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対談本「イギリス病のすすめ」
についての一考察

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No. 1189-1190
対談本「イギリス病のすすめ」についての一考察・中編
冒険風ライダー 2001/11/28 22:46
 ところで前回から論評している対談本「イギリス病のすすめ」は、前回の論評でも述べたように田中芳樹関連の著書の中でも記録的に売れなかった本だと言われているのですけど、このことを初めて聞いたとき、私は過去にタナウツ掲示板で行われていた「ファンの人達は創竜伝のどこが面白いと考えるのか?」関連の議論(ザ・ベスト「私は創竜伝をこう読んだ2−A」参照)をふと思い出しました。
 あれ関連の議論では、田中芳樹ファン側、特に女性ファンの方々から「創竜伝を面白いと考える理由は評論を読みたいと考えるからではありません、私は評論なんかどうでも良いのです」と述べていた人達が多かったのに驚きつつも何となく納得してしまったことがあり、これまたザ・ベストに収録されている「トンデモ小説が売れる責任の所在5−C」における議論ではそれに基づいた推論を唱えてみたこともあるのですが、対談本「イギリス病のすすめ」の売れ筋は、この手のファン心理を実地で忠実にシミュレートしてみた興味深い結果であるように思えてならないんですよね。何しろ「イギリス病のすすめ」というのは、創竜伝からストーリー部分を削除し、社会評論部分だけを取り出して構成されたような本なのですから、評論以外の要素を求めている田中芳樹ファンにこの本が全く受けないのは当然であるというわけです。この事実はファン心理を分析するためのひとつの有力な手がかりとなりえるのではないでしょうか。
 とまあ、こんな簡単な感想を挨拶代わりにして、「対談本『イギリス病のすすめ』についての一考察・中編」の論評を始めることに致しましょう。



イギリス病のすすめ・文庫版 P186〜P187
<土屋:
 ぼくね、イギリスに五年間いたときに、日本から首相が来るたびに毎回変わってて覚えられないんだよね。「いったい今の首相って誰なんだろう」って。一番ひどかったのは、宇野さんのときね。イギリス人もあの時ばかりはみんな、驚いてたよね。
――:
 ああいう原因でやめるような人が首相になった、ということは考えられないでしょうね。
土屋:
 考えられない。イギリスだったら国民みんな自殺してますね。(笑)「こんなおそまつな国にいたくない」ってみんな恥じます。
田中:
 日本では一方で「ああいうことをマスコミにしゃべった女がけしからん、たかがあの程度のことで有能な政治家がやめさせられるのは日本の損失だ」というような声があったものね。あれがいちばんおかしい意見だった。そういうことを言うような人には、「愛人問題ひとつきちんと解決できないようなやつのどこが有能なんだ」って言ってやるしかない。(笑)元首相の秘書が、「政治家は悪党に限る」というような本を出したりして、要するに「悪いことのひとつもできないようなやつは無能だ」というような意見が幅をきかせているわけでしょ? それが日本の政治評論のレベルの低さを表していると思うんだけど。そういう相手には「自分の腐敗ぶりを隠すこともできないようなやつこそ無能じゃないか」という言い方が一番の反論になると思う。……言ってて情けないんだけどね。こっちも。(笑)>

 この2人は本当に政治家に対して無用なまでに「清貧」だの「清廉潔白」だのといった価値観を求めてきますね〜(>_<)。「政治責任は結果が全て」というマキャベリズム的発想法など、この2人にはおそらく永遠に理解することもできないのでしょうな。だいたい政治家の女性問題など、本来国の命運を左右するような性質の問題ではないでしょうに。
 そもそもあの2人がやたらとこき下ろしている宇野宗佑元総理の女性問題は、元々1989年6月6日に当時の週刊誌「サンデー毎日」が最初に取り上げたのですが、これを首相辞任にまで問題を大きくした最大の原因は、この「サンデー毎日」の記事にアメリカを代表する有力新聞のひとつ「ワシントン・ポスト」が飛びついて大々的に掲載し、それに当時バブル景気で湧いていた日本に嫉妬していた西側ジャーナリズムが飛びついて我先に首相の女性問題をネタにして騒ぎ立て、さらにそれに追随する形で、日本の新聞・テレビ等の主要マスメディアが積極的な扇情報道を行ったことにあります。
 実はそれ以前にも政治家にまつわる女性問題というのが全くなかったわけではありません。いやそれどころか、当時も今も、何らかの女性問題を多かれ少なかれ全く抱えていない男性政治家などほとんどいないと言っても過言ではないでしょう。最近有名になった首相の女性問題としては、中国政府の公安部に所属していた女性との親密交際が指摘された橋本龍太郎元総理の愛人スパイ疑惑があります。これなどは単に一個人としての女性問題のみに留まらず、国家の安全保障や機密保持にもかかわる「政治的にも非常に重大な問題」であり、国会で質疑応答を受け、オピニオン誌でもかなり騒がれたことがあったのですが、だからと言って彼が直ちに日本の主要マスメディアからの総攻撃を受け、辞任に追い込まれたなどということはありませんでした。では橋本元総理は政治家としても有能だったと評価することができるのでしょうか? 政治的に見ると、橋本元総理の下で行われた「消費税5%引き上げ」「特別減税の打ち切り」「国民医療費の引き上げ」といった経済政策の失敗およびそれに伴う株価の下落が、バブル崩壊以来続いている日本の不況をさらに悪化させた原因のひとつとも言われているのですけど。
 また、すくなくとも宇野元総理が登場するまでは、週刊誌系はともかく、国民世論に大きな影響力を持つ主要マスメディアは政治家の女性問題をあえて不問にしてきていました。当時の主要マスメディアには「政治家の女性問題をいちいち取り上げていたらきりがない」という「節度と常識」があったからです。そしてそれは当時の政治家にとっても「常識」であり、まさかそのような問題がクローズアップされて一国の首相が辞任に追いやられることになろうとは、当時の政治家は誰も考えられなかったというのが実情でしょう。これらの事情から考えると、宇野元総理の女性スキャンダル問題は、「ワシントン・ポスト」に代表される外国の新聞が騒がなければ、それほど問題になることもなく「サンデー毎日の芸能記事」というだけの形で終わっていた可能性が極めて高いのです。
 宇野元総理の女性問題は、本来それほど取り立てて騒がれるほどの大問題などではなく、外国のマスメディアによるネガティブ・キャンペーンと、それに触発された日本の主要マスメディアによる過剰なまでの扇情報道こそが首相を政治的に追い詰めたと言えるのです。あの女性問題は政治家の力量が全く及ばないところで勝手に問題が発展していったのですけど、それでも当時の宇野元総理は「女性問題が収拾できなかったから無能だった」などと評価されなければならないのですか?

 それから田中芳樹が何やら有頂天になりながら吠え立てている「自分の腐敗ぶりを隠すこともできないようなやつこそ無能じゃないか」という主張についてですけど、私に言わせればこの類の戯言こそが、田中芳樹が語る社会評論の低レベルぶりをよく表していて笑止な限りでしかないんですよね(笑)。
 そもそも田中芳樹にひとつ質問したいのですけど、田中芳樹がやたらと絶賛している民主主義という政治形態は、まさに政治家が「自分の腐敗ぶりを隠すこともできない」からこそ賞賛に値するのではないのですか? 言論の自由が認められていない独裁政治では、政治家が自分の無能や醜聞を隠すことなど朝飯前ですし、秘密を暴いた者を社会的に抹殺することも容易にできます。アドルフ・ヒトラーやスターリン・毛沢東、それに北朝鮮の金親子などは、まさに自分の腐敗ぶりを容易に隠すことができた政治家であり、それによって国民から圧倒的な支持を得たのですが、ではそんな彼らは政治家としてもとても有能で、国民に多大な恩恵をもたらしてきたと言えるのですか? 事実はむしろ逆でしょう。
 本質的に強大な権力を保有する政治家が本気になれば、自らの無能や醜聞を隠すなど極めて容易なことでしかないです。強大な権力を背景にして、自分に反対する者は全て抹殺し、批判言論を封じ込めてしまえば良いのですから。そしてそのような政治家が誰からも批判を受けることなく、国民を欺き、塗炭の苦しみを味あわせておきながら、自分だけは自堕落な生活を営んでいたなどという事例など無数に存在します。田中芳樹の論法を使うと、とにもかくにも奇跡的な経済繁栄をもたらし、国民の生活水準を飛躍的に向上させてきた日本の汚職政治家よりも、独裁制を敷いて批判言動を封じ込め、経済発展を阻害している独裁者の方が、政治家としてはるかに有能であるということになってしまうではありませんか(笑)。
 民主主義が他の政治形態に勝ると言われる最大の理由は、まさにこのような政治家の暴走を国民の手で監視し、止めることができるチェックシステムを持っている点にこそあるわけでしょう。つまり、民主主義国家における政治家が「自分の腐敗ぶりを隠すこともできない」のは、能力的に無能だからではなく、制度的にも理念的にも国民やマスメディアからの批判を弾圧することができず、常に彼らからの監視の目に晒されなければならないために「隠すことができない」からなのであって、それを考えれば、政治家が自らの無能や醜聞を隠せず、常に外部からの批判にさらされるという事実は、民主主義国家においてはむしろ誇るべきことであり、国民の政治参加意識が健全に機能している何よりの証拠とすら言えるのです。
 それに、言論の自由が認められた民主主義国家では、マスメディアもまた強大な影響力を持つ「権力」のひとつです。「言論の自由」という名の「錦の御旗」を使って他人のプライバシーや個人情報を徹底的に暴き出すことができ、その一方で自分に向けられた批判を封殺・抑圧することもできる組織が「権力」でないわけがありません。歴史的に見ても、マスメディアの扇情報道による国民世論の高まりが、時の政府の政治的判断を狂わせ、国家を誤った方向に導いた事例も少なからず存在します。戦前における朝日新聞の戦争報道などはまさにその典型例でしょう。
 そして民主主義国家における政治家は、制度的にも理念的にも「強大な権力機構」としてのマスメディアからの監視を受けなければならないのです。その政治家とマスメディアとの力関係は、マスメディア側が政治のチェックシステムとしての役目を担い、かつ自身がなかなか批判に晒されにくい体質を持っている点を考慮すると、明らかにマスメディア側の方が政治家よりも強い影響力を行使できる権力を持っていると断言しても良いでしょう。上記の宇野元総理の事例を見れば明らかなように、そのような環境下で政治家が自らの醜聞を隠すことが容易にできると考える方がどうかしているのではありませんか?
 そもそも、いかに私生活面で政治家が部類の女好きで手当たり次第に女を抱き、酒を浴びるほどに飲む「酒池肉林な生活」を送っていたとしても、政治に臨む際に的確な決断と素早い実行で国家の安全と国民の生活を保障し、経済を豊かにして国民に豊かさを与えることができるのであれば、その政治家は偉大な政治家であると言えますし、田中芳樹が大好きな後世の歴史家とやらも、彼を第一級の名政治家として歴史に記録するでしょう。逆に、個人としての性格がどれほどまでに真面目かつ誠実であり、誰からも文句の言われようのないほどに理想的な私生活を送っていたとしても、政治の場で国民と国家に害をなすような政治家は「無能者」の烙印を押されても文句は言えません。「政治責任は結果が全て」とはそういうことなのです。
 さあ田中センセイ、私のこの主張に対しても「自分の腐敗ぶりを隠すこともできないようなやつこそ無能じゃないか」が一番の反論になると本気で考えられますか? まあもし田中センセイが「政治形態で言えば、多数の国民がいちいち議論しなけば政治的決断ひとつできない民主主義などに何の価値もない、1人で何でも好き勝手にできる独裁政治こそスバラシイ」などと考えているのであれば、確かに主義主張は一貫していると言えるのでしょうけどね〜(笑)。

 あとついでに余談ながら、あの愚劣な主張に関しては、田中芳樹はかつて創竜伝でも竜堂続に似たような主張を展開させています↓

創竜伝9巻 P182上段〜P183上段
<「合法的な献金などありえません。企業の政治献金はすべて違法なんです」
「何だと」
「もし企業の経営者が、政治家や官僚からの見返りを期待して献金すれば、むろんこれは完全な賄賂です。また、もし見返りを期待せずに献金したら、企業の経費を企業の利益にならないことに費うことになり、背任行為ということになります」
 中熊はうめいた。続はさらにいう。
「個人献金ならかまいませんが、企業献金はすべて禁止されるべきです。それがクリーンな政治の第一歩ですよ」
「ふん、クリーンな政治か」
 中熊は努力してせせら笑った。
「クリーンなだけの政治家に何ができるものか。ダーティーでも有能な政治家こそが、今の日本には必要なんだ」
 続も笑ったが、これは相手の見識の低さに対する憫笑である。
「あなたとか汚職政治家にこびへつらう御用文化人とかは、すぐにそういいますね。クリーンな政治家は無能で、ダーティーな政治家こそが有能なのだ、と。でもそれは程度の低いごまかしです。そもそも、ダーティーだと人に知られること自体、無能の証明なんですよ」
「な、何だと」
「だってそうでしょう。ダーティーだと人に知られれば、失脚してしまうんですからね。隠すのが当然です。それなのにダーティーだということが知られてしまうのは、そのていどのことも隠しきれないほど無能だ、という証拠じゃありませんか」
 中熊はむなしく口を開閉させた。反論できなかったのである。冷然として、続は追いうちをかけた。
「汚職がなぜ悪いかというと、国家や政治に対する信頼を失わせるからです。二五〇〇年も往古に孔子がいってますよ。『信なくば立たず』とね。民衆の信頼が失われれば国は成り立たない、という意味です。いまごろ汚職を正当化するような人たちは、精神の発達が孔子より二五〇〇年ばかり遅れているんですよ」>

 しかしこの竜堂続のタワゴトって、以前に「私の創竜伝考察29」で論評した時には「戦前の右翼の青年将校と同じ事を言っている」「こいつはどうやら政治資金規正法という法律すら知らないらしい」という程度の感想しか抱けず、その感想に基づいて「このようなタワゴトばかりわめき散らすしか能のない竜堂続は、頭のネジが全部弾け飛んだとんでもない低能としか評価のしようがないな」という結論しか出すことができなかったのですが、どうも件の対談内容を読む限りでは、竜堂続の主張内容は作家である田中芳樹の本心でもあるようですので、「これはあくまでも小説中のキャラである竜堂続のタワゴトであって、田中芳樹の本心ではない『かもしれない』」などという余計な配慮を働かせる必要はどうやら全くなかったみたいですね(笑)。まさか田中芳樹自身がこんな愚かしいタワゴトを本気で主張していたとは驚きましたよ(笑)。完全に失敗しているとはいえ、あの個所はあくまでも「小説を盛り上げるためのエンターテイメントである」と認めてあげても良かったのにねえ〜(爆)。
 せっかくフィクション上の存在である竜堂続が、田中芳樹の社会評論にその身を呈して犠牲となってくれたのに、田中芳樹自身の放言によってその犠牲が全く無駄なものになってしまおうとは、自ら取り返しのつかない墓穴を掘る「とうちゃん」の愚行ぶりには、さしもの竜堂続も草葉の陰で泣いていることでしょうね(T_T)。まあ自分でバカ晒しているあの竜堂続に同情してやる気など私にはさらさらありませんが(笑)。


イギリス病のすすめ・文庫版 P187〜P189
<土屋:
 イギリスはヴィクトリア時代には、世界を相手に一人勝ちをするわけです。で、その反動ってものに、たぶん一〇〇年ぐらいまえにうすうす気づいたんじゃないかとぼくは思うんだけど。あるいはそれとも、「取るべき物は全部取ってしまったからもういいや」と思ったのかもしれないけど。(笑)でも誰かが勝てば誰かが負けるのがあたりまえなんだ。バブルの時の日本のように、世界中を相手に一人勝ちが永遠に続くと思うのは大きな間違いなんだよね。
田中:
 あれはほんと、不思議だったね。「日本の株と土地は永遠に値上がりしつづける」と、経済評論家なんかがマジな顔で言ってたでしょ? 素人考えでも、「そんなことあるわけないだろう」と思うんだけど。(笑)特に国の中核をなす人たちがみんな口をそろえていってたというのが、当時ぼくには信じられなかったんだけど。あのころまでは、ぼくも、大銀行の経営者なんて人たちに対していちおうは敬意をはらっていたんです。すくなくとも、ぼくなんかよりはるかに経済に関する見識があって、経営者としての自覚と社会人としての責任感があるんだろうと思ってた。とんだ買いかぶりでしたね。(笑)特に社会人としての責任感について。>

 社会人としての責任感について? おいおい田中芳樹よ、それ日本有数の遅筆作家であるアンタが言える説教ではないでしょうに(爆)。アンタがどれくらい自分が世に出した過去のシリーズ作品をほったらかしにしているかは、私が作成した「田中作品タイムカウント」を見てもらえば、よほどに状況認識能力が欠如した人でもない限りイヤでも理解していただけるのではないかと思うのですけど。
 それに田中芳樹は社会的に高い地位ないしは立場にある人間が発する公の発言がいかに大きな影響力を持つのか、少しでも考えてみたことがあるのでしょうか? 政治家や官僚が経済に関して何か発言するたびに、物価や株価がそれに応じて変動する例など枚挙に暇がありません。ましてや、バブル景気で積極的な投機が行われている時期に、然るべき社会的地位にある人物が「土地高騰はここで止まる」などという不景気な話をしようものならば、その瞬間にバブル景気が崩壊し、経済が大混乱に陥ってしまう危険性が極めて高いではありませんか。
 そもそもバブル景気というのは、前回の論評でも話したように「ここに投機すれば永遠に大儲けできる」という発想が原動力となって起こるものです。莫大な利益が得られることを信じて莫大な額の投機が行われ、それが投機対象の価値を飛躍的に押し上げ、さらにそれが新規の投機を惹起する。この良循環こそがバブル景気の基本構造です。そんな環境に、もし何らかのきっかけで不景気な話が出てきたらどうなるか? 今度は逆に「待てば待つほど物価は下がるから、何もしない方が得である」ということになって投機が減少し、それによって投機対象の価値が大暴落を引き起こし、それがさらに投機を減少させるという悪循環が発生するのです。そしてこれこそがバブル崩壊のメカニズムであり、歴史上において発生したバブル景気は全てこの悪循環によって崩壊していったのです。
 日本のバブル崩壊およびその後の長期にわたる不景気にもこのメカニズムが働いています。あのバブル景気崩壊の直接のきっかけは、何と言っても「私の創竜伝考察31」でも論じた、1990年当時の大蔵省銀行局長・土田正顕が発した「総量規制通達」による土地価格の大暴落にありますが、この結果、「あの土地の値段さえも下がったのだから、待てば待つほど全ての物価は下がる」という風潮が日本中を覆うようになり、この考え方に基づく消費者の徹底した「買い控え」によって、日本では一気に商品が売れなくなってしまい、投機も大幅に減少してしまいました。何しろ「待てば待つほど得をする」わけですから、経済を刺激する消費活動や投機が自然と抑えられてしまうわけで、これでは景気が良くなるはずがありません。これがバブル崩壊後の長期不況が発生した最大の原因なのです。
 このことを踏まえてバブル景気当時の経済評論家や政治家の発言を振り返ってみれば、彼らがなぜあのような発言を行ったかが理解できるでしょう。彼らは「王様は裸だ」的な「バカ正直な不景気発言」を行うことによってバブル景気が崩壊し、経済や銀行経営が混乱することを何よりも恐れたのです。所詮は「ここに投機すれば永遠に大儲けできる」という「気分」によってかろうじて成り立っているバブル景気、ちょっとしたきっかけでそれが簡単に崩壊するということを、彼らは誰よりもよく知っていたわけです。田中芳樹が自分のことを棚に上げて強調している「経営者としての自覚と社会人としての責任感」とやらを、彼らは充分に持っていたと言えるではありませんか。
 それよりも田中センセイ、私も1995年ぐらいまでは、あなたの主義主張に疑問を持ちつつも一応は敬意を払っていたのですよ。すくなくとも私などよりも政治や社会に関する見識もあって、銀英伝10巻のあとがきに代表されるような「作家としての自覚と社会人としての責任感」があるのだろうと思っていましたので。今にして思うと、これは現実離れのとんでもない買いかぶりでしたね(笑)。特に「社会人としての責任感」について(爆)。


イギリス病のすすめ・文庫版 P190〜P192
<――:
 イギリスは貴族などが所有する土地を一般の人たちがリースしていることが多くて、その期間が一〇〇年とか一五〇年だと言われてますね。だから、香港返還についても「ああ、あれは借りてるものだから返すのが当然なんだよ」っていう反応がイギリス人に多いのは面白いですね。日本だったら「どんなに小さくても土地は買わなきゃ」という考えがあるのに。
土屋:
 うん、だから土地問題ってね、ぼくはすごく重要なことだと思う。日本はまったく世界最低の国だと思ってるんだけど。
 イギリスの場合だったら、一五〇年とかね、九九九年、九九年リースとかあって、一生住めるんだから、考えてみれば自分の土地みたいなもんだよね。ここ一〇〇年くらいのイギリス人の土地に対する考え方みたいなものは、日本人と根本的に違うんだとぼくは思う。ロンドンなんかで家さがしするとわかるけど、リースホールド、つまり借地っていうところがほとんどなんです。そうすると土地の値段はほとんどないんですよ。不動産ってのは上物だけの売り買いですよ。これは非常によくできてるなってぼくは思ってね。そのことが結局イギリスの景観を守るのにも繋がってるんだと思う。
田中:
 そこのところ、くわしく聞きたいな。
土屋:
 「土地というものは私有しなくちゃいけない」という考え方は、ぼくはそれほど古いものじゃないと思うね。日本だって、かつて江戸時代なんかはそうだったわけで、諸侯や大名は一坪たりとも土地を持ってなかったわけだよね。それが、明治以降、特に戦後になって、どんどん土地を解体していって、私有するようになったからおかしくなって、投機の対象にもされるし。「自分の土地だったらなにをしてもいい」という発想はどうして生まれるんだろうとぼくは思うね。イギリスではそんな発想は絶対生まれてこない。土地は自分のものであって自分のものじゃないんですよ。だって動かせないでしょ? こういう根本的な意識の違いがある。イギリスの自然や街並みの景観が守られていることって全部、ある意味で土地というものが私有じゃないからだとぼくは思う。ロンドンあたりだと女王や一握りの貴族が大土地を所有してて、その他の地主なんてほとんどいないんだよね。それでいいんですよ。そんなもん、人間たかだか七〇年の人生しか生きないのに、死んだらどうするんだ、土地まで持ってくのか? ってね。
田中:
 うーん、いやあ、ローンが残ってるから。(笑)
土屋:
 最悪の人生だね。(笑)
田中:
 しかも二世代ローンですからね。
土屋:
 これはもう、笑うしかないと思うんだけどね。それでもみんな、土地持ちたいと思うのかねえ。
田中:
 持ちたいのかねえ。ただぼくがそれを言うと、「そりゃあんたが持ってないからだ」と言われる。(笑)でもほんと、日本の社会を歪めてる大きな原因のひとつは土地だものね。ま、住むために土地を持ちたい人と、投機の対象にする連中とは区別すべきだけど。それでもあんまり無理をすると、やっぱりあとがよくない。>

 「イギリス病のすすめ」の6章において、ほとんど数ページおきに出てくるこの手の「イギリス礼賛・日本罵倒」の論調には何度ウンザリさせられたか分かりませんが、何でこの2人はイギリスと日本の比較検証論を語る際に「日本側の政治・経済・社会事情」というものについて全く検証しようとしないのでしょうか? イギリスの社会事情に関してはそれなりに調べている形跡があるにもかかわらず、日本の諸問題を語る時はロクに調べもせずに罵倒した後「どうしてなんだろうね?」で終わるケースがあまりにも多すぎるのですけど。
 確かに土屋守の言う通り、すくなくとも戦前までは日本にも借地・借家で家を持つのが主流であり、戦前の個人住宅の約8割は借家だったくらいなのですが、戦後日本の土地問題を語る際に一番重要なのは「なぜ戦後日本においてこのシステムが崩壊したのか?」というテーマであるはずです。土屋守が本当に日本の土地問題について何か提言したいというのであれば、イギリスの事例を挙げるだけでなく、このテーマについても詳細な説明を行い、問題の本質を明確に指摘しなければならないはずでしょうに。
 ではなぜ戦後の日本においてイギリスのような借地・借家の制度が崩壊したかというと、これは1939年に出された「地代家賃統制令」と「正当事由制度」の導入が最大の原因なのです。この「地代家賃統制令」および「正当事由制度」というのは一種の戦時立法で、出征兵士が帰国もしくは戦死した際、残った家族の居住権が守られるように、地主ないし家主側に相応の理由がない限り、借地・借家のための賃貸料を貸し手側が一方的に引き上げたり、借地・借家の賃借契約を貸し手側が一方的に終了させることができないようにすることを定めた法令です。
 ところが、本来戦時立法として定められたはずの「地代家賃統制令」と「正当事由制度」は戦後になっても生き続け、その結果、借地・借家の賃貸契約に関しては、借り手側が貸し手側よりも圧倒的に立場が強くなり、よほどに正当性のある理由がない限り、貸し手側は借地・借家の賃貸料を引き上げることも、借り手側に対して立ち退きを要求することすらもできなくなってしまったのです。あくまでも貸し手側が借り手側に対して「借地・借家からの立ち退き」を要求する場合、借り手側に対して「正当性のある理由」に相当する莫大な「立退き料」を支払わなければならないため、貸し手側は借り手側が自主的に借地ないしは借家から立ち退かない限り、自分の土地や家をどうすることもできないのが実情です。そのため、日本における借地・借家の賃貸契約に関しては、土地を貸すのはあげるのと同じ、借りるのは貰ったのと同じということになってしまい「貸すバカ、返すバカ」という言葉まで出てきたほどです。
 この状況だと、土地や家の取引で利益を上げる場合、貸して収益を上げる「インカムゲイン」よりも、売り飛ばして譲渡益を手に入れる「キャピタルゲイン」の方がはるかに大きな利益を得ることができます。「地代家賃統制令」に基づく「インカムゲイン」がどれくらいだったかというと、バブル景気当時の東京・神田辺りで、借地一坪当たり70円という借地賃貸料で家を建てていた人がたくさんいたというのですから、いかに日本の「インカムゲイン」が安すぎるかが分かろうというものです。これでは日本で土地や家の賃貸業など成立するはずがありません。
 なぜ日本では土地や家の賃貸借があまり行われず、所有にこだわるのかというあの2人の疑問に対する解答は上記に書いた通りなのですけど、どうして私が1人で調べられる程度の調査・検証も行わず、日本の諸問題についてただひたすら罵倒するだけで問題の本質を指摘するでもなく「どうしてなんだろうね?」などという小学生の読書感想文レベルの結論で終わらせることしかできないのですかね、あの2人は。
 ただ愚痴を並べ立てるしか能のないあの2人が、イギリスと日本の政治・経済について語るなど笑止な限りでしかないのですけど。


イギリス病のすすめ・文庫版 P203〜P206
<田中:
 湖水地方ってずいぶん文学者が住んでるでしょ? 住みたくなるのはわかる。ぼくもイギリス人だったらそう思うかもしれない。湖水地方に住んで、冒険したくなったらよそに出ていく、と。だから、帰って心安らぐっていうような意味では、湖水地方ってのはたぶん一番いいんじゃないかと思いますね。
――:
 イギリス人にとっても心のふるさと、なんでしょうね。
土屋:
 湖水地方に限らないけど……食べ物に関しては、イギリス人は世界中どこへ行っても祖国よりおいしいものがあるからいいけども、(笑)彼らがひとつだけ、祖国を離れて生きていけない理由があるとすれば、それはイギリスの風景なんじゃないかとぼくは思う。
 ぼくの知り合いのイギリス人で七〇過ぎのおじいちゃんがいるんだけど、第二次大戦中に日本軍の捕虜になって「クワイ川マーチ」で有名なあの鉄橋の工事をやらされてたの。まさに「戦場にかける橋」の人なんだけども。彼と話をしてて「捕虜生活の中で何に一番郷愁を感じていたか」って聞いたら、やっぱりイギリスのグリーンだって言うんだよね。
田中:
 ああ、グリーンか。うん、何だかそれは他人の話として聞いても胸を打つね。
土屋:
 イギリスのどこに行ってもある、広々とした牧草地、単なる原っぱ、森……これを総称してグリーンっていうんだけど、それにものすごい郷愁を感じるって。まあ、もう一つはパブのビールだって言ってたけど。(笑)これがないと、って。
――:
 「兎追いしかの山」っていうやつですか。
土屋:
 「兎追いしかの山」? そんな山どこにあるんだ? 日本にはもう……。
――:
 日本にはないですね。
田中:
 いま日本人がどこかで強制収容所に入れられたとして、何に郷愁を感じるんだろうね。
土屋:
 そうねぇ……ないよねえ。ハゲ山とコンクリートで固められた川ばっかだし。(笑)
――:
 そういう原風景みたいなものはもう持てないかもしれませんね。
田中:
 昔はあったはずの原風景ってものを、自分たちの手で破壊してきちゃったわけでしょう。ぼくらが子供の頃はよく「日本が世界に誇るものは美しい自然」って言ってたけど、今は全然言わないものね。
――:
 言えないんですね。
田中:
 そのうちトンデモ本が出版されるかもしれない。「経済成長という口実で日本の原風景が破壊されたのは、どこかの国の陰謀だ」という内容のね。(笑)>

 いくらイギリスの自然風景に感動したからといって、日本の自然環境に対してこれほどまでの被害妄想に満ちた虚言癖を披露されると、さすがの私もこの2人の精神状態がいささか心配になってきてしまいますね(笑)。対談内容を読んだ限りでは重度の精神障害を患っている可能性が極めて高いように見えますので、悪いことは言いませんから一度精神科医のカウンセリングを受けることをオススメしますよ(笑)。まあもうすでに手遅れなレベルにまで状態は悪化しているのかもしれませんが(爆)。
 だいたい、あれほどまでに森林に溢れている日本の山々のどこをどう見れば「日本の山々は全てハゲ山ばかり」などというとんでもない結論が出てくるのか理解に苦しみますね。別にそれほど深く考えずとも、少し車で日本の山岳地帯をドライブしてみれば、高原地帯などの一部例外を除いて日本の山々が森林に覆われているのを確認することができますし、統計的に見ても、日本は国土面積(約38万ku)に対する森林面積(約25万ku)の割合(これを「森林率」と言います)が約67%と、世界でもベスト10に入る森林大国として位置づけられているのです。この森林率は日本の歴史上最高の数値でもあり、世界各国の平均森林率が約31%、森林国と一般に思われているカナダですら39%でしかないことを考えると、世界的に見て日本がいかに森林大国であり、森林育成に熱心であるかがお分かりいただけるでしょう。
 ちなみに田中芳樹と土屋守が「グリーンが多い」などとやたら絶賛していたイギリスの森林率はたったの10%弱に過ぎず、ヨーロッパ諸国の中でも下から数えた方が早いほどの少ない森林率しかありません(ヨーロッパ諸国の中で一番森林率が高いのはフィンランドの約68%)。イギリスにはかつて原生林を全て皆伐し尽くした過去がある上、木造の船が主流だった頃は、軍船を建造するために、海軍大臣自らが必死にオークの木(楢の木)を育てようといつもポケットにドングリを入れて、あちこち行く度に植えて回ったという逸話が存在するほどに昔から森林に餓えていた国なのです。このイギリスの惨状と日本の豊かな森林事情を比較してイギリスの方を「豊かな緑にあふれている」などと絶賛するのは、謙遜混じりのお世辞にしてもあまりにも現実離れし過ぎていますし、ましてや「日本もこれを見習え」などとお説教するに至っては、却ってイギリスに対して失礼になるのではありませんか?
 そもそも田中芳樹と土屋守は、世界における文明の発展自体が大規模な森林伐採によって成り立ってきたという歴史的事実すらも知らないのではないでしょうか。エジプト・メソポタミアなどの古代文明が栄えた地域は現在砂漠が広がっていますが、それらの地域にもかつては広大な森林地帯が広がっていたのです。それを人間が自分達の文明を維持・発展させていくために際限なく伐採し、ついには砂漠にしてしまったわけです。「文明が森林を食い尽くす」と言われているほど、地球上にはこのような人間の文明発展のために砂漠化してしまった地域がたくさん存在します。
 特に田中芳樹が過去のヨーロッパと比較して「当時世界最高の先進国」などと盲目的に礼賛していた昔の中国などは、皮肉なことにその「当時世界最高の先進国」という性格が災いして、昔からその高レベルの文化水準を維持するために大規模な森林伐採が行われていました。早くから使用されていた紙や鉄の大量生産のために大量の木材が必要とされましたし、歴代王朝の宮殿の建造が行われた際の木材需要を満たすためにも大量の森林資源が伐採されていきました。その結果、中国華北地方の山々のほとんどがハゲ山と化してしまい、現在に至るもその傷跡は全く回復していないのです。ちなみに現在の中国の森林率はわずか14%に過ぎません。
 純粋に森林破壊だけを問うのであれば、現代日本よりも古代文明の方を批判した方が良いのではありませんか? まああの2人にそんなことを期待するのが無理なことは言われるまでもなく理解していますが(笑)。

 ところで田中芳樹と土屋守は、「昔はあったはずの原風景というものを、自分たちの手で破壊してきた」などという理由で日本を非難しているようですが、そもそも自分達が感情移入しているその「原風景」なるシロモノ自体が元来自然なものではなく「人為」によって造られてきたものであることさえも知らないのではないでしょうか? 実は「昔から存在する原風景=本来の自然」ではないのです。
 上記の森林問題を例に取り上げて説明しますと、実は上記で言及したような「文明の発展に伴う森林破壊」自体は日本の歴史にもあったのです。日本の場合は幸いにも気候に助けられて砂漠化だけは免れることができましたが、だからといって決して無傷だったわけではありません。
 たとえば現在の日本における森林は、秋に紅葉が楽しめる落葉広葉樹林がその多くを占めていますが、本来の気候に従うのであれば、すくなくとも現在の西日本における森林のほとんどは温暖な気候に適している照葉樹林が占めていなければならないはずなのです。にもかかわらず、照葉樹林を差し置いて落葉広葉樹林が多数を占めているのは、縄文時代に焼畑農耕がしばしば行われており、焼畑が行われた後の環境では照葉樹よりも落葉広葉樹が優勢になるため、焼畑後の環境下で照葉樹が自然淘汰されてしまったからだと言われているのです。つまり縄文時代の焼畑農耕が、日本の自然形成に大いなる影響を与えていたということになるわけです。
 また奈良・平安時代には、何度もたびたび行われた遷都に伴う新都造営のために大量の木が伐採されていますし、世界一の木造建築物である東大寺の大仏殿と大仏を建造する際にも、当然のことながら大量の木材が必要され、周辺の山々から木が伐採されていきました。
 さらに、時代が下るに従って発展した農耕生産は必然的に木炭・肥料・マキなどの材料を必要とし、都市生活用や産業用に使われる木材や木炭などの需要を満たすためにも、森林資源は徹底的に消耗されていったのです。そのような森林資源の消耗が長く続いたため、室町時代の頃には日本の森林資源もすっかり激減してしまい、日本の至るところに本当のハゲ山が点在するという惨状を呈していたのです。
 それがなぜ現代の日本が世界でも有数の森林大国にまでのし上がったのかと言うと、江戸時代に入って幕府や藩が個人の木の伐採を厳しく管理するようになり、それと同時に植林が積極的に推進されるようになってきたからであり、また明治時代以降の日本政府や地方公共団体もこの方針を踏襲してきたからです。日本における杉林のほとんどが江戸時代以降に植林された人工林ですし、松や梅などといった日本人に馴染み深い木も植林によって増えたものです。これらの例を見ても、日本の森林が自然に形成されてきたのではなく、常に「人為」が介入してできたものであることがお分かりいただけるでしょう。
 このように、自然というものもまた、時代の変遷および人為の介入によって常に大きく変動しているものなのであり、田中芳樹や土屋守が「原風景」などと称えているその風景もまた、それ以前の「原風景」を破壊した人間が「人為」によって営々と築き上げてきたものなのです。そして現代の日本はまさにそのような「自然に対する人為の介入」によって、世界でもトップクラスの豊かな森林資源を誇っているわけなのですから、日本は世界的にも歴史的にも稀なほどに森林保護に熱心な国だと言えるではありませんか。「昔から存在した本来の自然が彩る美しい原風景を破壊してきた現代日本」などというシロモノは、田中芳樹と土屋守が共有する妄想上の世界にしか存在しないのです(笑)。
 「『経済成長という口実で日本の原風景が破壊されたのは、どこかの国の陰謀だ』というトンデモ本が出版される」などという「仮定の話」について考えるより先に、この「イギリス病のすすめ」という対談本自体が読者からトンデモ本と認定される「現実的な可能性」について、少しは考慮してみた方が良いのではないですか、御二方。


イギリス病のすすめ・文庫版 P213〜P215
<――:
 今の子供たち、森って言っても多分わからないでしょう。カブト虫も電池切れちゃう時代ですからね。(笑)
土屋:
 周りに自然がないでしょ? まあぼくは海育ちだけど、川で育った人間にとって、川ってのは人が行って遊ぶとこだったはずなのに、今の日本の川ってのは全部コンクリートの護岸で固められてるのね。要するにあれは、川に人を近づけないことになってるんでしょ。そういうばかなことを、どうしてしてるのかなって。まあもうじき終わるけどね、全部固めちゃえば。日本中の川は全部コンクリートで固められて、溝に変わるわけだよね。(笑)もう、マンガとしか言いようがない。
田中:
 いや、固めちゃったらこわしてもう一度最初からやり直す。それを永久にくりかえす。(笑)
土屋:
 ほんと、曲がって流れてるものをまっすぐにしてみたりとか、山のてっぺんにまで砂防ダム造ってハゲ山にしてしまうとかね。
田中:
 川に入ってみるとわかるんだけど、ロンドンでテムズ河下りをやるのと、東京で隅田川下りをやるのとでは、全然違う。隅田川下ったって、堤防しか見えないんだから。(笑)日本橋の上に高速道路渡したりして、池波正太郎さんなんかがもう、激怒してたけど、ああいうことをやるんだよね。日本のお役人ってのは。想像力といったけど、景色を見て、いいなあと思う気持ちってないのかな、どうにも不思議ですね。
――:
 いくらになるか、しか関心がないのかもしれませんね。もう物語や詩は生まれないですよね。
土屋:
 生まれないでしょうね。もう、「兎追いしかの山」もないし。だからこそ、みんなどんどんイギリスに行った方がいいと思うんだよね。イギリスに行って、見てくればいいんだよ。イギリスを見たら、日本のおかしいところがなんとなく見えるかもしれない。学べ、っていうと堅苦しいから、行くだけでいい。行って、なんだか居心地がいいのは何でだろう、って考えてみればいいんだよね。
――:
 居心地のいい国、そこに尽きますね。>

 で、日本における山岳地帯の森林事情についてわけの分からない現実離れの妄論を唱えた次は、日本の特殊な河川事情から発達した治水事業について意味不明なケチをつけているわけですか。御二方に正常人並みの思考・判断能力があるなどという非現実的な前提を元にして私からも一言忠告しますけど、人サマに対して「イギリスに行って来い」などという偉そうな説教を垂れる前に、まずは御二方こそが、日本の自然環境について書籍やインターネットで調べるなり、日本国内をその足で実際に旅行するなりしてみた方が良いのではありませんか? イギリスの河川景観を参考にして日本の治水事業を論じるのに、肝心の日本の河川事情について全く無知では話にならないのですけど。
 それにしても、日本の川を指して「川で育った人間にとって、川ってのは人が行って遊ぶとこだったはず」などと能天気な発言をさえずることができるとは、あの2人にはどうやら日本の河川が引き起こす洪水に対する知識と恐怖も全く存在しないようですね(笑)。こんなことは小学生の社会科教科書にも載っているレベルの話なのですけど、日本では台風期や梅雨期に集中豪雨が起こりやすく、また河川自体も急勾配で水の流れも速いため、昔から洪水に悩まされてきた歴史があります。また山岳地帯が多く平野面積の少ない日本では、昔から国土面積の約10%を占める河口部の平野等に人口が密集しているため、一度洪水が発生すると大きな人的・物的な被害を受けてしまう「宿命的な体質」をも有しています。そのため、昔から日本では為政者達によって様々な洪水対策が行われてきたのです。
 たとえば日本最大の流域面積を誇る利根川は、かつては「坂東太郎」と呼ばれた洪水氾濫源であり、東京湾を終着点とする河川だったのですが、約400年ほど前に江戸幕府を開いた徳川家康が江戸の都市計画に着手すると、江戸の洪水対策と新田開発を目的に、この利根川の流れを変え、東京湾から太平洋側へ流すための工事を行わせました(利根川東遷事業)。この工事は1594年から1654年までの約60年間もの時間をかけて行われたのですが、その結果、当初の目的を達成しただけでなく、東北地方と江戸とを直結させる水運路が完成することにもなり、利根川流域は水上交通で経済的にも潤うことになったのです。しかしあの2人の論法だと、家康は許しがたい環境破壊論者であり、利根川東遷事業は関東平野に大いなる自然破壊をもたらしたことになってしまうのですね(笑)。
 また大阪などは淀川と大和川の2大河川が昔から多くの洪水を頻発するために、しばしば時の政府による治水工事が行われ、1704年には、江戸幕府の命令によって大和川の付替工事が行われています。
 これらの例を見れば分かるように、山岳地帯の面積が国土の7割を占める日本では昔から河川の氾濫に悩まされてきた歴史があり、治水事業は頻発する河川の氾濫から河川流域に住む人々の生命と財産を守るためにこそ行われているのであって、何も川で遊びたい人達の娯楽を邪魔するなどという「チンケな目的」のために存在するわけではありません。上記で書いたように、河川の流れを変えることは洪水対策の一環として昔から行われていた治水事業ですし、河川がコンクリートの護岸で埋められるようになった云々の話も、それこそが洪水対策に最も有効な手段だというだけのことでしかないでしょうに。実際、河川の流れを変更したり、コンクリートの護岸で覆うといった治水手法は、洪水対策としては決してバカにできない多大な効果をもたらすのですけど。
 景観に対する配慮だか想像力だかがどうのこうのと言うより前に、まずは日本の河川流域に住む人々の生命と財産の安全について、ご自慢の配慮なり想像力なりを働かせたらどうなのですか、御二方。まああの2人は想像力を働かせるよりも先に、日本の地理と気候風土について小学生レベルから勉強し直すことの方が先決なのでしょうけど(笑)。いや、対談内容を読む限りでは精神障害がかなり悪化しているようにしか見えないあの2人には、すでにそのような要求に応えられるだけの理性ないしは常識自体がすでに失われてしまっているのかもしれませんがね(爆)。



 いよいよ次は最後の後編ですが、後編ではこれまでの愚かしい対談内容から弾き出された結論、および文末のあとがき部分について論じてみたいと思います。


No. 1194
Re:対談本「イギリス病のすすめ」についての一考察・中編
本ページ管理人 2001/11/29 00:27
>イギリス病のすすめ・文庫版 P186〜P187
宇野首相について

私は、民主主義(というか大衆社会)においては、ご主人様である大衆にどれだけ好かれるかということは重要な政治家としての資質だと思うので、それを満たしていないというだけで宇野氏やら森氏は政治家として無能だと言い切っていいのではないかと思います(それが良いと言うのではなく、むしろ問題点は民主主義の脆弱性だということです。念為)。
私は「女性問題が収拾できなかったから(民主主義の首相として)無能だった」と言い切っていいと思います。
むしろ、ここでの問題は、
「ああいうことをマスコミにしゃべった女『が』けしからん、たかがあの程度のことで『有能な』政治家がやめさせられるのは日本の損失だ」
という田中芳樹の説明がいつもの妄想炸裂デマゴーグであることのように思えますね。『』でくくった部分に操作を感じるのは私だけではありますまい。それにあんな馬鹿げたことで政治が空転することが日本の損失という人は多いと思いますが、日本でまれに見る低支持率だった宇野氏がやめることに『有能な政治家がやめさせられるのは日本の損失だ』なーんて痒くなってくること、御用評論家だって言わないでしょう。
妄想は創作活動のときだけにして欲しいものです。

>イギリス病のすすめ・文庫版 P203〜P206
自然について

田中芳樹って熊本出身のはずですが、こういう意見が出てくるって不思議ですね。もうずっと東京から帰省していないんでしょうかね?
地方在住の方からは冒険風ライダーさんのような意見が出てくるのはもっともだと思います(冒険風ライダーさんは熊本在住ですよね)。
逆に都会に住んでいて、都会から一歩も出ない生活をしていれば、田中芳樹のような意見が出てくると思います。視野を日本ではなく東京都心として限定すれば、日本橋の上に高速を載せる無様さは確かにそのとおりですからね。
ただ、東京といっても、ちょっと高尾や奥多摩の方まで足を伸ばせば猪がでかい顔してうろついてるくらいですから、ここに書いているようなことを得意げに話すってことは、おそらく東京のとてつもなく狭い範囲でしか生活していなくて、そのせいで恐ろしく視野が狭く経験が浅くて、とんでもなく世間知らずなんだろうなぁという田中芳樹像が浮かんできますね。
「今の子供たち、森って言っても多分わからないでしょう。カブト虫も電池切れちゃう時代ですからね。(笑)」
なんて言ったら、いまどきのお子様に世間知らずさを笑われちゃいますね(^^;


No. 1199
Re:対談本「イギリス病のすすめ」についての一考察・中編
2001/11/29 18:07
こんにちわ、恵です☆
今回は、冒険風ライダーさんの「対談本「イギリス病のすすめ」についての一考察・中編」を拝読した感想を少し書こうと思います。
管理人さんもレスされていましたけど、最近の田中芳樹氏って、都会のかなり限定された風景しか見ていないんじゃないの?って、さすがにわたしも思いました。(土屋守氏はもっとひどい感じですけど。引用部分だけ読んでいると、そもそも、イギリスにかぶれすぎて日本の事情をすっかり忘れてしまった人のように見えますね(笑))

「昔はあったはずの原風景ってものを、自分たちの手で破壊してきちゃったわけでしょう。ぼくらが子供の頃はよく「日本が世界に誇るものは美しい自然」って言ってたけど、今は全然言わないものね」

こんなことおっしゃってますけど、11月29日(木)付の読売新聞にこんな記事が載っていました。

“壮大な実験「買い取り」”
『(前略)だが近年、原生林を自然から贈られた貴重な財産と位置づけて保護し、次世代に残そうとする動きが活発になっている。奈良県川上村が進めている原生林の買い取りなど、保護の現状を二回にわたって報告する(後略)』

この記事では、奈良県川上村が地方自治体として広大な原生林を保護するために、二年前から原生林を買い取り、環境保護のための運動を手探りで行っていることを紹介しています(この日は一回目)。
「イギリス病のすすめ」が発行されたのは1997年ということですから、時期的に「田中芳樹氏はこんな立派な運動がしっかり行われているのも知らないの?」とは言えませんけど、わたしが注目したのは一緒に載っていた奈良県川上村が買い取ったという原生林の写真なんです。みなさんにお見せできないのが残念ですけど、それはとても綺麗で、広大な原生林の写真で、「これが日本の『原風景』なんだぁ〜」と少し感動したんです。この他にも、わたしは仕事柄、日本の美しい風景を写した自然の写真のカタログをものすごくたくさん見てきました。

「「日本が世界に誇るものは美しい自然」って言ってたけど、今は全然言わないものね」

わたしは言えると思います。あなたが知らない、もしくは忘れてしまっているというだけで。冒険風ライダーさんも指摘されていますけど、田中氏は山間部の田舎に行って広大な森林を見たことがないのでしょうか?
御自分が好きなイギリスの称賛は対談の目的だから良いことだと思いますけど、それを引き合いにして日本を罵倒するのはどうかとわたしも思いました。だいたい、イギリスの原風景といっても、ロンドンみたいな大都会での話ではなくて、自然のたくさん残っている郊外での話でしょう?もしも、イギリス人の作家二人が対談で、日本の素朴な自然の残る郊外を引き合いに出して、
「日本は貴重な原風景が残っている素晴らしい国だ。それに較べてわが国は、ロンドンを見てもわかる通りスモッグだらけの環境が汚染された美しくない国だよね。「イギリスが世界に誇るものは美しい自然」って言ってたけど、今は全然言わないものね」
なんて言ってたら、イギリスの人たちはどう思うでしょうか?きっと「はぁ、何言ってるの?」って感じで失笑されると思います。どこかのお二人みたいに。昔、創竜伝で「想像力」について散々お説教していた人の言葉とはとても思えませんでした。

で、最後に河川の治水工事についての話なんですけど。
実はわたしも、子供の頃よく遊んだ、近所の田舎の綺麗な河(フナやメダカがたくさん棲息していました)が治水工事によって魚がほとんど姿を消したとき、ショックを受けた覚えがあるので(しかもその工事は、ウチの父親が監督してたからダブルショックでした・笑(^.^;))、心情的には田中氏と土屋氏の言い分も少しわかる気がします。
ただ、今となっては、常に潜在的な洪水の心配や小さな子供たちが遊ぶには危険な水深部分もある河ではあったので、冒険風ライダーさんがおっしゃられるような治水の概念で言えば、工事は当然の成り行きだったのかもしれません。なによりも、治水工事の是非はいろんな立場や考え方から語られるべきだと思いますので、少なくとも田中氏たちのように対談の趣旨とは外れたことを「心情的な理由」だけで批判(っていうか、単なる茶飲み話?)するのはおかしいと思います。景観や自然との共存を語る前に(もちろん、それも十分に考慮しつつ)、そこに住む人々安全をどうやって保証するかを現実的に考えなければ、そもそも自然を守るために邪魔な人間を駆除すべきだという極端な結論になりかねません。たぶん、お二人ともそこまで考えての発言ではないのでしょうけどねf(^-^;)。

全体的に、「イギリス病のすすめ」って、田中氏と土屋氏が日本のことだけに限らず、表面的な事実を表面的にとらえてそのまま発言しているように見える対談ですね。本人たちにしてみれば、「これは批判とか、もともとそんなに堅苦しいものじゃない」との反論もおありでしょうけど、ではどうして勝手にしなくてもいいような日本批判などして、自分たちで話を広げているのでしょうか?なんだか理解に苦しんでしまいます。
とにかく、冒険風ライダーさんの考察の後編が楽しみですね。これ以上、あのお二人はどんな珍対談を披露してくださるのでしょうか(笑)?
ではでは、楽しみに待ってます♪


No. 1208
Re:対談本「イギリス病のすすめ」についての一考察・中編
まつも 2001/11/30 16:56
> 田中芳樹って熊本出身のはずですが、こういう意見が出てくるって不思議ですね。もうずっと東京から帰省していないんでしょうかね?

 私は、熊本の天草在住なのですが、数年前に地元の新聞で熊本在住のSF作家、梶尾真治氏が、会社の都合で東京に行けないので東京に戻る田中芳樹氏にことづてを頼んだというコラムを読んだ記憶があります。(少しあやふやですが)
 ですから全く帰省していないということはないはずです。
しかし、少なくとも九州では禿げ山が延々と連なるという光景は、火山の周辺か、自衛隊の演習地以外はあり得ないはずなんですけど。妄想レンズを通した目にはそう見えるんでしょうか?

 あと、河川の治水についてですが、田中氏の世代の熊本県人なら「白川大水害」の恐ろしさを伝え聞いているはずなんですがねえ。
(注:昭和28年6月26日、田中氏が生まれた翌年に熊本市内を流れる白川が氾濫して、死者422人、負傷者1,077人、被災者388,848人、流出家屋9,102戸、床上床下浸水31,145戸の県史に残る大水害)

 自然の真の恐ろしさを知らず、安直な発言をする田中氏のような輩こそ、自然に対して傲慢に振る舞っていると思うのですが。


No. 1210
Re1194/1199/1208:まとめレス
冒険風ライダー 2001/12/01 04:16
>管理人さん
<私は、民主主義(というか大衆社会)においては、ご主人様である大衆にどれだけ好かれるかということは重要な政治家としての資質だと思うので、それを満たしていないというだけで宇野氏やら森氏は政治家として無能だと言い切っていいのではないかと思います(それが良いと言うのではなく、むしろ問題点は民主主義の脆弱性だということです。念為)。
私は「女性問題が収拾できなかったから(民主主義の首相として)無能だった」と言い切っていいと思います。>

 それは違うでしょう。それならばなぜ、宇野元総理の愛人問題があれほどまでに派手な扇情報道によって大問題に発展しながら、私が評論本編でも取り上げた橋本元総理の愛人スパイ疑惑が主要マスメディアの間であまり問題にされなかったなどというダブルスタンダードが発生するのですか?
 橋本元総理の愛人スパイ疑惑もまた、宇野元総理の愛人問題と同じように週刊誌やオピニオン雑誌で積極的に取り上げられ、国会でも問題にされ、質疑答弁も行われていますが、だからと言って朝日・毎日・読売といった主要マスメディアが、宇野元総理の時のような扇情報道を行って橋本元総理を辞任に追いやったりしましたか? 私が各マスコミの論調を追ってみた限りでは、すくなくとも宇野元総理ほどにはこの問題は騒がれなかったようなのですけど。
 それから野党・民主党の管直人にもかつて愛人疑惑が浮上したことがありましたが、これまた週刊誌系やオピニオン系はともかく、肝心の主要マスメディアではあまり重要な問題として取り上げられていなかったですね。なぜ彼らの場合は愛人問題があまり騒がれることがなかったのでしょうか? もし政治家側が主要マスメディアに対して何らかの情報統制を行っていたのであれば、それは民主主義国家における政治家としては完全に失格ですし、いかなる理由があるにせよ、政治家の圧力を受け入れたマスメディア側も批判されて然るべきでしょう。また、仮に主要マスメディア側の方が勝手に報道を自粛したとでも言うのであれば、これまたいかなる理由があるにせよ、当然その露骨なまでのダブルスタンダードぶりこそが批判対象として取り上げられるべきです。
 そもそも報道に限らず、批判というものはまず批判者こそが真っ先に「発言者としての責任」を負った上で、明確な根拠と明晰な主張に基づいて行われるべきものでしょう。それを全く行わないばかりか、宇野元総理の愛人問題に見られるような露骨な扇情・バッシング報道や、森元総理の「神の国」発言・石原都知事の「三国人」発言に代表されるような歪曲報道を平然と行って恥ずかしいとも考えないような連中の報道に対して、なぜ批判される側が責任を負わなければならないのですか? 政治家側がどれほどまでに用心しようが、連中が何らかの言葉尻や行動を捉えて扇情・バッシング報道なり歪曲報道なりを行ってくるのは最初から目に見えていますし、それを100%防ぐことなど、それこそ言論統制の独裁者か、そうでなければ全知全能の神でもない限り不可能でしょう。ましてや、マスメディアの影響力が政治家のそれよりもはるかに強大な力を誇っている現状ではなおのことです。
 強大な影響力を誇るマスメディアが恣意的な意思によって批判対象を勝手に選別しているという事実が存在する以上、きちんとした報道責任に基づいた批判であればともかく、マスメディアの扇情報道や歪曲報道に対して、政治家側の発言や行動の責任を問題にするのは酷であると思います。あのような愚劣な報道を行った責任はマスメディア自身こそが取るべきものなのですから。



>恵さん
<この記事では、奈良県川上村が地方自治体として広大な原生林を保護するために、二年前から原生林を買い取り、環境保護のための運動を手探りで行っていることを紹介しています(この日は一回目)。
「イギリス病のすすめ」が発行されたのは1997年ということですから、時期的に「田中芳樹氏はこんな立派な運動がしっかり行われているのも知らないの?」とは言えませんけど、わたしが注目したのは一緒に載っていた奈良県川上村が買い取ったという原生林の写真なんです。みなさんにお見せできないのが残念ですけど、それはとても綺麗で、広大な原生林の写真で、「これが日本の『原風景』なんだぁ〜」と少し感動したんです。この他にも、わたしは仕事柄、日本の美しい風景を写した自然の写真のカタログをものすごくたくさん見てきました。>

 日本の自然保護運動に関しては、「イギリス病のすすめ」においても、土屋守がイギリスのナショナル・トラスト(イギリス最大の環境保護団体)の事例を延々と説明した後に、それを引き合いに出して「日本の自然保護運動は地域が限定されている」だの「日本がイギリスの自然保護運動を模倣するのは無理」だのと好き勝手に喚き散らしてくれていましたし、田中芳樹自身もそれに便乗した政治批判を行っておりましたので(「イギリス病のすすめ」P206〜P212)、田中芳樹が日本の自然保護運動について知らないということは考えられません。それどころか、対談の論調を考えると、むしろ何もかも承知の上で「日本の自然保護運動は偉大なるイギリスの足元にも及ばない」とでも言っているようにすら見えますね。
 しかもその挙句に飛び出したあの2人の発言がまたケッサクものでしてね。連中はこんなことを述べていたのですよ↓

イギリス病のすすめ・文庫本 P211
<田中:
 「地方の時代」なんてまだまだ額面どおり信じるわけにはいきませんね。「住民投票」と聞いただけでヒステリーをおこす人たちもいるけど、地方議会がまともに機能してたら、そもそも住民投票の必要もないんです。
――:
 もう民度の問題なんですね。
土屋:
 そうそう、民度なんですよ。
田中:
 つまるところ、想像力の問題だと思う。水源地にゴミ処理場を作ってどうする、という、その程度の想像力すらないのではね。
土屋:
 そうね。まさに自然保護って、想像力なんだよね。今あることよりも、将来どうなるのか、っていう想像力がないと、自然保護なんて行えないわけで。最も欠乏しているのが、日本のそういう政治家だとかね、あるいは官僚だとか、そういう連中。欠乏してるっていうよりも、はっきり言って犯罪だけどね、あれは。>

 いや、確かに言っていること自体は正論なのですけど、すくなくともイギリスの6〜7倍もの森林率を誇り、昔から河川が引き起こす洪水に悩まされてきた歴史を持つ日本を、現実をロクに直視することもなしに「ハゲ山とコンクリートで固められた川しかない国」などと評価するようなアホな連中に、このようなお説教を垂れられる筋合いはないと思うのですけどね、私は(笑)。想像力や現実感覚が欠乏していると言うよりも、はっきり言って犯罪行為でしょう、このような愚かしい対談本を使って読者からカネを巻き上げるというのは(笑)。
 それにしても、この「イギリス病のすすめ」も、6章とあとがきで余計な日本批判など挿入せず、イギリス紹介だけに徹していれば、いくら何でももう少しマトモな本になったのではないかと思うのですけどね〜。そうすれば私も、今回のような考察などを長々と書く必要もなかったのに。



>まつもさん
<私は、熊本の天草在住なのですが、数年前に地元の新聞で熊本在住のSF作家、梶尾真治氏が、会社の都合で東京に行けないので東京に戻る田中芳樹氏にことづてを頼んだというコラムを読んだ記憶があります。(少しあやふやですが)
 ですから全く帰省していないということはないはずです。>

 はじめまして。
 実は上記のコラムに関しては私も読んだ記憶があります。約3〜4年程前の熊本日日新聞の日曜日特集か何かで、田中芳樹のインタビュー記事が載っていたので結構興味を持って読んでみたんですよね。内容については私もあまり覚えてはいないのですが、自分の遅筆を自慢していたかのような発言に腹が立ったことだけは今でもはっきり記憶に残っています(笑)。


<あと、河川の治水についてですが、田中氏の世代の熊本県人なら「白川大水害」の恐ろしさを伝え聞いているはずなんですがねえ。
(注:昭和28年6月26日、田中氏が生まれた翌年に熊本市内を流れる白川が氾濫して、死者422人、負傷者1,077人、被災者388,848人、流出家屋9,102戸、床上床下浸水31,145戸の県史に残る大水害)>

 この白川の大水害「6・26水害」は、熊本で集中豪雨や河川氾濫による被害が起こるたびによく取り上げられる水害ですね。1990年7月2日に熊本・阿蘇を襲った水害の時にも、この水害当時の降水量が比較対象として取り上げられていたものです。
 熊本県中部を流れる白川と、南部を流れる日本三大急流のひとつ・球磨川は、昔から洪水が多発する熊本でも有数の洪水氾濫源として知られていますし、この洪水対策のための治水事業に尽力した人達の偉人伝は、小学校低学年の郷土史の授業でも教えられるレベルの話です。この程度の基礎知識でも田中芳樹の頭の中に残っていたならば、田中芳樹もあのようなバカな発言などしなかったと私も思うのですけどね〜。


No. 1211
Re:Re1194/1199/1208:まとめレス
本ページ管理人 2001/12/01 13:02
いや、当然責任があるのはマスコミに決まっていますよ。また、前にも書いたとおり現在は民主主義社会で大衆が制度のご主人様である以上、その大衆を扇動できる力を持つマスコミが力をもつのは当然のことです。トクヴィルなんかはマスコミのことを第四の権力ではなく第一の権力といっています。
ただ、格好の餌食になってしまうあたりを、責任があるのではなく、無能といっているのです。
冒険風ライダーさんが「森元総理の「神の国」発言・石原都知事の「三国人」発言」をあげておられますが、マスコミから同じような愚劣な攻撃を受けながら、二人に対する支持率・ダメージがまったく違うあたり(首相と都知事の違いを考慮しても)、この二人の政治家としての能力の違いが歴然としていると思いませんか?


No. 1213
Re1211:政治家の支持基盤と資質の問題について
冒険風ライダー 2001/12/01 18:04
<ただ、格好の餌食になってしまうあたりを、責任があるのではなく、無能といっているのです。
冒険風ライダーさんが「森元総理の「神の国」発言・石原都知事の「三国人」発言」をあげておられますが、マスコミから同じような愚劣な攻撃を受けながら、二人に対する支持率・ダメージがまったく違うあたり(首相と都知事の違いを考慮しても)、この二人の政治家としての能力の違いが歴然としていると思いませんか?>

 それは「能力の違い」ではなく「支持基盤の違い」の問題でしょう。
 そもそも単純に考えてみても、かつて芸能界で名を馳せた故・石原裕次郎の兄で、かつ、自身も元ベストセラー作家としての名声を持つ立場を背景にして知事選という直接選挙を勝ち抜いてきた石原慎太郎東京都知事と、30年近くも一貫して国会の場における政治家としての地位にあり、故・小渕恵三元総理の昏倒後のゴタゴタで首相の地位についた森喜朗元総理とでは、最初から自らが拠って立つ支持基盤の土台に絶望的なまでの格差が存在します。だからこそ、選挙民からの支持基盤が強固な石原都知事と弱小な森元総理とでは、同じマスコミからの攻撃に遭っても支持率とダメージが全く異なってくるわけです。これは「能力の違い」によって生じるものではなく、これまでの自らの経歴によって左右される問題でしょう。
 また、石原都知事はテレビを通じて自分の意見を都民や国民に対して堂々と述べることができる比較的自由な立場にあるのに対して、日本の首相はマスメディアへの出演がマスメディア自身によって規制されている状態にあります。たとえば首相がテレビに出演する時は、全てのテレビ局に公平に出演しなければならないし、外国のテレビに出ることは禁止するなどといった愚かしい規制が実際に存在するのです。このマスメディアによる余計な報道規制が存在するために、日本の首相は自らの主張を国民に対して訴えることが最初からできない状態にされてしまっており、これが日本の首相の支持基盤形成を妨害する要素のひとつともなっているのです。日本の首相がこのようなハンディキャップを背負わされて自らの主義主張を国民に訴えることができないでいるのも「政治家としての能力云々」のレベルで評価できる問題ではないのです。
 立場的にも環境的にも、石原慎太郎氏のような政治家としての好条件に恵まれた人は非常に稀な存在です。確かにそれは「政治家の資質」としては大変貴重なものではありますが、だからと言って、そのような「運のよさ」に恵まれなかった政治家を「ツキがなかった」と評するのであればともかく「能力的に無能」と判定するのはあまりにも酷な評価であると思いますね。政治家としてスタートする位置に最初から圧倒的な格差が存在するのですから。

 それから前の投稿で管理人さんが仰っていた「ご主人様である大衆にどれだけ好かれるか」という資質についてですけど、これって政治の場ではむしろ却って「害悪」にすらなることもありえるのではないですか?
 小泉総理の政権下で外務大臣を務めている田中真紀子などはまさにその典型例でしょう。マスコミの報道などで伝え聞かれる外務省内でのゴタゴタや、外交の場における食言・放言の乱発、さらには目先しか見えないオバサン感覚レベルの行動などは、明らかに政治手腕を振るうべき政治家としては無能であることを曝け出していますが、過去に「反権力発言」でマスコミに持ち上げられた経歴から国民の支持基盤は絶大なものがあり、小泉総理も彼女の政治手腕の無能ぶりを承知していながら、国民の反発とそれに伴う支持率低下を恐れてなかなか更迭することができずにいます。では田中真紀子はこの「ご主人様である大衆にどれだけ好かれるか」という政治的資質をもってして「民主主義国家の政治家としては有能」と評することができるわけなのですか?
 政治家の大衆人気と政治手腕は全く異なるカテゴリーに属するものであるばかりか、むしろ完全に相反していることすら珍しいことではないのです。もしあくまでも政治家が「ご主人様である大衆にどれだけ好かれるか」にこだわるのであれば、政治家は自分で何も考えることなく、マスコミの報道にただひたすら迎合さえしていれば良いのです。そうすればマスコミの方が、田中真紀子のように政治家をもち上げた報道を頼まれもせずに自ら積極的に行ってくれますし、多少の不祥事にも目をつぶって黙認してくれることでしょう。そしていざ自らの政治責任が問われた時は「私はただマスコミの論調に従っていただけですから」とでも弁明すれば良いのです。しかしこのような政治家は普通「大衆迎合の無能政治家」としか評価されることはまずないでしょう。
 政治家にとって本当に重要な資質というのは、マスコミの攻撃にも臆することなく、国民にとって耳が痛い正論でも堂々と主張することができる気概と実行力であり、またそれに基づいた決断力で卓越した政治手腕を振るえることにあるわけでしょう。そしてそれこそが、マスコミの扇情報道からは決して見えてくることのない、国民が本当に望む政治家としての理想像でもあるのです。「大衆にどれだけ好かれるか」という要素は、政治家としての識見と政治手腕が備わって初めて「重要な資質である」と評することができるのであって、それが全くない政治家が「大衆にどれだけ好かれ」ようが、そんなものは政治の場では極めて有害無益なシロモノでしかないわけです。
 これから考えると、「ご主人様である大衆にどれだけ好かれるか」という資質があるか否かは、民主主義国家における政治家という職種にとって「も」二義的な問題でしかないと私は考えるのですが、いかがでしょうか。


No. 1214
Re:Re1211:政治家の支持基盤と資質の問題について
本ページ管理人 2001/12/01 19:08
> それから前の投稿で管理人さんが仰っていた「ご主人様である大衆にどれだけ好かれるか」という資質についてですけど、これって政治の場ではむしろ却って「害悪」にすらなることもありえるのではないですか?


これはそのとおりですね。
前の投稿に「民主主義の脆弱性」と書いたように、この評価基準のゆがみは大衆に依拠する民主制の問題点であり、行政ではなく政治の観点からみたら馬鹿馬鹿しい評価基準といえるでしょう。
冒険風ライダーさんのおっしゃることは、単純に力学として捉えた政治の面からみたら、まったくの正論です。実際のところ、私もぜんぜん異論はありません。
しかし、民主主義制度である現在日本では、政治の面からだけではなく民主制度の行政を前提として、こういう馬鹿馬鹿しい基準も含んだ上で、政治家の能力を測らなければならないのではないでしょうか?
>政治家にとって本当に重要な資質というのは、マスコミの攻撃にも臆することなく、国民にとって耳が痛い正論でも堂々と主張することができる気概と実行力であり、またそれに基づいた決断力で卓越した政治手腕を振るえることにあるわけでしょう。
というのはそのとおりですし、それができないゆえに宇野氏は評価されないわけです。
田中芳樹の評論は愚劣のきわみですが、だからといって宇野氏を無能ではないとの評価はできないですね。

民主主義を支持するということは、こういうデメリットも含んだうえで行われるものであると私は思いますし、銀英伝にはその作中実験が垣間見えたものですが(このサイトではトリューニヒトは偉大な政治家ですけど(笑))、現在の田中氏にはそのあたりがぜんぜん感じられませんねぇ。
「民度」なんて言葉を口にすることは、民主主義者として自己破産するに等しいことだと私は思いますが、土屋氏との対談で嬉々としてしゃべっているあたり、イギリスで牛の脳料理でも食べ過ぎてるんじゃないかと懸念します。


No. 1215
ちなみに
本ページ管理人 2001/12/01 19:27
田中真紀子に関しては政治家として間違いなく無能だが、客いじり(笑)に関しては高い資質を持っているというのが私の評価ですね。
たとえばスポーツで評価するべきは当然上手いかどうかなんですが、プロスポーツの場合、下手でも客受けする選手にはプロとしての価値があるわけです。
もちろんプロスポーツと政治家を同一視する無茶は承知ですが、観客(有権者)に依拠しているという点では、いっしょですね。

まぁ、いくら客受けするといってもド素人がプロ野球にいられないように、田中真紀子もあれではきついでしょうねぇ。
(田中芳樹がどう評価しているのか知りたいもんですね(笑))


No. 1216
Re:政治家のスキャンダルと言えば
平松重之 2001/12/02 01:48
<土屋:
 ぼくね、イギリスに五年間いたときに、日本から首相が来るたびに毎回変わってて覚えられないんだよね。「いったい今の首相って誰なんだろう」って。一番ひどかったのは、宇野さんのときね。イギリス人もあの時ばかりはみんな、驚いてたよね。
――:
 ああいう原因でやめるような人が首相になった、ということは考えられないでしょうね。
土屋:
 考えられない。イギリスだったら国民みんな自殺してますね。(笑)「こんなおそまつな国にいたくない」ってみんな恥じます。>

 イギリスでも1963年に当時のプロヒューモ陸軍大臣が売春行為や乱交パーティーに参加した事を関係した女性に暴露され、しかもその女性を通じてソ連に軍事機密が漏れたという憶測まで流れて辞任に追い込まれるという事件が起こっているのですけどね。当時のマクミラン首相も間もなく辞任し、一年後の総選挙ではこの事件が一因で保守党は労働党に敗北して13年間維持していた政権を奪われるという結果に陥っています。
 調べた限りでは、この事件を恥じてイギリスで自殺者が続出したという話は見つけられませんでした(^^;)それとも首相じゃなく陸相なら許されるのでしょうか?(笑)


No. 1217
蛇足ながら
Merkatz 2001/12/03 00:47
>  イギリスでも1963年に当時のプロヒューモ陸軍大臣が売春行為や乱交パーティーに参加した事を関係した女性に暴露され、しかもその女性を通じてソ連に軍事機密が漏れたという憶測まで流れて辞任に追い込まれるという事件が起こっているのですけどね。当時のマクミラン首相も間もなく辞任し、一年後の総選挙ではこの事件が一因で保守党は労働党に敗北して13年間維持していた政権を奪われるという結果に陥っています。
>  調べた限りでは、この事件を恥じてイギリスで自殺者が続出したという話は見つけられませんでした(^^;)それとも首相じゃなく陸相なら許されるのでしょうか?(笑)

イギリスのお隣、フランスではミッテラン大統領の愛人問題は有名でしたね。
しかし愛人がいたからといってフランスのジャーナリズムがミッテランを批判したなんて聞いたことがありません。
だいたいフランス人はこういう方面には鷹揚で、「やはり」と反応しても、
「まさか」という反応はないようです。
総じてフランス・イタリアのラテン系は政治家の色恋沙汰に寛容で、
イギリス・アメリカなどは清教徒的生真面目さか厳しいようですね。

田中芳樹と土屋氏はこのことを知っていたのか、知らなかったのか。


No. 1220
田中・土屋両氏はスーパー日本人?
2001/12/03 19:14
>  日本の自然保護運動に関しては、「イギリス病のすすめ」においても、土屋守がイギリスのナショナル・トラスト(イギリス最大の環境保護団体)の事例を延々と説明した後に、それを引き合いに出して「日本の自然保護運動は地域が限定されている」だの「日本がイギリスの自然保護運動を模倣するのは無理」だのと好き勝手に喚き散らしてくれていましたし、田中芳樹自身もそれに便乗した政治批判を行っておりましたので(「イギリス病のすすめ」P206〜P212)、田中芳樹が日本の自然保護運動について知らないということは考えられません。それどころか、対談の論調を考えると、むしろ何もかも承知の上で「日本の自然保護運動は偉大なるイギリスの足元にも及ばない」とでも言っているようにすら見えますね。
>  しかもその挙句に飛び出したあの2人の発言がまたケッサクものでしてね。連中はこんなことを述べていたのですよ↓
>
> イギリス病のすすめ・文庫本 P211
> <田中:
>  「地方の時代」なんてまだまだ額面どおり信じるわけにはいきませんね。「住民投票」と聞いただけでヒステリーをおこす人たちもいるけど、地方議会がまともに機能してたら、そもそも住民投票の必要もないんです。
> ――:
>  もう民度の問題なんですね。
> 土屋:
>  そうそう、民度なんですよ。
> 田中:
>  つまるところ、想像力の問題だと思う。水源地にゴミ処理場を作ってどうする、という、その程度の想像力すらないのではね。
> 土屋:
>  そうね。まさに自然保護って、想像力なんだよね。今あることよりも、将来どうなるのか、っていう想像力がないと、自然保護なんて行えないわけで。最も欠乏しているのが、日本のそういう政治家だとかね、あるいは官僚だとか、そういう連中。欠乏してるっていうよりも、はっきり言って犯罪だけどね、あれは。>


は?想像力の問題って…。
だいたい、「日本の山はハゲ山だらけ」なんて言うくらい、地方の自然に対するまともな認識すら持っていない田中氏に「想像力」のお説教されるわたしたち日本人って一体何なんでしょう?いくらなんでもバカにするなって言いたいですね、この対談読んでると。部分的に聞いても、ろくでもないことばかり言ってるみたいですしね。

「日本の自然保護運動は地域が限定されている」
「日本がイギリスの自然保護運動を模倣するのは無理」

首都圏で大々的に自然保護運動をやれば「民度が高い」とご満足するんでしょうか?(でもホント気持ち悪い単語ですね、この「民度」って(^.^;))でも、近代に限らず、もともと日本に限らず、都会は人間が大昔から「原風景」=「原生林」のような森が今でも残っているのは(根元的な人間の営みを否定するつもりがないなら)どう考えても人里離れた「限定された地方」だけです。そういうところで村の財政(前出の新聞の例では、河上村はトータルで10億円の支出で原生林を買い取る予定だそうです)を大きく割いて保護活動を行ったりするのは想像以上に大変なことでしょうし、たとえ自然保護運動が盛んなイギリスと比べたとしても、そういう決して小さくない努力の積み重ねを「日本がイギリスの自然保護運動を模倣するのは無理」なんて結論づけるなんてどうかしてるとしか思えません。日本の事情を知っていてこんなことを言っているなら、実際の田中氏は、もうどうしようもないくらい「傲慢で独り善がりな人格」と断言できちゃいそうですね。
それと、わたしがどうしても一番気になるのは、この二人の、「日本は民度が低い」とか「日本の想像力が欠乏している連中」という、まるで自分たちは違う国の民族であるかのような口調です。確か、管理人さんも創竜伝の記述を評して「じゃあ、これ書いてるお前は何人だよ?」とおっしゃっていた覚えがありますけど、ホントに何様のつもりなんでしょうか?自分たちは普通の日本人より一段高いところに腰を下ろして偉そうに批判し、間違いなくその一員である自分たちを省みて恥じるわけでもなく、そして現実的な未来の展望や提言もなく、言うにことかいて「日本人はイギリスに行ってこい」だなんて…。イギリス人に言われるならともかく、この二人にだけは絶対言われたくないですね。何考えてるんでしょうか?それとも、シャレで言ってるつもりなのかな?(e_e;)ま、たぶん本気で言ってるからこそ、それが滑稽なんですけど(苦笑)。


>想像力や現実感覚が欠乏していると言うよりも、はっきり言って犯罪行為でしょう、このような愚かしい対談本を使って読者からカネを巻き上げるというのは(笑)。

「無事に」売れなかったのですから、犯罪被害が少なくて何よりです(笑)。冒険風ライダーさんのおっしゃる通り、エンターテイメントでない田中芳樹氏は、ファンにとっても「お呼びでない」ことの良い証拠でしょうね。ちなみに、今回のような批判目的でなかったら、わたしもまったく興味を示さなかったと思います。手法は対談でもエッセイでも何でもいいから、せめてわたしの好きな村山由佳のエッセイ「小説家ぶー子イギリスに行く」くらいの面白さでイギリスを語ってもらいたいものですf(^.^)。わたしはこれを読んで、ごく自然にイギリスに興味を持ちましたが、「イギリス病のすすめ」を直接読んだら逆のことを思ってしまいそうです(^.^;;)。


No. 1221
田中芳樹の自己矛盾
TotalMoled 2001/12/03 21:38
江戸時代以来父方も母方も都市に住み続け、故郷といえば都市である私にとっては彼の言う郷愁など異次元の話ですな。
なんせ先祖の墓が都市の中のウサギ小屋寺(笑)と戦後の都市計画で出来た墓地公園にあるので墓参りの際でも「ウサギ追いし〜」なんて感じません。
ついでに言うと父方は件の大和川付け替えと言う「環境破壊」で海が埋まると言う「公害」をうけ、
主要産業の貿易に大打撃をこうむった堺の出身です。
私にとっては子供がウサギ追うよりファミコンに興じる光景のほうが遥かに郷愁感じるものです、
そもそも田中氏の言う「昔はあったはずの原風景」や「日本が世界に誇るものは美しい自然」は
田中氏の批判するかつての封建的かつ専制的な歴代日本政府が「自由」も「権利」も「個」も抑圧して作ったものなんですがね。
おそらく田中氏にはそういうことを想像する力がないのでしょう。


No. 1262
Re:対談本「イギリス病のすすめ」についての一考察・中編
Merkatz 2001/12/17 20:06
この前見た関西ローカルの深夜番組で、面白い事実を知りました。
名前は忘れましたが、どこかの山では国土庁(?)が土石流災害防止のため、
毎年冬が来る前に崩れやすい斜面に高圧で土砂を噴きつけて固めるのですが、
その土砂の中に植物の種を混ぜて土砂を固めるのです。
つまり、吹き付けた土砂の中の種が春になったら芽吹いて根を張り、
斜面をしっかり固めるんだそうです。
ちなみに高速道路の壁面でも、時々芝のようなものが生えた斜面がありますが、
あれも原理は同じそうです。
(自然に生えているのではなく、種を混ぜてわざと生えさせている)

少なくともこういう素晴らしいアイデアで治山事業をやっている日本が、
イギリスより劣るとは思えませんね。
きっと土屋・田中両氏はこういった事実すら知らないのでしょう。


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