私の創竜伝考察36

創竜伝12 竜王風雲録

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私の創竜伝考察36

投稿者:冒険風ライダー
2001年03月01日(木) 17時01分

 今回の創竜伝考察は、創竜伝12巻の後半部分に密集している社会評論に対する論評です。
 前回は主に創竜伝12巻のストーリー破綻に関する批評が中心でしたが、今回は創竜伝の真骨頂(笑)のひとつであると言える中国礼賛論が炸裂しています。あのどうしようもないほどの詭弁とウソを交えた「犯罪正当化論」はいいかげんどうにかならないのかとも思うのですけど。
 また、今回は12巻発売早々あちこちで爆笑の旋風を巻き起こした(笑)森総理の「神の国」発言を揶揄した個所も取り上げます。昨今の実証的検証能力を完全に失っているマスメディアよりもさらに検証能力が低いというのではもはや救いようがありませんね。他人の発言をあげつらっているその主張自体によって、自分達のバカさ加減を露呈しているわけなのですから。
 それでは、今回も論評を始めてみる事に致しましょうか。

P162下段~P163上段
<「さすがに高梁河は見えないな」
「宋と遼との戦いは、高梁河の一度だけじゃないのよね。有名な『セン淵の盟』で和平が確立されるまでに、あと何度か激戦があって、そのたびに宋軍は不利だったのよ」
「ほんとに宋朝弱兵だなあ」
 ひとつおぼえで、白竜王が溜息をつく。青竜王が苦笑する。
「宋軍がほんとうに強くなるのは、百五十年後だからな。岳飛、韓世忠、梁紅玉といったスーパーヒーロー、ヒロインたちが出るようになってからだ。それまではまあ何とか国境を守っていただけだった。だいたい宋の朝廷は、政策的に軍隊を弱くしていたんだからな」
 白竜王が、当然に疑問を呈した。
「どうしてわざわざそんなことをしなくちゃならなかったんだ?」
「軍隊が強くなって中央政府のいうことをきかなくなると、叛乱をおこしたり無益な戦争をおこしたりして、結局、国をほろぼすことになる。趙普はそれを用心したのだ。じっさい、二十世紀に大日本帝国がほろびたのは、軍隊が中央政府のいうことをきかずに暴走したせいだからな。趙普の政策が千年すすんでいたのか、日本の政治・軍事指導者が千年おくれていたのか、むずかしいところだ」>

 岳飛? 韓世忠?? 梁紅玉??? 誰かと思えば、たかだか「一局地戦の指揮官」の分際で自分達の武功をやたらと誇示した挙句、南宋と金との絶望的な軍事的格差と、それに伴う宋の莫大な経済的負担を全く無視して「国粋主義」と「中華思想」に基づいた対金侵攻を強硬に主張し、平和を希求していた秦檜と対立していた「右翼の軍国主義者」どもではありませんか(笑)。こんな連中を「スーパーヒーロー・ヒロイン」として賞賛するなど、青竜王の歴史認識は時代錯誤もはなはだしいと断定せざるをえないではありませんか。ねえ田中センセイ(爆)。
 ま、そんな下らないことはさておき、青竜王がやたらと絶賛している超普の軍隊統制政策ときたら、私がかつて「銀英伝考察2」で否定したはずの「中央統制型文民支配体制」そのものではありませんか(笑)。アレがいかに軍事運営に関して有害無益なシロモノであるか、私は散々強調しておいたはずなのですけど。しかもそれと対比させる形で、趙普の事例とは時代背景も暴走過程もまるで異なる旧日本軍の事例を持ってくるとは、連中のイカれた思考法にはいつものことながら笑わせてもらえますね。
 そもそも宋王朝時代にアレほどまでの「中央統制型文民支配体制」が確立した最大の理由は、唐王朝時代後期~五代十国時代にかけて、中国国内に多数配置された節度使から発生した「藩鎮」と呼ばれる軍閥が乱立し、中央の命令を全く聞かなくなった挙句、互いに武力抗争を展開し、唐王朝の崩壊とそれに続く戦国乱世を招来させてしまったことにあります。そして二度とこのような事態が起きることを事前に防止するために、宋王朝は徹底した文治主義と君主独裁型の官僚育成に力を注ぐようになったわけです。これに伴い、皇帝自らが試験官となり、官僚に忠誠心を植えつけるための官僚試験「殿試」が導入され、科挙制度がこの時代に完全に整備されます。
 しかし宋王朝のこの政策には致命的な欠陥が存在しました。君主をはじめとする中央政府の権限が非常に強くなった結果、中央統制の過剰干渉によって軍隊組織が悪い意味で著しく官僚化してしまい、軍隊の軍事行動が中央政府の政治的意向に常に束縛されるようになってしまったのです。これが「宋朝弱兵」の真相であり、そしてこの宋王朝の政策が招いた「宋朝弱兵」によって、宋王朝は周辺諸国からの政治的・軍事的圧力に対抗できなくなったのですから、宋王朝の政策は時代背景に由来するある程度の必要性があったとは言え、ハッキリ言って「自縄自縛」もいいところだったのです。
 で、青竜王はこの宋王朝の政策を「千年進んでいる」などと評価しているようなのですが、現代においてこの宋王朝と似たような「中央統制型文民支配体制」を取っている国は、私が知っている限りでは今現在の戦後日本ぐらいしかないのです(笑)。そして日本においてこの「中央統制型文民支配体制」がいかにスバラシイ成果を上げてきたのかは、阪神大震災における当時の内閣の愚劣な政治的対応と、文民統制上それに付き合わざるをえなかった自衛隊の遅きに失した出動を見れば一目瞭然ではありませんか(笑)。まああの現代日本の異常なまでにイビツな形で行われている軍隊統制の水準から見れば、確かに宋王朝の政策は「千年進んでいる」とは言えるのかもしれませんけど(爆)。
 余談ですが、阪神大震災における「宋王朝的な」政府の対応を、竜堂兄弟一派は次のように評価しています。

創竜伝10巻 P211上段~下段
<静かにふけゆく京都の夜に全身でひたっていると、平穏そのものに思われた。だが、日本国内にかぎっても、京都に近い神戸で大地震がおこり、東海大地震に富士山大噴火と、暴走する地殻エネルギーの前に数万人の市民が生命を失っているはずだ。そもそも政府というものは、個人の力で対処しようのない巨大な大災害から市民を守るために存在するのだが、
「どうせ現場の努力を無にするようなことばかりしているでしょうよ」
 と、続が無情に評価を下した。蜃海は苦笑する。大災害時における日本政府の無策ぶりは世界各国の失笑を買っているのだった。>

 しかしねえ、常日頃から自衛隊の存在自体を否定して日本を「軍事大国化している」などと根拠のない誹謗中傷をあびせた挙句、宋王朝的な「中央統制型文民支配体制」を絶賛しているような連中が、今まで宋王朝的な「中央統制型文民支配体制」を世界で唯一完璧に実行してきた日本政府を「無策」と非難するのもどんなものでしょうかね~。まああの当時の政権与党だった「元万年野党の社会党政権」が自らの無為無能ぶりをさらけ出していたという意見には私も全面的に同意しますけど(笑)。
 その場その場で読者のウケを狙っていいかげんなタワゴトばかりのたまっているから、こんな矛盾をさらけ出すことになるのですけどね~。あの連中にはおそらく永遠に理解できないことなのでしょうが(笑)。

 そしてその「千年進んでいる」宋王朝の「中央統制型文民支配体制」との対比で出されているのが、連中に「千年遅れている」などと言われている旧日本軍の事例なのですけど、そもそもなぜ当時の旧日本軍が暴走するに至ったのかという理由を、あの愚かな青竜王は少しでも考えたことがあるのでしょうか?
 よく言われているように、満州事変に始まる旧日本軍軍部の暴走は、大日本帝国憲法の構造的欠陥であるところの「統帥権干犯問題」が引き金となって起こったものですが、ではこの「統帥権干犯問題」というのは一体いつ頃から出てきたものなのでしょうか?
 大日本帝国憲法が発布されたのは明治22年(1889年)で、その後日本は日清・日露戦争を戦い、さらに第一次世界大戦時にも日本は参戦していますが、この当時には「統帥干犯問題」など全く存在していません。当時の日本は他の西洋諸国と同じく、内閣の責任において宣戦・講和し、軍事予算は議会の承認を得て組まれており、それに対して軍部が統帥権を振りまわすということなどなかったのです。
 この「統帥権干犯問題」が浮上するようになってきたのは、昭和5年(1930年)のロンドン軍縮条約がきっかけです。当時この条約に反発した陸軍が軍縮を恐れ、自分達に都合の良い憲法学者の説を利用して、大日本帝国憲法の解釈を捻じ曲げた珍説を作り出し、それに当時の帝国議会の二大政党のひとつであった政友会が「政争の具として」これを積極的に利用することを決め、その結果、1930年4月25日の衆議院本会議で、当時の政友会総務であった鳩山一郎が「統帥権の独立」を振りかざして政府を攻撃したのです。これが「統帥権干犯問題」の始まりで、以後、この「統帥権干犯問題」は戦前の日本における政党政治を死滅させていくことになります。
 しかしもし大日本帝国憲法の構造的欠陥であると言われる「統帥権干犯問題」が本当に最初から意図されて作成されたものであったのならば、なぜ日清・日露戦争や第一次世界大戦時でこの問題が浮上することがなかったのでしょうか? その解答は簡単で、そもそも憲法作成者達自身が「統帥権の独立」など全く考えてはいなかったからです。
 これに関しては戦前にも著書が出ていて、清水伸博士の「帝国憲法制定会議」(岩波書店・1940年)という本が、伊藤博文の秘書が保管していた憲法制定過程に関する門外不出の文書から、憲法草案がどのように審議され、どういう意味で可決されたり修正されたりしたのかの経緯や、大日本帝国憲法各条文の由来を明らかにしています。
 それによると、大日本帝国憲法の起草者達は、大日本帝国憲法の国権に関しては「立法」と「行政」の2権で構成され、司法権を行政権の枝として規定し、さらには天皇の意思は直接に「各部機関の補佐を通じて」行われるものと定義しています。この「各部機関の補佐を通じて」というのが重要で、当時の軍部がやたらとかがげていた「統帥権」は、憲法の条文的には天皇に直属しているものですから、ここでハッキリと「天皇直属の統帥権は立法および行政に属する」と定められていることになるわけです。
 また、憲法草案では「君主は憲法の範囲の内に存て其の大権を施行する者なり」と言っていて「憲法の条文に従って天皇の大権は発動される」とこれまたハッキリと謳っているわけです。この憲法草案では「統帥権が政府や議会と並ぶ権威がある」などとは一言半句も明言していません。
 これから考えると、大日本帝国憲法の統帥権に関する条文自体は実はそれほど不当なものではなく、それを珍解釈して本来の意味を捻じ曲げた当時の陸軍と、それを「政争の具」として利用した当時の二大政党のひとつである政友会こそが、満州事変に始まる旧日本軍の勝手な暴走と無統制状態を許した真犯人であるということになります。この本来の憲法制定プロセスがあと10年早く公の元で公開されていたならば、統帥権干犯問題が起こることもなく、旧日本軍の暴走自体も消えてなくなった可能性が高いと思うのですけどね~。
 ……で、歴史にお詳しいはずの東海青竜王陛下に是非お聞きしたいのですけど、この大日本帝国憲法の本来の制定プロセスが、宋王朝の軍隊統制政策にどこがどう劣るというのでしょうかね? 終始弱体化して周辺諸国に押されっぱなしだった宋王朝の軍隊と異なり、大日本帝国憲法下における日本政府は、この体制下において陸海軍を統制し、日清・日露戦争を勝利に導き、列強の仲間入りを果たしているのです。この一事をもってしても、大日本帝国憲法およびその制定者達は、すくなくとも宋王朝の軍隊統制政策よりはずっとマシな成果を上げているように思うのですけど。その大日本帝国憲法の本来の法的解釈を政治闘争などのために捻じ曲げた陸軍と政友会を批判するというのであれば、まだ話は理解できないこともないのですけど、そんなことはどこにも書いてなどいませんですしね~。

 それとですね、これが実は一番重要な事なのですけど、そもそも連中自身に旧日本軍の勝手な行動を非難する資格などあるのでしょうか? アレほどまでに仙界および天界の絶対的な掟である「人界・歴史干渉行為禁止」のルールを破りまくっているような連中が旧日本軍の無統制ぶりを非難したところで全然説得力がないのですけど(笑)。
 しかも連中が自らの法律違反を自己正当化するためのセリフがまた傑作なものばかりで、あまりの内容に私は思わず爆笑してしまったものでしたよ。

P123下段~P124上段
<「殺される前に助けてやらなきゃ。でも、いいのかな、ここで助けても」
 白竜王が気にしたのは、歴史に干渉してもいいものか、という点である。
「心配ご無用よ。あたしたちが助けて、それで助かるなら、それこそが彼らの天命だから。天命で今夜の死がさだまっているなら、あたしたちが全力をつくしても彼らは助からない。だからあたしたちが全力をつくしても、さしつかえないのよ」
「そのとおりだ、だから、叔卿、思う存分やってかまわんぞ」
「待っていた、その一言!」
 白竜王は、はりきった。これは趙普によって代表される天下国家の問題とは関係ない。弱きを助け強気をくじく。単純明快な善行である。>

P156下段~157上段
<「人の弱みにつけこむのが邪神どものやりくちだからなあ」
 白竜王が舌打ちした。
「まったく、自殺した徳昭はあわれだ。だが、あえていうなら、彼の自殺は皇室内部のことにすぎない。このさき天下がみだれ、何百万もの民衆が殺戮される事態だけはふせがないと」
 きっぱりと青竜王はいって、他のふたりを見やった。
「玉帝より正式の勅命をいただいたわけではないが、これは天意にかなうこと。摩馳と稜騰を誅伐するのに、何の遠慮もいらぬ。責任はおれがとる」>

 いや~、ひとしきり爆笑したあと思ったものでしたよ。「たぶん旧日本軍も同じような論法で自分達の行動を正当化したんだろうな」って(爆)。
 何しろ「玉帝より正式の勅命をいただいたわけではない」ということを連中はきちんと承知していながら、「天命」だの「天意」だのといった、その判定基準さえも定かではないようなわけの分からない概念に基づいて自分達の行動を正当化しているわけですからね。特に2番目の引用文などは「玉帝」を「日本政府」に、「天意」を「天皇陛下の御心」、そして「摩馳と稜騰」を「張作霖」とか「蒋介石」などに置き換えたら、見事に旧日本軍の自己正当化論そのものになってしまうではありませんか(笑)。これは確信犯で言っているのでなければ、自分達が法律違反を犯したことを自覚する程度の知能すらもない白痴レベルのバカ以外の何物でもないでしょう(笑)。
 結局、旧日本軍を非難しているはずの連中自身が、旧日本軍と全く同じような論法で自分達の行動を自己正当化しているわけです。他人様を非難する前に、少しは自分達の行動を振り返ってみることぐらいやってみたらどうなのでしょうか。まず無理だと思いますけど(笑)。

P163上段~下段
<「でも宋はたしかモンゴル帝国にほろぼされたんだよな。これは単純にモンゴルの軍隊のほうが強かったからだろ?」
「宋は三百二十年つづき、豊かな文化と芸術を後世にのこした。モンゴルは宋をほろぼしたあと九十一年で滅亡し、後世に何ものこさなかった」
「うーん」
「ま、元曲とよばれる戯曲はさかんになって、名作もあるが、それも侵略されたがわの旧宋人たちがつくったものだ。モンゴルは軍事力と経済力で世界を征服し、支配しようとした。その結果、中国でもエジプトでもペルシアでもポーランドでもベトナムでも日本でも、侵略者であるモンゴル軍と戦った人々の名が、ヒーローとして後世にのこることになった」>

 だ~か~ら~、たかだか「一局地戦の指揮官」でしかない「侵略者であるモンゴル軍と戦った人々」の名前を「ヒーローとして後世にのこ」すのは「時代錯誤もはなはだしい」し「著しく右翼的」なのではないですかね、東海青竜王陛下。「とうちゃん」のかつての主張によると、ひとつの局地戦の司令官で戦争全体は語れるものではなく、戦争を開始し、終結したときの政府の対応と、その後の社会を教えることによって「正しい歴史観」が身につくものなのでしょう? あまりにもスバラシイ主張なので、私としては是非とも「とうちゃん」に愚劣な東海青竜王陛下の戯言を叩き潰していただきたいですね(笑)。
 まあ青竜王が熱心に語りたがっている英雄話など実はどうでもいいことでありまして、ここで語るべきなのはモンゴルと宋王朝についてですね。いつものことなのですけど、モンゴルと宋における軍隊の強弱関係と王朝の寿命って、一体どういう相関関係を持っているのでしょうかね? 第一、「軍隊が強い国は滅ぶのが早い」という法則など私は全く聞いた事がないのですけど。
 そもそも「宋王朝の歴史320年」などと豪語したところで、その実態たるや、非常にお寒いものでしてね。「宋朝弱兵」のおかげで常に周辺諸国と屈辱的な和平条約を結ばざるをえませんでしたし、1126年には新興国家「金」の軍事侵攻によって開封が陥落し、一時的に宋は滅亡してしまっていますな(笑)。で、その時機転を利かせた当時の康王(後の南宋の高宗皇帝)が何とか江南に逃れて宋を再建し、かろうじて金の侵攻を撃退したというのが真相でしょう。しかもその時でさえ、かつて「とうちゃん」が悪し様に罵っていた秦檜が、主戦論をがなりたてていた「右翼の軍国主義者」岳飛を殺害して和平に奔走しなかったら、南宋はもっと早く滅亡していた可能性が非常に高いのですけど(笑)。
 つまり宋王朝は自らの弱みであるところの「宋朝弱兵」をよくわきまえ、周辺諸国に対して必死の外交努力(ほとんど屈辱外交でしたが)を怠らなかったからこそ、かろうじて何とか存続することができていたわけです。世界の半分を征したと言われるモンゴル帝国と比べ、王朝・国家の生涯としては何とも惨めな話ではありませんか(笑)。
 そもそも宋王朝とモンゴル帝国との寿命を比較する時に、何で宋王朝の方はその誕生から滅亡までを計算していながら、モンゴル帝国の方は「宋王朝の滅亡」から年数算出を始めているのでしょうか? どう考えても年数算出方法が最初からモンゴル側に不利になるように仕組まれているではありませんか。本当に両国の寿命の比較を行いたいのであれば、モンゴル帝国の方も「その誕生から滅亡まで」の年数を算出すべきでしょう。
 ちなみにモンゴル帝国の寿命は、その始祖であると言われるチンギス・ハンの即位(1206年)から元の滅亡(1368年)までを数えると、およそ162年という年数が算出されます。宋王朝の歴史が最後まで周辺諸国との屈辱外交に甘んじ、しかも一度金によって滅ぼされていることを考慮すると、両国の国家としての寿命はほとんど5分5分と言ってもよいのではないですかね、東海青竜王陛下。
 それと思いっきり揚げ足取りになるのですけど、南宋最後の幼帝が殺され、南宋が滅ぶきっかけとなったガイ山の戦いは1279年で、元王朝が滅亡したのは1368年ですから、この間の年月は91年ではなく89年です。中国礼賛に熱中するあまり、連中は小学生レベルの簡単な算数問題をすらミスってしまっているわけです(笑)。偉大なる中国サマに接する事ができてかなりの興奮状態にあることは容易に推測できますが、いくら何でももう少し落ちついてみたらどうなのでしょうか(笑)。

 それから青竜王は宋王朝を絶賛したいあまり、元の時代の文化が「元曲」しかなく、さらにそれを担っていたのは旧宋人だったのだから、元は後世に一切文化を残さなかったなどという極論まで出しているようですけど、これなどは庶民文化に対する青竜王の無知ぶりをさらけ出していて哀れみを誘いますな(笑)。その「元曲」が育成されるだけの環境を整備し、文化を保護したのは一体誰だと思っているのでしょうかね。
 そもそも庶民文化というものが爆発的に発展するには、庶民の生活水準がかなりの高水準を維持していなければなりません。文化というものはある程度の経済的な余裕があって初めて発生するものなのであり、一般庶民の生活水準がどん底のレベルにまで落ち込んでいるところに庶民文化の発生する余地は全くありません。戦術が戦略を元にして成り立っているように、庶民文化もまた強固な経済力を基盤にして誕生・発展するものであると言えるわけです。
 元王朝は駅伝制度の導入や大運河の整備で国内交通の活性化を促し、またイスラム系の隊商貿易をはじめとする陸上貿易や、杭州・泉州・広州・明州などの海港都市を拠点とした海上貿易によって経済的にも大いに発展していました。だからこそ、旧宋人の作った「元曲」をはじめとする庶民文化が育成されてきたわけでしょう。文化を語る時に「経済」という要素を無視してどうするのですかね。東海青竜王陛下。
 しかも元の時代に発達した文化は何も「元曲」だけではありません。「元曲」に対抗して江南に起こった「南曲」というものもありますし、「水滸伝」「三国志演義」といった口語小説も元王朝時代に原型ができています(現在の形に完成したのは明王朝時代)。また絵画の分野でも「元末四大家」(黄公望・呉鎮・王蒙・ゲイサン)と呼ばれる巨匠が腕を競っています。
 「いや、元王朝時代の文化というのはあくまでもモンゴル人自身の文化でなければならない。旧宋人が作った文化など元の文化とは認めない」と強弁するのであれば「パスパ文字」と「元朝秘史」というのはどうですかね? 特に後者の「元朝秘史」などは、モンゴル人の公用語であった「モンゴル語」を使って、蒙古の各氏族の起源とチンギスからオゴタイまでの伝説・史実を記された歴史書なのですけど。
 残念でしたね、東海青竜王陛下。元王朝時代には、充実した経済力に基づいて発生した大量の固有文化が存在するのです。まあ中華思想の熱狂的な狂信者であるところの青竜王が、元王朝時代の文化と歴史を認めたくないと考える気持ちも分からないわけではないのですが(笑)。宋王朝の軍事的弱体化を無理矢理に正当化するような愚かな行為などさっさとやめて、素直に「宋王朝はモンゴル帝国より軍事的には弱かった」と認めてしまった方が精神衛生的にも良いのではないですかね(笑)。

P190下段~P191下段
<宦官というものは中国にだけ存在していたのではない。古代ローマ、ビザンチン、ペルシア、オスマン・トルコなど大帝国にはかならずいた。
 もともと宦官というものは、朝廷の官僚というより皇室の使用人という立場の存在だ。後宮で多くの「おきさき」たちの世話をするのが、もっとも大事な役目だった。さらに皇帝のおさない子供たちを育てたり、宮殿や庭園の管理をしたり、皇帝の秘書をつとめたり、じつにさまざまの仕事をする。
 宦官について、
「あんなやつらは人間のクズだ。宦官のためにどれだけ中国の歴史がゆがめられたか知れない」
 と非難する人もいる。たしかに地位や特権を悪用して世に害毒を流した宦官もたくさんいた。だが、いっぽうでは、歴史と文化に対して大きな貢献をなしとげた宦官も多い。
 たとえば紙を発明した蔡倫という人は、二世紀初め、後漢時代の宦官である。厳密にいうと、紙そのものは蔡倫より昔の時代から存在した。だがずいぶん原始的でおそまつなものだったから、蔡倫が改良をくわえてあたらしい紙をつくってからは、もう昔の紙は誰も使わなくなり、消失してしまった。だから現在、世界じゅうで使われている紙の発明者はやはり蔡倫なのである。宦官の悪口を書きたててあるような本でも、紙でできている以上、宦官のおかげで本が出せるのだ。
 蔡倫とならぶほど偉大な宦官といえば、十五世紀、明の時代の鄭和だろう。バスコ・ダ・ガマより百年もはやく、大船団をひきいてアフリカまで航海し、貿易や移民をさかんにした。その活躍は小説の題材にもなり、いまでも海外在住の中国人から守護神としてあがめられている。西暦一九九八年にはアメリカで、「この千年間に世界で活躍した百人の偉人」の第十四位にも選ばれた。>

 これまた典型的な「犯罪正当化論」ですな。そんな愚劣な妄論は礼賛にすらならないと何度言ったら理解していただけるのでしょうかね、田中センセイ。
 そもそも宦官という職業の本分はあくまでも「後宮の管理」であり、その職分を逸脱して権力を掌握したり英雄として活躍したりすることは、実はそれ自体が本来あってはならないことなのです。元々宦官という職種は宮廷の皇后や女官に侍ることができるために皇帝権力に取り入ることが比較的容易な職業であり、それを目的としてわざわざ自らに去勢を施すような人間まで出てくる始末だったのです。そんな職種である宦官がさらに実務面でも活躍するようになったらどうなるのでしょうか?
 本来国家というものは専門の軍人や政治家・官僚によって運営されていくべきものなのですが、宦官が実務面において有能さを発揮し、皇帝の信頼を得ていくようになると、次第に宦官の重用が歴代皇帝の間で慣習化していき、専門職の軍人・政治家・官僚を差し置いて宦官の影響力が増大するようになります。そしていつのまにか、皇帝の権威をカサにした宦官が様々な分野で専横を振るうようになり、誰も宦官に逆らうことができなくなってしまうのです。
 中国の歴史においてこの宦官の弊害が最も激しかったのは、後漢・唐・明の時代であると言われていますが、その弊害がどれほどのものであったかと言うと、唐王朝時代には後期の約100年間の間に即位した9人の皇帝のうち、7人が宦官によって擁立され、残りの2人は宦官によって殺されるといった宦官の専横が行われ、明王朝時代では宦官に対する賄賂が宮廷内の人事をも左右するようになり、軍の腐敗と弱体化に拍車をかけ、明の滅亡の一因ともなっていったのです。
 特に明王朝時代には、初代皇帝・太祖洪武帝の時代にこの宦官の弊害をなくそうと徹底した弾圧を行っていたのですが、第3代皇帝・成祖永楽帝が宦官を積極的に重用し、宦官専横の道を自分から開いてしまっているのです。そしてその永楽帝の信頼を得、最も重用された宦官こそが、田中芳樹がやたらと絶賛していた鄭和なのです。つまり政治的に見ると、鄭和をはじめとする宦官が永楽帝に重用されたことが、宦官の弊害を明王朝にもたらすことになったという見方もできるわけです。
 確かに中国の歴史において、有能な宦官を登用することによって、皇帝が自らの政治的危機を回避したり、蔡倫などのように文化的貢献に寄与する者が現れたりしたということは何度かありましたが、政治的・歴史的に見ると、皇帝の宦官重用は宦官の専横と政治的混乱を招き、王朝の寿命を縮めてしまうという最悪の結果をもたらすことに繋がっているのです。これのどこがスバラシイことであるのか、是非とも説明していただきたいものですね。すくなくとも鄭和や蔡倫などに見られるような「個々人の宦官の歴史的・文化的功績」を持ち出した程度で「宦官という職種の政治的弊害」を免罪できるものではないでしょう。
 鄭和や蔡倫の歴史的・文化的功績と、「後宮の管理」という職分しか持たない宦官という職種とは本来分けて考えるべきものでしょう。それを無理矢理に繋ぎ合せて礼賛したところで、却って鄭和や蔡倫に対して失礼になるだけでしかないではありませんか。いくら偉大なる中国サマが大好きだからって、こんな「犯罪正当化論」的な中国礼賛で読者の賛同を得ることができると本気で考えているのですかね、この宦官顔負けの職分逸脱作家業者は。

 それともうひとつ言及しますけど、上の社会評論で取り上げられている鄭和と蔡倫のうち、こと蔡倫に関する限りは礼賛論法自体もおかしなものですね。上の社会評論で触れられているように、現在では蔡倫以前の時代にも紙の存在が確認されており、その流れに乗って蔡倫は「紙の改良者」として位置付けられているのですから、素直にそのように評価すれば良いものを、何でその事実を無視してまで、わざわざ蔡倫を「紙の発明者」などと持ち上げたがるのでしょうか?
 そもそも蔡倫が行ったのは「紙の発明」ではなく「紙の製法の確立」です。蔡倫以前に使用されていた紙の主原料は麻・絹の糸屑・布屑・樹皮などといったものでしたが、蔡倫の改良によって多種多様な植物繊維が使用できるようになったのです。そしてその紙の製法は東西に伝播し、それぞれの地域で独特のある紙へと発展していったのです。蔡倫によって確立した紙の製法は「溜め漉き」法と呼ばれ、今日でも世界中で採用されています。
 しかし蔡倫が「世界中で使用されている紙の発明者」とまで断定するのはいくら何でもムチャクチャでしょう。蔡倫が直接作った紙は、当時の後漢の和帝に献上した「蔡候紙」という紙だけです。後漢末期にはこの「蔡候紙」をさらに改良した「左伯」と呼ばれる紙が登場していますし、現在世界中で使用されている紙自体、その品質も材質も千差万別で様々な特徴を持っています。
 日本では平安時代に、日本独自の紙の製法と言われている、植物性粘液(トロロアオイの根の粘液)を保水剤として用いる「流し漉き」法が完成し、これに基づいて作られた和紙は本家中国の紙の品質を凌駕し、現在でも世界最高品質の紙のひとつとされています。
 西洋に紙の製法が伝わったのはかなり遅く、751年の当時のアッバース朝イスラム軍と唐軍とが戦ったタラス河畔の戦いで、大敗した唐軍捕虜の中に多数の紙漉技術者から紙の製法を学んだのが始まりで、イスラム圏では「ダマスカス紙」が紙のブランドとして有名になりました。ヨーロッパにおいて紙の製法が伝わり、独自の紙を生産するようになるのは、さらに時代が下った14世紀のイタリアが始まりです。
 また、最近の紙は主に木材パルプを使用しているものが大半ですが、最近の環境問題に対応して、非木材パルプを使用した紙が注目されつつあります。この非木材パルプの代表としては、熱帯から亜寒帯まで幅広く栽培できるアオイ科ハイビスカス属の一年草「ケナフ」を材質とした紙があります。
 どうです? 紙の歴史というのも、その歴史を調べてみると結構多種多様な経緯を辿っているでしょう。その紙の歴史に重要な役割を果たした人物として蔡倫を取り上げること自体は結構なことです。しかし中国を無理矢理にでも礼賛したいがあまり、蔡倫の功績を恩着せがましく、しかも「世界における全ての紙は蔡倫が発明したもの」などという歴史の歪曲まで交えて絶賛するのでは、本当の歴史象が伝えられないばかりか、先人に対して却って失礼ですらあるでしょうに。その程度のことすら理解できないほどに、田中芳樹には想像力が欠落しているというのでしょうか。

P202上段~下段
<宋のこの時代、木版印刷の技術が世界ではじめて発明されていた。これによって、同じ内容の本を大量につくることができるようになった。つまり紙も印刷術も中国で発明されたもので、これより千年後、電子出版なるものが発明されるまで、人類の文明は、中国人のこの発明がなくては存続すらできなかったのだ。>

 前述の紙の時もそうなのですが、どうして田中芳樹は中国を絶賛する時、これほどまでに恩着せがましい言い方しかできないのでしょうか? そりゃ田中芳樹の偉大なる中国サマに対する狂おしいまでの愛情はイヤというほどに理解させられていますけど(笑)、こんな礼賛方法では、たとえ言っている事が正しかったとしても、却って中国嫌いを増やすだけなのではないですかね。まあ今回の場合は言っていること自体も間違っていますけど(笑)。
 紙はまだしも、印刷術までが中国発祥というのは明らかに大ウソですね。確かに世界で初めて木版印刷の技術が実用化されていたのは中国・宋王朝時代が一番早かったのですが、その中国の木版印刷はせいぜい朝鮮に伝わったぐらいで、一般庶民に広まることも、それ以外の他国に大々的に伝えられることもなく、細々と維持されていただけでしかなかったのです。
 なぜかというと、中国・朝鮮における活字印刷は、大量生産技術よりもむしろ多種多様な書面を美しく正確に刷り上げる技術の方が重要視されていたこと、そして何よりも中国・朝鮮では「本は少数の貴族による独占所有物である」という考え方から脱皮することができず、大量生産しようという発想自体が全く出てくることがなかったからです。これでは中国の印刷技術が一般大衆向けに発展する余地など出てくるはずがありません。
 また木版印刷では活字自体があっという間に摩滅してしまうために大量生産能力自体にも限界があり、少数の本しか印刷することができません。本を大量印刷しようというのであれば、木製ではなく金属製の活字を鋳造する必要性があったのですが、前述の理由から、中国・朝鮮でもっぱら使われていたのはあくまでも木版印刷中心で、16世紀の明の時代になってようやく金属製の活字が登場するものの、それが使用されることはほとんどありませんでした。つまり中国製の印刷術が世界における印刷術の発展に影響を与えたなどという説は全く考えられない話なのです。
 では現在世界で使用されている印刷術の祖先はどこにあるのか? それは15世紀にドイツのグーテンベルクが発明した、金属鋳造の活字を使った「活版印刷」で、これは中国における木版印刷とは全く無関係に生まれたものです。そしてもちろん西洋では大量生産技術が重要視され、グーテンベルクの活版印刷発明からわずか50年のあいだに、ヨーロッパ中の約350都市で1000以上の印刷所が造られ、約30000種・推定900万冊の本が発行されたと言われています。このグーテンベルクが発明した活版印刷こそが、世界史における本当の印刷術の開祖なのです。
 中国を礼賛したいがあまり、田中芳樹はとうとう公然と歴史を改竄するという暴挙にまで至ったというわけですか。そんなザマで、よくもまあありもしない「日本の右傾化歴史教育」をあそこまで非難できるものですね。少しは恥を知ったらいかがです?

P228上段~P229下段
<虹川がTVのスイッチをいれると、いきなりバラエティ番組の画面が切りかわって臨時ニュースがはじまった。
「……首相は急性脳溢血で倒れ、ただいま東京近辺の病院に緊急入院しております。入院のさい首相からの指示がありまして、農林水産大臣が首相臨時代理に指名されたとのことです。与党は本日中に最高幹部五人による会議をひらき、同大臣を後継首相として選出する予定です。くりかえしニュースをおつたえいたします……」
「何だあ!?」
 水池がうなった。蜃海も虹川も箸をとめて画面に見入る。いま東京のTV局では番組もつくれない状況なので、大阪のTV局が古い番組の再放送のあいまにニュースを流しているような状況だ。
「……なお首相の入院先および病状については、プライバシー保護のため公開されておりません」
 水池はあやうく口のなかのビールをTVに向けて噴射するところだった。
「聞いたか、プライバシー保護だとさ」
「首相が緊急入院して、入院先も病状も明らかにしない。これが先進国の話かね」
 虹川が肩をすくめる。蜃海は箸を宙にうかせたまま視線を一点にすえていたが、大きく溜息をついて箸をおいた。
「最悪だな」
「どんな意味で最悪なんだ」
「さまざまな意味でだが、まず後任の人事だ。与党には他に人材だっているだろうに、よりによって農林水産大臣とはなあ」
 天をあおぐ蜃海に、水池が好奇心をこめて問いかける。
「おいおい、記者さんのようにくわしくは知らんが、それほどひどいやつなのか、農林水産大臣ってお人は」
 ジョークと無縁の表情で、蜃海がうなずく。
「ああ、いままでの首相が聖人君子に見えるほどのな」
「そりゃいくら何でも……」
 水池の失笑をおさえつけるかのように、蜃海がつづける。
「深海魚の脳ミソ、ノミの心臓、キュウカンチョウの口、ゴリラの腕力、オットセイの下半身。アメリカの通信社の特派員にそう評されているお人さ。暴力団とも関係が深い。買春行為での検挙歴があって、疑獄のたびに名前が出てくるし、党の女性議員に対するセクハラでも有名だ」
「ほんとだとしたらたまらんな。だけどそもそも何でそんなやつが大臣になれたんだ」
 虹川が考えこみつつ口を開いた。
「首相は入院先も病状もわからん。ということは実際問題として生死も不明ということだ。そうだろ? 政府が一方的に発表しているだけで、確認も証明もされてはいないんだからな」
「まあな」
「もしかして、こいつはクーデターじゃないのか」
「クーデター!?」
 水池と蜃海があきれたように口をそろえる。虹川は大まじめだった。
「富士山噴火のどさくさにまぎれて、密室での政変だ。無血クーデターといってもいいだろう」
「ふむ、まだ結論を出すのは早いが、それじゃまるで五〇年前の共産主義独裁国家だな。いや、いっそ一〇〇〇年前の中国か。二千年紀とも思えん話だ」>

 「鳥羽茉理の腰巾着」として以外の存在価値が全く認められない、創竜伝における3バカトリオの皆様、あなた方は元日本国首相の行方を色々と推測するよりも先に、まずは自分達の病状を自覚することから始めた方がよろしいのではないでしょうか(笑)。上記の会話の内容を見る限りでは、あの3バカトリオは重度の誇大妄想症を発症しているようにしか見えないのですけど(笑)。まあ誇大妄想症がすでに治癒不能なレベルにまで悪化している竜堂兄弟に比べれば、まだマシな水準であるとは言えるのかもしれませんが(爆)。
 しかしねえ、これってどう読んでみても2000年4月における小渕元総理の昏倒に伴う政権交替劇がモデルであるとしか考えようがないのですけど、それほどまでに「権力者の情報公開」というものは大事なものなのですか? 昨今のイエローを飛び越してレッドにまでなってしまっているジャーナリズムの報道姿勢を見ていると、下手な「権力者の情報公開」は却って政治の場に混乱をもたらすようにしか思えないのですけど。
 権力者、もしくはそれに近い立場の人間に対するプライバシーを全く考慮することのない過剰な情報公開がどれほどまでの害悪を与えるかは、パパラッチによるイギリスの故ダイアナ元王妃やイギリス王室に対するストーカーまがいの取材追跡、それに日本の皇室の東宮妃殿下(雅子様)御懐妊当時における朝日新聞のフライング報道を見れば一目瞭然ではありませんか。パパラッチや朝日新聞にしてみれば「権力者のプライバシーなどよりも自分達の食い扶持の方が大事」というのが本音だったのでしょうが、あの3バカトリオにしてみれば、パパラッチや朝日新聞の取材方法こそが「先進国の民主主義的な情報公開」にかなうことであるわけです。だとすると「民主主義」だの「情報公開」だのといった言葉は、ジャーナリストにとって何と都合の良い免罪符であることでしょうか。「情報公開のためならば、人の権利を侵害しても殺してもかまわない」というのですから。
 もちろん「情報公開」それ自体は決して悪いことではありませんが、だからと言って何でもかんでも情報公開すれば良いというものではありません。絶対に外部に漏らしてはならない機密情報などは公開するべきではないですし、「プライバシー」に対する配慮も必要です。「情報公開」とは、公開するべき情報と公開するべきではない情報の区分を行ってこそ、初めてその本当の存在意義を発揮することができるというわけです。「言うは易く行うは難し」の典型的事例ではありますが。
 昨今のマスメディアがやたらとがなりたてている「情報公開」には、そのような配慮など一切存在していません。ただ単に「大衆迎合主義」と「商業主義」的な利益が目当てで「何でもかんでも情報公開しろ」と絶叫しているだけです。そんなマスメディアに対して下手に無原則な情報公開を行っていたら、どんどん公開要求がエスカレートしていった挙句、公開してはならない情報まで公開せざるをえなくなるばかりか、最悪、情報を受け取ったマスメディア自身が、公開された情報に商業主義や大衆迎合主義に呼応するような誇張や脚色を付加して、本来の情報内容を捻じ曲げて伝えたりするような羽目に陥りかねません。そんな報道が「先進国の民主主義的な情報公開」だというのであれば、私は絶対にお断りしたいですね。

 それと実際的な問題として、あのような首相の昏倒や事故などによって首相が公務を遂行できなくなった時、日本ではそれに関する規定が法律できちんと定められていないという問題があります。
 故・小渕元総理のような政権交代は過去にも同じような先例があり、1980年にも、時の首相であった大平正芳首相が、その在職中に事前の臨時代理指名を行わないまま、突然病に倒れて急逝してしまったことがあります。その時は当時内閣官房長官を勤めていた伊藤正義が首相の臨時代理に就任、総選挙が行われた後に内閣総辞職を行いましたが、この事例もまた、非合法とまではいかなくても、確固たる法律に裏づけられたものではありませんでした。結局のところ、今の日本の法律には首相が職務遂行が不能になった際に対処するための確固たる規定がほとんど存在せず、慣習とその場その場の判断によって決断が下されているというのが実状です。
 普通の国家ならば、首相の職務遂行不能といった事態に対処するための法律に基づいて首相の臨時代行が決められたり、最悪の場合は首相の権力委譲が行われたりするのですが、日本の場合は、一応内閣法第9条に「内閣総理大臣に事故があるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、予め指定する国務大臣が、臨時に内閣総理大臣の職務を行う」と定められてはいるものの、「予め指定」されていなかった場合は一体どうするのかについては一切規定されておらず、万が一の非常事態に対処するための法律整備が不充分どころか皆無に近い状態なのです。そして故・小渕元総理が倒れた時も、事前の臨時代理の指名は全く行われていませんでした。これこそがあの政権交代劇における混乱の元だったのです。
 そういった事態を二度と起こしたくないと考えるのであれば、首相が倒れたら副首相に権力委譲・副首相が職務遂行不能に陥ったら衆議院議長が代行を務める、などといった臨時の権力委譲に関する序列・順番を明確に定め、さらにそれをきちんとした法的手続きによって保証するための法律整備を行うことこそが急務でしょう。すくなくとも首相に関する情報を何でもかんでも公開しろなどという、低俗な写真週刊誌や芸能新聞辺りが要求するような「目先の情報公開」などにうつつを抜かしている場合ではないはずです。そりゃアンタら3バカトリオが「流行・イベント大好き日本人」よろしく、首相の病状に「お祭り騒ぎ的な興味」を抱きたくなる心境は理解できないわけではないのですが(笑)。
 しかもその挙句「無血クーデター」などという誇大妄想まで出てきてしまうとは、もはや彼らの病状は深刻なレベルにまで悪化していると言わざるを得ませんね(笑)。誇大妄想の症状がそれ以上悪化する前に、とっとと精神病院に入院することをオススメしますよ。今ならまだ間に合うかもしれませんから(笑)。

創竜伝座談会 P233~P234
<余 それで今回はすごい展開があったんだよね。
始  すごい展開?
終  何だよ、それ。
余  えーと、ほら、劇的な展開ってやつ。
続  そんなのありましたっけ。
余  だって、ほら、首相がかわったんだよ。
終  あっ、そうか!
続  そういえばそうですね。
始  そうか、第一巻からずっとこの作品では首相はかわっていなかったもんな。
余  ね、そうでしょ。
始  うん、よく気づいた。
終  おれだって気づいてないわけでもなかったりするんだけどな。
始  「あっ、そうか」と叫んだのは誰だ。
終  いや、まあ、それはそれとして、ひどいかわりかただよな。そんなのありか、
   って感じだけどさ。
余  あんなぐあいにかわっちゃっていいのかしらね。
続  そりゃ君たち、日本は神の国ですからね。首相と暴力団の組長とは、
   ボスたちが密室で談合して決めることになってるんです。アメリカや
   フランスみたいに、国民が堂々と選挙で国家の指導者を選出するのは、
   悪魔の国なんですよ。>

 この連中の、現実世界・創竜伝世界のどちらを対象にしているのかがまるで理解できない阿呆な会話についてはもはや笑い飛ばすしかありませんが、創竜伝12巻における首相交代が「ひどいかわりかた」であるという意見には私も全面的に賛同しますね。何しろ今までの創竜伝には「新首相」に関する記述も伏線もまるでなかったというのに、何の脈絡もなしにイキナリ重要人物として登場しているわけなのですから(笑)。どうせこのあたりのストーリー設定の整合性なんて「とうちゃん」は全く考えてなどいないのでしょうが、小説としての基本構成もロクに考えないで何が「劇的な展開」でしょうかね。
 どうせこの連中は自らが抱え込んでいる被害妄想と誇大妄想のために日本の政治家を信用することなどできなくなってしまっているのでしょうが、一応森総理は民主主義的な手続きに基づいた選挙によって選出された国会議員によって首相に指名されているのですし、森総理自身もまた民主的な選挙によって選出された国会議員です。しかも故・小渕元総理の昏倒に伴う政権交代劇に多少の問題があったとはいえ、その後首相となった森総理は一旦衆議院を解散・総選挙を行い、そこ後改めて首相として選出されています。私にはどう見ても民主的手続きに基づいた首相選出が行われたようにしか見えないのですが、やはり森総理の「神の国」発言から、森総理が言ったことすらもない「悪魔の国」などという言葉を捻り出すような連中は一味違いますな(笑)。
 そもそもこの連中は、森総理の「神の国」発言が、どんな状況で、どんな文脈から出てきたのかも全く知らないのでしょうな。あの森総理の「神の国」発言は、2000年5月15日の「神道政治連盟国会議員懇談会」の結成三十周年祝賀会で森総理が行った挨拶の中にあったものです。その全文を読んでさえいれば、森総理が何を意図して「神の国」を持ち出していたのかがすぐに分かるはずなのですけど。
 かなり長いですが、その挨拶文を全部引用してみることにしましょう。

神道政治連盟国会議員懇談会・結成三十周年祝賀会 森総理の挨拶
<神道政治連盟国会議員懇談会の三十年ということで、おそらく話があったんだろうと思いますが、この綿貫先生は、綿貫先生はまさしく神の子でありますから、しかも、きわめて位の高い神官でありますから、綿貫さんと私たちは同期生、同じ昭和四十四年の暮れに当選をした。綿貫先生はその纏め役をされておるわけでありますけれども、同じ同期には、当時二十七歳であった小沢一郎さん、その次に若かったのは私、その次に若かったのは私より二つ上の羽田孜さんでした。その次は大阪の中山正暉さん、梶山静六さんもおられましたし、江藤隆美さん、松永光さん、浜田幸一さんと多士済済、いろいろな方がおられた。本当に小沢さんをはじめとして、世間をお騒がせするものが私も含めて、たくさんおったのが、昭和四十四年組でございまして、その中で私どもが、綿貫さんの指導を仰ぎながら、神様を大事にしようという、最も大事なことであり、世の中忘れておるではないかということで、いわゆる神社本庁の神道政治連盟、国会議員懇談会を設立したわけてございますから、まさに私達が中心になって設立し、この活動をさせて戴いたものと自負しておるわけでございます。
 村上幹事長その他多大なる御努力のもと、「昭和の日」などの制定を致しましたり、今の天皇のご在位のお祝いを致しましたり、陛下御即位五十年、六十年のお祝いを致しましたり、ま、ややもすると政府側、いま私は政府側におるわけでございますが、若干及び腰になることをしっかりと前面に出して、日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴く、その思いでですね、私達が活動して三十年になったわけでございます。比較的私達の同期というのはしぶとくて、結構国会に残っておりますのは、神様を大事にしているから、ちゃんと当選させてもらえるんだなあと思っているわけでございます。
 とりわけ、今日は梅原先生もいらしておりますが、やはり私は、有難いことに「森」という苗字を戴いておりまして、いまや日本だけでなく、世界中が環境の問題を語るには「森」を大事にしなくてはいけないでしょう。ということになるわけで、小渕さんまで私を大事にして下さったんではないかと思うぐらい、今の立場は本当に、小渕さんの残された仕事、思いをですね、しっかりと私が実行できるように努力せねばならぬ立場にあるわけです。それには、我々の子どもの社会から考えてみますと、やはり鎮守の森というものがあって、お宮を中心とした地域社会というものを構成していきたい。このように思うわけです。
 私が今、小渕総理の後を受けて、こういう立場になって、教育改革をすすめようという教育改革国民会議というものをこうして致しておりますが、少年犯罪がこうしておる状況にアピールをしようと、テーマを作ったわけてすが、はっきりいって役所側で作ったもので、みんな大変ご批判がでました。まるで文部省が各教育委員会に通達した文書だったんですが、審議会そのものに対しては文部省の私的諮問機関なので、私がそのものに口を出してはいかん立場なんです。たしかに難しい立場で難しいことなんだけど、要は私は、人の命というものは私はお父さん、お母さんから戴いたもの、もっと端的にいえば、神様から戴いたもの、神様から戴いた命はまず自分の命として大切にしなければならないし、人様の命もあやめてはいけない。そのことがまずもって基本にないといけない。その基本のことが、何故子ども達が理解していないんだろうか。いや子ども達に教えていない親達、学校、社会の方が悪いんだといえば、私はその通りだと思う。
 しかし、昨日沖縄に参りまして、四十七都道府県から子ども達が集まりまして、小中学校の生徒さんが集まるサミットというものをやりまして、そして七月に集まるサミットに提言をしてくれた。その提言を私が戴いたわけでございます。その文章を見ていますと、自然環境を大事にしなければならないとか、そして地球、とかいろいろ書いてあるわけですが、どこにも命を大事にしろとは書いていない。
 ちょうど不思議なことで、その式典に出ようとした時にですね、小渕首相の訃報が入ったわけでございます。沖縄の私のもとに入ったわけでございます。もう胸がいっぱいになりました。もう最後の閉会式のセレモニーでしたから、よっぽどその話をしようかと思いました。しかし、みんな喜んでいやー終ったぞ、という式典でしたから、私は申し上げなかったんです。申し上げなかったけれども、みんな自然を大事にしよう、水を大事にしよう、とっても良いことだと思います。思いますが、地球社会、共生の社会というなら、人の命というのは、どこからきたのか考えよう、この人間の体というものほど、神秘的なものはない、これはやはり神様から戴いたものということしかない、みんなでそう信じようじゃないか。神様であれ、仏様であれ、天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞上人であれ、日蓮さんであれ、誰でもいい、宗教というのは自分の心に宿る文化なんですから、そのことをもっとみんな大事にしようよということをもっとなんで教育現場でいわないのかな、信教の自由だから、触れてはならんのかな、そうじゃない信教の自由だから、どの信ずる神、仏も大事にしようということを、学校の現場でも、家庭でも、社会でもいわなければならないよということをもっと、私は、もっともっと、日本の国のこの精神論からいえば一番大事なことではないかとこう思うんです。
 私はあまり信心深い方ではないんですがそれでも、朝は、必ず、神棚に水をあげて、そして出て参ります。家にいる限りは。そうすると私の三歳になりましたが、孫が、一歳半から、必ず、一緒にならんでお参りしてくれるんです。今朝も、孫が私のことを先生先生といってくれるんですが、幼稚園に行く前にタッタッと私の寝室にきて、私は、昨日小渕さんのこともあって、大変つかれておったんですが、それでも、孫が起こしにきまして「せんせい」というから、「どうしたの?」というと、「お参りしよう、神様に」というんです。
 これは寝てるときではないなと思って、神棚にお参りした。この子が将来どうなるかは分かりませんが、日曜日には、教会に行っているとのことですので。神棚にお参りしたり、教会に行ったり、いずれ石川県に行けば、また仏壇にお参りするんだろうと思いますが、要はお参りしようということを、小さな子どもが、お祖父さんがやることによって、覚えてくれる、私は息子や嫁にいうんです。「お前ら一番悪いじゃないか、中間は何にもしない。お前達が何にもしないから、おじいちゃんがやる。そのことによって、ちゃんと孫ができるようになる。」一番大事な家庭のこと、家庭の基本のこと、地域社会のこと、やはり神社を中心にして、地域社会っていうのは栄えて行くんだよということを、みんなでもういっぺん、みんなで、もういっぺん、そんなに難しい話じゃない、であって、そのことを勇気をもってやることが、二十一世紀がまた輝ける時代になるのではないかなということを私は思うんです。こうして全国の皆さん方がお越しの前で、私みたいなこんな余計なことを申すまでもないんですが、立場上、こうしてお話をさせて戴いておるんですが、多くの皆さんに影響力をもたらしてくれる方ばかりでありますので、皆さん方で勇気をもって今の子ども達の社会にもっと神様とか仏様とかということを、そうしたことをしっかりてすね、体で覚えてゆく、そうした地域社会を作り出す、秩序ある地域社会を作り出す、そのためにますます皆様方がご活躍をして下さいますよう、またわれわれ国会議員の会も神社本庁のご指導を戴きながら、ほんとに人間の社会に何が一番大事なのかという原点をしっかり皆さんに把握して戴く、そうした政治活動をしていかなければならない。それが私の使命だとこのように思っておるわけでございます。
 たまたま小渕さんが、ご他界になられました。四十三日前にそうしたお立場の中で、私が支え役をしておりました。その中で私はすぐ言ったんです。その小渕さんの跡を戴こうとかそんな事を私は一つも考えておらなかった。私は小渕さんがしっかりやって戴くということを幹事長という立場で、しっかり支えることが私の滅私奉公の立場であっておるんだ、ということを、思っておりましたが、小渕さんがああいうことになって、私が後継になった。そのことが、私は天命と思った。天命ということは神様から戴いた、まさに天の配剤ということであろうかと思いますが、小渕先生が亡くなって、その棺が官邸の前を通って、まわりを回って、そして自宅に帰られた、私はそのことを写真で見ましたが、一点にわかに掻き曇って、そしてにわかに官邸の前を通ったときに、雷鳴があって、私はそのとき思った、何かあったかもしれません。まさに小渕さんはこのとき、天に上られたのか、また天も共に嘆いたのか分かりませんが、いずれにしてもこのとき天命が下ったのかなと思いました。総理大臣になりました時、まさにこう申し上げました。まさに天の配剤だろうと。だからこそ、恥ずかしいことをしてはならない、まさにお天とう様が見てござる、神様が見ていらっしゃるんだということを一つだけ、大事にしながら政治があやまちにならないよう、しっかりと頑張っていきたいと思います。
 ご参集の皆さま、こうして三十年をお祝い下さって、また我が国の行く末を、そして世界の将来をみんなで案じながら、また念じながら、ご指導を賜ることをお願い致しまして、少し長くなりましたが、私の御挨拶とし、御礼を申し上げる次第であります。どうも本日は有難うございました。>

 これのどこに「神の国」と森総理の首相選出を絡め、「悪魔の国」なる用語が使用された個所があるのか、是非とも教えていただきたいものですね。こんな「無から有を生み出す」ような引用を平気で行っている竜堂続はどうしようもない阿呆であるとしか評価のしようがありません。森総理の「神の国」発言を発狂的に責めたてていた朝日新聞ですら、こんな愚劣なことはやっていませんって(笑)。
 上記の引用における「神の国」発言で考慮に入れなければならないことがいくつかあります。ひとつはこの発言が出てきた舞台背景が「神道政治連盟国会議員懇談会」であり、この団体に対するリップサービスの意が含まれていたこと、そしてもうひとつは、昨今の少年犯罪の増加や教育問題の文脈から、神に対する素朴な信仰心や親に対する孝行心を大事にしなければならないという意味で「神の国」発言が出てきていた事です。それらの事情から考えると、上記の森総理の挨拶文には、特に責められるべき要素などどこにも見当たらないのですけど。
 それに、もし竜堂兄弟が上記に引用している森総理の発言全てを否定するというのであれば、同時に竜堂兄弟(特に始)はかつて自分達が持っていた生命観・道徳観をも全て否定することになってしまいます。何しろ竜堂始はかつてこんなことを主張していたのですからね↓

創竜伝7巻 P122下段
<「正体が竜だろうと蛇だろうと、それはかまわないのです。はっきりいって、何に生まれようと、それはぼくたちの責任ではない。何をするかについて責任を問われるのは当然ですが、何者であるかについて責められる筋合はないはずです」
 竜堂兄弟に自虐の趣味はない。自分たちが普通の人間でないことを気にしてどうなるというのだろう。自己嫌悪とか自己憐憫とが交互につらなる不毛の鎖で自分を縛るだけのことだ。弟たちがそうなってはかわいそうだから、始は、弟たちの心理的負担を減らすために心を配ってきた。ごく幼いころから両親のお墓まいりをさせたりしたのは、何も旧時代の親孝行を押しつけるためではない。自分たちの生命を両親から授かったこと。自分たちの生命や人生をたいせつにすることが、自分たちに生命をくれた親の想いに応えることだ、とわかってほしかったのだ。弟たちが、自分の生命や人生に価値がないなどと思ってほしくなかったのだ。>

森総理の発言・一部抜粋
<要は私は、人の命というものは私はお父さん、お母さんから戴いたもの、もっと端的にいえば、神様から戴いたもの、神様から戴いた命はまず自分の命として大切にしなければならないし、人様の命もあやめてはいけない。そのことがまずもって基本にないといけない。その基本のことが、何故子ども達が理解していないんだろうか。いや子ども達に教えていない親達、学校、社会の方が悪いんだといえば、私はその通りだと思う。>

 どうも私には、生命観や道徳観およびそれ対する教育方針については両者共に同じようなことを言っているようにしか見えないのですが、なるほど、竜堂兄弟はいつのまにかこの考え方をも全否定するようになってしまったわけなのですか(笑)。 あの部分は連中にしては珍しく正論を言っているのではないかと私は思っていただけに残念ですな(笑)。
 まあ、よく考えてみれば連中が森総理の考え方を否定するのも当然のことかもしれませんね。創竜伝における連中の支離滅裂な思考と行動原理は、上記の考え方を忠実に実践しているとは到底言えるものではないのですから(笑)。「両親の想い」や「生命の大事さ」について充分に理解できるだけの知能が連中にあるのであれば、感情的かつ刹那的な理由だけで四人姉妹や牛種と対立し、ロクなアンチテーゼも責任意識も確立しないままに「染血の夢」計画を阻止しようなどという愚かな行動など取れるはずがないのですしね。
 第一、たかだか首相が自分個人の思想スタンスを公の場で発言しただけで、アレほどまでにマスコミから責められることの方がはるかに異常な話ではありませんか。いつから日本は言論・思想の自由が統制されるような国になったのですか? もちろん言論にはそれなりの責任が伴うものではありますが、森総理は「神の国」発言の意図の説明やマスコミに対する反論を行うことで、きちんと自らの発言に対する責任を取っているではないですか。むしろ、ちょっとマスコミに責められた程度で、すぐさま自らの発言を撤回するような政治家の方がよほど有権者をバカにしているとすら言えます。自らの発言に責任が持てないわけなのですからね。
 すくなくとも森総理は、竜堂兄弟や「とうちゃん」のように、フィクションの名に隠れて責任逃れをしているような「卑怯者」ではないのです。他人を批判する際に名指しも引用すらもロクに行わないまま、匿名で相手を罵ることしかできない醜悪な「卑怯者」に過ぎない竜堂兄弟や「とうちゃん」ごときに、森総理を批判する資格などありません。そんなことをしている暇があるのならば、少しは自分達の今までの言動と行動を総括してみてはどうなのでしょうか? まあアレらはちょっとやそっとでは総括のしようがないほどに質も量も最悪なのですけど(笑)。

 とりあえず、これで創竜伝12巻の論評は全て終了ですね。
 しかし、創竜伝は一体いつになったら完結してくれるのでしょうか? すでに小説が始まってから10年以上も経過しているというのに、未だに完結のメドが立っていないようにしか見えないのですけど(T_T)。
 どうしても完結できないと言うのであれば、一刻も早く創竜伝を自ら廃刊にすることをオススメしますよ。どうあがいても発禁になどなりようがありませんから(爆)。私としても、論評はともかく、いつ続編が出るのかも分からない創竜伝をいつまでも待ち続けるのは疲れますし、読者を舐めきった態度で執筆を続けられても迷惑でしかありませんしね。

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