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創竜伝のエンターテイメント性
4−A

創竜伝の勧善懲悪性(1)


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No. 347
はじめまして。‥‥個人的な感想など。
投稿者:双樹すずか 1998/12/07 23:46:04
 はじめまして。双樹すずかと申します。
 えっと、田中芳樹関連のHPうろついてて(最近新刊出てないから何か情報ないかなぁ、と‥‥)
 ここに辿りついて、それから何回かお邪魔していたのですが、はじめて書き込みさせていただきます。

 結構皆さん、いろんなこと考えて小説を読んでらっしゃるんですね。私は頭が悪いので(文章力も無いけど‥‥(汗))あんまり深く考えてませんでしたけど、「ここが矛盾してる」とか筋道立てて指摘されるまでよく分からなかったこともあるかも。(頭の悪さ丸出し‥‥うう)

 確かに、最近の「創竜伝」は、政治・日本批判とかに終始しすぎてる気がます。なんか「辛口」とか「スパイスが効いてる」通り越して、そればっかりって言うか、読み終わった時の後味とか読んでるときに嫌な感じがします。
 小早川奈津子が出てきてから(確かに彼女のせりふは面白いんですが)さらに彼女の言動によってそれが酷くなってるっていうか‥‥。

 田中芳樹作品大好きなんですが、彼の作品の一番の欠点って言うのは、「弱者」「少数派」のつもりで過激・極論述べていて、いつの間にか自分が影響力を持ってるとか、売れてるとか自覚が無いところなんでしょうね、多分。

 あと、政治家が竜堂兄弟にやっつけられるのとか、描かれる政治家が往々にして単純で利益のことしか考えてなくて‥‥っていうのは、多分に時代劇的なところがあると思います。
 悪代官とその手下をやっつける水戸黄門の図とか(最後に印篭が出てくるお約束に対応して、最後は竜に変身して問題解決、だし)?。
 敵役が何故か必ず議論に乗ってくるってのもお約束だし、少しキャラクターが説教臭いのも時代がかった台詞回しも「時代劇」って感じがして、私は結構好きなんですけど(笑)。

 戦争の見方に関しては‥私の頭が悪いのと、高校時代の教師が田中芳樹氏の数倍過激だったこともあって、コメントは避けます(笑)。
 それに、竜堂兄弟って一応中国人な訳ですし、話の筋からも中国寄りな見方は(被害者としての)仕方ないんじゃないかなぁ、と。
 「それを本気にする人もいる」っていわれるのももっともですが、歴史・時代小説の類も主人公サイドの見方で話が進みますから、(三国志演義だって、思いっきり劉備よく描いてますし、どこまでが創作でどこまでが史実なのかわからない所もありますし)ある程度は仕方ないと思うのですが。
 田中芳樹作品で中国に興味を持ったせいで多分にひいきしてますが、彼の作品って、どっちかというと文章が女の子向けでしょ?歴史関係の本読んでると「女の癖に」敵発言されてきた者としては、市民権得たみたいで嬉しかったんですけど。

 あ、なんだか長くなってしまいましたが、批判ばっかり多く聞かれるようなので1ファンの感想など書きこませていただきました。バカな女の独り言なんで、聞き流してやってくださいませ。

 それでは。


No. 348
レスにかこつけて私見
投稿者:本ページ管理人 1998/12/08 01:58:01
>はじめまして。双樹すずかと申します。

こんにちは。


>あと、政治家が竜堂兄弟にやっつけられるのとか、描かれる政治家が往々にして単純で利益のことしか考えてなくて‥‥っていうのは、多分に時代劇的なところがあると思います。
> 悪代官とその手下をやっつける水戸黄門の図とか(最後に印篭が出てくるお約束に対応して、最後は竜に変身して問題解決、だし)?。
> 敵役が何故か必ず議論に乗ってくるってのもお約束だし、少しキャラクターが説教臭いのも時代がかった台詞回しも「時代劇」って感じがして、私は結構好きなんですけど(笑)。

 鋭いところを突いている好解釈だと思います。いわゆる、勧善懲悪ものというやつですね。
 田中氏は勧善懲悪をどちらかといえば嫌悪しています。正義が、主観的なものである正義の名の下に、正義でないものを迫害するからです。
 ですが、双樹さんが指摘されているように、創竜伝は明らかに勧善懲悪小説です。正義を、勧善懲悪を否定しながら、それを覆い、脅かすように新しい勧善懲悪に陥っている。つまり、結局は「正義はいけない。勧善懲悪は愚劣だ」と主張する正義であり、別種の勧善懲悪をもって勧善懲悪を嫌悪するという矛盾です。
 「勧善懲悪」とは、つまるところ「物語の形をとった世界観」と考えるとわかりやすいですね。
 創竜伝が勧善懲悪に陥るのは、必然なのです。


No. 903
長くなってすいません。
投稿者:中沢勝英 1999/3/18 07:28:24
初めまして。DFAんとこから来ました。
率直に言ってしまえば「あれはあれでカタルシスになってんならいいじゃん」て感じですなあ。何も討たなくても。
そこにイデオロギー云々を見出そうとするとくだらないですが、娯楽として読むぶんにはそんなに酷くないと思いますよ。「あ、この人たぶん西○の○さんだ」とか、「きっと日本シリーズで○売が勝って怒ってるな」とか、そういうトンデモ的な楽しみもできますし。

「創竜伝」は要するに類型化のお話であって、そこに登場する悪者は無条件に悪くなきゃダメだし、正義の味方はその悪者に弾圧されなきゃダメなんです。ショッカーが幼稚園を襲うのと一緒です。
「世界征服のために幼稚園を狙うことのナンセンスに気づかぬバカ」という構図まで含めて。それがあの話の世界観なんだから。
サヨク残滓のガス抜きというか。でも完全にサヨクかというと、どうもそうでもないらしくて、そのあたりの揺らぎというか矛盾というか、本多勝一が背後に見えるのは気のせいでしょうか。

で、創竜伝は勧善懲悪よりは質が低いんです。というより、勧善懲悪ですらないから余計に問題なんです。
例えば水戸黄門。黄門様一行は先々で「圧政に苦しむ民衆」を見るわけなんですが、黄門様はそれに反発する「民衆」をなだめて、自分の思うところの善をなすわけです。
そこが封建的という批判はあるだろうけども、その行為には「先の副将軍」としての責任が生じるだろうし、少なくとも積極的に悪を懲らすという意図はある。
ところが創竜伝。彼らは自分らに降りかかった災厄に反撃するだけで、人間同士が殺し合おうと気にしないというようなことを言っている。
これは善とは言えません。究極の“個人主義”。それも戦後日本式の個人主義です。しかも降りかかる火の粉を払うのは少なくとも悪じゃありませんから、正義の暴力を振るえるわけでもある。
小林よしのりの言うところの「絶対弱者」の立場で好き放題やってるだけなんですね。(それがカタルシスである点は否めない。)

つまり、勧善懲悪と言うより勧「絶対弱者」懲「体制」ですね。
絶対弱者は、例えば「薬害天皇」の某氏みたいに、だれも彼らに対して文句を言えない。一見して善悪を語ってるわけじゃないからこそ、より悪質なんです。
それでいて倒れてる子供があったら助けたりもする。これじゃあ俗流のカッコツケ個人主義だ。
民主主義を進めていくと価値相対主義・個人主義になってしまう。
でも子供を助けるには道徳を説く必要がある。でも道徳の根拠は、価値相対主義のせいで定義できない。それがサヨクの行き詰まりであり、「人を殺して何故悪い」に反論できないわけでもあるんでしょ
う。田中芳樹もまんまとこれにハマってます。実際に創竜伝の11巻。
酒鬼薔薇君のことや一連の意見についての言及はほとんど見られなくって残念でした。

どんなに頑張っても今後日本が共産化することはしないでしょうし、そのぶんだけジンケン派が幅を利かせるのも変わらないでしょう。
田中芳樹よりも「週刊金曜日」のほうがよっぽど「討」ちがいもありますし、何より主張もユニークです。珍左翼そのもの。
興味のある方はホームページ(http://www.jca.ax.apc.org/kinyobi/)をご覧になっては如何?
投書欄だけでも毎週笑わせてくれますから。


追伸。「5」の論文の一部と同趣旨の文を呉智英さんが書いていた気がするんですが(確か「別冊宝島」)、そのへんどうなんだろ。
文の趣旨には賛成なんだが。


No. 908
こんにちは
投稿者:本ページ管理人 1999/3/19 03:07:42
>中沢さん。

 はじめまして。

>あれはあれでカタルシスになってんならいいじゃん」て感じですなあ。何も討たなくても。
>田中芳樹よりも「週刊金曜日」のほうがよっぽど「討」ちがいもありますし、何より主張もユニークです。

 私も、一面ごもっともだと思うのですが、ただ、そうやって誰もが冷笑を持って黙っていた結果、田中芳樹の暴走につながったと思います(一応田中芳樹の「ある意味ファン」ですので)。更に言うと、私がこのページを立ち上げるまで、この広大なWeb上にさえ田中芳樹を批判する言説が無かった(私が知る限りちゃちゃちゃの掲示板にネタとしてあったのがせいぜい)という環境は、どう考えても異常だと思います。
 余談ですが、それにしても、田中芳樹の創竜伝あとがきでのあの得意がりようはただごとではないですね。「ふざけた小説を書くとはけしからん。このアカバカめ」とか、そういう彼を喜ばせるような批判をした人がいるんですかね。やっぱり。


>ショッカーが幼稚園を襲うのと一緒です。

 いや、まだ創竜伝はここまで割り切れてないと思いますよ。ここまで割り切れたら、(それなりに)立派です。


>でも完全にサヨクかというと、
>どうもそうでもないらしくて、そのあたりの揺らぎというか矛盾というか、本多勝一が背後に見えるのは気のせいでしょうか。

 私は佐高信と似てるような気がします。


>「絶対弱者」の立場で好き放題やってるだけなんですね。

 水戸黄門の例ではありませんが、人間は自分が強者だと認識することによって、自分を制することが出来る一面があると思います。また、田中芳樹が主張するように、正義の名の下に独善的な行動に陥るのも真実の一面ですが、逆に、正義を自覚することで自律することがあるのも事実なんですね。
 自分が弱者であり、弱者ゆえに強者に対する抵抗も許されると思っている強者こそ(すくなくとも、竜堂兄弟が弱者であるはずがない)、歯止めが効かない分もっとも残虐なことをしでかすんですよね。これこそ、歴史をみれば明らかですよ(最近しつこく言ってますが、ファシズム・スターリニズムの構造です)。


>田中芳樹もまんまとこれにハマってます。実際に創竜伝の11巻。
>酒鬼薔薇君のことや一連の意見についての言及はほとんど見られなく
>って残念でした。

 たしかに、11巻は他の巻と違って評論があまりなかったですね。そのわりには、ストーリーは中学生のテーブルトーク並(なんだよ、あの小早川先生って)でダメダメでしたが。


>5」の論文の一部と同趣旨の文を呉智英さんが書いていた
>気がするんですが

 そのとおりです。ちょうど良い例だったので参考にさせていただいてます。


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