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創竜伝のエンターテイメント性
2−C

風刺小説としての創竜伝(3)


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No. 3325
政治評論についての質問
ケスラセラ 2002/12/06 13:50
以前から何度も議論、および主張されていることを
繰り返すことになり申し訳ないのですが、少々お聞きしたいことが。
皆様の批判されている昨今の田中小説における「政治評論」
これはこの「評論」があまりに具体的でありすぎ、それゆえ小説の範囲を超えていると。
こういうことですね?
どのあたりが風刺と評論の分かれ目になるか、おそらく個人の
とり方しだいというところが大きいとは思いますが、このあたりをお聞きしたい。
私個人の受け取り方について述べておきます。
創竜伝や薬師寺シリーズにおける「政治評論」は強烈な風刺であり、
はははと笑える。こんな感じですね。
私にとってはこれはこれで楽しめます。


No. 3326
Re:政治評論についての質問
TAC 2002/12/07 09:46
私も風刺は真っ当な社会にとって必要不可欠だと思います。
風刺を権力を持つ者を批判しこき下ろす事だとすれば、
それを許さないというのは言論弾圧ですから。

ただ、田中芳樹が作中で行っているのは風刺ではありません。
風刺というからにはありとあらゆる対象をパロディにし、
笑い飛ばす事によって批判する必要があります。
対立している二者の内、片方をだけを批判するのは、
風刺ではなくプロパガンダの類に分類されるべきでしょう。

よって田中芳樹が作中で行っているのも、
風刺ではなくプロパガンダの類と考えるべきではないでしょうか。
アメリカ合衆国は笑い飛ばされるが、中国には触れない。
日本の右派政治家は笑い飛ばされるが、左派政治家には触れない。
それに天皇家を笑い飛ばす事もしません。暴漢に刺されますから。

例えばアメリカなどでは現在の対テロ戦争に対する風刺が、
沢山存在しています。向こうでは主に一コマ漫画という形です。
ここで笑い飛ばされるのは、
ウサマ・ビン・ラーデンやフセインだけではありません。
ブッシュ大統領も当然笑い飛ばされています。
双方を笑い飛ばす事によってバランスを採っています。

他にはナチス時代にあるドイツのコメディアンが、
空軍元帥ヘルマン・ゲーリングを面と向かって風刺し笑い飛ばしたために、
収容所に送られる事になりました。
これくらいの覚悟があってやるのも、社会風刺です。

田中芳樹にそんなバランス感覚も覚悟もありません。
日本で自民党あたりだけを批判するのは一番楽ですよ。
何せ、何のペナルティもありませんから。
これが共産党や創価学会あたりになると覚悟が要りますけども。


No. 3327
Re:政治評論についての質問
八木あつし 2002/12/07 18:52
創竜伝の竜堂兄弟の行動自体が、普通にはあり得ないような力を使って、現在の権力者たちをこき下ろすので風刺画のようなモノですね。
創竜伝の社会評論は、評論と言うには「ある国」「ある政治家」「ある官僚」と伏せ字が多すぎます。及び腰・逃げ腰のためかとも思えてしまいます。
また、出てくるデータや話も本当に真実かどうか判断が付きません。何せ創竜伝は「フィクション小説」なのですから。仮にデータが正しいとしても、評論自体が客観性に乏しく田中氏の主観を含みすぎかな。

私は、竜堂始や竜堂続が反日・反米・左翼的思考でも構いません。作中で政治家や日本をこき下ろすのもいいでしょう。
ただ作中のキャラクターが反日や反体制の台詞や思考が多くある中、作中キャラクターの独白や思考部分以外の、第三者的な神の視点の部分まで左翼的な評論を書かれると嫌気がします。
どうせだったら、始や続を左翼ではなく極左思考にまで踏み込ませたら、別の意味でバランスが取れるかもしれませんね。
まぁ田中氏には作者として客観性のある3人称の文章を書いて欲しいです。

次回の創竜伝で是非とも入れて欲しい社会評論があります。先日、早朝のニュース番組で見たのですが、英国でブッシュ大統領を風刺した(イラク問題に関してバカにした)テレビCMを作ったら、米英同盟関係に傷が付くとして放映中止になったそうです。
日本でももし同じことがあれば、田中氏は喜び勇んで作中で必ず作中で使うと思います。「日帝もとい、日本の政府と官僚が圧力をかけて、自由なはずのメディアを弾圧した」ってところですかね。
英国崇拝者である田中氏が、もし英国でのことを知ったら、作中で「あの英国が言論弾圧を」と書くかどうか気になりますね。


No. 3328
Re:政治評論についての質問
IK 2002/12/08 08:50
最近もろもろのニュースを聞くにつけ、「官僚めー!」と田中芳樹さんの主張に似てきてしまって、困惑することしきりですが、TACさんのご意見はまったくその通りだと思います。
現代日本で自民党、官僚を批判することほどたやすいことはありません(実際そうされるだけのことを彼らがやっているにしろ)。ただ、日本政治の根幹の問題点はそういう部分にではなく、もっと別のアンタッチャブルな面にありますね。なまじ良識派の仮面をつけているだけに批判しづらく、敢えてそれをすれば物理的な報復もしばしばあった(ある)と聞き及んでおります。どうせ斬るならばその辺りを斬って欲しいものですが、それは本職であるはずのジャーナリストと称するマスコミ屋もやれていないのですから、一作家にはなかなか難しいかも知れません。ならば小さくなってろ、と言いたいところですが、そう言えば己に帰ってくるのでそこまではようよう言えません(^^)
と言いますか、その辺りの構造に田中芳樹さんはどうも無頓着であるようです。功なり名を遂げた氏にとって、「良識派」というポジションはアクセサリーとしては上等に感じるのかも知れません。私に言わせれば大橋巨泉氏と同じです。
英国についても中国についてもいいところだけをつまみ食いしているなあと感じますね。
ただ、むかしはこういう「知識人」が多かった。洋行帰りだけが売りで、「あちらでは〜」というのが口癖のお方。表面的な一部の現象を拡大して全体に敷衍するお歴々ですね。どちらにしろ子供騙しですが、田中芳樹さんの場合はメインの読者が少年なので本当に子供を騙しかねないところ(笑)がやや問題ですか。
どちらにしろ批判というのはニュートラルに行わねばならぬものです。そこの部分で田中芳樹さんは批判者として適正を欠くところがあるのではないでしょうか。作家だからしょうがないかも知れないですけどね。


No. 3329
Re:政治評論についての質問
ケスラセラ 2002/12/09 11:45
なるほど、なるほど。
皆様の考え方、よくわかりました。
大変丁寧なレスありがとうございます。
風刺であるからにはバランス感覚が大事である、という考え方には
大いに賛同します。
自分なりに考えをまとめてから、また質問しますので
どうぞそのときにもよろしくお願いします。


No. 3330
Re:ちと違いますね
不沈戦艦 2002/12/10 00:22
> 以前から何度も議論、および主張されていることを
> 繰り返すことになり申し訳ないのですが、少々お聞きしたいことが。
> 皆様の批判されている昨今の田中小説における「政治評論」
> これはこの「評論」があまりに具体的でありすぎ、それゆえ小説の範囲を超えていると。
> こういうことですね?
> どのあたりが風刺と評論の分かれ目になるか、おそらく個人の
> とり方しだいというところが大きいとは思いますが、このあたりをお聞きしたい。
> 私個人の受け取り方について述べておきます。
> 創竜伝や薬師寺シリーズにおける「政治評論」は強烈な風刺であり、
> はははと笑える。こんな感じですね。
> 私にとってはこれはこれで楽しめます。


 風刺ってのは、例えばチャップリンが「独裁者」でやったようなことでしょう。現実のヒトラーを模したキャラクターを作り上げ、徹底的におちょくることによって、ヒトラーに対する痛烈な風刺としたような。あるいは、大石英司が「第二次太平洋戦争」でやったように、芦原総理(もちろんモデルは石原慎太郎)とグッパート大統領(こちらはゲッパート議員)が権力の座についた結果、日米を限定的な戦争に突入させてしまい、最後の話し合いすべき場に至ってまで、相手の悪口を並べて罵り合っているが、日米敵味方に分かれて戦うハメになった男女の愛が、その諍いをいかに下らない、醜い姿であることを描いてみせる、というような手法こそが、「風刺」の価値があるものでしょう。この例、どちらも、現実の人間をモデルにして、徹底的におちょくってみせていますけど、「ストーリーと何の関係もないのに、突然出てくる現実の誰かへの罵倒」ということは、全くありません。また、そういう批判を浴びせられることもないでしょう。

 映画の中で、ストーリーとは何の関係もないのに、突然主人公のチャップリンが大写しになって、現実のヒトラーへの罵倒を始めたりしたら(しかも相手の名前をはっきり言わずに)、それって「風刺」って言えるんですかね。ちょっと違うと思いますけど。田中芳樹がやっていることは、そういうことではありませんか?「風刺」なんて言えるような価値は全くないと思います。


No. 3331
Re:ちと違いますね
ケスラセラ 2002/12/10 09:11
>  映画の中で、ストーリーとは何の関係もないのに、突然主人公のチャップリンが大写しになって、現実のヒトラーへの罵倒を始めたりしたら(しかも相手の名前をはっきり言わずに)、それって「風刺」って言えるんですかね。ちょっと違うと思いますけど。田中芳樹がやっていることは、そういうことではありませんか?「風刺」なんて言えるような価値は全くないと思います。


そこまで言っちゃいますか?
創竜伝って超人的な力を持ったヒーローが普通の人では絶対かなわない巨大な悪と戦い、それを打ち破っていくというヒロイックファンタジーですよね?そして物語の設定上、悪役には権力を持つ人間がなっています。要するに4兄弟vs権力システムということになる、と私は解しています。である以上今のシステムの中で力を持っているいわゆる権力者を対象に揶揄が入るのは「風刺」と取る見方も十分ありえると思いますがね。


No. 3332
Re:ちと違いますね
横レス失礼ですが 2002/12/10 15:47
> 創竜伝って超人的な力を持ったヒーローが普通の人では絶対かなわない巨大な悪と戦い、それを打ち破っていくというヒロイックファンタジーですよね?そして物語の設定上、悪役には権力を持つ人間がなっています。要するに4兄弟vs権力システムということになる、と私は解しています。である以上今のシステムの中で力を持っているいわゆる権力者を対象に揶揄が入るのは「風刺」と取る見方も十分ありえると思いますがね。


物語の中で悪役が卑小化されるのはよくある事で、それ自体は特別な事ではありません。また、小説の中に実在の人物がモデルとして登場するのもよくある事です。

しかし、小説の中で主役が悪役を倒すことと、モデルが明らかな人物を極端に卑小化してこきおろすことは違います。しかも、それに何か明確な根拠があるわけでもありません。これでは風刺ではなく中傷です。
まるで喧嘩に負けた子供が想像の中で相手を一方的に痛めつけて後ろ向きな喜びに耽っているようなものではありませんか。

揶揄や風刺なら、他にいくらでもやり方があります。不必要に悪者を痛めつけ、一々説教じみた言い訳をしてその場を後にする竜堂兄弟が英雄的だとは、少なくとも私には思えません。痛快な気分になるどころか、読後感の悪さと共に、田中芳樹の小説家としての実力(或いは品性)が低いなと感じるだけです。

ところで、創竜伝がヒロイックファンタジーなのだからということについて少々。
創竜伝自体がそうであるように、ファンタジーイコール絵空事ではないのですから、なおのこと竜堂兄弟には行動に責任を持ってもらいたいものです。俺達はガンジーじゃないから何やってもいいんだ、とカミングアウトされてもねえ・・・。
創竜伝がピカレスクロマンなら話は別ですが(笑)。


No. 3333
Re:ちと違いますね
不沈戦艦 2002/12/10 23:17
> 創竜伝って超人的な力を持ったヒーローが普通の人では絶対かなわない巨大な悪と戦い、それを打ち破っていくというヒロイックファンタジーですよね?そして物語の設定上、悪役には権力を持つ人間がなっています。要するに4兄弟vs権力システムということになる、と私は解しています。である以上今のシステムの中で力を持っているいわゆる権力者を対象に揶揄が入るのは「風刺」と取る見方も十分ありえると思いますがね。


 いや、だから「船津老人」みたいなキャラはいいんじゃないか、と私は前にも言ってますけど。「国家を裏から動かす巨悪」なんてキャラクターは、「ヒロイックファンタジー」の敵方としては、悪くないじゃないですか。しかも、この敵は竜堂兄弟の「竜の血」を求めているんですから、直接に命を脅かしているんですし。「船津老人」に仮に特定のモデルが居た(居ませんが)としても、ああいう扱いなら十分「風刺」として成り立つと思います。「四人姉妹」も、冒険風ライダー氏が指摘しているように、何で竜堂兄弟と対立しているのか理解に苦しむところがあるにしても、そういう存在を出すこと自体には問題はないと思いますよ。

 創竜伝の問題とはそういうことではなく、ストーリーとは何の関係もないのに、ホイホイ合間に挟まれる「現実の官僚やら政治家やら大企業やら、日本人全体への罵倒」でしょう。それは、「チャップリンが突然映画の中で現実への罵倒を始めているようなもので、そんなものは風刺とは言えない」と言っているんですけど。


No. 3334
Re:ちと違いますね
ケスラセラ 2002/12/11 10:30
>  創竜伝の問題とはそういうことではなく、ストーリーとは何の関係もないのに、ホイホイ合間に挟まれる「現実の官僚やら政治家やら大企業やら、日本人全体への罵倒」でしょう。それは、「チャップリンが突然映画の中で現実への罵倒を始めているようなもので、そんなものは風刺とは言えない」と言っているんですけど。


ふーん、なるほどなるほど。やっぱ要するに具体性の問題ですね。横レス失礼さんのレスからも同じような感じを受けました。
んで、
「現実の官僚やら政治家やら大企業やら、日本人全体への罵倒」
なんですが、もともとの船津老が日本権力を握っていたという設定でしたよね。その船津老が4兄弟に倒されて、4兄弟を支配したものが日本の権力を握れると勘違い(かどうか知らないが)した奴らが4兄弟にちょっかい出してくるという設定上、やっぱり官僚やら政治家やら大企業が敵役ということになりますよね。ただし最初に比べ、設定がだいぶ具体的になってしまったと。
 では田中芳樹さんは最後のほうではフィクションの設定をめんどくさがって、現実社会をそのまま物語の中に持ってきてしまったということかな?確かにフィクションとノンフィクションを混同してフィクションであることを盾に使うのは卑怯といわれても仕方ないですね。ふむふむ、自分なりには皆様の考え方わかったような気がします。もし私のとり方が見当はずれならまたレスお願いします。


No. 3335
今さらですが
ロード・レオン 2002/12/11 23:06
>  創竜伝の問題とはそういうことではなく、ストーリーとは何の関係もないのに、ホイホイ合間に挟まれる「現実の官僚やら政治家やら大企業やら、日本人全体への罵倒」でしょう。それは、「チャップリンが突然映画の中で現実への罵倒を始めているようなもので、そんなものは風刺とは言えない」と言っているんですけど。

横で失礼します。

確かに創竜伝の政治・社会批評(?)は風刺とは言えないし、品性が低い(箇所がある)のかも知れませんが、小説としてはあくまでも許容範囲内にあると言っていいのではないでしょうか? エンターテインメントとしての小説に求められる特質として最も重要なのは「面白さ」であって、社会批評・政治風刺の正確さでも、品性の高さでもないと思います(全てを兼ね備えていれば、申し分ありませんけど)。名誉毀損罪を構成するような表現があれば別ですが、創竜伝の表現は具体的であるとは言え、そこまでは行ってませんよね(そういう意味ではバランス感覚がイイのかな? それとも「及び腰・逃げ腰」と見るか?)。
ちなみに創竜伝の政治・社会批評の存在自体が小説としての面白さを損なっている、というご意見には一理あると思いますが、それはあくまでも個々人が判断することであり、客観的に正否・善悪を決めることは不可能だと思います(もちろん個人の意見として主張する分にはかまわないのですが)。そして、作者自身が面白さを犠牲にする危険を犯してでもそれが必要だと思っているのであれば、あくまでも表現方法は作者の裁量の内にあり(明らかに違法な場合を除く)、第三者が『小説中に「個人的な趣味」にすぎない評論を挿入する悪癖を止めるべき』というのは、さすがに言い過ぎでしょうね(「やめた方がいい」ならまだしも、ですが)。


No. 3336
Re:具体性ではないでしょう
不沈戦艦 2002/12/13 00:39
> ふーん、なるほどなるほど。やっぱ要するに具体性の問題ですね。横レス失礼さんのレスからも同じような感じを受けました。
> んで、
> 「現実の官僚やら政治家やら大企業やら、日本人全体への罵倒」
> なんですが、もともとの船津老が日本権力を握っていたという設定でしたよね。その船津老が4兄弟に倒されて、4兄弟を支配したものが日本の権力を握れると勘違い(かどうか知らないが)した奴らが4兄弟にちょっかい出してくるという設定上、やっぱり官僚やら政治家やら大企業が敵役ということになりますよね。ただし最初に比べ、設定がだいぶ具体的になってしまったと。
>  では田中芳樹さんは最後のほうではフィクションの設定をめんどくさがって、現実社会をそのまま物語の中に持ってきてしまったということかな?確かにフィクションとノンフィクションを混同してフィクションであることを盾に使うのは卑怯といわれても仕方ないですね。ふむふむ、自分なりには皆様の考え方わかったような気がします。もし私のとり方が見当はずれならまたレスお願いします。


 具体性というより、「ストーリーと関連性がないのに、突然間に挟む『社会評論』は酷いだろう」ということなんですけど。例に出したチャップリンの「独裁者」は「ヒトラー」という具体例をモロに指してますし、大石英司の「第二次太平洋戦争」も、「石原慎太郎とゲッパートが大嫌い」ってのが分かりますから、これも「具体性」はかなりあります。この話で、「日米限定戦争」起こすのは「芦原総理」で、その方法が「自衛隊が極秘行動起こして、横田を始めとする国内の米軍基地を、突然占領してしまう」ことによってなんですよね。「あまり役に立っていないんだから、横田基地は早く返還させ、民間用空港として活用すべき」と何度も主張している石原慎太郎という現実がある以上、ここまで「具体的」な「揶揄」もないだろう、と思いますよ。

 でも、これらの例は「ストーリーと何も関係のない現実への罵倒」ってことはありませんよね。チャップリンはずばり「独裁者」と、独裁者自体を映画のテーマに据えた訳ですし、大石英司は彼の書くジャンルが「現代世界の軍事紛争もの」である以上、何とかして話の中で戦争を起こさないといけない訳です。80年代モノとしては、「日米経済摩擦が悪化して、双方とも最強硬派が政権の座についた結果、衝突コースへ一直線」というストーリーに、無理はないでしょう。ストーリーと関係なく、石原慎太郎やゲッパートを出している訳ではありません。

> 確かにフィクションとノンフィクションを混同してフィクションで
> あることを盾に使うのは卑怯といわれても仕方ないですね。

 結局、これに尽きるんですよ。「創竜伝の問題点」とは。


No. 3337
Re:具体性ではないでしょう
ケスラセラ 2002/12/13 09:27
>  具体性というより、「ストーリーと関連性がないのに、突然間に挟む『社会評論』は酷いだろう」ということなんですけど。

私は創竜伝とかの中に出てくる「社会評論」はそれほどその小説自体と無関係という感じはしませんが。
創竜伝であれ、薬師寺シリーズであれ出てくる「社会評論」はその社会のバックグラウンドというか、世界観というかを構築する要素となっているでしょう?それがかなり現実の社会と酷似しているので、その具体性を問題にしているのかと思いましたが。まぁ、どうであれフィクションであることを盾に使っているという批判は免れ得ないとは思いますが、ロード・レオン様がおっしゃっていたように限度を守れば、面白ければいいじゃないかという意見もそれなりの説得力を持つと私は思います。


No. 3338
Re:具体性ではないでしょう
TAC 2002/12/13 10:35
この場合のストーリーとの関係が無いというのは、
物語世界の人物が物語世界の社会をどうこう言うのではなく、
現実世界の社会をどうこう言う事を指しています。


物語世界は現実世界よりも下位の存在ですから、
現実世界の人物が物語世界の社会を知っていても、逆は有り得ません。
物語世界の人物が何故、現実世界の社会を知っているのかという問題が。
物語世界の人物が現実世界の社会に対してどうこう言わせたいなら、
物語世界の社会ではなく現実世界の社会に対して言っており、
物語世界には全く関係無い出来事であると、
文章の中ではっきりと読者が分かる様にするべきでしょう。

物語世界と現実世界を交差させる様な話を書きたいのであれば、
メタ的に物語世界の中に物語世界を作れば良いんです。

物語世界の人物がどうこう言っている内容が指す社会が、
現実世界の社会か物語世界の社会なのかについては、
内容が物語世界の社会と矛盾している以上は明らかでしょう。
例えば、物語世界では人間が行った行為では無いのに、
現実世界で人間が行った行為であるという事実を根拠として、
物語世界の人物が発言を行っているという部分などです。

物語世界の人物に物語世界の設定を無視してまで、
現実世界の社会に対してどうこう言わせるのは、
作者が物語世界と現実世界をごっちゃにしている訳ですから、
「物語世界が破綻している」とするのが妥当ではないでしょうか。
もちろん敢えて破綻した世界観を舞台にしているなら別ですが、
敢えてそんな冒険をした作品の割には、質が低い気がします。

社会に対する風刺という意味で評価するのであれば、
初期作品の「白夜の弔鐘」の方が遙かに質の高い小説だと思います。


No. 3339
Re:具体性ではないでしょう
ケスラセラ 2002/12/13 12:13
???
も、申し訳ありません。愚昧な私にはどれだけ理解できたか自信がありません。もうちょっと自分の意見を言いたいのですが、もしTAC様のおっしゃることに対して見当違いの発言であればご容赦の上、ご指摘ください。
ようするにTAC様は物語の中に現実の話を持ってくるなとおっしゃるのでしょうか?しかし風刺をするには、現実の行動に対して行わなければならないわけで、現実の社会に対する風刺をするためには、小説の中にある程度の現実社会を反映させるのは技法と言い得る事も可能かと思いますが?このある程度具合が問題なのかと私は理解しているのですが。


No. 3340
Re:今さらですが
IK 2002/12/13 17:35
> 確かに創竜伝の政治・社会批評(?)は風刺とは言えないし、品性が低い(箇所がある)のかも知れませんが、小説としてはあくまでも許容範囲内にあると言っていいのではないでしょうか? エンターテインメントとしての小説に求められる特質として最も重要なのは「面白さ」であって、社会批評・政治風刺の正確さでも、品性の高さでもないと思います(全てを兼ね備えていれば、申し分ありませんけど)。名誉毀損罪を構成するような表現があれば別ですが、創竜伝の表現は具体的であるとは言え、そこまでは行ってませんよね(そういう意味ではバランス感覚がイイのかな? それとも「及び腰・逃げ腰」と見るか?)。
> ちなみに創竜伝の政治・社会批評の存在自体が小説としての面白さを損なっている、というご意見には一理あると思いますが、それはあくまでも個々人が判断することであり、客観的に正否・善悪を決めることは不可能だと思います(もちろん個人の意見として主張する分にはかまわないのですが)。そして、作者自身が面白さを犠牲にする危険を犯してでもそれが必要だと思っているのであれば、あくまでも表現方法は作者の裁量の内にあり(明らかに違法な場合を除く)、第三者が『小説中に「個人的な趣味」にすぎない評論を挿入する悪癖を止めるべき』というのは、さすがに言い過ぎでしょうね(「やめた方がいい」ならまだしも、ですが)。


ロード・レオンさん、こんにちは。私は「止めるべき」と言っても構わないと思います。物理的に排除しようとするならばともかく、他人をこき下ろすのが表現の自由ならば、「やめるべき」程度は言論の自由ではないですか。
名誉毀損の範囲についても、判定が難しいところです。私は一部についてはおそらく名誉毀損罪が成立するのではないかと思っているのですが、現実に手間隙を考えて立件しようとする人はいないでしょうね。それをいいことに「この程度は許される」というのは違うのではないでしょうか。
もちろん、創竜伝、薬師寺涼子の事件簿で「風刺」の対象になっている人たちは、多くは公人であり、もしくはそれに準じる方々です。多少その基準が緩やかに適用されるべきではありますが、問題は田中氏が党派的な姿勢で、対象をえり好みしていることですね。いわゆる保守派の人たちは随分、からかわれていますが、左翼でそういう対象になっている人は余りいないですね。
そこも作者の裁量のうちと言うのも分からないではないですが、それならば所詮はその程度の作品ですよ。それに対して消費者として「こんな商品を作るな」というのは当然だと思います。

それはさておき、次の(次があるとしたら)創竜伝が楽しみです。前作が発表されて以来、世界にはもろもろの大事件が発生しました。
アル・カイダのテロ、イスラム原理主義の問題、北朝鮮による拉致、長年に渡ってそれを支え続けてきた朝鮮総連と社会民主党…。
こうした重大事件について「竜堂始」がどのような見解を示すか興味があります。田中さんには「これはフィクションです」という奥の手がありますから、下手をしたら迂闊なことを言えば生命に関わりかねないこうした問題についてもどんどん「竜堂始」にコメントさせて欲しいですね。
某政治家の「神の国発言」のようなちんけな話をあげつらうのではなく。


No. 3342
Re:今さらですが
ロード・レオン 2002/12/14 00:54
IKさん、こんにちは。

> ロード・レオンさん、こんにちは。私は「止めるべき」と言っても構わないと思います。物理的に排除しようとするならばともかく、他人をこき下ろすのが表現の自由ならば、「やめるべき」程度は言論の自由ではないですか。

そうですね。その表現が「他人をこき下ろす」だけのものであるならば、確かに「やめるべき」と言ってもかまわないでしょう。しかし、それは『小説中に「個人的な趣味」にすぎない評論を挿入する悪癖を止めるべき』と同じことではありませんよね。それとも作品中の「評論」部分の全てが「他人をこき下ろす」だけのものなんでしょうか?

> 名誉毀損の範囲についても、判定が難しいところです。私は一部についてはおそらく名誉毀損罪が成立するのではないかと思っているのですが、現実に手間隙を考えて立件しようとする人はいないでしょうね。それをいいことに「この程度は許される」というのは違うのではないでしょうか。

名誉毀損に近い表現もあるかも知れませんが、その対象となっている当の本人が問題にしてないのだから、それほど目くじら立てなくてもイイように思いますけど(評論の対象となっているくらいの人だったら、名誉毀損の裁判を起こすくらい、簡単なことですよね)。そして、本人からクレームが全くなければ、「この程度は許される」と判断したとしても無理ないのでは?

> 問題は田中氏が党派的な姿勢で、対象をえり好みしていることですね。いわゆる保守派の人たちは随分、からかわれていますが、左翼でそういう対象になっている人は余りいないですね。

これは仕方ないでしょう。誰and何を「評論」の対象とするかは、(IKさんもおっしゃっているように)それこそ作者が自分の判断に従って決めることです。

> そこも作者の裁量のうちと言うのも分からないではないですが、それならば所詮はその程度の作品ですよ。それに対して消費者として「こんな商品を作るな」というのは当然だと思います。

うーん。。。曲がりなりにもそれを評価して購入している人が少なからず存在する以上、「こんな商品を作るな」というのは言い過ぎではありませんか?

> それはさておき、次の(次があるとしたら)創竜伝が楽しみです。

これについては全く同感です(笑)。


No. 3345
Re:具体性ではないでしょう
ロード・レオン 2002/12/14 01:04
>結局、これに尽きるんですよ。「創竜伝の問題点」とは。

フィクションと(一見)ノンフィクションを混同することは、あくまでも表現方法の一つであって、それ自体を問題にするのは基本的に変だと思いますね。
たとえ「チャップリンが突然映画の中で現実への罵倒を始め」たとしても、それだってあくまでも表現方法の一つでしょう?(効果的and面白いかどうかは別として)。効果的でない(or面白くない)から止めた方が良い、くらいは言えても、止めるべきだ、と言い切ってしまうのは批評の範囲を逸脱していると思います。「〜してはいけない,〜は止めるべき」というのは、それこそ明確なルールの裏付けがあって、初めて使うことの出来る表現ではありませんか?(これは、このサイトの緒言に対する意見となるのかな?)。

また、「卑怯」と言うことですけど、このような場でその内容について批判することも可能であり、「卑怯」と言うのは、ちょっと言い過ぎなのでは? 出版物という形で万人に公開されているのですから、ある意味、これほど公明正大なことはないと思います(言った/言わない、で争う余地がありません)。
もちろん、『創竜伝の評論に反論した場合「いや、これは小説の世界のことだから」と逃げをうてるから』卑怯だ、としたい気持も分かりますが、その場合は作者本人が、その「評論」部分が現実社会に対して何ら意味・意義のない(現実社会と全く関係がない)ことを認めた、ということでしょう? それならそれで、却ってハッキリしてイイのではありませんか?(ホントは最初から、そう見なすべきなのかも知れないけど)。


TACさん>>

こんにちは。

>この場合のストーリーとの関係が無いというのは、物語世界の人物が物語世界の社会をどうこう言うのではなく、現実世界の社会をどうこう言う事を指しています。

確かに一見するとTACさんのおっしゃるとおりなんですけど、作者にとっては、物語世界の人物が現実世界の社会をどうこう言っているのではなく、あくまでも物語世界の人物が物語世界の社会をどうこう言っている、ということなんでしょう(評論の対象は物語世界の中のパラレルワールド的な擬似地球であり、擬似日本)。ただ、作者の方針として部分的にせよ、物語世界の社会≒現実世界の社会、と設定されているため非常に混同しやすいのだと思います(まあ、設定に矛盾が生じるのは、明らかに作者の不注意・ミスですけど)。
だから、物語世界の設定に矛盾があってはいけない、と主張するのであれば、僕も大いに賛成したいと思います。しかし、それは「フィクションと(一見)ノンフィクションを混同すべきではない」とイコールではないんですよね。

ただし、一つここで確認しておかなければならないのは、たとえ作者が全てフィクションであると主張したとしても、それがあらゆる表現についての免罪を意味するものではない、ということです。当然、内容によっては名誉毀損にもプライバシーの侵害にも問われることがあり得るでしょう。今のところ田中氏の著作には、そこまでの表現が含まれていない、というだけのことです(過去ログでは田中氏が訴えられれば敗訴する、という意見もありましたが、どうでしょうね?)。

♯♯TACさんの文意については十分に理解できていないかも知れませんので、勘違いがありましたらご容赦を。また、レスの場所が正しくありませんが、これはレスの数を徒に増やしたくなかったからです。分かりにくいとは思いますが、ご理解下さい。


No. 3346
Re:今さらですが
八木あつし 2002/12/14 01:26
> > それはさておき、次の(次があるとしたら)創竜伝が楽しみです。
>
> これについては全く同感です(笑)。

私も次の創竜伝が非常に気になります。特に次巻で気になるのは、創竜伝世界でこれまでしぶとく生き残ってきた首相に代わり、新たに登場した新首相ですね。
まるで田中芳樹が「小渕さんが倒れたときに情報を隠した」「密室で森さんを後継に決めた」「神の国発言」という現実世界の出来事を批判したいが為に、意味もなく無理矢理首相を代えたようなものでした。
ハッキリ言って、良くも悪くも戦後の政治家の金権体質やら何やらの部分部分を寄せ集めた前首相に対して、今回出てきた新首相はまんま現実の森前総理です。直ぐに続編を出せばまだまだ「旬」なキャラクターでしたが、今となっては・・・。消えた前首相のように、いつでも味を出すことができないですね。
田中芳樹は森政権が長続きすると思って首相を代えたのかどうか。結構気になります。


No. 3348
Re:今さらですが
IK 2002/12/14 09:30
ロード・レオンさんこんにちは。レスありがとうございます。

> そうですね。その表現が「他人をこき下ろす」だけのものであるならば、確かに「やめるべき」と言ってもかまわないでしょう。しかし、それは『小説中に「個人的な趣味」にすぎない評論を挿入する悪癖を止めるべき』と同じことではありませんよね。それとも作品中の「評論」部分の全てが「他人をこき下ろす」だけのものなんでしょうか?

ここはちょっと意見が違いますね。私は別に何が書かれていても「止めるべき」というのは自由だと思うのですよ。それで作者がやめるかどうかは別の問題です。もし、田中さんが何らかの暴力的な方法で著作を妨げられているのならば、私はその件については田中さんを擁護します。しかし作品を読んで「これはひどい、やめるべきだ」と一読者が思ったならば、そう発言するのは自由なのではないですか。その人はそれによって「狭量な人」「短気な人」という烙印を押されてしまうかも知れないですけど、それこそそれは自己責任ですよね。
私は一読者として(自腹で正価で購入しましたから一消費者としても)、ああいう作品について寛容であるつもりはないし、そういう振りをするつもりもない、ということです。

> 名誉毀損に近い表現もあるかも知れませんが、その対象となっている当の本人が問題にしてないのだから、それほど目くじら立てなくてもイイように思いますけど(評論の対象となっているくらいの人だったら、名誉毀損の裁判を起こすくらい、簡単なことですよね)。そして、本人からクレームが全くなければ、「この程度は許される」と判断したとしても無理ないのでは?

さあ、田中さんに揶揄されている人がジュニア小説を読むかどうか(笑)。強姦は親告罪です。被害者が告発しない限り事件として立件されません。じゃあ、立件されなかったら、強姦してもいいんですか、と私が言いたいのはそういうことですね。例えが我ながら悪いなあと思いますけど。本当のことを言うと、「被害」に遭われた方には気の毒に思う人もいるし「むべなるかな」と思う人もいますが、実はそのことも余り関係ないですね。あくまで一読者が作家に対して、「こういうことは止めて下さい」と言っていると考えて下さい。管理人さんが以前、田中芳樹さんの手法で田中芳樹さんを揶揄するパロディを書かれていましたね。あれは楽しかったし、読み応えがあった。しかし管理人さんの意図は田中さんの手法の「奇妙さ」を浮かび上がらせるところにあったと思いますが、私もそれを奇妙だと思いましたし、やはり好きになれないのです。「楽しければいい」という人もいるでしょうが、私はそうは考えない人間だということです。

> > (IKの発言)問題は田中氏が党派的な姿勢で、対象をえり好みしていることですね。いわゆる保守派の人たちは随分、からかわれていますが、左翼でそういう対象になっている人は余りいないですね。

> これは仕方ないでしょう。誰and何を「評論」の対象とするかは、(IKさんもおっしゃっているように)それこそ作者が自分の判断に従って決めることです。

そうですね。ただその判断を批評する権利が読者にあると思うのです。

> > (IKの発言)そこも作者の裁量のうちと言うのも分からないではないですが、それならば所詮はその程度の作品ですよ。それに対して消費者として「こんな商品を作るな」というのは当然だと思います。

> うーん。。。曲がりなりにもそれを評価して購入している人が少なからず存在する以上、「こんな商品を作るな」というのは言い過ぎではありませんか?

評価して購入する人のことは、言葉は悪いですが「知ったこっちゃありません」。あくまで私は一読者である私と作家である田中さんの関係の中で申しております。絶賛する人もいるでしょう。こき下ろす人もいるでしょう。両方あってこそ「批評」ではないですか。私が暴力的に田中さんの執筆を阻止しようとするならば、その時こそ、言動の責任も負いましょう。そんなことはしないですけどね。私が作るなと言ったところで、どう判断するかは田中さんの権利ですしそれは尊重します。当然ですね。でも、彼の作品に対して吼え続ける(笑)権利も一方で私は保持したいと思います。「こんなの作るな」と思えばそう言います。
物を書き、公に発表するというのはそういうことではないですか。


No. 3349
主観だけ、ということですか?
ロード・レオン 2002/12/14 13:03
> ここはちょっと意見が違いますね。私は別に何が書かれていても「止めるべき」というのは自由だと思うのですよ。それで作者がやめるかどうかは別の問題です。

そうですね、あくまでも一個人の意見にとどまるというのであれば、自由といってイイかも知れませんね。

> その人はそれによって「狭量な人」「短気な人」という烙印を押されてしまうかも知れないですけど、それこそそれは自己責任ですよね。

僕が言いたいのも、そういうことです。「狭量な人」「短気な人」という烙印を押されてもかまわない、というのであれば、先のIKさんの発言は単なる自己満足に過ぎず、何ら客観性を持たない(議論する価値もない)、ということにもつながると思うのですが、IKさんとしてもそれでよろしいのですか?

> > 名誉毀損に近い表現もあるかも知れませんが、その対象となっている当の本人が問題にしてないのだから、それほど目くじら立てなくてもイイように思いますけど(評論の対象となっているくらいの人だったら、名誉毀損の裁判を起こすくらい、簡単なことですよね)。そして、本人からクレームが全くなければ、「この程度は許される」と判断したとしても無理ないのでは?
>
> さあ、田中さんに揶揄されている人がジュニア小説を読むかどうか(笑)。強姦は親告罪です。被害者が告発しない限り事件として立件されません。じゃあ、立件されなかったら、強姦してもいいんですか、と私が言いたいのはそういうことですね。例えが我ながら悪いなあと思いますけど。

名誉毀損は強姦などとは違って、有罪・無罪を素人が判断するにはいささか難しい点があります(強姦だって、微妙なケースはあるでしょうけど)。僕としては、既に司法判断が下されているか、ある程度専門知識を持つ方が法律と過去の司法判断(判例)に基づいて説得力のある説明でもしない限り、推定無罪の原則を適用したいと思います。
なお、田中氏が有罪でもおかしくないと思っているということは、IKさんは田中氏の「発禁処分云々」という冗談みたいな発言にも、相当の信憑性があると考えているということですか?(ちなみに管理人さんは、「別に人権侵害をしているわけでなし、刑法に違反している訳でなし、田中芳樹が酔いしれているように発禁になる可能性は限りなくゼロです」とおっしゃっていますが・・・)。

> > うーん。。。曲がりなりにもそれを評価して購入している人が少なからず存在する以上、「こんな商品を作るな」というのは言い過ぎではありませんか?
>
> 評価して購入する人のことは、言葉は悪いですが「知ったこっちゃありません」。あくまで私は一読者である私と作家である田中さんの関係の中で申しております。絶賛する人もいるでしょう。こき下ろす人もいるでしょう。両方あってこそ「批評」ではないですか。

果たして「こんな商品を作るな」という言葉は「批評」の範疇に入るんでしょうか?(それこそ完全否定ですよね)。IKさんのご意見を読む限り、意見は主観のみで十分であり、客観性については全く考慮する必要はない、というように読めます。しかし、客観性を全く顧みることのない意見が「批評」の名に値するのでしょうか? それこそ単なる自己満足の意見に過ぎないのではありませんか?
もちろん、IKさんがそれでイイというのであれば、他人が口出すことではありませんが、その場合、議論が成立するとも思えませんので、この話題に関する限り、IKさんとの対話はご遠慮させていただきたいと思います。

♯♯厳しいことを書きましたけど、僕が言いたいのは、批評・批判をするにあたっては、主観を基盤としながらも出来る限り客観的な視点を心がけるべきではないか、ということです。もし、誤解がありましたら、遠慮なくご指摘下さい。


No. 3350
Re:横レス失礼いたします
S.K 2002/12/14 16:17
> > ここはちょっと意見が違いますね。私は別に何が書かれていても「止めるべき」というのは自由だと思うのですよ。それで作者がやめるかどうかは別の問題です。
>
> そうですね、あくまでも一個人の意見にとどまるというのであれば、自由といってイイかも知れませんね。

 ロードレオンさん 始めまして。
 意見は「かも知れない」ではなく自由ですよ。
 既出ですが田中氏が政治思想を批判する自由があるように読者には田中氏の批評眼を肯定しない自由があるんですから


> > その人はそれによって「狭量な人」「短気な人」という烙印を押されてしまうかも知れないですけど、それこそそれは自己責任ですよね。
>
> 僕が言いたいのも、そういうことです。「狭量な人」「短気な人」という烙印を押されてもかまわない、というのであれば、先のIKさんの発言は単なる自己満足に過ぎず、何ら客観性を持たない(議論する価値もない)、ということにもつながると思うのですが、IKさんとしてもそれでよろしいのですか?

 これはこれでIKさんに失礼な意見ですが、その疑問はIKさんと田中氏に失礼でしょう。
 IKさんはロードレオンさんの異論にそう見なされるリスクを払って田中氏の作品内の主張やそうした主張を作品に挿入する姿勢を全肯定しないと表明されていると思いますし、田中氏とて万民の賛同が欲しくて執筆している訳はないでしょうから当然否定されるリスクは折り込み済みな筈です。
 ロードレオンさんの仰りたい事は発言の自己責任の否定ではないですよね?


> > > 名誉毀損に近い表現もあるかも知れませんが、その対象となっている当の本人が問題にしてないのだから、それほど目くじら立てなくてもイイように思いますけど(評論の対象となっているくらいの人だったら、名誉毀損の裁判を起こすくらい、簡単なことですよね)。そして、本人からクレームが全くなければ、「この程度は許される」と判断したとしても無理ないのでは?

 このHPの存在と内容は田中氏の知るところなので、仰る道理に従えば抗議や苦情が掲示板会社にさえ来ていないであろう現状は田中氏本人がこのHPでの否定的意見を許容しているという事ではないでしょうか。


> 果たして「こんな商品を作るな」という言葉は「批評」の範疇に入るんでしょうか?(それこそ完全否定ですよね)。IKさんのご意見を読む限り、意見は主観のみで十分であり、客観性については全く考慮する必要はない、というように読めます。しかし、客観性を全く顧みることのない意見が「批評」の名に値するのでしょうか? それこそ単なる自己満足の意見に過ぎないのではありませんか?

「もっと素晴らしい作品がかける筈だからこんな作品は書くな」というのは期待でしょう。
 IKさんは田中氏の才能に期待しているのであって、だからこそ夜郎自大にも見える現在の作品に批判的なのではないですかね。
 ロードレオンさんが今の田中氏の路線を肯定しその延長上の躍進を期待する事には何の問題もありません。
 その見解の積極的な開陳があればより建設的な議論も行われるでしょう。


> ♯♯厳しいことを書きましたけど、僕が言いたいのは、批評・批判をするにあたっては、主観を基盤としながらも出来る限り客観的な視点を心がけるべきではないか、ということです。もし、誤解がありましたら、遠慮なくご指摘下さい。

 それは正しい意見です。
 加うるに議論の中で誤解が解けるという展開もあるでしょうし、双方の正当性を相互に尊重しつつ折り合うという展開もあるでしょう事を含んでいていただければより良いかと思います。

 IKさんの主張に際して誤解や問題点があればお詫びいたします。


No. 3351
Re:主観だけ、ということですか?
IK 2002/12/14 20:02
ロード・レオンさん、こんにちは。もう「論争」されないというのは残念です。機会がありましたら、またのお相手お願いいたします。

批評者と読者と一個人であるIKの意見をごっちゃにしたのは私の書き方が悪かったですね。自分の中では当たり前のこととして峻別されて、わざわざ言うこともないと無意識に感じていたので、言明しなかったのですが、はっきり区別をつけておくべきでした。
批評が印象批評を抜けて客観批評であるべきだと言うのは仰るとおりです。批評ならば。もし批評をしようとすれば私はそのように努力するでしょう。
ただ、読者は別に批評者ではないし、批評者である義理もないのです。読者が別の属性で批評者でもあるということはあり得ますよ。ただ、読者という属性に限って言うならば、作品をどう受け取ろうが「読者の勝手」ですよね。
何度か言っておりますが、読者と作者の関係においては読者は何をどう感じ、どう言っても構わないのではないか、ということです。余りに決め付け的、主観的であれば作者に無視されるでしょうし、関係のない第三者にその人は指弾もされ、馬鹿にもされるでしょうが、それを覚悟の上ならば読者がどう感じるか、それをどういう形で表明するか、それは読者の自由である、と私は思います。それが批評といえるかどうかは別の話ですね。
私は自分でも物を書きますし他人にも何度となく批評を受けてきました。殆どは批評とは言えない感想でしたし、作者から見れば理不尽な決め付け、明らかな誤読等々もありました。これは物を書き、「批評」を受ける人ならば誰しも経験することではないですか。しかしそれを「批評ともいえぬ」とか「つまらない意見」だという理由で封殺するのは、間違いに思えるということです。それをするのは別の個性をかくあるべきという形に封じ込めることになりませんか。
批評というのはきちんとやって見れば大体の方は感じるでしょうが、実は結構難しい作業で、主観を客観化するというのはプロの方でもそんなには出来ていないですね。小林秀雄などは「批評の神様」などと言われておりますが、主観を客観化しようなどとは微塵も考えない人でした。
私は学生の時、文芸部に所属し、今もそうしたサークルに属しています。批評は少なくとも100回、いえざっと計算しても500回くらいは場数を踏んでいますが、それでも一応批評の形になったなと言えるのは、そのうち1割か2割くらいですよ。
もし批評者たらんとすれば、それでも能力の限界の中で主観を客観化する努力は必要ですが、一読者がなぜそこまでしなければならないのです?
自己責任で発言し、作者に行動の自由があるならば、読者が発言を控えなければならない必要があるとは思えません。読者にはそれぞれの読み方、受け止め方があるのでしてその中で「書くべきでない」という考えが生まれたのならばそれはその人にとって真実であろうということです。
確かにこれは議論の余地がないことです。
私は一般論としてこれを申しております。それを自己満足とおっしゃるならばその通りですが、読者は自己満足する自由もあるのです。
書き手は、誤読されたり、理不尽なことを言われるリスクは作品を発表した時点で、折込済みと覚悟しなければなりません。言っておきますが一読者はその主観の中では自分の意見は決して理不尽だとは思っていませんね。


> 名誉毀損は強姦などとは違って、有罪・無罪を素人が判断するにはいささか難しい点があります(強姦だって、微妙なケースはあるでしょうけど)。僕としては、既に司法判断が下されているか、ある程度専門知識を持つ方が法律と過去の司法判断(判例)に基づいて説得力のある説明でもしない限り、推定無罪の原則を適用したいと思います。
> なお、田中氏が有罪でもおかしくないと思っているということは、IKさんは田中氏の「発禁処分云々」という冗談みたいな発言にも、相当の信憑性があると考えているということですか?(ちなみに管理人さんは、「別に人権侵害をしているわけでなし、刑法に違反している訳でなし、田中芳樹が酔いしれているように発禁になる可能性は限りなくゼロです」とおっしゃっていますが・・・)。

推定無罪のところについては法的にはその通りでしょう。ただし道義的にはどうですか。こういうものの判断は時代によっても変わっていくものです。
判例を変える一要因となすために、ここはやはり「名誉毀損にあたるのではないか」という意見もあると提示したいと思います。


> ♯♯厳しいことを書きましたけど、僕が言いたいのは、批評・批判をするにあたっては、主観を基盤としながらも出来る限り客観的な視点を心がけるべきではないか、ということです。もし、誤解がありましたら、遠慮なくご指摘下さい。

上の部分と関わってきますが、これは明らかに私の書き方が悪かったのです。
IKの見解と取られかねぬように書いてありますからね。
もし私が批評をするのであれば、場数を踏んだ意地にかけて印象批評はするまいと努力するでしょう。これは批評者としての私ですね。読者としてはまた違った立場になります。
上で書いているように読者としては別に批評者である義務はないというのが私見です。作者―読者の関係の中で(第三者は関係ありません)その「意見」を表明するのは自由ではないか、という考えです。それが批評に値するかどうかは別の問題ですね。

S.Kさん、過分なご支援ありがとうございました。


No. 3354
覚悟の上、ですか・・・
ロード・レオン 2002/12/15 03:32
IKさん、こんにちは。3349のレスでは、どうも失礼いたしました。

> 批評者と読者と一個人であるIKの意見をごっちゃにしたのは私の書き方が悪かったですね。自分の中では当たり前のこととして峻別されて、わざわざ言うこともないと無意識に感じていたので、言明しなかったのですが、はっきり区別をつけておくべきでした。

確かにこうしていただければ、分かりやすかったでしょうね。

> しかしそれを「批評ともいえぬ」とか「つまらない意見」だという理由で封殺するのは、間違いに思えるということです。それをするのは別の個性をかくあるべきという形に封じ込めることになりませんか。

> もし批評者たらんとすれば、それでも能力の限界の中で主観を客観化する努力は必要ですが、一読者がなぜそこまでしなければならないのです?

特定の意見を封殺するようなことはしませんよ。ただ、このサイトの主要な目的の一つは、田中作品を批判して、田中氏の執筆スタイルが改まるように働きかける、というものですよね。他人に働きかけたいのであれば、たとえ一読者の意見といえども可能な限り客観性のある(=説得力のある)意見を心がけるのは、当然のことではないでしょうか? 目的に沿った意見でないと意味がないのです(逆効果の場合さえある)。
もちろんこのサイトの趣旨とは全く無関係な単なる独白に過ぎないということであれば、それでもかまわないのですが、IKさんの意見はこのサイトにおける主要な論点に関する僕との対話の中で出てきたものです。単なる一読者の独白とは受け取りにくい状況にありました。

> 書き手は、誤読されたり、理不尽なことを言われるリスクは作品を発表した時点で、折込済みと覚悟しなければなりません。言っておきますが一読者はその主観の中では自分の意見は決して理不尽だとは思っていないませんね。

でも、IKさんはご自身の意見のおかげで「狭量な人」「短気な人」という烙印を押されかねないと認識しているんですよね。とすると、上記の事例には当てはまらないのではありませんか?

> 判例を変える一要因となすために、ここはやはり「名誉毀損にあたるのではないか」という意見もあると提示したいと思います。

一つの意見として承っておきますが、とすると(くどいようですが)IKさんは創竜伝が発禁になる可能性も否定できないとお考えの訳ですね?

> 上で書いているように読者としては別に批評者である義務はないというのが私見です。作者―読者の関係の中で(第三者は関係ありません)その「意見」を表明するのは自由ではないか、という考えです。それが批評に値するかどうかは別の問題ですね。

一読者の単なる独白(他人に対する働きかけの要素を含まない)であるならおっしゃる通りでしょうね。しかし、その意見が「こんな商品を作るな」である場合、明らかに作者に対する働きかけの意味を持っており、単なる独白とは言えません。上にも書きましたが、他人に対して何らかの要求をする場合、ある程度の客観性を必要とするのは当然のことだと思います。
あー、しかし、IKさんはそんなことは百も承知で、「自分勝手な人」「独りよがりな人」などと呼ばれるリスクを覚悟の上で、自分の意見をあくまでも押し通している、ということなんでしょうね。なんとなく分かってきたかな?(まだ誤解があるような気もしますが)。


No. 3355
読者は神様?
ロード・レオン 2002/12/15 03:40
S.Kさん、レスありがとうございます。

> 意見は「かも知れない」ではなく自由ですよ。
> 既出ですが田中氏が政治思想を批判する自由があるように読者には田中氏の批評眼を肯定しない自由があるんですから

確かに自由には違いないのですが、「狭量な人」「短気な人」という烙印を押されてしまいかねない意見とのことですので、それでイイのかな?と思い、「かも知れない」という曖昧な表現にいたしました。
なお、僕は田中氏の批評眼についての批判を問題にしている訳ではありません。一つの表現方法自体を完全に否定することを問題としております。

> ロードレオンさんの仰りたい事は発言の自己責任の否定ではないですよね?

あくまでも客観性に配慮しない意見を主張される、ということでしたので、ホントにそれでいいのか確認したまでです。

> このHPの存在と内容は田中氏の知るところなので、仰る道理に従えば抗議や苦情が掲示板会社にさえ来ていないであろう現状は田中氏本人がこのHPでの否定的意見を許容しているという事ではないでしょうか。

そう見なしてかまわないと思います(相手にしてない、というのが実際のところでしょうけど)。しかし、それと僕がこのサイトにおける表現方法を制限する主張に対して異議を唱えることとは別のことです。

> 「もっと素晴らしい作品がかける筈だからこんな作品は書くな」というのは期待でしょう。
> IKさんは田中氏の才能に期待しているのであって、だからこそ夜郎自大にも見える現在の作品に批判的なのではないですかね。

確かに期待しているのかも知れませんが、ホントにそうであるならもう少し表現を考えられませんか? たとえば教師が生徒に言うのであればかまわないかも知れませんが、読者ってそんなに偉かったんでしょうか? 作家が偉いとも思いませんけど、あくまでも対等の関係なのではないでしょうか? そして、対等の関係であるならば、「こんな商品を作るな」という言葉はいくらなんでも失礼に当たりませんか?(せめて、〜した方がいい、でしょう?)。それとも「お客様(=読者)は神様」なんですかね?


No. 3356
Re:覚悟の上、ですか・・・
IK 2002/12/15 08:49
> 特定の意見を封殺するようなことはしませんよ。ただ、このサイトの主要な目的の一つは、田中作品を批判して、田中氏の執筆スタイルが改まるように働きかける、というものですよね。他人に働きかけたいのであれば、たとえ一読者の意見といえども可能な限り客観性のある(=説得力のある)意見を心がけるのは、当然のことではないでしょうか? 目的に沿った意見でないと意味がないのです(逆効果の場合さえある)。
> もちろんこのサイトの趣旨とは全く無関係な単なる独白に過ぎないということであれば、それでもかまわないのですが、IKさんの意見はこのサイトにおける主要な論点に関する僕との対話の中で出てきたものです。単なる一読者の独白とは受け取りにくい状況にありました。

なるほど、少し分かりました。このサイトの目的と関連付けられているんですね。私は取り敢えずそれを横においておいて、一般論としての作者と読者の関係として申しております。「書くな」ということについてですね。
ところで「書かない方がいい」と言うのと「書くな」ということにどれだけの違いがあるのでしょう? 結局、言い方が失礼だ、ということですか。一読者が頭の中で浮かんだ言葉がどちらであろうとも、いかほどの違いがあるのかよく分かりませんが。
これはS.Kさん宛てのレスに書かれていたことですが、「書くな」ということがそのまま読者が偉いということにつながるというのもよく分かりません。偉いとか偉くないとか、関係ないことではないですか。
「書くな」と言うならば、「言うな」と言われることもありえるし、それはその中で処理すればいいことではないですか。

> > 書き手は、誤読されたり、理不尽なことを言われるリスクは作品を発表した時点で、折込済みと覚悟しなければなりません。言っておきますが一読者はその主観の中では自分の意見は決して理不尽だとは思っていないませんね。
>
> でも、IKさんはご自身の意見のおかげで「狭量な人」「短気な人」という烙印を押されかねないと認識しているんですよね。とすると、上記の事例には当てはまらないのではありませんか?

うーん、「書くなという権利を保持」するというのは抽象的な話で、実際に私が田中さんに物言う時、そういう言い方をする訳ではありません。だからロード・レオンさんのおっしゃることも満更分からないのでもないですよ。ただ、そう思っている人ならばそう言うのも(言いたいのならば)仕方がないですね、という話です。「狭量な人だと見られる」というのは一般的な危険性を示しただけのことで、そう見られるから駄目だとは決して思いません。私は自分の性格を考えて短気なのは間違いないですが、なるべく寛容でありたいとは思っています。しかしある種のこと、ええ、安全地帯に下がって他人を揶揄するようなことについては寛容ではないですし、狭量ですね。ニュートラルな思考をしようともしない人に対しては狭量ですし、党派的立場から言論を組み立てる人に対しても狭量です。だから狭量であることが全然駄目だとは思いません。

> > 判例を変える一要因となすために、ここはやはり「名誉毀損にあたるのではないか」という意見もあると提示したいと思います。
>
> 一つの意見として承っておきますが、とすると(くどいようですが)IKさんは創竜伝が発禁になる可能性も否定できないとお考えの訳ですね?

発禁とまではいかなくても書き換えられる可能性はあるでしょう。

> > 上で書いているように読者としては別に批評者である義務はないというのが私見です。作者―読者の関係の中で(第三者は関係ありません)その「意見」を表明するのは自由ではないか、という考えです。それが批評に値するかどうかは別の問題ですね。
>
> 一読者の単なる独白(他人に対する働きかけの要素を含まない)であるならおっしゃる通りでしょうね。しかし、その意見が「こんな商品を作るな」である場合、明らかに作者に対する働きかけの意味を持っており、単なる独白とは言えません。上にも書きましたが、他人に対して何らかの要求をする場合、ある程度の客観性を必要とするのは当然のことだと思います。
> あー、しかし、IKさんはそんなことは百も承知で、「自分勝手な人」「独りよがりな人」などと呼ばれるリスクを覚悟の上で、自分の意見をあくまでも押し通している、ということなんでしょうね。なんとなく分かってきたかな?(まだ誤解があるような気もしますが)。

ここのところは何を仰りたいのかよく分からないのですが…。ちょっと迂回しましょうか。
よくよく考えてみて、一連の書き込みを私は読者というよりは、物を書く人間として言っているように感じます。書く方の心構えを言っているのかも知れないですね。
独白と言いますか、これも何度も言っていますが、作者と読者の関係性の中で読者は作品について何を言おうが絶対的なフリーハンドを与えられていると思います。
そしてそれを聞くかどうか、どう取捨選択するかの権利は作者に絶対的に与えられている。
どうもロード・レオンさんは「書くな」という言葉を命令形と受け止めているようですね。作者はそれに従う必要があるのだと。
私はまったくそうは思いません。「すばらしい作品でした」というのも意見、「こんなのは資源の無駄遣いだ、もう書くな」というのも意見です。
批評云々は本来関係ない話でしょう? 相手に伝わるかどうかも関係ないではないですか。ただの意見なんだから。
その人が作品を読んでひとつの意見を持ったという事実を他人がどうこう言うこと自体がおかしいんではないか、と言いたいのです。
そりゃあ、意見のすべてが「まとも」とは限らないですね。私が批評を受ける場合(こんなことを言うと障りがありますけど)、どんな意見にでも一応は礼儀として「なるほどそのような考え方もありますね。貴重なご意見ありがとうございました」と言いながら、(ケッッ、なーんもわかっとらん低脳めが)と思うこともあります。でも言った本人にしてみれば「まともなこと」を言っているのですよ。たとえただの「つもり」であっても。その程度のことは書き手として受容しなければならないのではないですか。
相手に伝えようとする云々は方法論の問題ですね。でもそういう方法論を選ぶかどうかも当人の自由でしょう。そもそも読者には作者を向上させる義務はないのですし。
私としては無理を承知で自説を突き通している訳ではありません。勝ち負けに拘っているつもりもないですね。
これは書き手としての私の信念に関わる問題です。仮にこの問題でロード・レオンさんと合意に至らなくても、負けるのが嫌で譲らない訳ではないですよ。それだけは分かって欲しいですね。


No. 3357
Re:客観的には?
S.K 2002/12/15 10:39
> S.Kさん、レスありがとうございます。

 いえいえ、IKさんとのお話と同話題なのでお嫌でしょうがちょっととだけ。


> > 意見は「かも知れない」ではなく自由ですよ。
> > 既出ですが田中氏が政治思想を批判する自由があるように読者には田中氏の批評眼を肯定しない自由があるんですから
>
> なお、僕は田中氏の批評眼についての批判を問題にしている訳ではありません。一つの表現方法自体を完全に否定することを問題としております。

「一つの表現方法自体の完全な否定」とは田中氏の言われる「発禁処分」ないしは「焚書」です。
 寡聞にしてわたしは政治的強制だの「ちびくろサンボ」裁判だのといった面倒事に田中氏が巻き込まれているとは聞いておりません。
 ロードレオンさんは何か裏事情めいた事実でも御存知なのでしょうか?
 田中氏が不当な言論弾圧を受けているならその弾圧の排除の為の協力は惜しみませんよ。


> > ロードレオンさんの仰りたい事は発言の自己責任の否定ではないですよね?
>
> あくまでも客観性に配慮しない意見を主張される、ということでしたので、ホントにそれでいいのか確認したまでです。

 ……確かにIKさんは貴方の評価を覚悟の上で発言しているだろうと思いますが、翻ってロードレオンさんはIKさんの意見に「主観のみに基づいた狭量な発言と決め付け公言する」事をどれほどの客観性で認識なさってますか?


> > このHPの存在と内容は田中氏の知るところなので、仰る道理に従えば抗議や苦情が掲示板会社にさえ来ていないであろう現状は田中氏本人がこのHPでの否定的意見を許容しているという事ではないでしょうか。
>
> そう見なしてかまわないと思います(相手にしてない、というのが実際のところでしょうけど)。しかし、それと僕がこのサイトにおける表現方法を制限する主張に対して異議を唱えることとは別のことです。

 政治家が田中氏に対する時は「相手にしてない」とは見なしてもらえない訳ですね。
「国民の選良」とは実に楽ではない仕事です。

 気を取り直して、ロードレオンさんの異議は尊重されて然るべき物です。
 ただ上でも挙げましたが「表現方法の制限」なんてそんな簡単に出来る物ではなく、であればロードレオンさんは「偏狭な視点から狭量な誤解で発言している」と評価されるリスクをどの程度「客観的に」御承知ですか?


> > 「もっと素晴らしい作品がかける筈だからこんな作品は書くな」というのは期待でしょう。
> > IKさんは田中氏の才能に期待しているのであって、だからこそ夜郎自大にも見える現在の作品に批判的なのではないですかね。
>
> 確かに期待しているのかも知れませんが、ホントにそうであるならもう少し表現を考えられませんか? たとえば教師が生徒に言うのであればかまわないかも知れませんが、読者ってそんなに偉かったんでしょうか? 作家が偉いとも思いませんけど、あくまでも対等の関係なのではないでしょうか? そして、対等の関係であるならば、「こんな商品を作るな」という言葉はいくらなんでも失礼に当たりませんか?(せめて、〜した方がいい、でしょう?)。それとも「お客様(=読者)は神様」なんですかね?

 作家が「愚民どもめ、俺様が悠久なる中国四千年の歴史の崇高さと毛主席の偉大さを教育してやるのだ」とコッソリでもブチ上げるほどエラい「俺様」でない事だけは確かでしょうね。
 以外と「『先生』と呼ばれる程の馬鹿」にまで耄碌し果てたのかも知れませんが。

 いい加減クドくて申し訳ないんですが、それでロードレオンさんは娯楽小説である事をアリバイに不当評価とレッテル貼りを行う作家の主張を全面的に認めて、そうした執筆姿勢や主張を好まない・見たくないとする批判的主張を「狭量な言論弾圧」扱いする御自身の主張を「客観的」にどう見ておられるのですか。


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