銀英伝のエンターテイメント性
2−A

SF作品としての銀英伝(1)

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コンテンツの総収録投稿数22件の内、1〜3件目の投稿を掲載

収録投稿1件目
board1 - No.273

お招き有り難う御座います

投稿者:アッキー
1998年11月29日(日) 01時34分

 石井由助さんのお招きに甘えて、参上させて頂きましたアッキーです。以前もこのページはちょくちょく覗かせていただいておりましたが、書き込みをする機会は逸しておりました。
 私は田中芳樹は高校生の頃既に愛想を着かしておりまして、もはや五年間以上ご無沙汰の人間であり、書き込みをさせて頂く資格があるかは非常に疑問ですが、私から軽く田中芳樹評をさせていただきます。
 彼の小説は(特に創竜伝)は見境のない、思考停止したサヨクのアジに満ちており、国家権力=悪、政治家は醜悪、(大)金持ちは悪い奴等などが露骨なシチュエーションで繰り返されれ、そのデモナイゼーションは見ているだに気分が悪くなって行くものでした。まさに、自分が正義の立場にいる独善思考に陥り、客観的に自己を見えなくなるサヨク型人間の典型例でしょう。
 しかしここら辺は皆さんが十分論じていらっしゃるので割愛します。
 そこで提示板で挙げられていない、田中芳樹批判点を申し上げさせて頂きます。
 彼の小説を読んでいて強く感じるのが、いわゆる”現代文明、科学”への批判です。かつてSF小説というものは、科学技術、理論の発展を夢想しその応用、また実現化したときのセンスオブワンダーを楽しむいうのが主な主題でした。
 しかし、SFは日本においては安保共闘の時に変質してしまいました。公害問題、管理社会の問題化により、科学はその元凶と見なされ”科学は人間の尊厳、自主性を抹殺するものだ”の視点からSFは書かれるようになってしまったのです。安部公房らはその小説に、科学技術のセンスオブワンダーなど書かず(科学を知らないから書きようも無かったのですが)ひたすら未来社会において(勿論、その未来社会とは彼らが考える未来の日本でした。)、人間がその、自主性を奪われ管理される様子を書きました。彼らはそれによって現代文明に警告を与えていたつもりだったのです。だがそれらの多くは単なる時代の変遷による変化を、彼らが古い価値観で悪と決めつけ、その責任を”科学文明”になすりつけたものでした。現在の日本では”科学万能主義”という言葉は単に言葉通りの意味ではなく、”科学技術でしかものを見ず、人の心の作用を考えない視野の狭い人”を表す言葉となってしまいました。今現在も日本人がもつ、科学と言う言葉にふと抱くネガティブなイメージは彼らに起因すると言って過言ではありません。
 田中芳樹はまさに、亡びてもなお今でも日本人の心の中に負のイメージを残し続けている(インチキ)SF作家達の末裔、生きた化石といえるでしょう。お時間のある方は阿部公房の履歴を調べてみてください、(田中芳樹と同様)科学等とは全くかかわりの無い人間とお分かり頂けると思います。
 銀英伝はまあ、科学の無知は目立つものそれほど主張には頭に来るものはありません、もっともこれが”日本の代表的なSF”として海外に紹介されていると考えると顔から火が出るおもいですが・・・。アルスラーンはこれも、露骨な残酷描写に目をつぶればまあいいとしましょう。で・・・問題はやはり創竜伝でしょう。
 これが私のさきにあげた、”サヨクのSF”と相通ずることが大いにあることが解って頂けたら幸いです。田中芳樹の小説は一言で言わせて頂ければ”女子”の読み物といえるでしょう。
 ただし、この場合の女子の意味は性別の意味ではなく、”感情の生き物”と言う意味です。世の中の世相を深く考えず、すぐに感情で妄言を掃き続ける田中芳樹の小説にある態度はまさに、女子の読み物であるといえるでしょう。
 かれが、小説の美少年キャラクターばかりを登場させ女性ファンを多く獲得しているのは非常に意味深ですね。(私は男尊女卑主義者ではありませんが。)
 最後に、正直このページを覗く機会は少ないかもしれなせんが、暫くして私がこのページを覗いたとき多少なりとも反響があれば幸いです。

収録投稿2件目
board1 - No.278

SFについて

投稿者:vladimir
1998年11月29日(日) 20時56分

はじめまして、vladimirです。
本来ここに書く内容ではないような気もしますが、読んでいてあまりに気になったので。
アッキーさんの書き込みについてそれはもおかしいんじゃないかと感じる個所があります。
SF小説についてのところで特に。

>かつてSF小説というものは、科学技術、理論の発展を夢想し、その応用、また実現した時のセンスワンダーを楽しむというのが主題でした。

もちろんそういった面もあります、それがSF独自の魅力となっている事は私も認めます。
でもそれだけでしょうか?それが主題なのでしょうか?
SFというジャンルにおいて名作と呼ばれる作品には管理社会やテクノロジーの弊害をあつかったものが数多くあります。
SFにおいては昔も今もは別にバラ色の未来ばかり書かれてきた訳ではありません。また単純に時代による変遷の変化を悪ときめつけその責任を科学になすりつけようとしてきた訳でもありません。

SFは、人と科学の関係についてもっとも自覚的なジャンルと言えるのではと私は思います。
少なくとも、単純に肯定したり否定したりするようなそんな硬直したものでは無い。
日本SFが公害問題や管理社会を扱ったのは、人と科学の関係について自覚的だったからこそです。
そういったテーマが書かれはじめていた頃、科学万能の未来像に酔いしれていた一般の人々はほとんどこれを相手にしてきませんでした。
その後、現実にそういった問題が表面化してきてはじめて騒ぎ出したのです。
ですから、SFが科学万能主義にネガティブなイメージを植え付けた訳ではありません。

ネガティブなイメージができたのは実際に科学万能主義的な考え方により、様々なネガティブな事が起きてきたからです。
科学に悪も善もありません。
それを扱う人のあり方が問題なのでしょう。
科学万能主義というのは、沢山の問題がある考え方なのです。
それ自体私には科学的な態度とは思えません。
日本SFがアッキーさんの言う通りのものばかり書いてきたと仮定して、科学万能主義にネガティブなイメージはできなかったのでしょうか?
まともな感覚の持ち主は必ずNoと答えるでしょう。
日本SFは、科学に安直にネガティブなイメージを植え付けてきたのではありません。それどころか、良質な日本SFは人が科学とどういった関係を結ぶかが問題なんだよとずっと言いつづけてきたように思います。

アッキーさんの書き込みをSFをよく知らない人がよんで、SFについて誤解してしまうのでは、と思いついながながと書いてしまいました。
みなさんはどうお考えでしょうか?

あと安部公房について別に書くつもりでいます。

収録投稿3件目
board1 - No.279

安部公房について

投稿者:vladimir
1998年11月29日(日) 22時04分

えー、安部公房についてですが、この人の作品についてここまで単純な反応を示した人ははじめてみました。
安部公房を読み返してもう一度考えてみましょう、と言ってそれで終わりにしたいのですが、それだと批判する根拠が書かれていないと責められそうなんでちょっと書きます。

科学の知識が無いまま未来社会を舞台に小説を書き、現代文明に警告を与えた気になっていたSF作家だとはちょっとひどい。
彼の小説においてSFな設定が、多くみられるのは、彼が効果的に自分の書きたいものを書くための小道具としてSF的なものを多用したからであり、いわゆる科学万能主義批判をテーマにして小説を書いてきた訳ではありません。
彼は、日本にはめずらしい、ベケット、カフカの系譜につらなる作家であって、彼について語るのは非常に難しいのですが、それぐらいは凡庸な私にもわかります。
読むのはたやすいんですけどね。
安部公房の書く小説にはよく古典的な人間像から逸脱した、非常に奇妙な感覚、感性をもった人達が登場し奇妙な行動をします。
読み手によっては拒絶感を感じるぐらいの。
しかしそれをもって単純に現代文明否定ととるのはどうでしょう。
彼の小説においてその奇妙な人は決してネガティブには描かれていません。
どころか安部公房は彼らに対し時に露骨なほどポジティブな描写をします。まるでこうなればいいなあと思っているような感じで。
彼は古典的な人間像とは違った人間像(かなり過激な)を提示してきます。
あまり書くとだんだん私見の方に走っていて客観性が無くなっていきそうですね。ですが、安部公房という作家はもっとレベルの高い作家ですよと私は言いたい。
安直な現代文明否定作家というレッテルは貼らないでもらいたい、というかそう考えるほうが間違ってるのではって思います。
安部公房の科学についての知識及び現代文明についての考察については「死に急ぐ鯨たち」を読んでみて下さい。
純文学作家に対してこう思うはおかしいのかもかもしれませんが、実に科学的な態度だと思います、ええ。

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