田中作品のエンターテイメント性
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田中芳樹の中国作品が受けない理由(2)

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コンテンツの総収録投稿数17件の内、3〜17件目の投稿を掲載

収録投稿3件目
board4 - No.2413

Re:軍務尚書は陰謀家か

投稿者:優馬
2002年07月31日(水) 18時47分

いささか屈折した愛を込めて作者に「諫言」したいのですが、銀英伝キャラクターの政治的行動は、特に情念の部分において浅薄な傾向があると思います。それが後年の作品に至っても改善されるどころではない!という状況であるのは、残念至極なのであります。

収録投稿4件目
board4 - No.2419

Re:軍務尚書は陰謀家か

投稿者:IK
2002年08月02日(金) 20時42分

 こんにちは、優馬さん。

> いささか屈折した愛を込めて作者に「諫言」したいのですが、銀英伝キャラクターの政治的行動は、特に情念の部分において浅薄な傾向があると思います。それが後年の作品に至っても改善されるどころではない!という状況であるのは、残念至極なのであります。

 銀英伝は人間の複雑な面を描ききっている(例としてはラングなど)との評価も高いですが、その複雑さがキャラクター設定メモ帳の域を出ていない感があります。小説の方法論としては際立ったものがあるにしても、キャラクターがあくまで役割主眼でとらえられている、とこれはまあ印象批評ですが、その辺の軽薄さは感じます。
 もっともメモ帳的なキャラクター造形能力であっても銀英伝は大したものという全体の評価は変わりませんが。
 長くなりますが…。ついでに書きますが、いわゆる中国史小説にもその辺の不満を覚えますね。中国は有史以来、日本の隣国だった訳で、にもかかわらず中国史を題材にした小説がこれまで少なかった、それを田中さんは嘆いていらっしゃいますが、そうなったにはそれなりの理由があると思いますね。
 日本の古典代表として源氏物語を挙げるとして、中国のそれは三国志演義でしょうか、水滸伝でしょうか、あるいは史記でしょうか。仮に三国志演義として、まあ、面白いですけど、あれで人生の深遠に触れる人はそうはいないと思います。まごうことなき天才の筆による源氏物語と比較すると、気の毒かも知れませんが、劉備にしろ諸葛亮にしろ、理想的な君主の役割、理想的な軍師の役割を演じているに過ぎないように感じます。誤解のないように言っておきますが決して三国志演義を貶めているわけではありませんので。
 歴史の捉え方そのものも、源氏物語のように時にアンビバレントな見方を許容する日本史と、何らかのイデオロギーに拠ってでしか人物を評価しない中国史とではかなり異質なものに感じますね。
 前漢の呂后と清末の西太后の間には二千年以上の時代差があるのに、非常に似通っているのは、中国の歴史が積み重なっていくだけで、原理が変化しないところにあるのだろうと思います。
 つまり中国は確かに歴史の国ですが、その歴史は日本史とも西洋史ともまったく異質なものだということです。
 その辺が、中国史を題材にした小説が日本ではあまり書かれてこなかった(読者が要求しなかった)理由であり、田中芳樹さんの中国史小説の人物が特に書割的に見える理由だろうと思います。
 あるいは人物を書割的に見る田中さんだからこそ中国史に惹かれているのかもしれません。
 ちょっと整理がつかず申し訳ありません。もう少し思考を深めて、いずれまた書き込みたいと思います。

収録投稿5件目
board4 - No.2420

本朝における中国文学の土壌

投稿者:匿名希望
2002年08月02日(金) 21時07分

2419のIKさんの意見は興味深く読ませてもらいました
日本の場合、中国からの書物は宗教や政治、芸術などといった思想的なものを中心として広まっていきました
想像するに、物語としての書籍の流入は2の次3の次だったのではないのでしょうか
故に、中国文学大衆に定着する土壌が成立することなく現在に至っているのではないかと考えるのですが

収録投稿6件目
board4 - No.2424

中国史の考察、他

投稿者:IK
2002年08月03日(土) 14時16分

 現在、暇なのでどんどん書き込んでしまいます(笑)。
 匿名希望さんへのレス、並びに本論です。

>想像するに物語としての書籍の流入は二の次、三の次だったのではないでしょうか。故に中国文学大衆に定着する土壌が成立することなく現在に至っているのではないかと考えるのですが。

 中国から日本への文化的影響が大きかったのは奈良時代から平安時代前期にかけてですね。主に仏教関係が主でしたから、文学書は確かに少なかったでしょう。白楽天などは随分、好まれたようですが、土着化したとはいえないでしょうし。
 中国で文学が大衆化したのは明代以後のことです。中国は漢字の国ですから庶民が本を読む、まして文字を書くというのは大変なことなんですね。文学の土壌で言う限り、日本の方が適性があったと思います。
 「西遊記」「三国志演義」「水滸伝」などが書かれたのも明代のことです。そしてそれが日本に伝わったのは江戸時代に入ってからだろうと思います。「三国志演義」について言えば、大衆に受け入れられていたと思います。幕末には日本外史と並んで、相当広く読まれていたのではないかと考えます。
 ただ、後が続かなかったんですね。何故がというと、私は「後」がなかったからだと思いますが。
 まず言っておきたいのは、日本で中国史小説が受け入れられなかったのは単に接する機会が少なかったからだ、と私は考えていないということです。それとは別に、日本人が文学に期待したもろもろ、読み物ではなく、いわゆる文学性が中国において誕生するのは日本の年代で言えば明治以後のことです。これは文学の問題ですから本論から外れますのでこのくらいにしておきますが。
 中国では皇帝専制政治というあるべき姿ががんとしてあって、それから外れた時代を非常時と見なす傾向があります。つまりいずれ皇帝専制政治へと回帰していく訳です。この辺が中国の歴史に「発展性」がなく、いつの時代をとってもそう変わり映えしないという結果をもたらしているのではないでしょうか。
 日本史で言えば、織田信長の登場以前と以後では社会環境、構造、正義の概念が全然違う訳です。同様のことが源頼朝、北条早雲などについても言えるかもしれません。
 江戸時代にあって藤原道長のような人物が出ることは絶対にといっていいほどあり得ませんが、中国では呂后と西太后のような類似がしばしばあるのです。十九世紀のイギリスでリチャード獅子心王が出現する余地があるでしょうか。構造的に不可能でしょう。
 故に、中国史では「歴史の革変者」というのは出てこず、中国史は個人史の集積といった感があるのです。なにがあろうともそれは個人の中のことであり、歴史の国としては意外ですが、その実、個人は「歴史」とは切り離されているのです。
 「歴史」という評価基準が背後にない分だけ、個人はその行動をイデオロギーによって処断されます。だからどうにも薄っぺらな印象を私は受けるのですよ。
 例えば文天祥ですが、彼は田中芳樹さんも取り上げていますが、最後まで宋王朝に忠節を貫いた偉い奴、という評価はそれはそれで結構ですが、中国人民はそれぞれの行動基準で行動していて、彼の存在は歴史上孤立しているのです。
 ああ、なんだかまとまらないな。どなたか賛同なり反論なりで補助して下されば助かるのですが。
 簡単に言えば、日本と中国では歴史の構造が違うのだから、日本史小説と中国史小説は単に扱っている国が違うという以上に全然別のもの、ということです。日本史小説に慣れた読者には中国史小説はなんか肌合いがちがう(敢えて優劣は論じませんが)、と感じるのではないか、だから余り中国史小説は読み物としてはともかく、真面目に歴史を考察したい読者からは受け入れられなかったのではないかと考えるのです。
 以上!(半ばやけになりつつ)

収録投稿7件目
board4 - No.2425

Re:中国史の考察、他

投稿者:優馬
2002年08月04日(日) 21時13分

 優馬です。

 さて、私も「中国史小説」が日本人にとって面白くない、というご考察に同感です。で、少々コメントを。ただ中国文学の専門家でもないので半可通の恥をさらすかもしれず、「茶飲み話」として聞いていただければ幸いです。

 かの国の文芸には、「士大夫のもの」と「女子どものもの」という区分が厳然とあったように思います。士大夫=政治を司る階級であり、文字を使える唯一の階級なのですが、「書く内容」については非常に強い階級的制約があったみたいですね。士大夫たる者の書くべきものは、歴史の論評(通常はそれが現状の政策批判ないし提言)、儒学に関する議論などに限定されていたようです。情緒的な詠嘆は、もっぱら詩の役目。ただ、韻文ですら用途の限定は甚だしくて、男女のこととか、女々しい感情は排除されている。
 どうも大の男が大っぴらに泣いてよいのは友との別れのときだけだったようで、漢詩には友人との別離の歌がやたらに多い。また家族との死別を詠った漢詩も少ないというか、浅学にして見たことがない。万葉集から恋愛歌と挽歌を除いたらほとんど何も残らないでしょうに。すごいコントラスト。漢詩と和歌って取り扱うテーマがとことん違いますよね。
 エンターテインメントとしての文芸は科挙の落第生という「士大夫階級の落ちこぼれ」によって担われるしかなかったわけで、「小説」という呼び方自体、非常に蔑視のこもったものです。

 で、そういう人たちが書いた歴史文学というのは、多分に政治に従属していたと思います。つまり、現実の政界で文天祥に似た立場の人物を支持したくて文天祥を誉める話を書くわけで、作品本来の価値(エンターテインメント性や文学性)は二の次だったのではないでしょうか。

>  中国では皇帝専制政治というあるべき姿ががんとしてあって、それから外れた時代を非常時と見なす傾向があります。つまりいずれ皇帝専制政治へと回帰していく訳です。この辺が中国の歴史に「発展性」がなく、いつの時代をとってもそう変わり映えしないという結果をもたらしているのではないでしょうか。

 私も安能務さんの「中華帝国志」を読んで「なるほど」と思った口です。同氏の「八股と馬虎(パクーとマフー)」には「中国史に『時代錯誤』なし」という、「そのまんま」な一章がありました。

 ある意味、皇帝専政という古代農業社会に最適なシステムを発明し、さらに易姓革命という「プレイヤーの交代システム」まで発明してしまったために、システムが二千年間も持ってしまった。それは偉大なことなんでしょうが、これからの中国人にとって幸いなことなのかどうかは大いに議論のあるところでしょう。

 なんか私もまとまりませんでした。中国史や中国文学に詳しい方に、ご教示いただければ幸いです。

収録投稿8件目
board4 - No.2430

Re:中国史の考察、他

投稿者:S.K
2002年08月06日(火) 22時03分

 中国史文学の普及率の悪さには「間の悪さ」も多少あると思います。
 遣隋使、遣唐使の頃は仏教文化を中心とした政治学・社会学に転用出来る実用的な知識が第一義で文学・娯楽は二の次にされた処はあるでしょう。
 そこへ来て中国の一王朝の寿命が短いせいで教えてもらう前に交流自体が有耶無耶になったのは痛いです。
 少し後の日明貿易がそういう意味で一番間口の広い交流だったと思います(もともと足利義満の見栄の部分以外はまっとうな経済交流でしたし)が、こちらは逆に日本の政情不安でなし崩しでした。
 そして鎖国を経て一番情報が広く定着しやすい時代の近代ですが、ここでは中国は「一番珍しくない外国」な上に「学びようのない斜陽国(アヘン戦争にはもう負けてますし)」だった訳で、これでは必然誰の興味も欧米が強国となるにいたった過程になるでしょう(珍しいですし)。
「なまじな近さ(距離・文化双方)」がかえって日本人の中国への興味を削いだ所はあると思います。
 そしてこの「知ってるつもり」がある意味日中戦争の悲惨さに拍車をかけた面もあるのではと思う所もあります(真面目に仲良くする気で中国人の自尊心を傷つけた日本人もいたでしょうし、両国民の自覚なき「夜郎自大」合戦もあったかと推測されます)。
 とはいえ「俺が中国史の面白さと奥深さを教えてやる」ならまだしも「何故(俺がこんなにも面白いと思っている)中国史に興味を示す人間が少ないのか(俺が好きな題材で書けないぢゃないか)」は文筆表現者が自分で言ったら「みっともない愚痴」ですね。

収録投稿9件目
board4 - No.2431

Re:本朝における中国文学の土壌

投稿者:新Q太郎
2002年08月07日(水) 08時08分

高島俊男に「水滸伝と日本人」というすごく面白い本がありますが、これによると江戸時代でフィクションとして一番人気は水滸伝で、熊さん八っつあんのような庶民ですら知っていたそうです。

川柳に
「留守番に めしのありかと 水滸伝」
というのもあったそうで。
(留守番に「腹が減ったら棚に○○があるから。それから退屈だったらこの水滸伝でも読んでな」と置いていくということね)

いや、ほんとに同書はおもしろいですよ。

収録投稿10件目
board4 - No.2434

ちょいとずれるが・・・

投稿者:やまそ
2002年08月08日(木) 02時11分

この国ではヨーロッパ史もそれほど研究されていないし、中央アジア史に至っては文献そのものが壊滅状態。
中世ヨーロッパのイメージに至っては後世に粉飾されたまがい物がまかり通っているがなあ。
まあ、田中氏もそれにストレートに乗っかって見当違いなヴラド批判をやらかしていたが・・・。
何が言いたいのかと言うと、「中国史、文学に限った話ではないよ」とそういうことだ。

ここからは主観的感想。
歴史的に殲滅戦を知らないぬるま湯文化の日本人と大陸各国人とには感覚的に温度差があって、それがどうしても壁になるのではないかな。
まあ、論理学が発達した後のヨーロッパと儒教の害に浸かり続けた中国の感覚はまた違うものがあって、近代日本人にはヨーロッパの方が魅力的に見えたと言うのは分かる気がするな。
ま、個人的には中国文学をそのまま訳したものは読めたものじゃないな(笑)。支離滅裂だし、矛盾しまくるし、散文的過ぎる部分がある。翻訳者が日本人向けにかなり変更して読めるようになるかな(笑)。

収録投稿11件目
board4 - No.2435

Re:中国史の考察、他

投稿者:駆け出し
2002年08月08日(木) 05時00分

駆け出しでございます。

>日本と中国では歴史の構造が違うのだから、日本史小説と中国史小説は単に扱っている国が違うという以上に全然別のもの、ということです。日本史小説に慣れた読者には中国史小説はなんか肌合いがちがう(敢えて優劣は論じませんが)、と感じるのではないか、だから余り中国史小説は読み物としてはともかく、真面目に歴史を考察したい読者からは受け入れられなかったのではないかと考えるのです。

私もIKさんの、このご意見に深く賛同いたします。

それゆえに、北方謙三さんが、日本独特の皇国史観をベースにして「三国志」をお書きになったのは、日本における中国小説のひとつのありかたを示したのではないか、とも考えています。

収録投稿12件目
board4 - No.2437

Re:中国史の考察、他

投稿者:IK
2002年08月08日(木) 21時56分

いろいろありますが、ここはひとつ気を取り直しまして…。

私も北方三国志は数ある三国志の中でも最高峰ではないかと思っています。実のところ、それほど期待していなかったので、いい意味で裏切られた、この一作によって北方謙三さんは私にとって特別な作家となりました。呂布の描き方が特にいいですねえ。実は最近NHK人形劇「三国志」のDVDを買ったのですが、呂布がただただ粗暴な男なのでちょっと悲しい思いをしました(もっともその方が原作に近いのですが)。
宮城谷昌光さんが文芸春秋誌上に「三国志」を連載されてかれこれ一年ですが、いまだに劉備の「り」の字も出てこない(笑)。一体、何年連載するおつもりなんでしょう。

水滸伝―この小説の面白さは私にとって不可思議の中の謎です。
すごく面白いに違いないと思って読んだ(吉川英治版です)のですが、彼ら登場人物の道徳観が余りにもはちゃめちゃなので、どうにもついていけない。宋江なんぞ、一体、どうして首領でいられるのかまったく理解できません。旅人を襲って人肉団子を売るような人間を英雄視する神経が分かりません。
私は別にイエズス会士でもないので道徳を振り上げて誰ぞを断罪するような真似をするつもりはありませんが、水滸伝は余りにも「トンで」います。
伝え聞くところによると、映画の「タイタニック」で船が沈没する場面で、上海の観客は爆笑したとか。こうまでディスコミュニケーションだと、今後の日中関係が心配ですね(笑)。
高島俊男さんの著作は私も読んだのですが、いろいろ勉強になったのは事実ですが、結局のところどうして水滸伝がそれほど良いのか分かりませんでした。

実を言うと封神演義にもそれと似たようなことを感じました。私が読んだのは安能務さんの著作ですが。殷の紂王は要は操られていたわけですから、日本人が書いていたらああいうストーリー展開にはならないような気がします。

という訳で、世の中には水滸伝が理解できる人と理解できない人がいる、ということですね(笑)。
コナミのRPG「幻想水滸伝」は好きです(笑)。

収録投稿13件目
board4 - No.2458

Re:中国史の考察、他

投稿者:Ken
2002年08月17日(土) 14時51分

IKさん、
>ああ、なんだかまとまらないな。どなたか賛同なり反論なりで補助して下されば助かるのですが。
優馬さん、
>中国史や中国文学に詳しい方に、ご教示いただければ幸いです。

中国史にも中国文学にも詳しくありませんが、中国の「歴史の構造」についてのご意見を、非常に面白く読ませていただきましたので、少し感想を述べさせていただきたく思います。結論から申しますと、中国史も日本史も西洋史も、基本的な構造は同じではないか、という印象を私は持っています。

そう思うようになったのは、堺屋太一氏の「知価革命」を読んでからです。同書で氏は、歴史の段階を

始代:生産力小。宗教心大。科学精神小。村落または都市国家。
古代:生産力大。宗教心小。科学精神大。帝国。
中世:生産力小。宗教心大。科学精神小。封建的分立。
近世:生産力大。宗教心小。科学精神大。中央集権国家。

と分類されていたと思います。どの社会も最初は始代から始まり、

中国:戦国時代から秦漢帝国成立で古代になり、後漢末から中世、宋からは近世。
日本:大化の改新あたりから古代、頼朝以降中世、信長から近世。
西洋:ギリシャ文明が古代、ローマの没落から中世、ルネサンスから近世。

と、されていたと思います。

中国史でいいますと、それぞれの段階を典型的に表す時代は、
始代:殷周の時代。占いで政治が行われ、「礼」が重視され、封建領主が統治した。
古代:始皇帝の時代。「法」が重視され、中央が派遣する官僚が郡県を統治した。
中世:南北朝時代。仏教が社会に浸透し、貴族が軍閥という形の封建領主になった。
近世:宋・明・清の時代。官僚を手足にした皇帝親政が確立した。

と、なります。いわゆる「皇帝専制政治」が行われるのは古代と近世です。たしかに中世にも唐の太宗のような君主が現れますが、これは彼個人の英雄的な資質によるもので、システムとしての皇帝専制ではないでしょう。

ちょうど、頼朝以前と以後、信長以前と以後の日本が非常に異なるように、始皇帝以前と以後、宋の太祖以前と以後の中国も、まるで別の国のように異なるのではないでしょうか?

収録投稿14件目
board4 - No.2459

Re:中国史の考察、他

投稿者:IK
2002年08月17日(土) 16時44分

Kenさん、はじめまして。レス、ありがとうございます。

> そう思うようになったのは、堺屋太一氏の「知価革命」を読んでからです。同書で氏は、歴史の段階を
>
> 始代:生産力小。宗教心大。科学精神小。村落または都市国家。
> 古代:生産力大。宗教心小。科学精神大。帝国。
> 中世:生産力小。宗教心大。科学精神小。封建的分立。
> 近世:生産力大。宗教心小。科学精神大。中央集権国家。

これは面白い分類ですが…。これはローマから中世、ルネサンスへと至る過程の説明にはなっていると思うのですが、ちょっと考えても、日本史にはあたらないような気がしますが。
仮に奈良朝までを古代とし、平安時代はちょっとあやふやですが、鎌倉時代、室町時代を中世、織豊政権時代から江戸時代を近世としてみましょう。これ、あたりますか。
帝国と中央政権国家の差異は異民族を抱和するか否かでいいのでしょうか。日本史では近世などは宗教心は増大したようにも思えますが。室町時代も決して停滞の時代ではありませんよね。

> 中国史でいいますと、それぞれの段階を典型的に表す時代は、
> 始代:殷周の時代。占いで政治が行われ、「礼」が重視され、封建領主が統治した。
> 古代:始皇帝の時代。「法」が重視され、中央が派遣する官僚が郡県を統治した。
> 中世:南北朝時代。仏教が社会に浸透し、貴族が軍閥という形の封建領主になった。
> 近世:宋・明・清の時代。官僚を手足にした皇帝親政が確立した。

> と、なります。いわゆる「皇帝専制政治」が行われるのは古代と近世です。たしかに中世にも唐の太宗のような君主が現れますが、これは彼個人の英雄的な資質によるもので、システムとしての皇帝専制ではないでしょう。

古代にも必ずしも皇帝専制の例でないものもあり、中世にもそれこそ唐の太宗のように「例外」があります。ちょっと例外が多すぎるのではないでしょうか。唐朝だけで言っても、則天武后と玄宗皇帝は如実に皇帝専制政治を志向しておりますね。醍醐天皇などは、太宗の皇帝専制政治を手本とし、貞観の治=皇帝専制政治の典型と見なしていたくらいで。後醍醐天皇は更にその醍醐天皇を理想として、建武の新政を行ったのはご存知のとおりです。
それに唐朝が封建制度を受け入れたのは安史の乱以後のことですよね。これはやむを得ずそうなったのであり、少なくとも統一王朝は可能な限り皇帝専制政治を実現しようという方向で進んでいるように思えます。

> ちょうど、頼朝以前と以後、信長以前と以後の日本が非常に異なるように、始皇帝以前と以後、宋の太祖以前と以後の中国も、まるで別の国のように異なるのではないでしょうか?

始皇帝は確かにエポックメイキングな人物です。彼一人じゃないでしょうか。結局、その違和感の中で秦朝は滅びていったとも考えられます。
春秋戦国から秦朝、漢楚争覇時代はまだいわゆる中国の原型が出来ていない時代とも考えられるのです。儒教はもちろんありましたが、後世のように絶対的な基準軸にはなっておらず、儒者が重く用いられたという例も漢代になるまでありませんから。
宋の太祖についてはよく分かりません。彼を特別視する理由はなんでしょうか。飛龍伝の主人公で、好きな人物ですが。

収録投稿15件目
board4 - No.2460

Re:中国史の考察、他

投稿者:Ken
2002年08月17日(土) 20時33分

IKさん、こんにちは。

初めにお詫びをせねばなりませんが、私は歴史の専門化でもなんでもなく、趣味で歴史の本を読む程度で、先の書き込みも「知価革命」という一冊の本から得た知識だし、その一冊の本すら正しく理解できたか、心もとない状態ですので、非常にまとはずれなことをいうかも知れません。私が先に書き込んだ内容を正しく検証していただくには、堺屋さんの著作を読んでいただくのが一番よいのですが、ここではとにかく私にできる限りの回答をさせていただきます。

まず、先の分類の日本史への適用について。
始代には、卑弥呼に見られるように、政治に呪術・宗教が強く影響していました。古代帝国(飛鳥・奈良朝)では法(律令)が整備され、朝廷の支配が全国に及び、各地方を統治したのは、中央で任命された国司でした。また大仏に代表される、高度技術が現れました。平安時代は古代から中世への過渡期で、武士という地方の封建領主が台頭し、鎌倉幕府によってその体制が完成しました。また宗教の影響力が非常に強くなり、いま私たちの周囲にある仏教各宗派の宗祖は平安時代か鎌倉時代に現れ、また朝廷でも幕府でも加持祈祷がさかんに行われました。室町時代には民衆の権力への抵抗が顕著になりますが、その大半は一向宗や法華宗の教団を中心にまとまりました。近世になって、それらの教団はまず信長に弾圧され、徳川幕府は保護と引き換えに宗教を支配のための下部組織としました。私の理解が正しければ、檀家制度が確立し、浄土真宗の家に生まれた人は一生浄土真宗だし、真言宗の家に生まれたら一生真言宗で、個々の宗派の勢力が伸張したり衰微したりすることがなくなりましたが、これは人々が宗教への本質的な関心を失ったからではないしょうか?また徳川時代は封建制ではありますが、幕府の決定で転封や領地没収が行われました。つまり徳川期の大名は鎌倉・室町の御家人よりは、むしろ奈良・平安時代の国司に近いように思われます。

中国の皇帝専制体制についてですが、宋の成立以前と以後で大きく変わったことがあります。宋以前の王朝交代は、ほとんどが朝廷の重臣による簒奪でした。宋の太祖自身もそうやって皇帝になりましたが、彼以降は簒奪による王朝交代はなくなります。これはそれまでの王朝が基本的に貴族連合だったのに、宋以降は皇帝専制になったので、簒奪するほど強力な重臣が現れなくなったからだといいます。たしかに唐の太宗や玄宗や則天武后のような専制的統治者もいましたが、彼等とてもシステムとしての皇帝専制は確立できず、唐の後半に凡庸な皇帝が現れると、政治は宦官と軍閥の手に委ねられてしまいます。一方、宋以降は、例えば明の万暦帝のような人物でも、皇帝として無限の力を振るいました。皇帝専制がシステムとして確立していたからでしょう。

舌足らずな説明で申し訳ありません。(しかもIKさんの疑問にすべて答えてもいませんね。)もう少し勉強しなおさねばと思っています。

これからもよろしくお願いいたします。

収録投稿16件目
board4 - No.2463

堺屋氏と歴史学

投稿者:TotalMoled
2002年08月17日(土) 22時57分

Kenさん、初めまして。
堺屋氏の主張ですが、納得しかねるところが多々あるのです。
まず宗教心については古代とされる時代において低いとは言いかねます。
ローマ帝国やクシャーナ朝インドなどでは諸宗教の発生・流行が見られます。
科学意識においても、氏の主張は西ヨーロッパの中世において一部該当するだけに思われます。
この区分に限らず、堺屋氏は高校の社会(地歴公民)レベルの
事象に対する類型の設定と当てはめを行っているだけのように思います。中国の漢などの官僚は中央から派遣といいつつ実際には
地方の豪族層から選出されており、皇帝専制が徹底していたとは思えません。
ある意味中国とは軍閥が合従連衡を重ね、1つの軍閥が勢力拡大に成功した場合に統一国家を名乗っているだけにも思えます。
(現在の中国も大陸と台湾の分裂と大陸内部の軍閥の分裂が存在しています。)

収録投稿17件目
board4 - No.2485

Re:中国史の考察、他

投稿者:Ken
2002年08月21日(水) 18時38分

TotalMoled様、

お返事が遅れて申し訳ありません。

もうひとつ謝らないといけないのは、私の先の書き込みは、堺屋氏の著書にはっきり書かれていることと、それに対する私自身の解釈が同居しており、読まれた方に混乱を与えてしまったことです。

堺屋氏自身の論点は、

・歴史の流れが始代->古代->中世->近世と進む
・古代と近世は生産力が大きく、始代と中世のそれは小さい
・その結果、古代と近世には人々が物財に関心を抱く
・その結果、事物を客観的に直視し、それが写実芸術や科学精神につながる
・また、ものの価値を客観的に評価しようとする
・そのため、度量衡や通貨の統一が必要になる
・そのため、政治的には統一権力が成立する
・一方、始代と中世には、物財への関心が薄れる
・その結果、客観よりも主観、事実よりも観念が支配する
・その結果、写実芸術や科学精神は衰える
・一方、観念や主観を、社会が人々に強制する
・政治的には、主観や観念を共有できる程度の小単位に分かれる

ということであろうかと思います。古代と近世には広範囲を統一する権力が成立しますが、それが皇帝専制であるかどうかは、氏の直接の論点ではありません。地方の統治者が官僚かあるいは豪族であるか、という点も同様です。

また、宗教については、始代と中世の特徴は、宗教心が強いというよりも、異教・異端への不寛容である、というのが堺屋氏の論点であろうと思います。

最後に、歴史の構造が、世界の各地域で同じであるか、それとも異なるか、という点ですが、それは結局どのような切り口で歴史を捉えるかに、依存するのではないでしょうか?堺屋氏の切り口は、物財への関心と、そこから生じる客観主義・科学精神であり、この点では氏のいうように、中国・日本・西洋の歴史は同じ構造を有していると思います。官僚制度の確立と、それに依存した皇帝専制というのは、たしかに日本や西洋には見られない、中国特有のものかもしれません。

以上、明瞭さを欠く投稿で、皆様と堺屋氏の双方にご迷惑をおかけしたことを反省し、補足をさせていただきました。

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