反銀英伝・設定検証編
5−B

銀英伝の宗教事情(2)

WEBRANKING テキストサイト部門 サイトランキング 文学・小説・童話部門 mixiチェック

このエントリーをはてなブックマークに追加

コンテンツの総収録投稿数36件の内、15〜36件目の投稿を掲載

収録投稿15件目
board4 - No.2851

不可解といえば

投稿者:駆け出し
2002年09月24日(火) 14時33分

駆け出しでございます。

「銀英」の作中には、宗教のことがあまり、描かれていませんね。「地球教」という、一種のカルト集団は出てきましたが。

個人的には、人類が宇宙に植民しようとも、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、仏教などがなくなってしまうとは思えません。

むしろ、啓典の民といわれるキリスト、イスラム、ユダヤなどの教徒たちは、それぞれ自分たちの星を作ってしまうのではないかと思うのですが。

いかなる経緯で地球教以外の宗教が消滅してまったのかが知りたいものです。

もし、消滅していないとしたら、異教徒(ルドルフがイスラム教徒だったとは思えませんので)である「皇帝」をイスラム教徒たちは、自らの支配者として容認したのでしょうか。

収録投稿16件目
board4 - No.2855

Re:不可解といえば

投稿者:イッチー
2002年09月24日(火) 21時44分

 第6巻序章「地球衰亡の記録」によれば、西暦2129年の「13日間戦争」後の混乱のなかで従来の宗教がまったく無力だったために宗教は衰退してしまったようです。私はその程度では宗教は衰退しないと思いますが・・・。(苦笑)
 銀河帝国では「大神オーディン」とか「ヴァルハラ」とかいう言葉がよく使われるので、おそらく皇帝崇拝と古代ゲルマンの神話を組み合わせた国家神道のような宗教が一般に信じられているのではないでしょうか?

収録投稿17件目
board4 - No.2856

Re:不可解といえば

投稿者:八木あつし
2002年09月24日(火) 22時09分

どうも駆け出しさん。八木と申します。
地球教以外では、帝国において大神オーディンにヴァルハラ(天上)と北欧神話らしきものが出ています。ただこれは宗教というよりは、慣習に近いと思います。ルドルフは自己神格化を行っているので、皇帝の権威を強めるために、ルドルフが皇帝は神の恩寵を受けていると喧伝した結果なのかもしれません。
銀英伝の作中では、地球全土を巻き込んだ十三日間戦争とその後の混乱期に、各宗教の過激派による異教徒の虐殺がありました。また各宗教の教義にある神や救世主も降臨しなかった。これが宗教が廃れていった理由になっていますが、作中通りの理由でも良いのではないでしょうか。特にイスラム教徒やヒンドゥー教徒などは、十三日間戦争での核攻撃でほとんど消滅してしまったでもいいと思います。
何より地球で生まれた宗教は、地球が聖地で、地球の神々です。地球統一政府誕生後に宗教がわずかに残っていたとしても、地球対植民星の戦争で地球が敗北するとき、聖地も黒旗軍の地球総攻撃で破壊されたと思います。ここまでくれば、もはや宗教への拠り所とはならないでしょう。結果、日本的な節操のない宗教観の世界になった。
もっとも私自身が無宗教なのでこう感じるだけなのかもしれませんが。
あと銀英伝唯一の公認宗教地球教です。私は、破壊された地球に残った人々の中で、既存宗教の融合が行われ、その結果として地球教が生まれたのではないかと思っています。

どーでもいいですが私が好きな架空宗教は、銀英伝の地球教と斉藤英一郎さんのSF作品に出てくるハートランド正教。(笑)

収録投稿18件目
board4 - No.2859

Re:不可解といえば

投稿者:Ken
2002年09月25日(水) 00時38分

駆け出しさん、こんにちは。

銀英伝の中に宗教に関する記述は随所に現れますが、物語の舞台になっている世界の宗教状況については、イッチーさんが挙げられた「地球衰亡の記録」の他に、私は次のような箇所に注目しています。

>「君は神を信じないのかね?」
>「まったく信じていません」
(野望篇第七章−1)

ルビンスキーとボリス・コーネフの会話ですが、前後の文脈からして、これはジョークの応酬ではなく、真面目な問いに真面目に答えたものです。わざわざ「神を信じるか」と尋ねたことから推測すると、信じる人が無視できないほどに存在するのでしょう。

また、次のような記述もあります。

>ミュッケンベルガーは、理由のない不安が胸中に蠢動するのをおぼえた。
>「大神オーディンよ、心あらば、わが正義の軍をして凱歌をあげさせたまえ」
>ミュッケンベルガー元帥は声に出して祈った。他の大部分の提督も、期せずしてそれに和したことであろう。
(外伝1第七章−6)

この部分も、ミュッケンベルガー以下の諸将が、かなり真剣に祈っているように読めます。

こうしてみると、13日戦争・90年戦争の後衰退した宗教心が、銀英伝の時代には少なからず復活しているようです。また地球教が地球以外にも信徒を獲得していることから判断すると、帝国・同盟の人々は、「宗教とはいかなるものか」という基本認識くらいは持っていたし、「人間を超越した存在」や「宇宙を律する真理」を受け入れやすい心情があったのでしょう。そうでなければ、地球教の布教が行われても、そも何を言っているのか分からないと思います。

では、銀英伝世界の人類は、どんな宗教を信じていたのでしょうか?例えば、次のような記述があります。

>なぜ一三という数が不吉かというと、これには定説がない。(中略)すでに滅び去った古い宗教の開祖が一三人目の弟子に背かれたからという説もある。
(黎明篇第五章−2)

13を不吉とする迷信は欧米に古くからあり、その起源はキリスト教にあるので、ここでいう「すでに滅び去った古い宗教」とは、おそらくキリスト教を指すのでしょう。
(ただし、上の記述はまったく不正確で、キリスト教に対する作者の知識の欠如を示しています。ユダはイエスが選んだ「十二使徒」の一人で、十三人目の弟子などではありません。13が不吉とされるのは、イエスが捕らえられた夜の「最後の晩餐」に集まったのが13人――つまりイエスと十二使徒――だったから。)

では、キリスト教は、銀英伝の時代には滅びていたのでしょうか?そうかもしれませんが、実を言うと、私にはそうは思えない理由があります。

ご存知のように、銀英伝に登場する艦名や地名には、神話に由来するものが圧倒的に多いのです。ブリュンヒルト、ベオウルフ、ヒューペリオン、ユリシーズ、バーラト、ダゴン、アスターテ等々。どうやら、帝国・同盟の双方とも、よほど神様の名前を船や場所に付けるのが好きなようです。

ところが、どういうわけか、「イエス」や「ブッダ」や「アラー」や「ヤホーバ」といった、我々の時代に世界宗教の地位を得ている宗教の神の名は、まったく登場しません。もっとも「クリシュナ」や「シヴァ」などヒンズー教の神名は使われています。しかし、ヒンズー教は、いかに信者の数は多くても、インド人というエスニシティを越えて広がってはいないので、世界宗教とは認められないのでしょう。

なぜ、「戦艦イエス」や「ブッダ星域」や「惑星アラー」が出てこないのでしょうか?キリスト教や仏教やイスラム教が完全に過去のものになったのなら、イエスもブッダもアラーも、ヒューペリオンやバーラトと同様の扱いをしてもよいはずです。

それができないのは、結局のところ、キリスト教や仏教やイスラム教を奉じる人々が、まだ多数いるからではないでしょうか?つまりこれらの宗教の神の名を使うことに、神経質にならざるを得ない背景があるのではないか、と思われます。

収録投稿19件目
board4 - No.2862

Re:不可解といえば

投稿者:イッチー
2002年09月25日(水) 04時30分

> なぜ、「戦艦イエス」や「ブッダ星域」や「惑星アラー」が出てこないのでしょうか?キリスト教や仏教やイスラム教が完全に過去のものになったのなら、イエスもブッダもアラーも、ヒューペリオンやバーラトと同様の扱いをしてもよいはずです。
>
> それができないのは、結局のところ、キリスト教や仏教やイスラム教を奉じる人々が、まだ多数いるからではないでしょうか?つまりこれらの宗教の神の名を使うことに、神経質にならざるを得ない背景があるのではないか、と思われます。

私は逆に銀英伝の世界では、一神教が衰退して、多神教が多数の世界、つまりキリスト教誕生以前の世界に逆戻りしてしまったのだと思います。ローマ帝国ではギリシア・ローマ神話に出てくる神様が崇拝されていたと聞いたことがありますが、銀河帝国では古代ゲルマン神話に出てくる神様が崇拝され、なかでもオーディンが帝国または帝室の守り神として広く崇拝されているのではないでしょうか。逆に皇帝よりも地球を崇拝する一神教の地球教は弾圧の対象になると思いますが、帝国で布教が認められているのが不思議です。当初は弾圧の対象になっていたのが、賄賂を贈って布教を認めさせたのでしょうか?
 同盟では信教の自由は確保されていそうですが、おそらく帝国で崇拝されている古代ゲルマンの神様は忌避されているのでしょう。私のイメージでは同盟国民の多数は無神論者でハイネセンへの崇拝が宗教の代わり(北朝鮮における金日成崇拝のようなもの)をつとめているような気がします。
 ただし、銀河帝国のほうがよほど北朝鮮ぽいですが。(笑)

収録投稿20件目
board4 - No.2863

Re:不可解といえば

投稿者:IK
2002年09月25日(水) 08時58分

Kenさんのおはなしはいつもながら目から鱗です。
13が不吉云々は読み飛ばしていましたが、そうですね、12使徒ですからユダは12番目の使徒なのですね(弟子になった順番では早い方だったと思いますが)。

ところで宗教のない世界というのはあり得るのでしょうか。
もっとも、最近ではイランでも世俗派が勢力を伸ばしていますし、その影響力が薄れていくことは考えられます。
でも、何らかの宗教の代替物は出てくるのではないかと思うのです。ニューエイジ思想とか、ガイア理論のようなものが。
何年かまえバシャールがどうしたとかってのも、一部では流行っていたようです。
ああいうシャーリー・マクレーン的なニューエイジ思想的エコロジー思想が地球教に変化していったのかも知れないですね。
あの手のエコロジー思想は大嫌いですが。

もし宗教が存在しないならば葬式はどうやってるんでしょうね。興味があります。

収録投稿21件目
board4 - No.2864

Re:不可解といえば

投稿者:倉本
2002年09月25日(水) 11時00分

> もし宗教が存在しないならば葬式はどうやってるんでしょうね。興味があります。

今の日本みたいになるんじゃないでしょうか。
日本人のほとんどは宗教を信じてますかと聞かれたら信じてませんと答えます。
だけど初詣に行くような宗教的な行事をこなしますよね。
それに何かあると神に祈ったりもしますよね。
ちなみにこの神はあくまでも神様という抽象的な存在です
具体的にキリスト教の神や天照大神に祈ってるわけではありません。
それと同じようなものではないでしょうか。

収録投稿22件目
board4 - No.2868

Re:不可解といえば

投稿者:SAI
2002年09月25日(水) 23時48分

> ところで宗教のない世界というのはあり得るのでしょうか。

いつの時代、いつの場所においても宗教、および、宗教心が
なくなった世界というのはなかったのでありえないと思います。
ただ社会が平穏で幸せな時代は宗教の影響力は弱まります。
しかしながら決して死んだわけではなく動乱の時代になると不死鳥の如く甦ります。
特定の宗教が信者を失って死ぬことはありますが。

13日戦争とその後の混乱の時代に宗教が廃れたと言うのは既存の
宗教が廃れたことだけをみて、新興宗教が多数生まれた事を考慮せず結論づけたと考えれば自然のような気がします。おそらく地球教もこの時代に生まれたと思います。
明日が見えない混乱の時代にこそ宗教は力をもつのに逆に廃れたという矛盾もこう考えれば説明できるのではないでしょうか。

収録投稿23件目
board4 - No.2871

Re:不可解といえば

投稿者:Ken
2002年09月26日(木) 01時18分

IKさん、こんばんは、

>ところで宗教のない世界というのはあり得るのでしょうか。

これはとても大きなテーマで、なによりも「宗教とはなにか」という定義から始めねばならないでしょう。その定義自体も簡単ではなく、百人が百通りの定義をするかもしれませんし、それをまとめることは到底私の知恵の及ぶところではないので、ここでは私個人の考えを述べさせていただけますでしょうか?

はじめに断っておきますと、私はどの特定の宗教にも入信していませんが、それでも宗教に対しては非常に肯定的な考えを持っており、信仰がないよりはあるほうが、個人も社会もずっとよいものになると考えています。その立場からの発言であると、ご了承ください。

宗教の定義ですが、私は、「宗教」とは「人間を超越した存在」か「宇宙を律する法」のどちらか、もしくは両方の存在を信じることだと、現在のところ考えています。前者のみ存在すると考えるのが多くの原始宗教であり、前者が後者を作ったと考えるのがユダヤ・キリスト・イスラム教であり、後者のみ存在すると考えるのが仏教とヒンズー教である、というのが私の理解です。(反論をお待ちしています。:-))

それでは、「宗教心をもたない」とは、具体的にどのような状態を指すのでしょうか?それは「人間こそ宇宙で最高の存在である」「人間が正しいと思うことが法である」と考えることだと、私は思っています。

そこで、「宗教のない世界」がありうるか、という問題ですが、宗教心を持つ人が社会に皆無になることは、いくらなんでもありえないと思います。人間はそこまで一様ではありません。しかし、「宗教がほとんどなくなった社会」、言い換えれば「人間こそが最高の存在」とする考えが、広く深く人々に浸透した社会ならありうるのではないでしょうか?その極端な例がファシズムとコミュニズムだと思います。どちらも人智こそ至高の存在だと信じ、その人間の中で特に「優秀」と認められた一部の者に絶対権力を持たせる発想です。「優秀」かどうかを決める基準も、人間が設定したものです。つまり人間至高主義です。また、ナショナリズムも、自分が属する人間の集団に至高の価値を置く点で、これと同じカテゴリーに属します。

歴史家のアーノルド・トインビーは、著書「世界の諸宗教の中のキリスト教」の中で、ファシズムとコミュニズムとナショナリズムを「Neo Paganism(新しい邪教)」と呼び、世界の宗教は手を携えてこれと対抗するべきと訴えました。私も同感です。

銀英伝の話に戻りますと、帝国と同盟の双方とも、かなりNeo Paganismに染まっているようですね。それでもヤンやキルヒアイスやアンネローゼのような人物が登場します。ヤンは宗教に否定的な言辞をよく発しますが、実際のところ個人の精神の自由を何よりも重んじることといい、自分が罪びとであることを繰り返し自覚することといい、彼ほどキリスト教的な精神構造をもった人間はあまりいません。一方アンネローゼなどは、どんな不幸にあっても、その中に小さな美や幸福を見つけ出し、自分を憎む者に対してさえ、相手を憐れむ慈悲の心をもって臨むのは、仏教で言う「菩薩行」の体現者であるといえます。

私には、やはり銀英伝の世界において、キリスト教や仏教が滅び去ったとは思えません。あるいは、「教団」は滅んだかもしれません。しかし、思想自体は社会の底流をなし、ときにはっきりとした形をとって現れているように思えます。言い換えれば、ヤンやアンネローゼのような人格は、宗教の力なくしては作りえないと思っています。

(今回は、しんみりした話になってしまいました)

収録投稿24件目
board4 - No.2873

Re:不可解といえば

投稿者:IK
2002年09月26日(木) 10時20分

Kenさん、こんにちは。
宗教のない世界というのは存在しにくいとは思います。
でも一方で、これからの宗教も存在しにくいなとも思うんです。
19世紀以後、宗教の権威はまず哲学によって、次いで物理学によって侵食されていきました。この辺りはまだ、一般民衆には実感がないところですよね。しかし最近の生物学の発達まで行ってしまうと、どうもそこに何らかの法なり、意思を見出すことは難しいとさすがに実感されるのではないでしょうか。
私なんかそうですが。
科学で確認される事実と宗教の論理が余りに乖離しすぎると、崩壊するのはやはり宗教の方だと思うのです。
ただ、宗教というのはある面、世界の切り取り方そのものですから、Kenさんが仰るとおり、宗教のない世界というのはある意味、「世界」も存在しなくなり、ひたすらニヒリズムのみが跋扈するということになろうかと思います。人格形成のスタンダードがなくなるということですね。
それでは社会が立ち行かなくなるのは目に見えていますから、何らかの形での宗教の代替物が生じると思います。
私はそれは歴史ではないかと思うのですが。
歴史上の人物や、事件を手本にしてかくあるべしということの積み重ねが一種の規範になるのではないかということですね。そうであればヤンがあれほど歴史に拘った理由も分かるのですが。
儒教のようなものでしょうか。
イスラムについても、実は私はイスラム諸国がその教典ゆえに保守的なのだとは考えていません。ライフスタイルが複雑に絡み合って、現在の秩序が形成されているから、その一部を取り出して改革されると全体の秩序が崩壊してしまう。そう考える人が宗教に根拠を見出しているのではないかと思います。あくまで政治の問題だと私は見ているわけです。だからイスラムにおいてさえ、実のところ宗教的しばり(思想的にですが)はずっと弱まっていると思います。

収録投稿25件目
board4 - No.2875

Re:不可解といえば

投稿者:Ken
2002年09月26日(木) 22時09分

IKさん、

>科学で確認される事実と宗教の論理が余りに乖離しすぎると、
>崩壊するのはやはり宗教の方だと思うのです。

これは難しい問題ですね。そもそも科学と宗教が本当に対立するものなのか、という点も含めて・・・。仮に人類史上最も偉大な科学者がニュートンとアインシュタインだとすれば(この二人とホーキングがデータ少佐とポーカーをしていたのでしたね)、二人とも揺るぎない信仰心をもっていたと思います。私にはどうも、対立関係にあるのは、「宗教がすべてである」という誤解と、「科学は万能である」という誤解であるような気もします。前者の極端な例が中世の教会、後者のそれがかつてのソ連ではないでしょうか。どちらも過去のものになりましたが、同様の信条をもつ人は今でも多いように思います。

宗教の代わりを歴史が務めるというのは、鋭い指摘ですね。
歴史作家の陳舜臣さんが、「西洋人が神を恐れるように、中国人は歴史を恐れる」と、作品の中で何度も書かれています。数千年にわたる歴史の検証は、ある意味「神の眼」に近い重みを持つかもしれません。

収録投稿26件目
board4 - No.2876

Re:不可解といえば

投稿者:てんてんdwp
2002年09月26日(木) 23時16分

> 今の日本みたいになるんじゃないでしょうか。
> 日本人のほとんどは宗教を信じてますかと聞かれたら信じてませんと答えます。
> だけど初詣に行くような宗教的な行事をこなしますよね。
> それに何かあると神に祈ったりもしますよね。
> ちなみにこの神はあくまでも神様という抽象的な存在です
> 具体的にキリスト教の神や天照大神に祈ってるわけではありません。
> それと同じようなものではないでしょうか。

井沢元彦氏の唱える「日本教」ですね。
やはり、何らかの宗教的なものというのは存在していると思います。
そもそも宗教は「死の恐怖」からの救済と考えられるので(だからこそ「13日戦争」で「助からない」という事実から衰退したのでしょ?)、不死が存在しない以上、必ず発生するでしょう。
宗教の無い世界があるとしたら、死の恐怖を克服したか、薬かなんかで逃避した世界でしょうねぇ。
銀英伝の場合、ただ単に明確な宗教体系(教団)を持っていないだけで、昔のアラブのように「先祖代々伝わるお家の神様」みたいな信仰はありそうです。
紅茶にブランデー入れる教とか(笑

収録投稿27件目
board4 - No.2879

Re:不可解といえば

投稿者:イッチー
2002年09月27日(金) 01時52分

> 今の日本みたいになるんじゃないでしょうか。
> 日本人のほとんどは宗教を信じてますかと聞かれたら信じてませんと答えます。
> だけど初詣に行くような宗教的な行事をこなしますよね。
> それに何かあると神に祈ったりもしますよね。
> ちなみにこの神はあくまでも神様という抽象的な存在です
> 具体的にキリスト教の神や天照大神に祈ってるわけではありません。
> それと同じようなものではないでしょうか。

銀英伝の世界での宗教観はそんなものでしょうね。帝国の人が「大神オーディンが・・・」とか言うのも、我々が「神様、助けて!」とか「神様がついている!」とか言う程度の意味合いで使われているのでしょうね。

ところで、ヨーロッパでは国王や皇帝の戴冠式ではローマ教皇などその国の国教の最高権威が冠を授けるのが普通だと思うのですが、アニメではラインハルトは自分の手で自分の頭に冠を授けていました。また、宗教者らしい人物も見えませんでした。また、結婚式では司祭が立ち会うものですが、ラインハルトとヒルダの結婚式ではそれらしき人物は登場していません。そこで、連想されるのが、ナチス・ドイツ式の結婚式です。ナチス式の結婚式では、市役所の役人が立会い、新郎と新婦がアーリア人の血統であることや出生年月日などを確認し、書類に新郎と新婦が自分の氏名を書き込むという簡素なものだったそうです。(昨日、「そのとき歴史が動いた」でやっていた)そういえば、ラインハルトの結婚式でも、ベルンハイム男爵が結婚証明書を読み上げるだけだったような・・・。総統への忠誠が一種の宗教と化していたナチス・ドイツのように、帝国でも皇帝への忠誠が一種の宗教と化して国教は定められず、皇帝に対して異議を唱えない限りにおいて宗教の存在も黙認されているのではないでしょうか。

収録投稿28件目
board4 - No.2880

Re:不可解といえば

投稿者:IK
2002年09月27日(金) 01時58分

> これは難しい問題ですね。そもそも科学と宗教が本当に対立するものなのか、という点も含めて・・・。仮に人類史上最も偉大な科学者がニュートンとアインシュタインだとすれば(この二人とホーキングがデータ少佐とポーカーをしていたのでしたね)、二人とも揺るぎない信仰心をもっていたと思います。

極限を極めた人のみが持つ謙虚さゆえにそう感じているのかもしれませんね。極めてもおらず、謙虚でもない私はどうやっても神なり、宇宙の法則(物理上のものは別として)なりはとても信じられませんが。

>私にはどうも、対立関係にあるのは、「宗教がすべてである」という誤解と、「科学は万能である」という誤解であるような気もします。前者の極端な例が中世の教会、後者のそれがかつてのソ連ではないでしょうか。どちらも過去のものになりましたが、同様の信条をもつ人は今でも多いように思います。

ソ連の科学は科学ではなかったと思います。というか、社会主義そのものが宗教ではなかったかと考えています。科学というのは、個々の実験というよりは合理的な批判精神そのものですから。ソ連ではスターリン体制の時期、ルイセンコという生物学者が生物学の常識では笑止な獲得形質の遺伝を唱えて、それが農業生産高をあげたいスターリンの欲求とかなって御用学説になったことがあるんですね。これを批判したマラーという遺伝学者の演説が傑作なので、少し本題とずれるかも知れませんが引用します。
「遺伝学を知る者にとって、明らかにばかげて見える主張があるとしましょう。ルイセンコ氏の見解がそれにあたります。そうした見解をすぐれた実践家である人たちが支持しようとしている時、我々の目の前にある選択は、呪術と医学、占星術と天文学、錬金術と化学のどちらを選ぶかということです」
 カール・セーガンの「科学と悪霊を語る」という本が出典です。ルイセンコの学説はもちろん馬鹿げたものだったので、それに沿って作られた農業政策のためにソ連は大規模な飢餓に陥るはめになりました。
 こう考えていくと、もし宗教と科学が対立するものだとすると、銀河帝国で宗教が力を持っていないのも不思議ですね。
 科学は批判精神そのものですから、自由のないところに科学は発達しにくく、逆に言うと科学が興るところ、必ず自由がある訳です。
 私も確かに科学は万能ではないと思いますが、もろもろの問題を解決し得るのも結局は科学のみではないかと感じます。その考えからすると、同盟は帝国に圧勝するしかないと思うのですが…。まあ、それはまた別の話ですね。

> 宗教の代わりを歴史が務めるというのは、鋭い指摘ですね。
> 歴史作家の陳舜臣さんが、「西洋人が神を恐れるように、中国人は歴史を恐れる」と、作品の中で何度も書かれています。数千年にわたる歴史の検証は、ある意味「神の眼」に近い重みを持つかもしれません。

歴史が神となるという考えは別に私のオリジナルな考えではなく、陳さんもそうですし、例えばニュートンは「私の神以外は、神というものはすべて実在した人物に由来している」と言ってますね。本当は「私の神も含めて」と言いたかったのかも知れませんが、宗教の権威はまだそこまでくだけていませんでしたから。
ユダヤ教の経典タルムードなどは明らかに歴史の産物ですし、旧約聖書なども一種の歴史書ですよね。

収録投稿29件目
board4 - No.2881

Re:不可解といえば

投稿者:IK
2002年09月27日(金) 15時59分

> ところで、ヨーロッパでは国王や皇帝の戴冠式ではローマ教皇などその国の国教の最高権威が冠を授けるのが普通だと思うのですが、アニメではラインハルトは自分の手で自分の頭に冠を授けていました。

これは多分、ナポレオンの戴冠をモデルにしているのだと思います。ナポレオンは戴冠式にローマ法王を呼び寄せておきながら、結局、自分で自分に冠をかぶせました。宗教に対する政治の優越をそのような形で示したのだと言います。
他にも結構、ラインハルトのエピソードでナポレオンをモデルにしているものがありますよ。

収録投稿30件目
board4 - No.2882

Re:不可解といえば

投稿者:倉本
2002年09月27日(金) 18時01分

> 銀英伝の世界での宗教観はそんなものでしょうね。帝国の人が「大神オーディンが・・・」とか言うのも、我々が「神様、助けて!」とか「神様がついている!」とか言う程度の意味合いで使われているのでしょうね。

そうでしょうね。
だいたい日本人は神様仏様といって神と仏を一緒にしてるけどこれって日本だけなんですよね。
普通は神と仏は別物で一緒にすることに問題があるんですよね。
それを日本は神仏習合とかいって一緒にしてしまう。
これは日本独特の宗教観念なんですけど誰も普段はそんなこと意識してませんものね。
それと同じで普段は宗教の事なんか意識していないというのが銀英伝の宗教でしょうね。

収録投稿31件目
board4 - No.2884

Re:不可解といえば

投稿者:イッチー
2002年09月27日(金) 20時34分

> これは多分、ナポレオンの戴冠をモデルにしているのだと思います。ナポレオンは戴冠式にローマ法王を呼び寄せておきながら、結局、自分で自分に冠をかぶせました。宗教に対する政治の優越をそのような形で示したのだと言います。
> 他にも結構、ラインハルトのエピソードでナポレオンをモデルにしているものがありますよ。

私もあのシーンはナポレオンを連想しました。ルドルフとラインハルトを比較すると面白いのが、権力獲得の過程はルドルフはヒトラーに、ラインハルトはナポレオンに似ているのに対して、私生活はルドルフはナポレオン(多くの女性と関係しながら、正式な世継ぎにはなかなか恵まれなかった。マリー・ルイーズとの間の子も体が弱く若くして死亡)に、ラインハルトはヒトラー(禁欲的な生活を送り、エヴァ・ブラウン以外に愛人もつくらなかった)に似ているという点ですね。

収録投稿32件目
board4 - No.2890

Re:不可解といえば

投稿者:Ken
2002年09月28日(土) 01時30分

IKさん

>自由のないところに科学は発達しにくく、(中略)同盟は帝国に圧勝するしかない

このことは、今の私たちにとってはほぼ常識になっていますね。だから同盟の科学力が帝国より進んでいないのは、銀英伝のおかしなところとされることが多いようです。ただ、この点で私が田中芳樹さんを気の毒に思うのは、銀英伝が発表された時代(ましてや作者が構想を練っていた時代)は、まだ冷戦の真っ只中で、アメリカがソ連に、自由主義が共産主義に勝利すると、確信をもって予想した人は多くはなかっただろうことです。科学の発達にしても、いわゆる「スプートニク・ショック」以来、ソ連が西側を凌駕すると考えた人はアメリカを含め世界に多くいました。1982年公開の映画「ファイアフォックス」は、クリント・イーストウッド扮するアメリカのスパイが、はるかに進んだソ連の技術を盗みに行く話しでしたが、この設定自体を荒唐無稽と断じた人は、あまりいなかったと思います。

別のスレッドでは、銀河帝国がどのように経済力を維持・発展させたのか、あるいはそんなことができるはずがない、という議論が行われていますが、この点でも、官僚(的)統制こそが経済を発展させるという考えは、(今の私たちは忘れていますが)かなり広く長く信じられ、フォード社、ナチス・ドイツ、戦後の日本、そしてソ連の事例がその証拠だと言われてきました。例えば、1980年のGNPはアメリカが2.6兆ドル、ソ連が1.2兆ドルで、2対1の割合ですが、その30年前の1950年には、アメリカ3800億ドル、ソ連1260億ドルと3対1だったので、ソ連が激しく追い上げたことが分かります。この傾向は戦前から続いたもので、世界の工業生産に占める米ソの割合は、1929年には43%と5%だったのが、1938年には29%と18%になっていました。(以上の数字はP.ケネディ著「大国の興亡」より)

銀英伝を書いていた田中先生は、そのような世界に住んでいたのです。

イッチーさん、

>帝国の人が「大神オーディンが・・・」とか言うのも、我々が
>「神様、助けて!」とか「神様がついている!」とか言う程度の意味合い

そもそも、どういう経緯で帝国人はオーディンの名を称えるようになったのでしょうか?我々が「神様、助けて!」「神様がついている」というのは、我々の先祖が、真剣に神様を信じ、恐れていたことの名残りでしょう。仏教を知らない日本人が「後生だから・・・」といったり、教会を馬鹿にしているアメリカ人が「ジーザス!」と叫ぶのも同様です。同様に、帝国でもかつてはオーディンをはじめ北欧神話の神が真剣に信じられていたのでなければ、形式にせよその名を称えるようなことはないと思います。ルドルフとその直後の時代にはオーディン神への信仰が強かったが、時代を下るにしたがって形式化した、というのが実情ではないでしょうか?

収録投稿33件目
board4 - No.2892

Re:不可解といえば

投稿者:イッチー
2002年09月28日(土) 04時02分

> そもそも、どういう経緯で帝国人はオーディンの名を称えるようになったのでしょうか?我々が「神様、助けて!」「神様がついている」というのは、我々の先祖が、真剣に神様を信じ、恐れていたことの名残りでしょう。仏教を知らない日本人が「後生だから・・・」といったり、教会を馬鹿にしているアメリカ人が「ジーザス!」と叫ぶのも同様です。同様に、帝国でもかつてはオーディンをはじめ北欧神話の神が真剣に信じられていたのでなければ、形式にせよその名を称えるようなことはないと思います。ルドルフとその直後の時代にはオーディン神への信仰が強かったが、時代を下るにしたがって形式化した、というのが実情ではないでしょうか?

私が不可解なのは、ルドルフがオーディン神への信仰を復活させたとするならば、戦前の日本の国家神道のように、皇帝をオーディン神の子孫と位置づけ、宗教的な組織をつくりあげると思うのですが、小説の描写では宗教的な儀式が宮中でおこなわれたという描写もないし、軍隊にオーディン神道の司祭が従軍するという描写もありません。銀河帝国というのは非常に無宗教な感じがするのはなぜでしょうか?どんなに一般で信仰心が薄れたとしても、帝室や軍隊ではオーディン神道の影響が色濃く残るとおもいますが、宮中や軍隊も宗教色が薄いのはなぜでしょうか?ゲルマン趣味のルドルフはゲルマン神話の神々を復活させたかもしれませんが、あくまでも庶民がご本尊を祭ったり、学校教育で神話を教えるといったことを許可したくらいで国民に信仰心を強制するというところまでしなかったような気がします。あくまでも、皇帝独裁に不満を持つであろう国民のガス抜きに利用したのではないでしょうか。

収録投稿34件目
board4 - No.2893

Re:不可解といえば

投稿者:IK
2002年09月28日(土) 07時54分

>ただ、この点で私が田中芳樹さんを気の毒に思うのは、銀英伝が発表された時代(ましてや作者が構想を練っていた時代)は、まだ冷戦の真っ只中で、アメリカがソ連に、自由主義が共産主義に勝利すると、確信をもって予想した人は多くはなかっただろうことです。

ハイエクはどうでしょう? アシモフは「はだかの太陽」で閉鎖的なソラリア社会が高度な技術をその時点では持ちながらも停滞から衰亡へと向かうことを書いていますね。あれは確か戦後すぐくらいの作品だったと思います。

> 科学の発達にしても、いわゆる「スプートニク・ショック」以来、ソ連が西側を凌駕すると考えた人はアメリカを含め世界に多くいました。1982年公開の映画「ファイアフォックス」は、クリント・イーストウッド扮するアメリカのスパイが、はるかに進んだソ連の技術を盗みに行く話しでしたが、この設定自体を荒唐無稽と断じた人は、あまりいなかったと思います。

宇宙開発技術については私は別の考えを持っています。あれは新しい分野だけに、資本集約・労働集約による発展が可能だったのではないでしょうか。ツィオルコフスキーなどのような天才もおりましたし。蓄積が少ない分だけ、天才が関与できる余地が大きかったということです。アメリカもフォン・ブラウンをアポロ計画の責任者に迎え入れてから、飛躍的にその技術を増しました。一種の英雄時代だったのでしょう。
しかし一国の技術力の根底はそのようなショウケース・テクノロジーでは計れないと思います。日本は宇宙開発では失敗続きですからなかなか言いにくいのですが、本当はロケットを飛ばすより、例えばプレステ2などを民生用価格に引き下げ大量生産する方が厄介です。より複合的な技術力が求められるからです。

> 別のスレッドでは、銀河帝国がどのように経済力を維持・発展させたのか、あるいはそんなことができるはずがない、という議論が行われていますが、この点でも、官僚(的)統制こそが経済を発展させるという考えは、(今の私たちは忘れていますが)かなり広く長く信じられ、フォード社、ナチス・ドイツ、戦後の日本、そしてソ連の事例がその証拠だと言われてきました。例えば、1980年のGNPはアメリカが2.6兆ドル、ソ連が1.2兆ドルで、2対1の割合ですが、その30年前の1950年には、アメリカ3800億ドル、ソ連1260億ドルと3対1だったので、ソ連が激しく追い上げたことが分かります。この傾向は戦前から続いたもので、世界の工業生産に占める米ソの割合は、1929年には43%と5%だったのが、1938年には29%と18%になっていました。(以上の数字はP.ケネディ著「大国の興亡」より)

これも基本的にはその時点で持てるものを集中的に使った結果だと思います。傾斜生産方式という考えがありますが、日本では通産省が指導した産業はほとんどが駄目になっていきました。レーニン、スターリンの場合は一方でシベリア送りを実行しながらこれをやったので、短期的には目覚しい成果をあげました。ただし農村の荒廃や人的資源の損失を考慮すれば、実のところそれほどめざましくはないのかも知れません。覚醒剤のようなものでしょう。帝政ロシアの末期にはすでにロシアは近代資本主義化の兆しを見せていました。愚かなるニコライ2世が内政を固めることに集中していたならば、かなり目覚しい成果を上げることができたでしょう。ニコライは極東侵略に拘泥したために、墓穴を掘ったのです。
レーニンの大躍進はその蓄積の上に成り立っています。ロシアは少なくともプロレタリアートが成立するくらいには工業化されていた訳ですね。
毛沢東はレーニンの真似をしましたが、中国には近代資本主義が芽生えていなかったので、彼の大躍進運動は億単位とも言われる犠牲者を出して失敗し、彼は一時失脚することになりました(巻き返しを図ったのが文革ですね)。
いずれにしろ70年代中頃までにはこのようなことははっきりとしており、検証的な姿勢を持っている人の間では常識になっていました。その認識の上に、レーガンは敢えてソ連に軍拡競争をしかけて、屈服させたのです。
なかなか、素直には田中さんを擁護しがたいところです。無論、そのような矛盾を感じながらも銀英伝そのものは優れた作品だとは思います。

ところで、銀河帝国では葬式はどうやっていたのでしょうね。気になるなあ。

収録投稿35件目
board4 - No.2895

Re:不可解といえば

投稿者:Ken
2002年09月28日(土) 11時41分

>ところで、銀河帝国では葬式はどうやっていたのでしょうね。気になるなあ。

私が覚えている限りで、唯一葬式現場の描写が出るのは、外伝「朝の夢、夜の歌」の中の、幼年学校生ライフアイゼンの葬儀とラインハルトの父セバスティアンの葬儀です。ここから分かることをまとめると、

1.葬式は墓地で行う
2.友人代表が弔辞を述べる
3.柩を土に埋める
4.少なくとも女性は黒い喪服をつけ、顔をベールで覆う

となります。聖職者に関する記述はありません。また同エピソードのアニメ版では、ライフアイゼンの葬儀で同級生のハーゼが読んだ弔辞が聞けますが、内容は「惜しい人を亡くした」という類のもので、「魂がどこへ行った」とかいう類の宗教的な文言はありません。

「はだかの太陽」は1957年の作品ですね。(http://www.asimovonline.com/oldsite/asimov_catalogue.htmlで各作品の発表年が分かります。)

実をいうと、アジモフ自身も、アメリカがソ連に負けることを懸念したアメリカ人の一人だったそうです。
アジモフの面白い点は、彼のSF小説は、ほとんどが1950年代か、もしくは80年代以降のもので、60年代と70年代は空白時代といってよいほど少なく、特にSF長編となると66年の「ミクロの決死圏」と72年の「神々自身」しかありません。一方、この期間に積極的に書いたのは、一般向けの科学の解説書です。そうなった理由をアジモフ自身が説明しており、要するに科学におけるアメリカの劣勢に危機感を持ったので、人々の科学への関心を喚起しようとしたのだそうです。

>レーニンの大躍進はその蓄積の上に・・・
>毛沢東はレーニンの真似をしましたが、・・・
>70年代中頃までにはこのようなことははっきりとしており、

なるほど、それでアジモフも80年代にSFの執筆を再開したのかもしれませんね。

この件で、私が面白いと思うのは、小渕内閣の経企庁長官で作家の堺屋太一氏です。氏は85年に発表した「知価革命」の中で、「工業社会が終わって知価社会が始まる」と予測し、91年に出版された同書の英語版では、わざわざ一章を追加して「社会主義が敗れたのは、世界に知価革命が起こったからである」と、まるでソ連・東欧の崩壊を見通していたかのように得々と述べました。ところが、氏が87年に発表した「現代を見る歴史」では、冷戦とペロポネソス戦争(アテネ対スパルタの戦い)の共通点を挙げた上で、

>この東西対立が、いつどのようにして終結し得るのか、今なお誰にも分からない。むしろ二一世紀になっても、東西両陣営がほぼ今のような形で対立しながら共存しているだろう

などと書いているのです。堺屋氏のような卓越の知性を有する人にして、未来の予測はかくも難しく、試行錯誤を繰り返すようです。(半分は皮肉で書いてます。(笑))

収録投稿36件目
board4 - No.2902

Re:不可解といえば

投稿者:Zero
2002年09月29日(日) 02時32分

確か、ラインハルトも地球教を評する時に、「特定の宗教に興味がない」
といった類の台詞を口にしていたと思いますが、「大神オーディン云々」
とも言っていますね。

なにより、帝国・同盟とも「葬式」はちゃんと発生しています。
宗教観は存在したと見るべきでしょう。

やはり、これは作品が発表された時点での日本人の無意識の宗教観
(合理主義的な無神論や無宗教観)が下敷きになっているのでしょうか。

> こうしてみると、13日戦争・90年戦争の後衰退した宗教心が、銀英伝の時代には少なからず復活しているようです。また地球教が地球以外にも信徒を獲得していることから判断すると、帝国・同盟の人々は、「宗教とはいかなるものか」という基本認識くらいは持っていたし、「人間を超越した存在」や「宇宙を律する真理」を受け入れやすい心情があったのでしょう。そうでなければ、地球教の布教が行われても、そも何を言っているのか分からないと思います。

これはすんなりと納得できる説明ですね。
多分、近代以前の地球における「未知への畏怖」的な感覚が、宇宙時代
に至って甦ったのかもしれません。
理屈で分かっていても、感覚的に怖いモノって有りますしね。
それを神になぞらえるというのはアリかなと思います。
でも、地球に住んでいる以外の地球教徒が「地球教に惹かれる」
理由ってなんでしょうね?

ところで、不可解と言えば、僕も一つ疑問が・・・
酒は有るのに、煙草がない。
やっぱり、煙害が科学的に解明されてたばこ産業は衰退したのでしょうかね?

反銀英伝・設定検証編5の関連リンク一覧

銀英伝関連議論集
各種コンテンツ別先頭ページ全一覧

WEBRANKING テキストサイト部門 サイトランキング 文学・小説・童話部門 mixiチェック

このエントリーをはてなブックマークに追加