QLOOKアクセス解析


田中作品のエンターテイメント性
3−A

田中芳樹はお笑い小説作家?(1)


このコンテンツの
全一覧ページへ

No. 1346
お笑い作家としての田中芳樹
投稿者:俺様ランチ 1999/6/11 01:55:39
 薬師寺涼子に関するいくつかの書き込みを読んでいて気づいたんですが、私が創竜伝を今までつまんないとか思わなかったのは、お笑い描写が面白かったのでその印象が強かったからみたいです。

 銀英伝読んでた時も同盟側のお笑い日常場面なんかかなり好きでした。思い出したら私の田中芳樹への評価は長い間「専制主義対民主主義なんて重いテーマを扱うわりにハイレベルのお笑い描写を書ける作家」というものでした。
 だから、創竜伝を初めて読んだときも「同盟の日常場面やアルスラーンみたいな、お笑い場面の割合が増えてお得」って感じでした。

 そこで、創竜伝大嫌い派の代表としての管理人さんや冒険風ライダーさんにぜひともお聞きしたいと思っていたんですが、田中芳樹のお笑い描写にはどう評価を与えてられるのでしょう?あの手の描写、不必要とかつまんないとかだとお思いですか?ついでにお聞きしたいのですが、「好きなギャグマンガ」教えていただきたいのです。

 今更言うのもなんですが、お笑いを書く作家としての田中芳樹はかなりハイレベルだと思うんですよ。プロのギャグ漫画家と比べたらそりゃあツライですが、繰り返しますが「重い問題を扱いつつなおギャグも書ける作家」としてみた場合には、小林よしのりなんて目じゃないと思うのですよ。・・・私がまだゴーマニズム宣言全巻揃えていた頃、「ゴーマニズム人気に乗じて、ヤンマガで小林よしのりが新連載!」と知り、期待して読んでみた「次元航海記」のあのつまんなさ・・・。案の定打ち切りだったし。

 小林と田中を比べる理由として「どちらもエンターテイナーと評論家を両方やってる」事が挙げられます。が! 断言しますが、論客としてはともかく、ギャグ漫画家としての小林は完全に死んでます。論客としての小林は田中の300万倍誠実かも知れません。が、ゴーマニズムで「わしは評論もできてギャグマンガも書ける!」といまだに言っているのは滑稽でしかありません。「笑わせる能力」について言えば、完全に涸渇してる小林と比べて田中は薬師寺シリーズを見ればわかるようにまだ生きています。っつっても「薬師寺シリーズは薄っぺらい」というのには同感ですが。

 思うにですね、創竜伝をつまんないつまんない言われるのは、「お笑いを受け取るセンス」の大小も関係あるんじゃないでしょうか?
 創竜伝を「ストーリー40点、お笑い30点、社会評論30点」で100点満点で採点した時、お笑いの30点分を初めから捨ててしまうのはちょっとかわいそうなんじゃないか、と。

 いや、社会評論がつまんなくしてる、という主張はわかるんですが、なんか悪い部分だけをあんまりにも増幅し過ぎなんじゃないか、と。別に大学の授業で教科書に使うわけじゃなし、エンターテインメント作品としてそこまで悪し様に言われるものじゃないのではないか、と思ったのです。

 反論、「そうは言っても創竜伝の社会批評は度を超していて・・・」というのはできれば無しでお願いします。もうそれは耳タコですので。


No. 1347
その前に
投稿者:仕立て屋 1999/6/11 03:35:20
 毎度、仕立て屋です。

 俺様ランチさん、エンターテイメントの一面、「お笑い度」に着目して田中作品を考察
するとは、なかなかユニークな切り口ですね。

 で、ギャグの評価というのには非常に個人差があるため(たとえば、私は関西人なので
創竜伝が”純粋な意味でのお笑い”として評価できるか?ってのには読み返してみる必要
がありますが、イマイチ、ピンとこないんですよね)、なかなか比べにくいのでは?
 ですから、もし、比べるにしても、まずは俺様ランチさんが創竜伝の中でどの部分を”
お笑い”として評価されているのか、2、3具体例を示されたほうが、よりわかりやすくな
るかと存じますが。いかがでしょうか? 「お笑いを受け取るセンス」の大小にも関係が
あるとするならば俺様ランチさんがどのような路線のギャグに対して”おもしろい”とお
感じになるかによって俺様ランチさんのギャグセンスも推し量れるというものでしょう?

 ちょっと興味深い話題なのでくだらぬカットインでした。


No. 1348
お笑い作家
投稿者:石井由助: 1999/6/11 04:04:49
>お笑い作家としての田中芳樹

 お笑いは大きく分けて「ユーモア」(ほのぼのとした笑い)と「ギャグ」(突発的な笑い)の二つに分類できると思うのですが、どちらかといえば田中芳樹は「ユーモア」系の笑いであり、ギャグとは違うと思います。


 限りなく主観的な事になりますけど、私は田中芳樹のお笑いに関しては、ほとんどゼロに近い評価です。犬に「松永良彦」なんて名前を付けても、少しも面白くありませんし、むしろ創竜伝を読んでいるとつまらないダジャレを言われたときのようなイライラさえ感じます。銀英伝のころも笑えるとは思いませんでしたが、あれのほうはその笑えなさが物語の演劇的な世界観によくあっていると思いました。


 摩天楼に関してはまだ読んでいないので何ともいえないのですが、「極楽大作戦」のあのノリを田中芳樹の文体でやるとすると、かなりツラいんじゃないかなぁ…と思います。
 スラングを使う時さえ、「アホちゃうか」「アホじゃねぇのか」と書けずに「アホと違うか」と礼儀正しく書いてしまうよしきん節で、椎名高志的な小気味のいいボケツッコミをやったら、若者言葉を無理して使うオジサン的痛さがありそうな気がしますが……


 あと、よしりんのギャグの才能が枯渇している、というのは、過去はともかく現在は同感です。


>ついでにお聞きしたいのですが、「好きなギャグマンガ」教えていただきたいのです。

 個人的には「ファミ通のアレ(仮題)」(竹熊健太郎・羽生生純)がいまだに一番好きかなぁ。
 椎名高志のノリなんか好きですけど、だからこそ、「あれは田中芳樹とは水と油だろ」と思わずにはいられないのですが…


No. 1349
なるほどお笑いねぇ
投稿者:Merkatz 1999/6/11 06:47:13
確かに「創竜伝」はお笑いかもね。小早川奈津子なんて完全にお笑いだし。でもこれはユーモアやギャグというより笑劇(ファルス)だよな。それもかなり醜悪な。
竜堂兄弟の掛け合い漫才も面白いけど、これもほほえましいっていう感じのものだし。
いわゆるギャグは書けないのかも。親父ギャグで寒くなって終わりとか。ギャグ作家田中芳樹・・・想像もつかんわ。


No. 1350
ギャグ作家よしきん(と若干のギャグ(暴)論)
投稿者:本ページ管理人 1999/6/11 13:16:47
>小早川奈津子なんて完全にお笑いだし。でもこれはユーモアやギャグというより笑劇(ファルス)だよな。それもかなり醜悪な。

あ、これはそうですね。


>竜堂兄弟の掛け合い漫才も面白いけど、これもほほえましいっていう感じのものだし。

 竜堂兄弟の漫才って、要はサザエさんの磯野家じゃないですか。終がカツオで(^_^;)。
 パクってけしからん、とかそういうことを言いたいわけではないですよ。要するに、きわめて正統的なユーモアの系譜の上にあるってことを言いたいだけです。


 私も田中芳樹にギャグは書けないと思います。田中芳樹の毒はギャグの毒とは明確に違うと思うので。
 「私とハルマゲドン」(竹熊健太郎)で、ユーモアは常識内の笑い、ギャグは非常識・反常識の笑いと竹熊は定義していますが、それでいくと「政府の批判」というきわめて「常識」的なことをあたかも発禁になるほどの「非常識」と思っている人にギャグは無理でしょう(あれをギャグだととらえられる人は同じような認識を持っているのでしょうか?)。
 よくギャグ芸人のことを「コワレ芸人」と言いますが、これはギャグの一面をついていると思います。そして、田中芳樹はその面では「コワレ」の対極にあるきわめて健全な常識人です。

 まあ、小早川奈津子自体は「反常識的」であり、田中作品では珍しくギャグとして成立していると思います。ただ、その反常識を補強させるために口走らせる言葉が「自由主義史観」とか「進め一億火の玉」っていうのはねぇ(^_^;) いや、これが笑えるというのなら、革新の人の常識ってそういうものかな、と思いますけど(皮肉ではなく)。


 ビートたけしは精神病院を舞台にした笑いの映画を作りたいといっていたようですし、山上たつひこも究極のギャグがあるけど、それは出せない。(反常識すぎて)社会から総スカンを食らってしまうから、と語っています。どちらも、本当にやってしまったら(創竜伝の笑えない発禁ギャグどころではなく)マジで発禁されかねないものです。
 常識とは何かということを見据える冷徹な眼と、この認識があるからこそ、両者ともギャグの世界で第一人者なんだと、私は思います。


No. 1351
RE1346
投稿者:冒険風ライダー 1999/6/11 21:27:54
>お笑い作家としての田中芳樹

 なかなかユニークな考え方ですね。あなたが指摘するまで、私は田中作品が「お笑い」という要素があるのかどうか考えた事さえないのですけど、私も管理人さんと同意見ですね。創竜伝のギャグは全く笑えませんし、そもそも田中芳樹にギャグ小説は書けないでしょう。あかほりさとるに政治評論をやらせるようなものです。銀英伝の場合も「ユーモア」的な笑いならあったでしょうけどギャグとなると……。
 そもそも創竜伝は肝心のストーリーが訳分からないようになっているのに、そのうえ小早川奈津子を強引に登場させてさらにストーリーを引っ掻き回すのはどうもねえ……。本道であるストーリーを破壊してまで下手なギャグを展開する必要はないでしょう。最初からギャグ小説としてスタートしたのならばそれもいいでしょうが、「創竜伝」も「薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ」も「ギャグが本道」ではないでしょうし。私が創竜伝に愛想をつかしたのも、社会評論よりも先にストーリーがくだらなくなったからなのですから。
 しかし田中芳樹がお笑い作家でないのは恥ではありませんよ。ジャンルが違うというだけの話です。

>ついでにお聞きしたいのですが、「好きなギャグマンガ」教えていただきたいのです。

 ギャグマンガといっても、最近は「純粋なギャグマンガ」というものがなくなってきてますからね。「ついでにとんちんかん」(←古いか)を超えるギャグマンガがいまだにでてこないし。ラブコメでいいのならば
週刊少年サンデー「極楽大作戦」
月刊少年ガンガン「守って守護月天」
週刊少年マガジン「ラブひな」
くらいでしょうか。最近ギャグマンガも減ってきているしな〜(-_-)。


No. 1353
脱線多し覚悟されよ
投稿者:俺様ランチ 1999/6/12 01:28:19
 まず、うまい表現が見つからなくてつい「ギャグ」って使ってしまったのですが、本当はこの単語は既にダサダサだと思っています。実生活で「あんたのギャグは・・・」なんて言われると「ネタと言えネタと!」と訂正させている感じでして。ってまあ確かに田中節は「ユーモア」に近いというのは何となく同感です。

 むー。創竜伝を「全く笑えない」と言われるとやっぱツライです。俺的には「犬の名前に松永良彦」ってのはナイスガッツ!って感じだったのですよ(以前、他の作家が似たようなネタを先にやってた、という書き込みを踏まえても)。終がボケで続がツッコミというのが完全固定化しているというのも確かに物足りないのは事実ですが。どこだったかな、「茉理と始が別々の部屋で寝て、他の連中は皆同室にすればいいのに、と思った」とかのクダリはヒットでしたよ。創竜伝は各巻1回ずつしか読んでないので実は弱いのですが、水池・蜃海・虹川のやりとりなんかは結構笑えた記憶があるのやらないのやら。奈津子ネタはもともと狙いが見えすぎてて、ツライ時もありますが、それでもまあいい味出してると思いますよ。
 銀英伝の場合には、ヤン艦隊の会話は基本的に全てネタとして考えていいでしょう。「どうせダメなら酒飲んで寝るか」とか、ヤンのプロポーズの台詞とか、外伝の2巻はハッキリ言って芳樹がヤン艦隊のコメディやりたくて書いたとしか思えないですし。アルスラーンも同様ですし。
 皆さん薬師寺シリーズを妖怪退治のお粗末さでけなしてますが、あれはどう考えても「薬師寺に振り回される周囲、というドタバタ」こそが「作者の書きたかったもの」でしょう。夏の魔術シリーズは確かにホラーとジャンルづけできますが、薬師寺に妖怪退治物なんてジャンル付けできませんて絶対。あんなんストーリー手ぇ抜いてドタバタをメインにした小遣い稼ぎ作品なんですから、作家としての姿勢を非難するのは大いに賛成ですが、作品としての評価はお笑いネタの出来不出来のみで評価すべきだと思いますよ。俺的には「わがままな美人」なんて素材がベタすぎて中の下ってとこです。部下の泉田の造型は田中節が感じられていいセンいってます、読書人だし。ただ作品全体見て、あれならダリューンとナルサスの掛け合いの方が面白い。
 ついでですが、まさか芳樹をパクった訳でもないでしょうが、藤原紀香使って威張った女版GTOの「ナオミ」なんてウンコドラマが売れてるんだから、世の中の視聴者なんて芳樹が手を抜いたくらいの脚本でちょうどいいくらいなのかもしれんですよ。

 むー、芳樹のネタは「理詰めでわかると笑える」って感じですか。ヤンのお説教以外の台詞は基本的に全て「読者かユリアンにつっこませるための」前フリですし。

 ああ、お笑いマンガ道場にはこれでも結構自信があるのですよ。これはこのサイトの人に限らず全ての人にいつも言っているんですが、うすた京介(すごいよマサルさん・武士沢レシーブ)のネタで笑えない20代前半は、それまでの人生でのマンガの読み込み量が足りなすぎます。90年代最強のお笑いマンガセンスの持ち主でしょう。芸能人でいえば松本人志です。

 これから挙げる人物は全て押さえて欲しいくらいなのですが、基本的にマンガ内ではツッコミを入れずに読者に「それ、ちーーがーーーうーーーー!!」とつっこませるジャンルが多いです。
 「脳みそプルン」は全日本ランキング現在2位でしょう。
 最近ちょっとマンネリ化しつつあるとはいえど、登場以前と登場以後で日本の「最先端のギャグ」というものの常識を塗り替えた、という歴史でいうなら明治維新?くらいすごかった吉田戦車だけはぜひとも押さえていただきたい!
吉田戦車を読んでいれば和田ラジヲは読まなくていい!
 あと、江戸時代好きなら絶対笑えて、「今時の若者とか流行というものが大嫌いで大嫌いでしょうがない」という主張がわかり過ぎる点も笑えるほりのぶゆき(江戸むらさき特急、てれびさん他)は個人的には大好きなのです。
 立沢直也の「禁ドン」のブラックさは、ネットでシコシコ暗い論争してる我々のような人種にはピッタリだと思いますよ。
 島本和彦をギャグと言ってしまうと抵抗があるかも知れませんが、これもかなり熱くて熱くてその空回り具合が笑える、と思うと無理矢理田中芳樹との共通点が見えなくもないかも。
 あとは「玄人のひとりごと」や「まあじゃんほうろうき」とか。

 なんか語り出すとHP作れるくらい長くなってしまうのでやめますが、2位集団としては全盛期のスピリッツ系4コマの類が好きらしいです。少年サンデーは手を出したことが一度も無いので知識が弱いのは否定できませんが。

 ちなみに、小学校の卒業文集の自画像は「抜作先生」だったほど、とんちんかんには傾倒してましたよ。アレはマサルさん以前のジャンプギャグマンガの王者でしょ。
 ついでに言えば、俺らが小学生の頃、ジャンプでとんちんかんで笑うのは非常にナウかったですが、コロコロ読んで「つるぴかハゲ丸」とか「おぼっちゃまくん」で笑う層は非常にダサがられてた記憶があります。学校で茶魔語使う奴は撲殺してまわったくらいです。そんな思い出があるものですから、小林が「おぼっちゃまくんを読んだ層がゴー宣読んで・・・」とか言ってるのを聞くと「センスのねえ奴ばっかしファンについてるんだな」とか思ってしまうのです。

 ただ、わかる人にはわかって欲しい。日本で最強のお笑いブックは、マンガでは無かったですがパソコン雑誌ログイン(ただし3年前くらいまで)だったという事を。80年代後半から90年代前半まで、日本で最強のお笑いクリエイター集団はなぜかアスキーにいたのです。

 いやいや、脱線しまくりしまくり。冒険風ライダーさんの事あんまり偉そうに言えないすな。ただですね、銀英伝内のネタで全部笑え、とは言いませんが、全部笑えないと言われると、そりゃ田中芳樹向けの体じゃないんですよ残念ながら。・・・とすると、何人の方が読まれたかわかりませんが、「奔流」の陳慶之の描写でも笑えなかったりするでしょ? それじゃ田中芳樹もさすがに浮かばれませんよ(まだ死んでない)。

 俺は、司馬遼太郎(最近「燃えよ剣」を読んで、なんで今まで読まなかったのかと激しく後悔中)も陳舜臣も宮城谷昌光も笑いは書けない、でも同じく歴史なんてお堅いジャンルを書く傍ら、田中芳樹はお笑いも作中に混ぜられる、という点で「特別ボーナス点」をあげて評価してあげてはどうか、と言いたいのです。
 何はともあれ、今までこの掲示板には無かった素材を提供できたことだけは、クラスのみんなに自慢してやろうと思います。
 じゃあヨロシクドーモ!!


No. 1355
田中と島本(捨てネタ)
投稿者:新Q太郎 1999/6/12 05:36:55
>島本和彦を(略)無理矢理田中芳樹との共通点が
>見えなくもないかも。

*田中芳樹との共通点

(1)「もう・・・どうしても物語が続けられない・・・!
ここらへんで適当にテーマらしいことをにおわせて・・・中断するしかない」

(2)「しかも主人公は貴族的な金髪美形の若者と、ユーモアと教養のある黒髪の中年の2本立て!読者は必ずどっちかにつきます!」
「うぬうう、や、やるな」「だったら次作は4人だ!」

・・・以上「燃えよペン」(竹書房)より。


No. 1356
ユーモアセンスとギャグセンスについてひとくさり
投稿者:仕立て屋 1999/6/12 11:46:52
 「イギリス人にはユーモアがある」、「アメリカ人にはユーモアがある」これらはわたし自身なんとも言えないがよくいわれるフレーズである。しかし、イギリス人にはギャグセンスがあるとかアメリカ人にはギャグセンスがあるなどとはあまり聞かない。ユーモアセンスとギャグセンスの違いはどこにあるのだろう。
 わたしは、伝播、模倣、再生産に耐えられ世代を越えて継承可能なものがユーモアセンスであり、その場その場の鮮度が重要であり、模倣、再生産の効かないものがギャグセンスであると規定したい。言いかえれば、特定の文化風土によって育まれるものがユーモアであり、主に個人の才覚に依存するものがギャグセンスである。

 関西お笑いの技法にボケ,ツッコミやノリツッコミといわれるものがあるが,大抵の関西人はこれらを習熟していることでしょう。その他の地方の人間から関西人がオモロイといわれる所以はこのあたりにあるように思われる。これらの技法と関西弁が合わさった時,小気味よい調子とテンポが生まれる。しかしながら,これをもってギャグセンスがあるかというとそうではないと言いたい。これらは継承可能で模倣の効く,いわば技術であって,他地方出身の人間でも長年関西地方に住んでおれば,まがりなりにも身につくものである。これらは,定形化された技術,様式美であり,一種,継承可能な文化風土とも言ってよかろう。お笑い文化ともいえるこうした関西の風土に身をおく限り,ある程度ユーモアセンスは磨かれ,極論,そこに個人のオリジナリティーがなくともそれなりにニヤっとできるものが仕上がる。
 翻ってギャグセンスはどうだろうか。きのう人に受けたからといって今日も受けるとは限らない,つまり鮮度の概念が存在する。また,ダウンタウンの松本の真似をそっくりそのまま真似したからといって私がテレビで爆笑を取れるというものでもない,さむいだけである,つまり,伝播継承,再生産への耐性がないといえる。これらはもっと差し迫った緊迫感を伴うものであり,かれの弟子になれたところで身につくものでもない。継承可能なものがあるとするならば彼の取組み姿勢や定形化されたパターンといったものしかないだろう(これらがお笑い文化,風土になっていくともいえる)。結局のところギャグセンスとはオリジナリティーが要求される個人個人の才覚に依存せざるを得なく,これで生計を立てられるのはごく一部のタレントに恵まれた者だけである。

 以上,わたしなりのユーモアとギャグに対する認識を述べましたが,これを踏まえて田中氏の作品について少しふかしてみたいと思います。

 結論から申し上げると氏の作品にはユーモアセンスは感じられるがギャグセンスは感じられない。作品におけるユーモア部分はニヤっとできるものでしかなく,オリジナリティーは余り感じられない。別にそれが悪いと言ってるわけではないけれど。ユーモアは一度,身に付けばそれほど苦労することなく,その作品において,模倣,転用,再生産ができるもので,それが”主たる”売りだとすれば,大量な作品生産も可能となる(世界構築に時間をかけた作品は遅筆となり、ユーモアが売り?の作品はえらい続刊が出るのが早いというのは穿った見方だろうか?)。いわば,お気楽な行為であり,お金儲けにもっとも適しているとも言えよう。そういった傾向は近年における田中氏の作品を見ているとよくわかる。ちょっと話がずれるが,よくプチ田中などとこのサイトにおいていわれることだけど,ひょっとすると,ユーモアの模倣,調子の模倣というのがあるのかもしれない。わたしは森岡浩之だっけ?かの征界の紋章シリーズは結構好きであるがジントとラフィールのやりとりなんかは田中氏の影響を伺える。でも嫌みが無いぶんこっちのほうがわたしの好みに合うが。他人に模倣されるくらいだから、田中氏がユーモアセンスをもっているのかいないのかと問われれば、私は持っていると答えておこう。


No. 1357
補足
投稿者:仕立て屋 1999/6/12 13:14:44
 ユーモア文化のある土壌で質のよいギャグセンスが磨かれるということは言えるかもしれない。


No. 1367
お笑いの話その他
投稿者:小村損三郎 1999/6/14 21:35:03
2.3日見れずにいたら色々話題が出ているようで。

>俺は、司馬遼太郎(最近「燃えよ剣」を読んで、なんで今まで読まなかったのかと激しく後悔中)も陳舜臣も宮城谷昌光も笑いは書けない

いやあ、それは若干の認識不足でして、司馬さんのお笑い(というかユーモア?)センスは作品の随所で存分に炸裂してます。
個人的に司馬ギャグのイチオシは若き日の井上馨を主人公にした『死んでも死なぬ』という短編です。(文春文庫『幕末』収録)
代表作『坂の上の雲』にも真面目に書いてるのかギャグで書いてるのか分らない場面が多々ありまして。
(大本営参謀本部次長・長岡外史のエピソードとか、第3軍に転任してきた参謀長が列車から転落するシーンとか)
バラエティー番組のドタバタギャグのようなシーンを司馬さん独特の簡潔でクールな文体で書き綴っていて、そのとてつもないギャップがなんとも言えない笑いを誘うんですよ(^^)。
これを計算して書いてたんだとしたらスゴイ。

えー、余談ですが、『新選組血風録』『燃えよ剣』については栗塚旭主演のTVドラマ版も是非見てみてください。(大きいレンタル屋なら置いてあると思います)
今からでも遅くない、皆さんも栗塚旭にハマッてみないか?(爆)


このコンテンツの
全一覧ページへ

トップページへ ザ・ベスト
全一覧ページへ
考察シリーズへ