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創竜伝のエンターテイメント性
4−C

創竜伝の勧善懲悪性(3)


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No. 202
感想と(管理人さんに)質問
ランゼル 2001/06/11 23:15
初めまして。感想などを少々。
私は創竜伝を勧善懲悪物として楽しんでいます。

そんな私が、このHPの批判文を読んで受けた印象は、
例えば「水戸黄門」と言うTV番組に対し
「史実の水戸光くには〜だから」とか、
「史実の江戸時代は〜ではない」とか、
「悪代官と描かれていた〜藩の藩主は、本当は〜だった」とかを根拠にして、
水戸黄門の脚本家は勉強不足だとか、偏っていると批判しているような感じでした。

娯楽小説と言う視点が抜け落ちているのでは?と思いました。

後、管理人さんに質問です。

>「田中芳樹を撃つ!」HPの意図について

にあった

>小説の初歩の初歩として、作品の中に作者の言葉が入ってはいけないというものがある。

の出典は何でしょうか?


No. 203
Re:感想と(管理人さんに)質問
オズマ 2001/06/12 03:49
はじめましてランゼルさん、オズマというものです。よろしくお願いしますね。
管理人さんへの質問はおいといて、ランゼルさんの感想の方にいくつか自分なりの意見を言わせてもらいます。


> そんな私が、このHPの批判文を読んで受けた印象は、
> 例えば「水戸黄門」と言うTV番組に対し
> 「史実の水戸光くには〜だから」とか、
> 「史実の江戸時代は〜ではない」とか、
> 「悪代官と描かれていた〜藩の藩主は、本当は〜だった」とかを根拠にして、
> 水戸黄門の脚本家は勉強不足だとか、偏っていると批判しているような感じでした。
>
> 娯楽小説と言う視点が抜け落ちているのでは?と思いました。


確かに貴方の言うことにも一理あります。
しかし、その意見は単に創竜伝を勧善懲悪ものと捉えた場合の意見ではないのでしょうか。単なる娯楽小説と捉えた場合の意見ではないのでしょうか。
もしそうなら、必要以上のリアリティある批判、それも田中芳樹の偏見からその大部分がきている批判を入れる必要があるのでしょうか。しかもストーリーに何の関係が無いようなことまで。それは既に小説ではなく、社会論評の部類に入るものではないのでしょうか。言うなれば、娯楽小説ではあるけれど、それ以外の要素が過分に含まれている(むしろそちらの比重の方が大きいと私は感じています)、といったところでしょうか。
しかし、現実には、創竜伝は小説ですし、あくまでもフィクションということになっている以上それを社会論評として批判することはできません。私なんかは、そこに田中芳樹の悪辣さを感じていて、あえて田中芳樹批判をしているんですけどね。まあ、それを受け流すのがオトナの態度というものかもしれませんが。

私の事を言わせてもらいますが、私自身あまり投稿はしていないんですが、私なりに、揚げ足取りになるような批判だけはしたくないという考えに基づいて批判をしているつもりです。その点で、「どうしても」納得できないことにのみ批判をしていきたいと考えています。田中芳樹の中国至上主義や、偏重左翼思想、自分勝手な教育論(まあそれらが彼自身の信念である以上、思想の自由からも、そういう考え方を持つな、なんてことはいいませんが、純粋に学問的な批判は可能なはずです)、それを小説の中であたかもそれを唯一の思想であるかのように述べること(これこそが一番ヤバイ)、なんかがその代表ですね。

少々脱線してしまいましたが、そこで水戸黄門ですが、私はそこに史学的な観点からの主張なんかは見てとれませんし、純粋なドラマ、それこそ勧善懲悪もの以外何ものでもないように思います。もちろんそれは私の考えであって、そこに史学を研究している人が「どうしても」許せない点があれば、それはそれでそれに相応しい場で議論することに異存はありません。もっとも、私はその限りではないので。ちょっと自分勝手すぎるかな?(笑)。

ではこのへんで失礼を。


No. 204
Re:感想の感想を☆
2001/06/12 13:28
> 初めまして。感想などを少々。

恵です☆
はじめまして、そしていらっしゃい、ランゼルさん(^_^)

> 私は創竜伝を勧善懲悪物として楽しんでいます。
>
> そんな私が、このHPの批判文を読んで受けた印象は、
> 例えば「水戸黄門」と言うTV番組に対し
> 「史実の水戸光くには〜だから」とか、
> 「史実の江戸時代は〜ではない」とか、
> 「悪代官と描かれていた〜藩の藩主は、本当は〜だった」とかを根拠にして、
> 水戸黄門の脚本家は勉強不足だとか、偏っていると批判しているような感じでした。
>
> 娯楽小説と言う視点が抜け落ちているのでは?と思いました。

創竜伝を弁護される方、よく「あれは勧善懲悪物だから」とおっしゃいますが、仮に創竜伝が勧善懲悪物のフィクション作品なら、そもそも社会評論など入れる必要がないと思いませんか?別に、竜堂兄弟が役人や政治家をどれだけ痛めつけても、表現としての問題はありません。わたしも、読んでいて小気味がいいと感じるときがあります。でも、不必要な上に偏重した社会評論で設定を破壊するのはどうでしょうか?しかも、その内容ときたら、

(一例)「刑務所や秘密警察で働く者は高貴ではありえない(大意)」

などと、職業差別的なことを平気で述べておられます。作中人物の言葉ならともかく、「勧善懲悪物」小説の社会評論の部分で語るようなことではないでしょう。これなどはほんの一例で、ベスト収録の冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察シリーズ」を読んでいただければ、他にもとんでもない社会評論が宝の山のように眠っています(笑)。少なくとも、刑務所で勤務する人たちに罪はありませんし、そういう方が創竜伝を読めば気分を害されるのも当然ではないでしょうか?
こういう矛盾を無視してまで「あれは勧善懲悪物・娯楽小説だから」と言えますか、ランゼルさん?わたしには、創竜伝は「田中氏にとっての」娯楽小説のように見えます。社会評論でストレス発散して一番気分がいいのは、たぶん田中氏本人でしょうから。


No. 205
水戸黄門
バスク大佐 2001/06/12 13:37
>例えば「水戸黄門」と言うTV番組に対し
>「史実の水戸光くには〜だから」とか、
>「史実の江戸時代は〜ではない」とか、
>「悪代官と描かれていた〜藩の藩主は、本当は〜だった」とかを根拠にして、
>水戸黄門の脚本家は勉強不足だとか、偏っていると批判しているような感じでした。

実は今回の老公は歴史公証がそれなりによくできているんですよ。
江戸時代に白ヒゲの爺なんてスタイルは存在しないと言って権威のないツルあご爺さんに仕上がっていたり、
前副将軍という御決まりの肩書きも中納言に差し替えられています。
関係ない話ですみません。でもちょっと中国に関係する話になります。
安能務という人をご存知でしょうか?講談社文庫で最近彼の三国演義が出ました。
前書きで彼は、演義はフィクションであるから関羽の首が飛ぶのは仕方がないが
地理などで誤りがあるのはいけないと語っています。
いくら娯楽でも藩主の性格が変わるのはいいとしても、
昼間から黒装束の忍者が出現してはいけないのですよ。
変な文章ですみませんでした。


No. 207
Re:レスと質問です
ランゼル 2001/06/13 01:08
初めまして、オズマさん。こちらこそよろしくお願いします。

> 確かに貴方の言うことにも一理あります。

ここである程度の同意が取れたと思うので、私としてはそれで充分です。
後は、勧善懲悪物として、オズマさんの定義する「それ以外の要素」をどこまで許容範囲と見なせるかと言う、個人差の話だと思うので。
ちなみに、私は批判風の記述の部分を現実世界に対する社会評論とは考えていません。小説の一部と考えています。
ですので、感想の繰り返しになりますが「現実と違うから田中氏は〜だ」と批判している印象を、このHPの批判文から受けたので、違和感が出たわけです。

例えば、

> 少々脱線してしまいましたが、そこで水戸黄門ですが、私はそこに史学的な観点からの主張なんかは見てとれませんし、純粋なドラマ、それこそ勧善懲悪もの以外何ものでもないように思います。もちろんそれは私の考えであって、そこに史学を研究している人が「どうしても」許せない点があれば、それはそれでそれに相応しい場で議論することに異存はありません。

と言う相応しい場で、水戸黄門の脚本家は勉強不足だとか、偏っていると批判しているとしたら、違和感を覚えます。

後、質問なのですが、

> 田中芳樹の中国至上主義や、偏重左翼思想、自分勝手な教育論(まあそれらが彼自身の信念である以上、思想の自由からも、そういう考え方を持つな、なんてことはいいませんが、純粋に学問的な批判は可能なはずです)、それを小説の中であたかもそれを唯一の思想であるかのように述べること(これこそが一番ヤバイ)、なんかがその代表ですね。

の所で、

>小説の中で唯一の思想であるかのように述べる

のが、なぜ「ヤバイ」のでしょうか?
勧善懲悪ものでは、主人公は自分の正義を疑ったりしないと思うのですが。


No. 208
Re:感想の感想のレスを
ランゼル 2001/06/13 01:09
初めまして、恵さん。よろしくお願いします。

え〜と、問いかけが多いので、思ったことを。

> 創竜伝を弁護される方、よく「あれは勧善懲悪物だから」とおっしゃいますが、仮に創竜伝が勧善懲悪物のフィクション作品なら、そもそも社会評論など入れる必要がないと思いませんか?(中略)でも、不必要な上に偏重した社会評論で設定を破壊するのはどうでしょうか?

私は創竜伝を勧善懲悪物として見ているので、
特に評論風の記述の部分を現実世界に対する社会評論とは考えていません。小説の一部と考えています。
従って、私にとっては創竜伝はあの形で完成品なので、特定の部分が不必要かどうかは、判断できません。

それと、

> ベスト収録の冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察シリーズ」

に関しては、

> 現実に立脚したバカ正直な批判ですので(相手はフィクション小説なのにね)

と冒頭にありましたので、私は現実世界と創竜伝世界の区別をした上で、
敢えて(エンターテインメントとして)書かれていると思っています。

従って、

> しかも、その内容ときたら、
>
> (一例)「刑務所や秘密警察で働く者は高貴ではありえない(大意)」
>
> などと、職業差別的なことを平気で述べておられます。作中人物の言葉ならともかく、「勧善懲悪物」小説の社会評論の部分で語るようなことではないでしょう。(中略)少なくとも、刑務所で勤務する人たちに罪はありませんし、そういう方が創竜伝を読めば気分を害されるのも当然ではないでしょうか?

と言う部分も、例えば確かに水戸黄門にやられた藩主の子孫は、気分を害するのも当然だろうな、とは思います。
でも、実在する藩主の子孫が、「水戸黄門は嘘つきだ」と水戸黄門の脚本家に主張しても、私は無条件に賛同はしないと思います。

> こういう矛盾を無視してまで「あれは勧善懲悪物・娯楽小説だから」と言えますか、ランゼルさん?

と言うわけで、特に勧善懲悪物として矛盾は感じていないので、私は言えます。

それと、

> わたしも、読んでいて小気味がいいと感じるときがあります。

と創竜伝を部分的にでも楽しんでいる恵さんが

> 創竜伝は「田中氏にとっての」娯楽小説のように見えます。

と娯楽対象を限定するような記述は不自然に感じました。

また、

> 社会評論でストレス発散して一番気分がいいのは、たぶん田中氏本人でしょうから。

の部分ですが、そもそも社会評論って書くとストレス発散が出来るのですか?
私は社会評論など書いたことがないので、良く解りません。


No. 209
Re:水戸黄門
ランゼル 2001/06/13 01:16
初めまして、バスク大佐さん。よろしくお願いします。

> 実は今回の老公は歴史公証がそれなりによくできているんですよ。
> 江戸時代に白ヒゲの爺なんてスタイルは存在しないと言って権威のないツルあご爺さんに仕上がっていたり、
> 前副将軍という御決まりの肩書きも中納言に差し替えられています。

情報ありがとうございます。
今回の老公の設定が今後の水戸黄門の標準になるのでしたら、
水戸黄門もリアル指向の時代になったのでしょうか。
でも、それでも水戸黄門である限りは勧善懲悪物になると思います。
悪代官に正義があったり、水戸黄門が負けることはないと思います。

> 安能務という人をご存知でしょうか?講談社文庫で最近彼の三国演義が出ました。
> 前書きで彼は、演義はフィクションであるから関羽の首が飛ぶのは仕方がないが
> 地理などで誤りがあるのはいけないと語っています。

え〜と、勧善懲悪物の時代劇と歴史小説を同列に扱うのはどうかと思うのですが。
(語りたい内容と求められる歴史公証の質が違うと思うので)

従って、

> いくら娯楽でも藩主の性格が変わるのはいいとしても、
> 昼間から黒装束の忍者が出現してはいけないのですよ。

と言う部分で「いけない」と断定するのは言い過ぎのような気がします。

ただ、最初に投稿した感想で言いたかったのは、この例のように、昼間から黒装束の忍者が出現していることをもって、
水戸黄門の脚本家は勉強不足だと批判するのは、少し違うのでは?と感じた部分です。


No. 211
Re:レスと質問です
オズマ 2001/06/13 05:00
こんにちはオズマです。

> ここである程度の同意が取れたと思うので、私としてはそれで充分です。
> 後は、勧善懲悪物として、オズマさんの定義する「それ以外の要素」をどこまで許容範囲と見なせるかと言う、個人差の話だと思うので。
> ちなみに、私は批判風の記述の部分を現実世界に対する社会評論とは考えていません。小説の一部と考えています。

まあ人によって創竜伝を勧善懲悪物の小説と判断するのは自由ですから。ランゼルさんがあくまでもそれを勧善懲悪小説というなら、それはそれでいいんでしょうし、私が幾ら勧善懲悪以外の要素を挙げてもおそらくかみ合わないでしょう。個人差ですから。

> ですので、感想の繰り返しになりますが「現実と違うから田中氏は〜だ」と批判している印象を、このHPの批判文から受けたので、違和感が出たわけです。
>
> 例えば、
>
> > 少々脱線してしまいましたが、そこで水戸黄門ですが、私はそこに史学的な観点からの主張なんかは見てとれませんし、純粋なドラマ、それこそ勧善懲悪もの以外何ものでもないように思います。もちろんそれは私の考えであって、そこに史学を研究している人が「どうしても」許せない点があれば、それはそれでそれに相応しい場で議論することに異存はありません。
>
> と言う相応しい場で、水戸黄門の脚本家は勉強不足だとか、偏っていると批判しているとしたら、違和感を覚えます。


そこについては、水戸黄門を単なる勧善懲悪物とする大前提があるからこその違和感でしょう。それを史実ドラマとして捉える人にとってはランゼルさんの違和感は当てはまらないのではないでしょうか。田中芳樹小説についても同じことです。


> >小説の中で唯一の思想であるかのように述べる
>
> のが、なぜ「ヤバイ」のでしょうか?
> 勧善懲悪ものでは、主人公は自分の正義を疑ったりしないと思うのですが。

ここでもその大前提が出てきましたね。
それは勧善懲悪物と割り切っている人の視点でしょう。私は少なくとも創竜伝を勧善懲悪ものとして割り切ってはいませんし、さらに言わせてもらえれば、ランゼルさんの意見、「勧善懲悪ものでは、主人公は自分の正義を疑ったりしないと思うのですが」というのなら、主人公のみならず、読者にもその正義を疑わせないだけの説得力がほしいものです。そうでなければ勧善懲悪ものではありませんから。例えば桃太郎。「暴れまわる鬼がいました。ヒーローがそれを退治に出かけました。」そんな単純なほどの、ね。
ここでランゼルさんの疑問に対する答えですが、私もそこまで人間をアホだとは思いたくはありませんが、人間何かと権威には弱いもので、ベストセラーにかかれていることを鵜呑みにする人もいるってことです。
それが社会論評として出版されるならば、それは学問的な批評の対象となりますから、その批判の場があるわけです。しかし、それは小説である以上、その思想に対する批判の機会は予め完封されてしまいます。しかもランゼルさんがおっしゃられるように、(というよりそれは勧善懲悪ものに限らず小説とはそういうものですが、)疑問ももたないようにその正義を主張しています。それ故に鵜呑みにされやすいわけです(もっとも受け入れるか否かは人それぞれの個人差ですから、私の危惧も杞憂だといわれるかもしれませんが)。だから「ヤバイ」んです。自分の思想を語りたいんなら小説という形をやめろ、というのが私の意見ですし、このホームページで多くの人が主張していることです。
田中芳樹にそれを社会論評や哲学書、思想書として発表するだけの度量も無いでしょうから言うだけ野暮ですけどね(むしろ自分の勝手な思想が小説だからこそ許されることをわきまえている?)。
補足ですが、このホームページはそんな批判の機会をあえて作った場のように思います。

ではこのへんで。


No. 214
Re:感想の感想のレスを
2001/06/13 17:48
> 初めまして、恵さん。よろしくお願いします。

こちらこそ、よろしくお願いしますね、ランゼルさん。

> 私は創竜伝を勧善懲悪物として見ているので、
> 特に評論風の記述の部分を現実世界に対する社会評論とは考えていません。小説の一部と考えています。
> 従って、私にとっては創竜伝はあの形で完成品なので、特定の部分が不必要かどうかは、判断できません。

読みとり方は人それぞれですから、あなたが創竜伝を勧善懲悪物として解釈するのはいいでしょう。わたしはそうは思いませんけど、別に自分の考え押しつけるつもりはないです。ただ、オズマさんもおっしゃっていましたが、読みとり方の前提があなたとわたしたちでは随分違うように思います。
まず、明らかに現実に起こった事件に対する批評(マハティール大統領批判etc.) は、たとえ小説の中に紛れていても間違いなく「批評」ですし、「これは小説だ、社会評論ではない」などという逃げのスタンスをとるが故に、田中氏はこのサイトで批判されているのです。あなたや田中氏の理屈が通るなら、「小説の一部」ということで創竜伝の中では何を言っても、どんな描写をしてもOKになってしまうじゃありませんか。仮に百歩譲ってそれを許したとしても、真っ当な手法(新聞に寄稿、本の出版etc.)で堂々と社会評論(批判)を書いている評論家の方々と比べると、すごく卑屈な行為だとわたしは思います。社会評論を書きたいなら、小説の看板を借りてコソコソ創竜伝に挿入しなくてもいいじゃないですか。はっきり言って、社会評論はストーリーの筋とは全然関係ないものも多いので、わたしには不必要にしか見えないんですけど。

> それと、
>
> > ベスト収録の冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察シリーズ」
>
> に関しては、
>
> > 現実に立脚したバカ正直な批判ですので(相手はフィクション小説なのにね)
>
> と冒頭にありましたので、私は現実世界と創竜伝世界の区別をした上で、
> 敢えて(エンターテインメントとして)書かれていると思っています。

冒険風ライダーさんの意図は、「創竜伝の偏向した社会評論は、現実と照らし合わせるとこんなに事実と違うんだ」ということだと思います。それは社会評論が間違っているのを示唆しているのであり、現実世界と創竜伝世界を区別したからといって、現実に向けた社会評論まで「創竜伝世界」として完結し、許されているわけではありません。何度も言いますが、どうして「現実の」マハティール大統領の批判等が「創竜伝世界」の社会評論に必要なんですか。そういうことを指摘する行為が「エンターテイメント」だとしたら、世の評論家の方々はみんなエンターテイメントとして評論をしていることになりますよ。この部分は、ランゼルさんが冒険風ライダーさんの言葉を、ご自分に都合良く解釈されているように思います。


> 従って、
>
> > しかも、その内容ときたら、
> >
> > (一例)「刑務所や秘密警察で働く者は高貴ではありえない(大意)」
> >
> > などと、職業差別的なことを平気で述べておられます。作中人物の言葉ならともかく、「勧善懲悪物」小説の社会評論の部分で語るようなことではないでしょう。(中略)少なくとも、刑務所で勤務する人たちに罪はありませんし、そういう方が創竜伝を読めば気分を害されるのも当然ではないでしょうか?
>
> と言う部分も、例えば確かに水戸黄門にやられた藩主の子孫は、気分を害するのも当然だろうな、とは思います。
> でも、実在する藩主の子孫が、「水戸黄門は嘘つきだ」と水戸黄門の脚本家に主張しても、私は無条件に賛同はしないと思います。

ちょっと待ってください。同列にして比べられない問題を無理矢理並べてたとえるのはやめてくれませんか?
もし、わたしが「竜堂兄弟に叩きのめされた政治家のモデルとなった人物が、創竜伝を読んで気分を害するのも当然です」と主張しているならともかく、わたしはそんなことは一言も言っていません。
どうして、
「刑務所や秘密警察で働く者は高貴ではありえない」
と、
「実在する藩主の子孫が、「水戸黄門は嘘つきだ」と水戸黄門の脚本家に主張する」
ことが同列の問題なのですか。前者は、田中氏が創竜伝の社会評論で、現実に「本当に刑務所で働いている人々」を「高貴ではない」と職業差別的に貶めている発言です。比べて後者は、「水戸黄門」というお芝居(フィクション)の設定・ストーリー上、たまたま自分の先祖を悪役にされた子孫が制作者に「けしからん!」と抗議(いちゃもんつけ)するという問題でしょう。(だいいち、水戸黄門って本当に実在した人物を悪役にしたりするんですか?詳しい方、情報をください)水戸黄門の放映中に、突然、ストーリーとは関係なく「もともと、商人や農民という身分は高貴ではありえない」なんてナレーションが入りますか?創竜伝で田中氏がやっているのはそういうことなんですよ。あなたが問題提起していることと、わたしの指摘している問題とは別次元のものです。いくら何でも、こんな無理なたとえ方で比較するのはやめてくださいね。
ちなみに、創竜伝の(ここではストーリーにまったく関係のない)社会評論は「現実に刑務所で勤務する人々」を侮辱していますが、水戸黄門は「こらしめた悪役」を侮辱してはいません。同じ「フィクション」でも随分違いますね。

> それと、
>
> > わたしも、読んでいて小気味がいいと感じるときがあります。
>
> と創竜伝を部分的にでも楽しんでいる恵さんが
>
> > 創竜伝は「田中氏にとっての」娯楽小説のように見えます。
>
> と娯楽対象を限定するような記述は不自然に感じました。

わたしは、創竜伝を「勧善懲悪物」としては見てはいませんけど、「娯楽小説」だとは思っています。両者は似て非なるものですし、わたし自身、「創竜伝は娯楽小説ではない」という主張もしていません。対象を限定するつもりはなかったのですけど、(「田中氏にとっても」と言えば良かったかもしれません。ここは訂正させていただきます)こういう風に表現した理由は後述しますね。

> > 社会評論でストレス発散して一番気分がいいのは、たぶん田中氏本人でしょうから。
>
> の部分ですが、そもそも社会評論って書くとストレス発散が出来るのですか?
> 私は社会評論など書いたことがないので、良く解りません。

簡単です。それは、彼の評論が偏向した内容で対象を「斬りまくって」いるからです。(対象は「日本」そのものが多いです)

〜創竜伝2巻より引用〜
「破局は栄華のきわみに、突然おそいかかる。日本もそうならないといえるだろうか。世界中から富をかき集め、それを国際社会に還元しようとしない。有色人種の国でありながら、人種差別を制度化したファシズム国家南アフリカと深い関係をむすび、名誉白人といわれて喜んでいる。戦争放棄をうたった憲法を持ちながら、軍事予算は、アメリカとソビエトにつぐ世界第3位である。どういうわけか、「人種差別撤廃条約」にも「大量虐殺禁止条約」にも「生物化学兵器禁止条約」にも知らぬ顔である。バランス感覚を失して、大金をかかえたまま一輪車にまたがり、他の人々を突きたおして走りまわっている。いずれ必ず転倒するだろうし、そうなったとき、誰も助けてくれないだろう」

たとえば、この評論を読んで、内容が正しいかどうかはともかく、書いたご本人が「自分は正論を書いている」という意義を持ち、快感を覚えているのは想像に難くありません。
わたしはこの評論の内容には疑問を感じますが、「ここまで一方的に(社会を)斬ってれば気持ちいいだろうなぁ〜」とは思います。書かれないまま休眠中の他のシリーズを差し置いて、田中氏が創竜伝を意欲的に執筆していることもその証拠になるのではないでしょうか。
また、
「他人の批判(悪口)を言うと、すっとする」
というのは、程度の差はあっても、誰でも持っている感情だと思います。もちろん、わたしも社会評論を書いたことがありませんが、突き詰めていくと田中氏の偏向した上に一方的な(つまり根拠が少ない)社会評論は「他人の批判(悪口)を言うと、すっとする」というレベルでしかないと思うんです。


えっと、けっこう長い反論になってしまいましたけど、前提となる「創竜伝の社会評論をフィクション(小説)ととるか、現実の社会評論ととるか」でお互いの見解が大きく異なるのは仕方ないことかもしれません。ただ、わたしは思うのです。「あれは小説だから」という逃げ口上が、本当に田中氏にとっての弁護になっているのかな、と。小説なら小説として完結していればいいし(現実の評論などせずに)、上記のように社会に対して何か言いたいことがあるなら、「社会評論」の本として発表すればいいのです。評論を書いたことによる批判をかわすためだけに、「小説」の看板を使うのはおかしいのでは?というのがわたしたちの意見なんですよね。

p.s.
反論されるのを覚悟で、(アンチの)タナウツ掲示板(笑)に書き込まれたランゼルさんの勇気には敬意を表します(^_^)


No. 215
Re:感想の感想のレスを
Merkatz 2001/06/13 18:00
ランゼルさん、はじめまして。
既に他の方からレスがありますので、私からは少しだけ。

創竜伝において問題なのは社会評論だけではありません。
仮にそちらに目をつむるとしても、小説としてのストーリー破綻という致命的な欠点があるのです。
この辺りについては冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察シリーズ」でも述べられていますので、
一度目を通されてはいかがでしょうか。


No. 218
Re:レスです
ランゼル 2001/06/14 02:56
こんばんわ、ランゼルです。

あれ?

> ここでもその大前提が出てきましたね。
> それは勧善懲悪物と割り切っている人の視点でしょう。

え〜と、大前提と言われても、元々の感想が勧善懲悪物として見ている私から見て…という物なのですが。

私はオズマさんが前回、勧善懲悪物に一定の理解を示したと思ったので、
勧善懲悪物としてみることを前提で、あの様に書いただけなので。

> 私は少なくとも創竜伝を勧善懲悪ものとして割り切ってはいませんし、

勧善懲悪物と見えないのなら、単に見方の問題なので、特に問題はないと思います。

そして、勧善懲悪物としてみたとき、このHPの批判が変に感じることが伝わればいいです。

> さらに言わせてもらえれば、ランゼルさんの意見、「勧善懲悪ものでは、主人公は自分の正義を疑ったりしないと思うのですが」というのなら、
> 主人公のみならず、読者にもその正義を疑わせないだけの説得力がほしいものです。
> そうでなければ勧善懲悪ものではありませんから。例えば桃太郎。
> 「暴れまわる鬼がいました。ヒーローがそれを退治に出かけました。」そんな単純なほどの、ね。

これに関しては、どうでしょう?

オズマさんの主張は、水戸黄門ですら史実ドラマとして捉えて、勧善懲悪物として書いた脚本家を批判する人がいると言う物なので、

> 読者にもその正義を疑わせないだけの説得力

を持たせるのは、非常に難しいと思いますが。従って全て個人の解釈になると思うので、創竜伝が勧善懲悪物と読めても、読めなくても人それぞれという結論になると思います。

> ここでランゼルさんの疑問に対する答えですが、私もそこまで人間をアホだとは思いたくはありませんが、人間何かと権威には弱いもので、ベストセラーにかかれていることを鵜呑みにする人もいるってことです。
> それが社会論評として出版されるならば、それは学問的な批評の対象となりますから、その批判の場があるわけです。しかし、それは小説である以上、その思想に対する批判の機会は予め完封されてしまいます。しかもランゼルさんがおっしゃられるように、(というよりそれは勧善懲悪ものに限らず小説とはそういうものですが、)疑問ももたないようにその正義を主張しています。それ故に鵜呑みにされやすいわけです(もっとも受け入れるか否かは人それぞれの個人差ですから、私の危惧も杞憂だといわれるかもしれませんが)。だから「ヤバイ」んです。

お答えありがとうございます。ヤバイと思っている根拠は解りました。

ただ、

> 私もそこまで人間をアホだとは思いたくはありませんが、人間何かと権威には弱いもので、ベストセラーにかかれていることを鵜呑みにする人もいるってことです。

と言う部分をもって創竜伝がヤバイとしているのは、問題があるような気がします。

なぜならこれは、
オズマさんが鵜呑みにする人間と言っているか、
オズマさんは鵜呑みにしないが、他のオズマさんの定義する権威に弱いアホだという人間が鵜呑みにするだろう、と言っているのと同じですから。

前者なら鵜呑みにするオズマさんがヤバイだけですし、
後者なら、どうしてオズマさんが鵜呑みにしなかったのに、他の人間が鵜呑みにすると思うのでしょうか?
この意味でのヤバイに関しては、杞憂だと思います。

後、オズマさんの意見を読んで疑問に感じたことです。

オズマさんの田中芳樹氏への批判の根拠は、中国至上主義や、偏重左翼思想、自分勝手な教育論などを小説に載せるな、と言う物だと思うのですが、
オズマさん本人は、その思想が、本当に田中芳樹氏の思想であると考えていますか?

つまり、小説に(小説の内容に沿った)偏った思想を載せるから問題にしているのか、
小説に自分の思想を載せるから問題にしているのかと言うことです。

前者なら、作家、田中芳樹氏の創作手法に対する批判(例えば「創竜伝は左翼思想小説だ」のような)ですが、
後者だと、人間、田中芳樹氏の思想に対する批判(例えば「田中芳樹氏は現代日本を歪めて書いている、それが氏の思想だからだ」のような)を含むので、それが田中芳樹氏の本当の思想だと示す必要があると思います。

一例としては、思想が創竜伝に依存しているのか、創竜伝を離れても、その思想は生きているのかと言うことです。
田中芳樹氏の本当の思想なら、創竜伝に関係なく、あらゆる媒体で生きると思います。

逆に創竜伝だけなら、それはその思想の表現の場を田中芳樹氏自らコントロールしているのであり、それは即ち、創竜伝で意図的に出している思想、創竜伝だけのための思想と言うことになりませんか?

> 自分の思想を語りたいんなら小説という形をやめろ、というのが私の意見ですし、このホームページで多くの人が主張していることです。
> 田中芳樹にそれを社会論評や哲学書、思想書として発表するだけの度量も無いでしょうから言うだけ野暮ですけどね(むしろ自分の勝手な思想が小説だからこそ許されることをわきまえている?)。
> 補足ですが、このホームページはそんな批判の機会をあえて作った場のように思います。

私のように、良く解っていない人間に説明してくださると嬉しいです。


No. 220
Re:レスと質問です
古代蓮 2001/06/14 06:39
横やり失礼する。
田中芳樹氏の一ファンとしてどうしても言いたい。

>自分の思想を語りたいんなら小説という形をやめろ、というのが私の意見ですし、このホームページで多くの人が主張していることです。
> 田中芳樹にそれを社会論評や哲学書、思想書として発表するだけの度量も無いでしょうから言うだけ野暮ですけどね(むしろ自分の勝手な思想が小説だからこそ許されることをわきまえている?)。

このようなことが、このサイト内で良く語られている。
だが、小説内で自分の思想を語ってはいけないのだろうか?

小説の書き方の本を見れば、たいていは小説内で自分の意見を語らない、とは書いてある。しかし、それは一つのルールにすぎない。
小説というのは面白くなるなら、法に触れない限りは何をやってもいいものだと思っている。既存のルールを破っても、それが面白ければ問題ない。
そして、田中芳樹氏の小説は売れている。
つまりは読者がそういったものを求めているのだろう。昨今流行っている不良モノ(例:GTO)と同じことだ。

そしてもう一つ。
青木雄二が「ナニワ金融道」を描いた理由を、金融の汚さを誰でもわかる漫画にして一般人に伝えたかった。というようなことを語っていた。
田中芳樹氏も自分の思想を小説という媒体をとおして、より広くに伝えたいのだろう。


No. 221
Re:感想の感想のレスのレスのレスを
ランゼル 2001/06/14 07:06
こんばんわ、ランゼルです。

> まず、明らかに現実に起こった事件に対する批評(マハティール大統領批判etc.) は、たとえ小説の中に紛れていても間違いなく「批評」ですし、「これは小説だ、社会評論ではない」などという逃げのスタンスをとるが故に、田中氏はこのサイトで批判されているのです。あなたや田中氏の理屈が通るなら、「小説の一部」ということで創竜伝の中では何を言っても、どんな描写をしてもOKになってしまうじゃありませんか。仮に百歩譲ってそれを許したとしても、真っ当な手法(新聞に寄稿、本の出版etc.)で堂々と社会評論(批判)を書いている評論家の方々と比べると、すごく卑屈な行為だとわたしは思います。社会評論を書きたいなら、小説の看板を借りてコソコソ創竜伝に挿入しなくてもいいじゃないですか。はっきり言って、社会評論はストーリーの筋とは全然関係ないものも多いので、わたしには不必要にしか見えないんですけど。

え〜と、何とか頑張って行きたいと思いますが、的はずれなレスになるかも知れません。
それに、ほとんど目新しいことを言えないです。

私は勧善懲悪物として見ているので、

>「小説の一部」ということで創竜伝の中では何を言っても、どんな描写をしてもOKになってしまうじゃありませんか。

なんですよ。それが小説(特に勧善懲悪物)ではないのですか?それとも、小説という書式では書いてはいけないことが明確に規定されているのでしょうか?

少々脱線しますが、これは、私にとってこのHPを理解する上で、非常に重要なことです。
管理人さんは、

> 小説の初歩の初歩として、作品の中に作者の言葉が入ってはいけないというものがある。

とルールを挙げられていました。他にも小説には何か明文化されたルールがあり、それに田中芳樹氏は明らかに違反しているのでしょうか?例えば、恵さんが主張する、「社会評論は小説に書くな」のような。

話を戻します。

マハティール大統領批判ですか?
私は創竜伝世界にマハティール大統領なる人物が居るかどうか知りませんので、批評はどうかと言われても困ります。
多分、冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察28」のマレーシア首相の部分だと思いますが、

先に、念のために伺いますが、小説で過去の人物の事績を参考に人物を作り上げる手法は良いですよね?
仮に現実のマハティールと言う人物の事績が、創竜伝世界のマレーシア首相のネタ元であっても、それでマハティールと言う人物を正確に再現したマレーシア首相を作る必要がないのも良いですよね?

それで、創竜伝のマレーシア首相登場の評論のような部分の流れを読めば解りますが、「歴史を教えてはならない」と言う部分から続いている物です。
それを補強するための、標的の新聞社に都合良く、悪い日本を庇う人代表としての登場でしょう?
なぜ、そこでゲストキャラAと同じ扱いのマレーシア首相に、良いことを書く必要があるのですか?

逆にこの部分でマレーシア首相が、冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察28」のマハティール首相の様な人物だと描かれたら、
或いは、歴史小説のように実はマレーシア首相にも理があったと書かれたら、私は引きますが。

一方的な正義で悪を叩くのが勧善懲悪物だと私は思っています。と言うわけで、前提が違うので、私には不必要とは言えないのですよ。

> 冒険風ライダーさんの意図は、「創竜伝の偏向した社会評論は、現実と照らし合わせるとこんなに事実と違うんだ」ということだと思います。それは社会評論が間違っているのを示唆しているのであり、現実世界と創竜伝世界を区別したからといって、現実に向けた社会評論まで「創竜伝世界」として完結し、許されているわけではありません。

冒険風ライダーさんの意図って、そうなんですか?
この考察シリーズって、本当に小説を現実社会に対する評論と捉えて、全文批判していたのですか。

> この部分は、ランゼルさんが冒険風ライダーさんの言葉を、ご自分に都合良く解釈されているように思います。

と言われても、私が読んだ文章の解釈の自由は、私に有るのでは?
少なくとも私にとって、貴重な時間を割いて、評価していない小説全文を対象に批判文を書くなど、
まさにエンターテイナーのなせる技だと思いました。
そこで、前文にも

> 現実に立脚したバカ正直な批判ですので(相手はフィクション小説なのにね)

と、そのように解釈できる文章があったので、エンターテインメントとして書かれていると思い、そのままフィクションに現実で突っ込む方式のエンターテインメントとして読みました。

後、

> 何度も言いますが、どうして「現実の」マハティール大統領の批判等が「創竜伝世界」の社会評論に必要なんですか。そういうことを指摘する行為が「エンターテイメント」だとしたら、世の評論家の方々はみんなエンターテイメントとして評論をしていることになりますよ。

と言うのは言い過ぎでは?一つは私の解釈は、前提として考察の前文の存在が有ります。現実とフィクションの違いを論じている文章を読んで、エンターテインメントと評したのではありません。指摘する行為以前の段階で解釈が違います。もう一つは世の評論家の方々が、皆フィクションと現実の違いを論じているわけではないと思います。

> ちょっと待ってください。同列にして比べられない問題を無理矢理並べてたとえるのはやめてくれませんか?
> もし、わたしが「竜堂兄弟に叩きのめされた政治家のモデルとなった人物が、創竜伝を読んで気分を害するのも当然です」と主張しているならともかく、わたしはそんなことは一言も言っていません。
> どうして、
> 「刑務所や秘密警察で働く者は高貴ではありえない」
> と、
> 「実在する藩主の子孫が、「水戸黄門は嘘つきだ」と水戸黄門の脚本家に主張する」
> ことが同列の問題なのですか。前者は、田中氏が創竜伝の社会評論で、現実に「本当に刑務所で働いている人々」を「高貴ではない」と職業差別的に貶めている発言です。比べて後者は、「水戸黄門」というお芝居(フィクション)の設定・ストーリー上、たまたま自分の先祖を悪役にされた子孫が制作者に「けしからん!」と抗議(いちゃもんつけ)するという問題でしょう。(だいいち、水戸黄門って本当に実在した人物を悪役にしたりするんですか?詳しい方、情報をください)水戸黄門の放映中に、突然、ストーリーとは関係なく「もともと、商人や農民という身分は高貴ではありえない」なんてナレーションが入りますか?創竜伝で田中氏がやっているのはそういうことなんですよ。あなたが問題提起していることと、わたしの指摘している問題とは別次元のものです。いくら何でも、こんな無理なたとえ方で比較するのはやめてくださいね。
> ちなみに、創竜伝の(ここではストーリーにまったく関係のない)社会評論は「現実に刑務所で勤務する人々」を侮辱していますが、水戸黄門は「こらしめた悪役」を侮辱してはいません。同じ「フィクション」でも随分違いますね。

え〜と、別次元ですか?骨格は同じ話だと思うのですが。フィクションとして捉えるかです。

>「刑務所や秘密警察で働く者は高貴ではありえない(大意)」

と言う創竜伝内の記述(誰か、作中キャラクターの思想)を

刑務所で勤務する人たちが現実の

> 「本当に刑務所で働いている人々」を「高貴ではない」と職業差別的に貶めている発言

だとみなして、田中芳樹氏に抗議するとしたら、私は無条件に賛同はしないと言っています。
なぜなら、最初の恵さんの記述が、

> 刑務所で勤務する人たちに罪はありませんし、そういう方が創竜伝を読めば気分を害されるのも当然ではないでしょうか?

と、記述に対する読者を限定されているので。
従って、読者が取る行動予測(関係者がフィクションに抗議)と私の取る行動(賛同しない)が同じである以上、同列ではないでしょうか?それとも別次元ですか?

> わたしは、創竜伝を「勧善懲悪物」としては見てはいませんけど、「娯楽小説」だとは思っています。両者は似て非なるものですし、わたし自身、「創竜伝は娯楽小説ではない」という主張もしていません。対象を限定するつもりはなかったのですけど、(「田中氏にとっても」と言えば良かったかもしれません。ここは訂正させていただきます)こういう風に表現した理由は後述しますね。

訂正了解です。

> 簡単です。それは、彼の評論が偏向した内容で対象を「斬りまくって」いるからです。(対象は「日本」そのものが多いです)

> 〜創竜伝2巻より引用〜
> 「破局は栄華のきわみに、突然おそいかかる。日本もそうならないといえるだろうか。世界中から富をかき集め、それを国際社会に還元しようとしない。有色人種の国でありながら、人種差別を制度化したファシズム国家南アフリカと深い関係をむすび、名誉白人といわれて喜んでいる。戦争放棄をうたった憲法を持ちながら、軍事予算は、アメリカとソビエトにつぐ世界第3位である。どういうわけか、「人種差別撤廃条約」にも「大量虐殺禁止条約」にも「生物化学兵器禁止条約」にも知らぬ顔である。バランス感覚を失して、大金をかかえたまま一輪車にまたがり、他の人々を突きたおして走りまわっている。いずれ必ず転倒するだろうし、そうなったとき、誰も助けてくれないだろう」

> たとえば、この評論を読んで、内容が正しいかどうかはともかく、書いたご本人が「自分は正論を書いている」という意義を持ち、快感を覚えているのは想像に難くありません。
> わたしはこの評論の内容には疑問を感じますが、「ここまで一方的に(社会を)斬ってれば気持ちいいだろうなぁ〜」とは思います。

え〜と、お答えありがとうございます。ただ、これは例が悪いです。これって私にとっては竜堂始の述解部分なので、始の認識としては正しいことです。
確か私だけでなく恵さんも、作中人物なら良いのではありませんでした?

> 書かれないまま休眠中の他のシリーズを差し置いて、田中氏が創竜伝を意欲的に執筆していることもその証拠になるのではないでしょうか。

これは証拠になるのでしょうか?創竜伝2巻を引用されたと言うことは、あの当時のアルスラーン戦記が同等かそれ以上のペースで執筆されていたので、証拠にならないのではないでしょうか?

> また、
> 「他人の批判(悪口)を言うと、すっとする」
> というのは、程度の差はあっても、誰でも持っている感情だと思います。
> もちろん、わたしも社会評論を書いたことがありませんが、突き詰めていくと田中氏の偏向した上に一方的な(つまり根拠が少ない)社会評論は「他人の批判(悪口)を言うと、すっとする」というレベルでしかないと思うんです。

この辺りは、確かめる手段が私にはないので一点だけ。田中芳樹氏がそう言うレベルだったとして、他の人にも当てはまる心理なのでしょうか?例えば、恵さんはどうですか?実際に恵さんも一方的に田中芳樹氏を斬っていますが、気持ちいいとか、すっとするとかあるでしょうか?

批判者の心理は似ているのか、それとも、恵さんが田中芳樹氏をそのようなレベルだと評しているだけなのかが知りたいです。

> えっと、けっこう長い反論になってしまいましたけど、前提となる「創竜伝の社会評論をフィクション(小説)ととるか、現実の社会評論ととるか」でお互いの見解が大きく異なるのは仕方ないことかもしれません。ただ、わたしは思うのです。「あれは小説だから」という逃げ口上が、本当に田中氏にとっての弁護になっているのかな、と。小説なら小説として完結していればいいし(現実の評論などせずに)、上記のように社会に対して何か言いたいことがあるなら、「社会評論」の本として発表すればいいのです。評論を書いたことによる批判をかわすためだけに、「小説」の看板を使うのはおかしいのでは?というのがわたしたちの意見なんですよね。

と言う部分に対して、私が言うことはないです。オズマさんの所でも書きましたが、
勧善懲悪物として読むと、ここのHPの意見は違和感を感じると言うのが元々の感想ですし。

> p.s.
> 反論されるのを覚悟で、(アンチの)タナウツ掲示板(笑)に書き込まれたランゼルさんの勇気には敬意を表します(^_^)

え〜と、HPの感想を書くのに勇気が要るのでは、閉鎖的ですよ。
私のは感想ですが、HPの趣旨と違ってもきちんとレスを付けてくれるのが嬉しいです。

それと、フィクション、ノンフィクションに関わらず、田中芳樹氏が小説のルール違反をしているのなら、それは小説家として問題だと思います。
できれば、そこを確認して、このHP理解の足がかりにしたいです。


No. 222
Re:感想の感想のレスのレスのレスを
ランゼル 2001/06/14 07:54
初めまして、Merkatzさん。よろしくお願いします。

> 創竜伝において問題なのは社会評論だけではありません。
> 仮にそちらに目をつむるとしても、小説としてのストーリー破綻という致命的な欠点があるのです。
> この辺りについては冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察シリーズ」でも述べられていますので、
> 一度目を通されてはいかがでしょうか。

ご指摘ありがとうございます。

冒険風ライダーさんの創竜伝考察32〜34
創竜伝最大の破綻・前・中・後編
辺りでしょうか?

ところがこの批判も創竜伝を勧善懲悪物としてみると、指摘された点でも大半は破綻していないのが面白いところです。
勧善懲悪物では、「創竜伝の世界ではそう言うものだ」、言い換えれば「お約束」で終わってしまいます。

と言うか、設定に対して終わらせないのは、一昔前に流行った謎本とかと同列に私は見ているので、
考察シリーズは社会評論よりも今回の32〜34の設定に対する考察の方が、まとめらしく知識的にも冒険風ライダーさんの見解も面白いですが、それでも内容はあまり賛同は出来ませんでした。

とは言え、完全に考察を否定して、破綻していないと言い切れもしないのが、創竜伝で楽しんでいる身ながらも、辛いところです。やはり疑問点は私にもあります。ただ、ストーリーは、完結して初めて評価できることなので(今の疑問点が、続巻で解消されることがある)、皆さんと同じく私も完結待ちです。


No. 223
Re:レスです
オズマ 2001/06/14 08:52
こんにちはオズマです。
創竜伝が勧善懲悪ものか否かについては、個人的な差異というものとして割り切るとして、

> ただ、
>
> > 私もそこまで人間をアホだとは思いたくはありませんが、人間何かと権威には弱いもので、ベストセラーにかかれていることを鵜呑みにする人もいるってことです。
>
> と言う部分をもって創竜伝がヤバイとしているのは、問題があるような気がします。
>
> なぜならこれは、
> オズマさんが鵜呑みにする人間と言っているか、
> オズマさんは鵜呑みにしないが、他のオズマさんの定義する権威に弱いアホだという人間が鵜呑みにするだろう、と言っているのと同じですから。
>
> 前者なら鵜呑みにするオズマさんがヤバイだけですし、
> 後者なら、どうしてオズマさんが鵜呑みにしなかったのに、他の人間が鵜呑みにすると思うのでしょうか?
> この意味でのヤバイに関しては、杞憂だと思います。

まずこれに関して。
まあ言葉の度が過ぎたことは率直に認めましょう。私が言いたかったことは、人というものは影響されやすいということです。しかも、大概がマスコミによって。世論がマスコミの主導という形として形成されるわけですから。マスコミが創りたい世論以外の思想は極力排除されるのが現在のマスコミの体制です。例えそれが真に必要な思想かどうかは別として。
ひとつ例をあげましょう。今世間をにぎわかしている田中外相の発言の問題。田中外相が、情報をリークした外務省官僚を批判することばかりをマスコミは報道しています。しかも概ねそれを肯定するかのような、田中外相を応援するかのような。しかしそれこそ問題のすり替えであって、もちろんそれはそれで批判されるべきことで、真相を明らかにする必要はあるのですが、田中外相の資質の問題が争われることはほとんどありません。政府の一貫した立場で同盟国としている国を自分の一存で批判したという資質の問題です。もしそれを個人的な見解だとして許容できるとするなら、以前の森総理の「神の国発言」も個人的な見解だとして許容してしかるべきです。人々はその矛盾に気がついていない(あるいはマスコミが気づかせようとしていない)。
小泉政権を有利にする世論を作ろうとする(あるいは小泉政権を変にこき下ろしたら、読者視聴者に見放される)マスコミにとっては意図的にそのことに触れまいとしている好例です。そして、人が影響されやすいというのは、先日の世論調査で、田中外相の資質について疑問を持つ人の割合が圧倒的に低かったことに現れています。それが人々の自主的な判断とするなら、それはそれで問題ないのかもしれませんが、11.3%というのは異常のような気がします。ついでに、個人的見解として許容できる人は60パーセントを越えていました。
私の持論というほどのものではありませんが、マスコミ(田中芳樹も文筆業者としてその範疇に入れますが)は公正さをというのがあります。あくまでも読み手、聞き手が判断をくだせるような表現の仕方を望みたいものです。そこのところを汲んでもらって私の考えを理解してほしいと思います。

> 後、オズマさんの意見を読んで疑問に感じたことです。
>
> オズマさんの田中芳樹氏への批判の根拠は、中国至上主義や、偏重左翼思想、自分勝手な教育論などを小説に載せるな、と言う物だと思うのですが、
> オズマさん本人は、その思想が、本当に田中芳樹氏の思想であると考えていますか?
>
> つまり、小説に(小説の内容に沿った)偏った思想を載せるから問題にしているのか、
> 小説に自分の思想を載せるから問題にしているのかと言うことです。

半々ですね。程度の問題です。まず小説という媒体が問題です。「お話」に必要以上の自分の思想を盛り込むのはそのつくりかたに問題がありますし、それを言いたいがために小説を書いていると思われても仕方がありません。やるならもっと小説の内容に沿ったやり方にしてほしいものです。例として、食通であった池波正太郎の小説にやたら料理の描写が出てくるといった程度のようなものは、季節感を出すため、時代感を出すためといったような理由からも小説の内容に違和感無く挿入されていて許容できます。あるいは、彼はエッセーという形で、思想なら思想で割り切っています。田中芳樹と池波正太郎を比較すること自体が池波正太郎に失礼かもしれませんが、田中芳樹にもこのくらいのプロ意識を持ってほしいものです。
それをふまえてですが、思想の方を言いたいのなら、社会論評という形で、批判のできる形で出してほしいですね。そうすれば、彼の偏っている(少なくとも私はそう思っている)思想についても議論の対象となりうるというわけです。それが小説という形で出される以上、それに反対だとしても、こういうホームページの場のような場以外では大手を振って議論できません。それは学問として社会論評などを発表して、それに反対する人たちと議論を行っているほかの学者さんたちに対して失礼だとは思いませんか。

> 前者なら、作家、田中芳樹氏の創作手法に対する批判(例えば「創竜伝は左翼思想小説だ」のような)ですが、
> 後者だと、人間、田中芳樹氏の思想に対する批判(例えば「田中芳樹氏は現代日本を歪めて書いている、それが氏の思想だからだ」のような)を含むので、それが田中芳樹氏の本当の思想だと示す必要があると思います。

それに関してはこのホームページで皆さんやられていることですし、例えば教育論については、彼の(創竜伝関係ではありませんが)図書館認識について私も批判させてもらったことがあります。まずはそちらの検討からはじめてはいかがでしょう。

> 一例としては、思想が創竜伝に依存しているのか、創竜伝を離れても、その思想は生きているのかと言うことです。
> 田中芳樹氏の本当の思想なら、創竜伝に関係なく、あらゆる媒体で生きると思います。
>
> 逆に創竜伝だけなら、それはその思想の表現の場を田中芳樹氏自らコントロールしているのであり、それは即ち、創竜伝で意図的に出している思想、創竜伝だけのための思想と言うことになりませんか?

ちなみに、それを言うなら、その根拠の方から示してほしいと思います。少なくとも、田中芳樹のいろいろな小説その他の文章を読んだ限りでは私にはそのような見解は出てきませんでしたが。

ではこのへんで。


No. 224
Re:レスと質問です
オズマ 2001/06/14 09:09
こんにちはオズマです。
簡単に。

> そして、田中芳樹氏の小説は売れている。
> 田中芳樹氏も自分の思想を小説という媒体をとおして、より広くに伝えたいのだろう。


売れているからこそ問題なんだと思います。ストーリのおもしろさと彼の思想は別です。確かここの投稿にも、不必要な社会論評を飛ばして呼んでいるという意見を書いていた人もいたと思いますが。もちろんそれを楽しみにしている人もいるとは思いますけど、そうでない人もいるでしょうね。


後のことについては、直接の答えにはなっていない部分もあるかとはおもいますが、223の私の投稿においてこのことについて意見を述べさせていただいています。

ではこのへんで。


No. 226
フィクションか評論か?
2001/06/14 15:55
こんにちわ、恵です☆
なかなかランゼルさんと意見が合いませんけど、もう少しわたしも頑張ってみたいと思います。

> > まず、明らかに現実に起こった事件に対する批評(マハティール大統領批判etc.) は、たとえ小説の中に紛れていても間違いなく「批評」ですし、「これは小説だ、社会評論ではない」などという逃げのスタンスをとるが故に、田中氏はこのサイトで批判されているのです。あなたや田中氏の理屈が通るなら、「小説の一部」ということで創竜伝の中では何を言っても、どんな描写をしてもOKになってしまうじゃありませんか。仮に百歩譲ってそれを許したとしても、真っ当な手法(新聞に寄稿、本の出版etc.)で堂々と社会評論(批判)を書いている評論家の方々と比べると、すごく卑屈な行為だとわたしは思います。社会評論を書きたいなら、小説の看板を借りてコソコソ創竜伝に挿入しなくてもいいじゃないですか。はっきり言って、社会評論はストーリーの筋とは全然関係ないものも多いので、わたしには不必要にしか見えないんですけど。

>
> 私は勧善懲悪物として見ているので、
>
> >「小説の一部」ということで創竜伝の中では何を言っても、どんな描写をしてもOKになってしまうじゃありませんか。
>
> なんですよ。それが小説(特に勧善懲悪物)ではないのですか?それとも、小説という書式では書いてはいけないことが明確に規定されているのでしょうか?

これについては、管理人さんが答えると思っていましたので、今まで故意に言及しませんでした。ですが、避けて通れない話題なのでわたしなりの意見を言いますね。
「小説という書式では書いてはいけないことが明確に規定されている」
ということは、基本的にはないと思います。ただ、だからといって何を書いてもいいとは思いません。
まず、「表現上、不適切な言葉(描写)」というものがあります。これは人権や倫理を侵すような表現のことで(差別や性描写など)、「絶対に書いてはいけない」ということではありませんけど、作家のモラルが問われる部分です。人権擁護団体の抗議や差別対象を自分の言葉によって傷つけ、そこからくる良心の呵責さえも「どうでもいい、気にならない」と思っているなら、発禁覚悟で堂々と表現できるでしょうね。
そして、みんなが指摘していることですけど、創竜伝は社会評論があることで面白いわけではありません。むしろ、多くの人が読み飛ばしている「不要」な部分ですから、ない方がいいと言ってるんです。どうしても評論を書きたいなら、田中氏は小説ではなく評論本を執筆すればいいのですから。(ちなみに、創竜伝の魅力については、ベスト収録の「わたしの創竜伝の魅力推論」をご覧になってみてください。創竜伝のどこが面白いのか、なぜ売れるのか?を皆さんとなかなかうまく議論できたと思っています)
あと、素朴な疑問ですけど、あの社会評論をランゼルさんは面白いと思ってらっしゃるのでしょうか?作品全体を面白くするための手法としてなら、私も肯くことができるのですけど、あの評論が作品世界の設定を滅茶苦茶にし、しかも評論内容の根拠はない・偏向している、とくればどう考えても不要な存在にしか見えません。わたしには、ランゼルさんは「勧善懲悪物(小説・フィクション)」という万能の免罪符を振りかざして、事実から目を反らしてらっしゃるように見えるんですけど。


> マハティール大統領批判ですか?
> 私は創竜伝世界にマハティール大統領なる人物が居るかどうか知りませんので、批評はどうかと言われても困ります。
> 多分、冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察28」のマレーシア首相の部分だと思いますが、
>
> 先に、念のために伺いますが、小説で過去の人物の事績を参考に人物を作り上げる手法は良いですよね?
> 仮に現実のマハティールと言う人物の事績が、創竜伝世界のマレーシア首相のネタ元であっても、それでマハティールと言う人物を正確に再現したマレーシア首相を作る必要がないのも良いですよね?
>
> それで、創竜伝のマレーシア首相登場の評論のような部分の流れを読めば解りますが、「歴史を教えてはならない」と言う部分から続いている物です。
> それを補強するための、標的の新聞社に都合良く、悪い日本を庇う人代表としての登場でしょう?
> なぜ、そこでゲストキャラAと同じ扱いのマレーシア首相に、良いことを書く必要があるのですか?
>
> 逆にこの部分でマレーシア首相が、冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察28」のマハティール首相の様な人物だと描かれたら、
> 或いは、歴史小説のように実はマレーシア首相にも理があったと書かれたら、私は引きますが。

ここは見解の相違、という結論でお互い納得しませんか?わたしはあれを批評と思っていますし、ランゼルさんはフィクションと思っている限り、このまま議論を続けても意見が一致するとも思えませんから。


> 冒険風ライダーさんの意図って、そうなんですか?
> この考察シリーズって、本当に小説を現実社会に対する評論と捉えて、全文批判していたのですか。
>
> > この部分は、ランゼルさんが冒険風ライダーさんの言葉を、ご自分に都合良く解釈されているように思います。
>
> と言われても、私が読んだ文章の解釈の自由は、私に有るのでは?
> 少なくとも私にとって、貴重な時間を割いて、評価していない小説全文を対象に批判文を書くなど、
> まさにエンターテイナーのなせる技だと思いました。
> そこで、前文にも
>
> > 現実に立脚したバカ正直な批判ですので(相手はフィクション小説なのにね)
>
> と、そのように解釈できる文章があったので、エンターテインメントとして書かれていると思い、そのままフィクションに現実で突っ込む方式のエンターテインメントとして読みました。

言葉が少し足りませんでした。確かに、解釈は個人の自由です。でも、その解釈に基づく自分にとって都合のいい引用は避けるべきでしょう。わたしの想像の世界ですけど、冒険風ライダーさんの意図をあなたとは違うものだと感じましたし、もしそうなら引用先の相手にとって迷惑になるからです。この問題は、冒険風ライダーさんご自身に答えていただいてから結論を出しませんか?(と、いうわけで、お手数で申し訳ありませんけど、冒険風ライダーさん、解説をよろしくお願いしま〜す(^o^)-☆)


> 後、
>
> > 何度も言いますが、どうして「現実の」マハティール大統領の批判等が「創竜伝世界」の社会評論に必要なんですか。そういうことを指摘する行為が「エンターテイメント」だとしたら、世の評論家の方々はみんなエンターテイメントとして評論をしていることになりますよ。
>
> と言うのは言い過ぎでは?一つは私の解釈は、前提として考察の前文の存在が有ります。現実とフィクションの違いを論じている文章を読んで、エンターテインメントと評したのではありません。指摘する行為以前の段階で解釈が違います。もう一つは世の評論家の方々が、皆フィクションと現実の違いを論じているわけではないと思います。
>

> え〜と、別次元ですか?骨格は同じ話だと思うのですが。フィクションとして捉えるかです。
>
> >「刑務所や秘密警察で働く者は高貴ではありえない(大意)」
>
> と言う創竜伝内の記述(誰か、作中キャラクターの思想)を
>
> 刑務所で勤務する人たちが現実の
>
> > 「本当に刑務所で働いている人々」を「高貴ではない」と職業差別的に貶めている発言
>
> だとみなして、田中芳樹氏に抗議するとしたら、私は無条件に賛同はしないと言っています。
> なぜなら、最初の恵さんの記述が、
>
> > 刑務所で勤務する人たちに罪はありませんし、そういう方が創竜伝を読めば気分を害されるのも当然ではないでしょうか?
>
> と、記述に対する読者を限定されているので。
> 従って、読者が取る行動予測(関係者がフィクションに抗議)と私の取る行動(賛同しない)が同じである以上、同列ではないでしょうか?それとも別次元ですか?

これも同上で、「フィクションか評論か?」の議論が決着しないと答えは出ません。結局、お互いの主張の根っこはここにあるわけですから。

> > 簡単です。それは、彼の評論が偏向した内容で対象を「斬りまくって」いるからです。(対象は「日本」そのものが多いです)
>
> > 〜創竜伝2巻より引用〜
> > 「破局は栄華のきわみに、突然おそいかかる。日本もそうならないといえるだろうか。世界中から富をかき集め、それを国際社会に還元しようとしない。有色人種の国でありながら、人種差別を制度化したファシズム国家南アフリカと深い関係をむすび、名誉白人といわれて喜んでいる。戦争放棄をうたった憲法を持ちながら、軍事予算は、アメリカとソビエトにつぐ世界第3位である。どういうわけか、「人種差別撤廃条約」にも「大量虐殺禁止条約」にも「生物化学兵器禁止条約」にも知らぬ顔である。バランス感覚を失して、大金をかかえたまま一輪車にまたがり、他の人々を突きたおして走りまわっている。いずれ必ず転倒するだろうし、そうなったとき、誰も助けてくれないだろう」
>
> > たとえば、この評論を読んで、内容が正しいかどうかはともかく、書いたご本人が「自分は正論を書いている」という意義を持ち、快感を覚えているのは想像に難くありません。
> > わたしはこの評論の内容には疑問を感じますが、「ここまで一方的に(社会を)斬ってれば気持ちいいだろうなぁ〜」とは思います。
>
> え〜と、お答えありがとうございます。ただ、これは例が悪いです。これって私にとっては竜堂始の述解部分なので、始の認識としては正しいことです。
> 確か私だけでなく恵さんも、作中人物なら良いのではありませんでした?

ごめんなさい、ここはランゼルさんの方が正しいです。評論部分と思っていましたので、例にあげたのですけど、そうでないならあなたのおっしゃる通りです。ただ、これはわたしの例の挙げ方まずかっただけで、主張そのものを変えるつもりはありません。

> > 書かれないまま休眠中の他のシリーズを差し置いて、田中氏が創竜伝を意欲的に執筆していることもその証拠になるのではないでしょうか。
>
> これは証拠になるのでしょうか?創竜伝2巻を引用されたと言うことは、あの当時のアルスラーン戦記が同等かそれ以上のペースで執筆されていたので、証拠にならないのではないでしょうか?

これも引用例がまずかったです。わたしの意図としては、最近の執筆傾向を言いたかったので、そうであるなら違う証拠を提示するべきでした。

> > また、
> > 「他人の批判(悪口)を言うと、すっとする」
> > というのは、程度の差はあっても、誰でも持っている感情だと思います。
> > もちろん、わたしも社会評論を書いたことがありませんが、突き詰めていくと田中氏の偏向した上に一方的な(つまり根拠が少ない)社会評論は「他人の批判(悪口)を言うと、すっとする」というレベルでしかないと思うんです。
>
> この辺りは、確かめる手段が私にはないので一点だけ。田中芳樹氏がそう言うレベルだったとして、他の人にも当てはまる心理なのでしょうか?例えば、恵さんはどうですか?実際に恵さんも一方的に田中芳樹氏を斬っていますが、気持ちいいとか、すっとするとかあるでしょうか?
>
> 批判者の心理は似ているのか、それとも、恵さんが田中芳樹氏をそのようなレベルだと評しているだけなのかが知りたいです。

う〜ん、そんなに大げさに考えることでしょうか?巷の居酒屋に行けば、サラリーマンの皆様が上司・同僚・会社の批判(悪口)を言っている姿は全国津々浦々、どこでも見かける光景ですよね(笑)?彼らは、お酒の席で嫌々そんな話題で盛り上がっているのでしょうか?気の置ける仲間たちと積極的に他人の悪口を言い合うことによって、自分の気持ちがすっとする(ストレス発散)できるからでしょう?(もちろん、わたし自身にもそういう気分のときはあります)このメンタリティは田中氏の評論に通じるものがあるのでは?というのがわたしの意見です。
また、「実際に恵さんも一方的に田中芳樹氏を斬っていますが、気持ちいいとか、すっとするとかあるでしょうか?」とのご質問ですけど、わたしは同じ斬るでも「田中氏の〜という作品の〜という文章・考えを〜という理由で〜と思う」という、それなりの根拠と言い方に気をつけて「批判」しているつもりです。どこがどう「一方的」なのですか? 田中氏が評論のときに守っていない批判時のモラルを守って発言しているつもりなので、同じだと言われるとあまりいい気持ちにはなれません。そして、わたしのスタンスとしては「少しでも田中作品の〜という悪い部分が改善されたら」というファンの苦言として批判しているのです。「悪口を言ってすっとする」ときの心境とは違います。ほとんど根拠のない田中氏の言いたい放題の評論がそうなのでは?と言いたいんです。ここは誤解なさらないようにお願いしますね。

> > p.s.
> > 反論されるのを覚悟で、(アンチの)タナウツ掲示板(笑)に書き込まれたランゼルさんの勇気には敬意を表します(^_^)
>
> え〜と、HPの感想を書くのに勇気が要るのでは、閉鎖的ですよ。

「ただの感想」ならそうでしょう。でも、あなたの場合、このサイトの根源を揺るがす発言を確信犯的行っているのですから、わたしたちに反論されるのはご承知だったはずです。おそらく、それを受け止める覚悟と勇気を持っておられたのでしょうから、その気概に敬意を表したつもりなんですけど。別に感想を書き込まれた行為自体を称賛したわけではありません。う〜ん、わたしの方が誤解させる言い方だったかなぁ?f(^_^;)

> それと、フィクション、ノンフィクションに関わらず、田中芳樹氏が小説のルール違反をしているのなら、それは小説家として問題だと思います。

「ルール違反」ではないかもしれませんけど(ルールの定義については、わたしも断言はできませんので管理人さんの意見を待ちます)、「モラル違反」ではある思います。評論部分の職業差別発言などは、特にそう思います。田中氏は、「夢幻都市」で相馬邦夫に「自分の職業を侮辱されて黙っている奴はバカだ」と言わせたのは一体何のためだったのでしょう?あの言葉を言わせた作者と創竜伝の評論を書いた作者が同一の人物とは、ちょっとわたしには思えません。どうせ、「あれは相馬邦夫というキャラクターの発言だから問題ない」とあなたは言うのでしょうけど、わたしはそのように自分の作品表現に一貫性のない田中氏の小説家としての姿勢に疑問を抱かずにはいられません。「それでもフィクションだから」とおっしゃるなら、残念ながらわたしとあなたの意見はずっと平行線のまま、「見解の相違」の域を出ないと思います。


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