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管理人からのメッセージ
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議論における出典提示の是非問題(3)


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No. 5225
ただの感想ですが
茨木童子 2004/02/15 22:48
初投稿です。
時々こちらを覗かせて頂いてましたが、今回のよりこさん・IKさんの
やり取りを拝見して思ったことを書かせていただきます。

極端なケースを想定して、それにどう対応するかを問うことで、
自らがその「極端なケース」になる状況というものを良く見させていただきました。
もっと簡単に言えば
「嫌なヤツの言動をシミュレートしたら、自分が嫌がられた」
ということでしょうか。

そこまで議論を突き詰めようとして、どれほどのものが得られたのか
傍から見ていても疑問でしたが、私にとっては他山の石とすることが
出来たと思います。

ともあれ、よりこさんはお疲れ様でした。


No. 5226
結局どういうこと?
RAM 2004/02/15 22:55
結局、出展が明記されていれば投稿者は曖昧な記憶に基づく
書き込みであっても批判者に「具体的部分にそって批判」しろ
と言う事は当然であると言う事ですか?

私は単に"相手に具体性を要求するなら自分も具体的なデータを出せ"
という単純な反発があっただけだと思っていたのですが…


No. 5227
個人的な判断ですが
炎山丸 2004/02/15 23:37
> 私は単に"相手に具体性を要求するなら自分も具体的なデータを出せ"
> という単純な反発があっただけだと思っていたのですが…

横から、失礼します。新参者ですが、第三者として、今回の議論に対する個人的な判断を書いてみたいと思います。

その単純な反発というものが、それを突き詰めていったときにどういったことが起こりうるのかを想定していない、(言葉を飾らずに言えば)まさしく「単純な」反発に過ぎないのではないか?というのが、IKさんの主張の要旨(私の勝手な判断ですので間違っていたら、訂正して謝罪します)で、それをめぐる議論に、よりこさんが完敗した(厳しい言い方ですが、議論系掲示板で、たかだか一、二回応酬しただけで相手を議論相手として相応しくないと宣言して、議論を一方的に放棄するなどという事をすれば、そう言われても仕方が無いと思います。)というのが、傍観していた第三者である私の個人的な判断です。


No. 5230
それで結局どうなんでしょう?
RAM 2004/02/16 00:37
炎山丸さん、どうもご回答ありがとうございます。


> 横から、失礼します。新参者ですが、第三者として、今回の議論に対する個人的な判断を書いてみたいと思います。
>
> その単純な反発というものが、それを突き詰めていったときにどういったことが起こりうるのかを想定していない、(言葉を飾らずに言えば)まさしく「単純な」反発に過ぎないのではないか?というのが、IKさんの主張の要旨(私の勝手な判断ですので間違っていたら、訂正して謝罪します)

その突き詰めた場合に意味があるのでしょうか?常識と言う言葉を客観的に証明できる術が無いから
この世には「常識」は無いとでも言うのでしょうか?

トゥルーミン・モデルを絶対視して今後の議論で「データが出て無いので議論にならない」(常識的には提示されているのに)
という常識外れの人への牽制をしたいのかも知れませんが、これまでの話の流れから行けば「曖昧な記憶に基づいた書き込みで
あっても相手にのみ具体性を要求する事は当然である」と言っているように読めます。

「"必ずしも"引用文を出す必要が無い」というだけなら、もっと有意義にどのような場合に提示の必要が
あり、どのような場合に必要ないかを論じてくれた方が嬉しかったです。私個人としては今回の場合のような
相手に具体性を求める場合には自分も具体性(引用文)を出す事が必要では無いかと考えます。


>で、それをめぐる議論に、よりこさんが完敗した(厳しい言い方ですが、議論系掲示板で、たかだか一、二回応酬しただけで相手を議論相手として相応しくないと宣言して、議論を一方的に放棄するなどという事をすれば、そう言われても仕方が無いと思います。)というのが、傍観していた第三者である私の個人的な判断です。

論理のみの遊びとしての勝ち負けなら議論を放棄したよりこさんの負けかもしれません。
しかし、私が興味があるのはこの議論の残した結論です。


私も読解に間違いがあるかもしれないですし、また、常識は人それぞれ違いますので、「曖昧な記憶に基づいた
書き込みであっても相手にのみ具体性を要求する事は当然である」がこの場での常識であるのなら、
私も考えを修正します。


No. 5231
Re:個人的な判断ですが
新参者 2004/02/16 04:07
> その単純な反発というものが、それを突き詰めていったときにどういったことが起こりうるのかを想定していない、
> (言葉を飾らずに言えば)まさしく「単純な」反発に過ぎないのではないか?というのが、
> IKさんの主張の要旨(私の勝手な判断ですので間違っていたら、訂正して謝罪します)で、
> それをめぐる議論に、よりこさんが完敗した(厳しい言い方ですが、議論系掲示板で、
> たかだか一、二回応酬しただけで相手を議論相手として相応しくないと宣言して、
> 議論を一方的に放棄するなどという事をすれば、そう言われても仕方が無いと思います。)というのが、
> 傍観していた第三者である私の個人的な判断です。

少し論説作法の話をさせてもらいます。

突き詰めるのも結構ですが、物事には「限度」があります。
議論を行う場合、まずは前提条件を設定するのが常道ですが、
その前提条件の範囲が議論の中で突き詰めて話をするときの「限度」となります。
となると前提条件が重要なわけですが、この前提条件とは議論の出題者が論じたい範囲を指定するものです。
当然その範囲というのは、議論をする世界における「常識の範囲」でなくてはなりません。

論文等に代表される公式文書では必ず前提条件が明記されています。
しかし、掲示板などでは、前提条件は暗黙のうちにあるのが常です。

例えば、この掲示板における次の前提条件は妥当であるでしょう。
<前提条件>本掲示板の利用者は田中芳樹に興味があり、田中芳樹の作品を読んだ経験がある
このページの存在意義を考えれば自明なことです。

よって、5208でIKさんが以下のように述べられていますが、
5208> 例えば「ラインハルトは美貌である」という書き込みについても、いちいち出典を明記して論じなければならない
前提条件より、本掲示板の利用者に対しては『「ラインハルトが美貌である」ことを知っている』もしくは
『「ラインハルトが美貌である」ことを調べられる』ことを期待できるため、出展を明記する必要はありません。
(この出典を必要とする状況がまるで想像できないのですが、IKさんはどの様な状況を考えられたのでしょうか。。。)

他にもいくつかありますが、よりこさんが「一般的な常識+この掲示板の常識」からなる前提条件にたって話されているのに対して、
IKさんは前提条件を無視した(レアケースを持ち出して)反論をしているわけです。
IKさんがよりこさんを論破しているようも見えるかもしれませんが、この前提条件を無視した反論は詭弁に属する論法です。
私も研究論文でこの手の反論をされることがあるのですが、正直なところ非常に疲れます(苦笑)
無論、この詭弁に対する切り返しもあるわけですが。。。


No. 5232
Re:IKさんへ
新参者 2004/02/16 04:29
> 極端な話、学会などでの公開議論で、まったくそのジャンルに通じていない第三者が参加して、
> 用語や概念の説明をいちいち求めることが適当でしょうか?
> 専門家の間では公知の文章などの引用を求めることが、適切でしょうか。
> それに応えないと、専門家は「甘ったれ」だと指弾されてしかるべきなのでしょうか?

どうやら学会についてご存知ないようなので、学会経験者として意見させてもらいます。

「公知の文章などの引用を求めること」は稀ですが、「出典を求めること」は学会において常識です。
技術研究分野では必ず既存技術を批判するのですが、その既存技術がどれだけ一般に普及しているものであろうと
出典を示し、内容を述べ、必要であれば引用するのです。
これを示さずに「私の考えを分かって下さい」というのは「甘ったれ」以外の何者でもありません。

あと、その分野に通じてない第三者が、勉強もせずに学会にやってきて用語・概念の説明を求めることは、
失礼にあたる行為です。それでも専門家は答えます。答えないと誰も自分の論説を信じてくれないですから。


No. 5233
追記
新参者 2004/02/16 04:34
この話題を見てて思い出した言葉があります。
誰の言葉だったか思い出せないのですが、

「根拠無き批判は中傷である」

だそうです


No. 5241
Re:それで結局どうなんでしょう?
炎山丸 2004/02/17 00:29
お返事、有難うございます。


> その突き詰めた場合に意味があるのでしょうか?

「突き詰める」という言葉がやや誤解を招いたかもしれませんが、ここで言っているのは、「他人に対してする要求や主張を、自分の行動や、他の状況に対して当てはめた時に、それが妥当な物であるかどうかを考慮していない、平たく言えばダブスタなのではないか?」という意味であって、「物事はどこまでも突き詰めて考えなければならない」という意味ではありません。
 なお、上記の主張は、IKさんの主張を、私が「解釈」したものであって、私の主張そのものではないことを付け加えておきます。(ただし、「だから私に文責は無い」などというつもりはありませんし、少なくともよりこさんの主張よりは「支持」はしています。)
 私が、よりこさんが完敗したと言ったのは、

> 議論系掲示板で、たかだか一、二回応酬しただけで相手を議論相
> 手として相応しくないと宣言して、議論を一方的に放棄するなど
> という事をする、

という議論の態度に由来するものであって、主張の内容に由来するものではありません。私は、通常の議論に対しては、どっちが勝ったとか負けたとか言う言い方を好みません(勝ち負けを決めるためにやっているわけではないだろうし)。ただし、今回のよりこさんの行為は、大げさに言えば、議論に対する冒涜、破壊行為であると判断した為、あえて、僭越ながら、「採点」させてもらったしだいです。


>常識と言う言葉を客観的に証明できる術が無いから
> この世には「常識」は無いとでも言うのでしょうか?

私個人の考えとしては、この世に「常識」が無いとは思いませんが、便宜的なものであって、絶対的なものではないと思っています。


>しかし、私が興味があるのはこの議論の残した結論です。

今回の議論に関しては、(よりこさんの議論放棄によって)物別れに終わったわけですから、結論など存在しないのではないでしょうか。
なお、よりこさんの主張そのものに対する私の私見は、國臣さんの主張にまで遡らなければいけないので、また、後日、改めて投稿します。


No. 5272
Re:それで結局どうなんでしょう?
RAM 2004/02/19 00:25
炎山丸さん、返事が遅くなりすみませんでした。


> 今回の議論に関しては、(よりこさんの議論放棄によって)物別れに終わったわけですから、
> 結論など存在しないのではないでしょうか。
言葉の選択が間違っておりました。結論と言うよりも結果です。お二人が同意しようがしまいが、
傍から読んでいて読み取れる内容です。大本からの話の流れを追うと

「曖昧な記憶に基づいた書き込みであっても相手にのみ具体性を要求する事は当然である」

と私には読み取れてしまいます。こういう流れに持っていくのは双方もしくはどちらかの意図
ですか?私の誤読ですか?私の邪推ですか?が私の疑問点です。

そしてもう一点は、「曖昧な記憶に基づいた書き込みであっても相手にのみ具体性を要求する事は
当然である」という事はこの場で多くの人が認めている行為ですか?という事です。もし、
そうであるならば今後私が議論に参加する場合はそれを有効に活用させて貰おうと思います。


> なお、よりこさんの主張そのものに対する私の私見は、國臣さんの主張にまで遡らなければ
> いけないので、また、後日、改めて投稿します。

炎山丸さん自身のご意見を楽しみにしております。

以上が私の本題で以下は少し思った事を。


> 「突き詰める」という言葉がやや誤解を招いたかもしれませんが、ここで言っているのは、
> 「他人に対してする要求や主張を、自分の行動や、他の状況に対して当てはめた時に、それが
> 妥当な物であるかどうかを考慮していない、平たく言えばダブスタなのではないか?」という
> 意味であって、「物事はどこまでも突き詰めて考えなければならない」という意味ではありま
> せん。

よりこさんの意見ではどんな場合でも引用を行わなければならないとは言っていない様に
読めました。(引用文を出さない事の批判色が強いので引用文を出さなくても良い(場合がある)
とも書いてはいないと思います。)
ですが、よりこさん自身の投稿でトゥールミン・モデルについての引用文を出していないから
ダブスタであると言うのであれば一応の理解は出来ます。(引用文を出すべき場合と出さなく
ても良い場合が述べられていないので誤解を招きやすいと思います。)
しかし、程度の幅をもって判断という行為をAに対してとBに対しての結論が違うからダブスタだと
言うのであれば、裁量の幅を持つ法律はダブスタだらけということになると思います。


> なお、上記の主張は、IKさんの主張を、私が「解釈」したものであって、私の主張そのもので
> はないことを付け加えておきます。(ただし、「だから私に文責は無い」などというつもりは
> ありませんし、少なくともよりこさんの主張よりは「支持」はしています。)
> 私が、よりこさんが完敗したと言ったのは、
>議論系掲示板で、たかだか一、二回応酬しただけで相手を議論相>手として相応しくないと宣言
> して、議論を一方的に放棄するなど>という事をす
> る、という議論の態度に由来するものであって、主張の内容に由来するものではありません。
> 私は、通常の議論に対しては、どっちが勝ったとか負けたとか言う言い方を好みません(勝ち
> 負けを決めるためにやっているわけではないだろうし)。ただし、今回のよりこさんの行為は、
> 大げさに言えば、議論に対する冒涜、破壊行為であると判断した為、あえて、僭越ながら、
> 「採点」させてもらったしだいです。

別によりこさんの負け自体に拘っている訳ではないので、この議論をもって勝敗を覆そうとは
思っていません。ただこういう形でよりこさんが議論を引いてしまった為、私には上記の
ように読めてしまったので質問をしている次第です。


> 私個人の考えとしては、この世に「常識」が無いとは思いませんが、便宜的なものであって、
> 絶対的なものではないと思っています。
私も「常識」が絶対とは思っていません。
常識云々を持ち出したのは、IKさんの論が詭弁じみている事を言いたかった為です。
それはIKさん自身が自分の投稿を「正直、いちゃもんと言われても仕方がないようなやり方で
はありました」と言っている事からも半ば以上自覚しての行為だと思っています。


引用、出典の個人的意見を最後に述べておきます。
データや理論の根拠を示すために最低限、出典を明記していれば十分であり、引用は絶対だとは
考えておりません。それは論文や評論を読んだ際に出典は必ず明記されていますが、全てに引用
がされている訳では無い事からも分かります。それは出典を示す事で理論やデータが確からしい
事を担保されているからです。しかし、データが「不正確」である事が分かるなら議論相手は正確さを
要求する事は出来ると考えます。つまり、議論相手は引用文を要求でき発表者はそれに答える事が
義務であると考えます。

今回は自らのデータの正確性を保証する義務を果たさないのに、相手には正確性を要求する
「他人に対してする要求や主張を、自分の行動や、他の状況に対して当てはめた時に、それが
妥当な物であるかどうかを考慮していない、平たく言えばダブスタなのではないか?」という引用の
問題よりも心持ちの問題であると思ってます。


No. 5273
Re:個人的な判断ですが
新参者 2004/02/19 00:35
炎山丸さん、こんにちは。
長文になってしまいましたが、ご一読して頂ければ幸いです。
また、炎山丸さんが5243に書かれたものとは順不同となりますが、ご了承ください

まずは、炎山丸さんの見解と私の見解の違いについてです。


> ただ、RAMさんへの回答でも書いたのですが、私がよりこさんの完敗だと言ったのは、
> 「議論系掲示板で、たかだか一、二回応酬しただけで相手を議論相手として相応しくないと宣言して、
> 議論を一方的に放棄する」と言うよりこさんの議論態度によるものであって、主張の内容によるものではないので、
> 上記の私の主張が間違っていたとしても、よりこさんの完敗であるという見解を変えるつもりはありません。

私も、議論態度だけを見ればよりこさんに非があると思っております。
しかし、議論内容だけを見ればIKさんに非があると思います。
それゆえに、5227の炎山丸さんのご意見に、違う観点から見た判断として、5231を書き込ませて頂いた次第です。
もし勝敗をつけるとして、その判断材料としての価値が「態度>>内容」であれば、よりこさんの完敗であるでしょう。
しかし、私はそうは考えていません。
もっとも、『「炎山丸さんの見解」と「私の見解」はどちらがより良いか?』という問題は個人の価値観に拠るところが大きいため、
結論が出ないものと思います。ですから、この論点について争うつもりはありません。
ちなみに、私は炎山丸さんの見解にも一理あると考えております。

次は、勝手ながらご意見を3つに分けさせていただきました。
それぞれ、反論1・反論2・反論3とさせて頂きます。


>> <前提条件>本掲示板の利用者は田中芳樹に興味があり、田中芳樹の作品を読んだ経験がある
>> 前提条件より、本掲示板の利用者に対しては『「ラインハルトが美貌である」ことを知っている』もしくは
>> 『「ラインハルトが美貌である」ことを調べられる』ことを期待できるため、出展を明記する必要はありません。
(反論1)
> これはどうでしょうか?確かにこの掲示板に投稿なさる方の大多数は、この条件に当てはまるでしょうけど、
> そうでない方も中にはいらっしゃいます
> (田中芳樹に限らず、「フィクション作家」の、作品中での言動を批判する事に疑問がある方とか)。
(反論2)
> また、田中作品は読んだことがあっても、銀英伝だけとかアルスラーンだけとか言った方は、それ以上に多い筈です
> (この掲示板を飛び出していった某元常連の方も、最初は、銀英伝しか読んでいなかった様ですし)。
(反論3)
> 大体、田中作品を全部網羅していると言う方だって、現在も本が手元にあるとは限らない訳で(私がそうです)、
> そういった方々にも配慮することを考えれば、(よりこさんの主張に従えば)、
> 出展を明記しなければならないと言う事になるのではないでしょうか。

反論1についてですが、前提条件は「大多数」が当てはまれば十分である考えます。
そもそも、自然に集まる人すべてに当てはまる完全なモデル(条件)は存在しません。だからこそ前提条件が必要なのです。
さて、本質的な問題は「条件が完全であるかどうか?」なく「この掲示板における暗黙の前提条件は何か?」です。
私の本掲示板への解釈が間違ってなければ、本掲示板では<前提条件>に当てはまる人を対象に書き込みされています。
# 銀河英雄伝説=銀英伝、アルスラーン戦記=アルスラーンと略すのも田中作品を知っている人を対象にしているからでしょう。

反論2についてですが、この内容は
『銀英伝を読んだことのない人に対しては、「ラインハルトが美貌である」ということの出典を必要とする』
であると私は解釈しました。
これについては私なりに考えまして「出典が必要な場合もある」という結論に達しました。
(Case1)銀英伝とは関係ない話題の中では「ラインハルト(銀英伝)は美貌である」と出典が必要。
(Case2)銀英伝についての話題の中では出典は必要ない。
これは(Case1)程度の情報があれば「調べることが可能」と判断したからです。

反論3についてですが「田中作品を全部網羅している」方の中で「ラインハルトが美貌である」ことを知らない方が
どれ程いらっしゃるのでしょうか?
これは<前提条件>に当てはまらない方々よりも、よりレアケースであると思います。

最後に、IKさんの論説を詭弁とした所以です。


> 新参者さんの言う所の「論説作法」と言うのは、限りある時間の中で、議論を徒に拡散させない、
> 議論の効率化を図る為の手法、と言うような物ではありませんか?
> だとすれば、それは、「議論の効率化」という目的の為に存在する下位のルールに過ぎず、
> それに依拠して、IKさんの反論を、詭弁だと主張するのは無理があると思いますが。

前提条件の存在意義は、議論を拡散させないこともありますが、それと同時に「議論を単純化する」という意義もあります。
先にも述べましたが、自然に集まるすべての人に当てはまる完全なモデルは存在しません。
ですから、すべての人を対象に議論することは、人の知能には複雑すぎる作業なのです。
そこで、前提条件を設けて議論を単純化するのです。
この前提条件を逸脱して議論することは、議論をより複雑にすることになります。
そして、複雑になればなるほど否定者にとって有利な議論にになります。(否定的なレアケースを持ち出すだけで主張を否定できるから)

さて、ここからは何故にIKさんの論説を詭弁としたかの理由です。

まず5177において、よりこさんが「出典を明記しなければならない」とした理由です。
5177> この「田中芳樹を撃つ!」のサイトの閲覧者が皆、國臣さんの批判の基盤となる『データ』(「中国武将列伝」のあとがき)に通曉しているわけでもありません。
5177> 仮に通曉していたとしても、慎重で良識のある人なら「國臣さんの批判はこの文章が基盤だろう」と勝手な思い込みの上で賛同なり反論なりなどまずしません。
ここから、(条件1)が推測されます。
(条件1)批判の対象が「あとがき」等の(普通の人が通暁できない)文章であった場合。

また、本掲示板が議論を目的とした掲示板であるため、次の条件は暗黙としてあるものと考えられます。
(条件2)本掲示板の利用者は建設的な議論を望んでいる。

これに対してのIKさんの反論です(5208から引用)
5208> あらゆる言葉、概念に厳密な定義を要求し、引用の拡大を求め、議論の霍乱、端的に言えば「嫌がらせ」をすることも、
これは(条件2)から逸脱した状況です。
また上でも挙げた例ですが、
5208> 例えば「ラインハルトは美貌である」という書き込みについても、いちいち出典を明記して論じなければならない
これは(条件1)に合致しません。

以上の例において、IKさんは、よりこさんの主張の範囲外の例を持ち出して、よりこさんの主張を否定しようとしているのです。
これがIKさんの論説を詭弁とした所以です。

[余談]
今回と同じ種類の詭弁。題目「交通整理の信号に従うべきかどうか?」
A「移動している全員が、快適・安全に移動するため、信号に従うべきべきだ」
B「命の危険が迫っている場合、信号など守っていられないので、Aの主張(従うべき)は間違っている」


No. 5274
Re:それで結局どうなんでしょう?
川上 2004/02/19 21:08
> そしてもう一点は、「曖昧な記憶に基づいた書き込みであっても相手にのみ具体性を要求する事は
> 当然である」という事はこの場で多くの人が認めている行為ですか?という事です。もし、
> そうであるならば今後私が議論に参加する場合はそれを有効に活用させて貰おうと思います。

そういう事を一部の人に聞かれても…
掲示板の方針・やりかたで確実なのは管理人さんの明言だけで、あとはそのつどすり合わせてやっていくしかないのではと思います。


> 引用、出典の個人的意見を最後に述べておきます。
> データや理論の根拠を示すために最低限、出典を明記していれば十分であり、引用は絶対だとは
> 考えておりません。それは論文や評論を読んだ際に出典は必ず明記されていますが、全てに引用
> がされている訳では無い事からも分かります。それは出典を示す事で理論やデータが確からしい
> 事を担保されているからです。しかし、データが「不正確」である事が分かるなら議論相手は正確さを
> 要求する事は出来ると考えます。つまり、議論相手は引用文を要求でき発表者はそれに答える事が
> 義務であると考えます。

同意です。
あと、最初のカキコがどうあれ、引用の解釈等に反論するならば、反論に引用は必要でしょうね。「ここはこう言ってるから〜だ」「いや、そんな事言ってないじゃないか」だけでは議論ではなくただの言い争いですから。
もちろん、そう言った反論に再反論する際は、RAMさんのおっしゃるように引用などで根拠示せなければ、最初のカキコ・主張自体、信頼をされなくてもしょうがないでしょうね。


> 今回は自らのデータの正確性を保証する義務を果たさないのに、相手には正確性を要求する
> 「他人に対してする要求や主張を、自分の行動や、他の状況に対して当てはめた時に、それが
> 妥当な物であるかどうかを考慮していない、平たく言えばダブスタなのではないか?」という引用の
> 問題よりも心持ちの問題であると思ってます。

ですね。よりこさんの意見はそう言う意味合いでしょうね。
引用についての議論も興味深いとは思いますが、これもよりこさんが指摘された
「主旨から横道に逸れた話題を持ち出しての応酬」
は、
「ずるずる長引くだけの不毛で実り少ない議論」
に、確かになりがちですね^^;


No. 5275
遅ればせながらIKさんへ
ななえ 2004/02/19 23:30
 はじめまして、IKさん。
 よりこさんとは腐れ縁…もとい友人のななえと申します。
 まず、今回私がしゃしゃり出て来たのは、よりこさんに味方するためであって、中立の第三者の立場ではありえないこと。
 そして、私がこれから申し上げるのは、IKさんの5208番と5224番のログ両方に掛かる内容であること、以上の2点を最初にお断りしておきます。

 まずIKさんの…
(1)
< データの引用の範囲の正当性が主観的にならざるを得ないのだとしたら、あらゆる言葉、概念に厳密な定義を要求し、引用の拡大を求め、議論の霍乱、端的に言えば「嫌がらせ」をすることも、手続きとしてはまったく「正当」な手順を踏みながら可能になるのではないでしょうか。
  これは確かに本題からずれているかも知れませんが、よりこさんのおっしゃる常識的には至極もっともな議論態度を「そうでなければならない」とした時に発生するであろう実際的な懸念です。
  現実に意図してかどうかまでは判別できませんがそうした型の論者もいるようですし、そうした「ずれた議論」を正当化する根拠を結果として、「議論の前提としてきっちりと定義・引用をしなければならない」というまっとうな態度が与えてしまうこともあるのではないでしょうか。 >
(2)
< 私が強調しているのは、「そうした方がいい」ことと「そうでなければならない」の違いです。
 「そうでなければならない」とした時に、前記のような弊害が考えられる以上、この「常道」の採否は個々人に委ねるしかないと私は考えています。 >

 …以上2点のIKさんの弊害についてのご説明は、「刃物というものは殺傷能力がある“だから”刃物は使用しないようにしよう」と言ってるも同然のように私には思えますけどね。
 「あらゆる言葉、概念に厳密な定義を要求し、引用の拡大を求め、議論の霍乱、端的に言えば「嫌がらせ」をすることも、手続きとしてはまったく「正当」な手順を踏みながらといった事態を起こすことが可能になる“だから”意見や批判を発表する最初の段階でデータの引用をしなくとも良い、あるいはデータの引用範囲をあいまいにしても良い」ってな具合に。

< 私はディベート論には疎いのですが、トゥールミン・モデルではこのあたり、どう解決しているのでしょうか。 >

 トゥールミンモデルとはあくまで「根拠(データ+理由)の構造」と「主張・結論と根拠の関係の概念」です。 そして、私にとってトゥールミンモデルとはとても使い勝手の良い“道具”であり、自分自身ならびに他者の意見・批判内容についての力量(説得力や論理力等)などの優劣を計測するための物差しの一つ、すなわち“判断基準”に相当します。
 極論を言えば、『トゥールミンモデルは刃物と同じく道具に過ぎない。道具をどのように使用するも、その人間次第で善にも悪にも転じる』と私なら回答します。(刃物同様に取り扱いには要注意とも思いますし)
 IKさんは「あまりにも強力な武器を封じる」という意図でやっておられたようですけど。↓
< すこぶる健全な、極めて常識的とも言えるよりこさんのご意見にこうして異論をぶつけたのは、よりこさんが主張する「そうでなければならない」と言うご意見がこの掲示板の常識として通った時に、よりこさんが今回味わわれた苦痛を私もまたいつか味わうことになる可能性が強かったからです。 >

 5118番でも書き込みましたが、よりこさんと私にとって「データ=物的証拠」という意味に他なりません。
 つまり、最初にデータを開示することとは「あなたが言われる意見・批判には具体的な証拠はありますか?」という質問に対して前もって回答しているも同然ということです。
 今回の國臣さんの田中芳樹氏批判に対するよりこさんの5117番の書き込みも、國臣さんは「中国武将列伝」という本について十分に可能であろうと思われるにも関わらず──現に彼女は図書館で借りるという形で原著を入手してきた──データの開示はおろか、確認すらぜずに田中芳樹氏批判を行うことに対して、「ろくな証拠すら挙げずにいいように批判するのはどうなんだ?」と、いったものですしね。


 後はこれまでのIKさんのログについて私からも言いたいことをつらつらと書かせていただきます。


< 前提知識を期待すること自体が不当だと言うのであれば、その不当さは、「銀河英雄伝説」「創竜伝」にもあてはまるのではないでしょうか >については、私は「全くそのとおり!」と回答します。
  田中芳樹氏批判にしろ、田中芳樹を撃つ!批判にしろ、その他の意見にしろ、自分の意見・批判についての基盤となるデータに関する「前提知識」を、見も知らぬ他者に期待するなんて甘ったれるのも大概にしろ、とも私は思っています。 >
< ここについては異見があります。この場はあくまで、「田中芳樹作品」について論じるというくくりがあります。もともとそういう閉鎖的な、主題が特化した場なのです。
  「田中芳樹作品」に通じているのは参加者の資格として要求されてしかるべきではないでしょうか。たまたま通じていない場合はその議論に参加しなければいいだけのことです。 >

 上記のIKさんの< 「田中芳樹作品」について論じるというくくりがあります。もともとそういう閉鎖的な、主題が特化した場なのです >というご発言に対して、私は異議を唱えます。
 この田中芳樹を撃つ!というサイトの元々の主題は、緒言にあるように「田中芳樹氏に関する評価が礼賛ばかり見られる状況に風穴を開けること」と、FAQA1にあるように「ファンに対しては田中芳樹氏の論調を何の疑いもなく信じる意識に、何らかの楔を打ち込めれば良い」ということであって、IKさんがおっしゃってることはFAQA7にあるように「ファンサイト的側面」という、あくまで「側面」ということでしか無いのではありませんか。
 そして、IKさんがおっしゃる< 「田中芳樹作品」について論じる閉鎖的な、主題が特化した場 >とは私には到底思えません。
 むしろ、極めて開放的な、田中芳樹氏にまつわる様々な話題をマニアックな人から田中芳樹氏の作品は2、3冊読んだくらいしか知らないというタイプまでいる様々な人と論じる場である、と私は見ております。

< 「田中芳樹作品」に通じているのは参加者の資格として要求されてしかるべきではないでしょうか。たまたま通じていない場合はその議論に参加しなければいいだけのことです。 >についても口を挟ませていただきます。
 5117番のよりこさんの話は彼女本人も5206番で言ったように、田中芳樹作品の内容について論じるということでは無く、「國臣さんの批判のやり口の是非」から始まったものです。
 ただ私個人にとっては、よりこさんとIKさんが論じていた元々の文章をどの程度引用するのか、どいうのは枝葉末節もいい事柄であり、それよりも元々の文章というデータから本当に國臣さんと同様の見解が導き出せるのか? という『理由』の方がずっと引っかかってますし。


< 極端な話、学会などでの公開議論で、まったくそのジャンルに通じていない第三者が参加して、用語や概念の説明をいちいち求めることが適当でしょうか?
  専門家の間では公知の文章などの引用を求めることが、適切でしょうか。
  それに応えないと、専門家は「甘ったれ」だと指弾されてしかるべきなのでしょうか? >

 IKさんは学会などでの公開議論を例えに出しておられますけどね、哲学や法律学の学会においては『発表者が、(出展が存在するものであれば)最初に出典を開示することも含めて(相手にとって解り切っていそうな事柄であっても)明確な判断基準・前提を他者に示すこと』の方が常識です。
 というより、出展が存在するにも関わらず最初に出典を開示した上で発表して見せなければ「怠慢」と見なされ、出典からどの程度引用すれば良いかの取捨選択すらできければ「無能」のレッテルをもれなく貼り付けられます。
 学界人同士での発表ならびに議論こそ、IKさんが言われる< そうでなければならない >に相当するものであり、もし< そうした方がいい >なとど言おうものなら「寝言は寝てから言え」とせせら笑われるのが関の山でしょうね。
 よりこさんが5117番で國臣さんに向かって言ったことなどとは比較にならないくらい学界人同士の要求ならびに追求は厳しいのです。
 ええ、それはまるで「重箱の隅を楊枝どころか針の先でほじくる」ように…。
 という訳で、IKさんのご意見の方こそ「甘ったれ」と私の目には映りましたけどね。
 ただ誤解なきように願いますが、だからといって、私は「学会の常識を田中芳樹を撃つ!にも適応しろ」などと主張したい訳ではありません。
 要は、学会での議論はIKさんの例え話とはまるで違うと言いたいだけです。


 「公知」についても少々口を挟ませていただきます。
 IKさんは「メジャーと目される田中芳樹作品の内容が、田中芳樹を撃つ!閲覧者にとって公知のものに該当する」とお考えのようですが、これに対しても私は異議を唱えます──田中芳樹を撃つ!閲覧者にとって公知に該当するものとは、田中氏の著作ではなく、このサイトのコンテンツである『緒言』と『FAQ』ではないのか? と。
 「緒言」と「FAQ」こそが、このサイトのトップの至極分かりやすい場所に< 初めて当サイトを閲覧する方へ(最初にお読みください) >と明記している、すなわちIKさんが言われる『前提知識を閲覧者に持つことを要求した文章』ではないのでしょうか?
 これは個人的な見解ですが、そもそもインターネットと書籍という「媒体が異なるものを公知と見なすことが果たして適切と言えるか?」という意味でも私は疑問に思います。
 つまり、パソコンモニタの前にいる田中芳樹を撃つ!閲覧者にとって「緒言」や「FAQ」の内容について確認しようと思えば、それは容易に可能です──が、田中氏の著作は事情が違います。
 田中氏の著作の媒体は書籍です。
 私が5118番でこう申し上げたように↓
< 「中国武将列伝」のあとがきは、公知の事実には全く該当しません。
  なぜなら、田中芳樹を撃つ!の閲覧者が皆必ず國臣さんと同様に「中国武将列伝」のあとがきを読んでいる、あるいは「中国武将列伝」のあとがきについて記憶しているとは限らないのですから。 >
 私の上記の発言を裏付ける物的証拠として、この田中芳樹を撃つ!閲覧者の中にはこういうタイプの方もおられるというデータを提示します。↓
(掲示板4382番 Re:タナウツの価値☆ ふみ女さんのログより抜粋)
< なるほど。うーん。
  私は創竜伝の文庫本しか持っていませんが、確か後付けかどこかに「これはフィクションです」って明記されていた気がするのですが…。今手元にない(実家にあります)ので確かめられず恐縮ですが。 >
 上記のふみ女さんの書き込みの内容に合わせて先の私のログを、IKさんいわくマイナー作品の「中国武将列伝」のあとがきとメジャー作品の「創竜伝」、そして國臣さんの名前をIKさんに入れ換えてみましょう。
  ↓
 創竜伝は、公知の事実には全く該当しません。
 なぜなら、田中芳樹を撃つ!の閲覧者が皆必ずIKさんと同様に創竜伝を読んでいる、あるいは創竜伝について記憶しているとは限らないのですから。
 田中芳樹を撃つ!閲覧者の中には、マイナー・メジャーを問わず田中氏の著作の内容等についての『記憶』はあっても、即座に思い出せたり確認できる人ばかりとは限らない、ふみ女さんのように「所有してはいるが今手元にないので確かめられない」とか「明記されていた気がする」と記憶がおぼろげといったタイプの人もおられます。
 以上のことから、インターネットという媒体を用いてやり取りする世界の中で、書籍という『媒体が異なる物を公知と見なすと大変な不公平が生じかねない』と私は考えますが、いかがですか? IKさん。(もちろん、これはトゥールミンモデルにも当てはまることです)
 私が5118番で「「中国武将列伝」のあとがきは、公知の事実には全く該当しない」と言ったのも『媒体が異なる物を公知と見なすと大変な不公平が生じかねない』という意味であって、断じてIKさんが言われた元になる田中氏の著作がマイナーかメジャーかといった話では無いのです。
 そして、「最初にデータという物的証拠を示せ」とよりこさんが言うのも、彼女いわくの意見・批判の書き手と田中芳樹を撃つ!の様々なタイプの閲覧者という読み手との『書き手と読み手との不公平の溝を極力埋めることを目論んだ工夫でもある』とも私は考えますけどね。


 IKさんの下記のログについて…
(1)
< 「田中芳樹作品」に通じているのは参加者の資格として要求されてしかるべきではないでしょうか。たまたま通じていない場合はその議論に参加しなければいいだけのことです。
  極端な話、学会などでの公開議論で、まったくそのジャンルに通じていない第三者が参加して、用語や概念の説明をいちいち求めることが適当でしょうか?
  専門家の間では公知の文章などの引用を求めることが、適切でしょうか。
  それに応えないと、専門家は「甘ったれ」だと指弾されてしかるべきなのでしょうか? >
(2)
< 「田中芳樹を撃つ!」について具体的な場面を考えれば、例えば「ラインハルトは美貌である」という書き込みについても、いちいち出典を明記して論じなければならないという非効率を生むことにもなりかねません。  これがかなり極端な想定であるというのは承知していますが、「そうでなければならない」とした時に想定しておくべき状況ではないかと思いますが、いかがでしょうか。
(3)
< この長い引用をされるのにどれだけ手間がかかったことでしょう。感謝と敬意の念を表明しておきます。
  ただしこの手間をあらゆる人に要求するのは実際的ではない、と私は考えます。
  例えば銀河英雄伝説であれば「ノヴェルズ版第何巻の何ページ」と典拠を示すだけで充分ではないかと思いますが。求められれば要約するくらいのことはした方がいいと思いますが。 >

 上記三つのIKさんのログは、よりこさんの主張に対する「異見」にも「反論」にもなってないと私は思いますが。
 上記の< 用語や概念の説明をいちいち >や< 「ラインハルトは美貌である」という書き込みについても、いちいち出典を明記して論じなければならないという非効率を生む >や< 「ノヴェルズ版第何巻の何ページ」と典拠を示すだけで充分ではないか >という意見に対する答えは、よりこさんが5206番で言っていた↓
 < 引用をする「データ」というのはどこからどこまで出せばいいのかは『自分の主張の基盤となるニュースソースに該当するもの』と私は考えており、『最初に自分が意見・批判を主張する際に選択・判断・決定することである』と思います。
  引用をする「データ」というのはどこからどこまで出せばいいのかは、その意見・批判の種類や性質、あるいは意見・批判を述べる人物によっても千差万別だとも思いますし、一概には言えません。 >
…に全て該当することではないのですか?
 要するにIKさんが「異見」や「反論」を述べるよりも以前に、元になる作品をどのくらい引用するかは、< その意見・批判の種類や性質、あるいは意見・批判を述べる人物によっても千差万別 >だと、よりこさんは回答しているも同然と私は考えます。
 そして、IKさんは< この手間をあらゆる人に要求するのは実際的ではない >と言われましたが、一体どこの箇所から「よりこさんがこの手間をあらゆる人に要求している」と見なしたのですか?
 私が見たところ、彼女は「私が國臣さんならばこのようにデータを開示する」とは言いましたけど、「よりこさんがこの手間をあらゆる人に要求している」と見られる箇所が私にはさっぱり解りませんので具体的にご指摘願います。
 なお、具体的にご指摘できない場合には< この手間をあらゆる人に要求する >を「よりこさんに対する言い掛かりをつけた」と私は解釈することを宣言しておきます。

< [余談]
  なお、釘を刺させていただきますが、今回私が「中国武将列伝 おわりに」の文章を書き込んだのは、あくまで『私が國臣さんならばこのようにデータを開示する、という例文』であって、この「中国武将列伝 おわりに」の内容に関する議論に参加する気は一切ありませんので、予めご了承ください。 >
< ということですが、このスレッドの本論はあくまで、「中国武将列伝 おわりに」の内容に関する議論なのですから、データの提示方法に関する議論は「脇道にそれたもの」なのではないでしょうか。私は脇道にそれること自体は否定しませんし、よりこさんが提示された問題もこうして論じるに足るものであるとは思いますが、これも議論がきっちりと本論と脇道に分離できない、ひとつの現われではないかと考えています。 >

< ということですが、このスレッドの本論はあくまで、「中国武将列伝 おわりに」の内容に関する議論なのですから、 >…って勝手によりこさんの論旨をすり替えてますね。
 5097番の國臣さんの本論の主旨は確かにそうですが、よりこさんとIKさんの本論は「データの提示方法に関する議論」の方であり、「根拠について」の話題です。
 < 議論がきっちりと本論と脇道に分離できない、ひとつの現われ >ではなくて、本論と脇道を見分けられないのは、自分は何の目的を達成したいのかという『戦略構想が皆無』であることと、単なる『状況の把握と分析ならびに分類能力の欠如』から来るもの、すなわち「無能に起因するもの」だと私は考えますが、いかかです?
 やたらと脇道に逸れてばかりいると、自分は元々どこに行きたいのかすら忘れて見失いがちになりますからねぇ…。
 要するによりこさんが言ったのは「私は自分がどこに行きたいかすらも見失いたくない。脇道に逸れて迷走したいなら一人でやってくれ。頼むから私を道連れにしてくれるな」という至って簡単な話なんですが。(ついでに言うと私も激しく同感です)


< 申し訳ありませんけど、これはかなり見当違いなおっしゃりようではないでしょうか。
  私の5177の「根拠」に関する文章は、「根拠とは、データと理由で成り立つものであり、それぞれこういう意味である」という主張がメインであり、トゥールミンの名前や書名を出したのは「私が主張した“データと理由の概念”の出展はこれであり、私自身の思い付きではない」というだけの余談、言わばオマケ、トリビア(笑)にしか過ぎません。(他の文章と区別がつくようにと思い文頭に「#」とわざと付けたのですけど解り辛かったようですね…これからは「余談」と書くようにいたします) >

 次は上記のよりこさんの発言について。
 また人様の文章を勝手に引っ張りだしますが、下記をまずご覧ください。
 IKさんご自身もよく見覚えがおありでしょう。
 (掲示板3106番 Re:そもそもの話ですけど 恵さんのログより抜粋)
< あなたが不愉快と思われたのと同じかそれ以上に、「(ここの参加者は)攻撃的で偉そう」の発言にIKさんは気分を害されたのだと思います。
  IKさんもおっしゃっていましたけど、あなたの掲示板批判そのものは受容できても、「誰のどんな発言が」(具体例)とそれに類する考察を一切省いた決めつけ的結論(=攻撃的で偉そう)を出す手法は、こちらのような議論サイトへの初投稿としては、かなりどうかと思います。被害者ぶるのも結構ですけど、あなたが最初に投げかけた「攻撃的で偉そう」という発言が、わたしやIKさんのような不特定多数の参加者の人々を不愉快にしたのも事実なんです。 >

 さて、そもそもは5177番でよりこさんが書いた「データ(Data)」と「理由(Warrant)」に相当するものが、上記で恵さんが書き込まれた「具体例」と「類する考察」だったというだけの話なんですけどね。
 ただ、よりこさんは「言葉ならびに、その概念を誰が発表したのかを知っていた」が、恵さんは違ったというだけです。
 特別に目新しいものなんかじゃありませんよ、「データ(Data)」と「理由(Warrant)」なんて。
 違う言葉を用いてるから、表現まで変わって見えるだけです。
 よりこさんは自分が考え付いた訳でもない概念を、さも自分が思い付いたみたいに言いたくなかったってことなんですけどね…結局は。


 さてお次は、なぜよりこさんがIKさんに「言い掛かりをつけられている」と解釈したのかを僭越ながら解説いたしましょう。
 確実に「IKさんは言い掛かりをつけている」と私が解釈したのは以下の二点です。

[第一のケース]
(1)
< 前提知識を期待すること自体が不当だと言うのであれば、その不当さは、「銀河英雄伝説」「創竜伝」にもあてはまるのではないでしょうか、については、私は「全くそのとおり!」と回答します。
  田中芳樹氏批判にしろ、田中芳樹を撃つ!批判にしろ、その他の意見にしろ、自分の意見・批判についての基盤となるデータに関する「前提知識」を、見も知らぬ他者に期待するなんて甘ったれるのも大概にしろ、とも私は思っています。 >
(2)
< そして、トゥールミンに関する諸々が、この田中芳樹を撃つ!というサイトの閲覧者の方々に「前提知識として期待する」のはお門違いもはなはだしいことぐらいは私も最初から承知していますし、今後も「前提知識として期待する」気などさらさらございません。
  根拠に関することで私がまた、この掲示板に書き込む時には、田中芳樹を撃つ!の閲覧者の方々には元々「前提知識が無いもの」と見なして新たに記入します。 >
…もしも、(2)の「前提知識として期待するのはお門違いもはなはだしい」とは言わずに、「田中芳樹を撃つ!の閲覧者にトゥールミンに関する諸々について前提知識として期待してる」などとよりこさんが言ったりしたら、一体どういうことになると思いますか? IKさん。
 はい、次の2点の現象が起きるのです。
 第一に、(1)の「自分の意見・批判についての基盤となるデータに関する前提知識を、見も知らぬ他者に期待するなんて甘ったれる」という発言と「「田中芳樹を撃つ!の閲覧者にトゥールミンに関する諸々について前提知識として期待してる」という発言では『主張の一貫性が失われる』こと。
 第二に、「田中芳樹を撃つ!の閲覧者にトゥールミンに関する諸々について前提知識として期待してる」などと言えば、(1)の「自分の意見・批判についての基盤となるデータに関する前提知識を、見も知らぬ他者に期待するなんて甘ったれる」という『前の発言の説得力が失われる』こと。
 IKさん、あなたはよりこさんを「聡明」だと言われましたよね?
 IKさんが言われた“よりこさんは「聡明」である”という前提が妥当であるなら、『自分の発言の一貫性や説得力を失われるようなこと』など果たして彼女が言うものでしょうか?
 実際、「聡明」なよりこさんは…
< そして、トゥールミンに関する諸々が、この田中芳樹を撃つ!というサイトの閲覧者の方々に「前提知識として期待する」のはお門違いもはなはだしいことぐらいは私も最初から承知していますし、今後も「前提知識として期待する」気などさらさらございません。
  根拠に関することで私がまた、この掲示板に書き込む時には、田中芳樹を撃つ!の閲覧者の方々には元々「前提知識が無いもの」と見なして新たに記入します。 >
…と、「前提知識として期待する」ことを明確に否定してるではありませんか。
 それにも関わらずIKさんは、このように決めつけて掛かって彼女に言ったのですよ!↓
< 残念ながら、と申し上げますが、これが見当違いとは思えません。ここの参加者の大半にはおそらくなじみが薄いであろう、トゥールミン・モデルなるものを「根拠」として、國臣さんの書き込みを批判された訳ですから、トゥールミン・モデルの是非はよりこさんの主張の根幹をなされる、重要なポイントになると思われます。
 トゥールミン・モデルの大枠の説明はなされましたが、あらゆる状況を想定された上での、検証はされてはいないですよね。
 それを欠いた上での「トゥールミン・モデルから外れているから駄目だ」とおっさるのは、トゥールミン・モデルなるものが、ここの参加者にとって公知である、前提知識であると想定されているからだとしか私には考えられません。
 現状では、トゥールミンがそう言っているからそれは正しいという単なる権威主義にしか見えません。 >
 そこで、IKさんに質問します。
 < 「トゥールミン・モデルから外れているから駄目だ」とおっさるのは、>と決めつけてかかる発言を「言い掛かりを付けている」という言い方が適切ではないならば、どう呼ぶのが相応しいと思いますか?
 さらにIKさん、以前あなたは双生児さんという人に対してこのように言われましたよね?↓
 (掲示板3105番 Re:議論するのはいいんだけど…、より抜粋)
< ただ、議論を求めるならば相応の態度が必要だとは思いますよ。あたまごなしに「偉そう」なとど決め付ける人間が、まともに相手にされると思うのはちょっと甘いのではないでしょうか。 >
 上記のIKさんの文章をお借りして、今度は私がIKさんにこう申し上げましょう。
 あたまごなしに「トゥールミン・モデルから外れているから駄目だ、よりこさんが言った」なとど決め付ける人間が、まともに相手にされると思うのはちょっと甘いのではないでしょうか、とね。

[第二のケース]
 これも説明の都合上、よりこさんのログにそれぞれ(1)、(2)、(3)[A]、(3)[B]、と番号を振り当てフローチャートにします。
 下記のIKさんのこの発言に対して…
< 邦訳のない、一般的とも言えない英文の著作を「根拠」として挙げられて、とまどいます。 >
 よりこさんは…
(1)
 確かに、トゥールミンの「The Uses of Argument」という書物そのものは現在邦訳されてはいませんが、「根拠=データ(Data)+理由(Warrant)」という、通称「トゥールミンモデル」と呼ばれる概念についての解説が記載された日本語の書物は存在します。
     ↓
(2)
 「トゥールミンモデル」についての解説がある日本語の書物とは下記の二冊です。(ただ私の知る限りの物ですので探せば他にもっとあるかも知れません)
     ↓
(3)
 [A]
『議論のレッスン』福澤一吉著 NHK出版・生活人新書刊
 議論行為についてとルールの説明を主眼においた初心者向けの解説本です。
 この掲示板で議論に参加されるのであれば一読を薦めます。

 [B]
『議論の論理=民主主義と議論=』足立幸男著 木鐸社刊
 副題が「民主主義と議論」とあるように、政治学・政治哲学の話題を主軸にして、議論の種類と構造について述べた理論書です。

(1) まず、よりこさんはトゥールミンモデルと呼ばれる概念についての解説が記載された日本語の書物が存在することを述べる。
     ↓
(2) 次に、その日本語の書物は二冊あることを述べる。
     ↓
(3) さらに、二冊ある日本語の書物をそれぞれ[A]『議論のレッスン』という本についての事柄と、[B]の『議論の論理=民主主義と議論=』という本についての事柄とを述べる。

 下に行くにつれて内容が細かく絞られていくのが判りますか?
 そして彼女の「この掲示板で議論に参加されるのであれば一読を薦めます」という文章は(3)の[A]に含まれており、彼女は同じく(3)の[A]カテゴリー内にある『議論行為についてとルールの説明を主眼においた初心者向けの解説本』という文章に掛けていたのです。
 ところが、IKさんは同じ(3)の[A]カテゴリー内に掛かる文章とは解釈なさらず< この掲示板における議論のルールはトゥールミン・モデルに依拠しなければならないという規定でもあるのでしょうか? >…と、いきなりそれまでの文章(3)の[A]ばかりか(2)をも飛び越えて(1)「トゥールミンモデルと呼ばれる概念についての解説」に遡って掛けてあなたは言ったのです。
 よりこさんは(3)の[A]についての話をしていたのに、IKさんに(1)に飛び越え遡って言われたこと、つまり『IKさんの文脈を完全に無視した物言い』を指して、よりこさんならびに私は言い掛かりをつけられたと解釈した次第です。

 以上でまだご納得いきませんか? IKさん。


< 今回のIKさんのログを拝読しての感想は、なぜそんなに一般的とか普遍的とかからかけ離れた話ばかりなさるのか? そして、徒らに話を拡大させたがるのか? 上記のような、まるで言い掛かりをつけられているようなおっしゃりよう etc...に正直な話、凄く苦痛に感じてしまいました。 >
< それは確かに苦痛でいらっしゃったのでしょう。その苦痛を与えた当人が言うのもなんですが、同情申し上げます。
  すこぶる健全な、極めて常識的とも言えるよりこさんのご意見にこうして異論をぶつけたのは、よりこさんが主張する「そうでなければならない」と言うご意見がこの掲示板の常識として通った時に、よりこさんが今回味わわれた苦痛を私もまたいつか味わうことになる可能性が強かったからです。 >

 左様でございますか。
 では、よりこさんが味わった苦痛をいつの日にかIKさんが味わうように私が仕向ける──なんてこともあるかも知れませんね。
 最初の方にも書きましたけど、私にとってトゥールミンモデルは使い勝手の良い道具ですから、手放すつもりは毛頭ありませんし。

< ともあれ、お付き合い下さり有り難うございました。
  非常に厄介な男に思われたかも知れませんが、またいつか別の議題で、お相手いただけたら嬉しく思います。 >

 「非常に厄介な男」というよりも、「非常に不気味な男」というのがよりこさんの、「非常に腹立たしい男」というのが私の正直な感想ですけどね。

< あくまで私から見てですが、常識外れな方もしばしばこの掲示板を訪れます。最近もひとりいらっしゃったようですが。 >

 よりこさんと私からの目には、IKさんも「常識外れな方」のご同類と映りましたけどね。
 私とよりこさんの共作で「根拠を明示しない意見発表と批判行為について」というテーマで、ここの掲示板に投稿予定ですが(予定は未定)、5202番はまだしも、また5208番のようなレスを付けてきた際には、「IKさんは真っ当な論客ではない」と解釈し、それに相応しい適切な対応、あるいは完全無視することを予告しておきます。(もちろん本文にも書くつもりですが)

 それではごきげんよう。


No. 5276
Re:それで結局どうなんでしょう?
RAM 2004/02/19 23:31
川上さん、お返事ありがとうございます。


> そういう事を一部の人に聞かれても…
> 掲示板の方針・やりかたで確実なのは管理人さんの明言だけで、あとはそのつどすり合わせてやっていくしかないのではと思います。

管理人さんに明言して頂くのが確実と言うのはもっともです。
ですが、この掲示板の運営方針はなるべく管理人さんの手間をかけないという事があったと思います。
ということは、ある程度までは参加者で自治を行わないといけません。

過去に良くある言葉で"管理人が何も言わないのだからそれは認められているのだ"と言うものがあります。
意地悪く言えば、今回の件も管理人さんが何も言わないのだから認められた行為だと言うことになります。
しかし、私はそれとは別に自治の観点からこういう問題だったよね?と意見を聞いてみました。

少なくとも自治の観点からは疑問を投げかけられる行為であると示さなければ、正にこの場では
認められている行為であるとなってしまいます。

疑問を投げかけた上で参加者の意見を聞ければ良いと思いました。
川上さんの意見を聞けただけでも収穫はあったと思っています。


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