QLOOKアクセス解析


銀英伝考察2
ヤンが殉じたシビリアン・コントロールの実態
過去ログA


創竜伝考察31へ 銀英伝考察2−Bへ

No. 906
銀英伝考察2 〜ヤンが殉じたシビリアン・コントロールの実態〜
冒険風ライダー 2000/5/21 13:05:04
 今回ふと思うところがありまして、再び銀英伝を論じてみる事に致しました。
 実は私は、今回の題名の大元となっている「ヤンの民主主義思想」については、政治に関して「結果第一主義」を取っているということもあってそれほど興味を持って考えてはいなかったのですが、前回の「銀英伝考察・ヤン・ウェンリーの思想的矛盾」で論じた「シビリアン・コントロールの矛盾」に触発されて少しシビリアン・コントロールについて調べてみたところ、「実はアレは氷山の一角にすぎないもので、その背後に銀英伝のテーマをすら揺るがしかねないもっと大きな問題があるのではないか」という疑問が出てきました。
 そこで今回は、シビリアン・コントロールが本来どのようなものであるのか、そしてシビリアン・コントロールに基づくヤンの行動とはいかなるものなのかを、6項目に分けて論じてみたいと思います。
 では始めましょうか。



1.「ヤンが定義するシビリアン・コントロール」の弊害

 銀英伝のテーマのひとつとなっている民主主義とシビリアン・コントロール。その民主主義とシビリアン・コントロール下における政府と軍人との関係を、ヤンは次のように定義しています。

銀英伝7巻 P194下段〜P195上段
<「ユリアン、吾々は軍人だ。そして民主共和政体とは、しばしば銃口から生まれる。軍事力は民主政治を産み落としながら、その功績を誇ることは許されない。なぜなら民主主義とは力を持った者の自制にこそ真髄があるからだ。強者の自制を法律と機構によって制度化したのが民主主義なのだ。そして軍隊が自制しなければ、誰にも自制の必要などない」
 ヤンの黒い瞳が次第に熱を発した。ユリアンにだけは理解してほしかったのだ。
「自分たち自身を基本的には否定する政治体制のために戦う。その矛盾した構造を、民主主義の軍隊は受容しなくてはならない。軍隊が政府に要求してよいのは、せいぜい年金と有給休暇をよこせ、というくらいさ。つまり労働者としての権利。それ以上はけっして許されない」>

 これがヤンの民主主義国家におけるシビリアン・コントロールの定義ですが、確かに「軍人が政治に口を出さない」というのはシビリアン・コントロールの重要な一要素ではあります。しかし本当に軍隊は政府に対して「労働者としての権利」以外は何も要求する事はできないのでしょうか? というのも、実はこの定義では国防上、非常にまずい事態が発生しかねないのです。
 たとえば銀英伝1巻では、当時の同盟の最高評議会の選挙目的のために、採算性も計画性も全くない帝国領侵攻作戦が政府によって決定され、当時の同盟軍の最高責任者である統合作戦本部長シトレ元帥が反対していたにもかかわらず帝国領侵攻作戦は強行され、その挙句、同盟軍はアムリッツァにおいてラインハルト率いる帝国軍に完膚なきまでに叩き潰され、帝国と同盟の軍事力の勢力均衡(バランス・オブ・パワー)が完全に崩れ去ってしまったのです。
 また銀英伝3巻冒頭、2巻で発生した救国軍事会議クーデターで多くの人的資源を消耗した同盟政府は、イゼルローン駐留艦隊の熟練兵を引き抜いて新設部隊に配備し、代わりに新兵を補充しましたが、当時の同盟と帝国との国力・軍事力比較で帝国が圧倒的に優勢であった事、そのためにイゼルローン要塞で帝国からの侵攻を食い止められるか否かが同盟の国家存亡にかかわるほど重大なものであった事を考慮すると、これは純軍事的に見て実に愚劣な配備であったと言わなければなりません。
 しかもこれと関連して同盟政府は、救国軍事会議クーデターによって軍部の信望と発言力が低下したのにつけこみ、軍部に対して非常に政治色の強い人事を行いましたが、そんな事をすれば同盟軍の軍隊組織を健全に運営する事ができなくなり、政府の無茶な要求がまかり通ってしまいます。
 さらに銀英伝4巻で、ヤンはラインハルトの「神々の黄昏(ラグナロック)」作戦におけるラインハルトの戦略思想を全て見抜いていましたが、当時の同盟政府はビュコックを介したヤンの意見を無視、あくまでもイゼルローン防衛のみに固執してしまい、その結果、帝国軍によるフェザーン占領とフェザーン回廊からの同盟領の侵攻をもたらしました。これが同盟敗北の決定的な一因となったことは言うまでもありません。
 ヤンのシビリアン・コントロールの定義に従えば、軍隊や軍人は、上記の例のように軍部が政府からどれほどまでに政治的に痛めつけられても、何も言わずにただじっと耐えることこそがシビリアン・コントロールであるという事になりますが、こんな状況でまともに国防が行えると考える方がおかしいでしょう。ヤンのシビリアン・コントロールの定義は軍人の権力を抑制する事のみに重点を置き過ぎていて「政府の暴走」という点が一切考慮されていないのです。
 銀英伝ではこの「政府の暴走」を「民主主義の死に至る病」と定義していましたが、果たして本当にそうなのでしょうか? そしてそれを直す方法は本当にないのでしょうか? それについて考えてみることにしましょう。


2.シビリアン・コントロール下における政府と軍部の立場関係

 そもそもシビリアン・コントロールとは一体何なのかということについて、日本ではヤンの定義に代表されるような相当に歪んだ解釈が広まっています。
 シビリアン・コントロールは日本では「文民統制」と訳されていて、あたかも昔の君主と臣下の主従関係のごとく、政府が軍部の上位に君臨し、軍隊の何から何まで指揮・統制するのが当然であると考えられていますが、これは全くの大間違いで、本当は選挙民が選んだ政治家が軍人よりも優位に立ち、国家の暴力機関たる軍隊をコントロールする、という以上の意味を持ってはいないのです。つまり、政府は軍部の上位に君臨して管理・支配するのではなく、いかにして軍部を暴走しないようにコントロールするかということが重要なのであって、立場上、軍部は政府の政治決定には従がわなければならないが、国防における軍部と政府との地位は本来は対等かそれに限りなく近い関係であるというのが、シビリアン・コントロール下における政府と軍部の本当の関係なのです。
 銀英伝でも、同盟軍の制服軍人の最高峰であるところの統合作戦本部長の地位が次のように定義されています。

銀英伝1巻 P109下段〜P110上段
<統合作戦本部長は制服軍人の最高峰であり、戦時においては同盟軍最高司令官代理の称号を与えられる。最高司令官は同盟の元首たる最高評議会議長である。その下で国防委員長が軍政を、統合作戦本部長が軍令を担当するのだ。
 残念ながら自由惑星同盟では、この両者の仲は必ずしも良くなかった。軍政の担当者と軍令の責任者は協力し合わなければならない。でなければスムーズに軍隊組織を動かすことはできない。>

 このように、国防において軍部と政府はそれぞれが役割分担をしていて、軍部が軍隊の運用や戦力の整備などを行う軍令を、政府が予算などを決定する軍事行政をそれぞれ専門に担当しており、普通両者の関係は車の両輪で地位は等しく、互いの専門部門には干渉しないというのが普通の国防運営というものなのです。
 同盟の例のように、普通シビリアン・コントロールを旨とする民主主義国家では、軍の最高指揮官は確かに大統領や首相、同盟では最高評議会議長などといった政治家のトップですが、彼らは当然の事ながら本職の軍人ではありません。そこで軍人の最高責任者(同盟の場合は統合作戦本部長)が彼らを補佐するという形で、実際の軍事作戦を立案したり、国家が行う様々な軍事行動を取り仕切るのです。そして政府は軍部が政治的に暴走することを防ぐためのチェック機能として軍部をコントロールする。これが本来のシビリアン・コントロールです。
 しかしここで問題となるのは、政府が担当する「軍事行政」が、軍部が管轄している「軍令」にあたる軍隊運営や戦力増強に対してかなりの影響力を行使できるところで、その結果、地位は両者ともに等しいにもかかわらず、運用上では政府が軍部の上位に立っているわけです。これが構造上、政府の暴走の引き金を引きかねない最大の要因となっているのです。
 たとえば、政府が軍事予算を削減したり人員の整理を行ったりすれば当然軍隊の運用にも影響してきますし、戦力増強に必要不可欠な新型兵器を軍部が導入したくても、政府がそれに関する予算を認めなければ何もできません。つまり政府は、軍部に対して「予算」という名の絶対的な権力を握っていることになります。
 また国によっては、政府が高級軍人の人事権を完全に掌握し、政治色の強い人事を行うことによって軍部を政府に盲従させ、健全な軍事運営を著しく阻害しているという事例もあります。これはベトナム戦争時のアメリカやキリスト教民主同盟が政権党だった頃のドイツ、そして何よりも戦後日本の自衛隊にその例が見られます。
 逆にいえば、政府が軍部の予算や人事権を掌握することによって軍隊の暴走を抑えているという一面もあるのですが、軍部に対してこれほどまでに絶大な権力を握っている政府は、もともとが構造的に暴走しやすいものになっているのです。ではそのような構造的な原因によって政府が暴走してしまった場合、それを「民主主義の死に至る病」などといって諦めてしまうしかないのでしょうか?
 そこで出てくるのが、政府に対するチェック機能を持つ議会の存在です。


3.行政権力に対する立法府の存在意義

 アメリカではベトナム戦争時のマクナマラ国防長官時代、軍人は専門職に徹し文民行政官の指導に服せば良いとされ、それに基づいて政府による軍部への様々な政治的干渉、具体的には軍事予算への干渉と高級軍人の人事権の濫用、アメリカ軍の軍事作戦に対する軍部への政治干渉などがさかんに行われました。これがベトナム戦争が何の戦争目的もなしにだらだらと長期化した戦争となり、最終的にアメリカが敗北する最大の原因となってしまったのです。
 この歴史的敗北が、アメリカ軍の軍事活動に対する政府の過剰な政治干渉にあることを知ったアメリカ議会は、ベトナム戦争の敗北後の1974年、大統領が独断で武力行使を行う権限を制限する「戦争権限法」を上院・下院の合同決議によって制定しました。これは2ヶ月以内に海外派兵した軍隊を撤兵できないと思われる場合の海外派兵には、必ずアメリカ議会の上院・下院の承認を必要と定めたもので、これは議会が政府の暴走に対して異議を唱えることを可能にした法律であるといえます。
 またカーター大統領の時代には、ニミッツ級の大型空母の建造を中止した政府に対して、アメリカ議会が海軍の要望を聴取して大型空母建造計画を復活させたりしています。
 これらに代表されるように、現代における民主主義の代表格とされるアメリカでは、国の最高機関たる立法府である議会が、行政権力たる政府を暴走しないようにコントロールできるシステムが確立されているのです。そして軍部は、その議会に対して軍事専門家としての意見を報告することが許されています。
 同じようなことはEU諸国でも見られ、政府が決定した軍事予算削減に対して軍部の意向を受けた議会が政府に働きかけ、逆に軍事予算を増額させたという例もあります。
 つまり民主主義国家におけるシビリアン・コントロールとは、立法府たる議会・行政権力たる政府・軍事専門家たる軍部の3つの相互牽制、いわゆる「3すくみ」によって成り立っているわけです。その「3すくみ」の内容は、

・ 立法府は行政権力の軍事政策と軍部の軍事的要求を検証し、行政権力の政策を是正する
・ 行政権力は軍部に対する軍事行政上の命令権を行使し、立法府のコントロールを受ける
・ 軍部は行政権力の政治決定に従い、立法府に対して軍事専門家としての意見を述べる

と、このようになります。この「3すくみ」によって軍部だけでなく、それに対して絶大な権力を行使できる行政権力に対してもチェック機能が働き、暴走しないようにコントロールすることが可能となるのです。これこそが民主主義国家における本当のシビリアン・コントロールのシステムなのです。
 この「3すくみ」のシビリアン・コントロールは何かひとつが欠けても機能しないわけで、その意味で行政権力に対するチェック機能をもつ立法府もまた、民主主義国家におけるシビリアン・コントロールに必要不可欠なものであると言えるのです。


4.シビリアン・コントロール下におけるヤンの軍人としての責任

 この観点から改めてヤンのシビリアン・コントロールの定義を見てみると、ヤンはシビリアン・コントロールの本当の意味を半分も理解していない事が分かります。ヤンが定義するシビリアン・コントロールには、軍部と行政権力が本来対等の関係でなければならず、絶大な権力を行使できる行政権力にもまたチェック機能が必要であり、軍人もまた国防に関して軍事部門の専門的見地に立った意見を主張しなければならないという考えが完全に欠如しているのです。このシビリアン・コントロールに対する理解の不足こそがヤンの苦悩の最大の元凶であるといってもよいでしょう。
 実は本来のシビリアン・コントロールの主旨からすれば、ヤンはこと政府が決定する国防関係の政策に関しては軍事専門家として口出ししなければならなかったのです。銀英伝前半における同盟政府の暴走行為は、同盟の国益の観点から言っても、民主主義の存在意義から言っても害のある行為であったのですから、そのような愚行を決定した政府に対して明確に反対の意向を主張し、暴走行為を撤回させる事こそが本当のシビリアン・コントロールの主旨にかなう事であったはずです。
 さらにアムリッツァや救国軍事会議クーデター以降のヤンは、軍部の信望と発言力が著しく低下したことによる政府の軍部への異常な政治介入を防ぐ事ができる唯一の人物でもあったのですし、その地位と名声を利用する事で政府と軍部に対して非常に大きな影響力と発言力を持つ事もできたはずなのです。特に救国軍事会議クーデター以後、同盟軍の最高幹部であるはずのビュコックやクブルスリーですら、政府の軍部への政治介入に全く無為無力だったのですから、ヤンのシビリアン・コントロール擁護の思想から言っても、政府のシビリアン・コントロールの逸脱を修正する事は理にかなう事であったはずです。
 しかしそのような状況においてさえ、ヤンはシビリアン・コントロール下における軍人の義務を怠り、政府の民主主義を冒涜するような暴走行為をひたすら黙認していたのです。こんな自分の軍人としての責任を放棄するような無責任なヤンにシビリアン・コントロールを論じる資格などありません。
 シビリアン・コントロールとは軍人が政府の政策にただひたすら盲従する事ではない。このことをヤンはもっとよく知っておくべきだったのです。


5.ヤンの政治不信が引き起こした同盟の崩壊とその後の戦い

 さらにヤンには、軍人がシビリアン・コントロールに服するのに絶対必要な条件が致命的なまでに欠如しています。それは政治家との相互信頼関係です。
 前述したようにシビリアン・コントロール下における民主主義国家では、軍政の責任者たる政府と軍令を司る軍部の地位は対等であり、軍部は立法府を介して軍事専門家としての意見を主張する事ができますが、その際に重要になるのが政治家との信頼関係です。当たり前の事ですが、もし政治家が軍人に対して何らかの不信感を持っていたら、軍人がどれほどまでに正論を主張したとしても、その意見が受け入れられる事はないのです。したがってシビリアン・コントロール下における軍人は、政治家と何らかの信頼関係を築く必要があるのです。
 しかし今更言うまでもありませんが、ヤンはこの事を感情的な理由で拒否しつづけてきました。それどころか、政治家と相互理解を深める努力を行った形跡すらありません。まあいくら何でも、あのトリューニヒトと信頼関係を結ぶ事はさすがに困難であったとしても(これができたら面白いと思うのですけど(^_^;))、せめて政治的・思想的な共通項が多いであろうジョアン・レベロやホワン・ルイあたりと信頼関係を築き、彼らを介して何らかの軍事的アドバイスを政府に対して行う事ぐらいは充分に可能であったのではないかと思うのですが、それすら行っておりません。
 実はこのことが後に銀英伝6巻でヤンと同盟政府が決定的に決裂した遠因のひとつとなっていて、レベロをはじめとする同盟政府が、ヤンに対して不信感を抱いていたからこそ、彼らは事後法を使ったヤン逮捕などという愚行に走ったのです。もしヤンが政治家と相互信頼関係を結んでいたならば、あのような事はまず起こらなかったでしょう。
 しかもあの銀英伝6巻における同盟政府の事後法を使った暴走行為自体、バーミリオン会戦後におけるヤンのシビリアン・コントロールの逸脱行為(政府の命令と同盟の国内法に背いてまで、独断でメルカッツ提督と自軍の一部戦力を隠蔽した事)が直接原因となって起こったものであり、さらにこのことが同盟の滅亡とエル・ファシルの独立を招いたというのですから、もう笑うしかありませんね。
 こんな惨状で銀英伝は「ヤンは民主主義擁護のために戦った」などと主張しているのですから、正直言って理解に苦しみますね。それどころか、ヤンこそがラインハルトをすら超えた「民主主義の破壊者」ではありませんか。あれほどまでにシビリアン・コントロールの重要性を説いているはずの自分自身がシビリアン・コントロールを無自覚に逸脱し、しかもそれによって民主主義国家たる同盟を滅亡させた責任の一端を担っておきながら、その事に対する反省もなしに、ヤンは一体何に殉じて戦っていたというのでしょうか?


6.自称「民主共和政体」の非民主的な実態

 ところで同盟をはじめとする銀英伝世界の民主主義国家を見てみると、非常に不思議な事が分かってきます。それは国家の中に議会の存在が全くないか、もしくは存在感が非常に希薄であるということです。
 「3.行政権力に対する立法府の存在意義」で説明したように、強大な権限をもつ行政権力を抑え、シビリアン・コントロールと民主主義を健全に機能させるには議会の存在が必要不可欠です。ところが銀英伝をいくら読んでみても、この議会がまともに動いた形跡どころか、議会についての描写すら全くないのです。これではシビリアン・コントロールどころか、民主主義それ自体が全く機能しません。行政権力をコントロールする議会がないのですから、政治は行政権力の思いのままとなり、ルドルフのような独裁体制が生まれやすくなってしまうのです。
 それでも同盟の場合、その行政権力の長であるところの最高評議会議長が選挙で選ばれるという形式を取っているからまだ良い方なのですが(ホントは良くないんだけど)、ヤンが同盟に代わる民主勢力として選んだ(正確には「選ばざるをえなかった」)エル・ファシル独立政府とヤンの死後に樹立されたイゼルローン共和政府、アレは一体何なのでしょうか? あの2つは民意を全く反映していない自称「民主共和政体」です。
 エル・ファシル独立政府は主席たるロムスキーが半ば独走的にでっち上げた政体であり、イゼルローン共和政府はヤン・ファミリーの完全独裁体制です。もちろん議会なども存在していませんし、国家政体の樹立についての民意を問う国民投票すら実施しておらず、ましてや主席を選挙で公選したという事実も全くありません。このような国家を「民主共和政体」などと呼ぶ事ができるのでしょうか? これが「民主共和政体」であるというのであれば、ルドルフが樹立した銀河帝国だって立派な「民主共和政体」でしょう。すくなくともアレは国民の審判を受けているだけ、エル・ファシル独立政府やイゼルローン共和政府などよりよほどまともな「民主共和政体」にすら見えるのですけど。
 ヤンがシビリアン・コントロール下における軍人としての責務を放棄して民主主義国家たる同盟を滅亡に追いやった挙句、ヤンとヤン・ファミリーのお歴々が「同盟に代わる民主主義の後継者」として擁護するために戦った政体は、何とゴールデンバウム王朝銀河帝国以上に非民主主義的な自称「民主共和政体」であったわけです。彼らが掲げてきた「民主主義擁護」というのは一体何だったと言うのでしょうか。



 こうして見てみると、ヤンは自分が擁護すべき民主主義とシビリアン・コントロールの概念を完全に理解しないまま「民主主義擁護」なるスローガンを掲げていたとしか思えませんね。ヤンの民主主義とシビリアン・コントロールに対する無理解は、銀英伝のストーリーとテーマを完全に破壊してしまう大矛盾であるといえます。
 ここまで民主主義とシビリアン・コントロールの概念というものを無理解と無自覚のもとに破壊し、しかもまともな政治・戦略・謀略構想すらもないままにラインハルトと戦ったヤン・ウェンリーという人物は、後世の歴史家からどのように評価される事になるのでしょうか。


No. 912
Re: 銀英伝考察2 〜ヤンが殉じたシビリアン・コントロールの実態〜
優馬 2000/5/22 15:17:14
優馬です。
>
> 銀英伝7巻 P194下段〜P195上段
> <「ユリアン、吾々は軍人だ。そして民主共和政体とは、しばしば銃口から生まれる。軍事力は民主政治を産み落としながら、その功績を誇ることは許されない。なぜなら民主主義とは力を持った者の自制にこそ真髄があるからだ。強者の自制を法律と機構によって制度化したのが民主主義なのだ。そして軍隊が自制しなければ、誰にも自制の必要などない」
>  ヤンの黒い瞳が次第に熱を発した。ユリアンにだけは理解してほしかったのだ。
> 「自分たち自身を基本的には否定する政治体制のために戦う。その矛盾した構造を、民主主義の軍隊は受容しなくてはならない。軍隊が政府に要求してよいのは、せいぜい年金と有給休暇をよこせ、というくらいさ。つまり労働者としての権利。それ以上はけっして許されない」>

 昔、これを読んだときは「なるほど、ふむふむ」と思ってしまいました。ああ恥ずかしい。
 私も、昔は青かった(笑)。
 こういう、いじけた、ひねこびた軍隊観というのは、日本独特のものでしょうねえ。一歩日本の外に出ると、軍人という職業は、尊敬されていますもの。
 ところで、いつぞや日本海海戦の話題がありましたが、米国アナポリスの海軍士官学校には、東郷平八郎の等身大の肖像画が飾ってあるとか。世界中の海軍士官は、「海戦の完勝例」として日本海海戦を習っています。またその歴史的価値については、いうまでもなし。



No. 914
Re912:日本における軍隊蔑視思想その他
冒険風ライダー 2000/5/23 01:30:08
<昔、これを読んだときは「なるほど、ふむふむ」と思ってしまいました。ああ恥ずかしい。
 私も、昔は青かった(笑)。
 こういう、いじけた、ひねこびた軍隊観というのは、日本独特のものでしょうねえ。一歩日本の外に出ると、軍人という職業は、尊敬されていますもの。>

 日本における軍隊蔑視思想というのは昔からあるもののようで、その起源ははるか平安時代にまでさかのぼる事ができます。平安時代の政府は直属の軍隊を廃止してしまいましたし、鎌倉幕府が元寇を2度にわたって退けた時も「我々がひたすら天に祈ったおかげで神風が吹いて元寇が防げたのだから、武士に恩賞をくれてやる必要はない」などと主張していた公卿(北畠親房でしたっけ?)がいましたし。
 現代日本の政治家や官僚の中にも「自衛隊はすぐに鉄砲を撃ちたがるから危ない」などと公言したり、自衛隊の司令官に面と向かって「政治家はお前達よりよっぽど偉いんだ」などと堂々と主張したりする人物がいるようですけど、こんなことをしていたら自衛隊員の士気を削ぎ、自衛隊の運営に支障をきたすだけで百害あって一理なしです。
 このような自衛隊に対する偏見まじりな被害妄想もいいかげんにしてほしいものなのですが。

<ところで、いつぞや日本海海戦の話題がありましたが、米国アナポリスの海軍士官学校には、東郷平八郎の等身大の肖像画が飾ってあるとか。世界中の海軍士官は、「海戦の完勝例」として日本海海戦を習っています。またその歴史的価値については、いうまでもなし。>

 まあ田中芳樹にしてみれば、日露戦争において日本が勝利した事自体が気にいらないのでしょうから(何しろ「日露戦争でロシア帝国に『勝利してしまった』」などと言っているのですから)、日本海海戦の歴史的価値などどうでも良いのでしょう(笑)。
 秦檜評価論の時も、直接金との和平を結び、南宋に平和と経済的繁栄をもたらした秦檜に対してひたすら罵倒と誹謗中傷を浴びせ、それこそ単なる「一局地戦の指揮官」でしかなかった岳飛をやたらと礼賛していましたからね〜。ひょっとすると田中芳樹は、地道に戦略的・政治的勝利をおさめる人の活躍などよりも、派手でマニアックな戦術的勝利しか勝ち取れない人の方に魅力を感じるのかもしれません(笑)。政治は結果が全てなのですけどね〜。
 そう言えば確かヤンも最後まで「一局地戦の指揮官」であり続け、何らの戦略的・政治的勝利をおさめることができなかった人でしたね。そのヤンが銀英伝における主役的存在なのですから、ひょっとすると口で何やかやと言っておきながら、銀英伝の頃からすでにこの方針は一貫されていたのかもしれません。


No. 918
Re914:中国における軍隊蔑視思想
優馬 2000/5/23 09:46:53
冒険風ライダーさんは書きました

>  日本における軍隊蔑視思想というのは昔からあるもののようで、その起源ははるか平安時代にまでさかのぼる事ができます。平安時代の政府は直属の軍隊を廃止してしまいましたし、鎌倉幕府が元寇を2度にわたって退けた時も「我々がひたすら天に祈ったおかげで神風が吹いて元寇が防げたのだから、武士に恩賞をくれてやる必要はない」などと主張していた公卿(北畠親房でしたっけ?)がいましたし。

おっしゃるとおりですね。
でも、考えてみると、中国こそ「武官蔑視思想」の本場なのでは?「良い鉄は釘にならない。良い人間は兵隊にならない」という諺があるぐらいです。日本の「軍隊嫌い」は日本独特の宗教感覚によるものと思いますが、中国の「武官蔑視」は政治的なものです。
歴史的には、宋代に科挙制度と皇帝専制が確立してからこっち、「文官優位」の原則が確立します。それはいいのですが、「武官蔑視」もまた確立して、以来中華「正統」王朝は、異民族に戦争で負けっ放し。王朝の創業者とその孫くらいまでの世代は何とか頑張りますが、その後はからっきし。戦争に負け、亡国を何度繰り返しても「武官蔑視」を修正できない中国人。どうしてなんでしょうね。

そう考えると、ヤンの徹底的に間違った「シビリアン・コントロール」の概念って「伝統的中国の発想」に近いのかもしれませんね。そう言えば、あの国には「政府の暴走」をチェックするシステムは、歴史的に存在していないなぁ・・・。
「銀英伝」の「帝国」と「同盟」というのは、実はどちらも中国伝統政治システムに酷似していて、単に「勃興期の王朝」と「衰退期の王朝」の差でしかないのでは?!
ヤンのいじけた政治的怠慢は、「武官蔑視」に対する意趣返しなのかも。
ひょっとして、田中氏の中では、ヤン=岳飛なのでしょうか??


No. 920
Re918:軍隊蔑視思想の起源
冒険風ライダー 2000/5/24 00:39:08
<考えてみると、中国こそ「武官蔑視思想」の本場なのでは?「良い鉄は釘にならない。良い人間は兵隊にならない」という諺があるぐらいです。日本の「軍隊嫌い」は日本独特の宗教感覚によるものと思いますが、中国の「武官蔑視」は政治的なものです。
歴史的には、宋代に科挙制度と皇帝専制が確立してからこっち、「文官優位」の原則が確立します。それはいいのですが、「武官蔑視」もまた確立して、以来中華「正統」王朝は、異民族に戦争で負けっ放し。王朝の創業者とその孫くらいまでの世代は何とか頑張りますが、その後はからっきし。戦争に負け、亡国を何度繰り返しても「武官蔑視」を修正できない中国人。どうしてなんでしょうね。>

 それはおそらく中国における軍隊の質そのものに原因があるのでしょう。
 日本の場合は殺生行為や動物の皮を剥ぐ仕事などを異端視し、排除しようとする「穢れ」という考え方が軍隊蔑視思想の元になっていて、これは神道に基づいてできたものです。この伝統的な考え方に基づく偏見によって日本では軍隊が蔑視されているので、その軍隊の実態が公明正大であろうが何だろうが関係ないわけです。自衛隊に対する非難なども、その大半は偏見と誤解に基づくものです。
 それに対して中国の場合は伝統的に軍隊の質そのものが非常に劣悪で、昔から中央政府の軍隊以外にも宗教的秘密結社や地方軍閥による大小無数の武装集団が存在し、それらが村落レベルに至るまで慢性的な闘争をやっている上、それらの雑軍的な武装集団の統制をとるために司令官自らが兵士の略奪や婦女暴行を奨励している事が、軍隊に対するイメージを大きく悪化させているという事情があります。何しろ中国では軍隊が略奪行為を行うのは当然であると考えられていて、それがない軍隊は特筆大書されるというありさまですからね。これでは軍隊が民衆や政府から好意的に見られるわけがありません。
 いずれにせよ、このような軍隊蔑視思想や政治的思惑に基づく無理矢理な軍隊統制の行きつく先は「政府の暴走」か「軍部の反動」かのいずれかであって、どちらにしてもロクでもない結末をむかえる事は歴史が証明しています。ヤンはこの辺りを考えた事はなかったのですかね〜。

<ヤンの徹底的に間違った「シビリアン・コントロール」の概念って「伝統的中国の発想」に近いのかもしれませんね。そう言えば、あの国には「政府の暴走」をチェックするシステムは、歴史的に存在していないなぁ・・・。
「銀英伝」の「帝国」と「同盟」というのは、実はどちらも中国伝統政治システムに酷似していて、単に「勃興期の王朝」と「衰退期の王朝」の差でしかないのでは?!>

 同盟の政治システムは表面だけを見ればアメリカの大統領制そのものなのですけどね。ただひとつ違う所は議会の存在が希薄であるというところで、このためにシビリアン・コントロールが「伝統的中国の発想」に近くなってしまっていると考えるべきでしょう。
 それにしても、民主主義国家だというのであれば議会の存在は必要不可欠であるはずなのに、なぜ銀英伝世界の民主主義国家には議会が存在しないのでしょうかね? どうも銀英伝世界の民主主義とは、立法府の力が全く無力で行政権力が強大な力を持つ「独裁制民主主義」とでもいうべきシロモノであるようにすら思えるのですが、ヤンはこんなものを守るために戦っていたのでしょうか?

<ヤンのいじけた政治的怠慢は、「武官蔑視」に対する意趣返しなのかも。
ひょっとして、田中氏の中では、ヤン=岳飛なのでしょうか??>

 だとすると、トリューニヒト=秦檜ということになりますね(笑)。
 実際、トリューニヒトは「ハイネセンの10億の市民を救う」という名目で帝国に降伏していますし、バーラトの和約を結んでとにもかくにも同盟の存続を帝国に認めさせています。それに帝国の政官界に人脈と金脈を広げて、帝国に立憲体制を確立しようとしていました。途中で暗殺されてしまいましたけど。
 何とも皮肉な話ですね。エゴイストで「民主主義の裏切り者」であるはずのトリューニヒトの方が民主主義の存続に貢献していて、「民主主義をなんとか存続させよう」としていたはずのヤンとレベロの方が支離滅裂な行動で同盟を破滅に追いやり、戦争を長引かせていたわけなのですから。
 歴史は案外、トリューニヒトの方をこそ「民主主義の擁護者」と評価するのかもしれません。


No. 921
Re: Re918:軍隊蔑視思想の起源
宣和堂 2000/5/24 07:34:50
優馬様曰く

> 歴史的には、宋代に科挙制度と皇帝専制が確立してからこっち、「文官優位」の原則が確立します。それはいいのですが、「武官蔑視」もまた確立して、以来中華「正統」王朝は、異民族に戦争で負けっ放し。王朝の創業者とその孫くらいまでの世代は何とか頑張りますが、その後はからっきし。戦争に負け、亡国を何度繰り返しても「武官蔑視」を修正できない中国人。どうしてなんでしょうね。>
 清以降、民国、共和国では決して軍人は蔑視の対象にはならなかったと思います。

> <ヤンの徹底的に間違った「シビリアン・コントロール」の概念って「伝統的中国の発想」に近いのかもしれませんね。そう言えば、あの国には「政府の暴走」をチェックするシステムは、歴史的に存在していないなぁ・・・。

 諫官と言う制度は唐代からありますから(太宗と魏徴はその理想として書かれる)、日本に比べれば政治の暴走をチェックする機関は発達しています。
 でもソレで却って政治的停滞を巻き起こす結果にはなると思います(皇后の冊立問題や叔父→甥の相続の時によく起こる祭礼、名称問題など)。

> 「銀英伝」の「帝国」と「同盟」というのは、実はどちらも中国伝統政治システムに酷似していて、単に「勃興期の王朝」と「衰退期の王朝」の差でしかないのでは?!>
>
再び優馬様曰く

> <ヤンのいじけた政治的怠慢は、「武官蔑視」に対する意趣返しなのかも。
> ひょっとして、田中氏の中では、ヤン=岳飛なのでしょうか??>

 ソレはないでしょう。ヤンの性格はそれほど悪くないです。岳飛は有能ですが、同僚としたら非常にイヤな存在ですし、何よりもうるさい…。その点は『紅塵』を読めば分かりますよね。どちらかと言えば韓世忠の方が近いです。モデルはもっと他にいますが…。

冒険風ライダー様曰く

>  だとすると、トリューニヒト=秦檜ということになりますね(笑)。
 コレはおそらくモデルの一人だとは思います。両方ともとらえどころが無くて、いつの間にか権力の中枢にいて失脚しない…。おっかないです。


No. 934
Re921:軍隊蔑視思想と民主的統制
優馬 2000/5/27 14:48:36
宣和堂さん、コメントありがとうございます。

>  清以降、民国、共和国では決して軍人は蔑視の対象にはならなかったと思います。

 そうですね、ただ改革解放後の「商売をする人民解放軍」という実態を見るにつけ、共和国に至っても中国に「近代兵制」が成立しているのかどうか、大いに疑問なのですが(笑)。
ここで言う「近代兵制」とは、高度な訓練を受けた専門家集団としての「軍」という意味であり、軍務に専念するかわりに政府から身分と生活の保障を受けるという近代官僚制の中での軍隊のことです。大中華三千年の歴史の中で、近代官僚制はついに成立しなかった。

>  諫官と言う制度は唐代からありますから(太宗と魏徴はその理想として書かれる)、日本に比べれば政治の暴走をチェックする機関は発達しています。
 ホント、偉大なるかな、隋唐の黄金時代! 中国を「中華」と呼んで何人も依存のない黄金時代・・・。実際、諫官といい、科挙の制といい、中国史はその時代においては隔絶して進んだ制度を生み出しています。でも、それを千年後もそのまんま使っているってのはどんなもんかと・・・。偉大な先祖の遺産を食いつぶすドラ息子?
 諫官と言う制度も、皇帝の官吏の一部でしかないのですから、民主的統制の手段としては非常に限界があります。新潟県警に対する管区警察局長の監察が「雪見酒」になってしまっていたように。
 三権分立のように、権力を担う部門を分け、かつ相互に監視・牽制しあうという「チェック・アンド・バランス」のシステムは、権力の暴走を防ぎ民主主義を制度的に担保する、すぐれた知恵です。
 日本は、明治維新のときに近代兵制を含む近代官僚制を導入しましたが、権力の分立によるチェック・アンド・バランスはついに導入しませんでした。後発途上国の余裕の乏しさで、「分立と均衡」という、一見ムダっぽく見えるシステムを持つという選択ができませんでした。そのため、献身的で能率的なすぐれた官僚制度(軍を含む)を持つことができたものの、その暴走を止めることができず、破局にまで突っ走ってしまいました。

 銀英伝の「同盟」の政治状況って、実は一番戦前の日本に似ています。近代的な軍隊があっても立法府の影が薄く、感情的な政治論理が横行するという点で・・・。作者もかなり意識して書いていると思う。
 とすれば、ヤンのイルゼローン攻略は満州事変ですな。僥倖により思わぬ大魚を得て、のちの冒険主義的作戦から亡国につながっていくという点で。そうすると、ヤン・ウエンリーは、同盟の石原莞爾?
 それともイルゼローン攻略=真珠湾攻撃で、ヤン=山本五十六でしょうか?


No. 924
三権分立
平松重之 2000/5/25 13:14:43
Re918で冒険風ライダーさんの意見に、

> それにしても、民主主義国家だというのであれば議会の存在は必要不可欠であるはずなのに、なぜ銀英伝世界の民主主義国家には議会が存在しないのでしょうかね? どうも銀英伝世界の民主主義とは、立法府の力が全く無力で行政権力が強大な力を持つ「独裁制民主主義」とでもいうべきシロモノであるようにすら思えるのですが、ヤンはこんなものを守るために戦っていたのでしょうか?

 とありました。実は自分も銀英伝の記述を鵜呑みにしていた口なので、(^_^;)あまり偉そうな事は言えないのですが、立法・行政といえば司法についても言及しなければならないでしょう。銀英伝の第6巻では、銀河帝国の高等弁務官であったレンネンカンプのヤン逮捕の勧告に屈したレベロが、ヤンを逮捕するように処置を下していますけど、レベロはあくまで行政府の長であって、司法に対しての権限は持っていないはずなのではないでしょうか? これは行政の司法への不当な介入といえるのでは? そして司法側も行政側の命令にあっさり従ってヤンを逮捕しています。これはすなわち司法が行政側に主導権を握られていると解釈出来ます。
 司法・立法・行政の三権が鼎立していない自由惑星同盟とは、果たしてまともな近代(近未来?)国家なんでしょうか?

>冒険風ライダーさん

 投稿方法に関してのご指摘ありがとうございます。ネットにはまだ慣れていないのでこの様な無知な事をしでかし、ご迷惑をおかけしました。以後注意いたします。m(__)m


No. 926
Re921/924:ヤンと岳飛の共通項と三権分立について
冒険風ライダー 2000/5/25 18:28:26
>宣和堂さん
<ソレはないでしょう。ヤンの性格はそれほど悪くないです。岳飛は有能ですが、同僚としたら非常にイヤな存在ですし、何よりもうるさい…。その点は『紅塵』を読めば分かりますよね。どちらかと言えば韓世忠の方が近いです。モデルはもっと他にいますが…。>

 これはどうでしょうか。ヤンと岳飛とでは、性格においても政治的立場においても結構共通項があるように思えるのですが。
 岳飛もヤンも、その現実無視かつ支離滅裂な政治的スローガンはともかく、自分が仕えていた政治体制の維持にすくなからぬ貢献をしていたにもかかわらず、政府に疎んじられた挙句、時の政府から不当な冤罪にかけられたという点では共通項がありますし、それにヤンも岳飛と同じように、自分が気に入らない相手に対しては相当に不遜な態度を取っています(特に政治家に対して)。さらに自軍の中や民衆における名声が高かったことや、政治家に憎しみの目を向けられていたこともまた共通しています。
 したがって、ヤン=岳飛という解釈は立派に成立するのではないでしょうか。

<コレはおそらくモデルの一人だとは思います。両方ともとらえどころが無くて、いつの間にか権力の中枢にいて失脚しない…。おっかないです。>

 しかし結果的にどちらがより現実的な政策が行えたか、といえば間違いなく秦檜タイプの人間でしょう。すくなくともヤンや岳飛はまともな政治的構想や運用方法が全くできていません。理想ばかりを追うあまり、現実が全く見えていなかったのですから。
 「政治は結果が全てである」という観点から見れば、どちらがよりまともであるかは一目瞭然なのではないでしょうか。


>平松重之さん
 いえいえ、こちらこそお手数をおかけして申し訳ありません。m(__)m
 それでは改めて、はじめまして。

<立法・行政といえば司法についても言及しなければならないでしょう。銀英伝の第6巻では、銀河帝国の高等弁務官であったレンネンカンプのヤン逮捕の勧告に屈したレベロが、ヤンを逮捕するように処置を下していますけど、レベロはあくまで行政府の長であって、司法に対しての権限は持っていないはずなのではないでしょうか? これは行政の司法への不当な介入といえるのでは? そして司法側も行政側の命令にあっさり従ってヤンを逮捕しています。これはすなわち司法が行政側に主導権を握られていると解釈出来ます。>

 これは違います。レベロが警察あたりに権力を行使して容疑者を逮捕させる処置を下すこと自体は正当な行政権力の行使にあたります。
 法律に従って判決を下したり、刑を執行したりするのは司法の役目ですが、容疑者を逮捕し、証拠を集め、法廷で被告の有罪を主張する検察は、実は司法ではなく行政権力として位置づけられています。そして司法はこの強大な行政権力から被告の権利を守るために存在しているものであって、だからこそ検察は被告の犯罪行為を完璧に立証しなければならないわけです。
 実は「三権分立」の意義とは、強大な権限を行使する行政権力を立法と司法が監視するというところにあるのであって、それほどまでに行政権力とは暴走すると恐ろしいものであるということです。しかし行政権力が強大な権限を持つこと自体は政治運営において非常に重要なことですから、行政権力を効率良く運用し、その暴走を防ぐためのチェック機能を確立するひとつの方法論として「三権分立」の思想は生まれたわけです。

 話を戻しますと、あの逮捕命令でレベロが責められるべき点は、逮捕を命じたことそれ自体ではなく、その逮捕命令を何の物的証拠もなしに行ったことです。これは行政権力の濫用にあたり、法治主義の観点から言っても弁護の余地はありません。
 まあもともとレベロはヤンを裁判にかけて有罪判決にもっていこうと考えていたわけではなく、最初から謀略によってヤンを犠牲にすることが目的だったのですから、最初から司法の事など眼中にはなかったのでしょう。こういうことを防ぐためにも、行政権力に対するチェック機能は必要不可欠なはずなのですが。
 それにしても、レベロがヤンを逮捕させようとするのであれば、別に「事後法」などを使わずとも合法的にできる方法なんていくらでもあったのに、何でそれを行わなかったのか、私はそちらの方が不思議でなりませんね。


No. 927
Re: Re921/924:ヤンと岳飛の共通項と三権分立について
平松重之 2000/5/25 19:16:15
 >冒険風ライダーさんへ

 こちらこそ改めてはじめまして。
なるほど。自分は三権分立に対して誤解していましたね。またもや無知をさらけ出してしまいました(^^;)。

 一方ヤンと岳飛の共通項に付いてですが、敵対勢力への対応についての主張はまったくの正反対であると思います。ヤンが同盟の国力低下を危惧し、民力休養の為に銀河帝国との和平と共存を考えていたのに対し、岳飛はあくまで金との和平に反対し、主戦派としての態度を一貫して保っていました。同盟滅亡後もヤンは銀河帝国との共存を前提とした政戦両略しか立てていません。
 また、ヤンが批判しつつも自分の上位にいる同盟政府に従ったのに対して、岳飛は上位にいる秦檜の主張する和平に真っ向から異論を唱えています。いわばヤンに比較して、岳飛の方が強硬である様に思え、理念や気質的にはヤンの面影は感じられないと思うのですが…


No. 928
はじめまして と Re:ヤンと岳飛の共通項
しんご 2000/5/25 20:32:47
 みなさん
 どうも初めまして。

 特に! 冒険風ライダーさん。楽しく「考察シリーズ」読ませていただいてます。
 最近ネットを初め、検索するものも思いつかず、ふと「田中芳樹」と打ったのが、幸か不幸かわかりませんが、このページにたどり着きました(笑)。
 もちろん「幸」というのは、久しぶりに田中作品を思い出せたことと、みなさんの詳細な検証、鋭い論旨等の批判に出会えたことであります。そして「不幸」というのは、膨大な過去ログを読むために睡眠時間を削り、寝不足であるということです。(不幸とは言わんか・・・)
 もうすぐ三十路となります。「ああ、銀英伝を読み始め、田中作品と出会ってから10年近くも経つのか」と、彼と出会ったのが遅めの私は昔を思います。
 「創竜伝」のせいで冷めてしまった田中氏への思いを皆さんのようにうまく処理(失礼。誤解のないように。)できなかったもので、なんだか羨ましく思います。もう一度彼の作品を読み、機会があれば書き込みますね。


それと「ヤンと岳飛の共通項」ですが、私は岳飛をあんまり知らないのでなんとも言えませんが、

ヤン=岳飛 ではなく ヤン⊃岳飛

すなわち、モデルの一人でしょうから、このまま、イコールかノットイコールかの流れではしんどいのではないかと思います。

どのあたりが似ていて、どのあたりが決定的に違うのか、をまとめて教えていただければ分かり良いのですが・・・(贅沢な奴や)
なにしろ、田中芳樹 中国もの 読んでません・・・。

では、長文失礼。尚、議論に邪魔であれば、レスは無理しないで下さい。



No. 930
Re: はじめまして と Re:ヤンと岳飛の共通項
平松重之 2000/5/26 11:34:49
しんごさんは書きました
>  みなさん
>  どうも初めまして。

初めまして。

> それと「ヤンと岳飛の共通項」ですが、私は岳飛をあんまり知らないのでなんとも言えませんが、
>
> ヤン=岳飛 ではなく ヤン⊃岳飛
>
> すなわち、モデルの一人でしょうから、このまま、イコールかノットイコールかの流れではしんどいのではないかと思います。

 確かにそうですね。ですが、自分としては別に○×形式で答えを出しているつもりはありません。ただ気質や理念的にはヤンと岳飛は重ならないと思えると主張しているだけで、冒険風ライダーさんのヤンと岳飛の政治的立場などの共通項の主張にも、なるほどと思う所があります。ですが、モデルの一人ではあるでしょうが、あまり大きい比重を占めていないだろうというのが自分の考えです。


No. 931
Re927/928:ヤンと岳飛の相違点と共通点
冒険風ライダー 2000/5/26 15:37:39
>平松さん
<ヤンと岳飛の共通項に付いてですが、敵対勢力への対応についての主張はまったくの正反対であると思います。ヤンが同盟の国力低下を危惧し、民力休養の為に銀河帝国との和平と共存を考えていたのに対し、岳飛はあくまで金との和平に反対し、主戦派としての態度を一貫して保っていました。同盟滅亡後もヤンは銀河帝国との共存を前提とした政戦両略しか立てていません。
 また、ヤンが批判しつつも自分の上位にいる同盟政府に従ったのに対して、岳飛は上位にいる秦檜の主張する和平に真っ向から異論を唱えています。いわばヤンに比較して、岳飛の方が強硬である様に思え、理念や気質的にはヤンの面影は感じられないと思うのですが…>

 これは「攻める」と「守る」の差から出てきた相違点でしょう。
 岳飛の理想は「宋の国土回復」「金の討伐」であり、金に攻めこまなければ理想が実現できなかったのに対して、ヤンの理想は「民主主義の擁護」で、これは別にどこかに攻めこまなければならないものではなく、守れれば良いものなのです。つまり岳飛の理想は攻撃的であり、ヤンの理想は防御的なのです。岳飛は常に対外強硬路線を主張し、ヤンは平和共存路線を選ぶという行動路線の違いはこの違いから生まれたものでしょう。
 また、ヤンも岳飛も共に「利権あさりの政治家」を蔑視していましたが、岳飛の「宋の国土回復」は単純明快にそれのみに熱中する事ができ、それを妨害している(と岳飛の目に映っている)秦檜やその他の文官たちを、別に制度のしがらみなどを特に考える必要もなしに罵る事ができたのに対して、ヤンの「民主主義の擁護」の場合はシビリアン・コントロールのヤン的解釈である「軍人は政治に口を出さない」という理念まで守らなければならず、ヤンは自らの「信念」である「民主主義の擁護」からいっても、政治の場では常に政治家を立てなければならなかったのです。だからこそヤンは、岳飛と違って内心で政治家をどれほどまでに蔑視し、愚劣な思考法に閉口していても、あくまで政治家に従おうとしていたわけです。それが実は本来の「民主主義の理念」や「シビリアン・コントロール」から言っても間違った考え方であるとも知らずに。
 岳飛が追い求めたものは「宋の国土完全回復」という「政治的結果」であり、ヤンが守ろうとしたのは「民主主義の理念」や「シビリアン・コントロール」などといった「制度の理念」です。この違いからある程度ヤンと岳飛の行動の乖離が出てくるわけです。
 このあたりは両者の思想の根本自体が全く違う事から起こる相違点ですから、むしろ違って当たり前でしょう。しかしそれらが影響しない性格や行動原理においては、前回述べたように両者には結構共通項があるというわけです。

 それともうひとつ言っておくと、ヤンは確かに岳飛に比べれば敵対勢力との共存を考えた上で戦略を立てていますが、帝国との共存を考えているからといってヤンの戦略が現実的であるという証明にはなりません。
 これは以前の「銀英伝考察 ヤン・ウェンリーの思想的矛盾」でも言った事なのですが、ヤンが本当に民主主義を守ろうとするのであれば、それを実現するための有効な政治的方法論は他にいくらでもあったにもかかわらず、ヤンはまるでそれが唯一絶対の方法であると言わんばかりにラインハルトの感情に訴えるような戦略(「戦略」と言えるのかどうかすら疑わしいですが)ばかり考えています。特に銀英伝7巻以降はそれが顕著で、戦いを通じて民主主義の価値をラインハルトに分からせるなどという非常に愚劣な戦略に固執しているのです。
 この方法ではバーミリオン会戦のような「ラインハルトを殺す事によって活路を見出す」という戦法が使えませんし、しかも「どこまで戦ったらラインハルトが民主主義の価値を理解し、和平に応じてくれるか」という明確な基準があるわけではないのですから、戦いを通じてラインハルトが本当に民主主義の価値を理解してくれるかどうかも怪しいものです。
 しかも仮に万が一その戦略でラインハルトが民主主義の価値を理解してくれたとしても、それによってラインハルトが和平を結んでくれると考えるのは、ヤンが全否定しているはずの一種の希望的観測ないしは精神論とでも言うべきものでしょう。ラインハルトにしてみれば、和平を結ばずにイゼルローンを陥落させればラインハルトの悲願である銀河統一が達成されるのであり、たかが「民主主義の価値を理解した」などという理由程度でその利益を放棄してヤンと和平を結ぶとはとても考えられません。私がラインハルトの立場にいたら絶対に和平には応じませんね。第一、そのような「皇帝の慈悲」などにすがって存続しなければならないような弱小な政治体制では、いつ皇帝の気まぐれで滅ぼされるやら分かったものではありません。自分たちの命運が敵の胸先三寸にあるなど、愚劣極まる話ではないですか。
 ラインハルトが和平に応じざるをえないような政治的状況を自ら積極的につくり、ラインハルトが実力行使を断念せざるをえないほどの実力を備え、それらを最大限に政治の場に生かす事によって、はじめてヤンの最終目的たる「民主主義の擁護」は実現するのです。それがどうもヤンは分かっていなかったとしか思えませんね。まああの間違ったシビリアン・コントロールの考え方もヤンを束縛してはいたのでしょうけど。
 岳飛も宋と金の絶望的な軍事力格差を全く直視することなく強硬論を唱えていましたが、このあたりの政治に関する現実感覚の欠如もまた、ヤンと岳飛には共通項があると言えるでしょう。


>しんごさん
 どうも、はじめまして。

<「ヤンと岳飛の共通項」ですが、私は岳飛をあんまり知らないのでなんとも言えませんが、
ヤン=岳飛 ではなく ヤン⊃岳飛
すなわち、モデルの一人でしょうから、このまま、イコールかノットイコールかの流れではしんどいのではないかと思います。>

 もちろん私も、ヤンと岳飛の何から何までが全て同一であると考えているわけではありません。しかしながら両者の行動原理などには結構共通項が多く、それを分かりやすく説明するためにあえて「=」を使っていたわけです。ま、厳密なものではないという事ですよ。

<どのあたりが似ていて、どのあたりが決定的に違うのか、をまとめて教えていただければ分かり良いのですが・・・(贅沢な奴や)
なにしろ、田中芳樹 中国もの 読んでません・・・。>

 まあこれについては自分で調べてくださいと言うしかありませんね。議論をするにしても、ある程度の知識は必要不可欠ですから。
 岳飛について調べたいのであれば、ネット検索を使ってみたらどうでしょうか? まあ当たり外れの格差は非常に大きいですけど(^_^;)。


No. 932
Re:930/931:ヤンと岳飛の相違点と共通点
しんご 2000/5/26 16:11:07
冒険風ライダーさんは書きました


>  まあこれについては自分で調べてくださいと言うしかありませんね。議論をするにしても、ある程度の知識は必要不可欠ですから。
>  岳飛について調べたいのであれば、ネット検索を使ってみたらどうでしょうか? まあ当たり外れの格差は非常に大きいですけど(^_^;)。

どうもすんません。それはそうですね。がんばります。
でも、今回のは共通項について納得しました。ありがとうございます。


平松重之さん

> ですが、モデルの一人ではあるでしょうが、あまり大きい比重を占>ていないだろうというのが自分の考えです。

理解しました。しかし、銀英伝の主人公の一人「ヤン」は、矛盾は抱えているものの深みのある人物ですね(矛盾があるから深いのか?)。それに比べて最近の現代物の涼子さんや竜堂兄弟、その敵キャラなど、薄ぺらく感じますね。そのあたりが、最近の田中芳樹作品に私が思い入れがない原因かも・・・。


また、ROMにもどりますが、頑張ってください。機会があれば、また出てくるかも(笑)


No. 938
ヤンの人物像への岳飛の影響度は?
平松重之 2000/5/28 04:28:11
冒険風ライダーさんへ

>  これは「攻める」と「守る」の差から出てきた相違点でしょう。
>  岳飛の理想は「宋の国土回復」「金の討伐」であり、金に攻めこまなければ理想が実現できなかったのに対して、ヤンの理想は「民主主義の擁護」で、これは別にどこかに攻めこまなければならないものではなく、守れれば良いものなのです。つまり岳飛の理想は攻撃的であり、ヤンの理想は防御的なのです。岳飛は常に対外強硬路線を主張し、ヤンは平和共存路線を選ぶという行動路線の違いはこの違いから生まれたものでしょう。
> また、ヤンも岳飛も共に「利権あさりの政治家」を蔑視していましたが、岳飛の「宋の国土回復」は単純明快にそれのみに熱中する事ができ、それを妨害している(と岳飛の目に映っている)秦檜やその他の文官たちを、別に制度のしがらみなどを特に考える必要もなしに罵る事ができたのに対して、ヤンの「民主主義の擁護」の場合はシビリアン・コントロールのヤン的解釈である「軍人は政治に口を出さない」という理念まで守らなければならず、ヤンは自らの「信念」である「民主主義の擁護」からいっても、政治の場では常に政治家を立てなければならなかったのです。だからこそヤンは、岳飛と違って内心で政治家をどれほどまでに蔑視し、愚劣な思考法に閉口していても、あくまで政治家に従おうとしていたわけです。それが実は本来の「民主主義の理念」や「シビリアン・コントロール」から言っても間違った考え方であるとも知らずに。
>  岳飛が追い求めたものは「宋の国土完全回復」という「政治的結果」であり、ヤンが守ろうとしたのは「民主主義の理念」や「シビリアン・コントロール」などといった「制度の理念」です。この違いからある程度ヤンと岳飛の行動の乖離が出てくるわけです。
>  このあたりは両者の思想の根本自体が全く違う事から起こる相違点ですから、むしろ違って当たり前でしょう。しかしそれらが影響しない性格や行動原理においては、前回述べたように両者には結構共通項があるというわけです。

 しんごさんにもお答えした通り、自分も岳飛がヤンのモデルの一人であるという考えは否定していません。ただモデルだとしても大きな比重は占めていないだろうと考えています。冒険風ライダーさんはヤンと岳飛の両者の政治的、歴史的立場を抜きにして性格や行動原理の共通項について言及されていますが、自分も両者の政治的・歴史的立場を考慮に入れずに二人の人物像について単純に比較を行い、「主戦派の岳飛」「和平派のヤン」という二人のイメージが重ならなかったので、前の通りに書いたのですけど、岳飛の人物像がヤンのキャラクターにどれほどの影響を与えているかと言うのは意見の分かれるところでしょうね。また、両者の政治家や官僚に対しての態度ですが、ヤンにとって自らのシビリアン・コントロールに対しての認識が足かせになっていたのは確かですね。この点については、ヤンと岳飛の立場の違いを考えなければならなかったでしょう。迂闊でした。

>  それともうひとつ言っておくと、ヤンは確かに岳飛に比べれば敵対勢力との共存を考えた上で戦略を立てていますが、帝国との共存を考えているからといってヤンの戦略が現実的であるという証明にはなりません。

 自分もヤンの帝国との共存を前提とした戦略が必ずしも現実的であるとは思っていません。冒険風ライダーさんのおっしゃる通り、ラインハルトの好悪の念に訴えて民主主義を存続させようという考えには、危なっかしいものを感じますが、ただ岳飛に比べてヤンは(良きにしろ悪しきにしろ)妥協する事が出来るという点において大きな違いがあると思います。

 それにしてもヤンのシビリアン・コントロールの認識についての議論だったはずが、いつの間にかヤンと岳飛の共通項についての議論になってしまっていますね。(原因は自分にもありますが(^^;))そろそろまとめに入った方がいいかも…。


No. 937
些末なことですが
本ページ管理人 2000/5/28 04:17:58
> 日本の場合は殺生行為や動物の皮を剥ぐ仕事などを異端視し、排除しようとする「穢れ」という考え方が軍隊蔑視思想の元になっていて、これは神道に基づいてできたものです。この伝統的な考え方に基づく偏見によって日本では軍隊が蔑視されているので、その軍隊の実態が公明正大であろうが何だろうが関係ないわけです。自衛隊に対する非難なども、その大半は偏見と誤解に基づくものです。
>

 これはちょっと違うのではないでしょうか。
 もしこの通りだったら、超時代的に日本では軍隊蔑視が無ければありませんが、本格的に軍隊蔑視なのはせいぜい平安時代と現代くらいなものでしょう。
 元寇の北畠親房の件は、例えるなら貧乏なドイツ人が金持ちのユダヤ人に「ちくしょー寄生虫のクセに〜」と言っているようなものではないでしょうか。


No. 941
ケガレ思想
小村損三郎 2000/5/28 11:01:06
本ページ管理人さんは書きました
> > 日本の場合は殺生行為や動物の皮を剥ぐ仕事などを異端視し、排除しようとする「穢れ」という考え方が軍隊蔑視思想の元になっていて、これは神道に基づいてできたものです。この伝統的な考え方に基づく偏見によって日本では軍隊が蔑視されているので、その軍隊の実態が公明正大であろうが何だろうが関係ないわけです。自衛隊に対する非難なども、その大半は偏見と誤解に基づくものです。
> >
>
>  これはちょっと違うのではないでしょうか。

冒険風ライダーさんが紹介した思想は井沢元彦氏が日本人の思考・行動を規定する
「ケガレ思想」
の典型例として主張しているものですが、確かにやや強引な理屈でおいそれとは賛同できません。
“「軍人蔑視」は部落差別と同根のもの”
というのが井沢氏の主張の大元なんですが、やはり少々飛躍し過ぎという気がします。

>  もしこの通りだったら、超時代的に日本では軍隊蔑視が無ければありませんが、本格的に軍隊蔑視なのはせいぜい平安時代と現代くらいなものでしょう。

そもそも
「超時代的に日本では軍隊蔑視があった」
のなら、昭和の初めには何故あんなに軍人が威張っていたのだろう、という素朴な疑問があるのですが、これについては井沢氏は『逆説の日本史』の昭和編で書くそうですので、楽しみにしたいと思います。
(何時になるか分からないけど(^^;))。
現代の極端な「軍隊蔑視思想」の理由も単純に
「戦前・戦中の軍部の横暴の記憶に対する過剰なアレルギー反応」
で十分説明できると思うんですがね。

>  元寇の北畠親房の件は、例えるなら貧乏なドイツ人が金持ちのユダヤ人に「ちくしょー寄生虫のクセに〜」と言っているようなものではないでしょうか。

北畠親房は後醍醐天皇の腹心で、南北朝時代の人です。(「大日本は神国なり」の『神皇正統記』の著者)
貴族の間に武士(軍人)蔑視が厳然と存在することは間違いないでしょうが、元々武士は貴族の「番犬」だった訳だから、この時代の公家の差別感覚は
「元は使用人のくせに大きな顔をしやがって」
という歴史的な経緯に基づく理由の方が大きいのではないでしょうか。
勿論「武士(サムライ=侍う)」の誕生自体にケガレ思想の影響が無いとは言えないでしょうが、他国の宗教的タブーのように行動の一切を縛り付ける程の物とも思えません。
現に北畠親房は息子の顕家に甲冑を着せ、馬に乗せて戦争をさせています。

>「我々がひたすら天に祈ったおかげで神風が吹いて元寇が防げたのだから、武士に恩賞をくれてやる必要はない」などと主張していた公卿

については寡聞にして知らないのですが、この時期(承久の乱・得宗専制体制確立以後)の朝廷と鎌倉幕府の関係はつかず離れずの並立状態のようなもので、一方が一方に恩賞を与える、という種類のものではなかったでしょう。(直接戦った御家人達への恩賞については言うまでもない。むしろ朝廷の手で勝手に武士達への恩賞など与えられては幕府の方が困ってしまう。幕府のアイデンティティそのものの否定ですから。
源頼朝が義経を断固排除したのを見れば分かる)


No. 942
Re937/938/941:岳飛の影響とケガレ思想
冒険風ライダー 2000/5/28 17:22:51
>平松さん
<自分もヤンの帝国との共存を前提とした戦略が必ずしも現実的であるとは思っていません。冒険風ライダーさんのおっしゃる通り、ラインハルトの好悪の念に訴えて民主主義を存続させようという考えには、危なっかしいものを感じますが、ただ岳飛に比べてヤンは(良きにしろ悪しきにしろ)妥協する事が出来るという点において大きな違いがあると思います。>

 ヤンの思想のひとつに「信念否定論」「価値相対主義」というのがあります。だから岳飛のように「敵を全否定して殲滅する」という考え方を嫌悪していた形跡があります。それにヤンはラインハルトを「理想的君主」として尊敬していましたし、その政治の成果を高く評価していました。だからこそヤンは帝国との共存を望んだのでしょう。これがルドルフだったらどうなっていた事か……。
 一方の岳飛は自分の「信念」である「宋の国土回復」が絶対に正しいと確信していた上、金王朝を「討伐すべき夷狄蛮戎」としか見ていなかったのですから、敵と妥協をする気など全くなかったわけです。だからこそ金との和平を望んだ秦檜と徹底的に対立した挙句、罪をでっち上げられて殺されてしまうのですが。
 「モデル」だの「パクリ」だのといっても、別に全てを模倣する必要もないわけで(「モデル」がたったひとりだった場合でも)、共通点もあれば相違点もあるのは当然なのではないでしょうか。私もそれに基づいて「ヤンと岳飛には共通項が多い」と主張しているのですが。

<それにしてもヤンのシビリアン・コントロールの認識についての議論だったはずが、いつの間にかヤンと岳飛の共通項についての議論になってしまっていますね。(原因は自分にもありますが(^^;))そろそろまとめに入った方がいいかも…。>

 というよりも、ヤンのシビリアン・コントロールについての認識が間違っていて、ヤンは民主主義下における軍人の義務を全く果たしていないという私の主張に対して誰一人として反対意見を出してこないので、現状では「ヤンのシビリアン・コントロールの認識」についての議論は成立しようもないのです(T_T)。
 私としては反対意見を楽しみにしているのですが、誰かヤン擁護の立場に立って反論してくれないものやら。


>ケガレ思想

 これは井沢元彦氏も主張している事ですが、「穢れ」というものには殺生行為などだけではなく「汚い(と見られる)手段での金儲けや政治手法」などもその範疇に入ります。典型的なものが「政治家の汚職行為」や「政治的マキャベリズム」に対する蔑視感と嫌悪感ですね。
 昭和における日本で軍人が威張るようになった理由は、もちろん大日本帝国憲法における構造的欠陥である「統帥権の独立」が字面通りに解釈され、抑えが効かなくなってしまった事が第一の理由ですが、それ以外にも当時の軍人が政治家に比べて「清潔」であると見られていたからであるという事情があります。
 大正時代に日本が次第に議会制民主主義に近づいていき、普通選挙権が成人男子全てに与えられるようになると、それにともなって多額の選挙資金が必要となり、財閥などから資金提供を受ける政治家が多く出てきたのですが、それを「汚職」「政治家の腐敗」などと見なして「清潔な政治を実現しよう」という考え方が民衆や軍人の間で支持されるようになったのです。そして当時の軍隊は「清廉潔白」だの「品行方正」だのと見られていましたから、それに伴って軍人の方が政治家よりも国民から支持されるに至ったわけです。
 そもそも「汚職」という言葉自体が「ケガレ思想」の表れでしょう。何しろ「汚い職権行為」と書くくらいなのですから。しかし政治の世界において「清廉潔白」がどれほどまでに危険なシロモノであるのかは、戦前の日本や、銀英伝における同盟の救国軍事会議クーデターなどの事例を見れば一目瞭然です。「ケガレ思想」はこれが全く見えなくなるから困ったものなのですが。
 ちなみに明治・大正においても、やはり軍隊はどちらかと言えば蔑視されていました。何しろ当時の大日本帝国議会における民党(自由民権運動の政党)は、当時の国際情勢を全く顧みる事なしに常に軍縮を唱えていましたし、大正デモクラシーも自分達が主張していた軍縮を実現させるために行ったものです。しかし普通選挙制を実現した結果、まさか彼ら自身が「穢れ」と見なされる事になってしまうとは思わなかった事でしょう(笑)。これは「歴史のパラドックス」とでもいうべき話ですね。

>小村さん
<北畠親房は後醍醐天皇の腹心で、南北朝時代の人です。(「大日本は神国なり」の『神皇正統記』の著者)
貴族の間に武士(軍人)蔑視が厳然と存在することは間違いないでしょうが、元々武士は貴族の「番犬」だった訳だから、この時代の公家の差別感覚は
「元は使用人のくせに大きな顔をしやがって」
という歴史的な経緯に基づく理由の方が大きいのではないでしょうか。
勿論「武士(サムライ=侍う)」の誕生自体にケガレ思想の影響が無いとは言えないでしょうが、他国の宗教的タブーのように行動の一切を縛り付ける程の物とも思えません。
現に北畠親房は息子の顕家に甲冑を着せ、馬に乗せて戦争をさせています。>

 正確には「貴族は軍隊蔑視と現実との必要性との二律背反に常に悩まされていた」というものでしょうか。
 軍隊蔑視思想は常に現実との妥協を迫られるものです。いくら理念や思想に基づいて軍隊を蔑視・否定したところで、現実問題として軍隊は必要不可欠です。だから「しかたないからしぶしぶ軍隊の存在は認めてやるが、最終的には否定する」という考えだったのではないでしょうか。
 これはヤンにも全く同じものが見られまして、いくら「民主主義の理念」にヤンが忠実であったとしても、現実問題として「民主共和政体」が滅んでは困るから、しぶしぶながら「民主共和政体の存続」のために戦う、といったものと構造的に同じものなのではないでしょうか。


No. 945
Re937ケガレ思想と日本人の軍隊観
優馬 2000/5/29 14:47:12
冒険風ライダーさま。

>  昭和における日本で軍人が威張るようになった理由は、もちろん大日本帝国憲法における構造的欠陥である「統帥権の独立」が字面通りに解釈され、抑えが効かなくなってしまった事が第一の理由ですが、それ以外にも当時の軍人が政治家に比べて「清潔」であると見られていたからであるという事情があります。

>  軍隊蔑視思想は常に現実との妥協を迫られるものです。いくら理念や思想に基づいて軍隊を蔑視・否定したところで、現実問題として軍隊は必要不可欠です。だから「しかたないからしぶしぶ軍隊の存在は認めてやるが、最終的には否定する」という考えだったのではないでしょうか。
>  これはヤンにも全く同じものが見られまして、いくら「民主主義の理念」にヤンが忠実であったとしても、現実問題として「民主共和政体」が滅んでは困るから、しぶしぶながら「民主共和政体の存続」のために戦う、といったものと構造的に同じものなのではないでしょうか。

そうするとやはり「同盟」は戦前の日本なのかもしれないですね。
ヤン・イレギュラーズなどという非民主的政権に希望をつなぐという倒錯は、二・二六事件の青年将校に対して国民世論の澎湃たる支持があった一件を想起させます。実際、反乱を起こして一国の政府高官を暗殺した連中を、あろうことか陸軍首脳は無罪放免にしようとして昭和天皇を激怒させてしまったくらいです。
軍は政治家より清潔、軍の中でも「純粋な」青年将校はもっと清潔、という、「ケガレ思想」に強固に支えられた発想がなければ、このような狂気の沙汰の振る舞いはありえないわけで、戦前の政治史の骨格には、間違いなく私たちの「隠された宗教意識」=「ケガレ思想」が存在すると思います。
ヤンの振る舞いは、「日本的軍隊忌避思想」と考えるとよく理解できます。「なんの因果で軍人なんてものになっちまったんだろう」というヤンのボヤキは、一見ユーモラスでありますが、一国の興亡を双肩に担った重大人物の発言としては、これほど心寒いものはありません。謹んで「亡国提督・ヤン」と呼んでさしあげましょう。

 ところで「同盟」が亡国の戦争を止められないメカニズムには、もう一つの「日本教」である「御霊信仰」が関連していると思いますが、いかがでしょうか?


No. 946
Re942/945:ヤンの性格と思想
平松重之 2000/5/30 12:06:18
冒険風ライダーさん

>「モデル」だの「パクリ」だのといっても、別に全てを模倣する必要もないわけで(「モデル」がたったひとりだった場合でも)、共通点もあれば相違点もあるのは当然なのではないでしょうか。私もそれに基づいて「ヤンと岳飛には共通項が多い」と主張しているのですが。

 自分にとってヤンの「いやいや軍人なのに不敗の名将」というキャラクターの特異性は結構印象深いものがあったのですから、どうもそのあたりの印象が岳飛と重ならなかったので前回の通り主張していたのですが、冒険風ライダーさんのご主張は理解しました。

 優馬さん

 >ヤンの振る舞いは、「日本的軍隊忌避思想」と考えるとよく理解できます。「なんの因果で軍人なんてものになっちまったんだろう」というヤンのボヤキは、一見ユーモラスでありますが、一国の興亡を双肩に担った重大人物の発言としては、これほど心寒いものはありません。謹んで「亡国提督・ヤン」と呼んでさしあげましょう。

 横レスですいません。ですが、誰でも重い責任を背負い込むはめになれば、この様な愚痴をこぼしたくなるのかもしれません。ヤンの場合はなりたくないのに軍人になって重責を背負ってしまったのですが、自ら志願して軍人や政治家になった人も、私的な場で愚痴をこぼしたりする事があるのではないでしょうか。ヤンもその様なボヤキは、聞かせる対象は身内(ヤン・ファミリー含む)に留めていますし、公的な場では一応の責務を果たしています。ヤンにとっては公私をわきまえての結果としてのボヤキだと思うのですが…。


創竜伝考察31へ 銀英伝考察2−Bへ

トップページへ 考察シリーズ
全一覧ページへ
ザ・ベスト一覧へ