田中芳樹の評論検証
5-A

田中芳樹の図書館学(1)

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収録投稿1件目
board3 - No.844

はじめまして、そして最初の意見を

投稿者:オズマ
2001年03月15日(木) 00時57分

始めまして、オズマというものです。
私も以前から田中芳樹の思想について矛盾を感じることが多くありました。
これからよろしくお願いします。

早速ですが、田中芳樹の思想についてもの申したいことがあるので、投稿させて頂きます。
少々古い作品で、あるいは同じような議題がこれまでにもあったかもしれませんが、そのときはご容赦願います。

以下に引用するのは田中芳樹の作品である、『アップフェルラント物語』に収録されている「『ルリタニア・テーマ』について」という彼の文章の中の一節です。

「ルリタニアに限らず、架空の国や地名に興味のある人は、講談社刊の『世界文学にみる架空地名大事典』がおすすめ。欧米の作品しか出てこないのと、やや読みづらいのが欠点だが、架空の国の地図なども多く入っており、読んで損はない。やたらと厚くて高価な本だが、図書館に行けば置いてあるはずだ。まともな図書館ならね。」

さて、皆さんはこの文章についてどういう感想を持ったでしょう。
どこがおかしいのかわからないという人も多いと思います。
しかし、図書館学を多少なりとも学んだことがある人なら、この文章がいかに無知からの発想なのか、いかに図書館を理解していないのかがよくわかると思います。
この文はどうも既存の図書館を侮蔑するような意図があるように感じられます。
まあこれが田中芳樹の表現のパターンといってしまえばそれまでですが、私は図書館学を学んだものですし、その立場からもこの発言は見過ごすわけにはいかないものです。
そこで、今回は図書館学的見地からこの文章の矛盾についてお話していきたいと思います。

田中芳樹は、『世界文学にみる架空地名大事典』が、まともな図書館にはあると言います。
それは裏返せば、『世界文学にみる架空地名大事典』がおいてない図書館はまともではないということになります。
まともではない図書館はありますが(その類型は後で述べます)、少なくともこのような理由で図書館をまともかまともでないかを判断するのことは正当性を持たないと私は思います。

ここでまず最初に、なぜ田中芳樹がまともな図書館には『世界文学にみる架空地名大事典』があると言ったのか、その考えうる、(付け加えれば、)できるだけ説得力をもった理由を推測してみようと思います。
①田中芳樹自身が、この本こそは図書館に置くべき本だと思っているから。
②田中芳樹が、図書館はより多くの、より多様な種類の本をそろえるものだ、と認識しており、
 その意味からこの本も置くべきだと思っているから。
③田中芳樹の思想はともかくとして、この本が作家や文学の研究者の間で必携とも言うべき本であり、
 なおかつ学術的価値が高い。その意味で図書館に置くべき価値があるから。

一応この三つの理由を想定し、それに沿って話を進めていきたいと思います。
もちろん他の理由も推測できるでしょうし、より説得力のある理由を思いついた人は、是非意見してください。

まず①についての考察です。
これは考えるまでもなく誤った理由だと言うことができると思います。
人間誰しもが自分の好きな本をもっているでしょうし、これこそ図書館に置くべきだという本も多いと思います。
極端な話、日本だけでも一億三千万種類のそういう本があると思います。まあ、人々の好きな本はだぶっていることもありますから、それほどまでは多くはありませんが、それでもかなりの数の種類の本があります。
それらすべてをそろえる図書館など、納本制度をとっている国会図書館しかありません。それを一般の図書館に求めるのは狂気の沙汰としか思えません。
以上のような理由から、この①の理由によって田中芳樹が上記のような思想を持つならば、それには正当性がありません。

次に②についての考察です。
これについては納得する人も多いかもしれませんが、やはり図書館学的には間違った認識なのです。
現在の図書選択論は、いかによく利用される蔵書を作り上げるかということがその根本テーマです(ここで現在の図書選択論といいましたが、引用の文は1989年に発表されたもので、このころには既にこの思想が図書選択論の主流だったはずです)。
それは図書館はあくまでも市民の為のものであることを考えれば、そのニーズに合ったものをそろえるのは当然です。
もちろん図書館の役割のひとつに集というものがありますが、これは国会図書館や県立レベルの大図書館が担うものであり、一般の図書館はその役割を追求する立場にはありません。
従って一般の図書館は、先に述べた様に、いかによく利用される蔵書を作り上げるかということを目的に図書選択をしているわけです。
そこでその『世界文学にみる架空地名大事典』というものを考えてみましょう。
統計を取ったわけではありませんから迂闊なことは言えませんが、その本が一体どれだけの人が望むものだと言えるでしょう。
少なくとも普通の人が、先を争って利用するようなものではありません。その本が幾らなのかは知りませんが、事典というからには相当値が張るでしょう。
単純にその本一冊の値段で、多くの人が読みたい売れ筋の本(例えば今話題の芸能人の自叙伝など、図書館に置くにふさわしいものではないと思われがちなものでもよい)が5冊ほど買えるとしましょう。
その場合、現在の図書選択論から言えば、その売れ筋の本を5冊同じ物を購入して利用者に提供すべきなのです。なぜなら、今読みたい本が1カ月の予約待ちというような図書館では利用者が信頼しないからです。
その点から、資料収集もその役割とする大図書館がその本を収集するのは当然として、もしその本を収集していない中小規模の図書館があったとして、その中小規模の図書館が、あまり利用が見込めないからというような理由から、あるいは限りある費用の中でより利用されやすい本をそろえる為にという理由から収集しないからといって、即、この図書館をもまともでないとするのは真に短絡といわざるを得ません。
では、その本がよく利用されるはずなのに無いとしたらどうなのだ、あるいはあまり利用されないからという理由ではない別の理由で収集していないならばそれはどうなのだ、という意見は皆さん持つと思いますが、これは③の考察の後で考えたいと思います。
以上のような理由から、この②の理由によって田中芳樹が上記のような思想を持つならば、それには正当性がありません。

最後に③についての考察です。
確かに『世界文学にみる架空地名大事典』は、そう多くの利用が望めるようなものではないかも知れない。
しかし、流行に流されることなく、真に良書といわれるものをそろえるのも図書館の役割ではないのか。この本にはその価値がある。そういう意見を持つ人もいるかもしれません。
しかしそれは大きな間違いです。いくら良書と言われるようなものを多く集めようと、利用されなければ意味がないのです。これは大前提です。
後は②の考察がそのまま当てはまります。
以上のような理由から、この③の理由によって田中芳樹が上記のような思想を持つならば、それには正当性がありません。

ここで一つ補足をしておきますが、今まで述べてきたのは普通の本についてであって、ここで話題としている『世界文学にみる架空地名大事典』は厳密にはレファレンスツールというもので、普通の本とは違います。
この点から、この本を全く普通の本と同じに扱うわけには行きませんが、それでも、選択については、用途や利用頻度などの面からの制約はある程度当てはまります。

ここで②の考察の最後に述べた問題、「その本がよく利用されるはずなのに無いとしたらどうなのだ、あるいはあまり利用されないからという理由ではない別の理由で収集していないならばそれはどうなのだ」ということについて考えてみましょう。
そもそも図書館は限られた費用のもとで活動を行っているわけですから、その収集力にも限りがあります。
さらには図書館といえどもどの本がよく利用されて、どの本があまり利用されないのか、すべてを見通すことはできません。
例えば想像してみてください。
あなたの専門分野が経済だとします。そこであなたがよく利用される哲学書を選択してみろといわれたとき、あなたは正しく選択する自信がありますか。そこで図書館はそれぞれの館で一般的な図書選択の基準を設け、それに沿った選択をするのです。
その際には当然、よく利用されるはずの本が選択からもれる場合があります。そのときはどうするのでしょうか。
図書館には必ず(といっていいほど)、収集してほしい本のリクエスト用紙が用意されています。図書館はそのリクエストに答えることで、よく利用される蔵書を作り上げていくのです。
しかし、図書館としてもそのすべてに応えられるわけではありません。費用の問題。内容があまりに高度である為、一般の図書館向けではない場合、などなど。
そういうときにも図書館は応えてくれます。
図書館には近隣の図書館とのネットワークが整備されていることが多くあります。自館にない本も他館ならあるかもしれません、そういう時は取り寄せてくれます。もし近隣の図書館にもない場合でも、より上位である県立図書館などに要請して取り寄せてもらうこともできます。究極的には国会図書館に依頼することも可能なのです。
その際、図書館としては必ず相談に乗ってくれます。それこそまともな図書館ならね。

ここまで読んでいただいた方にはもうお分かりでしょう。
まともではない図書館というのは、ある特定の本を所蔵していない図書館ではなくて、リクエスト用紙がない図書館、利用者の求める本がないときに、その要求をつっぱねる図書館のことです。つまりは利用者の要求に応えられない図書館のことなのです。
田中芳樹はある本がない時点で、その図書館をまともではないとしていますが、それは大きな間違いです。
しかし、私はその間違いを犯したことで彼を批判はしません。彼に図書館学の知識がないことは彼の罪ではないのですから。
だが、知識がないにもかかわらず、その間違いを独断という形で正当化してしまうことは彼の立場上、非難されてしかるべきです。彼はベストセラー作家です。その影響は大きいでしょう。
彼の文章を読んで、図書館に『世界文学にみる架空地名大事典』を探しに行った人もいるでしょう。そのときにその本が書架になくて、その結果その人が彼の言葉を信じてその図書館をまともでないと判断して、図書館を信頼しなくなったら、彼にはその責任が取れるのでしょうか。
この場合は、リクエストやリファレンスについても言及すべきだったと私には思えます。
図書館について言及する以上、あるいは図書館を利用したことがあるならば、リクエストやリファレンスというサービスの存在は常識なのですから。
リクエストやリファレンスというサービスの事を知りながらそのことについて触れなかったならばそこには明らかな図書館への侮蔑、悪意が見てとれますし、そのことまで頭が回らなかったのなら、それは無知ではなく無能です。

以上、私が感じた田中芳樹の矛盾について述べてみました。
些細なことかもしれませんが、独断で間違いを述べる彼の姿勢について苦言を呈してみました。そういう私のこの意見も独断といわれればそうなんですけどね(笑)。
この文について何か思うところがある人がいれば、是非意見を聞かせてください。
では、これからもよろしくお願いします。

なお、この文を読んで図書選択論について興味を持ったかたは、是非図書館で関連の本を探してみてください。
図書館関係の本はNDCで0××(ゼロ何とか何とか)の番号が与えられています。
選択論については、時代の新しいものと古いものでその内容が大幅に違っているので、その変遷について調べるのも面白いですよ。
もし希望する本が無いならレファレンスへ行ってくださいね(笑)。

収録投稿2件目
board3 - No.846

ベストセラーを置くか、貴重な基礎資料を置くか

投稿者:新Q太郎
2001年03月15日(木) 13時37分

というのは、最近リンボウこと林望や
「だれが本を殺すのか」を書いた佐野眞一が、はっきり後者の
立場に立って「『五体不満足』やら『脳内革命』なんかどこでも
買えるんだから(何冊も)置くな!」と主張してましたね。

田中氏も、大学では古典研究者であり、書誌学的なことも
しているのでリンボウ氏に近いのですかね。

図書館は今後、ビデオ・CDの扱い、電子図書館化、スペースと蔵書、
「差別」文書、「非健全」文書をどうする…といったいろんな問題が
でてくるでしょうね。週1回は使用しているヘビーユーザーとしては
感謝とともにいろいろ要望もありますが。

…ところで、まだ「創竜伝」が貸し出しや閲覧禁止された図書館は
ないようですね(笑)。

収録投稿3件目
board3 - No.847

Re: ベストセラーを置くか、貴重な基礎資料を置くか

投稿者:オズマ
2001年03月16日(金) 04時21分

こんにちは、オズマです。
ご意見ありがとうございました。
このご意見は回答を求められているようなものではないと思いますが、せっかくですか
らいくつかコメントしてみます。

> というのは、最近リンボウこと林望や
> 「だれが本を殺すのか」を書いた佐野眞一が、はっきり後者の
> 立場に立って「『五体不満足』やら『脳内革命』なんかどこでも
> 買えるんだから(何冊も)置くな!」と主張してましたね。
>
> 田中氏も、大学では古典研究者であり、書誌学的なことも
> しているのでリンボウ氏に近いのですかね。

リンボウや佐野眞一の言っていることは間違いではありません。選択論のひとつとしてこのような考え方はあります。

ここで、資料選択論の歴史について簡単に説明しておきます。
資料選択論の歴史は大まかに二つに分けることができます。1960年代以前と1970年代以降です。
1960年代以前の選択論をまとめると次のようになります。
一応市民の支持を受ける図書館作りを目指してはいるが(あるいは格好だけだったかもしれませんが)、それを徹底することができませんでした。
ちなみにそのときの市民の求める図書とは、「簡単なもので、写真が多いもの」というものだと考えられていました。
そしてそれとは別に、選択の基準としては厳格なものが用意されていました。テーマの独創性、文体の簡潔・明瞭性、さらには文字の大きさや出版社の社風といったものです。
そしてそれらを踏まえた上で、図書選択の際には、人々が求めているものは必ずしも文学的には優れているとは限らないから(さらには人々が求めるものは文学的に価値の低いものが多いとまで述べられている)、ある図書を選択するときにそれがベストセラーかどうかは二義的要件として考えればよい、という結論が出されていました。

1970年代以降に関しては先の投稿を読んでいただければわかると思います。

1970年代以降、利用者のニーズを第一に考える図書選択の考え方が発達してきたわけですが、1980年代に一時期別の考え方が台頭してきたこともありました。その主張はいくつかあるのですが、このテーマに関係のありそうなものを挙げてみます。

「ポピュラーな本は住民に買わせればいい。そうすれば今の図書館費で十分まかなえる」
「図書館は住民の買えないようなものだけ買えばいい」
「複本は買うな」

まさに、リンボウや佐野眞一、さらには田中芳樹(もそうだと考えられるでしょう)の考え方です。
特筆すべきは、この考え方が地方財政悪化に伴う行政当局からの意見だったということです。
ちなみにこの考え方は、ある先生方に言わせれば「どういう図書館サービスを受けるのかを決定する主体が本来、住民の側にあるという認識を欠いている」として、一刀のもと切り捨てられています。
田中芳樹もこの考え方を持っているとするならば、皮肉なことに、彼の非難する(彼の作品の端々で同類項が見られる)お役所仕事と同じ事を彼自身が主張しているということになります。

> 図書館は今後、ビデオ・CDの扱い、電子図書館化、スペースと蔵書、
> 「差別」文書、「非健全」文書をどうする…といったいろんな問題が
> でてくるでしょうね。週1回は使用しているヘビーユーザーとしては
> 感謝とともにいろいろ要望もありますが。

図書館学の世界ではそのいずれもよく議論されています。
利用者としては、バンバン図書館に希望を出せばいいんです。時間はかかるかもしれませんが、それが利用者の求めることであればそれを実現する方向に進んでいくのが、「市民の図書館」として、まともな図書館ですから。

> …ところで、まだ「創竜伝」が貸し出しや閲覧禁止された図書館は
> ないようですね(笑)。

蛇足ですが、先に述べた1980年代に台頭した選択論の一つにこのようなものがあります。
「図書館に政党色のあるものを置くのはおかしい。図書館は中立でなければならない」
これは、逆説的にはある特定の政党を批判しているものも中立性を欠くということになり、当然「創竜伝」(一応実在の政党名は出てきませんが、内実は自明ですね)もそれに当てはまるべきです(笑)。
もしこの考え方が主流になっていれば田中芳樹はどんな顔をしたことでしょう。

なおこの投稿をする際に、
伊藤昭治・山本昭和編著『本をどう選ぶか』日本図書館研究会、1998年
を参考にしました。

収録投稿4件目
board3 - No.850

Re^2: ベストセラーを置くか、貴重な基礎資料を置くか

投稿者:てんてんdwp
2001年03月16日(金) 15時08分

てんてんDWPです。

以下、私は図書館学を知りませんから勝手な想像ですが・・・

もともと図書館が「文化施設」、もっと言っちゃうと「教育施設」として設けられたんじゃないでしょうか。
「非営利組織である以上、万人に受ける本を置くのではなく、文化的教育的な図書を置くべきである」みたいなのが根底にあったのが1960年代以前。
しかし、1970年代になると「誰も利用しない文化施設」に対する存在意義が問われるようになり、大衆のニーズに沿った図書「も」置くべきだ、という具合に変わってきたんだと思います。
この転換の背景には「大衆ニーズに沿った本を読んでもらえば、そのついでに他の本も読むようになるかも知れない」というのがあると思います。
もちろん「本離れ」を防ぐ防波堤としての図書館も求められたのでしょう。
パソコンでもなんでもそうですが、「とりあえず簡単なものでもいいから使ってもらえ」ば、「そのうち複雑なのも使ってくれるかも知れない」ですから。
1980年代の思想というのはそういう状況を外から見て「文化教育施設である図書館が大衆に迎合するとは何事だ」とか、「利用者数を増やすという商業主義に汚染されている」みたいな(笑)発想から生まれたんじゃないですかね。

てんてん dance with penguin

収録投稿5件目
board3 - No.861

Re^3: ベストセラーを置くか、貴重な基礎資料を置くか

投稿者:オズマ
2001年03月19日(月) 03時35分

てんてんDWPさんご意見ありがとうございます。
少し遅れてしまいましたが、コメントさせてもらいます。

> 以下、私は図書館学を知りませんから勝手な想像ですが・・・
>
> もともと図書館が「文化施設」、もっと言っちゃうと「教育施設」として設けられたんじゃないでしょうか。
> 「非営利組織である以上、万人に受ける本を置くのではなく、文化的教育的な図書を置くべきである」みたいなのが根底にあったのが1960年代以前。
> しかし、1970年代になると「誰も利用しない文化施設」に対する存在意義が問われるようになり、大衆のニーズに沿った図書
「も」置くべきだ、という具合に変わってきたんだと思います。

この辺は微妙なんですよね。
私が理解しているところでは、てんてんDWPさんが言われているように、図書館は教育施設であることは間違いありません。
しかし、時代によってその教育の内容が違いというんでしょうか、かつての図書館界では、図書館はそれこそ堅い意味での教育施設と取られていたと思います。
では現在はというと、図書館、博物館、公民館の三つが市民の生涯教育の場であるということがよく言われているように、図書館はまぎれもなく教育施設なのです。
例えば公民会主催の催し物(映画上映や、簡単なスポーツ大会など)も生涯教育の一環とされています。
このように、公民館の催し物や、図書館でベストセラーを貸し出すことも、市民の教育なのです。
映画上映は文化的だし、スポーツは健全な心身を作るし、ベストセラーは読書傾向を強める、といったところでしょうか(笑)。

> この転換の背景には「大衆ニーズに沿った本を読んでもらえば、そのついでに他の本も読むようになる
かも知れない」というのがあると思います。
> もちろん「本離れ」を防ぐ防波堤としての図書館も求められたのでしょう。
> パソコンでもなんでもそうですが、「とりあえず簡単なものでもいいから使ってもらえ」ば、「そのうち複雑なのも使ってくれるかも知れない」ですから。

そうですね、もちろんそういう意図もあると思います。
でも、「大衆ニーズに合わせる」ことこそが基本じゃないかと私は思っています。
図書館サービスは、国の市民に対するサービスですから。

私の図書館学の師匠が、「大衆ニーズに合わせるだけでは、商売でやっている貸し本屋と同じだ」という反対者からの意見に対して答えました。貸し本屋は商売でやっており、客の利用するものをよくそろえているから、「貸し本屋と同じだといわれることこそ本望だ」と。
ちなみに、その先生は日本でも有数の利用実績を持つある図書館にいたことがあり、実績からいって、その言葉には含蓄があります。

余談ですが、最初にその先生の教えを受けたときそのあまりの独断ぶりに少々引いてしまったことを覚えています。田中芳樹と似ているかもしんない(笑)。
ただ、その先生は理論はもちろん、実践に基づく実績が有るから、決して嫌悪感は抱きませんでした。少なくとも理解はできました。

> 1980年代の思想というのはそういう状況を外から見て「文化教育施設
である図書館が大衆に迎合するとは何事だ」とか、「利用者数を増やすという
商業主義に汚染されている」みたいな(笑)発想から生まれたんじゃないですかね。

いやいや、もしかしたら単に地方行政の財政難からどうにかして教育方面の費用を削りたい当局が、てんてんDWPさんの言うような大義名分を引っ張ってきたというだけかもしれませんよ。
日本は先進国で最も財政における文化費の割合が低い国だそうですから(笑)。

では失礼します。

収録投稿6件目
board3 - No.863

Re^4: ベストセラーを置くか、貴重な基礎資料を置くか

投稿者:優馬
2001年03月19日(月) 05時29分

優馬です。

> 私の図書館学の師匠が、「大衆ニーズに合わせるだけでは、商売でやっている貸し本屋と同じだ」という反対者からの意見に対して答えました。貸し本屋は商売でやっており、客の利用するものをよくそろえているから、「貸し本屋と同じだといわれることこそ本望だ」と。ちなみに、その先生は日本でも有数の利用実績を持つある図書館にいたことがあり、実績からいって、その言葉には含蓄があります。

素晴らしい先生に教わっていらっしゃいますね。
多くの図書館が「お上」意識から抜け出せず、利用者ニーズに応える努力を怠っている現状では光ります。
ただ、たぶん先生もわかっておられるとは思いますが、「顕在化したニーズ」に応えるばかりが行政の仕事ではありません。お客様自身が、自分の真のニーズを知らないことだってある。図書館の場合、地域の知的インフラとして、あるいはコミュニティの核として、それぞれのミッションがあると思います。その使命の達成に向けて図書の選考も考えられるべきです。そのへんの戦略的思考のない「ベストセラー揃え」は、やはり大衆迎合だと思います。

サイトの趣旨とはずれてきていますので、これ以上の議論はメールでいただけませんでしょうか。では。

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