イギリス病のすすめ考察

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board4 - No.1269-1271

対談本「イギリス病のすすめ」についての一考察・後編

投稿者:冒険風ライダー
2001年12月24日(月) 21時43分

 特集「対談本『イギリス病のすすめ』についての一考察」最後の後編は、いよいよ「イギリス病のすすめ」の結論部分およびあとがきについての論評を行いたいと思います。
 今まで完全に間違った前提を元にしてイギリス礼賛・日本罵倒論を展開してきた田中芳樹と土屋守。少し検証すればたちまちのうちに理論破綻を引き起こしてしまうその支離滅裂な対談内容から、あの2人は対談本の表題でもある「イギリス病のすすめ」という結論に到達します。あの2人の出した「イギリス病のすすめ」の内容、そしてその正体と実態とはどのようなものなのでしょうか?
 また、この対談本「イギリス病のすすめ」という本は、最初の方は比較的マトモな内容で構成されているにもかかわらず、本を読み進めていけばいくほど内容が支離滅裂なシロモノになっていくという奇妙な特徴を持っていて、その支離滅裂ぶりが頂点に達するのが、巻末に書かれているあとがき部分なんですよね。最初の方で疑い深い読者の意表を突き、拍子抜けさせておいて、後半になって爆笑ものの対談やあとがきを展開して読者の失笑を誘うという、トンデモ本の構成としてはなかなかに秀逸な出来を誇っております(笑)。
 まあ逆にいえば、この本も私が主に取り上げている6章とあとがき部分を除けば、多少の日本批判が見受けられるにせよ、それほど出来の悪いイギリス紹介本というわけでもないのですけどね。イギリスの政治事情をダシにして余計な日本批判など展開しなければ、私もここまで長い批評文を書く必要などなかったのですが(T_T)。
 では、そろそろ始めることに致しましょうか。

イギリス病のすすめ・文庫版 P215〜P216
<土屋:
 それともう一つ、日本はイギリス病を輸入しないといけないね、イギリス病にかからないといけないんじゃないか、それはやっぱり「美しく老いる」ことなんだよね。その渦中にあったイギリスは、美しいなんて思ってられなかったと思うけどね。覚悟はあったとしてもいきなりのイギリス病だったし。……でも、今になってみると、やっぱりああいうふうに停滞をするということ、停滞をしなくちゃいけないということ……要するに、「進歩し続けることが唯一の道」みたいな考え方を、どこかで転換させなきゃいけないんじゃないか。かといって退化しろというわけじゃないけどさ。(笑)もともとそれは無理だしね。退化するわきゃないし、退化できるわけがないけど。
田中:
 永遠に全力疾走できるわけはないのに、そう思って走ってきて、一度でも転ぶともうレースに参加できない、という感じでずっとやってきたから……やっぱりこれは「イギリス病のすすめ」ってのがいいかもしれない。少なくとも歩くとか休むとかっていう選択ができるようにしておきたいですね。
土屋:
 だからね、貧乏になろうよ、国を挙げて貧乏になりましょうよ、って。おれは貧乏だけどね。(笑)
田中:
 日本全体がもともと貧乏だったんだし。(笑)ちょっときれいごとすぎるけど、「清貧」って言葉もあるくらいだから。日本人自身も、そのほうが気楽かもしれない。
土屋:
 金持ちだから世界中で悪いことやるわけで、「貧乏になりゃあいいじゃないか」ってね。>

 どうも上記に引用した対談内容が、これまでに並べ立てられた愚劣な対談の集大成であり結論でもあるらしいのですが、私はこれを読んだ時、この2人のあまりの無知と無定見に基づいた愚かしい結論に思わず眩暈がしてきてしまいましたね。何しろ本のタイトル名にもある「イギリス病のすすめ」の「イギリス病」というのが「イギリス好きが高じたイギリスマニア」という意味ではなく、イギリスに経済的衰退をもたらした現象として知られている「英国病」を指していることが判明したわけですから。
 そもそも英国病とは何か? それが本格的に始まったきっかけは、第2次世界大戦後に発足した労働党政権であるアトリー内閣以来推進されてきた「ゆりかごから墓場まで」というキャッチフレーズに代表される社会福祉政策および、大英博物館や地下鉄等に代表される公共機関の国営企業化にあります。この2大政策を国家が実践するに際して莫大な資金が必要となり、それを金持ちからの税収に頼る苛烈なまでの超高率累進課税によってまかなおうとしたのが、後世に言われる「英国病」の始まりです。
 「英国病」の本質は超高率の累進課税制度にあります。イギリスは1909年に、当時のイギリス首相ロイド・ジョージが「貧困に対する宣戦布告」と称して世界で初めて累進課税制度を導入した国であり、第2次世界大戦後のイギリス歴代内閣もこの方針に従って金持ちから徹底的に「搾取」していく政策を取ったわけです。その結果、1950年代〜70年代にかけてのイギリスの税制は、所得税の最高税率70%、相続税のそれが90%以上という信じられないほど高い累進課税率を記録するまでに至ったのです。
 それに対してまず最初に反応したのが、真っ先に超高率累進課税のターゲットにされる大富豪や貴族階級といった大資産家で、彼らは当然のことながら自らの資産を守るために徹底した節税対策を行いました。大資産を保有している彼らにしてみれば簡単なことで、例えば自らが保有する博物館や美術館にそれなりの芸術品を寄進したり、福祉施設等に莫大な額の寄付を行ったりするなどして税金の控除を受けるといった手法を使うことで、いくらでも自分達が支払うべき税金を合法的に減らすことができたのです。本来支払うべき税金が完全にゼロになってしまうという例も決して珍しいことではなく、イギリス政府が超高率累進課税制度を採用したにもかかわらず、彼ら大富豪家の財産は目減りすることすらも全くありませんでした。
 この時点ですでに累進課税制度の存在意義は完全に崩壊してしまっていたのですが、それでも一般労働者階級からの反発とそれに伴う政権交代を恐れて累進課税制度の廃止に踏み切ることができなかった歴代のイギリス政権が、全く税金の取れない大富豪家に代わる財源確保のターゲットとして目をつけたのが、「アッパー・ミドル」と呼ばれるイギリス社会・経済の背骨的役割を担っている人達で構成されている上流中層階級です。累進課税制度を採用するイギリス政府にとって、イギリスの上流中層階級は大富豪家のような節税対策を行うことができない「格好の獲物」であり、それゆえ彼らはイギリス政府から徹底的に税金を掠め取られることとなってしまったわけです。
 その結果どうなったか? 自分達に課せられるあまりの酷税に耐えられなくなった上流中層階級達が、イギリスよりも安い税率を採用している国に逃亡する「ブレインドレイン(頭脳流出)」と呼ばれる現象が発生するようになってしまったのです。この「ブレインドレイン」による経済的な大打撃によってイギリス経済は著しく衰退し、その結果が廻り回って、結局は一般労働者階級をも含めた国民生活水準の低下およびそれに伴う税収の減少まで引き起こすことになってしまいました。当時のイギリスでは、自国が代表する由緒ある高級ホテルや百貨店などのオーナーが全て外国人にとって代わられるわ、ロンドンの大通りに面している商店の至るところで「閉店」の板が打ちつけられるわ、大きな家があっても住む人がいなくなるわ、挙句の果てには冬の真っ只中に大規模な停電が発生したりするなどといった、社会的にも惨憺たる状況を呈していたのです。
 さらに「ブレインドレイン」は文化流出という観点から見ても深刻な悪影響を与えています。イギリス北部に位置するスコットランドの首都・エジンバラでは、シグネット・ライブラリーという地元では有名な図書館が、英国病に伴う経営不振から、世界中から集めた貴重な蔵書の7割を売りに出してしまい、その全てが世界中に散ってしまったのです。これなどはほんの一例で、書籍や芸術品だけでなく、多くの芸術家や俳優、それに熟練した技術者や科学者に至るまで、イギリス社会や文化を形成すべき優秀な人材や貴重な書籍・芸術作品の多くが税率の安い他国に引き抜かれていきました。その結果、イギリスでは貴族や大富豪家といった「極端な金持ち」を除いた資産家が誰もいなくなり、失業率はウナギ昇り状態となり、1970年代のイギリス経済は、かつて自国が植民地としていたはずのシンガポールよりも貧しくなってしまったのです。
 その惨状が撤廃され、イギリス経済が一転して好転するようになったきっかけは、1979年に登場したイギリスの首相、マーガレット・サッチャー女史によって進められた政治改革にあります。彼女は「金持ちを貧乏にしても、貧乏人を金持ちにすることはできない」という名文句によって累進課税制度の抜本的な改正を行い、過剰なまでの社会福祉制度の撤廃、莫大な累積赤字を出していた国営企業のエージェンシー(独立行政法人)化、金融・資本市場の自由化政策などといった様々な政治改革を推進していきました。その結果、イギリス経済は往時の勢いを取り戻し、ことに金融業界に関しては世界の金融市場をリードするまでの劇的な成長を成し遂げたのです。
 これが「英国病」を発症し、その後立ち直ったイギリスの歴史です。

 さて、これと対比する形で日本の税制度について検証してみることにしましょう。
 実は日本の現行の税制度もまた、「英国病」を発症していたかつてのイギリスに勝るとも劣らない苛烈極まる累進課税制度を採用しているのです。日本の所得税の最高税率は50%(最盛期は65%)、相続税に至っては70%と、諸外国と比べて著しく高い水準の累進課税率を記録しています。これは戦中時、莫大な戦費調達のために累進課税制度が強化された名残であるに過ぎないのですが、それが今に至るまで存在しているわけです。
 そしてこの苛烈な日本の累進課税制度もまた、かつてのイギリスと同じ「英国病」の症状と弊害を日本の社会にもたらしているのです。つまり、本来累進課税制度によって多額の税金を納めるべき大資産家達が合法的に完全無税状態となり、そのワリを中堅資産家層が一番ひどく受けるという構図が日本にも存在しているわけです。
 そしてその結果生じる「ブレインドレイン」もまた、日本でもしばしば見られている現象なのです。たとえば、アーティストの小室哲哉氏は上記の苛烈な所得税の累進課税制度を嫌い、様々な節税対策を行った挙句、ついには渡米してアメリカに所得税を納めるようになってしまいました。
 また、資産相続で課せられる相続税の弊害も非常に深刻な問題で、これによって芸術作品や貴重な自然が破壊された例も数が知れません。日本画家の故・奥村土牛の子息・奥村勝之氏の著書「相続税が払えない」(日本映像出版社・文春文庫発売)には、著者の家族が父親の死後に課せられた相続税を少しでも減額するために様々な苦労を重ね、ついには故人の残した貴重なスケッチ類等を自ら焼き捨てるなどという悲惨な場面が出てきます。
 さらにもうひとつ例を挙げると、文化勲章受賞者の故・今西錦司氏が所有していた自宅の庭にはケヤキや榎・楠・銀杏などの大木が茂っていて、近所に住む人達はその庭を「今西の森」と呼んでいたのですが、彼の死後、家族に課せられた莫大な相続税のために土地を更地にしなければならず、結果「今西の森」は徹底的に伐採され、国に相続物件として物納されることとなってしまったのです。これらの実例は「英国病」的な症状が結果として日本の文化や自然を破壊してしまった典型と断言しても良いでしょう。
 日本以外の外国では所得税の税率が著しく低い国が多く、相続税が存在しない国も少なからず存在するため、これらの所得税及び相続税の弊害から逃れるために海外に逃亡し、そこで永住権を取ろうとする人達も多く、まさに典型的な「ブレインドレイン」現象が発生しているのです。そしてこれは間違いなく、日本の「英国病」的な累進課税制度がもたらした弊害であり害悪なのです。
 実は日本ほどに苛烈な超高率の累進課税制度を採用している国は世界でも稀な存在で、これとタメを張ることができる国は、それこそかつての「英国病」に侵されていた頃のイギリスぐらいしか存在しないのです(笑)。その時点で、わけの分からない対談に基づいた「日本の諸問題」に対する処方箋として「イギリス病のすすめ」などをほざいているどこぞの狂人評論家2人の主張は、空理空論で成り立っている妄想の産物に過ぎなくなってしまうのですけどね(笑)。

 さて、このように書くと「ではなぜ日本は今までイギリスのような深刻な経済的打撃を全く受けることなく、高度経済成長を成し遂げることができたのか?」という疑問を抱く方も多いのではないかと思います。何しろ、日本の累進課税制度も戦前からすでに導入されており、イギリス以上に長期にわたって運営されているわけですからね。本来ならばイギリス以上に深刻な現象が日本で起こっていたとしても決して不思議ではなかったでしょう。
 ではなぜ日本ではイギリスほどにひどい「英国病」が発症しなかったかと言うと、全く皮肉なことに、日本の税制には無数の抜け穴が存在しているため、税金徴収システムが健全な形で機能しておらず、それによって恩恵を受けた人達がイギリスよりもはるかに多く、結果として累進課税制度の毒がある程度中和されていたからです。
 たとえば日本の税制には「租税特別措置」と呼ばれる税の控除制度が存在するのですが、これには企業活動の保護・特定産業の保護・特定弱者の保護などといった様々な名目で約80種類以上も設けられています。このような租税特別措置の中でもっとも有効な節税対策として利用されてきたのが「赤字法人は国税が免除される」というもので、日本の企業はこれを利用して「所得隠し」「不必要な設備投資による利益償却」「借金のための借金」などといった様々な赤字工作を行い、自己防衛のための税金逃れを行っているわけです。それがいかに徹底しているかは、日本に存在する246万法人のうちの約65%が、赤字法人として納税義務を免れているという一事で充分過ぎるほどにお分かりいただけるでしょう。
 また、日本の所得税には累進課税制度とは別に、税収の公平性が著しく損なわれているという問題があります。たとえば、日本では所得税額を決める際の所得捕捉率が業種によって著しく異なり、サラリーマンが源泉徴収によって所得をほぼ完全に捕捉されているのに対して、自営業者は約5〜6割、農家は3〜4割ほどしか税務署によって捕捉されていないため、業種間に税負担の著しい格差が存在しているのです。このサラリーマン・自営業者・農家の所得捕捉率の格差現象を指して「クロヨン(9:6:4)」「トーゴーサン(10:5:3)」という言葉まで作られたほどです。そして、納税者の所得を捕捉すべき肝心の税務署は、脱税の疑いがある大口の確定申告者を5年に1度実地調査するだけで、ほとんどの確定申告者を事実上野放し状態にしてしまっているというのが実情であり、これが業種間の不公平感を著しく高める原因となっています。
 さらに所得税には、年収がある一定の額に達していない者には課税を免除する「課税最低額」と呼ばれるものがあるのですが、この課税最低額が日本では世界最高水準の高さを誇っています。1998年度の夫婦・子供2人の給与所得者に対する日本の課税最低額は491万円で、この課税最低額によって、日本の労働所得者約6600万人のうち、3割近くに当たる約1900万人が所得税を完全に免除されてしまっているのです。これもまた「税の公平性」という観点から見れば著しい弊害でしかありません。
 しかしこの著しく不公正かつ不公平な税制度は、日本が終戦後の極貧状態から高度経済成長を成し遂げ、世界屈指の経済大国にまでのし上がっていくまでは、累進課税制度の弊害をある程度中和し、企業の成長を助け、一般国民の所得水準を著しく向上させたために「結果としては」極めて有効に機能していたのです。もし戦後の日本でイギリスのような累進課税制度が完全に実施されていたならば、日本もまたイギリスのような「英国病」に侵され、国民は塗炭の苦しみを味わっていたことは間違いなかったのですから、このような穴だらけの不公平税制でも、「英国病」をもたらしたイギリスの累進課税制度などよりははるかにマシなシロモノであるとは言えるわけです。
 もっとも、この不公平税制も「英国病」の症状を完全に中和しているわけではなく、累進課税制度で純粋に恩恵を受ける低所得者層と、節税対策が展開できる超高所得者層・大企業に挟まれた中間の中堅資産家層、具体的には中小企業の社長や幹部・中堅技術者・芸能家・芸術家・文化人といった人達がその分ワリを食って税金を国から徹底的に搾取されるという「英国病」の基本的な症状を日本が発症していることに変わりはありません。だからこそ、そういった不公平税制の恩恵を受けない中堅資産家層の間で「英国病」の症状のひとつである「ブレインドレイン」現象が発生しているわけです。
 また、昨今の日本では経済の停滞と円高の影響で、企業の海外進出とそれに伴う産業の空洞化という、従来とは全く形の異なる「ブレインドレイン」現象が発生していますから、この不公平税制もすでに時代に適合できなくなっており、制度疲労を引き起こしていると評価するべきでしょう。この状況を打開するには、やはり現行の税制を抜本的に改革し、より公正かつ公平な税収体制を確立していくしか方法はないでしょうね。

 さて、長々と「英国病」の実態とそれに関係する税制問題について色々と述べてきましたが、私が述べた内容の一体どこに「英国病」を日本に推奨できるような要素が存在するのでしょうかね? 「英国病」の元となる累進課税制度はすでに日本にも導入されていますし、それがかつて「英国病」に侵されていた当時のイギリス並に高水準であることも、またその弊害が「英国病」と全く同じ症状である「ブレインドレイン」現象を発生させていることも前述の通りです。それが穴だらけの不公平・不公正な税制度によって、結果的に「英国病」の症状がある程度中和されているというだけで、日本もまた現行の税制度の下で、現時点では軽い症状ながらすでに「英国病」を患ってしまっていることに変わりはないのです。すでに病を患っている患者に対して同じ病を推奨して一体何の意味があると言うのでしょうか(笑)。
 しかも対談内容を読む限り、あの2人は「英国病」について全く無知であるばかりか、ロクに調べようとすらもしないままに「英国病」問題の本質とは全く何ら関係もない事例を無理矢理くっつけた得体の知れないシロモノを、勝手に「イギリス病」と称しているようにしか見えないのですけど、これに至っては見当ハズレなバカもいいところです。むしろ、あの連中が得意気になって喚き散らしていた「日本のバブル景気批判」などは、まさに「英国病」的な症状が引き起こした弊害であると言っても過言ではないのですけど。
 たとえば田中芳樹が日本の富裕な資産家を批判する際によく使う「日本の資産家達は自分達が保有している芸術作品を隠蔽し、一般に公開しようとしない」に関しても、これは前述に挙げた「英国病」的な所得税の累進課税制度が大きな影響を与えているのです。下手に自らの資産を公開すれば税務署の査察対象にされてしまい、自分達が営々と築いてきた財産の大半を奪われるという危機感があるからこそ、彼らは資産隠しに躍起になるのであって、この事実を無視して資産家の行為を批判しても全く意味がないのです。ましてや、田中芳樹や土屋守のように「資産隠し」の批判として、その元凶とすら言える「英国病」を礼賛するに至っては「阿呆」としか評価のしようがありません。
 また、あの2人が目の仇のように非難していた「バブル期における日本の土地高騰」の問題も、実は「英国病」の病理である税制の歪みと全く無関係ではないのです。バブル当時の土地の取引高税は40%以上で、これでは頻繁に土地取引を行って地価を高騰させなければ土地取引が全く儲けにならなかったわけです。バブル景気で一番儲けたのは不動産業者ではなく、税金を徹底的に搾取していった当時の大蔵省であり、ここでも「英国病」の元凶である「とにかく金持ちから税金を搾り取れば良い」という累進課税的な発想が浮き彫りになっています。バブル景気を破滅的に崩壊させた総量規制の件といい、あの2人はなぜ「バブル景気関連で日本経済を混乱させた諸悪の根源」である当時の大蔵省を全く批判しようとしないのでしょうか? 節税対策に目を向けざるをえない個々の資産家達を非難するよりも、そちらの方がバブル景気批判としては遥かに筋の通った内容となりえるでしょうに。
 さらに、「日本とイギリスの歴史教育格差」だの「政治家の政治倫理」だの「日本人の政治参加意識」だのといった問題およびそれに関する対談内容は、累進課税制度を問題の本質とする「英国病」とはそもそも何ら関係のないシロモノですし、「日本の自然環境破壊の問題」に至っては、批判内容自体がすでに事実無根の妄想の産物でしかないばかりか、むしろ「英国病」的な税制度が日本の自然や文化を破壊している例もこれまた前述の通りです。
 これらの諸問題のどこをどう見れば「英国病」との関連性、それも日本の諸問題を解決する処方箋としての「イギリス病のすすめ」などという発想が出てくるのか、私にはまるで理解できないのですけど。

 そして、彼らが「英国病」の本質を全く理解できていないことを示す決定的な証拠が、下記で引用している対談内容の中にあります↓

イギリス病のすすめ・文庫版 P225〜P226
<――:
 神戸のときもそうだけど、日本では官と民とがぶつかりあっちゃうみたいなとこがあるでしょう。
田中:
 官が妨害するんですよ。(笑)お役人のナワバリを荒らすな、といってね。
――:
 だから、そこをなんとかしていかないと。やっぱりここはイギリス病にかかったほうがいい、ということですね。
土屋:
 そうだね。
田中:
 上手にね。お手本さえあれば、日本人は本家と同じくらいうまくやれるはずなんだけど。反動で、陰気できゅうくつな社会になるのも困るし。
土屋:
 イギリス病にかかるワクチンかなんかあったらいいよね。国民全員に注射しちゃうとか。(笑)>

 「日本人は本家と同じくらいうまくやれるはず」だの「イギリス病にかかるワクチンかなんかあったらいいよね」だのといった能天気かつ見当ハズレなことをほざいている辺り、あの2人が「英国病」問題の本質とは何であるのかさえ全く理解していないことは明白ですね。もし少しでも理解していたのであれば、このような無知丸出しな発言など飛び出すはずもないのですから。ちなみに「どうすれば英国病にかかることができるか」という命題などは、上で私が書いた英国病関連の文章を一読すれば誰にでも答えが分かる程度のものでしかないのですけど。
 結局のところ、田中芳樹と土屋守が主張している「イギリス病のすすめ」というのは、「経済衰退をもたらす英国病」を「金持ちは悪」という誤った発想でロクな検証を行うことなく絶賛した挙句、それとは何ら関係のないイギリスの様々な政治的・社会的・文化的要素を無理矢理並べて作り出した「虚構」を勝手に「イギリス病」と称して日本に押しつけるという、非常に愚かな妄想の産物であるに過ぎないのです。だから日本がすでに軽症の「英国病」を患っていることなど思いもよらないし、自分達が批判しているはずの「日本の諸問題」を引き起こしている元凶が「英国病」にあることも、その元凶を結果的に絶賛してしまっていることにも気づかないわけです。これが、あの2人が推奨している「イギリス病のすすめ」の正体と実態です。
 まあ今回の田中芳樹と土屋守との対談の場合、内容の支離滅裂ぶりはともかく、とにもかくにも「日本人に対する提言」という「体裁」を「形だけでも繕った」という点に関して「だけ」はまだしもマトモであったとは言えますね。何しろ、創竜伝のあのキチガイ兄弟一派や、老人性痴呆症を患っているとしか思えない「仙界のバカ仙人連中」などは、四人姉妹や牛種の主義主張に対してただひたすら感情的な反発を見せるだけで、敵味方に自らの正当性を訴えるためのアンチテーゼひとつロクに作成できなかったくらいなのですから。それに関しては「いくら何でもあの愚かな低能連中よりはまだマシだった」という程度の評価ぐらいは与えてさし上げても良いでしょう。もっとも、内容は「提言」にも何にもなっていない、どうしようもなくバカなシロモノでしかないのですが(笑)。
 もっともこれは、同じレベルの狂人同士を比較して「どちらがより人間としてよりマトモな存在か」なるテーマを論じるという、実に不毛極まりない行為でしかありませんから、やってて虚しくもなってきますけどね(爆)。

イギリス病のすすめ・文庫版 P217〜P219
<土屋:
 だから、賢く金を使って落ちぶれたほうがいいんじゃないかって……むずかしいなぁ。(笑)まあ、田中なんか、言いたいだろうなあ、やっぱり税金いっぱい払ってるから……。
田中:
 うん、言いたい、有効に使ってほしい。(笑)とりあえず都議会議員の数を半分にしてください。
土屋:
 で、都庁売りましょう、ですよ。
――:
 売っちゃいましょうね、電気代もかかるし。(笑)
土屋:
 都庁とか、区役所とか……なんだろうね、あれ。なんか、勘違いしてるんじゃないかと思うね。公僕でしょ、あの人たちは。一番貧しい事務所にいてね、冷房もないところで汗かきながら仕事して公僕っていうんであってさ、あんな高い所にいて、ふんぞりかえって、下々を見下ろして、何が公僕だ、ってね。そこが根本的に違うんじゃないかって。
田中:
 でも、「わたし公僕って言葉が一番キライ」って、大蔵省のお役人の奥さんが言ったらしいから。(笑)佐高信さんの文章によると。
――:
 なんかものすごい勘違いしてますね。それ。
土屋:
 日本を動かしてるエリートだと思ってるんだからね。それでもって私腹こやして天下りして……。
田中:
 エリートって、最終的な責任を背負う人のことなんですけどね。
――:
 エリートだけで、どっかに言ってくれるといいですね。(笑)エリート島というのをつくってスノッブに暮らしていただければ。
土屋:
 それは言えてるよね。どっか、夢の島あたりに隔離してね。……イギリスでは公僕うんぬんと言うよりも、「国家に奉仕する」っていう意識があって、腐ってもやっぱり大英帝国だなあ、って思うよね。>

 土屋先生、あなたにひとつ心から忠告したいことがあるのですが、あなたの仰る「国家に奉仕する」という考え方は、あなたの対談相手である田中芳樹が一番嫌っている価値観であり、あの御仁はそのことを自分の著書の中でことあるごとに何度も主張しています。そのような作家との対談でこんなものを出してしまったら、あなたの対談相手は却って窮地に立たされることになってしまうのではありませんか? イギリスについて語る前に、少しは対談相手の思想的傾向や特性ぐらい把握しておいた方が良いのではないかと思うのですが(笑)。
 まあそんなことはさておき、一体何なのでしょうかね、このあまりにも職業差別的な対談内容は? 前編で論評したイギリスの貴族院関連の対談でもそうでしたが、この連中はそもそも「ノブレス・オブリッジ」や「国家奉仕」といった精神が何らの代償もなしに出てくる思想だなどと根本的に勘違いしているのではないでしょうか?
 確かに民主主義国家における政治家や官僚といった職種は、制度上の「ご主人様」と位置づけられている国民に対して奉仕すべき存在ではあります。しかしその定義は、政治家や官僚といった職種が、あたかも古代奴隷制度下における奴隷のごとき「卑しい」地位であることを意味しているわけではありません。むしろ、自己を犠牲にして国民に奉仕している存在だからこそ、国民から相応の敬意と待遇を与えられて然るべき職種であると言っても良いのです。そして、国民から敬意を払われ、エリートとしてふさわしい待遇が与えられてこそ、「国民に対して奉仕すべき存在」としての「公僕精神」もまた育まれるのです。これは官僚が引き起こす事件や不祥事を批判する事とは全く別の問題です。
 「ノブレス・オブリッジ」の精神を信奉しているイギリスの貴族階級にしてもそうです。彼らは貴族階級としての莫大な資産や特権・待遇が与えられているからこそ、その代償としての責任意識が存在するのであって、決して何もないところから無条件に「社会に対する責任意識」が発生しているわけではないのです。「ノブレス・オブリッジ」や「国家奉仕の精神」というのは、一般では絶対に認められない高水準の特権や待遇と密接不可分に結びついて初めて生まれるものなのであって、それを抜きにして「ノブレス・オブリッジ」や「国家奉仕の精神」の表面的な素晴らしさ「だけ」を語っても全く意味がありません。
 そして日本の政治家や官僚の場合、イギリスの貴族階級に見られるような「ノブレス・オブリッジ」の精神が育まれるだけの経済的特権が保証されているとはとても言えたものではなく、田中芳樹と土屋守の何ら現実に基づかないタワゴトとは全く正反対の実態と問題が介在しているのです。官僚の給与は法律によって決められ、さらに民間所得の平均と調整させられているため、いくら頑張って働いても増えることがありません。そして彼らは公務員であるために労働三権も全く認められておらず、残業手当も予算の範囲内でしか支払われることがないのです。しかもそれでいて仕事量は膨大であるのに対して、人員の方は行政改革の論議で削減が叫ばれている始末ですから、特に若い官僚達は労働基準法を完全に無視した1日12時間以上もの労働に毎日従事させられているのです。住居も貧弱なもので、事務次官クラスの官僚でさえ、個人的な遺産がなければ、国ないしは地方自治体から与えられた公務員宿舎か、一般サラリーマンと同じ水準のマンション暮らしを強いられているのが実情です。
 そのような官僚達が何とか人並以上の生活をしたいと考えた場合、その道は官僚の権限拡大か天下り以外の方法がなく、それが構造的に官僚の腐敗や犯罪行為を誘発させてしまう最大の原因となっているのです。前編の論評で私は、政治家の合法的収入だけではマトモな政治活動すら行うことができないことが、日本で政治家の汚職事件を誘発させている最大の原因であると述べましたが、実は官僚にも全く同じ問題が存在するわけです。そして、この構造的な問題がなくならない限り、政治家や官僚の不祥事がなくなることなど決してないですし、ましてや「ノブレス・オブリッジ」や「国家奉仕の精神」などといった思想が政治家や官僚の中で育まれることなどありえないのです。生活に余裕がなく、常に他人から軽蔑の目で見られなければならない人間は、極めて近視眼的かつ狭い視野でしか物を見ることができないのですから、これは当然のことです。
 本当に日本の政治家や官僚達に対して「ノブレス・オブリッジ」の精神を実践してもらいたいと言うのであれば、それこそイギリスの貴族の事例でも挙げて「政治家や官僚に対して豊かな生活水準を保証すべきである」とでも主張する方がはるかに現実的な提言になるでしょう。過酷な労働条件の下で一般人と同水準ないしはそれ以下の生活水準を強いられている日本の官僚を「公僕=奴隷」的な誤った発想で断罪した挙句、イギリスの「ノブレス・オブリッジ」や「国家奉仕の精神」から自分達に都合の良い部分だけを取り出して「日本の官僚の公僕意識」について云々するなど笑止な限りでしかありません。この「ノブレス・オブリッジ」関連の件に関しても、田中芳樹と土屋守が推奨する「イギリス病のすすめ」とやらは大間違いですね。
 そもそも田中センセイ、前にも言いましたけど、あなたはエリート官僚の「最終的な責任」とやらについて云々するより前に、少しはあの筆舌に尽くしがたい愚劣かつ無責任な遅筆ぶりを改め、自らの作品および作中の「ノンフィクション評論」について、そろそろきちんとした「最終的な責任」を取った方が良いのではありませんか? まああの作家にそのような責任を遂行できるような能力があるなどとは初めから考えてもおりませんが(笑)。

 さて、田中芳樹と土屋守の対談に関する論評はこれで終了ですが、あのような愚かしい漫才対談をすらはるかに上回るトンデモ評論で構成されているのが、対談本「イギリス病のすすめ」の巻末に書かれているあとがきです。これは1997年に出版された元本版と、文庫本として出版された時に新規追加されたあとがきの2つで構成されており、どちらも田中芳樹・土屋守それぞれ別個のあとがきが掲載されています。
 このあとがきがまたツッコミどころ満載で、特に田中芳樹の文庫版あとがきに至っては、全文あまりのトンデモ内容に、まことに失礼ながら「まさか田中芳樹は何かクスリでも打ってトリップ状態になりながらこの文章書いていたんじゃないのか?」などという下司の勘ぐり的な推測まで出てきてしまったほどでした(笑)。正直、アレを素で書くことができたのだとしたら、それはある意味誰にも真似のできないスバラシイ才能なのではないかとすら思ってしまったくらいなのですけど(爆)
 そのあまりにも笑える文庫版あとがきの内容については後で詳述することにして、まずは元本版あとがきの方から論評することに致しましょう。

イギリス病のすすめ・あとがき P228〜P229
<今回、大学の同級生である土屋君との間で対談をおこない、それをりっぱな本にしてもらいました。じつはこの本をつくってくれた社会思想社のF君も、同じ大学の同級生なのです。四半世紀前の友人が集まって、家内制手工業という感じで一冊の本ができあがったことになります。
 もともとF君からは、「エッセー集を出版させてくれないか」という申し出があったのですが、私は自分が小説家であるということに妙なこだわりがありまして、(一)講演はしない (二)TV出演はしない (三)小説以外の文章はなるべく書かない――というワガママを通しております。この(三)のせいで、これまで書いたエッセー、雑文の類を全部集めても、本を作るにはとうてい分量がたりません。そこで、どうせ旧友どうしで本をつくるなら、ようやく日本に落ち着いたらしい土屋君に声をかけて、イギリスに関する対談で一冊にまとめてみよう、ということになりました。さいわい土屋君も快諾してくれたので、この本が完成したわけです。>

 「(三)小説以外の文章はなるべく書かない――」
 って、すいませんが田中センセイ、創竜伝にあれほどまでにたくさん書かれていた「ストーリーの道筋とは何ら関係のない偏向評論群」は「小説以外の文章」とは言わないのですか(笑)。もしあの偏向評論があくまでも「小説としての文章」であると言うのであれば、「現実世界に対する批判」で構成されているはずの対談本「イギリス病のすすめ」で、小説中の「フィクション評論」を「自説の補強材料」として提示したり、小説中の「フィクション評論」とよく似た主旨の対談内容が出てきたりするのは変でしょう。私が見た限りでは、「イギリス病のすすめ」における日本批判のすくなくとも半分ほどが、創竜伝におけるキャラクターの主張や偏向評論と全く同じ主旨の内容や発想法で構成されているようにしか見えないのですけど、これは一体どういうことなのですか?
 だいたい本当に田中芳樹が「小説家であるということに妙なこだわりを持っている」と言うのであれば、偏向評論を書くことよりも先に小説としてのストーリーをきちんと構成することの方がはるかに重要なことであるはずでしょう。創竜伝のように偏向評論の挿入でストーリーを破壊することや、作者自らが著書のあとがきで「ストレス解消のためにこんな作品を書いてみました」などと堂々と公言している薬師寺シリーズを出版したりすることが「小説家としての妙なこだわり」なのですか? 自らが抱いている「小説家としての妙なこだわり」とやらにことごとく反した小説執筆を行っていることを、田中芳樹は全く自覚していないのではないですかね?
 そもそも創竜伝における偏向評論は、私が論評しただけでも優に100以上もの数が存在していましたし、歴史教育関連や政治家批判・日本人論などのように、同じ主旨のテーマについて何度も言及している評論も数多く存在します。それらを総合して少しばかり加筆すれば、一冊のエッセイ本などあっと言う間に作成できたのではないかと思うのですけど(笑)。

イギリス病のすすめ・あとがき P230
<さて、日本では、選挙違反と収賄とで二度まで有罪になった人物が大臣になるという、これこそ前代未聞の大事件がおこりました。「法律に触れなければなにをやってもいいはずだ」という声もありますが、法律以前に常識の問題でしょう。「公僕のモラルが一般市民より低レベルであってはならない」というのは、世襲制独裁国家ではいざしらず、「先進国」ではあたりまえのことです。土屋君なら「イギリス人に尋いてみればいい」というでしょう。イギリスが理想国家というわけでは、むろんありません。日本を映す鏡として適正なサイズではないかと思われるのです。>

 いつものことながら私にはさっぱり理解できないのですけど、なぜ田中芳樹は特定個人を批判するに際して、名指しではなく「選挙違反と収賄とで二度まで有罪になった人物」などという「ボカシ」を使った匿名批判しかできないのでしょうかね。そりゃこのあとがきが執筆された当時の事件を検証すれば、田中芳樹の言っていることが、1997年9月に橋本内閣の下で総務庁長官に就任した佐藤孝行氏の入閣問題を指していることなど瞬時に判明するのですけど(笑)。
 しかしこの佐藤孝行氏の入閣問題で特に話題となったのが「過去に収賄罪を犯した政治家を入閣させるか否か」というテーマだったのですけど(ちなみに「選挙違反」というのはその「ついで」のレベルで論じられたに過ぎません)、その佐藤孝行氏の「罪状」が「ロッキード事件における200万円の収賄罪」だと知った時、私は思わず爆笑してしまうと同時に、あのような発端からしてふざけた事件と、近代民主主義国家としての裁判手続きを徹底的に無視した判決を元にして、政治家の「罪状」をさも嬉しそうに糾弾している田中芳樹の「犯罪的なまでの無知」に対して、いっそ哀れみすら感じてしまったほどです。
 そもそもロッキード事件とは何か? それは1970年代、日本政府がアメリカのユダヤ系兵器企業ロッキード社から民間航空機「トライスター(L1011型機)」を購入する際に、当時のロッキード社の副社長コーチャンが、当時の政界の有力者であった故・田中角栄元首相をはじめとする数人の政治家に対して賄賂が贈られたとされる事件なのですが、その事件の発端となったのは1976年2月、ロッキード社の秘密工作資金について書かれた資料が、なぜか「まとまって」しかも「宛先違い」で、アメリカ議会に属する上院外交委員会のひとつである多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)に誤配されたことから始まっているのです。
 このチャーチ委員会というのは、当時民主党に所属していたチャーチ上院議員を長とし、アメリカ兵器会社の兵器・航空機輸出に関して監視の目を光らせ、糾弾することをひとつの目的としていた委員会です。そのチャーチ委員会にとってはまさに目の仇とすら言えるロッキード社の秘密資料が、よりによって自分達の元に「誤配」され、しかも自分宛てでない郵便物を開けることは信書の禁を侵したことになり、犯罪を構成する条件となりえるにもかかわらず、「なぜか」それが堂々と開封され、その罪は全く問われることのないままに、ロッキード社の資料が「収賄の証拠」として取り上げられることになったのです。この3流小説にも出てこないであろう、チャーチ委員会にとってあまりにも都合の良すぎる奇妙奇天烈なロッキード事件の発端は、普通誰が聞いても何らかの謀略の匂いを感じ取らずにはいられないでしょう。
 1970年代、当時日本の総理大臣だった故・田中角栄は、1973年に起こったオイルショックの教訓から、アメリカや中東のみに依存する従来のエネルギー政策に危惧を覚え、ブラジル・インドネシア・北海油田沿岸諸国といった国々を歴訪して、将来にわたるエネルギー源の確保を目指した「新資源外交」を展開していました。また、オーストラリアのホイットラム首相と手を組んだ原子力発電推進・ウラン開発計画等もまとめていたのです。しかし田中角栄首相のこれらの外交政策は、石油・原子力に関する利権を独占していたアメリカ国際石油資本(メジャー)などにとっては当然邪魔になるもので、アメリカとしては当時の田中角栄総理を何とかして失脚させたいと願っていたことは想像に難くありません。そのための格好の材料として利用されたのがロッキード事件であり、この事件はCIAの陰謀であるという説すらまことしやかに唱えられているほどです。
 しかも、当時ロッキード社が日本に購入を求めていたのは民間旅客機の「トライスター」だけでなく、自衛隊用の対潜哨戒機「P−3Cオライオン」も存在していたのですが、こちらの方が「トライスター」よりもはるかに購入金額が大きく、公金不正という観点から言っても事件としてはより深刻で犯罪性が高いにもかかわらず、「P−3C」の購入に関しては全く問題にされることなく、「トライスター」購入にまつわる収賄疑惑「だけ」が大々的に取り上げられたわけです。なぜ民間航空機の購入のみが問題視されたのかも、ロッキード事件にまつわる謎のひとつです。
 このように、ロッキード事件というのはそもそもその発端と事件の取り上げられ方自体に大きな問題があり、単なる政治家の収賄事件として片づけられるシロモノなどではないのです。

 そしてその発端以上にロッキード事件が問題なのは、「初めから有罪ありき」という結論を前提にして検察の捜査や裁判が始まり、行政権力と司法権力が「野合」して、近代民主主義国家における三権分立や司法の精神を徹底的に踏みにじったことにあります。ロッキード事件を裁いた「ロッキード裁判」というのは、日本裁判史上、最低最悪の汚点として歴史に記録されるべき暗黒裁判であると言っても過言ではないのです。
 上記に書いたような事件発端のいいかげんさはさておき(本当はそれで済まされる問題ではないのですが)、とにもかくにもロッキード事件の勃発を知らされた当時の日本の検察(東京地検)は、当然のことながら「ロッキード闇献金」の日本政府高官への贈収賄罪を立件するために、贈賄側の取調べを必要としました。ところがこのロッキード事件における贈賄側の「主犯」であるコーチャン・ロッキード社元副社長や、贈賄の「実行犯」とされたロッキード社のクラッター元東京事務所代表はアメリカにいるため、日本の捜査権が及ばない日本の検察機構は手を出すことができなかったのです。そこで東京地検は、外国の裁判所に対してコーチャン、クラッターに対する証人尋問を依頼することを決断しました。
 しかし、この当時の日本の刑事訴訟法には、外国の裁判所に対して証人尋問を依頼する明文規定が存在しなかったのです。「明文にないことはできない」という裁判の原則に従えばこれ自体がすでに検察の違法行為と言えるものだったのですが、それに加えて、ロッキード事件に関する証言を引き出す際にコーチャン元副社長が出した条件が「起訴免責」、つまり、証言することと引き換えに、その証言によって自分を贈賄罪・偽証罪で起訴しないというものでした。これを「嘱託尋問」と言うのですが、この「嘱託尋問」のような外国人に対する起訴免責もまた、日本の刑事訴訟法には全く規定が存在しないものなのです。本来ならば、このような違法行為に基づいて得られた証拠や証言などは、いくら正確な事実を述べたものであったとしても、裁判の場で「犯罪立証のための証拠」として提示することは決して認められないシロモノなのです。
 加えて、アメリカの裁判所判事は日本に刑事免責制度が存在しないことを知っていたため、検察の「不起訴宣明」だけでは安心することができず、
 「この不起訴の約束によるコーチャンらの証言調書の引渡しには、日本の最高裁のオーダー又はルールを必要とする、それがあるまで証言調書は引き渡さない」
 と、検察だけでなく最高裁の約束まで要求するという慎重さを示したのですが、その要求を受けた日本の最高裁は、その手法的是非を何ら詮議することすらもなく、たちまちのうちに最高裁判事の全員一致による「不起訴宣明書」を提出してしまったのです。これは本来、最終的な「被告の味方」であるべき最高裁が、事件の捜査段階から検察側に荷担したことになり、違法を正すべき職責を任務とする裁判所の対応としては明らかに不当な行為です。
 しかも、それほどまでに無理をしてまで得られた「証言」が、必ずしも事実を正確に述べているとは限りません。むしろ、証言することで自らの罪が免罪されると約束されたコーチャン、クラッターらの立場から考えてみれば、その約束を日本側に履行させるためにも、あることないこと自白しまくるなどという可能性が充分にありえるわけです。そんなもので有罪にされてはたまらないということから、近代民主主義国家では、被告が証言者に対して直接尋問する、いわゆる「反対尋問」の権利が認められています。日本にも日本国憲法第37条2項に反対尋問に関する規定が存在します。
 ところがロッキード裁判に関しては、あの違法だらけの手続きで入手した証言に対する反対尋問権すら、被告には全く認められなかったのです。しかもこの反対尋問権は被告側が直接裁判所に請求していたにもかかわらず、裁判所は「必要がないから」というただそれだけの理由で却下してしまっているのです。「必要がないから」も何も、反対尋問を「必要」としているのは裁判所ではなく被告の方であり、だからこそ裁判所に請求していたのしょうに。これではコーチャン、クラッターらがたとえどんなにいいかげんな証言を行ったとしても、被告側はただそれを「犯罪の証拠」として甘んじて受けなければならなくなり、問答無用で有罪判決が下されることになってしまうではありませんか。この裁判所の対応は完全なる違法行為であるばかりか、被告の裁判を受ける権利を蹂躙し、近代民主主義国家における裁判の基本原則を真っ向から否定するものです。
 さらには、それほどまでのあまりの違法性に満ち溢れているコーチャン、クラッターらの証言内容自体が、実は政治家の収賄罪を本当に立証するものではありえないのです。「主犯」であるコーチャンの証言は、ロッキード社からばら撒かれたカネが、日本側の総合商社・丸紅や当時の政商・小佐野賢治(故人)らに渡ったところまでしか述べられておらず、そこから先のカネの流れ(たとえば「誰それの政治家にどのくらいのカネが渡ったか」など)に関しては全く言及されていませんし、「実行犯」クラッターの証言も「思い出せません」だの「おそらくそうでしょう」だの「はっきりしたことは言えません」だのといった発言が乱発されている極めて曖昧な内容で構成されているばかりか、クラッターから賄賂を受け取ったとされる日本側関係者の証言との間にかなりの食い違いが生じているなど、とても「被告の犯罪を立証するに足る証言」と評価できるシロモノではありえないのです。こんなものでは被告を有罪にするどころか、そもそも検察が容疑者を被告として起訴することすら、本来なら不可能なことなのです。
 政治の世界とは違い、裁判はあくまでも「過程こそが全て」の世界です。「有罪判決にはほんのわずかな瑕疵もあってはならない」という近代裁判の基本原則からすれば、このような「大穴」だらけの法的手続きと信用性が限りなくゼロに近い証言を元にして被告に有罪判決を下すなど茶番でしかありえないでしょう。ロッキード事件は、そもそも政治家の収賄事件として成立することすら、本来はありえなかった事件なのです。

 そしてロッキード事件の関係者を裁いたロッキード裁判は、検察の起訴から一審の有罪判決が下されるまでに至るだけでも7年以上の時間を必要とし、被告側の控訴・上告審まで含めると何と19年もの長きにわたって延々と続けられた挙句、月日の流れた1995年2月22日、裁判の最終的な結論となる最高裁の大法廷判決において上記の嘱託尋問の違法性が認められ、コーチャン、クラッターらの証言の証拠能力が完全に否定されました。最高裁が一度認めたものを否定するということは非常に重大な事態であり、本来であれば、このことだけでロッキード事件に関わった政治家の有罪判決は全て破棄されるに値するのです。ところが現実は全くそうなってはおらず、なぜか「違法でも有罪」などという暴論がまかり通っているわけです。ロッキード事件における政治家の罪状について云々するよりも前に、この事態がいかに異常なものであるかを裁判所に問い詰めることの方が先決でしょう。
 ちなみに、ロッキード事件の「主役」とされた故・田中角栄元総理も、事件当時は「端役」でしかなかった件の佐藤孝行氏も、ロッキード事件の収賄に関しては一貫して容疑を全面否定し続けています。故・田中角栄元総理は、ロッキード裁判について「俺は絶対にこの汚名をそそいでやる。百年戦争になっても構わない」としばしば自らの信念を公言していましたし、佐藤孝行氏も自らの容疑を一貫して否定し、1987年に「検察おそるべし」(日本映像出版社)という著書まで出版して検察や裁判所を批判しています。
 ロッキード事件の愚かしい顛末を全く知らない人達にとっては、彼らの態度はまさに「居直り」としか解釈のしようがないものなのでしょうが、上記に書いたような裁判の実態に目を向けた上で「彼らは本当に無罪なのではないか?」という裁判の原点に立ち返って考えてみれば、彼らの強硬な発言はむしろ当然であり、ふてぶてしく見える態度を取るのは当たり前のことなのです。自分が無罪なのに有罪宣告され、自らの尊厳が踏みにじられた時、それに対して怒るのは政治家として以前にひとりの人間として極めて当然の反応でしょう。そして、すくなくとも法的には嘱託尋問の違法性が最高裁自身によって明言されている事実が存在する以上、近代裁判の基本原則から言えば、彼らの主張は極めて正当なものであったと断言しても良いわけです。
 佐藤孝行氏の入閣問題は、これらロッキード事件自体の諸問題を完全に無視していたため、私には見当ハズレなことを論議しているようにしか見えなかったんですよね。何しろ「佐藤孝行には収賄の前科が存在する」という前提自体が崩壊してしまったら(そして法理論的には間違いなくそうなるはずなのですが)、あの論議は全く意味がないことになってしまうのですから。そして、あのような暗黒裁判の判決を尊重する意味も必要も全く存在しないことは、それこそ法律以前に常識の問題でしょう(笑)。「有罪判決にはほんのわずかな瑕疵もあってはならない」という近代裁判の基本原則は、田中芳樹が礼賛する中国のような前近代的な世襲的独裁国家ならばいざ知らず、アメリカ・ヨーロッパ諸国・日本といった先進国では、ごくごく当たり前のことでしかないのですから(爆)。
 田中センセイ、「裁判は結果が全て」などという誤った前提を元にして他人様の犯罪履歴を嬉しそうに糾弾する癖はいいかげんに止めた方が良いと思いますよ。近代裁判に関する無知を自ら曝け出しているだけでしかありませんので(笑)。

 さて、佐藤孝行氏とロッキード事件関連で少々長くなってしまいましたが、いよいよ「イギリス病のすすめ」文庫版あとがきの登場です。
 あまりに全文ツッコミどころ満載でありすぎますので、まずは全文引用してみることに致しましょう。

イギリス病のすすめ・文庫版あとがき P236〜P239
<多くの方のお力ぞえをいただいて二〇世紀に上梓された本が、二一世紀に文庫化されました。「めでたいこっちゃ」と能天気なことを書こうとしていたら、ニューヨークの世界貿易センタービルに、ハイジャックされた旅客機が突っこんでしまいました。テロリズムの犠牲となった無辜の人々に、つつしんで哀悼の意をささげます。
 直後に災厄をこうむったペンタゴンに対しては、正直あまり同情を感じません。これまでさんざん世界各国に無差別爆撃をおこなってきた軍事エリートの総本山ですからね。無差別爆撃がどれほど非人道的なものか、被害者になってみてはじめてわかったのではないでしょうか。簡単に忘れてほしくないものです。
 今回のことがどのような方向へどれだけ拡大していくか、現在の段階ではとてもわかりません。私はそうは思いませんが、一部の無責任なマスコミが煽動するように「キリスト教文明とイスラム教文明との全面抗争」だとするなら、仏教文明圏の日本が一方に荷担する必要は、なおのことないでしょう。テロ防止や首謀者の逮捕・裁判、被害者救済への協力は当然としても、わざわざ押しかけて忠勤を押し売りする必要はまったくありませんよ。ジャイアンのご機嫌とりに必死なスネ夫じゃあるまいし、みっともないからやめてください、歴史上はじめて在任中に自分の写真集を出し、息子を芸能界にデビューさせた首相さま。
 どうせキリスト教文明の指導者に拝謁するなら、ローマ教皇にしてみたらいかがでしょう。カザフスタンを訪問した教皇ヨハネ・パウロ二世は、「宗教を戦争の口実にしてはいけない」と語りました。歴史から学んだ人の言葉は重いものです。でも日本のマスコミのあつかいはいちじるしく小さかったですね。
 現実世界のことですから、キレイゴトだけではすまされない、というのはもっともです。でも「日本人も血を流すのが当然。批判するやつは平和ボケ」という一部マスコミの論調に賛同するのはちょっと待ちましょう。そういうマスコミの経営者や重役たちが自分自身の血を流すのを確認してからでも、遅くはありません。今回のテロ自体がそうですが、煽動者にとって他人の生命ほど廉いものはありませんからね。これまでに最前線で戦死したり、過去の戦争責任をとって自殺したりした日本のマスコミや経営者や重役がひとりでもいたのでしたら、どうか教えてください。
 さて、イギリスです。
 今回の惨劇に関して、「サンデー・ヘラルド」はつぎのように記しているそうです。
「われわれはNYの悲惨な事件に心を痛めているが、問題はアメリカが中東で行ってきたことに起因している。ハーバード医科大学によると、過去10年で、イラクの子供たち50万人がアメリカの爆撃や経済制裁によって命を落としている」(週刊朝日二〇〇一年一〇月五日号)
 根は善良で頼りになるのですが、図体と声がばかでかく、腕力自慢で自己陶酔しがち、自分に都合のよい相手だけを「心の友」とよぶジャイアン。彼の暴走をたしなめ、建設的な方向へとコントロールするドラえもんの役割は、二一世紀の地球で多分もっとも重大なものです。それがうまくいけば、地球環境の保全でも核軍縮でも武器拡散禁止でも人種差別撲滅でも、かなりの前進が見こめるはずですから、その役割をイギリスあたりに期待できるでしょうか。
 やたらとフットワークの軽いブレア首相は、内心はともかく表面的にはさっそくアメリカに強調する意思を表明し、イギリス国内では国民のIDカード保持の義務づけ、警察の逮捕権の拡大、電子メールの検閲などを法制化するようです。これらは欧州人権規約に抵触しますから、激しい議論が巻きおこるでしょう。
 アフガニスタンのタリバン政権は、いっさいの芸能活動と娯楽を禁止し、パーミヤンの石仏を破壊し、女性の人権を抑圧するなどの蛮行で有名です。女性は学校に通うことすら禁じられ、ひとりで病院に行くことさえ許されません。このような極端に非寛容で独善的な神権政治が永続しないことは、イギリスの「清教徒革命」の例によっても明らかですが、その傷をイギリスは無血の「名誉革命」によって克服することができました。アフガニスタンは歴史のよい先例に倣うことができるでしょうか。
 この四年の間に、イギリスには移民がさらに増え、文学、音楽、演劇、映画から料理に至るまで多彩で多様な創造と発展があいついでいます。それは非寛容と独善に対する寛容と自由の勝利です。このような勝利をこそ、「先進国」は誇りとし、永続させてほしいとつくづく思うのです。>

 ……しかし私も田中作品の様々な評論やストーリー破綻を色々な角度から検証してきましたけど、全文を通じてこれほどまでにツッコミどころ満載な文章は見たことがありません。仮にも公刊されている著書でこれほどまでに支離滅裂なタワゴトを「フィクションの影に隠れることなく堂々と」述べられることは「ある意味」では大変スバラシイことでしょう。マトモな理性を持っているのであればとてもできることではないのですから(笑)。
 このあとがきはあまりにも話題が多岐にわたっていますので、とりあえずテーマごとに文章を分割していきながら論評することにしましょう。

<多くの方のお力ぞえをいただいて二〇世紀に上梓された本が、二一世紀に文庫化されました。「めでたいこっちゃ」と能天気なことを書こうとしていたら、ニューヨークの世界貿易センタービルに、ハイジャックされた旅客機が突っこんでしまいました。テロリズムの犠牲となった無辜の人々に、つつしんで哀悼の意をささげます。
 直後に災厄をこうむったペンタゴンに対しては、正直あまり同情を感じません。これまでさんざん世界各国に無差別爆撃をおこなってきた軍事エリートの総本山ですからね。無差別爆撃がどれほど非人道的なものか、被害者になってみてはじめてわかったのではないでしょうか。簡単に忘れてほしくないものです。>

 田中センセイ、これってとんでもない職業差別ではないですか? アメリカ軍はアメリカの国益とアメリカ国民の生命と財産を守るために存在しているのであって、彼らは自分達の職業に誇りを抱き、アメリカの国益と国民のために自分の生命を投げ打つつもりで戦っているのですよ。そのような彼らが同時多発テロ事件の犠牲者となったことを、あたかも「当然の報いだ」と言わんばかりの発言を弄した挙句、ただの大量殺人者であるかのようなレッテル貼りまで行う念の入れようは大したものですね。かつて創竜伝で散々吹聴していた「他人を思いやる想像力」とやらはどこに行ってしまったのですか?
 第一、世界貿易センタービルの旅客機特攻を、戦時中の日本の神風特攻あたりと比較検証するのであればともかく、どこをどう結びつければ、せいぜい「飛行機による攻撃」くらいしか共通点がない「無差別爆撃」と関連付けてアメリカ軍を非難する根拠とすることができるのか、あまりにも突飛すぎる発想で私にはまるで理解できないのですけど。

<今回のことがどのような方向へどれだけ拡大していくか、現在の段階ではとてもわかりません。私はそうは思いませんが、一部の無責任なマスコミが煽動するように「キリスト教文明とイスラム教文明との全面抗争」だとするなら、仏教文明圏の日本が一方に荷担する必要は、なおのことないでしょう。テロ防止や首謀者の逮捕・裁判、被害者救済への協力は当然としても、わざわざ押しかけて忠勤を押し売りする必要はまったくありませんよ。ジャイアンのご機嫌とりに必死なスネ夫じゃあるまいし、みっともないからやめてください、歴史上はじめて在任中に自分の写真集を出し、息子を芸能界にデビューさせた首相さま。>

 このあまりにも甘すぎる現状認識には正直言って涙を誘われますね(T_T)。「キリスト教文明とイスラム教文明との全面抗争」以前に、そもそも日本とアメリカとが同盟関係を結んでいる時点で、すでに選択の余地なく日本は「アメリカ側に味方している」と国際的にも国内的にも見られることになるのですし、またあの同時多発テロ事件では日本人も犠牲となっており、またテロ事件を起こした側も日本人が犠牲となることを承知の上でテロを遂行していたわけですから、日本もまたアメリカと同じ同時多発テロ事件の「当事者」であり、また日本単独でも、テロを起こしたとされる「イスラム過激異端派」であるタリバン勢力を敵視する理由が充分に存在するではありませんか。
 また、日本はかつて湾岸戦争の際、130億ドルの資金援助と数隻の掃海艇を派遣したにもかかわらず、国際世論にはほとんど評価されず、クウェート政府がアメリカの新聞に出した30カ国に対する感謝広告の中に日本の名前がなかったなどという惨憺たる評価を受けてしまっています。湾岸戦争に見られるような「資金援助外交」では、日本が諸外国から高い評価と尊敬を受けることなどありえないのです。日本を批判する際に諸外国の対日評価を病的なまでに取り上げ、「日本を他国から尊敬される国にしたい」などと常日頃から仰られている田中芳樹御大が、結果的に日本の評価を落とすことになる外交政策を推奨するというのですから、その評価基準はいつものことながら支離滅裂もいいところですね(笑)。
 で、偏狭な宗教的対立の観点でしか政治を語ることができない田中芳樹のタワゴトはまだまだ続くわけです↓

<どうせキリスト教文明の指導者に拝謁するなら、ローマ教皇にしてみたらいかがでしょう。カザフスタンを訪問した教皇ヨハネ・パウロ二世は、「宗教を戦争の口実にしてはいけない」と語りました。歴史から学んだ人の言葉は重いものです。でも日本のマスコミのあつかいはいちじるしく小さかったですね。
 現実世界のことですから、キレイゴトだけではすまされない、というのはもっともです。でも「日本人も血を流すのが当然。批判するやつは平和ボケ」という一部マスコミの論調に賛同するのはちょっと待ちましょう。そういうマスコミの経営者や重役たちが自分自身の血を流すのを確認してからでも、遅くはありません。今回のテロ自体がそうですが、煽動者にとって他人の生命ほど廉いものはありませんからね。これまでに最前線で戦死したり、過去の戦争責任をとって自殺したりした日本のマスコミや経営者や重役がひとりでもいたのでしたら、どうか教えてください。>

 自分が出版しているシリーズ作品中であれほどまでに宗教(特にキリスト教)に対する敵愾心溢れた記述を行っている田中芳樹が、いくら自らの主張に利用できるからとは言え、最大の批判対象とすら言えるであろう「キリスト教の親玉」であるローマ教皇を突然崇拝し出すのも笑止な限りでしかないのですが、そもそもこの御仁はローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が何故あの時期にカザフスタンを訪問してあのような主張を展開したのかすらも理解できていないのではないですかね。これは思いっきり政治的な理由で、イスラム教徒が多数派を占めるカザフスタンでイスラム教との融和を印象づけることによって、「イスラム過激異端派」であるタリバン勢力やその他のイスラム教徒による「対キリスト教聖戦」の阻止を計るという現実的な狙いがあったのであって、別に崇高な理想論を敵地で唱えたかったなどという酔狂な理由からあのようなことを行ったわけではありません。自分に都合の良い勝手な歪曲解釈を元にして教皇絶賛論を展開しても、ヨハネ・パウロ二世も迷惑でしかないでしょうに。
 しかもそれを引き合いに出して日本の「一部マスコミの論調」とやらを「おまえが戦争に行け論」の劣化コピーな論調で批判するに至ってはもはや失笑ものでしかないですね。現実問題として「一部マスコミ」とやらがわざわざ戦場に赴いたところで足手まといでしかないですし、マスコミやオピニオンリーダーにとって「自らが批判される覚悟をもって政治の提言を行う」ということは、まさに兵士が前線で命をかけて戦うのと同じくらいに危険で、かつ重大な責任を背負わなければならないことなのですけど。発言者・批判者としての信頼を失ってしまったら、彼らは社会的に死んだも同然なのですから。そのような「リスク」を背負って批判活動を行っていくことの方が、ある意味、後先考えずに死ぬことができる自殺や戦死といったものよりも遥かに過酷な道かもしれないのですが、まあ小説や対談本で何ら言論の責任を負うこともなしに、恥も外聞もなく、わけの分からないタワゴトを好き勝手に喚き散らせる人にとっては、発言者の責任意識といった職業倫理など永遠に理解することもできないシロモノなのでしょうな(笑)。
 ついでに「批判者の有言実行」をやたらと重んじる田中芳樹にひとつ面白いことを教えて差し上げますが、日本は日米安保条約に基づき、日本国内の軍事基地をアメリカ軍に貸与し、「思いやり予算」などという偽善的な予算配分まで行って在日米軍に資金援助を与えていますよね? 実は国際政治学的に見ると、この時点ですでに日本はアメリカの軍事活動を積極的に支援しているとみなされても文句は言えないのです。国際関係における「中立」とは、他国の勢力を自国の領土に一歩たりとも足を踏み込ませないことによって初めて成立するものなのですから、これに従うと、あくまで日本がアメリカの報復攻撃に対して完全中立を守ろうとするのであれば、日本は日米安保条約の破棄と在日米軍の撤兵をアメリカに求め、拒否された場合は実力をもって在日米軍を日本国内から排除しなければならないことになります。
 さあ田中センセイ、「日本は同時多発テロ事件に関しては中立を守るべき」「日本はアメリカにわざわざ忠勤を押し売りする必要はない」という主張の正しさを証明したいと考えるのであれば、まずは自らがアメリカ大使館なりホワイトハウスなりに赴いて在日米軍の国外退去を要求し、それが拒否された場合は(と言っても十中八九そうなるでしょうが(笑))、当然のことながら田中芳樹自らが先頭に立って在日米軍を実力で排除することこそ、あなたが取るべき唯一の道なのではないのですか? こんな3流対談本のあとがきで能書き垂れるよりも先に、まずは自分が率先して行動しなくては(笑)。
 手法は自らの正当性を他者に知らしめるためにもできるだけ派手な方が良いですね。以前に創竜伝9巻で田中芳樹自身が取り上げていたゴールドシュタインよろしく、在日米軍基地に乗り込んで自動小銃を乱射するのも良いですし、いっそ同時多発テロ事件を真似て旅客機をハイジャックし、在日米軍基地に突っ込むのもなかなかに「ウケる」方法です。どうせ田中芳樹の妄想に満ちた頭の中では、アメリカの軍人は「これまでさんざん世界各国に無差別爆撃をおこなってきた」極悪人という設定になっているのですから、彼らが自分のテロ攻撃でいくら死んでも、それは彼らの「自業自得」ということで全て片付けられるでしょう。良心の呵責を感じる必要は全くありませんよ(笑)。何しろ現実世界のことですから、自らの主張を押し通すためにはキレイゴトだけではすまされないでしょうし(爆)。
 田中芳樹の主張に賛同するのは、これぐらいのことを田中芳樹自身にやっていただき、自らの主張の正当性を行動によって立証してもらった後でも遅くはありますまい(笑)。

<さて、イギリスです。
 今回の惨劇に関して、「サンデー・ヘラルド」はつぎのように記しているそうです。
「われわれはNYの悲惨な事件に心を痛めているが、問題はアメリカが中東で行ってきたことに起因している。ハーバード医科大学によると、過去10年で、イラクの子供たち50万人がアメリカの爆撃や経済制裁によって命を落としている」(週刊朝日二〇〇一年一〇月五日号)
 根は善良で頼りになるのですが、図体と声がばかでかく、腕力自慢で自己陶酔しがち、自分に都合のよい相手だけを「心の友」とよぶジャイアン。彼の暴走をたしなめ、建設的な方向へとコントロールするドラえもんの役割は、二一世紀の地球で多分もっとも重大なものです。それがうまくいけば、地球環境の保全でも核軍縮でも武器拡散禁止でも人種差別撲滅でも、かなりの前進が見こめるはずですから、その役割をイギリスあたりに期待できるでしょうか。>

 すいませんが田中センセイ、ひとつ質問があるのですけど、ドラえもんの基本設定の中に「ジャイアンの暴走をたしなめ、建設的な方向へとコントロールする」などといった役割配分が一体どこに存在するというのでしょうか? ドラえもんが面倒を見なければならないのはジャイアンではなくのび太ですし、その目的が「歴史を変えることによってのび太の孫の孫であるセワシの生活環境を改善すること」にあることなど、ドラえもん第1巻を少し閲読するだけで簡単に理解できる程度の常識でしかないでしょうに(笑)。田中芳樹のマヌケな説教のために、ありもしない勝手な設定をでっち上げられてしまったドラえもんが可哀想ではありませんか(T_T)。
 それからイギリスを礼賛するのも結構なことですけど、中東問題でイギリスの記事を持ち出してアメリカを非難するのはかなりヤバ過ぎるのではありませんか? こと中東問題に関しては、アメリカ以上にイギリスの対中東政策の方が、そもそもの発端を作ったという点で遥かに批判に値するシロモノなのですから。
 そもそも中東問題がアレほどまでに中東諸国を巻き込んだ大問題にまで発展するに至ったきっかけは、第一次世界大戦時にイギリスが展開した対中東3枚舌外交にあります。当時のイギリスは自国と対立するドイツ・オーストリアの同盟国陣営に属していたトルコの背後を脅かすため、トルコに対するアラブの反乱を支持し、戦後トルコ領内のアラブ人地域にアラブの独立国家を建設することを約束したフサイン=マクマホン協定を締結する一方、ユダヤ人資本家の協力を得るために、彼らの進めるシオニズム運動の支援とパレスチナにおけるユダヤ人国家の建設を約束し(バルフォア宣言)、さらにはフランス・ロシアとの間で秘密裏に3国によるトルコ領分割協定(サイクス=ピコ協定)まで結んでいました。
 第一次世界大戦終了後、イギリスはイラク・ヨルダン・パレスチナを委任統治領としましたが、この3枚舌外交が原因でユダヤ人とアラブ人とが互いに敵対するようになってしまい、イギリスは両者の統治に散々手を焼いた挙句、第二次世界大戦後にパレスチナ問題の解決を国連に委ねる事になります。これを受けて1947年11月、国連総会はパレスチナをアラブ・ユダヤの2国に分割し、エルサレムおよび周辺地域を国際管理下に置くというパレスチナ分割案を、アラブ諸国の猛烈な反対を押し切って採択しました。その結果、ユダヤ人によって建国されたイスラエルとそれに反発するアラブ諸国との間で対立が激化し、4度にわたる中東戦争を経て、現在の中東問題に至るわけです。
 確かにアメリカの対中東政策に何ら問題がないわけではないでしょうが、それ以前にそもそも中東問題の発端自体を作ったイギリスには、当然のことながら中東問題をイギリスから引き継いだアメリカ以上に大きな責任が存在するのです。つまり、こと中東問題に関する限り、イギリスはアメリカを建設的な方向にコントロールするどころか、そもそも田中芳樹が言うところの「ジャイアン」的な要素を、しかもアメリカ以上に主犯的な立場で有しているわけで、田中芳樹の希望的観測に満ちた問いかけは完全に否定されるものでしかありえないのですよ(笑)。絶望的な結論を出してしまって申し訳ありませんね(笑)。
 しかしまあ、中東問題の歴史ひとつ知らない田中芳樹などと違って、イギリスは過去に犯した自らの過ちにそれなりの責任感を感じてはいるのでしょう。アメリカの同時多発テロ事件を受けて、イギリスは以下のような行動を取るに至ったわけですから↓

<やたらとフットワークの軽いブレア首相は、内心はともかく表面的にはさっそくアメリカに協調する意思を表明し、イギリス国内では国民のIDカード保持の義務づけ、警察の逮捕権の拡大、電子メールの検閲などを法制化するようです。これらは欧州人権規約に抵触しますから、激しい議論が巻きおこるでしょう。>

 しかしこのあとがきを閲読していて思うのですけど、上記に書かれているような「アメリカに追従する政策」を推進しているイギリスに対して、田中芳樹はなぜ何ら批判の声を上げようとしないのでしょうか? イギリスよりはるかに穏当な政策を推進しようとしていた日本に関しては、確か前の方で小泉総理に対する誹謗中傷まで含んだ、日本に対する罵倒と蔑視に満ちた批判を大々的に展開していたはずなのですけど(笑)。
 それから、このあとがきはアメリカ軍のアフガニスタン攻撃開始(日本時間10月8日)より前の9月中旬〜下旬頃に書かれたものなのでしょうが、あの攻撃にはイギリス軍も参加していたという事実を、田中芳樹がどのように評価しているのか是非とも知りたいものですね。これに関しては両国共に全く同じ「報復攻撃」を行っているわけですから、イギリスに対してもアメリカと同じような批判論法を展開しても良いのではないかと思うのですけど(笑)。

<アフガニスタンのタリバン政権は、いっさいの芸能活動と娯楽を禁止し、パーミヤンの石仏を破壊し、女性の人権を抑圧するなどの蛮行で有名です。女性は学校に通うことすら禁じられ、ひとりで病院に行くことさえ許されません。このような極端に非寛容で独善的な神権政治が永続しないことは、イギリスの「清教徒革命」の例によっても明らかですが、その傷をイギリスは無血の「名誉革命」によって克服することができました。アフガニスタンは歴史のよい先例に倣うことができるでしょうか。>

 イギリスの歴史を持ち出してアフガニスタンの政治を云々するよりも前に、少しはタリバン勢力が台頭するに至ったアフガニスタンの歴史ぐらい学んでみたらどうなのですか、田中センセイ。そうすれば、政情が全く異なるイギリスとアフガニスタンとが比較対象にならないことぐらい、すぐにでも理解することができると思うのですけど。
 そもそもアフガニスタンでタリバン勢力が台頭していった最大の理由は、1979年の旧ソ連によるアフガニスタン侵攻にあります。この侵攻によるソ連側の大量虐殺とそれに伴う難民流出によって、元来多民族多言語国家であるアフガニスタンをひとつにまとめていたイスラム教スンニ派ハナフィー学派の伝統が崩壊したため、アフガニスタン侵攻に失敗した旧ソ連のアフガン駐留軍が撤退した後の1991年、シンボルを失った民族間の対立が激化し、国内の各民族を代表する武装勢力によるアフガン内戦が勃発したのです。
 そして、民族毎に分裂した各派のいずれも内戦の帰趨を決するだけの軍事的勝利を収めることができず、しかもこの武装勢力同士の対立に周辺諸国の利害も加わり、各国がそれぞれの思惑で各派に対する支援を行ったため、アフガニスタンは無政府状態と化し、アフガン内戦は泥沼の様相を呈していったのです。この泥沼の内戦下で次第に台頭していったのが、同時多発テロ事件の首謀者とされるタリバン勢力です。
 この「タリバン」というのは、元々パキスタンに避難してきた貧しいアフガン難民のイスラム神学校の生徒を母体として結成され、アフガニスタンの民族のひとつ・パシュトゥン族を中心にして構成された武装勢力です。1994年頃に台頭してきた当初は他の内戦各派に見られたような略奪や虐殺を行わなかったこと、内戦下のアフガニスタンで厳しいイスラム法を制定して治安を回復させたこと、軍閥や民族各派を政治・軍事の両面で巧妙に攻略してきたことなどから、激しい女性抑圧や娯楽の禁止にも関わらず、急速に支持を拡大していきました。そして民衆に支持されたタリバン勢力は、1995年9月にはアフガニスタン北西部の都市ヘラートを、1996年8月にはジャララバードを、そして同年9月には首都カブールを占領していったのです。
 しかしその後、ロシア・トルクメニスタン・タジキスタン・ウズベキスタンといった国々に支援されている武装勢力・北部同盟が支配下に置いていたアフガン北部では激しい抵抗に遭い、1997年にマザリシャリフ攻略を狙うも失敗。そしてこの時の失敗が元で、タリバン勢力もまた、他の武装勢力と同じように数千人規模の異民族虐殺や略奪に手を染めていくようになってしまい、またこの頃から、1996年5月にスーダンを追われてアフガニスタンに入国したオサマ・ビン・ラディンらアラブ人一派の強い影響下に置かれるようになり、完全に過激化してしまったわけです。
 一体このアフガニスタン内戦史のどこをどう見れば、イギリスの清教徒革命だの名誉革命だのを持ち出してアフガニスタン情勢を語ることができるというのでしょうか? イギリスの清教徒革命や名誉革命というのは、あくまでもイギリスの特権階級である国王と議会による政治的・宗教的な対立が引き起こした「特権階級同士の戦争」であって、民族紛争が主体であるアフガニスタン情勢とは根本的に異なるカテゴリーに属するシロモノでしょうに。いつものことながら理解に苦しむ政治比較論を展開する癖にはいいかげんウンザリさせられますね。
 そりゃ自分が愛するイギリスを絶賛したい気持ちは充分過ぎるほど伝わってきますけど、イギリスを絶賛するなら絶賛するで、もう少しマトモな評論が書けるように努力してくれませんかね、田中センセイ。

<この四年の間に、イギリスには移民がさらに増え、文学、音楽、演劇、映画から料理に至るまで多彩で多様な創造と発展があいついでいます。それは非寛容と独善に対する寛容と自由の勝利です。このような勝利をこそ、「先進国」は誇りとし、永続させてほしいとつくづく思うのです。>

 しかしこのような論法を使うと、移民によって国が成立し、ハリウッド映画やインターネット発祥の地であるアメリカなども、イギリスと同じくらいに絶賛の対象となってしまうはずなのですけど、その辺り田中芳樹は自覚して書いているのでしょうかね? この事例に限らず、いくら田中芳樹の主張を読んでみても、同じ「民主主義体制」の「先進国」であるにもかかわらず、なぜイギリスとアメリカとで田中芳樹の態度が全く正反対なまでに変わってしまうというダブルスタンダードが生じるのか、私には全く理解できないのですけど。
 それに昨今のイギリスで移民が流入し、多種多様な文化が発展するようになったのも、別に「非寛容と独善に対する寛容と自由」とやらの勝利の産物などではなく、田中芳樹が日本に推奨している「イギリス病」をイギリスが克服したからでしょう。上でも述べたように、「英国病」を発症し、経済衰退の症状が進行していたかつてのイギリスでは、「非寛容と独善に対する寛容と自由」がきちんと存在していたにもかかわらず、移民の流入や文化の発展など最初から望めない惨状を呈していたのですけど(笑)。
 第一、「イギリス病のすすめ」を提唱する身としては、「イギリス病」ならぬ「英国病」をないがしろにしている昨今のイギリス情勢を賞賛してはいささかマズイのではありませんか? 田中芳樹と土屋守がでっち上げた「イギリス病のすすめ」なるシロモノが、実は自分達でも全く信じていない虚構であることを自ら曝け出すことに繋がってしまうのですから(笑)。

 さて、今回3回にわたって行った特集「対談本『イギリス病のすすめ』についての一考察」、いかがだったでしょうか? イギリスを無理矢理にでも礼賛したいがために、ロクな検証作業すら行わないままに日本やアメリカを貶めている実態がご理解いただけたのではないかと思います。
 しかし、私がこの本を最初に手にとってみた時、創竜伝でいつも見られるような「フィクションの影に隠れた評論手法」を取らず、自らの評論を「対談本」として世に出した田中芳樹の心意気に感心し、そのような紳士な態度を取るからには、当然創竜伝で展開していたような「何ら検証を行わない支離滅裂な現実世界に対する社会評論」とは一線を画す、より詳細な検証に基づいた主張が行われることを期待したのですけど、その実態は私が論評したとおりの無様さを呈しているありさまですからね〜(>_<)。むしろ、創竜伝に見られる評論が本当に「創竜伝世界ではなく現実世界に対して向けられた批判」であったことを自ら暴露してしまう結果を生むこととなってしまっているわけですから、私としてはミクロン単位の微かな希望さえも打ち砕かれた絶望的な気分にさせられてしまいましたね(T_T)。
 全く、このような自らの作品と評価をさらに貶める愚かしい対談本で意味不明なタワゴトなどを駄弁っている暇があるのならば、少しは作家の本業に立ち返り、山ほど残っている「宿題」を全て片づける誠意と努力を読者に示してみたらどうなのでしょうかね、この無様な3流評論家は。

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board4 - No.1273

やはりシンパであったか

投稿者:本ページ管理人
2001年12月24日(月) 23時55分

> 田中:
>  でも、「わたし公僕って言葉が一番キライ」って、大蔵省のお役人の奥さんが言ったらしいから。(笑)佐高信さんの文章によると。
> ――:
>  なんかものすごい勘違いしてますね。それ。

出ましたね、佐高信氏!現実で竜堂兄弟レベルの思考をする評論家じゃないですか。
創竜伝でああいう支離滅裂評論を得意げにする知性の無さが佐高のコピーのようだと思っていたら、やはりそうでしたか。
ちなみに、佐高信という評論家については、この掲示板の常連である新Q太郎さんがちゃちゃちゃのボードにて徹底批判を展開していますので、どんなものだか知りたい人にお勧めです(佐高信に対する批判は田中芳樹に対する批判と非常に近しいものがありますし。この書き込みのURLにリンクしてあります)。
http://www.nc4.gr.jp/cgi-bin/boad.exe?file=./Demo&path=/opinion/&startHtml=./BoadTokutei.html&mode=sel&targetid=10467

余談ですが、私が大学生の時、経営学か何かの講義で、テキストに佐高の本を渡され感想を書けと言われたので、田中芳樹を撃つやり方で評論の支離滅裂さを列挙し、「こんなものは前提が不明確もしくは思いこみに過ぎず、学問として研究するにあたらない」という趣旨の(今考えると生意気ですねー(^^;))事を書いて提出したら、なんかえらい褒められた経験があります。

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board4 - No.1274

余談

投稿者:本ページ管理人
2001年12月25日(火) 01時02分

住専の時、大蔵省の岡光事務次官の不祥事の際、彼が乗り回しているとマスコミが批判していた高級車とやらが「マークU」だったという話がありましたね。笑っちゃダメですよ、まじだから(笑)
一応事務次官ってちょっとした企業の社長に匹敵する権限と責任のポストなんですけれどねぇ。

そもそも、人の庭の芝生の色を気にして妬むような卑しさはどっかの花井夫人だったと思いますが、実はあれが田中芳樹の投影なんでしょうか(笑)

#ちなみに、車に詳しくない人のために書いておくと、マークUという車はそこらのタクシー(だいたいクラウンコンフォート。都会だったらセルシオもありますね)より車格が下です。合掌。

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board4 - No.1276

Re:対談本「イギリス病のすすめ」についての一考察・後編

投稿者:
2001年12月25日(火) 14時02分

こんにちわ、恵です☆
さて、楽しみに待っていた冒険風ライダーさんの「イギリス病のすすめ」考察の続きですけど、さっそく拝見して、その内容(特に文庫版あとがき部分)にビックリしてしまいました。わたしは経済や歴史のことは大した知識を持っていないので、その方面で田中氏を偉そうに論評することはできませんけど、「これは、さすがにちょっと…」という箇所がありましたね。

> イギリス病のすすめ・文庫版あとがき P236〜P239
> <多くの方のお力ぞえをいただいて二〇世紀に上梓された本が、二一世紀に文庫化されました。「めでたいこっちゃ」と能天気なことを書こうとしていたら、ニューヨークの世界貿易センタービルに、ハイジャックされた旅客機が突っこんでしまいました。テロリズムの犠牲となった無辜の人々に、つつしんで哀悼の意をささげます。
>  直後に災厄をこうむったペンタゴンに対しては、正直あまり同情を感じません。これまでさんざん世界各国に無差別爆撃をおこなってきた軍事エリートの総本山ですからね。無差別爆撃がどれほど非人道的なものか、被害者になってみてはじめてわかったのではないでしょうか。簡単に忘れてほしくないものです。

一体何なんでしょうか?この、わたしにはものすごく矛盾しているように感じる文章は(ちょっと本気で怒)。

「テロリズムの犠牲となった無辜の人々に、つつしんで哀悼の意をささげます」

と、言っておきながら、

「直後に災厄をこうむったペンタゴンに対しては、正直あまり同情を感じません」

って、どういうことなんでしょう?
ペンタゴンを「これまでさんざん世界各国に無差別爆撃をおこなってきた軍事エリートの総本山」と解釈をされるのはご本人の趣味でしょうけど、あの災厄で犠牲になったのはペンタゴンといっても一般の職員の方々が大半でしょう?「ペンタゴンの仕事に従事している」というだけで、上から下まですべてひとまとめにして「同情を感じません」と言い放つ無神経さには、さすがに憤りを感じずにはいられません。田中芳樹氏は、本当に心からあの同時多発テロ事件で犠牲になった人々の死を悼んでいるのか、すごく疑問に思ってしまいます。
これは遠回しに、事件の発端や原因などを「(アメリカが)今までしてきたことの報いだ」と田中氏が思っているとも受け取れる文章です(あえて民間の犠牲者の方だけを「無辜」と呼ぶからには、きっとそうなんでしょうけど)。ペンタゴンの高官がテロで暗殺されたというならともかく、これでは亡くなったペンタゴンの一般職員の方々があまりにも浮かばれません。それとも、「ペンタゴンに在籍している」というだけで、テロに巻きこまれたら「同情を感じません」とまで貶められなければならないのでしょうか?これは、創竜伝内の社会評論にもある、職業差別表現にも通じる「ある職業に従事している者はすべて〜である」という、とても独善的で一方的な決めつけだと思います。本当にテロで亡くなった方々を悼む気持ちがあるなら、民間とかペンタゴンとか区別して弔意を述べる必要はなかったのではないか、とわたしは感じました。ペンタゴン在籍の方で亡くなった方すべてに過去のアメリカの政治責任があるのか、と言われたら、さすがにそれはないでしょ、って思いますし。
でも、テロにおける「無辜の民間人」の死を悼んで、「無差別爆撃をおこなってきた軍事エリート」の死は「同情しない」という気持ちってどういうことなんでしょうね…。銀英伝を読んだとき(特にヤンの描写を)、てっきり田中氏はテロそのものを否定的にとらえてらっしゃるかと思っていたのですけど、この「一部の人間はテロで殺されて当然だ」とでも言いたそうな文章を読んで、さすがに目が眩む思いです…(*_*)。
今回、いろんな意味で大先生はホントに晩節を汚しつつあるんだなぁ、とひしひし感じてしまいました。

収録投稿40件目
board4 - No.1334

無茶だなぁ

投稿者:不沈戦艦
2002年01月08日(火) 00時26分

>>直後に災厄をこうむったペンタゴンに対しては、正直あまり同情を感じません。これまで
>>さんざん世界各国に無差別爆撃をおこなってきた軍事エリートの総本山

> 第一、世界貿易センタービルの旅客機特攻を、戦時中の日本の神風特攻あたりと比較検証する
>のであればともかく、どこをどう結びつければ、せいぜい「飛行機による攻撃」くらいしか共通
>点がない「無差別爆撃」と関連付けてアメリカ軍を非難する根拠とすることができるのか、

 これ、一つ謎なんですが、「これまでさんざん世界各国に無差別爆撃」というのは、一体何を指しているんでしょうかね。第二次大戦中の日本とドイツに対しては、確かにアメリカは無差別戦略爆撃をやってますが、それ以外はそうは言えないと思いますが。ベトナム戦争の北爆だって、無差別爆撃とは言えんでしょう。今回のアフガンだって、カブールやらカンダハルやらが焼け野原になった訳ではありませんし。「空爆=無差別爆撃」というのは、あまりに安直かつ単純な決め付けです。ということですので、「日本とドイツには散々無差別爆撃を行いながら」と言っていたのなら、まだ解らないでもないですけど。

 それと、「戦時中の日本の神風特攻あたりと比較検証」するにしても、一緒にはされたくないですね。特攻が良いの悪いのは別にして、少なくとも旧日本軍は民間企業多数が入居するビルに、体当たり攻撃を掛けたりはしてませんし、仮に可能だとしても、そのような攻撃をやろうとしたとは思えませんから。神風特攻の攻撃目標は、洋上の米軍艦艇ばかりです。また、真珠湾と比べる向きもありましたが、あれも攻撃目標は米太平洋艦隊の艦艇と、ハワイの航空基地ですからねぇ。これも自爆テロとは一緒にされたくはないものです。まあ、民間人も巻き込んでいる、ということまでは否定しませんけど、それが主目標ということはありません。

>>一部の無責任なマスコミが煽動するように「キリスト教文明とイスラム教文明との全面抗争

 文明の抗争にしたがっているのは、ビンラディン一派でしょうな。少なくとも、アメリカは嫌がっているようですし。

>ジャイアンのご機嫌とりに必死なスネ夫

 そういや、これ最初に誰が言いだしたんでしょうかね。今回よく使われる例えのようですが。

>>さてイギリスです。
>>今回の惨劇に関して、「サンデー・ヘラルド」はつぎのように記しているそうです。

>中東問題でイギリスの記事を持ち出してアメリカを非難するのはかなりヤバ過ぎるのでは
>ありませんか?

 詳細は冒険風ライダー氏の解説付きなので省きますが、私はこの「サンデー・ヘラルド」紙は「厚顔無恥にも程がある」と思いましたわ。一体どこの誰が、中東紛争の種を作ったと思っているんですかね。まさか知らんということはないでしょう。

>イギリスは両者の統治に散々手を焼いた挙句、第二次世界大戦後にパレスチナ問題の解決を
>国連に委ねる事になります。

 これは結局、「ケツをまくって逃げ出した」ということです。混乱の種を自分で作っておきながら、それが予想外に育ってしまったので対処に困り、無責任にも放り出して逃げた、ということですから。一体、どうやったらイギリスのこんな態度を賞賛できるというのでしょうか。謎です。本当に何も知らないんですかね?田中芳樹は。

>あの攻撃にはイギリス軍も参加していたという事実を、田中芳樹がどのように評価しているのか
>是非とも知りたいものですね。

 空爆と特殊部隊と両方出している筈です。今回、軍事的にアメリカに一番協力している国が、イギリスですね。「後方支援だけ」と言っている日本どころの騒ぎではありませんな。せっかくだから、それこそ徹底批判すりゃいいところでしょうに。

>同じ「民主主義体制」の「先進国」であるにもかかわらず、なぜイギリスとアメリカとで田中
>芳樹の態度が全く正反対なまでに変わってしまうというダブルスタンダードが生じるのか、私
>には全く理解できないのですけど。

 というか、根が階級社会のイギリスよりは、「努力と運ではい上がれる」ということになっている「アメリカンドリーム」のあるアメリカの方が、余程田中芳樹の趣味には合いそうな気がしますけどね。何で評価が正反対なのか、私もよく解りませんわ。

>(三)小説以外の文章はなるべく書かない

 って、小説家が「小説以外の文章をなるべく書かない」方がいい、という価値観って、どこから出てくるんでしょうかね。ノンフィクションを書いている小説家も、それなりにいると思いますけど。

>「P−3C」の購入に関しては全く問題にされることなく

 アメリカ以外で、P3−Cを最も多く保有している国が日本で、日本の対潜作戦能力は世界トップクラス、と今でも言われていることは、笑ってしまうような事実ですな。

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board4 - No.1336

Re:無茶だなぁ

投稿者:
2002年01月08日(火) 11時10分

> >同じ「民主主義体制」の「先進国」であるにもかかわらず、なぜイギリスとアメリカとで田中
> >芳樹の態度が全く正反対なまでに変わってしまうというダブルスタンダードが生じるのか、私
> >には全く理解できないのですけど。
>
>  というか、根が階級社会のイギリスよりは、「努力と運ではい上がれる」ということになっている「アメリカンドリーム」のあるアメリカの方が、余程田中芳樹の趣味には合いそうな気がしますけどね。何で評価が正反対なのか、私もよく解りませんわ。

単に、(アメリカとイギリスの)国としての歴史に興味があるかないか、ということではないでしょうか?
どうも田中氏って、わたしには、歴史がある国にはほとんど無条件で敬意を払っているように見えます(中国など、その典型といえるでしょうから)。予断は承知ですけど、彼の中では

歴史のある国→興味がある(好き)、歴史のない国→興味がない(嫌い)

という感じなのではないでしょうか?(厳密に言うと、歴史があって、さらにその内容に興味が持てる国が好き、という気持ちなんだと思います)
この図式に当てはまらないのは、唯一、日本だけみたいなんですけどねー(笑)f(^-^;)。

> >(三)小説以外の文章はなるべく書かない
>
>  って、小説家が「小説以外の文章をなるべく書かない」方がいい、という価値観って、どこから出てくるんでしょうかね。ノンフィクションを書いている小説家も、それなりにいると思いますけど。

田中氏の中では、「小説家=小説を書く人」と定義されているんだと思います。ここは、彼個人の信条みたいなものですから、他人には理解できないでしょうし、理解する必要もないのではないでしょうか?ただ、「小説家」の定義をそこまではっきりさせておられる割には、「小説」の中に不必要な「社会評論」などを入れる姿勢には、とても疑問を感じます。結局、立派なことを言われるほどには、田中氏って言行不一致なんですよねぇ…。

収録投稿42件目
board4 - No.1345

Re1334/1336:田中芳樹の好みと貴族嗜好について

投稿者:冒険風ライダー
2002年01月10日(木) 01時10分

≪というか、根が階級社会のイギリスよりは、「努力と運ではい上がれる」ということになっている「アメリカンドリーム」のあるアメリカの方が、余程田中芳樹の趣味には合いそうな気がしますけどね。何で評価が正反対なのか、私もよく解りませんわ。≫
<単に、(アメリカとイギリスの)国としての歴史に興味があるかないか、ということではないでしょうか?
どうも田中氏って、わたしには、歴史がある国にはほとんど無条件で敬意を払っているように見えます(中国など、その典型といえるでしょうから)。予断は承知ですけど、彼の中では
歴史のある国→興味がある(好き)、歴史のない国→興味がない(嫌い)
という感じなのではないでしょうか?(厳密に言うと、歴史があって、さらにその内容に興味が持てる国が好き、という気持ちなんだと思います)
この図式に当てはまらないのは、唯一、日本だけみたいなんですけどねー(笑)f(^-^;)。>

 この手の国の評価における田中芳樹のダブルスタンダードぶりには私も常に疑問に思っているのですが、田中芳樹が特定の国に入れ込むきっかけは意外と単純な動機に端を発していることが多いようです。中国好きは小学生の頃に「三国志演義」を読んだことがきっかけらしいですし、イギリスに関しても、これまた子供の頃に「シャーロック・ホームズ」を読んだことが発端でイギリスに興味を持ち、奥さんの知人で拓殖大学教授の大谷博愛という人に勧められてイギリスに2回旅行に行ったことが、イギリスに入れ込むようになったきっかけであると自ら述べています(「イギリス病のすすめ」P15)。
 しかも田中芳樹は、アメリカの歴史に関しても南北戦争辺りに関してはそこそこの知識を持っているようですし、「灼熱の竜騎兵」シリーズなどはそれこそ「歴史の浅い」ラテン・アメリカの独立や革命の歴史を題材にしていると自らあとがきで述べています。ですから「歴史のあるなし」で好意を持っているわけではないと思います。

 それと貴族階級に関しては、実は田中芳樹は銀英伝で描写しているほどには貴族階級を嫌ってはいないのではないかという気もしますね。宣和堂さんの今は亡き「田中芳樹・七つの大罪」でも触れられていましたが、田中芳樹の中国物小説では貴族に列せられた武人系の人物が活躍する描写と、彼らに対する礼賛と愛情に満ち溢れた評価ばかりが目立っていますし(笑)。
 イギリスに対しても同じことが言えるのではないでしょうか? イギリスには、田中芳樹と土屋守が肝心な部分を抜きにして絶賛していた「ノブレス・オブリッジ」という思想も存在しますし、しかもそれでいて民主主義国家なわけですから、まさに自分が望む理想的な国家であるというわけで。
 しかしイギリスを礼賛すること自体は結構なことなのですけど、あの無知とダブルスタンダードに満ち溢れた愚かしい評論姿勢はいいかげんどうにかならないのでしょうかね。

収録投稿43件目
board4 - No.1347

子供の好き嫌いなのか?

投稿者:TotalMoled
2002年01月10日(木) 09時15分

>  この手の国の評価における田中芳樹のダブルスタンダードぶりには私も常に疑問に思っているのですが、田中芳樹が特定の国に入れ込むきっかけは意外と単純な動機に端を発していることが多いようです。中国好きは小学生の頃に「三国志演義」を読んだことがきっかけらしいですし、イギリスに関しても、これまた子供の頃に「シャーロック・ホームズ」を読んだことが発端でイギリスに興味を持ち、奥さんの知人で拓殖大学教授の大谷博愛という人に勧められてイギリスに2回旅行に行ったことが、イギリスに入れ込むようになったきっかけであると自ら述べています(「イギリス病のすすめ」P15)。

どうやら幼年期以来の各国への感情がそのまま現在の評価に繋がっているようですね。感情に言い訳をつけて評論っぽくしているだけな気もしますが。日本については子供の頃なんか戦時中のひどい話を祖父母から聞かされたとか政府の腐敗を両親に聞かされたとかはだしのゲンを読んだとかいうことがあったのかもしれませんね。
拓殖大学って田中氏が一番嫌悪しそうな大学と思われますが(学風は右翼的かつ植民地支配の人材育成のために建学と言う経歴)その教授の意見を素直に受け入れてるのも不思議な話です。上記私見に従えば「何も考えていないで単純によしとした」という回答もありえますが。

収録投稿44件目
board4 - No.1350

いろいろレスです

投稿者:
2002年01月10日(木) 15時59分

<この手の国の評価における田中芳樹のダブルスタンダードぶりには私も常に疑問に思っているのですが、田中芳樹が特定の国に入れ込むきっかけは意外と単純な動機に端を発していることが多いようです。中国好きは小学生の頃に「三国志演義」を読んだことがきっかけらしいですし、イギリスに関しても、これまた子供の頃に「シャーロック・ホームズ」を読んだことが発端でイギリスに興味を持ち、奥さんの知人で拓殖大学教授の大谷博愛という人に勧められてイギリスに2回旅行に行ったことが、イギリスに入れ込むようになったきっかけであると自ら述べています(「イギリス病のすすめ」P15)。
 しかも田中芳樹は、アメリカの歴史に関しても南北戦争辺りに関してはそこそこの知識を持っているようですし、「灼熱の竜騎兵」シリーズなどはそれこそ「歴史の浅い」ラテン・アメリカの独立や革命の歴史を題材にしていると自らあとがきで述べています。ですから「歴史のあるなし」で好意を持っているわけではないと思います。>

なるほど、理由を伺うと、単純に「歴史のあるなし」ではないようです。ごめんなさい、わたしの発想が安易すぎました(^-^;)。おそらく「好き嫌い」が原点になっているというだけで、お国贔屓の明快な法則があるというわけでもなさそうですね。(そういう法則があったら面白いかなと思ったんですけど)

<それと貴族階級に関しては、実は田中芳樹は銀英伝で描写しているほどには貴族階級を嫌ってはいないのではないかという気もしますね。宣和堂さんの今は亡き「田中芳樹・七つの大罪」でも触れられていましたが、田中芳樹の中国物小説では貴族に列せられた武人系の人物が活躍する描写と、彼らに対する礼賛と愛情に満ち溢れた評価ばかりが目立っていますし(笑)。
 イギリスに対しても同じことが言えるのではないでしょうか? イギリスには、田中芳樹と土屋守が肝心な部分を抜きにして絶賛していた「ノブレス・オブリッジ」という思想も存在しますし、しかもそれでいて民主主義国家なわけですから、まさに自分が望む理想的な国家であるというわけで。
 しかしイギリスを礼賛すること自体は結構なことなのですけど、あの無知とダブルスタンダードに満ち溢れた愚かしい評論姿勢はいいかげんどうにかならないのでしょうかね。>

こちらのご意見も納得です。
さらに補足させていただきますと、田中氏は「血統によって地位や権力を得た人間」を潜在的に嫌っている一方で、「血統で得た権力であっても、その地位に相応しい能力を持ち、実際に活躍した人物」には敬意を払っているのではないでしょうか。おっしゃるように、中国の歴史では最初から家柄も良かったけど才能によってさらに高い地位を築いた人、というのは大勢いたと思いますしね。そういう人たちを否定してしまったら、田中氏の大好きな中国史自体が成り立たないかも?(笑)。
氏の評論姿勢の悪さについては、創竜伝の社会評論だけでなく、「イギリス病のすすめ」のあとがき等を知って、わたしもかなり幻滅してしまいました。無知と無神経さが特に目立つ内容で、結局、「フィクション」の看板がないと通用しないことがはっきり露呈していましたねぇ…。(溜息)

収録投稿45件目
board4 - No.1366

社民党の辻元氏が

投稿者:壇君
2002年01月13日(日) 04時48分

社民党の辻元氏が田中氏と似たような事を言っていますね。
アメリカ=ジャイアン、日本=スネオという発想って
何か元ネタでもあるんでしょうか?

「中曽根康弘元首相の世代は敗戦コンプレックスだったと思う。首
相は米国のような大国を夢見る国家主義的。日本はジャイアン(米
国)にいじめられるのび太か、と言えば(ジャイアンにすり寄る)スネ
夫なんです。私は日本はのび太でいいと思う。ドラえもんという憲法9
条があるんだから」

収録投稿46件目
board4 - No.1369

Re:社民党の辻元氏が

投稿者:不沈戦艦
2002年01月13日(日) 13時39分

> 社民党の辻元氏が田中氏と似たような事を言っていますね。
> アメリカ=ジャイアン、日本=スネオという発想って
> 何か元ネタでもあるんでしょうか?
>
> 「中曽根康弘元首相の世代は敗戦コンプレックスだったと思う。首
> 相は米国のような大国を夢見る国家主義的。日本はジャイアン(米
> 国)にいじめられるのび太か、と言えば(ジャイアンにすり寄る)スネ
> 夫なんです。私は日本はのび太でいいと思う。ドラえもんという憲法9
> 条があるんだから」

 ドラえもんが、「地球破壊爆弾」とか、「鉄筋コンクリートのビルを一瞬で灰にしてしまう熱線銃」とか、「戦車を一撃で破壊するビッグ・ガン」とかの、極めて物騒な兵器まで持っている、ということを知っているんでしょうか。

 原作では、ドラえもんは「ネズミが怖くて(そんな物騒な武器でネズミを狩ろうなんて考えるな、っつーの)」そんなものまで使おうとする、ということで、作者が「笑いを取ろうと思って」出しているのでしょうけど。それにのび太じゃ、いつも「ドラえも〜ん」とドラえもんに依存しているばかりで、情けないばかりなのでは。確かスネ夫の場合、ジャイアンに「のび太を見つけたら教えろ」と言われたが面従腹背、実は目の前に居るのび太の隠れ場所を知っていたのに知らんふりをして、ジャイアンが居なくなったらすぐにのび太に、「どっちかと言うと僕はのび太の味方。いつもジャイアンには泣かされているから」って言ってたこともあったような記憶がありますね。まあ、それが全てという訳ではありませんが、「スネ夫のしたたかさ」を完全に無視するのもいかがなものかなぁ、とは思います。

「知らないで言うと、実に恥ずかしいものなんだなぁ」と思いました。

 えーと、それに使っているのは辻元氏や田中芳樹だけでもないでしょう。結構、色々な人が使っていますよ。

収録投稿47件目
board4 - No.1370

Re:社民党の辻元氏が

投稿者:みかん
2002年01月13日(日) 16時39分

なぜ第9条がドラえもんになれるんでしようね。
価値観の違う国際社会では、
主義主張なんて、力のバックアツプがないと
通らないでしょうに。
それに、のび太とは………
あの子はADHDな上に学力もボーダーライン。
アメリカなら、治療・特殊教育の対象でしょう……。
日本も治療が必要と考えておられるのかしらん?
突然割り込んですみませんでした。

収録投稿48件目
board4 - No.1372

ずいぶん前の日刊ゲンダイだったか

投稿者:本ページ管理人
2002年01月13日(日) 17時47分

イギリス(というかブレア)=スネオ説でしたね。
「ブレアはアメリカの茶坊主」とも言っていて、「あぁ、相変わらずゲンダイだなァ」と思ったものでしたが。
こういう喩え自体馬鹿馬鹿しいと思いますが、どちらかと言われればゲンダイの方が近いかな、とは思います。

収録投稿49件目
board4 - No.1376

Re:社民党の辻元氏が

投稿者:Bystander
2002年01月14日(月) 02時34分

> それにのび太じゃ、いつも「ドラえも〜ん」とドラえもんに依存しているばかりで、情けないばかりなのでは。確かスネ夫の場合、ジャイアンに「のび太を見つけたら教えろ」と言われたが面従腹背、実は目の前に居るのび太の隠れ場所を知っていたのに知らんふりをして、ジャイアンが居なくなったらすぐにのび太に、「どっちかと言うと僕はのび太の味方。いつもジャイアンには泣かされているから」って言ってたこともあったような記憶がありますね。まあ、それが全てという訳ではありませんが、「スネ夫のしたたかさ」を完全に無視するのもいかがなものかなぁ、とは思います。

話題本体から逸れる話になって申し訳ないんですが・・・

のび太は芯の強さも持ってると思いますよ。確かに朧気ながらのイメージとしては、
「ドラえもんと機械に頼る駄目少年」というイメージが強いですが、単行本の方で
は良い話(例えば「さようならドラえもん」)などを見る限りでは、最終的には自
力で問題を解決する芯の強さと優しさを持った少年、と描いていると思います。
藤子・F・不二雄の少年漫画に対する考え方から言って、多分のび太の本当のキャ
ラはそっちだと思いますよ。個人的に。

もっともF先生は才能豊かな人なのでギャグ本意の話ですと、すべてのキャラクター
が別のキャラクターになりますけど(笑)

でも真のイメージとしては、そっちじゃないんですかね。多分。
※だからみかんさんの、のび太がAHDHで・・・という指摘も個人的には微妙だと思い
ます。

話が掲示板本来の趣旨から離れすぎてしまって申し訳ないです。
というか、こんな話になるのも「元々の例として挙げるにドラえもんはおかしくない
か辻元さん?」という事ではあるのですが(笑)

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