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反銀英伝・思想批判編
4−A

ヤンが成すべきだった軍人としての責任(1)


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No. 474
*反銀英伝「同盟の政治転換」またはヤンの与党精神欠如について
投稿者:新Q太郎 1998/12/23 05:23:35
*反銀英伝・同盟の政治を変えるには?

反銀英伝のルールでは、話に都合の良い新規のキャラクターを創作はできないから「ヤン・トリューニヒト連合」というのは面白い。お互い、感情として嫌っていてもいいんですよね。
トリ氏のラインで、地球教徒を味方に付けることも可能ではないかと。
実は地球教徒と同盟に利害の対立はそれほどないような。日本のS学会のような形で政治に食い込めばいいだけでさ(笑)。暗殺・諜報での優位性を持てたりして。

ところでヤンが自ら泥を被って選挙に出るか退役覚悟で停戦を支持する発言を行えば、ジェシカ、レベロ的ラインが勢力を持ち「反」のもう一つの可能性「平和的停戦」の可能性だってあったはず。

ヤンが政治に足を踏み入れないのは趣味としてはよく分かる。俺だってやだ(笑)。
ここに書き込まれた秘書の方のような苦労はしたくないし、安楽な年金生活の方を楽しみたい。

しかし、トリューニヒト派が懸念したようにヤンの人気と影響力は確実に巨大なものだった。
その力を、自分の考える望ましい方向に同盟を動かすことに使おうとしなかった、と言うことは、それほどその希望が切実なものではなかった、と考えるしかない。

本当に真摯に、切実に停戦・共存または帝国打倒を望むのなら政治に否応なく関わらねばならない。それこそが民主主義の原点だ!!!

(これに関連していいたいがヤン閣下は1、2度を除いて投票を全てしたことを誇っているようだ。しかし選挙の投票なんて、それで現実に議員を動かして自分の希望通りに政策が実行されて初めて役に立つんで、投票それ自体で自己満足しても意味なし!
それなら政治献金、マスコミ、コネで政治家をなにかに動かそうというほうがよほどいい。
ヤン閣下だったらその社会的影響力を有効に使えば、たった一票を投票箱に投じるよりよっぽど効果的だったことは確実。)

外伝1(だったか?)で自分の具申した(効果的な)作戦を却下されたとき「・・・まあいい、給料分の働きはした」と若きヤン閣下はひとりごち諦める。
・・・その結果、それこそ多くの名も無き同盟兵士が死亡した。
ヤンは艦隊内部で見事な手練手管を利用し、自らの構想を実際の作戦として採用させることはできなかったのか?能力的に出来ないとしたら実際のところローエングラムの敵でもなければトリューニヒトの敵でもない。それこそ戦術レベルの良将にすぎない男である。

また、できたけどしなかった、というのなら植木均もタイラー(っていたよね?)も真っ青の無責任男である。いや、元厚生省の郡司氏みたいなもんだ。



・・・・と言葉を並べたが、自分でも多少矛盾を感じている。というのはヤンが政治の世界に足を踏み入れなかった、また(自分の構想を実現するためですら)軍や政府の権力闘争に身を投じなかったのはこの作品の中では確かに彼の魅力の一つとなっているからだ。

実は(国家が未曾有の危機にある時はとくに)金銭や異性関係とは別に「権力」への無欲さはかなりの確率で無責任と背中合わせになっている、と言えるのだ。
西郷は未だに日本の精神的偶像ではあるが、大久保は、政府の顕官を辞して鹿児島に帰ろうとする西郷を「卑怯者」と言ってなじったという(司馬「翔ぶが如く」)。彼の言葉もまた、一つの見方といえる。

うーん「反銀英伝」はイデオロギー色抜きの知的ゲームのつもりなのに思想批判と重なってしまった。


No. 497
ヤン・ウェンリーと田中芳樹
投稿者:やぶにらみ 1998/12/28 10:11:05
ヤン・ウェンリーは、田中氏にとって理想的な人物なのだろう。ただそれは、オーヴァーに言えば、ドストエフスキーにとってのムイシュキンのようなもので、現実問題として、ああした人間に軍事なり政治を任せていいのか、と問えば、答えは必ずしもYESではないようにも思えます。
そのあたりが、創作の機微とでも言いますか、愛情を持って接しているだろうキャラクターに対しても、その限界を把握している、という感じが伺えます。
ヤンの唱える理想主義は、おそらく100パーセント田中氏本人のものでしょうが、物語上の行動については、「これじゃ駄目だよな」と思いつつ書いている部分も結構あったのではないかと推察します。


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