田中芳樹の評論検証
2-A

田中芳樹の思想遍歴(1)

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コンテンツの総収録投稿数12件の内、1~12件目の投稿を掲載

収録投稿1件目
board1 - No.542

初めまして。実家にあった興味深い資料について書き込ませていただきます。

投稿者:コジラ
1999年01月07日(木) 01時25分

ここで議論されている皆様、初めまして。

 私は酉の會からこのサイトを知り、創立時からずっと論議を見守っていましたが、実家に帰ってから興味深い資料を発見したので書き込ませていただきます。

 私の高校のコンピュータ部発行の同人人名辞典に「李家豊」の名がありました。

<◆李家豊 りのいえ・ゆたか
 言わずと知れた田中芳樹の前ペンネームである。「田中」ではインパクトがないから、と日本人には少ないラ行の名字を電話長(引用者注:原文のまま)で探して付けたという。そして、そして、その名義で出した処女長編「白夜の弔鐘」は・・・本人曰く「これがまた記録的に売れなかったという(笑)」。>

 この記述は文庫版創竜伝2巻の巻末対談を元だろうと思います。
 ところで、「李家」という名前には反日的意味が込められているという方がおられましたが、いったいどういうことなのでしょうか。

<◆田中芳樹 たなか・よしき 1992~
 小説家。若い読者層に絶大なる人気を誇る。平明で明るい文章、歴史に対する優しく辛(筆者注:「傑」と似た字)な眼差し、そして何より魅力的なキャラクターたちが特徴である。それらを自在に操り幅広い作品を持つが、本領は中国歴史物であろう。ただし延筆。2年3年待ちは当たり前。代表作「銀河英雄伝説」「アルスラーン戦記」「創竜伝」等多数。>

収録投稿2件目
board1 - No.565

ご無沙汰してましたが、色々

投稿者:不沈戦艦
1999年01月12日(火) 22時08分

>コジラさんへ

 「李家豊」の「李家」ですけど、こんな名前の日本人はいる訳ないでしょう。「李」姓はコリア人ですから。かの悪名高き「創氏改名」の時、「李」姓のコリア人が、オリジナルの姓を残して日本風の姓を名乗るべく作ったのが「李家」でした。「詩人の李白が好きだから」とか何かに書いているのを読みましたが、こういう事を田中芳樹が知らない訳は無いでしょう。小説家になって、わざわざこんな名前を名乗るのは「日帝三十六年の恨、決して忘れないぞ!」というコリア人の怨念を篭もらせている気がしませんか?まあ、そうではないようですが、「ひょっとして田中芳樹って在日かその系統の人間なの?」と一瞬邪推してしまった程です。そういう意味で「反日」が込められているんじゃないかな、と思いました。

収録投稿3件目
board1 - No.589

田中芳樹の少年時代

投稿者:小村損三郎
1999年01月17日(日) 23時49分

>小説家になって、わざわざこんな名前を名乗るのは「日帝三十六年の恨、決して忘れないぞ!」というコリア人の怨念を篭もらせている気がしませんか?まあ、そうではないようですが、「ひょっとして田中芳樹って在日かその系統の人間なの?」と一瞬邪推してしまった程です。

たしか熊本の出身で先祖は西南戦争にも参加した士族だとか(この辺ちょっとあやふやですが)。
何故か加藤清正を引き合いに出すことが多いような気がするのも熊本人だからか?

意外にも子供の頃は軍国少年で、
「当時、プラモデルは軍艦ばかりだったので、あれで随分名前を覚えた。」
「「日の丸」(筆者注・当時の少年誌。軍事色が強い)を愛読していた。」(←爆)
「横山光輝の「少年ロケット部隊」(筆者注・自衛隊の少年特殊部隊が活躍する。米軍と協力して敵と戦う等生臭い内容)のファンだった。」
等等・・・。
小学生の時に見た東宝の「マタンゴ」がトラウマになって、それ以来キノコが食えなくなったそうです。

あと、クラスの女の子が小説を書いて授業で読んだ際、田中氏が「この程度なら俺にも書ける。」と放言し(笑)、女子一同から「じゃあ書いてみろ」と迫られて仕方なく1本書いた所逆に評判になり、大いに面目をほどこした、てな話を自慢気に語ってました。
しかしヤなガキだな(^^;)。

高校時代は図書委員になり、図書室のヌシに。職権を利用してハヤカワだか創元推理だかのSF全集を全巻揃えたそうです。
一方、この時期マンガからは離れていて、「あしたのジョー」をリアルタイムで読んでないらしいです。
「ぼくらの世代には非常にめずらしい」(本人談)

早稲田の受験に失敗し、1浪して学習院に。そんな時に始まったのが「ヤマト」で、マンガ・アニメに戻るきっかけになったようです。
「“宇宙戦艦”と言われて反応しちゃうのが三つ子の魂。」(本人談)

大学で出している輔仁会雑誌という本の懸賞小説(審査員は辻邦生等)に中国物の短編で入選。ちなみに私が在学していた当時は、いまだに田中芳樹が最後の入選者でした。(その後1人か2人出たらしい。)
当時賞金が一万円だったはずが、下宿に届いた書留を開けてみると八千円しか入っておらず、紙切れに「本当は一万円差し上げなければいけないのですが、財政難の為八千円でがまんして下さい」と書いてあったそうです(笑)。

以上、先日紹介したムックで語られていた“田中芳樹の少年時代”のエピソードですが、現物が見当たらず、一部記憶違いがあるかもしれないので、お持ちの方は訂正をお願いします

収録投稿4件目
board1 - No.590

まだちょっと忙しい(T_T;

投稿者:本ページ管理人
1999年01月19日(火) 02時44分

>意外にも子供の頃は軍国少年で、

 うーん、こうなると、思想遍歴が結構気になりますね。

収録投稿5件目
board1 - No.593

妄文~「バーラト星系自治政府」は反日作家への予兆!?

投稿者:コジラ
1999年01月19日(火) 17時52分

>李家豊
 確かに創氏改名はコリアのみで行われましたね。
 今から思えば「絶妙な名前」だと思います。
 (まあ、「りのいえ」という響きが妙によいので私がもずさんの真似をするときにちょっと拝借していますが)

 田中先生のように軍国少年から左傾化したというのは珍しいと思いますが。(by佐高信)

収録投稿6件目
board1 - No.595

いや、つながる?

投稿者:本ページ管理人
1999年01月21日(木) 01時51分

>田中先生のように軍国少年から左傾化したというのは珍しいと思いますが。(by佐高信)

 いや、私はつながると思いますよ。簡単に言うと、田中作品の主人公には、竜堂兄弟のような一般市民(苦笑)は少なく、大部分は軍人か武将であるということ。
 詳しくは、近々発表します(最近、こればっか。すみません)。

収録投稿7件目
board1 - No.598

バーラト星系自治政府について

投稿者:小村損三郎
1999年01月22日(金) 00時32分

>田中先生のように軍国少年から左傾化したというのは珍しいと思いますが。(by佐高信)

一応おことわりしておきますと、軍国少年云々についてはあくまでインタビューを読んでの私の感想でして、本人が「軍国少年でした。」と言った訳ではありません。
当時はガンプラも戦隊ロボも無く、小中学生の男の子のメカに対する興味の対象といえば大戦中のメカニックが主役でした。零戦の型式の違い等は当時の少年たちの常識だったそうなので、田中氏がとりたてての軍国少年ということもなかったかもしれません。あくまでメカに対する興味以上のものではないでしょう。

収録投稿8件目
board1 - No.599

それにしたって

投稿者:本ページ管理人
1999年01月22日(金) 03時49分

>一応おことわりしておきますと、軍国少年云々についてはあくまでインタビューを読んでの私の感想でして、本人が「軍国少年でした。」と言った訳ではありません。
>当時はガンプラも戦隊ロボも無く、小中学生の男の子のメカに対する興味の対象といえば大戦中のメカニックが主役でした。零戦の型式の違い等は当時の少年たちの常識だったそうなので、田中氏がとりたてての軍国少年ということもなかったかもしれません。あくまでメカに対する興味以上のものではないでしょう。

 それにしたって、やっぱり人殺しの道具である兵器・武器がカッコイイってのはあります。
 「旅客機のプラモと戦闘機のプラモ、どっちかひとつあげる」と子供に聞いたら、おそらく国境を問わず、九割の子供が戦闘機を選ぶと思います。
 なんで戦闘機の方がカッコイイかという原理は、マルクスの「経済学・哲学草稿」が鋭いですが、とりあえず今はそれは置いておきます。
 私がいまとりあげたいのは、田中作品に普遍して流れるテーマが「戦争は如何に弁解しようとも殺人行為であり、肯定できるものではない」であるにもかかわらず、田中作品の主人公や主要人物である軍人や武将がやたらとかっこよく、大量殺人兵器のイゼルローン要塞もかっこいいっていうかトゥールハンマーを撃つシーンには手に汗を握るし、人殺しの理論である軍理・軍略の掛け合いがたまらなく面白いと言うことなのです。
 この際白状しますが、昔、重度の田中信者だった私は、戦争や軍隊にすさまじい嫌悪感を覚えながらも、田中作品の戦闘シーンに血湧き肉踊っている自分に矛盾を感じたものです。
 というところから導き出される結論は、田中芳樹は軍隊が嫌いじゃない!(続く)

収録投稿9件目
board1 - No.612

No.599続き

投稿者::本ページ管理人
1999年01月25日(月) 01時19分

 評論部分だけを読んでいると、田中芳樹は典型的な革新派で、絶対戦争反対の立場を取っている訳ですが、「小説家」田中芳樹の描く小説は、戦争や合戦の駆け引きがよく取り扱われています。彼の代表作の銀英伝などは、そこから戦争の記述を除いたら、何も残らないくらいです。
 この矛盾は、いったいどういうことなのか?
 戦争に徹底的に興味を持ち、その原理を解剖するくらい知ることによって、逆説的に戦争を否定する方法もあります(良質な戦争シミュレーションなど)。が、田中芳樹の小説にはそういう雰囲気はあるものの(撃沈された戦艦の中で兵士がもがいていたりとか)、どうにも雰囲気だけで、別にそういう訳ではなさそうです(反銀英伝で戦略、戦術面にさんざんツッコミが入るくらいに)。
 ということは、田中芳樹は確信犯的に戦争を否定するために戦争シーンを描いているわけではなく、好きだから戦争シーンを描いていることになります。
 田中芳樹は、口で言っているほど(筆で書いているほど)戦争が嫌いなわけではないようです。
 では、田中芳樹が戦争の認否を判断する基準とは一体何なのか?(続く)

収録投稿10件目
board1 - No.617

クリエイターの矛盾

投稿者:小村損三郎
1999年01月25日(月) 22時44分

>田中作品の主人公や主要人物である軍人や武将がやたらとかっこよく、大量殺人兵器のイゼルローン要塞もかっこいいっていうかトゥールハンマーを撃つシーンには手に汗を握るし、人殺しの理論である軍理・軍略の掛け合いがたまらなく面白いと言うことなのです。

やっぱり歴史物(というか戦記・軍談物)へのあこがれが根底にあり、自分でもあんな作品を書いてみたい、というのが銀英伝執筆の動機ですから、反戦を訴える主張との間にはどうしても構造的に無理や矛盾ができてしまう訳ですね。
「主人公とそれに準ずるキャラの命は地球よりも重く、それ以外のザコの命はティッシュペーパーよりも軽い」というのが中国に限らず「歴史ロマン」と言われる作品の大前提ですから。
ウルトラマンやマジンガーZに踏み潰されるビルの中で死んでいく人のことまで思いやっていたらこれらの作品は見られないし・・・。

>というところから導き出される結論は、田中芳樹は軍隊が嫌いじゃない!

「空想的平和主義者」「非武装中立論者」というわけでもないようですから、「軍隊のあり方」には色々と注文が多いものの、「軍備や軍隊の存在そのもの」を否定してるという訳でもないようです。
アルスラーン戦記にも「いずれパルスにも強力な海軍が必要になる」という一文があります。
思うに田中氏の否定している戦争というのは、「歴史上のあらゆる全ての闘争」ではなくて、「(彼が思っている)昔の日本がやったような戦争」ということでしょう。
同様に氏が否定している「軍隊」も「旧日本軍のような軍隊」なんでしょう。
創竜伝でも始クンに「中国の歴史は圧政と暴政の歴史という一面はありますが、同時にそれに対する崇高な抵抗の歴史でもあります。」などと訳の分らないフォローをさせてますし。

エンターテイメントを志向するクリエイターは多かれ少なかれこのような矛盾を抱えているわけで、その最たるものが田中氏&宮崎駿監督だったりして。
宮崎氏を「自然と環境保護の大切さを訴える良心的なアニメ作家」と思っている一般人は、プラモデル雑誌で「Ⅳ号戦車改造コンテスト」の審査員を務め、読者の苦心の作にツッコミを入れまくっている氏の姿を想像できるだろうか(笑)。

宮崎駿氏は学生時代は「赤旗」にマンガを書いていたそうですが、「同じことをやっていては手塚治虫に勝てない」と思い立ち、アニメの道へ。
「労働と連帯を高らかに謳い上げ、マルクス主義のすばらしさを子供たちに啓蒙するアニメを作りたい」
「米帝の手先のディズニーを大好きと言い放つ手塚治虫は許せない」
と思っていたそうです(^^;)
その後、マルクス主義とは決別したようですが、それでも紅の豚ポルコ・ロッソの飛行艇がアカいのは、「彼は共和主義者だから」だそうで。

その一方で、子供時代からの戦記と兵器好きはとどまる所を知らず、前述の「Ⅳ号戦車改造コンテスト」でも、
「この重量配分ではサスペンションが耐えられない」だの
「こんな大改造する位なら新しい戦車を作った方が早い」
だのと、応募作品をメッタ斬り(笑)。
また、
「T-6テキサンなんて飛行機に零戦の役を演らせるのは許せない。ニワトリが鷲の役を演ってるわけでしょう。」
「戦時中の零戦の写真にはえもいわれぬ凄烈の気があるが、戦後の平和な空を飛んでいるカラーの零戦の写真には全く魅力を感じない。おまけにアメリカ人が乗ってやがって(笑)。」
なんて発言もしてるんだよなー。

以上、宮崎氏の場合は「愛すべき矛盾」とも言えるが、やっぱり田中氏の方はアジり方が露骨な分、逆にどうにもならない違和感を感じてしまいますね。
余談だが、今宮崎氏が執筆中の「泥まみれの虎」は面白いッス。

収録投稿11件目
board1 - No.621

Re:クリエイターの矛盾

投稿者:やぶにらみ
1999年01月26日(火) 09時16分

小村さん、こんにちは。

宮崎駿氏にしても、その師匠(?)の黒澤明氏にしても「思想において反戦、描写において好戦」という作風ですね。映画の花は活劇ですから、私としては少々の矛盾は気にしない、つもりですけど。むしろ、作ってる側の方が、自己批判してしまう。『もののけ姫』とか『乱』とか。でもやはり『風の谷のナウシカ』や『七人の侍』の単純さの方が好みです。
やはり活劇という器には、それほど高尚な世界観ってそぐわないのではないか。

(『ブレンパワード』の富野由悠季氏みたいに、うまく活劇の「お約束」を外して自分の世界に引き込む豪気な人もいますけど)

で、田中芳樹氏のように、二兎を追うと、『創竜伝』になってしまうのでしょう。

収録投稿12件目
board1 - No.625

No.612続き

投稿者:本ページ管理人
1999年01月27日(水) 04時14分

>「空想的平和主義者」「非武装中立論者」というわけでもないようですから、「軍隊のあり方」には色々と注文が多いものの、「軍備や軍隊の存在そのもの」を否定してるという訳でもないようです。
>アルスラーン戦記にも「いずれパルスにも強力な海軍が必要になる」という一文があります。
>思うに田中氏の否定している戦争というのは、「歴史上のあらゆる全ての闘争」ではなくて、「(彼が思っている)昔の日本がやったような戦争」ということでしょう。
>同様に氏が否定している「軍隊」も「旧日本軍のような軍隊」なんでしょう。
>創竜伝でも始クンに「中国の歴史は圧政と暴政の歴史という一面はありますが、同時にそれに対する崇高な抵抗の歴史でもあります。」などと訳の分らないフォローをさせてますし。

そのとおりですね。だとすると、自衛隊に対する差別感情(日本軍の血統をひいているからという出自に関する差別か?(笑))などがよくわからんのですが、それは、まあ置いておきましょう。

 ちょっと前の検証で使いましたが、田中芳樹の戦争の認否基準を考える上で興味深い例があります。
 ”満州国の『中国人』の総理張景恵が「各都市に無防備都市宣言をさせれば、ソビエト軍が略奪破壊をするときに国際法で処罰できる」と提案したのを関東軍が蹴り、ソビエト軍が一般市民を暴行、略奪する間に自分たちが逃げ、さらに自分たちが通過した鉄橋を爆破したために一般人が犠牲になった。だから、関東軍は人類史上世界最悪の軍隊だ”(拙文-もとは創竜伝2巻)
 というのが、それです。
”ところで関東軍。私も一般イメージとしては無能・無責任・卑怯の軍隊という感じを持っていました(つうか、辻政信がイメージキャラだからさ)。色々ここで背景を知りましたが、ここで田中氏に聞きたいことは「つーことは、やはり彼らには自己犠牲と殉国の精神、強大な軍備、仮想敵国への警戒が必要だったんすね」。何ならついでに「あなたは今、どこにいるの?」とも付け加えようか(笑)。ま、後者は冗談としても、結局軍人はそういう「自己犠牲」が必要っつうことでしょ。やっぱり「個人の自由や権利」なんて言ってらないじゃん(笑)。」”(新Q太郎さん)
 以上から判ることは、
・「軍隊は一般市民を守るためのものだ」と田中芳樹は思っている。
・上記の前提として、非武装・非暴力が良いとは思っていない。
・一般市民(田中芳樹の頭の中では=で民主主義。現実には共同体ということで国家だが…)を守るための軍人の犠牲は尊い。
・逆に一般市民(味方だけでなく敵も含めて)を害する軍隊は絶対悪である。(彼が挙げる中国名将は必ず「占領地での略奪を禁じた」人だし)

 うーん…と言うことはもしかして彼のアタマの中では自衛隊は「市民」を害しているのかも(笑えない)。
”思うに田中氏の否定している戦争というのは、「歴史上のあらゆる全ての闘争」ではなくて、「(彼が思っている)昔の日本がやったような戦争」ということでしょう。
同様に氏が否定している「軍隊」も「旧日本軍のような軍隊」なんでしょう。”(小村損三郎さん)

 ただ、この田中芳樹思想の恐るべき点は、容易に「市民を害するものを打破するのは正義だ」という風に解釈できてしまうことです。こう書くと、何か正論みたいですが、考えてみてください。
 文化大革命で殺された人たちはなんて言われていましたか? 「米帝国主義に与するブルジョアは、労働者(=市民)を害している。よって、労働者(市民)を守るため人民裁判にかけてリンチしても正義だ!」でしょう? まあ、百歩譲ってこれが実際に市民を害している者の打倒ならまだ良いとしましょう(あんまし良くないか)。しかし実際には「コイツの親戚は日本で華僑やっているから帝国主義の手先だ」という類の論理で、一般庶民が「搾取者」のレッテルを押され、人民解放軍(文字通り「市民」の軍隊!)がこれを殺しているわけです。
 つまり、市民の定義自体で、いかようにも殺人が正義化出来てしまう。この思想が奇形化したものが、どっかの「労働者(市民)の領袖」でしょう。

 これはスターリニズムと呼ばれている思想ですね。連合赤軍の内ゲバもポルポトの虐殺も、上の論理で殺されているのです。
 竜堂兄弟が、「権力の手下」(確かに悪いヤツも多いが、家族を養うために公務員やっているような機動隊員・自衛隊員も多い)を嬉々として痛めつけるシーンの不気味さの源泉は、このあたりにあると私は思っているのですが、どうでしょうか?

 というふうに考えると、田中芳樹の文化大革命の好意的評価も合点がいくのですが、当時ならまだしも、未だに彼はこのころの価値観を引きずっているようですね。
”人民解放軍が弾圧の非民主的組織ということになると、頂点から末端まで、判に押したように全員権威主義的なサディストのような描かれ方をする。その一方で、天安門事件でデモを起こしたグループは、一律に「彼らのような人間が中国を支える」というような趣旨の評価になる。
 しかし、現実には大学に通えたり市民運動家になれたりするような青年は、それだけ余裕のある裕福な家の子弟だったりするし、逆に、貧しい家の子弟の方が、身を立てるために人民解放軍に入っているのが、現実でしょう。”(拙文)
 つまり、実際には搾取している側の人間でも「市民運動」を名乗れば正義だし、庶民でも国の側にいれば悪なのでしょう。
 まあ、戦車で人をひき殺すよう(ところで、ホントに「ひき殺した」のですか? 情報求む)な集団は、けしからんの集団だ、というのは、それはそれで立派な一つの意見でしょう。
 ならば、インドネシアの暴動で、学生の市民運動家がヒラ兵士を車で轢いていましたのはどう考えますか? 田中センセ?

 (続く…かも?)

 本当は本文で書くつもりだったんですが、掲示板に書いちゃいました。

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