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反銀英伝・思想批判編
3−E

民主主義と専制政治(5)


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No. 3411
欧米人が読めば、銀英伝はブーイングの嵐では?
あれれ・歯医者さん 2002/12/30 18:32
いいですね、ここ。賢明な方々の熱い語らいがあって・・・
銀英伝って、基本的に無理無理な設定なので突っ込みがいあり
すぎて楽しいです。
それも科学的にどうこうっていうより、著者の政治の主張みた
いな部分に突っ込みがいありすぎってとこが。
未来に過去をもちこむためにエンヤコラする、田中氏の力技に
はある意味、才能を認めるし感動してますけどね。

女性ファンを魅了するラインハルト一党の、あの大時代な戦略
に、いくら腐敗しているとはいえ良いとこなしで負けてしまう
自由惑星同盟(もろアメリカのコピー)、これが一番痛い。
こういう筋書きに、田中先生の歴史観というより希望が、もろ
に出ていますね。あの不自然さは歴史より希望が先行したせい
っぽい。

あの作品では自由惑星同盟がはじめからヘタレすぎてて、そこ
が違和感ありすぎでした。とにかく、貴族同様だめだめ過ぎで、
ラインハルトの幼稚な戦略に引きずり回されすぎですから。
内乱を唆されてあえなく乗せられるあたりからして、「そんな
のありかい!」ってゲンナリでしたもんね。
とにかく、同盟がわがラインハルトの、古典的な謀略に易々と
やられているさまをみて、「同盟が負けたのは、基本的に防諜
体制がないからではないか?」と思いましたもの。

あれだけ好戦的な同盟政府右派が、ヤン提督にたいしてはと
もかく、銀河帝国にたいしては正面攻撃だけに固執し、情報
戦らしいものを自分からは仕掛けていない、仕掛けられるだ
けの受身でしかないというのが、見ていて奇怪でした。
同盟の右翼好戦主義者諸氏には「帝国を憎むわりには帝国
(ラインハルト)の謀略工作に対してお人よしにすぎ、か
つラインハルトにたいしてお人よしすぎるにしては、帝国
を憎悪しすぎる」という不思議なおめでたさがあり、そう
いう「おめでたい」人間を、やたら悪漢扱いしたがる田中
氏の手法じたいに、無理があると感じたものです。

むしろ見ようによってはラインハルトに好意的なヤンのほ
うが、敗戦をみこして勝者に媚びへつらったという見方も
できなくもない。小説ではあくまでもヤンの主観を「美化」
しまくって、そうは見えないように書かれていますが、実
は後世の歴史を書くのが、生き残った勝者だけだってこと
を忘れてはいけない(笑)。

そう。「銀英伝」は、ラインハルトに友誼をむすんだヤン
(およびヤンの盟友だったビュコック)の愛弟子・ユリア
ンとその仲間たち、ならびにラインハルトの寵をうけて生
き残った軍人たちが書いた歴史なのです。
「獅子の泉の7元帥」と「イゼルローン八月政府」が、あく
までも自分たちにだけ都合が良いように書いた歴史書なので
す(笑)。
基本的に地球教、トリューニヒト一党、フェザーン、あるい
は救国軍事委員会やフォーク准将はぜーんぶ悪役。かれらに
書かせたら、きっと異なるヤン一党やラインハルトの汚い正
体(ユリアンと帝国によって焚書されて日の目を見なかった)
を、告発できたのでは?
そういう「黒書」が、宇宙のどこかにヒッソリ隠されているの
かも? そしてそれがじつは、この掲示板・・・(^^;)

とにかく、250億の自由社会の市民が、救国英雄ヤンとその
友人である政治勢力を、決定的な劣勢にいたるまで「与党
にしない」という設定には、民主主義をどうしても貶めた
いという作者の情念のようなものすら感じられ、なんだか
不気味だったです。

ちなみに好戦論で権力の頂点に達したトリューニヒトには、
ヤンとおなじく負け戦を察知する戦略眼もあったことが立証
されていますので、かれならラインハルトとの間に不可侵条
約をむすぶことへと世論をひっぱっていき、かつ、ラインハ
ルトの易姓革命にも裏口から貸しをつくるという芸当もでき
たのではないかと。
記憶の限りでは、かれにはラインハルトへの勝算があったよ
うには思えないのですね。
全体的にみて、同盟は帝国にたいして「実力をともなわずし
て」極端に好戦的であり、それゆえまんまと併呑されていま
す。ラインハルトの覇業の美味しいメインディッシュとして、
はじめから用意されていた感じです。

トリューニヒトのような希代の強運と保身能力をもつ男が、
国防委員長時代から、ラインハルトという有望株に布石を
打たないことという設定も、思えば無理があるって感じ。
田中先生はひたすら、欧米民主主義(自由惑星同盟)も宗教
(地球教)も西欧の自由都市(フェザーン)も大嫌いで、中
国の人治主義的な専制政治になにがなんでも勝たせたい、そ
ういう奇妙な感覚を感じましたね。

まあ、北朝鮮拉致被害者家族のシッカリした感覚と左翼メディ
ア+害務省のオタオタぶり見てると、民主国家が独裁国家と対
峙したさい、戦略のイニシアチブを相手にとられっぱなしにな
りがちであるのは分かるけど、それはあくまでもラインハルト
より卑劣な、あるいは有能な独裁者だからできることです。
(内政的にも残酷な)独裁国家が平和攻勢をしかけてきて、そ
の詭弁外交に国内の教条主義的理想主義者だのコトナカレなノ
ンポリが、呼応するという形で、はじめて起こるわけです。
むろん背景に、敵対する相手の全体主義体制に、民主国の不満
分子たちが過剰な思い入れゆえのコンプレックスをもっている
ことがある程度、前提にあるのですが、小説ではそうはなって
いません。歴史認識的には帝国にたいし被害者意識を、体制と
しては優越感をもつわけで、しかもアテネやブリテンのような
略奪経済的な制度ももっていません。ラインハルトがつけこむ
隙は、体制的には考えられないのです。

略奪経済の要素がないかぎり、「銀河帝国に戦略的な絶対的優
位を確立する」状況を創りださないかぎり、やたら「頭の悪い
右翼」に牛耳られて勝ち目が五分五分以下、負ければご破産と
いう賭博を行う可能性は、少ない気がします。どうせ戦争は、
経済的には持ち出しオンリーなのですから。

その意味で、同盟が「勝算について計算できなかった」ことに
は、そもそも同盟の体制がアメリカなどのモデル国家とことな
り、情報収集・管理・処理能力に決定的な破綻があったように
思われてなりません。
イラクや北朝鮮を、ラインハルトより巧妙かつ見事な布石を打
つことで戦略的に追い詰めているアメリカをみるにつけ、思い
半ばにすぎるものがあります。

台湾では訳書がヒットしたと聞くけど、田中さんの大好きな英
国はじめ、欧米の読者からは総すかんと嘲笑とブーイング、も
しくは「くだらねー」の一語で捨てられそう。
欧米人で、このスペースオペラを読んだ方っていたら、ぜひ感
想きいてみたい。たぶん、私の想像するとおりの反応だと思う。


No. 3412
Re:欧米人が読めば、銀英伝はブーイングの嵐では?
新Q太郎 2003/01/04 04:20
はじめまして。

> 女性ファンを魅了するラインハルト一党の、あの大時代な戦略
> に、いくら腐敗しているとはいえ良いとこなしで負けてしまう
> 自由惑星同盟(もろアメリカのコピー)、これが一番痛い。
> こういう筋書きに、田中先生の歴史観というより希望が、もろ
> に出ていますね。

一応作者の弁では「シミュレーションしてみたら、どうしても効率的独裁政権のほうが腐敗民主国家より有利になるのでこうなった」とのことです。


> 基本的に地球教、トリューニヒト一党、フェザーン、あるい
> は救国軍事委員会やフォーク准将はぜーんぶ悪役。かれらに
> 書かせたら、きっと異なるヤン一党やラインハルトの汚い正
> 体(ユリアンと帝国によって焚書されて日の目を見なかった)

そういえば私「偉大なるヤン元帥と親愛なるユリアン同志」というネタを書いたことあったなー。まだこのHPに残っているだろうか。


> ちなみに好戦論で権力の頂点に達したトリューニヒトには、
> ヤンとおなじく負け戦を察知する戦略眼もあったことが立証
> されています
> 記憶の限りでは、かれにはラインハルトへの勝算があったよ
> うには思えないのですね。

アムリッツァは自身の権力のために侵攻計画を本気で止めなかったとしても、いざ自分が権力に座れば、本当はそのまま現状維持のほうが本人にもいいはずだったのですがね。どこでトリューニヒトが同盟を「見限った」のかは微妙に謎です。
自己保身と打算のための和平主義者(銀英伝版の秦カイ)、というテーゼは銀英伝の中では書きにくいでしょうけど。


> 台湾では訳書がヒットしたと聞く

ふと思えば、巨大で停滞を脱し、活気に満ちた独裁国家と戦争状態で対峙する、規模の小さな民主国家---って、かの国民にとってはめちゃめちゃ身につまされる題材やろなー。さあ田中氏はこのへんの状況をモデルにしたのかどうか。

ん?その間でどっちつかずの経済国家フェザーンのモデルとは・・・?


No. 3413
民主国家と専制国家
TAC 2003/01/04 11:35
専制国家が民主国家よりも有利なのは、
これは書かれた時期を考えると、当然の事ですよね。
冷戦にはソヴィエトが勝つと普通に言われていましたので。

自由奔放な民主国家は強権独裁の専制国家に比べて、
非常事態に於いてはどうしても不利になります。
専制国家は世論や予算を気にする必要なく戦争を遂行出来ますし、
頭が一つだけなので指揮系統の混乱も発生しにくい。
だから民主国家と専制国家が戦えば、
国力が等しい限りは専制国家が勝つとするのは普通の事です。

そもそも銀英伝では国力では帝国が優っているという設定でしたし。
だからこの場合は専制国家である帝国が勝つのは当然です。


余談になりますが、銀英伝10巻以降、
恐らく帝国は複数の国家に分裂する事になるでしょう。
アレクやフェリックスの世代か、その次の世代あたりで。
ジンギス・ハンの死後に分裂したモンゴル帝国の様に、
あんな大帝国、強力な指導者が居なければ維持できません。
ラインハルトのカリスマだけで持っているような国家ですから、
反乱が頻発して分裂するのが筋でしょう。
強力な軍隊を維持して恐怖政治をするならばともかく。

フェザーンを中心とする帝国正統政府、
 これがロエングラム帝国の本流。
 周りが独立して残った部分とも言う。

バーラトを中心とする新生同盟政府、
 ノイエラント総督府が反旗を翻す場合、
 お題目は民主主義の復活とするでしょう。

オーディンを中心とする第三政府、
 ロエングラム帝国の力が弱まったら、
 オーディンは多分、フェザーンの下に居る事を由としない。

このくらいには分裂するのではないかと。
おお、最初とあんまり情勢が変わっていない。


それにしてもヤンが不甲斐ないから同盟が滅んだんだよなぁ。
実はラインハルトと結託していたんじゃないのか? (笑)
ヤンってラインハルトの不利益になる行動、取ってないし。


No. 3414
Re:欧米人が読めば、銀英伝はブーイングの嵐では?
Ken 2003/01/04 13:42
はじめまして。これからもよろしくお願いします。

>こういう筋書きに、田中先生の歴史観というより希望が、もろに出ていますね。あの不自然さは歴史より希望が先行したせいっぽい。
>民主主義をどうしても貶めたいという作者の情念のようなものすら感じられ、なんだか不気味だったです。
>田中先生はひたすら、欧米民主主義(自由惑星同盟)も宗教(地球教)も西欧の自由都市(フェザーン)も大嫌いで、中国の人治主義的な専制政治になにがなんでも勝たせたい、そういう奇妙な感覚を感じましたね。

それはどうでしょうか?
例えば、腐敗堕落した自由惑星同盟がラインハルトの帝国に征服され、汚職政治家や憂国騎士団などが一掃され、人民が末永く幸福に暮らし、「めでたし、めでたし」で終わるのなら、おっしゃるような事情があるかもしれません。

しかし、ご存知のように、銀英伝の最大の主題というべき「専制対デモクラシー」の本格的な対比は、同盟の滅亡後に始まります。ラインハルトの体制の下で人民がつつがなく暮らせることを承知の上で、なお、人民自治にこだわるヤンの思想こそ、田中氏が作品の中で訴えたかったことではないでしょうか?

「人民を害する権利は、人民自身にしかないからです。・・・・(中略)・・・・専制政治の罪とは、人民が政治の害悪を他人のせいにできるという点につきるのです。その罪の大きさにくらべれば、一〇〇人の名君の善政の功も小さなものです。」 (風雲篇、第十章−2)

ヤンは、独裁者あるいは専制者としてのラインハルト・フォン・ローエングラムをきわめて高く評価していた。才幹においても器量においても、である。さらに個人としても敬愛していた。ところがラインハルトは、まさにその卓絶した資質のゆえに、民主共和制度の最大の敵手となっているのだ。 (怒濤篇、第四章−4)


ラインハルト帝国に一方的にやられるだけの自由惑星同盟の姿が、現実性の点で、指摘されるような弱点を持っているのは、そのとおりかと思います。

ただ、それが「ブーイング」の対象になるというのは、すこし極論ではないでしょうか?

銀英伝は、ブルッキングス研究所の論文でもないし、タイム誌やクリスチャン・サイエンス・モニター紙に掲載される論説でもありません。あくまでもエンターテインメントなのですから。

そしてエンターテインメントの領域では、自由惑星同盟と大同小異の「デモクラシー」が専制体制にもろくも敗れ滅びるという作品は、アメリカにだってあふれていると思います。(スターウォーズもそうなのでは?)

また、防諜の「あまさ」等、デモクラシーの弱点を強調するこの種の話は、冷戦時代に全体主義の脅威に注意を喚起するプロパガンダ映画に多く見られ、今でも多大な影響を与えていると思います。ありていに言えば、アメリカ人の多数は、諜報を含む情報戦に、米国政府ほど「無能」な政府はなく、外国にやられっぱなしでいる、と考えているのではないかと思います。もっとも、これは日本政府に対する日本人、中国政府に対する中国人の印象と同じだと思いますが。

さらには、銀英伝に描かれる、自由惑星同盟の数々の弱点や醜悪な点は、とくに冷戦前期のアメリカに、たしかにモデルが見られるように思います。(大幅に誇張はしていますが。)例えば、憂国騎士団などKKKの丸写しに近いし、ヤンに対する査問会でのネグロポンティのしゃべり方は、「赤狩り」時代に行われた多くの査問会での査問者のしゃべり方に題材を得ているように思われます。帝国との戦争をやめられない同盟は、ベトナム戦争をやめられない米国がモデルなのでしょう。これらの事例に示されるアメリカ史の暗部は、今では例えばCNNのドキュメンタリー番組等で赤裸々に描写されており、「事実」として大多数の国民に受け入れられている、というのが私の感想です。

もちろん、そのような番組がCNNのような主要メディアの手で作られる点こそ、フリー・プラネッツと現実の米国の決定的な違いではあります。


No. 3415
Re:民主国家と専制国家
SAI 2003/01/04 15:10
はじめまして。

ラインハルトに都合が良すぎるというのは、まあその通りだと思います。普通ああ言う風にはなりません。ブラックホークダウンあたりの
ノンフィクション読めば解りますが、敵も味方も数限りないミスを犯すのが戦争というものですから。

>略奪経済の要素がないかぎり、「銀河帝国に戦略的な絶対的優
位を確立する」状況を創りださないかぎり、やたら「頭の悪い
右翼」に牛耳られて勝ち目が五分五分以下、負ければご破産と
いう賭博を行う可能性は、少ない気がします。

自由惑星同盟というのは、実は宗教原理国家であるような気がします。
まず成り立ちからして、長征一万光年というのは、構成員に強い使命感と、信念、自己犠牲を必要とする、難事業であったことは間違いないでしょう。それこそ、生活は流刑星にいたほうがましであったと思います。しかも成功する当ては無い。文字通り、信仰の力でやり遂げたのだと思います。そういう成り立ちの国が、専制の銀河帝国は絶対悪、自由民主主義の自分達は絶対の正義、決して妥協してはならないと国民が無意識に思い込んでいたとしても不思議ではないでしょう。

これはよいこともある。ダゴンで勝てた理由のひとつでもありますから。信念と熱狂により同盟軍の士気は最高で、いかなる損害をうけようともひるまない。そんな同盟軍と、指揮官は狩りで兵士もやる気がない帝国軍が戦えば、大敗北も喫するでしょう。

が、しかし、悪い面もやっぱりある。勝ち目が少ない無謀な戦争もやるはめになる。政治的、宗教的情熱の前には経済合理性など木っ端微塵になります。
それにトリューニヒトが政権につくまでさんざん好戦論をぶっておきながら、政権についたとたん講和を口にすれば、軍部にとっても裏切り者、政治献金してきた軍需産業にとっても裏切り者、国民にとっても背教者、そんなに長くは生きられませんね。
それを本人がわからないとは思いません。

国民的英雄のヤンならば講和を口にしても納得するでしょうが、トリューニヒトでは誰も納得しない。

>イラクや北朝鮮を、ラインハルトより巧妙かつ見事な布石を打
つことで戦略的に追い詰めているアメリカをみるにつけ

イラクも北朝鮮も今年中に崩壊するでしょう。しかし、その後どうする気なのか?
報道されなくなったアフガニスタンも未だ戦争は続いている。タリバンもアルカイダもいなくなったわけじゃない。イラク戦争は確実に世界経済にダメージを与え、世界同時大恐慌という70年前の悪夢が再来しかねない。アメリカの政策ではテロはなくならない。
そもそもアメリカの対外債務は2.5兆ドルを超え、3年以内に3.5兆ドル、10年以内に5兆ドルを超える。このままゆけばアメリカは破産する。なのに戦争を止めない。巧妙な戦略に見えてじつは破滅への道を歩んでいる。
こういうのを間違った政策というんですけどね。さすがに作中の自由惑星同盟は巧妙に見えて、実は破滅への道を歩んでいるとは言えません。
破滅するためにやってるような気がしますね。


No. 3417
Re:欧米人が読めば、銀英伝はブーイングの嵐では?
イッチー 2003/01/05 03:31
新Q太郎さま、初めまして。

> アムリッツァは自身の権力のために侵攻計画を本気で止めなかったとしても、いざ自分が権力に座れば、本当はそのまま現状維持のほうが本人にもいいはずだったのですがね。どこでトリューニヒトが同盟を「見限った」のかは微妙に謎です。
> 自己保身と打算のための和平主義者(銀英伝版の秦カイ)、というテーゼは銀英伝の中では書きにくいでしょうけど。

トリューニヒトが同盟を見限るきっかけとなったのは、私は救国軍事会議のクーデターのときだと思っています。このとき、トリューニヒトは地球教に匿われたわけですが、そのときに地球教の同盟と帝国を相打ちにする構想を聞かされ、さらにルビンスキー個人とも連絡を取り合う仲となり、地球教さらにはルビンスキーのラインハルトに宇宙を統一させ、フェザーンがそれを乗っ取るという計画に乗る形で、自分の利益を拡大させる方向に自らの野心を修正したのだと思います。


> ふと思えば、巨大で停滞を脱し、活気に満ちた独裁国家と戦争状態で対峙する、規模の小さな民主国家---って、かの国民にとってはめちゃめちゃ身につまされる題材やろなー。さあ田中氏はこのへんの状況をモデルにしたのかどうか。
>
> ん?その間でどっちつかずの経済国家フェザーンのモデルとは・・・?

銀英伝の帝国・同盟・フェザーンの関係は、現在の中共・台湾・香港の関係にそっくりですが、一方で作品が発表された1980年代の世界にもそっくりだと思います。倦怠感漂う老人皇帝の下で停滞する銀河帝国はブレジネフ政権末期のソ連を彷彿させますし、その後のラインハルトの台頭はゴルバチョフの登場を連想させます。(ここまでは作者は予想していなかったと思うが、改革派が台頭してくるであろうという予感はあったのかもしれない)、同盟の描写はベトナム戦争直後のアメリカそっくりです。ウィンザー女史やトリューニヒトといったタカ派政治家はサッチャーやレーガン、中曽根といった新自由主義の政治家の戯画でしょう。レベロはハト派でアメリカ外交を混乱させたカーターを彷彿させます。軽武装で経済に専念するフェザーンは当時、先進国で唯一気を吐いていた日本がモデルでしょう。地球教が裏で政治を操っているというのは、自民党田中派が裏で政治を操っていた当時の日本の政界を彷彿させます。
深読みのし過ぎでしょうか?


No. 3421
Re:民主国家と専制国家
あれれ・歯医者さん 2003/01/10 19:31
はじめまして、みなさん。よろしくお願いします。レスが多くてうれしいかぎりです。
ここでの発言には、暇をみてしけこんだ、いろんな場所のネットカフェを使っています。
そういうこともあって、返信が遅れ気味なのはお許しください。

ところで名前の「あれれ・歯医者さん」は一応、アーレ・ハイネセンのギャグのつもりですが、お気付きの方がいるかどうか・・・でも気付かれた時点で絞められそう(^^)。


> 自由惑星同盟というのは、実は宗教原理国家であるような気がします。
> まず成り立ちからして、長征一万光年というのは、構成員に強い使命感と、信念、自己犠牲を必要とする、難事業であったことは間違いないでしょう。

毛沢東の長征をもろに意識してますよね、このあたり。ピルグリム・ファーザーズにも似ていなくもないけど。
そういえば後日のイゼルローン政府でも、ヤン未亡人の元首としての肩書きは大統領ではなく「主席」でしたね(ちなみに沖縄が米軍統治下にあった時代にも、琉球政府の首長の肩書きは、知事ではなく主席でした)。

どんな国でも、成り立つためには根っこに「原理主義的な宗教的信念」が必要だと思います。しかし民主的先進国は、自由・平等・博愛といった普遍的理想を原則にかかげることで、宗教と政治の区分をきちんとわけ、もって信条や言論や結社の自由を保障し、生活文化では、むしろ世俗性を許容し拡大していく傾向があると考えます。アメリカがその典型です。
フリープラネッツはアメリカどうよう、かなりの世俗的国家であったのでは? 少なくとも自由惑星同盟の社会描写においては、中産階級の快適で自由な市民生活を連想するものが多かったと感じています(悲惨な貧困層の描写は、むしろ帝国側に多かったような)。
実際そうでなければ、地球教が暗躍してトリューニヒトに接触するのも難しかったはず。

フォーク准将に煽られて無茶な外征をやったことにしても、十字軍のように熱狂的大衆運動のような草の根レベルの自発性はなく、密室(民主国家でも、最高にデリケートかつ重大な議論のさい、密室性を伴うこと自体は不自然ではありません)での閣議で、次の選挙を気にする世俗政治家が決めたことですからね。
むろん民主国だって、ヒステリーを起こすことはあります。たとえばマッカーシズムの赤狩りですが、どうもフリー・プラネッツには「商売極右」のカリカチュアはいても、草の根の魔女狩り運動のような、よしあしはともかく個人の金銭的打算のない、一本気な雰囲気はみられません。トリューニヒトは、どうみてもダレスやマッカーシーではない。
もっとも救国軍事委員会には、魔女狩りや赤狩りの色彩がありますが、ヤンやジェシカはおろか、トリューニヒトにとってさえ迷惑な(実質がそうだったとはいえ)幕間狂言あつかいです。戦前の枢軸国民のように、ファシズムに呼応し迎合する大政翼賛的な大衆がいなかったばかりか、反対集会まで行われているのは、フリー・プラネッツの大衆が健全であることを逆に証明しています。

もしも行き詰ったイライラ感にさいなまれてクーデターに迎合し、「売国奴と帝国のやつらは皆殺しだ!」と熱狂する大衆があのとき現れていたら、ヤンはどう対応するのか? ファシズムに熱狂する群集の鎮圧ができるのか?
・・・こういう命題がでてくるので、そういう方向に話がいかないようにしたのでしょうが、それが結果的にフリー・プラネッツの「民主社会としての健全さ」を暗に証明してしまったといえ、どこか不自然な、後味のわるい?筋立てになってしまったと感じています。
言い換えれば、青臭い「自分だけいい子でいようとする、お気楽な反体制不満分子」たる左翼書生のヤンが、本当の意味で「民主主義の守護者として責任をもつ」ことへの、試練を受けなかったことになるからです。

むしろ宗教的熱狂性という意味では、カリスマ君主を戴き、かつ専制王朝の衣鉢を継いだラインハルトの銀河帝国のほうが、はるかにその色彩が濃い。宗教性をおびた専制国家に世俗国家が敗れていく、という印象のほうが、私には強かったです。


> それにとリニューニヒトが政権につくまでさんざん好戦論をぶっておきながら、政権についたとたん講和を口にすれば、軍部にとっても裏切り者、政治献金してきた軍需産業にとっても裏切り者、国民にとっても背教者、そんなに長くは生きられませんね。

トリューニヒトは(失敗する)外征に反対したのに糾弾された形跡もなく、ましてそのおかげで政権を掌握した人物です。そのあとは平和共存に専念してこそ、自然な流れのように思えます。
幕末、攘夷論に反対して刺客におそわれた長州の志士・井上馨も、下関戦争の敗戦処理にあたって台頭し、かつて自分を排除した開戦論者にたいして完全な優位をかちとったことが、政治家としてのスタートでした。
明治の元勲となった後日の井上が、軍需産業に大いにかかわり、私腹を肥やしたことは悪名高いものの、軍需産業のピエロになったという事実はありません。名は忘れたけど、渋谷なんとかという明治日本の近代産業の大立者でさえ、井上には「御前」とよび、あくまでへりくだった態度だったとか。
ましてトリューニヒトのこと。軍需産業を舌先三寸で懐柔するくらい朝飯前、まして憂国騎士団のはねっかえりがテロリストになる程度のことなら、恐れるに足りません。

それにしても。
帝国への外征の大敗で名将勇卒をあまた失い、厭戦気分がひろがり、講和しようという強力な世論が出てくる。政府がそれを無視できなくなる・・・・そういう、とうぜん予想できるはずの民意の動きが、記憶の限りではまったく描写されていないのが、そもそも異様だったのではないかと。
外征開始のときの政策決定においてはあれほど政府閣僚たちに重視されたはずの「世論」が、なぜかその後の同盟政府の変転においては、完全に、かつ「意図的に無視されている」という印象を、私は受けたしだいです。

もともと政界に興味も人脈も無いヤンだって、ほんらい政敵ではありえないことが、トリューニヒトなら理解できたはずなんですがね。クーデターから解放されたかれとの会見にあたって、顔は迷惑そうなくせに、あっけなく握手演出にヤンが応じた時点で。あれで分からなければ、ほんらい政治家としては平凡以下なんですが・・・・


> 報道されなくなったアフガニスタンも未だ戦争は続いている。タリバンもアルカイダもいなくなったわけじゃない。イラク戦争は確実に世界経済にダメージを与え、世界同時大恐慌という70年前の悪夢が再来しかねない。アメリカの政策ではテロはなくならない。

ここからは話題がずれますが、軍事的観点からみれば、銀河帝国と反米テロリストやイラクは格が違いすぎて、比較の対象にするのは難しいのではないかと。
むろん、アメリカの政策でテロが根絶できないというご指摘はある意味、確かなことです。とはいえ武力を背景にしない解決法が、テロリストや「冷戦負け組みの残党」たる独裁国家にたいし無効であるのも確かですし、細かな実務レベルでのミスの指摘はさしおくとして、別枠で議論を楽しみたいところです。


> そもそもアメリカの対外債務は2.5兆ドルを超え、3年以内に3.5兆ドル、10年以内に5兆ドルを超える。このままゆけばアメリカは破産する。なのに戦争を止めない。巧妙な戦略に見えてじつは破滅への道を歩んでいる。

正直、このあたりは、ほぼ全面的に同意します(^^)。
アメリカが今後、どう回生するのか、それとも混迷の度合いを深めているのか?・・・・ こういうシミュレーションにおいては、ぜひお知恵を拝借いたしたく思います。


No. 3425
Re:民主国家と専制国家
SAI 2003/01/11 15:23
>自由・平等・博愛といった普遍的理想

実はこれこそが宗教の布教の理屈なんです。自分達だけの理想ではなく
全員がこれを信ずるべきだ、なぜならばこれは進んだ正しい教えだから
だ、こういえば解りやすいと思います。

なお、自由と平等は同時に実現することは不可能です。片方を追求すれば片方が失われる関係にありますので。それを両方実現しようというのは教義でしかないと思います。

なお、かのアメリカも結局は宗教国家です。各国の国情、価値観、生き方を無視して自由民主政治こそ理想だ、そうなるべきだ、それ以外は劣った間違った政体だ、正しい政体にしようというのでは宗教の布教と変わりません。

また、大統領就任の時には聖書に手を置いて宣誓します。それを拒否したら国民は認めないでしょう。
そのまえにキリスト教徒以外は大統領候補には選出されないと思います

さらにいえば,民主国家は理想的には国民の全員があるひとつの価値観
(信仰と言い換えてもいい)を抱いている必要がある。そうでないと
民主政治に必要なコンセサンスが得られないからです。
現実的には許容範囲はある、ただしその範囲を超えたら絶対に許容しない。そしてその幅は同じ国でも時代によって広がったり狭まったりします。

さて自由惑星同盟ですが、厭戦気分がひろがり、講和しようという強力な世論が出てこなかったのは二つ理由を考えられますね。ひとつは本当に出てこなかった、その場合は前に言った通り信仰しか原因は考えられない、もうひとつは本当は出てきたけど、記録しなかった。なぜなら、同盟政府は実はクーデター以後、民意を無視して行動するようになり、ラインハルトに打倒されるより先に民主政治は死んでいた。
反戦運動は情け容赦なく弾圧されていた。ヤンもそれを、少なくとも黙認した。
そんなヤンにとって都合の悪いことはすべてなかったことにした。

まあ、この時点で同盟政府が講和を言い出しても、帝国が受けるかどうか、(講和は優勢な方が言い出すものです)受けたとしても条件は過酷なものになり(イゼルローンの即時返還は必ず言います、その他に賠償金、領土の割譲もくっつく)、同盟がのめるかどうかというのもありますが。


>自由惑星同盟の社会描写においては、中産階級の快適で自由な市民生活を連想するものが多かったと感じています

首都ハイネセンの、それも一部だけしか書かなかったかもしれませんね、それは。無から有は作れない以上、戦争を続ける限り何をどうやっても全体の生活水準は下がってゆくからです。民主政治だろうが、封建政治だろうがそれは変わりません。

巨大戦争という浪費を続ける限りにおいて、なにをどうやっても生活は苦しくなります。どうしてそうなるかは以下に示します。

一年間の総生産を100としましょう。総収入も通常はやっぱり100です。ここで軍需に40とられたとします。100の収入で買えるものは60しかありません。この場合は以下の3つになります

1、何もしない場合
以前は60で買えたものが今度は100出さねば買えなくなります。
実質賃金は60に減りました。

2、増税の場合。
40を税金で取り立てれば、物価は上昇しません。使用可能な金は
60に減ります。

3価格統制をした場合
あっという間にものが売りきれ、お金は60しか使えません。40はただの紙切れです。

さらに言えば、戦争により資金供給が逼迫するため金利は上昇し、
投資が滞ります。生産設備の維持更新が困難になるので、生産性
が下がって行きます。手に入るものは年々少なく粗悪品になって行きます。

余談ですが、かのルビンスキ−も宗教的人間の一人です。なぜならば
戦争が続く限り、同盟も帝国も貧しくなってゆき、フェザーンの経済的利益はどんどん減少してゆき、フェザーンは破滅する。経済的合理性を考えるならば、ルビンスキーこそ、もっとも強力に和平を推進せねばならないんですが、むしろ戦争をあおっている。狂っているのでなければ経済以外の違う信念を抱いているように思えます。


No. 3428
Re:民主国家と専制国家
観察中・・・ 2003/01/12 15:23
> なお、自由と平等は同時に実現することは不可能です。片方を追求すれば片方が失われる関係にありますので。それを両方実現しようというのは教義でしかないと思います。

うーん。

素朴な疑問なんですが、それは、あちらの思想にしばしば現れる、
「完全なものは神だけ。即ち、人間が産んだ自由・平等・博愛などの思想も、人間によって完全に達成される事はない」
と云う要件が欠落してないですか?

完全な自由・平等・博愛が原理的に達成不可能だからこそ、矛盾するそれらの
最大公約数を追求する事に意味がある。
なぜなら、それらは、代わりをするものが現れるまで、人間が掴もうとするには
十分な「高邁な理念」と云う奴であるから、と言うのではいけないのでしょうかね。


> なお、かのアメリカも結局は宗教国家です。各国の国情、価値観、生き方を無視して自由民主政治こそ理想だ、そうなるべきだ、それ以外は劣った間違った政体だ、正しい政体にしようというのでは宗教の布教と変わりません。

アメリカがそんなに理想主義的だとは思えないんですが。

要するに資源争奪に有利なところは眼中にあっても、自国の権益に大した影響がない限り、
(資源のないところ、金融に関係のないところは)基本的にほったらかしでしょう。
理想主義的でないから、美味しいところは襲って肉を喰らい、骨だけになったら
目もくれないんじゃないですかね。
・・そう云った「集団のエゴ」を薄皮一枚で覆っているのが、先に挙げた理念で・・
どろどろと渦巻く生存への欲求、豊かさへの盲目の欲求をかろうじて押さえつける
それには、一定の意味があるのではないか。
彼らが声高にそれ(理念)を叫ばなければならないのは、そうしなければ自分自身の暴力か、
外側からの暴力により食い尽くされてしまうと知っているからじゃないのでしょうか?


> さらにいえば,民主国家は理想的には国民の全員があるひとつの価値観(信仰と言い換えてもいい)を抱いている必要がある。そうでないと民主政治に必要なコンセサンスが得られないからです。
> 現実的には許容範囲はある、ただしその範囲を超えたら絶対に許容しない。そしてその幅は同じ国でも時代によって広がったり狭まったりします。

国家を擬人化して捉えすぎでは?

政策決定をやっている人々、犯罪者を裁いている人々の裁量の揺れは、確かに
時代により幅がある。
それはアメリカの赤狩りの歴史を見ても明らかですが・・・・
「許容範囲」とか「絶対許容しない」とは、何に対するどのようなリアクションを見て判断しておられるので?
というか、「ある一つの価値観」というのも、説明されていないので何のことかさっぱりわからないんですが・・

方程式の「X」がなんだか分からないままに、式だけがごろんと転がされているような感じで、
(つまり解が何も出てこない)
具体例に当て嵌めて教えていただけると、すっきりと理解が行ってありがたいと思うのですが。


No. 3429
Re:民主国家と専制国家
SAI 2003/01/12 18:47
> 素朴な疑問なんですが、それは、あちらの思想にしばしば現れる、
> 「完全なものは神だけ。即ち、人間が産んだ自由・平等・博愛などの思想も、人間によって完全に達成される事はない」
> と云う要件が欠落してないですか?

その思想は知りませんでした。教えてくれてありがとうございます。


> 完全な自由・平等・博愛が原理的に達成不可能だからこそ、矛盾するそれらの
> 最大公約数を追求する事に意味がある。
> なぜなら、それらは、代わりをするものが現れるまで、人間が掴もうとするには
> 十分な「高邁な理念」と云う奴であるから、と言うのではいけないのでしょうかね。

可能なことをやるというなら別にいいんです。適当に自由、適当に平等
というなら。ただ、不可能なことを実現しようとするとさまざま弊害が出ます。完全な自由を実現しようとしても、完全な平等を実現しようとしても。

私は実現不可能な高邁な理念ではなく、実現可能な理念のほうが大切だと思ってます。


> アメリカがそんなに理想主義的だとは思えないんですが。

もちろん、本音がそうだとはおもってませんが、戦争する際の大義名分にはつかってます。
かの十字軍とて本当の理由は経済問題でしたが、聖地奪還を持ち出し
ました。さらにいえばアメリカ軍の兵士は信じてる。まさか、
資源が欲しいから戦争やるんだ、エリートが美味しいところ
食べるためにおまえらは死ぬんだ、といわれても命令は聞かないでしょう。何らかの理想のためにといわねばならない。
アフガンでもソマリアでも、現地の人間の意思無視して民主主義押し付けようとしてますし。


> 要するに資源争奪に有利なところは眼中にあっても、自国の権益に大した影響がない限り、
> (資源のないところ、金融に関係のないところは)基本的にほったらかしでしょう。
> 理想主義的でないから、美味しいところは襲って肉を喰らい、骨だけになったら
> 目もくれないんじゃないですかね。
> ・・そう云った「集団のエゴ」を薄皮一枚で覆っているのが、先に挙げた理念で・・
> どろどろと渦巻く生存への欲求、豊かさへの盲目の欲求をかろうじて押さえつける
> それには、一定の意味があるのではないか。
> 彼らが声高にそれ(理念)を叫ばなければならないのは、そうしなければ自分自身の暴力か、
> 外側からの暴力により食い尽くされてしまうと知っているからじゃないのでしょうか?

意味が無いとはいってません。それが無くなったら、アメリカはばらばらになってしまうでしょう。宗教は阿片だといった人間いますけど
それならば人間は阿片なしでは生きられない生き物なのでしょうから。

ただあの国はアメリカ自身の定義に従えば世界最大のテロ国家であり、
やってることは宗教原理国家と変わらないとは思います。


> 国家を擬人化して捉えすぎでは?
>
> 政策決定をやっている人々、犯罪者を裁いている人々の裁量の揺れは、確かに
> 時代により幅がある。
> それはアメリカの赤狩りの歴史を見ても明らかですが・・・・
> 「許容範囲」とか「絶対許容しない」とは、何に対するどのようなリアクションを見て判断しておられるので?
> というか、「ある一つの価値観」というのも、説明されていないので何のことかさっぱりわからないんですが・・
>
> 方程式の「X」がなんだか分からないままに、式だけがごろんと転がされているような感じで、
> (つまり解が何も出てこない)
> 具体例に当て嵌めて教えていただけると、すっきりと理解が行ってありがたいと思うのですが。

そうですね。許容範囲が極端に狭まった例とあげれば、フランス革命があげられます。意見、信条がちょっと違う、それだけで反革命罪でギロチンにかける理由になった。

もう一例あげればパリ・コミューンの際、民主主義の敵とみなされた聖職者や軍人、役人等が虐殺された。

あるひとつの価値観というのは以下のフィクションを正しいと信じることです

民主主義こそ、もっとも現実的な社会の運営方法である
関係者の全員が、対等な資格で、意思決定に加わる
民衆は正しい。民衆の意見利益が政治に反映すればするほど良い。
投票結果は民衆の意思である

これを信じなくなれば民主主義は死にます。


No. 6375
うがった見方かもしれませんが
イッチー 2005/03/24 04:08
 以前、こちらによく書き込ませていただいたイッチーと申します。
 田中芳樹氏の作品を私は全部読んでいるわけではなく、特にこちらで問題になっている「創竜伝」は1巻も読んでいないのですが、みなさまの書き込みを拝見すると、田中氏は左翼的な思考の持ち主のようです。
 そのことを念頭に置きながら、「銀河英雄伝説」の世界観について考えたとき、ふと次のような考え方が浮かびました。

 一般的に、帝国=専制国家=ソ連、同盟=民主主義国家=アメリカというイメージで捉えられています。こちらのサイトでは同盟=共産主義国家という捉えられ方をするご意見もありましたが、それでも帝国=専制君主国家で、専制君主国家と共産主義国の不毛な戦いが銀河英雄伝説の世界と捉えられていたと思います。
 しかし、私は帝国=アメリカ、同盟=ソ連ではないかと思うのです。左翼的な考えの持ち主と言われる(それもこちらの書き込みを拝見すると、大変偏った左翼)田中氏にとって、社会主義=民主主義ではなかったのかと思われるのです。また、帝国と同盟の国力比も銀河英雄伝説が最初に発表された1980年代のアメリカとソ連の国力比のイメージと重なるような気がします。さらに、同盟の国家元首が最高評議会議長と呼ばれたり、社会主義国的な役職名とかが多いと言うのは既に何度もこちらで指摘されていると思います。
 ですから、同盟の退廃はアメリカ民主主義に対する警鐘ではなく、当時の社会主義国に対する警鐘だったのではないでしょうか?すなわち、長征1万光年を敢行した建国者(レーニン、毛沢東など)の理想を忘れている為政者(ソ連ではブレジネフ、中国では搶ャ平か?)、無謀な対外侵略(アフガニスタン侵攻)などを批判し、社会主義の理想を取り戻せと言いたかったのではないでしょうか。(現在ではレーニン、毛沢東の理想と言ったところで笑止ですが)そう考えると、田中氏はソ連の崩壊を予知していたことになり、ある意味慧眼です。(ヨブ・トリューニヒトはゴルバチョフか?)
 アメリカが帝国というのは奇異に思われるかもしれませんが、社会主義者にとって、アメリカは帝国主義国家であり、まやかしの民主主義国家でしかありません。宇宙全域の支配を企む銀河帝国は世界支配を企むアメリカ帝国主義(笑)を意味し、社会問題を噴出させて、ルドルフの支配下に落ちた銀河連邦がベトナム戦争後の社会問題を解決できずに、新保守主義の台頭を許したアメリカ社会を意味し、レーガン登場後のアメリカを念頭に銀河帝国を田中氏はイメージしたのではないでしょうか。(そうすると、レーガンがルドルフ大帝か?)劣悪遺伝子排除法は、有色人種を差別し、社会保障制度が不備なアメリカ社会に対する痛烈な風刺のように思えます。
 帝国・同盟の狭間で巧みに経済的繁栄を謳歌するフェザーンは言うまでもなく日本です。フェザーンは銀河帝国の自治領ですが、このような設定に「日本はしょせん、アメリカ帝国の自治領に過ぎない」という田中氏の皮肉が見て取れます。フェザーンを裏で操る地球教は、田中氏が目の敵にする国家主義者たちで、地球教の教義が時代遅れであるように、日本の国家主義者(国粋主義者)の存在も時代遅れで、敗戦直後のようにアメリカの進歩派あたりが日本の国家主義者たちを成敗してくれないかという願望が、銀河帝国による地球教本部征伐の描写に現れたのではないかと思います。
 田中氏の思想に関しては、彼が大好きな中国史に関する知識などを勘案しないといけない点もありますが、二極の対立という銀河英雄伝説の世界観自体が作品発表当時の冷戦体制的な発想だと思うので、上記のような考え方をしてみました。


No. 6427
Re:うがった見方かもしれませんが
パンツァー 2005/04/23 22:10
大分遅れたレスになりますが。。

私はこのサイトで初めて知りましたが、田中芳樹氏は、中国礼賛者なんですよね。

このサイトのログ中にあった内容だったと思いますが、下の図式の方がしっくりきますね。
同盟=アメリカ
帝国(ゴールデンバウム王朝)=ソ連
帝国(ラインハルト王朝)=中国

現実でも、<銀河英雄伝説が最初に発表された1980年代>どころか、文化大革命の以前から、中ソ対立は激しいものがありましたし。

民主主義を帝政が打倒してしまう、
などという平均的日本人の感覚からは逆の発想、を堂々と主張する作者のやり方は、私には非常に斬新に映りましたね。民主政治に対する風刺としては、まったく見事だと思ったのです。

それが、それが、単に中国礼賛に源泉があるだけ、とは。

大好きな中国が、まず、同じ社会主義国であるソ連を打倒!
次いで、敵対する自由主義国であるアメリカを打倒!
おお、我が愛する中国が、ソ連もアメリカもぶっ潰して、世界の唯一の覇者となるのだ!!っと。

上の図式の方が、田中芳樹氏から伺える心情からしても、大変理解しやすいのです。


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