田中氏の本の中で
「中国人が人肉食をするのはデマ」
ということが書いてあったと思うのですが(うろ覚え)
三国志や水滸伝、西遊記などを見る限り
そういう習慣はあったと思うのですが
皆さんはどう思われますか?
> 田中氏の本の中で
> 「中国人が人肉食をするのはデマ」
> ということが書いてあったと思うのですが(うろ覚え)
> 三国志や水滸伝、西遊記などを見る限り
> そういう習慣はあったと思うのですが
> 皆さんはどう思われますか?
こんにちは。
件の話ですが、出典などはわかりますか?
いくら何でもこんなバカなことは言わないと信じたいですが…
> 田中氏の本の中で
> 「中国人が人肉食をするのはデマ」
> ということが書いてあったと思うのですが(うろ覚え)
> 三国志や水滸伝、西遊記などを見る限り
> そういう習慣はあったと思うのですが
> 皆さんはどう思われますか?
デマじゃないですよ。むしろデマを飛ばしているのは田中芳樹の方で。
何も昔だけの話ではなく、文革の混乱した時期にも、「人食い」はあった
そうですし。さすがに、今はそんなことはないようですけどね。孔子の弟子
でも塩漬けにされて喰われた人もいた筈です。「現在ではそういうことは行
われていない」と言っているのであれば、正しいと思いますが。
彼の愛する中国が、日本人が嫌うことは間違いない「人食いの国」と言わ
れることに耐えられないんでしょうね。
> > 田中氏の本の中で
> > 「中国人が人肉食をするのはデマ」
> > ということが書いてあったと思うのですが(うろ覚え)
> > 三国志や水滸伝、西遊記などを見る限り
> > そういう習慣はあったと思うのですが
> > 皆さんはどう思われますか?
>
> こんにちは。
> 件の話ですが、出典などはわかりますか?
> いくら何でもこんなバカなことは言わないと信じたいですが…
「中国では昔、日常的に人食いがあった」と管理人さんは知っているので、
「いくら何でもこんなバカなことは言わないと信じたい」と言っている訳
です。「人食いがあった事実」に関しては、疑う余地はありません。むし
ろ、こんなすぐばれる嘘を本当に田中芳樹ともあろう者が言ったのか?と
いう方が疑問ですね。
> 「中国では昔、日常的に人食いがあった」と管理人さんは知っているので、
> 「いくら何でもこんなバカなことは言わないと信じたい」と言っている訳
> です。「人食いがあった事実」に関しては、疑う余地はありません。むし
> ろ、こんなすぐばれる嘘を本当に田中芳樹ともあろう者が言ったのか?と
> いう方が疑問ですね。
そうです。
ちなみに私はチンケな近代史観で割りきれない、こういう人間の多様性を見れるところが支那の歴史・文化の面白さだと思うのですが。
総体を無視して、自分の都合の良いところしか見ようとしないのであれば、とても「中国好き」とは認めたくないですね。
「田中芳樹は中国を知っているか」で語ったことですけれど。
自分の都合の良いところしか見ない「好き」にどれだけの価値があるんでしょうか。ストーカーじゃあるまいし。
日本の通俗本だとこういうシーンは意図的に削ってあったりしますね。「日本人には合わない」って感じで。
横山光輝の水滸伝なんか、モロにそうだったし…やっぱり梁山泊の好漢に人肉饅頭屋はまずいのか(笑)
結局、こういうシーンを抜くと、甘口カレーみたいな子供向けの味気ないものになってしまうんですが、それでも面白いのは原典のべらぼうな面白さゆえでしょうね。
「近代史観信奉者の中国好き」というのは、「辛いものが食べられないカレー好き」とか「アルコールが飲めない下戸のウォッカ好き」の類だと思うので、そういう意味で私は田中芳樹氏の中国好きは信じられないんですよね。
「田中芳樹は本当に中国を知っているか」と何回も問いかけたくなるわけなんですよ。
> > > 田中氏の本の中で
> > > 「中国人が人肉食をするのはデマ」
> > > ということが書いてあったと思うのですが(うろ覚え)
> > > 三国志や水滸伝、西遊記などを見る限り
> > > そういう習慣はあったと思うのですが
> > > 皆さんはどう思われますか
> > こんにちは。
> > 件の話ですが、出典などはわかりますか?
> > いくら何でもこんなバカなことは言わないと信じたいですが…
>
>
> 「中国では昔、日常的に人食いがあった」と管理人さんは知っているので、
> 「いくら何でもこんなバカなことは言わないと信じたい」と言っている訳
> です。「人食いがあった事実」に関しては、疑う余地はありません。むし
> ろ、こんなすぐばれる嘘を本当に田中芳樹ともあろう者が言ったのか?と
> いう方が疑問ですね。
「人食い」について田中氏が知らないはずはないと思います。
実際、創竜伝12巻で、宋の外戚である王継勲(趙匡胤の義弟)が人肉を食べた
という記述がありますから。(P151~P153)
ただ、稜騰という邪神に憑りつかれたからという設定でしたが。(笑)
やはり出典が気になりますね。どういうジャンルの本(中国物、インタビュー本など)
だったかだけでも覚えていませんでしょうか?
> 日本の通俗本だとこういうシーンは意図的に削ってあったりしますね。「日本人には合わない」って感じで。
> 横山光輝の水滸伝なんか、モロにそうだったし…やっぱり梁山泊の好漢に人肉饅頭屋はまずいのか(笑)
自分は三国志に続いて水滸伝も岩波少年文庫が初体験なんですが、これ
「対象年齢小学校高学年~中学生」
とか書いてあるくせに人肉饅頭も幼児殺しも婦女子虐殺も全部そのまんまで(^^;;)、面食らったもんです。いまもあのままで売ってるんだろうか。
横山光輝のマンガを読んだのはその後ですが、子供心にも
「ああ、苦労してんなあ」
と思ったもんです。
>
> 結局、こういうシーンを抜くと、甘口カレーみたいな子供向けの味気ないものになってしまうんですが、それでも面白いのは原典のべらぼうな面白さゆえでしょうね。
>
> 「近代史観信奉者の中国好き」というのは、「辛いものが食べられないカレー好き」とか「アルコールが飲めない下戸のウォッカ好き」の類だと思うので、そういう意味で私は田中芳樹氏の中国好きは信じられないんですよね。
> 「田中芳樹は本当に中国を知っているか」と何回も問いかけたくなるわけなんですよ。
「人肉食はデマだ」
なんてことはさすがに言ってないんじゃないかと・・・。
たしか
“積極的に肯定しているわけではない。飢饉や篭城の時の人肉食なら日本にもいくらでも例がある”
みたいなことを言ってたような気がします。
事の起こりは2年ほど前に、私が友人と
「中国人に食人の習慣があったのか?」
という論争です。
友人がなかったと言う根拠が田中氏の
「中国武将列伝」でした。
今日図書館に行く用があったので、調べてきました。
---------------------------------------------------------------
出典「中国武将列伝 下」p23、24
妙なことに、中国では人を喰うのは普通のことだったというようなことを
いったり書いたりする人がいますけれども、中国で人肉が喰われたと
いうのは、こういう篭城戦で食料が尽きた場合とか、大飢饉の場合ですね。
それでしたら日本にも例があることですので、中国人が好んで人肉を
喰うというようなことをいうのはおかしいと思いますね。実際、歴史上、
人肉を食べるという行為が美化されたという例はありません。
----------------------------------------------------------------
こういう内容でした。
「デマといった」というのは私がうろ覚えで大げさに書いたことでした。
このことについては謝罪します。
美化された例はあると思います・・・
田中芳樹の中国好きって言うのはこれですな。
Webでの参考はココ
http://ww1.tiki.ne.jp/~otokura/kojiseig.htm
葉公、竜を好む 名を好んで実を好まないこと 『荘子』
〔書き下し文〕
葉公子高の竜を好むや、彫文之を書く。是に於いて天竜聞きて之を示し、頭を窓より窺ひ、尾を堂に敷く。葉公之を見て、五色主無し。
〔解釈〕
葉(しょう)という所の王たる子高(しこう)という人物は大変に竜が好きであって、そのお屋敷に彫り込んだ装飾はすべて竜を彫り込み描いたものであったという。さてその噂を天上の竜が耳にして、その姿を地上の世界に示し、その頭を子高のお屋敷の窓から入れ、長い尾を部星中に引きずった。葉公(子高)はこれを見て顔の色がいろいろに変わった。
〔補説〕
中国人にとって竜は吉事をもたらす伝説上の生き物だとされている。ここでも葉公は自らの幸福と政治的安定等を祈っていたのであろう。ところが、その現れるはずのない竜が現れたのである。それも自分の目の前に。葉公の驚きようはただものではない。顔色がコロコロと変わったと言う。ここで「五色」とは文字通り「五つの色」であるが、ちなみに青・赤・黄・白・黒を指す。
同じサイトの孔子のところにも人肉の記述が触られています。
http://ww1.tiki.ne.jp/~otokura/ninngenn.koushi.htm
自分の理想が世に伝わらない孔子は、ある日つぶやいた。「私の理想とする道徳がどうにも世の中に伝わらない。もう私はいかだにでも乗って海に浮かび、どこか遠い所へ行こうか。その時私について来てくれるのは、まあ、子路だろうかね。」と。子路はこの言葉を聞いて小躍りして喜んだ。すると孔子はすかさず、「由よ、お前は私よりも勇ましいことが好きだ。しかし、一体どこでいかだを作る材木を取って来るというのだね。」とたしなめている。
子路はこのように自分の感情に率直な分、軽率な行動も多く、孔子は「子路のような者は天寿を全うできまい。」と彼を評価した。
この孔子の悪い予感が的中してしまうのである。後に子路は衛の国の蒲という街の大夫の執事となったが、その時その国で内乱が起こった。孔子はその知らせを聞くと、「子路はきっと死ぬであろう。」と再び予言した。実際子路はその争乱の中へ自ら飛び込んで命を絶つ。敵が子路を斬ろうとして冠のひもを断ち切った時、子路は「君子は死んでも冠を脱がないものだ。」と言って、そのひもを結び直して死んだと『史記』には記している。子路は死んで、その身を切り刻まれ、さらにその肉は塩漬けにされたと言う。孔子はそれを聞き、涙を流して嘆じ、家人に家中の塩漬け類を全て処分させ、それ以後一切塩漬けを口にする事はなかった。
直情径行の人、子路。その人柄にふさわしい死と言えば、言えた。
実はかつて、栗本慎一郎―小室直樹論争というのがあって、
漢文化の中で人肉食というのはどう位置付けられるのか、という
ことについて丁丁発止、話し合われたことがありました。
小室があちこちから出典を出して人肉食文化の一般性を指摘
すると、栗本が、いや、人類学的に人肉が普通の食糧であるということはない。霊的な意味や呪術的な意味なしでは食わない、といったとこが争点でした。(うろ覚え。だれか後一人を加えた、犯罪に関する鼎談です)
私は、ふつうのオカズとして毎日の食卓に上ったとは思わないんですね。
恨みとか、霊的な力を得るとか万病の薬とか、非常食とかそういう基本的には非日常の場合でしょう。
しかし、そのハードルは他の文化に比べて低かったとは思います。
唐の話でしたか、「篭城部隊が食糧が尽きたので(戦闘には役立たない)城の女性を食った。それでも包囲がとけないので、ついにその後『馬を食った』」という話があるとか。
どこかで読んだ説ですが、日本の「親子心中」に近いものではないでしょうか。
日本だって心中は非日常だし、それを肯定するわけでもないのですが、それでも他文化から見るとビックリするほどその数は多く、またその心理的ハードルも圧倒的に日本は他国に比べて低いらしい。
もちろん補足しておきますが、特に近代以前に人肉食があったってなくたって別にどうってこともありませんな。争点は美味いか美味くないかぐらいで(笑)。
「ロビンソンクルーソー」に例のフライデーが羊の炙り肉を食ったら、「こんな美味いものがあるならもう人間なんて食わない」と大喜びしたという記述があるので、たかが羊以下の味じゃあ個人的にはあんまり食いたいとは思いませんが(笑)。
そういえば、インドシナ半島には「敵の勇敢な戦士の肝臓を取り出して、それを食うと敵ながらあっぱれな、勇者の魂を受け継げる」という言い伝えがあったらしく、近代戦争の中でもときどき行われたそうです。
これって、ある意味文化の中での尊敬、礼儀の一種でもあるわけで、例えば国際軍事裁判なんかで罪と問われたらいろいろ問題がありそうですね。
> > 結局、こういうシーンを抜くと、甘口カレーみたいな子供向けの味気ないものになってしまうんですが、それでも面白いのは原典のべらぼうな面白さゆえでしょうね。
> >
> > 「近代史観信奉者の中国好き」というのは、「辛いものが食べられないカレー好き」とか「アルコールが飲めない下戸のウォッカ好き」の類だと思うので、そういう意味で私は田中芳樹氏の中国好きは信じられないんですよね。
> > 「田中芳樹は本当に中国を知っているか」と何回も問いかけたくなるわけなんですよ。
>
> 「人肉食はデマだ」
> なんてことはさすがに言ってないんじゃないかと・・・。
> たしか
> “積極的に肯定しているわけではない。飢饉や篭城の時の人肉食なら日本にもいくらでも例がある”
> みたいなことを言ってたような気がします。
「人食い議論」の一通りを、興味深く読ませていただきました。
私が知る限りでは、田中氏は「纐纈城奇譚」という作品の中で、中国における人肉を食べた例を紹介していますね。
(纐纈城奇譚P36より)
…古来、中華帝国においておぞましい犯罪といえば、人肉を食べることであった。各時代に多くの記録がある。むろん記録に残されているということは、それが異常事であることを意味する。
百年前、安禄山が大叛乱をおこしたときにも、そのような事件があった。有名な張巡の事件である。
(中略)
籠城二年、数十度にわたる攻撃をことごとく撃退したが、ついに食糧が尽き、人肉を食べる惨状に追いこまれて落城した。張巡は降伏をすすめらたがそれを拒み、惨殺された。張巡の壮絶な戦いぶりと最後は人々を感動させ、朝廷は彼を表彰しようとした。だがそこで異論が出た。
「張巡らは確かに忠臣であり大功臣である。だが人肉を食うという大罪を犯した者たちを賞してよいのか。人倫を破ることを、朝廷が認めるようなものではないか」
かくして議論は一年におよんだが、結局、張巡らは功臣として賞されることになった。彼らの功績と忠誠心とは疑う余地がなかったし、人肉を食うに至ったのも凄惨な籠城戦の結果で、責めることはできない、というわけである。たしかに、張巡らの孤立無援の死闘がなければ、唐は滅びて安禄山の新王朝が誕生していたにちがいない。いわば張巡は朝廷の大恩人である。それでもなお、人肉を食うという行為は人倫にもとる罪であると思われたのだ。
このような歴史上の例もあることで、もし人肉を食う者たちの城がどこかにある、というこなら、李績にしても辛トウにしても、嫌悪感は別として、それほどおどろかなかったであろう…
この記述から、少なくとも田中氏が「中国で人肉を食うのデマだ」と思っていないことが明らかですよね。
おそらく、彼が言いたいのは、
1:中国で人肉を食べる事件は数多く存在している。
2:だが、あくまで異常事における犯罪であり、人肉を食べる行為そのものは人倫を破るものと中国では思われていた。
3:中国愛好家の自分としては、中国の人肉食が常習と思われるのは遺憾である。
と、いったものではないでしょうか。創竜伝では田中氏を叩きまくっている私ですが(笑)、この「人食い議論」ではちょっと彼を弁護したいと思います。なぜなら、上の記述を読む限り、田中氏が中国史における人肉食いの事実から目を背けているようには見えないからです。その事実を認めながらも、人肉を食うのは「人倫を破る行為」として古来から忌避されてきのだ(張巡の事件そのものですね)、という例を出しています。
私は個人的に、この「人食い議論」に関しては批判の対象にはならないような気がするのですケド…(^^;)
いつも皆さんの意見を読ませてもらっているばかりですが、
この件に関しては、私も議論に貢献できそうなので、ちょっと書いてみます。
まず、中国の人食いについて書かれていて手に入れやすいのが、
小室直樹著「中国共産党帝国の崩壊」です。この本のpp.64-77に、
日本は大陸からいろいろな文化を輸入してきたけれども、輸入しなかったもの
の1例として挙げられています。(他は宦官、纏足、科挙)
ここで(非常時ではない)食人例として挙げられているのが、
春秋五覇、斉の恒公(前7世紀、食べられたのは料理人、易牙の息子)
孔子の弟子の子路(前480年死去)
劉邦の配下の韓信、彭越、ゲイ布(3人とも前196年刑死、彭越以外は
稗史による)
三国時代の董卓(後192年、稗史)、演義の劉備(食べた側、演義では第19回)
安禄山の反乱の時の張巡(8世紀後半)
これは非常時ですが、小室直樹氏によると、まず非戦闘員を食べてから
「遂に馬を食す」で、日本とは逆だということです。(戦時は馬のほうが
大切。)ちなみに戦後、倫理面から批判されたとはありませんが、
これは小室氏が紹介しなかったのでしょう。
あと宋の時代のことも紹介されていますが、これは民間伝承でした。
この他、劉邦は広武山で、項羽に「親父を煮殺すぞ」と言われて
「その汁を飲んでみたい」と答えてますね。恒公の件は、管仲の
「為を務むるは久しからず、虚を蓋うは長からず」という故事にも
関係しています。
ところで、この例を見ると、正史において、食人が倫理面からは問題視
されてないのは前漢までということになります。三国志の正史の注では
こういう記述があります。(筑摩書房、Ⅰ、p.18)
「魏略にいう。王忠は扶風の人である。若いころ、亭長となった。三輔が
動乱におちいったとき、王忠は飢えに苦しんで人を食った。・・・[曹操は]
王忠を中郎将に任命し、征討の際つれていった。五官将(曹丕)は王忠が
前に人を食ったことがあるのを知っていたから、公(曹操)のお供をして
外に出たとき、芸人に命じて墓場にころがっている髑髏を取って来させ、
王忠の馬の鞍に結びつけ、笑いの種とした。」
こうしてみると、
1.古代中国では、人肉はおいそれとは食べられなかったゆえに珍味と
されていた。(食べられたのは特殊な例であり、それゆえに記録に
残っている。)
2.遅くとも三国時代のころ、上流階級では食人は倫理面で問題となった。
3.しかし、民間においては、長く、道徳面で問題となることはなく、ただ、
現実に食べることもなく、珍味という扱いを受けていた。
ということではないでしょうか。だとすると、田中芳樹氏の発言は、
「いいとこどり」か「無知」と言われてもやむをえないようにも思います。
長々と失礼しました。
> いつも皆さんの意見を読ませてもらっているばかりですが、
> この件に関しては、私も議論に貢献できそうなので、ちょっと書いてみます。
>
> まず、中国の人食いについて書かれていて手に入れやすいのが、
> 小室直樹著「中国共産党帝国の崩壊」です。この本のpp.64-77に、
> 日本は大陸からいろいろな文化を輸入してきたけれども、輸入しなかったもの
> の1例として挙げられています。(他は宦官、纏足、科挙)
> ここで(非常時ではない)食人例として挙げられているのが、
> 春秋五覇、斉の恒公(前7世紀、食べられたのは料理人、易牙の息子)
> 孔子の弟子の子路(前480年死去)
> 劉邦の配下の韓信、彭越、ゲイ布(3人とも前196年刑死、彭越以外は
> 稗史による)
> 三国時代の董卓(後192年、稗史)、演義の劉備(食べた側、演義では第19回)
> 安禄山の反乱の時の張巡(8世紀後半)
> これは非常時ですが、小室直樹氏によると、まず非戦闘員を食べてから
> 「遂に馬を食す」で、日本とは逆だということです。(戦時は馬のほうが
> 大切。)ちなみに戦後、倫理面から批判されたとはありませんが、
> これは小室氏が紹介しなかったのでしょう。
> あと宋の時代のことも紹介されていますが、これは民間伝承でした。
>
> この他、劉邦は広武山で、項羽に「親父を煮殺すぞ」と言われて
> 「その汁を飲んでみたい」と答えてますね。恒公の件は、管仲の
> 「為を務むるは久しからず、虚を蓋うは長からず」という故事にも
> 関係しています。
>
> ところで、この例を見ると、正史において、食人が倫理面からは問題視
> されてないのは前漢までということになります。三国志の正史の注では
> こういう記述があります。(筑摩書房、Ⅰ、p.18)
> 「魏略にいう。王忠は扶風の人である。若いころ、亭長となった。三輔が
> 動乱におちいったとき、王忠は飢えに苦しんで人を食った。・・・[曹操は]
> 王忠を中郎将に任命し、征討の際つれていった。五官将(曹丕)は王忠が
> 前に人を食ったことがあるのを知っていたから、公(曹操)のお供をして
> 外に出たとき、芸人に命じて墓場にころがっている髑髏を取って来させ、
> 王忠の馬の鞍に結びつけ、笑いの種とした。」
>
> こうしてみると、
> 1.古代中国では、人肉はおいそれとは食べられなかったゆえに珍味と
> されていた。(食べられたのは特殊な例であり、それゆえに記録に
> 残っている。)
> 2.遅くとも三国時代のころ、上流階級では食人は倫理面で問題となった。
> 3.しかし、民間においては、長く、道徳面で問題となることはなく、ただ、
> 現実に食べることもなく、珍味という扱いを受けていた。
>
> ということではないでしょうか。だとすると、田中芳樹氏の発言は、
> 「いいとこどり」か「無知」と言われてもやむをえないようにも思います。
> 長々と失礼しました。
斉の桓公の話は聞いたことがあります。
このように史実から検証されると、大変納得できます。
結局、新Q太郎さんがおっしゃった「文化のハードル」ってことに尽きると思います。
同じ事象が文化の違いによって捉え方が違うというだけの話で。
それを田中芳樹はムキになって否定しているんでしょう。
「中国は野蛮じゃないんだ、信じて!」みたいに。
>妙なことに、中国では人を喰うのは普通のことだったというようなことを
>いったり書いたりする人がいますけれども、中国で人肉が喰われたと
>いうのは、こういう篭城戦で食料が尽きた場合とか、大飢饉の場合ですね。
>それでしたら日本にも例があることですので、中国人が好んで人肉を
>喰うというようなことをいうのはおかしいと思いますね。実際、歴史上、
>人肉を食べるという行為が美化されたという例はありません。
NEROさんの引用によると、田中芳樹氏は「中国でも、人食いは日常的な
ものであったことはない」ということですね。だとしたら、私自身が
書いたことと一致してしまいます。私の早合点だったようで。
もっとよく読め!ということで恥ずかしい・・・
それでも、日本では、刑死した人でも食べたという例は聞かないので、
(せいぜい、織田信長が浅井親子と朝倉義景の髑髏を杯にしたくらいしか
思い浮かばない。)中国では、人を食べることに対して抵抗が少ない
というのは確かなようですね。結局、新Q太郎さんがおっしゃっていること
そのままです。
この点に触れられてないところは田中芳樹氏が舌足らずだとは思いますが、
日本では人食いについて大げさに信じられているみたいですから、
その信仰に対してのショック療法でも試みたのでしょうか?
拙者は小室 直樹さんの件の本を昔読みました。
そして思ったこと。但しうろ覚え。(捨ててしまったのは拙者の不覚)
中国人は人間の肉を食べるのが好きだ。(多分滅多に食べることができない。)
イギリス人は未開の種族をハンティングするのが好きだ(ハンティングされて滅びた未開の種族がいろいろあるらしい)という話を聞いた中国人はきっぱりと言った。
「食べもしないのに人間を殺すイギリス人って何て野蛮な人種だ!)
拙者はそれを読んで思いました。
「野蛮な行為というものは人間を殺すことであって、人間の死体を食べることではない!」
人間の死体を食材にするという文化ってそんなに野蛮な文化なんでしょうか?
>人肉を食うのは「人倫を破る行為」として古来から忌避されてきのだ(張巡の事件そのものですね)、という例を出しています。
中国各地に
「大事な客人(中央から来た役人など)をもてなす料理がないので、家のために自分の身を差し出す家人(主人、妻、親、娘などいろいろ)」
の話が美談(実話と言うよりは「むかし話」でしょうけど)として伝えられているところを見ると単純に「忌避されていた」と言えるかどうかは疑問です。
他にも皇帝が不躾な臣下を殺して他の臣下一同に配ることはよくあったそうで
す(中には明の開祖・朱元章が臣下のもの凄く嫉妬深い妻を殺して細かく切っ
て群臣に下賜したように臣下の妻までその対象になったと記録があります)。
> >人肉を食うのは「人倫を破る行為」として古来から忌避されてきのだ(張巡の>事件そのものですね)、という例を出しています。
>
> 中国各地に
> 「大事な客人(中央から来た役人など)をもてなす料理がないので、家のために自分の身を差し出す家人(主人、妻、親、娘などいろいろ)」
> の話が美談(実話と言うよりは「むかし話」でしょうけど)として伝えられているところを見ると単純に「忌避されていた」と言えるかどうかは疑問です。
> 他にも皇帝が不躾な臣下を殺して他の臣下一同に配ることはよくあったそうで
> す(中には明の開祖・朱元章が臣下のもの凄く嫉妬深い妻を殺して細かく切っ
> て群臣に下賜したように臣下の妻までその対象になったと記録があります)。
ご指摘ありがとうございます、北村 賢志さん。m(--)m
なるほど、確かにそうですね。ただ、私も言葉足らずでしたけど、田中氏が「忌避していた」と言いたいのは、おそらく士大夫(知識階級)の人々のことではないでしょうか。でも、北村 賢志さんのご指摘通りだと、どうも士大夫も例外ではないようなので、「人肉食はデマだ」や「人肉を食べる行為が美談になったことはない」(ここまで露骨には言ってないとは思いますが)とは、私がNo.386で述べさせてもらった
「3:中国愛好家の自分としては、中国の人肉食が常習と思われるのは遺憾である。」
という感情論が根拠なのかもしれません。
私は中国史の知識の多くを田中作品から得ているので、どうも田中氏の主観的な歴史観に影響されていた部分もあるようです。北村 賢志さんのような詳しい方からご指摘を受けて、あらためてそのことに気づかされました。
やはり、知識は偏りなく多面的に得ないと中立的な意見はできないなぁ、と実感しました。(勉強になりました、北村 賢志さん。ありがとうございますm(--)m)
はじめまして。
倉本ともうします。
人食いの話についてですが、
台湾人の作家の黄文雄さんの『呪われた中国人』、
という本がかなり詳しく書かれていて参考になると思います。
それによると孔子は人肉の塩漬けが大好きだったが、
弟子の子路が殺されて塩漬けにされてからは、
一切口にしなくなったとか。
マルコポーロの東方見聞録が信用されなかったのは、
すごい発展をしている都市の隣の都市で人食いが普通に行われている様子がかかれ、
まるで天国と地獄が同じ国にあるような記述が嘘と見られた理由だとか、
いろいろなことがわかって面白いですよ。
今手元にないんでうろ覚えで書いているんですが、
今度までに探しておくんで、
詳しいことが聞きたかったら書いてください。
>「3:中国愛好家の自分としては、中国の人肉食が常習と思われるのは遺憾である。」
>「中国は野蛮じゃないんだ、信じて!」
田中芳樹の支那の人肉食否定論の動機というのは、Merkatzさんや恵さんが指摘しているようなところでしょうね。
この場合、実はその動機自体に支那文化に対する差別が発生しています。
1、「人肉食をしてはいけない事だ」という倫理や文化・善悪判断は絶対的普遍的なものだ。
2、支那文化で人肉食が悪でないと、支那文化自体が野蛮な文化になってしまう。
3、従って支那では人肉食は悪であった。
こういう演繹的な論理構成がおそらく彼の動機でしょうが、そもそもこの論理の前提の命題である『「人肉食をしてはいけない事だ」という倫理や文化・善悪判断は絶対的普遍的なもの』という判断そのものが支那文化に対する差別であるため、総体で支那擁護をしているつもりでも、結論は支那差別以外の何者でもないでしょう。
この命題に対する批判・反論は既に常連さん達によってなされていますね。
だいたい、たかが人肉食があったくらいで、支那4000年(主催者側発表)の文化歴史の価値が揺らいでしまうと思っているのでしょうか?
纐纈城奇譚の場合では、張巡の時代と物語の時代も社会的条件も近いのである程度妥当かも知れませんが、たかが一時代の一例を持って、全時代的全社会的な支那の歴史文化全体として語るのは無理がアリアリです。
>特に近代以前に人肉食があったってなくたって別にどうってこともありませんな(新Q太郎さん)
>「文化のハードル」ってことに尽きると思います。(Merkatzさん)
>時代によって異なるのでは?(北村さん)
これら常連さん達の認識と、田中氏の認識のどちらが真に支那を理解しようとしているかってことですね。
追記
それと、もう一つの問題は、現代の価値観を持って、過去の歴史を書き換えようとしているって事なんだよなぁ、この人……
>1、「人肉食をしてはいけない事だ」という倫理や文化・善悪判断は絶対的普遍的なものだ。
田中氏が本当にそう思っているかどうかはひとまずおくとして
「極限の飢餓状態における人肉食」
を除いても人肉食そのものは世界に結構例があります。
例えば一部の未開文化ではその文化に浴する人間は
「自分達は二本足の猛獣である」
と認識しているため、当然の帰結として他の部族の人間は殺して食ってもいい
ことになります。
それは彼らの認識では「共食い」ではなく当然の行為なのです。
(余談ですがそういう文化では自分たちの部族以外の人間と交わるのは「獣姦」
としてタブー視されることも多いようです)
またアフリカの一部部族では生まれついて障害を抱えた子供は
「天からの授かりものであり、親がその子供を食べれば幸せになれる」
という言い伝えがありました(勿論、現代では否定されています)。
これは過酷な環境下において足手まといとなる者を抱えることが即一家全体
の危機に繋がりかねないので、そうやって生き抜くことの出来ない子供を間引
いているわけです。
その環境で暮らしてことのない人間がそれを非難するのは間違いでしょう。
同じようにかっての中国人が人肉食を当たり前としていてもそれは単なる文化
的な差異に過ぎません。
少なくとも歴史上の人肉食をあれこれと是非を論じるのはおかしいでしょう。