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私は創竜伝をこう読んだ
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創竜伝における武道についての考え方(2)


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No. 855
ファンとしてのささやかな疑問
芥の介 2000/4/28 19:04:41
はじめまして、芥の介と申します。ネットを巡っているうちにこちらにたどりつきました。最近の田中先生の執筆活動に対して、これほど沢山の方が賛否多彩な意見を述べている場所があるとは気づきませんでした・・・・不覚!!

個人への誹謗中傷が蔓延しているネットの世界ですが、こちらのサイトは非常に理性的で惹きつけられる意見の交換が行われているので素晴らしいと思います。管理人さん、御苦労でしょうけどもがんばってください。

さて、新参の身で恐縮と思いましたが、多少のスペースを頂いて、私個人なりに田中先生への疑問を書き連ねてみたいと思います。が、文中に出てくる田中先生のコメント内容は、必ずしも正確なものではありません。私の記憶に残っている限りではこういったことをおっしゃっていたというレベルですので、御理解下さい。

疑問その一
体育会または武道系の人間が嫌い?

創竜伝などに見られる武道を使う人間や武道そのものに対しての書き様はひどい誤解だと思います。

私もひ弱な部類の人間ですから暴力を嫌います。
武道において養われる力も一部そういった事に使われる危険があります。しかしそれでもピストルやナイフを振りかざして強くなった気になることと肉体を鍛え上げて強くなることは違うと思うのですが・・・?

「人間形成」を目的としている事に対して胡散臭さを感じているようですが、一度体験で入門されてはいかがでしょうか?
私のように1日で挫折してしまう結果になっても得るものは大きいと思いますよ。

その二
時代小説はお嫌い?

なにかのインタビューで中国物ではなくて日本史を題材にした小説は書かないのかと言う質問に対して、
「日本の時代小説は敵討ちや御家騒動しかない・・・・」
と言ったことをおっしゃっていましたが、明らかに無知な発言ではないでしょうか?優れた作品は沢山ありますよ。中国から日本へ輸入される話はあっても、その逆はないんだということをおっしゃりたかったんでしょうか?

(ここからはかなり感情的になってます・・・・)
せめて隆 慶一郎ぐらい読んでみて欲しいですね。
(読んでも見るものの目が歪んでいたら感動は伝わらないですけど・・)
あの先生の「影武者徳川家康」を読み終わったときの涙なくして語れない感動は、失礼ですが銀英伝の比ではありませんでした。(クソ竜伝は論外)

その三
「締め切り」または「読み頃」と言う言葉を御存知?

よく作品作りを料理に例えていますが、プロの料理人でしたらお客を待たせた挙句、卑屈な態度で自虐的な言い訳などはしません。
それとも御自身の作品は寝かせればそれだけ味のでるワインだとでもいうのでしょうか?
アルスラーンの最新刊は、冷めたスープを出された気分で飲む(読む)気になりませんでした。
タイタニア、竜騎兵など一連の作品に対する遅筆(絶筆?)ぶりはファンからすれば噴飯物の所業だと思います。メッ!!ですよ。

最期になりますが、私こと芥の介は「銀英伝」という小説はすばらしい作品だと思っています。その評価は今でも変わりません。

それでもやっぱり最近の先生の作家としての姿勢には疑問を感じずにはいられません。ファンとしては悲しいです・・・・・

なにやら随分と感情的な駄文になってしまいました。
管理人さんすいませんでした。
いずれは他の皆さんのように、もう少し相手の評価を得られるような意見を述べたいと思っています。どうか御容赦を。

それではまた機会がありましたらよろしくお願いします。
失礼いたしました。

芥の介


No. 857
はじめまして Re: ファンとしてのささやかな疑問
本ページ管理人 2000/4/29 06:23:51
 芥の介さん、はじめまして。
 これからもよろしくお願いします。

>疑問その一
>体育会または武道系の人間が嫌い?

 一応私も「体育会または武道系の人間」のはしくれくらいには加われる人間だと思いますが、私個人の見解としては、「武道をしていれば立派な人間になれる」「武道で心を鍛えるなんてウソ八百」の肯定論否定論は両方とも間違いだと思います。
 「武道は教育や精神修養の手段になりうる」というのが私(個人)の考えで、要は使い方次第、使う人間次第ということですね(ちなみに余談ですが、武道を教育に使おう(精力善用)という思想は、インテリの嘉納治五郎(柔道の宗家。帝大卒!)が、武道を近代思想(とスポーツ)に引きつけて出来た思想で、実は比較的新しい思想なんですね。私の仮説では、これが後に国学思想(たぶん水戸学あたり)と混ざり合って伝統っぽく見えるようになったのだと考えています)。
 田中芳樹が大好きで作中で「人間形成の手段」的に扱われている読書だって、別に本を読んだから人格者になるって訳ではありません。結局、本の読み方や読ませ方次第ということであって、武道や体育もこれと同じでしょう。
 田中芳樹は、体育会系や武道系だけでなく、理系などにも、強烈な偏見(それはもう、ヒトラーが「退廃美術」に対して持っていた並の)を持っています。この偏見は、早い話がコンプレックス丸出し以外の何者でもないので、目くじらを立てずに寛容に構えていた方がいいのではないでしょうか。
 ただ、それを作中で作品の流れをぶち壊してまで開陳するみっともなさは、指摘してあげるべきでしょうね。あのままでは嘲われても仕方ないですから。


>その二
>時代小説はお嫌い?

 そのインタビューは拝見していませんが、芥の介さんが紹介されているとおりだとしたら、かなり恥ずかしいインタビューですね。
 それこそモンゴルに勝ったのは云々の女流作家を揶揄っている場合ではないでしょうが(笑)
 でも、田中氏のフィクション小説の元ネタに、日本の歴史の故事が多数引用されているのは、度々この掲示板でも指摘されていますよねぇ……
 ついでに、隆慶一郎氏に対する評価には同感です。マンガ版を読んで「こんなものか」と思ってしまうと損ですよね。


>その三
>「締め切り」または「読み頃」と言う言葉を御存知?

 これはまさにプロとしてあるまじき所行ですね。弁解の余地ナシです。
 ただ、残念ながら、これは突き詰めると客が悪いんですよね(作品をそれぞれどう評価しているとは別)。


No. 858
死闘!!竜堂兄弟vs・・・・・
芥の介 2000/4/29 13:40:51
本ページ管理人さんは書きました
>  そのインタビューは拝見していませんが、芥の介さんが紹介されているとおりだとしたら、かなり恥ずかしいインタビューですね。

できればどこで言っていたのか判ればいいのですが、なにしろかなり前のことですので・・・・対談だったかな?
それ以外にも
「題材として魅力的なのは戦国時代ぐらい」
または
「他の作家によって書かれているのは戦国時代ばかり」
のようなことを言ってもいたような・・・・

しかし、あやふやな記憶だけでこちらへコメントを出すのはちょっと私自身のやり方に問題ありではないかな、とも思っていますので、過去の対談集やあとがきなどをきちんと調べた上で正確な形でのコメントを出したいと思います。判明しましたらお知らせしますので、どうか気長にお待ちのほどを。

>  それこそモンゴルに勝ったのは云々の女流作家を揶揄っている場合ではないでしょうが(笑)
>  でも、田中氏のフィクション小説の元ネタに、日本の歴史の故事が多数引用されているのは、度々この掲示板でも指摘されていますよねぇ……

それと似たようなことで竜堂始が言っているセリフでおかしいと思えるセリフがいくつもありますね。正確に調べて参ります。

>  ついでに、隆慶一郎氏に対する評価には同感です。マンガ版を読んで「こんなものか」と思ってしまうと損ですよね。

マンガはねぇ・・・・・・うん、まさしく同感です。
(クソ)ゲーム化はするし、他の作品もろくでもない脚本で
漫画化するし・・・・作者がお亡くなりになったら好き放題。
酷いもんですよ。

> >その三
> >「締め切り」または「読み頃」と言う言葉を御存知?
>
>  これはまさにプロとしてあるまじき所行ですね。弁解の余地ナシです。
>  ただ、残念ながら、これは突き詰めると客が悪いんですよね(作品をそれぞれどう評価しているとは別)。

えーと、上記の部分なんですが、私は
「客が悪い」と言う部分がいまひとつわからなかったのですが?
「お客の要望に応えていくと、こういった状況にどの作家でも陥り
やすい」
ということなんでしょうか?
ごめんなさい、読解力不足で。
もしよろしかったら解説していただけるとうれしいです。

くどいようですが私は田中先生のファンです。
図書館に行っても先生の作品はチェックしています。
(新刊見たきゃ本屋へ行けって?以前は買ってましたが今はねぇ)

私にとって小説の価値は「面白いこと」、これだけです。
続きが見たい、作品を深く掘り下げたいといった感情は作品から「面白さ」が感じられなければ湧き上がってこないと思います。私だけかもしれませんが、昔の作品に比べると明らかに作品の面白さが無くなっているように思います。
私の感性が変貌を遂げたのかもしれませんが、それでしたら隆慶一郎先生の作品に今でも感動してしまうのは何故なんでしょう。

ゴチャゴチャ書き連ねましたが、ようするに・・・・

隆 慶一郎先生がお亡くなりになった(手塚治先生でも可)。
        ↓
「死ぬことと見つけたり」や「花と火の帝」が未完となる。
        ↓
あんな面白いものが未完になるなんて・・・・
最期はどうなるはずだったのだろう、見たい、知りたい。
これからもっと沢山書きたいものがあるんだと言っていたのに。
無念だったろうな・・・・・(落涙)
ここらへんはキルヒアイスを失ったラインハルトの気分です。
ホントに泣けちゃいました(苦笑)

それに対して、(あくまで仮定ですが)

田中芳樹先生がお亡くなりになった。
      ↓
「タイタニア」「アルスラーン」が未完となる。
      ↓
ふーん、亡くなったんだ・・・・・
あ、今日チャンピオンの発売日だ
「グラップラー刃牙」どうなったかな?

大変失礼とは思いますが、正直言って最近は
この程度の受け止め方しかできないんですよね。

以前私の中では日本の小説家の中で面白さの双璧と思っていたのに。
例えが悪かったでしょうか?でも、これが私の正直な感想です。
熱烈なファンのみなさん、ゴメンナサイ。
でもだからって、「非難したり面白くなけりゃ見なきゃ良いだろ」
みたいな「まっすぐ君」発言は御勘弁を・・・・・
でも、この発言、似たようなことを誰かが創竜伝のあとがきでキャラに
言わせていたような・・・・

今回のタイトルについてですが、じつはこのサイトを見つけた興奮のためかある夢を見ました。内容なんですが・・・


場所は中国で、黄河の近くらしい。
地平線を背景に1人の上半身裸の男が竜化した竜堂 始と戦っている。
傍らの草原には男に叩きのめされたのか、四兄弟の残り3人が
倒れ伏している。全員裸でどこか遠くから黄色い嬌声があがっている。

男は強い、チョー強い。男の行為を野蛮人の所業として、見下ろしながら糾弾する竜の言葉を一切無視して殴る!殴る!ぶん殴る!!

やがて力尽きて人間に戻った始の頭を踏みつけながら男は言った
「人が食(闘)ってる最中にペチャクチャ喋ってんじゃねえよ」
そのまま動かぬ始の身体を片手で持ち上げると
「(親の)躾がなってねぇガキだ。失せいッ!!」
男の腕の一振りで始は黄河に叩き込まれた。

「力(親からの遺産)を食い潰すだけの穀潰し共め・・・下らぬ時間を過ごした」
そう呟くと、男は待機させていたヘリに向かって歩いて行く。
その背中には・・・・・

そうです。そうなんです。
「鬼」がいたんです。

う,嘘じゃありませんよ。本当にいたんです。見えたんです。


一応ここで夢は終りましたが、いやはや滅茶苦茶な内容ですね。
元ネタが分かる人がいらっしゃるかどうか・・・・
まあ、そこは個人の見た夢の世界ということで御理解を・・・・
といっても無理かな(笑)

管理人さんへ

連休に突入しましたが私は御仕事モードから解放されそうもありません。・・・・悲しい
管理人さんもサイト運営に関していろいろ御苦労がおありでしょうが、どうかがんばってください。応援してます。

ありがとうございました

芥の介


No. 859
Re: 死闘!!竜堂兄弟vs・・・・・
本ページ管理人 2000/4/30 01:35:11
> マンガはねぇ・・・・・・うん、まさしく同感です。
> (クソ)ゲーム化はするし、他の作品もろくでもない脚本で
> 漫画化するし・・・・作者がお亡くなりになったら好き放題。
> 酷いもんですよ。

 まあ、原哲夫は頑張っているとは思うんですが、脚本が致命的すぎますね。
 ゲームは……(^^;) ある意味、企画の発想は凄いけど(笑)


> >  これはまさにプロとしてあるまじき所行ですね。弁解の余地ナシです。
> >  ただ、残念ながら、これは突き詰めると客が悪いんですよね(作品をそれぞれどう評価しているとは別)。
>
> えーと、上記の部分なんですが、私は
> 「客が悪い」と言う部分がいまひとつわからなかったのですが?
> 「お客の要望に応えていくと、こういった状況にどの作家でも陥り
> やすい」
> ということなんでしょうか?
> ごめんなさい、読解力不足で。
> もしよろしかったら解説していただけるとうれしいです。

 私の説明不足でした。
 以前ここで繰り広げられていたファン論争の続きになってしまいますが…
 「誰がどう見てもつまらない小説を買って手抜き仕事を正当化させるファンは愚劣な消費者だ」「いや、面白いかつまらないかを判断するのは人それぞれ。確かにファンが買うことによって田中芳樹は堕落しているが、堕落するのは田中自身の問題であってファンに責任は問えない」(両方とも私なりに判断した大意。言いたいことが違ってたらごめんなさい)という論争が、以前あったんです。
 私の場合は、『「おもしろい」「おもしろくない」は個人的主観だから仕方がない。しかし、田中芳樹の場合の問題は、「おもしろくない」とは別のところにある(簡単に言えばプロの仕事をしていない)。であるから、その部分で、田中芳樹の小説に金を払うのは愚劣である』という意見でして、その文脈で上記の書き込みになったわけです。


> ここらへんはキルヒアイスを失ったラインハルトの気分です。
> ホントに泣けちゃいました(苦笑)

 このあたりは読者の残酷さ、傲慢さだと承知して居るんですが、確信犯で言います。
「ラインハルトは夭折したから完璧な帝王で居られた。しかるに、田中芳樹も……」


>ある夢

 これは伝説のオウガバトル(もろ比喩的表現)じゃないですか(笑)
 考えると、終君と勇次郎氏は、生まれながらにして戦闘好きで手が付けられない強さを持っており、挫折を知らない、という点でよく似た設定ですが、勇次郎氏の方がその人でなしぶりが首尾一貫している分だけ、好感が持てますね、私的には(苦笑)。


No. 860
田中芳樹の時代小説観
小村損三郎 2000/5/01 01:19:13
芥の介さんは書きました
> その二
> 時代小説はお嫌い?
>
> なにかのインタビューで中国物ではなくて日本史を題材にした小説は書かないのかと言う質問に対して、
> 「日本の時代小説は敵討ちや御家騒動しかない・・・・」
> と言ったことをおっしゃっていましたが、明らかに無知な発言ではないでしょうか?優れた作品は沢山ありますよ。中国から日本へ輸入される話はあっても、その逆はないんだということをおっしゃりたかったんでしょうか?
>


このインタビューは読んだことがあるようなないような…。
でも、たしかテレビの時代劇に対して言っていたことだったような気もしますが。
別のインタビューでは「日本史を書かない理由」について
「日本史は既に名作傑作がいくらでもあって、これからも書こうという人がいるし…。
自分としてはあまり世間に知られていないネタを書きたいので、日本史は書くとしても後回し」
みたいなことを言ってましたね。

ちなみに、田中芳樹ファンの人でもチェックしてる人は少ないと思われる(笑)講談社ノベルスの山田風太郎傑作忍法帖『柳生忍法帖』上巻に寄
せた解説文が中々興味深いので、参考までに一部引用してみましょう。

「(前略)

「再発見」の方には明確な記憶がある。「山田風太郎全集」に収められた『おぼろ忍法帖』で、当時はまだ『魔界転生』と改題されてはいなかった。時期は一九七四年の一〇月である。このとき、『おぼろ忍法帖』をカウンターに持っていった私に、顔見知りになった区立図書館の司書さんが言ったのだ。
「あんた、信じられる?佐藤栄作がノーベル平和賞をとったんだよ。いまニュースでいってたけどね。なんだかノーベル賞のありがたみが消えてしまったね。佐藤栄作だもんねえ。」
というわけで、ノーベル平和賞に対する日本人多数の認識が変わったのと、私が山田風太郎を再発見したのは同じ日のことであった。前者はともかく、後者は私の読書生活に重大な意義をもたらした。時代小説とはこれほどおもしろいものだったのだ。何度も何度も読み返し、そのたびに興趣はかえって高まった。

(以下、『柳生忍法帖』の敵役である会津加藤家に関するウンチク等が続く)

 誤解している向きもあるようだが、歴史や人物を描く小説の使命は「実像をあばく」ことではない。まして、時代の変化や状況の差異を無視して経営学や処世術のマニュアルをよそおうことでもない。それは「魅力的な虚像をつくる」ということではないだろうか。
『柳生忍法帖』『魔界転生』『柳生十兵衛死す』の三作を読みかえすつど思うのだが、実在の柳生十兵衛三厳という人はこれほど魅力的な人だったのだろうか。天海僧正と芦名銅伯とが異常な運命に結ばれた双生児であり、僧正と幕府を救うため女たちに死んでもらわねばならぬ、と告げられたとき、十兵衛は答える。
「もし、あの可憐な女たちを殺さずんば、僧正も死なれる、徳川家も滅びると仰せあるなら、よろしい、僧正も死なれて結構、徳川家も滅びて結構」
 啖呵を切る、とはまさにこのことだ。こんなことを公然と言い放つことができるのは天下にただひとり柳生十兵衛のみ、と読者は感嘆してしまうが、よく考えてみると実在の柳生十兵衛がこれほど痛快な台詞を言い放てるはずがない。
 実在の柳生十兵衛について、じつはそれほど克明な記録が残されているわけではない。出自も生没年も明らかだが、その経歴には大きな空白期があり、だからこそ講談の主人公ともされてきたわけである。ただ講談の主人公は、柳生十兵衛だろうが大岡越前守だろうが田宮坊太郎だろうが、キャラクターとしては同じものだ。姓名と境遇、ときとして特技は違うが、人物造型の基本は同じで、それはテレビ時代劇の主人公にも通じる。対する敵のレベルは親の仇、悪代官、悪家老、御用商人といったところで、まちがっても最高権力たる幕府そのものを相対化するような台詞は出てこない。

(中略)

最近ある雑誌の特集で「歴史・時代小説五選」の選出が行われた。山田風太郎はその選出に洩れたばかりか、そもそも名前すらあがらなかった。これは海音寺潮五郎や柴田錬三郎、隆慶一郎も同様であって、選出の偏向ぶりに唖然とさせられた。だがその選出は、「最後まで生き残りたい人は○○を再三再四読むべき」、「××を読まずに偉くなった奴はいない」等の発言でわかるように、歴史・時代小説と経営学や処世術のマニュアルの区別もつかない人々によっておこなわれたものである。それを思えば、選出されなかったことこそ小説家山田風太郎の名誉であろうと思われる。」

以上(^^)。


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