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田中芳樹を撃つ! 緒言


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 田中芳樹という作家がいる。おそらく、知名度の高さならば日本の中でも有数の作家ではないだろうか。
 知名度が高いと書いた。その理由は、彼の本が売れているからである。新刊が出れば当然のこと、新書で出した作品を文庫で再販しても、必ず小説の売り上げトップテンに顔を出す。
 より多く売れるということは、より多くの読者に読まれていると言うことだ。すなわち、それだけ影響力がある訳である。そして、影響力は権力の本質の一部であることは、政治学をほんの少しでもかじっていれば誰でも知っていることだ。

 いま、私は何の脈絡もなく「権力」だとか「政治学」なんて物言いをした。小説や作家の説明をしているときに出す言葉ではない。しかし、田中芳樹相手にならば、私はあえて使ってみたい。何故ならば、最近の田中芳樹の小説は非常(異常)に「政治評論臭い」からである。
 勘違いされると困るので断っておくが、私は「小説で政治を語ってはいけない」などと言うつもりは毛頭ない。それどころか、興味深い人間の有様である「政治」というテーマを、素晴らしく生かしている小説があれば、それは高く評価したいと思う(この意味で、私は初期の田中芳樹の代表作「銀河英雄伝説」を評価をしている)。だが、同時に「政治」をテーマにしたからといって、小説が高邁になるわけではない。「政治」をテーマにしようが「歴史」をテーマにしようが「哲学」をテーマにしようが、それが小説としてクソだったら、それはクソ小説である。

 先に、私は最近の田中芳樹の小説は「政治評論臭い」と書いた。「政治臭い」とは書かなかった。例えば、最近の田中芳樹の代表作「創竜伝」では、驚くべきことに小説の中にまるでエッセイまがいの政治評論が出てくるのである。小説の初歩の初歩として、作品の中に作者の言葉が入ってはいけないというものがある。作者の主張は、キャラクターに語らせるとか、テーマとして伏流にして流すとか、そういうテクニックこそが小説であり、物語だからである。また、逆にエッセイの視点から見たときにもヤバさがある。例えば、創竜伝の評論に反論した場合「いや、これは小説の世界のことだから」と逃げをうてるからだ。
 例外として、マンガになるが小林よしのり「ゴーマニズム宣言」のように、自分の評論を物語にしてしまう、というものもある。これは、横紙破りではあるが、しかし卓越したテクニックである。
 だが、「創竜伝」はそうではない。
 オウム事件を扱った、村上春樹「アンダーグラウンド」のように、あえて自分の本分である小説ではなくルポという形で表現するのは、作家が「社会」「事件」を本気で語ろうとするときの、一つの真摯な態度である。自ら、逃げ道を断っているからだ。
 しかし、田中芳樹はそうではない。
 つまり、田中芳樹はエッセイで書けばいいようなことを、だらだらと小説で書いているのだ。田中芳樹風のメタファーを使えば『下手な小説というぶさいくな娘を、政治評論というドレスで飾り立てて喜んでいる』とでもなろうか。
 しかも、そのドレスの品質が悪ければ、その趣味の悪さは一層尋常ではない。

 ここでは、いましてきたように、田中芳樹のいかがわしさを立証していきたいと思う。
 それでは、始めてみたい。田中芳樹を少しでも信じている人の意識のどこかに、楔を打ち込めれば幸いである。


田中芳樹を撃つ!初代管理人 石井由助







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