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投稿ログ21 (No.415 - No.434)

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board2 - No.415

Re: Re277その他

投稿者:本ページ管理人
1999年12月17日(金) 02時12分

> 徳間の編集者が一時期大量離脱したのは、経営悪化が原因(給料が少ないのは有名)だったとみるべきでしょうね(中公でも同時期、大量に辞めました)。
> しかし彼らが移籍しようが、作家の質が向上したわけでもないことは事実でしょう。「勝手にやってろ」と言いたいですよ。
> また、徳間の編集者離脱にはある事情があるのではないかとの邪推もできますが……冗談抜きでこれはちょっとマズイので、ここではヒントだけ。
> 徳間の会長って、実は○○○なんですよ(これ以上は怖くて書けません)。

徳間インターメディアが和議申請という噂をしばらく前に聞いたのですが、これは本当なのでしょうか? 知っている方、おられますか?

> 昨日古書店で情報を仕入れてきましたが、ノベルズは全然回転しないとのこと。問題は、買う読者が限定されているからとのことでした。
> 本当に一般受けする作品なら、ハードカバーか文庫から出してもいいはずなのに、どうして中途半端なサイズになっているのか。やはりハードや文庫ほどは売れないからだと見るべきでしょう。ノベルズの読者は、極めて限定されているファン層に限られていると、考えても良いようです。

 新刊でも、ノベルズは雑誌扱いになって、ハードカバーとは作家にとって重さが違うという話を聞いたことがあります。

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board2 - No.416

超雑感

投稿者:本ページ管理人
1999年12月17日(金) 02時16分

 なんかこのファーザー小早川奈津子に似てるような気が…(笑)

 田中芳樹はやはりサンデー系ですな。いまさらながら。

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board2 - No.417

Re416 管理人様

投稿者:速水右近
1999年12月17日(金) 06時31分

私の記憶が正しければ、間違いなく和議が申請されたはずです。たしか現役員も、銀行からの出向だったはずですが(もし間違えていたらごめんなさい)。
また徳間は宮崎駿の版権も手放していたのではないでしょうか。それだけ徳間は追い詰められているということですよ。
徳間には個人的に恨みがあるので「ざまあみろ」と声に出したいくらいです。もっとも私が恨んでいるのは徳間という会社より、辞めた某編集者ですけど。
これ以上書けば特定個人の誹謗中傷になるので、取り敢えずここで止めておきます(元徳間で現☆☆☆の○○○、元☆☆で現★★の○○○。お前ら、ただじゃ済まさんからな)。

ともかくこのあたりは危なすぎて、書けないことだらけなんですよ(再び御免なさい)。これじゃストレスが溜まりますよ。

board2 - No.418

田中芳樹の限界

投稿者:m since k
1999年12月17日(金) 13時36分

 氏の物語にでてくる男女の組合せについて偏りすぎていると思ったことありませんか?
 ヤンとフレデリカ。ラインハルトとヒルダ。ユリアンとカリン。ケスラーとマリーカ。始と茉理。ナルサスとアルフリード。ファランギースとイグリーラス(だったっけ?)。ジュスランとリディア(爆)。耕平と来夢。冬木涼平と北園晴香。リュウ・ウェイとマリーン。周さん(名前忘れた)と多夢。泉田準一郎と薬師寺涼子。などなど……
 もうお気づきのことと思います。そう、みな「年上の男性キャラ」と「年下の女性キャラ」の組合せなんですよね。
 その他に、年齢が明らかにされていなくても文章のニュアンスから、このパターンが当てはまるのではないか、と推測できる組合せも多いように思います。
 例外はアルスラーンとエステルぐらい(笑)。アンネローゼとフリードリヒ四世であって、アンネローゼとジーク、とはならないと思うし。反証求む!追加例も求む!!
 以前、管理人さんが「なんでかなぁ、どうしてかなぁ」と指摘してそれほど掘り下げなかったところと通じるかもしれません(あれは微妙な書き方してあったから、好んで曲解したがる人たちからの反論多かったですね)。
 少女偏愛、と邪推する人がいるかと思うのですが、むしろその逆で、氏は年上の女性を禁忌視する傾向があるのではないか、とぼくなんかは考えるわけです。それが判で押したような「良妻賢母」像に繋がるのでは、とも。
 「年下」の女性キャラばかりを書いているのではなく、「年上」の女性キャラが書けない、のかもしれない。氏の限界であり、氏の作品の幅を狭めている部分でもある。
 「年上」の男性キャラばかりを書いているのではなく、「年下」の男性キャラが書けない、なんて切り口の批評してくれる人いないかなぁ。

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board2 - No.419

Re: 田中芳樹の限界

投稿者:平成の一軍人
1999年12月18日(土) 01時58分

昔、こんな番外編を考えました。
『めぞんイゼルローン』
 イゼルローン要塞を舞台にした未亡人の管理人争奪戦。
 響子さん……フレデリカ
 五代君………ユリアン
 市ノ瀬一家…キャゼルヌ家
 四谷氏………アッテンボロー
 三鷹…………シェーンコップ
 惣一郎さん…ヤン

 ユリアンの雄叫び。
「イゼルローンの皆様、私ことユリアン・ミントウはフレデリカさんが好きでありまーす!
フレデリカさーん、好きじゃああああああ!」
 ああ、面白い。

board2 - No.420

「人形劇三国志」

投稿者:北村 賢志
1999年12月18日(土) 03時54分

小村損三郎さんは書きました

> 『人形劇』への悪意を「更にどぎつい形で拡大再生産」してるのはオマエだああ~~っ(爆)。

久しぶりですが一言。
NHKの人形劇三国志は純粋に「人形劇」として見れば確かにすばらしい作品でしたが、内容はあまりに蜀の側に肩入れしすぎて「無茶言うなよ」と言いたくなる場面が多々ありました。
曹操もかなり悪役ぶりが強調されてましたが、特に非道かったのは呉の呂蒙(関羽を倒した人。「呉下の阿蒙」「男子三日会わざれば刮目して見よ」の故事で有名)の扱いでした。
史実では麾下の同郷の兵士が、雨の中誰のものとも分からない傘を拾っただけで
「民衆からの略奪を禁止した軍紀に違反いた」
として処刑するほど軍紀に厳しく、民衆から「公正な将軍」と慕わた呂蒙を、
「民衆を人質に関羽を誘き出して騙し討ち。また約束を破って民衆も皆殺しにする」
という極悪人扱いしてました。
このシーンを見て以来、NHKの歴史ものには常に眉に唾を付けてみる習慣になったものです。

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board2 - No.421

反面教師にしたいですね

投稿者:本ページ管理人
1999年12月18日(土) 16時32分

北村 賢志さんは書きました

> このシーンを見て以来、NHKの歴史ものには常に眉に唾を付けてみる習慣になったものです。

 たとえば、自分がNHKの、このようなシーンに反論するにはどうしたらいいか?
 それを考えると、有効な反論やアンチテーゼとは何であるかが見えてくる気がします。
 少なくとも、田中芳樹のように視点の方向を変えただけでやっていることは同種という、ああいうやり方は最悪でしょうね。
 有効な批判ということに関して、この田中芳樹のやり方は一つの反面教師であると思います。

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board2 - No.422

Re: 「人形劇三国志」

投稿者:小村損三郎
1999年12月19日(日) 01時09分

北村 賢志さんは書きました
> 曹操もかなり悪役ぶりが強調されてましたが、特に非道かったのは呉の呂蒙(関羽を倒した人。「呉下の阿蒙」「男子三日会わざれば刮目して見よ」の故事で有名)の扱いでした。
>史実では麾下の同郷の兵士が、雨の中誰のものとも分からない傘を拾っただけで
「民衆からの略奪を禁止した軍紀に違反いた」
として処刑するほど軍紀に厳しく、民衆から「公正な将軍」と慕わた呂蒙を、
「民衆を人質に関羽を誘き出して騙し討ち。また約束を破って民衆も皆殺しにする」
という極悪人扱いしてました。


あ、この話は田中芳樹もしていましたよ。
たしかに、「子供向けだから善玉悪玉をはっきりさせないとイカン」というのはあまりにも子供をなめたやり方ではありますね。『真田十勇士』(これもNHKの人形劇があった)で家康が悪役にされているのとはまた次元の違う話だと思いますし。

でも実を言うと私この場面よく覚えてないんですよ(^^;;)。
ひょっとしたら見逃したのかも。

>このシーンを見て以来、NHKの歴史ものには常に眉に唾を付けてみる習慣になったものです。

たしかに大河ドラマもここ数年のは酷いのが多いですよね。
ただ、たまーに珍しい題材でやってくれる分、民放の手抜き&安直な番組作りよりは好きです。
今年の『元禄繚乱』もつまらなかったけど、脚本の中島丈博の作品では数年前にやった『炎立つ』(奥州藤原氏の興亡を3部構成で百数十年にわたって描いたドラマ)が良かったです。

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board2 - No.423

Re: 田中芳樹の限界

投稿者:くらり
1999年12月19日(日) 01時41分

 氏に限らず、大抵の小説とかでは「年上の男性」と「年下の女性」の話ばかりでは……と思います。逆の場合は殆ど年齢差に重きを置いてるような気がする。
 ま、私の読書歴なんざ偏ってますからあてになりませんが。
 ただ、氏の場合男性が年上でもどうもキャラが子供っぽい気がします。全部とは言いませんが。特にラインハルトなんて……(--)。
「書きやすい」んじゃないでしょうかねぇ。パターンになっているのに、自分で気づいて無いのでは。
 緑川淳司と花村雅花。ジョー・アッテンボローとアラン・マクスウェル。梧桐俊介と日記。日高虎之介とルネ。風子とアリョーシャ。も有りですか(笑)?

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board2 - No.424

Re: 田中芳樹の限界

投稿者:m since k
1999年12月19日(日) 09時11分

  平成の一軍人さん、はじめまして。

>四谷氏………アッテンボロー
  舞台をイゼルローンに限定しなかったら
   四谷氏………トリューニヒト
  掴み所のなさ、ではこの人をおいて他にいないでしょう。

  ユリアンのフレデリカに対する感情は、少年時代におけるキルヒアイスのアンネローゼに対するそれと、さほど変わらないので、やはり前述のパターンに当てはまると思います。

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board2 - No.425

Re: 田中芳樹の限界

投稿者:m since k
1999年12月19日(日) 09時41分

  くらりさん、はじめまして。

>氏に限らず、大抵の小説とかでは「年上の男性」と「年下の女性」の話ばかりでは……と思います。逆の場合は殆ど年齢差に重きを置いてるような気がする。

  たしかに現実世界でも、年上の男性と年下の女性のカップルの方が多いのですから、物語の中にそれが反映されていてもなんらおかしくはないです。でも、一組くらい男女の年齢設定が逆の組合せがあってもいいような気はするんだけどな。

>  ただ、氏の場合男性が年上でもどうもキャラが子供っぽい気がします。全部とは言いませんが。特にラインハルトなんて……(--)。
> 「書きやすい」んじゃないでしょうかねぇ。パターンになっているのに、自分で気づいて無いのでは。

  一部の女性ファンの受けを狙って、子どもっぽい一面を持たせた可能性もあるのでは?ヤンを含め。
  となると、自分で気づいてないってことは……

>緑川淳司と花村雅花。ジョー・アッテンボローとアラン・マクスウェル。梧桐俊介と日記。日高虎之介とルネ。風子とアリョーシャ。も有りですか(笑)?

  うーん、思ったいじょうにぼくは未読の作品が多いみたいです。わからないキャラクターばかり……。あっ、でも虎之介は「クラン」のキャラでしたっけ。あまりの内容のお粗末さに作品の存在じたい記憶の中に封印していたんです(笑)。

board2 - No.426

ノベルズの存在意義って?

投稿者:速水右近
1999年12月19日(日) 10時32分

立て続けの書き込みで申し訳ない。田中芳樹問題からは若干離れますが、昨今小生は、どうもノベルズという出版の形態そのものに疑問を持ってきました。

417で書いたとおり、ノベルズとは「ハードカバーにする価値が無く、文庫ほど売れない」本と見ていいでしょう。
いしいひさいちの「広岡達三シリーズ」で、「再販五〇〇部」とかありますが、純文学では当たり前とも聞きます。「珠玉の短編集」なんて、初版刷り切りの三〇〇〇出せれば御の字。あの「サラダ記念日」も、たしか初版五〇〇〇ぐらいだったのでは。
一方、文庫になると桁が一つ異なります。会社の規模にもよりますが、新潮では五万ぐらい。徳間でも三万は出しているはずでしょう。
一方ノベルズの初版ですが、「紺碧の艦隊」は二万三千とあります。ちょうどハードカバーと文庫の中間ですな。

さて書籍も、出版社=編集者にとってはビジネスです。まず企画を出す場合、「売れる企画」を考えるのは当然ですが、同時に価格や購買層、必要経費などもすべて計算しています。
極端な例えですが、ハードカバーを「オーダーメイド」とすれば、文庫は「量販」ということでしょうか。前者は単価が高くさほど売れないが、少数だが確実に購入する層がいて、値段も高めに設定できる。後者は薄利多売。購入する層が広く見込めるために値段を下げられ、数で勝負できるということです。
となると両者の中間に位置するノベルズの立場は微妙でしょう。購入する読者は確実にいるが、文庫ほどは多くない。またハードカバーの読者ほど金銭的はゆとりもないが、文庫にすると回収できる見込みがない……。
これが出版社サイドから見たノベルズが生まれた土壌だと推測できます。

面白い例は、佐藤大輔の『レッドサン・ブラッククロス』でしょう。シリーズ初期は徳間文庫書き下ろし、別冊が徳間ノベルズ。そしてしばらくの中断の後、中公からノベルズで復活しました。シリーズ途上で、文庫からノベルズに移行したというのは、かなり希な例ではないのでしょうか。
興味深いことに、文庫一巻(九三年巻)は五版もかかっています。しかし幾つかの大手書店をリサーチしたのですが、なんと初版を見つけてしまいました。
他方、中公から出た一巻(九月刊)は、たしか日版のベストセラーに入っていたのに、いまだ書店には初版しか置かれていません。同時期に出た山崎豊子女史は、ハードカバーにも関わらず三版まで出ているにも関わらずにです。
これは何を意味しているのでしょう?
・徳間の文庫一巻は、架空戦記ブームに乗って「出せば売れるだろう」と編集者が判断し、強気で文庫書き下ろしにした(文庫書き下ろしは、非常にリスクのある冒険。しかも佐藤大輔はデビューしたてだった)。
 だがいきなり抜擢しても、徳間の規模では五万は出せない。かなり少な目(推測では半分)で様子を見たのではないか。
 ところが、予想よりも売れ行きは良かった。それで早めに増刷をかけたのだろう。
 おそらくその後の巻は、一巻よりも多めに刷ったと思われる。
・しかし問題が発生した。中公の現象でも見られるとおり、最初にファンが集中して買っただけで、思ったほど読者層が広くなかった。
 だからどれだけ増販を刷っても、売れ残った初版が書店の棚にあるという奇妙な現象が発生したのではないか。
・それで中公に移籍後、書き下ろし文庫というリスクの多い形態から、確実に(多くても三万ぐらいの)読者を拾えるノベルズに移行したのではないか……。

つまりノベルズとは、作家や出版社=編集者にとって読者数の“読める”ジャンル。ある程度の部数は確実に掃け、失敗しない(失敗の少ない)形態なのでしょう。
前回小生が書いたように、その読者が買えば=喜べば、作家は食えて、出版社も損はしない。
三方丸く収まっているのでしょうね。

このように考えると、ノベルズって小説と呼ぶに相応しいものなのでしょうか? このように小生は考えるに至った次第です。
確かに「創竜伝」はヒドイ。最近のミステリは読んでませんが、架空戦記などクズ揃いです。
ですが、小説としての価値などを求めていない作家や読者たちに、他の出版形態からの正論をぶつけても、彼らには聞く耳を持たないのではないでしょうか?

追伸 「レッドサン・ブラッククロス」って、架空戦記ファンの間では名作と言われていますが、そうでしょうか?
どうも小生、「ドイツがヨーロッパを席巻して云々」という作品は生理的に読めないのです。
そんなことをすれば、全ヨーロッパのユダヤ人、ジプシー、それに心身の障害者が虐殺されていたことでしょう(なお小生には、障害者の友人が二名もいます)。また民族同一化政策の徒花、レーベンス・ボルン(生命の泉計画)は、どうなっているのでしょう?こんなことを考えれば、「小説を素直に楽しむ」ことなんか出来ません。
それとも架空戦記を楽しむには、まず思考停止をしないといけないのかなぁ(それならシミュレーションではない!)。

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board2 - No.427

Re: 「人形劇三国志」ではないんですが。

投稿者:匿名希望
1999年12月19日(日) 13時17分

 あのー。ところで北村 賢志さんは”架空戦記研究”本を書かれたあの北村 賢志さんなんでしょうか?それとも同姓同名の別の方ですか?

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board2 - No.428

横からですが

投稿者:本ページ管理人
1999年12月19日(日) 14時06分

匿名希望さんは書きました
>  あのー。ところで北村 賢志さんは”架空戦記研究”本を書かれたあの北村 賢志さんなんでしょうか?それとも同姓同名の別の方ですか?

 ”架空戦記研究”本を書かれた北村さんですよ。

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board2 - No.429

Re: コーヘイ兄ちゃん・・・。

投稿者:90210
1999年12月19日(日) 14時14分

ヴェストパーレ男爵夫人は年下好み・・・だけど、ちょっと違いますね。「良妻賢母」か。エヴァがミッターマイヤーの不在時にキッチンドリンカーだったりしたらすごい。軍人の奥さんとか、旦那の長期不在が多いから、不倫とかしているのが一人くらいいそうなものだけどな。
まあ、なくてよかったけど。

ところで、大昔の記憶を手繰っているので、大間違いがあるかもしれませんが、気になっていたので・・・。

「夏の魔術シリーズ」第一作目は大変気持ち良く読んだのですが、二作目を読んで、これは生理的に受け付けないキャラかもしれんと思いやめてしまいました。古本屋に持ってってしまったので、手元になくウロなんですが、たしか
コーヘイ兄ちゃんが来夢のことを「幼い少女なんだぞ!」と主張する場面で(たしかラストの方)
「まだ生理もないんだぞ」とか言ってませんでした?
そんな表現、とっさにする?なんかキモチち悪~。
するのかなあ?とっさに思いつきますか?「生理」うう~ん、気になる。

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board2 - No.430

Re: ノベルズの存在意義って?

投稿者:heinkel
1999年12月19日(日) 15時12分

速水右近さんは書きました
> このように考えると、ノベルズって小説と呼ぶに相応しいものなのでしょうか? このように小生は考えるに至った次第です。
確かに「創竜伝」はヒドイ。最近のミステリは読んでませんが、架空戦記などクズ揃いです。
ですが、小説としての価値などを求めていない作家や読者たちに、他の出版形態からの正論をぶつけても、彼らには聞く耳を持たないのではないでしょうか?

 小説と呼ぶにふさわしい物しか存在意義はないというのは、随分狭量な考えのように思えます。
 ノベルズという形態が存在しなかったのならば、あの「銀河英雄伝説」も生まれなかったかもしれない。
 私は「創竜伝」も「クズな仮想戦記」も、その存在自体は許容します。

 いや、その前に文庫でも、ハードカバーでもクズのような作品は数えるほどあります。ノベルズ作家を「小説としての価値などを求めていない作家」と決めつける根拠をその出版形態にのみ求めるのはいかがなものでしょうか。


> 追伸 「レッドサン・ブラッククロス」って、架空戦記ファンの間では名作と言われていますが、そうでしょうか?
どうも小生、「ドイツがヨーロッパを席巻して云々」という作品は生理的に読めないのです。
そんなことをすれば、全ヨーロッパのユダヤ人、ジプシー、それに心身の障害者が虐殺されていたことでしょう(なお小生には、障害者の友人が二名もいます)。また民族同一化政策の徒花、レーベンス・ボルン(生命の泉計画)は、どうなっているのでしょう?こんなことを考えれば、「小説を素直に楽しむ」ことなんか出来ません。
それとも架空戦記を楽しむには、まず思考停止をしないといけないのかなぁ(それならシミュレーションではない!)。

 「レッドサン・ブラッククロス」世界ではドイツがイスラエル建国を認めユダヤ人をそこへ追い出して「最終的解決」を図った、ということになっていて、虐殺は起こってません。まあ、これこそご都合主義で「シミュレーション」ではないんですけどね。
 実際「仮想戦記」という物は、まず、描きたい場面が先にあって、それに併せて歴史改変を行う物ですから「シミュレーション」と呼べる物ではありません。ただその辺の嘘の付き方が他の作家に比べてうまい、ということで評価されてるのが佐藤大輔氏なのですけど。
 あまりほめられた趣味ではありませんが、その辺はファンも認識しているところです。

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board2 - No.431

Re: 田中芳樹の限界

投稿者:heinkel
1999年12月19日(日) 16時23分

>m since kさん

> 少女偏愛、と邪推する人がいるかと思うのですが、むしろその逆で、氏は年上の女性を禁忌視する傾向があるのではないか、とぼくなんかは考えるわけです。それが判で押したような「良妻賢母」像に繋がるのでは、とも。
 「年下」の女性キャラばかりを書いているのではなく、「年上」の女性キャラが書けない、のかもしれない。氏の限界であり、氏の作品の幅を狭めている部分でもある。

 つまり、恋愛そのものを描くのが苦手なんでしょう。だから極端に年下にしたり、年上の場合は「あこがれ」の対象にしたり、年齢が近ければ男性キャラを「うぶ」にしたりして。
 これはむしろ、書けない物は書かない、という態度でよいことだと思います。SFやファンタジーなんかで下手な恋愛物語を見せられてうんざり、という経験は多々ありますから。

 問題になるのは、氏が大好きな中国歴史物を書くときですかね。ま、さわやか~な中国歴史小説というのも、それはそれでありかも。
 ちなみに「紅塵」の準主役の女性キャラも「女だてら」で「押しかけ女房」でマツキヨのCMの如く「先物買いの才有り」という田中キャラ黄金パターンでした。


> 90210さん

> 「夏の魔術シリーズ」第一作目は大変気持ち良く読んだのですが、二作目を読んで、これは生理的に受け付けないキャラかもしれんと思いやめてしまいました。古本屋に持ってってしまったので、手元になくウロなんですが、たしかコーヘイ兄ちゃんが来夢のことを「幼い少女なんだぞ!」と主張する場面で(たしかラストの方)「まだ生理もないんだぞ」とか言ってませんでした?
そんな表現、とっさにする?なんかキモチち悪~。
するのかなあ?とっさに思いつきますか?「生理」うう~ん、気になる。

 窓辺には夜の歌 P188-189

「父はあの来夢という子を、自分の花嫁にする気でいるのよ」
 耕平は衝撃を受けた。それは生まれてはじめて経験する衝撃だった。大きいとか深いとかいうより、おぞましく、いとわしく、不快きわまる衝撃で、耕平は胸が悪くなってきた。亜弓の言葉にこめられた意味を、耕平は正確に理解したのだ。
「ばかなことを! 来夢はまだ一二歳だ。たぶん生理だってまだないんだぞ。そんな子供が何だって祖父(じい)さんみたいに年齢(とし)の離れたおっさんと結婚しなけりゃならないんだよ」

 う~ん・・・とっさの表現ではしないと思う。ちょっと説明口調だけど、でも「キモチち悪~」はかわいそうかも(笑)
 しかし、このシリーズ、ホントに「大人になった来夢」まで書いちゃうんでしょうか。そうすると、田中氏の苦手とする領域に踏み込まざるを得ませんね(笑)

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board2 - No.432

Re430: ノベルズの存在意義って?

投稿者:速水右近
1999年12月19日(日) 19時55分

Heinkel氏へ

「小説と呼ぶにふさわしい物」かどうかは、個人の主観が入ってしまいます。それは十人十色の考えがあってもいいでしょう。
それこそ小生も「創竜伝」も「クズ仮想戦記」の存在自体は許容していますし、クズの文庫やハードカバーの作品だって多数知っているつもりです。
しかしノベルズの作家(の多く)は、小説家としての誠意が見えてこない人が多く写ります。
多少技術的に下手でも、一生懸命やっていると読者に思わせるのも、プロの芸ではありませんか? 小生には、どうもそれすら感じられない作家が多いと思うのですよ。
嫌な言い方をすれば、「この程度の読者には、この程度の物を与えていりゃ喜ぶんだろ」ってやる気のなさが見えてしまうんです(もっともFやKの文庫にも多いですけどね)。
もっとどぎつい表現をするなら、小説を読んでいて、作家が書いているのが楽しそうじゃないと感じてしまいます。「あくまで商売」と割り切っているって感覚ですかね。
そんな作家にとって一番都合がいいのが、ノベルズという形態になってしまっている。さほど努力しなくても、一定の部数は確実に掃けるんですから(「プロの同人誌作家」と書いたことです)。
小生は「銀英伝」の時代とは違って、ここ数年の流れの話をしているつもりなんですけども(それこそ私の好きな鮎川哲也責任編纂の推理アンソロジーは、二〇年前の話ですぜ)。

また、ここは「レッドサン・ブラッククロス」
についての批判は述べる場所ではないでしょうが一つ二つ。
「ユダヤ人の虐殺」はなくても、ジプシーや障害者は虐殺されているんではないでしょうか。またレーベンス・ボルンは、どうなっているのでしょう?
ユダヤ人などの迫害があったからこそ、ナチスの狙ったナショナリズム高揚が成功したはずです。もしユダヤ人国家を認めるほどヒトラーがいい人だったら、他の迫害政策もなかったということでしょうか。でもそれなら、どうしてナチスが戦争を求めたのかという意味まで、なくなってしまいませんか(「戦争しなければならない」必然性がなくなるか、史実とは全然異なってしまいますよ)?
ある程度の御都合主義は、どんな小説にも必要悪でしょう。しかし小生から見た佐藤氏の作品は、「うまい」というより「あくどい」という言葉のほうを強く感じてしまいます(それより他の作家が下手ってことですけど)。

捕捉すると……
川又千秋氏の「ラバウル烈風」が打ち切りって噂です。また○○の出している架空戦記ですが、ある程度の売れ行きがなければ即シリーズ打ち切りという、ジャンプ並みの厳しさって聞きした。ですから展開はやたら大きくなるのに、作品の完成度は低下してしまうという状況になっています。
地道でこつこつとした長編よりも、ハデハテな展開のほうが読者には喜ばれるということですかね(内容なんか読んでいないのかも……)。
現状では、いきなりの新人が「銀英伝」級の長編を引っさげても、デビューし辛いのではないでしょうか?
この辺り、それこそ管理人氏の意見を聞きたいと思います。

board2 - No.433

私の創竜伝考察26 仙界の矛盾・後編

投稿者:冒険風ライダー
1999年12月20日(月) 08時10分

 前回の創竜伝考察からずいぶんと時間が経ってしまいましたが(^^;;)、「仙界の矛盾・後編」は、「仙界のストーリー設定上の矛盾」を論じてみたいと思います。
 しかし創竜伝をいくら読んでみても、「仙界」の実態というものはなかなか分かりづらいものがありますね(笑)。意図的かどうかは知りませんが、小説中の支離滅裂な描写とキャラクターが語る社会評論のために、小説における「仙界」の設定はかなり破綻してしまっていますからね~(>_<)。田中芳樹自身にさえ、「仙界」については正確な実態を把握できてはいないのではないでしょうか(笑)。
 まあ創竜伝自体がかなりいいかげんな世界設定で構成されているのですから、その破綻した世界設定の一構成要素である「仙界の設定」が矛盾に満ち溢れていても全然不思議ではないのですが(笑)、「仙界の矛盾」の特徴は、「仙界及び仙界の連中の思想や評論」と「仙界を含む創竜伝の世界設定」とに大きなずれがあるということでしょう。全く、よせばいいのに余計な社会評論をキャラクターに語らせるものだから小説中の設定が崩壊してしまうのですけどね~(>_<)。
 さて、一口に「仙界のストーリー設定上の矛盾」と言ってもいろいろとあるのですが、私が見た所では、おおまかに分けて次の5つほどに分類されます。

1.「仙界」の「牛種と人間論」
2.批判対象が不明瞭な人界批判
3.人界に対する「仙界」の基本方針
4.超文明を誇る「仙界」の「神秘主義批判」
5.タイムトラベルに見られる「仙界の行動原理」

 他にもあるのかもしれませんが、明らかにストーリー設定を破壊している矛盾はこの5つですね。どれもこれも「余計な評論やお説教を展開している事によるストーリー崩壊」ですが、「仙界」の評論の特徴として「人間に対する無限の蔑視」というものがあり、これがストーリーに悪影響を与える事はなはだしいのですがね。そもそも人間を蔑視している点においては「仙界」も牛種も同じレベルでしかないというのに、こんな連中に竜堂兄弟が「人界に対する干渉」を求めているというのが何とも言えませんな(>_<)。
 なお、今回はかなりストーリー内容に立ち入って評論しますので、相当マニアックな評論になると思いますが(^^;;)、そこはご了承いただきたく思います。できるだけ分かりやすくするつもりですが。
 それでは、そろそろ始めましょうか。



1.「仙界」の「牛種と人間論」

 創竜伝8では「なぜ牛種の人界支配が続くのか」という命題で、西王母親子や竜堂兄弟たちが論争を繰り広げていますが、その中に「人間と牛種との思想的共通項」というシロモノがあります。その部分を引用してみましょう。

創竜伝8 P107下段~P109上段
<西王母は小さく息をつき、表情をあらためた。そして、あいかわらずおだやかな口調で重大なことを告げた。
「牛種が三〇〇〇年もの支配に成功した理由の大きなもの。それは人間本来の性情に、牛種の支配法がよく合致していたからです。けっして恐怖や詐術だけで支配したわけではありません」
(中略)
「人間の望みは、選ばれることです」
「選ばれること……ですか」
「そうです。選ばれること。選挙で当選することではありませんよ。絶対的な権威に選ばれること、偉大な存在に選ばれることによって、他人より高い位置に立つことです。選んでくれるのは、神であったり天使であったり宇宙人であったりします」
 母の足もとにひざをくずしてすわっていた瑤姫が声をあげて笑った。
「そう、選民思想よ。ごく他愛もないものもあるわよね。オカルト雑誌の投書欄に良くある文章。自分たちは選ばれた戦士だ、特別な存在で、他の人たちとはちがうんだ、って。そして待ってるの。誰かが、戦う相手を教えてくれることを。何のために戦うのかを教えてくださることをね」
 すこし怒ったような上気した表情で、瑤姫は掌を床に軽く打ちつけた。
「そうなのよ。教えてもらいたがってる。指示してもらいたがっているのよ。すぐれた人間とやらは、おえらい人から指示をもらわないと、自分が何をしていいのかもわからないのかしらね!」
「それはマニュアルどおり正確に動くのが、すぐれた人間だと思っているからよ。彼らにとっては、マニュアルを与えてくれる人が神様なの。彼らはロボットのほうが人間より進化した存在だと思いこんでいるのよ」
 そう姉に答えたのが玉扈で、口調はおだやかだが内容はなかなか手きびしい。さすがに瑤姫の妹で茉理の姉だけのことはある。>


 今までの創竜伝の愚劣な社会評論から、創竜伝にまともな評論を期待するのは無理だとは思っていましたが、案の定この「人間論」でも現実離れした論調を展開していますな(笑)。この「人間論」、小説の設定としても評論としても愚劣なものでしかありません。
 まず西王母親子は「人間本来の性情には選民思想がある」とのたまい、さらに「人間は偉大な存在(神や天使や宇宙人)に選ばれることを望んでいる」などと主張していますが、連中はこのような評論を述べる前に、自分達自身が「偉大な存在」であり、「人界」の科学力をはるかに凌ぐ「超テクノロジー」を持ち、しかもいいかげんかつ無用な社会評論を展開して「人界」の人間を見下しているという事実を、もうすこし直視してもらいたいものなのですがね。「特別な世界の住人であるという選民思想」を全く自覚していない「仙界の連中」が、「人界」の「選民思想」を批判するというのですから、何か悪い冗談を聞いているようにしか思えないのですが。
 それに瑤姫と玉扈が、その「選民思想」の批判手段として「マニュアルどおり正確に動くのが、すぐれた人間だと思っているからよ」などと言うに至っては、「あんたらも世間知らずでシアワセなものですな」とでも言ってやりたくなってしまいますな。彼女らは人間の組織の基本も知らないのでしょうか。あ、彼女らは「仙界」という狭い世界に閉じこもって「人間蔑視」の空想にふけっているだけだから、そうなるのも当たり前か(笑)。
 人間というものは「仙界の連中」や竜堂兄弟と異なり、一人で生きられるものではありません。一人で独立して生計を立てられるごく少数な人々を除いて、人間は何らかの組織に従事しているものです。この場合の「組織」というのは国家でも会社でも学校でも何でも良いのですが、自らの生計を立てるためにに組織に従事している以上、その組織の「マニュアル」に従うのはごく当然の事ではないですか。「マニュアル」に逆らうような行動をとれば「組織の秩序を乱した」ということになりますし、「マニュアル」にないからといって自由に行動できるわけではなく、上司ないしは指導者から何らかの的確な指示が下るのを待たなければならないのが普通の組織人というものです。したがって、「あの」瑤姫の妹である玉扈とやらが侮蔑まじりに主張している「マニュアルどおり正確に動くのが、すぐれた人間である」という考え方自体は何ら間違ったものではなく、その「マニュアル」の中でどう行動するか、ということこそが重要なのです。人間とは、他人と協調していこうとするならば、多かれ少なかれ「マニュアル」の中でしか動けないものなのですよ。
 そもそも「マニュアル通りに正確に動かず、自分の考えのままに行動する」という考えがどれほどの災いを引き起こしてきたかは、戦前の5・15事件や2・26事件などの軍部の独走を見ても明白ですし、銀英伝でも「シビリアン・コントロールを無視した軍人達」がクーデターを起こしているではありませんか。さらに私が以前「軍事関連特集」で論じた「有事法制の不備」というのは、「いざという時にどう行動するかについてのマニュアルがない」ということでもあるのですけど、「仙界の連中」の考え方では、こういうのが正しいという事になるのですな(笑)。
 もちろん、「マニュアル」なるものが絶対的に正しいというわけではありませんが、「マニュアル」が不当だというのならば改善すればよいのです。西王母親子の「人間論」は、「マニュアル」が永久不変のものであり、しかも愚劣きわまるものであるという架空の前提にもとづいた主張でしかなく、人間批判として正鵠を射たものとはとても言えません。まあそんなものをあの連中に求める方が無理というものなのでしょうが(笑)。
 このように、人間に対する認識と考察が最初から間違っているものですから、これで下の文章のように牛種支配と関連づけようということ自体が無理な話なんですよ。

創竜伝8 P109上段~下段
<ふたたび西王母が口をひらく。
「支配者が独占したがるのは、権力や富ばかりではありません。情報や知識もそうなのです。非民主的な国家ほど、報道の自由がなく、国家機密の量が多いことは、青竜王もご存じでしょう」
 西王母のいうとおりである。それにしても、人間や歴史についてこれほど問われたのは、祖父の死以来はじめてのことであった。
(中略)
「牛種の人界支配がどれほど巧妙であったか、これもひとつの証明になりますね。一般の市民は知らないことを自分が知っている。自分は秘密を知っている選ばれた人間である。その優越感が、結局のところ、牛種への忠誠をもたらすことになります。少数の特権者が、自分の優越感のために他の人々を支配するという図式です」>


 西王母サマ、言っていることは分からないでもないのですが、創竜伝でこの主張が「正論」と認定されるには、創竜伝のストーリー設定が杜撰すぎますし、上記の主張を牛種支配のみに限定して当てはめるのは無理がありすぎますぞ(笑)。そもそも「民主的な国家」なるものはたかだか200年弱の歴史しか持っていないのですから、西王母の主張に従うと、3000年間の牛種支配は「西洋世界」だけではなく全世界に浸透していたという事になるのですけど。
 第一「情報の独占による優越感」というのは別に牛種支配に限ったことではないでしょう。「仙界」の支配領域である中国の歴代王朝だって同じ事をやってますよ。ついでに言えば「国家機密が多いこと」と民主主義云々も全く関係ないものですね。民主・非民主を問わず、どの国家だって国家機密は持っていますし、民主主義国家であるアメリカなどは膨大な国家機密を持っていますよ。国家の情報戦略や対スパイ対策のために情報を機密化する事は、国家の維持のためには当然の事です。まあだからといって何でもかんでも「国家機密」にすればよいというわけではありませんがね。
 それに自らの存在自体を隠蔽し、「人界」の科学力をはるかに超越した「超テクノロジー」を人類に一切隠している「仙界」が、国家機密を論じる事ができるとは驚きですな。自分達が何ゆえに自己の存在と「超テクノロジー」を隠蔽しているかという理由を直視して考えてみれば、国家がなぜ国家機密を持つのかがすぐに分かるでしょうに。その「超テクノロジー」を人類に公開すれば、深刻な地球の環境問題と人類の文明発展にどれほど貢献することかと、私は思うのですが(笑)。
 ここまで見当ハズレな評論に竜堂兄弟が落ち込んだ事でさすがに気が引けたのか(笑)、西王母サマは「愚かなる人間ども(笑)」に対してフォローのお言葉を賜ります。

創竜伝8 P109下段~P110上段
<始は息ぐるしさをおぼえた。吐息まじりに西王母に問いかける。
「牛種は竜王一族などより、人間の本質をよく知っていたのでしょうか」
「彼らは人間の一面をよく知っていましたよ。それはたしかです」
 西王母はやさしく答えた。始の息ぐるしさをさとり、彼の心に通風口をあけるように。
「でも人間には他の一面があります。他人を支配し、虐待して喜ぶ者もいれば、他人の不幸を軽減することに生命をかける人もいます。青竜王は、人間は全て愚かだと思いますか」
「いえ、そうは思いません」
 始は頭を振った。
「言論が自由な国で滅びた例はまだありません。二〇世紀にはいって滅びたのは、ナチス・ドイツ、軍国日本、ソビエト連邦、東ドイツ……いずれも言論を弾圧し、ただひとつの思想を宗教化して国民に押しつけ、野党の存在を認めず、密告を奨励した国です。それらを思うと、歴史の流れ、人間の賢さを信じたいという気がします」>


 おいおい竜堂始くん、せっかく「偉大なる存在である西王母サマ(笑)」が、自らの間違った評論を恥じて「愚かなる人間ども」をフォローしてくださっているというのに、それにまた見当ハズレな評論で返してどうする(笑)。
 上記で竜堂始が挙げた国々は、別に「歴史の流れ」や「人間の賢さ」で滅んだのではありません。言うまでもなくこれは政治力学の問題でしょうが。あれらの国は、自己の政権の内部矛盾と外圧によって滅んだのですよ。ナチス・ドイツはソ連とのスターリングラードの戦いで敗れ、軍事的に劣勢になったこと、戦前の日本は官僚制度の腐朽による思考硬直化、ソ連はアメリカのスターウォーズ計画にまんまとのせられて大規模な軍拡競争に熱中し、経済が疲弊してしまった事、東ドイツはソ連の影響が弱くなった事によって統一意識が高まった事、などが原因で滅んだのですがね。他にも理由はありますが、すくなくとも「歴史の流れ」や「人間の賢さ」でこれらの国が滅んだわけではない事は確かでしょう。政治を少しでも知っていれば、こんな事は言えるはずがないんですがね。
 それに竜堂始の主張に従うと、昔から「言論を弾圧し、ただひとつの思想を宗教化して国民に押しつけ、野党の存在を認めず、密告を奨励した国」の筆頭であると言える中国は、当然滅びて然るべき国ということになりますし、毛沢東は「愚劣な牛種的権力者(笑)」という事になるのですけど、そうなると創竜伝7巻の中国礼賛と矛盾しないのでしょうかね?


2.批判対象が不明瞭な人界批判

 さて「1」で論じた「牛種と人間論」は、「仙界の連中」が余計な社会評論を展開しなければ、あるいは「ストーリーを支える一道徳論」として通用したかもしれません。
 それを「破綻した評論」にまで仕立て上げてしまっているのが、「人間論」にもとづいて展開されている「仙界の連中による人界批判」です。まあ別に「人界」を批判すること自体が悪いとはいいませんけど、創竜伝のストーリー設定を見直すと、一体彼らが何を批判しているのかが理解不能です。その一例を挙げてみましょう。

創竜伝8 P160上段~下段
<「のう、竜王がた、これは恩を着せるつもりでいうんだが」
 ぬけぬけと漢鐘離が黒い髯をしごいた。
「仙界が人界に干渉して、五〇億の人間を破滅から救ったとする、それで人類は感謝して、われわれにお供えのひとつもくれるのかな」
「お供えがほしいんですか」
「小児病みたいな反問をするものではないぞ。わしがいうとるのは、人類に感謝の気持ちがあるかどうかということじゃ」
「感謝ぐらいすると思いますが」
「わざわざ教えるつもりもないが、仙界が干渉して、人類の反感を買うことはないかな」
「それはないでしょう。悪い干渉ならともかく」
 始の返答を、漢鐘離は聞きとがめてみせた。
「悪い干渉はされたくないけど、善い干渉はしてほしいと思ってるわけじゃの」
「そういうことになりますか」
「勝手な話ではないか。なぜ仙界がそこまで人界に奉仕してやらなきゃならないのかな。そこまでつけあがって一方的に要求する権利がある、と思いこんでいる人間とは一体何なのかな?」
「…………」
「だいたい自分たちがこれまで何百種類の動物を絶滅させてきたと思っとるのかな。それで自分たちは絶滅するのがいやというわけじゃ、ふん!、リョコウバトやニホンオオカミが絶滅したがっていたとでもいうのかね」
 始は反論のしようがなかった。>


 ここまで発言内容が矛盾だらけの主張に対してまともに反論もできないようでは、到底竜堂兄弟に「仙界の連中」を説得する事は無理ですね。それにこんなストーリーに無為無用な人間批判ばかり続けていても、反論側の竜堂兄弟の知能程度の低さが明らかになるだけで、ストーリーが不必要に迷走してしまうだけだと思うんですがね。
 さて漢鐘離よ、アンタは一体何を批判しているのですか? 創竜伝のストーリー設定によると、「仙界の連中」は「染血の夢」の50億人抹殺計画で人界に干渉するかしないかで竜堂兄弟ともめているはずです。この「50億人」というのは全て発展途上国の人口過剰な人間であり、漢鐘離が批判しているのは「動物を絶滅させた先進国(具体的には欧米と日本)の人間」です。したがって漢鐘離は、「先進国の人間の罪業」をもって「先進国の被害者である発展途上国の人間」を断罪しているのであり、これは批判対象を取り違えているということになります。一口に「人間」といっても様々な人間がおり、しかも「牛種支配」が及んでいるのは「西洋世界」が中心なのですから、ストーリー設定からしても「牛種に支配されている人間」と「そうでない人間」とは本来区別されて論じられるべきものでしょう。
 さらに創竜伝のストーリー設定に踏みこんでみれば、そもそも「染血の夢」を計画したのも、西洋世界の侵略行為や植民地支配も、様々な動物を絶滅に追いやってきたのも、全ては「牛種の陰謀」であって人間が自発的に起こした事ではなく、したがって人間は全く責任はないか、せいぜい「牛種の従犯」でしかない、という事になるのではないのですかね? にもかかわらず、漢鐘離の主張は「人界の災厄は人間が全ての元凶である」と言わんばかりです。これは明らかに「現実世界」に向けられた人間批判なのでしょうが、漢鐘離のいる世界は言うまでもなく「創竜伝世界」ですよ。「創竜伝世界」という「現実」から遊離した人間批判などを展開してどうするのでしょうか。
 他にも「私の創竜伝考察24」における竜堂続や瑤姫のように、不必要な「政治家批判」を展開したあげく、責任を異常拡大して人間を罵るような描写が多く、しかも「一体何が本当に悪いのか」という批判の本旨が説明できていません。人間性が悪いのか、牛種の陰謀が悪いのか、もしくは双方が悪いのかでストーリーが大きく変わってしまうのですが、批判対象がその時の気分でコロコロ変わってしまうため、勧善懲悪小説であるにもかかわらず「本当の敵が見えない」という矛盾が発生してしまっているのです。
 こんな矛盾ができてしまうのも、そもそも創竜伝世界において「人間」と「牛種」とは本来全く別の存在であるにもかかわらず、それを意図的に混同して「現実世界の評論」などを展開し、しかもそれが小説中のストーリー設定と大きくズレてしまう事に原因があるのです。素直に「人界の災厄は全て牛種の陰謀論」で止めておけば、ここまでストーリーが破綻する事もなかっただろうに(T_T)。
 それから漢鐘離よ、牛種の「染血の夢」の目的は「50億人抹殺による人界の支配体制の再構築」であって「人類を絶滅させること」ではありません。間違えてはいけませんね(笑)。


3.人界に対する「仙界」の基本方針

 仙界の基本方針といえば「人界に対する絶対中立・不干渉主義」というのがありますが、「1」や「2」のような「破綻した人間批判」を展開し、しかも「人間は愚か者である」と言わんばかりの人間蔑視思想をひけらかすぐらいならば、いっそ連中が「人界」に干渉して人間を変えてしまえば良いのではないか、そう考えてしまうのは私だけですかね? どうも「仙界の基本方針」というのは、「仙界の連中」の破綻言動の免罪符にしか見えないのですけど。
 しかもこの「絶対中立・不干渉主義」という方針自体、「仙界」の無責任ぶりを露呈したようなシロモノで、創竜伝のストーリー破綻にこれまた大きく貢献しています(笑)。それが最も端的に表れているのが、下の漢鐘離の発言です。

創竜伝8 P117下段~P118上段
<ようやく、神仙のひとりが発言を求めた。
「いずれの国でどのような凶事が生じようとも、この土地には無縁のこと。放っておけばよかろう」
 古くは秦の始皇帝から、最近では毛沢東まで、どれほど強大な独裁者でも、次元の壁をこえて崑崙へ侵攻してくることはなかった。人界においてどれほどの血が流れようとも、それは人間どもの愚かさと残忍さから来るものであり、彼らに責任があることだ。彼らが蒔いた種は、彼ら自身が刈るべきではないのか。>


 「神仙のひとり」というのは漢鐘離のことですが、全く創竜伝のキャラクターというのは、自分の世界の世界情勢もロクに把握できていないのですかね。この御仁の発言、意図的に「人間」と「牛種」を混同しています。何ですか、下の文章は?
「人界においてどれほどの血が流れようとも、それは人間どもの愚かさと残忍さから来るものであり、彼らに責任があることだ。彼らが蒔いた種は、彼ら自身が刈るべきではないのか」
 漢鐘離よ、そもそもアンタは竜堂兄弟が何の目的で「仙界」に来たのかも忘れてしまったのですか? 「牛種の陰謀である」50億人抹殺計画を止めさせるためでしょうが。そもそも「2」で主張したように「西洋の侵略・植民地行為」なども、創竜伝の設定に従えば「牛種の陰謀」なのですから、「人界においてどれほどの血が流れようとも、それは人間どもの愚かさと残忍さから来るもの」という理論を、すくなくとも牛種の支配領域の人間に適用するのは完全な間違いです。この理論が適用できるのは、皮肉な事に「仙界」が統治している東洋世界(特に中国)だけです(笑)。もちろん牛種の陰謀である「染血の夢」には全く適用できません。
 それに3000年前の殷周革命の際に「天界」の方針で牛種を西洋世界に追いやり、好き勝手な支配を牛種が行うに至ったのは、「仙界」にもその責任の一端があります。「牛種が勝ったら人界完全支配、負けたら西洋のみの支配」という「天界」の方針を、実行したらどうなるのかを承知していながら黙認していたのですから。そしてそのために牛種は「仙界と竜種への復讐」のために西洋文明を発展させ、東洋侵略に乗り出したのではないですか。その「ストーリー設定上の事実」を無視して「全ては人類自身の責任だ」はないでしょう。それとも都合の悪い事実は忘れてしまったのですか(笑)。
 そもそも創竜伝では、ここまで「人間の愚かしさ」を説いているにもかかわらず、「それに変わる新たな人間像」という、建設的批判に必要不可欠であるはずの代案を全く提示しようともせず、ただひたすらキャラクターが、天上界から見下したかのような視点から「現実世界(創竜伝世界ではない!)の人間」を罵っている論調だけが並んでいるだけです。そのくせ自分達自身のことについては、「絶対中立・不干渉主義」の影に隠れて無責任もはなはだしい事を並べ立てているというのですから、連中には「牛種」や「人間」を批判する資格などありません。これなら「牛種」や「人間」の方がまだ責任感がありますよ。
 正直言って、こんな連中に救われなければならないほどに人間が荒廃しているというのならば、いっそ人間は「仙界」を道連れにして滅んでしまった方が良いのかもしれませんな(笑)。


4.超文明を誇る「仙界」の「神秘主義批判」

 下のような引用文章を読んでみると、「仙界の連中」にとどまらず、創竜伝のキャラクターというのは、人様を批判する際に自分達を顧みるということを全くやっていないとしか思えません。こういう事がよく言えたものですね。

創竜伝8 P181下段~P182上段
<「タイムマシンが実在し、しかもそれが超古代からの歴史を持っていると知ったら、超古代の失われた文明にあこがれる神秘主義者たちがさぞ喜ぶだろうな」
 始の感想は、瑤姫をやや不機嫌にしたようである。むろんそれは始に対する不快感ではなく、神秘主義者に対するものだ。
「一部の神秘主義者たちは、自分たちのご先祖をおとしめるのがよほど好きなのね。人類が原始の段階から苦労して知識を獲得するというのは尊いことなのに。超古代からの叡智とやらを受けつぐだけで、自分たちの手で何も創造しないほうがえらいなんて、倒錯してるわよ」
 瑤姫の声には容赦がなかった。始は苦笑して続の顔を見た。続が相手になった。
「一代でのしあがった成金より、代々のお金持ちのほうを、人間は尊敬する傾向があるようですよ。文化が古いほど価値がある、というのは、そうまちがったことではないでしょう」
「それにしても、自分たちの手で文明を破壊して、歴史すら残せなかった超古代人たちのどこが偉大なのかしらね。そんなことを証明もなくいいたてる連中は、まったくいかがわしいわよ」
 瑤姫の意見は正しい、と始は思う。口調や表現は激しいが、それは性格の反映であり、内容がまちがっているわけではない。仮に超古代文明とやらが技術的に現代文明よりすぐれているとしても、道徳的にすぐれているという証拠はどこにもない。人類の歴史を見てもわかる。「進んだ国」が「おくれた国」を侵略し、植民地にしてきたのである。>


 確かにその通りですな。竜堂兄弟がどれほど「超人的な力」を持って悪党を叩き潰したり、愚劣な社会評論を展開しても、「彼らが道徳的にすぐれているという証拠はどこにもない」し、「仙界の連中」がどれほど超テクノロジーをひけらかし、的外れな人界批判をしたところで、「彼らが道徳的にすぐれているという証拠はどこにもない」のですからね(笑)。
 それにしても瑤姫よ。
「一部の神秘主義者たちは、自分たちのご先祖をおとしめるのがよほど好きなのね。人類が原始の段階から苦労して知識を獲得するというのは尊いことなのに。超古代からの叡智とやらを受けつぐだけで、自分たちの手で何も創造しないほうがえらいなんて、倒錯してるわよ」
 これって、「超古代からの叡智とやらを受けつぐだけ」で権力者を徹底的になぎ倒したあげくに被害者ヅラする竜堂兄弟や、「極低周波砲」だの「タイムマシン」だのをひけらかしているくせに「人界」の文明を偉そうに批判する「仙界」にそっくり当てはまるのではないですかね(笑)。何度も言いますけど、そもそも何かを批判する際に、まず自分を顧みる姿勢というものは絶対に必要不可欠なものなのですけどね。それともこれで自己批判しているつもりなのでしょうか?
「それにしても、自分たちの手で文明を破壊して、歴史すら残せなかった超古代人たちのどこが偉大なのかしらね。そんなことを証明もなくいいたてる連中は、まったくいかがわしいわよ」
 中国では、王朝が交代するたびに「自らの王朝に正統性を持たせるため」と称して、前王朝の文化・文物をことごとく破壊し、歴史まで自分達の都合に合わせて記述してきましたが、瑤姫の言う通り、全くこういう国のどこが偉大なのでしょうな(笑)。そして中国は「仙界」の領域である東洋世界にある国ですが、「仙界」は「絶対中立・不干渉主義」という基本方針のもと、こういった行動を黙認してきたのですから、「神秘主義者」のことをよくここまで偉そうに批判できますね。この厚顔無恥ぶりは、私には到底信じられませんな。
 なお、彼らが「道徳的にすぐれているわけではない」ということは、次の「タイムマシンの事例」で証明します。


5.タイムトラベルに見られる「仙界の行動原理」

 創竜伝8のP177辺りから、竜堂兄弟たちは「辰コウ」という名のタイムマシンを使って過去の歴史の情景を見る事になります。何でも「天界」や「仙界」で過去に何が起こったかを竜堂兄弟に見せるためなのだそうですけど。
 その歴史の経緯は、

13世紀のモンゴル軍のボルガ川渡河

紀元前323年6月のアレクサンドロス大王の死

5000年前の殷周革命

 というものですが、その中のアレクサンドロス大王の死に直面した竜堂兄弟と漢鐘離が、次のような会話を交わしています。

創竜伝8 P193下段~P194下段
<「つまり、アレクサンドロスがあと三〇年長生きし、彼の王朝がインド、ペルシア、ギリシア、エジプトにまたがる大帝国を統一支配しつづけておれば、古代ギリシア哲学と仏教とが正面から出会ったかもしれん」
「歴史上の大きな可能性ですね」
「実現しておれば、けっこうおもしろいことになったろうな」
「干渉しないんですか? 抗生物質の注射一本で、アレクサンドロスは死をまぬがれるかもしれませんよ」
 皮肉っぽく指摘したのは続である。だが、あっさりと漢鐘離は頭をふった。
「自分で責任のとれんことは、せんほうがよいのさ」
 漢鐘離がそういったのは臆病からではなく畏敬からであることを、始は理解した。もともと仙界は人界に対して不干渉主義であるが、そこにあるのは突きはなす姿勢だけではないように思える。たぶん仙界の人々は不遜そうに見えて、じつは大いなる時空間を律する法則を畏れることを知っているのだろう。>


 「仙界の不干渉主義」については「3」で徹底的に叩き潰しておきましたが、
「たぶん仙界の人々は不遜そうに見えて、じつは大いなる時空間を律する法則を畏れることを知っているのだろう」
 という始くんの見解も、残念ながら全くの的外れであると言わざるをえませんね(笑)。この描写の後、5000年前の殷周革命の時代へタイムトラベルし、黄帝と牛種との戦いに遭遇するのですが…………

創竜伝8 P197下段~P198上段
<始も続も声が出ないし、終や余も夢中で、漢鐘離が余の背中に手を伸ばしたのに気づかなかった。
「それよ」
 あまりにもさりげない動作であったので、何ごとが生じたのか、一瞬、誰にもわからなかった。余は、自分の身が辰?の床を離れて宙に浮いていることに気づいた。漢鐘離にひょいと押されて、そうなったのである。
 余の身が落下していくのを、兄たちは一瞬、凝然と見守った。はっとして我に返り、「あなたは!」と叫んで続が漢鐘離の襟元をつかむ。始はというと、漢鐘離に目もくれず、辰?の縁を乗りこえ、宙にダイビングしていた。それにつづこうとする終を、無言で瑤姫が制止する。>


 この描写は漢鐘離が「5000年前の殷周革命」という「人界の歴史上の世界」に竜堂兄弟に干渉させた瞬間ですが、引用ページに注目してください。ほんの5ページ前で歴史に干渉する事を戒めていた発言をしていた漢鐘離が、あっという間に前言をひるがしているではありませんか。創竜伝世界においても、5ページの間の時間的経過は10分も経ってはいないでしょう。創竜伝において、社会評論にせよキャラクターにせよ、これほど速く前言をひるがえした行動にでている例は、私の知っている限りここにしかありません。
 しかもこれは突発的な行動ではなく、漢鐘離が最初から仕組んでいたという事を、彼自身がこの先のページで明らかにしています。

創竜伝8 P209上段~P210上段
<漢鐘離の顔に浮かんだ笑いは、会心のものといってよかった。
「九天玄女が使者に立って、西王母の必勝の法を黄帝に授けた。さまざまな神話伝説に共通して記されていることじゃ」
「思いだしたわ。だから母上は天界から特別な待遇を受けるようになったんだっけ」
(中略)
 続は冷たく漢鐘離を見やって決めつけた。
「ようやくわかりましたよ。最初から仕組んでいたんですね。黄帝が九天玄女に会うまで、ぼくらに蚩无の軍を牽制させる。でないと黄帝が惨敗して、歴史が変わってしまう……」
「最初? ふむ」
 漢鐘離はうそぶいた。
「永遠に循環する時間のなかで、どの時点が最初といえるのかな。わしにはようわからん」
「またそういう詭弁を」
 続は舌打ちした。>


 さて、このタイムトラベルの事例から、「仙界の連中」の恐るべき行動原理が分かります。彼らは、自分達の利益が絡む事であるならば、自らの掟を破って自分勝手な行動に出ても良いし、タイムマシンを使って歴史に干渉してもかまわないと考えているわけです。
 そもそも漢鐘離の歴史干渉行動は、「仙界」の基本方針である「絶対中立・不干渉主義」に明らかに違反しています。しかも漢鐘離は「仙界」の人界干渉について、
「いずれの国でどのような凶事が生じようとも、この土地には無縁のこと。放っておけばよかろう」
とまで主張した人物ですが、かつての自分の自己主張はどこに行ってしまったのでしょうかね(笑)。しかもその干渉理由は
<歴史干渉しないと「仙界」が「天界」から特別待遇を受けられなくなってしまうから>
だそうです。つまり彼は「目的は手段を正当化する」と考えているわけですね。まるで牛種のような考え方ですな(笑)。これがいかに恐ろしい考え方であるかは、それこそナチス・ドイツや旧ソ連などの歴史を見ていれば分かるでしょうに。
 百歩譲って、この「歴史干渉」が正当であるとしましょうか。それならばなぜ彼らは、タイムトラベルで牛種の存在そのものを消去するという方法を使用しないのでしょうか? 牛種の行動を止めるという「仙界の利益にかなった目的」を達成するのならば、これが一番確実な「手段」なのですから、上記の歴史干渉が「正当」であるというのならば、これだってOKなはずなのですがね。
 さらに奇怪なのが、このような誰が見ても明々白々な「仙界の基本方針に対する違反行為」をやらかした漢鐘離に対し、誰一人として「違反行為だ!」という批判の声を上げていないという事です。つまり漢鐘離の独断行動は「仙界」にとっても竜堂兄弟にとっても問題ではないのだ、ということになりますが、しかしそうなると彼らの社会批判の一要素である「近代の人間は法を守らなければならない」というのとどう整合性をつけるのでしょうか? 「仙界の連中」は偉そうに「人間」や「法匪」などを批判しているくらいなのですから、その批判を自分達自身に適用しても良いのではないのかと思うのですがね。まあ彼らが「自分達は元々法治主義という概念がない前近代的な中国人なのだから、法を守る必要はないのだ」とでも考えているのならば、主義主張は一貫していますけど(笑)。
 何の事はない、「人間の道徳性のなさ」を批判しているはずの「仙界の連中」の方がよほど、道徳的に醜悪ではありませんか。


 この「仙界」の最大の間違いは、そもそも人間を救う立場にあるはずの「仙界の連中」に、ストーリー設定と矛盾する3流以下の「人間蔑視論」を展開させ、しかもそれに竜堂兄弟が何ら反論していないどころか、むしろ迎合しているとしか思えない姿勢を保っている所にあるといえるでしょう。特に後者が致命傷ですな。「仙界」を説得して人界に干渉させるという目的が全く果たせていないのですから。竜堂兄弟が「仙界の人間蔑視論」に対してまともに対抗できる、説得力のある理論的な反論を展開し、人界干渉を渋る「仙界」を説得するという描写があれば、この「仙界」の描写もそれなりのものになるどころか、むしろ秀逸なものにすらなったのかもしれないと思うのですがね~。
 それに妙な超テクノロジーをひけらかしているのも、「仙界」の優越性を誇示しながら、現実世界に対する余計な「文明批判」などを展開しているために、はっきり言って「人間蔑視論」の補強にしかなっていません。まあ中国神話が大好きなのは分かるのですけどね(笑)。
 結局のところ、「仙界描写」の目的は、中国を礼賛し、西洋を貶め、人間を蔑視する事にあったとしか言いようがないですね。これでは読者の共感が得られるわけがないのは当たり前です。田中芳樹は、もう少しストーリーを真剣に考えられなかったのでしょうか。


 さて、次はすこし銀英伝について触れてみる事にしますか。

親記事No.433スレッドの返信投稿
board2 - No.434

取り敢えず一点(取り急ぎ失礼)

投稿者:ドロ改
1999年12月20日(月) 10時07分

>  この描写は漢鐘離が「5000年前の殷周革命」という「人界の歴史上の世界」に竜堂兄弟に干渉させた瞬間ですが、引用ページに注目してください。ほんの5ページ前で歴史に干渉する事を戒めていた発言をしていた漢鐘離が、あっという間に前言をひるがしているではありませんか。創竜伝世界においても、5ページの間の時間的経過は10分も経ってはいないでしょう。創竜伝において、社会評論にせよキャラクターにせよ、これほど速く前言をひるがえした行動にでている例は、私の知っている限りここにしかありません。
>  しかもこれは突発的な行動ではなく、漢鐘離が最初から仕組んでいたという事を、彼自身がこの先のページで明らかにしています。
>
> 創竜伝8 P209上段~P210上段
> <漢鐘離の顔に浮かんだ笑いは、会心のものといってよかった。
> 「九天玄女が使者に立って、西王母の必勝の法を黄帝に授けた。さまざまな神話伝説に共通して記されていることじゃ」
> 「思いだしたわ。だから母上は天界から特別な待遇を受けるようになったんだっけ」
> (中略)
>  続は冷たく漢鐘離を見やって決めつけた。
> 「ようやくわかりましたよ。最初から仕組んでいたんですね。黄帝が九天玄女に会うまで、ぼくらに蚩无の軍を牽制させる。でないと黄帝が惨敗して、歴史が変わってしまう……」
> 「最初? ふむ」
>  漢鐘離はうそぶいた。
> 「永遠に循環する時間のなかで、どの時点が最初といえるのかな。わしにはようわからん」
> 「またそういう詭弁を」
>  続は舌打ちした。>

>
>  さて、このタイムトラベルの事例から、「仙界の連中」の恐るべき行動原理が分かります。彼らは、自分達の利益が絡む事であるならば、自らの掟を破って自分勝手な行動に出ても良いし、タイムマシンを使って歴史に干渉してもかまわないと考えているわけです。

ここは全く矛盾していません。歴史円環設定でSFを書いた場合の必然です。だれもアレクサンダーを助けません(助けられないし、助けると言う選択をする事はありえない)。何故なら彼が「助けられた」と言う事実は存在しないからです。逆に、過去の大戦には干渉します(干渉しないことは出来ないし、干渉しないという決断をする事はありえない)。何故なら干渉されたという事実があり、それに基づいて現在が決定されている以上、そこから続く「現在」が「過去」へ干渉を行うのは必然だからです。
なお、こういった円環設定の場合、漢鐘離の歴史干渉への恐れ云々は矛盾しません。彼は歴史を守ろうとして行動しているだけですから。「果てしなき流れの果てに」における時間の守護者(すいません、正式名称は記憶の彼方です)の地位を無意識に演じているだけでしょう。彼が「手を出さない(出す)」のは決定事項ですが、どう言う風に(どんな行動原理で)かは歴史の決める所では無いからです。

簡単な例・タイムパラドックス基本「自分の父親を殺せるか」
1、殺せる。しかし、その瞬間自分が消える
あまり理論面にこだわらないSFのパターン。(バック・トゥ…とか)矛盾しているのは言うまでも無い。
2、殺せる。単に別の未来が派生するだけ
たしか、ドラゴンボールってこのパターンでしたよね
3、殺せない。歴史は変わらない
どう言う事かというと
(1)殺す気にならない(殺そうとしない)
(2)殺せない(殺そうとして失敗した)
のいずれかだったから、今の自分があると言う事。
創竜伝はこのパターンです。

この辺はSF設定の問題で、特に破綻も見られません。評論部分と同様の非難をするのは当たらないと思います

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