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反銀英伝・思想批判編
3−C

民主主義と専制政治(3)


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No. 1566
RE.1554&1563
投稿者:本ページ管理人 1999/7/17 03:33:29
> 民主主義と民主主義における制度を取り違えているのではないかと思います。

> 民主主義という理念が専制の母体となるのではなく、民主主義の理念を実現する為のシステム(選挙・多数決など)が、運用を間違えば専制を生み出すという話ですね。
> 結局のところどのようなシステムも、実現しようとしている理念を忘れてしまっては役に立たないということでしょうか。

 私もあのHP(http://www.linkclub.or.jp/~suno/LGH_monologue.html)を見ましたが、この理論に関しては断固反対します。この論法が有効なら、共産主義だって専制政治だってなんだって理念の崩壊ではなく制度の崩壊でしょう。

 そうやって考えると『村井実「人間の権利」(講談社・1996年)民主主義とは,もともと人々のすべての訴えを,それがどんなに少数のものであっても平等に取り上げようという,道徳的な目的から生まれたものである。代議制とか,多数決とかは,民主主義を実現しようとする制度に過ぎないのであって,その制度がうまくゆかず,民主主義を廃止しようということになったとすると,それは自ずから,すべての訴えを真剣に取り上げるのはやめようということであり,それは前述のような民主主義本来の道徳的な目的と対立するものである。そしてこの対立の解決は,我々自身の道徳的決定の問題である,と(同書241〜242頁)。これを銀英伝にフィードバックさせると,こういうことになるであろう。民主主義とは,少数者を最大限尊重しようとする思想である。しかるにその民主主義が,少数者を絶対に認めない専制政治を選択することは,まったくの背理であり,認められない。ところで,現実には選挙などの結果,民衆の大多数の支持を受けた独裁者が出現する事があり得る。しかし,これは選挙とか,多数決とかという制度がもたらした結果であって,民主主義そのものによる結果ではない。ルドルフを選んだ民衆は,民主主義の本来もつ道徳的な目的・思想を忘れ,うかうかと制度に乗ってしまったのである。これをあたかも民主主義が独裁者を生んだとか,最悪の民主政は専制政治の母であるとかというのは,民主主義の本質を忘れた誤りである』というのはとんでもない詭弁だと思うのですよ。大体『民主主義とは,もともと人々のすべての訴えを,それがどんなに少数のものであっても平等に取り上げようという,道徳的な目的から生まれたものである』という前提から根拠が無くウソっちいですが、もし仮にそうだとして、その場合には理論的により道徳的ということになる共産主義はどうなんでしょう。
 失礼ですが、ソ連崩壊後にこの本が書かれているというのは、ちょっと凄いです。


> アーレ・ハイネセンが掲げた「自由・自主・自尊・自律」の精神は、おそらくヤンの心の中に深く刻み込まれていたのではないでしょうか。
> 敢えてどのような理想があったか忖度すれば、「民主主義の理念を守り、実現できる制度、そしてその理念を理解した民衆により制度が維持・運用される社会」ということでしょうか。

 ヤンの民主制の理念が「自由・自主・自尊・自律」の精神であり、理想が「民主主義の理念を守り、実現できる制度、そしてその理念を理解した民衆により制度が維持・運用される社会」であるのならば、やはりヤンの理念理想の中には崩壊の種が埋伏していると考えます。なぜなら「自由・自主・自尊・自律」出来る人間も出来ない人間もまとめて一つの集団と見たのが民衆であり、「自由・自主・自尊・自律」出来る人間だけを選りだして政治を行ったら一種の哲人政治になるからです。民衆を制度の基盤とした民主制は、かならず『制度が理念を貶め』る可能性を持っていると思います。
 民衆みんなが「自由・自主・自尊・自律」出来るというのは、おそらく人間には無理な理想であり、その意味では共産主義と同質の崩壊原因を持っていると言えそうです。

 では、どうして同盟の社会が(末期はともかく)硬化してソ連のようにならなかったといえば、私の仮説では、民衆が「自由・自主・自尊・自律」なんて大して重要視していなかったからじゃないかと思うのですよ。「まあ、これらの理想は大切だけど、目を血走らせて追求する必要はないや。俺は程々でいいや」と民衆の大部分が思っていれば、社会は柔軟にまとまるのではないでしょうか。


 ちょっとネガティブな感じかな。ただ、先程のHPの引用文みたいに、現状でのヤン擁護論はちょっと無理があるような気がするもので。本当はラインハルトの可能性を擁護できると面白いんですけど、ちょっとまだ難しいですね。


No. 1567
ラインハルトの夢
投稿者:satoko 1999/7/17 07:53:47
>1566
確かに管理人さんがおっしゃるとおりだと思います。ただ、民主主義の意義がどうしても理想論に行き着いてしまうのと、ラインハルトの専制を積極的に肯定する事ができないのは銀英伝に

「少年の夢から抜けきれなかったラインハルトと大人の理想を捨て切れなかったヤン」

という印象を強く持っているからです。ヤンの場合大人の理想(つまり民主主義の理想)を捨て切れる事がなかった事が逆に彼自身の評価を上げる事になってると思うんですが、ラインハルトは前回も書いたのですが、専制政治にそれほどこだわっていなかったのではないかと。あくまで彼は自分が欲するままに宇宙がほしかっただけで、自分が手に入れたものをよりよく運営する事はその次だったのだろうと思うのです。ラインハルトは為政者であるとうより覇者として評価されるべきなのではないかと思います。

実際にラインハルトが帝位に就く事で、ゴールデンバウム王朝より良い政治が行われたのは確かですが、かといってその当時の混乱していた同盟とのみ比較して民主政治を専制政治で否定する事はできないと思うんです。もしその当時もっとまともな政治家達が同盟を運営していたら?市民がもっと政治に興味を持っていたら?(まあ、それも裏を返せば惰弱につながるんでしょうけど)

結局何だかんだいって、ラインハルト自身がそれほどこだわってなかったんじゃないか。単に自分の思い通りに事が運びやすい専制(というよりラインハルトが専制という政治体制そのものに疑問なり何なり持ったりしたこと自体ないんじゃないでしょうか)でいいや、と思ったんだろうと感じられる所にラインハルトの専制政治を軽く見てしまう原因があるのかなと思います。

できたら、管理人さん自身が難しいのはわかるのですが専制政治のどこらへんを評価しているのかという事を示していただければもう少し深く議論できるのではないかなと思います。

(もしかして示してくれたんでしたってけ?いちいち間が開き過ぎて確認しにくくて。してくれてたらすいません。)


No. 1568
あとちょっと付け足し
投稿者:satoko 1999/7/17 08:12:28
後、ちょっと付け足しなんですが

>この論法で行くと共産政治も専制政治も・・・

とあるんですが、共産主義はともかく、専制政治はこの論法をもって理念ではなくシステムの運用で崩れたとは言いにくいんではないでしょうか?

>Merkatzさんへ
至らぬ書き込みでそう言っていただけて・・・、赤面の至りです。(^^;Merkatzさんの意見いつも感心しながら読んでいますのでこれからもご指導(?)お願いします。m(−−)m


No. 1573
未来に無欲な権力者、の二面性
投稿者:新Q太郎 1999/7/18 00:44:34
*******************
ラインハルトは専制政治そのものに対するこだわりってあんまりなかったんではないでしょうか?単に自分が運用するのに専制ならば都合(?)がよいから今はそれでいい。専制以上に民主政治がうまく運用するものであるならばそれに変わっていくのもいいだろうと考えていたのではないでしょうか?
*******************

どんな名君も指導者も、自分の息子可愛さで晩節を汚すということはままあることで(徳川吉宗にしろ中内功にせよ・・・)、そういうことの無かったラインハルトという人物(の最期)の造型は見事というべきでしょう。

ただ、今書いていてふと気付いた論点ですが(実は、まるで違うことを書こうと思っていたのだ(笑))もう、英雄、庶民合わせてすべての人に関係する問題です。

それは「未来(死後)に対して責任と欲求を感じる」ということであります。

我々すべては死んだ後、に対してよくも悪くも何も関係ありません。
「私」が何も死後や未来に対し執着がないなら、全財産を蕩尽し借金まみれになり、例えば子供同士が遺産を争う気配が見えても、「勝手に争え、それもまたよし」といって放っておいてしまうでしょう。
しかし、やはり世間体や子供の未来を考えるがゆえに私は墓を作り兄弟仲良くと言い残し、あれこれ未来を考えることになるでしょう。

ましてや為政者においておや。
ラインハルトが未来に対し「どうなってもかまわない」と思うとき、そこには醜い権力継承の陰謀や粛清、恐怖政治(ルドルフのような)がないかわり、安定した社会への道筋もないのではないか?
という恐れも出てくるのではないだろうか。

極端な例を言うと、臨終の枕元でラインハルトに予言者が
「あなたの死後、銀河皇帝は立憲君主として議会の元で存在するだけでしょう」
といわれても、
「ミッターマイヤーの養子が、貴方の血統から簒奪して皇帝になります」
といわれても
「自由惑星同盟が復活、王朝を滅ぼします」
といっても
「それもまたよし。」と平然としているでしょう。それは確かに美徳、というかひとつの美学である。
しかし
「あなたの死後、権力基盤が未完成のため再び3千年内乱が続き、何千億もの人の知が流れるでしょう。」
といわれても
「それもまた良し。」
といいそうな気がするんですよね(推定)。

つまり、ラインハルトはそも皇帝になるには(とくに未来に対して)「無欲過ぎる」んですよ。だから民主主義だろうと専制政治だろうと構わない、というのはその通りだろうけど、逆にモチベーションがない以上、「その後」に対するビジョンがないに等しいんですね。

徳川体制、は家康が子々孫々まで徳川一門が権力を握ることを考えに考え続けた(だからこそ逆に臨終の時「出来るならいつでも天下を奪ってみよ」ろ言い放てた)からであり、アメリカ大統領・議会制(現在、最長の政治体制!)はピルグリムファーザーが「この国を永遠にシーザーに渡さない」と誓ったがゆえだった。

そういう点で「死後には私は執着しない、どうなってもいいよ」という潔さは権力者がやると少し困る、ところがあるのでは?子供だろうと死後の評価だろうと自己の作り上げたシステムだろうと「未来に○○を残したい!」と思わないと究極的にはどうでもよくなる可能性が有る。

--------------------
(もちろんラインハルトの場合は残された皇后と部下が極めて優秀だから、何も考えなくてもよかったということはあるのだが。仮に彼らがいなかった場合、を考えると・・・)


No. 1575
銀英伝ネタ面白いですね。
投稿者:俺様ランチ 1999/7/18 01:08:07
 最近の銀英伝の「ヤンの民主主義への考え方」に始まった議論、読んでてすごく面白いです。少しだけ「流れがファンサイト的じゃないか」と思わないでもないですが、創竜伝ネタのように「まず批判ありき」な雰囲気じゃないところが俺にもすんなり入っていけるんですよ。

 で、長い事言うんじゃないですが、新Q太郎さんの「ラインハルトは未来に無関心すぎる」ってのがすごく納得できたので、それだけ言いたかったのです(その前のSATOKOさんの「ラインハルトは専制に執着してなかった」という部分から、この発言は出てくる気はしていたのですが)。

 なるほど。銀英伝を初めて読んだ時は素直に「世襲にこだわらないラインハルトはすごい」と思ってましたが、後世に残すべきシステムを作り上げるべき「初代」統治者としては実は失格だったのかもしれませんね。
 「体制を安定化させる」という一点に限れば、ルドルフの方がラインハルトよりも偉かったということになるでしょうか。

 もっとも、田中芳樹は後漢の光武帝を「功臣を粛正しなかった」という理由で誉めてましたので、「古今東西の英雄の良いところばっかし集めて作ったインハルト」を漢の高祖のような、粛正によって体制を安定化させた君主には描きたくなかったと思います。
 で、その後漢も確か「粛正されなかった功臣の子孫」が力を持った為に外戚やらなんやらで皇室の権力が弱くて安定しなかったんですよね。
 その辺は田中芳樹にとっては常識だったでしょうから、実はローエングラム朝の未来は案外、後漢のような皇帝の権力の弱い王朝として考えていたかもしれません。


No. 1586
暴走気味ですがご容赦のほどを
投稿者:Merkatz 1999/7/18 19:03:51
>この理論に関しては断固反対します。この論法が有効なら、共産主義だって専制政治だってなんだって理念の崩壊ではなく
>制度の崩壊でしょう。

本当は共産主義と社会主義は別個のものであるし、そこに理念があるかどうかは異論があるのですが、とりあえず銀英伝と共産主義は関係ないんで置いておくとして、専制の理念ってなんでしょうか?
それが「効率的に民主的な成果を実現する」なんてものではないことくらいは今さら言うまでもないでしょう。では一体何を目指すものなのか。
はっきりいって専制にそんなものありません。理念なんぞ一欠片もありません。管理人さんはあらゆる政治体制は実現すべき理念があるとでも考えていらっゃるのでしょうか。
たとえば絶対王制は?封建制は?天皇制は?
すべて理念なんてありませんよ。
近代国民国家が産まれてから、政治体制には実現すべき理念があるということになったわけで、それ以前は単にシステムそのものの区別でしかありませんよ。
だから名君や暴君が産まれるわけです。理念がないから、為政者の個人的資質によって方向性が全面的に決まってしまうんですよ(もちろん国家の維持という目的はあるでしょうが、それはとりたてて理念というべきものではありません。どんな体制でも維持しようとするのは当たり前のことなんですから)。
民主主義とはその反省から産まれたものではないのですか?
私は理念なき制度と理念ある制度を同列にした上で批判をする管理人さんの姿勢に断固反対します。

>ヤンの民主制の理念が「自由・自主・自尊・自律」の精神であり、理想が「民主主義の理念を守り、実現できる制度、
>そしてその理念を理解した民衆により制度が維持・運用される社会」であるのならば、やはりヤンの理念理想の中には崩壊の種が
>埋伏していると考えます。なぜなら「自由・自主・自尊・自律」出来る人間も出来ない人間もまとめて一つの集団と見たのが
>民衆であり、「自由・自主・自尊・自律」出来る人間だけを選りだして政治を行ったら一種の哲人政治になるからです。民衆を
>制度の基盤とした民主制は、かならず『制度が理念を貶め』る可能性を持っていると思います。
>民衆みんなが「自由・自主・自尊・自律」出来るというのは、おそらく人間には無理な理想であり、その意味では共産主義と同質の
>崩壊原因を持っていると言えそうです。

これも暴論ですよ。全員が哲人にならねばならないなんて、民主主義ってそんな単純なものでしたか?
これは努力目標でしょう。こういう方向に志向していないと民主主義は維持できませんよというものでしょう。全員がそうなる必要はないけれど、そうなる努力そのものが、民衆の意識を高めて民主制の維持を可能とするということでしょう。
全員をある状態に強制する「共産主義」とそうではない「民主主義」を並べて「同質の崩壊原因を持っている」というのはあまりに乱暴です。無論、理想論的に言えば、全員哲人だと絶対腐敗しない民主主義になるのでしょうが、私は民主主義にはそのような想定はなされていないと考えています。
あくまで人間が堕落しやすいことを考慮した上で、努力せよといっているものと思います。そこが矛盾だとおっしゃるならその通りですとしか言い様がありません。
何故ならこの世に完璧な制度など存在しないのであり、民主主義とは過去のいくつもの政体に比べて「よりベター」であるに過ぎないからです。
したがって現状においては矛盾を孕んでいることを理解しつつも、これを維持するため努力せざるを得ないのではないですか?

>では、どうして同盟の社会が(末期はともかく)硬化してソ連のようにならなかったといえば、私の仮説では、
>民衆が「自由・自主・自尊・自律」なんて大して重要視していなかったからじゃないかと思うのですよ。
>「まあ、これらの理想は大切だけど、目を血走らせて追求する必要はないや。俺は程々でいいや」と民衆の大部分が思っていれば、
>社会は柔軟にまとまるのではないでしょうか。

全然逆ですよ。「程々でいいや」と妥協したからトリューニヒトのような輩に判断を預けて、自ら考えることを放棄してしまった。自律は面倒だから、他人にやってもらおうという怠惰な心が、同盟を崩壊に追い込んだのでしょう。
管理人さんの論が正しいのなら、日本はこの世でもっとも民主主義の発達した国になりますよ。
同盟建国当時の国民の意識と、末期のそれが違うことは明白なことでしょう。建国当初から「程々でいいや」と一貫して思ってきたのなら、どうして同じ国民意識で、末期の同盟が民主制の維持が困難になるんですか?
とにかくこれも無茶苦茶です。

銀英伝のなかでも民主主義とは極めて脆弱で脆いものだといわれています。にもかかわらず、ヤンがどうしてこれにこだわったのか。何故ラインハルトを肯定しながら、これと戦わねばならなかったのか。
管理人さんはこの辺りをもう一度考え直してみてはどうですか。

・ラインハルトのこだわり

「私は真理など必要としなかった。自分の望むところのものを自由にする力だけが必要だった。逆にいえば、きらいな奴の命令をきかずにすむだけの力がな。」(5巻239ページ)
ヤンとの会見のなかでこのように述べています。
未来に対して無関心であったとしても不思議じゃありませんね。またこのような考えに基く行動には専制はやはり適していたのでしょうが、もし専制よりもっと最適な方法があればこだわらないのでしょうね。

>satokoさんへ
いえいえ、とんでもない。私もまだまだ自分の未熟さを感じずには居れません。ところで余計な事かもしれませんが、
m(−−)m ←これ、キーを打ち間違ってません?目の部分は「−」マイナスじゃなくて「_」(これなんて言うんだっけ?)じゃないでしょうか。
キーボードの「ろ」の部分に傍線の記号がありますね。それです。半角英数でシフトキー押しながら押すと出てきますよ。
いや、なんかあれは塀の上から覗いているみたいで、おもしろいなーなんて思っていたんですけど、ひょっとして気付いてないのかなあと余計な事考えちゃって。
ほんと余計なことでした。すいません。


No. 1606
No.1586
投稿者:本ページ管理人 1999/7/26 13:20:32
 しばらくネット環境にいなかったもので、遅れましたがレスを。

>はっきりいって専制にそんなものありません。理念なんぞ一欠片もありません。管理人さんはあらゆる政治体制は実現すべき理念があるとでも考えていらっゃるのでしょうか。
>たとえば絶対王制は?封建制は?天皇制は?
>すべて理念なんてありませんよ。
>だから名君や暴君が産まれるわけです。理念がないから、為政者の個人的資質によって方向性が全面的に決まってしまうんですよ(もちろん国家の維持という目的はあるでしょうが、それはとりたてて理念というべきものではありません。どんな体制でも維持しようとするのは当たり前のことなんですから)。

 あまり政治談義に行き過ぎると脱線するおそれがあるので程々にしておきますが、私にはこのあたりに民主主義の傲慢を感じます。民主以外の政体にも理念はあります。たとえばということで、とりあえず人治政治と徳治政治の違いなどを挙げておきます。
 少々脱線を承知で言えば、そもそも理念があれさえすればいいというものではないと思います。理念ある制度が良いと言うことになれば、ルドルフの理念に基づいた銀河帝国だっていいでしょう(最終的に帝国はルドルフの理念からも腐敗しましたが)。そうではないですよね。問われているのは、その理念なのです。


>これも暴論ですよ。全員が哲人にならねばならないなんて、民主主義ってそんな単純なものでしたか?
>これは努力目標でしょう。こういう方向に志向していないと民主主義は維持できませんよというものでしょう。全員がそうなる必要はないけれど、そうなる努力そのものが、民衆の意識を高めて民主制の維持を可能とするということでしょう。

>全然逆ですよ。「程々でいいや」と妥協したからトリューニヒトのような輩に判断を預けて、自ら考えることを放棄してしまった。自律は面倒だから、他人にやってもらおうという怠惰な心が、同盟を崩壊に追い込んだのでしょう。
>管理人さんの論が正しいのなら、日本はこの世でもっとも民主主義の発達した国になりますよ。

 矛盾ではないでしょうか。『これは努力目標でしょう。こういう方向に志向していないと民主主義は維持できませんよ』というのなら必然的に『程々』にならざるを得ないでしょう。絶対実現不可能な理念を提示された場合、大多数の人間はその理念に興味を失うものです。例えるなら地区大会レベルの平均的な高校野球チームに「甲子園優勝」という目標を与えた場合と同じようなものです。
 『どうして同盟の社会が(末期はともかく)硬化してソ連のようにならなかった』という私の言葉は舌足らずでしたね。『国家危機によって一種ファシズム体制になった末期と、国民全体が民主主義者であった初期はともかく』というべきでしょうか。
 そもそも、民主であれ専制であれ宗教であれ、そもそも理念というものは絶対実現不可能的な側面も持っているものです。それはいい。ですが、人に提示されて従う理念と、自らの選択によって選び取った理念では、たとえ実現不可能であっても、その重みがまるで違います。ですから、私は自らの選択によって民主主義を選び取ったヤンには共感しますが、たまたま同盟に生まれただけで努力目標として実現不可能な理念を提示されている同盟市民のAさんはもう程々でいいと思うでしょう。そして、ヤンとAさん(ほか多数。多分同盟市民の過半数以上)が政治の場で同じ一票をもっていてそれによって国家の主権が決められているのですから、『制度が理念を貶め』るのは必然ではないですか。

 ちなみに、私は現代日本を基準にして民主主義を評価していますので、『管理人さんの論が正しいのなら、日本はこの世でもっとも民主主義の発達した国になりますよ』について、「もっとも」であるかどうかについては議論の余地がありますが、人類史上に於いて「もっとも」に限りなく近く民主主義が発展している国だと思います。


>銀英伝のなかでも民主主義とは極めて脆弱で脆いものだといわれています。にもかかわらず、ヤンがどうしてこれにこだわったのか。何故ラインハルトを肯定しながら、これと戦わねばならなかったのか。
>管理人さんはこの辺りをもう一度考え直してみてはどうですか。

 ううむ。このあたりを考え直し思考実験するために、あえて暴論的ともとれる提示をしているんですが…


No. 1616
こんなところでどうでしょう?
投稿者:Merkatz 1999/7/28 19:41:05
前回はどうも失礼致しました。
書きながら自分でも加熱し過ぎだとわかっていたのですが、どうしても納得がいかなくて。
そんな意図はないと信じてはいますが、ヤンの行動はまったく無意味であると主張しているように聞こえたので。

つまり民主主義というものが堕落が「必然」だというのなら、ヤンの苦悩はなんだったのか。どうせどちらも堕落するのなら、ラインハルトのような為政者が現れる専制の方が優れている、だから民主制にこだわる意味がない、とのようになってしまいませんか?

ラインハルト肯定のために、極論でもってヤンの苦悩をあざ笑うかのように思えたので少々カチンと来たのです。

もちろん、思考実験だという事はわかっているつもりですが、それにしてもヤンの苦悩がどういう所にあったかをあまりに蔑ろにしているのではと思えたのです。

私はヤンの苦悩は、民主主義が内在する矛盾にまで思いを致しているからこそ、あれほど深いものになったのだと考えています。もし表層だけしか捉えていなかったのなら、単純に正義対悪という図式にはまるか、ラインハルトの下にはせ参じるかしたでしょう。

ヤン自身はラインハルトを否定したことは一度もありません。むしろ彼の偉大さ、公正さを最大限評価しています。だからこそそれが民主主義と相容れないのだとヤンは悩むのです。単にもたらされる政治の結果を見れば、衆愚政治となる可能性の高い民主主義より、ラインハルトの善政の方が優れているに決まっています。
今現在の結果だけを見るなら圧倒的にラインハルトを支持する方が、人類全体の為にもよい。そんなことはヤンにはわかっています。では何故ラインハルトと戦わねばならないのか。結局未来を考えた場合、戦わざるを得なかった。

必然は言い過ぎでしょうが、腐敗は起ります。それはローエングラム王朝も、民主共和制も同じです。では何故同じ結果になるのに民主主義の方がよいと判断できるのか。
それをヤンは「個人の才能に全人類の運命を託すことは危険だ」と言っています。すべてが一個人(実際はそこまで単純ではないだろうが、大体において)の恣意によって決まる体制の腐敗というものは止めようがない。クーデターのような力(軍事・政治両方を含む)によるものでない限り、民衆に巨大な惨禍を撒き散らしながら、とどまることなく広がってゆく。
ですが、民主主義には腐敗を止める手立てが民衆の手にある。選挙や世論といった形で実行力を及ぼすことができる。もちろん、同盟末期のようにそれが機能しない場合もありますが、しかし専制のようにハナから無いよりはずっとマシです。
だからこそ、いつかやって来るであろう時のために、ヤンは民主主義の芽を残す決意をしたのです。それが単純なものでないことは、ヤン自身が将来の危険を理由に現在の平和を乱してよいのかという疑問を抱くところからわかります。

矛盾だらけでも、よりベターだと思われる方を選びたい。それがヤンの苦悩の結果導き出された結論ではなかったのでしょうか。
にもかかわらず、管理人さんの言い様は、はい、あんたの思考は矛盾だらけだから意味ないよとバッサリやっちゃってるように感じられた。ヤンはあくまで矛盾を承知の上で決断したというのに、あまりにそれを見ていないのではないかと私は思ったのです。

私は民主主義の真骨頂は「偉大なる立法行為」にあると思います。法律を作り変えることによって、どんどんより良い制度に移行していくことができる。そのためのプロセスが制度として定められている。
そこに矛盾が生じる余地があるとしても、そういうものがまったくない専制よりは「よりベター」である。それは間違いない事実だと思うのです。

あと、民主主義の理念ですが、なんか大げさに考えすぎていませんか?民主主義の理念って実現不可能というようなものなのですか?
「自分たちの運命は自分で決める」。簡単に言えばこういうことではありませんか。それが「地区大会レベルの平均的な高校野球チームに「甲子園優勝」という目標を与えた場合と同じ」ほど困難なものなのですか?
こんな簡単なことすら放り出してしまうくらい、人間というものは堕落しやすいものであるからこそ、完璧な運用というものができないのでしょう。もともと人間自身がそういう有り様ですから、制度として不完全な民主制が、時としてきちんと運用できなくなるのも仕方のない事でしょう。
だいだい、それを防ぐ為に「市民としての教育」があるのでしょう。「Aさん」みたいな人が多数になっては困るから学校教育がある。そうすると私が日本の民主主義が酷いものだと言っている訳が分かるでしょう。また逆に言えば、管理人さんの「人類史上に於いて「もっとも」に限りなく近く民主主義が発展している国だと思います」というのがとんでもない認識だという事も明らかだと思いますが。

「現状ではラインハルト肯定は難しい」とおっしゃっていましたが、誰もラインハルトを否定してはいないと思います。ラインハルトの業績はどうしたって否定できないものでしょう。皆さんのご指摘から永続性において問題ありそうですが、とにかく彼が生前為したことについては否定しようがない。
ヤン−ラインハルトという対立軸で見るのはおかしいと思います。ヤンー専制でしょう。しかしヤンが専制の枠内にいるラインハルトを肯定しているから複雑なことになっている。
もちろん、その程度のことは分かっていらっしゃると思いますが。

今回の実験で、私はヤンの苦悩の原因を再認識いたしました。矛盾があり、それを認めていることがヤンの思考の偉大なところだと感じました。


No. 1621
まとめレス
投稿者:本ページ管理人 1999/8/02 23:00:58
>No. 1616

 思考実験のための極論に納得いただきありがとうございます。

 本来は少々イデオロギー的討論もするべきなのでしょうが、銀英伝の話題からはずれてしまう可能性があるのでこのあたりが妥当かも知れませんね。
 とりあえず、おおまかなところだけ。

>だいだい、それを防ぐ為に「市民としての教育」があるのでしょう。「Aさん」みたいな人が多数になっては困るから学校教育がある。

 これは疑問です。基礎教養ならともかく、政治や社会のありように対する考え方にまで教育は効果を及ぼせるでしょうか。もし、及ぼせるのならそれはそれで怖い事だと思うのですが。
 あと、これの気になるところは、必ず「民度が低い」という趣旨のことを言い出す輩が出てくる事ですか。民主制において「民度が低い」と言える人間がいることは論理的な矛盾であり、これもヤンが悩んだパラドックスの一つだと思います。ヤンと違って、創竜伝における田中芳樹などは何の悩みもなく日本人の民度をバカにしているのですが、このあたりを洗うために思考実験したかったんですよね。


 それと、私が日本を民主国家として評価していることには違いありません。
>管理人さんの「人類史上に於いて「もっとも」に限りなく近く民主主義が発展している国だと思います」というのがとんでもない認識
 と言われるのであれば、理想かそれに近い現実の民主国家を挙げていただきたいと思います。
 私は田中芳樹が創竜伝で「日本は民主後進国」と言う度に「じゃあ民主先進国って何なんだよ」とイライラします。
 もちろん、Merkatzさんと創竜伝の思想を同一視しているわけではありません。念為。ただ、そんなに卑下するほど悪いものではないと思うのですよ。



No. 1624
遅くなりましたがレス
投稿者:Merkatz 1999/8/09 02:54:23
>政治や社会のありように対する考え方にまで教育は効果を及ぼせるでしょうか。もし、及ぼせるのなら
>それはそれで怖い事だと思うのですが。

「教育とは洗脳である」という言葉を聞いた覚えがあります。用い方によって毒にも薬にもなる。それが教育の怖さです。共産主義国家の教育を見れば明らかです。日本も日教組に牛耳られた為、著しい偏向教育で子供の健全な精神の発育を阻害していますね。
民主国家でなされる教育とはつまるところ公民(市民でも国民でも可)としての自覚でしょう。それが一つの思想の押し付けだというのなら、その通りですと言わざるを得ない。
しかし教育を受けた結果、それを受け入れるかどうかまで制限しているわけではない。共産主義や過激派テロリストになったって構わない。教育を受けたら全員が「偉大なる金正日将軍のおかげ」と口を揃えて言う国よりは、遥かにマシでしょう。

>あと、これの気になるところは、必ず「民度が低い」という趣旨のことを言い出す輩が出てくる事ですか。

公民としての自覚の程度によって「民度が・・・」と言うのでしょうか?確かにそう言えるかもしれません。しかしなんでもかんでも民度というのは乱暴なことです。「創竜伝」はその乱暴なものの一つですね。
私があの政治批評で不思議に思う点は、個人の腐敗と政治の腐敗は違うのではなかったかということです。
ヤンは救国軍事会議のエベンス大佐に言います。「政治の腐敗とは、政治家が賄賂をとることじゃない。それは個人の腐敗であるにすぎない。政治家が賄賂をとってもそれを批判できない状態を、政治の腐敗というんだ」。
「創竜伝」における批判の数々は、すべて「個人の腐敗」です。これらは冒険風ライダーさんが創竜伝批評でご指摘の通り、マスコミや司法で裁かれています。つまり社会の浄化作用はとりあえずは働いている。個人の腐敗をあげつらって日本の政治はダメだというあの批判は、とても銀英伝と同じ作者とは思えません。この辺の識見の低下はわざとなのか本当に堕落したのか・・・。
本当に腐敗を非難できない社会になった時、「民度が低い」と言われるのは仕方がないと思いますが。

>民主制において「民度が低い」と言える人間がいることは論理的な矛盾

それが矛盾にならない存在があるとすれば、思想村の住人でしょう。普段は俗世との関わりを最小限にして思想を切磋琢磨する。そして俗世を観察するわけです。ヤバくなったら俗世に出てきてこんなことじゃいかんと言う。
思想人とは孤高の存在であるからこそ、俗世の堕落に犯されることなく高みから判断できるのではないでしょうか。しかしそういう存在ですからめったに表には出ない、出てはいけない。俗世に関わり過ぎると思想家としての立場が危うくなってしまう。
ですから小説家なんていう俗世にまみれて生きている人間が、お前ら民度低すぎ、俺は違うけどね、なんて言っているのはちゃんちゃらおかしい。

>理想かそれに近い現実の民主国家を挙げていただきたいと思います。
>私は田中芳樹が創竜伝で「日本は民主後進国」と言う度に「じゃあ民主先進国って何なんだよ」とイライラします。

私は今現在、理想の民主国家が存在しているとは思っていません。また所詮は到達し得ぬ理想かもしれないとも思わなくもない。しかし日本はかなり特殊な形で民主主義を営んできたことは間違いない。
民主主義とは変革のプロセスを政治のプロセスに組み込んだものです。しかし日本は戦後ただの1回も改憲をしていない。見かけはどんなに民主主義的でも、肝心の部分がない。やはり日本の民主主義は畸形であるとしか言えない。
それをもってダメだと言うわけではありませんよ。冷戦の特殊環境下の産物であるし、その方が都合がよかった。しかし状況は変わった。もはや畸形民主主義じゃ立ち行かなくなった。だから今は正常形への移行時期なのでしょう。改憲への盛り上がりなどその兆候が随所に見られます。
つまり、これからが日本の民主主義が本物になるかどうかの分かれ目だと。だから戦後民主主義を普通の民主主義と捉えることに、私は異議を唱えたわけです。

「民主後進国」なんて認識は最悪ですね。欧米のものならなんでも優れていて、日本はすべてダメだという思想の現れでしょう。田中芳樹には「人は自分が思っているほど不幸でもなければ幸福でもない」という言葉を贈りたいですね。


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