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No. 388 | |
なんか証拠あるのかね | |
まどかり | 2001/07/05 16:22 |
なんだか推論だけでひどいこと言ってる人多いね 気持ち悪いよなぁ読んでて・・・ 小説家なんだから小説に持論いれたって良いと思う エッセイストじゃないし 削除 1234 |
No. 389 | |
証拠? | |
恵 | 2001/07/05 17:36 |
恵です☆☆ こんにちわ、まどかりさん。 > なんだか推論だけでひどいこと言ってる人多いね > 気持ち悪いよなぁ読んでて・・・ > 小説家なんだから小説に持論いれたって良いと思う > エッセイストじゃないし > 簡潔に、あなたに質問させていただきますね。 ☆誰と誰の発言を読んで「ひどいこと言ってる人多い」と思われたのでしょうか? ☆「推論」とは誰のどんな文章を指しておられるのでしょうか? あなたが何に対して憤っておられるかまったくわかりませんので、わたしにはあなたの発言は「田中芳樹氏の悪口を言われたから腹が立った」としか見えないんですけど。 ☆「小説家なんだから小説に持論いれたって良いと思う。エッセイストじゃないし」 ↑これは反対じゃないですか? エッセイに持論が入るのは至極当然ですし、小説に持論が入るのは不自然です。なぜなら、近代小説の暗黙のルールでは、「作者が小説の中にみだりに干渉してはいけない(By 坪内逍遥)」があるからです。また、あえて作品の質の向上のために持論を入れるなら、それなりにその必然性と説得力が必要になりますけど、たとえば創竜伝では持論(社会評論)などまったく必要がないばかりか、作品設定が破壊されるという悪影響が確認されています。(ベストの議論や冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察」は読まれたでしょうか?まだなら、トップページから行けますのでぜひど〜ぞ☆) それと、ここで異論を唱えられるなら、もっと説得力のある根拠を提示して下さいませんか?あなたの文章は簡潔すぎてあまりにも具体性が欠けているので、はっきり言って、まったく同調できません。 ではでは☆ |
No. 390 | |
Re:なんか証拠あるのかね | |
モトラ | 2001/07/05 20:55 |
門閥貴族のライハルト評よろしく、具体的な根拠を示さず印象批評でモノを語るのはやめてくださいませんか。それから > 削除 1234 このような、管理人さんの公正を疑うような態度は、無礼です。 |
No. 393 | |
あわあわ | |
まどかり | 2001/07/06 03:05 |
書くんじゃなかったかな・・・ だって、ここ読んだら 田中芳樹作品のファン(別にすべてが好きな訳じゃないけど) は無知で罪深き人みたいな気持ちになったから いま、現役のファンの人はいくら理論的に書いていても イヤな気持ちになるとおもう それに、小説、文学(そんなえらそうな言い方でなくても) は、作者の感情や、思想を一切排することって出来るのかな それがプロか? って、こんなこと書くとまたバカにされるんだろなぁ 理論武装できないし・・・ 削除キー書いたのは、管理人さんをどうこう言うのではなくて 感情的な自分の書き込みに、自信がなかったからだと思う 感情や印象で物を言うのはそんなに悪いことですか そもそも、撃つページで書くことでは無かったかな |
No. 395 | |
Re:あわあわ | |
モトラ | 2001/07/06 06:52 |
初めにお断りしておきますが、ここは「坊主憎けりゃ袈裟迄」な方はいらっしゃいません。「銀河英雄伝説」をはじめとする架空戦記物は、多くの方々に高く評価されています。 > 書くんじゃなかったかな・・・ > だって、ここ読んだら > 田中芳樹作品のファン(別にすべてが好きな訳じゃないけど) > は無知で罪深き人みたいな気持ちになったから > いま、現役のファンの人はいくら理論的に書いていても > イヤな気持ちになるとおもう もともとこのサイトは、田中芳樹を取り巻く状況が礼賛一辺倒である状況に有効なカウンターを放つことを目的としたサイトです。ここのサイトを読んで、なぜイヤな気持ちになられたのか、考えてみられるのもよろしいかと思います。また、過去ログやザ・ベスト等を読んで「この意見は間違っているのではないか」と思えた部分があれば、遠慮無く書きこんで下さいませ。 > それに、小説、文学(そんなえらそうな言い方でなくても) > は、作者の感情や、思想を一切排することって出来るのかな > それがプロか? 私は、持論や思想を開陳するのも、ストーリーの流れを阻害せず、エンタテイメントのスパイスとして効果的で、その主張内容に責任を持ち、批判対象の人・組織からの反論にも正面から対峙し、読者層の大きなボリュームを占めるであろう、若者達への影響力に作者本人が自覚的であるならば、大いに結構だと思っております。残念ながら「創竜伝」に代表される現代モノでは、これらの条件を満たさぬものが多いため、批判せざるを得ません。ちなみに、評論の内容の問題点は、冒険風ライダー氏の大作「私の創竜伝考察」を、また評論のやり口がいかに卑劣であるかは、「創竜伝」の手法を用いて、批判の矛先を田中芳樹に向けた場合、どのような印象を受けるのかを示した実験SS、トップページ「小説だったら許される?」ザ・ベスト「こーひーぶれいく2/Re:創竜伝12巻(拙作)」等をご覧ください。 > って、こんなこと書くとまたバカにされるんだろなぁ > 理論武装できないし・・・ > 削除キー書いたのは、管理人さんをどうこう言うのではなくて > 感情的な自分の書き込みに、自信がなかったからだと思う > > 感情や印象で物を言うのはそんなに悪いことですか > > そもそも、撃つページで書くことでは無かったかな その感情や印象の原因がなんであるか、根拠を示さなければ誹謗・中傷に陥ることだけは、ご承知おきください。では。 |
No. 397 | |
Re:あわあわ | |
恵 | 2001/07/06 18:22 |
恵です☆ > 書くんじゃなかったかな・・・ > だって、ここ読んだら > 田中芳樹作品のファン(別にすべてが好きな訳じゃないけど) > は無知で罪深き人みたいな気持ちになったから > いま、現役のファンの人はいくら理論的に書いていても > イヤな気持ちになるとおもう > それに、小説、文学(そんなえらそうな言い方でなくても) > は、作者の感情や、思想を一切排することって出来るのかな > それがプロか? > > って、こんなこと書くとまたバカにされるんだろなぁ > 理論武装できないし・・・ このサイトのスタンスは、「田中芳樹氏を、感情論や誹謗中傷ではない、根拠ある論理で批判する」ことです。「理論武装」は、別にみなさんが気取ったりかっこつけているわけではありません。「説得力のある根拠(理論武装)」がないと、「批判」がただの悪口になってしまうからなんです。 ですから、まどかりさんも 「書くんじゃなかったかな・・・ 」 と投げてしまう前に、 「現役のファンの人はいくら理論的に書いていても イヤな気持ちになるとおもう 」という理由を、感情論ではなく、ちゃんと考えてみてはどうでしょうか? ここのみなさんは、田中氏のファンや擁護派を一方的に「敵」などとは思っていません。むしろ、 「あなたはなぜそう思うのですか?」 を思考実験(と、いってもゲームみたいなものですけど)として突き詰めていくことが大好きな方ばかりなんですよ?(わたしもです・笑)(*^_^*) > 削除キー書いたのは、管理人さんをどうこう言うのではなくて > 感情的な自分の書き込みに、自信がなかったからだと思う > > 感情や印象で物を言うのはそんなに悪いことですか 問題あると思います。 ネットに限らず、公共性の高い場所で「感情や印象で物を言う」と、誤解やもめ事の原因になります。(発言に明確な根拠がない場合は特に) たとえば、ある政治家が公の場で軽率に「感情で物を言って」、それが結果的に「失言」として批判され、政治上の役職を責任をとって辞任する場合、「感情で物を言った」ことが直接の原因になるわけです。私的に内々で発言される場合は問題ないはずですけど、公共性の高い場所で「感情や印象で物を言う」のはなるべく慎んだほうがいいと思います(ちなみに、ここも公共性の高い場所なんですよ、まどかりさん(^_^;;) それを避けるために、ここのみなさんは論理的に発言されているんです。感情論で田中氏の悪口を言う人は、ここの常連さんでは、わたしは見たことないですね。 そして、まどかりさんが「感情や印象で物を言って」いるからこそ、前回わたしは「同調できません」と言わせていただいたんです。わかっていただけましたでしょうか? |
No. 415 | |
Re:証拠? | |
見学者 | 2001/07/12 18:22 |
少し気になったので失礼ですが横レスを入れさせてください。 > > ☆「小説家なんだから小説に持論いれたって良いと思う。エッセイストじゃないし」 > > ↑これは反対じゃないですか? > エッセイに持論が入るのは至極当然ですし、小説に持論が入るのは不自然です。なぜなら、近代小説の暗黙のルールでは、「作者が小説の中にみだりに干渉してはいけない(By 坪内逍遥)」があるからです。また、あえて作品の質の向上のために持論を入れるなら、それなりにその必然性と説得力が必要になりますけど、たとえば創竜伝では持論(社会評論)などまったく必要がないばかりか、作品設定が破壊されるという悪影響が確認されています。(ベストの議論や冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察」は読まれたでしょうか?まだなら、トップページから行けますのでぜひど〜ぞ☆) 田中作品批判でこのサイトにおいて多用される「小説のルール破り」ですが奇妙な論法だとおもいます。ピカソの作品を絵のルール破りと批判する人はいません。創竜伝とピカソは同列にできませんといわれそうですが。 つまり、作品における批評が的をえていないことを批判することと、小説に批評をいれることそのものを批判することは異なることです。文章として小説家が発表する以上それは、どんな言語、形体、文法であろうが許容されるべきです。小説家にとっての本質は、自己の表現を発表することで、それは必ずしも読者の理解を必要としないのです。それを理解できないとか間違っていると批判するのは当然ですが、そんな表現形態を間違っているということはできません。できるのは、それを買わない自由だけです。 どうでしょうか。 |
No. 417 | |
ルール破りについて☆ | |
恵 | 2001/07/12 22:20 |
恵です☆ 今回は、見学者さんへのお返事です。 > 少し気になったので失礼ですが横レスを入れさせてください。 > > > > ☆「小説家なんだから小説に持論いれたって良いと思う。エッセイストじゃないし」 > > > > ↑これは反対じゃないですか? > > エッセイに持論が入るのは至極当然ですし、小説に持論が入るのは不自然です。なぜなら、近代小説の暗黙のルールでは、「作者が小説の中にみだりに干渉してはいけない(By 坪内逍遥)」があるからです。また、あえて作品の質の向上のために持論を入れるなら、それなりにその必然性と説得力が必要になりますけど、たとえば創竜伝では持論(社会評論)などまったく必要がないばかりか、作品設定が破壊されるという悪影響が確認されています。(ベストの議論や冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察」は読まれたでしょうか?まだなら、トップページから行けますのでぜひど〜ぞ☆) > > 田中作品批判でこのサイトにおいて多用される「小説のルール破り」ですが奇妙な論法だとおもいます。ピカソの作品を絵のルール破りと批判する人はいません。創竜伝とピカソは同列にできませんといわれそうですが。 > つまり、作品における批評が的をえていないことを批判することと、小説に批評をいれることそのものを批判することは異なることです。文章として小説家が発表する以上それは、どんな言語、形体、文法であろうが許容されるべきです。小説家にとっての本質は、自己の表現を発表することで、それは必ずしも読者の理解を必要としないのです。それを理解できないとか間違っていると批判するのは当然ですが、そんな表現形態を間違っているということはできません。できるのは、それを買わない自由だけです。 > > どうでしょうか。 では、お答えします。 わたしは、 「小説に持論が入るのは不自然です」 と書きましたけど、「絶対にいけないこと」とは主張していません(ですから、あえて“暗黙のルール”と表現したんです)。そして、それは明治の作家・坪内逍遥の言葉を根拠とさせてもらっています。ザ・ベスト収録「創竜伝のエンターテイメント性4−C」での議論のときに手元の資料から抜粋・引用した文章を、もう一度引用させてもらいますと、 平凡社「世界大百科事典」より抜粋 〜「日本における小説の成立」〜 (前略) (抜粋者、恵からの注:坪内逍遥の小説観の提示した、)「ノベル」としての小説は、「人情」と「世態風俗」(社会)を模写する文学ジャンルであり、作者は「傍観者」の立場を持して、みだりに作品に介入してはならないというのである。こうした小説観がイギリスのビクトリア時代の小説を基準にしていることはいうまでもないが、逍遥は戯作を改良して「文壇上の最大美術」である小説=ノベルとして自立させるために、中国的な「小説」概念を支えていた倫理的効用性や、明治10年代の政治小説が鼓吹した政治的啓蒙性を切りすてる方向をえらんだ。 (後略) ↑けっこう長く解説してあったのを省略させていただきましたので、興味を持たれたなら原書をあたってみてください☆(^o^) ということですね。 逆に見学者さんにお伺いしますけど、あなたの 「文章として小説家が発表する以上それは、どんな言語、形体、文法であろうが許容されるべきです。小説家にとっての本質は、自己の表現を発表することで、それは必ずしも読者の理解を必要としないのです」 は、何を根拠におっしゃっているのでしょうか? 見学者さんの主張の内容がおかしい、と言っているのではありません。ランゼルさんとの議論のとき、明確な小説のルール規定を知る必然性を感じ、それを自分なりに調べた結果、わたしは坪内逍遥の言葉を知ったんです。以降、わたしはこれを拠り所として議論させてもらっていますけど、あなたの主張されるこの定義には明確な根拠があるのでしょうか?これは嫌味という意味ではなく、以前から純粋に知りたいと思っていたことなので、ぜひぜひその根拠を教えてくださいませ☆ それとですね、過去にこちらの管理人さんが本当に主張されたことと、わたしが強調したいことは、 「小説に社会評論を入れるな」 ではなく、 「小説にルール破りの社会評論を入れて作品が面白くなるならともかく、それによって様々な矛盾(冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察」をご参照ください☆)が生じ、かえって面白さを損なっているから問題がある」 なんです。 田中氏がルール破りと批判されるのは、見学者さんが例に挙げたピカソのルール破りとは違い、ルール破りの上に「ルールの破り方」が悪かったせいで作品に深刻な矛盾があるためです(小説か評論かわからないあの手法と、社会評論そのものの間違いですね)。ピカソの鮮烈な(横紙破り的な)表現方法はその斬新さがかえって際だち、圧倒的な評価につながりましたけど、創竜伝の社会評論は突き詰めていくと、逆に田中氏の評価を落とすだけの要素です。(このあたりは、『私なりの創竜伝魅力考察』や冒険風ライダーさんの『私の創竜伝考察』などをご参照ください。創竜伝の魅力やその売れる理由が、社会評論ではないことを多くの方と議論できたと思っていますから) そういう意味で、見学者さんのおっしゃる、 「つまり、作品における批評が的をえていないことを批判することと、小説に批評をいれることそのものを批判することは異なることです」 は、すでに管理人さんご自身が明言されているんです。(ベストや過去ログをちゃんとご覧になりましたか?本編の「小説か?評論か?」関係ですでに議論されています) 最後に、勝手を承知で、その中の管理人さんの言葉をお借りして、あなたの主張にお答えしたいと思います。 > できるのは、それを買わない自由だけです。 > 田中氏の理論では「バカな政治家を選ぶのは愚かな人間達でいつかしっぺ返しを喰らう」とのことですが、もしもこの理論が正しいのなら、ご自分に当てはめても文句は言えないでしょうね。 p.s. 管理人さん、お言葉を勝手に引用させていただいたことをご報告いたします。もしも、わたしのの引用がご自分の意図と違うというような誤用でしたら、訂正いたしますので、遠慮なく申してくださいませ。 ではでは☆ |
No. 418 | |
この問題については | |
本ページ管理人 | 2001/07/12 23:29 |
> > 田中作品批判でこのサイトにおいて多用される「小説のルール破り」ですが奇妙な論法だとおもいます。ピカソの作品を絵のルール破りと批判する人はいません。創竜伝とピカソは同列にできませんといわれそうですが。 > > つまり、作品における批評が的をえていないことを批判することと、小説に批評をいれることそのものを批判することは異なることです。文章として小説家が発表する以上それは、どんな言語、形体、文法であろうが許容されるべきです。小説家にとっての本質は、自己の表現を発表することで、それは必ずしも読者の理解を必要としないのです。それを理解できないとか間違っていると批判するのは当然ですが、そんな表現形態を間違っているということはできません。できるのは、それを買わない自由だけです。 この問題については、私がここで好んで使う芸術家提督のあの言葉に尽きると思います。 「絵の具に砂糖を入れたからと言って甘い絵にはならない」 いや、絵の具に砂糖を入れて本当に甘さを表現できれば、それは鮮烈で偉大な横紙破りだと思いますけれどねぇ。 |
No. 421 | |
Re:この問題については | |
見学者 | 2001/07/13 20:26 |
> > > 田中作品批判でこのサイトにおいて多用される「小説のルール破り」ですが奇妙な論法だとおもいます。ピカソの作品を絵のルール破りと批判する人はいません。創竜伝とピカソは同列にできませんといわれそうですが。 > > > つまり、作品における批評が的をえていないことを批判することと、小説に批評をいれることそのものを批判することは異なることです。文章として小説家が発表する以上それは、どんな言語、形体、文法であろうが許容されるべきです。小説家にとっての本質は、自己の表現を発表することで、それは必ずしも読者の理解を必要としないのです。それを理解できないとか間違っていると批判するのは当然ですが、そんな表現形態を間違っているということはできません。できるのは、それを買わない自由だけです。 > > この問題については、私がここで好んで使う芸術家提督のあの言葉に尽きると思います。 > 「絵の具に砂糖を入れたからと言って甘い絵にはならない」 > > いや、絵の具に砂糖を入れて本当に甘さを表現できれば、それは鮮烈で偉大な横紙破りだと思いますけれどねぇ。 > まことに申し訳ありませんが、上の表現だけでは管理人さんの考え方がわかりかねます。もうすこし詳しく書いてください。アホなもんで。 |
No. 422 | |
Re:ルール破りについて☆ | |
見学者 | 2001/07/13 20:48 |
どうも返事します。 > では、お答えします。 > わたしは、 > 「小説に持論が入るのは不自然です」 > と書きましたけど、「絶対にいけないこと」とは主張していません(ですから、あえて“暗黙のルール”と表現したんです)。そして、それは明治の作家・坪内逍遥の言葉を根拠とさせてもらっています。ザ・ベスト収録「創竜伝のエンターテイメント性4−C」での議論のときに手元の資料から抜粋・引用した文章を、もう一度引用させてもらいますと、 > > 平凡社「世界大百科事典」より抜粋 > > 〜「日本における小説の成立」〜 > (前略) > (抜粋者、恵からの注:坪内逍遥の小説観の提示した、)「ノベル」としての小説は、「人情」と「世態風俗」(社会)を模写する文学ジャンルであり、作者は「傍観者」の立場を持して、みだりに作品に介入してはならないというのである。こうした小説観がイギリスのビクトリア時代の小説を基準にしていることはいうまでもないが、逍遥は戯作を改良して「文壇上の最大美術」である小説=ノベルとして自立させるために、中国的な「小説」概念を支えていた倫理的効用性や、明治10年代の政治小説が鼓吹した政治的啓蒙性を切りすてる方向をえらんだ。 > (後略) > > ↑けっこう長く解説してあったのを省略させていただきましたので、興味を持たれたなら原書をあたってみてください☆(^o^) > 上記のものは、坪内氏の小説に対する一見解であり、必ずしもただしいかどうかはしりませんが、恵さんが上記を根拠に、それに外れてる田中氏の創竜伝を批判されるのは分かります。 > > ということですね。 > 逆に見学者さんにお伺いしますけど、あなたの > > 「文章として小説家が発表する以上それは、どんな言語、形体、文法であろうが許容されるべきです。小説家にとっての本質は、自己の表現を発表することで、それは必ずしも読者の理解を必要としないのです」 > > は、何を根拠におっしゃっているのでしょうか? > 見学者さんの主張の内容がおかしい、と言っているのではありません。ランゼルさんとの議論のとき、明確な小説のルール規定を知る必然性を感じ、それを自分なりに調べた結果、わたしは坪内逍遥の言葉を知ったんです。以降、わたしはこれを拠り所として議論させてもらっていますけど、あなたの主張されるこの定義には明確な根拠があるのでしょうか?これは嫌味という意味ではなく、以前から純粋に知りたいと思っていたことなので、ぜひぜひその根拠を教えてくださいませ☆ 根拠というのが、あなたにおける坪内氏のようなものがあるかといわれるとありません。探せばあるかもしれませんが、探す気はないです。 私なりの理論として、小説家は芸術家でであり、表現者です。文という道具を用いた。まあ、挿絵とかを織り交ぜられている現在の文章が、必ずしも文単独で存在しているわけでもないのですが。絵が多くなれば漫画になります。 どうも感覚的な話ですいませんが、その文書と言う芸術に、文を使う以外の暗黙にせよルールなるものを持ち出すのは不自然だと思いませんか。 おわかりにならないならまた書きますが。 > それとですね、過去にこちらの管理人さんが本当に主張されたことと、わたしが強調したいことは、 > > 「小説に社会評論を入れるな」 > > ではなく、 > > 「小説にルール破りの社会評論を入れて作品が面白くなるならともかく、それによって様々な矛盾(冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察」をご参照ください☆)が生じ、かえって面白さを損なっているから問題がある」 > > なんです。 > 田中氏がルール破りと批判されるのは、見学者さんが例に挙げたピカソのルール破りとは違い、ルール破りの上に「ルールの破り方」が悪かったせいで作品に深刻な矛盾があるためです(小説か評論かわからないあの手法と、社会評論そのものの間違いですね)。ピカソの鮮烈な(横紙破り的な)表現方法はその斬新さがかえって際だち、圧倒的な評価につながりましたけど、創竜伝の社会評論は突き詰めていくと、逆に田中氏の評価を落とすだけの要素です。(このあたりは、『私なりの創竜伝魅力考察』や冒険風ライダーさんの『私の創竜伝考察』などをご参照ください。創竜伝の魅力やその売れる理由が、社会評論ではないことを多くの方と議論できたと思っていますから) ちなみに私は田中氏の社会評論なんて間違いだらけだと思っています。だから、恵さんさんたちの主張は 「小説にルール破りの社会評論を入れて作品が面白くなるならともかく、それによって様々な矛盾(冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察」をご参照ください☆)が生じ、かえって面白さを損なっているから問題がある」 ではなく 「小説に社会評論を入れて作品が面白くなるならともかく、それによって様々な矛盾(冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察」をご参照ください☆)が生じ、かえって面白さを損なっているから問題がある」 で十分ではないかと言いたいのです。「ルール破り」うんぬんはいらないとおもうのですが。 > 最後に、勝手を承知で、その中の管理人さんの言葉をお借りして、あなたの主張にお答えしたいと思います。 > > > > できるのは、それを買わない自由だけです。 > > > 田中氏の理論では「バカな政治家を選ぶのは愚かな人間達でいつかしっぺ返しを喰らう」とのことですが、もしもこの理論が正しいのなら、ご自分に当てはめても文句は言えないでしょうね。 > > いまいちあなたの言いたいことがこれだけではわかりません。文書の一部、「それを買わない自由」だけ取り上げられてこんなこといわれても困ります。私はその前提として、小説の表現形態そのものに文句をつける(つまりルール違反だと言うこと)はできないといったはずですが。分かりずらかったでしょうか。 > p.s. > 管理人さん、お言葉を勝手に引用させていただいたことをご報告いたします。もしも、わたしのの引用がご自分の意図と違うというような誤用でしたら、訂正いたしますので、遠慮なく申してくださいませ。 > > ではでは☆ > どうも、いまいち私の言いたいことが伝わらなかったようです。 |
No. 424 | |
「絵」と「文章」は違います☆ | |
恵 | 2001/07/13 23:49 |
こんばんわ、恵です☆ 今回も、見学者さんへのお返事です。 > 根拠というのが、あなたにおける坪内氏のようなものがあるかといわれるとありません。探せばあるかもしれませんが、探す気はないです。 > 私なりの理論として、小説家は芸術家でであり、表現者です。文という道具を用いた。まあ、挿絵とかを織り交ぜられている現在の文章が、必ずしも文単独で存在しているわけでもないのですが。絵が多くなれば漫画になります。 > どうも感覚的な話ですいませんが、その文書と言う芸術に、文を使う以外の暗黙にせよルールなるものを持ち出すのは不自然だと思いませんか。 見学者さん、わたしにはそう思えません。 文を使う以外のルールとおっしゃいますけど、 「小説に作者の声が入ってはならない」 というのは、間違いなく「文を使った」ルールです。それ以外に解釈のしようがありませんし、あなたの主張を肯定すると、たとえば「表現上、不適切な描写(文章)」という概念も、「文を使う以外の暗黙にせよルールなるものを持ち出すのは不自然だと思う」からOK、ということになりかねません。 あなたの「表現者・芸術家は何を表現してもいい」というご意見は、ものすごく傲慢な考えだと思います。ランゼルさんの議論のときにも感じましたけど、そういう主張は、たとえばわたしがよく例に挙げる、創竜伝の職業差別的表現も全面的に肯定するものであり、人間としての良識(モラル)の存在を否定するものです。だから、実質的禁忌ではないにせよ、線引き(ルール)が必要になってくるわけで、過去の先人たちが長い歴史の中で(たとえば坪内逍遥の定義ような)少しずつ培ってきたのだと思います。また、「絵」よりも「言葉」のほうがはるかに強い攻撃性と暴力性を秘めており、どう考えても文章のほうがより「直接的な表現」です。(他人の悪口は言葉にすると簡単ですけど、絵では簡単には伝えにくいものですし、直接的ではないからこそ「絵」は解釈も自由になるんです) なんだか、見学者さんは「絵(ヴィジュアル)的表現」に明確な規制が感じられないことから、「文章も同じ『表現』には違いないから同じだろう」とお考えのように感じます。ルールの存在は、上記のように「文章」が「直接的な表現」だからこそ必要なものだとわたしは思います。「絵」と「文章」ではその表現性が著しく違うものですから、もっと切り離して論じていただきたく思います。 > おわかりにならないならまた書きますが。 ぜひ、お願いします。特に「表現」という行為を画一的にとらえておられる理由もお伺いしたいです。(上記の理由で、わたしは絵と文章は表現としての性質が違うと思っていますから) > > 最後に、勝手を承知で、その中の管理人さんの言葉をお借りして、あなたの主張にお答えしたいと思います。 > > > > > > > できるのは、それを買わない自由だけです。 > > > > > 田中氏の理論では「バカな政治家を選ぶのは愚かな人間達でいつかしっぺ返しを喰らう」とのことですが、もしもこの理論が正しいのなら、ご自分に当てはめても文句は言えないでしょうね。 > > > > > いまいちあなたの言いたいことがこれだけではわかりません。文書の一部、「それを買わない自由」だけ取り上げられてこんなこといわれても困ります。私はその前提として、小説の表現形態そのものに文句をつける(つまりルール違反だと言うこと)はできないといったはずですが。分かりずらかったでしょうか。 ごめんなさい、わかりずらい引用で誤解を招いたようです。結局、ここもルール違反のお話ですから、上の議論と一緒にして意見するべきでした。適切な引用ではなかったことをお詫びするとともに、訂正させていただきます。 ただ、ここの見学者さんの発言について、あと一つだけご質問をさせてください。 「それを理解できないとか間違っていると批判するのは当然です」 と、 「そんな表現形態を間違っているということはできません」 の両者は、同じ「批判」には違いないのに、どうして区別され、一方は否定されてしまうんですか?たとえ「全面否定」的な批判であっても、正当な根拠や説得力があるなら、それも批評・評論として許容されるべきだと思うんですけど。 |
No. 431 | |
Re:「絵」と「文章」はそんなに違うのだろうか | |
見学者 | 2001/07/14 17:54 |
どうも、続きです。 > > 根拠というのが、あなたにおける坪内氏のようなものがあるかといわれるとありません。探せばあるかもしれませんが、探す気はないです。 > > 私なりの理論として、小説家は芸術家でであり、表現者です。文という道具を用いた。まあ、挿絵とかを織り交ぜられている現在の文章が、必ずしも文単独で存在しているわけでもないのですが。絵が多くなれば漫画になります。 > > どうも感覚的な話ですいませんが、その文書と言う芸術に、文を使う以外の暗黙にせよルールなるものを持ち出すのは不自然だと思いませんか。 > > 見学者さん、わたしにはそう思えません。 > 文を使う以外のルールとおっしゃいますけど、 > > 「小説に作者の声が入ってはならない」 > > というのは、間違いなく「文を使った」ルールです。それ以外に解釈のしようがありませんし、あなたの主張を肯定すると、たとえば「表現上、不適切な描写(文章)」という概念も、「文を使う以外の暗黙にせよルールなるものを持ち出すのは不自然だと思う」からOK、ということになりかねません。 > あなたの「表現者・芸術家は何を表現してもいい」というご意見は、ものすごく傲慢な考えだと思います。ランゼルさんの議論のときにも感じましたけど、そういう主張は、たとえばわたしがよく例に挙げる、創竜伝の職業差別的表現も全面的に肯定するものであり、人間としての良識(モラル)の存在を否定するものです。だから、実質的禁忌ではないにせよ、線引き(ルール)が必要になってくるわけで、過去の先人たちが長い歴史の中で(たとえば坪内逍遥の定義ような)少しずつ培ってきたのだと思います。また、「絵」よりも「言葉」のほうがはるかに強い攻撃性と暴力性を秘めており、どう考えても文章のほうがより「直接的な表現」です。(他人の悪口は言葉にすると簡単ですけど、絵では簡単には伝えにくいものですし、直接的ではないからこそ「絵」は解釈も自由になるんです) > なんだか、見学者さんは「絵(ヴィジュアル)的表現」に明確な規制が感じられないことから、「文章も同じ『表現』には違いないから同じだろう」とお考えのように感じます。ルールの存在は、上記のように「文章」が「直接的な表現」だからこそ必要なものだとわたしは思います。「絵」と「文章」ではその表現性が著しく違うものですから、もっと切り離して論じていただきたく思います。 > 「何を表現してもいい」、確かに傲慢です。しかし、これにも、近代民主主義国家である日本である以上一定の歯止めがかかっています。あとえば、あなたのおっしゃる差別表現やポルノ等ですね。これに対する規制と、その規制により表現できない人々によろ相克は、たとえば、西洋映画の裸のシーンの規制問題とかでよくあることです。私は、猥褻と芸術の境界が明確に定義できない以上、当局によるある程度の規制を認容する立場にあります。差別表現も、それにより傷つく人が存在する以上、ある程度過剰かなと思っても致し方ない場合があります。たとえば、今回の教科書問題のように。 しかし、そのような規制があるからなおさら、それと関係のないところでの表現の規制には、自主的なものであれ、他者によるものであれ慎重であるべきだと私はおもいます。 田中氏の作品における社会評論が間違っている、差別的だ、小説の中で話での評論は卑怯だと批判することは当然ですし、私もそうお思います。 ですが、何度も書きますが、小説の中に本編と関係ないと思われる社会評論をいれるのは不自然だと批判できてもルール違反だとはいえないのです。小説に、何を書くかは,公序良俗の範囲の中で、作家は自由であるべきです。現実そううまくはいえませんが。 > > > おわかりにならないならまた書きますが。 > > ぜひ、お願いします。特に「表現」という行為を画一的にとらえておられる理由もお伺いしたいです。(上記の理由で、わたしは絵と文章は表現としての性質が違うと思っていますから) > 確かに絵と文章は違います。文の方がより直接的ではあります。しかし、上にかいたように私の意見の中では、その違いは問題にならないことをお分かりいただきたいということです。漫画だって、規制はされています。 > > > > 最後に、勝手を承知で、その中の管理人さんの言葉をお借りして、あなたの主張にお答えしたいと思います。 > > > > > > > > > > できるのは、それを買わない自由だけです。 > > > > > > > 田中氏の理論では「バカな政治家を選ぶのは愚かな人間達でいつかしっぺ返しを喰らう」とのことですが、もしもこの理論が正しいのなら、ご自分に当てはめても文句は言えないでしょうね。 > > > > > > > > いまいちあなたの言いたいことがこれだけではわかりません。文書の一部、「それを買わない自由」だけ取り上げられてこんなこといわれても困ります。私はその前提として、小説の表現形態そのものに文句をつける(つまりルール違反だと言うこと)はできないといったはずですが。分かりずらかったでしょうか。 > > > ごめんなさい、わかりずらい引用で誤解を招いたようです。結局、ここもルール違反のお話ですから、上の議論と一緒にして意見するべきでした。適切な引用ではなかったことをお詫びするとともに、訂正させていただきます。 > ただ、ここの見学者さんの発言について、あと一つだけご質問をさせてください。 > > 「それを理解できないとか間違っていると批判するのは当然です」 > > と、 > > 「そんな表現形態を間違っているということはできません」 > > の両者は、同じ「批判」には違いないのに、どうして区別され、一方は否定されてしまうんですか?たとえ「全面否定」的な批判であっても、正当な根拠や説得力があるなら、それも批評・評論として許容されるべきだと思うんですけど。 確かに上の表現は分かり図らいですね。 「そんな表現形態を間違っているということはできません」 というのは正確でないので, 「そんな表現形態を取るのは不適切でないかということはできても、ルールを擬制してそんな表現形態を間違っているということはできません」 おわかりいただけるでしょうか。また書きます。 |
No. 432 | |
つけたし | |
見学者 | 2001/07/14 18:06 |
さっきのを読み直すと、恵さんはルール違反という言葉を不自然だと同じ位の意味で使っているのではないかと思いました。 私は、法律関係の人なので、ルール違反という言葉に過剰に反応する癖があります。その程度のすれ違いなら議論しても意味がないかもしれないと思いました。その場合は、お手間を取らせてすいません。 |
No. 438 | |
スタイルというか手法 | |
くら | 2001/07/15 21:18 |
見学者さんが言うのは表現内容について批判があるのは当然だが 手法の別によって内容を束縛すべきでないと言うことでしょう? スタンダードスタイルには違いないけれど 多種多様なスタイルがあってよいはずで 回転するテーブルにのって無ければ中華料理でないとか フランス料理のレシピに味噌を加えたから評価しないというような 判断は変だということでは? また職業差別意識と言いますが、特定の職業だから(刑務所や公安)駄目と言う表現は、作中人物が立場によって発言する以外で目にした覚えがないのですが、私が読み飛ばしてるんでしょうか? 作者に貴種信仰があるとは思えないので、高貴ではあり得ないと言う表現が差別意識の表れとも受け取りがたいです 作品によって特定の職業が悪役になることもままあることですし また、伝記スタイルで物語を書くのは作者の代表的な手法で 「作品世界の評論」部分が随所に出てくるのは、スタイル上当然、もちろん作者の持論によって構成されますけど、創竜伝では特に 現実世界とオーバーラップするのが、面白い人には面白い つまらない人にはつまらない、と言うことなのでは? 私は社会評論と言うより、創竜伝はブラックジョークコメディだと思って読んでましたけど… |
No. 439 | |
Re:この問題については | |
くら | 2001/07/15 21:37 |
絵の具に砂糖を入れても甘い絵にはならないでしょうが 砂糖を混ぜてマチエールの変化を狙うことは不自然ではないです 火で炙ったりすると良い感じにこげるので、結構おもしろいです |
No. 440 | |
Re:スタイルというか手法 | |
S.K | 2001/07/15 23:03 |
> また職業差別意識と言いますが、特定の職業だから(刑務所や公安)駄目と言う表現は、作中人物が立場によって発言する以外で目にした覚えがないのですが、私が読み飛ばしてるんでしょうか? > 作者に貴種信仰があるとは思えないので、高貴ではあり得ないと言う表現が差別意識の表れとも受け取りがたいです > 作品によって特定の職業が悪役になることもままあることですし 初めまして。 お話の件ですが、まず従事している個人の不心得やそのような理不尽な職業を必要とする社会への批判を抜きにしていきなり職業批判を始めるような人物は、小説の登場人物であれ“下司”“卑劣漢”と評されて当然です。 そこにその職業に意義と意味を見出し奉職する真摯さへの敬意は欠片も存在しないんですから。 ついでに「特定の職業に従事する悪人」は多くの作品に存在するでしょうが「特定の職業」を貶める作品はそこまで多くないですしそんなものは面白くても屑です。 万一「小説は面白ければいい」とあくまで主張される場合、貴方が「美食家」で「罪にならない状況」で「美味いという確証が存在する」場合ためらわずに“人肉料理”に舌鼓を打ってくださいね。 過去このサイトには職業的な誇りを傷つけられた良心的な政治家の真面目な秘書の方の紳士的な投稿もありましたのであまり迂闊な擁護は慎まれる事をお勧めします。 > 私は社会評論と言うより、創竜伝はブラックジョークコメディだと思って読んでましたけど… 「シャレになっている」か「あまり大声で言えない真理を突いている」のであればそれでよかったんですけどね。 いささか尖った内容になった事をお詫びしますが畢竟そういう事です。 |
No. 442 | |
Re:この問題については | |
モトラ | 2001/07/15 23:35 |
> 絵の具に砂糖を入れても甘い絵にはならないでしょうが > 砂糖を混ぜてマチエールの変化を狙うことは不自然ではないです > 火で炙ったりすると良い感じにこげるので、結構おもしろいです 管理人さんの例えは、絵の具に砂糖を混ぜて甘い絵をこしらえようとするに類する愚かな行為をなす者を評したものであります。 |
No. 443 | |
Re:スタイルというか手法 | |
本ページ管理人 | 2001/07/16 00:22 |
> 回転するテーブルにのって無ければ中華料理でないとか > フランス料理のレシピに味噌を加えたから評価しないというような > 判断は変だということでは? 料理の中にゴキブリが入っていたとして、 「これは料理の素材でアクセントなんだ!」 という主張が通るでしょうか? せめてゴキブリを「料理」として出してもらいたいものです。 |
No. 447 | |
Re:つけたし | |
恵 | 2001/07/16 12:33 |
こんにちわ、恵です☆ 見学者さん、レスが遅れてしまいました、ごめんなさいです…。 > さっきのを読み直すと、恵さんはルール違反という言葉を不自然だと同じ位の意味で使っているのではないかと思いました。 > 私は、法律関係の人なので、ルール違反という言葉に過剰に反応する癖があります。その程度のすれ違いなら議論しても意味がないかもしれないと思いました。その場合は、お手間を取らせてすいません。 う〜んと、一番はじめに、わたしはそうはっきりと明記したはずなんですけどね(笑) >では、お答えします。 わたしは、 「小説に持論が入るのは不自然です」 と書きましたけど、「絶対にいけないこと」とは主張していません(ですから、あえて“暗黙のルール”と表現したんです)。 ↑これに対し、 「暗黙でもルールがあるのはおかしい」 と、見学者さんが反論されたのですけど、もともとわたしも「規制」や「法的ルール」という意味合いで創竜伝の横紙破りを批判しているつもりはありませんでした。(いろいろ根拠を言いましたけど、結論としては“だから社会評論(作者の声)が入るのは不自然なのでは?”ということなんです) 見学者さんが上のように言ってくださるなら、そう極端な意見の食い違いもないようなので、この件はお互いの合意が得られたと解釈させてもらってよろしいでしょうか? ☆「絵と文章」問題のおまけ わたしもクリエイティブの仕事をしているので、「絵」と「文章」についてのご意見に対し、少し過敏に反応してしまったかもしれません。ただ、絵というものは、見る人の感性や価値観によって様々な解釈が生まれるものですけど、たとえば「お前はバカだ」と書いた文章は他人に対する侮蔑以外の何物でもないように思います。(「絵」ではこれほど直接的な表現は困難ですから) とりあえず、ここはわたしはこう思っています、という個人的な意見ですので、見学者さんの解釈を否定する意図はありません。あしからず、ご了承くださいね。 > 確かに上の表現は分かり図らいですね。 「そんな表現形態を間違っているということはできません」 というのは正確でないので, 「そんな表現形態を取るのは不適切でないかということはできても、ルールを擬制してそんな表現形態を間違っているということはできません」 おわかりいただけるでしょうか。また書きます。 そうですね、わたしもそういう意味の主張していたつもりですので、こちらの件も了解です。少し誤解やすれ違いがありましたけど、実はわたしと見学者さんはほとんど同じ見解を持っているのだと思います。わたしも誤解を与えるような、言い方の悪い部分があったかもしれませんので、反省しています。(やっぱり文章を書くというのは難しいものですね☆(^_^;) まだ納得のいかない点がありましたら、またご意見くださいね。 |
No. 448 | |
結論 | |
見学者 | 2001/07/16 19:34 |
「そんな表現形態を取るのは不自然でないかということはできても、ルールを擬制してそんな表現形態を間違っているということはできない」 ということでは合意にいたったでよろしいでしょうか。 |
No. 449 | |
Re:結論 | |
恵 | 2001/07/16 20:20 |
> 「そんな表現形態を取るのは不自然でないかということはできても、ルールを擬制してそんな表現形態を間違っているということはできない」 > > ということでは合意にいたったでよろしいでしょうか。 はい、了解です☆ 今回の議論で、実はあらためて納得したことが一つあることを、最後にご報告しておきます。 「明確に禁止されていなければ何をやってもよい、という最近の風潮はナゲカワシイわね(大意)」(BY 薬師寺涼子) ↑これを言わせたのが田中芳樹氏本人であることは、すごく皮肉なお話ですよね(笑)。結局、ご自分も「最近の風潮」にどっぷりつかってしまってるわけなんですから。 |
No. 450 | |
Re:スタイルというか手法 | |
くら | 2001/07/16 22:14 |
「不心得」な警官や「良心的でない」政治家の「(悪事)に真面目な」秘書などが、権力を振りかざして主人公達に身勝手な正義や自己犠牲を強いようとするときに、「穏和で従順とは言えない」主人公達が、その警官や秘書にその権力やプライドのよりどころである 職業を痛烈に皮肉る、のは劇中、不自然ではないですし、そのようなシーンでしか見たことがないのですが、と、言うことです 作中人物が作中人物を最大限侮辱しようとしてるシーンなんだから 当たり前じゃないんですかね?これが「世の中には真面目な警察の みなさんも一杯いて、命がけで事件を解決しているには頭が下がりますが…」などと前置きしてたら随分間抜けな小説だと思いますが 私も立派な警官のみなさんがいることは承知してますけど 警官と喧嘩になるようなことがあれば警察をひっくるめて皮肉言うと思いますよ?喧嘩ですもの 職務に忠実な良心的な警官も巻き込んで犠牲にしてしまうシーンも 確かあったように思いますが、それについて良心が咎める場面も、主人公達が正義の味方でもなんでも無いことを認識している場面も 繰り返しでてきたように思いますが、それは作者の意識としては考慮されないのでしょうか? 上級国家公務員キャリアや検察、公安なんかが悪者扱いの物語は 結構見かける気がしますが…キャリアなんて、キャリアが…みたいな台詞があると屑ですか?う〜ん?違うような気がするけどなぁ 時代劇なんかだと回船問屋や口入れ屋は出てきた時点で悪役決定ですよね?これは、貿易業や人材派遣業への職業差別意識ですか? だとすると気をつけないとなぁ(==;;; あ、人肉は美味しいらしいですね(特に脳味噌) 生理的嫌悪感や、倫理的なことは別にして、理論的には (薬膳としての効能は高いと言う方が適切か?) でも実際には共食いは病気になりやすいのだそうで ま、雪山で遭難でもしたら、その時に考えます |
No. 452 | |
Re:スタイルというか手法 | |
くら | 2001/07/17 00:01 |
> 料理の中にゴキブリが入っていたとして、 > 「これは料理の素材でアクセントなんだ!」 > という主張が通るでしょうか? > > せめてゴキブリを「料理」として出してもらいたいものです。 小説に、エッセイや評論的表現を入れる手法をゴキブリにたとえるのはどうかなぁ? と言う気はしますけど 作者が意図的に入れてるなら十分通るでしょう ゴキブリの入った料理を 食べたいかどうか、おいしいかどうかは別にして ゴキブリを入れること自体は別に反則でもなんでもないと言うことですよね? 本論とか読むとイナゴをゴキブリか便所コウロギと言ってる気がしなくもないですが 虫嫌いの人には一緒と言えば一緒ですかね イナゴは結構美味しいんですよ、足とか引っかかるので注意が必要ですが 正統派のラーメン(スタンダードでトラディショナルな小説)を 味わいたくて入った店が、実はゲテモノが売りのラーメン屋で 口にも合わなかった、そうなると、店の繁盛振りや並んでる行列まで 腹立たしい、と、そんな感じですか?気持ちは解る気がしますけど 化学調味料も一杯、着色料も使っていて材料も上等でもなさそう 三食こればっかりじゃ、身体壊すのは明らかだけど 客のツボは抑えてるのでくせになる人も多い 自分もよく利用するけどたまに食べるのは悪くない (どうせたまにしか出ないんで…新作) 健康に気を使う自然食主義の人には向かないだろうな って感じですかね、私は 小林よしのりの店はシャブはいってるっぽいし… もっと酷いもの出してても、更に売れてる店 真面目に正直に材料も上質なものを選んでても不味い店 味も材料も駄目で繁盛もしない店 そういった店の数を考えると、彼の繁盛振りも妥当な線では? |
No. 454 | |
Re:この問題については | |
くら | 2001/07/17 04:45 |
> > 絵の具に砂糖を入れても甘い絵にはならないでしょうが > > 砂糖を混ぜてマチエールの変化を狙うことは不自然ではないです > > 火で炙ったりすると良い感じにこげるので、結構おもしろいです > > 管理人さんの例えは、絵の具に砂糖を混ぜて甘い絵をこしらえようとするに類する愚かな行為をなす者を評したものであります。 はい、解りますよ、銀河英雄伝説読んでますし 作中では確か、浅はかな政治家の甘い見通しでの安易な判断を評した言葉ですよね ただここで評されていたのは「文章表現の手法について(出来はともかく)」だと思ったから 甘い絵にならないからって、砂糖は菓子に使えって類の決めつけ方はどうだろう? 絵の具に砂糖混ぜたから甘い絵を描こうとしてるなっという類の判断はどうかな? 程度のことを言っただけです |
No. 455 | |
くらさん、もっと発言の意図を理解してください☆ | |
恵 | 2001/07/17 12:01 |
恵です☆ はじめまして、くらさん。一生懸命書いておられるところに水を差すようで申し訳ありませんけど、少し勘違いをなされているようなので、意見させていただきますね。 > あ、人肉は美味しいらしいですね(特に脳味噌) 生理的嫌悪感や、倫理的なことは別にして、理論的には (薬膳としての効能は高いと言う方が適切か?) でも実際には共食いは病気になりやすいのだそうで > ま、雪山で遭難でもしたら、その時に考えます > > 絵の具に砂糖を入れても甘い絵にはならないでしょうが > > 砂糖を混ぜてマチエールの変化を狙うことは不自然ではないです > > 火で炙ったりすると良い感じにこげるので、結構おもしろいです > > 管理人さんの例えは、絵の具に砂糖を混ぜて甘い絵をこしらえようとするに類する愚かな行為をなす者を評したものであります。 > はい、解りますよ、銀河英雄伝説読んでますし 作中では確か、浅はかな政治家の甘い見通しでの安易な判断を評した言葉ですよね > ただここで評されていたのは「文章表現の手法について(出来はともかく)」だと思ったから 甘い絵にならないからって、砂糖は菓子に使えって類の決めつけ方はどうだろう? > 絵の具に砂糖混ぜたから甘い絵を描こうとしてるなっという類の判断はどうかな? >程度のことを言っただけです もう少し、発言された方の意図をきちんと汲んでからコメントされてはいかがですか? 「人肉料理」・「絵の具に砂糖を入れる」のお話は両者ともに、「喩え話」です。これは、「ある事柄をわかりやすく説明するために、それとよく似たある身近な物事を引き合いに出して説明すること」です。喩え方の是非を問う反論ならともかく、あなたがしている返答は、 「犬も歩けば棒に当たるでしょうね」 と他者から言われたことに、 「うちの犬は、すっごく賢いから棒なんかに当たらないもんね!だいたい、犬の平衡感覚は人間より優れているんだ、云々…(以下省略)」 と、ズレた答え方をしているのと、構造的にはまったく同じです。 具体的には、まず、絵のお話ですけど、「砂糖を混ぜてマチエールの変化を狙う」のは「絵を甘くする」目的ではありません。「甘くはならなかったけど、こんな化学変化で絵(創竜伝)が良くなったんだ!」と主張されるなら、創竜伝の社会評論(つまり、ここでは砂糖ですね)を評価する根拠をはっきりと示してください。どうして「絵の喩え話」という表面的なことにこだわって、こんな「マチエールの変化」などと強弁をなさるのか、わたし(たぶん他の方々も)には理解できないのですけど。 次に「人肉料理」のお話では、美味しい・不味いの判断ではなくて、創竜伝の職業差別的記述のような倫理(モラル)破りを擁護するときのあなたの精神性や判断力を問われたわけでしょう? それがどうして、 「生理的嫌悪感や、倫理的なことは別にして」 (↑って、まさにそれを問われてるんですってば!) 「あ、人肉は美味しいらしいですね(特に脳味噌) 」 というコメントで返されたのでしょうか? もっと、喩えの意図を正確に汲みとってレスされないと、発言された方に対して失礼だと思います。 特に、↓などは、 > 絵の具に砂糖混ぜたから甘い絵を描こうとしてるなっという類の判断はどうかな? >程度のことを言っただけです まったくの曲解だと思いましたから。「甘い絵」というのは、あくまで「質の高い作品」の喩えです。そして、「質の高い作品」を目指さない作家の姿勢が「表現者」としてどれ程真摯なのか、あらためて考えてみるのも興味深いかもしれませんよ。 |
No. 456 | |
Re:結論に思う | |
見学者 | 2001/07/17 12:23 |
> > 「そんな表現形態を取るのは不自然でないかということはできても、ルールを擬制してそんな表現形態を間違っているということはできない」 > > > > ということでは合意にいたったでよろしいでしょうか。 > > はい、了解です☆ > > > 今回の議論で、実はあらためて納得したことが一つあることを、最後にご報告しておきます。 > > 「明確に禁止されていなければ何をやってもよい、という最近の風潮はナゲカワシイわね(大意)」(BY 薬師寺涼子) > > ↑これを言わせたのが田中芳樹氏本人であることは、すごく皮肉なお話ですよね(笑)。結局、ご自分も「最近の風潮」にどっぷりつかってしまってるわけなんですから。 > > どうも、混ぜっ返して申し訳ありませんが、「最近の風潮」というのが、とても気になりました。明確だろうが暗黙だろうが、作家に何書くかについて(差別やポルノはのぞいて)を縛られる「禁止(ルール)」なるものはないという私の意見を理解されていないように見えるからです。あなたの真意は違うのかもしれませんが。 よければ詳しく教えてください。 |
No. 457 | |
Re:最後の意見です☆ | |
恵 | 2001/07/17 14:57 |
> どうも、混ぜっ返して申し訳ありませんが、「最近の風潮」というのが、とても気になりました。明確だろうが暗黙だろうが、作家に何書くかについて(差別やポルノはのぞいて)を縛られる「禁止(ルール)」なるものはないという私の意見を理解されていないように見えるからです。あなたの真意は違うのかもしれませんが。 > > よければ詳しく教えてください。 正直、そんなに杓子定規な思考で詰め寄られてもすごく困るんですけど、一応お答えしておきます。 > 「明確に禁止されていなければ何をやってもよい、という最近の風潮はナゲカワシイわね(大意)」(BY 薬師寺涼子) > ↑これを言わせたのが田中芳樹氏本人であることは、すごく皮肉なお話ですよね(笑)。結局、ご自分も「最近の風潮」にどっぷりつかってしまってるわけなんですから。 もちろん、これは書いた通り「皮肉なお話」というのが意図です。そもそも、わたしたちの合意意見は、 「小説にはルール(禁忌)はない」 (先人が築いた『定義』は間違いなくあるはずですけど、これはルールという概念からは除きます) だったはずです。 そして、わたしが皮肉った薬師寺涼子の言葉は、 「明確に禁止されていなければ何をやってもよい」 =「小説にはルールはない」から創竜伝では小説に社会評論を入れるような手法を用いている と置き換えることが可能です。しかも、そのご自分自身も含まれる行為を「最近の風潮」と決めつけて、間接的に「ナゲカワシイ」と登場人物に言わせていることが田中氏にとって皮肉なお話ですね、と、わたしは申し上げたのです。(その行為自体がイケナイことだなんて、わたしは一言も言ってません。ただ、「皮肉なお話」と言っているんです) 管理人さんの「絵の具に砂糖を入れる」の喩え話にも突っかかっておられましたけど、あなたは皮肉や喩え話を受けつけることができない人なんですか?もっと直接的な説明でないと納得できない性分なんですか?(あなたのこういう所が、杓子定規だと感じてしまいます) それと、あなたが混ぜっ返したせいであなた自身のご意見に矛盾が生じてしまいましたね。 「明確だろうが暗黙だろうが、作家に何書くかについて(差別やポルノはのぞいて)を縛られる「禁止(ルール)」なるものはない」 明確だろうが暗黙だろうが「禁止(ルール)」なるものはない、って……「差別やポルノが除かれる」と書いてしまったら、 「差別やポルノを除く」 という、立派な「ルール的」なものが存在してしまうじゃないですか。あなたがこれを書いてしまったせいで、 「小説にルールはない」 の前提が自己崩壊してしました。なぜなら、差別やポルノに関する何らかの(倫理面等の)「規制」があることを、あなたがご自分で認めてしまったからです。これは、「明確だろうが暗黙だろうがルールはない!」の主張とは完全に矛盾します。(前回まで、わたしも、「不自然」というだけで、あえてそこまで主張するつもりはなかったのに…) わたし自身も、他人の言葉を誤用してしまった失敗もあるので、あまり強く言える立場ではありませんけど、それにしても今回のあなたのご指摘は納得がいきません。 どうせまた、「言葉が正確ではありませんでした」と言ってどこかの部分を加筆修正して反論されるおつもりでしょうけど、あなたの「正確ではない言葉」に踊らされるのもいい加減に精神的苦痛を感じています。ですから、この話題に関する議論は、申し訳ありませんけど、わたしのほうからはこれで打ち切らせていただきます。自分の言いたいことは、全部言わせていただきましたから。 後は、わたしの発言の意味とご自分が軽率にされた発言をもっとしっかり消化なさって、それでもまだご意見があるようでしたらご自由に書き込まれたらいいと思います。ただし、わたしはもう何も言いませんけどね。 以上です☆ あしからず、ご了解くださいね、見学者さん。 |
No. 458 | |
「(法で)禁止されている」と「いけない」と… | |
新Q太郎 | 2001/07/18 02:34 |
えーとね、どっかでずれてる感じがするんですが、 結局「いけない」という意味をどのように捉えるか、という問題ですね。 例えば写真。 日本では、陰部をはっきり写した写真や幼児のポルノ写真を撮って発表するのは、たしか法律で禁止されていて、やると後ろに手が回ります。そういう意味で、これは確かに「いけない」。 しかし、風景写真や記念写真でも、ピンぼけ、露光不足、或いはカメラの蓋をあけてしまい真っ黒クロ・・・というのは、一応「いけない」と言って差しつかえないのではないでしょうか。 もちろん、ピンボケは日常の異化作用だ!とか真っ黒のフイルムは無と破滅、そして再生の隠喩だ…とか主張するゲージツ家もいるでしょうが、一応そういう写真が出てきたら記念撮影を依頼した人は怒るし、大方のコンテストは落選します。 他にも「頭上の余白は敵」とか「ピーカン不許可」とかはありますが、それは片寄っている(一部笑)としても、そういう基準が厳然として「写真」にあると言えるでしょう。 小説でも例えば、田中氏自身が某ベストセラー「ノ○ウェイの森」を批判して「文末を数えたら、『…と言った』が○○個所もあった。こんな陳腐な表現をしていいのか」と冷笑したことがありました。 これはおそらく田中氏が、「小説はワンパターンで単純な文末を繰り返しては『いけない』」と思っていたからの言葉でしょう。 あるいは小説中ですが、「かの諸葛亮孔明は…」「字と名前を一緒にするな、諸葛孔明か諸葛亮だろう」と論難するくだりがあります。 これも別に法律でそう呼べと決まっているものではない、言葉(呼称)なんてオレがどう呼ぼうと勝手だ、といえばそれまでです。しかしスタンダードから外れる、いけない、という評価も厳然として存在する。ということです。 これらと同じと思いますがどうでしょう。 |
No. 459 | |
Re:スタイルというか手法 | |
たこつぼ | 2001/07/18 12:19 |
> > 料理の中にゴキブリが入っていたとして、 > > 「これは料理の素材でアクセントなんだ!」 > > という主張が通るでしょうか? > > > > せめてゴキブリを「料理」として出してもらいたいものです。 > > 小説に、エッセイや評論的表現を入れる手法をゴキブリにたとえるのはどうかなぁ? > と言う気はしますけど > 作者が意図的に入れてるなら十分通るでしょう > ゴキブリの入った料理を > 食べたいかどうか、おいしいかどうかは別にして > ゴキブリを入れること自体は別に反則でもなんでもないと言うことですよね? > 本論とか読むとイナゴをゴキブリか便所コウロギと言ってる気がしなくもないですが > 虫嫌いの人には一緒と言えば一緒ですかね > イナゴは結構美味しいんですよ、足とか引っかかるので注意が必要ですが 『料理の中にゴキブリ』は絶妙な表現だと思います エッセイや評論的表現を入れる手法をゴキブリといっているのではなく 必要もなく、脈絡もなく、穴だらけの偏った社会論評を半ばわざと『読者が勘違いしやすい』形式でだらだら述べていることがゴキブリで表現で例えられているのです。 ゴキブリを入れる事で明らかに料理の質が下がっているのに、作者の自己満足の為にわざわざ故意にゴキブリを入れているということが問題なんだと思います。 だったらそーいう姑息なまねをせずに穴だらけの偏った社会論評を社会論評という舞台で堂々と発表しろということです。 |
No. 465 | |
Re:「(法で)禁止されている」と「いけない」と… | |
恵 | 2001/07/19 12:21 |
こんにちわ、恵です☆ 新Q太郎さんの解説と見解はわたしのよりもとてもわかりやすくて、あらためて感心させてもらいました☆(でも、これだけではなんだかつまらないので(笑)、一応コメントさせていただきますね) > えーとね、どっかでずれてる感じがするんですが、 > 結局「いけない」という意味をどのように捉えるか、という問題ですね。 > > 例えば写真。 > 日本では、陰部をはきり写した写真や幼児のポルノ写真を撮って発表するのは、たしか法律で禁止されていて、やると後ろに手が回ります。そういう意味で、これは確かに「いけない」。 > しかし、風景写真や記念写真でも、ピンぼけ、露光不足、或いはカメラの蓋をあけてしまい真っ黒クロ・・・というのは、一応「いけない」と言って差しつかえないのではないでしょうか。 > もちろん、ピンボケは日常の異化作用だ!とか真っ黒のフイルムは無と破滅、そして再生の隠喩だ…とか主張するゲージツ化もいるでしょうが、一応そういう写真が出てきたら記念撮影を依頼した人は怒るし、大方のコンテストは落選します。 > 他にも「頭上の余白は敵」とか「ピーカン不許可」とかはありますが、それは片寄っている(一部笑)としても、そういう基準が厳然として「写真」にあると言えるでしょう。 > > 小説でも例えば、田中氏自身が某ベストセラー「ノ○ウェイの森」を批判して「文末を数えたら、『…と言った』が○○個所もあった。こんな陳腐な表現をしていいのか」と冷笑したことがありました。 > これはおそらく田中氏が、「小説はワンパターンで単純な文末を繰り返しては『いけない』」と思っていたからの言葉でしょう。 > > あるいは小説中ですが、「かの諸葛亮孔明は…」「字と名前を一緒にするな、諸葛孔明か諸葛亮だろう」と論難するくだりがあります。 > これも別に法律でそう呼べと決まっているものではない、言葉(呼称)なんてオレがどう呼ぼうと勝手だ、といえばそれまでです。しかしスタンダードから外れる、いけない、という評価も厳然として存在する。ということです。 > これらと同じと思いますがどうでしょう。 上でも言いましたけど、ご意見、概ね同感です☆ そして、新Q太郎さんのご意見を受けて、自分なりに少し考えをまとめてみました。 「表現」(写真・小説・絵画・デザイン・陶芸etc...)には、間違いなくルールは存在すると思います。ただし、それは「法律違反」という規制的な意味合いだけではなく、「表現」そのものの質を向上させる「摂理」的な意味合いとして、です。 たとえば、新Q太郎さんがご指摘された写真におけるピンぼけ、露光不足、頭上の余白は敵、ピーカン不許可などもそうですし、デザインなどでも、相性の悪い色同士の組み合わせ、バランスの悪いレイアウト、使用写真のモアレ現象など、「表現」の質を下げてしまう「してはイケナイこと」があります。(もちろん、逆に「〜を〜すれば美しくなる」という摂理もありますけどもね☆)そして、全ての「表現」に共通して言えるのは、その「してはイケナイこと」をあえてチャレンジすることは別に「違法」ではない、ということです。ただ、「摂理」に反しているが故に、それを目にした人が、少なからず不快な思いをしてしまうというだけで。 そういうわけで、新Q太郎さんの 「スタンダードから外れる、いけない、という評価も厳然として存在する。ということです」 というご意見は、とても的を射ていると思います。 わたしの場合、詰め寄ってこられた人が法律的な意味合いで「小説にルールはない!」と主張されるものですから、そういう意味では「ルールはない」でしょうね、と合意したんです。今となっては、本当はここまで踏み込んで意見するべきだったという思いもありますので、自分自身にもまたまた反省しています。(まだまだ議論のまとめ方の勉強が足りません、お恥ずかしい限りです…(*^_^*;) 結局、創竜伝の社会評論はこの作品における癌みたいなものですから、「小説に作者の声が入ってはイケナイ」の「摂理」が正しい証明であり、悪い見本だと思います。これを良い意味での横紙破りとして評価するには、小説が「売れている・売れていない」の判断ではなく、摂理に反したけれども作品の質が向上したという根拠を、明確に証明をしなくてはなりません。それがクリアされてから、はじめて「小説にルールはない!」と主張できるのではないでしょうか。 なお、創竜伝が売れている理由は、過去にも議論されましたので、ここでは省かせていただきます。もちろん、その理由が社会評論ではないことだけは確かなようですけどね(笑) 以上、わたしなりにまとめさせていただきました☆ 新Q太郎さん、いかがだったでしょうか? |
No. 466 | |
Re:スタイルというか手法 | |
S.K | 2001/07/19 23:14 |
> 「不心得」な警官や「良心的でない」政治家の「(悪事)に真面目な」秘書などが、権力を振りかざして主人公達に身勝手な正義や自己犠牲を強いようとするときに、「穏和で従順とは言えない」主人公達が、その警官や秘書にその権力やプライドのよりどころである > 職業を痛烈に皮肉る、のは劇中、不自然ではないですし、そのようなシーンでしか見たことがないのですが、と、言うことです ご返答感謝いたします。 登場人物の、状況に対する感情の動き程度は「人それぞれの正義」で認めるにやぶさかではないのですがト書き、ナレーション部分で公安警察を貶める記述が確かまだ日本が舞台の頃(1〜4巻?)にありました。 > 作中人物が作中人物を最大限侮辱しようとしてるシーンなんだから > 当たり前じゃないんですかね?これが「世の中には真面目な警察の > みなさんも一杯いて、命がけで事件を解決しているには頭が下がりますが…」などと前置きしてたら随分間抜けな小説だと思いますが 作者の腕と思考的方向性の問題でしょう。 そういう事を言いかねない主人公を要して内藤泰弘氏の「トライガン・マキシマム」や友野祥氏の「カルシファード」シリーズは傑作ですし。 > 私も立派な警官のみなさんがいることは承知してますけど > 警官と喧嘩になるようなことがあれば警察をひっくるめて皮肉言うと思いますよ?喧嘩ですもの 警察自体に罪がないとのご認識でしたら「貴様は警察の恥さらしだ!今すぐバッジを返してのたれ死ね」とおっしゃれば済むのでは? > 職務に忠実な良心的な警官も巻き込んで犠牲にしてしまうシーンも > 確かあったように思いますが、それについて良心が咎める場面も、主人公達が正義の味方でもなんでも無いことを認識している場面も > 繰り返しでてきたように思いますが、それは作者の意識としては考慮されないのでしょうか? 「正義の味方」でないのはよく判っておりますが、そのくせ言い訳じみた理屈もよくこねくり回す(特に年長組二人)のでピカレスクヒーローの負の爽快感もあまり感じませんし、自分達以外は根本的にどうでも良くて当の自分達は不死身ときてますから「正義も悪も及ばない命ぎりぎりでの闘争」にも該当しない訳で、これではなかなか共感するには至れません。 ついでに作者は一応の言い訳をさせた上で「仕方なかった」に落ち着けてる訳ですから考慮してやっぱり「じゃあ警察の無い国に引っ越せば?あるんなら」て所ですね。 > 上級国家公務員キャリアや検察、公安なんかが悪者扱いの物語は > 結構見かける気がしますが…キャリアなんて、キャリアが…みたいな台詞があると屑ですか?う〜ん?違うような気がするけどなぁ キャリアの腐敗を切り口に制度全体の腐敗と矛盾を追及する本格小説や、通俗的な「キャリア」という概念を娯楽向けに単純化して使う本当にお軽いライトノベルは結構多いですしそれは構わない訳です。 「創竜伝」はそういう意味で正に「中途半端のロクデナシ」な訳です。 > 時代劇なんかだと回船問屋や口入れ屋は出てきた時点で悪役決定ですよね?これは、貿易業や人材派遣業への職業差別意識ですか? > だとすると気をつけないとなぁ(==;;; 実際いわゆる勧善懲悪劇でも主人公が弱者を装った卑劣な悪漢に騙されて、実は人知れず善行を積み重ねているが対人関係に極めて不器用な「悪役的職業」の人間にあわや危害を加えそうになる話も少なくないですから本当に気をつけた方がいいですよ。 黄門様ご一行はそんな時八兵衛が引っかかってもちゃんと弥七君が真実を調査してくれてますから安心ですけど。 > あ、人肉は美味しいらしいですね(特に脳味噌) > 生理的嫌悪感や、倫理的なことは別にして、理論的には > (薬膳としての効能は高いと言う方が適切か?) > でも実際には共食いは病気になりやすいのだそうで > ま、雪山で遭難でもしたら、その時に考えます > あれについては本当に尖り過ぎたと反省しておりますのであまりご無理はなさいませんよう。 それでは失礼します。 |
No. 467 | |
いや、有り難いんですがあれは私も悪いので | |
S.K | 2001/07/19 23:38 |
恵さん、直の応答でははじめまして。 お言葉は大変有り難いのですが、管理人さんの例はともかく私の件のあれは自分でも悪趣味で非礼だと思いましたのでくらさんにもお詫びいたしましたが恵さんに擁護いただける程のものではないです。 ただその上で今度はまともな反論をくらさんにいたしておりますので宜しければご一読ください。 恵さんがランゼルさんと議論されていた“勧善懲悪”にも少々触れておりますので。 ともあれお心遣い感謝いたします。 |
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