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アルスラーン戦記読本について
和田慎二の田中作品評論の怪
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No. 866
アルスラーン戦記読本について
冒険風ライダー 2000/5/07 16:33:11
 数日前に本屋に行ってみたところ、角川文庫からアルスラーン戦記読本が発売されており、ちょっと興味をもってその本を買ってまいりました。実は読本の中に収録されていたアルスラーン戦記外伝「東方巡歴」が目当てだったのですが(笑)。
 実は私、田中芳樹作品の中ではアルスラーン戦記とマヴァール年代記が一番好きでしてね。主人公達も敵役も、主張と行動原理が一貫しているという一点において、銀英伝も創竜伝もアルスラーン戦記やマヴァール年代記に遠く及ばないものですから。私が一番最初に作品に対して疑問を覚えたのも創竜伝の社会評論ではなく、銀英伝のヤンとラインハルトに見られた「主張と行動原理の乖離」だったくらいですし。まあ読む順番は銀英伝の方が早かったのですが。
 そして読んでみた読本の感想ですが、思わず「これ、本当に田中芳樹が書いたのか?」と言いたくなってしまったほどの正論を田中芳樹は主張していました。いくつか挙げてみましょう。


アルスラーン戦記読本 P25〜P27(田中芳樹ロングインタビュー)
<――『銀河英雄伝説』の時には、帝国側と同名側との対立点がはっきりしていて、それを軸に話が進んでいましたが、『アルスラーン』においては、そういった対立点のようなものは意識されているのでしょうか。
田中  うーん、中世的な世界にそういうものを持ちこんでもしょうがないところがありますからね。しいて言えば、特に第一部のときには、ルシタニアの一神教正義というのがひとつのポイントになってるでしょうか。ルシタニア軍のモデルは、十字軍と、インカ帝国を滅ぼしたスペイン部隊で、もともとあれは完全な悪役だったはずなんです。ただ、その悪役をを内部で描いていくと、中間管理職の苦悩とか悲哀とかが出てきますんで(笑)、ぼくはやっぱりなかなか悪の権化というのは書けそうにない。
 ですから、そういった対立点があるとしたら、一神教正義の陥りやすい穴に気づいているか、いないか、というところでしょうね。複数の国が出てきて、それぞれの国にそれぞれの事情があって、端的に言えば、それぞれの国にとっての正義というのは、国境を少しでも押し出すということなんで、だからあまり普遍的な対立構図というのが出てくるような作品世界ではありませんね。わかりやすいたとえをすれば、日本の戦国時代で「上杉謙信と武田信玄はどっちが悪か」と言われても困る、そういうことです。
――『アルスラーン』でも、貧しい国の人が、少しでもいい暮らしをしようとがんばっているわけですからね。
田中  うん、そうです。ただ相手も取られちゃ困るわけで、だから「みんな仲良く手を取り合っていこうよ」ではどうしても解決できないところがあるはずなんですよね。ぼくはそこのところをわりと突き放して書いてるものだから。「すべての国が手を取り合って、というわけにはいかない、ということがわかりました」という手紙を読者からいただいた事もありますね。なかなかシビアな現実ではありますけど、理想は理想として現実を踏まえとかないと、どうしようもない。これはナルサスのセリフですが(笑)。
 世の中にはいくらでもあるわけです。食べ物があっても、公平に分けたら結局全員餓死してしまう。あるいは核戦争が起きて、自分たちは核シェルターに駆け込めたとして、外でドアをたたいている人をどうするかといった状況で、果たして仲良くすればみんな助かるのか、と。すくなくとも国の攻防を描いているときに、「全世界が手を取り合って……」というのはかえって無責任でしょう? それだったら亡びる国はないんですからね。
――それが宿命なんでしょうか。
田中  ほかの国を助けるにしても、できる範囲でしかない、共倒れになるわけにはいかないというのが、少なくとも国というものの現実でしょう。イヤな現実ですけどもね。国家というものは、ある意味で非常にエゴイスティックな利益共同体なんです。その中にいる人たちの利益を損なうわけにはいかないんですよ。だから最大限できることといったら、よその国にはなるべく迷惑をかけないくらいじゃないかなと(笑)。ぼくは少なくとも、「みんなが理解し合えば世界は平和だ」という考えから書いたわけではありませんから。>

アルスラーン戦記読本 P43〜P44(あかほりさとるとの対談)
<あかほり: なんか歴史ってのは、細部をほじくってると、もう、おもしろくって、うれしくてたまらなくて。ただ自分があまりにも知らなさすぎて……今、もっともっといろいろなことを知りたいぞっていう欲求に、すごく凝り固まってるんですよね。
田中: ああ、そうなんだ……私も結局、それで書き始めたようなもんですけども。とにかく、「完全に勉強が済むまで書かないぞと思ったら、一生書けないぞ、これは」と思いましてね。
あかほり: そうなんですよねぇ。
田中: ですからもう、どっかで割り切って書くしかないのです。とにかく「ミスがないように」というのは大前提で、そのための努力はしますけども、「ミスをなくすことが究極の目的じゃない」と、開き直っているんですよ(笑)。実際の話、どんなに勉強して書いても、その時代、その国を専門で研究なさっている方から見ると、絶対におかしいところはあるんですよ。ミスだと言われたら、それはもう「はい、ごめんなさい」と謝るけど、でも、非常に生意気なんですが「ミスのひとつふたつで評価が左右されるような作品、書いてるつもりはない」と……(笑)。
あかほり: そうですよぉー。
田中: そういううぬぼれに逃げ込むわけです(笑)。ミスだけあげつらいますと、司馬遼太郎さんでも、池波正太郎さんでも、あることはあるんです。だけど、そういうミスがあるからといって、そこから小説の評価が変わるようなことはないはずなんですよね。>

 何だ、ちゃんと分かっているじゃありませんか(笑)。創竜伝や銀英伝で現実離れな超理想主義を振りまわした作品を書いたり、創竜伝9巻で塩野七生氏のミスを散々あげつらった上、それをもって日本人全体が増長しているなどというトンデモ社会評論を書いた作家と同一人物であるとは思えない主張ですね。
 しかしホントにこういう認識がちゃんとあるのであれば、もうすこし創竜伝の社会評論やストーリー描写がましなものになっても良いはずなのですが。

 そして前回のアルスラーン戦記のアノ不評だらけのあとがきを少しは反省でもしたのか、田中芳樹ロングインタビューの最後のほうで、また例によって5〜6行程度の「遅筆による謝罪」を行っておりましたが、これも前回に比べればかなり誠意のあるものになっていました。

アルスラーン戦記読本 P32(田中芳樹ロングインタビュー)
<――では、再開を待ちわびていた読者に、メッセージをお願いします。
田中  思いもかけず、すごーく間があいてしまって、本当にもうしわけありませんでしたが、いろいろな条件が整って、ようやく再開することができました。ぼく自身、また一から始めるような気持ちでやっていきたいと思います。まあ、作者を応援していただかなくても、あえてかまいませんので(笑)、作品中のキャラクターたちに、「がんばれ、生き残れよ!」と声援を送っていただければと思います。
 いままで待ってくださった皆さん、ほんとにすいませんでした。そしてありがとうございました。>

 まあ前回のあとがきがあまりにもふざけたシロモノでしたから、読者の抗議が殺到して謝罪文を書き直さざるをえないハメになっただけなのかもしれませんけど、それでも前回に比べれば少しはマシな文章に仕上がっているのではないでしょうか。
 まあだからといって、10巻と次の11巻の間がまた遅筆で伸びまくったら、今度こそ田中芳樹はほとんど全てのファンから見捨てられる事になるでしょうけど。

 ところでこの本には上で引用したように、トンデモ作家同士による「夢の対談(笑)」と言える、田中芳樹とあかほりさとるの対談も収録されております。対談の具体的な内容といえば、あかほりさとるが田中芳樹を誉め倒し、それに合わせて田中芳樹が色々なウンチクをひけらかすというパターンで、中国ものや作品論などを語っていたというところでしょうか。できることならば、あかほりさとるがシナリオを書いていた「サクラ大戦」あたりが話題に上がってくれば、私としては面白かったのですが(笑)。
 他は簡単な作品の説明と、名前すら聞いた事がないような作家や漫画家による田中芳樹礼賛評論が続いているのですが、その中で思わず爆笑してしまったものがひとつありました。
和田慎二という漫画家の評論なのですが……。


アルスラーン戦記読本 P58〜P59
<もっともその抜群のバランス感覚をもつ田中芳樹氏をして汚名たらしめるのは女性に対する描写の少なさである。『銀英伝』ですら女性キャラクターの名を十指折るのに下宿のおばさんまで加えねばならぬ始末。描写もきわめて……少ない。男性読者の声なき呪いの声は作者にとどいているのだろうか。
 ……届いているらしい。最近は女性を主人公にしたシリーズも始められているし、『アルスラーン戦記』においても第二部では女性キャラクターの活躍も著しい。どうやら作者も心を入れかえたようだ。喜ばしいことである。>

 全く、あんな下手な女性描写が田中芳樹の小説中にあることのどこが「喜ばしいこと」なのですかね。あのアルスラーン戦記10巻の、「薬師寺シリーズ」を思い出させる愚劣な女性描写は、アレだけでアルスラーン戦記10巻全体の作品評価を著しく下げてしまいかねないほどにひどいシロモノだったではありませんか。あの描写に遭遇するまではそこそこ高く評価していたのに(T_T)。
 そもそもこの漫画家、田中芳樹作品における女性描写の少なさを「田中芳樹の汚点」などと勝手に決めつけているようですが、作家にだって自分の得意分野と苦手分野というものがあって、田中芳樹の場合、その苦手分野がたまたま「女性描写」にあったというだけの事でしょう。そうであるのならば、作家としては得意分野を生かすことこそが重要であるはずですし、むしろ田中芳樹は女性描写など描かないほうが却って作品全体の評価を高めるのです。それこそ、この漫画家が「女性描写が少ない」として挙げている銀英伝こそがその好例でしょうに。
 「薬師寺シリーズ」などを読んでいると、田中芳樹が自らの趣向に反する女性描写を無理矢理に展開させられているような痛々しさすら感じてしまうのですけど、その程度の事すらも、この漫画家には分からないのですかね?
第一、 同じ本の中で他ならぬ田中芳樹自身がこう言っているのですけどね。

アルスラーン戦記読本 P31(田中芳樹ロングインタビュー)
<――ただ、今は「読者あっての作品」という考えで作られている作品もありますが。
田中  たとえば、プロの作家の方が、インターネットなんかを使って読者の意見を入れながら書く、ということをやってますよね。それについてどうこう言うつもりはもちろんないけど、「じゃあ作品についての最終的な責任はいったい誰がとるんだろう」ということはちょっと考えますね。それは逃げにつながるおそれもあるんじゃないかと。
――どちらにしても、読者を大切にすることと、読者の言う通りにすることとは、全く異なる次元の問題ですね。作家はあくまでもピッチャーであってほしいと思います。
田中  うん、そうですね。ぼくもそうありたいと思います。どうもコントロールが悪いんですけどもね(笑)。>

 これ、どう見ても和田慎二の評論と反対の事を主張しているとしか読めないのですけど、まさか和田慎二は田中芳樹に対して、田中芳樹の主張とは全く正反対の「大衆迎合小説」を書くことでも勧めているのでしょうか(笑)。
 礼賛評論を書くのはかまいませんけど、どうせ書くのであればもう少し田中芳樹を研究した上で書いたらどうなのですかね? この後に続く「中央アジア専攻の大学院生」が書いた「中世ペルシアという世界」という書評の方が余程マトモにできているではありませんか。書評でプロがアマチュアに負けてしまってどうする(笑)。

 まあこの漫画家のトンデモお笑い評論を除けば、他の作家達の評論はそれほどまでにひどくはないシロモノでしたので、アルスラーン戦記読本は田中芳樹読本の中ではそこそこに読めるシロモノではあるでしょう。
 アルスラーン戦記の世界について知りたいという人や、アルスラーン戦記外伝を読みたいという人であれば、買って損はしないものであると思いますね。


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