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田中芳樹 プロフィール


 このコーナーは、過去に公刊された田中芳樹関連著書、および新聞・雑誌等で掲載されていたインタビュー記事・対談内容などを元に、作家・田中芳樹の人物像・経歴・著書刊行履歴等についてまとめています。
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作家・田中芳樹 人物紹介
本名 田中美樹(たなかよしき)
生年月日 1952年(昭和27年)10月22日
出身地 熊本県天草市(旧本渡市。2006年3月27日の市町村合併で改称)
家族構成 2歳年上の姉が一人いる
東京在住のマンション暮らし(ただし、軽井沢に別荘あり)
既婚
学歴 熊本市立黒髪小学校卒業
熊本市立桜山中学校卒業
熊本商科大学付属高等学校(現・熊本学園大学付属高等学校)卒業
学習院大学文学部・国文学科卒業
同大学院博士課程修了
代表作品 銀河英雄伝説・アルスラーン戦記・創竜伝など
その他 日本SFクラブ所属(会員)






経歴・エピソード紹介
幼少時代 1歳の頃に熊本市に移住。
4〜5歳の頃、初めてマンガを読む。最初のマンガは手塚治虫作品(ただし、題名は覚えていないとのこと)。
2歳年上の姉が縁で、月刊誌「小学2年生」などの名作マンガも読んでいた。
小学校時代
〜中学時代
野村愛正訳著「三国志物語」を読んで三国志物にハマり、中国の歴史に興味と関心を持つ。
「シャーロック・ホームズ」を読んでイギリスに興味を持つ。
軍事色が強かった当時の少年誌「日の丸」を愛読していた。
自衛隊の少年特殊部隊が活躍する「少年ロケット隊」(作者・横山光輝)のファンだった。
クラスの女の子が小説を書いて授業で読んだ際、「この程度なら俺にも書ける」と公言し、女子一同から「じゃあ書いてみろ」と迫られて仕方なく1本書いたところ、逆に評判になり、大いに面目をほどこした。
東宝映画「マタンゴ」がトラウマになり、以来キノコが食べられなくなった。
高校時代 図書委員長になり、図書室のヌシに。
職権を利用してハヤカワの世界SF全集を全巻揃えた。
この当時、後の創竜伝の原案となるキャラクター及びストーリーを数学のノートに書き記しており、当時の数学の教師に見つかって睨まれたことがある。
親の影響でこの時期アニメ・マンガから離れていたため、当時流行だった「あしたのジョー」や「ルパン三世 カリオストロの城」などをリアルタイムで観て&読んでいない。
1971年 早稲田大学を受験するも、不合格。当時の第一志望は国文学科、第二志望が史学科。
1972年 一浪の後、学習院大学文学部・国文学科に入学。専攻は明治文学。
この当時始まったアニメ「宇宙戦艦ヤマト」が、マンガ・アニメに戻るきっかけとなる。
またこの頃、萩尾望都・和田慎二らが描いた少女マンガの影響で、それまで偏見を抱いていた少女マンガを読むようになる。
1973年 「Why did you kill him?」が学習院大学輔仁会雑誌196号に掲載される。
1975年 「寒泉亭の殺人」が学習院大学輔仁会雑誌198号の第4回輔仁会雑誌賞に入選する。
当時の懸賞金1万円を当てにするも、「金がないから8千円で許してくれ」という手紙が届く。
1976年 「週刊小説」の新人賞部門に中国物の歴史短編小説を応募、最終選考まで残るも落選。
1977年 「李家豊(りのいえゆたか)」のペンネームで書いた「緑の草原に……」が第3回幻影城新人賞受賞、作家としてデビューする。
ペンネームは、李白が好きだったことと、日本人の名前にラ行が少ないからという理由で電話帳をめくって決められたもの。
その後しばらく「幻影城」誌上に短篇を発表する。
大学院時代 後輩から「どうして論文を書かないのか?」と問われた際、冗談で「論文書いても女の子からファンレターは来ない」と答えていた。
修士論文で、幸田露伴著「運命」を題材にする。
「幻影城」からの執筆依頼で、銀英伝の原型作品「銀河のチェス・ゲーム」を原稿用紙で100枚ほど執筆する(この作品の前半部分が銀英伝冒頭に書かれている宇宙史となる)。
1979年 「幻影城」休刊。活動の場をなくす。
1980年 「SFアドベンチャー」誌上で作家活動再開。当時は短編を中心に執筆する。
1981年 作家として初の長編作品となる「白夜の弔鐘」を執筆。
新人としては破格の2万部の初版を発行するが、「こんなに売れなかったのは徳間ノベルズ始まって以来」とまで言われる。
また、この頃よりペンネームを「李家豊」から「田中芳樹」へ改める。
ペンネームを変更した理由は、よく中国人に間違われることと、説明するのに疲れてきたことから。
1982年 「銀河のチェス・ゲーム」を元に「銀河英雄伝説」を刊行。
作品タイトルを決める際、徳間書店の担当から「銀河三国志で行きましょう!」と言われ、「ちょっと待ってください」と1時間でタイトルを考えた。
1986年 角川書店より作品執筆の依頼。
当初は銀英伝と同様のスペース・オペラ作品を執筆して欲しいという依頼だったが、「スペース・オペラものはもう書きたくない、チャンバラものが書きたい」ということから、「アルスラーン戦記」執筆の構想が決定される。
同時期に講談社からも作品執筆の依頼。
書きたいものがあるかと問われ、「現代ものが書きたい」と返答。高校時代の授業中にノートの端に書いていたヨタ話を元に主人公の名前が決定。後の「創竜伝」執筆に繋がる。
この年に結婚。
1988年 「銀河英雄伝説」で星雲賞を受賞。
1990年 前年末から年初頭までの10日間の日程で、当時の旧東ドイツおよび旧チェコスロバキア領ボヘミア地方へ旅行に出かける。
1991年 この頃、奥さんの知人で拓殖大学教授・大谷博愛氏からの誘いを受け、最初のイギリス旅行に出かける。
1996年 講談社ノベルズの担当者と「近頃のミステリーの名探偵たちは、犯人を捕まえた後で『犯人の人生を左右して良いものか?』と悩むことが多い」と言う話題で盛り上がり、「では全然悪びれない探偵役を出そうか?」という流れになる。
中国の歴史小説で苦労した経験から「ストレス解消のために現代物をやりたい」「女性に『おっほほほほ!』と笑われる方がもっと傷つく」ということで薬師寺シリーズの構想が出来上がり、この年、薬師寺シリーズがスタートする。
1999年 この年の夏、身体の不調により長期入院を経験する。
11月頃、作家の赤城毅氏を通訳兼ガイドとして伴い、ハンブルクを拠点としたドイツ北部の港町へ取材旅行に出かける。
2001年 薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ5巻「黒蜘蛛島」執筆のため、カナダのバンクーバーへ取材旅行へ出かける。
2004年 新作執筆(2005年7月刊行の「ラインの虜囚」)のため、3月末〜4月上旬にかけて、ドイツのライン川地方に取材旅行に出かける。
2006年 「ラインの虜囚」で「第22回 うつのみやこども賞(栃木県宇都宮市の市立図書館が主催する文学賞)」を受賞。
2008年 8月中旬、ヴィクトリアン・ホラー・アドベンチャーシリーズ2巻「髑髏城の花嫁」の執筆のため、イラストレーターの後藤啓介氏と共にイギリスへ取材旅行に出かける。
2009年 夏の半ば頃から体調を崩し、仕事の予定が大幅に狂う。







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