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No. 1359 | |
Re:ロイエンタールのオーベルシュタインとラングへの認識 | |
平松重之 | 2000/9/06 14:12:18 |
不沈戦艦さん > 「ただ単にロイエンタールが自らの個人的感情だけで周囲の状況を顧みず暴発したという理由だけでは「阿呆」と決めつけられてもやむをえないところです。」 > > これは冒険風ライダーさんの言う通りです。平松さんの言いようでは、まるでロイエンタールは今どきの「キレル」中学生みたいじゃないですか。突然ナイフを振り回したりするような。「ストレスが溜まってそうなったのだから、理解してあげようよ」と言われても、「しつけと教育がなっていなかったからでしょ。それではタダの阿呆。それこそ戸塚ヨットスクールにでも放り込んで一から叩き直すべき」という以外、正直いって返す言葉がないです。 うーむ、では個人的感情以外の要素について考えてみましょうか。ここでロイエンタールのオーベルシュタインとラングへの認識について少し考えてみましょう。 ロイエンタールはオーベルシュタインの謀略の能力や行動限界を過大評価していた節があります。 例えば第八巻(徳間ノベルズ)のP24にフェザーンでの爆弾テロでオーベルシュタインが死ななかった事をミッターマイヤーが皮肉った際に、ロイエンタールはこう答えています。 「単に可能性としての問題として言うのだが、歩く毒薬のオーベルシュタインめが、何らかの魂胆で一件をしくんだのだとしても、おれはおどろかぬ。だとするときっと二幕めがあるぞ」 また、P168にはヤンが暗殺された事について、 「かの辣腕なる軍務尚書閣下が、遠くフェザーンから目に見えぬ腕を伸ばしてヤン・ウェンリーの心臓にナイフを突き刺したのだとしても、おれは意外には思わぬ。(後略)」 とも述べています。これは多分に偏見と先入観に満ちた評価でしょうが、ヴェスターラントの虐殺黙認・ラインハルトとキルヒアイスの強固な信頼関係の切り崩し・リヒテンラーデ公の粛清などのオーベルシュタインの冷徹な謀略手腕を知っているロイエンタールが、オーベルシュタインの能力や行動限界を過大に評価したのも無理はなかったかも知れません。この過大評価から、「オーベルシュタインは何をやらかすか分からない」という不信感をロイエンタールは抱いてしまい、「ウルヴァシー事件」の後に皇帝の下に出頭すればオーベルシュタインによって下手をすれば粛清されてしまうかも知れないと必要以上の被害妄想にとらわれてしまったのかも知れません。 また、一方のラングはロイエンタールを陥れる意思をはっきりと持っていましたし、ロイエンタールもそれを承知していました。オーベルシュタインにはかつてロイエンタールを私怨から陥れようとしているラングの活動を黙認していたと言う前科があります。 第七巻P210 ロイエンタールの「叛意」を単なる噂から皇帝自身の審問を生むまでに育てあげたのはハイドリッヒ・ラングである。彼がゆがんだ喜びをもって、無責任な噂に多量の水と肥料をあたえるありさまを、オーベルシュタインは無言のうちに見まもっていた。奨励もしなかったが制止もせず、不肖の弟子の演技をながめているようであった。(後略) ロイエンタールはこの時ラングの活動をオーベルシュタインが協力とまでいかなくとも黙認はしていた事を察知していたのではないでしょうか?第九巻のP99には「ミッターマイヤーはラングの実行力や組織力を低く評価していた」とありますので、おそらくはロイエンタールもミッターマイヤーと同じ評価をラングに対して抱いていたでしょうから、「ラングの自分を陥れようとする策略をオーベルシュタインは少なくとも黙認している」という結論をロイエンタールは導き出せたのでは?「ウルヴァシー事件」に端を発する一連の事件の背後にもラングがいる事をロイエンタールは確信していましたし、となればそれはオーベルシュタインが黙認しているという事になり、仮にロイエンタールがラインハルトのもとに出頭すればラングはオーベルシュタインの掣肘を受ける事なく謀略を行使する事が出来るのではないか、とロイエンタールは考えるのでは?そう考えれば最悪の場合(可能性は低いですが)ラインハルトの命令で「よりによって」ラングの手で処刑される可能性すらあり、そうはならなくともボルテックのように獄中で「変死」してしまう可能性は大きいと考えるでしょう。その様な最後を遂げるのはロイエンタールにとって耐えられるものではなく、それこそ「まだ戦って死ぬ方がマシとロイエンタールは考えたのだ」という論理が成り立つのではないでしょうか。 |
No. 1365 | |
Re1358:白旗(T_T)/~~ | |
冒険風ライダー | 2000/9/08 00:31:29 |
う〜ん、難しい(T_T)。さすがにこれ以上の擁護は私では無理ですね。ヤンやラインハルトと違ってロイエンタールの叛乱に関してはそれほどの矛盾は感じていなかったので「充分に擁護論が展開できる」と考えていたのですけど、ちょっと甘かったようです。ロイエンタールの叛乱擁護に関してはほぼお手上げ状態です(T_T)。 まあ本題とはあまり関係ないのですが、私から発信した責任上、影武者と宇宙の地形に関してだけは一応述べておきましょうか。 <それと、「オーベルシュタインが皇帝の偽物を使うかも知れないと、ロイエンタールが邪推した」ってのも、根拠は全くない、冒険風ライダーさんの想像だけの話ですよね。オーベルシュタインがその手の謀略を行ったって実例が、銀英伝の中にありましたっけ?記憶にないんですが。「ロイエンタールの叛乱を肯定的に説明する為、無理な話を創作している」ようにしか思えないんですが、どう思います?> 正確に言えば、銀英伝で影武者に言及されていた個所はあったので(銀英伝6巻 P42)、ラインハルトの単独行をおそらく苦々しく思っていたであろうオーベルシュタインならば、あるいは「味方を騙すための一度きりの切り札」として使うかもしれないとロイエンタールが考えられるかな、と思った次第です。 まあ、かなりの無理があった事は残念ながら否定しようがないのですが。 <マル・アデッタの件は、出してくるだろうと思ってましたよ。それに対しては「特殊例を一般化してはイケマセン」がお返事ですね。戦略的にも意味がない星系である、ってのは本編でも書かれていたと思いましたが、そうですよね。あの戦いは、ビュコックの命を掛けた挑戦に、ラインハルトが応じただけなんですから。「武人の意地」以外、特に戦う理由はなかったのですし。それに、そんなに「地形」を利用できる星系って、ありましたっけ?他に。ブラックホールをヤンが利用した戦いはあったとは思いましたけど、それ以外はちょっとねぇ・・・・・ また、「待ち伏せ」に関しては、前方に警戒用の艦艇を配置していない艦隊があると思います?敵の領内で。通信途絶になっただけでも、本隊に警報を発する事ができる訳です。先ず「待ち伏せ」は難しいのではないかと思いますけどね。艦隊を隠す場所でもない限り。宇宙の話ですよ、これは。草むらは建物の中に潜んでいる訳ではなく。> 銀英伝世界だと、意外に「宇宙の地形」というのは変化に富んでいるのではないでしょうか。「宇宙の地形」を形作るものとしては 1. サルガッソ・スペース 2. 宇宙気流 3. 隕石・小惑星群 4. ガス状の惑星 5. ブラックホール こういったものが挙げられます。「1」は言うまでもなくイゼルローン・フェザーン回廊の事で、「2」はランテマリオ星系にあり、「3」はカストロプ動乱で使われています(キルヒアイスが艦隊を隠して敵をやりすごし、背後から攻撃を仕掛けた)。「4」は銀英伝外伝1巻の惑星レグニツァで、「5」は銀英伝5巻でヤンが利用したアレです。そしてこれらによって構成されている星系の中でも特に「地形の起伏」が激しいのがマル・アデッタであり、またかつて同盟軍が帝国軍に圧勝したダゴン星系などであるわけです。 それに銀英伝世界では「レーダー」というものがあまり役に立ちませんからね。あえて妨害電波などを発したりしなければ、意外と「待ち伏せ」は容易なように思えるのですが。上で挙げたカストロプ動乱の例もありますしね。 まあこちらも情報・通信システムに問題がある以上、単発的なゲリラ戦に使えるぐらいの意味しかないのですけど。 PS. それにしても銀英伝の作品設定の擁護はホントに難しいものです。自分も批判していてアレですけどね(^^;;)。 |
No. 1366 | |
Re:同一視はできません | |
不沈戦艦 | 2000/9/08 01:05:17 |
平松重之さんは書きました > > うーむ、では個人的感情以外の要素について考えてみましょうか。ここでロイエンタールのオーベルシュタインとラングへの認識について少し考えてみましょう。 > > ロイエンタールはオーベルシュタインの謀略の能力や行動限界を過大評価していた節があります。 > 例えば第八巻(徳間ノベルズ)のP24にフェザーンでの爆弾テロでオーベルシュタインが死ななかった事をミッターマイヤーが皮肉った際に、ロイエンタールはこう答えています。 > 「単に可能性としての問題として言うのだが、歩く毒薬のオーベルシュタインめが、何らかの魂胆で一件をしくんだのだとしても、おれはおどろかぬ。だとするときっと二幕めがあるぞ」 > また、P168にはヤンが暗殺された事について、 > 「かの辣腕なる軍務尚書閣下が、遠くフェザーンから目に見えぬ腕を伸ばしてヤン・ウェンリーの心臓にナイフを突き刺したのだとしても、おれは意外には思わぬ。(後略)」 > とも述べています。これは多分に偏見と先入観に満ちた評価でしょうが、ヴェスターラントの虐殺黙認・ラインハルトとキルヒアイスの強固な信頼関係の切り崩し・リヒテンラーデ公の粛清などのオーベルシュタインの冷徹な謀略手腕を知っているロイエンタールが、オーベルシュタインの能力や行動限界を過大に評価したのも無理はなかったかも知れません。この過大評価から、「オーベルシュタインは何をやらかすか分からない」という不信感をロイエンタールは抱いてしまい、「ウルヴァシー事件」の後に皇帝の下に出頭すればオーベルシュタインによって下手をすれば粛清されてしまうかも知れないと必要以上の被害妄想にとらわれてしまったのかも知れません。 > また、一方のラングはロイエンタールを陥れる意思をはっきりと持っていましたし、ロイエンタールもそれを承知していました。オーベルシュタインにはかつてロイエンタールを私怨から陥れようとしているラングの活動を黙認していたと言う前科があります。 > > 第七巻P210 > > ロイエンタールの「叛意」を単なる噂から皇帝自身の審問を生むまでに育てあげたのはハイドリッヒ・ラングである。彼がゆがんだ喜びをもって、無責任な噂に多量の水と肥料をあたえるありさまを、オーベルシュタインは無言のうちに見まもっていた。奨励もしなかったが制止もせず、不肖の弟子の演技をながめているようであった。(後略) > > ロイエンタールはこの時ラングの活動をオーベルシュタインが協力とまでいかなくとも黙認はしていた事を察知していたのではないでしょうか?第九巻のP99には「ミッターマイヤーはラングの実行力や組織力を低く評価していた」とありますので、おそらくはロイエンタールもミッターマイヤーと同じ評価をラングに対して抱いていたでしょうから、「ラングの自分を陥れようとする策略をオーベルシュタインは少なくとも黙認している」という結論をロイエンタールは導き出せたのでは?「ウルヴァシー事件」に端を発する一連の事件の背後にもラングがいる事をロイエンタールは確信していましたし、となればそれはオーベルシュタインが黙認しているという事になり、仮にロイエンタールがラインハルトのもとに出頭すればラングはオーベルシュタインの掣肘を受ける事なく謀略を行使する事が出来るのではないか、とロイエンタールは考えるのでは?そう考えれば最悪の場合(可能性は低いですが)ラインハルトの命令で「よりによって」ラングの手で処刑される可能性すらあり、そうはならなくともボルテックのように獄中で「変死」してしまう可能性は大きいと考えるでしょう。その様な最後を遂げるのはロイエンタールにとって耐えられるものではなく、それこそ「まだ戦って死ぬ方がマシとロイエンタールは考えたのだ」という論理が成り立つのではないでしょうか。 フェザーンの爆弾テロやヤンの暗殺事件と、ウルヴァシー事件との間にある決定的な違いを理解されていますか?「ラインハルトが命の危険に晒されたか否か」ということです。 皆さんご承知の通り、オーベルシュタインという人格は、「自分が理想とするローエングラム王朝の存続の為なら、誰でも犠牲にする」というものです。それこそ、オーベルシュタイン本人や、代替が利くのなら皇帝本人でも。しかし、ウルヴァシー事件の時に、仮にラインハルトが命を落としたらどうなるのです?世継ぎの皇太子はおらず、ローエングラム王朝はその時点で瓦解。次なる覇者を巡って、人類社会は果てしのない混乱に包まれるでしょう。それこそ、ロイエンタールが大喜びしそうな条件になってしまいますが。皇帝がいなくなって王朝が潰れた後なら、自分が覇者になるのに全く躊躇する必要はありません。そんな時代が到来してしまうのは、それこそオーベルシュタインにとっては悪夢ではありませんかね。 「いや、加減をコントロールすれば大丈夫だ。現に話の中では、ルッツのみが死んで皇帝は助かる、という地球教(ルビンスキー)とラングがひっついた謀略は成功したではないか」と反論しようとする方がいるかも知れませんけど、それ、オーベルシュタインの立場で実施でできますかね。というのは、地球教(ルビンスキー)としては、ウルヴァシー事件でラインハルトが死んでしまって(偶発的な事態としても)も、別に構わない訳です。もちろん、この謀略は「宿将の叛乱によって、ラインハルトを疑心暗鬼にさせる」という目的があるのですから、ラインハルトを殺そうと思った訳ではないのでしょうけど、それにしちゃ手抜かりですよね。実際、話の中でも、一人の兵士が「皇帝の権威」に怯んで心変わりしなかったら(ナポレオンを彷彿とさせるようなエピソードですけどね)、ラインハルトは命を落としていたかも知れません。でも、もしラインハルトが死んだとしても、地球教やルビンスキーには「ローエングラム体制を守る義務」はないので別に痛痒には感じないでしょう。そこまでの危険性がある謀略(一歩間違えれば皇帝が死んでしまう)を、何故オーベルシュタインが実施せねばならないのでしょうか?ウルヴァシー事件の後に「皇帝一行が襲われた。ルッツ上級大将は命を落とした」と、判明したこの事実だけでも、「ウルヴァシー事件はオーベルシュタイン製の謀略ではない」ということを、雄弁に語っていますよ。理性的に考えれば。それを、オーベルシュタイン(とラング)憎しだけで、「オーベルシュタインの謀略かもしれない」と思いこんで、理性的に判断できなかったというのでは、やはりロイエンタールは阿呆でしょう。「オーベルシュタインにはローエングラム体制を守る義務がある。その為には、後継者のいない現在、皇帝の命はもっとも重要だ」この思考が全くインプットされていないロイエンタールは、「オーベルシュタイン憎し」のあまり頭がおかしくなっていた、というより他にありません。ラングの関与があったとしても、オーベルシュタインの知らぬ話であることは間違いないので、ロイエンタールがフェザーンに出頭したところで、何も起こりはしないでしょう。むしろ、ラングが処断されるだけの話でしょうね。また、ラングは単に「ロイエンタール憎し」でおかしな行動を行っているだけですから、「もし皇帝が死んでしまったらどうなるか」まで考慮してルビンスキーの謀略に乗ったとは思えません(というか、ルビンスキーの手の平の上で踊っているだけ)。まあ、ラングは明らかに「小人」ですから、彼がどう考えたか、まで出す必要もないでしょうけど。と、いうことで「ラングの策動をオーベルシュタインが黙認していた」ということにはなりません。むしろオーベルシュタインがそれを知っていたら、皇帝の命が危険に晒されるのを阻止すべく、ラングを処断することを考えたでしょう。 「いや、ラングのつまらぬ策動だとしても、これ幸いとオーベルシュタインが乗って、ロイエンタールを処断しようとするかもしれないではないか」と、これまたオーベルシュタインの「機会主義者」の面を持ち出そう(リヒテンラーデ公の処断を例に出して)とするかもしれませんが、これも駄目です。と、いうのは、前にも言った通り「新領土への皇帝巡幸」が、「ラインハルトの意志」で行われていることが明白だからです。皇帝の意志を抜きにして、オーベルシュタインの好き放題にはなりません。それと、皆さんどう思っていらっしゃるか知りませんけど、オーベルシュタインとロイエンタールは、単にロイエンタールがオーベルシュタインを一方的に嫌って敵視しているだけの関係(と言ったって、オーベルシュタインを好いている者はいませんけどね)で、互いに血で血を洗う抗争を行っている訳ではないでしょう。オーベルシュタインに、「何が何でもロイエンタールを追い落とさなければならない」という必要性はないのですよ、最初から。「ローエングラム王朝の存続の為、論理的に考えて必要を思われる措置(王朝の為にならない敵の抹殺)を実行する」のがオーベルシュタインですから。ヤンの件とは違います。ヤンは敵対者であって、生かしておくと民主主義という『毒』によって、ローエングラム体制を崩壊に導く駒になりかねませんからね。「平和な時代が到来すれば、功臣は粛清されるものだ(むしろ、これはロイエンタールというより中国病患者の田中芳樹らしい思想ですが。必ずそうとは限らないのが実状でしょう?)」「だからオーベルシュタインが自分を粛清する為に、日夜謀略を駆使している」というのは、「オーベルシュタイン」という像を異常に肥大化させてしまったロイエンタールの妄想です。つまり、「感情的になって、理性的な判断ができなくなっていた」ということですから、やはり結論は「ロイエンタールは阿呆ではないか?」ということになりますね。それに実際、ベルゲングリューンやミッターマイヤーはフェザーンに出頭することを奨めていた(ミッターマイヤーは、今からロイエンタールと戦う、という時になってまでも)ではないですか。この二人の方が、よほど論理的な態度だと思いますよ。 |
No. 1369 | |
そもそも名将の定義とは何ぞや? | |
Merkatz | 2000/9/08 21:22:33 |
不沈戦艦さんは度々、「感情的になって、理性的な判断ができなくなっていたロイエンタールは阿呆」とおっしゃっていますが、 不沈戦艦さんにとって名将の定義とはどんなものなのでしょうか? 仮にそれが「感情的にならない、常に理性的判断が出来る」というものだとしたら、 そんな定義に当てはまる名将など存在しません。 如何な名将といえども、人間である以上、感情からは自由でいられません。 名将と呼ばれる人が感情面で失敗したり、苦渋の判断を下したりするからこそ、歴史というものは彩りに満ちているわけで、 それらを不沈戦艦さんの言うように「感情的になって、理性的な判断ができなくなっていた阿呆」と切り捨てていたら、 古今東西、ありとあらゆる名将は皆阿呆だということになってしまいます。 ロイエンタールはあれほどの名将でありながら、自虐的・破滅的で女性不信というトラウマを抱えた精神面での脆さがあったからこそ、人間臭い名将であったのであり、 もしそれらがなかったら、機械と同じで何の面白味もないでしょう。 謀叛決起後の戦略について、色々穴があったことが分かったのは面白かったですが、 謀叛の動機について阿呆呼ばわりは違うと思います。 動機については平松さんとほぼ同意見なのですが、私も若干の推測をすれば、 ラングの存在の方がオーベルシュタインよりも大きかったと思います。 最初の謀叛疑惑の時、中心人物はラングでした。 そのことはロイエンタールがラインハルトの前で釈明に及ぶとき、ラングについて言及することから、周知の事実でした。 したがって、ロイエンタールはラングが自分に復讐しようと付け狙っていることは十分知っていました。 この場合、オーベルシュタインという存在が、ラングに対する警戒心をいささか変質させたのではないでしょうか。 ラングは内国安全保障局々長でありながら、軍務尚書の部下のように振る舞っていました。 (内国安全保障局は内務省管轄) すなわち、表面上はラングの行動はオーベルシュタインがバックアップしているかのように取れるわけです。 そこまでいかなくとも、周りは「オーベルシュタインはラングの行動を黙認している」と認識していたわけで、 ロイエンタールもそのように受け取っていました。 やがて帝都に流れた奇妙な噂(皇帝行幸の際、自分が謀叛を起こす)をキャッチしたとき、これはラングの仕業であることも見抜いていたと思います。 この時点では、根も葉もない噂であるし、ラインハルトは招請に応じたのだから、一応ラングの策動に警戒はするにしても、謀叛は考えていなかったでしょう。 致命的だったのはウルヴァシー事件です。 ただし、ロイエンタールはすぐに謀叛を決めたわけではありません。 なぜなら真相調査のためグリルパルツァーを派遣しています。 もし、謀叛を起こすなら、調査などに時間を掛けるより、すぐに謀叛のための準備をした方が効率的です。 明らかにこの時点では謀叛の意思は固まっていないと思います。 決定的になったのは、ルッツ死亡・事件の真相不明とグリルパルツァーが報告したことでしょう。 ロイエンタールはこの時、ウルヴァシー事件がラングの策謀とは考えていなかったと思います。 むしろ、この事態を利用してラングが自分に謀叛の嫌疑を掛けることを憂慮したと思います。 つまり、ウルヴァシー事件が偶然であれ、作為であれ、これは自分を貶める決定的な機会になってしまうということです。 そして、一度ラングの掌中に落ちれば、どのような運命になるか分かったものではありません。 如何に元帥といえども、謀殺(ボルテックが変死した事も当然頭にあっただろう)の可能性すらあります。 そしてオーベルシュタインがラングの行動を「黙認」しているという事実が、これは一筋縄ではいかない事態になったと絶望したのでしょう。 (単にラング一人の妄動であったなら、素直に出頭していたであろう) したがって、謀叛の嫌疑を掛けられて牢獄に繋がれるよりは、謀叛を起こしてやろうという気になったのでしょう。 推測材料としては、ロイエンタールがベルゲングリューンに「(事件がラング・オーベルシュタインの策謀であることを)俺がそう思いたいのだから、そう思わせておいてくれ」と言っていることから、明らかだと思います。 後付けで自分を納得させている様子が分かります。 ロイエンタールも理性では、ウルヴァシー事件は偶発ではないかと思っていたのでしょう。 ウルヴァシー事件がラングやオーベルシュタインの策謀だと思ったから謀叛を起こしたのではなく、その事件(偶然か故意かは分からないが)を利用して自分が貶められる事態になったから謀叛を起こした。 私はそう推測します。 |
No. 1388 | |
Re:私が言っていることは・・・・ | |
不沈戦艦 | 2000/9/13 00:40:54 |
平松重之さんは書きました > > いや、地球教やルビンスキーが「ラインハルトが死んでも痛痒を感じない」と言うのは違います。というのも、彼らは謀略をもってローエングラム王朝を簒奪ないし裏面から支配する事を企図していましたので、(第三巻P76〜78・第九巻P83)この時点ではまだラインハルトの死を望んでいなかったはずです。不沈戦艦さんのおっしゃる通り、もしここでラインハルトが死ねば人類社会は分裂してしまいますので、その様な状況を地球教やルビンスキーは望まないでしょう。まあ、それにしては確かに「ウルヴァシー事件」での襲撃がかなり粗雑であったのは妙で、ラインハルトの生命も脅かされましたが、そこまでの細かい事情はロイエンタールは知りえなかったでしょうから、「皇帝襲撃は全て計算ずくのオーベルシュタインないしラングの謀略」との疑惑が生じる余地は充分にあったのでは? ここは違うんですよねぇ〜。私が言っている事を要約すると、「オーベルシュタインは、絶対にラインハルトの命を危険に晒す訳にはいかない」と、「ルビンスキーと地球教は、ラインハルトの命を危険に晒しても構わない」ということなんですが。オーベルシュタインはラインハルトに死なれたら全てが終わってしまう(オーベルシュタイン自身も多分破滅する)が、ルビンスキーと地球教は、ウルヴァシー事件でラインハルトを殺すつもりはなくても、仮にラインハルトが死んだところで彼らの構想が全て終わってしまい、破滅することはない、ということです。そこが違うよ、と言っている訳で。オーベルシュタインは「運が悪ければ皇帝が死ぬかも知れない謀略」は行えないんです。ルビンスキーと地球教は「皇帝が死ぬかも知れない謀略でも、有効と信じるものならどんどん実行する。彼らにはラインハルトの生命を守る義務はない」ということ。立場の違いを言っている訳で、「ルビンスキーと地球教は、ウルヴァシー事件ではラインハルトを殺そうとはしていなかった」と言われても、それは反論ではありません。ルッツが死んでしまうような、明らかにラインハルトの命が危険に晒された謀略は、オーベルシュタインのものではない、ということですね。 > > 自分は「ウルヴァシー事件」においてのラングの策謀をオーベルシュタインが黙認していた、とは言っていません。自分が言いたかったのは『第七巻でラングによって陥れられたロイエンタールは、その時のラングの策謀をオーベルシュタインが少なくとも黙認していたのを察知していたのではないか。そしてその忌まわしい前例を元として「ウルヴァシー事件」においてその背後にラングがいる事を直感し、さらにその策謀をオーベルシュタインは少なくとも黙認していたのではないか、といういらぬ疑惑をロイエンタールは抱いてしまったのではないか』と言う事です。ですから、ロイエンタールが「ウルヴァシー事件」に端を発する一連の件は計算ずくの策謀であり、身一つでフェザーンに出頭すれば処刑ないし謀殺されてしまうと考えたのはそれほど無理はないのでは? > ちなみにラングは「もし皇帝が死んでしまったらどうなるか」という事態についてはちゃんと考慮していました。自分勝手なものではありましたが(第九巻P89下段〜P90上段)。 > > 「ロイエンタールがオーベルシュタインを過剰に意識し過ぎて判断を誤った」と言うのは確かにその通りで、阿呆と言われても仕方がないかも知れません。ですが、これまで名将の名をほしいままにし、叛乱後も自分の愚かしさを充分に承知していたロイエンタールを「ウルヴァシー事件」での判断を誤ったからといって「単なる阿呆」と斬って捨てるのもどうかと思いますね。むしろ「名将と呼ばれた人物が何故あの様な愚挙を敢えて行ったのか」というテーマを浮き彫りにするのが田中芳樹の意図した所なのではないでしょうか(不沈戦艦さんが指摘したような矛盾点も多々あるにせよ)。 上で言っている通り、「ウルヴァシー事件がオーベルシュタインの策謀である、ということはあり得ない」ので、ロイエンタールの行動はやはり不可解です。さっさとフェザーンに出頭して申し開きをする、のが当然でしょう。 |
No. 1389 | |
Re: そもそも名将の定義とは何ぞや? | |
不沈戦艦 | 2000/9/13 00:44:39 |
Merkatzさんは書きました > 不沈戦艦さんは度々、「感情的になって、理性的な判断ができなくなっていたロイエンタールは阿呆」とおっしゃっていますが、 > 不沈戦艦さんにとって名将の定義とはどんなものなのでしょうか? > 仮にそれが「感情的にならない、常に理性的判断が出来る」というものだとしたら、 > そんな定義に当てはまる名将など存在しません。 > 如何な名将といえども、人間である以上、感情からは自由でいられません。 > 名将と呼ばれる人が感情面で失敗したり、苦渋の判断を下したりするからこそ、歴史というものは彩りに満ちているわけで、 > それらを不沈戦艦さんの言うように「感情的になって、理性的な判断ができなくなっていた阿呆」と切り捨てていたら、 > 古今東西、ありとあらゆる名将は皆阿呆だということになってしまいます。 > > ロイエンタールはあれほどの名将でありながら、自虐的・破滅的で女性不信というトラウマを抱えた精神面での脆さがあったからこそ、人間臭い名将であったのであり、 > もしそれらがなかったら、機械と同じで何の面白味もないでしょう。 > 謀叛決起後の戦略について、色々穴があったことが分かったのは面白かったですが、 > 謀叛の動機について阿呆呼ばわりは違うと思います。 > > 動機については平松さんとほぼ同意見なのですが、私も若干の推測をすれば、 > ラングの存在の方がオーベルシュタインよりも大きかったと思います。 > 最初の謀叛疑惑の時、中心人物はラングでした。 > そのことはロイエンタールがラインハルトの前で釈明に及ぶとき、ラングについて言及することから、周知の事実でした。 > したがって、ロイエンタールはラングが自分に復讐しようと付け狙っていることは十分知っていました。 > この場合、オーベルシュタインという存在が、ラングに対する警戒心をいささか変質させたのではないでしょうか。 > ラングは内国安全保障局々長でありながら、軍務尚書の部下のように振る舞っていました。 > (内国安全保障局は内務省管轄) > すなわち、表面上はラングの行動はオーベルシュタインがバックアップしているかのように取れるわけです。 > そこまでいかなくとも、周りは「オーベルシュタインはラングの行動を黙認している」と認識していたわけで、 > ロイエンタールもそのように受け取っていました。 > > やがて帝都に流れた奇妙な噂(皇帝行幸の際、自分が謀叛を起こす)をキャッチしたとき、これはラングの仕業であることも見抜いていたと思います。 > この時点では、根も葉もない噂であるし、ラインハルトは招請に応じたのだから、一応ラングの策動に警戒はするにしても、謀叛は考えていなかったでしょう。 > > 致命的だったのはウルヴァシー事件です。 > ただし、ロイエンタールはすぐに謀叛を決めたわけではありません。 > なぜなら真相調査のためグリルパルツァーを派遣しています。 > もし、謀叛を起こすなら、調査などに時間を掛けるより、すぐに謀叛のための準備をした方が効率的です。 > 明らかにこの時点では謀叛の意思は固まっていないと思います。 > 決定的になったのは、ルッツ死亡・事件の真相不明とグリルパルツァーが報告したことでしょう。 > ロイエンタールはこの時、ウルヴァシー事件がラングの策謀とは考えていなかったと思います。 > むしろ、この事態を利用してラングが自分に謀叛の嫌疑を掛けることを憂慮したと思います。 > つまり、ウルヴァシー事件が偶然であれ、作為であれ、これは自分を貶める決定的な機会になってしまうということです。 > そして、一度ラングの掌中に落ちれば、どのような運命になるか分かったものではありません。 > 如何に元帥といえども、謀殺(ボルテックが変死した事も当然頭にあっただろう)の可能性すらあります。 > そしてオーベルシュタインがラングの行動を「黙認」しているという事実が、これは一筋縄ではいかない事態になったと絶望したのでしょう。 > (単にラング一人の妄動であったなら、素直に出頭していたであろう) > したがって、謀叛の嫌疑を掛けられて牢獄に繋がれるよりは、謀叛を起こしてやろうという気になったのでしょう。 > > 推測材料としては、ロイエンタールがベルゲングリューンに「(事件がラング・オーベルシュタインの策謀であることを)俺がそう思いたいのだから、そう思わせておいてくれ」と言っていることから、明らかだと思います。 > 後付けで自分を納得させている様子が分かります。 > ロイエンタールも理性では、ウルヴァシー事件は偶発ではないかと思っていたのでしょう。 > > ウルヴァシー事件がラングやオーベルシュタインの策謀だと思ったから謀叛を起こしたのではなく、その事件(偶然か故意かは分からないが)を利用して自分が貶められる事態になったから謀叛を起こした。 > 私はそう推測します。 >名将の条件 これを論じる前に、何か勘違いされていません?私は「ロイエンタールは阿呆である。以上終わり」と切り捨ててるのではありませんよ。「何でロイエンタールみたいな『名将』を、莫迦みたいな謀略(ちょっと論理的に考えればあり得ない)で使い潰すのか。この件に関しては、話を作った田中芳樹がどうしようもないほど阿呆なのか?」と言いたい訳で。「どうしても叛乱を起こさせたいにしても、もうちょっとマシな話にして欲しかった。ロイエンタールが杜撰な謀略に感情的になって乗ってしまい、結局順当に負けて死んでしまうってのはヒドイ。どうせならロイエンタールが計画的・主体的に叛乱を起こし、ラインハルトやミッターマイヤーが危機に陥るような話に出来なかったのか」という事です。何しろ、最初に銀英伝を読んだ時から、「何でこんな莫迦な謀略でロイエンタールが叛乱に走ってしまうのだ?田中芳樹は何を考えているのか?」と全く理解に苦しむストーリーだ、と思っていたもので。 さて、「名将の条件」ですが、これはなかなか難しいですね。「政治家」ではなく「将」なので、一応「戦場に出ている軍人」である必要はあるでしょう。いくら勝利を得るのに尽力したからと言って、チャーチルやルーズベルトは「将」ではありませんから。更に、どちらかと言うと、戦場で采配を振るった人物でしょうね。後方勤務ではなく。「戦場で軍を率いて戦功をあげること」が、名将の条件でしょうか。だからと言っても、十万の兵力を率いて一千の相手を全滅させても、「名将」とは言われないでしょう。結局、客観的に有利な条件でない場合に、大きな戦果をあげた場合、一般的に「名将」と呼ばれるようになる、ということではないでしょうか。例えば二倍の敵を、完膚無きまでに叩き潰した司令官、とか。そこまでいかなくても、同程度の数の相手に味方の数倍の損害を与えて勝った、とか。また、困難な状況で、相手に味方以上の被害を与えた場合、などもそう呼ばれるかも知れません。例え最終的には負けたとしても。硫黄島の栗林忠道中将などは、それに入るでしょう。 さて、「度し難いな」などと言いつつ支離滅裂な叛乱に邁進している事を自覚しながら、そのまま突き進んでしまうのでは、さすがに庇えないのではありませんか?別に追い詰められた訳でもないのに。「名将」なら、そのような判断はしないだろう、さっさとフェザーンに出頭して、皇帝の下でオーベルシュタインとラングの非を訴えるのが筋、とは思われませんかね?それを奨めたベルゲングリューンの判断の方が、理性的だしマシな選択だと思いますが。それに、ロイエンタールはかなり誇り高い男ではなかったですかね。その誇り高い男が、濡れ衣の「反逆者」の汚名を無理矢理着せられて、それに唯々諾々と従ってしまう、というのは無茶苦茶なのでは。「戦う事が誇り」ってのは、理屈になっていますか?私にはそう思えませんけど。 さて、そもそもの話なんですけど「ロイエンタールに叛乱を起こさせる」というルビンスキーと地球教の謀略、果たして実現可能なんでしょうか?と、言うのは、私が主張している通り、「ロイエンタールがフェザーンに出頭して申し開きをした場合」には、この謀略は失敗するからです。そうなれば、グリルパルツァーも野心の発揮のしようがなく、素直に「地球教の謀略臭い」という調査結果を報告せざるを得ない訳で。と、なればラインハルトも、ロイエンタールに罪があるとは思わないでしょうね。ロイエンタールがその気にならなければ、「叛乱」は発生しないんですよ。で、ルビンスキーや地球教は、何で「この謀略でロイエンタールが叛乱を起こす筈」と思いこんだんだか、訳が解りません。計画が杜撰云々言う前に、支離滅裂で成立するかどうか解らない事に資金と人的資源を投入する、ってやり口が意味不明でしょう。 |
No. 1393 | |
Re:ウルヴァシー事件あれこれ | |
平松重之 | 2000/9/13 12:23:16 |
不沈戦艦さん > ここは違うんですよねぇ〜。私が言っている事を要約すると、「オーベルシュタインは、絶対にラインハルトの命を危険に晒す訳にはいかない」と、「ルビンスキーと地球教は、ラインハルトの命を危険に晒しても構わない」ということなんですが。オーベルシュタインはラインハルトに死なれたら全てが終わってしまう(オーベルシュタイン自身も多分破滅する)が、ルビンスキーと地球教は、ウルヴァシー事件でラインハルトを殺すつもりはなくても、仮にラインハルトが死んだところで彼らの構想が全て終わってしまい、破滅することはない、ということです。そこが違うよ、と言っている訳で。オーベルシュタインは「運が悪ければ皇帝が死ぬかも知れない謀略」は行えないんです。ルビンスキーと地球教は「皇帝が死ぬかも知れない謀略でも、有効と信じるものならどんどん実行する。彼らにはラインハルトの生命を守る義務はない」ということ。立場の違いを言っている訳で、「ルビンスキーと地球教は、ウルヴァシー事件ではラインハルトを殺そうとはしていなかった」と言われても、それは反論ではありません。ルッツが死んでしまうような、明らかにラインハルトの命が危険に晒された謀略は、オーベルシュタインのものではない、ということですね。 第十巻ではオーベルシュタインはヴェルゼーデ仮皇宮にラインハルトを囮にして地球教の残党をおびき寄せる謀略を弄しています。まあ、この時点ではラインハルト自身はすでに死は免れない状態でしたが、仮皇宮にはラインハルトの死後皇帝となるアレクサンデル・ジークフリードと摂政となる皇后ヒルデガルドがいました。この二人が死んでしまえばローエングラム王朝は瓦解する事は分かりきっている事であるにも関わらずオーベルシュタインは策を実行していますけど…。これから考えれば「明らかにラインハルトの命が危険に晒された謀略は、オーベルシュタインのものではない」とは言えないのでは? 更に言えば「明らかにラインハルトの命が危険に晒された謀略は、オーベルシュタインのものではない」と主張が正しいとしても、問題なのはロイエンタールが「ウルヴァシー事件」における皇帝襲撃の詳しい事情を知りえる立場にいなかった、という事です。(九巻のP124にはロイエンタールの元にもたらされる「ウルヴァシー事件」の情報について「量的に貧弱な上、いちじるしく整合性を欠いた」と書かれています。)となれば当然「本当に皇帝は命を狙われたのか?実はオーベルシュタインないしラングが仕組んだ謀略で、皇帝が生き伸びたのは奴らの緻密な計算通りではないのか?」という疑惑が生じる余地が出来るのでは?いかにルッツが死んだとはいえ、キルヒアイスが自分の進言が一因で死んでも超然とした態度を保っているオーベルシュタインならルッツを犠牲にしてまで謀略を断行しても不自然ではない、という事なのでは? 更には「ルビンスキーと地球教は、ウルヴァシー事件でラインハルトを殺すつもりはなくても、仮にラインハルトが死んだところで彼らの構想が全て終わってしまい、破滅することはない」という主張についてですが、果たして彼らは「破滅しないで済んだ」という消極的な結果で満足するような連中ですかね?ルビンスキーはこの時点で悪性の脳腫瘍を煩っていて死が近づいているのをうすうす感じていたでしょうから、「破滅しないで済んだ」なんて事で満足出来る訳ないでしょう。あの時点で破滅しなくてもいずれは数年以内に病気で死んでしまうんですから。地球教はというと彼らの悲願は地球教の教えを基本とした祭政一致の人類社会統一国家を樹立する事でしたから、彼らにしてみればその悲願が遠のいてしまうのを「破滅しなくて済んだからいいや」で済ませられはしないでしょう。何せ彼らは狂信者なのですから。 > 上で言っている通り、「ウルヴァシー事件がオーベルシュタインの策謀である、ということはあり得ない」ので、ロイエンタールの行動ははやり不可解です。さっさとフェザーンに出頭して申し開きをする、のが当然でしょう。 この際問題なのはロイエンタールの主観でしょう。オーベルシュタインの謀略手腕に対しての過大評価・ラングの己への歪んだ憎悪に対する自覚・「ウルヴァシー事件」についての情報の不足等を総合してみれば「ウルヴァシー事件はオーベルシュタインないしラングの策謀である」という結論が生じたのはそれほど無理はないと思うのですが。 ついでに言えばオーベルシュタインがロイエンタールを失脚させようとする、というのはありえない事ではないと思います。というのもオーベルシュタインは強硬な「ナンバー2不要論者」ですから、「新領土総督」という強大な地位とそれに伴う権限(同盟の旧領の支配権及び三万隻の艦隊を擁し、しかも地位は各尚書に匹敵)を手に入れたロイエンタールを「ナンバー2」とみなし、勢力を削りにかかる事は充分にありえたのでは?そしてロイエンタールもそれは承知していたのではないでしょうか。 |
No. 1399 | |
Re: 人間としての判断と、名将としての判断の違い | |
Merkatz | 2000/9/16 20:49:49 |
>「何でこんな莫迦な謀略でロイエンタールが叛乱に走ってしまうのだ?田中芳樹は何を考えているのか?」 >と全く理解に苦しむストーリーだ、と思っていたもので。 それには異議がないんですけど、 >ロイエンタールが杜撰な謀略に感情的になって乗ってしまい、結局順当に負けて死んでしまうってのはヒドイ。 ここでしょうね。お互いの認識が違うのは。 私は「感情的になっ」たことを「ヒドイ」とは思っていないのです。 だから、 >「度し難いな」などと言いつつ支離滅裂な叛乱に邁進している事を自覚しながら、そのまま突き進んでしまうのでは、 >さすがに庇えないのではありませんか? この部分に関してのみ、庇うというよりは違和感がないということです。 名将というのは能力面での評価であり、感情面での評価ではありません。 だから短気で粗野でも名将はいます。 逆に人格的に円満=名将ではありません。 ロイエンタールがラングに対する偏見から判断を誤ったというのは、 人間らしく自然であるといいたいのです。 >別に追い詰められた訳でもないのに。「名将」なら、そのような判断はしないだろう、 >さっさとフェザーンに出頭して、皇帝の下でオーベルシュタインとラングの非を訴えるのが筋、>とは思われませんかね?それを奨めたベルゲングリューンの判断の方が、 >理性的だしマシな選択だと思いますが。 だから、名将なら感情を排して常に理性的判断が出来なければおかしいとおっしゃる不沈戦艦さんの言い様は、人間らしくなく不自然に感じるのです。 例えば、三成の弱点を知りながら友情のため西軍に与した大谷吉継は、非理性的で愚かな判断をしたから、愚将であると言えますか? 大谷吉継は理性面では東軍勝利を予想していました。にもかかわらず西軍についた。 彼の後世の評価は愚将ですか?名将ですか? ロイエンタールは将としては限りなく完璧に近いものでありながら、人間としての不完全さというアンバランスから破滅したのです。 彼の人間的部分について、名将だからこうでなければならない云々というのは筋違いというものでしょう。 >さて、そもそもの話なんですけど「ロイエンタールに叛乱を起こさせる」というルビンスキーと地球教の謀略、果たして実現可能なんでしょうか? 不自然なのはむしろこっちなんですよね。 結局、ラング、ルビンスキー、地球教の三者の思惑がみんな違うのに、表面上の手段に於いては一致していただけでしょう。 さらに前二者にとっては、実際に起こらなくても構わないわけですから。 「謀叛の嫌疑」だけでもロイエンタール失墜という目的は果たせますからね。 「ロイエンタールが叛乱を起こす筈」と思いこんでいたのは地球教だけだったんじゃないでしょうか。 ラングが居なければ、絶対にロイエンタールはこんな杜撰に謀略に引っ掛からなかったでしょうね。 >結局、客観的に有利な条件でない場合に、大きな戦果をあげた場合、一般的に「名将」と呼ばれるようになる、 >ということではないでしょうか。例えば二倍の敵を、完膚無きまでに叩き潰した司令官、とか。そこまでいかなくても、 >同程度の数の相手に味方の数倍の損害を与えて勝った、とか。また、困難な状況で、相手に味方以上の被害を与えた場合、 >などもそう呼ばれるかも知れません。例え最終的には負けたとしても。硫黄島の栗林忠道中将などは、それに入るでしょう。 改めて条件を挙げて考えると、ロイエンタールってあれだけ「帝国の双璧」だの「最も智勇のバランスがとれた将」とか持ち上げられている割には、そういう見せ場が全くありませんでしたね。(^^;; 主な戦いはシャンタウ星域の対メルカッツ戦、イゼルローンの対ヤン・ウェンリー戦、そして第2次ランテマリオの対ミッターマイヤー戦の3つですかね。 いずれも中途半端でしたね。「千日手の様相を呈した」とか「大した被害も無く全軍を戦場から撤退させた」とか必死になって名将らしいところをアピールしていましたが。 やっぱり最後ぐらい、ミッターマイヤー・ビッテンフェルト・ワーレンの3個艦隊を撃破して見せ場を作って欲しかったですね。 |
No. 1419 | |
Re: 大谷吉継とは違うでしょう | |
不沈戦艦 | 2000/9/22 00:59:27 |
Merkatzさんは書きました > >ロイエンタールが杜撰な謀略に感情的になって乗ってしまい、結局順当に負けて死んでしまうってのはヒドイ。 > > ここでしょうね。お互いの認識が違うのは。 > 私は「感情的になっ」たことを「ヒドイ」とは思っていないのです。 > だから、 > > >「度し難いな」などと言いつつ支離滅裂な叛乱に邁進している事を自覚しながら、そのまま突き進んでしまうのでは、 > >さすがに庇えないのではありませんか? > > この部分に関してのみ、庇うというよりは違和感がないということです。 > 名将というのは能力面での評価であり、感情面での評価ではありません。 > だから短気で粗野でも名将はいます。 > 逆に人格的に円満=名将ではありません。 > ロイエンタールがラングに対する偏見から判断を誤ったというのは、 > 人間らしく自然であるといいたいのです。 > > >別に追い詰められた訳でもないのに。「名将」なら、そのような判断はしないだろう、 > >さっさとフェザーンに出頭して、皇帝の下でオーベルシュタインとラングの非を訴えるのが筋、>とは思われませんかね?それを奨めたベルゲングリューンの判断の方が、 > >理性的だしマシな選択だと思いますが。 > > だから、名将なら感情を排して常に理性的判断が出来なければおかしいとおっしゃる不沈戦艦さんの言い様は、人間らしくなく不自然に感じるのです。 > 例えば、三成の弱点を知りながら友情のため西軍に与した大谷吉継は、非理性的で愚かな判断をしたから、愚将であると言えますか? > 大谷吉継は理性面では東軍勝利を予想していました。にもかかわらず西軍についた。 > 彼の後世の評価は愚将ですか?名将ですか? > 大谷吉継が評価されているのは、「石田三成への友情に殉じた」からですわな。自分の利益(家康に付けば家の滅亡はない)は抛って、友人への「義」を優先した訳ですから。さて、銀英伝の場合、ロイエンタールに「義」がありますか?何が何でも皇帝に刃向かって戦わなければならないせっぱ詰まった理由が。はっきり言って「皇帝と戦ってみたい」「自分が覇者になりたい」くらいでしょう?「私利私欲」なんですよね、ロイエンタールの心情は。私利私欲で物事を行う(しかも結果は、多大な流血ときたものでは)人は、普通はあまり高い評価はされませんわな。そういうことです。「皇帝が悪政をやっている」とかでないと、ロイエンタールの行動は正当化できないとは思いませんか?仮にロイエンタールが大義名分とした「オーベルシュタインとラングが国政を壟断している」が本当だしても、それによって大弾圧が発生して民衆が大虐殺された、とでもいうのならともかく、民の艱難辛苦が全く発生していな状況で、権力欲しさに戦乱を起こすような人間の行動は正当化できないのは当然でしょう。しかも、実質的に戦った場合の負けは解りきっており、なおかつその事態をロイエンタールの決断一つで避けることが可能(皇帝の下に出頭すればいいだけ)だとすれば、わざわざ自分が破滅する方向に突っ走っていったロイエンタールは、「名将」とは到底言えない(叛乱事件に関しては)と思いますけどね。 > ロイエンタールは将としては限りなく完璧に近いものでありながら、人間としての不完全さというアンバランスから破滅したのです。 > 彼の人間的部分について、名将だからこうでなければならない云々というのは筋違いというものでしょう。 > ちょっとその「人間としての不完全さ」は異常じゃないか?とは思いませんかね。別に私は「名将は完璧でなければならない」と言っている訳じゃないですよ。地球教とルビンスキー、ラングの謀略に対する対応が「あまりにも愚劣だ」と言っているだけで。 |
No. 1421 | |
Re:これもちょっと違う | |
不沈戦艦 | 2000/9/22 01:22:53 |
平松重之さんは書きました > 第十巻ではオーベルシュタインはヴェルゼーデ仮皇宮にラインハルトを囮にして地球教の残党をおびき寄せる謀略を弄しています。まあ、この時点ではラインハルト自身はすでに死は免れない状態でしたが、仮皇宮にはラインハルトの死後皇帝となるアレクサンデル・ジークフリードと摂政となる皇后ヒルデガルドがいました。この二人が死んでしまえばローエングラム王朝は瓦解する事は分かりきっている事であるにも関わらずオーベルシュタインは策を実行していますけど…。これから考えれば「明らかにラインハルトの命が危険に晒された謀略は、オーベルシュタインのものではない」とは言えないのでは? いついかなる場合も「明らかにラインハルトの命が危険に晒された謀略は、オーベルシュタインのものではない」なんて私は言ってませんよ。「9巻の時点では、自分の理想を実施する為に必要な、唯一絶対の君主を危険にさらすことは、オーベルシュタインにはできない」と言っているだけで。10巻の時点では、極端な事を言えばオーベルシュタインにとってはもうラインハルトは「死んだ人」な訳でしょう?世継ぎがいますから、そちらが生存していればよろしい訳で。「地球教の残党を全滅させる為なら、ラインハルトが地球教に殺されても構わない」と思っているからこそ、ああいう事をするとは思いませんか。前提条件が違いますよ。それと、警備の兵は万全に配備していますし(諸提督も揃っている)、地球教残党の戦力もたかが知れています。ウルヴァシー事件の危機的状況(四面楚歌に近い)とは比較できないと思いますね。 > 更に言えば「明らかにラインハルトの命が危険に晒された謀略は、オーベルシュタインのものではない」と主張が正しいとしても、問題なのはロイエンタールが「ウルヴァシー事件」における皇帝襲撃の詳しい事情を知りえる立場にいなかった、という事です。(九巻のP124にはロイエンタールの元にもたらされる「ウルヴァシー事件」の情報について「量的に貧弱な上、いちじるしく整合性を欠いた」と書かれています。)となれば当然「本当に皇帝は命を狙われたのか?実はオーベルシュタインないしラングが仕組んだ謀略で、皇帝が生き伸びたのは奴らの緻密な計算通りではないのか?」という疑惑が生じる余地が出来るのでは?いかにルッツが死んだとはいえ、キルヒアイスが自分の進言が一因で死んでも超然とした態度を保っているオーベルシュタインならルッツを犠牲にしてまで謀略を断行しても不自然ではない、という事なのでは? キルヒアイスについては、オーベルシュタインは、キルヒアイスを殺そうと思って結果的に死に至らしめた訳じゃないでしょう?一緒にはできませんよ。「本当に皇帝は命を狙われたのか?実はオーベルシュタインないしラングが仕組んだ謀略で、皇帝が生き伸びたのは奴らの緻密な計算通りではないのか?」と言ったって、ロイエンタールは戦場の将なのですから、「自分が現場で戦闘指揮を行ったところで、予定通り行くとは限らない。突発的な事態でガラガラ崩れることもある」という事は百も承知だと思いますが。しかも、「オーベルシュタインの謀略」だとしたら、オーベルシュタインは現場にいない状態で、フェザーンから遠隔制御せねばならんのですわな。現場で直接指揮を執ってもうまくいくとは限らないようなものを、遠隔制御で精緻に行える(ルッツは殺しても皇帝は殺さないように)と思います?そう思い込んだとしたら、ロイエンタールはやはりおかしいのでは? > 更には「ルビンスキーと地球教は、ウルヴァシー事件でラインハルトを殺すつもりはなくても、仮にラインハルトが死んだところで彼らの構想が全て終わってしまい、破滅することはない」という主張についてですが、果たして彼らは「破滅しないで済んだ」という消極的な結果で満足するような連中ですかね?ルビンスキーはこの時点で悪性の脳腫瘍を煩っていて死が近づいているのをうすうす感じていたでしょうから、「破滅しないで済んだ」なんて事で満足出来る訳ないでしょう。あの時点で破滅しなくてもいずれは数年以内に病気で死んでしまうんですから。地球教はというと彼らの悲願は地球教の教えを基本とした祭政一致の人類社会統一国家を樹立する事でしたから、彼らにしてみればその悲願が遠のいてしまうのを「破滅しなくて済んだからいいや」で済ませられはしないでしょう。何せ彼らは狂信者なのですから。 > あのー、言っている意味解っています?「破滅しないでいいや」じゃなくて、「地球教には、皇帝の命を危険にさらしても謀略を行う事に意味がある」けど、「オーベルシュタインには、9巻の時点では唯一絶対の皇帝の命を危険にさらす謀略は行えない」と言っているのですが。「狂信者」なればこそ、「皇帝は殺さずにやるのだ」と都合良く思い込んで、「皇帝の命を危険にさらす謀略」を行う事を、ためらいはしない、ということですね。逆にオーベルシュタインは絶対に行えない訳で。 > > この際問題なのはロイエンタールの主観でしょう。オーベルシュタインの謀略手腕に対しての過大評価・ラングの己への歪んだ憎悪に対する自覚・「ウルヴァシー事件」についての情報の不足等を総合してみれば「ウルヴァシー事件はオーベルシュタインないしラングの策謀である」という結論が生じたのはそれほど無理はないと思うのですが。 > ついでに言えばオーベルシュタインがロイエンタールを失脚させようとする、というのはありえない事ではないと思います。というのもオーベルシュタインは強硬な「ナンバー2不要論者」ですから、「新領土総督」という強大な地位とそれに伴う権限(同盟の旧領の支配権及び三万隻の艦隊を擁し、しかも地位は各尚書に匹敵)を手に入れたロイエンタールを「ナンバー2」とみなし、勢力を削りにかかる事は充分にありえたのでは?そしてロイエンタールもそれは承知していたのではないでしょうか。 どうにもこうにも銀英伝の登場人物(特にラインハルトの麾下の提督)は、オーベルシュタインを過大評価し過ぎだと思いますね。しかも、「戦乱が収まったら功臣は粛清される」という、中国史的な思いこみが激しいですし。「勢力を削りにかかる」となった場合、いきなり反乱者に仕立て上げるんですか?あまりに常軌を逸してませんかね。大体、オーベルシュタインは「戦乱を好む皇帝」に批判的だったのでは。何でオーベルシュタインが謀略で大乱を起こそうとする、となるのか。あまりに変なのでは。 |
No. 1423 | |
Re:地球教の事情とロイエンタールの認識 | |
平松重之 | 2000/9/22 13:42:51 |
不沈戦艦さん > いついかなる場合も「明らかにラインハルトの命が危険に晒された謀略は、オーベルシュタインのものではない」なんて私は言ってませんよ。「9巻の時点では、自分の理想を実施する為に必要な、唯一絶対の君主を危険にさらすことは、オーベルシュタインにはできない」と言っているだけで。10巻の時点では、極端な事を言えばオーベルシュタインにとってはもうラインハルトは「死んだ人」な訳でしょう?世継ぎがいますから、そちらが生存していればよろしい訳で。「地球教の残党を全滅させる為なら、ラインハルトが地球教に殺されても構わない」と思っているからこそ、ああいう事をするとは思いませんか。前提条件が違いますよ。それと、警備の兵は万全に配備していますし(諸提督も揃っている)、地球教残党の戦力もたかが知れています。ウルヴァシー事件の危機的状況(四面楚歌に近い)とは比較できないと思いますね。 自分はちゃんとラインハルト死後に帝国の支配者となるアレク大公と皇后ヒルダが仮皇宮にいる事について言及していたはずですけど?ついでに言えば大公妃アンネローゼも一緒におり、ラインハルトの親族は仮皇宮に勢ぞろいしていたのです。彼らはラインハルトの傍らにいたのですから、ラインハルトが殺される時は彼らにも危害が及びますよ。「自分の理想を実施する為に必要な、唯一絶対の君主を危険にさらすことは、オーベルシュタインにはできない」ならば、二代皇帝となるアレクサンデル・ジークフリードを危険にさらしているのはどういう訳なのでしょうか?この点から考えれば「地球教の残党を全滅させる為なら、ラインハルトが地球教に殺されても構わない」という論法は少し変なのでは? また「警備の兵は万全に配備しており、地球教残党の戦力もたかが知れている」のに、オーベルシュタインが爆殺されてしまったのは何故なのでしょうか?これから考えればラインハルト一家に害が及ぶ可能性も高かったと言えるのでは? > キルヒアイスについては、オーベルシュタインは、キルヒアイスを殺そうと思って結果的に死に至らしめた訳じゃないでしょう?一緒にはできませんよ。「本当に皇帝は命を狙われたのか?実はオーベルシュタインないしラングが仕組んだ謀略で、皇帝が生き伸びたのは奴らの緻密な計算通りではないのか?」と言ったって、ロイエンタールは戦場の将なのですから、「自分が現場で戦闘指揮を行ったところで、予定通り行くとは限らない。突発的な事態でガラガラ崩れることもある」という事は百も承知だと思いますが。しかも、「オーベルシュタインの謀略」だとしたら、オーベルシュタインは現場にいない状態で、フェザーンから遠隔制御せねばならんのですわな。現場で直接指揮を執ってもうまくいくとは限らないようなものを、遠隔制御で精緻に行える(ルッツは殺しても皇帝は殺さないように)と思います?そう思い込んだとしたら、ロイエンタールはやはりおかしいのでは? いや、別にキルヒアイスの死とルッツの死を一緒にしているつもりはありません。 ただ自分の意見が一因でキルヒアイスが死んでも冷然としているオーベルシュタインならば、自分の策で結果的にルッツが死んでも平然としているだろうという先入観がロイエンタールにはあったのではないか、と言いたかっただけなのですが。 それに謀略を考案した人間が直接現場で指揮を取るとは限らないでしょう。能力的に信頼できる部下に作戦を説明して送り込めばいい事です。送り出した後に考案者は大局的に成功した時と失敗した時の事を考えればいい訳で。 > あのー、言っている意味解っています?「破滅しないでいいや」じゃなくて、「地球教には、皇帝の命を危険にさらしても謀略を行う事に意味がある」けど、「オーベルシュタインには、9巻の時点では唯一絶対の皇帝の命を危険にさらす謀略は行えない」と言っているのですが。「狂信者」なればこそ、「皇帝は殺さずにやるのだ」と都合良く思い込んで、「皇帝の命を危険にさらす謀略」を行う事を、ためらいはしない、ということですね。逆にオーベルシュタインは絶対に行えない訳で。 ですから、あの時点でラインハルトに死なれては困るのは、オーベルシュタインも地球教もルビンスキーも同じでしょう。この辺りの認識にはいささかズレが生じていますね。地球教の実権を握っているド・ヴィリエは他の信者とは一線を画した非常に野心的な人物でしたので、ラインハルトが死んで自分の野望が潰えてしまう事を容認する事は出来なかったでしょうから、彼もラインハルトが死んでしまう様な策を弄する事はしなかったはずです。ウルヴァシーにおいての襲撃が粗雑だったのは単に現場で直接指揮していた信者がヘボかったからだと思います。あの教団、小説を読んだ限りではロクな人材がいないようでしたからね(笑)。その上内部にはささやかながら不協和音があり、一部にはラインハルト暗殺にこだわる信者もいました(第九巻P236下段)。ド・ヴィリエに皇帝を殺す気はなくとも、襲撃グループ内の近視眼な信者の中には皇帝を殺そうとした者もいて、それによりラインハルトの命が危険にさらされたとも考えられます。 > > この際問題なのはロイエンタールの主観でしょう。オーベルシュタインの謀略手腕に対しての過大評価・ラングの己への歪んだ憎悪に対する自覚・「ウルヴァシー事件」についての情報の不足等を総合してみれば「ウルヴァシー事件はオーベルシュタインないしラングの策謀である」という結論が生じたのはそれほど無理はないと思うのですが。 > > ついでに言えばオーベルシュタインがロイエンタールを失脚させようとする、というのはありえない事ではないと思います。というのもオーベルシュタインは強硬な「ナンバー2不要論者」ですから、「新領土総督」という強大な地位とそれに伴う権限(同盟の旧領の支配権及び三万隻の艦隊を擁し、しかも地位は各尚書に匹敵)を手に入れたロイエンタールを「ナンバー2」とみなし、勢力を削りにかかる事は充分にありえたのでは?そしてロイエンタールもそれは承知していたのではないでしょうか。 > > どうにもこうにも銀英伝の登場人物(特にラインハルトの麾下の提督)は、オーベルシュタインを過大評価し過ぎだと思いますね。しかも、「戦乱が収まったら功臣は粛清される」という、中国史的な思いこみが激しいですし。「勢力を削りにかかる」となった場合、いきなり反乱者に仕立て上げるんですか?あまりに常軌を逸してませんかね。大体、オーベルシュタインは「戦乱を好む皇帝」に批判的だったのでは。何でオーベルシュタインが謀略で大乱を起こそうとする、となるのか。あまりに変なのでは。 「中国史的な思いこみが激しい」のは、身も蓋もなく言ってしまえば作者の意図がキャラクターに反映しているのでしょう(笑)。まあロイエンタールは「フェザーンに出頭すれば俺は惨めにオーベルシュタインやラングごときに処断される」と思っていたので彼らに「先手を打った」つもりで挙兵したという事なのでしょう。この辺りのロイエンタールの心理や思考には確かに愚かしく、性急な点があったのは否定しませんが、ストーリー的・心理描写的にそれほど無理があったとは思えませんけどね。まあこの辺りは意見が分かれる所ではあるでしょう。どちらが正しい、とか無理に断定する必要もないと思います。 |
No. 1426 | |
Re: 大谷吉継とは違うでしょう | |
Merkatz | 2000/9/25 09:58:03 |
>大谷吉継が評価されているのは、「石田三成への友情に殉じた」からですわな。 >自分の利益(家康に付けば家の滅亡はない)は抛って、友人への「義」を優先した訳ですから。 >さて、銀英伝の場合、ロイエンタールに「義」がありますか? いえ、ですから「友情」だの「義」だのと美化しても、所詮それは感情の産物に過ぎず、合理的・理性的判断ではない。 最も理性的判断は三成を捨てて家康に付くことですから。 だから、あらゆる感情的判断を否定なさるなら、大谷吉継だって否定の対象とならなければおかしいでしょう。 >「私利私欲」なんですよね、ロイエンタールの心情は。私利私欲で物事を行う(しかも結果は、多大な流血ときたものでは)人は、 >普通はあまり高い評価はされませんわな。そういうことです。 そもそもその人の行動原理が「私利私欲」だろうが、「義」だろうが、戦場における能力とは本質的に関係ないのです。 (ですから人格的に円満=名将ではないと言いました) それは道義的に非難されているから低い評価なのであって、名将でないから低い評価をされているわけではありません。 道義的であることと、名将であることとは別です。 >「皇帝が悪政をやっている」とかでないと、ロイエンタールの行動は正当化できないとは思いませんか? 私はロイエンタールの謀叛を正当化しようとは思っていません。 繰り返しますが、動機において違和感がないということを主張しているのです。 後付けの謀叛理由が正当でないのは当然でしょう。 >しかも、実質的に戦った場合の負けは解りきっており、なおかつその事態を >ロイエンタールの決断一つで避けることが可能(皇帝の下に出頭すればいいだけ)だとすれば、 >わざわざ自分が破滅する方向に突っ走っていったロイエンタールは、「名将」とは到底言えない(叛乱事件に関しては)と思いますけどね。 私はロイエンタールが人間としての感情的判断(将としての判断ではない)をしたこと自体を悲劇と捉えています。 いつ如何なる事態でも、将としての判断だけをせよというのは不自然でおかしいと言っているのです。 人間は理性と感情の両方を持ち合わせています。 名将ならば理性だけを働かせよ、というのは思いっきり変です。 理性「だけ」で行動した名将など存在するのですか? 名将と雖も「人間」です。感情に囚われて判断を誤ることがそんなに非難されることですか? だから私は名将の定義をお聞きしたのです。 もしそれで不沈戦艦さんが「いつ如何なる時でも感情的判断をしないこと」という条件を言えば、私が反論すべきことはありませんでした。 しかし、あくまで戦場での働きによって名将を規定しました。 であるなら、人間としての感情面の動きをもって名将かどうかあれこれいうのはおかしいでしょう。 名将と雖も人間的感情によって判断を誤ることもある。それがそこまで非難されることですか?人間的感情による判断を一回でもした時点で、名将との評価は剥奪されるものなのですか? 私が何度も言っているのは動機の段階の話です。 ロイエンタール謀叛の流れにおけるごく最初の部分を違和感がないと言っているだけで、 謀叛全体を肯定しているわけではありません。 動機 ←ここをよしとしている ↓ 行動 ←ここと ↓ 結果 ←ここは名将らしくないというのは頷ける だから、行動と結果から「名将らしさが感じられない」という批判は納得できるのですが、 動機まで及んで感情的だから名将失格というのは違うだろうということです。 >ちょっとその「人間としての不完全さ」は異常じゃないか?とは思いませんかね。 >別に私は「名将は完璧でなければならない」と言っている訳じゃないですよ。 >地球教とルビンスキー、ラングの謀略に対する対応が「あまりにも愚劣だ」と言っているだけで。 その割にはロイエンタールの感情的判断をえらく非難なさっていますが・・・。 まあ天才と馬鹿は紙一重とも言いますから、私は特にロイエンタールが異常とも思いません。 それを言うならラインハルトの方こそよほど異常でしょう。 ラング達の謀略がお粗末なのは前回同意したとおりです。 |
No. 1428 | |
名将は感情的になるか | |
不沈戦艦 | 2000/9/26 22:02:19 |
Merkatzさんは書きました > いえ、ですから「友情」だの「義」だのと美化しても、所詮それは感情の産物に過ぎず、合理的・理性的判断ではない。 > 最も理性的判断は三成を捨てて家康に付くことですから。 > だから、あらゆる感情的判断を否定なさるなら、大谷吉継だって否定の対象とならなければおかしいでしょう。 > > そもそもその人の行動原理が「私利私欲」だろうが、「義」だろうが、戦場における能力とは本質的に関係ないのです。 > (ですから人格的に円満=名将ではないと言いました) > それは道義的に非難されているから低い評価なのであって、名将でないから低い評価をされているわけではありません。 > 道義的であることと、名将であることとは別です。 > > > 私はロイエンタールの謀叛を正当化しようとは思っていません。 > 繰り返しますが、動機において違和感がないということを主張しているのです。 > 後付けの謀叛理由が正当でないのは当然でしょう。 > > > 私はロイエンタールが人間としての感情的判断(将としての判断ではない)をしたこと自体を悲劇と捉えています。 > いつ如何なる事態でも、将としての判断だけをせよというのは不自然でおかしいと言っているのです。 > 人間は理性と感情の両方を持ち合わせています。 > 名将ならば理性だけを働かせよ、というのは思いっきり変です。 > 理性「だけ」で行動した名将など存在するのですか? > 名将と雖も「人間」です。感情に囚われて判断を誤ることがそんなに非難されることですか? > だから私は名将の定義をお聞きしたのです。 > もしそれで不沈戦艦さんが「いつ如何なる時でも感情的判断をしないこと」という条件を言えば、私が反論すべきことはありませんでした。 > しかし、あくまで戦場での働きによって名将を規定しました。 > であるなら、人間としての感情面の動きをもって名将かどうかあれこれいうのはおかしいでしょう。 > 名将と雖も人間的感情によって判断を誤ることもある。それがそこまで非難されることですか?人間的感情による判断を一回でもした時点で、名将との評価は剥奪されるものなのですか? > > 私が何度も言っているのは動機の段階の話です。 > ロイエンタール謀叛の流れにおけるごく最初の部分を違和感がないと言っているだけで、 > 謀叛全体を肯定しているわけではありません。 > > 動機 ←ここをよしとしている > ↓ > 行動 ←ここと > ↓ > 結果 ←ここは名将らしくないというのは頷ける > > だから、行動と結果から「名将らしさが感じられない」という批判は納得できるのですが、 > 動機まで及んで感情的だから名将失格というのは違うだろうということです。 > > > その割にはロイエンタールの感情的判断をえらく非難なさっていますが・・・。 > まあ天才と馬鹿は紙一重とも言いますから、私は特にロイエンタールが異常とも思いません。 > それを言うならラインハルトの方こそよほど異常でしょう。 > ラング達の謀略がお粗末なのは前回同意したとおりです。 「名将とはいついかなる時も感情的になってはならない」と、オーベルシュタインみたいな事を私は言いましたっけ?言ってたならごめんなさい。「ロイエンタールが感情的になって必要もない叛乱に突き進んでいったのは理解できない。これじゃ名将と言うより阿呆だ」という趣旨で言っていたつもりだったんですけど。9巻の話では、ロイエンタールのメンタリティは「キレ」てナイフを振り回す昨今の中学生と、大して変わらないようにしか思えないので。更に言うと、「ヤン憎し」でおかしくなったフォーク准将あたりと同等ではないですかな。ロイエンタールの「ラング憎し」は実害を受けそうになったからまだしも、「オーベルシュタイン憎し」はほとんど意味がありません。感情的に「いけ好かない」のはともかく、ロイエンタールに対して特に害を与えていないのに「自分に危害を加える存在に間違いない」と思いこんで、「オーベルシュタイン憎し」で凝り固まってしまった、というのは意味不明ではないでしょうか。それと、フェザーンにいるのはオーベルシュタインとラングだけではありません。皇帝と親友ミッターマイヤー、それ以外の僚友(ミュラー、ビッテンフェルトなど)たちを信頼する気にはなれなかったのか、とは思いませんか。オーベルシュタインとラングが決定的な力をもって、ロイエンタールに濡れ衣を着せる、となぜそう考えるのか。現にラングがやったそれは、一度は失敗しているのですし。猜疑心にしても、度が過ぎてますよ。「味方同士」ってこと、忘れてませんか(味方同士の抗争が大好きな中国史じゃあるまいし)? 「大谷吉継だって感情的になったじゃないか」とMerkatz氏は言ってますけど、ではその「大谷吉継は名将だ」という意見は、「受け取る側の感情的なもの」ではないのですか?「義」が全くなく、私利私欲だけで大谷吉継が挙兵したのだとしたら、今になっても低い評価しか得られなかったのではないか、と思いますが。また、オーベルシュタイン的に「感情は完全に排除すべき」という観点から見れば、「大谷吉継は、友情などというどうでもよい感情にこだわって、自分が死んだばかりか家を滅ぼして家臣を路頭に迷わせた大馬鹿者」ということになるのではありませんかね。あくまでオーベルシュタイン的観点で評価するなら、そう言っても差し支えないと思いますが。でも、私は「オーベルシュタイン的に見て」「これではロイエンタールは阿呆ではないか」と言っているんじゃないですよ。「ブチ切れた中学生並みのメンタリティで叛乱に突き進む、という話にしたのは酷い」と言っているだけで。大谷吉継は、「ブチ切れた中学生並み」の判断で石田三成に与力したのですか?そうではないでしょう。それを「同じように感情的になったのだ」と、一緒くたにしてよいものかどうか。「感情的になっている」としたって、ロイエンタールと大谷吉継とでは、レベルに差があるのではないでしょうか。 そもそも、私は「汚名を着せられたのなら、それを晴らすべき」と普通は考えるところを、「着せられた汚名を、肯定するような行動しかしなかった」という点で、9巻のロイエンタールの行動は全く評価する気にはなれません。一般的には、「汚名を着せられた」のなら、「無実を証明する」方向に努力するものではありませんか?ロイエンタールは無実を証明するどころか、「俺は元々叛乱者だったのだ。機会があったら叛乱したいと思っていた」としか言いようのない行動をとっているではありませんか。「戦う事が無実の証明」なんて、理屈になっていませんよ。支離滅裂です。また、ロイエンタールが「俺は元々叛乱者だったのだ」だったとしても、「好機を捉えて叛乱を起こす」からはほど遠い(勝てる見込みほとんどなし)で、ズルズルと状況に流されて「度し難い」などと自己評価しつつ叛乱に突き進んでいくのは理解できませんし。「好機」と言うのなら、バーミリオンでラインハルトが苦境に立たされた時の方が、よっぽど好機ですよ。 ところで、そろそろお開きにしませんかね。「ロイエンタールがここで感情的になったのは理解に苦しむ(ブチ切れた昨今の中学生並みにしか思えない。その程度のメンタリティを名将と評価できるのか?)」と考えている私と、「ロイエンタールがここで感情的になったのは理解できる(人間とは不可解なもので、そういう点もあるものだ。いかに名将とは言ってもそれはあり得る)」と考えているMerkatz氏とでは、これ以上やりあっても結論が出るとは思えませんので。 |
No. 1429 | |
皇后と皇太子の命を危険にさらしたことについて | |
不沈戦艦 | 2000/9/26 22:05:41 |
平松重之さんは書きました > > 自分はちゃんとラインハルト死後に帝国の支配者となるアレク大公と皇后ヒルダが仮皇宮にいる事について言及していたはずですけど?ついでに言えば大公妃アンネローゼも一緒におり、ラインハルトの親族は仮皇宮に勢ぞろいしていたのです。彼らはラインハルトの傍らにいたのですから、ラインハルトが殺される時は彼らにも危害が及びますよ。「自分の理想を実施する為に必要な、唯一絶対の君主を危険にさらすことは、オーベルシュタインにはできない」ならば、二代皇帝となるアレクサンデル・ジークフリードを危険にさらしているのはどういう訳なのでしょうか?この点から考えれば「地球教の残党を全滅させる為なら、ラインハルトが地球教に殺されても構わない」という論法は少し変なのでは? > また「警備の兵は万全に配備しており、地球教残党の戦力もたかが知れている」のに、オーベルシュタインが爆殺されてしまったのは何故なのでしょうか?これから考えればラインハルト一家に害が及ぶ可能性も高かったと言えるのでは? > > > いや、別にキルヒアイスの死とルッツの死を一緒にしているつもりはありません。 ただ自分の意見が一因でキルヒアイスが死んでも冷然としているオーベルシュタインならば、自分の策で結果的にルッツが死んでも平然としているだろうという先入観がロイエンタールにはあったのではないか、と言いたかっただけなのですが。 > それに謀略を考案した人間が直接現場で指揮を取るとは限らないでしょう。能力的に信頼できる部下に作戦を説明して送り込めばいい事です。送り出した後に考案者は大局的に成功した時と失敗した時の事を考えればいい訳で。 > > > ですから、あの時点でラインハルトに死なれては困るのは、オーベルシュタインも地球教もルビンスキーも同じでしょう。この辺りの認識にはいささかズレが生じていますね。地球教の実権を握っているド・ヴィリエは他の信者とは一線を画した非常に野心的な人物でしたので、ラインハルトが死んで自分の野望が潰えてしまう事を容認する事は出来なかったでしょうから、彼もラインハルトが死んでしまう様な策を弄する事はしなかったはずです。ウルヴァシーにおいての襲撃が粗雑だったのは単に現場で直接指揮していた信者がヘボかったからだと思います。あの教団、小説を読んだ限りではロクな人材がいないようでしたからね(笑)。その上内部にはささやかながら不協和音があり、一部にはラインハルト暗殺にこだわる信者もいました(第九巻P236下段)。ド・ヴィリエに皇帝を殺す気はなくとも、襲撃グループ内の近視眼な信者の中には皇帝を殺そうとした者もいて、それによりラインハルトの命が危険にさらされたとも考えられます。 > > > > この際問題なのはロイエンタールの主観でしょう。オーベルシュタインの謀略手腕に対しての過大評価・ラングの己への歪んだ憎悪に対する自覚・「ウルヴァシー事件」についての情報の不足等を総合してみれば「ウルヴァシー事件はオーベルシュタインないしラングの策謀である」という結論が生じたのはそれほど無理はないと思うのですが。 > > > ついでに言えばオーベルシュタインがロイエンタールを失脚させようとする、というのはありえない事ではないと思います。というのもオーベルシュタインは強硬な「ナンバー2不要論者」ですから、「新領土総督」という強大な地位とそれに伴う権限(同盟の旧領の支配権及び三万隻の艦隊を擁し、しかも地位は各尚書に匹敵)を手に入れたロイエンタールを「ナンバー2」とみなし、勢力を削りにかかる事は充分にありえたのでは?そしてロイエンタールもそれは承知していたのではないでしょうか。 > > > > 「中国史的な思いこみが激しい」のは、身も蓋もなく言ってしまえば作者の意図がキャラクターに反映しているのでしょう(笑)。まあロイエンタールは「フェザーンに出頭すれば俺は惨めにオーベルシュタインやラングごときに処断される」と思っていたので彼らに「先手を打った」つもりで挙兵したという事なのでしょう。この辺りのロイエンタールの心理や思考には確かに愚かしく、性急な点があったのは否定しませんが、ストーリー的・心理描写的にそれほど無理があったとは思えませんけどね。まあこの辺りは意見が分かれる所ではあるでしょう。どちらが正しい、とか無理に断定する必要もないと思います。 そういえばそうでしたね。だとすると、オーベルシュタインも抜けてますよ。でも、この場合ヒルダやアンネローゼはどうでもいいでしょう。この二人が仮に死んでしまったとしても、オーベルシュタインは困りはしません。重要なのは皇太子のみです。それに、「オーベルシュタインの思想」では、オーベルシュタイン自身も、この場合はどうでもいいのです。何が何でも生命を護らなければならない重要人物ではありませんからね。オーベルシュタインの考えでは。「オーベルシュタイン自身も命を落としてしまったではないか」という件は、どうでもいい事なんですよ。もっとも、「オーベルシュタインが死んでしまった場合」は、「オーベルシュタインの望む統治は行えないようになる」のですから、このへんのオーベルシュタインの思想は自己矛盾しているとは思いますけどね。 さて、最も重要な世継ぎの命を危険に晒したことについてですけど、これについては「いついかなる場合も、王朝を継続すべき者の命の危険に晒してはいけない」という私の意見からは、確かにずれてますわ。これは言い過ぎだったかも知れません。しかし、ウルヴァシー事件とは、危険のレベルが違うでしょう。ウルヴァシーでは皇帝の四面はみんな敵と言ってもいい状況(誰が敵か味方か解らない)で、皇帝の護りは薄く(事実殺されかけた)、しかも現場にオーベルシュタインがいない(状況を把握してすぐ対応する事ができない)、という状況です。10巻のラストでは、ミッターマイヤー以下諸提督全員揃っている仮皇宮の護りは堅く、地球教残存勢力の戦力はたかが知れており(レオポルド・シューマッハが逮捕されて告白している)、オーベルシュタイン自身も現場にいる(状況に合わせて対処できる)、という状況です。同一視はできないのではないでしょうか。それに、地球教はテロを連発して、徹底的にローエングラム王朝に敵対してくる相手です。王朝側としては、根絶することを先ず第一に考えますわな。それに対して、ロイエンタールはローエングラム王朝の敵なのですか?オーベルシュタインにとって、「絶対に許してはならない敵を、皇帝(と後継者)を若干の危険(安全度は高い)に晒しても根絶しようとする」のと「味方の重臣(場合によっては敵になる可能性はある)を陥れようとする為に、皇帝をかなり高いレベルの危険に晒す」のでは大分違うと思いますけどね。前者はやる価値がある謀略(危険なテロ集団を全滅させられる)ですけど、後者はただ危険なだけで、メリットが薄いと思われますので。ロイエンタールが素直にフェザーンに出頭して、皇帝が許したら無意味になりますので。それに、前にも言った通り、「皇帝が新領土巡幸を行ったのは、完全に皇帝の意志であり、その意志決定にオーベルシュタインの介在する余地はない」のですから、何についても「オーベルシュタインの謀略が仕掛けられている」「オーベルシュタインが実質的に皇帝をコントロールしている」と考えてしまうようなロイエンタールの疑心暗鬼(被害妄想に近いと思います)は、異常以外の何でもないですよ。 それと、Merkatz氏へと同じ繰り返しになりますけど、そもそも私は「汚名を着せられたのなら、それを晴らすべき」と普通は考えるところを、「着せられた汚名を、肯定するような行動しかしなかった」という点で、9巻のロイエンタールの行動は全く評価する気にはなれません。一般的には、「汚名を着せられた」のなら、「無実を証明する」方向に努力するものではありませんか?ロイエンタールは無実を証明するどころか、「俺は元々叛乱者だったのだ。機会があったら叛乱したいと思っていた」としか言いようのない行動をとっているではありませんか。「戦う事が無実の証明」なんて、理屈になっていませんよ。支離滅裂です。また、ロイエンタールが「俺は元々叛乱者だったのだ」だったとしても、「好機を捉えて叛乱を起こす」からはほど遠い(勝てる見込みほとんどなし)で、ズルズルと状況に流されて「度し難い」などと自己評価しつつ叛乱に突き進んでいくのは理解できませんし。「好機」と言うのなら、バーミリオンでラインハルトが苦境に立たされた時の方が、よっぽど好機ですよ。 それと、こちらももうおしまいにしませんか?同じくこれ以上やっても結論が出るとは思えませんので。 |
No. 1431 | |
Re: ひとまずまとめ | |
平松重之 | 2000/9/27 11:47:02 |
不沈戦艦さん > さて、最も重要な世継ぎの命を危険に晒したことについてですけど、これについては「いついかなる場合も、王朝を継続すべき者の命の危険に晒してはいけない」という私の意見からは、確かにずれてますわ。これは言い過ぎだったかも知れません。しかし、ウルヴァシー事件とは、危険のレベルが違うでしょう。ウルヴァシーでは皇帝の四面はみんな敵と言ってもいい状況(誰が敵か味方か解らない)で、皇帝の護りは薄く(事実殺されかけた)、しかも現場にオーベルシュタインがいない(状況を把握してすぐ対応する事ができない)、という状況です。10巻のラストでは、ミッターマイヤー以下諸提督全員揃っている仮皇宮の護りは堅く、地球教残存勢力の戦力はたかが知れており(レオポルド・シューマッハが逮捕されて告白している)、オーベルシュタイン自身も現場にいる(状況に合わせて対処できる)、という状況です。同一視はできないのではないでしょうか。それに、地球教はテロを連発して、徹底的にローエングラム王朝に敵対してくる相手です。王朝側としては、根絶することを先ず第一に考えますわな。それに対して、ロイエンタールはローエングラム王朝の敵なのですか?オーベルシュタインにとって、「絶対に許してはならない敵を、皇帝(と後継者)を若干の危険(安全度は高い)に晒しても根絶しようとする」のと「味方の重臣(場合によっては敵になる可能性はある)を陥れようとする為に、皇帝をかなり高いレベルの危険に晒す」のでは大分違うと思いますけどね。前者はやる価値がある謀略(危険なテロ集団を全滅させられる)ですけど、後者はただ危険なだけで、メリットが薄いと思われますので。ロイエンタールが素直にフェザーンに出頭して、皇帝が許したら無意味になりますので。それに、前にも言った通り、「皇帝が新領土巡幸を行ったのは、完全に皇帝の意志であり、その意志決定にオーベルシュタインの介在する余地はない」のですから、何についても「オーベルシュタインの謀略が仕掛けられている」「オーベルシュタインが実質的に皇帝をコントロールしている」と考えてしまうようなロイエンタールの疑心暗鬼(被害妄想に近いと思います)は、異常以外の何でもないですよ。 オーベルシュタインが「実質的」に皇帝をコントロールしているのではなく皇帝が無意識のうちに「結果的に」軍務尚書にコントロールされているのではないか、という疑念であればそれほど無理はないと思いますけどね。それと、ウルヴァシーにおいて皇帝がどれほど危険な状態にあったかをロイエンタールは知りえなかった事も疑念を晴らす事の出来なかった一因でしょう。このあたりの意見のくい違いはお互いの考え方・認識の違いでしょうね。 > それと、こちらももうおしまいにしませんか?同じくこれ以上やっても結論が出るとは思えませんので。 そうですね。そろそろ終わりにしておきましょう。正直な所、この議論のせいで不沈戦艦さんの諸小説の執筆スケジュールが乱れてしまっているのではないかと不安なのですが(^^;)、だとしたら申し訳ないですm(__)m。自分もうかつにも冒険風ライダーさんと不沈戦艦さんを同時に議論を交わすなどと中々に無茶をしてしまい、いささか疲れました。しばらく議論は控えたいです(^^;)。 |
No. 1432 | |
Re: 名将は感情的になるか | |
Merkatz | 2000/9/27 19:22:22 |
多分、人間に対する見方というものが、決定的に違うので確かにこれ以上論じ合うのも意味がないでしょうね。 まあ私はいろんな武将の話を聞いて、一種の諦観というかそういったものを抱いているわけです。 常に合理的判断をしていれば百戦百勝できるわけではない。運命の皮肉とか悲哀とか、そういったものを痛感させられるのです。 武田勝頼なんか好例でしょう。阿呆だ凡将だと散々な言われようですが、実際は非常な高い能力を持っている。名将と呼んでよい武将です。 だから一面的な見方で、優劣を判定するようなことはしたくないわけです。 ロイエンタールだってそれまでの人生は、内に性格破綻者としての不安定な精神を抱えながらも、智勇のバランスがとれた名将として評価されてきたわけです。 それが2度の謀叛嫌疑から内なる暗闇が刺激され前面に出て破滅へと向かった。 つまり、あえて自滅の道を選んだ。 私はそう捉えているんで、キレた中学生とは違うと思っています。 (そもそもロイエンタールの感情の動きは常識人のそれと違うのだから、常識的でないことを非難しても意味がないと思う。酷い言い方だが「キチガイはキチガイ」ということ。思考の仕方が常識人と違って当たり前なのだ。それから「戦う事が無実の証明」などとは彼は全然思っていないし、そんなこと口に出してもいません。むしろ「戦うことが破滅への道」と覚悟してやっている。そういう負の精神こそ、ロイエンタールをロイエンタールたらしめている部分であり、そこを否定することはロイエンタールの個性そのものの否定でしかないと思う) 私はポイントとして、 ・2度目の謀叛嫌疑だったこと(彼自身「2度はたくさんだ」と言い切っている。それに一度目はロイエンタールと雖も弁解をしている。) ・ラングが絡んでいたこと(私の考察ではオーベルシュタインは原因とは見なしていない) の2つを重視しています。 平松さんの議論と一部重複してたんで、混乱させてしまったかもしれません。 あと念のために繰り返しておきますが、私はロイエンタールの行動を全て評価しているわけではありません。 そこに至る心の動きを肯定しているだけです。 そこから先の部分については不沈戦艦さんの意見を肯定しています。 |
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