険風ライダー 2008/04/20 20:55
>ダボさん
<ホラーにおいて怪物を謎のまま引っ張るというのはそんなに特殊なことなんですかね?
「妖怪が直裁的に暴れている描写」が無ければホラー小説として認められないというのも随分と偏った意見だと思いますが?>
<一見オカルトに見えて実は合理的のミステリーもあれば、合理的世界と思わせて実はというホラーもあるでしょう。
そもそもこれはホラーアクション小説であり、むしろ「これは【当初は】ミステリー系推理小説だった」と断定するには至らないのでは?というのが私の主張なので、別に断定できなくてもそういう考え方も出来る程度で問題ありません。
ミステリーの要素といってもせいぜい涼子達が警察として関係者に話を聞いた程度で、「怪しい発光現象を調査に来た科学特捜隊(ウルトラ警備隊の方が相応しいか)」程度のものでしかないと思いますが。>

 「ホラー小説として認められない」ではなく「ミステリー系推理小説の要素を否定しなければならない理由がない」ですね、私の主張は。
 他の作家はいざ知らず、こと田中芳樹が執筆するホラー系作品の場合、怪奇的事件の発生と同時またはその直前に妖怪や怪物も一緒に出してくる傾向があるんですよね。前にも比較対象として出した「夏の魔術」や「夢幻都市」は間違いなくそうですし、薬師寺シリーズ自体、2巻以降はこの傾向に忠実に沿っています。しかし「魔天楼」はそうではない。今までの田中作品の傾向とは明らかに異なる流れが発生しているから、「これは今までとは違うジャンルの小説ではないか?」と考えるのはそれほどに不自然なことでしょうか?
 また、「魔天楼」の講談社ノベルズ版では裏表紙に「警察ホラー」という紹介があったようですが、私が持っている講談社文庫版にはそういう「ジャンルを特定できる紹介文」がないんですよね。「世にも奇怪な事件」という文言はあるのですけど、これってミステリー系推理小説でも普通に使われそうなシロモノですし。この辺りも、私とダボさんで第一印象に違いが生じた理由かもしれません。
 いずれにしても、この辺りは「物語序盤の描写から受ける【第一印象】」の話ですし、そんなものは人間の数だけ解釈があるものであって、絶対の正解があるものでもないでしょう。そして、「【当初は】ミステリー系推理小説を志向していたのではないか?」の問題については、これだけでなく作中のオカルト否定描写や田中芳樹のインタビュー記事も併用して論拠にしているのですから、それが万人に受け入れられるかどうかはともかく、一定の推論としてはそれなりに成立しているものではあるのではありませんか?


<結局ファン(信者)にしてみれば、「勝手に読み違えておいて、何を見当はずれの批判しているの」で終わりにされるのではと思うのですよ。
ミステリー小説で『「犯罪の不可能性」や「妖怪の存在や怪異事件である可能性」を全て合理的に説明』したことに対して、「【当初は】ホラー小説を志向していたのに突然ミステリー小説に変わった」と批判するのと同じこと・・・とは言いませんが、「誰もミステリー系推理小説などと言ってないのにそれの出来が悪いと言われてもそんなことは知らん」で済まされるのではという懸念の方が強いです。>
<「ミステリー系推理小説としての薬師寺シリーズ」と言ったところで「見当外れ」と聞く耳を持たない可能性があるので、「ホラーアクションとして見た薬師寺シリーズを全く評価していない」のなら「ホラーアクションの観点から見た薬師寺シリーズは」「ダメダメである」だけで十分。と、いうのが私の主張です。>

 そんなことを言い出したら、ホラーアクションとして見た上での評価でさえ、ファンから「見当ハズレ」と見做される可能性は多分に存在しますよ。現に今、「(薬師寺シリーズは)キャラ萌えする人だけが読む物です」「まともに批判しても読者には絶対に届かないですね」などと主張する人がタナウツ掲示板にもお目見えしているわけですし(笑)。
 創竜伝でも、「評論が目当てではなく、作中のキャラクターが好きだから」という理由で読んでいる人が多いのではないかということが過去に議論されていましたが、では過去にタナウツで論じられた社会評論向けの検証論は、キャラクター目当てで創竜伝を読んでいる彼ら彼女らにとっては「見当ハズレ」なものだから全て無意味なものだった、ということになるのでしょうか? 彼ら彼女らとは目的や志向が異なるにせよ、それなりに惹きつけるものはあると、私は今でも確信していますがね。
 ここで問題になっている「ミステリー系推理小説の観点から見た検証論」にしても、私は「何故そのような視点から見るに至ったのか」についての経緯からそれなりの説明と論拠の提示は行っていますし、「ひとつの新しい視点から見た論」として他人を惹きつけるだけのものになっていると考えています。そして、私の論を読んだ人達がそれをどのように受け入れ、解釈するのかについては私が強制できることではありませんし、その結果、大多数の人から無視されて捨てられるものであるのならば、それは私の論がその程度のものでしかなかった、ということです。
 私の論をファンがどのように受け入れるか、ということについては、私が強制できることでもなければ、私の判断で左右できることでもないですね。


<「冤罪問題」については7990で同意しております。
涼子が、
<「青銅のライオン像までコンピューターに制御されていたわけじゃないでしょ。まさか、ロボットだったとも思えないしね」>(ノベルズ版P46)
と言っている様にこれでは公判を維持出来ないでしょう。冤罪をでっち上げまでして何も解決出来ず、かえってダメージを広げています。
これでは厳密さ以前の問題でしょう。
例えばどういった処理をするか明らかにせず、涼子に「面倒な後始末はお由紀にでも任せるわ」とでも言わせて有耶無耶しても(作品の出来としてはともかく)ホラーなら許容範囲だと思いますが。>

 ここでの「同意」って、後処理の愚劣さについての同意であって、「オカルト否定」についての同意ではないですよね。もちろん私は、冤罪でっち上げの件についても大いに問題にしてはおりますが、今回あの描写を挙げたのは、冤罪をでっち上げる際に「【(怪物を対象にした)オカルト否定】を口実にしている」ことについての是非を問うためなのですから、後処理のことで同意されても回答になっていないのですが。
 それと、私が主張している「オカルトについて厳密な区別が必要」というのは、「オカルトを扱っている作品でオカルト否定を行っている」からこそ出てくる理論なのであって、最初からそんなことをしなければ、それこそ「単純な怪物退治」の話でことは終わっていたはずなのですけどね。単純であるはずの話をわざわざ複雑にかき回し、しかも作品の存在意義すらも否定しかねないものにしてしまっているのが件のオカルト否定なわけで、それを肯定するのであれば、そのようなデメリットを全て解消できるだけの確たる理論を提示しなければならないでしょう。だからこそ私は「【オカルトを扱っている作品でオカルト否定を行うのであれば】オカルトについて厳密な区別が必要」と何度も繰り返し述べているわけです。
 そして、他ならぬダボさん自身、No.7995で、ホラーアクション小説にオカルト否定があることは「作品の出来に対する大きな減点材料」であると認めていますよね? 一方でそう言っていながら、他方では薬師寺涼子のオカルト否定言動を「ホラーアクションではオカルトについて厳密な区別は必要ない」などと主張するから、それこそ単純な話がややこしくなってしまうのです。
 これ以上の話の混乱を避けるためにも、薬師寺シリーズにおけるオカルト否定に対するダボさん自身の立ち位置を一度明確なものにしてはもらえないでしょうか?




>つっくんさん
<冒険風ライダーさんてのは、田中センセが書いてあることはなんでも額面どおりに信じるんですか。それともそのフリをして田中センセを叩いているだけですか。
でもここまでけなしているのは額面どおり認識しているわけですから、カリンがユリアンに言った「民主主義って素敵ね」「だって伍長が中尉さんに命令できるんだもの、専制政治だったらこうはいかないわ」と言う台詞に対しては当然「田中は民主主義がわからないばか者だ。民主国家であれ上官に対し命令するなど軍令違反であり、そんなことも知らない田中は小説を書く資格がない」ってことになりますよね。じゃあ、「ろくでん」さんと一緒じゃないですか。逆にこれは男女の恋愛の機微だと言うならダブルスタンダードになりませんか。>

 全くなりませんね、当然のことながら。
 「作中キャラクターの主張はあくまでも作中キャラクターの主張とした上で、その内容についての批判を行い」というのは、そのキャラクターの主張が「どのような経緯から、どのような状況下で、どのようなスタンスから発言されたものか」についての検証も当然含んでいますし、「それが作品中でどのくらいの重要性を持っているか」についても考慮されます。ですので、作中キャラクターの主張を額面通りに受け止めるか否かは、その前後の描写や経緯によってケースバイケースで判断されることになります。
 現実世界の会話でも、相手がどのような状況下でどのような意図をもって発言しているかを自分なりに解釈した上で、それに応じた反応を返すものでしょう。それと同じことですよ。


<とにかく、涼子シリーズに皆が言及しないのは、愚作以外にも主役キャラが清清しいほど自己中心で首尾一貫しているからです。>

 論じる価値もないから無視している、そもそも買ってもいないから言及のしようもない、という可能性も少しは考えた方が良いのではないかと思いますが(笑)。
 他ならぬ私自身、今回の考察を始めるまでは、薬師寺シリーズは1度通読したら即本棚にしまってそれっきり、という状態でしたからね〜。これでもファンとしては忍耐強くよく読んでいる方だろうな〜、とひそかに自画自賛していたこともありましたし(苦笑)。


<ちなみにお涼が弱者保護なんてことは本心では言ってません。要は相手を怒らせるようにまぜっかえしているわけだから、なんでもいいのです。何度も言うように「自分自身に関しないことについては、涼子はよく正論を吐くのである」からです。>
<「オカルトに依存しながらオカルトを否定する滑稽な図式」として摩天楼の冒頭のレストランで呪いとか風水を信じてないとか出してましたが、デートの最中(泉田はともかく、お涼の主観ではそうでしょう)に、支配人が下らない話をしだしたら、さっさと打ち切って、デートの相手との甘い会話に戻りたいじゃないですか。もっとも旧日本軍の呪いは「信じているの」とは聞いたが別に否定していないですがね。>
<お涼は何度も言うように自分が楽しめればそれでいいので、「法を捻じ曲げ、無実の人間を牢獄に放り込む。これこそ権力者で無ければ出来ない楽しみじゃなくって?」とほざいている人間に良識を求めても無駄でしょ。大体真実にもあまり興味ないし(金儲けには凄く興味がありますがね)>

 本心であろうが何であろうが、自分の足元を顧みることなく、自分に跳ね返ってくるような悪口や批判などを展開している人間が、客観的に見ていかに醜悪なものであるか、ということを、私は田中芳樹や竜堂兄弟の阿呆共から徹底的に学んでおりましてね。たとえ売り言葉に買い言葉な状況であっても、というよりもむしろそのような状況「だからこそ」、そのような自分の弱点を敵の眼前で曝け出すようなキャラクターは救いようのない低能でしかありません。
 悪口や批判というのはただひたすら相手に叩きつけさえすれば良いというものではありません。その行動で他者からの共感を得るためには、その中身の正当性こそが問われなければならないのです。


<これは違いますね。「怪物の存在は絶対に認められない」と言ったのはお由紀です。お涼はこう言ってます。P177「今夜の事件について、公式発表の内容を良く考えていてください。合理的な説明でつじつまを合わせていただきたいんです」
じゃあなんでこんなことを言うのか。要は自分が大暴れした後に責任を負いたくないから、こう言ってるんですね。
同じページに「涼子が席を譲るのは、譲った相手に責任を押し付ける場合にかぎるのだ。要するに涼子は派手なアクションを引き受ける代わりに、地道な捜査や尋問は由紀子に押し付けることにしたわけだ」と書いてあるとおりで、説明責任を果たしたくないから、上司に「合理的な説明」を押し付けたわけです。その裏には(どうせバカな警察官僚は怪物の仕業なんて言えないでしょ)と官僚組織をバカにしきった態度があるからです。>

 薬師寺涼子が要請した「合理的な説明」には、「薬師寺涼子の責任回避」だけでなく「怪物の存在を公にしない」という条項も含まれているに決まっているでしょう。怪物の存在は、すくなくとも現段階で「合理的」には説明できないものですし、警察にしてみれば、怪物の存在を公にした上で全ての責任を押しつけてしまう方が、官僚組織の自己保身という観点から見てさえ有益だったのですから。あくまでも「薬師寺涼子の責任回避【だけ】」がしたいのであれば、その際に薬師寺涼子の名前を出さなければ良いだけの話です。
 「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」という支離滅裂な対応は、どちらも薬師寺涼子の意思であり警察への指示でもあるのです。


No. 8006
Re:再度整理
ダボ 2008/04/23 02:06
ちょっと混乱してきましたので「現状」での私の考えを整理してまとめたいと思います。
分かり難い点・間違いがありましたらご指摘下さい。

「薬師寺シリーズ」を「ホラー」とするのも少々違和感がありますが、「怪物が登場する物語」という意味で便宜上使います。(実際には「怪物も登場するラブコメ」ぐらいでしょうか)

基本的に問題となるのは涼子により「妖怪が犯人であると断定されるところまで」でしょう。

A)「魔天楼」は「【当初は】ミステリー系推理小説を志向していたのではないか?」

この場合の【当初】は、「着想」「構想」「執筆」段階ということでよろしいかと思います。
問題となるのは「執筆」段階で、「着想」「構想」の段階については特に否定することも無いですし問題は無いと思います。
「執筆」段階についても【当初は】どこに志向していようとも最終的に物語がどのように完成したかが問題となりますので、下記のB・Cに移りたいと思います。

B)「妖怪が犯人であると断定されるところまで」はミステリー系推理小説である。(冒険風ライダーさん)

大きな根拠となるのは、
   1.作者インタビュー等に基づくAの「ミステリー系推理小説を志向」
   2.「妖怪が犯人であると断定されるところまで」までの構成
   3.涼子による「幽霊や占い(=オカルト)の否定」
といったところでしょうか。
基本的に私は冒険風ライダーさんがそのような説をとることについては了解しております。
問題となるのは下記のC・Dですのでそちらに移ります。

C)「妖怪が犯人であると断定されるところまで」も含めてホラー小説である。(ダボ=私)

根拠としては、
   1.例え「執筆」段階の途中まで「ミステリー系推理小説を志向」していたとしても、完成した物語では最初の方から怪物についての伏線が貼られている。
   2.初めから怪物が登場するパターンもあれば謎として引っ張るパターンもあり、怪物が初めから登場しないからといってホラーであることが否定されるものではない。
   3.「幽霊や占いの否定」については、公にはオカルトの存在が認められていない世界での罵倒のセリフでありホラーの世界観を完全に壊す程ではない。
といった感じです。

また「夏の魔術」や「夢幻都市」といった他の作品や他の「薬師寺シリーズ」との比較についても、「新しいパターンに挑戦したが失敗したので元に戻した」という可能性もあり、あくまで「魔天楼」がどうだったのかということが一番重要でしょう。

ただ、
>  いずれにしても、この辺りは「物語序盤の描写から受ける【第一印象】」の話ですし、そんなものは人間の数だけ解釈があるものであって、絶対の正解があるものでもないでしょう。

とありますように、私のような説も考えられる(有り得る)ということでよろしければDに移りたいと思います。

D)Bの『「妖怪が犯人であると断定されるところまで」はミステリー系推理小説である。』という説に基づく批判の是非。

私の感じた違和感は、
「例え前半がミステリーの出来損ないであったとしても、後半を見れば全体としてのジャンルはホラーということになるのではないか」
「ならばミステリーであると納得しなければ見当外れで終ってしまう批判より、最初からホラーとして批判した方が効果的ではないか」
ということになります。

ただこれについても、Cの説も有り得ると認めていただけるなら引っ込めたいと思います。


> <「冤罪問題」については7990で同意しております。
> 涼子が、
> <「青銅のライオン像までコンピューターに制御されていたわけじゃないでしょ。まさか、ロボットだったとも思えないしね」>(ノベルズ版P46)
> と言っている様にこれでは公判を維持出来ないでしょう。冤罪をでっち上げまでして何も解決出来ず、かえってダメージを広げています。
> これでは厳密さ以前の問題でしょう。
> 例えばどういった処理をするか明らかにせず、涼子に「面倒な後始末はお由紀にでも任せるわ」とでも言わせて有耶無耶しても(作品の出来としてはともかく)ホラーなら許容範囲だと思いますが。>
>
>  ここでの「同意」って、後処理の愚劣さについての同意であって、「オカルト否定」についての同意ではないですよね。もちろん私は、冤罪でっち上げの件についても大いに問題にしてはおりますが、今回あの描写を挙げたのは、冤罪をでっち上げる際に「【(怪物を対象にした)オカルト否定】を口実にしている」ことについての是非を問うためなのですから、後処理のことで同意されても回答になっていないのですが。

え〜と、よく分からないのですが。。。

ここでの「オカルト否定」というのは「作品世界においてオカルトは存在しない」という意味ですよね。
ですから冒険風ライダーさんは「幽霊や占いを否定」するセリフがあることで「作品世界においてオカルトは存在しない(=ミステリー)」とした訳です。

一方の私は(作品世界の)世間一般では幽霊や占いは否定されている(信じられていない)ことにつけ込んだ罵倒であるとも考えられ、それについて説明が無くともただちに「作品世界で」オカルトが存在しないことになるとは一概に言えない。(ただしミステリーならその辺りもしっかり説明しないとアンフェアになるかもしれない。)となります。

で、「冤罪問題」は「怪物(=オカルト)の隠蔽」という問題なのではないですか?
今回怪物の存在により「作品世界においてオカルトは存在」することは確定しました。それを「理由不明」で隠蔽する為に冤罪まででっち上げることが問題なのであり、認めようと認めまいと存在する以上、「怪物の存在は絶対に認められない」や「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などと「オカルト否定」はニュアンスが違うと思うのですが。


>  そして、他ならぬダボさん自身、No.7995で、ホラーアクション小説にオカルト否定があることは「作品の出来に対する大きな減点材料」であると認めていますよね? 一方でそう言っていながら、他方では薬師寺涼子のオカルト否定言動を「ホラーアクションではオカルトについて厳密な区別は必要ない」などと主張するから、それこそ単純な話がややこしくなってしまうのです。
>  これ以上の話の混乱を避けるためにも、薬師寺シリーズにおけるオカルト否定に対するダボさん自身の立ち位置を一度明確なものにしてはもらえないでしょうか?

>「ホラーアクションではオカルトについて厳密な区別は必要ない」などと主張するから

どちらかと言えば「ミステリーぐらいでしかそこまでの厳密さは求めない」ですね。
なので7986で「【ミステリー小説】であることを前提に見ているのでおかしいと感じられるかもしれませんが」と言っている訳です。

ミステリーというのは精緻さが求められるものです。矛盾する記述があったり手掛かりに不足があればミステリーとして成立しない、そうした論理的なジャンルがミステリーな訳です。
しかし通常の(他のジャンルの)物語にはそこまでの厳密さは要求されません。許容される範囲がずっと広いのです。ですので「幽霊や占いを否定したセリフ」にしても「怪物までは否定していない」とか「単に罵倒する為に言ったもの」とかいった理由が思い付ける程度であれば、程度問題はあっても許容は可能だろう。となる訳です。
ただそうは言っても物語の出来(完成度)の点から見ればそのような許容ギリギリなもの(=大きな減点材料)など無い方が良いでしょう。


No. 8007
Re8006:「オカルト否定」の意味
冒険風ライダー 2008/04/23 22:42
> C)「妖怪が犯人であると断定されるところまで」も含めてホラー小説である。(ダボ=私)
>
> 根拠としては、
>    1.例え「執筆」段階の途中まで「ミステリー系推理小説を志向」していたとしても、完成した物語では最初の方から怪物についての伏線が貼られている。
>    2.初めから怪物が登場するパターンもあれば謎として引っ張るパターンもあり、怪物が初めから登場しないからといってホラーであることが否定されるものではない。
>    3.「幽霊や占いの否定」については、公にはオカルトの存在が認められていない世界での罵倒のセリフでありホラーの世界観を完全に壊す程ではない。
> といった感じです。
>
> また「夏の魔術」や「夢幻都市」といった他の作品や他の「薬師寺シリーズ」との比較についても、「新しいパターンに挑戦したが失敗したので元に戻した」という可能性もあり、あくまで「魔天楼」がどうだったのかということが一番重要でしょう。
>
> ただ、
> >  いずれにしても、この辺りは「物語序盤の描写から受ける【第一印象】」の話ですし、そんなものは人間の数だけ解釈があるものであって、絶対の正解があるものでもないでしょう。
>
> とありますように、私のような説も考えられる(有り得る)ということでよろしければDに移りたいと思います。

 私もダボさんの説もひとつの意見として有り得る、として良いと考えます。もうこの問題は双方共に自分の論拠を言い尽くしていて、後は一連の議論を閲読するROMひとりひとりの判断に委ねるべき段階にあると思いますし。
 ただひとつ、異論があるとすれば、やはり「オカルト否定」についてですね。


<ここでの「オカルト否定」というのは「作品世界においてオカルトは存在しない」という意味ですよね。
ですから冒険風ライダーさんは「幽霊や占いを否定」するセリフがあることで「作品世界においてオカルトは存在しない(=ミステリー)」とした訳です。>
<で、「冤罪問題」は「怪物(=オカルト)の隠蔽」という問題なのではないですか?
今回怪物の存在により「作品世界においてオカルトは存在」することは確定しました。それを「理由不明」で隠蔽する為に冤罪まででっち上げることが問題なのであり、認めようと認めまいと存在する以上、「怪物の存在は絶対に認められない」や「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などと「オカルト否定」はニュアンスが違うと思うのですが。>

 ミステリー系推理小説の観点から薬師寺シリーズを論じた際における「オカルト否定」は、まさに「作品世界においてオカルトは存在しない(=ミステリー)」という意味でしたし、実はその観点から例の電波かつ突発的な妖怪犯人説を批判してもいたのですけど、ホラーアクションとしての視点から論じて以降は意味合いが変わっているんですよね。ホラーアクションの場合は「オカルトに何らかの形で関わっている者がオカルト否定を【唱える行為】自体が作品の世界観を崩壊させる」ということになるわけでして。
 オカルトに何らかの形で関わっている者がオカルト否定を唱える、という行為は、まず構造的に「自分が関わっているオカルトの存在自体を否定する」「自分がオカルトと関わっている全ての行為を否定する」ということになってしまいますし、「じゃあお前が関わっているそれは一体何なんだよ」というツッコミがすぐさま飛んでくることになります。これが「作品の世界観を崩壊させる」ということに繋がるわけです。
 そして、作品世界においてオカルトが存在することは確定しているにもかかわらず、その状況下でなお「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などと主張する行為は、「魔天楼」序盤にある風水や呪いに対するものとは比べ物にならないほどに病的な「オカルト否定」となるわけです。この場合の「認められない」という行為は「存在そのものを全否定する」と完全に同義ですし。
 「魔天楼」の作中でもっともオカルト(=妖怪・怪物)と関わっているはずの薬師寺涼子がわざわざ「オカルト(=妖怪・怪物)を認めてはいけない(=存在自体を全否定すべきである)」などを主張する行為も論拠も意味不明かつ支離滅裂なものであるならば、そんなものを理由に冤罪行為をやらかしているのもこれまた意味不明な上に悪質極まりないものであるわけで、私はその両方を問題にしているのでしてね。ですので、今回の考察で私が一番問題にしている「オカルト否定」は、実は序盤の描写ではなくここだったりするわけです。
 薬師寺シリーズ考察本編でも、

<目の前でオカルティックな事件が発生し、多大な死傷者や被害が発生しているというのに、科学的・合理的に説明できないからその存在自体が認められない、というのでは、それこそ宗教的な狂信者やオカルト信奉者とどこが違うというのでしょうか。>
<オカルトに依存しながらオカルトを全否定するという、「魔天楼」のみならず薬師寺シリーズ全体を蝕む病理を、この問題はこれ以上ないほど醜悪かつグロテスクに象徴していると言えるでしょう。>

と私は述べていますし、その辺は充分に汲み取って頂けるのではないかと思うのですが。


<しかし通常の(他のジャンルの)物語にはそこまでの厳密さは要求されません。許容される範囲がずっと広いのです。ですので「幽霊や占いを否定したセリフ」にしても「怪物までは否定していない」とか「単に罵倒する為に言ったもの」とかいった理由が思い付ける程度であれば、程度問題はあっても許容は可能だろう。となる訳です。
ただそうは言っても物語の出来(完成度)の点から見ればそのような許容ギリギリなもの(=大きな減点材料)など無い方が良いでしょう。>

 前にも言いましたが、「単に罵倒する為に言ったもの」という理由で薬師寺涼子のおバカな行動は容認できないですね。自分の足元をおろそかにし、即座に自分に跳ね返ってくる悪口や批判を繰り出している人間がいかに愚劣で無様かつ醜悪なものであるか、という命題の実例を、私は田中芳樹や竜堂兄弟も含めてイヤになるほど見てきたものですし。
 それにオカルト問題に限らず、薬師寺涼子の主張って「お前が言うな」だけで叩き返せるシロモノが多過ぎますからね〜(苦笑)。私も一体何度「少しは自分の足元を顧みたらどうだ?」というツッコミを入れたことやら(>_<)。


No. 8009
Re:Re8006:「オカルト否定」の意味
ダボ 2008/04/26 00:14
>  ただひとつ、異論があるとすれば、やはり「オカルト否定」についてですね。

私と冒険風ライダーさんとでは「作品の世界観を崩壊させる」「認められない」辺りの解釈に違いがあるような気がするのですが。


>  ミステリー系推理小説の観点から薬師寺シリーズを論じた際における「オカルト否定」は、まさに「作品世界においてオカルトは存在しない(=ミステリー)」という意味でしたし、実はその観点から例の電波かつ突発的な妖怪犯人説を批判してもいたのですけど、ホラーアクションとしての視点から論じて以降は意味合いが変わっているんですよね。ホラーアクションの場合は「オカルトに何らかの形で関わっている者がオカルト否定を【唱える行為】自体が作品の世界観を崩壊させる」ということになるわけでして。
>  オカルトに何らかの形で関わっている者がオカルト否定を唱える、という行為は、まず構造的に「自分が関わっているオカルトの存在自体を否定する」「自分がオカルトと関わっている全ての行為を否定する」ということになってしまいますし、「じゃあお前が関わっているそれは一体何なんだよ」というツッコミがすぐさま飛んでくることになります。これが「作品の世界観を崩壊させる」ということに繋がるわけです。

一概には言えないのではないでしょうか。
例えば『「オカルトに何らかの形で関わっている者が」自分の正体を隠す為に「オカルト否定を【唱える行為】」をする』なんてのはありがちな話ですし、ケースバイケースで見る必要はあるでしょう。


>  そして、作品世界においてオカルトが存在することは確定しているにもかかわらず、その状況下でなお「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などと主張する行為は、「魔天楼」序盤にある風水や呪いに対するものとは比べ物にならないほどに病的な「オカルト否定」となるわけです。この場合の「認められない」という行為は「存在そのものを全否定する」と完全に同義ですし。

はたしてそうでしょうか?
『「存在そのものは肯定する」からこそ「その存在を隠蔽」するために「オカルト否定を【唱える行為】」をする』ということも考えられると思いますが。
「認められない」=「存在そのものを全否定する」というよりは「受け入れられない」の方が近いのではないでしょうか。


>  「魔天楼」の作中でもっともオカルト(=妖怪・怪物)と関わっているはずの薬師寺涼子がわざわざ「オカルト(=妖怪・怪物)を認めてはいけない(=存在自体を全否定すべきである)」などを主張する行為も論拠も意味不明かつ支離滅裂なものであるならば、そんなものを理由に冤罪行為をやらかしているのもこれまた意味不明な上に悪質極まりないものであるわけで、私はその両方を問題にしているのでしてね。ですので、今回の考察で私が一番問題にしている「オカルト否定」は、実は序盤の描写ではなくここだったりするわけです。
>  薬師寺シリーズ考察本編でも、
>
> <目の前でオカルティックな事件が発生し、多大な死傷者や被害が発生しているというのに、科学的・合理的に説明できないからその存在自体が認められない、というのでは、それこそ宗教的な狂信者やオカルト信奉者とどこが違うというのでしょうか。>
> <オカルトに依存しながらオカルトを全否定するという、「魔天楼」のみならず薬師寺シリーズ全体を蝕む病理を、この問題はこれ以上ないほど醜悪かつグロテスクに象徴していると言えるでしょう。>
>
> と私は述べていますし、その辺は充分に汲み取って頂けるのではないかと思うのですが。

今回、なぜ「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」のかという理由は無かったのですが、もし理由があり、それを由紀子や総監が(出来れば読者も)納得するなら、それがこの作品の世界観だと思うのですよ。
例えば仮にですが、「オカルトの存在を認めることは近代社会が生まれてからこれまで積み上げてきた知識体系を根本から覆すものであり、不安を煽り社会の混乱を招くものなので、今回の件の真相を公表しない。」とでも理由付けしたとしましょう。
これを否定するのは可能ですが、それはあくまで説得力の有無といった設定の問題であり、「世界観を崩壊」させたという問題では無いと思うのですが。

もちろん今回はその理由が書いていませんし、そもそも「冤罪行為」をさせなくても、あるいは後処理について有耶無耶にしても話を進めることは可能でしょう。ただそれも構造上の問題であって「世界観」の問題ではないと思います。

例えば「オカルトが存在する」にも関わらずそれが一般に認知されていないのは、他の国で起こった事件の場合も同じように隠蔽されていると考えられます。ならばそのように隠蔽することは作品の世界観に合致することでしょう。
あるいは今回の事件が近代に入って始めてのケースであり、今後このような事件が起きるか分からないなら、世間の常識とそれに基づく反応を考えて「事勿れ」で真相を公表しない、というのもいかにもありそうです。

少なくとも<科学的・合理的に説明できないからその存在自体が認められない>というより「(何らかの理由で)その存在自体を受け入れられない」の方がニュアンスとして近いのではと思います。


>  前にも言いましたが、「単に罵倒する為に言ったもの」という理由で薬師寺涼子のおバカな行動は容認できないですね。自分の足元をおろそかにし、即座に自分に跳ね返ってくる悪口や批判を繰り出している人間がいかに愚劣で無様かつ醜悪なものであるか、という命題の実例を、私は田中芳樹や竜堂兄弟も含めてイヤになるほど見てきたものですし。
>  それにオカルト問題に限らず、薬師寺涼子の主張って「お前が言うな」だけで叩き返せるシロモノが多過ぎますからね〜(苦笑)。私も一体何度「少しは自分の足元を顧みたらどうだ?」というツッコミを入れたことやら(>_<)。

「幽霊や占いの否定」については、作中でも涼子が傍若無人で理不尽な性格であることは何度も言及されています。
ですので、『世間の一般人と同様に実際にオカルトが存在するということを知らない、話題変えようとして幽霊の話を持ち出した、風水学に造詣が深い上司を持つ』支配人に対していやみ(罵倒)の意味を込めて「幽霊や占いの否定」の話をしても、涼子の性格からすればやりかねないというのは十分考えられることですし、作品世界を破壊するというほどでもないと思うのですが。


No. 8010
Re8009:オカルトを否定する理由の欠如
冒険風ライダー 2008/04/26 11:22
<一概には言えないのではないでしょうか。
例えば『「オカルトに何らかの形で関わっている者が」自分の正体を隠す為に「オカルト否定を【唱える行為】」をする』なんてのはありがちな話ですし、ケースバイケースで見る必要はあるでしょう。>
<はたしてそうでしょうか?
『「存在そのものは肯定する」からこそ「その存在を隠蔽」するために「オカルト否定を【唱える行為】」をする』ということも考えられると思いますが。
「認められない」=「存在そのものを全否定する」というよりは「受け入れられない」の方が近いのではないでしょうか。>

 薬師寺涼子は、自分の電波な妖怪犯人推理を警視総監や室町由紀子に自慢気に語り倒していましたし、泉田準一郎と二人きりの場面でも「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などと堂々と主張していたわけですが、これらの行為のどこに「自分の正体を隠す」「オカルトを隠蔽する」などといった意図が存在するのですか? もちろん、薬師寺涼子は冗談やギャグを企図しているわけでもなく大真面目に語っているのですから、素でオカルトを(その存在が確認されているにもかかわらず)全否定する行為以外の何物でもないのですが。
 また、薬師寺シリーズの世界におけるオカルト事件は今回が初めてだったわけでもなければ、薬師寺涼子が自分のオカルト退治等の経歴を隠している形跡もありません。あのスレイヤーズのパクリな「ドラよけお涼」のネーミングの存在自体がそれを証明していますし、2巻の「東京ナイトメア」には、薬師寺涼子が所属している警視庁内の部署が、他の捜査官の間で「怪奇犯罪捜査チーム」として認識されているという記述が存在します(講談社ノベルズ版P32〜P33)。今回の事件だけをことさら隠蔽することに、一体何の意味があるというのでしょうか?
 それに、この場合の「認められない」というスタンスを貫こうとすると、すくなくとも対外的には「存在そのものを全否定する」という態度を取らざるをえなくなるわけですし、オカルトの存在が確認されている上に大事件にまで発展しているのに「受け入れられない」も何もないでしょう。何度も言っていますが、そういう状況でさえ「認められない」という態度を取るというのであれば、そういう考えを持つに至った理由とメリットを「作中で」きちんと説明するべきです。それがないから意味不明かつ支離滅裂だと私は評価するわけですし。


<今回、なぜ「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」のかという理由は無かったのですが、もし理由があり、それを由紀子や総監が(出来れば読者も)納得するなら、それがこの作品の世界観だと思うのですよ。
例えば仮にですが、「オカルトの存在を認めることは近代社会が生まれてからこれまで積み上げてきた知識体系を根本から覆すものであり、不安を煽り社会の混乱を招くものなので、今回の件の真相を公表しない。」とでも理由付けしたとしましょう。
これを否定するのは可能ですが、それはあくまで説得力の有無といった設定の問題であり、「世界観を崩壊」させたという問題では無いと思うのですが。>
<少なくとも<科学的・合理的に説明できないからその存在自体が認められない>というより「(何らかの理由で)その存在自体を受け入れられない」の方がニュアンスとして近いのではと思います。>

 その「何らかの理由」なるものが作中で何も説明されていないからこそ、「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」云々の言動は字面通りに解釈するしかない上に、意味不明かつ支離滅裂な自爆行為であるとしか見做しようがないのですけどね。
 ましてや、薬師寺涼子は作中でオカルト(=妖怪・怪物)と最も深く関わっていた人間です。にもかかわらず、作中世界では完全に破綻したことになる上、自己否定にもなりかねないオカルト否定をことさら「素」で語らなければならない理由が一体どこにあるというのでしょうか。もちろん、こちらについても作中には明確な説明など存在しません。
 これで世界観が維持できることの方が驚異以外の何物でもないのですが。


<「幽霊や占いの否定」については、作中でも涼子が傍若無人で理不尽な性格であることは何度も言及されています。
ですので、『世間の一般人と同様に実際にオカルトが存在するということを知らない、話題変えようとして幽霊の話を持ち出した、風水学に造詣が深い上司を持つ』支配人に対していやみ(罵倒)の意味を込めて「幽霊や占いの否定」の話をしても、涼子の性格からすればやりかねないというのは十分考えられることですし、作品世界を破壊するというほどでもないと思うのですが。>

 「傍若無人で理不尽な性格」でありさえすれば、自分で自分の足を撃つようなおバカな言動をやっても許されると? そういう「罵倒最優先で自分を顧みることができない惨状」も含めて、薬師寺涼子は救いようのない低能であると私は主張しているのですがね。「傍若無人で理不尽な性格」などというシロモノは、薬師寺涼子の言動を正当化できる理由にはなりえません。
 そして、薬師寺涼子がバカだということになれば、それは薬師寺シリーズという作品が定義する「薬師寺涼子は(傍若無人で理不尽な性格ではあるが)聡明な女性である」という設定の大黒柱が倒れることになり、ひいては作品世界にも大きなダメージが与えられることになるのです。私が再三問題にしている「オカルト否定」も、最終的にはここに行き着くわけで、充分に問題にする価値のあることだと思うのですけどね。


No. 8017
Re:言葉の定義
ダボ 2008/04/27 00:52
どうも私の文章力が無いせいで余計な手間を取らせて申し訳ございません。


冒険風ライダーさんの言う、ホラーアクションの場合の「オカルトの否定」の定義というのがよく分からないのですが、「それを【唱える行為】自体が作品の世界観を崩壊させる」ものということで良いのでしょうか?
その行為→「自分がオカルトと関わっている全ての行為を否定する」→「じゃあお前が関わっているそれは一体何なんだよ」というツッコミ→「作品の世界観を崩壊させる」
という流れですね?

そもそもなぜミステリーの場合と変わってしまうのかが分からないのですが。


> <一概には言えないのではないでしょうか。
> 例えば『「オカルトに何らかの形で関わっている者が」自分の正体を隠す為に「オカルト否定を【唱える行為】」をする』なんてのはありがちな話ですし、ケースバイケースで見る必要はあるでしょう。>
> <はたしてそうでしょうか?
> 『「存在そのものは肯定する」からこそ「その存在を隠蔽」するために「オカルト否定を【唱える行為】」をする』ということも考えられると思いますが。
> 「認められない」=「存在そのものを全否定する」というよりは「受け入れられない」の方が近いのではないでしょうか。>
>
>  薬師寺涼子は、自分の電波な妖怪犯人推理を警視総監や室町由紀子に自慢気に語り倒していましたし、泉田準一郎と二人きりの場面でも「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などと堂々と主張していたわけですが、これらの行為のどこに「自分の正体を隠す」「オカルトを隠蔽する」などといった意図が存在するのですか?もちろん、薬師寺涼子は冗談やギャグを企図しているわけでもなく大真面目に語っているのですから、素でオカルトを(その存在が確認されているにもかかわらず)全否定する行為以外の何物でもないのですが。
>  また、薬師寺シリーズの世界におけるオカルト事件は今回が初めてだったわけでもなければ、薬師寺涼子が自分のオカルト退治等の経歴を隠している形跡もありません。あのスレイヤーズのパクリな「ドラよけお涼」のネーミングの存在自体がそれを証明していますし、2巻の「東京ナイトメア」には、薬師寺涼子が所属している警視庁内の部署が、他の捜査官の間で「怪奇犯罪捜査チーム」として認識されているという記述が存在します(講談社ノベルズ版P32〜P33)。今回の事件だけをことさら隠蔽することに、一体何の意味があるというのでしょうか?
>  それに、この場合の「認められない」というスタンスを貫こうとすると、すくなくとも対外的には「存在そのものを全否定する」という態度を取らざるをえなくなるわけですし、オカルトの存在が確認されている上に大事件にまで発展しているのに「受け入れられない」も何もないでしょう。何度も言っていますが、そういう状況でさえ「認められない」という態度を取るというのであれば、そういう考えを持つに至った理由とメリットを「作中で」きちんと説明するべきです。それがないから意味不明かつ支離滅裂だと私は評価するわけですし。

<『「オカルトに何らかの形で関わっている者が」自分の正体を隠す為に「オカルト否定を【唱える行為】」をする』>
というのは、「オカルト否定を【唱える行為】」をしたからと言って「作品の世界観を崩壊させる」とは限らない(「ケースバイケースで見る必要はある」)という例であげたものですので薬師寺涼子とは関係無いのですが、
「オカルト否定を【唱える行為】」をすると『必ず』「作品の世界観を崩壊させる」のでしょうか?

あと、「オカルトを全否定する」の「全否定」の意味がよく分かりません。

<すくなくとも対外的には「存在そのものを全否定する」という態度を取らざるをえなくなるわけです>

とありますが、対内的にはどうなんです?
対外的には「冤罪」のでっち上げによりオカルトの関与は否定されていますが、涼子も泉田も由紀子も警視総監も「事件の真相(怪物が犯人)」ということは認識していて単に口を噤んでいるだけでしょう。
この状態を指して「その存在を隠蔽」と言っているのですが、何かおかしいでしょうか?
ましてや
<他の捜査官の間で「怪奇犯罪捜査チーム」として認識されているという記述が存在します(講談社ノベルズ版P32〜P33)>
こんな状態のどこが「全否定」されているのでしょうか?本当に「全否定」されているのでしたらそもそもこんな認識など出てくる訳ないと思いますが。


> <今回、なぜ「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」のかという理由は無かったのですが、もし理由があり、それを由紀子や総監が(出来れば読者も)納得するなら、それがこの作品の世界観だと思うのですよ。
> 例えば仮にですが、「オカルトの存在を認めることは近代社会が生まれてからこれまで積み上げてきた知識体系を根本から覆すものであり、不安を煽り社会の混乱を招くものなので、今回の件の真相を公表しない。」とでも理由付けしたとしましょう。
> これを否定するのは可能ですが、それはあくまで説得力の有無といった設定の問題であり、「世界観を崩壊」させたという問題では無いと思うのですが。>
> <少なくとも<科学的・合理的に説明できないからその存在自体が認められない>というより「(何らかの理由で)その存在自体を受け入れられない」の方がニュアンスとして近いのではと思います。>
>
>  その「何らかの理由」なるものが作中で何も説明されていないからこそ、「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」云々の言動は字面通りに解釈するしかない上に、意味不明かつ支離滅裂な自爆行為であるとしか見做しようがないのですけどね。
>  ましてや、薬師寺涼子は作中でオカルト(=妖怪・怪物)と最も深く関わっていた人間です。にもかかわらず、作中世界では完全に破綻したことになる上、自己否定にもなりかねないオカルト否定をことさら「素」で語らなければならない理由が一体どこにあるというのでしょうか。もちろん、こちらについても作中には明確な説明など存在しません。
>  これで世界観が維持できることの方が驚異以外の何物でもないのですが。

「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」というのを解釈したら、「オカルトというのは人の理(ことわり)から外れたもの(人外のもの)であり、だから警察や科学者はその対象外である(関わっちゃいけない)」ぐらいの意味でしょうか。科学者はどうか知りませんが、警察というのは法律とか人の犯罪というまさに「人の理(ことわり)」の中で動くものですから「管轄外」という意味ではあながち間違っていないと思います。(だからと言って「冤罪」をでっちあげるのは無茶苦茶ですが)

<『「存在そのものは肯定する」からこそ「その存在を隠蔽」するために「オカルト否定を【唱える行為】」をする』>
は、「オカルトは存在するがそれを隠蔽するために冤罪のでっち上げをした」と言い換えても良いのですが、これで不都合あります?
オカルト実在の話は(噂レベルであっても)警察内に残り、涼子達は「怪奇犯罪捜査チーム」として認識されている。
という状況を特に問題なく説明できると思いますが。

むしろどのように「自己否定」や「世界観の崩壊」がされているのかがよく分かりません。


> <「幽霊や占いの否定」については、作中でも涼子が傍若無人で理不尽な性格であることは何度も言及されています。
> ですので、『世間の一般人と同様に実際にオカルトが存在するということを知らない、話題変えようとして幽霊の話を持ち出した、風水学に造詣が深い上司を持つ』支配人に対していやみ(罵倒)の意味を込めて「幽霊や占いの否定」の話をしても、涼子の性格からすればやりかねないというのは十分考えられることですし、作品世界を破壊するというほどでもないと思うのですが。>
>
>  「傍若無人で理不尽な性格」でありさえすれば、自分で自分の足を撃つようなおバカな言動をやっても許されると? そういう「罵倒最優先で自分を顧みることができない惨状」も含めて、薬師寺涼子は救いようのない低能であると私は主張しているのですがね。「傍若無人で理不尽な性格」などというシロモノは、薬師寺涼子の言動を正当化できる理由にはなりえません。
>  そして、薬師寺涼子がバカだということになれば、それは薬師寺シリーズという作品が定義する「薬師寺涼子は(傍若無人で理不尽な性格ではあるが)聡明な女性である」という設定の大黒柱が倒れることになり、ひいては作品世界にも大きなダメージが与えられることになるのです。私が再三問題にしている「オカルト否定」も、最終的にはここに行き着くわけで、充分に問題にする価値のあることだと思うのですけどね。

私はあの発言は涼子の性格からみて意図的な発言だと思っているのですが、冒険風ライダーさんは素の発言だと思っているのでしょうか?
それだと話が噛み合わない理由が分かるのですが。

「自分で自分の足を撃つ」と言われますが、あの場面の涼子は不自然に話題を変えようとした支配人に対して「本当にオカルトが存在する」という事実を知らないことをいいことに嘘をついて嫌味(罵倒)を言っただけでしょう。
あの時点では「オカルトは存在しない」というのが世間での常識であり、涼子の発言はそれに則っただけなんですから、例え支配人が事実を知っていたとしても「そうなの?それは知らなかったわ」で終わりだと思いますが?

それに当該の部分を読み直すと、

<「おそれいります。地の涯と申しますと、第二次大戦のころ、日本軍の秘密研究所で捕虜を人体実験に使って、敗戦のとき死体を東京湾に沈めた。その上に埋立てをしたんで、湾岸副都心には最初から呪いがかかってる、なんて話もございましてね」
「信じてるの?」
(中略)
「ばかばかしい」
 東洋の叡智とやらを、涼子は一刀両断してのけた。
「風水学がすべて正しいなら、古来、滅びる王朝なんて存在しないわよ。血液型や星座占いよりはもっともらしいけど、茶飲み話の種以上のものじゃないわね」>

呪い(幽霊)については特に言質をとられるような否定の仕方をしていませんし、風水(占い)についても「大したことない」という内容ではありますが否定自体はしていません。
これを「字面通りに解釈」すれば「東京ナイトメア」の陰陽師の子孫を名乗るラスボスが出てきても、「あんたのことは言ってない」で終りそうです。
「幽霊を信じるものはUFOも超能力もネッシーも血液型占いも全て信じなければならない」というのも乱暴の論理だと思いますが、それぐらいじゃないと「自分の足を撃」ったことにはならないと思いますが。

もちろん無意味にあのような場面を挿入した作者に対する批判は正当だと思います。


No. 8023
Re8017:作品の世界観と作者の意図について
冒険風ライダー 2008/04/27 14:33
<そもそもなぜミステリーの場合と変わってしまうのかが分からないのですが。>

 この辺は前にも説明しましたけどね。ミステリーの場合は、そもそも科学的・合理的な説明を不可能にするオカルト的存在自体が全否定されるべきで、そんなものが出てくる時点でアウトです。だからこそ私は、薬師寺涼子の電波な妖怪犯人推理が出てきた時点でもって、「最後に合理的な説明が行われる可能性も全て失われたので、ミステリー系推理小説路線は完全に崩壊した」としたわけです。
 それに対して、ホラーアクション(というよりもオカルトを扱う作品全般)の場合でオカルト否定を行う場合は、作中で登場するオカルトの存在との整合性の問題が出てきます。それを無視してオカルト否定を行うと、作中で登場するオカルトの存在まで同じ論理で否定してしまうことにもなりかねないからこそ、その辺りの厳密な区別や理由付けをきちんと「作中で」行わなければならない、と私は何度も主張しております。


<<『「オカルトに何らかの形で関わっている者が」自分の正体を隠す為に「オカルト否定を【唱える行為】」をする』>
というのは、「オカルト否定を【唱える行為】」をしたからと言って「作品の世界観を崩壊させる」とは限らない(「ケースバイケースで見る必要はある」)という例であげたものですので薬師寺涼子とは関係無いのですが、
「オカルト否定を【唱える行為】」をすると『必ず』「作品の世界観を崩壊させる」のでしょうか?>

 何故急に薬師寺シリーズ以外の一般論にまで話が拡大するのか分かりませんが、このオカルト否定については、私はずっと薬師寺シリーズ限定か、せいぜい田中作品の全体的な傾向くらいまでの話しかしていないのですけどね。スレッドの流れからそれが分かりませんでしたか?
 そして、私はこのスレッドで何度も「オカルトを扱う作品でオカルトを否定する場合は明確な基準に基づいた区別が必要」と主張していますし、そもそも「自分の正体を隠す為」という「仮定の」理由にしたところで、本来ならばキャラクターの言動を正当化させるだけでなく、読者に余計な誤解を与えないためにも、読者側で「補完してあげる」のではなく、作者側が「作中で」きちんと明示するべきものでしょう。
 そういうものさえも薬師寺シリーズには一切ありません、と私は主張しているのですけどね。


<とありますが、対内的にはどうなんです?
対外的には「冤罪」のでっち上げによりオカルトの関与は否定されていますが、涼子も泉田も由紀子も警視総監も「事件の真相(怪物が犯人)」ということは認識していて単に口を噤んでいるだけでしょう。
この状態を指して「その存在を隠蔽」と言っているのですが、何かおかしいでしょうか?
ましてや
<他の捜査官の間で「怪奇犯罪捜査チーム」として認識されているという記述が存在します(講談社ノベルズ版P32〜P33)>
こんな状態のどこが「全否定」されているのでしょうか?本当に「全否定」されているのでしたらそもそもこんな認識など出てくる訳ないと思いますが。>

 それは「オカルトの存在を全否定していない」のではなく「全肯定」と「全否定」の概念が混在しているだけでしかありませんね。まさに私が主張している「オカルトに依存しながらオカルトを全否定する」という構図そのものです。
 構造的に「オカルト描写」と「オカルト否定論」は両立不可能ですし、また両者が混在する合理的な理由(それこそ「自分の正体を隠す為」とか)の説明も「作中に」全く存在しない以上、薬師寺シリーズの世界観は、2つの全く相容れない概念が統合されることなく1つの世界に混在して互いに相手の存在を打ち消しあっている、という状態になっているわけです。それが、作品の世界観を崩壊に至らしめるものである、というのが私の主張です。
 互いに相反する描写が混在し、しかもその理由付けなども全く行われていない場合、それは矛盾というのです。


<「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」というのを解釈したら、「オカルトというのは人の理(ことわり)から外れたもの(人外のもの)であり、だから警察や科学者はその対象外である(関わっちゃいけない)」ぐらいの意味でしょうか。科学者はどうか知りませんが、警察というのは法律とか人の犯罪というまさに「人の理(ことわり)」の中で動くものですから「管轄外」という意味ではあながち間違っていないと思います。(だからと言って「冤罪」をでっちあげるのは無茶苦茶ですが)>

 実際問題として薬師寺シリーズの世界ではオカルトが存在し、しかもそれによる厄災も発生していることが判明している以上、治安を守るべき警察としては「オカルトの存在を認識【しなければならない】」し「対処法を【考えなければならない】」わけで、この期に及んで「認めちゃいけない」「受け入れられない」「対象外」「関わっちゃいけない」などという言い分が通用するはずもないでしょう。しかも何度も言っているように、何故この時点になってもそういう「オカルト全否定」的な認識を持続しなければならないのか、という理由自体、「作中では」何の説明もされていないわけですし。
 薬師寺涼子の立場であれば、むしろ「今回の事件を契機として、オカルトの存在を世間一般に認めさせよう」といった類のことを主張する方が、薬師寺シリーズの世界でははるかに合理的な判断になりえると思うのですけどね。薬師寺シリーズのパクリ元たる極楽大作戦などはまさにそういう世界になっているわけですし。


<私はあの発言は涼子の性格からみて意図的な発言だと思っているのですが、冒険風ライダーさんは素の発言だと思っているのでしょうか?
それだと話が噛み合わない理由が分かるのですが。>

 ああいう発言は創竜伝にも同じタイプのものがありますし、インタビュー記事等で披露されている作者のオカルト否定思想から考えても、キャラクターに「素」で語らせる意図をもって書いていた、としか考えようがないでしょう。
 たとえば創竜伝にはこんなものがありますし↓

創竜伝5巻 P157上段〜下段
<「風水術なんてものがからむなら、おれていどの知識じゃどうにもならんな」
 始はひとつ頭を振った。風水術には唯一単独の理論的体系があるわけではなく、いくつもの流派が黄帝起源とか神農以来とか称して競いあっている。同一の現象でも、流派によって解釈や対策が異なってくるのだ。だが、「地気」と称する大地のエネルギーや、「地脈」と称するその通路について研究していることは確かで、歴代の王朝や皇帝が帝都をさだめるにあたってそれを重視したのは歴史的事実である。長安とか洛陽とか北京とかいう故都は、その地脈が集中する場所にあるという。王朝が滅びるのは、その地気が弱まり地脈が乱れたからだという人もいる。ばかばかしい、と、始は思う。王朝は人為によって起こり、人為によって滅びるものだ。地気が衰えることを心配するより、まともな政治をおこなって人望をえるようにするべきではないか。>

創竜伝13巻座談会 P249
<終 (中略)ところでさ、このごろ、第一〇惑星が地球にぶつかるとかいう話がメディアに出てるけど、あれどうなの?
始  また妙なことに興味を……。
続  第一〇惑星が地球に接近するか衝突して人類が滅亡する、なんてエセ予言、オカルトの世界ではめずらしくも何ともありませんよ。
始  年月日を指定して「人類滅亡」を主張する予言が的中したことは、むろん歴史上に一度もないんだが、信じる人がやっぱりいるんだなあ。>

 また、No.7924で引用しているアルスラーン戦記読本のインタビュー記事でも、魔術に否定的であるという見解を披露しています。これらのことから考えれば、作者である田中芳樹が、作中キャラクターに「素」で語らせる意図をもって薬師寺涼子にあのセリフを吐かせていたのは明白でしょう。
 それに田中芳樹は、自分と異なる思想や意見を卑小にデフォルメしたり、低能に見せるための冗談やギャグとして描写をしたりするのは得意であっても、自分の本心を同じように偽ることができる特性など持ち合わせていませんからね〜。そういう「器用」なことができない作家であるというのも「素」で書いているという根拠のひとつです。
 作者の傾向と意図から考えれば、その作者の意向に従属せざるをえない作中キャラクターこと薬師寺涼子が、「素」で、それもオカルト否定を意図してあのセリフを語っていたと考える方がはるかに自然な話でしょう。あのセリフ部分だけはゴーストライターが書いていた、という新事実でも出てこない限りは。


No. 8028
Re:失礼しました
ダボ 2008/05/06 23:13
レスが遅くなり申し訳ございませんでした。

私は冒険風ライダーさんとは「世界観の崩壊」や「オカルトの否定」についての考え方がちょっと違うのですが、私の説明が下手なせいで冒険風ライダーさんには何度も同じ説明をさせてしまい申し訳ありませんでした。

何とかもう一度再構築して書いてみましたが、やっぱり訳の分からないものになっているかもしれません。
何とか「そういう考え方もある(した奴もいた)」まで行けると良いのですが、ともかくこれで失礼したいと思います。

最後に次回の『東京ナイトメア』も楽しみにしております。ありがとうございました。


1.「オカルトに何らかの形で関わっている者がオカルト否定を【唱える行為】自体が作品の世界観を崩壊させる」(8007)

>「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などと主張する行為は、病的な「オカルト否定」となるわけです。この場合の「認められない」という行為は「存在そのものを全否定する」と完全に同義です。

とありますので、「オカルト否定」=「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」となり、
『オカルトに何らかの形で関わっている者が「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」と【唱える行為】自体が作品の世界観を崩壊させる』
ということになります。

そしてこの場合の「認められない」の主語は「警察」です。
で、そもそもこの物語というのは「怪奇事件を薬師寺涼子が(警察に属しながらも)『超警察』的な(法律とか警察的な慣習を無視した)行動で解決する」というものではないでしょうか?
つまりこの「認められない」の主体である警察に確かに涼子は属していますが、同時に怪物に関わるヒロインとしての涼子は警察の埒外にいると同じことだと思うのですが、いかがでしょうか?

>オカルトに何らかの形で関わっている者がオカルト否定を唱える、という行為は、まず構造的に「自分が関わっているオカルトの存在自体を否定する」「自分がオカルトと関わっている全ての行為を否定する」ということになってしまいますし、「じゃあお前が関わっているそれは一体何なんだよ」というツッコミがすぐさま飛んでくることになります。これが「作品の世界観を崩壊させる」ということに繋がるわけです。

従って、涼子についてはこれは当て嵌まりません。「じゃあお前が関わっているそれは一体何なんだよ」というツッコミが飛んできても「オカルト」と堂々と言えるでしょう。

>ホラーアクション(というよりもオカルトを扱う作品全般)の場合でオカルト否定を行う場合は、作中で登場するオカルトの存在との整合性の問題が出てきます。それを無視してオカルト否定を行うと、作中で登場するオカルトの存在まで同じ論理で否定してしまうことにもなりかねないからこそ、その辺りの厳密な区別や理由付けをきちんと「作中で」行わなければならない

上に<「認められない」という行為は「存在そのものを全否定する」と完全に同義です。>とありますが、「認められない」というのはそれが現実に存在しようとしまいと関係ないのですよね。目の前にあるのに目と耳を塞ぐ様なことも「認められない」の範疇なんですから。
つまり警察は「オカルトに関わることを拒否して涼子に投げてしまっている」訳です。
そして警察が「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」ということを涼子も由紀子も泉田も「是」としている以上、それがこの作品の「世界観」となります。
ということで、「作中で登場するオカルトの存在との整合性」はとれていることになります。


2.実際問題として薬師寺シリーズの世界ではオカルトが存在し、しかもそれによる厄災も発生していることが判明している以上、治安を守るべき警察としては「オカルトの存在を認識【しなければならない】」し「対処法を【考えなければならない】」(8023)

要はこれが本来あるべき形であり、こうなっていないことが「世界観が崩壊」していることであり、その原因が「オカルト否定」にある、ということですよね?
確かに冒険風ライダーさんが言われることは一理あるというか正論だと思います。

ただ、この作品の本来の「世界観」はそれ程異常でしょうか?けっこうありがちな設定だと思いますが?
この作品は比較的現実世界と近い「世間一般にオカルトが認識されていない世界」での怪物退治の物語ということでしょう。
「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」というのはその作品世界を成立させる為の「物語の嘘」だと思いますが?
確かにその使い方が稚拙だという評価であるなら全面的に同意いたしますが、少なくともそれが「作中世界の整合性」を壊していない。つまり「世界観は崩壊していない」と考えます。
(<厳密な区別や理由付けをきちんと「作中で」行わなければならない>とありますが、「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」が実質その区別や理由の役割になる訳です)

読者が「そうあるべき」と考えるのは自由ですが、作品は「こう」であり、それが物語世界の中で矛盾しない以上、その作品の「世界観は崩壊していない」となります。
その世界観の設定の仕方が稚拙だというのは批判の対象となりえますが、それとこれとは別問題ということですね。


「意図的」か「素」かについては、私が8017の当該部分の下に書いた解釈は「意図的」か「素」かどうかは関係ないので全面的に撤回いたします。申し訳ありませんでした。


No. 8029
Re8028:「オカルト否定」は誰によってもたらされたのか
冒険風ライダー 2008/05/07 20:35
<そしてこの場合の「認められない」の主語は「警察」です。
で、そもそもこの物語というのは「怪奇事件を薬師寺涼子が(警察に属しながらも)『超警察』的な(法律とか警察的な慣習を無視した)行動で解決する」というものではないでしょうか?
つまりこの「認められない」の主体である警察に確かに涼子は属していますが、同時に怪物に関わるヒロインとしての涼子は警察の埒外にいると同じことだと思うのですが、いかがでしょうか?>

 「埒外」どころか、警察にそのような考え方を「無理矢理に」押しつけた張本人こそが薬師寺涼子そのものではありませんか。薬師寺涼子は警視総監に対して「合理的な説明でつじつまをあわせていただきたいんです」などと「お願い」した挙句、高市理事長に無実の罪をかぶせているのですから、そうなるのは当然でしょう。
 これまでの議論で私は何度も主張していますが、今回の事件で警察が怪物の存在を認めていれば、真相究明の観点から言っても、再発防止の視点から見ても、そして何よりも警察自身の官僚機構的な自己保身の発想法から考えてさえも理と利にかなうものであったことは確実なのです。そして一方、薬師寺涼子の警視総監への「お願い」は、警察にとって著しくハイリスクおよびデメリットだらけなシロモノであり、しかもその欠点を享受してまで「そうしなければならない【合理的な理由】」すらも全く語られてなどいないわけです。
 「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などという、薬師寺シリーズの世界では破綻が明白になっている概念を、この期に及んで警察に強要しているのが他ならぬ薬師寺涼子自身である以上、薬師寺涼子がオカルトに依存しながらオカルトを全否定していることに変わりはありませんし、またそういう事情を無視して薬師寺涼子が他人面をして警察の「オカルト否定」スタンスを嘲笑しているというのであれば、薬師寺涼子は私が薬師寺シリーズ考察で論じた以上に支離滅裂かつ無責任で厚顔無恥なバカ女でしかない、ということになってしまうと思うのですけどね。


<そして警察が「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」ということを涼子も由紀子も泉田も「是」としている以上、それがこの作品の「世界観」となります。>

 それは「【すでに崩壊している】世界観」を作中キャラクターが何の疑問を抱くことすらなく受け入れている、というだけの状態です。そんな論法で世界観が形成できる、というのであれば、創竜伝の「輪廻転生で成り立っているキャラクターが輪廻転生を否定する」という描写だって、作中でそれを否定するキャラクターは存在しないわけですから、「それが創竜伝の世界観である」などという支離滅裂な結論が導かれることになってしまいます。
 作中キャラクターが受け入れようが拒否しようが、作品の世界観はそれ以前の段階、つまり「オカルトに何らかの形で関わっている者がオカルト否定を唱える行為」を【行った時点】で崩壊しているのです。そのような崩壊した世界観を、しかも何ら合理的な理由付けすらも行われない状態で作中キャラクターが受け入れたところで、「そのような支離滅裂な世界観に何ら疑問を抱くことすらできない作中キャラクターは頭のイカれた低能である」「作中キャラクターの支離滅裂ぶりは作品の致命的欠陥であり、そんなものを描いてしまった作者の責任は重大である」といった類の結論に到達するだけです。
 作品の世界観というのはその中身の理論や正当性が問われるものなのであって、作中キャラクターが受け入れているから免罪される、などというものではないのです。


<この作品は比較的現実世界と近い「世間一般にオカルトが認識されていない世界」での怪物退治の物語ということでしょう。
「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」というのはその作品世界を成立させる為の「物語の嘘」だと思いますが?>

 その「物語の嘘」とやらは、これまでの警察が抱いていた硬直しきった常識論や偏見などといった概念ではなく、薬師寺涼子が勝手にでっち上げた挙句、警察の公益を捨てさせてまで強引に警察に押しつけたシロモノなのであり、しかも薬師寺涼子本人はオカルトに直接大いに関わっている以上、「何故そんな(自己否定になりかねない)発言をするのか?」「この状況下で何故現実にも合致しない考え方を警察に保持させなければならないのか?」という理由付けは、物語の整合性および世界観をきちんと整えるために絶対必要なものであるはずでしょう。しかもそのためにわざわざ冤罪までやらかしているのであればなおのこと。
 何度も何度も述べていますが、その理由付けが「作中で」全く行われていないからこそ、「オカルトに依存しながらオカルトを全否定している」などと薬師寺涼子のみならず薬師寺シリーズ全体が評されることになるわけです。


No. 8030
Re:「世界観」とは何か
ダボ 2008/05/08 00:55
ん〜、どうやら上手く説明できなかったようですね。
私と冒険風ライダーさんで「世界観」の考え方が違うのが原因でしょうが。

私は「世界観」とは「その作品世界における基本的な設定」のようなものだと考えています。
ですからその「世界観」が私達の現実世界と比べてどれだけ支離滅裂で不条理なものであろうとも、その作品世界の中で矛盾がなければ「崩壊」はしていないと考えます。

しかし冒険風ライダーさんの場合は論理的に設定した「かくあるべし」という「世界観」があって、それと整合しないものを(程度問題はあるでしょうが)「崩壊」しているとする、という感じでしょうか。

なので、

> 「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などという、薬師寺シリーズの世界では破綻が明白になっている概念

といわれても私の場合は全く破綻していない訳です。

>警察にそのような考え方を「無理矢理に」押しつけた張本人こそが薬師寺涼子そのものではありませんか。

<そして警察が「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」ということを涼子も由紀子も泉田も「是」としている以上、それがこの作品の「世界観」となります。>
に総監を付け加えても良いですね。そういった人たちが疑問を持たないのですから、それが作品世界における標準的な考えなんでしょう。

>作品の世界観というのはその中身の理論や正当性が問われるものなのであって、作中キャラクターが受け入れているから免罪される、などというものではないのです。

「その中身の理論や正当性」というのはあくまで「作品の中の世界」で見るべきであり、あくまで作品世界とは別の外部の世界である現実の世界を基準にすれば良いと言うものでもないでしょう。

>「そうしなければならない【合理的な理由】」すらも全く語られてなどいない

<そして警察が「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」ということを涼子も由紀子も泉田も「是」としている以上、それがこの作品の「世界観」となります。>
と言っているようにそれがその理由に当たると考えています。
【合理的な理由】ではないと言われるかもしれませんが、私は例え不合理であってもそれが作中において矛盾しなければそれが「世界観」という考え方ですので。
逆に言えば、冒険風ライダーさんの「怪物の存在を認める」という考え方は「作中では」全く触れられていない現実世界に基づいた(言い方は悪いですが)「勝手な思い込み」なだけなんですよね。

>創竜伝の「輪廻転生で成り立っているキャラクターが輪廻転生を否定する」という描写だって、作中でそれを否定するキャラクターは存在しないわけですから、「それが創竜伝の世界観である」などという支離滅裂な結論が導かれることになってしまいます。

『創竜伝』の場合は「輪廻転生の否定」説が当の本人である主人公達の存在により否定されてしまうという矛盾を起こしていますが、今回の場合は矛盾は起きていません。

私は<「オカルトに何らかの形で関わっている者がオカルト否定を唱える行為」を【行った時点】で崩壊している>という考え方には否定的です。
「冤罪」については例えそうであったとしても「冤罪」を描かず作品を成立させることは可能であることからあくまで別の問題として批判すべきだと考えています。

また「怪物の存在を認める」についても今回は「オカルト否定」と「世界観の崩壊」との関係で述べていますが、作品自体の構造についての疑問・批判として別に述べることについては否定いたしません。
「怪物の存在を認め」なくても「世界観は崩壊」しませんが、それについて言及していないことを構造上の欠陥として追求することは問題ないということです。

どちらにしてもあくまで「冤罪」とは分けて考えるべきでしょう。


No. 8031
Re8030:理由と過程を経て成立する「世界観」
冒険風ライダー 2008/05/08 22:52
<私は「世界観」とは「その作品世界における基本的な設定」のようなものだと考えています。
ですからその「世界観」が私達の現実世界と比べてどれだけ支離滅裂で不条理なものであろうとも、その作品世界の中で矛盾がなければ「崩壊」はしていないと考えます。>

 世界観というのは、「その作品世界における基本的な設定」が、作品世界においていかなる理由と過程を経て誕生したのか、というものも含めた総体で論じるものです。作品内の世界設定がどれだけ支離滅裂で不条理なものであっても、というよりもむしろそうであればそうであるほど、「何故」「いかなる過程を経て」そのような設定が誕生したのかが作中で描写されたり語られたりすることで、作品世界における「合理的な理由付け」が行われるものなのです。
 「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」がきちんと作中で明示されて初めて、「非合理的な作品設定」は作品世界とひとつに統合されて「作品の世界観を構成する一要素」たりえるのです。しかし薬師寺シリーズのオカルト否定にはそれがない。だからこそ私は、件のオカルト否定では「そんな論理がまかり通っている【理由が作中で語られていない】」ということを問題にしているわけです。


<「その中身の理論や正当性」というのはあくまで「作品の中の世界」で見るべきであり、あくまで作品世界とは別の外部の世界である現実の世界を基準にすれば良いと言うものでもないでしょう。>

 その「作品の中の世界で見るべき」とやらの実態が、

<そういった人たちが疑問を持たないのですから、それが作品世界における標準的な考えなんでしょう。>
<そして警察が「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」ということを涼子も由紀子も泉田も「是」としている以上、それがこの作品の「世界観」となります。>

 といったシロモノなのですか? こんなものは「【非合理的な作品設定】が存在することを何の疑問もなく受け入れているだけの【非合理的なキャラクター】」以外の何物でもありませんし、「非合理的な世界設定」が存在する【非合理的な理由付け】にさえもなってなどいないのですけどね。
 何度も何度も述べていますが、薬師寺シリーズにおける「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」を作中キャラクター達が「是」とするのであれば、その世界観を明確にするためにも「何故」「どのような論理と思考と過程を経て」是とするのかという「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」を作中できちんと明示する必要があるのです。「作品の中の世界で見るべき」も何も、そもそも「作品の中の世界」に何ひとつ合理的な理由を見出すことができないからこそ、私は今回の件を問題にしているのですが。
 そして、これまた前にも言いましたが、現状の薬師寺シリーズは、作中キャラクターがオカルトと直接関わっている描写と、オカルトを全否定している描写が混在しているだけの状態です。その混在している上に矛盾している「非合理的な描写群」を全てまとめてひとつの世界観として統合し、構成するための「合理的な理由」がなければ、「オカルトに依存しながらオカルトを全否定している」という薬師寺シリーズの構造的欠陥は永遠に解消されることがないのです。


No. 8032
Re:読者にとっての「世界観」
ダボ 2008/05/10 21:08
>  世界観というのは、「その作品世界における基本的な設定」が、作品世界においていかなる理由と過程を経て誕生したのか、というものも含めた総体で論じるものです。作品内の世界設定がどれだけ支離滅裂で不条理なものであっても、というよりもむしろそうであればそうであるほど、「何故」「いかなる過程を経て」そのような設定が誕生したのかが作中で描写されたり語られたりすることで、作品世界における「合理的な理由付け」が行われるものなのです。
>  「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」がきちんと作中で明示されて初めて、「非合理的な作品設定」は作品世界とひとつに統合されて「作品の世界観を構成する一要素」たりえるのです。しかし薬師寺シリーズのオカルト否定にはそれがない。だからこそ私は、件のオカルト否定では「そんな論理がまかり通っている【理由が作中で語られていない】」ということを問題にしているわけです。

確かにそういった【合理的な理由】を多く盛り込むことで作品に厚みや奥深さを持たせることが出来ます。
しかし世界観の説明といっても多岐にわたり、実際問題としてあまりにそういったものが多くなると読者はうるさく感じられるのもまた事実であり、そこで描かれる【合理的な理由】にも有無・多寡・濃淡というのはどうしても出てきます。(いかにスマートにたくさんの情報を盛り込むかということも作者の腕ではありますが)

例え(になっているかは分かりませんが)ば、ドラえもんやその道具のように現代の科学では考えられないようなものがなぜ存在するかについては未来で作られたものであるということが繰り返し出てきています。
では、ドラえもんや道具がのび太はともかくのび太の両親や友達、あるいは世間の一般人に何の疑問も無く受け入れられているのはどうでしょう。このことについては何の説明もなされていませんが、もし現実の世界だったら大騒ぎになっているのは明らかであり、そうならないのは明らかに【非合理的な作品設定】です。
ではドラえもんの『世界観』は崩壊しているのでしょうか?
恐らくほとんどの読者は【合理的な理由】について詳しい説明が無くても「そういう『世界観』だ」ということで納得しているのではと思いますが。

そもそも小説(漫画)というのは学術論文ではなく、【合理的な理由】がきちんと示されていなくても読者がそれを納得(スルーでも可)するならそれで十分ではないでしょうか。

では『魔天楼』の場合はどうでしょう。
このスレの上の方にも擁護の意見があるように、多くの読者はスルーしているのだと思います。
つまり作者も読者も「その程度」のこととしか考えていないのではないでしょうか。
むしろ、

<私は上司に視線を転じた。

「あれでいいんですか?」
「いいのよ。警察と科学者がオカルトを認めちゃいけないの。あたしも外部に対しては自分の功績をフイチョウする気はないわ。全部、総監にゆずってあげてよ、オホホホ」>

のような泉田の疑問という形であっても触れられているだけマシなくらいかもしれません。


>  その「作品の中の世界で見るべき」とやらの実態が、
>
> <そういった人たちが疑問を持たないのですから、それが作品世界における標準的な考えなんでしょう。>
> <そして警察が「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」ということを涼子も由紀子も泉田も「是」としている以上、それがこの作品の「世界観」となります。>
>
>  といったシロモノなのですか? こんなものは「【非合理的な作品設定】が存在することを何の疑問もなく受け入れているだけの【非合理的なキャラクター】」以外の何物でもありませんし、「非合理的な世界設定」が存在する【非合理的な理由付け】にさえもなってなどいないのですけどね。

それは冒険風ライダーさんが現実の世界に基づいて考えているからでしょう。作品世界に入って涼子や泉田に自説を言っても「なんて【非合理的な】考え方なんだ」と笑われるだけかもしれませんよ。


>  何度も何度も述べていますが、薬師寺シリーズにおける「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」を作中キャラクター達が「是」とするのであれば、その世界観を明確にするためにも「何故」「どのような論理と思考と過程を経て」是とするのかという「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」を作中できちんと明示する必要があるのです。「作品の中の世界で見るべき」も何も、そもそも「作品の中の世界」に何ひとつ合理的な理由を見出すことができないからこそ、私は今回の件を問題にしているのですが。
>  そして、これまた前にも言いましたが、現状の薬師寺シリーズは、作中キャラクターがオカルトと直接関わっている描写と、オカルトを全否定している描写が混在しているだけの状態です。その混在している上に矛盾している「非合理的な描写群」を全てまとめてひとつの世界観として統合し、構成するための「合理的な理由」がなければ、「オカルトに依存しながらオカルトを全否定している」という薬師寺シリーズの構造的欠陥は永遠に解消されることがないのです。

私は上で述べたように「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」を作中できちんと明示する『必要がある』とは考えていません。(明示されていればそれに越したことはないですが)
もちろん冒険風ライダーさんが「この作品にはこのような構造上の問題点がある」と指摘されることには意味があると思いますが、<「オカルト否定」により『世界観』が崩壊している>とか<【合理的な理由】がきちんと作中で明示されて「いなければならない」>と言われれも、正直「大部分の人がスルーしている以上、そこに拘る意味は無いのでは」とも思います。


No. 8034
Re:誰にとっての「世界観」であれ
S.K 2008/05/11 13:24
> 確かにそういった【合理的な理由】を多く盛り込むことで作品に厚みや奥深さを持たせることが出来ます。
> しかし世界観の説明といっても多岐にわたり、実際問題としてあまりにそういったものが多くなると読者はうるさく感じられるのもまた事実であり、そこで描かれる【合理的な理由】にも有無・多寡・濃淡というのはどうしても出てきます。(いかにスマートにたくさんの情報を盛り込むかということも作者の腕ではありますが)

 お涼もしくはト書きが「怪事件をパニック発生なしに決着できるのは薬師寺涼子だけ」「常人に怪奇現象処理をレクチャーしても実行できないので無意味」「社会秩序は大多数の理解の及ぶ範囲で運営されるべきであり、それを円滑に保証するのが警察の仕事」と言っておけば問題はないんですが。


> 例え(になっているかは分かりませんが)ば、ドラえもんやその道具のように現代の科学では考えられないようなものがなぜ存在するかについては未来で作られたものであるということが繰り返し出てきています。
> では、ドラえもんや道具がのび太はともかくのび太の両親や友達、あるいは世間の一般人に何の疑問も無く受け入れられているのはどうでしょう。このことについては何の説明もなされていませんが、もし現実の世界だったら大騒ぎになっているのは明らかであり、そうならないのは明らかに【非合理的な作品設定】です。
> ではドラえもんの『世界観』は崩壊しているのでしょうか?
> 恐らくほとんどの読者は【合理的な理由】について詳しい説明が無くても「そういう『世界観』だ」ということで納得しているのではと思いますが。

 ドラえもんはのび太に「どういう道具か」は説明してますよ。
 TVが見たい人間にTVのハードギミック解説は必要ないでしょう?
 そして大抵の場合ジャイアン達は「何故!?」と便利道具の効能に驚愕しているではないですか。
「きちんとした世界観の整合」とはこういう事を言うのです。


> そもそも小説(漫画)というのは学術論文ではなく、【合理的な理由】がきちんと示されていなくても読者がそれを納得(スルーでも可)するならそれで十分ではないでしょうか。

「リアル鬼ごっこ」という作品は毀誉褒貶ありますが、ほぼ万民が「支離滅裂だ」とは評しているでしょう。
 ここで問題にされているのは「面白い」の部分ではなく「支離滅裂」の部分じゃないですか。


> では『魔天楼』の場合はどうでしょう。
> このスレの上の方にも擁護の意見があるように、多くの読者はスルーしているのだと思います。
> つまり作者も読者も「その程度」のこととしか考えていないのではないでしょうか。
> むしろ、
>
> <私は上司に視線を転じた。
>
> 「あれでいいんですか?」
> 「いいのよ。警察と科学者がオカルトを認めちゃいけないの。あたしも外部に対しては自分の功績をフイチョウする気はないわ。全部、総監にゆずってあげてよ、オホホホ」>
>
> のような泉田の疑問という形であっても触れられているだけマシなくらいかもしれません。

 上記理由でそれでは「説明不足」なのです。
 お涼が「不親切な女」としてキャラ設定したければ、その抜けは田中先生の地文か泉田君の思考過程で解説する必要はあるでしょう。
「それはそうだ、ガンの告知でさえうろたえる人間は多いのに発生も対処もほぼ予測、対応共に不可能な天災が実在すると公表してどんな反応があるのか想像したくもない」とでも。


> それは冒険風ライダーさんが現実の世界に基づいて考えているからでしょう。作品世界に入って涼子や泉田に自説を言っても「なんて【非合理的な】考え方なんだ」と笑われるだけかもしれませんよ。

 合理不合理で言えばお涼も認める見識だと思いますよ。
「論理的よね、ただ現状、現実に即してないけど」程度は言うかも知れませんが。


> 私は上で述べたように「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」を作中できちんと明示する『必要がある』とは考えていません。(明示されていればそれに越したことはないですが)

 それは「作家の手抜き」と言うのであり、ダボさんがそれを許容するのはご自由ですが一般論として普遍させ万民への納得を義務付けるのは慎むべきでしょう。


> もちろん冒険風ライダーさんが「この作品にはこのような構造上の問題点がある」と指摘されることには意味があると思いますが、<「オカルト否定」により『世界観』が崩壊している>とか<【合理的な理由】がきちんと作中で明示されて「いなければならない」>と言われれも、正直「大部分の人がスルーしている以上、そこに拘る意味は無いのでは」とも思います。

 問題提起とはスルーされているからこそ行う意義があるとも思います。
 ただその問題提起があまりに支離滅裂ならその時こそ「何言ってんだ?」と評価されて当然ですが冒険風ライダーさんのそれは一度考察されて然るべきではないかと私は思うのですが。


No. 8036
Re:誰にとっての「世界観」であれ
ダボ 2008/05/11 21:22
>  お涼もしくはト書きが「怪事件をパニック発生なしに決着できる
> のは薬師寺涼子だけ」「常人に怪奇現象処理をレクチャーしても
> 実行できないので無意味」「社会秩序は大多数の理解の及ぶ範囲
> で運営されるべきであり、それを円滑に保証するのが警察の仕事」
> と言っておけば問題はないんですが。

もちろんそう書いておけば良かったと思いますし、それを書かなかったことについて作者の批判については当然あると思います。
逆に言えばそう書いてあれば「世界観は崩壊しているとはいえない」と冒険風ライダーさんが言われるのであれば、私としては何も言うことはありません。


>  ドラえもんはのび太に「どういう道具か」は説明してますよ。
>  TVが見たい人間にTVのハードギミック解説は必要ないでしょう?
>  そして大抵の場合ジャイアン達は「何故!?」と便利道具の効能
> に驚愕しているではないですか。
> 「きちんとした世界観の整合」とはこういう事を言うのです。

ドラえもんのような奇妙な生き物(?)がもし実際にいたら大騒ぎになるじゃないですか。
でもマスコミが取材に来る様子も見物人が押し寄せる様子も学者が調査に来る様子もありません。
ドラえもんは普通に出歩いて存在が隠されている訳でもないのにそうならないのは【非合理的な作品設定】だと思いますが。


> > そもそも小説(漫画)というのは学術論文ではなく、【合理的な理由】がきちんと示されていなくても読者がそれを納得(スルーでも可)するならそれで十分ではないでしょうか。
> >
> 「リアル鬼ごっこ」という作品は毀誉褒貶ありますが、ほぼ万民が
> 「支離滅裂だ」とは評しているでしょう。
>  ここで問題にされているのは「面白い」の部分ではなく
> 「支離滅裂」の部分じゃないですか。

上でS.Kさんがト書き案を書かれていますが、読者が無意識であってもそんなようなことを考えて納得しているなら、それは「支離滅裂」というか「世界観が崩壊している」とまでは言えないのでは? ということです。


> > 私は上で述べたように「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」を作中できちんと明示する『必要がある』とは考えていません。(明示されていればそれに越したことはないですが)
>
>  それは「作家の手抜き」と言うのであり、ダボさんがそれを
> 許容するのはご自由ですが一般論として普遍させ万民への納得を
> 義務付けるのは慎むべきでしょう。

正確には『全ての「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」を作中できちんと明示「しなければならない」とは考えていません。』とすべきでした。お詫びして訂正いたします。

なお冒険風ライダーさんは「オカルト否定」による「世界観の崩壊」を問題にしているのであって「作家の手抜き」を問題にしているのではないと思うのですが。


>  問題提起とはスルーされているからこそ行う意義があるとも想い
> ます。
>  ただその問題提起があまりに支離滅裂ならその時こそ「何言って
> んだ?」と評価されて当然ですが冒険風ライダーさんのそれは
> 一度考察されて然るべきではないかと私は思うのですが。

私は冒険風ライダーさんがそのように考えていることについては何も文句は言っていません。
ただ「そう考えないとダメ」となっているところに疑問があるというだけです。
私自身はあれが「世界観が崩壊」する程の傷になっているとは思っていませんが、そういう見方もあるとした上での問題提起でしたら特に反論するものではありません。


No. 8037
Re:とりあえず一点
S.K 2008/05/11 23:23
> ドラえもんのような奇妙な生き物(?)がもし実際にいたら大騒ぎになるじゃないですか。
> でもマスコミが取材に来る様子も見物人が押し寄せる様子も学者が調査に来る様子もありません。
> ドラえもんは普通に出歩いて存在が隠されている訳でもないのにそうならないのは【非合理的な作品設定】だと思いますが。

 ドラえもんが「ウワサ75」とでもいう機械を引っ張り出せば「何だ、ただの未来から来たネコ型ロボットじゃないか」で決着するでしょう。
 そこまで考えられているドラえもんより「薬師寺涼子の事件簿」が場当たり設定でないと断言するのは難しいんじゃないでしょうか。


No. 8038
Re:とりあえず一点
ダボ 2008/05/12 22:47
>  ドラえもんが「ウワサ75」とでもいう機械を引っ張り出せば
> 「何だ、ただの未来から来たネコ型ロボットじゃないか」
> で決着するでしょう。
>  そこまで考えられているドラえもんより「薬師寺涼子の事件簿」
> が場当たり設定でないと断言するのは難しいんじゃないでしょうか。

え〜と、「ウワサ75」というのはS.Kさんが考えられた道具ということで良かったでしょうか?
もし本編でそういう道具が使われて説明していたら申し訳ありません。「オバQ」にでも訂正させて下さい。

冒険風ライダーさんは、<「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」を作中できちんと明示する必要がある>と言われているように「明示してないとダメ」ということなので、逆に【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】が「明示されていない」と私が思い、かつ世界観が崩壊していない例としてドラえもんを挙げました。
なので、「明示されていない」時点で冒険風ライダーさん的には両方ダメとなるはずで、どちらが場当たり的かは関係無いと思うのですが。


A.作中の描写に矛盾が無ければ【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】が無くても許容される(場合もある)。

B.読者が【合理的】でなくても【非合理的な作品設定】が存在する【理由】を補完出来れば良い。

C.読者が【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】を補完出来れば良い。

D.【非合理】であっても【非合理的な作品設定】が存在する【理由】を作中できちんと明示しなければならない。

E.【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】を作中できちんと明示しなければならない。

冒険風ライダーさんはEでないとダメ。
私はEであるに越したことは無いがAでも良いのではないかということになると思います。


No. 8039
Re8032/8036:読者の認識と作品の欠陥は別問題
冒険風ライダー 2008/05/12 23:13
<では『魔天楼』の場合はどうでしょう。
このスレの上の方にも擁護の意見があるように、多くの読者はスルーしているのだと思います。
つまり作者も読者も「その程度」のこととしか考えていないのではないでしょうか。>
<もちろん冒険風ライダーさんが「この作品にはこのような構造上の問題点がある」と指摘されることには意味があると思いますが、<「オカルト否定」により『世界観』が崩壊している>とか<【合理的な理由】がきちんと作中で明示されて「いなければならない」>と言われれも、正直「大部分の人がスルーしている以上、そこに拘る意味は無いのでは」とも思います。>

 一体何を言っているのですかあなたは? 「作品内にこういう欠陥がある」ということと「読者がそれを問題にしていない」は全く別のカテゴリーに属する問題であって、「読者がそれを問題にしていない」から欠陥が免罪される、などということはありえないのですが。
 それに作品の欠陥を読者が問題にしていない、というのであれば、それをあえて指摘して問題提起し、読者に考える機会を与えるのが、作品論の存在意義であり真骨頂というものでしょう。そもそも私は、今回の薬師寺シリーズ考察の冒頭で「薬師寺シリーズが抱える様々な問題点を明確にし、田中芳樹およびファンに対して何らかの楔を打ち込むことができれば幸いです」と述べているのですから、その辺りのことは最初から折り込み済みなわけなのですけど、それが何か問題だとでも言うのですかね?
 あなたの論調だと、普通一般の読者が下手すれば問題の存在すらも認識していなかったであろう疑問点の指摘や批判を展開していたであろう創竜伝考察や銀英伝考察、さらには他の論評をも含めた考察シリーズの一切合財全てが「大部分の人がスルーしている以上、そこに拘る意味は無いのでは」ということになって全く無意味なものだった、ということにもなりかねないのですが、「その通り」とはまさか断言しますまい?


<それは冒険風ライダーさんが現実の世界に基づいて考えているからでしょう。作品世界に入って涼子や泉田に自説を言っても「なんて【非合理的な】考え方なんだ」と笑われるだけかもしれませんよ。>

 「かもしれませんよ」ですか(笑)。何とも逃げ腰なスタンスであると言わざるをえませんが、それはさておくとしても、連中が私を笑いたければ勝手に笑わせておけば良いでしょう。その「現実世界の理論が作品世界において非合理とされる理由」および「自分達の行動が作品世界において合理的とされる理由」を薬師寺涼子や泉田準一郎が披露できない(そして現状間違いなくそうなっている)場合、連中は「作品世界の論理」とやらで動いてさえいないことになるのですから、連中の低能ぶりは私が論じている以上に最悪の惨状を呈しているということになります。
 私が「現実世界の理論」に基づいて考えていることを嘲笑するというのであれば、連中はそれこそ私が何度も述べているように「作品世界の論理」を提示し、しかもそれが「現実世界の理論」以上に「作品世界における合理的な考え方」であることをも証明しなければならないのですけどね。「世界観」を成立させるだけでなく、連中自身のメンツとプライドとキャラクター設定を保つためにも。


No. 8040
Re:もう少し御自説の整合を
S.K 2008/05/13 01:37
> え〜と、「ウワサ75」というのはS.Kさんが考えられた道具ということで良かったでしょうか?

 その通りですが、本編には「いかなる虚偽も真実として認定させる『ウソ800』」「大抵の都合は現実に法定してくれる『ミニ国会』」がありますよ。
 むしろ少し真実の方に自重願ったみたいな物です。


> もし本編でそういう道具が使われて説明していたら申し訳ありません。「オバQ」にでも訂正させて下さい。

 それは構いませんがQちゃんは不都合があれば消える上に前提として「実在オバケ」が容認されている世界なので、かえってダボさんの越えるべきハードルが高くなるだけじゃないかと思います。


> 冒険風ライダーさんは、<「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」を作中できちんと明示する必要がある>と言われているように「明示してないとダメ」ということなので、逆に【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】が「明示されていない」と私が思い、かつ世界観が崩壊していない例としてドラえもんを挙げました。

 そういう訳でこの2作品はきちんと世界を構築しているのです。
 まあ恐ろしい量の話数なので「1話として破綻していない」とまでは言いませんが、基本がゆらぐ事はまずないでしょう。


> なので、「明示されていない」時点で冒険風ライダーさん的には両方ダメとなるはずで、どちらが場当たり的かは関係無いと思うのですが。

「薬師寺涼子の事件簿」の破綻しか問題にされておらず、それが妥当である以上「両方ダメ」「関係ない」は成立しませんね。


> A.作中の描写に矛盾が無ければ【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】が無くても許容される(場合もある)。
>
> B.読者が【合理的】でなくても【非合理的な作品設定】が存在する【理由】を補完出来れば良い。
>
> C.読者が【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】を補完出来れば良い。
>
> D.【非合理】であっても【非合理的な作品設定】が存在する【理由】を作中できちんと明示しなければならない。
>
> E.【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】を作中できちんと明示しなければならない。
>
> 冒険風ライダーさんはEでないとダメ。

 冒険風ライダーさんはEでない事を問題にしていますが、Aについては特段言及していないでしょう。
 むしろダボさんが

> 私はEであるに越したことは無いがAでも良いのではないかということになると思います。

と言いつつA以外を認めていないのでは?


No. 8041
割り込み失礼します
たかし 2008/05/17 20:38
前回は擁護を試みて見事に失敗したので、今回はちゃんとした自分の意見を述べてみます。

>オカルトに依存しながらオカルトを否定する

幽霊や呪いを非科学的と片付けてしまったのが発端ですね。
黒魔術や錬金術は科学的なのかと思えば「警察がオカルトを認めてはいけない」とのこと。
これは怪物がオカルト的な存在だと認めてしまってると取れますよね。
怪物の能力に関しても科学的な説明があったわけでもありませんし。
読者にとって意味不明な世界観になってます。

>合理的な理由がきちんと作中で明示されてなければならない

私は賛成ですね。
「おばけなんていない」と言ってる主人公が悪霊退治してたら目が点になります。

>大部分の人がスルーしている以上、そこに拘る意味は無い

読者の脳内補完が前提な作品をプロが書いて良いんでしょうか?

私なりの意見ですが、怪物が科学的な要素が偶然あわさって突然変異によって生まれるならまだ良かったのではないかと思います。
怪獣ものの世界になってしまいそうですが、警察が真相を隠蔽するのも、対策を練らない(練れない)のも分かるのです。
何が原因でいつどんな怪物が出現するか分からないなんて公表できないですよね。
ところが怪物を生み出す手段が実在し、知ってる者がそれなりにいるわけです。
涼子は生み出す手段は知らないようですが、倒し方は知ってると主張してますよね。
聞き出そうとすらしないのは確かに警察の怠慢です。
限られた人間しか知らないからこそ脅威であり、みんなが知ってしまえば脅威ではなくなりますよね。
だからこそ涼子は隠したがってるのだとは思いますが。

追伸:関係ないと思いますが、最近怪物の倒し方まで手抜きになってるような気がするのは私だけでしょうか?


No. 8043
Re:もう少し御自説の整合を
ダボ 2008/05/18 14:43
>  その通りですが、本編には「いかなる虚偽も真実として認定
> させる『ウソ800』」「大抵の都合は現実に法定してくれる
> 『ミニ国会』」がありますよ。
>  むしろ少し真実の方に自重願ったみたいな物です。

そういう道具はあっても「そのために使われた描写はない」という点において「【合理的な理由】が作中で明示されている」として良いのか、また例えそれで良いとしても『ウソ800』や『ミニ国会』(またはそれに類する道具)が登場するまでは【非合理的な作品設定】の解決にはなっていないのではないか、という疑問点はあったのですが、「それに類する道具」がいつ出てきたか(二話目の可能性もありますし)の確証が無かったので「オバQ」を出しました。


>  それは構いませんがQちゃんは不都合があれば消える上に
> 前提として「実在オバケ」が容認されている世界なので、
> かえってダボさんの越えるべきハードルが高くなるだけじゃ
> ないかと思います。

「オバQ」も「ドラえもん」も「日常の中に非日常の存在が現れ、(何の説明も無く)溶け込んでいる」という世界観の話だと思ってました。
「実在オバケ」についても特に説明も無く「オバQが存在している世界」ということで読者が不自然に思わなかっただけだと思っていましたが、犬や猫のように物語が始める前から当たり前に存在するものとして作中に描写されていたのでしたら申し訳ありませんでした。


>  冒険風ライダーさんはEでない事を問題にしていますが、Aに
> ついては特段言及していないでしょう。
>  むしろダボさんが
>
> > 私はEであるに越したことは無いがAでも良いのではないかということになると思います。
> >
> と言いつつA以外を認めていないのでは?

A〜Eの中でAが最もルーズであり(逆にEは最もタイト)、Aが認められるなら当然B〜Eも認められると思いますが。


No. 8044
Re:撤退します。長々と失礼しました。
ダボ 2008/05/18 14:51
どうにもこれ以上上手く説明出来ないので撤退いたします。
冒険風ライダーさんには長々と続けさせることになってしまい申し訳ございませんでした。
次回も楽しみにしております。


あと最後に質問なんですが、8034でS.Kさんが
< お涼もしくはト書きが「怪事件をパニック発生なしに決着できる
のは薬師寺涼子だけ」「常人に怪奇現象処理をレクチャーしても
実行できないので無意味」「社会秩序は大多数の理解の及ぶ範囲
で運営されるべきであり、それを円滑に保証するのが警察の仕事」
と言っておけば問題はないんですが。>
と書かれていますが、これがあれば「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」がきちんと作中で明示されているとして良いのでしょうか?


>たかしさん

一つだけ失礼します。

>「おばけなんていない」と言ってる主人公が悪霊退治してたら目が点になります。

分かっていらっしゃるとは思いますが、作中の「認めてはいけない」は「おばけなんていない」という意味では使われていません。


No. 8045
Re:お土産
S.K 2008/05/18 21:05
> あと最後に質問なんですが、8034でS.Kさんが
> < お涼もしくはト書きが「怪事件をパニック発生なしに決着できる
> のは薬師寺涼子だけ」「常人に怪奇現象処理をレクチャーしても
> 実行できないので無意味」「社会秩序は大多数の理解の及ぶ範囲
> で運営されるべきであり、それを円滑に保証するのが警察の仕事」
> と言っておけば問題はないんですが。>
> と書かれていますが、これがあれば「【非合理的な作品設定】が存在する【合理的な理由】」がきちんと作中で明示されているとして良いのでしょうか?

「そういう事実の存在」を明示しておけば、その事実がいかに破天荒だろうと「認めない方がいかがわしい。なぜなら事実は事実であり、それは都合に応じて対処すべき物だからだ。インフルエンザの流行を虚偽と疑うのは個人の自由だがワクチン接種の妨害行為などは厳に慎むように」という結論で当然ではないですか?

 あとNo.8043でアメリカオバケのドロンパは正ちゃん家のお隣の神鳴さんの「養子」扱いですが(作中「うちの子になるか?」「なってやってもいいや」というやりとりあり)。


> >「おばけなんていない」と言ってる主人公が悪霊退治してたら目が点になります。
>
> 分かっていらっしゃるとは思いますが、作中の「認めてはいけない」は「おばけなんていない」という意味では使われていません。

 ああまで「怪奇現象」を全否定した女としてはせめて「プラズマ現象」くらいの通俗的理由をつけるのが筋でしょうね。


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