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対談本「イギリス病のすすめ」
についての一考察

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No. 1136
Re:対談本「イギリス病のすすめ」についての一考察・前編
ヨウ 2001/11/16 16:26
 はじめまして。

 えーと、誰かか突っ込むだろうと思って待っていたのですが誰もつっこまないのでできるところだけつっこみたいと思います。


> 創竜伝7巻 P128下段〜P129上段
> <本来、富は文化を育成するのに欠かせないものである。大富豪メジチ一族の生んだルネサンス文化。足利義満が育てた室町文化。文化とは巨大な富を注ぎこむパトロンなくしては誕生しえないものだ。だが現代日本の富は文化を育まなかった。無名の画家を育成し、そのなかから新たな才能を発掘するというのではなく、すでに世界的な名声をえた大家の作品を買いあさり、独占し、一般に公開しようとしない。他国が生み育てた才能の結実を、金銭でわがものにしてしまう。発掘や育成というリスクを負わず、よい結果だけを横取りしてしまうような姿勢が他国の反発を買うのだ。>

>  ちょっとちょっと田中センセイ、アンタ自分が「自説の補強」としてわざわざ示唆した評論内容をすら読んでも覚えてもいないのですか(笑)。問題の評論で確か田中芳樹はこうも言っていましたよね。「現代日本の富は文化を育まなかった」って。
>  田中芳樹が(イギリスの)熱心なアニメファンが日本に憧れを抱いていると絶賛している日本アニメは、まさに現代日本の富が生み出した世界に誇るべき文化のひとつではありませんか。田中芳樹の問題評論を私は全面的に否定しますけど、田中芳樹自身はその問題評論に対して「発言者としての責任」を負わなければならないはずです。その田中芳樹が、かの問題評論の訂正も撤回も総括も反省も行わないで、現代日本の富が生み出した文化のひとつである日本アニメを絶賛するなど到底許されることではないでしょう。
>  自分の主張に一貫性のある説得力を持たせたいと思うのであれば、あの問題評論と日本アニメ絶賛論との整合性を考えるか、それができないのであればどちらかの主張を「公式の場で」撤回すべきでしょう。何の説明もなしに自らの主義主張を転向するなど、自らの言動に対する責任を放棄する、人として最低の所業であると認識すべきです。

 そもそも日本のマンガやアニメを文化の名に値しないと考えていたとも読めます。自分自身はその考えには反対ですが、世の中にはそういう風潮も確かにありますので田中芳樹がそういう風に考えている可能性も否定できないかと。
 もうひとつ、言っておきたいのは日本のアニメ・マンガ文化は日本の富によって育まれたのではなく、自発的に(言うなれば勝手に)育ってきた、文化のほうが富を利用しただけ、ということです。別に日本で芸術品を買いあさっていた人々がメディチや足利義満のようにこれらを育んだ訳ではまったくありません。手塚治虫の作品を買い上げたわけでもありません。政府がパトロンになったわけでもありません。日本政府がつぶれても日本の大企業が消えてなくなってもマンガ・アニメには何の影響もないでしょう。田中芳樹の発言にはそういった一貫性が見て取れるのですが。少なくとも「醜悪」とまで言われなければいけない筋合いはどこにもないでしょう。


>  この2人は何か重大な勘違いをしているようなのですが、アヘン戦争に限らず、またイギリスのみならず日本以外の外国の歴史教育で「侵略戦争の罪悪」について教えられることなどあるわけないでしょう。これはイギリスの教育制度の問題などではなく、第一に国家間における歴史認識の相違の問題であり、第二に歴史教育の存在意義の問題なのです。
>  そもそもここで取り上げられているアヘン戦争というのはイギリスと当時の清王朝との戦争です。それぞれの主義主張と利益をかけて互いに対立し、戦った戦争に対して、戦争当事国たる両国が同じ歴史認識を共有することなどありえません。アヘン戦争は中国にとっては確かにイギリスに一方的にいたぶられた、被害者意識をつのらせるような戦争だったという認識なのでしょうが、当のイギリスでは、アヘン戦争を「中国を開国させた意義があった」と評価しているのですし、また実際イギリスにとって多大な恩恵をもたらした戦争でもあるのです。そんなイギリスが、自国の歴史教育でアヘン戦争に対して否定的評価を下すわけがないでしょう。アヘン戦争に関して、イギリスが中国と同じ歴史認識を共有しなければならない理由が一体どこに存在するというのですか?
>  それに歴史教育に限らず、外国における初等教育は元々「自国への忠誠と敬愛」を教え、その国に属している国民としての誇りを持たせることを最優先事項として位置づけています。そしてその目的のために、毎日の朝礼の際に生徒に対して自国の国旗と国家に対して忠誠を宣誓させたり、国歌を斉唱することを教えるなどといった、日本の右傾化教育とやらを憂えていらっしゃる田中芳樹が目を剥くような「極右教育」が公然と行われているほどです(笑)。実のところ、日本以外の外国における歴史教育において「歴史の真実を教える」ことなど二義的な問題でしかないのです。むしろ「歴史の真実」とやらを教えることが、初等教育の目的と相反することだってありえるのですから、これはむしろ当然のことでしょう。

 これは歴史教育における単なる見解の相違ですね。「歴史の真実を教える」ことが二義的な問題でしかない、というのは今までの外国で、また、戦前の日本でそうであっただけでこれからもそうでなくてはならない理由にはなりません。愛国心を植え付けるのは確かに諸外国ではそうですし、ひとつの目的ではあるでしょうけどそうではいけないと考えるのがひとつの日本の潮流ですね。そしてそれは間違ってはいないでしょう。

 個人的な考えを言わせてもらうと別に今の教科書がすべて良いとは思いませんが、かといって他国並みの宣伝教科書も最低ですね。いろいろな教科書が出てくればいいのです。その中でバランスがとれた、宣伝文書にならずに健全な愛国心を育成する教科書が出てくるのがこれからの歴史教育に最も望ましいことでしょう。いつまでも中国みたいな共産党の宣伝文書で教育する時代でもないはずですし、イギリスの態度は宣伝文書の延長上にある、という意味での批判でしょう。(田中芳樹は中国教科書の批判はしないでしょうね。そこは十分批判の対象になります)初等教育の目的とやらを考える時代にきている、ということです。

 再度言いますが、「自国への忠誠と敬愛」を植え付けることは現在の世界の歴史教育の流れですが、これが絶対に正しいということは絶対にありえませんし、田中芳樹はその流れを批判したに過ぎません。別に歴史教育はもともと愛国心を植え付けるものだということがわかっていないわけでもないでしょう。もともとそうだったがこれからはこうあってもいいんじゃないか、ということだと思います。「それが当然なんだからそれに反論するやつはおかしい」という考えはおかしいです。

>そんな千差万別の生徒の価値観を全く無視して「全ての生徒は歴史に関心を持つだろうし、持つべきである」などと主張するのは一種の独善であり、個人的嗜好の一方的な押しつけでしかありません。

 そのとおりです。そして、田中芳樹はどこでそんなことを言っていますか?自分にはわからないので教えてください。

>  そしてそのような「歴史に興味も関心も持たない生徒」に対しても必要最低限の歴史知識を理解させ、歴史的思考力を身につけさせ、国民としての自覚と資質と養うことこそが、歴史教育の本当の意義であり目的なのです。そしてそのような基礎知識を初等教育において身につけることによって、将来何らかのきっかけで歴史に興味と関心を抱いた時に役に立つことだってあるでしょう。歴史教育が果たす役割としてはそれで良いのではありませんか?

 これも本当にそのとおりです。そのためには宣伝教科書を用いるべきではありません。ほかの人がどう考えてるかはわかりませんが

>  ところで上記の引用対談文についてですが、1996年頃に発生した歴史教科書問題に対して田中芳樹が自分の見解を発言したという事例というのは、私が調べた限りでは実はこれが初めてです。創竜伝の記述の中で、個人的な被害妄想に基づいた、ありもしない日本の右傾化教育とやらに対する批判を行っていた個所ならいくつか存在するのですけど(笑)。
>  で、せっかく面白い見解を述べていただいたのですけど、当時の歴史教科諸問題を受けて発足した「新しい歴史教科書をつくる会」を批判するのに「教科書は強制されるから面白くない」云々の話を持ち出している辺りは、残念ながら批判のピントが根本的にズレているとしか評しようがないですね。「新しい歴史教科書をつくる会」は、何も歴史教科書を表面的に面白おかしくするために、歴史教科書を新規に作成しようと考えていたわけではないのですから。

 表面的にかどうかは知りませんが、彼らは、「今までの教科書に比べて物語性があって面白い」ということを盛んに主張していますよ。普通に彼らの発言を読めばわかることだと思うのですが。そういえば、「国民の歴史」のキャッチコピーは「歴史とはこんなにも面白いものだったのか」でしたっけ。あれは出版社が考えたんでしょうけど。

>  「新しい歴史教科書をつくる会」の主張・目的は以下の文に代表されるものです↓
>
> 新しい歴史教科書をつくる会・平成9年1月30日設立総会<趣意書>
> <私たちは、二十一世紀に生きる日本の子どもたちのために、新しい歴史教科書をつくり、歴史教育を根本的に立て直すことを決意しました。
>  世界のどの国民も、それぞれ固有の歴史を持っているように、日本にもみずからの固有の歴史があります。
>  日本の国土は古くから文明をはぐくみ、独自の伝統を育てました。
>  日本はどの時代においても世界の先進文明に歩調を合わせ、着実に歴史を歩んできました。
>  日本は自国の伝統を生かして西欧文明との調和の道を探り出し、近代国家の建設とその独立の維持に努力しました。
>  しかし、それは諸外国との緊張と摩擦をともなう厳しい歴史でもありました。
>  私たちの父母、そして先祖の、こうしたたゆまぬ努力の上に、世界で最も安全で豊かな今の日本があるのです。
>  ところが戦後の歴史教育は、日本人が受け継ぐべき文化と伝統を忘れ、日本人の誇りを失わせるものでした。
>  特に近現代史において、日本は子々孫々まで謝罪し続けることを運命づけられた罪人の如くにあつかわれています。
>  冷戦終結後は、この自虐的傾向がさらに強まり、現行の歴史教科書は旧敵国のプロパガンダをそのまま事実として記述するまでになっています。
>  世界にこのような歴史教育を行っている国はありません。
>  私たちのつくる教科書は、世界史的視野の中で、日本国と日本人の自画像を、品格とバランスをもって活写します。
>  私たちの先祖の活躍に心踊らせ、失敗の歴史にも目を向け、その苦楽を追体験できる、日本人の物語です。
>  教室で使われるだけでなく、親子で読んで歴史を語りあえる教科書です。
>  子供たちが、日本人としての自信と責任を持ち、世界の平和と繁栄に献身できるようになる教科書です。
>  私たちはこのような教科書をつくり、普及するために必要な一切の活動を力強く推進します。
>  私たちの事業に、皆様のご理解とご参加を心からお願い申し上げます。>
>
>  この主張のどこをどう読めば「新しい歴史教科書をつくる会」が「おもしろい教科書」なるものを作成しようとしているように解釈できるのでしょうか(笑)。そりゃ読んでて不快感を覚える既存の自虐とウソまみれの歴史教科書に比べれば「内容的に面白い」ということはあるかもしれませんけど、それはあくまでも結果論の話です。
>  そもそも「教科書の強制力」について述べるのであれば、それまでの歴史教科書の方こそが「強制力」を盾に強大な影響力を行使し、国民に自虐史観に基づく原罪意識を刷り込んできたのではないですか。それが教育現場を狂わせ、少年犯罪を激増させる要因のひとつとなったからこそ、日本の歴史教育を正常に戻すことを目的として「新しい歴史教科書をつくる会」は発足されたのです。

 すごいですね。ここまで正確に(ですよね?)「つくる会」の建前の主張を持ってこれるとは。まぁ、でもこんなものは建前ですからね。これを読んですべてがOKだと思ったらほかのインタビュー記事なんて売れるわけがないし「それは公式主張を読んでください」で終わってしまうでしょう。まさかこんな建前に「歴史教科書を面白おかしくしたい」なんて書く人もいないでしょうし。

 それと自虐教科書が少年犯罪につながる、との信念をお持ちのようですが何か根拠でもあるのですか?右翼の家には少年犯罪がなく、左翼には多い、とか。正直言って意味がわかりません。この論は一部の論者の間で盛んに言われてますが、根拠はないんですよね。はっきり言って。少年犯罪凶悪化についてはいろいろな原因があるでしょうが、一番説得力をもった意見は「共働きの増加」によるところが一番ではないかと思います。それでも本当のところはわかりませんし、少年による殺人事件の件数自体はむしろ減少傾向にあります。
犯罪白書平成11年版による統計データでは、以下の通り。

 未成年者による殺人事件発生件数の経年変化。
 1945〜1967年では、1961年の年間448件をピークにして、ほぼ、年間300〜400件の間で推移している。
 1967年以降、発生件数は激減し、1974年以降では年間70〜100件程度でほぼ横這い状態である。
 短期間の傾向で見るなら、1996年99件、1997年74件、1998年114件である

 さらに、あれほど愛国的な国、アメリカでも少年の銃乱射事件などもありましたよね?こういったことを考えるととても自虐教育のせい、とはいえない気がするのですが。
 まぁ、この件に関しては確信的な発言をしないほうがいいかもしれませんね。

 >故・田中角栄の元秘書を努めていた早坂茂三氏の著書「宰相の器」(クレスト社)によると、ある自民党4年生議員の毎月の活動費が約1000万円なのに対し、出費は230万円が15人のスタッフの給与として支払われ、結婚式その他のパーディのご祝儀代が約80万円、事務所の費用が200万円ほどもかかり、さらに残りのカネは、お客を贅沢に接待し、政治家としての個人的な人脈を作るための費用として使われるため、手元にはほとんどカネが残らないと書かれています。さらに選挙資金に関しては、国から交付される選挙費用の上限が約1500万円であるのに対して、実際の出費はポスター代から地元の選挙運動員の飲み食い代まで含め、すくなくとも2億〜3億円ほどもかかるのだそうです。これでは大まじめに法律を守ってなどいたら、まず間違いなく日本の政治家は破産しますね。
>  政治の仕事を全うするためにこの深刻なギャップを埋める必要のあることが、日本の政治で汚職が多発する最大の原因となっており、そのために日本の政治家は様々な法律の抜け穴を探し、カネを調達しようとするのです。この構造的な汚職発生の土台を何とかしない限り、日本で汚職事件が発生するのは避けられないことなのです。本当にこの「構造汚職」をなくしたいと考えるのであれば、政治家のカネの流れをより透明化した上で、政治家が自由に資金調達できる環境を整備していくべきでしょう。そもそも「政治家は清貧であらねばならない」という発想自体が間違いの元です。

 別に間違いじゃないと思いますが。ヴェネツィア共和国では賄賂は死刑、でしたが?あそこは間違っていた、ということでしょうか?まぁ、歴史上の、極端な例ですけども、あそこは国家として成功してますから。
 問題なのは賄賂をとらねばやっていけない構造ですよね。「清貧〜」の発想自体は別に間違いじゃないでしょう。要するに見つからなければ清貧なんですから、見つかるやつは無能なだけで最低の政治家であることに変わりはありません。構造は変えなければなりませんが賄賂を取ること自体は批判されるべきでしょう。批判されない国家になんて住みたくないですね。大体にして、今の政治家が必要な分だけしか賄賂をもらっていない、なんありえませんからね。

>  本当に日本の政治家の汚職問題に対して何か考えるところがあるのであれば、なぜそれが何度も起きるのかという理由について詳細に検証し、自分が調べた結果を読者に説明する手間くらい行ってみたらどうなのでしょうか。どうもあの2人は、日本の政治家の汚職事件をただネタにするだけして、面白おかしくこき下ろしているだけであるようにしか見えないのですけど。

 おもしろおかしくこき下ろしてます。それでいいのでは?議論ではなく、対談ですし。面白おかしくこき下ろすことは品性下劣の証明ではなく日本の民主制の健全さの証明でしょう。この場合、特定の個人を中傷しているのではないですから。田中芳樹は常に高邁でなければならない、なんて信じてるわけではないですよね?


>  この2人のおバカな対談を読んでいてつくづく思うのですが、「民主主義国家では政権交代が常に行われなければならない」という考え方って一体どこから出てきたものなのでしょうか? 国民が長期政権を望み、それが選挙に反映されれば、それもまた民主主義の成果であると言えるのではないかと私などは考えるのですけど。
>  そもそも戦後の日本における政治の世界に「健全な野党」なるものが存在したためしがありません。かつての55年体制で自民党と2大政党を構成した旧社会党は、何につけても自民党の政策に反対するばかりで何ら代案を提言することもなく、たまに口を開けば日本弾劾・共産圏擁護の発言ばかり繰り返していたからこそ「これは信用ならない政党だ」ということで国民からそっぽを向かれたのでしょう。日本の国益や国民の利益について何ら考えもせず、「反対のための反対」ばかり繰り返す政党などに、誰が日本の政治を委ねようとするものですか。
>  実際、自民党の政治スキャンダルに乗じて旧社会党が自民党から政権を奪う機会は何度もあったのですが、そのチャンスを全部逸してきた最大の理由は、全てこの旧社会党の「共産圏擁護に基づく反対のための反対」方針が祟っていたからです。もし旧社会党が自民党から政権を奪った場合、彼らはアメリカと手を切り、旧ソ連をはじめとする共産圏に接近する政策を取ることは確実でしたから、国民多数の意思と全く合致しない政策を行いかねない政党に政権を担わせなかった日本の国民は極めて健全な政治感覚を持っていたと言えます。
>  そして冷戦終了後の93年に発足した細川連立政権、および94年以降の自社さ連立政権の様々な失政や節操のない変節行為によって、日本の野党は思想信条・政治手腕においても全く信用できないという評価が国民から下されてしまいました。結局「日本においてとにもかくにも政治を運営できるのは自民党だけ」という状況こそが、戦後の日本で政権交代がほとんど起こらない最大の理由であるわけですから、「政権交代が起こらないから日本の民度は低い」などという愚論にはほとんど何の意味もありません。

 ここで問題なのは、社会党に代わり第二党に成り得る野党が生まれなかったことでしょう。「健全な野党」が存在し得なかったことそのものが重要なのですし、批判の種になるのです。別に社会党に政権をとらせればよかった、なんて趣旨の対談ではないと思います。自民党は派閥争いをしてるのに党を割らなかった、安保で国論がゆれてるときもそういう民意を反映する党が出来なかった。(社会党や共産党はほかの面で反映してませんよね)日本は民度が低い、といわれるのはそれほど的外れでしょうか。個人的にはそう短絡的に考えるべきではないと考えますが反対の意見も愚論だとは思いません。

 長々と書きました。冒険風ライダーさんの意見に全て反対なわけではありませんが、気になるところ(それでもかなり長いかもしれませんが)を述べさせてもらいました。どうも、タナウツ批判では根拠をかなり正確に述べないと一斉攻撃を受けるのに、田中芳樹批判では根拠がない(明示されていない)ものも受け入れられている、そんな状態に見えましたのでつい、書いてしまいました。無論、自分の意見もまだまだなところが多いのですが・・・


No. 1137
Re1136:では反論しますか。
冒険風ライダー 2001/11/17 01:09
<そもそも日本のマンガやアニメを文化の名に値しないと考えていたとも読めます。自分自身はその考えには反対ですが、世の中にはそういう風潮も確かにありますので田中芳樹がそういう風に考えている可能性も否定できないかと。
 もうひとつ、言っておきたいのは日本のアニメ・マンガ文化は日本の富によって育まれたのではなく、自発的に(言うなれば勝手に)育ってきた、文化のほうが富を利用しただけ、ということです。別に日本で芸術品を買いあさっていた人々がメディチや足利義満のようにこれらを育んだ訳ではまったくありません。手塚治虫の作品を買い上げたわけでもありません。政府がパトロンになったわけでもありません。日本政府がつぶれても日本の大企業が消えてなくなってもマンガ・アニメには何の影響もないでしょう。田中芳樹の発言にはそういった一貫性が見て取れるのですが。少なくとも「醜悪」とまで言われなければいけない筋合いはどこにもないでしょう。>

 すいませんが、ヨウさんは田中芳樹のあの放言「現代日本の富は文化を育まなかった」の意味を意図的に歪曲して解釈しているのではありませんか? 田中芳樹は「日本のパトロンは文化を育まなかった」でも「日本政府は文化を積極的に育成しなかった」でもなく、日本のアニメ製作会社やマンガ製作者、それにそれらを楽しんでいるはずの一般消費者が持つ「現代日本の富」の全てが「文化を育まなかった」と言っているのです。つまり、田中芳樹が罵倒しているその対象は、日本の資産家でも日本政府でもなく、「現代日本の富」を所有している全ての日本人なのであって、実はあなたも私も「文化を育んでいない」などと田中芳樹から罵倒されているわけですよ。
 そんな人間が、過去に唱えた自説に対して何ら訂正も撤回も総括も反省もなしに突然「日本のアニメは素晴らしい」などとのたまうのは、自らの主張に対する責任も一貫性もないという点で「醜悪」ではないのですか?

 それに日本のアニメやマンガは、世界から「日本発祥の文化」として高く評価されていますし、そもそも「オタク」という言葉自体が日本から生まれてきたものなのです。そして件の対談や創竜伝・薬師寺シリーズの評論記述を読む限り、田中芳樹は間違いなくその事実を知っています。だから田中芳樹が「日本のアニメを文化とはみなしていない」などということはまずありえないですし、仮に全てを知っていながら「日本のアニメは文化ではない」などと評価しているとしたら、田中芳樹は自説に都合の悪い部分を隠蔽するとんでもない大ウソつきではありませんか。「醜悪」と呼ぶには充分過ぎる理由であると思いますけど。
 そもそも単純に考えても、自分の小説作品をアニメ・マンガとメディアミックス化してもらっている田中芳樹が「日本のアニメを文化とはみなしていない」などと考えているとしたら、それは全く別の意味で「醜悪」なのではないかと思うのですけど。



<再度言いますが、「自国への忠誠と敬愛」を植え付けることは現在の世界の歴史教育の流れですが、これが絶対に正しいということは絶対にありえませんし、田中芳樹はその流れを批判したに過ぎません。別に歴史教育はもともと愛国心を植え付けるものだということがわかっていないわけでもないでしょう。もともとそうだったがこれからはこうあってもいいんじゃないか、ということだと思います。「それが当然なんだからそれに反論するやつはおかしい」という考えはおかしいです。>

 せっかくの反論ですが、そもそも反論の前提条件である「田中芳樹は別に歴史教育はもともと愛国心を植え付けるものだということがわかっていないわけでもないでしょう」という文章自体が致命的なまでに大間違いです。田中芳樹は創竜伝の社会評論の中で、歴史教育が愛国心を育成することを徹底的に異常扱いし、かつ全面的に否定しています。
 これらがその証拠です↓

創竜伝4巻 P168上段〜P169上段
<「あんたたちは、この前の戦争でアメリカと戦ったことを、悪かったなんて思ってないんだろ。いつか復讐してやるぞ、と決心してんだろ。だからこそ文部省は、教科書から『日本が戦争をおこして悪かった』というような記述を消すよう強制してるんじゃないのかい」
 日本国の文部省の初等中等教育局といえば、右翼思想派の巣窟といってよい。特定企業から賄賂を受けとり、責任を妻や秘書に押しつけるような手合が、「日の丸と君が代を神聖なものとしてあつかえ。でないと処罰するぞ」と、学校を脅迫するのである。歴史の教科書に東郷平八郎という海軍軍人を登場させるよう義務づけたのも彼らだ。当時の文部大臣でさえ、その時代錯誤にあきれ、「ひとつの局地戦の司令官で戦争全体は語れない。戦争を開始し、終結したときの日本政府の対応と、その後の社会を教えることで、正しい歴史観が身につく」といって反対した。だが、大臣の反対意見さえ無視して、文部官僚は、復古教育を強引に推進しつつある。「ただ一度戦争に負けたからといって、民族の誇りを失うな。われわれは世界一優秀な民族だ。その自覚をもって祖国に献身せよ」これはアドルフ・ヒットラーという男がもっとも好んだ台詞だった。>

創竜伝9巻 P134下段〜P135上段
<……九世紀、唐代の中国に仇士良という人物がいた。悪名高い宦官で、皇帝をあやつって権力をほしいままにし、自分に反対する重臣たちに無実の罪を着せて殺し、賄賂をむさぼって巨富をたくわえた。晩年に至ってついに失脚し、財産を没収されたのだが、この宦官が引退するとき、後輩の宦官たちにつぎのような「教訓」を残している。
「吾々宦官の権力は、皇帝をあやつることによって得られる。そのためには皇帝を愚かで無知な状態にしておかなければならん。皇帝を愚かにしておくには、本を読ませてはいけない。とくに、けっして歴史を教えてはいかんぞ。過去の歴史を知り、現状に疑問をいだくようになったとき、皇帝は宦官のいうなりにならなくなるのだ」
 人間を愚かな状態においておくためには、歴史を教えてはいけない。一〇〇〇年以上も往古の宦官の教訓は、現在も生きている。第2次大戦の前後に日本軍が犯した様々な蛮行――南京大虐殺、シンガポールの華僑虐殺、重慶への無差別爆撃、従軍慰安婦強制連行、中国人労働者の強制重労働、沖縄住民のマラリア汚染地連行――などの事実を、文部省が歴史の教科書から抹殺しようとしたのは、仇士良の教訓を実行しようとしたのである。こうして、若い人々に歴史を教えず、無知な状態に置きつづけた結果、サイパン島やシンガポールでどんなことがあったか知らない若い観光客が現地の人々の反感を買うことになる。虐殺を記念する碑の前でVサインをつくって笑いながら記念写真を撮ったりするわけだ。>

創竜伝9巻 P210下段〜P211下段
<「崑崙にいたとき辰コウで見たけど、そのころはアジアの軍隊は強かったんだね。その後は日露戦争で日本がロシアに勝つまでアジアの軍隊はヨーロッパに勝てなかったんでしょ。本に書いてあった」
「とんでもない、その本はまちがいだね」
 手きびしく始は断定した。
 一九世紀後半、フランスはベトナムを侵略し、植民地にしようとしていた。ところがこのときベトナムには「黒旗軍」という中国人の傭兵部隊がおり、それがおどろくほど強かった。司令官は劉永福といい、この人物が指揮して、二度にわたってフランス軍を撃滅している。二度ともフランス軍の総司令官が戦死し、部隊は死体の山を遺して敗走した。これが一八七三年から一八八三年にかけてのことで、「近代になって、アジアの軍隊がヨーロッパの軍隊にはじめて勝った」と大評判になった。日本でも明治一六年七月四日の東京日日新聞が、「劉永福とは諸葛孔明と楠木正成をあわせたような戦術の天才だ」という記事を載せて絶賛している。それまで日本は幕末に鹿児島や下関でヨーロッパの軍隊と戦い、一度も勝ったことがなかったので、すなおに劉永福を賞めたたえたのだ。その後フランスはベトナムにさまざまな圧力をかけ、劉永福を追い出させることに成功する。劉永福は不敗のままベトナムを去らねばならなかったが、彼の名声は衰えなかった。
 ところが一九〇五年に日本は日露戦争でロシア帝国に勝利してしまった。たちまち日本人はのぼせあがり、歴史事実を無視して神話をでっちあげる。
「ヨーロッパの軍隊にはじめて勝ったアジアの軍隊は日本軍だ!」
 小さな日本が大きなロシアに勝っただけでもたいしたことなのだから、事実を事実として誇ればそれでよいのに、それだけでは気がすまないのだ。これから日本の病気がはじまり、「日本はアジアで一番すぐれている。日本以外のアジアはだめだ。アジアは日本のものだ」という妄想がふくらんでいく。日露戦争の開戦の理由として「ロシアに圧迫されている韓国の独立を守る」と世界中に宣言したのに、その六年後には韓国の独立を奪って日本の植民地にしてしまうのだ。
 そしてそれは長い目で見れば、おとなりの国々を暴力で支配しようという狂気と妄想が、自国の破滅を招く、その第一歩であった。一九二八年にはパリ不戦条約が結ばれ、武力による侵略が国際法において禁じられたのに、南米以外では、ドイツ、イタリア、ソ連、日本の四ヶ国だけがその条約に違反するのだ。したがって、「日本は侵略戦争をやっていない」という主張は、明らかにまちがいである。そもそも自国の領土でもない場所に軍隊を送って占領する事を侵略というのである。>

 これらの記述のどこをどう読めば「田中芳樹は別に歴史教育はもともと愛国心を植え付けるものだということがわかっていないわけでもないでしょう」などという事実が存在するように読めるのでしょうか? むしろ、これらの評論の論調に従うのであれば、田中芳樹はイギリスのご都合主義的な歴史教育を徹底的に批判しなければならないはずです。
 もしここで田中芳樹がイギリスの歴史教育に対しても同じような批判を書いていたとでも言うのであれば、内容の無知ぶりはともかく、すくなくともその言動は一貫していたと評することもできるのでしょうが、現実はあの惨状です。それどころか、創竜伝における田中芳樹のイギリス礼賛に至っては、さらに進んで、
「大英博物館に諸外国からの掠奪品を大切に保存・展示して一般に無料公開すれば、全ての侵略・掠奪の罪は免罪される」
だの
「新聞が堂々と王室の悪口を書きたてている国は、世界を支配するのが当然である」
などという主旨の妄言まで吐き散らす始末です。これらの主張は創竜伝における田中芳樹の歴史教育論とは明らかに相反するものではないのですか?
 日本の右傾化教育とやらを舌鋒鋭く批判していた田中芳樹は一体どこに行ってしまったというのでしょうか(笑)。



≪そんな千差万別の生徒の価値観を全く無視して「全ての生徒は歴史に関心を持つだろうし、持つべきである」などと主張するのは一種の独善であり、個人的嗜好の一方的な押しつけでしかありません。≫
<そのとおりです。そして、田中芳樹はどこでそんなことを言っていますか?自分にはわからないので教えてください。>

 あの論評の一番最初に言っているではないですか。「『歴史を教科書からだけ学ぼうというのがそもそもとんでもなくずうずうしい』という発想自体が『そもそもとんでもなくずうずうしい』」って。「歴史を教科書からだけ学ぼうというのがそもそもとんでもなくずうずうしい」という主張は、「歴史を学ぶ人達全員が歴史に興味と関心を持ち、歴史教科書以外の本を積極的に読みこんでいく」などという虚構の前提を元にしなければ決して出てこない発言です。
 しかし現実には、教科書を使った授業だけで歴史教育が終わる人はたくさんいますし、「教科書から学べばもう十分」と考える人も多いのです。そういった人達に対して「歴史を教科書からだけ学ぼうというのがそもそもとんでもなくずうずうしい」などと放言することが適切であると思いますか? むしろ、歴史に関心を持とうとする人達を却って遠ざけてしまうだけの、鼻持ちならないスノッブ的な腐臭すら感じるのですけど。



<表面的にかどうかは知りませんが、彼らは、「今までの教科書に比べて物語性があって面白い」ということを盛んに主張していますよ。普通に彼らの発言を読めばわかることだと思うのですが。そういえば、「国民の歴史」のキャッチコピーは「歴史とはこんなにも面白いものだったのか」でしたっけ。あれは出版社が考えたんでしょうけど。>

 「つくる会」の教科書が「今までの教科書に比べて物語性があって面白い」というのは、あくまでも「結果論」であって「つくる会の目的」ではありません。というか、これに関しては私は最初の評論でも同じ事を述べていたと思いますけど。
 「つくる会」が新しい教科書を作る目的は、あくまでも私が引用した「新しい歴史教科書をつくる会・平成9年1月30日設立総会<趣意書>」に書かれている通りのものですよ。何度も言いますが、「つくる会の教科書が面白い」のは結果であって目的ではないのです。結果と目的を混同してはイケマセン。
 ちなみに、あの文章は「つくる会」の公式HPのトップに掲載されていますから、私はそこから丸ごとコピー&ペーストして改行処理の修正を行っただけですよ。引用の手間で言うのならば、むしろ今回論評した「イギリス病のすすめ」における批判対象の文章を全文「写経」する方がよっぽど手間のかかる仕事でしたね。



<それと自虐教科書が少年犯罪につながる、との信念をお持ちのようですが何か根拠でもあるのですか?右翼の家には少年犯罪がなく、左翼には多い、とか。正直言って意味がわかりません。この論は一部の論者の間で盛んに言われてますが、根拠はないんですよね。はっきり言って。少年犯罪凶悪化についてはいろいろな原因があるでしょうが、一番説得力をもった意見は「共働きの増加」によるところが一番ではないかと思います。それでも本当のところはわかりませんし、少年による殺人事件の件数自体はむしろ減少傾向にあります。>

 それは「犯罪検挙率」と「殺人以外の犯罪発生率」というものを全く無視した数字上のトリックですよ。同じ種類のトリックには、人件費と物価高が反映されている日本の軍事費を指して「日本は世界第2位の軍事大国だ」などという論法で構成されたタワゴトが存在しますが。
 実は日本の警察の犯罪検挙率は、平成に入ってから、それまで60%を維持していたものが30%台にまで急落してしまったのです。これだと、実際の犯罪発生率が3〜4割増になっても、検挙率も同じくらい下がってしまうわけですから、表面的には検挙数があまり変わっていないというトリックが生まれるわけです。実際の犯罪発生率を調べるためには、平成に入る前までの検挙率が維持された場合を想定したグラフを作成する必要があるのですが、その計算でいくと、10万人当たり3475人もの少年が刑法を犯しているという結果が出てきます。
 また、1998年に警察が検挙した刑法犯検挙人員は、成人が10万人当たり167.5人なのに対し、少年のそれは何とその10倍の1691.9人にもなるのです。
 さらに、少年による殺人以外の犯罪、強盗・暴行・傷害・恐喝・脅迫などといった凶悪犯罪の伸び率も深刻で、ここ10年で障害罪を犯した少年の検挙人員率は1.5倍、恐喝罪のそれは2倍以上にまで増加しており、全体の少年検挙人員率は約3倍もの増加となってしまっているのです。
 これでも、日本の少年犯罪は減少傾向にあると言えるのですか?

 それと「自虐教科書が少年犯罪につながる」に関しては、警察の事情聴取に対して「日本は昔、世界に戦争を仕掛けて悪いことをしてきたじゃないか。それに比べれば俺の犯罪なんて小さなものだ」などと居直った少年の話を数多く聞いたことがあるのですよ。他にも色々と根拠はあるのですが、さし当たって一番分かりやすい話はこれですね。
 これに関してもう少し詳しく調べたいのであれば、渡部昇一氏の著書「国民の教育」(産経新聞社)や、小室直樹氏の著書「日本国民に告ぐ」(クレスト社)でも読んでみられてはいかがでしょうか。この件に関して、かなり詳細な検証が行われていますので。



<別に間違いじゃないと思いますが。ヴェネツィア共和国では賄賂は死刑、でしたが?あそこは間違っていた、ということでしょうか?まぁ、歴史上の、極端な例ですけども、あそこは国家として成功してますから。
 問題なのは賄賂をとらねばやっていけない構造ですよね。「清貧〜」の発想自体は別に間違いじゃないでしょう。要するに見つからなければ清貧なんですから、見つかるやつは無能なだけで最低の政治家であることに変わりはありません。構造は変えなければなりませんが賄賂を取ること自体は批判されるべきでしょう。批判されない国家になんて住みたくないですね。大体にして、今の政治家が必要な分だけしか賄賂をもらっていない、なんありえませんからね。>

 これに関しては、この先の対談内容で田中芳樹が全く同じ事を述べておりますので、そこで徹底的にこの論法を叩き潰そうと考えております。
 そういうわけで、これに関する反論は次の「対談本『イギリス病のすすめ』についての一考察・中編」にまとめて書かれる事になりますので、申し訳ありませんがしばらくお待ち下さい。



<おもしろおかしくこき下ろしてます。それでいいのでは?議論ではなく、対談ですし。面白おかしくこき下ろすことは品性下劣の証明ではなく日本の民主制の健全さの証明でしょう。この場合、特定の個人を中傷しているのではないですから。田中芳樹は常に高邁でなければならない、なんて信じてるわけではないですよね?>

 「おもしろおかしくこき下ろしている」こと自体が悪いとは言っていませんよ。それを言うならば私が作成した「考察シリーズ」だってほとんど同じ事をやっているわけですし。
 あの2人の対談が問題なのは、イギリスの政治・文化事情を元にして日本を批判し、かつ何らかの提言を行うなどというスタンスを取りながら、ただ「おもしろおかしくこき下ろしている『だけ』」で、ロクな事実検証やマトモな提言ひとつ全く行っていないという点にあるのです。本当に日本を批判し、より良い方向を目指したいと思うのであれば、それなりの説得力を持つ事実・比較検証や提言のひとつぐらい用意するのが筋であって、ただ「おもしろおかしくこき下ろしている『だけ』」では全く話になりません。
 それともまさか「小説だから許される」ならぬ「対談だから許される」と本気で考えてでもいるのでしょうか? それは小説をナメている以上に評論をバカにしているとしか解釈のしようがないのですけど。



<ここで問題なのは、社会党に代わり第二党に成り得る野党が生まれなかったことでしょう。「健全な野党」が存在し得なかったことそのものが重要なのですし、批判の種になるのです。別に社会党に政権をとらせればよかった、なんて趣旨の対談ではないと思います。自民党は派閥争いをしてるのに党を割らなかった、安保で国論がゆれてるときもそういう民意を反映する党が出来なかった。(社会党や共産党はほかの面で反映してませんよね)日本は民度が低い、といわれるのはそれほど的外れでしょうか。個人的にはそう短絡的に考えるべきではないと考えますが反対の意見も愚論だとは思いません。>

 あのですね、旧社会党や共産党というのは今でこそゴミのような弱小勢力にまで落ちぶれて果てていますが、55年体制ができた頃はかなりの勢力を保有していましたし、当時は旧社会党のあまりの強大ぶりに「まもなく自民党と社会党の政権交代が起こるだろう」などという悲観的な予測を立てていた人もいたのですよ。そんな状態で自民党が分裂したら、それこそ旧社会党や共産党の思うがままになっていたのではありませんか? 強大な敵を目の前にして分裂するなど、民意を問う以前の問題です。
 すくなくとも旧社会党や共産党を背後から動かしていた旧ソ連が滅ぶまでは、旧社会党や共産党などに政権を譲るわけにはいかなかったし、また自民党が内部分裂を起こすわけにもいかなかったのです。また、自民党政権の下で高度経済成長が行われてきたことも、自民党政権が長期化した理由のひとつでもあるでしょう。自分達の生活水準を飛躍的に向上させてくれる政権を国民が支持するのは極めて当然のことです。
 国民は国内・国外の政治情勢をきちんと考慮した上で「ベストよりベターな選択」を選んで自民党を支持してきたのですよ。それがお分かりになりませんか?


No. 1141
Re:では反論しますか。
ヨウ 2001/11/18 00:37
今言えるところだけ言っておきます。

>  すいませんが、ヨウさんは田中芳樹のあの放言「現代日本の富は文化を育まなかった」の意味を意図的に歪曲して解釈しているのではありませんか?

 田中芳樹は現代日本が文化を育まなかったと言っているのではなく現代日本の「富」が文化を育まなかったと言っているわけです。

>田中芳樹は「日本のパトロンは文化を育まなかった」でも「日本政府は文化を積極的に育成しなかった」でもなく、日本のアニメ製作会社やマンガ製作者、それにそれらを楽しんでいるはずの一般消費者が持つ「現代日本の富」の全てが「文化を育まなかった」と言っているのです。つまり、田中芳樹が罵倒しているその対象は、日本の資産家でも日本政府でもなく、「現代日本の富」を所有している全ての日本人なのであって、実はあなたも私も「文化を育んでいない」などと田中芳樹から罵倒されているわけですよ。

 言っていません。どこに明記されていますか?根拠を述べてください。この場合の「富」が芸術作品を買いあさっていた・・・等の人々に向けられている事は明白です。わざわざ富裕階級を例を出していると言う事は、そう読むのが普通でしょう。まぁ、冒険風ライダーさんにはそう読めるのでしょうから仕方が無いですが。少なくとも自分は一読してそうは読めませんでしたがね。

 あと、「故意に歪曲」とか、使わない方が良いですよ。田中芳樹なみに品性下劣と思われますから。本当にそう読めたのですから。こっちにしてみればそちらが「故意に歪曲」したようにみえて仕方が有りません。普通は「読み間違い」とか使いますがね。


>  それに日本のアニメやマンガは、世界から「日本発祥の文化」として高く評価されていますし、そもそも「オタク」という言葉自体が日本から生まれてきたものなのです。そして件の対談や創竜伝・薬師寺シリーズの評論記述を読む限り、田中芳樹は間違いなくその事実を知っています。だから田中芳樹が「日本のアニメを文化とはみなしていない」などということはまずありえないですし、仮に全てを知っていながら「日本のアニメは文化ではない」などと評価しているとしたら、田中芳樹は自説に都合の悪い部分を隠蔽するとんでもない大ウソつきではありませんか。「醜悪」と呼ぶには充分過ぎる理由であると思いますけど。
>  そもそも単純に考えても、自分の小説作品をアニメ・マンガとメディアミックス化してもらっている田中芳樹が「日本のアニメを文化とはみなしていない」などと考えているとしたら、それは全く別の意味で「醜悪」なのではないかと思うのですけど。
>

 ま、これはそんな事は無いでしょうな。一つの可能性として言ってみただけです。ただ、世の中にはマンガを文化と認める人と「マンガなんか」と認めない人がいるわけで、認めない人を「醜悪」とののしるほど自分は傲慢じゃないですから。ビートルズの時も然り、そういう人間は単に保守的なだけですからね。
>
>
> <再度言いますが、「自国への忠誠と敬愛」を植え付けることは現在の世界の歴史教育の流れですが、これが絶対に正しいということは絶対にありえませんし、田中芳樹はその流れを批判したに過ぎません。別に歴史教育はもともと愛国心を植え付けるものだということがわかっていないわけでもないでしょう。もともとそうだったがこれからはこうあってもいいんじゃないか、ということだと思います。「それが当然なんだからそれに反論するやつはおかしい」という考えはおかしいです。>
>
>  せっかくの反論ですが、そもそも反論の前提条件である「田中芳樹は別に歴史教育はもともと愛国心を植え付けるものだということがわかっていないわけでもないでしょう」という文章自体が致命的なまでに大間違いです。田中芳樹は創竜伝の社会評論の中で、歴史教育が愛国心を育成することを徹底的に異常扱いし、かつ全面的に否定しています。
>  これらがその証拠です↓
>
> 創竜伝4巻 P168上段〜P169上段
> <「あんたたちは、この前の戦争でアメリカと戦ったことを、悪かったなんて思ってないんだろ。いつか復讐してやるぞ、と決心してんだろ。だからこそ文部省は、教科書から『日本が戦争をおこして悪かった』というような記述を消すよう強制してるんじゃないのかい」
>  日本国の文部省の初等中等教育局といえば、右翼思想派の巣窟といってよい。特定企業から賄賂を受けとり、責任を妻や秘書に押しつけるような手合が、「日の丸と君が代を神聖なものとしてあつかえ。でないと処罰するぞ」と、学校を脅迫するのである。歴史の教科書に東郷平八郎という海軍軍人を登場させるよう義務づけたのも彼らだ。当時の文部大臣でさえ、その時代錯誤にあきれ、「ひとつの局地戦の司令官で戦争全体は語れない。戦争を開始し、終結したときの日本政府の対応と、その後の社会を教えることで、正しい歴史観が身につく」といって反対した。だが、大臣の反対意見さえ無視して、文部官僚は、復古教育を強引に推進しつつある。「ただ一度戦争に負けたからといって、民族の誇りを失うな。われわれは世界一優秀な民族だ。その自覚をもって祖国に献身せよ」これはアドルフ・ヒットラーという男がもっとも好んだ台詞だった。>
>
> 創竜伝9巻 P134下段〜P135上段
> <……九世紀、唐代の中国に仇士良という人物がいた。悪名高い宦官で、皇帝をあやつって権力をほしいままにし、自分に反対する重臣たちに無実の罪を着せて殺し、賄賂をむさぼって巨富をたくわえた。晩年に至ってついに失脚し、財産を没収されたのだが、この宦官が引退するとき、後輩の宦官たちにつぎのような「教訓」を残している。
> 「吾々宦官の権力は、皇帝をあやつることによって得られる。そのためには皇帝を愚かで無知な状態にしておかなければならん。皇帝を愚かにしておくには、本を読ませてはいけない。とくに、けっして歴史を教えてはいかんぞ。過去の歴史を知り、現状に疑問をいだくようになったとき、皇帝は宦官のいうなりにならなくなるのだ」
>  人間を愚かな状態においておくためには、歴史を教えてはいけない。一〇〇〇年以上も往古の宦官の教訓は、現在も生きている。第2次大戦の前後に日本軍が犯した様々な蛮行――南京大虐殺、シンガポールの華僑虐殺、重慶への無差別爆撃、従軍慰安婦強制連行、中国人労働者の強制重労働、沖縄住民のマラリア汚染地連行――などの事実を、文部省が歴史の教科書から抹殺しようとしたのは、仇士良の教訓を実行しようとしたのである。こうして、若い人々に歴史を教えず、無知な状態に置きつづけた結果、サイパン島やシンガポールでどんなことがあったか知らない若い観光客が現地の人々の反感を買うことになる。虐殺を記念する碑の前でVサインをつくって笑いながら記念写真を撮ったりするわけだ。>
>
> 創竜伝9巻 P210下段〜P211下段
> <「崑崙にいたとき辰コウで見たけど、そのころはアジアの軍隊は強かったんだね。その後は日露戦争で日本がロシアに勝つまでアジアの軍隊はヨーロッパに勝てなかったんでしょ。本に書いてあった」
> 「とんでもない、その本はまちがいだね」
>  手きびしく始は断定した。
>  一九世紀後半、フランスはベトナムを侵略し、植民地にしようとしていた。ところがこのときベトナムには「黒旗軍」という中国人の傭兵部隊がおり、それがおどろくほど強かった。司令官は劉永福といい、この人物が指揮して、二度にわたってフランス軍を撃滅している。二度ともフランス軍の総司令官が戦死し、部隊は死体の山を遺して敗走した。これが一八七三年から一八八三年にかけてのことで、「近代になって、アジアの軍隊がヨーロッパの軍隊にはじめて勝った」と大評判になった。日本でも明治一六年七月四日の東京日日新聞が、「劉永福とは諸葛孔明と楠木正成をあわせたような戦術の天才だ」という記事を載せて絶賛している。それまで日本は幕末に鹿児島や下関でヨーロッパの軍隊と戦い、一度も勝ったことがなかったので、すなおに劉永福を賞めたたえたのだ。その後フランスはベトナムにさまざまな圧力をかけ、劉永福を追い出させることに成功する。劉永福は不敗のままベトナムを去らねばならなかったが、彼の名声は衰えなかった。
>  ところが一九〇五年に日本は日露戦争でロシア帝国に勝利してしまった。たちまち日本人はのぼせあがり、歴史事実を無視して神話をでっちあげる。
> 「ヨーロッパの軍隊にはじめて勝ったアジアの軍隊は日本軍だ!」
>  小さな日本が大きなロシアに勝っただけでもたいしたことなのだから、事実を事実として誇ればそれでよいのに、それだけでは気がすまないのだ。これから日本の病気がはじまり、「日本はアジアで一番すぐれている。日本以外のアジアはだめだ。アジアは日本のものだ」という妄想がふくらんでいく。日露戦争の開戦の理由として「ロシアに圧迫されている韓国の独立を守る」と世界中に宣言したのに、その六年後には韓国の独立を奪って日本の植民地にしてしまうのだ。
>  そしてそれは長い目で見れば、おとなりの国々を暴力で支配しようという狂気と妄想が、自国の破滅を招く、その第一歩であった。一九二八年にはパリ不戦条約が結ばれ、武力による侵略が国際法において禁じられたのに、南米以外では、ドイツ、イタリア、ソ連、日本の四ヶ国だけがその条約に違反するのだ。したがって、「日本は侵略戦争をやっていない」という主張は、明らかにまちがいである。そもそも自国の領土でもない場所に軍隊を送って占領する事を侵略というのである。>
>
>  これらの記述のどこをどう読めば「田中芳樹は別に歴史教育はもともと愛国心を植え付けるものだということがわかっていないわけでもないでしょう」などという事実が存在するように読めるのでしょうか?

 読めるじゃないですか。そういうもともとのあり方を批判してる文章でしょう?「田中芳樹は、歴史教育はもともと愛国心を植え付けるものだと言う事がわかっていて、そういうあり方を忌み嫌っていた。」て事ですよね。そういう批判自体は悪いものではないはずですが。

 >むしろ、これらの評論の論調に従うのであれば、田中芳樹はイギリスのご都合主義的な歴史教育を徹底的に批判しなければならないはずです。

 そこで、アヘン戦争の教科書の段に行くわけですよね。徹底的とは行かないまでも批判してるじゃないですか。

>  もしここで田中芳樹がイギリスの歴史教育に対しても同じような批判を書いていたとでも言うのであれば、内容の無知ぶりはともかく、すくなくともその言動は一貫していたと評することもできるのでしょうが、現実はあの惨状です。

 おや、そういえばあの段で田中芳樹はほとんどしゃべってませんね。あの文章は土屋氏に対する批判ですか?だとすると話は違ってきてますが。一応、アヘン戦争に対するイギリス教科書批判に田中芳樹も賛同したものとして話を進めると今のところ首尾一貫してますが。

それどころか、創竜伝における田中芳樹のイギリス礼賛に至っては、さらに進んで、
> 「大英博物館に諸外国からの掠奪品を大切に保存・展示して一般に無料公開すれば、全ての侵略・掠奪の罪は免罪される」
> だの
> 「新聞が堂々と王室の悪口を書きたてている国は、世界を支配するのが当然である」
> などという主旨の妄言まで吐き散らす始末です。これらの主張は創竜伝における田中芳樹の歴史教育論とは明らかに相反するものではないのですか?

 ・・・これこそ「歪曲」に見えるのですが。ここだけ正確に出典を書いてくれないのも何故なのでしょう。「大英博物館に諸外国からの掠奪品を大切に保存・展示して一般に無料公開することは、他の植民地保有国に比べるとまだましである」「他の帝国主義国家と違い新聞が堂々と王室の悪口を書きたてているような国であるから、世界を支配出来たのであろう」と言う趣旨だったと記憶してるのですが。全然意味が違うかと。

 記憶違いだったら謝ります。




> ≪そんな千差万別の生徒の価値観を全く無視して「全ての生徒は歴史に関心を持つだろうし、持つべきである」などと主張するのは一種の独善であり、個人的嗜好の一方的な押しつけでしかありません。≫
> <そのとおりです。そして、田中芳樹はどこでそんなことを言っていますか?自分にはわからないので教えてください。>
>
>  あの論評の一番最初に言っているではないですか。「『歴史を教科書からだけ学ぼうというのがそもそもとんでもなくずうずうしい』という発想自体が『そもそもとんでもなくずうずうしい』」って。「歴史を教科書からだけ学ぼうというのがそもそもとんでもなくずうずうしい」という主張は、「歴史を学ぶ人達全員が歴史に興味と関心を持ち、歴史教科書以外の本を積極的に読みこんでいく」などという虚構の前提を元にしなければ決して出てこない発言です。
>  しかし現実には、教科書を使った授業だけで歴史教育が終わる人はたくさんいますし、「教科書から学べばもう十分」と考える人も多いのです。そういった人達に対して「歴史を教科書からだけ学ぼうというのがそもそもとんでもなくずうずうしい」などと放言することが適切であると思いますか? むしろ、歴史に関心を持とうとする人達を却って遠ざけてしまうだけの、鼻持ちならないスノッブ的な腐臭すら感じるのですけど。
>

 字面を追えばまぁ、そう読めなくも無いですが。この後の文章に、面白さ云々の段がありましたよね。「歴史の面白さを伝えようとするのに教科書を面白くすればそれでよし」という安易な考えに対しての批判と読んでも読みすぎではないはず。普通に読めば、歴史が好きな生徒には教科書以外のものも読ませるよう指導した方がいい、教科書で終わらせるな、でしょうか。読めないならばまぁ、それも人それぞれ。


>
> <表面的にかどうかは知りませんが、彼らは、「今までの教科書に比べて物語性があって面白い」ということを盛んに主張していますよ。普通に彼らの発言を読めばわかることだと思うのですが。そういえば、「国民の歴史」のキャッチコピーは「歴史とはこんなにも面白いものだったのか」でしたっけ。あれは出版社が考えたんでしょうけど。>
>
>  「つくる会」の教科書が「今までの教科書に比べて物語性があって面白い」というのは、あくまでも「結果論」であって「つくる会の目的」ではありません。というか、これに関しては私は最初の評論でも同じ事を述べていたと思いますけど。
>  「つくる会」が新しい教科書を作る目的は、あくまでも私が引用した「新しい歴史教科書をつくる会・平成9年1月30日設立総会<趣意書>」に書かれている通りのものですよ。何度も言いますが、「つくる会の教科書が面白い」のは結果であって目的ではないのです。結果と目的を混同してはイケマセン。

 だから、そんな事<趣意書>には載せないと思いますが。あんなタテマエまともに信じていたらきりが無いですよ。<趣意書>とやらに「憎き韓国、中国更には国内の半日主義者のバカどもの口を塞がせる為に我らが日本は・・・」なんて書くわけ無いじゃないですか。それに、子供達に分かりやすいように今までとは違う物語性の強い教科書を作った。って本人達が言ってますよ。「結果として面白くなってしまった」?元々単なるドイツ文学者である西尾氏率いる一派がそんな事本気で言っているとは思えませんね。教科書採択のための武器の一つでしょう。それはそれで良いと思うんですけど。

 なんで田中芳樹にはあれほど批判的に見れるのに、「つくる会」にはそんなに寛容なんですかね。不思議です。そんなに非の打ち所の無い団体だとは思えませんが。

> <それと自虐教科書が少年犯罪につながる、との信念をお持ちのようですが何か根拠でもあるのですか?右翼の家には少年犯罪がなく、左翼には多い、とか。正直言って意味がわかりません。この論は一部の論者の間で盛んに言われてますが、根拠はないんですよね。はっきり言って。少年犯罪凶悪化についてはいろいろな原因があるでしょうが、一番説得力をもった意見は「共働きの増加」によるところが一番ではないかと思います。それでも本当のところはわかりませんし、少年による殺人事件の件数自体はむしろ減少傾向にあります。>
>
>  それは「犯罪検挙率」と「殺人以外の犯罪発生率」というものを全く無視した数字上のトリックですよ。同じ種類のトリックには、人件費と物価高が反映されている日本の軍事費を指して「日本は世界第2位の軍事大国だ」などという論法で構成されたタワゴトが存在しますが。
>  実は日本の警察の犯罪検挙率は、平成に入ってから、それまで60%を維持していたものが30%台にまで急落してしまったのです。これだと、実際の犯罪発生率が3〜4割増になっても、検挙率も同じくらい下がってしまうわけですから、表面的には検挙数があまり変わっていないというトリックが生まれるわけです。実際の犯罪発生率を調べるためには、平成に入る前までの検挙率が維持された場合を想定したグラフを作成する必要があるのですが、その計算でいくと、10万人当たり3475人もの少年が刑法を犯しているという結果が出てきます。
>  また、1998年に警察が検挙した刑法犯検挙人員は、成人が10万人当たり167.5人なのに対し、少年のそれは何とその10倍の1691.9人にもなるのです。
>  さらに、少年による殺人以外の犯罪、強盗・暴行・傷害・恐喝・脅迫などといった凶悪犯罪の伸び率も深刻で、ここ10年で障害罪を犯した少年の検挙人員率は1.5倍、恐喝罪のそれは2倍以上にまで増加しており、全体の少年検挙人員率は約3倍もの増加となってしまっているのです。
>  これでも、日本の少年犯罪は減少傾向にあると言えるのですか?


 これは書いた直後に気付きました。申し訳ないです。確かにその通りですね。
>
>  それと「自虐教科書が少年犯罪につながる」に関しては、警察の事情聴取に対して「日本は昔、世界に戦争を仕掛けて悪いことをしてきたじゃないか。それに比べれば俺の犯罪なんて小さなものだ」などと居直った少年の話を数多く聞いたことがあるのですよ。他にも色々と根拠はあるのですが、さし当たって一番分かりやすい話はこれですね。

 ただ、問題はこっちですね。数多くって5件ですか?10件ですか?随分分かりにくい例です。

 これも普通に読めば日本の歴史教育のせいではなくってこの少年が小利口だっただけです。「自虐的」歴史教育を受けていなかったらこの少年が犯罪に走らなかったと本気で思ってるのですか?「日本は昔から立派な国だったから俺は真面目に生きよう」と思うとでも?

 さらにアメリカの少年犯罪激化についても触れていませんね。どうお考えですか?

>  あの2人の対談が問題なのは、イギリスの政治・文化事情を元にして日本を批判し、かつ何らかの提言を行うなどというスタンスを取りながら、ただ「おもしろおかしくこき下ろしている『だけ』」で、ロクな事実検証やマトモな提言ひとつ全く行っていないという点にあるのです。本当に日本を批判し、より良い方向を目指したいと思うのであれば、それなりの説得力を持つ事実・比較検証や提言のひとつぐらい用意するのが筋であって、ただ「おもしろおかしくこき下ろしている『だけ』」では全く話になりません。

 お気に召すかどうかは分かりませんが色々言ってますよ。少なくとも「つくる会」はよくないと。溜め込んだ金の使い方は大英博物館の様にするべきだと。それに説得力を感じるかどうかは人それぞれですが。

>  それともまさか「小説だから許される」ならぬ「対談だから許される」と本気で考えてでもいるのでしょうか? それは小説をナメている以上に評論をバカにしているとしか解釈のしようがないのですけど。

 自分の勝手な仮定に基づいて他人を馬鹿にすることを中傷と呼びます。〜でしょうか?」までは仮定ですが「それは〜、からは中傷ですよね?わかってますか?


>
> <ここで問題なのは、社会党に代わり第二党に成り得る野党が生まれなかったことでしょう。「健全な野党」が存在し得なかったことそのものが重要なのですし、批判の種になるのです。別に社会党に政権をとらせればよかった、なんて趣旨の対談ではないと思います。自民党は派閥争いをしてるのに党を割らなかった、安保で国論がゆれてるときもそういう民意を反映する党が出来なかった。(社会党や共産党はほかの面で反映してませんよね)日本は民度が低い、といわれるのはそれほど的外れでしょうか。個人的にはそう短絡的に考えるべきではないと考えますが反対の意見も愚論だとは思いません。>
>
>  あのですね、旧社会党や共産党というのは今でこそゴミのような弱小勢力にまで落ちぶれて果てていますが、55年体制ができた頃はかなりの勢力を保有していましたし、当時は旧社会党のあまりの強大ぶりに「まもなく自民党と社会党の政権交代が起こるだろう」などという悲観的な予測を立てていた人もいたのですよ。そんな状態で自民党が分裂したら、それこそ旧社会党や共産党の思うがままになっていたのではありませんか? 強大な敵を目の前にして分裂するなど、民意を問う以前の問題です。
>  すくなくとも旧社会党や共産党を背後から動かしていた旧ソ連が滅ぶまでは、旧社会党や共産党などに政権を譲るわけにはいかなかったし、また自民党が内部分裂を起こすわけにもいかなかったのです。また、自民党政権の下で高度経済成長が行われてきたことも、自民党政権が長期化した理由のひとつでもあるでしょう。自分達の生活水準を飛躍的に向上させてくれる政権を国民が支持するのは極めて当然のことです。
>  国民は国内・国外の政治情勢をきちんと考慮した上で「ベストよりベターな選択」を選んで自民党を支持してきたのですよ。それがお分かりになりませんか?

 単なる自分の考えを歴史的事実にしないで下さい。戦前からつながる上層階級に民衆が「お上の考えだから」と無思考無批判に受け入れていた、自民党が農村部に多大な利益誘導をしたため広範な支持を獲得した為、などさまざまな考え方があります。冒険風ライダーさんの仰りようはきわめて楽観的な見方にもとづく一つの考え方に過ぎないのであってそう考えない人を間違っていると断言する事は出来ません。

 本気で国民が理性的な判断をしたため、なんて思いますか?そう思うから言ってるんでしょうが。本当に日本国民の意思が自民党と同じにところにあるのならとっくに自衛隊は無くなってますね。


No. 1145
Re:では反論しますか。
モトラ 2001/11/18 02:09
>  単なる自分の考えを歴史的事実にしないで下さい。戦前からつながる上層階級に民衆が「お上の考えだから」と無思考無批判に受け入れていた、自民党が農村部に多大な利益誘導をしたため広範な支持を獲得した為、などさまざまな考え方があります。冒険風ライダーさんの仰りようはきわめて楽観的な見方にもとづく一つの考え方に過ぎないのであってそう考えない人を間違っていると断言する事は出来ません。
>  本気で国民が理性的な判断をしたため、なんて思いますか?そう思うから言ってるんでしょうが。本当に日本国民の意思が自民党と同じにところにあるのならとっくに自衛隊は無くなってますね。

地方の保守支持の有権者をその程度のレベルだと認識されていらっしゃるのだとしたら、えらく馬鹿にされたものですね。正直腹立たしさを覚えます。地方では逆に、上っ面の耳障りの良い言辞に踊らされる、中央の進歩的な有権者を苦々しく思っている人が多いですよ。


No. 1148
Re1141:いろいろレス
冒険風ライダー 2001/11/18 15:22
<言っていません。どこに明記されていますか?根拠を述べてください。この場合の「富」が芸術作品を買いあさっていた・・・等の人々に向けられている事は明白です。わざわざ富裕階級を例を出していると言う事は、そう読むのが普通でしょう。まぁ、冒険風ライダーさんにはそう読めるのでしょうから仕方が無いですが。少なくとも自分は一読してそうは読めませんでしたがね。>

 ああ、なるほど。「現代日本の富」というのを「日本の資産家・企業家の富」と読んだわけですか。ではひとつ問いたいのですが、一般の日本人が日々働いて稼いでいるカネや預貯金などは「現代日本の富」でないとしたら一体何だと言うのですか?
 彼らだって、ヨウさんが解釈している「日本の資産家・企業家」によって経営されている会社なり法人なりで働いて相応の給料を貰っているわけでしょう。「日本の資産家・企業家」とやらが運営している会社なり法人なりがなければ、その下で働いている人達はカネを稼ぐことができなくなり、彼らがアニメ・マンガなどといった大衆文化を支えることもまた不可能となるのです。彼らの生活も「日本の資産家・企業家」が経営している会社なり法人なりによって保護されているのであり、彼らのなけなしの財産もまた「現代日本の富」なのです。
 そもそも歴史的に見ても、文化というものは強固な経済力の裏付けがなければ決して発展はしないものです。日本の資産家や企業家は戦後日本を飛躍的に経済発展させた最大の功労者です。彼らが一般的な日本人の生活水準を向上させ、経済を発展させなければ、田中芳樹が大好きなアニメ「文化」も、世界に知られるほどに発展することなど決してなかったでしょう。
 それを考えれば、大衆文化を支えている日本の一般消費者の生活を高水準で保証している「日本の資産家・企業家」もまた、日本の文化をすくなくとも間接的には育んでいることになりますし、「現代日本の富は文化を育んでいた」と言えるのではありませんか? 何も高級な芸術作品を育成することだけが「文化」ではないのですよ。



<ま、これはそんな事は無いでしょうな。一つの可能性として言ってみただけです。ただ、世の中にはマンガを文化と認める人と「マンガなんか」と認めない人がいるわけで、認めない人を「醜悪」とののしるほど自分は傲慢じゃないですから。ビートルズの時も然り、そういう人間は単に保守的なだけですからね。>

 この際問題なのは「現代日本の富は文化を育んでいない」などとのたまっていながら「日本のアニメを日本の文化として絶賛している」田中芳樹の節操のない態度と無責任について「だけ」であるということがまるで分かっていませんね。いつ私が「『一貫して』日本のアニメを文化と認めていない人」を「醜悪」だと罵ったというのですか? 「醜悪」という言葉がどこにかかっていたのか、最初の評論を普通に読めば理解してもらえたはずだと思うのですけど。



≪これらの記述のどこをどう読めば「田中芳樹は別に歴史教育はもともと愛国心を植え付けるものだということがわかっていないわけでもないでしょう」などという事実が存在するように読めるのでしょうか?≫
<読めるじゃないですか。そういうもともとのあり方を批判してる文章でしょう?「田中芳樹は、歴史教育はもともと愛国心を植え付けるものだと言う事がわかっていて、そういうあり方を忌み嫌っていた。」て事ですよね。そういう批判自体は悪いものではないはずですが。>
<そこで、アヘン戦争の教科書の段に行くわけですよね。徹底的とは行かないまでも批判してるじゃないですか。>
<おや、そういえばあの段で田中芳樹はほとんどしゃべってませんね。あの文章は土屋氏に対する批判ですか?だとすると話は違ってきてますが。一応、アヘン戦争に対するイギリス教科書批判に田中芳樹も賛同したものとして話を進めると今のところ首尾一貫してますが。>

 何ひとつ事実に基づいていない批判なのですけどね(笑)。
 まあそれはさておき、あれだけわざわざ派手に問題文章を引用してあげたのに、全く主張が動かなかったというのは正直言って愕然としました。そういうもともとのあり方を批判してる文章? 歴史教育はもともと愛国心を植え付けるものだと言う事がわかっていて、そういうあり方を忌み嫌っていた? そんなわけないでしょう。もしそうならば、あの対談で土屋守がイギリスの教育制度だの歴史教育だのについて言及した時、なぜ田中芳樹は「無言の沈黙」などを守っていたのですか? 土屋守はイギリスにおける歴史教育の意義を根本的に誤解していたのですから、友人である田中芳樹はそれを是正してあげても良かったのではないのですか? それをしなかったということは、田中芳樹自身もまた土屋守と全く同じ考え方を持っていたと解釈するしかありますまい。
 それから日本とは比べ物にならないほどの愛国心教育を行っている諸外国の歴史教育を、田中芳樹が全く批判しようとしないというのも変です。しかもあれほどまでにありもしない「日本の右傾化歴史教育」とやらを異常扱いしていたことも合わせると、田中芳樹は諸外国における歴史教育の実態を全く知らないのか、さもなければ日本と外国との評価基準で明らかなダブルスタンダードが存在するかの2つぐらいしか原因が考えられないのですよ。ちなみに私は両方だと思いますけどね。
 本当に田中芳樹が「歴史教育の意義」それ自体について批判するのであれば、諸外国の事例を積極的に引用した上で「こういった教育方針は大きな弊害をもたらす。だから日本だけでなく、世界的にもこの教育方針は変革されなければならない」とでも主張しなければ筋が通らないでしょう。なぜありもしない「日本の右傾化歴史教育」だけが「特殊事例」として扱われ、あれほどまでに罵倒されなければならないのですか?



<だから、そんな事<趣意書>には載せないと思いますが。あんなタテマエまともに信じていたらきりが無いですよ。<趣意書>とやらに「憎き韓国、中国更には国内の半日主義者のバカどもの口を塞がせる為に我らが日本は・・・」なんて書くわけ無いじゃないですか。それに、子供達に分かりやすいように今までとは違う物語性の強い教科書を作った。って本人達が言ってますよ。「結果として面白くなってしまった」?元々単なるドイツ文学者である西尾氏率いる一派がそんな事本気で言っているとは思えませんね。教科書採択のための武器の一つでしょう。それはそれで良いと思うんですけど。>

 ならばあなたは「田中芳樹を撃つ!」トップページの緒言およびFAQに書かれている「田中芳樹批判の目的(「ファンの意識に楔を打ち込む」や「存続理由の消滅による自己否定」など)」が所詮は建前に過ぎず、そんなものは全く信用するに値しないと考えてでもいるわけですか? 私を含めた「田中芳樹を撃つ!」の常連や管理人さんも「『田中芳樹を撃つ!』は面白い」と明言することはよくありますし、たまに訪れる新規参入者の方々からも「このサイトは面白い」とお褒めの言葉を述べていただいていることがあります。では「田中芳樹を撃つ!」HPの真の目的は「内容を面白くすること」であり、緒言およびFAQに書かれている「建前」などは、トップページを飾り立てるための「単なる道具」に過ぎず、何ら信頼に値するものなどではないということにでもなるのですか?
 違うでしょう。逆に「内容を面白くすること」の方が「田中芳樹批判の目的」を遂行するための道具であるに過ぎないのです。だから目的のために「結果として」内容が面白くなることはあっても、面白くすること自体は目的ではないし、もし「内容を面白くすること」によって「田中芳樹批判の目的」が却って妨げられるようなことがあるのであれば、目的遂行のための副産物に過ぎない「面白さ」などは捨てられて然るべきなのです。だからこそ管理人さんは「田中芳樹批判の目的が達成されたらHPは閉鎖する」と公言しているわけでしょう。
 「つくる会」の目的もこれと同じでして、「内容を面白くすること」があくまでも「結果」であって「目的」ではないというのはそういうことなのです。政治運動は本来「運動の消滅」を最終目的に据えるものなのであって、それ以外の運動内容など最終目的を遂行するための「単なる道具」であるに過ぎないのです。これだけ言ってもまだお分かりいただけませんか?



<・・・これこそ「歪曲」に見えるのですが。ここだけ正確に出典を書いてくれないのも何故なのでしょう。「大英博物館に諸外国からの掠奪品を大切に保存・展示して一般に無料公開することは、他の植民地保有国に比べるとまだましである」「他の帝国主義国家と違い新聞が堂々と王室の悪口を書きたてているような国であるから、世界を支配出来たのであろう」と言う趣旨だったと記憶してるのですが。全然意味が違うかと。>

 言っておきますけど、私はあなたが調べる手間を省くための「創竜伝関連記述専門の人間辞書」などではありません。タナウツページの中に関連議論があるのですから、自分で調べてみたらいかがですか? 過去に私が創竜伝のイギリス礼賛論を批判した個所といえば、最初の評論でも明言していたように「私の創竜伝考察32」しかないはずなのですけど。
 どうやら、私がせっかく作成した考察シリーズの評論群は何ひとつ読んでいただけなかったようですね(T_T)。イギリス礼賛論批判って一コンテンツとして成立しているから、引用の必要はないと考えてあえて省略したのですけど。



<ただ、問題はこっちですね。数多くって5件ですか?10件ですか?随分分かりにくい例です。
 これも普通に読めば日本の歴史教育のせいではなくってこの少年が小利口だっただけです。「自虐的」歴史教育を受けていなかったらこの少年が犯罪に走らなかったと本気で思ってるのですか?「日本は昔から立派な国だったから俺は真面目に生きよう」と思うとでも?>

 すくなくとも、警察の事情聴取の場であんなふざけた詭弁で居直るということはなかったでしょうね。まあ私が言いたかったことはそんな小さなことではなく、警察の事情聴取という場で、あんな詭弁を使った少年が居直れることがどんなことを意味するのかについてなんですよね。
 あんな詭弁を、罪を犯して捕まった少年が警察の事情聴取という場で使って居直れるという環境は、それ自体が日本の「自虐的」歴史教育がもたらした弊害であり、またこの種の詭弁法が日本の「自虐的」歴史教育を学ぶ多くの少年達に、多かれ少なかれ受け入れられているということを意味するのです。そしてこの考え方によって、歴史教育を受けた子供が「自分達の祖先は人殺しだったのだ」と考え、そんな「恥ずかしい祖先」を持つ自分を恥じ入った挙句、開き直って犯罪に走ったり、そこまでいかなくても自分を取り巻く社会や環境を憎悪し、著しく反社会的・反抗的になる事例も決して少なくはないのです。それが今の学校現場を荒廃させ、少年犯罪を激増させている何よりの原因でしょう。
 私が取り上げた事例は「自虐的歴史教育の弊害」がもたらした一現象であり、象徴でもあるのです。だからこそ私はあの事例を取り上げたのですけど、これでお分かりいただけましたか?



<さらにアメリカの少年犯罪激化についても触れていませんね。どうお考えですか?>

 何であなたが勝手に出してきた話題に私が絶対に応じなければならないと考えられるのでしょうかね? 私が提言した話題とはあまり関係のない枝的に発生した話題にまで、私がいちいち応じなければならない義理も義務もないのですが。
 まあそれだけで終わるのも何ですから一度だけ言及しておきますと、アメリカの少年犯罪は激化どころかむしろ減少傾向にありますよ。1975年頃のアメリカにおける少年犯罪検挙人員数は約80万人前後なのに対して、1996年は60万人前後にまで下がっています。右肩上がりの日本とは大違いですね。
 アメリカの少年犯罪が減少したのは、少年厳罰化がかなりの効果を発揮しているようですが。



≪それともまさか「小説だから許される」ならぬ「対談だから許される」と本気で考えてでもいるのでしょうか? それは小説をナメている以上に評論をバカにしているとしか解釈のしようがないのですけど。≫
<自分の勝手な仮定に基づいて他人を馬鹿にすることを中傷と呼びます。〜でしょうか?」までは仮定ですが「それは〜、からは中傷ですよね?わかってますか?>

 ↓これ、おたくが書いたのではありませんでしたっけ?

<おもしろおかしくこき下ろしてます。それでいいのでは?議論ではなく、対談ですし。>

 こんなことを言われたものですから、「『小説だから許される』ならぬ『対談だから許される』と本気で考えてでもいるのでしょうか?」と質問した上で、「『対談だから許される』という考え方」が「小説をナメている以上に評論をバカにしているとしか解釈のしようがない『姿勢』」であると私は述べていたのですけど、それで激怒したということは、「対談だから許される」こそがあなたの考え方であると解釈してよろしいのですね?
 ちなみに「対談だから許される」が「小説だから許される」と並べられている意味を、まさか理解できないわけではありますまい。ヨウさんがタナウツの過去ログを一通り閲読しているのであればの話ですが。



<単なる自分の考えを歴史的事実にしないで下さい。戦前からつながる上層階級に民衆が「お上の考えだから」と無思考無批判に受け入れていた、自民党が農村部に多大な利益誘導をしたため広範な支持を獲得した為、などさまざまな考え方があります。冒険風ライダーさんの仰りようはきわめて楽観的な見方にもとづく一つの考え方に過ぎないのであってそう考えない人を間違っていると断言する事は出来ません。
 本気で国民が理性的な判断をしたため、なんて思いますか?そう思うから言ってるんでしょうが。本当に日本国民の意思が自民党と同じにところにあるのならとっくに自衛隊は無くなってますね。>

 はっきり言ってあげましょうか? 国民が賢明で理性的な判断をしたからこそ、自民党の長期政権とその下における奇跡的な高度経済成長は成し遂げられたと私は本気で考えています。政治的結果自体がそれを証明しているでしょう? 何度も言っていますけど、政治責任は結果が全てなのですよ。
 それと「民度」の高低を測る基準としてもうひとつ重要なものがあります。それは「救世主待望思想が国民の間でどれほどまでに信奉されているか」です。救世主待望思想が跳梁跋扈している国民からは、政治に関する批判の声など全く聞こえてきませんし、国民が政治に対して何らかの要求を行うなどということも起こりえません。何しろ、全ての政治責任を救世主に投げ売ってしまっているわけですから、そんなことが起こりえるはずがないのです。
 しかし戦後の日本はどうか? おそらく人類史上かつてなかったほどに「民度」の水準は高いのではありませんか? 誰も救世主の出現を待望してなどいないし、(的外れなものも多いにせよ)政治批判は毎日のように行われ、国民からの政治要望は数え切れないほどに存在します。そして国民から行われる政治批判および政治要望に、とにもかくにも答えることができるのが、現実問題として自民党しかなかったからこそ、国民は自主的な判断と利益に基づいて常に自民党を選択してきたのです。
 国民というものは極めて現実的かつ功利的にものを考える存在です。そんな国民が、現実問題を処理できず、自分達に利益をもたらさない政党など支持するわけがないでしょう。そして私は、そのように考える国民こそが賢明かつ理性的に判断できる国民であると考えています。
 ただ単に「政権交代が行われれば良い」という理想論を唱えるだけで、現実的な観点が全く存在しないあの2人の愚かしい考え方を、すくなくとも私は全く支持する気にはなれませんし、日本の国民の政治参加意識を「日本では政治批判が全く行われていない」などという虚構の前提を元にして誹謗中傷しているという点で「致命的に間違っている」と思いますけどね。


No. 1156
Re:Re1141:いろいろレス
ヨウ 2001/11/20 01:06
こんばんわ。度々失礼します。

>  ああ、なるほど。「現代日本の富」というのを「日本の資産家・企業家の富」と読んだわけですか。ではひとつ問いたいのですが、一般の日本人が日々働いて稼いでいるカネや預貯金などは「現代日本の富」でないとしたら一体何だと言うのですか?
>  彼らだって、ヨウさんが解釈している「日本の資産家・企業家」によって経営されている会社なり法人なりで働いて相応の給料を貰っているわけでしょう。「日本の資産家・企業家」とやらが運営している会社なり法人なりがなければ、その下で働いている人達はカネを稼ぐことができなくなり、彼らがアニメ・マンガなどといった大衆文化を支えることもまた不可能となるのです。彼らの生活も「日本の資産家・企業家」が経営している会社なり法人なりによって保護されているのであり、彼らのなけなしの財産もまた「現代日本の富」なのです。

 一般論としてはそうでしょうな。ただ、この場合(文脈)の「現代社会の富」が問題なのです。共産主義的思想を持つ田中芳樹が社会の末端で日々働く人々の生活費、小遣いを「富」と呼ぶとは考えにくいですな。
 何の本かは忘れましたが田中芳樹は手塚治虫の死にあたって彼を「戦後最大のクリエイター」と絶賛し,それに報いなかったとして日本政府を非難していました。その事を念頭におき、「本来」という言葉に注目して
<本来、富は文化を育成するのに欠かせないものである。大富豪メジチ一族の生んだルネサンス文化。足利義満が育てた室町文化。文化とは巨大な富を注ぎこむパトロンなくしては誕生しえないものだ。>

と言う文章を読むと「田中芳樹は大好きなアニメ・マンガを育成しなかった日本の富(この場合の「富」に末端の人々の財産は含みません。室町文化を育てたのは農民である、という趣旨ではないはずです)の所有者、上層階級それに政府を、パトロンになろうとしなかった、つまり 『本来』あるべき健全な姿とは程遠い、という理由で嫌っている。」と言う風に読めるわけです。
 というわけで巨大な富を注ぎ込まれる事無く文化が成長した日本は異常である。という結論に達する事が出来る訳ですな。勿論、文化自体に罪は無いです。異常なのは資産家のほうでしょう。

>  そもそも歴史的に見ても、文化というものは強固な経済力の裏付けがなければ決して発展はしないものです。日本の資産家や企業家は戦後日本を飛躍的に経済発展させた最大の功労者です。彼らが一般的な日本人の生活水準を向上させ、経済を発展させなければ、田中芳樹が大好きなアニメ「文化」も、世界に知られるほどに発展することなど決してなかったでしょう。
>  それを考えれば、大衆文化を支えている日本の一般消費者の生活を高水準で保証している「日本の資産家・企業家」もまた、日本の文化をすくなくとも間接的には育んでいることになりますし、「現代日本の富は文化を育んでいた」と言えるのではありませんか? 何も高級な芸術作品を育成することだけが「文化」ではないのですよ。

 なんとも常識的なご意見、ごもっともです。ただこの場合重要なのは「間接的に育んだ」ということであって「積極的には育んでない」と言う事です。「パトロンとなる〜」は「積極的」と同義ですから、前にも書いたとおり日本のマンガ文化は「勝手に育った」だけ(これがつまり、間接的に育んだということです)であって企業や資産家がパトロンになったわけではないということですね。

 以上のような理由で田中芳樹の発言が読めるようになったと思うのですが。それでも「そんな風には読めない!」と仰るのならまぁ、それは人それぞれ。少なくとも「こう言う読み方もできる」と言う事が分かって頂けたのでそれでいいのですが。

>  ああ、なるほど。「現代日本の富」というのを「日本の資産家・企業家の富」と読んだわけですか。

↑これは、今まではそういう読み方を出来なかったけど、そう読む人もいるんだな、ということをわかったという理解のあらわれの発言ですよね?


>いつ私が「『一貫して』日本のアニメを文化と認めていない人」を「醜悪」だと罵ったというのですか? 「醜悪」という言葉がどこにかかっていたのか、最初の評論を普通に読めば理解してもらえたはずだと思うのですけど。

 いや、罵ってませんね。すいません、出した例が悪すぎました。そういう風に「読めて」しまったもので。


>  何ひとつ事実に基づいていない批判なのですけどね(笑)。

 こう言うのが問題だと思うんですよね。どこら辺がどういう風に事実に基づいてないのでしょう?これは事実も誤認じゃなくて解釈の相違だろっていうのは無しにして。

>  まあそれはさておき、あれだけわざわざ派手に問題文章を引用してあげたのに、全く主張が動かなかったというのは正直言って愕然としました。そういうもともとのあり方を批判してる文章? 歴史教育はもともと愛国心を植え付けるものだと言う事がわかっていて、そういうあり方を忌み嫌っていた? そんなわけないでしょう。もしそうならば、あの対談で土屋守がイギリスの教育制度だの歴史教育だのについて言及した時、なぜ田中芳樹は「無言の沈黙」などを守っていたのですか? 土屋守はイギリスにおける歴史教育の意義を根本的に誤解していたのですから、友人である田中芳樹はそれを是正してあげても良かったのではないのですか? それをしなかったということは、田中芳樹自身もまた土屋守と全く同じ考え方を持っていたと解釈するしかありますまい。

 とりあえず田中芳樹と土屋守の意見が同じである、という前提で話を進めたいと思います。その上で問題なのはあなたの言う「田中芳樹の歴史教育についての根本的誤解」が何をさすのかよくわからないのですが

>イギリスにおける歴史教育の意義

についてですね。土屋守はイギリスの侵略の歴史を国民に教えないといけない!と言っていて、田中芳樹はそれに同調した。それを冒険風ライダーさんは、歴史教育の意義は(イギリスに限らず)愛国心を植え付けるのが目的だからそんな事教えるわけがない、だから田中芳樹は歴史教育の意義が分かっていない、といったところでしょうか。これが違ってたら後の文章が意味をなさないので恥ずかしいのですが。

 で、これを元にして話を進めますと、歴史教育の意義そのものを考え直す時代にきている、ということです。国民国家成立当初の国家目的である「愛国心を養うために自国のやましい部分はなるたけ見せないようにする」という歴史教育はこの時代にはそぐわないのではないか、と田中芳樹(に限りませんが)は思っているわけです。冒険風ライダーさんの中では「歴史教育の意義は愛国心育成にあるのだから、それにそぐわない歴史教育は本末転倒である」ということになってるのですよね?ですから田中芳樹らはイギリスの歴史教育を批判したのです。いつまでも国民国家形式でいいのか、と。個人的な意見を言わせて貰えば日本の現代の教科書は偏りすぎですが中国共産党の行ってるような宣伝洗脳歴史教育が正しいとは思えません。そしてイギリスを含むほかの国々の歴史教育は中国の歴史教育を薄めたような教育を行っているのですから批判の対象になる訳ですね。

>  それから日本とは比べ物にならないほどの愛国心教育を行っている諸外国の歴史教育を、田中芳樹が全く批判しようとしないというのも変です。しかもあれほどまでにありもしない「日本の右傾化歴史教育」とやらを異常扱いしていたことも合わせると、田中芳樹は諸外国における歴史教育の実態を全く知らないのか、さもなければ日本と外国との評価基準で明らかなダブルスタンダードが存在するかの2つぐらいしか原因が考えられないのですよ。ちなみに私は両方だと思いますけどね。
>  本当に田中芳樹が「歴史教育の意義」それ自体について批判するのであれば、諸外国の事例を積極的に引用した上で「こういった教育方針は大きな弊害をもたらす。だから日本だけでなく、世界的にもこの教育方針は変革されなければならない」とでも主張しなければ筋が通らないでしょう。なぜありもしない「日本の右傾化歴史教育」だけが「特殊事例」として扱われ、あれほどまでに罵倒されなければならないのですか?

 ここら辺の意見は一緒なので概ね問題は無いです。これは彼に限らず左翼一般に言える事ですが。ただ、イギリスについては批判をしていますよね。「アヘン戦争の侵略戦争の実態を教えろ」と。これについては筋が通っています。

>「こういった教育方針は大きな弊害をもたらす。だから日本だけでなく、世界的にもこの教育方針は変革されなければならない」とでも

 主張すれば筋が通るのですよね?問題なのはこの一点。決して歴史教育の「もともとの」意義がわかっていないわけではない、と。

 再度一つ言いたいのですが「歴史教育とは愛国心を植え付けるためのものである」というのは永遠不変の真理ではありませんよ。これまで諸外国でそうであり、戦前までの日本がそうであった、というだけであって。そう考えない人を愚か者呼ばわりするような内容ではないです。植え付けるか、植え付けるべきでないか、どれくらいに留めるか、それをともに考えていけばいいのです。お互いが「あいつらは日本の歴史教育のことを本気で憂いていない」と思ってるのが問題なのですよ。どちらも憂いているのです。方法論が違うだけなのですから。

 何か、以前書いたことの繰り返しになってしまいました。

>  ならばあなたは「田中芳樹を撃つ!」トップページの緒言およびFAQに書かれている「田中芳樹批判の目的(「ファンの意識に楔を打ち込む」や「存続理由の消滅による自己否定」など)」が所詮は建前に過ぎず、そんなものは全く信用するに値しないと考えてでもいるわけですか? 私を含めた「田中芳樹を撃つ!」の常連や管理人さんも「『田中芳樹を撃つ!』は面白い」と明言することはよくありますし、たまに訪れる新規参入者の方々からも「このサイトは面白い」とお褒めの言葉を述べていただいていることがあります。では「田中芳樹を撃つ!」HPの真の目的は「内容を面白くすること」であり、緒言およびFAQに書かれている「建前」などは、トップページを飾り立てるための「単なる道具」に過ぎず、何ら信頼に値するものなどではないということにでもなるのですか?
>  違うでしょう。逆に「内容を面白くすること」の方が「田中芳樹批判の目的」を遂行するための道具であるに過ぎないのです。だから目的のために「結果として」内容が面白くなることはあっても、面白くすること自体は目的ではないし、もし「内容を面白くすること」によって「田中芳樹批判の目的」が却って妨げられるようなことがあるのであれば、目的遂行のための副産物に過ぎない「面白さ」などは捨てられて然るべきなのです。だからこそ管理人さんは「田中芳樹批判の目的が達成されたらHPは閉鎖する」と公言しているわけでしょう。
>  「つくる会」の目的もこれと同じでして、「内容を面白くすること」があくまでも「結果」であって「目的」ではないというのはそういうことなのです。政治運動は本来「運動の消滅」を最終目的に据えるものなのであって、それ以外の運動内容など最終目的を遂行するための「単なる道具」であるに過ぎないのです。これだけ言ってもまだお分かりいただけませんか?

 自分はこのサイトの緒言の批判をしたつもりは全く無いのですが。そういうすり替えは悲しくなりますね。逆に伺いますが共産中国では憲法上「すべての権力は人民に属す」(二条一)ことになっており、「人民が国家権力を行使する機関は全国人民代表大会及び地方各級人民代表大会である」とされている(二条二)。それら人民代表大会は「すべて民主的選挙によって選出される」(三条二)とあり、一応は選挙で選ばれたという、今回の(二〇〇三年まで)任期五年の全国人民代表約三千人によって構成されている会議です。

 本当に中国がこのような憲法に基づいた国家だと思いますか?思いませんよね?建前を信じるかどうかはその相手とその内容によるのです。冒険風ライダーさんは「つくる会」のタテマエを信じる事が出来るが、自分は出来ません。ただそれだけの事です。

 さすがに最初から「面白さ」を目的としていたとは思えません。ただ、「つくる会」は教科書の売り込みのために面白さを強調しすぎて「手段の目的化」を起こしているように見えます。つくる会に対する批判として面白さを取り上げるのがそう的外れだとは思えなかったのですよ。
 つくる会の存在意義は小さくないと思いますが、長い左偏向一辺倒の後で現れた最初の右(狂信的国家主義者は除く)ですからね。荒削りなのは当たり前です。変に美辞麗句で飾らず「中国憎し。なんでおまえらにそんなこと言われなきゃならない」をエネルギーにするだけでいいと思うのですが。(そんな組織じゃない!っていわれそうですがね)


>  言っておきますけど、私はあなたが調べる手間を省くための「創竜伝関連記述専門の人間辞書」などではありません。タナウツページの中に関連議論があるのですから、自分で調べてみたらいかがですか? 過去に私が創竜伝のイギリス礼賛論を批判した個所といえば、最初の評論でも明言していたように「私の創竜伝考察32」しかないはずなのですけど。
>  どうやら、私がせっかく作成した考察シリーズの評論群は何ひとつ読んでいただけなかったようですね(T_T)。イギリス礼賛論批判って一コンテンツとして成立しているから、引用の必要はないと考えてあえて省略したのですけど。

 別に調べてくれと頼んだわけではないのですがね。特に反論もないようなので、「大英博物館に諸外国からの掠奪品を大切に保存・展示して一般に無料公開することは、他の植民地保有国に比べるとまだましである」「他の帝国主義国家と違い新聞が堂々と王室の悪口を書きたてているような国であるから、世界を支配出来たのであろう」と言う趣旨で、いいのでしょうか。「完全に免罪される」とか「世界を支配するべきである」なんてどこに根拠があるのか全くわかりませんが。「同じ様な事をした挙句、略奪品を売り払うないしは隠してしまう」あるいは「言論の自由も封殺される」よりははるかにましな国家である、という文章にしか見えませんが。
 明確な根拠がないと説得される事が出来ないのですよ。

> <ただ、問題はこっちですね。数多くって5件ですか?10件ですか?随分分かりにくい例です。
>  これも普通に読めば日本の歴史教育のせいではなくってこの少年が小利口だっただけです。「自虐的」歴史教育を受けていなかったらこの少年が犯罪に走らなかったと本気で思ってるのですか?「日本は昔から立派な国だったから俺は真面目に生きよう」と思うとでも?>
>
>  すくなくとも、警察の事情聴取の場であんなふざけた詭弁で居直るということはなかったでしょうね。まあ私が言いたかったことはそんな小さなことではなく、警察の事情聴取という場で、あんな詭弁を使った少年が居直れることがどんなことを意味するのかについてなんですよね。
>  あんな詭弁を、罪を犯して捕まった少年が警察の事情聴取という場で使って居直れるという環境は、それ自体が日本の「自虐的」歴史教育がもたらした弊害であり、またこの種の詭弁法が日本の「自虐的」歴史教育を学ぶ多くの少年達に、多かれ少なかれ受け入れられているということを意味するのです。そしてこの考え方によって、歴史教育を受けた子供が「自分達の祖先は人殺しだったのだ」と考え、そんな「恥ずかしい祖先」を持つ自分を恥じ入った挙句、開き直って犯罪に走ったり、そこまでいかなくても自分を取り巻く社会や環境を憎悪し、著しく反社会的・反抗的になる事例も決して少なくはないのです。それが今の学校現場を荒廃させ、少年犯罪を激増させている何よりの原因でしょう。
>  私が取り上げた事例は「自虐的歴史教育の弊害」がもたらした一現象であり、象徴でもあるのです。だからこそ私はあの事例を取り上げたのですけど、これでお分かりいただけましたか?

 これに関しては言葉も見つかりません。本気で信じていらっしゃるのですか、そうですか・・・
 あの例に関しては開き直り、居直りの動機でそれ以上でもそれ以下でもないのですが。間違っても犯罪の動機ではないでしょう。

 何度も言いますが根拠としての数字は無いのですか?「少なくない」とはどれ位なのでしょう?昨日今日自虐的教育になったわけではないのですがそれについては?「自分の祖先を恥じ入る」→「犯罪に走る」の関連がさっぱりです。(あの例はだめですよ。開き直りの理由ですから)「自分の祖先を誇る」→「在日外国人に対する犯罪」のほうがよっぽどわかりやすいのですが。

 それでも少年犯罪を犯した少年に愛国教育を施していれば犯罪には走らなかった。と「信じている」以上、何を言っても物別れに終わりますかね。まぁ、100%とはいかないまでも99%以上何も関係ないでしょう。彼らの犯罪目的の半分以上が「利得」ですからね。


>  何であなたが勝手に出してきた話題に私が絶対に応じなければならないと考えられるのでしょうかね? 私が提言した話題とはあまり関係のない枝的に発生した話題にまで、私がいちいち応じなければならない義理も義務もないのですが。

 ・・・そんなに逆上されるような事を聞きましたかねぇ。あれは「ならば愛国教育を行っているアメリカはどうか」というそれなりに関係ある話題なのですが。義理も義務も無いと言えばそれまでですが、政治家じゃあるまいしそんな事を言ってる人の言に説得力が伴うとは思えませんよ。

>  まあそれだけで終わるのも何ですから一度だけ言及しておきますと、アメリカの少年犯罪は激化どころかむしろ減少傾向にありますよ。1975年頃のアメリカにおける少年犯罪検挙人員数は約80万人前後なのに対して、1996年は60万人前後にまで下がっています。右肩上がりの日本とは大違いですね。
>  アメリカの少年犯罪が減少したのは、少年厳罰化がかなりの効果を発揮しているようですが。

 分かってらっしゃるじゃないですか。そうです。アメリカの少年犯罪が減少したのは愛国教育のせいなんかじゃなく少年厳罰化のおかげです。アメリカ建国以来行われてきた愛国教育と少年犯罪が何の関係も無い事が明らかになりましたよ。

>
>
>
> ≪それともまさか「小説だから許される」ならぬ「対談だから許される」と本気で考えてでもいるのでしょうか? それは小説をナメている以上に評論をバカにしているとしか解釈のしようがないのですけど。≫
> <自分の勝手な仮定に基づいて他人を馬鹿にすることを中傷と呼びます。〜でしょうか?」までは仮定ですが「それは〜、からは中傷ですよね?わかってますか?>
>
>  ↓これ、おたくが書いたのではありませんでしたっけ?
>
> <おもしろおかしくこき下ろしてます。それでいいのでは?議論ではなく、対談ですし。>
>
>  こんなことを言われたものですから、「『小説だから許される』ならぬ『対談だから許される』と本気で考えてでもいるのでしょうか?」と質問した上で、「『対談だから許される』という考え方」が「小説をナメている以上に評論をバカにしているとしか解釈のしようがない『姿勢』」であると私は述べていたのですけど、それで激怒したということは、「対談だから許される」こそがあなたの考え方であると解釈してよろしいのですね?


 ???意味がよく分かりませんが。「対談だから許される」という解釈が冒険風ライダーさん個人の仮定であるからそんな仮定に基づき誰かを悪く言うのは中傷である、と言ったのですが。ちなみに自分のスタンスとしては、改まった議論の場ならともかく親しい人間との対談の場で政治を面白おかしくこき下ろす事くらい構わないのでは?特定の個人を中傷しているわけではなしに。というスタンスですが。「だけ」ではないんじゃないかという疑問は既に提示したはずですが。さては読んでいないので?

 ちなみにあの文章で激怒した、ととらえられると非常にやりにくいですね。あれくらいで激怒なら、冒険風ライダーさんは最初から逆上しっぱなし(特につくる会関連)のような気もしますが。そんなことはないでしょう?

>  ちなみに「対談だから許される」が「小説だから許される」と並べられている意味を、まさか理解できないわけではありますまい。ヨウさんがタナウツの過去ログを一通り閲読しているのであればの話ですが。

 でましたね、過去ログ。一通り、がどの程度を指すのか判断が難しいですがこれくらいの意味はわかりますから安心してください。

>  はっきり言ってあげましょうか? 国民が賢明で理性的な判断をしたからこそ、自民党の長期政権とその下における奇跡的な高度経済成長は成し遂げられたと私は本気で考えています。政治的結果自体がそれを証明しているでしょう? 何度も言っていますけど、政治責任は結果が全てなのですよ。
>  それと「民度」の高低を測る基準としてもうひとつ重要なものがあります。それは「救世主待望思想が国民の間でどれほどまでに信奉されているか」です。救世主待望思想が跳梁跋扈している国民からは、政治に関する批判の声など全く聞こえてきませんし、国民が政治に対して何らかの要求を行うなどということも起こりえません。何しろ、全ての政治責任を救世主に投げ売ってしまっているわけですから、そんなことが起こりえるはずがないのです。
>  しかし戦後の日本はどうか? おそらく人類史上かつてなかったほどに「民度」の水準は高いのではありませんか? 誰も救世主の出現を待望してなどいないし、(的外れなものも多いにせよ)政治批判は毎日のように行われ、国民からの政治要望は数え切れないほどに存在します。そして国民から行われる政治批判および政治要望に、とにもかくにも答えることができるのが、現実問題として自民党しかなかったからこそ、国民は自主的な判断と利益に基づいて常に自民党を選択してきたのです。
>  国民というものは極めて現実的かつ功利的にものを考える存在です。そんな国民が、現実問題を処理できず、自分達に利益をもたらさない政党など支持するわけがないでしょう。そして私は、そのように考える国民こそが賢明かつ理性的に判断できる国民であると考えています。


 これまた、信じていらっしゃるようで。別に信じるのは勝手なんですが、それを歴史的事実と混同されると非常に困ります。あなたの意見が賢くて、反対する人は愚かなのでしょうか?

 救世主待望云々の話、どこが情報源なのかはよく分かりませんが、現首相小泉純一郎はそれに乗っかったと見えるのですが・・・彼への熱狂的支持はまさにその類いの支持では?そうは見ない人もいるでしょうがそうも見えるでしょう。
 この文章に関しては別に批判はしません。そういう見方もあるんですか、でも投票率を考えるとどうでしょう?くらいにしか思いません。

>  ただ単に「政権交代が行われれば良い」という理想論を唱えるだけで、現実的な観点が全く存在しないあの2人の愚かしい考え方を、すくなくとも私は全く支持する気にはなれませんし、日本の国民の政治参加意識を「日本では政治批判が全く行われていない」などという虚構の前提を元にして誹謗中傷しているという点で「致命的に間違っている」と思いますけどね。

 無理に指示することも無いのですが、単に「政権交代が行われればよい」という理想論?彼らはそれ「も」あるから民度が低い、といって例をあげているだけでそれのみを語ってるのではないでしょう?

 >日本の国民の政治参加意識を「日本では政治批判が全く行われていない」などという虚構の前提

 これも根拠がよく分かりません。日本では誰もが政治に無関心、というくだりからの推論でしょうか。あれは単なる比喩的表現でしょう。できれば根拠を明示して頂けると嬉しいのですが。


No. 1157
Re:では反論しますか。
ヨウ 2001/11/20 01:14
 始めまして。怒らせるつもりは無かったのですが、そういう考え方もある、ということで多めに見てくれると嬉しいのですが。

> 地方の保守支持の有権者をその程度のレベルだと認識されていらっしゃるのだとしたら、えらく馬鹿にされたものですね。正直腹立たしさを覚えます。地方では逆に、上っ面の耳障りの良い言辞に踊らされる、中央の進歩的な有権者を苦々しく思っている人が多いですよ。

 そうでしょうね。別に都市の代表者になったなんてつもりはないので、馬鹿にしてるつもりは無いのですが、「中央の進歩的有権者」に関してもその通りでしょう。個人的には両方ですね。


No. 1168
Re:では反論しますか。
ヨウ 2001/11/20 01:14
 すいませんが私事が立て込んでおりまして明日以降しばらくレスが出来ないかもしれません。読むことは出来るかもしれませんが、ここで議論をするのは自分にとってなかなか労力と時間を必要とする事なのです。

 こちらから話題を持ちかけながら非礼極まりないと思います。申し訳ありません。決して放棄するわけではありませんので。

 そこで、今のうちにこちらのスタンスをはっきりさせておきたいと思います。

 まず、冒険風ライダーさんは田中芳樹を批判する時、この文章はこうとしか読めない、明らかにこう読める、ということを多く前提にしていますよね。ところが、本当にそうとしか読めないのか、という疑問をぶつけてみたのです。多くの場合すれ違ってますが、自分としては普通にそう読めた部分が多いので、そうでない読み方をしてる冒険風ライダーさんに、それを唯一の解釈とするのはちょっと待って欲しい、と思うのです。そしてその根拠も述べてきました。冒険風ライダーさんは納得されないかもしれませんがそういう見方もあるんだということを知って欲しかったのです。

 次に、主にここでは55年体制についての部分だと思うのですが、歴史的にさまざまな見方がある、評価が確定していない事を冒険風ライダーさんの考えがあたかも歴史的事実のようにして田中芳樹を批判していたのが気になりました。
 国民が積極的に展望を持って自民を支持していたのか、諦観と共に支持していたのかは評価が難しいところです。きっとこれからも議論は百出すると思います。そして、田中芳樹は諦観の意見を元に論を展開していたので、ああいう考えになったのでしょう。そして諦観の意見が前提にあればあの考えは普通の考えでしょう。
 歴史解釈の統一化は不可能です。「国民が展望を持っていた」として、田中芳樹に、何故そう考えない、考えない奴はおかしい、と非難するのではヒステリックに歴史解釈の統一を求める某国民の一部と変わらないのではないでしょうか。
 これは単に田中芳樹と意見が違うだけなのだな、と思ったのででしゃばりました。

 それでは、失礼します。


No. 1169
Re:アニメ・マンガ関連への雑感
平松重之 2001/11/22 01:20
> 創竜伝7巻 P128下段〜P129上段
> <本来、富は文化を育成するのに欠かせないものである。大富豪メジチ一族の生んだルネサンス文化。足利義満が育てた室町文化。文化とは巨大な富を注ぎこむパトロンなくしては誕生しえないものだ。だが現代日本の富は文化を育まなかった。無名の画家を育成し、そのなかから新たな才能を発掘するというのではなく、すでに世界的な名声をえた大家の作品を買いあさり、独占し、一般に公開しようとしない。他国が生み育てた才能の結実を、金銭でわがものにしてしまう。発掘や育成というリスクを負わず、よい結果だけを横取りしてしまうような姿勢が他国の反発を買うのだ。>

 この文章は「現代日本の富」という言葉が曲者ですね。これを冒険風ライダーさんは「全ての日本人の全体的な富」、ヨウさんは「企業・資産家・日本政府が有している偏在的な富」と各々解釈なさっている訳ですが、前の文章にメディチ一族や足利義満と言った栄華を誇った王侯貴族を引き合いに出し、後の文章で「金ずくで他国の文化を買いあさっている」などと書いている以上、田中芳樹氏の意図としてはヨウさんの解釈の方が正しいのではないかと思います。「庶民は犠牲者、企業・政府は悪党」というのは創竜伝における基本的な論調ですし(例としては、「日本の庶民は世界で二十位以下の貧しい購買力しか持っていない」「日本の庶民が欲しがっているのは六畳間をもう一つだけ」「日本製のカメラはアメリカでは安いのに日本では高い。日本の企業は日本の消費者を馬鹿にしている」など)。
 まあ、この場合は「現代日本の富」という語をそのまま読めば「全ての日本人の全体的な富」と解釈してしまうのは当然だと思います。「現代日本の富」という様な誤解を招く創竜伝の言い回し自体に問題があるのではないかと。

>ヨウさん

<もうひとつ、言っておきたいのは日本のアニメ・マンガ文化は日本の富によって育まれたのではなく、自発的に(言うなれば勝手に)育ってきた、文化のほうが富を利用しただけ、ということです。別に日本で芸術品を買いあさっていた人々がメディチや足利義満のようにこれらを育んだ訳ではまったくありません。手塚治虫の作品を買い上げたわけでもありません。政府がパトロンになったわけでもありません。日本政府がつぶれても日本の大企業が消えてなくなってもマンガ・アニメには何の影響もないでしょう。田中芳樹の発言にはそういった一貫性が見て取れるのですが。少なくとも「醜悪」とまで言われなければいけない筋合いはどこにもないでしょう。>

 うーん、「日本政府がつぶれても日本の大企業が消えてなくなってもマンガ・アニメには何の影響もない」というのはどうでしょうか。仮に現在の日本政府が潰れたとして、後に成立した政府がアニメ・マンガを弾圧しないという保証はありませんし、大企業が消えてなくなれば、多くのアニメ会社や出版社はスポンサーや広告主を失ってかなりの打撃を受けるのではないかと。

<何の本かは忘れましたが田中芳樹は手塚治虫の死にあたって彼を「戦後最大のクリエイター」と絶賛し,それに報いなかったとして日本政府を非難していました。>

アルスラーン戦記第五巻(角川文庫)P250

*この文章のゲラを見ているときに、手塚治虫先生の訃報がもたらされました。つつしんで御冥福をお祈りさせていただきます。ほんとうに、ひとつの時代が終わってしまいました。それにしても、この戦後最大の創造家のトータルの業績に何ひとつ公的に報いることのなかった日本という国は、ほんとうに文化国家といえるのでしょうか。もっとも、いまの政府から勲章なんかもらっても、手塚先生が喜ぶとは思えませんけど……。

余談ですが「何ひとつ公的に報いることのなかった」という文章はいささか事実に反しています。と言うのも当時の文化庁は生前の手塚氏を紫綬褒章の候補に挙げていたのですが、当の手塚氏が辞退しているので授与はされませんでした。日本政府は少なくとも名誉的には手塚氏に報いる姿勢を見せていたのです(手塚悦子・著「夫・手塚治虫とともに」(講談社)P241より)。まあ、書いた当時の田中氏はその様な事情など知り様もなかったでしょうけど。


No. 1170
横レスで失礼いたします
駆け出し 2001/11/22 18:45
駆け出しでございます。

>うーん、「日本政府がつぶれても日本の大企業が消えてなくなってもマンガ・アニメには何の影響もない」というのはどうでしょうか。仮に現在の日本政府が潰れたとして、後に成立した政府がアニメ・マンガを弾圧しないという保証はありませんし、大企業が消えてなくなれば、多くのアニメ会社や出版社はスポンサーや広告主を失ってかなりの打撃を受けるのではないかと。

僭越ながら、私も同意見でございます。
たとえば、いまや「世界の」という冠詞をつけてもいい宮崎アニメにしても、スタジオジブリという会社がなければ生まれてこなかったのであり、そのジブリ自体、徳間書店の出資によって成立した会社です。辣腕プロデューサーとして名高い鈴木氏は、たしか徳間からの出向だったはずです。
経営が左前どころか沈みかけている徳間書店がジブリを売却して赤字を埋めようとしている、という話もありました。

日本政府がつぶれたり、日本の大企業が消えてなくなったら、マンガ・アニメにもそうとう深刻な影響があるとおもいます。

>まあ、書いた当時の田中氏はその様な事情など知り様もなかったでしょうけど。

知らないことは書かない。書くなら、ちゃんと調べる。作家として基本中の基本中なんですけど。しかし、そのまま発行させた角川の編集者もどうかと思います。


No. 1172
Re1156/1168:まとめ直しレス
冒険風ライダー 2001/11/23 04:08
 まず、No.1156だけでなく、一連の議論におけるヨウさんの議論態度に関して最初に一言言っておきたいのですが、明らかに議論の長期化を意図しているとしか思えない「根拠提示の乱発と論点の拡散化」を行うのは止めていただきませんか? あまりに乱発される根拠提示に応えるために書いた反論が、さらなる根拠提示要求に繋がるというではたまったものではありません。私はあなたの一方的な質問に無限に答え続けなければならないのですか?
 また、「つくる会」関連の議論における「タナウツの運動事情」を使った私の「たとえ話」を「話のすり替え」などと解釈してみたり、少年犯罪関連議論での私の話を全く理解しようともせずに妙なレッテル貼りを行ってきたりと、私の真意とはほど遠い解釈に基づく反論があまりにも多すぎ、これらの建設的な議論を行おうとする意図がまるで見られない反応の数々に、正直、私は最初にNo.1156を読んだ時、最後の反論を書いた上でこちらから一方的に議論を打ち切り、「今後あなたがどんな反応をしようとも私は一切相手にしない」と宣言してしまおうかとまで考えたくらいでしたよ。非礼に関しては私も「考察シリーズ」で散々やっていますから仕方がないとも考えられるのですけど、歪曲解釈や人の話を聞かない態度と言った「論者としての不誠実ぶり」が見られるというのでは、議論の流れや進行そのものに支障がでてしまいますのでね。人の発言をあそこまで曲解しているのは意図的にやっているとしか思えませんでしたし。
 で、その議論打ち切り宣言投稿を書いている最中に、No.1156よりは礼儀正しく書かれているNo.1168を読み、ヨウさんの議論提起の意図と目的を理解することができましたので、さすがにそこまでやろうという気はなくなりましたが、もし私と引き続き建設的な議論を行いたいと思うのであれば、上記で述べたような「建設的な議論を行おうとする意図がまるで見られない反応の数々」を乱発するのを止め、互いに歩み寄る努力を行っていただきますようお願い致します。
 今度上記に書いたような「論者としての不誠実な態度」が見られた場合、私はその場で議論の打ち切りを一方的に宣言します。


 ところで一連の議論では、互いの喧嘩口調のためにあまりにも論点が拡散しすぎているため、少し仕切り直しを行いたいと思います。



>「現代日本の富」の解釈

 まあこれに関しては、ヨウさんの解釈もなくはないかな、とは思いましたよ。そういう考え方もあるということは理解しました。
 ただ、私が「現代日本の富」を「日本人全ての富」と考えたのにも理由がありまして、それは創竜伝におけるあまりにも数の多い「日本および日本人そのものに対する批判」にあります。これは本当に資産家とか日本政府とかに特定できるものではなく、明らかに日本人全体に対する根拠のない誹謗中傷となっているのです。創竜伝2巻〜4巻にかけて見られる「日本人はイベント大好きで奴隷のように従順な民族だ」などはまさにその典型例ですし、「日本人はバブルに浮かれきっていたバカな国民だ」などと言った主張もこれに含まれます。
 また、これは創竜伝だけでなく銀英伝でも多く使われる論調なのですが、「愚かな政治家が現れるのは、彼を選択した国民全体の責任である」といった主張を田中芳樹はよく使っており、創竜伝における日本政府批判や「日本人は民度が低い」という例の主張もこれを前提として展開されています。従って、田中芳樹の日本政府批判もまた、そのような政府の存在を許している日本国民に対する直接間接の批判であると言えます。
 創竜伝にはそういった文脈を持つ評論が数多く存在するため、その流れで読んでいくと「現代日本の富」を「日本人全ての富」と解釈できてしまうわけですよ。特に私は創竜伝考察を作る前からその手の評論を何十回も読んできましたので、なおのことそのように受け取りました。何しろ「現代日本の富」というのは、文言だけを見ても「日本人全ての富」と解釈できますしね。まあ田中芳樹がこの件に関して直接何らかの声明でも発表すれば考えを変えても良いですけど、そうでない限りは、私は自説を撤回する必要は全くないと考えます。
 そんなわけで、この問題に関しては、お互いに解釈の根拠を理解し合えたということで「見解の相違」として終わらせても良いのではないでしょうか。私とヨウさん、どちらの解釈に賛同するかは、一連の議論を読む人それぞれでしょうし。



>田中芳樹の歴史教育批判

 歴史教育に関しては、私は諸外国の愛国心育成教育の方を高く評価していますし、高等教育で多種多様な教育を行うためにも、むしろ初等教育はある程度統一されるべきであると考えています(これに関しては「管理人の本論5」なども参考になるでしょう)。「つくる会」を高く評価する理由もそのあたりにあります。
 だからヨウさんが唱える「歴史教育の意義そのものを考え直す時代にきている」という意見自体にも反対なのですが、さしあたってそれを抜きにして考えても、田中芳樹がそのような意図をもって日本の右傾化歴史教育とやらを非難していたという主張には無理があります。あの評論にはただひたすら「日本の歴史教育に対する罵倒」が並べられているだけで何らかの提言を行った形跡がないですし、現実には田中芳樹の主張とは逆に、日本の歴史教育はそれこそ「つくる会」の例の引用文にもあったように「全国的に自虐教育が行われていた」というのが実態でしょう。田中芳樹の意図がどこにあるにせよ、この何ら事実に基づかない的外れな誹謗中傷は批判されて然るべきですし、ましてやそこにヨウさんの仰る「歴史教育の意義そのものを考え直す時代にきている」という批判の意図など感じることはできません。
 しかも外国に関しては、日本の歴史教育関連で批判していたような内容をむしろ礼賛すらしていることは中国の例を見れば一目瞭然ですし、土屋守がイギリスにおける歴史教育の実態について説明した時でさえも、せいぜい英仏百年戦争をネタにして和やかに談笑する程度に留めているだけではありませんか。あの日本の歴史教育批判に比べれば、あんなものは普通「批判」とは呼びません。
 創竜伝におけるあの愚かしい日本の歴史教育批判を田中芳樹自身が何らかの形で総括ないし撤回でもしない限り、イギリスの歴史教育に対しても、全く同じかそれ以上の「罵倒論法を使用した批判」を田中芳樹は主張すべきであると私は考えています。それこそが自らの言動に対する責任というものでしょう。そしてそれが行われない限り、私は田中芳樹が首尾一貫した歴史教育批判を行ったなどと解釈することはどうしてもできないのです。



>つくる会について

 ヨウさんは「つくる会の建前は全くの大嘘であり、教科書を面白おかしくすることが目的化している」として田中芳樹の主張を擁護していますが、もし仮にそのような「教科書を面白おかしくすることが目的化している『つくる会』」を批判しようとするのであれば、なおのこと「建前」というのは重要になってくるのではありませんか? なぜなら、政治運動で掲げられている「建前」を使えば、「あなた達の行動は『建前』に掲げてある本来の目的から逸脱している」という批判論法を述べることが可能となりますし、またそのような批判の方が、政治運動に携わる人達に対する大きなダメージともなりえるからです。
 政治の世界における「建前」というのは非常に重要な意味を持っています。それは本来、水戸黄門の印籠のごとき権威を持っており、たとえ「本音」がどうであったとしても、決してないがしろにしてはならないものです。だからこそ、「本音」が堕落している際に「建前」を掲げて批判するという手法は極めて有効な戦法であり、また運動の目的を見直すためにもよく使われる手法でもあるのです。
 タナウツの緒言およびFAQがトップページの一番目立つところにおいてあるでしょう? 実はあれも「タナウツにおける批判活動の目的や意図を、常に誰でも確認できるようにするため」に、あえて一番目立つ位置に置いてあるのです。もしタナウツの批判活動が迷走状態に陥った場合には、すぐに運動の目的を再確認し、本来の軌道に戻すことができるように。かくのごとく、「建前」というものは政治運動の際に非常に重要なものとなりえるのです。
 然るに田中芳樹の主張はどうか? 田中芳樹は「つくる会」の設立目的を「教科書を面白おかしくすること」と勝手に定義した上で「つくる会」を当てこすっています。「つくる会」の本当の目的など全く理解できていませんし、「おもしろい教科書などありえない、それは強制されるからだ」に至っては批判の方向性自体が間違っています。だから私は「つくる会」の例の趣意書を引用した上で、「これのどこをどう読めばそのような解釈が可能となるのでしょうか」と述べていたわけです。
 繰り返しますが、「つくる会」の目的と行動の問題を云々する以前の問題として、田中芳樹はそもそも「つくる会」の設立目的を全く理解しておらず、しかもその挙句に「おもしろい教科書などありえない、それは強制されるからだ」などとタワゴトを述べているわけです。こんなものが「つくる会」批判として妥当なものであると考えられるのですか?



>イギリス礼賛論について

 これに関してはヨウさんの方が先に問題にしてきたのですから、私に対して根拠の明示を求めるよりも先に、まずはヨウさんの方こそが何故「大英博物館に諸外国からの掠奪品を大切に保存・展示して一般に無料公開することは、他の植民地保有国に比べるとまだましである」とか「他の帝国主義国家と違い新聞が堂々と王室の悪口を書きたてているような国であるから、世界を支配出来たのであろう」といった解釈をするに至ったのかを説明し、私の主張の間違いを指摘する方が先決でしょう。ただあなた個人の解釈を聞かされただけでは、自分の解釈がいかなる解釈法の違いによって問題視されたのかが私にはまるで理解できないのですから。
 なぜヨウさんの解釈を聞かされただけの私が先に根拠を述べなければならないのですか? 問題を提示した側が「なぜこれが問題になるのか」についての理由と根拠を先に明示するのは当然のことではありませんか。あなたは自分の解釈こそがいちいち説明するまでもない常識的な解釈であると考えているのかもしれませんが、私の方ではそれは常識的な解釈とは全く認識されてはいないのですから。この認識の格差を埋めるためにも、まずは「現代日本の富」関連議論の時のように、あなたがどのようにしてあの文章を解釈したのかを詳細に説明してください。
 No.1168で述べていたように「このような解釈もあるのだ」ということを私に訴えたいのであれば、ひたすら私に質問を浴びせて論点を拡散させてしまうよりも、そちらの方がはるかに有効な方法だと思うのですが。



>歴史教育と少年犯罪

 一連の議論で一番曲解のはなはだしい個所はこれですね。前の投稿でも言っていたでしょう。あの例は自虐教育がそれを受ける少年達に多かれ少なかれ受け入れられていることを証明する一現象であり、象徴であると。そのような事件が「語られる事実それ自体」が自虐的歴史教育の影響力の大きさを証明しているからこそ、私はあの事例を問題にしているのであり、この事例の件数だの少年の考え方だの犯罪の動機などといった「瑣末なもの」など、そもそも最初から全く何の問題にもしていないのです。まさかこの説明から「愛国心教育を受けていれば、この少年は犯罪に走らなかった」などと解釈されるとは思いませんでしたよ。
 それから一言言っておきますが、私は何も少年犯罪増加の原因が「全て」歴史教育のせいであるとは一言半句たりとも述べておりません。最初の投稿でも私はこう言っていますよ。
<それが教育現場を狂わせ、少年犯罪を激増させる要因『のひとつ』となったからこそ>
 『』部分を読み落として勝手な印象操作などされてはたまったものではありませんね。そりゃ少年犯罪の原因にはいろいろなものがあるでしょうが、ここではあまり論点を拡散させないためにも、あえて歴史教育に限定して論じざるをえなかったわけで、これをきちんと踏まえていれば、私が「少年犯罪を犯した少年に愛国教育を施していれば犯罪には走らなかった、と信じている」などという解釈は出てこなかったと思うのですが。
 私も議論を行っていく過程で、このようなわけの分からない解釈によって自分の主張が勝手に捻じ曲げられるのは迷惑でしかないのですよ。もう少し他人の文章を深く読み込み、その意図を探る鍛錬を積むことが、お互いに理解し合うためにも必要なのではないですか?



>歴史観

 日本の現代政治について評価が定まっていないから田中芳樹を間違っていると断言することはできない、と私に対して述べるのであれば、それよりも先に、その「評価が定まっていない日本の現代政治」について「小説の中で」メチャクチャな罵倒ばかり述べている田中芳樹に対しても同じような批判を行うべきなのではありませんか? 私と田中芳樹、一体どちらが先に現代日本に対する自らの考えを述べていたと思っているのです?
 そもそも評論や議論というものには、程度の差こそあれ、自らの主義主張や個人的価値観などを他人に押しつける行為という一面を持っています。評論は自らの思想や発想の正当性を一方的に主張して他人に自分の考え方を押しつけ、議論は互いの主義主張をぶつけ合い、妥協点を模索し合うなり、相手の主張を完全に粉砕するなりして進めていくものです。そのような環境下では、「他人の価値観の多様性を認めよう」といった考え方でさえも、論敵に対して自らの主張を押しつけるための意見としてしか存在し得ないのです。
 皮肉にも、この一連の議論におけるヨウさんの主張自体がそれを証明しているのではないですか? 何しろ私の歴史観について反論し、「田中芳樹を間違っていると断言することはできない、彼の主張もひとつの考え方として認めるべきだ」という考え方を私に「押しつけ」ようとしていたのですから。それは私にとっては自らの主張を放棄することに繋がるからこそ、私はそれに対して自らの主張の正当性を訴えていたわけです。
 評論や議論といったものがそういった側面を持っている以上、私は評論や議論の場で個人の歴史観や価値観に対して「間違っている」と言及すること自体はかまわないことだと考えています。ただし、当然それは内容が重要視されることになりますし、それを聞いた人がさらに私に対して「あなたの考え方は間違っている」と述べることもまた自由でしょう。そして、どちらの主張に理があるかを判定するのは、それを閲覧する人達自身の問題であり、私の関知するところではありません。
 評論や議論の場で「価値観の多様性」をもって相手の反論を封じ込めるのもまた「主義主張の押しつけ」であり、ひとつの価値観の否定でしかありえない。これが私の解答です。



 では、復帰後の投稿をお待ちしております。


No. 1175
Re:Re1156/1168:まとめ直しレス
Merkatz 2001/11/24 03:15
> >「現代日本の富」の解釈
>

>  そんなわけで、この問題に関しては、お互いに解釈の根拠を理解し合えたということで「見解の相違」として終わらせても良いのではないでしょうか。私とヨウさん、どちらの解釈に賛同するかは、一連の議論を読む人それぞれでしょうし。
>

では、読む人それぞれの意見のうちのひとつをば。

私は「現代日本の富」を冒険風ライダーさんと同じように解釈しました。
歴史上の例として田中芳樹はメディチ家や足利義満を挙げていますが、
これは個人ですね。
ならば対比としては現代日本の個人を挙げるべきところを「現代日本」という集合体としての日本にしてしまっています。
ということは、田中芳樹の批判する「現代日本の富」は、
メディチ家や足利義満のような特定個人資産家ではない。
もし、田中芳樹の意図が庶民から搾取する資本家に対するものであったなら、
ここは「一部の現代日本の富」「現代日本の富豪の富」等という表記にしなければならなかったはずです。
「現代日本」とすればそれは必然的に「現代日本人全て」を括ってしまい、
富豪や政府といった一部に偏在する富を批判する言葉として意味を失ってしまいます。
ましてや現代日本は一億総中流化といわれる富の平均化があり、
富豪が欧米のそれに比してあまりに卑小なことはよく知られていることです。
世界のGNPの一割を生み出す世界第二位の経済力が、
一部富豪のみで生み出されているものではないことくらい、
田中芳樹は知っているはずです。
だからこそ、そういう上から下まで金満国家・日本のロクでもない行動を、
創竜伝の各処で批判しているわけでしょう。
(外国旅行に行ってマナーを守らない日本人の若者を批判するところとかありましたね)
仮にここだけ資本家の富を批判し庶民を免責するものであったなら、
過去に庶民の富を批判した部分とどう整合性をつけるのでしょう?
たしかありましたよね。
小金を持った日本人が農協ツアーみたいな旅行で世界中に出かけては顰蹙を買っていると批判した文が。
やはりここは、現代日本人全てに対する批判の言葉だと思った次第です。


No. 1184
Re:では反論しますか。
モトラ 2001/11/25 00:12
>  始めまして。怒らせるつもりは無かったのですが、そういう考え方もある、ということで多めに見てくれると嬉しいのですが。

失礼ですが、本気で言っていらっしゃるのですか? あれだけ執拗に冒険風ライダーさんに食い下がる方の言葉とは思えません。ならば、冒険風ライダーさんがあなたの意見に対して「私のような考え方もある、ということで大目に見てくれると嬉しいのですが」と返答されたなら、あなたは素直に矛を収めるのでしょうか? ちなみに「地方の保守層に対する一面的な評価」については、テレビや新聞でうんざりするほど聞かされ&読まされておりますので、今更大目に見るも見ないもありません。私のような考え方もある、ということで大目に見てくださると嬉しいです。
それから、先のレスでも引用させていただいた部分ですが

>  本気で国民が理性的な判断をしたため、なんて思いますか?そう思うから言ってるんでしょうが。本当に日本国民の意思が自民党と同じにところにあるのならとっくに自衛隊は無くなってますね。

このように考えていらっしゃる根拠を教えていただけないでしょうか。
朝鮮半島&中国・台湾情勢の現状を見るにつけ、「自衛隊を廃止すべし」という日本国民の意思が過半数を上回る状況にあるとは、私には思えませんので…よろしくお願いします。

以下、本題と外れたハナシ。グチとも言う(^^;
進歩的マスコミの地方保守支持層批判パターンには「橋を作ってくれたり、鉄道を引いてくれたセンセイに投票する」「農村部の住人は税制等で手厚く保護されていて、都会に較べて不公平だ」なんてのもありますね。あらゆるインフラが整備された都会と、鉄道も通っていない地方における、一本の橋や鉄道路線の重みの差というのを、マスコミは考えたことがあるのかな。オタク的には、ガンガン放映されるマニア向けテレビアニメ、都市部のみロードショーされる映画…(ぉ


No. 1399
久しぶりですが
ヨウ 2002/01/18 14:01
 そうとう昔の記事ですし、こちらも依然としてすぐにレスが返せる状況にはありませんのでこれに関するレスはいりませんので。

 正直言ってあまり覚えてませんので、覚えてるところを中心に行きたいと思います。

>  まず、No.1156だけでなく、一連の議論におけるヨウさんの議論態度に関して最初に一言言っておきたいのですが、明らかに議論の長期化を意図しているとしか思えない「根拠提示の乱発と論点の拡散化」を行うのは止めていただきませんか? あまりに乱発される根拠提示に応えるために書いた反論が、さらなる根拠提示要求に繋がるというではたまったものではありません。私はあなたの一方的な質問に無限に答え続けなければならないのですか?
>  また、「つくる会」関連の議論における「タナウツの運動事情」を使った私の「たとえ話」を「話のすり替え」などと解釈してみたり、少年犯罪関連議論での私の話を全く理解しようともせずに妙なレッテル貼りを行ってきたりと、私の真意とはほど遠い解釈に基づく反論があまりにも多すぎ、これらの建設的な議論を行おうとする意図がまるで見られない反応の数々に、正直、私は最初にNo.1156を読んだ時、最後の反論を書いた上でこちらから一方的に議論を打ち切り、「今後あなたがどんな反応をしようとも私は一切相手にしない」と宣言してしまおうかとまで考えたくらいでしたよ。非礼に関しては私も「考察シリーズ」で散々やっていますから仕方がないとも考えられるのですけど、歪曲解釈や人の話を聞かない態度と言った「論者としての不誠実ぶり」が見られるというのでは、議論の流れや進行そのものに支障がでてしまいますのでね。人の発言をあそこまで曲解しているのは意図的にやっているとしか思えませんでしたし。
>  で、その議論打ち切り宣言投稿を書いている最中に、No.1156よりは礼儀正しく書かれているNo.1168を読み、ヨウさんの議論提起の意図と目的を理解することができましたので、さすがにそこまでやろうという気はなくなりましたが、もし私と引き続き建設的な議論を行いたいと思うのであれば、上記で述べたような「建設的な議論を行おうとする意図がまるで見られない反応の数々」を乱発するのを止め、互いに歩み寄る努力を行っていただきますようお願い致します。
>  今度上記に書いたような「論者としての不誠実な態度」が見られた場合、私はその場で議論の打ち切りを一方的に宣言します。

 お互い様ですね。私は発言者の文章に合わせて文章を書いていますので、もともとのあなたの「〜考察」が「(嘲笑)」というような言葉を赤の他人に使っているのでそういう人なのだという前提で文章を書いていました。どうやら赤の他人である私には多少マナーを守っていたのでそれにあわせていたまでです。
 ま、水掛け論ですが。


>  しかも外国に関しては、日本の歴史教育関連で批判していたような内容をむしろ礼賛すらしていることは中国の例を見れば一目瞭然ですし、土屋守がイギリスにおける歴史教育の実態について説明した時でさえも、せいぜい英仏百年戦争をネタにして和やかに談笑する程度に留めているだけではありませんか。あの日本の歴史教育批判に比べれば、あんなものは普通「批判」とは呼びません。
>  創竜伝におけるあの愚かしい日本の歴史教育批判を田中芳樹自身が何らかの形で総括ないし撤回でもしない限り、イギリスの歴史教育に対しても、全く同じかそれ以上の「罵倒論法を使用した批判」を田中芳樹は主張すべきであると私は考えています。それこそが自らの言動に対する責任というものでしょう。そしてそれが行われない限り、私は田中芳樹が首尾一貫した歴史教育批判を行ったなどと解釈することはどうしてもできないのです。

 田中芳樹が反日で、イギリスびいきであるのは間違いがないでしょう。それを考えるとむしろ首尾一貫しているといってもいいのですが、それは置いておいて、私が言いたいのはあなたが言うところの「自虐教科書」を批判するのは無知でもなんでもない、ひとつの思想だというところです。前にも書きましたが、そういったダブルスタンダードが責められるべきであり、そういった思想を持つこと自体は責められるべきではないのですがね。あなたは前は、「歴史教育とは愛国心を叩き込むものであり、それを知らないなんて田中芳樹はなんて無知なんだろう」という論を展開していたはずですが。いつの間にやら私と同じ考えになったんでしょう。

 <この2人は何か重大な勘違いをしているようなのですが、アヘン戦争に限らず、またイギリスのみならず日本以外の外国の歴史教育で「侵略戦争の罪悪」について教えられることなどあるわけないでしょう。>

 これはあなたの文章ですよね?田中芳樹は侵略戦争の罪悪を教えないイギリスを(日本に対してほど執拗ではないが)批判していたって事です。百年戦争の話など末葉の話ですよ。


>
>
> >つくる会について
>
>  ヨウさんは「つくる会の建前は全くの大嘘であり、教科書を面白おかしくすることが目的化している」として田中芳樹の主張を擁護していますが、もし仮にそのような「教科書を面白おかしくすることが目的化している『つくる会』」を批判しようとするのであれば、なおのこと「建前」というのは重要になってくるのではありませんか? なぜなら、政治運動で掲げられている「建前」を使えば、「あなた達の行動は『建前』に掲げてある本来の目的から逸脱している」という批判論法を述べることが可能となりますし、またそのような批判の方が、政治運動に携わる人達に対する大きなダメージともなりえるからです。
>  政治の世界における「建前」というのは非常に重要な意味を持っています。それは本来、水戸黄門の印籠のごとき権威を持っており、たとえ「本音」がどうであったとしても、決してないがしろにしてはならないものです。だからこそ、「本音」が堕落している際に「建前」を掲げて批判するという手法は極めて有効な戦法であり、また運動の目的を見直すためにもよく使われる手法でもあるのです。
>  タナウツの緒言およびFAQがトップページの一番目立つところにおいてあるでしょう? 実はあれも「タナウツにおける批判活動の目的や意図を、常に誰でも確認できるようにするため」に、あえて一番目立つ位置に置いてあるのです。もしタナウツの批判活動が迷走状態に陥った場合には、すぐに運動の目的を再確認し、本来の軌道に戻すことができるように。かくのごとく、「建前」というものは政治運動の際に非常に重要なものとなりえるのです。
>  然るに田中芳樹の主張はどうか? 田中芳樹は「つくる会」の設立目的を「教科書を面白おかしくすること」と勝手に定義した上で「つくる会」を当てこすっています。「つくる会」の本当の目的など全く理解できていませんし、「おもしろい教科書などありえない、それは強制されるからだ」に至っては批判の方向性自体が間違っています。だから私は「つくる会」の例の趣意書を引用した上で、「これのどこをどう読めばそのような解釈が可能となるのでしょうか」と述べていたわけです。
>  繰り返しますが、「つくる会」の目的と行動の問題を云々する以前の問題として、田中芳樹はそもそも「つくる会」の設立目的を全く理解しておらず、しかもその挙句に「おもしろい教科書などありえない、それは強制されるからだ」などとタワゴトを述べているわけです。こんなものが「つくる会」批判として妥当なものであると考えられるのですか?

 ですから、そのように見られるつくる会(もしくはその推進者)に問題があるわけで、「つくる会の建前は全くの大嘘であり、教科書を面白おかしくすることが目的化している」なんて私は一言も言ってませんが。そう見られるのに無理がないので、そう見る田中芳樹を批判することは出来ないのですよ。
 そもそも、田中芳樹があれを持ってつくる会批判の持論の結晶とする、というところに無理があります。つくる会のそういう動きを批判している文章でしょう?つくる会がおもしろい教科書をつくることを目的としている「のみ」の団体だと田中芳樹が考えている「根拠」はいったいどこにあるのでしょう。あれはそういう「動き」を批判する文章でしかありません。その動きをもってつくる会すべてへの批判だとするのは苦しいですね。
 普通に考えて田中芳樹の考えは「自尊的な教科書を作ろうとしている連中が面白い教科書を!なんて馬鹿なことを言ってる」でしょうね。話の流れから言ってこのうち「面白い」のみにスポットがあたるのは自然でしょう。あの文章だけでつくる会の意義までも曲解しているとするのには無理があります。
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> >イギリス礼賛論について
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>  これに関してはヨウさんの方が先に問題にしてきたのですから、私に対して根拠の明示を求めるよりも先に、まずはヨウさんの方こそが何故「大英博物館に諸外国からの掠奪品を大切に保存・展示して一般に無料公開することは、他の植民地保有国に比べるとまだましである」とか「をするに至ったのかを説明し、私の主張の間違いを指摘する方が先決でしょう。ただあなた個人の解釈を聞かされただけでは、自分の解釈がいかなる解釈法の違いによって問題視されたのかが私にはまるで理解できないのですから。
>  なぜヨウさんの解釈を聞かされただけの私が先に根拠を述べなければならないのですか? 問題を提示した側が「なぜこれが問題になるのか」についての理由と根拠を先に明示するのは当然のことではありませんか。あなたは自分の解釈こそがいちいち説明するまでもない常識的な解釈であると考えているのかもしれませんが、私の方ではそれは常識的な解釈とは全く認識されてはいないのですから。この認識の格差を埋めるためにも、まずは「現代日本の富」関連議論の時のように、あなたがどのようにしてあの文章を解釈したのかを詳細に説明してください。
>  No.1168で述べていたように「このような解釈もあるのだ」ということを私に訴えたいのであれば、ひたすら私に質問を浴びせて論点を拡散させてしまうよりも、そちらの方がはるかに有効な方法だと思うのですが。

 ちょっと苦笑するんですけど、ならばなぜあなたは「創竜伝考察」で田中芳樹にひいては読むもの全体に根拠を明示しなかったのでしょうか。もともとあなたが提示した問題でしょう?どっちが先かという議論になればあなたが提示するのが筋だと思うのですが。(私がネットカフェからHNを「田中芳樹」にして「私はこういう意図で書いたのだがあなたにはなぜそう読めてしまうのでしょう」と書いたところを想像すれば分かりやすいでしょうか)
 本音を言うと、なぜ「他の帝国主義国家と違い新聞が堂々と王室の悪口を書きたてているような国であるから、世界を支配出来たのであろう」といった解釈が出来ないのか不思議でならないんです。「現代日本の富」の部分はあなたの根拠が理解できていたからこそ書けたのですが。頭の悪い私にご教授いただければ幸いですが。

 時間が出来たら考えてきますよ。

>
>
> >歴史教育と少年犯罪
>
>  一連の議論で一番曲解のはなはだしい個所はこれですね。前の投稿でも言っていたでしょう。あの例は自虐教育がそれを受ける少年達に多かれ少なかれ受け入れられていることを証明する一現象であり、象徴であると。そのような事件が「語られる事実それ自体」が自虐的歴史教育の影響力の大きさを証明しているからこそ、私はあの事例を問題にしているのであり、この事例の件数だの少年の考え方だの犯罪の動機などといった「瑣末なもの」など、そもそも最初から全く何の問題にもしていないのです。まさかこの説明から「愛国心教育を受けていれば、この少年は犯罪に走らなかった」などと解釈されるとは思いませんでしたよ。
>  それから一言言っておきますが、私は何も少年犯罪増加の原因が「全て」歴史教育のせいであるとは一言半句たりとも述べておりません。最初の投稿でも私はこう言っていますよ。
> <それが教育現場を狂わせ、少年犯罪を激増させる要因『のひとつ』となったからこそ>
>  『』部分を読み落として勝手な印象操作などされてはたまったものではありませんね。そりゃ少年犯罪の原因にはいろいろなものがあるでしょうが、ここではあまり論点を拡散させないためにも、あえて歴史教育に限定して論じざるをえなかったわけで、これをきちんと踏まえていれば、私が「少年犯罪を犯した少年に愛国教育を施していれば犯罪には走らなかった、と信じている」などという解釈は出てこなかったと思うのですが。
>  私も議論を行っていく過程で、このようなわけの分からない解釈によって自分の主張が勝手に捻じ曲げられるのは迷惑でしかないのですよ。もう少し他人の文章を深く読み込み、その意図を探る鍛錬を積むことが、お互いに理解し合うためにも必要なのではないですか?

 正直に言ってわけがわかりませんが。「全て」なんて思っているわけがないんですけど。今いち意味不明です。

 具体的な件数や傾向を「問題にしない」?ちょっと信じられませんね。そもそも少年犯罪増加の原因の一つとして愛国教育の欠如をあげられたのでその理由を聞いただけなんですが。あなたは私が「日本人は偉大だから外国人を殺してもいいんだ!」といった事例を挙げて「愛国教育が少年犯罪を増やす根源であり、これはその象徴である」といったら納得するのでしょうか?
 それが少しでも正当性があれば、数値には表れます。逆に言うならば、「自虐教育」をやめても少年犯罪が減少しないのならそれは少年犯罪の一因ですらないのです。まぁ、そういう少年がまったくいないともわかりませんからなんともいえないところなんですけど。あなたが言いたいのはそういうことではないでしょう?全要因ではないにせよかなりの割合を占める一因である、と思ってるのであれば、そこを改善すればかなりの少年犯罪が減る、と思ってるのですよね?であるからその「象徴」とまで言われる事例であれば当然の疑問をはさんだに過ぎないのですが。
 「自虐教育」をやめても少年犯罪増加がまったくとまらないのであればそれは少年犯罪増加の一因としては考えられないです。「象徴」とまで仰るのですから当然その少年は犯罪減少の一人にカウントされると思ったんですが。
 そのような事を想像してほしい(普通は分かると思ったのはどうやら甘かったようで)ものですが。「もう少し他人の文章を深く読み込み、その意図を探る鍛錬を積むこと」は大事ですからねぇ。


>
> >歴史観
>
>  日本の現代政治について評価が定まっていないから田中芳樹を間違っていると断言することはできない、と私に対して述べるのであれば、それよりも先に、その「評価が定まっていない日本の現代政治」について「小説の中で」メチャクチャな罵倒ばかり述べている田中芳樹に対しても同じような批判を行うべきなのではありませんか? 私と田中芳樹、一体どちらが先に現代日本に対する自らの考えを述べていたと思っているのです?

 わざわざ他人と同じ事を同じように言う必要はありますまい。言って欲しければいいますけど。
 それより、「あいつが先にやってるんだから何で俺ばっかり・・・」なんて論法を持ち出されましてもねぇ。

>  そもそも評論や議論というものには、程度の差こそあれ、自らの主義主張や個人的価値観などを他人に押しつける行為という一面を持っています。評論は自らの思想や発想の正当性を一方的に主張して他人に自分の考え方を押しつけ、議論は互いの主義主張をぶつけ合い、妥協点を模索し合うなり、相手の主張を完全に粉砕するなりして進めていくものです。そのような環境下では、「他人の価値観の多様性を認めよう」といった考え方でさえも、論敵に対して自らの主張を押しつけるための意見としてしか存在し得ないのです。
>  皮肉にも、この一連の議論におけるヨウさんの主張自体がそれを証明しているのではないですか? 何しろ私の歴史観について反論し、「田中芳樹を間違っていると断言することはできない、彼の主張もひとつの考え方として認めるべきだ」という考え方を私に「押しつけ」ようとしていたのですから。それは私にとっては自らの主張を放棄することに繋がるからこそ、私はそれに対して自らの主張の正当性を訴えていたわけです。
>  評論や議論といったものがそういった側面を持っている以上、私は評論や議論の場で個人の歴史観や価値観に対して「間違っている」と言及すること自体はかまわないことだと考えています。ただし、当然それは内容が重要視されることになりますし、それを聞いた人がさらに私に対して「あなたの考え方は間違っている」と述べることもまた自由でしょう。そして、どちらの主張に理があるかを判定するのは、それを閲覧する人達自身の問題であり、私の関知するところではありません。
>  評論や議論の場で「価値観の多様性」をもって相手の反論を封じ込めるのもまた「主義主張の押しつけ」であり、ひとつの価値観の否定でしかありえない。これが私の解答です。
>

 分かったいるとは思いますがこれも「あなたの主観」なんですよ。そんな禅問答を持ち出されましても・・・
 どうも分かっていらっしゃらないようですが、歴史観に正答は存在しません。というより、人並みに社会に出ていらっしゃる方なら分かるはずですが、「正答」なんてないんですよ。
 で、どうやらそれが分かってらっしゃらないのでしょうか。あなたは自分の意見が「正答」だと思っていらっしゃるようで。「正答がない」事を分かっていて自分の意見を貫くのと、「自分が正答だ」と思っていることにはとんでもない差があります。あなたは歴史教育が愛国的であるべきだという「正答」を疑ったことがないようですね。田中芳樹を責める態度にそういうところを感じましたが。


No. 1402
Re1399:この件に関してはこれで最後
冒険風ライダー 2002/01/19 00:43
 今回のレスで、ヨウさんに相手の主張をマトモに理解し、主張に沿った反論ができるだけの能力が完全に欠如していることがよく分かりました。これでは私が何を言っても「見解の相違」という結論を出すことすらできず、永遠に不毛な「問答」が続くだけでしかありませんので、以前にNo.1172で宣言していた通り、ヨウさんに対する私からの返答はこの投稿をもって最後とさせていただきます。


<お互い様ですね。私は発言者の文章に合わせて文章を書いていますので、もともとのあなたの「〜考察」が「(嘲笑)」というような言葉を赤の他人に使っているのでそういう人なのだという前提で文章を書いていました。どうやら赤の他人である私には多少マナーを守っていたのでそれにあわせていたまでです。
 ま、水掛け論ですが。>

 「マナーの問題」と「読解力&議論姿勢の問題」を一緒にしないで下さい。たとえ話の意味をまるで理解することなく妙なレッテル貼りを行ってくるのは「マナーの問題」ではなく「相手の主張がまるで理解できていない」のであり、私が反論するたびに「どちて坊や」的な質問ばかり乱発するのは「議論姿勢に著しい問題がある」のです。
 ネット上の議論において、相手の主張をマトモに理解できるだけの読解力と、議論の際における議論姿勢に問題のある人とマトモに議論できると考える方がどうかしているでしょう。
 加えて、自らの主張が致命的なダブルスタンダードを侵していることにも気づかないときてはもはや論外というしかないのですけどね。これについては後述しますが。


<田中芳樹が反日で、イギリスびいきであるのは間違いがないでしょう。それを考えるとむしろ首尾一貫しているといってもいいのですが、それは置いておいて、私が言いたいのはあなたが言うところの「自虐教科書」を批判するのは無知でもなんでもない、ひとつの思想だというところです。前にも書きましたが、そういったダブルスタンダードが責められるべきであり、そういった思想を持つこと自体は責められるべきではないのですがね。あなたは前は、「歴史教育とは愛国心を叩き込むものであり、それを知らないなんて田中芳樹はなんて無知なんだろう」という論を展開していたはずですが。いつの間にやら私と同じ考えになったんでしょう。>

 何を言っているのですか。日本の歴史教科書の実態を何ら調べもせずに「日本の教科書は右傾化している」などと決めつけるような人間が、世界における歴史教育の意義など知っているはずがないでしょう。もし田中芳樹が世界における歴史教育の意義ないしは潮流といったものを知っているのであれば、日本という特定の国の歴史教科書「だけ」がさも異常であると言わんばかりの評論を展開するなどありえません。どう見てもこれは日本の歴史教科書や歴史教育の意義を知らないで述べているようにしか読めないですし、仮に万が一知っていた上であのような事実検証なしの愚論をほざいていたというのであれば、田中芳樹は確信犯的な大ウソつきでしかないではありませんか。
 その上、イギリスの歴史教科書関連の話になると、土屋守が述べていたこの主張↓

<アヘン戦争はともかく、イギリスがやった侵略戦争について、イギリスの学校はきっちり教えてないじゃないか、という批判は、ぼくも当たっているとは思う。だけど、それとはまた別の意味で、そういう細かい歴史を教えることが、社会でどうしてもすべてに必要なのかな、って……いやいや、必要だとは思うんだけど。(笑)興味がある人はね、道はいくらでもあるわけですよ。>

 という「自らがかつて述べていた評論と明らかに対立する主張」に対して何ひとつ反論らしい反論を述べることなく話題をそらしているのですから、田中芳樹の歴史関連の評論は「無知な上にダブルスタンダード」という評価が与えられて当然なのですよ。
 それから田中芳樹がイギリス好きだろうが日本嫌いだろうが、個人の趣味の範囲内に留まるものであれば私も何も言いはしませんが、この「個人の趣味」が評論におけるダブルスタンダードの最大の原因となっているのでは「ダブルスタンダードの諸悪の根源」として批判せざるをえないでしょう。歴史教科書の件だけでなく、世襲議員に対する態度や、後編でも論じた同時多発テロ事件におけるイギリスと日本、およびイギリスとアメリカに対する態度の違いにも、この「個人の趣味」が「ダブルスタンダードの元凶」として現れているのです。
 こんな簡単なことを延々と述べなければ理解してもらえないとはねえ〜。


<ですから、そのように見られるつくる会(もしくはその推進者)に問題があるわけで、「つくる会の建前は全くの大嘘であり、教科書を面白おかしくすることが目的化している」なんて私は一言も言ってませんが。そう見られるのに無理がないので、そう見る田中芳樹を批判することは出来ないのですよ。
 そもそも、田中芳樹があれを持ってつくる会批判の持論の結晶とする、というところに無理があります。つくる会のそういう動きを批判している文章でしょう?つくる会がおもしろい教科書をつくることを目的としている「のみ」の団体だと田中芳樹が考えている「根拠」はいったいどこにあるのでしょう。あれはそういう「動き」を批判する文章でしかありません。その動きをもってつくる会すべてへの批判だとするのは苦しいですね。
 普通に考えて田中芳樹の考えは「自尊的な教科書を作ろうとしている連中が面白い教科書を!なんて馬鹿なことを言ってる」でしょうね。話の流れから言ってこのうち「面白い」のみにスポットがあたるのは自然でしょう。あの文章だけでつくる会の意義までも曲解しているとするのには無理があります。>

 本当に田中芳樹がそのように思っていたのであれば素直にそのように言えば良いだけの話ではありませんか。なぜ「つくる会」の真の目的ではない「面白い教科書云々」のところ「だけ」を取り上げて批判するのですか?
 そもそも田中芳樹が述べているのは「面白い教科書など作れるわけがない」であって「『つくる会』は面白い教科書を作ることが自己目的化している」ではありませんし、何度も言っていますけど、「つくる会」の運動を批判するのに、真の目的に言及することなく、目的遂行の道具でしかない「面白い教科書云々」だけをあげつらっても意味がないのです。タナウツのFAQで示されている「批判の目的」に言及することなく、「このHPは全く面白くない」と述べても、タナウツの存在意義に対する効果的な批判にはならないのと同じことです。このたとえ話、ヨウさんにはたぶん理解してもらえないと思いますが。
 ヨウさん個人の自己見解を、勝手に田中芳樹の主張に照らし合わせて反論しないで下さい。私はあなたの考え方に対して反論しているわけではないのですから。


<ちょっと苦笑するんですけど、ならばなぜあなたは「創竜伝考察」で田中芳樹にひいては読むもの全体に根拠を明示しなかったのでしょうか。もともとあなたが提示した問題でしょう?どっちが先かという議論になればあなたが提示するのが筋だと思うのですが。(私がネットカフェからHNを「田中芳樹」にして「私はこういう意図で書いたのだがあなたにはなぜそう読めてしまうのでしょう」と書いたところを想像すれば分かりやすいでしょうか)>

 簡単ですよ。最初に反論する側から「私は『こんな理由で』こういう風に解釈したのですが」の『』部分を具体的に述べてもらわないと、互いの解釈の違いがなぜ起こったのかが私やROMにはまるで理解できないからです。
 考察シリーズでは「田中芳樹の主張」に対して私が反論する立場ですから、「田中芳樹の主張に対する反論内容」に関して具体的な根拠が求められるのは当然のことです。しかし、それに対してさらに「私の文章解釈」や「主張内容」に異議を唱える人が出てきた場合、その「私の間違い」の具体的根拠を最初に提示すべきなのは、当然「異議を唱える側」に決まっているではありませんか。そして、お互いに問題点を理解し合ったところで、初めてその問題点を争点とした議論が始まるのです。
 これは仮に田中芳樹本人が私に反論することになったとしても変わることはありません。それが評論・議論を無意味に迷走させないための必要最低限のルールというものです。


<本音を言うと、なぜ「他の帝国主義国家と違い新聞が堂々と王室の悪口を書きたてているような国であるから、世界を支配出来たのであろう」といった解釈が出来ないのか不思議でならないんです。「現代日本の富」の部分はあなたの根拠が理解できていたからこそ書けたのですが。頭の悪い私にご教授いただければ幸いですが。>

 ホントにヨウさんは私が提示した過去ログを読もうとしませんね。なぜ何度も私が「創竜伝考察32」を読めと言っているのを無視するのですか? その中に問題の箇所の引用文が全部掲載されているのですから、それを読めば「どこの文章を元にしてそのような解釈を捻り出したのか」などすぐにでも理解することができるでしょうに。
 まあこの投稿がこちらからの最後の返答となるのですから特例として返答しておきますと、そもそも戦前日本の韓国併合・満州国建国・第2次世界大戦における、針小棒大ないしは全くのデマでしかない「旧日本軍の蛮行」とやらをあれほどまでに偏見に満ちた目で批判しておきながら、そんなものとは比べ物にならないほどの「残虐行為」を「実際に」行ってみせたイギリスに対しては、あれほどまでに温情に満ちた反応で返すのですか?
 そして、イギリスの植民地支配における「残虐行為」を田中芳樹が承知していないはずがないにもかかわらず、さらに「大英博物館の入館料無料」だの「新聞が堂々と王室の悪口を書きたてている」などといったシロモノは、イギリスの植民地統治とは何ら関係がないにもかかわらず、例の2文はイギリスの植民地支配と対比する形で提示されており、しかもそれをもって「イギリスが世界を支配できたのは当然」とまで言っているのです。「旧日本軍の蛮行」関連の記述と対比すれば、イギリスと日本でいかに田中芳樹がダブルスタンダードぶりを発揮しているかが浮き彫りになるでしょう。
 つまり田中芳樹の解釈は、第一に事実関係そのものが間違っており、第二にイギリスと日本とで明確なダブルスタンダードを侵しているのです。だからこそあのような解釈が出てくるのですが、それがお分かりになりませんか。


<具体的な件数や傾向を「問題にしない」?ちょっと信じられませんね。そもそも少年犯罪増加の原因の一つとして愛国教育の欠如をあげられたのでその理由を聞いただけなんですが。あなたは私が「日本人は偉大だから外国人を殺してもいいんだ!」といった事例を挙げて「愛国教育が少年犯罪を増やす根源であり、これはその象徴である」といったら納得するのでしょうか?
 それが少しでも正当性があれば、数値には表れます。逆に言うならば、「自虐教育」をやめても少年犯罪が減少しないのならそれは少年犯罪の一因ですらないのです。まぁ、そういう少年がまったくいないともわかりませんからなんともいえないところなんですけど。あなたが言いたいのはそういうことではないでしょう?全要因ではないにせよかなりの割合を占める一因である、と思ってるのであれば、そこを改善すればかなりの少年犯罪が減る、と思ってるのですよね?であるからその「象徴」とまで言われる事例であれば当然の疑問をはさんだに過ぎないのですが。
 「自虐教育」をやめても少年犯罪増加がまったくとまらないのであればそれは少年犯罪増加の一因としては考えられないです。「象徴」とまで仰るのですから当然その少年は犯罪減少の一人にカウントされると思ったんですが。
 そのような事を想像してほしい(普通は分かると思ったのはどうやら甘かったようで)ものですが。「もう少し他人の文章を深く読み込み、その意図を探る鍛錬を積むこと」は大事ですからねぇ。>

 私が「自虐教育を受けてきた少年の心理面」の話をしているのに、ひたすら「統計」にこだわるあなたの主張がおかしいだけです。だいたい、犯罪の増加に関してならば、ここ10年の「統計」で何倍にも増えたと最初の方でも述べていたではありませんか。この犯罪増加の原因に教育、特に自虐的な歴史教育が存在すると考えてもおかしくはありますまい。
 そもそも教育の効果というのは数年、下手をすれば数十年単位もの時間をかけてじわじわと表面に現れてくるものなのですから、すぐさま効果が現れるものではないのです。戦後に日教組が教育を主導し、それが連綿と親から子へと受け継がれて少しずつ効果が現れ、それがここ10年の犯罪発生率の増加となって現れてきたわけです。そして、そのように連綿と続けられてきた自虐教育の一現象として表面に現れてきたのが、例の少年の居直り発言なわけです。
 何であのような「居直り発言」を少年が発するようになったのかについて考えてみたことはありますか? 「親や祖父母が犯罪者である」という教育が少年の間で受け入れられおり、それがすくなくとも少年にとっては充分に説得力を持つ理論であると考えられているからこそ、あのような発言も飛び出すようになるのです。だからこそ私は「自虐教育を受けてきた少年の心理面」を象徴する話としてあのエピソードを出したわけです。
 何気ない発言からこういった心理面を検証する方法も、社会問題や犯罪問題を調べるのには結構重要な要素を持っているのですよ。だからこそ「犯罪心理捜査学(プロファイリング)」というシロモノも出てくるのでしてね。ヨウさんには理解できないことなのでしょうが、こういった検証方法もあるのだということぐらいは覚えておいた方が良いと思いますがね。


<わざわざ他人と同じ事を同じように言う必要はありますまい。言って欲しければいいますけど。
 それより、「あいつが先にやってるんだから何で俺ばっかり・・・」なんて論法を持ち出されましてもねぇ。>
<分かっているとは思いますがこれも「あなたの主観」なんですよ。そんな禅問答を持ち出されましても・・・
 どうも分かっていらっしゃらないようですが、歴史観に正答は存在しません。というより、人並みに社会に出ていらっしゃる方なら分かるはずですが、「正答」なんてないんですよ。
 で、どうやらそれが分かってらっしゃらないのでしょうか。あなたは自分の意見が「正答」だと思っていらっしゃるようで。「正答がない」事を分かっていて自分の意見を貫くのと、「自分が正答だ」と思っていることにはとんでもない差があります。あなたは歴史教育が愛国的であるべきだという「正答」を疑ったことがないようですね。田中芳樹を責める態度にそういうところを感じましたが。>

 一連の議論でヨウさんのやっていることは明白なダブルスタンダードである、ということを私は指摘したつもりだったのですが、どうやらまるで理解してもらえなかったようですね。田中芳樹の価値観や歴史観をあれほどまでに擁護する人が、私の価値観や歴史観に基づく主張に対して否定的な反論をするのは矛盾しているということだったのですけど。
 そもそも、人の意見に「正答」とやらがあろうがなかろうが、自らが公の場で述べた発言に対して、反論を受けるだけの覚悟と責任を持つのはきわめて当然のことではありませんか。個人でどのような考え方や価値観を持とうがそれは確かに自由でしょうが、それを公の場で発言すれば責任も生じますし、違う価値観を持つ人から反論を受けることも当然受け入れなければなりません。そしてそれは個人の思想であろうが決して例外ではないのです。それが嫌なのであれば、自らの意見を公の場で表明しなければ良いだけの話でしょう。
 ましてや田中芳樹は、自らの個人的価値観に基づいて日本国民全部を「民度がない」と言って断罪したり、資産家だの政治家だのと言った人達を批判したりしているわけですから、当然それらの根幹を成している田中芳樹個人の価値観もまた批判対象となって当然ではありませんか。それを「個人的な価値観だから……」などという理由で免罪するのは、田中芳樹に自らの発言責任を放棄させてしまうことになってしまいます。これでは「フィクションだから許される」と一体何が違うと言うのでしょうか?
 議論や評論の世界において「個人的な価値観だから……」などという理由で批判が免罪されるわけがないでしょう。ましてや、それが批判相手の主張の根幹を形成しているのであればなおのことです。もしそんなことが許されるのであれば、私がヨウさんに対して「私の田中芳樹批判も私個人の価値観や歴史観から発するものなのですからいちいち言及しないで下さい」などと言っても許されることになりますが、それで納得するのですか?
 それから私の主張を「あなたの主観で個人の歴史観を否定するのはどうか……」などと述べているヨウさんが、「自分の主観」に基づいて私の主張が頑迷なものであると判断するなど笑止な限りでしかありませんね。この点に関してもあなたの主張は明確なダブルスタンダードを侵しています。あなたは「自分の個人的主観」に基づいた「歴史観に正答は存在しません」という「正答」や、その他もろもろの反論内容を、異なる価値観を持つ私に押し付けようとしているわけなのですが、それが理解できないのでしょうか?



P.S.
 なお、最初の方でも述べた通り、この投稿に対してヨウさんからレスが付けられても、私は一切返答するつもりがないことをここに宣言しておきます。


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