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田中芳樹の中国認識
4−B

中国関連評論本の人物評価手法(2)


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No. 981
そういえば
駆け出し 2001/10/14 17:10
つい、最近、田中氏の新刊が出ましたね。バルト海のなんたら、とかいう。しかも、東京書籍から。文部省批判を繰り返してきた氏の本が、文部省の下請けのような東京書籍から出るというのは、現代の謎のひとつです。
創竜伝いうところの国民新聞(讀売新聞)が親会社となった中公新社からは、今後、氏の本は出ることはないでしょうけど。変節して、ナベツネにわびでも入れれば別でしょうが。


No. 983
『岳飛伝』が出てます
2001/10/15 03:47
> 創竜伝いうところの国民新聞(讀売新聞)が親会社となった中公新社からは、今後、氏の本は出ることはないでしょうけど。変節して、ナベツネにわびでも入れれば別でしょうが。

いや、ナベツネはそんな事気にしてないと思いますよ。
あの手の批評は田中さんほど酷くないにしても良く聞くものだし。
(プロ野球関係は特に)
そんな批評に一喜一憂するような可愛げのある人でないですしね。
それに中央新社から田中さんの『岳飛伝』が出てますよ。


No. 984
Re:『岳飛伝』が出てます
駆け出し 2001/10/15 04:13
> > 創竜伝いうところの国民新聞(讀売新聞)が親会社となった中公新社からは、今後、氏の本は出ることはないでしょうけど。変節して、ナベツネにわびでも入れれば別でしょうが。
>
> いや、ナベツネはそんな事気にしてないと思いますよ。
> あの手の批評は田中さんほど酷くないにしても良く聞くものだし。
> (プロ野球関係は特に)
> そんな批評に一喜一憂するような可愛げのある人でないですしね。

すみません。私の書き方があいまいでした。ナベツネと書きましたのは、渡辺オーナー個人を指すのではなく、讀売新聞社全体を指すつもりだったのです。象徴的な意味でのナベツネ、と。

> それに中央新社から田中さんの『岳飛伝』が出てますよ。

そうでしたか。これは勉強不足で失礼いたしました。でも、岳飛伝は中央公論が讀売に乗っ取られる前の契約にしたがって発刊されているんじゃありませんでしたっけ? つまり、新社に変わってからは発刊契約結んでないと記憶していますが。間違えでしたらおわびします。


No. 986
Re:『岳飛伝』が出てます
2001/10/15 17:19
> > > 創竜伝いうところの国民新聞(讀売新聞)が親会社となった中公新社からは、今後、氏の本は出ることはないでしょうけど。変節して、ナベツネにわびでも入れれば別でしょうが。
> >
> > いや、ナベツネはそんな事気にしてないと思いますよ。
> > あの手の批評は田中さんほど酷くないにしても良く聞くものだし。
> > (プロ野球関係は特に)
> > そんな批評に一喜一憂するような可愛げのある人でないですしね。
>
> すみません。私の書き方があいまいでした。ナベツネと書きましたのは、渡辺オーナー個人を指すのではなく、讀売新聞社全体を指すつもりだったのです。象徴的な意味でのナベツネ、と。

そうでしたか。
それはすいません。
でもあれは田中さんの底の浅い批評だけですし、小林よしのりVS朝日新聞のような根源的で根の深いものではないでしょう。


> > それに中央新社から田中さんの『岳飛伝』が出てますよ。
>
> そうでしか。これは勉強不足で失礼いたしました。でも、岳飛伝は中央公論が讀売に乗っ取られる前の契約にしたがって発刊されているんじゃありませんでしたっけ? つまり、新社に変わってからは発刊契約結んでないと記憶していますが。間違えでしたらおわびします。
>

たしか中央公論に読売の資本が入ったのは、99年2月だったおもいます。
それ以前に中央公論で出した中国武将列伝(確か出たのは96年)で岳飛伝を出すという宣言をしていましたので、その通りだと思います。
しかし96年に宣言して、出したは2001年、凄いですね。
しかもその宣言だって2000年には出すという気の長いものでした。
これすら破ってる・・・・。
まあ、田中さんを弁護するなら、この時ちょうど隋唐演義が終わったばかりで充電中だったというところでしょうか。
でも、せめて読者に宣言したのだから2000年には出してほしかった。
でもあれだけ待たれて出来があれじゃ・・・・。
また聞いた話によると(この掲示板からですが)原作かなり無視してるというし。
因みに私は一巻と二巻を持っていますがそれ以降は持っていません。


No. 988
田中氏の中国ものは
駆け出し 2001/10/15 18:30
> そうでしたか。
> それはすいません。

いえ、こちらこそ、説明不足でした。すみません。

> でもあれは田中さんの底の浅い批評だけですし、小林よしのりVS朝日新聞のような根源的で根の深いものではないでしょう。

私もそう思います。
ときに小林さんといえば、以前に漫画家のパーティーでおみかけしたことがあります。ゴー宣の内容からしても、ぶっ飛んでいる人かと思いきや、赤塚不二夫さんの前では、まるで借りてきて猫でした。あの小林さんでも、赤塚さんのことはやっぱり恐いんですかね。

> でもあれだけ待たれて出来があれじゃ・・・・。
> また聞いた話によると(この掲示板からですが)原作かなり無視してるというし。

陳瞬臣さんは言うまでもなく、宮城谷正光さんや北方謙三さんでも、同じく岳飛を題材にして、「岳飛伝」とやらの半分の分量で150倍くらい面白い物語りをお書きになることでしょう。

> 因みに私は一巻と二巻を持っていますがそれ以降は持っていません。

私は田中氏の中国ものは買っていません。長江落日賦を読んで、あまりのたわけさ加減に、あやうく卒倒しかけたものですから。以来、氏の中国ものは、最初の3ページを読んで、面白くなりそうだったら読もうと思っています。いまのところ4ページめを読んだ作品はありません。

田中氏には、一度まともに歴史を勉強してもらいたいです。


No. 992
Re:田中氏の中国ものは
2001/10/15 22:21
> > でもあれは田中さんの底の浅い批評だけですし、小林よしのりVS朝日新聞のような根源的で根の深いものではないでしょう。
>
> 私もそう思います。
> ときに小林さんといえば、以前に漫画家のパーティーでおみかけしたことがあります。ゴー宣の内容からしても、ぶっ飛んでいる人かと思いきや、赤塚不二夫さんの前では、まるで借りてきて猫でした。あの小林さんでも、赤塚さんのことはやっぱり恐いんですかね。

恐いとゆうより、尊敬している私は考えたいですね。
例が悪いですが、田中さんが陳舜臣さんを尊敬しているように。

> > でもあれだけ待たれて出来があれじゃ・・・・。
> > また聞いた話によると(この掲示板からですが)原作かなり無視してるというし。
>
> 陳瞬臣さんは言うまでもなく、宮城谷正光さんや北方謙三さんでも、同じく岳飛を題材にして、「岳飛伝」とやらの半分の分量で150倍くらい面白い物語りをお書きになることでしょう。

確かにそうでしょうが、一度も読んでないモノをそこまで切って捨てるのはいかがなもので。


> 私は田中氏の中国ものは買っていません。長江落日賦を読んで、あまりのたわけさ加減に、あやうく卒倒しかけたものですから。以来、氏の中国ものは、最初の3ページを読んで、面白くなりそうだったら読もうと思っています。いまのところ4ページめを読んだ作品はありません。
>
> 田中氏には、一度まともに歴史を勉強してもらいたいです。


いや、田中さんは歴史小説を書きたいのではなく歴史を基にしたエンターテェィメントを書きたいと仰られてので・・・・・
私自身あの人が何を言いたいのか良くわからないのですが(汗)
少なくとも私は、南北朝時代を書いたモノ(題名はわすれました)なかなか面白いと思ったので。
そう言われるちょっと辛いです。

まあ、もう少し歴史勉強してから喋れよという気持ちは私も持っています。
中国武将列伝で歴史小説について語っていましたが、そこで引き合いにだれた、石田三成に対する認識というものはかなり酷いものでした。
田中さんは徳川光圀が石田三成を忠臣の鏡であると言ったことを知らないのかな。


No. 994
Re:田中氏の中国ものは
ヨウ 2001/10/15 23:10
はじめまして。最近このサイトを知りましたが、まだベストは全部読んでません。ただ、「本論」と「〜中国認識」の方は目を通しました。

そこで質問です。

> 私は田中氏の中国ものは買っていません。長江落日賦を読んで、あまりのたわけさ加減に、あやうく卒倒しかけたものですから。以来、氏の中国ものは、最初の3ページを読んで、面白くなりそうだったら読もうと思っています。いまのところ4ページめを読んだ作品はありません。
>
> 田中氏には、一度まともに歴史を勉強してもらいたいです。

別に駆け出しさんだけに対してではないのですが、田中芳樹の中国についての勉強不足は具体的にどういうところに出てるのですか?中国に関係のありそうなベストと、本論を読みましたがそこからは大雑把に言って彼の思想が極左である、という批判と訳本がつまらない、というニ点しか読み取れませんでした。大体解釈の問題であったと思います(孔子のところくらいでしょうか、違うのは)。

そこで、解釈、思想の問題ではなくて田中芳樹が勉強不足(知識不足)だと思われる箇所を是非指摘していただきたいのですが。

お手数ですがお教え願えたら幸いです。


No. 996
Re:田中氏の中国ものは
駆け出し 2001/10/16 01:13
ヨウさん、はじめまして。駆け出しともうします。

> お手数ですがお教え願えたら幸いです。

他の方々とは解釈がちがうかもしれませんが、私が気になったのは「長江落日賦」の後書きでした。
田中氏はそこで曹操の詩を取り上げ、独自の解釈をなさっていました。詩は有名な短歌行です。「三国志演義・第四十八回」において、赤壁の戦いを前に、曹操が昂然とこの詩を歌う場面は、曹操の見せ場のひとつでもあります。詩のなかに、青青子衿 悠優我心 という句があります。田中氏は、この詩を赤壁の戦いのすこし前に夭逝した息子の曹熊への哀憐を表している、とおっしゃるわけです。
それを読んだときは、ほんとにめまいがしました。
「短歌行」はたしかに曹操の作です。しかし作られた年代はいまもってはっきりしていません。それもそのはず。そんな資料はどこにも残っていないからです。
それを、さも赤壁の戦いの前に歌ったかのごとくしたのは、明代に成立した演義の創作です。
さらに言うならば、正史において曹熊は早世したとあるだけで、いつ死んだかということは、どこにも書かれていないのです。
とすると、息子の死を悼む、という解釈はどこから出てきたのでしょう?私には、うろ覚えとまた聞きで、いい加減なことを言ったとしか思えません。これを勉強不足というと思うのですが。

あと、個人的な意見ですが、武将列伝でしたっけ? あの本の三国時代のところに、呂蒙、魏延のふたりが入っていないことも頭をひねらされます。理由は、この掲示板を訪れるかたなら、すぐにご理解いただけると思っています。


No. 1000
Re:田中氏の中国ものは
2001/10/16 12:47
> 他の方々とは解釈がちがうかもしれませんが、私が気になったのは「長江落日賦」の後書きでした。
> 田中氏はそこで曹操の詩を取り上げ、独自の解釈をなさっていました。詩は有名な短歌行です。「三国志演義・第四十八回」において、赤壁の戦いを前に、曹操が昂然とこの詩を歌う場面は、曹操の見せ場のひとつでもあります。詩のなかに、青青子衿 悠優我心 という句があります。田中氏は、この詩を赤壁の戦いのすこし前に夭逝した息子の曹熊への哀憐を表している、とおっしゃるわけです。
> それを読んだときは、ほんとにめまいがしました。
> 「短歌行」はたしかに曹操の作です。しかし作られた年代はいまもってはっきりしていません。それもそのはず。そんな資料はどこにも残っていないからです。
> それを、さも赤壁の戦いの前に歌ったかのごとくしたのは、明代に成立した演義の創作です。
> さらに言うならば、正史において曹熊は早世したとあるだけで、いつ死んだかということは、どこにも書かれていないのです。
> とすると、息子の死を悼む、という解釈はどこから出てきたのでしょう?私には、うろ覚えとまた聞きで、いい加減なことを言ったとしか思えません。これを勉強不足というと思うのですが。



いや、これに関しては、田中さんは歴史小説とは実像を暴くのではなく魅力的を作る物であると、司馬遼太郎さんの『関が原』を引き合いにだして言っていました。
因みにこれは中国武将列伝の後書で言っていた事です。
そんな訳で、田中さんにとって大切なのは小説の流れもはしくは小説のキャラが大切であって史実検証は二の次なのでは。
これを田中さんの信念と取るか、勉強不足もしくは力量不足の言い訳ととるかは人それぞれですが。

ただ少なくとも田中さんが人物のあらたな虚像の構築の成功しているとはいいがたいのですが。

>
> あと、個人的な意見ですが、武将列伝でしたっけ? あの本の三国時代のところに、呂蒙、魏延のふたりが入っていないことも頭をひねらされます。理由は、この掲示板を訪れるかたなら、すぐにご理解いただけると思っています。

これは中国と言えば三国志と言う、概念が強い世間に反発してのことでしょうが。
あの本は公正に選んだぽい事言ってますがかなり田中さんの主観が入ってますね。

ところで呂蒙はともかく魏延はどう言うことでしょか。
魏延をいれたら、蜀の五虎将や、孫策、張遼、甘寧なども入れなくてはならなくなり、どうしようもなくなると思うのですが。


No. 1002
追伸
2001/10/16 13:14
> ただ少なくとも田中さんが人物のあらたな虚像の構築の成功しているとはいいがたいのですが。
>

こう言う新たなキャラ像の構築に成功しているのが、駆け出しさんも仰られている、北方謙三さん、宮城谷昌光さんですね。
(とくに北方さんの日本の南北朝モノは凄いものがあります)


No. 1004
槍さんへ
駆け出し 2001/10/16 20:00
駆け出しでございます。

> いや、これに関しては、田中さんは歴史小説とは実像を暴くのではなく魅力的を作る物であると、司馬遼太郎さんの『関が原』を引き合いにだして言っていました。

たしかに、それは、歴史小説を書こうとする者として、正しい姿勢だと思います。
ただ、私がひっかかったのは、件のあとがきに「この詩を作ったすこし前に、息子(曹熊)を失っている」という主旨の記述があったことなのです。
作ったすこし前? 田中氏はなにを根拠に「短歌行」の作られた年代を特定し、息子の死んだ年を特定したのでしょうか。演義において、赤壁の戦いの前に曹操が歌ったから、史実もそうだと考えた、というほかに合理的な説明がつかないように思うのですが。これは、史実を暴くとか、史実検証は二の次というレヴェルの問題ではないと考えます。だいたい史実検証をおざなりにしていては、まともな歴史小説は書けないんじゃないでしょうか。

続の口を使ってムー大陸について、けちょんけちょんにけなすのならば、ご自身も特定した根拠なり、資料なり、文献なりを示すのが、人としての道だと思います。

たとえば、司馬さんの「関ヶ原」です。石田三成が島左近を召し抱えるとき、兄としてそばに居てほしい、と言ったことは、史実かどうかわかりません。しかし、三成の性格(行状から推測されると言う意味で)やその後の左近と三成のかかわりかたを見れば、あり得ないことではないと思います。むしろ、この挿話により三成の人間性が明確になっていると思います。
小説のキャラが大切であって史実検証は二の次とは、あるいは、こういうことを言うと思うのです。

> ただ少なくとも田中さんが人物のあらたな虚像の構築の成功しているとはいいがたいのですが。

>こう言う新たなキャラ像の構築に成功しているのが、駆け出しさんも仰られている、北方謙三さん、宮城谷昌光さんですね。 (とくに北方さんの日本の南北朝モノは凄いものがあります)

はい。おっしゃるとおりです。資質と努力と自己研鑽のちがい、と言ってしまえば、それまでなのですが。

私は人を介して北方さんを存じ上げているのですが、直木賞をはじめいくつかの賞の審査員をつとめる一方で、何本もの連載と書き下ろしを抱え、それでいて、一度も締め切りを破ったことがないのです。作品はレヴェルが高いし、まさに作家の鑑です。しかも、ご本人、かっこいい!

> ところで呂蒙はともかく魏延はどう言うことでしょか。
> 魏延をいれたら、蜀の五虎将や、孫策、張遼、甘寧なども入れなくてはならくなりどうしようもなくると思うのですが。

私は魏延という人物は、演義をとおして不当におとしめられた、悲劇の武将だと思っています。諸葛亮を善玉にするためには、魏延に損な役どころを割り振るしかなかったのでしょうけど。

槍さんのご指摘にある八人のうち、甘寧をのぞく七人は野戦の指揮官としてはたしかに優秀な人物でしょうが、極論してしまえば、戦闘屋です。しかし、魏延という人は、曹魏の張コウとならんで、見識の高い名将だったと思います。

それは、子午道を通って長安を攻略する献策をしたあたりに表れているのではないでしょうか。
もし、魏延の策を採用していれば、当時の状況からしても、長安は蜀漢の手に落ちていたはずです。あるいは勢力地図も変わっていたかもしれません。

魏延の真の悲劇は、自身が優秀な武将でありながら、上官の諸葛亮があまりにも政治家でありすぎたことではないでしょうか?

これは私の想像ですが、魏延から献策されたとき、諸葛亮も、これはいけるのでは、と考えたと思うのです。しかし、北伐は成功させるわけにはいかなかったのです。当時の蜀漢を支えている益州の豪族たちは、だれも北伐など望んでいなかったからです。彼らにしてみれば、重い軍役をしてまで、他国へ攻め入るなど、まっぴらだと考えていたはずです。

既成の権益を守ろうとする益州の豪族と劉備の遺志(打倒曹魏、復興漢王室)を奉ずる古参の家臣(彼らの多くは徐州、荊州時代に劉備の人柄にひかれて配下になりました。そのため、大まじめに北伐を考えていたのでしょう。魏延もそのひとりです)との板挟みあった諸葛亮は、ポーズとしての北伐を繰り返しています。当然、成功の見込みが高い魏延の策を採用するわけにはいきません。

北伐が最終的に成功しなかったので、諸葛亮は軍人としい無能だという評価を聞きますが、それは不当な評価でしょう。諸葛亮ははなから成功させるつもりなどなかったのですから。

魏延には、それがわからなかった。いや、わかっていて、その諸葛亮の態度が許せなかったのかもしれません。
劉備が存命していたならば、魏延の策は採用されたと思います。

あまり長くなってもいけませんので、このあたりで。
失礼いたしました。


No. 1005
Re:田中氏の中国ものは
宣和堂 2001/10/16 20:34
 お久しぶりです。中国モノの話題だったので首を突っ込んでみます。

駆け出し様曰く…
  まずは始めまして。宣和堂と申します。田中芳樹の中国モノの著作をネタにしてるものです。

> 私は田中氏の中国ものは買っていません。長江落日賦を読んで、あまりのたわけさ加減に、あやうく
>卒倒しかけたものですから。以来、氏の中国ものは、最初の3ページを読んで、面白くなりそうだったら
>読もうと思っています。いまのところ4ページめを読んだ作品はありません。
  コレはどうでしょう?『長江落日賦』一冊を読んで他の小説も批判できるんでしょうか?
 まして3頁で評価を下すと言うのはどうでしょう?何だか傲岸を通り越して無礼とも取れますが…。
 ココの掲示板風に云うと、それなら、駆け出し様はこの掲示板で書き込みしている文章だけで
 他人から、ご自分の作品を否定されても文句言えないコトになりませんか?
 (EX:掲示板の文章を読むだけで、文章の稚拙さが滲み出ているので小説もおよそそうだろう)
  自分のスタンスとしては、読んでもいないモノについて語ることは出来ないと思いますし、
 まして人目に触れるところで批判するのであれば、礼儀としても購入、通読は基本だと思っています。
 この辺は自分個人のスタンスなので、人に押しつける気は毛頭ございませんが…。

> 田中氏には、一度まともに歴史を勉強してもらいたいです。
  自分はかつて、『中国武将列伝』でリストアップされている人物を一人一人工具書で拾い、
 ほとんど日本語文献を使って田中芳樹の勘違いや間違い、曲解、意図を指摘したことがありましたが、
 各時代まんべんなく勘違いも間違いも曲解もされてます(非常に良い勉強になりました)。
  田中芳樹の歴史認識が浅いのは周知の事実ですが、正直、妙な形ではあるモノの勉強熱心であることは
 否定できません。これだけオタク的熱狂のもと、細かいことを調べ上げる御仁は他にいないでしょう。
  勉強しているように見えて、宮城谷昌光や北方謙三は中国史、中国文学に詳しい方からは
 ケチョンケチョンに貶されているのも又事実です(田中芳樹ほどではないにしても)。
 中国モノでも本当に軟派なネタしか書かず、中国語を読めないことを誇るような人もいますから、
 それに比べれば、田中芳樹は些かマシ…というのも事実だと思います。

  話それますが、『中国武将列伝』で絶対に漏らしてはいけないのに漏らした人物は
 北周→隋の韋孝寛が最たるモノでしょうかね…(コレは単に知らないだけ)。
 他は結構、春秋の筆法で田中芳樹の歴史観がいかなるモノか知れますから、
 誰が入って誰が抜けてるか?を拾っていくと、非常に面白いですよ。
  呂蒙は関羽よりも紙数取っているので、コレも意外に評価が高いことが分かります。
 関羽の記述では全く関羽を褒めていないですから(精々神様です、と言う記述くらい)、
 実の所、関羽の項は呂蒙の項のような印象があるくらいです。
 魏延に関しては明らかに入らない要因がありますから、選から漏れて当然でしょうね。
 裏ファクターになりますけど…。


No. 1006
Re:『岳飛伝』が出てます
宣和堂 2001/10/16 20:46
> そうでしか。これは勉強不足で失礼いたしました。でも、岳飛伝は中央公論が讀売に乗っ取られる前の契約にしたがって発刊されているんじゃありませんでしたっけ? つまり、新社に変わってからは発刊契約結んでないと記憶していますが。間違えでしたらおわびします。

中央公論新社からは、初期短編集の文庫もでていますし、来年にはあの稀代の迷訳『隋唐演義』も文庫化されるようです(噂では本人自体、あの本の不出来を恥じて、再版を許諾しなかったと聞いているんですが…)。また、どこまで本気か知りませんが、『楊家将』も中央公論新社から出すようです。これらは時期的に見て、何れも中央公論新社に移ってからのことだと思います。
 折角、歴史作家扱いしてくれる出版社をナベツネ如きのために袖に出来るほど、田中芳樹はガッツがあるとも思えません。まあ、精々が中公の本ではネベツネ批判しないだけでしょう。東京書籍から本出すのと同じです。ビジネスはビジネス、主張は主張…と言うことでしょう。


No. 1011
宣和堂さんへ
駆け出し 2001/10/17 00:15
はじめまして。駆け出しともうします。

>コレはどうでしょう?『長江落日賦』一冊を読んで他の小説も批判できるんでしょうか?

これは私の書きかたまずかったと反省しております。他にも紅塵や隋唐演義なども読みましたが、私が問題にしていたのは「長江落日賦」の内容ではなく、後書きのことです。説明不足をおわびいたします。

>まして3頁で評価を下すと言うのはどうでしょう?何だか傲岸を通り越して無礼とも取れますが…。

これについては、借問いたしますが、すべての出版社では、書き出しの2〜3枚で、作品の善し悪しを判断しています。たとえどんな大家の作品についても、これは変わるところではありません。つまり、多くの編集者のやり方も傲岸で無礼だとおっしゃるわけですか?
私も文章を書くことで生活を立てている者のひとりとして、3ページ読んで面白くないものは、面白くない、と判断しています。逆を返せば、私自身3ページ読んだだけで面白い、と思われるものを書こううと、常々、気をつけています。

これは私の主観ですので、むろん他の方に押し付けるつもりはありません。

> ココの掲示板風に云うと、それなら、駆け出し様はこの掲示板で書き込みしている文章だけで、他人から、ご自分の作品を否定されても文句言えないコトになりませんか?
>(EX:掲示板の文章を読むだけで、文章の稚拙さが滲み出ているので小説もおよそそうだろう)

はい。おっしゃるとおりです。
書物やネットという公共性の高い媒体をとおして自己の思想なり意志なりを表明するかぎり、どのような批判もあまんじて受けなければならないと考えています。

私が最初に担当編集者から言われたことは、読者の悪口にも謙虚に耳を傾けよ、ということでした。担当はそのあと、こうも言いました。読者には、どのような批判でも好きに口にする権利がある。それは、身銭をきって本を買っているから。

業界に足を突っ込み、多くの先達と知りあい、驚かされたことは、売れている作家さんほど、読者の意見(それはほとんどの場合ファンレターという形ですが)に対して謙虚だということです。

ですから、たとえば、私の書き込みをお読みになった宣和堂さんに、文章の稚拙さを指摘されたならば、心して拝聴いたします。自分の文章を成長させる、またとない機会だと考えています。

>自分のスタンスとしては、読んでもいないモノについて語ることは出来ないと思いますし、まして人目に触れるところで批判するのであれば、礼儀としても購入、通読は基本だと思っています。
この辺は自分個人のスタンスなので、人に押しつける気は毛頭ございませんが…。

私のスタンスは上のほうに書いたとおりです。ただし、他のご意見があって当然だとおもいます。

> 勉強しているように見えて、宮城谷昌光や北方謙三は中国史、中国文学に詳しい方からはケチョンケチョンに貶されているのも又事実です(田中芳樹ほどではないにしても)。

はい。存じております。そして、なにより、宮城谷さんにしろ、北方さんにしろ、ご自身の勉強不足をお認めになり、まだまだ勉強の途中という発言を、公の場でしていらっしゃいます。あれほどの地歩を築かれながら、立派だと思います。

>中国モノでも本当に軟派なネタしか書かず、中国語を読めないことを誇るような人もいますから、それに比べれば、田中芳樹は些かマシ…というのも事実だと思います。

それも、おっしゃるとおりかと。業界ではゴミ揃いのジュニア作家してはいくらかまし、というのが田中氏の評価ですし。

魏延については、別に書き込みをしました。
これも、個人の見解ですので、たしかに武将列伝に入っていないからと、不平を言うのは、すじがちがうかもしれません。

ときに裏ファクターとは、何を指すのでしょうか?


No. 1012
Re:宣和堂さんへ
宣和堂 2001/10/17 01:31
 どもです。ご丁寧なご返答、痛み入ります。

> これについては、借問いたしますが、すべての出版社では、書き出しの2〜3枚で、作品の善し悪しを
>判断しています。たとえどんな大家の作品についても、これは変わるところではありません。つまり、多く
>の編集者のやり方も傲岸で無礼だとおっしゃるわけですか?
  コレについては自分の認識不足だったのかも知れません。それで判断出来る方も居られるわけですね…。
 まあ、小説の何を以て重要とするか?によっても、判断の基準は異なりますしね…。
 でも、読み始めから面白かった小説って自分は経験がないものですから…。
 最初、お、コレは!等と思って後に行くほどだれる小説は掃いて捨てるほどありましたし…。

> 私も文章を書くことで生活を立てている者のひとりとして、3ページ読んで面白くないものは、面白くな
>い、と判断しています。逆を返せば、私自身3ページ読んだだけで面白い、と思われるものを書こううと、
>常々、気をつけています。
  益々御作を拝見したくなりました。

> これは私の主観ですので、むろん他の方に押し付けるつもりはありません。
  大変感銘を受けました。確かに、映画でもイイ映画はワンシーンだけでわかるとか言う人もいますしね…。
 自分のアンテナがさび付いてるのを拡大解釈しちゃイカンですな…。

> 書物やネットという公共性の高い媒体をとおして自己の思想なり意志なりを表明するかぎり、どのよう
>な批判もあまんじて受けなければならないと考えています。
  意外にそう思われて居られない物書きの方が多いように自分では感じていたので、安心しました。
 まあ、自分が安心したところで何がどうなるわけでもないのですが、自分にとっては喜ばしいことです。

>担当はそのあと、こうも言いました。読者には、どのような批判でも好きに口にする権利がある。それは、
>身銭をきって本を買っているから。
  うう、自分の主張である、本代の中には貶し代も当然含まれる…と同義ですね…。
 以前、作家センセに漢字の読みについて質問したら逆ギレのようなレスいただいたことがありありと…。

>売れている作家さんほど、読者の意
>見(それはほとんどの場合ファンレターという形ですが)に対して謙虚だということです。
  コレで、答えは次の作品の中で生かすようなタイプであられるなら、大層男前だと思います。

> ですから、たとえば、私の書き込みをお読みになった宣和堂さんに、文章の稚拙さを指摘されたならば
>、心して拝聴いたします。自分の文章を成長させる、またとない機会だと考えています。
  あくまでも例なので、自分は人に文章の稚拙さを指摘できるほどの知識無いです。
 例の出し方悪かったですね…。今度機会があったら設問を練ります。済みません。

> 私のスタンスは上のほうに書いたとおりです。ただし、他のご意見があって当然だとおもいます。
  自分のスタンスはスタンスとして、駆け出し様のスタンスは理解いたしました。

> はい。存じております。そして、なにより、宮城谷さんにしろ、北方さんにしろ、ご自身の勉強不足をお
>認めになり、まだまだ勉強の途中という発言を、公の場でしていらっしゃいます。あれほどの地歩を築か
>れながら、立派だと思います。
  寡聞にしてお二方の噂を聞いていないのですが、ナカナカご立派なようですね。
 でも、やっぱり……いえ、これ以上はやめときます。田中芳樹みたいに開き直らないだけマシでしょうし…。

>業界ではゴミ揃いのジュニア作家してはいくらかまし、というのが田中氏の評価ですし。
  他が酷すぎマスからねぇ…。相対的に立場は上がります。

> ときに裏ファクターとは、何を指すのでしょうか?
  自分が『中国武将列伝』のリストに上がっている武将、漏れた武将を一個一個見ていくウチに
 文中には書かれてはいないモノの、こういう基準で選んだに違いない…という法則を何個かミツケタので
 総称して裏ファクターと称してました。

 ちなみに魏延が選に入れないのは、かたちとしては最後に叛旗を翻したことからです。
 彼の場合は君主に背いた自覚が無かったにしろ、後世そう言うイメージで見られてます(演義などで)。
 君主に反旗を翻した人が選から漏れるパターンは多いです(ex:侯景)。
 個人的には魏延が勝利した合戦自体思い浮かばないですから、選に入れませんが、
 諸葛亮と対立する価値観としては、司馬懿よりも魏延の方が切り口としては面白いでしょうね。
  君主に背いたという点では、項羽もそうなのですけど、義帝自体が傀儡ですし、
 田中芳樹がそのことを理解してるかどうか…。
 なにせ、焚書坑儒以上の破壊と殺戮を断行した項羽ですからねぇ…(田中芳樹が表明してる
 条件にすらこの人は合わないので、田中芳樹の云う名将とは懸け離れているハズなんですがねぇ…)。


No. 1016
Re:槍さんへ
2001/10/17 10:47
> > いや、これに関しては、田中さんは歴史小説とは実像を暴くのではなく魅力的を作る物であると、司馬遼太郎さんの『関が原』を引き合いにだして言っていました。

> たしかに、それは、歴史小説を書こうとする者として、正しい姿勢だと思います。
> ただ、私がひっかかったのは、件のあとがきに「この詩を作ったすこし前に、息子(曹熊)を失っている」という主旨の記述があったことなのです。
> 作ったすこし前? 田中氏はなにを根拠に「短歌行」の作られた年代を特定し、息子の死んだ年を特定したのでしょうか。演義において、赤壁の戦いの前に曹操が歌ったから、史実もそうだと考えた、というほかに合理的な説明がつかないように思うのですが。これは、史実を暴くとか、史実検証は二の次というレヴェルの問題ではないと考えます。だいたい史実検証をおざなりにしていては、まともな歴史小説は書けないんじゃないでしょうか。



まあ、確かに出来る限りの史実検証をした上で虚像もしくは嘘を書かないと。
因みに私が今まで読んだ中で一番いい意味で嘘を書くのが上手かったのはやはり司馬遼太郎さんですね。
項羽と劉邦の中で紀信の辺りは事実を知らなければそれを真実を勘違いしてしまうくらい凄いものでした。
これは司馬さんの作品全般に言える事ですが。



> 続の口を使ってムー大陸について、けちょんけちょんにけなすのならば、ご自身も特定した根拠なり、資料なり、文献なりを示すのが、人としての道だと思います。
>
> たとえば、司馬さんの「関ヶ原」です。石田三成が島左近を召し抱えるとき、兄としてそばに居てほしい、と言ったことは、史実かどうかわかりません。しかし、三成の性格(行状から推測されると言う意味で)やその後の左近と三成のかかわりかたを見れば、あり得ないことではないと思います。むしろ、この挿話により三成の人間性が明確になっていると思います。
> 小説のキャラが大切であって史実検証は二の次とは、あるいは、こういうことを言うと思うのです。


全くその通りだと思います。
特に石田三成と島左近について語ってくれてありがとう御座います。
いやあ、田中さんの石田三成論にかなりむかついてので(苦笑)



> > ところで呂蒙はともかく魏延はどう言うことでしょか。
> > 魏延をいれたら、蜀の五虎将や、孫策、張遼、甘寧なども入れなくてはならくなりどうしようもなくると思うのですが。
>
> 私は魏延という人物は、演義をとおして不当におとしめられた、悲劇の武将だと思っています。諸葛亮を善玉にするためには、魏延に損な役どころを割り振るしかなかったのでしょうけど。
>
> 槍さんのご指摘にある八人のうち、甘寧をのぞく七人は野戦の指揮官としてはたしかに優秀な人物でしょうが、極論してしまえば、戦闘屋です。しかし、魏延という人は、曹魏の張コウとならんで、見識の高い名将だったと思います。


いや、その七人の内孫策をただの野戦指揮官と論じるのはどんなものかと。
孫策は父孫堅の急死後没落した孫家を建て直し群雄として、楊州に確固たる地位を築きました。
周ユを義兄弟とし、江東の二張を幕下に加えるなど人間的に魅力のある人物である事は間違いありません。
将才だけでは間違いなく弟孫権はもちろん、父孫堅よりも優れていたでしょう。
彼がただの武将でない最大の証明は死に際に自分の後継者と定めた孫権への遺言でしょう。
また、ここで孫策は孫権の資質をよく見抜いた事言っております。



> それは、子午道を通って長安を攻略する献策をしたあたりに表れているのではないでしょうか。
> もし、魏延の策を採用していれば、当時の状況からしても、長安は蜀漢の手に落ちていたはずです。あるいは勢力地図も変わっていたかもしれません。


確かに人を見る目が優れていた劉備(それが最も良く現れていたのが馬ショクについてですね)が漢中の太守を決める際に大方予想を裏切って魏延を抜擢した辺りにそこが出てるのかもしれませんね。
何しろ漢中は魏との最前線の一つだから並みに武将には任せられないでしょう。



> 魏延の真の悲劇は、自身が優秀な武将でありながら、上官の諸葛亮があまりにも政治家でありすぎたことではないでしょうか?
>
> これは私の想像ですが、魏延から献策されたとき、諸葛亮も、これはいけるのでは、と考えたと思うのです。しかし、北伐は成功させるわけにはいかなかったのです。当時の蜀漢を支えている益州の豪族たちは、だれも北伐など望んでいなかったからです。彼らにしてみれば、重い軍役をしてまで、他国へ攻め入るなど、まっぴらだと考えていたはずです。
>
> 既成の権益を守ろうとする益州の豪族と劉備の遺志(打倒曹魏、復興漢王室)を奉ずる古参の家臣(彼らの多くは徐州、荊州時代に劉備の人柄にひかれて配下になりました。そのため、大まじめに北伐を考えていたのでしょう。魏延もそのひとりです)との板挟みあった諸葛亮は、ポーズとしての北伐を繰り返しています。当然、成功の見込みが高い魏延の策を採用するわけにはいきません。
>
> 北伐が最終的に成功しなかったので、諸葛亮は軍人としい無能だという評価を聞きますが、それは不当な評価でしょう。諸葛亮ははなから成功させるつもりなどなかったのですから。
>
> 魏延には、それがわからなかった。いや、わかっていて、その諸葛亮の態度が許せなかったのかもしれません。
> 劉備が存命していたならば、魏延の策は採用されたと思います。
>


その辺りの事は宝島新書から出てる大澤良貴さんの本でよく知っています。
ただ、魏延には具体的な実績(史書に残るような実績)が無いのがいかがなものかと。
確かに魏延の策は成功率の高いモノでしょうが実行されなかったので判断が苦しいです。
私は歴史の人物の評価は実績を以って計るべきだと考えているので。
そう言う意味で宋の秦檜を私は高く評価しています。
まあ、これは私個人評価方法なので。

では長いレスありがとうございます。


No. 1017
Re:田中氏の中国ものは
ヨウ 2001/10/17 22:23
 色々な意見、興味深く拝見させていただきました。その上でもう少し質問をさせていただきます。

 「長江〜」のあとがきの曹操の詩の話はためになりました。多分田中芳樹の知識不足でしょう。異論も出てないみたいですし。

 どうも「〜武将列伝」がよく引き合いに出されているようですが、これについては批判が難しいのではないでしょうか。本人も言ってたと思うのですが、この手の選考には本人の好みが混じる事が避けられません。魏延の話もそうなのですが、項羽についても好きだから、という理由がかなり大きい気もしますし、御自分で「発見」した法則に当てはまっていないからといって不満に思うのはいかがなものかと・・・ 魏延が入っていなくて項羽が入ってるのはまず妥当な選択だと思うのですがどうなのでしょう。逸話の内容ならともかく、選考を批判するのはよほどの証拠を提示しないと難しいと思うのですが・・・無論、これはない!というのがあればお教えいただけると嬉しいです。

>  北周→隋の韋孝寛が最たるモノでしょうかね…(コレは単に知らないだけ)。
>  ほとんど日本語文献を使って田中芳樹の勘違いや間違い、曲解、意図を指摘したことがありましたが、
>  各時代まんべんなく勘違いも間違いも曲解もされてます(非常に良い勉強になりました)。
>   田中芳樹の歴史認識が浅いのは周知の事実ですが、正直、妙な形ではあるモノの勉強熱心であることは
>  否定できません。

 そんなわけでこれらの具体的な内容を挙げていただければ嬉しいです。ひょっとしてベストに載っているのでしょうか?だとしたらお恥ずかしい限りです。

 ただ、読んでいて思ったのですが批判されているのは殆どがあとがきや武将列伝のような口語体のところなので、どうしても、知っているいない、ではなく歴史認識や解釈の話になりがちではないでしょうか。正直、自分の知りたいところと少しずれていたので、できれば作品の中に勉強不足が現れているところなんかが知りたいです。田中芳樹が知っているけど皆さんと意見が違うだけ(魏延とか、石田三成の話ですかね)というのは議論にはなるかもしれないけど批判にはならない気がします。100人いれば100通りの石田三成観があるんじゃないかな、と思います。

 自分は「風よ、万里を駆けよ」がすきなんで、花木蘭を描いた田中芳樹の虚像の構築能力は高いと思っています。あんな駄作を好きだなんて・・・と言われるかもしれないと、ドキドキしていますが、あの作品を好きだという自分は変わりません。だからこそ、ああいった中国作品群にどのような間違いがあるのかが気になるのです。

 もうひとつ、失礼な事を言うかもしれないんですけど、駆け出しさんは「業界」を信仰しきっていませんか?「業界」が3ページしか読まないでその本の判断をするから、それを否定できない、とか、「業界」が歴史作家を不勉強だと否定する事を肯定していたり。出版業界の全てが3ページしか読まないで作品を否定するならそんな業界、正しいとは思いませんし(無論、3ページで絶望するような本もあるかもしれませんが)日本の学会は「専門バカ」ばかりで物事が見えない人、自己満足に終始してる人が多い気がします(これも、自分の知ってる限りなんで、断定なんて出来ませんけど)。3ページで全てが分かる熟練した編集者なんてどれ位いるのでしょう?皆一様にそれだけの手腕を持ってるなんて、ちょっと信じられません。

 最後に、一つだけ書きたいんですけど、

>これだけオタク的熱狂のもと、細かいことを調べ上げる御仁は他にいないでしょう。

 どういう知識が「オタク的」でどういうのが違うのでしょう。細かすぎる事を指すのでしょうか。それとも田中芳樹が物を調べているところを直に見たのでしょうか。こういう書き方は単なる中傷にしかならないと思うんですけど。

 まとまらないし、失礼な書き方かもしれないし、で、間違いなく駄文になってしまいました。すいません。


No. 1018
Re:横レスです
平松重之 2001/10/18 03:04
<さらに言うならば、正史において曹熊は早世したとあるだけで、いつ死んだかということは、どこにも書かれていないのです。
とすると、息子の死を悼む、という解釈はどこから出てきたのでしょう?私には、うろ覚えとまた聞きで、いい加減なことを言ったとしか思えません。これを勉強不足というと思うのですが。>

 田中氏は「長江落日賦」の後書きでは『短歌行』で悼んだ息子は曹熊(四男)ではなく曹冲(七男)だと書いています。


No. 1019
ヨウさんへ
駆け出し 2001/10/18 03:04
駆け出しでございます。

他の方へのレスもあるようなので、私に関係するところだけ、答えさせていただきます。

>もうひとつ、失礼な事を言うかもしれないんですけど、駆け出しさんは「業界」を信仰しきっていませんか?

はい。そうですね。良くも悪くも、私は業界の人間でして、その世界で生きている以上、その世界の常識をもってしか、世の中を見ることができません。
旋盤工の方は旋盤工として世を渡り、営業マンの方は営業マンとしてのスタンスで世間と接触しています。その常識とは生きるよすが、と言い直してもよろしいかと。それを信仰とおっしゃるなら、そのとおりだと考えます。
ヨウさんは、ご自身、なにとして世の中に棲んでいらっしゃるのでしょうか?

むろん、他の世界があることは知っていますし、自分の常識が常に、だれに対しても通用するとも思っていません。
卑近な例を申しあげれば、作家と編集者、あるいは経営者と労働者、客と店、妻と夫、親と子、などの常識は、おうおうにして対立し、妥協点が見つからないことのほうがはるかに多いです。
ですから、ヨウさんが私の発言をお読みになり、業界に対して信仰しきっているとお考えになったのは、正しい判断です。あなたがご自身の常識をよすがに生きているように、私も自分の生きている世界のきまりごとを基準にものを眺め、判断していますから。

>「業界」が3ページしか読まないでその本の判断をするから、それを否定できない、とか、「業界」が歴史作家を不勉強だと否定する事を肯定していたり。出版業界の全てが3ページしか読まないで作品を否定するならそんな業界、正しいとは思いませんし

正しいかまちがっているかではなく、それが小説という世界の常識なのです。ただ、それに対してさまざまな意見はあって然るべきでしょう。しかしながら、もしヨウさんが作家を志され、投稿なり、応募なりをなされば、やはり、最初の3ページで是非を問われることになり、ときには人間性すら否定されることになります。もちろん、例外はありますけど。


>(無論、3ページで絶望するような本もあるかもしれませんが)日本の学会は「専門バカ」ばかりで物事が見えない人、自己満足に終始してる人が多い気がします(これも、自分の知ってる限りなんで、断定なんて出来ませんけど)。3ページで全てが分かる熟練した編集者なんてどれ位いるのでしょう?皆一様にそれだけの手腕を持ってるなんて、ちょっと信じられません。

たくさんいます。とくに田中氏をまったく相手にしていない文春や新潮(新潮は過去に雑誌に一度だけ短編を書かせて、こりごりしたようですが)には、まさに職人ともいうべき編集者がごろごろしています。私のような駆け出しなど、まさにけちょんけちょんです。しかも、その一言一言が的を射てるだけに、こりゃもうぐぅの音もでないというやつです。

失礼いたしました。


No. 1020
Re:横レスです
駆け出し 2001/10/18 03:16
>  田中氏は「長江落日賦」の後書きでは『短歌行』で悼んだ息子は曹熊(四男)ではなく曹冲(七男)だと書いています。

ご指摘ありがとうございます。曹冲ならば、たしかに赤壁の年(208)に死んでいます。
ということは、ますますもってわからない。田中氏は何に拠って「短歌行」が曹冲の死後作られたと断じたのでしょうか?新しい学説でも?


No. 1022
Re:横レスです
平松重之 2001/10/18 04:24
<ご指摘ありがとうございます。曹冲ならば、たしかに赤壁の年(208)に死んでいます。
ということは、ますますもってわからない。田中氏は何に拠って「短歌行」が曹冲の死後作られたと断じたのでしょうか?新しい学説でも?>

 うーん、どうなんでしょうか?

 長江落日賦(トクマノベルズ)P206

(前略)作中の「子・君」とは、失われた愛児をさしているのではないか、と私が思いはじめて久しい。

 という後書きを読んだ限りでは、特に「短歌行」の成立年代に対して疑問を抱いている様子はないので、単に「短歌行」の内容から一定の諦観や後悔が感じ取れる事から、晩年に作ったに違いないと断定しているのではないでしょうか。
 まあこの辺りは「ではないか」という具合に疑問・仮説の段階で留まっていますので、それほど追求なさる必要もないのでは?
 それと、これは自分の間違いですが曹熊は四男ではなく五男でした(上に曹昂・曹丕・曹彰・曹植)。


No. 1024
Re:ヨウさんへ
ヨウ 2001/10/19 02:22
 何度も失礼しますが、書かせてください。

> たくさんいます。とくに田中氏をまったく相手にしていない文春や新潮(新潮は過去に雑誌に一度だけ短編を書かせて、こりごりしたようですが)には、まさに職人ともいうべき編集者がごろごろしています。私のような駆け出しなど、まさにけちょんけちょんです。しかも、その一言一言が的を射てるだけに、こりゃもうぐぅの音もでないというやつです。

 あまりいませんね、少なくとも10人中10人そうだということはないでしょう。失礼な言い方ですが。
 妄想的に新兵器を多用して日本軍が勝ちまくる仮想戦記やトンデモ本、ひいては駆け出しさんが批判されるゴミ揃いのジュニア作家とやらは、皆別に個人出版で出してるわけではありません。3ページ以上読まれたからこそ出版できているわけです。何より駆け出しさんがそういう読むに絶えない本を出版物という形で目にしている以上、それは「3ページ」で切り捨てられなかった作家達ばかりなわけですから。「3ページ」で読むのをやめた「長江〜」もそうですし、創竜伝もそうです。全ての出版社で行われている「3ぺージ」の切捨てはつまり、これら以下の本当に低い階層しか切り捨てていないという事でしょうか?(極端な話、オトコの本能にすがるだけの某フランス書院だって出版社です)

 後、少し論点がずれてしまってるので補足しますと、3ページで切り捨てることが良いか悪いかを聞いてるのではなく、

>つまり、多くの編集者のやり方も傲岸で無礼だとおっしゃるわけですか?

 この、編集者を絶対の権威のように扱い反論を封殺するやり方(少なくとも自分にはそう見えました)を批判しているわけです。ちなみに「3ページで足切り」については確かに必要かもしれない、と思い始めました。ただ、それをやるのは相当に目の肥えた編集者が新人・大家に関わらず行うのが筋でしょう。あまり程度の低いノベルズを大家だからといって野放しにしておくようでは意味はありません。

 ・・・感情的になってしまったかもしれません。これだから日本人はディベートができない、とかいわれるんですね。この書き込み自体が低レベルであったり致命的な勘違いをしてると思われれば是非とも突っ込んでください。失礼しました。


No. 1026
横レス失礼します
クロイツェル 2001/10/19 14:46
 横から失礼します。

>  妄想的に新兵器を多用して日本軍が勝ちまくる仮想戦記やトンデモ本、ひいては駆け出しさんが批判されるゴミ揃いのジュニア作家とやらは、皆別に個人出版で出してるわけではありません。3ページ以上読まれたからこそ出版できているわけです。何より駆け出しさんがそういう読むに絶えない本を出版物という形で目にしている以上、それは「3ページ」で切り捨てられなかった作家達ばかりなわけですから。「3ページ」で読むのをやめた「長江〜」もそうですし、創竜伝もそうです。全ての出版社で行われている「3ぺージ」の切捨てはつまり、これら以下の本当に低い階層しか切り捨てていないという事でしょうか?(極端な話、オトコの本能にすがるだけの某フランス書院だって出版社です)

 実際には、ここに上げられたどの本も、商業として成り立つだけの売上を上げているわけですよね。つまり、商業にならないほどひどい物だけが切り捨てられる、って事です。とすると、3ページ切捨て方は上手く機能してるってことじゃないんでしょうか?

>  この、編集者を絶対の権威のように扱い反論を封殺するやり方(少なくとも自分にはそう見えました)を批判しているわけです。ちなみに「3ページで足切り」については確かに必要かもしれない、と思い始めました。ただ、それをやるのは相当に目の肥えた編集者が新人・大家に関わらず行うのが筋でしょう。あまり程度の低いノベルズを大家だからといって野放しにしておくようでは意味はありません。

 程度の低い、ってのがどのレベルか、を判断するのは難しいと思いますよ。私なぞは、ジュニア作品の作品としての質が低いのを了解した上で、尚そのアイデアや文体に惹かれて買っている口ですし、程度が低いからと言ってそれらの作品に消えて欲しいとも思いませんし。
 質の問題に付いては、その評価基準は絶対的なものでしょうが、どこまでの質のものを買うかについては総体的なものです。ジャンクフードはグルメには耐えられた物じゃありませんが、それを必要としている人、それを好む人がいるのも事実です。本にも同じ事が言えるんじゃないでしょうか。


No. 1028
Re:横レス失礼します
ヨウ 2001/10/20 00:53
始めまして。クロイツェルさん。こちらとしては、ベストのほうで何度も拝見しておりましたので、初めてという感じはしないのですが。

>  横から失礼します。

 えーと、よく分からないんですけど対話しているのでなし、掲示板なのだからそんな事仰らないで下さい。嬉しいです。

>  実際には、ここに上げられたどの本も、商業として成り立つだけの売上を上げているわけですよね。つまり、商業にならないほどひどい物だけが切り捨てられる、って事です。とすると、3ページ切捨て方は上手く機能してるってことじゃないんでしょうか?
>  程度の低い、ってのがどのレベルか、を判断するのは難しいと思いますよ。私なぞは、ジュニア作品の作品としての質が低いのを了解した上で、尚そのアイデアや文体に惹かれて買っている口ですし、程度が低いからと言ってそれらの作品に消えて欲しいとも思いませんし。
>  質の問題に付いては、その評価基準は絶対的なものでしょうが、どこまでの質のものを買うかについては総体的なものです。ジャンクフードはグルメには耐えられた物じゃありませんが、それを必要としている人、それを好む人がいるのも事実です。本にも同じ事が言えるんじゃないでしょうか。

 概ね、その通りだと思います。ただ、自分が気になったのは、商業的には100%商売になるはずの田中芳樹の作品を「3ページで読むのをやめた」や、「新潮や文春は相手にしていない」といった風に商業ベースの切捨てを意味しているのではない、純粋に質の問題だ、判断したのでそれならば「切捨て」は機能していない、と思ったわけです。ジュニア小説にしても今一番商売になる筈なのに「ゴミ揃い」との事でしたから。

 ならば、それほどまでに編集者全般が商業主義にとらわれなく、作品の本質を3ページで見抜くほど素晴らしいのなら、世の中に転がっている本は全て批評など、ましてや3ページで読まれなくなるなど、されるはずは無い、それはおかしいのではないかと思ったわけです。

 商業主義についての仮定が間違いなら、この意見は間抜けなんですけどね。


No. 1029
横レス失礼します
クロイツェル 2001/10/19 14:46
> 始めまして。クロイツェルさん。こちらとしては、ベストのほうで何度も拝見しておりましたので、初めてという感じはしないのですが。

 いやあ、私はそんな古い人じゃないですよ。結構最近からの人です。ベストに乗れたのも、ほとんど行幸ですがな(笑)。

>  概ね、その通りだと思います。ただ、自分が気になったのは、商業的には100%商売になるはずの田中芳樹の作品を「3ページで読むのをやめた」や、「新潮や文春は相手にしていない」といった風に商業ベースの切捨てを意味しているのではない、純粋に質の問題だ、判断したのでそれならば「切捨て」は機能していない、と思ったわけです。ジュニア小説にしても今一番商売になる筈なのに「ゴミ揃い」との事でしたから。
>
>  ならば、それほどまでに編集者全般が商業主義にとらわれなく、作品の本質を3ページで見抜くほど素晴らしいのなら、世の中に転がっている本は全て批評など、ましてや3ページで読まれなくなるなど、されるはずは無い、それはおかしいのではないかと思ったわけです。
>
>  商業主義についての仮定が間違いなら、この意見は間抜けなんですけどね。

 駆け出しさんの文で判る事は、「駆け出しさんは3ページ読んで面白かったらその作品を読む気になる」「プロの編集者は3ページ読むだけで作品を評価できる」という事です。つまり、田中芳樹を3ページで切り捨てたのは、あくまで駆け出しさんです。「編集者が、商売になる質の悪い作品を切り捨てている」かについては、駆け出しさんの文には言及されていませんから、そこを云々するのは少々違う様な気がしますね。つまり、編集者が商業主義に乗っ取って質の悪い作品をあえて商業ルートに載せている可能性は、否定されていません。
 「新潮や文春が田中芳樹を相手にしない」というのも、それが作品の質のせいなのか、田中芳樹の性格のせいなのか、駆け出しさんの文だけでは判断つきませんし、少なくとも、駆け出しさんの文だけでは、編集者の質を否定する材料にはなりえないと思います。

 ですから、この場合、3ページ判断法が正しいかどうか、という事に焦点を置くべきだと思います。この方法が間違っているのなら、確かに駆け出しさんは、自分で物事を判断せずに業界を盲信している、と言えますから。
 私が思うに、3ページで飽きるような本は、商業ベースに乗せても売れるとは思えませんし、一方で「雪国」の有名な一文のように、本当に力のある作品は冒頭だけで読者を惹き付けますから、この判断法は有効なんじゃないかと思いますが、どうでしょうか。

 あと、ジュニア小説については、駆け出しさんはあくまで「作家がゴミ揃い」だと言っているのであって、作品自体には何も言っていませんよ。ま、この評が正しいかどうかは、作家の知り合いがいない私には確かめ様の無い事ですので、何も言えませんが。


No. 1033
Re:横レス失礼します
ヨウ 2001/10/20 23:11
えーと、短期間でこんなに書き込みをしたのは人生で初めての経験なので、まとまらなかったらすいません。

>  駆け出しさんの文で判る事は、「駆け出しさんは3ページ読んで面白かったらその作品を読む気になる」「プロの編集者は3ページ読むだけで作品を評価できる」という事です。つまり、田中芳樹を3ページで切り捨てたのは、あくまで駆け出しさんです。「編集者が、商売になる質の悪い作品を切り捨てている」かについては、駆け出しさんの文には言及されていませんから、そこを云々するのは少々違う様な気がしますね。つまり、編集者が商業主義に乗っ取って質の悪い作品をあえて商業ルートに載せている可能性は、否定されていません。
>  「新潮や文春が田中芳樹を相手にしない」というのも、それが作品の質のせいなのか、田中芳樹の性格のせいなのか、駆け出しさんの文だけでは判断つきませんし、少なくとも、駆け出しさんの文だけでは、編集者の質を否定する材料にはなりえないと思います。

 確かに字面を追うとその通りなのですが、田中芳樹は中国史に無知である、といったような以前の文脈から考えるとそう読み取るのは無謀ですかね?そもそもこのサイトのスタンスが最近の田中芳樹モノには読むに値しない作品が多い、といったスタンスだと思っていたのですが。
 それにその通りだとすると、まぁ田中芳樹やジュニア小説はともかくとしてポルノ小説やぶっ飛んだ架空戦記、それに誰もが読んだ事あるだろう(想像です、すみません)、「なんじゃこりゃ!?」って本も質が高いと判断された、ということになりませんかね?
>
>  ですから、この場合、3ページ判断法が正しいかどうか、という事に焦点を置くべきだと思います。この方法が間違っているのなら、確かに駆け出しさんは、自分で物事を判断せずに業界を盲信している、と言えますから。
>  私が思うに、3ページで飽きるような本は、商業ベースに乗せても売れるとは思えませんし、一方で「雪国」の有名な一文のように、本当に力のある作品は冒頭だけで読者を惹き付けますから、この判断法は有効なんじゃないかと思いますが、どうでしょうか。

 「雪国」は確かにそうでしょう。ただ、これだと力がありすぎてあんまり比較の対象にはならない気がしますが・・・
 3ページで飽きる本も・・・売れないでしょうか?最近の世の中、ケッタイな本が売れますからね。勿論、ありとあらゆる本を読んだわけではないのでなんとも言えないと言えば言えないですが。

 ただ、「バトルロワイアル」が何年か前に選考からもれた事に代表されるように、出版社の眼力を本当に信じていいのか疑問があるのですよ。無論、偉そうに言うほどの眼力は無いのですが。(あれは確かに文章は稚拙ですが、それを補って余りあるパワーを感じました。あれを落とすということは、出版に携わる人間と、一般読者の間に深い断絶があるのではないかと思ったわけです)
>
>  あと、ジュニア小説については、駆け出しさんはあくまで「作家がゴミ揃い」だと言っているのであって、作品自体には何も言っていませんよ。ま、この評が正しいかどうかは、作家の知り合いがいない私には確かめ様の無い事ですので、何も言えませんが。

 うろ覚えなので定かではないのですが、出版に携わる人間のコメントとして「最近一番健全な成長を遂げているのがジュニア小説界だ。読者の声が作者に届き、それが作家を育てている。そして作品を読んだ読者がそういう小説を書きたいと願い、努力する。そういうサイクルが出来上がっているので、侮れない」と言っていた気がします。作家もそう悪くないと想像してるのですが。何にせよまだまだ見発展、粗削りの世界なので「ゴミ」も「人材」も多いのでは?そんなに侮蔑したものでもないと思います。自分はあまり興味がありませんが。


No. 1036
ジュニア小説についての補足というか質問
ヨウ 2001/10/21 22:32
「ロードス島戦記」に代表されるファンタジー系の小説の事ですよね?


No. 1037
Re:ジュニア小説についての補足というか質問
オズマ 2001/10/22 00:49
お久しぶりです。オズマです。
この話題ももうそろそろ下火で出遅れかもしれませんがいくつか。


> 「ロードス島戦記」に代表されるファンタジー系の小説の事ですよね?

そういえば最近のロードスはどうも田中芳樹作品化してるような気がしますね。戦記の間はともかく、伝説あたりからの主人公側は徹底的に美化されて、相手(というか主人公に反対するもの、あるいはいわゆる小物)を徹底的に貶めるところなんか。後、気に入った表現をしつこいくらいに使いつづけるところなど(これは私だけが思っていることかもしれませんし、他のどの作家もやっていることかもしれませんが)。
そうそう、新刊をほとんど出さない(出せない?)という作者の姿勢も似てますね。以前その作者が田中芳樹のヨイショをしている文を読みましたけど、そんなところまで似てほしくはありませんね。
ロードスは中学時代から読んでいましたけれど、そのときはそれなりに楽しめましたけど今読んでみたら、やはり・・・でした。時間によって感受性というものが大きく変わることを実感。


まあ、文学的なレベルがどうあろうと楽しめることには違いありませんから、そういう需要に基づいた出版もありだと思いますね。はじめの数ページ読んでどうとか、ということに関しては、それは熟練の編集人であれば文学レベルに関しては判断できるでしょう。しかし、それを好きになるかどうか(要するにひきつけられるかどうか)、というのは完全に個人の主観ですからね。いくら文学的に優れていても、売れないものも多くあるでしょうし。それでもなお、文学的に完成された(あるいは一定レベルに達した)ものしか出版しないというのがその出版社の方針であり、設立意図であれば、それに関してはその出版社が日本の文学レベルの維持に努めているという側面もあることですし、十分に尊重されることです。そういう信念を持っている作家も。水野良作品的に言えば承認される(笑)ことですね(わからない人すみません)。もっとも文学レベルと万人に好まれることが両立できるのがベストなんでしょうけれど。ちなみに、私は隆慶一郎や池波正太郎の作品には、それこそはじめの3ページからぐいぐいひきつけられましたけど、対称的に、司馬遼太郎の作品には全くひきつけられませんでした。つまり、いくら高評価されていても、あくまでも読み手にとっては自分が面白いかどうかということが大事だということです。
私は田中芳樹作品にまともな文学レベルがあるとは思ってはいませんが、キャラクターやストーリーといった面(それも文学的な能力のひとつかもしれませんし)で、多くの人に受ける要素はあると思いますし、現に売れていますから。それらは間違いなく、小説家として評価されることだと思います。


皆さんがおっしゃられたことのくり返し程度の意見で失礼しました。
ではこのへんで。


No. 1038
ふたたびヨウさんへ
駆け出し 2001/10/22 15:10
駆け出しでございます。

>あまりいませんね、少なくとも10人中10人そうだということはないでしょう。失礼な言い方ですが。

いえ、ところが10人が10ともそうなんです。文春や新潮、あるいは岩波やちくまにかぎった話ですが。ここらあたりの会社は、入社するとそういった教育(すくない枚数で作品の善し悪しを判断する)をされるからです。
たとえば、ヨウさんが例に出されていたF書院などもそうか? と問われますと、自信がありません。

ただ、私が出会った編集者のなかには首をかしげたくなるような能力の者もおりましたが、それでも3ページで判断しようとしていましたので、驚きましたけど。

> 妄想的に新兵器を多用して日本軍が勝ちまくる仮想戦記やトンデモ本、ひいては駆け出しさんが批判されるゴミ揃いのジュニア作家とやらは、皆別に個人出版で出してるわけではありません。3ページ以上読まれたからこそ出版できているわけです。

これは、もうおっしゃるとおりでして。ただ、3ページまで読み、いいとおもったのでその先を読んだ、ということだと思いますが。

出版社にや編集者にも質の差というものがあり、A社で出版できた作品でも、B社ではとても出せた代物じゃない、と判断されることも、ままあります。
出版されている小説は、すべて3ページの壁を突破してきたもののはずですが、それを判断するのは編集者であり、出版社です。それらのレヴェルが低ければ、当然ろくでもない作品が世にまき散らされることになるわけです。

無論、ものごとには例外がつきものです。特Aとランクづけされている作家の作品は素通しのことが多いです。芥川賞、直木賞作家がこれにあたると考えていただければよろしいかと。

3べージの判断法は、おそらく文春あたりがはじめたことだと思います。私もこの世界に足をいれてみて初めて知ったのですが、文壇における文春の影響力には絶大なものがあります。やはり、芥川、直木の両賞を主催しているからでしょうね。作家(とくに大衆作家)にとって、文春より本を出すというのは、目標であり、ステイタスにもなっています。

文壇というのは、意外に生臭い世界です。

>この、編集者を絶対の権威のように扱い反論を封殺するやり方(少なくとも自分にはそう見えました)を批判しているわけです。

正しい方法ではないかもしれませんが、これが不文律である以上、特Aならぬ私としてはしたがうほかないわけです。
それに、他の作品を3ページで判断する訓練をしておきますと、自分の作品つくりに役立つと思っているものですから。


>  ・・・感情的になってしまったかもしれません。これだから日本人はディベートができない、とかいわれるんですね。この書き込み自体が低レベルであったり致命的な勘違いをしてると思われれば是非とも突っ込んでください。失礼しました。

そのようなことはけっしてありません。よい勉強をさせていただきました。

ありがとうございます。


No. 1041
Re:横レス失礼します
クロイツェル 2001/10/22 22:30
 返事が遅くなりまして、申し訳ありませんでした。

>  確かに字面を追うとその通りなのですが、田中芳樹は中国史に無知である、といったような以前の文脈から考えるとそう読み取るのは無謀ですかね?そもそもこのサイトのスタンスが最近の田中芳樹モノには読むに値しない作品が多い、といったスタンスだと思っていたのですが。
>  それにその通りだとすると、まぁ田中芳樹やジュニア小説はともかくとしてポルノ小説やぶっ飛んだ架空戦記、それに誰もが読んだ事あるだろう(想像です、すみません)、「なんじゃこりゃ!?」って本も質が高いと判断された、ということになりませんかね?

 このあたりに関しましては、駆け出しさんの新しい書き込みがよい説明になっていましたので、割愛させて頂きます。
 まあ、ポルノや架空戦記にしても、その出版社的には「販売してもよいぐらいの質」を持っていたって事でしょう。

>  「雪国」は確かにそうでしょう。ただ、これだと力がありすぎてあんまり比較の対象にはならない気がしますが・・・
>  3ページで飽きる本も・・・売れないでしょうか?最近の世の中、ケッタイな本が売れますからね。勿論、ありとあらゆる本を読んだわけではないのでなんとも言えないと言えば言えないですが。

 「雪国」はあくまで例ですんで、それと他とを比較したいわけじゃありません。要は、最初の3ページで、十分文学的な評価は可能だろう、って事です。
 ケッタイな本に関しては、新聞の書評などに「なぜか」載っちゃった本なら、3ページすら読みもしないで買う人もいますからね。某こうてはあきまへん、とか、某神さんの残しはったもの、とか(笑)

>  ただ、「バトルロワイアル」が何年か前に選考からもれた事に代表されるように、出版社の眼力を本当に信じていいのか疑問があるのですよ。無論、偉そうに言うほどの眼力は無いのですが。(あれは確かに文章は稚拙ですが、それを補って余りあるパワーを感じました。あれを落とすということは、出版に携わる人間と、一般読者の間に深い断絶があるのではないかと思ったわけです)

 しかし、結局「バトルロワイヤル」は出版されたわけですからね。昔からどの国でも、後世まで残る傑作が出版時には幾つもの出版社から出版を断られた故事などは枚挙に暇がありませんし、別に悲観するような事ではないと思いますが。

>  うろ覚えなので定かではないのですが、出版に携わる人間のコメントとして「最近一番健全な成長を遂げているのがジュニア小説界だ。読者の声が作者に届き、それが作家を育てている。そして作品を読んだ読者がそういう小説を書きたいと願い、努力する。そういうサイクルが出来上がっているので、侮れない」と言っていた気がします。作家もそう悪くないと想像してるのですが。何にせよまだまだ見発展、粗削りの世界なので「ゴミ」も「人材」も多いのでは?そんなに侮蔑したものでもないと思います。自分はあまり興味がありませんが。

 それは聞いた事がありませんでした。もしそうなら嬉しいですね。そうそう、私が言う所のジュニア小説とは、いわゆる中高生向けライトSFの事です。富士見ファンタジアとか角川スニーカーとか、あの辺ですね。


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