杜甫に「曹将軍覇に贈る」という題名の作品がある。「杜工部集」十三に収められているが、
玄宗皇帝の世に、画家として名声をはせた曹覇という人に贈られたものだ。この人は、馬を描いて天下一と称されたが、左武衛将軍、つまり近衛軍団の高官でもあったので、「曹将軍」と呼ばれていたわけである。
この詩の冒頭に、「将軍は魏武の子孫」という語句がある。魏武とは「魏の武帝」を省略した語で、漢の高祖を漢高、唐の太宗を唐宗と呼ぶ呼ぶ類のものだが、魏の武帝とはすなわち曹操のことである。
この詩は、いくつものことを私たちに教えてくれる。唐の玄宗の世に活躍した曹操の子孫がいたことが、けっして非難の対象となるものではなかったことなどを。つまり、この時代、曹操が不当に悪役あつかいされてはいなかったのだ。
曹操が悪役として完成されたのは、やはり「三国志演義」からということになるのだろう。この膨大でエネルギッシュな作品の世界観は、きわめて明快なものであるように思われる。蜀は善、魏は悪。呉は蜀に味方するときは善で、蜀に敵対するときは悪。というわけだ。蜀の人間が死ぬときは、ほんの端役でも、その死をいたむ詩が記されるが、魏の場合、めったにそんな待遇にはあずからせてもらえない。夏侯惇とか張遼とかいった最高幹部が死去しても、詩など書いてもらえない。これが蜀だと、ふ習とか程畿とか、はて、そんなキャラクターがいたっけ、と思うような人でも、きちんと詩を書いてもらっている。
「三国志演義」はほんとうにえこひいきのはっきりした本だなあ、と、私は思っていた。中学生のころ岩波文庫で全巻を読んで以来、そう思っていたのだが、じつは数年前から、いや簡単にそう言いきれないかもしれないぞ、という気がしている。その原因が、作品中の各所にあらわれる、死者をいたむ詩なのである。
曹操が死去した場面で、さすがに彼の死をいたむ詩が、短いながら記されている。その最後の二行が、無視できないものを私に感じさせた。
書生、軽しく塚中の人を議せば
塚中、爾が書生の気を笑わん
むろん私は、この詩句の文学的な価値などを問題にしているわけではない。はっきりいって稚拙な詩である。塚中とか書生とか、同一の語句を使っているというだけでも、漢詩としてはよくない。この詩句を意訳してみると、つぎのようになる「青臭い書生が、かるがるしく死者について論じたりすれば、その青臭さを死者に笑われるだろう」塚中の人、つまり墓の中に眠る人とは、この場合、むろん曹操のことである。硬直した儒教イデオロギーからすれば、曹操とは、天子をないがしろにした簒奪者であり、極悪人である。NHKの人形劇三国志あたりでも、未だにそういった曹操観を無批判にひきずっていた。
この詩は、そういった頑迷な曹操悪人説を皮肉っているとしか思えない。それいがいに解釈のしようがないではないか。どういうつもりで、こんな詩を「三国志演義」の作者(とされる)羅貫中は記載したのだろうか。私は不思議でしかたなかった。「三国志演義」のレーゾンデートルを自ら否定しているようなものではないか。
もしかしたら、「三国志演義」は、かなり辛辣な罠が読者に対してしかけられている、そういう作品であるかもしれない。現在、私はそう考えている。そう思って「三国志演義」を読みなおすと、いろいろと発見がある。「三国志演義」には「ひいきの引き倒し」的な記述がいくらでもあるが、もしかしたら、これらは周密な計算のもとに読者の心理を操作するための記述ではないだろうか。
たとえば、諸葛孔明が司馬仲達を谷間におびきよせて焼き殺そうとする場面がある。これは史実にないフィクションだが、このとき孔明は、あつかいにくい味方の魏延おも仲達といっしょに焼き殺そうとするのだ。豪雨のためその計画が失敗し、生命をとりとめた魏延が孔明を難詰すると、孔明は責任を部下の馬岱にかぶせ、馬岱を鞭打ったあげく降等処分にするのである。いくら何でも、孔明のこのやりくちは卑劣ではないか。孔明びいきとしても逆効果ではないか。そう思ってきたのだが、べつの方角から光をあてると、ちがう光景がみえてくるかもしれない。
まあ単に私の深読みかもしれないのだが「三国志演義」という小説は、なかなかに奥も深く幅も広い。三国志を書いてみたらどうか、と奨めてくださる方が多くいらっしゃるが、まだまだ、弱輩者には勉強が必要なようである。書生論ならまだしも、不勉強なだけの書生小説など、誰もよんでくれないであろうから。
書正論、三国志雑感 より。
「歴史読本」のこの号は私も読みました。
で、実はこの文章、平成3、4年頃に出た『長江落日賦』という単行本にも収録されてるんですが、こちらのバージョンでは元の「歴史読本」のから一部改稿されてるんですよ。
>NHKの人形劇三国志あたりでも、未だにそういった曹操観を無批判にひきずっていた。
→NHKの人形劇三国志あたりでも、未だにそういった曹操観を更にどぎつい形で拡大再生産していた。
と変わっています。
『人形劇』への悪意を「更にどぎつい形で拡大再生産」してるのはオマエだああ~~っ(爆)。
中国には、「現代日本人」の目から見れば、なんでこれが立派な行いとして記されているの?というようなエピソードは他にもたくさんありますよね。
「紅塵」文庫版の解説に、中国文学研究家の土屋文子氏という方の興味深い話がありましたので紹介します。
<この『説岳』で有名な挿話に、陸文龍の故事がある。朱仙鎮で金軍と対峙した岳家軍は、双槍の勇将・陸文龍に悩まされていた。ところが、じつはこの陸文龍、金軍に敗れて死んだ宋将の遺児で、その意気に感じた兀朮が、養子として育てていたのである。潜入した岳家軍の参謀と、親代わりの乳母の口から、おのれの出自を知った陸文龍は、岳家軍への内通を約し、金軍を大敗に導いて宋に帰順する。育ての親より生みの親、漢人の本分を忘れぬ行動が、愛国的と称賛されるのだが、いくら親の仇とはいえ、養育の思ある義父と、共に育った仲間を、そうあっさりと裏切れるものであろうか。「血は水よりも濃し」という見方もあるが、むしろ漢人に絶対の理ありとする、問答無用の中華思想の匂いを嗅ぎ取ってしまうのは、やはり異邦人である身のひが目だろうか。>
「問答無用の中華思想」。田中氏はこのエピソードを見た上でもなーんも感じなかったのかな。・・・続けます。
<思うに、このあたりの感覚が、岳飛故事が従来、我が国にそれほど膾炙しなかった理由ではあるまいか。島国日本は外敵の侵略に苦しんだ経験が乏しく、中国で大向こう受けする抗戦愛国は、さして実感を伴うテーマではなかったと考えられる。むしろ、漢人どうしの内戦である三国故事などの方が、武家の国取り物語にも通じて、受け入れやすかったことだろう。>
・・・こんな解説を書いて、このお方。田中氏の中国もの以外の作品を読んだことがないのに違いない(^^;。
「抗戦愛国」。この説が正しければ、日本人が岳飛故事に親しまずに三国故事ばかり好むのは、田中氏にとってむしろ喜ばしいことではないのか?・・・さらに続けます。
<ただし、「民族英雄」なる概念が、全く共感されないわけではないことは、著者の近作『海嘯』の主要人物でもある、南宋の滅亡に殉じた硬骨の宰相・文天祥に、江戸の儒者たちが心酔したことからも見て取れる。岳飛故事が我が国で受容されるには、おそらく、中国人向けのメディアとは異なる「語り」の形態が必要だったのだろう。>
そうですね。陳舜臣氏によると江戸時代の朱子学者浅見ケイ斎の「靖献遺言」にも文天祥の評伝があって、この本は幕末の尊皇思想鼓吹に大きな役割を演じ、また忠臣義士の鏡として、戦前、日本の国語の教科書にも文天祥の物語が載せられていたそうです。
・・・「教科書の教えない歴史」いや「戦後教科書から消された人々」ですか・・・あれ?
なーるほど、「創竜伝」には「ひいきの引き倒し」的な記述がいくらでもあるが、もしかしたら、これらは周密な計算のもとに読者の心理を操作するための記述ではないだろうか(爆)
heinkelさんは書きました
> <南宋の滅亡に殉じた硬骨の宰相・文天祥に、江戸の儒者たちが心酔
>
> そうですね。陳舜臣氏によると江戸時代の朱子学者浅見ケイ斎の「靖献遺言」にも文天祥の評伝があって、この本は幕末の尊皇思想鼓吹に大きな役割を演じ、
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この辺の、日本人が文天祥、また『運命』の方コウジュらをどのように受容し、またどのように日本的忠君愛国の思想に変形させていったかは山本七平『現人神の創作者たち』に詳しいです。
この前彼らの名前がでたとき、これで何かスレッド書こうと思っていたが忘れちゃった(笑)。
思い出したら続けます(笑)。
小村損三郎さんは書きました
> 『人形劇』への悪意を「更にどぎつい形で拡大再生産」してるのはオマエだああ~~っ(爆)。
久しぶりですが一言。
NHKの人形劇三国志は純粋に「人形劇」として見れば確かにすばらしい作品でしたが、内容はあまりに蜀の側に肩入れしすぎて「無茶言うなよ」と言いたくなる場面が多々ありました。
曹操もかなり悪役ぶりが強調されてましたが、特に非道かったのは呉の呂蒙(関羽を倒した人。「呉下の阿蒙」「男子三日会わざれば刮目して見よ」の故事で有名)の扱いでした。
史実では麾下の同郷の兵士が、雨の中誰のものとも分からない傘を拾っただけで
「民衆からの略奪を禁止した軍紀に違反いた」
として処刑するほど軍紀に厳しく、民衆から「公正な将軍」と慕わた呂蒙を、
「民衆を人質に関羽を誘き出して騙し討ち。また約束を破って民衆も皆殺しにする」
という極悪人扱いしてました。
このシーンを見て以来、NHKの歴史ものには常に眉に唾を付けてみる習慣になったものです。
北村 賢志さんは書きました
> このシーンを見て以来、NHKの歴史ものには常に眉に唾を付けてみる習慣になったものです。
たとえば、自分がNHKの、このようなシーンに反論するにはどうしたらいいか?
それを考えると、有効な反論やアンチテーゼとは何であるかが見えてくる気がします。
少なくとも、田中芳樹のように視点の方向を変えただけでやっていることは同種という、ああいうやり方は最悪でしょうね。
有効な批判ということに関して、この田中芳樹のやり方は一つの反面教師であると思います。
北村 賢志さんは書きました
> 曹操もかなり悪役ぶりが強調されてましたが、特に非道かったのは呉の呂蒙(関羽を倒した人。「呉下の阿蒙」「男子三日会わざれば刮目して見よ」の故事で有名)の扱いでした。
>史実では麾下の同郷の兵士が、雨の中誰のものとも分からない傘を拾っただけで
「民衆からの略奪を禁止した軍紀に違反いた」
として処刑するほど軍紀に厳しく、民衆から「公正な将軍」と慕わた呂蒙を、
「民衆を人質に関羽を誘き出して騙し討ち。また約束を破って民衆も皆殺しにする」
という極悪人扱いしてました。
あ、この話は田中芳樹もしていましたよ。
たしかに、「子供向けだから善玉悪玉をはっきりさせないとイカン」というのはあまりにも子供をなめたやり方ではありますね。『真田十勇士』(これもNHKの人形劇があった)で家康が悪役にされているのとはまた次元の違う話だと思いますし。
でも実を言うと私この場面よく覚えてないんですよ(^^;;)。
ひょっとしたら見逃したのかも。
>このシーンを見て以来、NHKの歴史ものには常に眉に唾を付けてみる習慣になったものです。
たしかに大河ドラマもここ数年のは酷いのが多いですよね。
ただ、たまーに珍しい題材でやってくれる分、民放の手抜き&安直な番組作りよりは好きです。
今年の『元禄繚乱』もつまらなかったけど、脚本の中島丈博の作品では数年前にやった『炎立つ』(奥州藤原氏の興亡を3部構成で百数十年にわたって描いたドラマ)が良かったです。
前に報告しようと思って忘れていたので、今ここで。
田中氏が卒論(博士論文?)に取り上げ、また近年、少年向けに改作した幸田露伴作「運命」ですが、今年1月に発売された(2月号?)雑誌・文学界に「幸田露伴と支那」という評論・歴史エッセイが掲載されてます。
作者は、高島俊男。
「本が好き、悪口言うのはもっと好き」(文春文庫)で日本エッセイストクラブ賞を受賞し、現在言語にこだわった学問随筆「お言葉ですが…」を週刊文春に好評連載している中国文学者です。
で、この評論文のコンセプトが「『運命』で幸田露伴が、シナのどの史書のどの部分を引用したか。またどこを創作したか。そしてそれは史実とどのように異同があるのか」を論じるという、田中氏の論文とほぼ同じもの(笑)。
といっても田中氏のほうは我々見ていない(誰か学習院の人いないか!取ってきて、ネットでサワリでも公表しろ!!)ので残念ながら二つを比較はできないのだが、高島氏の文章だけでも十分興味深い。
――日本では英雄不死伝説は多いが、中国では少なくこれくらいのものだ。
――もともと、中国でも一部の歴史家は事実と主張してきた。実は露伴も、話の面白さでフィクションとして創ったのではなく史書の選定ミス?で事実だと信じていたのではないか。
――「坊主になって脱出」というのは、初代皇帝が元僧侶だったことを踏まえている。
――「恵帝」という称号は中国史上、大体気が弱くてパっとした業績を残せなかった、線の細い皇帝に贈られる事が多い。
などなど、縦横に論じていて飽きさせない(自称「中国無差別軽量級」の人だから。ちなみに重量級は宮崎市定だそう(笑)、)し、旧字であることが苦にならないほど文章のリズムが小気味良い。
―――――――――――――――――
これを読むと、やっぱり田中氏の「運命」論と比べたくなる。私が編集者だったら対談をセットしたいね。意気投合するか、灰皿ぶつけ合う激論になるか(笑)。
実はこの人、まあ乱雑に二分法にすれば保守派で「中国の大盗賊」では毛沢東の行動原理が基本的に中国伝統の盗賊団と同じだったことを李自成、陳勝などと比較して論じているし、表題に有る通り「支那」が差別語でないことを最も積極的、論理的に弁ずる人の一人でもある。
そういうわけで、閑があったら書店の隅にあるかもしれない「文学界」の一読を。
「長江落日賦」のあとがきで、田中芳樹氏はNHK人形「三国志」に対し、劉備=善・曹操=悪という歪んだ歴史観を拡大生産していると述べておられましたが、田中芳樹氏も政治・日本人・企業・国家・思想etc…を一面的なとらえ方で断罪(しかも現実社会をフィクション小説の中で!これについて恵の周囲で好意的な解釈をしている人はいません。よくて黙認、ですネ)しておられる点では、NHK人形「三国志」と大差ないと思います。創竜伝の敵役たちも人形「三国志」の敵役である曹操なみにどぎついとは、書いていてご自分で気づかないのでしょうか?もし勧善懲悪モノとして創竜伝が弁護できるなら、まったく同じ論法でNHK人形「三国志」も弁護できちゃいますよね?よく指摘される通り、創竜伝においての田中芳樹氏はご自分自身に対する相対的な視点が欠けていると感じます。竜堂兄弟=善・政治家(官僚・企業・国家…その他もろもろ)=悪という単純な図式化って、本人が一番嘆いてたんじゃありませでしったけ?
…以上デス。
私が大ファンの中国文学者、高島俊男先生の新刊に、「しくじった皇帝たち」(ちくま文庫)という本があります。この本、前半が隋の煬帝について、後半が明の建文帝、というか建文出亡(建文帝が叔父の燕王(後の永楽帝)に皇位を奪われた際に、殺されずに逃げ延びた、という伝説)を題材にした幸田露伴の「運命」について、という構成になっています。
「運命」は多くの批評家、作家に名作として激賞された露伴の代表作のひとつで、とくに漢文書き下し調で書かれたその文章は格調高い名文としてよく知られています。
ところが高島先生はこの「運命」について
―『運命』の大部分は『明史紀事本末』(引用者注―清初の史書)を書き下した―つまり訓読した―だけのものである。(中略)別に露伴でなくても、誰が訓読してもおなじものができる。中学生がやってもおなじことだ。
と喝破しています。
さらに高島先生は「運命」と「運命」を持ち上げた批評家を詳細な資料に基づいて批判し、後者については「わかりもしない漢籍について知ったかぶりをふりまわすのは聞き苦しい」と一刀両断にしています。
さて。
ここで我々が思い出すのはわれらが田中芳樹先生のことです。
周知のごとく、田中先生の卒論は他でもないこの「運命」についてであり、さらにこの作品を現代向けにリメイクした「運命 二人の皇帝」という作品も発表しています。
「運命 二人の皇帝」の小前亮さんによる解説によると、田中先生は「運命」の文章について「意味はわからなくても、声に出して読んでいるとだんだんうっとりしてくる」とべたぼれなんだそうです。
……ここはぜひとも、田中先生に高島先生の「運命」評についての感想をお聞きしたいところではあります。
もっとも、私には田中先生の「うっとり」を笑う資格などは到底ありません。
「運命」はずいぶん昔に一度読みましたが、正直言ってなにがなにやらよくわかりませんでした。
したがって田中先生のように名文に酔いしれることもできず、もちろん高島先生のように露伴のはったりと怠慢を見抜くこともできず、「ふ~ん、名文というのはこういうものなのか」とぼんやり考えていただけでした。アホ丸出しです(笑)
ただやっぱり田中先生の中国関係の事物に対する評価というのは大前提として無条件の「中国文化崇拝」によってかなり下駄をはかされている部分があるんじゃないかなあ、もし露伴が普通の日本語で「運命」を書いていたら鼻も引っ掛けなかったんじゃないかなあ、などと邪推してしまう次第なのであります。
> さて。
> ここで我々が思い出すのはわれらが田中芳樹先生のことです。
> 周知のごとく、田中先生の卒論は他でもないこの「運命」についてであり、さらにこの作品を現代向けにリメイクした「運命 二人の皇帝」という作品も発表しています。
> 「運命 二人の皇帝」の小前亮さんによる解説によると、田中先生は「運命」の文章について「意味はわからなくても、声に出して読んでいるとだんだんうっとりしてくる」とべたぼれなんだそうです。
> ……ここはぜひとも、田中先生に高島先生の「運命」評についての感想をお聞きしたいところではあります。
「ぼくちゅうがくせいだからむずかしいことわかんないやへへへ、でも『こうてい』はオラなんだかワクワクしてくるぞ」
と言ったら、尊敬の念を新たにしようと思います。
でも少し生え際の後退を助長させてやりたくなる誘惑も覚えるかもしれませんが。
> もっとも、私には田中先生の「うっとり」を笑う資格などは到底ありません。
> 「運命」はずいぶん昔に一度読みましたが、正直言ってなにがなにやらよくわかりませんでした。
> したがって田中先生のように名文に酔いしれることもできず、もちろん高島先生のように露伴のはったりと怠慢を見抜くこともできず、「ふ~ん、名文というのはこういうものなのか」とぼんやり考えていただけでした。アホ丸出しです(笑)
> ただやっぱり田中先生の中国関係の事物に対する評価というのは大前提として無条件の「中国文化崇拝」によってかなり下駄をはかされている部分があるんじゃないかなあ、もし露伴が普通の日本語で「運命」を書いていたら鼻も引っ掛けなかったんじゃないかなあ、などと邪推してしまう次第なのであります。
さて、それはどうですか?
原典を古代中国で書かれて、その後イタリア語訳などされても『剣呑』という価値が変わらなかった「ルルイエ異本」という奇書がありまして(笑)。