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銀英伝考察4
歴史を闇から揺るがした「無名の」謀略家
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No. 5935-5937
銀英伝考察4 〜歴史を闇から揺るがした「無名の」謀略家〜
冒険風ライダー 2004/09/25 16:08
 今回の銀英伝考察シリーズは、今までとは一風変わった企画で進行していきたいと思います。今回は「作品擁護」が考察のテーマです。
 実は私の銀英伝に対する評価というのは、元来それほど高いものではないんですよね。私の場合、銀英伝はアルスラーン戦記よりも後、創竜伝よりも前に読んでいたのですが、銀英伝考察1および銀英伝考察3で論じた作中キャラクターおよび作品テーマの思想的破綻に比較的早くから気づいていたので、読めば読むほど、考えれば考えるほどそれが鼻につき、一時は「あの」創竜伝よりも作品としての評価が下がったことすらあったほどです。
 まあその当時は、銀英伝とは比べ物にならない創竜伝の思想的・作品的破綻にまだ気づいておらず、創竜伝の評価も今ほどに低くはなかったという事情もあったのですが、アルスラーン戦記やマヴァール年代記のような「理想の灯を掲げつつ、現実の道を歩む」「目的達成のためならば手段を選ばない」といったスタンスに共感していた私としては、ヤンの謀略否定論に見られるような「理想を追い求めるあまり現実を無視する」姿勢が垣間見られたり、その一方ではラインハルトの「戦争狂」に象徴されるような「自分の理想を自分自身の足で踏みにじり、しかもそれに気づかない」といった支離滅裂な描写が肯定的に描かれたりした銀英伝という作品は、むしろ反発と嫌悪を覚えるものでさえあったのです。もしそのままの路線が維持され続けていたならば、私は今でも銀英伝を「創竜伝と並ぶ支離滅裂かつ愚劣極まりない駄作品」と評価してはばからなかったことでしょう。
 その私の銀英伝に対する評価が、好転とは言わないまでもある程度肯定的なものへと変化していったのは、銀英伝10巻における「オーベルシュタインの草刈り」および「ラグプール刑務所暴動事件」について考えるようになってからのことです。「オーベルシュタインの草刈り」については、銀英伝考察1でも触れたように、それがヤンの謀略否定論およびラインハルトの支離滅裂な行動に対して私が言いたかったことを全て代弁してくれたものであり、この好評価が結果的に銀英伝という作品の評価をも引き上げたのです。
 ではもうひとつの「ラグプール刑務所暴動事件」というのは一体何なのかと言うと、これは銀英伝の作中で描かれている描写そのものに意義があったのではなく、元々は私が高く評価していた「オーベルシュタインの草刈り」を結果的に頓挫させてしまった「ラグプール刑務所暴動事件」のいい加減さについて「せっかく面白いところだったのに、何でオーベルシュタインが提示する問題提起が、こんなわけの分からない事件の勃発によってウヤムヤのままに終わってしまうのだ!」と私が憤ったことに端を発するんですよね。そしてここから始まった「ラグプール刑務所暴動事件」に関する考察から、私は色々なことを発想・立案し、それが結果的に銀英伝という作品の評価を上げることにも繋がったわけです。
 今回の銀英伝考察4は、この「ラグプール刑務所暴動事件」に関する考察から広がっていった作品論となります。あまり面白みのない論になってしまうかもしれませんが、お付き合い頂ければ幸いです。
 長い前置きとなりましたが、それでは、「銀英伝考察4 〜歴史を闇から揺るがした『無名の』謀略家〜」を始めてみる事に致しましょう。




1.ラグプール刑務所暴動事件の疑問点

 今更改めて言うまでもないことかもしれませんが、「ラグプール刑務所暴動事件」とは、銀英伝10巻における「オーベルシュタインの草刈り」によって、旧同盟政府の要人達を人質としたイゼルローン共和政府に対する無血開城通告が行われた矢先に勃発した、ラグプール刑務所に収監されていた人質達による大規模な暴動事件のことを指します。そしてから自発的に宥和と対話の姿勢を引き出させることによって、たとえ一時的なものではあった、この事件は結果的に「オーベルシュタインの草刈り」を頓挫させると共に、帝国側にせよ、帝国とイゼルローン共和政府との間に対話と交渉の雰囲気が醸成されることに繋がったわけです。
 で、ここで問題となってくるのが、この「ラグプール刑務所暴動事件」を画策し、実行させた影の黒幕は一体誰なのか、ということです。銀英伝でこの手の事件が発生すると、まず真っ先に疑われる対象とされるのが、銀英伝のみならず田中作品全般で全否定的に描かれる「全ての事件を影から操る【陰謀論的テロ組織】」としての役割を担う地球教であり、実際、銀英伝の作中にもそれを匂わせる記述が存在しています↓

銀英伝10巻 P110上段〜P111上段
<このように生者と死者を確認してみると、社会的地位にともなって平均年齢も高く、暴動が自然発生する可能性はすくないように思われる。である以上、論考のおもむくところ、暴動は人為的な策謀の結果だという結論が、必然的にみちびき出されるのだった。そもそも、暴動に必要な武器が、どうやって刑務所内にもちこまれたのであろうか。
 帝国軍の高級士官たちは、ほとんど例外なく、脳裏に、地球教の名を思い浮かべた。
 この時期、帝国軍の将帥たちは、不吉な事件や報告があると、まず地球教の陰謀をうたがうのが、思考上の慣例になっていたようである。とくに重大な兇事となると、多くはその疑惑が正しかったので、彼らとしては、先入観を是正する必要を認めなかった。単なる刑事犯罪者やその集団が、地球教の名を借りて暗躍する例もしばしば見られた。もっとも、このおこがましい詐称行為には、小さからざる代償がともなった。単なる刑事犯であれば、そうならずにすんだであろうに、地球教徒と称したばかりに、射殺されたり獄死したりという悲惨な運命におちいった者が、少数ではなかったのである。何者をも恨みようがないことだが。
 ひとたび秩序が回復にむかうと、事態は加速度的にオーベルシュタイン元帥の手に把握されたが、いまひとつの重要な課題に気づいたのは、ナイトハルト・ミュラーだった。この悲劇的な暴動が、不正確にイゼルローンへ伝えられたとすれば、帝国軍が政治犯を大量に処刑した、と、誤解を招くかもしれない。せっかく皇帝が、オーベルシュタイン元帥の策謀の毒素をうすめ、名誉ある対話をおこなおうとしているのに。
 だが、するとやはり、この暴動は地球教の策謀なのであって、帝国とイゼルローン共和政府との間に信頼関係が成立することをさまたげる目的を有していたのであろうか。ミュラーは、自ら病院へ足を運び、イゼルローン要塞の関係者のリストを調査して、ムライ中将の名を発見した。だが、ムライは未だ病床で意識を回復しておらず、彼をイゼルローンとの修好に役だたせることはできなかった。混乱に秩序がとってかわると、軍務尚書の直属部隊が病因の管理および監視に乗りだし、ミュラーの「越権行為」は挫折を余儀なくされてしまうのである。>

 ……このように、銀英伝の作中記述には、かの暴動事件に直面した帝国の関係者達が、過去の地球教が犯した様々な前科の数々を論拠に「地球教犯行説」を唱える様が描かれています。銀英伝の作中人物だけでなく、読者の中にも、この記述から「ラグプール刑務所暴動事件は地球教が画策した陰謀の産物である」と考えた人は多いのではないでしょうか。
 ところが実のところ、銀英伝における「ラグプール刑務所暴動事件の【犯人に関する】記述」は、上記引用個所ひとつしか存在せず、そこですら「作中人物による推論」という形で語られているだけでしかないのです。しかも、その後の銀英伝ストーリーでは、様々なゴタゴタ騒動によって「ラグプール刑務所暴動事件」の存在そのものが何時の間にやら忘れ去られてしまい、「地球教犯行説」を裏付ける客観的な物的証拠の提示はおろか、事件の真相すらも全く明らかにされることなく終わってしまっています。
 つまり、純粋に銀英伝の作中記述だけから判断すれば、「ラグプール刑務所暴動事件」は、「オーベルシュタインの草刈り」を頓挫させるという、ストーリー的に重要な役割を担っているにもかかわらず、犯人はおろか、その真相すらも完全に闇の中であると言わざるをえないのです。

 そんなわけで、「ラグプール刑務所暴動事件」は、状況証拠的なものを集めることで真犯人や事件の真相を推察するしかないわけなのですが、しかし、それを前提に考えてみても、銀英伝の作中人物および記述が提示する「地球教犯人説」には、首を傾げたくなるような矛盾点がいくつか存在するのです。
 その第一の矛盾点は、銀英伝の作中において地球教が関わったとされる事件では、基本的に銀英伝のストーリー中で地球教幹部による密談の様子が描写されたり、きちんとした物的証拠や密告・事前情報などの類が挙がったりすることで、「これは地球教の仕業である」という事実が作中人物だけでなく読者に対しても示されるようになっているのに、「ラグプール刑務所暴動事件」にはそのような記述が全く存在しないことです。
 たとえば銀英伝6巻のキュンメル男爵によるラインハルト暗殺未遂事件や銀英伝8巻のヤン暗殺事件、それに銀英伝9巻のロイエンタール叛乱のきっかけともなった惑星ウルヴァシーでのラインハルト襲撃事件などでは、地球教が事件を画策する様子や、地球教の信徒であることを示す刺繍や教典や紋章などといった物的証拠の存在が作中で描写されています。また銀英伝10巻の柊館(シュテッヒパルム・シュロス)やヴェルゼーデ仮皇宮の襲撃事件も、作中描写の中で地球教徒やド・ヴィリエの存在などが明示されており、地球教が陰謀の首魁であったことに疑問の余地はありません。しかし、こと「ラグプール刑務所暴動事件」に関しては、そのような「地球教犯行説」を客観的に裏付ける描写が何ひとつ作中記述に存在しないわけです。
 「ラグプール刑務所暴動事件」の以前も以後も、地球教は常に余計な自己掲示欲を発揮して無為無用な証拠(上記で挙げた教典や刺繍など)を犯行現場に残してしまうことで自らの正体を相手に悟られてしまっているというのに、この事件だけは何の証拠も足跡も残すことなく完璧に遂行させた、などということがありえるのでしょうか?
 第二に、地球教が「ラグプール刑務所暴動事件」を引き起こして一体何の利益があるのか、という問題があります。仮に窮地に陥っていたイゼルローン共和政府を助けて帝国と対峙させることが目的だったのならば、かつてヤンを暗殺するに至ったその動機および行動と完全に相反していますし、逆に帝国に手を貸すつもりであったのならば、自らの手でその帝国を(たとえ一時的ではあるにせよ)窮地に陥れることになる「ラグプール刑務所暴動事件」を引き起こすなど自己破産的な矛盾もいいところです。
 それに、実は意外なことかもしれませんが、元々地球教という組織は、末端信者達はともかく、上の方は「たとえそれが独り善がりなものではあったにせよ、すくなくとも理論的にはある程度説明できる」明確な権力欲と選民思想的な考え方を持った人間達によって統率・運営されているのですから、純然たる宗教的理由から衝動的かつ発作的にテロを起こすという可能性も考えにくい話でしょう。しかも、銀英伝の後半で地球教を実質的に支配していたド・ヴィリエなどは特にその傾向が強かったのですからなおのことです。
 さらに、上記引用でミュラーが提起しているような「帝国とイゼルローン共和政府との間に信頼関係が成立することをさまたげる目的を有していた?」云々の話に至っては、イゼルローン共和政府に対する過大評価もはなはだしいと言わざるをえないでしょう。ヤン存命時でさえ、帝国とヤンファミリーとの間には絶望的なまでの政治的・軍事的格差があったというのに、そのヤンが他ならぬ地球教に暗殺され、しかも戦力的にも人口的にも激減した後のイゼルローン共和政府では、和戦いずれにせよ、如何なる意味においても到底帝国と対等には渡り合えないという「常識」の類など、年端もいかぬ子供ですら簡単に理解できる程度の話でしかありません。普通であれば「ヤン亡きイゼルローン共和政府がどう動こうが大した問題にはならない」と考えるのが自然な反応というものですし、仮にそんなシロモノに対して少しでも脅威を覚えるというのであれば、地球教はヤン暗殺時のようにとっととイゼルローン共和政府首脳部の暗殺にでも走っていることでしょう。
 「ラグプール刑務所暴動事件」では、「地球教の利益」を「自らに敵対する脅威の排除」にまで拡大解釈しても、動機面において地球教が犯行に及ばなくてはならない必然性がどこにもないのが実情なのです。

 以上のことから、「ラグプール刑務所暴動事件」の地球教犯行説には、作中記述の一貫性と動機面においてかくのごとき大きな問題が存在するため、事件の真相は全く別のところにあるのではないかという推論がここで導き出されることになるわけです。



2.「誰が一番利益を得るのか?」という視点

 では、「ラグプール刑務所暴動事件」の勃発によって、一体誰が一番大きな利益を得ることになるのでしょうか? この問題について調べてみると、誰もがマークしていなかったであろう全く意外な犯人像が浮かび上がってくるのです。
 元々、「ラグプール刑務所暴動事件」は「オーベルシュタインの草刈り」によって収監され、イゼルローン共和政府に対する無血開城要求の人質とされるはずだった政治犯達が一斉蜂起して引き起こされたものです。そして、暴動を鎮圧すべく出動した現地の帝国軍が、逃亡者を出すまいと自ら人質達を多数殺害してしまう事態に至ったことが、、結果的にオーベルシュタインの無血開城策を頓挫させることに繋がったわけです。
 これによって一番利益が得られるのは、地球教などではなく、「オーベルシュタインの草刈り」によって無血開城か人質を見殺しにするかの二者択一を迫られていたイゼルローン共和政府ではありませんか。イゼルローン共和政府側の視点で考えてみれば、それまで自分達の手枷足枷となっていた人質達が自発的に蜂起し、かつ帝国軍に多数殺害されてくれたおかげで、自らの行動の自由を確保すると共に、自ら捕縛していた人質達を自分達自身で殺害するなどという不手際を犯した帝国側を公然と、しかも道徳的に優位に立った上で攻撃することができるという強力な外交カードすら手にすることができたわけなのですから、それまで物理的にも心理的にも深刻極まりない窮地に立たされていたイゼルローン共和政府側にとって、「ラグプール刑務所暴動事件」はまさにこれ以上ないほど完璧な逆転満塁ホームランとなってくれたわけです。これから考えれば、イゼルローン共和政府こそが、動機も利益も著しく不明瞭な地球教などよりもはるかに「ラグプール刑務所暴動事件」における最大の受益者であったと評価されるべきでしょう。
 そもそも、「オーベルシュタインの草刈り」の報せを受けたイゼルローン共和政府の首脳陣達は、こんな皮肉混じりな会話すら交し合っていたくらいなのです↓

銀英伝10巻 P97下段
<「こいつはよけいなことだがな、ユリアン」
 ワルター・フォン・シェーンコップが、皮肉と慰撫の混合した音声を投げかけてきた。
「この際、悪名をこうむるのは、銀河帝国、とくに策謀を実行するオーベルシュタイン元帥と、そのやりくちを追認する皇帝ラインハルトだ。お前さんじゃない」
「わかっています。でも、納得できないのです。ハイネセンに囚われた人々を、もし見捨てたりしたら……」
 さぞ気分が悪いだろう、とユリアンは思うのだ。ふたたび発せられたシェーンコップの声は、今度はほとんど皮肉が主成分になっていた。
「だが、専制君主によって政治犯、思想犯として囚えられるのは、民主共和主義者にとっては本望じゃないのか。ことに、自由惑星同盟で高い地位についていて、市民や兵士に、民主共和政の大儀にもとづく聖戦を鼓吹したような連中はな」
 シェーンコップと同じような考えを、じつはユリアンも、一瞬いだいたことがある。>

 この会話から考えても、イゼルローン共和政府のお歴々が、「オーベルシュタインの草刈り」で人質になった政治犯に対して必ずしも無条件に好意的ではなかったことが窺えます。唯一の例外はと言えば、かつてヤンの下で参謀長を務め、ヤン暗殺後に不平分子を引き連れて下野したムライくらいしかいなかったのではないでしょうか。
 ただでさえ好意的に見ていない旧同盟の要人達が、民主共和政体を守るために戦っている(とすくなくとも首脳陣達は真剣かつ本気で考えている)イゼルローン共和政府の足を引っ張っているわけですから、イゼルローン共和政府側にしてみればこれ以上不愉快な話もなかったことでしょう。個人的には「自らの発言を守って死んでしまえ!」とでも言ってやりたかった気分だったのでしょうし、オーベルシュタインの言いなりになって素直に降伏するなど論外もいいところですが、かといって人質を見捨てるのは、彼らが考える「民主主義の基本的な精神」とやらに反するので(本当は「イゼルローン共和政府の国民」ではない旧同盟の要人達を見捨てたところで、「民主主義の基本的な精神」には全く反することがないのですが)、これもできない。イゼルローン共和政府のお歴々は、さぞかし必死になって悩み、打開策はないかと考え込んだことでしょう。
 そんな折、突然「ラグプール刑務所暴動事件」が勃発し、イゼルローン共和政府の行動を縛る手枷足枷となっていた人質達の問題は事実上完全に消え去ってしまったわけです。勃発するタイミングといい、その結果といい、「ラグプール刑務所暴動事件」はあまりにもイゼルローン共和政府にとって御都合主義的なまでに「出来過ぎた事件」なのです。
 政治的陰謀も殺人事件も、基本的には「その事件によって最も利益を得る者は誰か?」というのを考えて犯人を突き詰めていくのが常道なのですから、その論理から行けば、イゼルローン共和政府は、本来「ラグプール刑務所暴動事件」の最重要容疑者として、地球教以上に真っ先に名前が挙がらなければならない組織だったはずなのではないでしょうか?



3.仮説に立ちはだかる作中記述の壁

 ……というわけで、私としてはここで一気に結論を出してしまいたいところだったのですが、しかしながら、実は上記の仮説にも全く問題がないわけではありません。確かに動機と利益の観点から言えば、イゼルローン共和政府は地球教などよりもはるかに「ラグプール刑務所暴動事件」を引き起こす必然性が存在しますが、銀英伝の作中記述が、彼らの犯行を明確な形で否定してしまっているのです。
 たとえば、「ラグプール刑務所暴動事件」が起こった直後、オーベルシュタインの出頭命令に従い、ハイネセンへと向かうユリアン達の動向が、以下のような記述によって描かれています↓

銀英伝10巻 P111上段〜P112上段
<四月一七日。フレデリカ・G・ヤンとユリアン・ミンツを代表とするイゼルローン共和政府の幹部たちは、すでに回廊を出て、帝国軍の哨戒宙域へ進入しつつあった。
 乗艦は、革命軍旗艦たる戦艦ユリシーズ。巡航艦三隻と駆逐艦八隻が加わった小艦隊である。回廊の内部には、メルカッツ提督に指揮された主力艦隊がひそみ、不測の事態にそなえた。これはイゼルローン共和政府および革命軍としては当然の処置であり、帝国軍も回廊の外側にかなりの戦力を配しているものと予想されたが、予想は外れ、ユリシーズの前方には、無防備の星の湖がひろがっていた。
 これは、オーベルシュタインとビッテンフェルトの対立、さらにラグプール刑務所の暴動などにからんで、帝国軍の防衛体系に間隙が生じたためであったが、ユリアンたちとしては、帝国軍の内実の全てを知りようもない。アッテンボローとポプランは、艦隊主力をともなってこなかったことを後悔したし、シェーンコップは悪辣な罠の存在を懸念した。ユリアンは急いで結論を出すことを避け、前進速度を落として、情勢の把握につとめた。その結果、ラグプール刑務所に収容されていた政治犯が多数、死傷し、惑星ハイネセンは戒厳令も同様の状態にあることが判明した。
 ひとしきり討論した末、シェーンコップが提案した。
「とりあえず、イゼルローンへもどろう。このまま惑星ハイネセンへ行ったのでは、自ら求めて虎口に飛びこむようなものだ」
 選択の余地があるようには思われなかった。ユリアンは全艦に転進を命じ、指令はただちに実行されたが、巡航艦の一隻が動力部に異常を生じ、いちじるしく速度を落としてしまった。他艦からも技術士官が出動して、カレンダーが一八日に変わった直後、修理を完了した。ところがその直後である。
「俯角二四度、八時方向に敵!」
 サブ・スクリーンのひとつに、左後方から肉薄してくる帝国軍戦艦の姿が映しだされた。しかも一隻ではない。背後に光点が群がっている。大艦隊ではないが、一〇〇隻単位の部隊は、相対的に大戦力である。たちまち、敵意に満ちた警告信号が送りこまれてきた。
「停船せよ、然らざれば攻撃す」>

 この作中記述では、ユリアン達が「ラグプール刑務所暴動事件」などの顛末を全く把握することなく、帝国側の政治的混乱に右往左往する様子が描かれているのですが、これは私が主張する「ラグプール刑務所暴動事件のイゼルローン共和政府犯行説」と真っ向から対立するものです。もしあの仮説が事実なのであれば、彼らはイゼルローン要塞の中でラグプール刑務所暴動事件が勃発するのをただじっと待っていれば良かったのですし、出発を見合わせていた言い訳など、後でいくらでもでっち上げることができたはずです。
 しかも、この時イゼルローン共和政府の首脳陣達は、戦艦ユリシーズをはじめとする12隻の小艦隊でもって回廊の外に出たわけですが、様々なアクシデントに遭遇した挙句、自軍の8倍以上もの戦力を持つ帝国軍に捕捉されるという危機的な事態に直面しています。仮にラグプール刑務所暴動事件に関する帝国側の疑いの目が自分達の方へ向かないように政治的アリバイ工作か何かを演出することを目的にイゼルローン共和政府が行動していたのだとしても、ここまで危険極まりない「賭け」を行う必要があるのでしょうか? 下手をすれば、ここでイゼルローン共和政府の首脳陣達は、圧倒的な数の帝国軍に一網打尽にされ、後世の人々から笑いのネタにもされかねない「マヌケな最期」を迎える羽目になった可能性すら否定できなかったはずなのですが。
 さらに、イゼルローン共和政府の面々(特にユリアン)は、「オーベルシュタインの草刈り」に際して、自分達の圧倒的不利な状況をも全く顧みることなく、以下のような愚劣な謀略否定論を能天気にものたまっている始末なのです↓

銀英伝10巻 P100上段〜P101上段
<人間の生涯と、その無数の集積によって練りあげられた人類の歴史とが、二律背反の螺旋を、永劫の過去と未来に伸ばしている。平和を歴史上でどのように評価し、位置づけるか、その解答を求めて伸びる、永遠の螺旋。
 オーベルシュタイン元帥のような手段を用いなくては、平和と統一と秩序は確立しえないのであろうか。そう結論づけるのは、ユリアンにとっては耐えがたかった。もしそうであるとすれば、皇帝ラインハルトとヤン・ウェンリーとは、なぜ流血をくり返さなくてはならなかったのだろう。ことに、ヤン・ウェンリーは、戦争を嫌い、流血が歴史を建設的な方向へむけることがありうるか、深刻な疑問をかさねつつ、不本意に、手を汚しつづけざるをえなかった。オーベルシュタインのやりかたは、ヤンの苦悩や懐疑を超克するものだというのだろうか。そんなはずはない。そんなことがあってはならない。ユリアンはそんなことを認めるわけにはいかなかった。
 もっとも卑劣に感じられる手段が、もっとも有効に流血の量を減じえるとしたら、人はどうやって正道を求めて苦しむのか。オーベルシュタインの策謀は、成功しても、それによって人々を、すくなくとも旧同盟の市民たちを納得させることはできないだろう。
 納得できないということ。まさしく、それが問題なのだ。仮にオーベルシュタイン元帥の策謀が成功し、共和主義が独立した勢力として存続し得なくなったとき、何が宇宙に残されるのか。平和と統一? 表面的にはまさしくそうだが、その底流には憎悪と怨恨が残る。それは火山脈のように、岩盤の圧力下に呻吟しながら、いつかは爆発して、地上を溶岩で焼き尽くすだろう。岩盤の圧力が大きいほど、噴火の惨禍もまた大きいはずである。そのような結果を生じてはならず、そのためにはオーベルシュタインの策謀を排さなくてはならなかった。
 ユリアンは甘いのだろうか。甘いのかもしれない。だが、オーベルシュタイン流の辛さを受容しようとは、ユリアンは思わなかった。>

 この考え方がいかに愚劣かつ「甘ちゃん」なシロモノであるのかということについては、すでに銀英伝考察1で指摘済みなのであえて繰り返しませんが、厳然たる作中事実として、イゼルローン共和政府のお歴々は、自分達が置かれている圧倒的に不利な状況の中、さらに政治的に追い込まれる謀略を仕掛けられてさえ、このような「現実無視の奇麗事」を堂々と語ることができるという、非常にステキな謀略全否定&ヒューマニズム伝道者達の集合体なのです。そんな彼らが、「自分達に向けられている人質を自分達自身の手で抹殺し、その全責任を敵に擦りつける」などという、ある意味非常に冷酷非情なオーベルシュタイン的謀略の極致を画策・実行するなど、天地がひっくり返ってもできるはずがないではありませんか。
 この「陰謀の黒幕」とは到底思えないほどに支離滅裂な右往左往&危機的状態に陥っているイゼルローン共和政府の無様な行動は、しかし同時に、彼らの手が「ラグプール刑務所暴動事件」に関しては白いことをも雄弁に物語っています。かくしてイゼルローン共和政府をターゲットにした私の仮説は、かくのごとき作中記述の厚く高い壁によって、ひとまずは挫折を余儀なくされることになるわけです。



4.「無名の謀略家」の登場

 しかし、一旦はボツ案として捨て去られた私の仮説には、まだ起死回生の大逆転に繋がる必勝の策がひそかに残されていました。それは「ラグプール刑務所暴動事件の犯人を、イゼルローン共和政府【の外】に求める」というものです。
 これは少し考えてみれば当たり前の話だったのですが、そもそも「ラグプール刑務所暴動事件」のシナリオを描いた真の黒幕が誰であろうと、惑星ハイネセン上にてあの暴動事件を引き起こすためには、当然のことながら然るべき「実行犯」が現地に飛んだ上で、人質達を教唆し、武器を集めるなどといった、実地レベルの準備を整えさせなければなりません。そして、イゼルローン共和政府には、惑星ハイネセン、より正確には同盟領方面全域に対して、ただの一度だけ、その手の破壊工作員を大々的に、それも大量に送り込める機会が存在しえたのです。
 それはヤン暗殺後、大量の軍人および民間人が「孤児と未亡人による連合政権」ことイゼルローン共和政府の将来を見限って離脱し、帝国領となった旧同盟へと帰還していった時期です。この当時、ヤンの後を継いでイゼルローン陣営の軍事指導者となったユリアンは、皇帝ラインハルトの名代としてイゼルローン要塞を弔問したミュラーに対して、離脱者達の安全を保証してくれるように求め、ミュラーはこれを了承していますし、新領土総督となったロイエンタールも、軍関係者や旧エル・ファシル自治政府の要人達といった一部例外を除いては、離脱者達を概ね寛大に受け容れる措置を取っています。この彼らの「善意」を逆手に取り、善良な民間人に扮した「無名の」破壊工作員を離脱者の中に紛れ込ませておけば、ほとんど何の咎めも監視も受けることなく、安全確実に破壊工作員を惑星ハイネセン(というよりも帝国領内)の内部に潜入させることができるのです。
 そして、ここが一番重要なことなのですが、あれほどまでに謀略を全否定し、間違いだらけのヒューマニズム精神を何よりも重んじるほどに「重度の潔癖症」を患っているイゼルローン共和政府の首脳陣達も、この件に関してはさすがに「背に腹は変えられない」と妥協したのか、まさに私が述べた通りのやり口で旧同盟領に工作員を送り込んでいる事実が、きちんと銀英伝の作中に存在するんですよね↓

銀英伝8巻 P210下段
<ハイネセンに流入してきた「離脱者」の群の中に、善良な民間人と称するフェザーン本籍の男がいた。三〇歳前後の行動的な雰囲気と辛辣な表情をたたえた青年である。
フェザーンの誇り高き独立商人であり、故ヤン・ウェンリーの友人であったボリス・コーネフであった。彼の左右に従っているのは、事務長のマリネスクと航宙士のウィロックであった。内国安全保障局にたたかれれば、埃の二、三キロは出るであろう顔ぶれである。>

銀英伝9巻 P108上段
<イゼルローン要塞に封じこめられたユリアンたちのもとへ、貴重な情報をもたらしてくれたのは、民間の通信網の数々と、ボリス・コーネフが組織した「封鎖突破グループ」の面々だった。>

 もちろん、あの救い難いまでに謀略もテロも全否定するユリアン達イゼルローン共和政府首脳部のことですから、ボリス・コーネフら「封鎖突破グループ」を旧同盟領に送り込んだ動機は、あくまでも純然たる情報収集や密輸のみに限定されたものだったのでしょう。あの面々がボリス・コーネフをはじめとする「封鎖突破グループ」に対して、まさか帝国に対する破壊工作やテロ活動を実行するように命令するなど、ヤンが「皇帝ラインハルト万歳!」を叫び、ラインハルトが「民主主義万歳!」をがなりたてるくらいにありえないことです。
 しかし、一方の「封鎖突破グループ」、特にその頭たるボリス・コーネフの方はどうだったのでしょうか? 彼はそもそも、銀英伝の作中でもこのような人物として描写されています↓

銀英伝9巻 P108上段〜下段
<この年三一歳になるボリス・コーネフは、イゼルローン共和政府の正式な構成員ではなく、公職に就いてもいなかった。彼は生まれたときからフェザーン自治領の公民であったわけだが、その得意な政治的地位が銀河帝国の武力によって瓦解した後には、ボリス・コーネフという人物の権利を法的に保証するものは存在しなかった。
「何物にも所属しない存在」であることを、この豪胆な独立商人は、不安がるどころか楽しんですらいた。生命がけで帝国軍の封鎖網を突破し、情報を集め、物資を密輸し、それらの行為を、誰からも命令されず、自分の意思によっておこなうことに、無上の快感をおぼえていた。彼にとっては、誰かの上官や臣下として法的な地位をえるより、誰かと対等な友人であることのほうが、はるかにりっぱなことだった。ダスティ・アッテンボローが革命戦争に熱中したのと同じように、ボリス・コーネフは「自由な独立商人」の立場に固執した。すべては義務ではなく、彼がやりたいようにやればよい、というわけだが、「物質的利益よりここの利益がだいじさ」などと言うあたりに、商人というより冒険者としての資質を認める者もいる。オリビエ・ポプランに言わせると、「やつはスリルが好きなだけさ」と一刀両断になるのだが。>

 また、彼はヤンやユリアンの基本スタンスなどに対しても、以下のような非常に批判的な態度を垣間見せたりもしています↓

銀英伝7巻 P107下段〜P109下段
<「まあ、どうせ喧嘩をするなら強大な相手ほど、やりがいはあるがね。ただ、おれには多少の疑問がないでもない」
 紅茶のカップを手にしただけで、ボリス・コーネフは口はつけない。
「この際はっきりと聞いておきたいんだが、あんたは本気で皇帝ラインハルトを打倒する意思があるのか」
 ボリス・コーネフは、いまや冷笑さえ浮かべていなかった。厳格なほど真剣な表情が顔にはりついている。
「皇帝ラインハルトにはいまのところ失政はないし、器局と武力とは、全宇宙を統合するにたりるだろう。彼を打倒した後、時代がよりよいものになるという保障があるのか、ヤン?」
「ない」
 じつのところヤンはラインハルトを打倒せずに民主制を守る方策を考えつづけているのだが、そこまでは打ちあけられなかった。
「正直だな。まあそれはおくとして、いまひとつ。あんたがいかに努力したところで、ひとたび衰弱した民主共和制が健康に再生するとはかぎらない。フェザーンを巻きこんだとしても、かえって母屋をとられてしまうこともありうる。あげくにすべてがむだになるかもしれないが、それでもいいのかね」
「そうかもしれない」
 ヤンはさめきった紅茶を口にふくんだ。
「……だが、いずれ必ず枯れるからといって、種をまかずにいれば草もはえようがない。どうせ空腹になるからといって、食事をしないわけにもいかない。そうだろう、ボリス?」
 ボリス・コーネフはかるく舌打ちした。
「つまらん比喩だが正しくはあるな」
「旧銀河連邦がルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの簒奪によって滅亡して以来、アーレ・ハイネセンの出現まで二世紀を経過している。ひとたび民主共和政治の根が掘りつくされると復活までがたいへんだ。どうせ何世代もかかるものであるにせよ。つぎの世代の負担を軽くしておきたい」
「つぎの世代とは、たとえばユリアンか?」
「ユリアンもそのひとりさ、たしかに」
「ユリアンはいい素質を持っている。この何ヶ月か行動をともにして、それは充分によくわかった」
 うれしそうな表情になるヤンを、コーネフは皮肉っぽくながめやった。
「だがな、ヤン、ユリアンがいくらいい声で歌えるといっても、いまのところそれはあんたの掌のという舞台の上にかぎってのことだ。あんたもとうにご存じのことだろうがね」
 ヤンが返答したくないように見えるので、ボリス・コーネフは口をつけぬまま紅茶カップを受け皿にもどし、腕を組んだ。
「師に忠実すぎる弟子が師をしのぐことはありえない。このままの状態でいけば、ユリアンはあんたの縮小再生産品にしかなれないだろうよ。ま、それでも充分に大したものではあるが……」
 評論家さながらの言種が、ヤンはいささか気にさわった。友人の性格を充分に承知しているつもりなのだが、それでもときとして気分を害することがある。なぜならヤンの痛いところを的確につくからだ。
「ユリアンは私よりずっと素質は上なんだ。心配にはおよばないよ」
「それなら問うが、あんたはどのような師についたというんだ? いや、あんただけじゃない、皇帝ラインハルトにしてからが、自分で自分を育てたはずだ。素質はあんたより上でも、育ちようによってはあんたにおよばないことが充分にありうるさ。じつは、ちょっと気になっていることがあってな」
 紅茶の面にたしかな上半身の輪郭をうつしながら、ボリス・コーネフは指先であごをつまんだ。
 地球で入手した光ディスクを、ユリアンは自ら解析しようとはしなかった。そのまま封印してヤンのもとへとどけ、判断と分析をヤンにゆだねようとしたのだ。それは忠誠心のあらわれとしては申し分ないものだが、自分ならまず自身でディスクに目をとおしておく。そうすればディスクを失っても、彼自身が生きた資料となりえるし、情報の一定量においても上位者をしのぎ、自身の存在価値をたかめえるのに。
「ユリアンはもう少しむほん気を持つべきだ。むほん気は独立独歩の源だからな」
「いい台詞だが、彼にはそう言ってやったのかい」
「言えるか、こんなはずかしいこと」
 ボリス・コーネフが努力を約束して出ていくと、ヤンはテーブルに行儀悪く両脚を投げだし、黒ベレーを顔の上にのせた。べつにボリス・コーネフのせいではないが、すくなからぬ疲労を感じていた。だいたい、フェザーン商人との秘密の握手など、彼ではなくエル・ファシルの政府が推進すべきなのだ。>

 こういった作中記述の存在から、ボリス・コーネフという人物は、一方ではヤンやイゼルローン共和政府の協力者であると同時に、他方では彼らの中途半端な言動に対して批判的・懐疑的なスタンスで接していることが分かります。さらに、性格的には「誰からも命令されず、自分の意思によっておこなうことに、無上の快感をおぼえていた」や「誰かの上官や臣下として法的な地位をえるより、誰かと対等な友人であることのほうが、はるかにりっぱなことだった」などといった記述に見られるように、自分の行動を何者にも束縛されない「自由な独立商人」的な気風を何よりも重んじている人物でもあるのです。
 また銀英伝の作中でも、ボリス・コーネフ一派が常人離れした特異な能力を発揮しているとしか思えない描写がしばしば存在します。たとえば銀英伝8巻では、帝国側でさえ事前には掴みえなかった「アンドリュー・フォークのヤン暗殺計画」という重大情報を、ボリス・コーネフはどこからか入手してイゼルローン要塞にもたらしていましたし、その時も含めて、帝国軍の厳重な監視下にある回廊封鎖網をしばしば突破し、回廊に閉じ込められたイゼルローン共和政府の利益に大きく貢献するという偉業を成し遂げています。
 また銀英伝7巻には、ヤンがボリス・コーネフに対して、フェザーン商人達の協力を取り付けるよう協力を依頼している描写が存在するのですが……↓

銀英伝7巻 P107上段〜下段
<イゼルローン攻略準備の合間、人事の決定に先だってヤンはボリス・コーネフを招き、反帝国派のフェザーン商人がエル・ファシルの財政をひそかに援助してくれるよう、交渉と組織化を依頼していた。
「しかし、いまのところ、エル・ファシル政府がどんな約束手形を出しても不渡りの可能性が高い。おれが言うのもおかしなものだが、フェザーン人を思うように躍らせるためには、それなりに魅力的な条件を出さなくてはだめだろうよ」
 もっともらしくボリス・コーネフは言ったが、基本的には彼はヤンの依頼を受け入れていた。ただ、この男の癖で、いちおう変化球を投げかえしてみないと気がすまないのである。
「あるいは脅迫の類でもいい。帝国が全宇宙を支配したらフェザーンが困る、そういう事態になるとしたら、いやでもヤン、あんたを支持せざるをえんだろうよ」
「こういうのはどうだ? 帝国政府はフェザーン人の利潤追求の弊害にかんがみ、富の公正な配分と生産手段の独占打破とを目的として、あらゆる産業を国有化しようとしている」
「それが事実なら、たいへんなことだ。だがはたして事実かね」
「事実になるかもしれない。皇帝は富の独占を忌む。帝国の大貴族どもがいまどう報われている?」
「あんただって独占が好きとも思えないがね……」
 ほんの一瞬、コーネフは苦笑したようだ。>

 ↑これはどう読んでも「ヤンとボリス・コーネフが二人で謀議を行っている」としか解釈のしようがないでしょう。そして、謀略を好むどころか著しい嫌悪感すら示していたはずのヤンが、ボリス・コーネフに対フェザーン謀略を持ちかけていることもさることながら、そのボリス・コーネフがとにもかくにも「明らかに謀略家としての才覚を有していた(銀英伝4巻 P180)」とされるヤンと謀略話で互角に渡り合っているのです。これらのエピソードから、ボリス・コーネフが謀略・諜報活動面において、相当なまでに非凡な才能と手腕を有していたことはほぼ間違いないでしょう。


 さて、かなり迂遠な回り道をしてしまいましたが、これらの作中事実からひとつの仮説が導き出されます。それは、「オーベルシュタインの草刈り」時におけるイゼルローン共和政府首脳部の、あまりに「甘ちゃん」かつ無様で不甲斐ない対応を見るに見かねたボリス・コーネフが、イゼルローン共和政府を側面支援すべく、「ラグプール刑務所暴動事件」を「単独で」計画・実行させたというものです。
 そもそも、ボリス・コーネフは「オーベルシュタインの草刈り」当時、惑星ハイネセン上にいて仲間達と帝国軍の現状について語り合っていたのです↓

銀英伝10巻 P87下段〜P88上段
<惑星ハイネセンの首都街区の一画では、黒と銀の華麗な軍服にたくましい長身をつつんだ猛獣が、夜空にむかって怒りの咆哮を放っている。宿舎に軟禁されたフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト上級大将は、「謹慎」などという陰気な名詞を丸めて下水に流してしまい、知るかぎりの語彙と豊かな肺活量を駆使して、大きらいな軍務尚書をののしりつづけた。高い塀の外には、三個小隊の兵士が銃をかまえて警備に従事していたが、彼らが幾人かで計算しなければならないほど、ビッテンフェルトの悪口雑言は多彩だった。
 むろんハイネセンの市民も、報道管制の隙間から、事態を知っていた。あるホテルの一室で、ひとりの男が事態を論評している。
「奇妙なことになったものだ。こんな事態は、偉大なるヤン・ウェンリーも予想できなかっただろうな」
 未だに、フェザーン独立商人としての自尊心を宝物としてささげ持っているボリス・コーネフであった。部下のマリネスクが、気苦労で薄くなった頭髪をなでまわしつつ応じる。
「何にしても、帝国軍が内部対立を生じることは、イゼルローンにとっては、有利な状況ではありませんかな」
「さあ、そううまくいくかな。軍務尚書が退場してくれればいいが、そうはならんだろうし、ワーレン提督やミュラー提督は、まともな人間だから、破局を防ぐために尽力するだろうよ」
 ボリス・コーネフの観察は正しかった。このときハイネセンにミュラーとワーレンがいなかったら、帝国軍の秩序は崩壊していたにちがいない。>

 しかもボリス・コーネフ達の公的な地位は、あくまでも「フェザーン本籍の民間人」でしかなく、銀英伝8巻でロイエンタールが「イゼルローンからの離脱者」を受け入れる決断を下した際にも、何ら問題にされることなくハイネセンに流入しています。ムライを含めた旧エル・ファシル独立政府&軍関係者には、定期的に総督府に出頭する義務が課せられたり、監視がついたりして常に行動を捕捉されるようになっていたにもかかわらずです。つまり彼らは、イゼルローン共和政府の協力者でありながら、惑星ハイネセン上で誰にも束縛されることなく自由に行動することができる立場にあったわけです。敵地で謀略&諜報活動を行う環境として、これほどまでに理想的な条件というのはなかなか存在するものではないでしょう。
 また、当時の惑星ハイネセンには、「ヤン・ウェンリー」の名を借りた地下抵抗組織が40以上も存在したと推定されています(銀英伝10巻 P69)。この手の組織では、当然のことながらヤンがほとんど神のごとく崇拝のシンボルとされていたでしょうし、イゼルローン共和政府に対しても一定のシンパシイを抱いていたことでしょうから、イゼルローン共和政府の関係者が身分を明らかにして協力を呼びかければ、諸手を挙げて賛同してくれる組織も決して少なくはなかったことでしょう。現地において協力者を獲得できる可能性が極めて高い、という点においても、ボリス・コーネフ達は地球教などよりもはるかに恵まれた環境にあったのです。
 ボリス・コーネフ一派の目的や立場から言っても、状況証拠的に見ても、そしてこれまで説明してきたボリス・コーネフの性格から考えても、本来ならば彼らこそが、「ラグプール刑務所暴動事件」を画策した真の黒幕であると見做されるべきでしょう。そしてこの仮説は、銀英伝の全ての作中記述とも何ら矛盾しないばかりか、むしろ銀英伝の世界観をより強固に補完することすら可能な、最強の作品擁護論ともなりえるものなのです。



5.知る人ぞ知る、ボリス・コーネフの謀略的素質

 たとえば、銀英伝のストーリー中には、ルビンスキーとケッセルリンクが交し合っている会話として、以下のような記述が存在します↓

銀英伝3巻 P85下段〜P86下段
<「ところで、閣下、いささか細かいことで恐縮ですが、ボリス・コーネフという男のことで、ちょっとお話があるのです」
「憶えている。あの男がどうした?」
「自由惑星同盟駐在の弁務官事務所から、遠慮がちながら苦情がきております。協調性と勤勉さに欠け、何よりも致命的なまでに意欲がとぼしいとか」
「ふむ……」
「独立商人としては、そこそこの才覚があった男のようです。公務員という身分にしばりつけたのは、遊牧民に畑を耕せと命じたようなものではありませんか」
「適材適所とは思えん、というわけか」
「お気にさわったら、お許しください。閣下のこと、必ずご深慮あってのご処置とは思いますが……」
 ルビンスキーは舌先でワインをころがした。
「気を使わんでいい。たしかに、野に置いておくべき男だったかもしれんのだ。ボリス・コーネフという男はな。ただ、現在は無意味に見えても、後になって使途のでてくる駒があるものだ。預金にしても債券にしても、長期になるほど利率がよいだろう?」
「それはそうですが……」
「石油が地層に形成されてから、ものの役に立つようになるまで何億年もかかる。それに比べれば、人間は、いくら晩成でも、半世紀もたてば結果が出るものだ。あせることはない」
「何億年――ですか」
 つぶやいた若い補佐官の声に、奇妙な敗北感めいたひびきがある。器の差を思い知ったかのように、ケッセルリンクはあらためて自治領主をながめやった。>

 実のところ、銀英伝全編を見直してみても、この作中記述はその場限りの話で終わってしまっており、何か具体的な伏線とかになっているわけではありません。銀英伝全編を普通に読めば、ルビンスキーがボリス・コーネフに関してどのような構想を抱いていたにせよ、それは結局、銀英伝の作中では何ら具現化することなく終わってしまっているのは明白なのですから。銀英伝全編を閲読した後、「この会話の意味は一体何だったのだろう?」という感想を抱いた人も少なくはなかったのではないでしょうか。
 しかもよく調べてみると、実はルビンスキーがボリス・コーネフをあえて登用した理由というのも、銀英伝の作中では全く明確な形で説明されていないんですよね。作中では「ボリス・コーネフがヤンと旧知の仲だったからルビンスキーに抜擢されたのだ」という解釈が「作中人物の推測」という形で語られてはいるのですが、よくよく考えてみるとこれは非常におかしな話です。確かに厳然たる作中事実として、ボリス・コーネフはヤンと旧知の間柄ではあったでしょうが、その交流関係の実態たるや、何と「16〜7年前の昔に2〜3ヶ月の間つきあっていただけ」(銀英伝2巻 P173)という程度のシロモノでしかなかったのです。
 これでははっきり言って「ヤンと一面識もない他人」と情報量においてはほとんど大差がありませんし、そもそもヤンの方がボリス・コーネフのことを忘れ去ってしまっている可能性すらありえます。そもそも普通に考えても、「16〜7年前の昔に2〜3ヶ月の間つきあっていただけ」でそれきり音沙汰のない人間のことなど、余程記憶力に自信がある人以外はマトモに憶えているかどうかすらも疑問であると言わざるをえませんし、作中事実から見ても、ヤンはかつてエル・ファシル脱出の際に唯一自分の理解者となってくれたフレデリカでさえ、エル・ファシルの一件から再会するまで名前すら忘却していた前歴が存在するくらいなのですから、そんな曖昧な交流関係を理由にボリス・コーネフを情報工作員として抜擢するなど、常識的に考えれば狂気の沙汰としか言いようがありません。
 さらに支離滅裂なのは、ボリス・コーネフはルビンスキーの命令で同盟の弁務官事務所に赴任したにもかかわらず、その仕事の実態はと言えば、ただ単に弁務官事務所でクダを巻いて周囲に迷惑をかけるだけの「ドラ息子」を演じていただけでしかなかったことです。もし「作中人物の推測」通りに「ボリス・コーネフがヤンと旧知の仲だったからルビンスキーに抜擢されたのだ」というのであれば、すくなくともヤンを監視する、もしくは独自に接触を図るような任務が与えられるべきであり、それ関連の描写が作中で描かれていなければならないはずでしょう。それがこの惨状では、「結局ルビンスキーは一体何のためにボリス・コーネフを抜擢したのか?」という謎はますます深まるばかりです。
 しかし、ここで「ラグプール刑務所暴動事件」におけるボリス・コーネフ犯行説を当てはめてみると、本来銀英伝のストーリーとは全く絡むことのなかった、ルビンスキーのボリス・コーネフ関連における言動が非常に大きな意味を持ってくることになります。すなわち「ルビンスキーはこの時点でボリス・コーネフの謀略的才能を見抜いており、将来的な投資のために、現時点では『適材適所ではない』という批判を受けることも覚悟の上であえて登用していた」という仮説が成立するわけです。
 そして、ルビンスキーがボリス・コーネフを同盟の弁務官事務所に赴任させたその真の目的は、ヤンの動向を探らせることにあったのではなく、ボリス・コーネフにフェザーン流の謀略・外交手法を実地で学ばせ、いずれは一流のフェザーン工作員として活躍させることにこそ眼目が置かれていた、ということになるでしょう。そう考えれば、ルビンスキーの一見意味不明なボリス・コーネフ重用の理由も、全て合理的に理解することができるのです。
 また、この仮説を使えば、先に紹介したルビンスキーとケッセルリンクとの会話の意味も説明できます。すなわち、その隠された謀略的才覚を見抜き、将来的な投資を行おうとするルビンスキーと、あくまでも「現在の視点」のみでボリス・コーネフを「適材適所ではない」と主張するケッセルリンク、という構図が見えてくるわけです。これはケッセルリンクの対人観察眼が、すくなくとも現時点ではルビンスキーのそれに達していない、つまり銀英伝の中でも語られている「ケッセルリンクの素質はルビンスキーを凌駕しているかもしれないが、現時点では経験の差においてルビンスキーの方が勝っている」という作中事実を示す描写ということになるわけで、銀英伝の世界観を補完する一助として大いに貢献することにもなるでしょう。
 ボリス・コーネフが実は一流の謀略家であるという仮説は、このように銀英伝の世界観にも作中記述にも全く反することなく、銀英伝における様々な謎を解き明かす鍵として機能しうる最高の素材なのです。



6.謀略家ボリス・コーネフ、そのもうひとつの暗躍

 では、「ラグプール刑務所暴動事件」や、銀英伝の作中でも示されている封鎖突破活動以外に、謀略家ボリス・コーネフは一体どんな策謀を画策・実行に移していったのでしょうか?
 その候補として真っ先に浮上してくるのが、銀英伝9巻、宇宙暦800年9月1日に惑星ハイネセンにて勃発した「グエン・キム・ホア広場事件」です。この事件は、旧同盟政府&軍関係者による合同慰霊祭において発生した民衆の暴動に端を発し、現地の帝国軍が鎮圧活動に出て多数の民衆が犠牲となり、旧同盟市民の反帝国感情を浮き彫りにすることとなったわけですが、実はこの事件もまた、「ラグプール刑務所暴動事件」と同じく、作中では色々な「作中人物による推測」が挙げられつつも、結局犯人は最後まで不明のままに終わっています。
 この「グエン・キム・ホア広場事件」もまた、「ラグプール刑務所暴動事件」と同じ要領で検証していけば、動機&利益面においても、作中記述との整合性から考えても、地球教ではなくボリス・コーネフ一派が仕組んだものと考えた方が合理的に説明しやすいものであることが分かってくるのです。そもそもあの事件を引き起こしたハイネセンの群集は、本来地球教が敵視していたはずの民主主義とヤン・ウェンリーに対して万歳を叫んでいたのですし、あのような暴動事件が旧同盟領内で起こることは、イゼルローン共和政府の政治的利益に大いに寄与するものです。
 そして、「グエン・キム・ホア広場事件」にはさらに重大な後日談があります。それは事件後、「グエン・キム・ホア広場事件」およびそれ以降の偶発的な暴動や事故がトリューニヒトの画策によるものであると弾劾する匿名の投書が、ロイエンタールの総督府宛に届けられていることです(銀英伝9巻 P71〜P72)。これなどは、たとえどんなに利己的かつ打算的なシロモノではあったにせよ、とにもかくにも地球教が手を組んでいたはずのトリューニヒトを陥れる類のものであり、しかも後にトリューニヒトがロイエンタールに殺害された際にここまで狼狽していた地球教が画策した陰謀とは到底考えられません↓

銀英伝9巻 P236上段〜下段
<生と死、光と闇が混在する銀河系の一隅に、八〇〇年にわたって憎悪と執念をはぐくんだ人々の一団がひそんでいる。彼らは、宗教的団結心と、湿度の高い陰謀とを武器として、様々に歴史に干渉してきた。すべては母なる地球の栄光を回復するためであった。それも目的達成に近づいたかと見える昨今、あたらしい世代の指導者が生まれつつあるかとも思える。
 地球教の大主教ド・ヴィリエであった。
 まだ若い顔は、野心によって精彩をえているはずであったが、いまそれは陰惨なほど深刻な翳りにおおわれている。
 ヤン・ウェンリーとオスカー・フォン・ロイエンタールをあいついで死者の列に加えた時、彼の陰謀はことごとく成功したかに見えた。宇宙の未来は、闇の玉座に腰をすえた彼のほしいままに動かしえるかと思われた。だが、その直後、ヨブ・トリューニヒトという重大な駒を失ったことが判明し、彼を見る教団幹部たちの目に、薄い不信のもやがただよいはじめたように感じるのだ。ド・ヴィリエの教団内における地位の上昇と権限の拡大をこころよく思わない大司教のひとりが、声高に不安を口にしていた。>

 では誰がトリューニヒトを陥れるような謀略を画策するかと問われれば、それは必然的に「トリューニヒトを陥れることによって利益を得る者」ということにならざるをえないはずでしょう。そして、銀英伝9巻の時点でその条件に最も該当する者がいるとすれば、それはトリューニヒトを蛇蝎のごとく嫌っているイゼルローン共和政府こそがまさにそうなのですし、その実行犯として、当時惑星ハイネセン上にいたボリス・コーネフ一派が挙げられるべきなのです。
 しかも、ボリス・コーネフ一派がトリューニヒトを陥れようと考えるに至る動機については、銀英伝の作中にさえ、以下のような記述が存在しているのです↓

銀英伝8巻 P211上段〜P212下段
<不意に彼は口をつぐみ、ポスターの前を通過していった四、五人の灰色の男たちに視線を吸着させた。事務長が不審の視線を、見送る者と見送られる者とに交互に向ける。
「どうしたんです、船長?」
「どうしたって、お前、去年おれと一緒に地球というろくでもない惑星に行っただろうが。おれはあの顔を、陰気な地下宮殿で見たことがある。主教とか大主教とかいっていたな」
 ウィロックが黒い目を光らせた。
「だとしたら、ヤン・ウェンリーを暗殺するよう指示したのは、あの連中かもしれない」
「ふん、充分以上にありうることだ。暗殺現場にいたのは、生きた凶器どもだけだからなそれをあやつった奴らは、どこかで祝杯をあげているにちがいないさ」
 怒気を靴底にこめて、コーネフは地を蹴りつけた。
 イゼルローンに連行された三人の地球教徒は、ついに自白しなかったのだ。というより、教団の末端にいる彼らに、もともと重要な機密は教えられていなかったにちがいない。ヤン・ウェンリーは宗派の敵であったから、聖なる意思にもとづいてこれを滅ぼしたのだ、と主張し、殉教を望んでやまなかった。バグダッシュ大佐の、かなり辛辣な尋問も功を奏せず、彼らの処分をめぐってはイゼルローンの幹部たちの間で多少の論議があった。
 ヤンが死に直面したときに、ユリアンは激情を爆発させて、暗殺者たちを血の泥濘になぎ倒したのだが、あらためて死刑を宣告するとなると、決断を欠いた。処分未定のまま数日が経過するうち、三人の地球教徒はあいついで自殺をとげた。ふたりは舌を噛みきり、残るひとりは独房の壁に自らの頭部をたたきつけたのである……。
「ユリアンもな、才能は充分にあると思うんだが、万事にもうすこし横着にならなくてはいかんよ。理想と良識だけで皇帝に勝てるはずがない」
「船長の持論がでましたな。ですが、若いのによくやっていますよ。ヤン提督の偉業を継承しようと、健気なものじゃありませんか」
「いつまでもヤンを教本にしていてどうする。ヤンは死んでしまったんだぞ。ヤンの奴も奴だ。皇帝と決戦して斃れるならともかく、あんな期待はずれの死に方があるものか」
「彼に罪はない。罪は地球教徒にあります」
「わかっている、だからこうやって尾行しているんじゃないか」
 裏街にはいって、彼ら三人の尾行は二〇分間ほどもつづいた。やがて灰色の服の群は、一軒の邸宅の裏門に吸いこまれた。充分に時間を置いてから、ボリス・コーネフは高い石壁に近づいた。表札の文字を視界に走らせて、彼は低く笑った。それは「ヨブ・トリューニヒト」と記されていたのだ。かつて同盟最高評議会議長の私邸であったこの宏壮な家は、近く肩書を変えて帰宅する主人を待ちうけるような静寂さのうちにある。
「こいつは、ハイネセンでもなかなかおもしろい劇を見物できそうじゃないか。しばらく居座ってみてもいいな」>

 つまり、彼らはトリューニヒトが地球教と裏で手を組んでいる事実をその目で目撃しているのであり、さらに当然、最後の発言内容から考えても、その後も地球教およびトリューニヒトに対する尾行や追跡調査などを行っているはずなのです。そんな彼らが「グエン・キム・ホア広場事件」を企画し、その過程でトリューニヒトや地球教を陥れるべく画策したとしても何ら不思議なことではありません。
 そして、トリューニヒト弾劾の匿名の投書を受け取ったロイエンタールは、トリューニヒト憎しのあまり、実はその投書こそがトリューニヒトを陥れるための陰謀であるという可能性にまるで思い至らなかったばかりか、そんなものを根拠にトリューニヒトを呼びつけ、脅しをも含めた詰問まで行っていたわけです。全ての黒幕であるボリス・コーネフ一派にしてみれば、たかが一通の投書を送っただけでこれほどまでの効果を上げることができたわけですから、さぞかし笑いが止まらなかったことでしょう。
 謀略を確実に成功させ、しかもその存在を敵はおろか味方にすらも知られることなく完全に隠匿できるボリス・コーネフおよびその一派は、「あの」オーベルシュタインすらをも遥かに凌ぐ、銀英伝最大最強の謀略活動家であると評価されても良いのではないでしょうか。



 さて、今回の「銀英伝考察4 〜歴史を闇から揺るがした『無名の』謀略家〜」、いかがだったでしょうか?
 もちろん、今回の銀英伝考察4における「ボリス・コーネフ謀略家論」は、あくまでも私が銀英伝の作中記述と徹底的に照合しつつ、今回取り上げた銀英伝世界における矛盾や疑問点の数々を全て昇華させることを目的に作り上げた仮説であり、作者である田中芳樹が、このような設定を予め考えた上で銀英伝を執筆していたなどということは決してありえない話です。もし、今回私が作り出したような仮説を田中芳樹が考えていたのであれば、私がわざわざああまでアクロバットな作中記述解釈法を駆使せずとも、「ボリス・コーネフ謀略家論」を明確に成り立たせる直截的な作中記述ないしは作品設定が、銀英伝の中に確たる存在感をもって描かれているはずであり、また多くの読者にとってもそれは周知の事実として認識されているはずなのですし。
 まあ実のところ、今回の私の論は、実のところそれに相反する作中記述がたったひとつでも存在すれば、それでたちまちのうちに全て瓦解してしまうほどに極めて脆いシロモノでしかなく、どこかに自分でも気づいていない致命的な問題点が存在するのではないかと、私個人としては結構ビクビクものではあるのですけどね。作品擁護論は作品批判論の何倍も難しい、というのが私の持論ですし、今回はそれを承知であえて作品の擁護を目的とした論を展開しているのですから。
 それでは、この問題に関する皆様方の反応を楽しみにするとして、今回はここで筆を置きたいと思います。


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