記事一覧

映画「ゴーストライダー」感想(DVD観賞)

ファイル 862-1.jpg

映画「ゴーストライダー」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2007年に公開されたアメリカ映画で、マーベル・コミックの同名マンガを原作とする、ニコラス・ケイジ主演のホラー・アクション作品です。
2013年2月8日には続編「ゴーストライダー2」が日本でも劇場公開される予定で、映画「96時間」と同じく今作もまたこれまで全くの未観賞していなかったため、事前の予習も兼ねて今回の観賞ということになりました。
映画「ゴーストライダー2」は熊本でも劇場公開されるとのことで、私も当然のごとく映画館にて観賞する予定です。

物語は、ゴーストライダーのそもそもの成り立ちから語られます。
ゴーストライダーは地上をさまよう呪われた存在で、悪魔と契約を結び、その悪魔の命令に基づいて悪人達の魂を駆逐することを生業としていました。
しかし、今から150年ほど前、悪魔との契約に基づいて1000人分もの邪悪な魂を捕えるべく、ひとりのゴーストライダーがサン・ヴェンガンザという村に向かった際に異変が発生します。
そのゴーストライダーは契約通りに1000人分の邪悪な魂を捕えたものの、契約主である悪魔にその魂を渡すことなく、悪魔の元から逃げ去り、何処かへ姿を消してしまったのでした。

舞台は切り替わり、アメリカの移動遊園地?が映し出されます。
その一角ではサーカスが開催されており、モーターサイクルスタントショーが好評を博していました。
今作の主人公で当時17歳だったジョニー・ブレイズは、父親のバートンと共にそのモーターサイクルショーの一翼を担っていました。
彼は、同じ年のロクサーヌ・シンプソンと恋仲の関係にあったのですが、彼女が両親の干渉で別の街に引っ越さなければならなくなったことを知り、自分の家族も生活も捨てて駆け落ちしようと言い出します。
ロクサーヌもそれを受け入れ、明日の正午に落ち合うことを約束するのでした。
その日の夜、父親との最後の別れのつもりで父親の部屋に入ったジョニーは、ふとしたきっかけから、以前から体調が思わしくなかった父親のバートンが末期癌にあることを知ることになります。
そのことにショックを受けつつも黙々とバイクの整備に明け暮れるジョニーの前に、一人の怪しげな男が姿を現します。
男は何故か父親バートンの容態のことを知っており、ジョニーに対し「彼を治すことが出来たら私と契約をしないか?」と申し出てきます。
その申し出を受けたジョニーが、男が差し出した契約書に誤って血を垂らしてしまうと、男は満足気に頷くのでした。
翌日の朝、男の言う通りに末期癌から完全な健康体となったバートン。
ところがバートンは、その日のモーターサイクルショーで事故に遭い、そのまま帰らぬ人となってしまったのでした。
バートンは明らかに謎の男によって殺されたのですが、男は「癌は直してやったぞ」とジョニーに契約を迫ります。
そして男は、ジョニーに「お前が必要になったら連れに来る」と言い放つと、ジョニーの身体に触れて何かを埋め込み、「お前は私のものだ」という言葉と共にその場を後にするのでした。
一方、昨日のジョニーとの約束を守るべく待ち合わせの場所にいたロクサーヌ。
しかし、父親の死と謎の男の言葉によってボロボロにされたジョニーは、待ち合わせの場所には来たものの、ロクサーヌを一瞥しただけですぐにその場を後にしてしまうのでした。

それから13年後。
ジョニー・ブレイズは、バイクを使った危険なスタントショーに挑んでいました。
車が一列に並んでいる中をバイクでジャンプするスタントショーを披露し、車の列を飛び越えることには成功するものの、彼は着地に失敗して頭を強打してしまいます。
普通ならば間違いなく死んでいるはずの衝撃だったはずですが、しかし悪魔と契約を交わしたジョニーは普通に会話すらできるほどにピンピンしていました。
仕事仲間達はジョニーの不死身ぶりに当然のごとく不審を抱くのですが、ジョニーは曖昧に誤魔化す日々を送っていたのでした。
そんな中、ジョニーの次なる仕事場であるテキサスの大地に、火の雨と共に白い顔の男が降り立つのでした。
白い顔の男は近くの酒場へと向かい、そこで殺戮の限りを尽くすのですが……。

映画「ゴーストライダー」に登場するダークヒーロー・ゴーストライダーは、その不死性が一番の武器と言えますね。
何しろ、序盤のスタントショーで即死級の事故で頭を強打してもピンピンしていたり、銃弾を大量に浴びせられたり、水の中で長時間潜らされたりしても平然としていたりするのですから。
逆に本当の意味での「武器」、特にゴーストライダー最強の武器とされる「贖罪の目(ペナンス・ステア)」については、その強さがどうにも見た目的に分かりにくいところがあります。
「贖罪の目(ペナンス・ステア)」は、ターゲットに自分の目を見つめさせることで、ターゲットが犯した罪と他人に与えた苦痛をターゲット自身に返すというものなのですが、対悪魔戦ではまるで効果がない上、作中でも「相手を死に至らしめる」以外の効果がまるで垣間見られないときているのですから。
ラスボス戦では確かに「贖罪の目」が最終的な決め技になってはいるものの、ラスボスがサン・ヴェンガンザの契約書を使って人間の魂をその体内に取り込むという行為をやらなければ、全く使い物にならなかったのですし。
あのラスボス、対ゴーストライダー戦を想定するのであれば、むしろサン・ヴェンガンザの契約書なんて使わない方が良かったのではないでしょうかねぇ(苦笑)。
使った後の方が却って弱体化しているようにすら見えましたし(爆)。

ゴーストライダーの武器としては、「贖罪の目」よりも「地獄の炎(ヘルファイア)」の方が見た目的にも効果が分かりやすく、また対悪魔戦でも有効な分、「贖罪の目」よりも使い勝手が良いようにすら見えるくらいです。
この辺り、ゴーストライダーは武器の強さの設定が根底からミスっているようにしか見えないところなのですが(^_^;;)。

また一方で、ジョニー・ブレイズがゴーストライダーとして活動できるのが「日の光に当たらない場所」だけしかない、というのは大きな弱点ですね。
ゴーストライダーが日の光に当たってしまうと、彼は人間に戻ってしまい、ゴーストライダーが使える全ての武器が使えなくなってしまいます。
これは「ゴーストライダー」という作品内でならともかく、映画「アベンジャーズ」の続編作品辺りにでも出演し、他のヒーロー達と共に巨大な悪を打ち倒すという展開に際しては、致命傷としか言いようのない弱点となってしまうのではないでしょうか?
彼も一応は「アベンジャーズ」の面々と同じくマーベル・コミック・ヒーローの一員なのですし、今作では出ていなかったものの、続編映画で「S.H.I.E.L.D.」の面々とご対面などという展開だって全くありえないわけではないでしょうから。
まあ、Wikipediaで見る限りでは、ゴーストライダーは「アベンジャーズ」には参加していないようではあるのですが。
ただ、これについては「アベンジャーズ」の続編が如何なる設定と展開になるのかにもよるでしょうし、映画の製作・配給会社の都合による「大人の事情」が左右もするのではないかと。
興行的な理由から原作の設定を変更し、ゴーストライダーが「アベンジャーズ」に参加するという可能性も全くないわけではないでしょうし。
スパイダーマンが映画製作会社の権利問題などから「アベンジャーズ」に出演できないなどの問題もありますから、映画会社の権利関係も大いに絡む問題ではあるのでしょうけど。
まあこの辺については、続編映画を見れば分かることではありますね。

あと、物語終盤でジョニー・ブレイズに「ゴーストライダーの呪い」をかけたメフィストが「お前は任務を果たしたから呪いを解く」と明言した際、それを拒否したジョニー・ブレイズの行動は正直疑問な点が多いですね。
彼は「ゴーストライダーの呪い」がひとりにしかかけられないという前提でメフィストの意思に逆らったわけなのですが、実はメフィストがゴーストライダーを複数人作れるであろう事実が作中ではっきりと明示されているんですよね。
かつてサン・ヴェンガンザの村を襲撃し、メフィストに初めて逆らったカーター・スレイドとジョニー・ブレイズの2人が、共にゴーストライダーとなって2人一緒に荒野を疾走する描写があるのですから。
これから分かるのは、別にメフィストはひとりしかゴーストライダーが作れないわけではない、という事実です。
さすがに何百人単位では無理があるにしても、複数人程度であれば充分に作れるし、ひとりいればメフィストの手駒としては充分に働かせられるわけです。
つまり、メフィストが他者に「ゴーストライダーの呪い」をかけるのを防ぐ目的からジョニー・ブレイズがゴーストライダーに留まり続けるという行動は、実は無意味もいいところだということです。
もちろん、ゴーストライダーとしての力自体は、対メフィスト用の決戦兵器としてはそれなりに有効に機能もするのでしょうけど。
あの場面におけるジョニー・ブレイズの選択肢としては、普通に「ゴーストライダーの呪い」を解除されてロクサーヌと幸せに生活する、という展開でも問題はなさそうに思えてならなかったのですけどね。
まあジョニー・ブレイズ的には、メフィストは父親を殺した仇でもあるわけですから、そこで妥協することなど到底できなかったのかもしれないのですが。

作品の雰囲気としては、同じニコラス・ケイジ主演の映画「ドライブ・アングリー」に近いものがありますね。
アレも地獄が登場したり主人公が不死身だったりと、複数の共通項が色々とあったりしますし。
続編の「ゴーストライダー2」もニコラス・ケイジ主演のようで、今から続編映画が楽しみな限りではありますね。


映画「96時間」感想(DVD観賞)

ファイル 860-1.jpg

映画「96時間」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2009年に公開されたフランス映画で、リュック・ベッソン製作のアクション・スリラー作品です。
2013年1月11日には続編「96時間/リベンジ」が日本で公開される予定となっており、本作がこれまで全くタッチしていなかったこともあって、事前の予習も兼ねて今回の観賞と相成りました。
当然、続編たる「96時間/リベンジ」も、日本で公開され次第劇場で観賞する予定です。

今作の主人公であるブライアン・ミルズは、元CIA工作員として凄腕を有する実力者でありながら、娘のキム・ミルズのためにアメリカ・カリフォルニア州で隠居生活を送っていました。
妻のレノーアとはとうの昔に離婚しており、娘のキムはレノーアが再婚した大富豪のスチュアートと一緒に生活していました。
それでもブライアンは、キムの誕生日の折には自らプレゼントを持参して駆けつけるなど、娘のことを他の何よりも考え、娘もまた、そんな父親のことを慕っているのでした。
その日の夜、ブライアンはかつてのCIAの元同僚達と共にささやかなバーベキューパーティを行います。
パーティの中でも、ブライアンの娘想い絡みのエピソードが酒の肴として語られていたりします。
パーティが終わり、元同僚達がブライアン宅から帰宅の途につこうとする中、元同僚達のひとりがブライアンに仕事を持ちかけてきます。
コンサート会場へ赴く歌手の護衛を兼ねた送り迎えを4時間遂行するだけで2500ドル、という仕事を持ちかけられたブライアンは、場所が地元でかつ死人が出ない仕事であることから2つ返事で引き受けます。
コンサート会場で楽屋の護衛を任されたブライアンは、娘が歌手志望だったことを思い出し、護衛対象である歌手のシーラに娘への助言を求めます。
それに対するシーラの返答は「他の仕事を探せ」というそっけないものでしたが。
コンサート終了後、シーラは運営側のミスで解放されてしまったゲートから押し寄せるファンから逃走する最中、ナイフを持った男に奇襲されます。
しかし、それをいとも簡単に払いのけて男を取り押さえるブライアン。
ブライアンは暗殺者の存在に動揺するシーラと共に車に乗り、コンサート会場を後にするのでした。
シーラはそのお礼として、ボイストレーナーの紹介とレッスン料の引き受けを申し出、娘のキムが歌手としてやっていけるよう便宜を図ってくれることを約束してくれたのでした。

翌日の昼食時。
コンサートの最中に娘のキムから電話をもらっていたブライアンは、娘の誘いに応じて2人きりのランチを楽しむべく、とあるレストランで娘が来るのを待っていました。
しかし、レストランに現れたキムは、母親のレノーアも一緒に連れてきていました。
娘との2人きりでのランチを楽しみにしていたブライアンはやや落胆した様子でしたが、気を取り直して彼はキムの要件について問い質します。
キムが言うには、親友のアマンダと一緒にフランスのパリへ行こうと誘われたが、キムは17歳の未成年者のために親の同意が必要とのことで、その許可が欲しいとブライアンに頼み込んできたのでした。
しかしブライアンは、「17歳でひとり旅は危険だ」という理由から許可証へのサインを拒み、結果、キムはヒステリックになってその場を立ち去ってしまいます。
そのことがショックだったのと、レノーアからボロクソに言われたことが効いたのか、結局ブライアンは条件付きながらもキムの海外旅行の許可証にサインしてキムに手渡すのでした。
そして、ブライアンに空港まで見送られつつ、キムはアマンダと共にフランスのパリへと向かうことになるのですが……。

映画「96時間」は、娘を人身売買組織に誘拐された父親の奮闘が描かれています。
父親のブライアンは、娘であるキムの安否を心配するあまり、過剰なまでにガチガチな規則でもって娘の行動を束縛・把握しようとします。
結果的に見れば、確かにそのおかげで娘の消息および誘拐犯達の手がかりをわずかながらに把握することができたのですから、一見するとその対応こそがベストだったように思われます。
しかしそれはあくまでも結果論であり、しかもブライアンが提示していた防衛策は、ブライアンでなければ事実上対処ができないというほどに微弱な足跡を残すに過ぎないシロモノでしかありませんでした。
また、キムとアマンダを誘拐した犯人にしても、別に「彼女らを何が何でも狙わなければならなかった」理由があったわけではなく、いつもの人身売買の仕事絡みで、半ば作業的に彼女らを攫ったに過ぎなかったわけです。
何か少しでもツキがあったり手順が違ったりしていたら、彼女らは全く誰にも狙われることなく、無事に旅行を終えていた公算が極めて高かったのです。
つまりキムとアマンダは、一言で言えば「運が非常に悪かった」とでもいうべき境遇にあったのであって、100%確実に生命を付け狙われているわけではなかったことになります。
第三世界とか格別に治安の悪い場所へ行くとかいうのであればまだしも、シャルル・ド・ゴール空港からパリにあるアマンダの従姉の家までであれば、そこまで警戒する場所ではないわけですし。
そんな状況下で、しかも観光旅行気分でパリの街にやってきた2人が周囲を相手に完全警戒態勢で臨むのは、未来を見通す予知能力でも駆使するか、ブライアン並に裏社会の実態を知り抜いているかしていなければ、さすがに難しいものがあったと言わざるをえないでしょう。
まあ、「パリならば安全だろう」という思い込みが逆に盲点ないし間隙となることは大いにあるわけで、誘拐犯達もその辺りの心理を利用することで人身売買業をこなしてきてはいたのでしょうけど。

しかし、桁外れの運の悪さで誘拐犯達に攫われたキムとアマンダも不運の極みではありましたが、今作の場合、それは同時に彼女らを誘拐した当の誘拐犯達にも言えることではありますね。
彼らにしてみれば、いつも通りの仕事をこなしていたはずなのに、元CIA工作員などという危険極まりない猛獣を呼び込んでしまい、わけも分からずに組織もろとも死んでいく羽目となったのですから。
誘拐犯達も、まさかあの時電話で話した父親が元CIA工作員で、アレだけの行動力でもって自分達を追い詰めていき、それによって自分達の生命が奪われることになるとは夢にも思わなかったことでしょうねぇ(^_^;;)。
そんな悲惨な末路な未来を事前に知っていたならば、彼らもあの2人を攫うなどという命知らずなことは、破滅願望でも抱いていない限りは何が何でも避けようとしたでしょうに(苦笑)。
理不尽な非常識に直面する羽目になったのは、もしかしなくても誘拐犯達の方だったでしょうね。
彼らは死の瞬間、あまりにも理不尽な現実と神の気まぐれに呪いの言葉でも吐きたい気分に駆られたかもしれません。

一方、今作で大活躍を演じることになるブライアンは、とにかく冷酷非情な殺人マシーンとしての側面を存分に見せつけてくれます。
彼は敵に対して情け容赦がありませんし、捕えた敵を拷問にかけて情報を引き出した挙句そのまま殺してしまったりもしています。
ブライアンに殺されていく悪党達自身、他者に対してはまさにブライアンと同じように情け容赦なく酷虐に扱ったり殺したりしていったのでしょうし、実際作中にもそういう描写があるわけですから、その点では同情する余地など最初からどこにもないわけではあるのですが。
躊躇なく敵を殺しまくるブライアンのアクションシーンは、個人的には結構爽快なものがあります。
何しろ最近は、映画のみならずエンタメ作品全般で「るろうに剣心」のごとき「不殺の精神」とやらが流行でもしているのか、敵に対して妙に寛大な態度を取ったり、殺すべき敵を殺さなかったりといった描写が幅を利かせすぎている感が多々ありますし。
変に偽善的・温情的な主張をすることなく、「自分達に降りかかる火の粉は払う」を徹底して実行していますからねぇ、ブライアンは。
その筋の通った行動と「強さ」こそが、今作が観客を魅了する最大の要素と言えるものなのかもしれません。

今作の続編たる「96時間/リベンジ」は、今作で壊滅した人身売買組織を統括していた息子を殺された親玉が、ブライアンに対する復讐(リベンジ)を画策することから始まるストーリーのようですね。
アクションシーンを見たいだけならば続編単独でも楽しめないことはないでしょうが、ストーリー的な繋がりを楽しみたいのであれば、やはり今作の事前復習は必須なのではないかと。


2012年映画観賞総括 邦画作品編

2012年の新作映画観賞97本のうち41本を担う邦画作品。
邦画が冷遇された時代も今は昔で、現在ではすっかり洋画と並ぶ一大ジャンルと化した感がありますね(^^)。
今回はその中から、各種部門別に個人的な私的評価に基づいて選別した作品をピックアップしていきたいと思います。

■ 邦画年間ベスト作品&サスペンス映画部門

まずは邦画年間ベストも兼ねるサスペンス映画部門の作品から。
2位とは結構接戦だったのですが、見事ナンバー1の座を獲得したのはこの作品です↓

カラスの親指
ファイル 824-1.jpg

映画の宣伝や前評はかなり地味なものだったのですが、導入部・伏線の張り方・ほのぼのシーンや緊迫したシーンの使い分け・そしてラストの大どんでん返しと、全てにおいて良く出来ていた作品です。
特にラストの展開は、洋画の「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を髣髴とさせるものがありました。
俳優さんの配置自体も煙幕のひとつだったみたいですし、派手なアクションは皆無ながらも観客を唸らせるには充分の出来です。

■ 人間ドラマ映画部門

その1位作品と接戦を演じたのがこちら↓

北のカナリアたち
ファイル 801-1.jpg

物語の起点となった20年前の事件の真相が少しずつ明らかになっていく過程と、ラストの感動的な大円団がなかなかに光った作品ですね。
主人公が天然な善人のように見えて実は……という展開も意外なものでしたし。
新旧の大物俳優が出演し、それぞれ秀逸な役どころを演じるという構成も、万人受けしやすいものではあるでしょうね。

それ以外の人間ドラマ映画で秀逸な作品としては、転生をテーマに扱い、シリアスと笑いのバランスが絶妙だった「スープ ~生まれ変わりの物語~」や、全体的にほのぼのした展開が売りの「HOME 愛しの座敷わらし」、富山から長崎までのひとり旅を描いた「あなたへ」などが挙げられます。
前者は映画の宣伝すらほとんど見かけず、熊本でも1箇所のみの上映と前評はかなり悲惨なものがありましたが、それに反して出来は良く、「何故この映画は正当に評価されなかったんだ?」という疑問を抱きすらした作品でした。
後2者も大物俳優を揃えつつ、登場人物達それぞれの葛藤を良く描いた秀作です。
この人間ドラマ映画の層の厚さは、日本映画がハリウッド映画に勝る数少ない要素と言えますね。

■ アクション映画部門

邦画でアクション映画というのは、それ自体が希少な宝石類のごとく貴重な存在なのですが、今年も例外ではなかったですね(T_T)。
今回唯一評価しえる邦画のアクション映画はやはりこれでしょう↓

るろうに剣心
ファイル 733-1.jpg

マンガを原作としつつも、作中で繰り広げられるスピーディなアクション描写は、本場ハリウッドと比較しても遜色のない出来で、今後の邦画の可能性についても期待を抱かせるに充分なものがありました。
実写映画版もそれなりに人気はあったようですし、続編の製作が行われる可能性もかなり高いのではないかと。

■ コメディ映画部門

今年の邦画におけるコメディ映画の代表格と言えば、世間的にも大ヒットして海外進出まで果たしたこの作品でしょう↓

テルマエ・ロマエ
ファイル 616-1.jpg

阿部寛演じる大柄な体格の主人公が、現代日本の文明機器にいちいち大仰な表情とリアクションで驚きまくる光景は、当の本人的には全くその気などないのに、それ自体が立派なコメディを形成していました。
外見と内実のギャップを上手く利用したコメディでしたね。

■ アニメ映画部門

今年は例年になく複数のアニメ映画を観賞した年でもありました。
いつもならばアニメ映画は、年間で1本もあれば御の字というレベルでしか観賞することがなかったのですが、今年は洋画・邦画含めて総計6本。
テレビアニメからの延長ではなく映画単独で完結していて、かつ大人向けな内容の作品が多かったことが、作品の関心を惹く大きなプラス要因となりました。
その中で最優秀に輝いたのはこの作品↓

おおかみこどもの雨と雪
ファイル 697-1.jpg

今年のアニメ映画は「家族問題」を描いたものが多かったのですが、母親および子供の精神的な成長を描いた今作はその中でも抜きん出た存在だったと言えます。
子供の成長を見守るだけならまだしも、自分の元から離れていこうとする子供の意思を尊重する母親の「精神的な強さ」というのは、そうそう簡単に表現できるものではないのですから。
瀬戸内海の島々を舞台とする「ももへの手紙」や、オンラインゲームと福岡県を舞台に繰り広げられた「ドットハック セカイの向こうに」で描かれた家族問題は、いずれも「親と子供の間で起こる諍いと和解」がテーマでしたし。
洋画でも「メリダとおそろしの森」が似たようなテーマを扱っていましたが、あちらは全体的に低年齢層を対象にしているような感がありましたね。

■ 時代劇映画部門

今年観賞した日本映画で「時代劇」に分類される映画は3本。
その中で一番良作と個人的に評価したのはこの作品ですね↓

のぼうの城
ファイル 798-1.jpg

3作品の中で一番物語のスケールが大きく、かつ合戦の描写があることが決定打となりました。
やはりスケールが大きく派手な描写がある映画というのは高評価になりやすいですね。
だからこそ、映画業界ではその手のノウハウを熟知しているハリウッド映画が世界のトップを走ってもいるわけですし。
日本初の暦制定を描いた「天地明察」も、男女逆転の「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」も、人間ドラマとしてはそれなりのものがあっても、客の目を惹く派手な描写というものは全くなかったわけで。
もちろん、それだけで作品の質が落ちるということにはならないでしょうけど。

■ 邦画年間ワースト作品

邦画は洋画に比べてアクションシーン等の派手な演出が少なく、人間ドラマやストーリー重視にならざるをえない分、駄作が生まれるリスクも洋画より高いですね。
超能力をテーマにした「SPEC~天~」、宗教映画たる「ファイナル・ジャッジメント」という【底辺の強豪】を押しのけ、見事今年最下位の座を獲得した作品はこちらとなります↓

苦役列車
ファイル 691-1.jpg

この映画の駄作ぶりが如何なるものなのかについては、洋画で年間ワースト作品とされた「ラム・ダイアリー」の更なる劣化版、という評価に全てが凝縮されていると言って良いでしょう。
「苦役列車」は「ラム・ダイアリー」の問題点を全て踏襲しているのみならず、「全く感情移入できない主人公」という最悪の要素までもが付随しているのですから。
上映された映画館自体も少なく、興行収益的にも大コケだったようなのですが、それも当然というべき内容でしかなかったですからねぇ。
俳優さんの演技でもカバーできないほどにストーリーが最悪だったのですし。
こんなのに出演せざるをえなかった俳優さんも、実に災難な限りとしか言いようがなかったですね(T_T)。

洋画・邦画を問わず、数多くの作品に巡り合えた2012年の新作映画観賞。
来るべき2013年も、このペースが維持・発展していけることを願いたいものですね。


2012年映画観賞総括 洋画作品編

2012年の新作映画観賞97本中55本を占める洋画作品。
今回はその中から、各種部門別に個人的な私的評価に基づいて選別した作品をピックアップしていきたいと思います。

■ 洋画年間ベスト作品&アクション映画部門

まずは洋画年間ベストも兼ねるアクション映画部門の作品から。
並居る強豪がひしめく2012年の洋画作品の中で、見事ナンバー1の座を獲得したのはこの作品です↓

エクスペンダブルズ2
ファイル 783-1.jpg

この作品一番の魅力は、やはり何と言ってもシルヴェスター・スタローン、アーノルド・シュワルツェネッガー、ブルース・ウィリスという、ハリウッドアクション映画を代表する3巨頭が一斉に横に並び銃を乱射して敵をなぎ倒していくというシーンですね。
昔からハリウッドアクション映画に慣れ親しんできた人間としては、観客受けを狙ったあざとい演出であることが分かりきっていてもなお感動的なシーンと言って良く、これだけでも必見の作品と評価できます。
ハリウッド映画のファンであれば誰もが名前と顔は知っている大物俳優を集めた一種の「お祭り映画」と言える作品ではありますが、それだけに誰もが安心して観賞できる一品です。
今作は3部作の2作目ということで、次回作でいよいよ完結するとのこと。
是非次回作でも、今作に勝る出来を期待したいものです。
ただまあこの作品、来年発表予定のラジー賞候補にノミネートされるのはほぼ確実の映画ではあるでしょうね。
何しろ「アメリカ版『と学会』」と揶揄されるあの賞は、シルヴェスター・スタローンを敵視でもしているかのごとく、彼の出演作品には問答無用で駄作認定を叩きつけるのが常なのですし(苦笑)。

一方、アメリカでは評価が高く、日本でも派手に喧伝されていた「アベンジャーズ」「ハンガー・ゲーム」は、それなりに評価されるべき作品ではあったにせよ、その宣伝ほどにはどうにも感動的な要素が少なかった感が個人的には否めなかったですね。
「アベンジャーズ」は3部作の1作目ということもあったのでしょうが、味方の登場人物達が終盤近くまで延々と内輪揉めばかりに終始していた感がありましたし、敵側の描写が非個性的な上に「強大な脅威」なようにもあまり見えなかった点が若干マイナス点となりました。
一方の「ハンガー・ゲーム」は、サバイバルゲームの挑戦者達同士の心理戦や駆け引きが少なく、またゲームの主催者によるゲームへの介入やルール改竄があまりにも鼻につきすぎ、何かと引き合いに出されていた「バトル・ロワイアル」と比較しても設定が稚拙と言わざるをえませんでした。
今後も続編が出ることが既に決定しているシリーズ作品の1作目としてはそれなりの出来ではあるのでしょうが、作品単体としての評価ではややマイナスな部分が少なくない、といったところです。

その他の作品としては、ジェイソン・ステイサム主演の「SAFE/セイフ」が、マイナーながらも意外に高い評価となっています。

■ SFX&VFX映画部門

厳密に言うと、前述の「アベンジャーズ」や「ハンガー・ゲーム」もVFX映画のカテゴリーに含まれるのではないかと思われるのですが(^^;;)、まあここでの定義では「個人戦的なアクション演技が含まれない&メインではないVFX映画」ということで。
迫力ある映像が売りのSFX&VFXが売りの作品の中で見事栄冠を勝ち取った作品はこちら↓

バトルシップ
ファイル 600-1.jpg

ストーリー展開そのものはハリウッド映画スタンダード的なものではありましたが、そのお約束な展開も含めた安定的な展開と、近代的な戦いが封じられた中での頭脳戦や緊迫感溢れるシーンの連続などが高評価となりました。
この作品、エンドロール後に映し出された特典映像で続編があることを匂わせていましたが、果たして今後続編って出てくるのでしょうかね?

■ サスペンス映画部門

ここでは「頭脳戦メインで緊迫感ある展開が続く映画」という定義です。
この部門でのベスト作品はこちら↓

崖っぷちの男
ファイル 683-1.jpg

地味な映画の宣伝や前評に反して、意外な掘り出し物な出来だった今作。
序盤は主人公の行動の意図や動機がまるで分からず、その謎を追っていくというストーリー構成と、ラストで披露される全く意外な真相がツボを突いた作品でした。
サスペンス映画部門では、この作品と「アルゴ」のどちらを選ぶかで迷いましたが、最終的には「アクション映画的な展開がある」という点で「崖っぷちの男」が若干加点されてこちらに決定した、といった感じですね。
まあ、アクション展開が全くないのにアレだけの緊迫感が演出されていた「アルゴ」も、それはそれで高い評価を得て然るべき出来ではあったのですが。

■ コメディ映画部門

まあこれについては、今年はブッチぎりでこれに決定ですね↓

ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬
ファイル 513-1.jpg

やはり、世界的に有名な一流コメディアンとしてその名を轟かせている「Mr.ビーン」ことローワン・アトキンソンのお笑い劇は伊達ではない、ということで。
あの上下に動く椅子のシーンをはじめ、観賞の最中に何度も吹き出してしまうこともしばしばでしたし、笑いのツボを凄くよく心得ていましたね。
アクション・コメディの「&シリーズ」の一翼を担う「Black & White/ブラック&ホワイト」や、久々に続編が出た「MIB3/メン・イン・ブラック3」も、お笑い要素では遠く及ばないですね。
まあ、相手は本職なのですし、露骨なギャグコメディをひたすら前面に出したアレとは比較できるものではないでしょうけど。

■ 人間ドラマ映画部門

「エクスペンダブルズ2」が公開されるまでは洋画総合1位だったのがこの作品↓

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
ファイル 538-1.jpg

映画を見始めた序盤はそれほどでもなかったのですが、ラスト30分の大どんでん返しで評価が大きく変わった作品ですね。
あれほどまでの展開と感動は、そうそう味わえるものではなかったですし。
それ以外では、安心して観賞できる構成の「幸せの教室」や、修羅場の連続を描写しているはずなのに「ハワイ」な雰囲気がそう感じさせない「ファミリー・ツリー」などが個人的にヒットでした。

■ 洋画年間ワースト作品

大量に映画を観賞すれば、当然のごとく駄作を当ててしまう可能性も高くなるものですが、今年の洋画で一番の駄作はこれに決まりですね↓

ラム・ダイアリー
ファイル 674-1.jpg

最初から最後まで鬱々な展開が延々と続く上、ヒロインが途中でフェードアウト、さらには「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」とは逆に、ラスト30分における行動が全くの無駄でしかなかった点など、この作品のどこら辺に評価できる要素があるのか、全くもって理解に苦しむ作品でした。
今作より前では、マーガレット・サッチャーを扱っているにもかかわらず、その描写の半分近くが認知症絡みのシーンで構成されているという本末転倒な映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」が洋画1位の駄作な扱いだったのですが、それを余裕でブッチぎるシロモノでしたし。
観客に映画を見せるのであれば、せめてエンタメとしてきちんと成り立つ形で作って欲しいと、つくづく思わずにはいられなかったですね。

次回は邦画作品の部門毎評価を行います。


2012年映画観賞総括 ラインナップ編

2012年も、残すところあとわずかの日数を残すのみとなりました。
映画の本場たるアメリカでは、年間の映画興行収益が歴代最高になる見通しというニュースが飛び交っているようです↓

http://www.cinematoday.jp/page/N0049010
>  [シネマトゥデイ映画ニュース] 2012年の年間全米興行収入が歴代最高の108億ドル(約8,640億円)になる見通しだとHollywood.comが発表した。それまでの最高記録は映画『アバター』などが公開された2009年の106億ドル(約8,480億円)だった。(1ドル80円計算)
>
>  2012年の見込み年間興収である108億ドルは、2011年に比べて6パーセントの増加。2012年の動員数も現在の時点で前年比5パーセント増となっており、
人々が再び映画館に戻ってきたというハリウッドにとって明るいニュースとなっている。
>
>  今年公開の映画には、歴代3位の興収を記録した『アベンジャーズ』(6億2,336万ドル・約498億6,880万円)を筆頭に、『ハンガー・ゲーム』『ダークナイト ライジング』『トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part 2』など大ヒット作がずらり。8月、9月の興収は低調だったものの、ここにきてクリスマスムービーとして公開された『レ・ミゼラブル』と『ジャンゴ 繋がれざる者』が好調な出足を見せた。(数字はBox Office Mojo調べ)
>
>  『レ・ミゼラブル』は初日だけで興収1,811万ドル(約14億4,880万円)を稼ぎ出し、これはミュージカル映画史上歴代ナンバーワンの記録。続くクエンティン・タランティーノ監督の『ジャンゴ 繋がれざる者』も興収1,501万ドル(約12億円)に達するなど、2本のクリスマスに公開された映画が素晴らしいスタートを切ったことが記録更新の要因になっているという。(編集部・市川遥)

確かに「アベンジャーズ」と「ハンガー・ゲーム」は、日本での公開前からシネマトゥデイなどで話題になっている記事を何度か見かけたりしたものでしたが。
今年はアメリカだけでなく、日本でも多くの大作映画がかなりの数公開されましたし、震災の影響で低迷していた去年に比べれば、それなりの回復は見せているのではないかと思われますね。
こちらは一体どうなっているのやら。

さてそんな中、2012年度における私個人の年間新作映画観賞本数は、昨年度の最多記録たる65本をさらに32本上回る97本という数値を叩き出しています。
実に3年連続で、年間新作映画観賞本数の最多記録を更新したことになります。
その内訳は、洋画55本・邦画41本・韓国映画1本となっており、そのラインナップは以下の通り。
なお、左の連番は新作映画の観賞順です↓

 1.マイウェイ 12,000キロの真実
 2.ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬
 3.麒麟の翼 ~劇場版・新参者~
 4.ドットハック セカイの向こうに(3D版)
 5.日本列島 いきものたちの物語
 6.ペントハウス
 7.はやぶさ 遥かなる帰還
 8.逆転裁判
 9.ドラゴン・タトゥーの女
10.ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
11.TIME/タイム
12.ヒューゴの不思議な発明(3D版)
13.アンダーワールド 覚醒
14.顔のないスパイ
15.戦火の馬
16.ライアーゲーム -再生(REBORN)-
17.シャーロック・ホームズ シャドウゲーム
18.タイタニック(3D版)
19.マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙
20.僕達急行 A列車で行こう
21.ヘルプ ~心がつなぐストーリー~
22.センター・オブ・ジ・アース2 神秘の島(3D版)
23.ももへの手紙
24.SPEC~天~
25.ジョン・カーター(3D版)
26.バトルシップ
27.タイタンの逆襲
28.Black & White/ブラック&ホワイト
29.わが母の記
30.テルマエ・ロマエ
31.HOME 愛しの座敷わらし
32.宇宙兄弟
33.幸せの教室
34.キラー・エリート
35.幸せへのキセキ
36.ダーク・シャドウ
37.ファミリー・ツリー
38.MIB3/メン・イン・ブラック3
39.君への誓い
40.ファイナル・ジャッジメント
41.外事警察 その男に騙されるな
42.スノーホワイト
43.アメイジング・スパイダーマン(3D版)
44.LOVE まさお君が行く!
45.ラム・ダイアリー
46.臨場 劇場版
47.スープ ~生まれ変わりの物語~
48.崖っぷちの男
49.BRAVE HEARTS/ブレイブハーツ 海猿
50.苦役列車
51.おおかみこどもの雨と雪
52.メリダとおそろしの森
53.スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン
54.ダークナイト ライジング
55.エイトレンジャー
56.アナザー/Another
57.トータル・リコール
58.アベンジャーズ(3D版)
59.プロメテウス
60.るろうに剣心
61.あなたへ
62.闇金ウシジマくん
63.ひみつのアッコちゃん
64.コロンビアーナ
65.踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望
66.デンジャラス・ラン
67.夢売るふたり
68.バイオハザードⅤ:リトリビューション
69.天地明察
70.白雪姫と鏡の女王
71.ハンガー・ゲーム
72.エージェント・マロリー
73.ボーン・レガシー
74.最強のふたり
75.ツナグ
76.ロラックスおじさんの秘密の種
77.SAFE/セイフ
78.推理作家ポー 最期の5日間
79.エクスペンダブルズ2
80.アルゴ
81.終の信託
82.リンカーン/秘密の書(3D版)
83.のぼうの城
84.黄金を抱いて翔べ
85.北のカナリアたち
86.悪の教典
87.シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語
88.任侠ヘルパー
89.ロックアウト
90.ぼくが処刑される未来
91.人生の特等席
92.カラスの親指
93.007 スカイフォール
94.ホビット 思いがけない冒険(3D版)
95.妖怪人間ベム
96.大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇
97.レ・ミゼラブル

今年は、映画の観賞手法についてもそれなりの工夫や試行錯誤を重ねた年でもありましたね。
ファーストディや特定の日1000円サービスディに前売り券・レイトショー等の映画割引サービスの積極活用はもちろんのこと、1ヶ月フリーパスポートの発動時期厳選や試写会応募など「如何に映画を安く観賞するか」に趣向を凝らしまくりましたし。
結果、今年は新作映画観賞総本数の約4分の1に当たる25本前後の映画を無料で観賞することに成功しましたし、逆に定額1800円で観賞した映画というのは片手の指で数える程度しかありませんでした。
以前にも言及したことがあるのですけど、映画というのはその気になればいくらでも安く観賞することが可能だったりするんですよね。
特に500円割引が可能な前売り券の事前購入などは、そこらのコンビニでも手軽に行えるようにもなっているわけですし。
ただ、そういった映画経費節約策も、3D特別料金の徴収の前には無為無力でしかないのが実情ではあるのですが(T_T)。
様々な事情で3D映画を観賞する羽目となる度に、映画の内容とは別にいつもウンザリせずにはいられない、半ば敗北感にも等しい心情に陥ったりするものですからねぇ(-_-;;)。
まあ今年の3D映画観賞は何とか総計10本程度に抑えることができましたし、うち2本は完全無料の試写会観賞だったので、そこまで大きな「被害」にはならずに済んだのがせめてもの慰めでしたけど。

今年は新作映画観賞本数が総計100本にも迫る数で存在するため、映画内容の総括については、次の2記事で洋画・邦画別にそれぞれ別個にまとめてみたいと思います。


「SPEC」シリーズの前日譚と続編の公開が正式発表

2010年にテレビドラマ放映され、2012年4月に映画化もされた「SPEC 警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿」の続編が正式に発表されました。
2013年秋にその始まりを描いた「零」と完結編の「結」を公開するのだとか。

http://www.cinematoday.jp/page/N0049008
>  [シネマトゥデイ映画ニュース] 鬼才・堤幸彦が演出を手掛け、戸田恵梨香と加瀬亮の凸凹コンビが話題を呼んだドラマ「SPEC(スペック) ~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿」の前日譚にあたるスペシャルドラマ「SPEC~零~」と、映画化第2弾にして完結編『SPEC~結~』が2013年秋に公開されることが決まった。
>
>  2010年10月クールにTBS系で放送された「SPEC」は、警視庁公安部の特殊捜査官である当麻紗綾(戸田)と瀬文焚流(加瀬)の二人が「予知能力」や「念動力」などの“SPEC”と呼ばれる特殊な能力を持つ犯罪者に立ち向かう姿を描いた作品。今年4月にはドラマ最終回の半年後を描いたスペシャルドラマ「SPEC~翔~」、その続編にあたる映画化第1弾『劇場版 SPEC~天~』が公開されるなど人気シリーズとなっている。
>
>  今回の決定に戸田は「起・承・転と皆様の温かい支援を頂き、こうやって、最終章の結までやってこられたことを感謝しております」と喜びのコメント。一方の加瀬は「ついに完結するようで、ホッとしています(笑)。泣いても笑っても最後、戸田さんと共に、力を出し切りたいと思います」と意気込んでいる。
>
>  
スペシャルドラマ「SPEC~零~」では当麻が自身の左手を失うこととなった事件のエピソードが、『SPEC~結~』では前作『SPEC~天~』に登場した“シンプルプラン”“ファティマ第三の予言”などのワードや、白い男の正体など、今まで解き明かされなかった多くの謎が全て明らかになるという。植田博樹プロデューサーが「このSPECという世界のファイナルにふさわしい、シリーズ最高のグレードを目指して作っています」と語る結末に期待したい。(編集部・市川遥)
>
> スペシャルドラマ「SPEC~零~」はTBS系にて2013年秋、放送予定
> 映画『SPEC~結~』は2013年秋、全国公開

現時点では最新作である映画「SPEC~天~」でも、宣伝では完結編を銘打っておきながら、作中では明らかに続編を匂わせるような演出をやらかしまくっていましたが、それが正式なものになったわけですね。
あの映画で散々なまでに思い知らされたことなのですが、このシリーズはテレビドラマ・映画を問わず、全ての話に明確な関連性があるため、どれか単独で観賞しても内容は全く持って理解不能になるしかないんですよね。
シリーズの途上にある「SPEC~天~」だけを観賞しても、作品の世界観も話の経緯もまるで理解できなかったのですし。
2013年に公開されるという前日譚と続編も、それ単独では何のことやら分からない設定やエピソードが目白押しでしょうね。
前日譚と続編の観賞に当たっては、既存シリーズ作品のに「事前の予習と復習」が確実に求められることになるのではないかと。
シリーズ作品には「話に関連性がないか希薄で、作品単独でも楽しめるもの」と「全ての話が繋がっていて、全部観賞しないと設定や全体の構成が理解できないもの」の2種類があるのですが、「SPEC」シリーズは後者の中でも極北に位置する作品ですからねぇ(-_-;;)。
これほどまでに観客に負担を強いるシリーズというのも、そうはないのではないのかと。

新作が発表された「SPEC」シリーズですが、元来映画好きなはずの私にとってはあまり食指が動くものではないですね。
前回観賞した「SPEC~天~」は、テレビドラマ版を全く視聴していなかったという事情があったとはいえ、あまりの話の分からなさと出来の悪さに、正直辟易させられた部分が多々ありましたし。
同じような経緯から観賞した「SP」シリーズは、それでも過去作を観賞する気にもなり、続編も当然映画館で観賞に行ったものだったのですが……。
公開時における映画の観賞スケジュール次第でしょうねぇ、私が「SPEC」の続編を観賞するか否かは。


映画「レ・ミゼラブル」感想

ファイル 851-1.jpg

映画「レ・ミゼラブル」観に行ってきました。
世界各国の舞台で長年ミュージカル公演が行われてきた、ヴィクトル・ユーゴー原作の同名小説の実写映画化作品。
なお、今作が2012年における私の最後の新作映画観賞となります。

今作の舞台はフランスで、最初に登場する年代は1815年となります。
当時、ワーテルローの戦いでナポレオン・ボナパルトが敗北し、フランスでは王政が復活していました。
そんな世相の中、今作の主人公ジャン・バルジャンは、パンを1つ盗んだことが発端となり、実に19年もの長きにわたって続いていた囚人生活に終止符を打とうとしていました。
パンを盗んだ罪に対する罰自体は5年程度だったのですが、ジャン・バルジャンは何度も脱獄を繰り返したためにそこまでの懲役期間になったのだとか。
彼は名前ではなく「24601号」という記号で呼ばれ、奴隷労働に従事させられていたのですが、生涯にわたり1ヶ月に一度指定の警察署?に出頭することを条件に仮釈放が認められます。
しかし、長きにわたる牢獄生活のために行き場を失い、生活の糧もなく困り果てたジャン・バルジャンは、とある教会の門を叩きます。
そこで一宿一飯にありつけたジャン・バルジャンは、夜中にこっそり起き出し、教会内にあった銀の食器をあらかた盗み出し逃走してしまいます。
後日、当然のごとく憲兵に捕縛されてしまい、教会に連行されてきたジャン・バルジャンでしたが、この期に及んで彼は「これらの物品は教会からもらったものだ」などと誰の目にも嘘八百な言い訳を披露し始めます。
ところがそれを聞いた教会の司教は、何と「彼の言っていることは事実である」と肯定してジャン・バルジャンを解放させ、さらに2つの銀の燭台をもジャン・バルジャンに差し出してすらみせたのです。
この司教の態度に心を打たれたジャン・バルジャンは、仮釈放の許可証を破り捨て、改心して新たな人生をやり直すことを神に誓うのでした。

それから8年後の1823年。
ジャン・バルジャンは「マドレーヌ」と名を変え、とある街で事業を起こして成功を収め、さらには市長に任命される程の善良かつ人望のある人物として慕われるようになっていました。
しかしこの年、彼が運営している工場で雇われていたファンティーヌという女性工員が、他の女性工員と諍いを起こしてしまい、ジャン・バルジャンの部下だった工場長からクビを言い渡されるという事件が発生します。
ファンティーヌは8歳になるひとり娘のコゼットをテナルディエという一家に預け、多額の養育費を支払い続けていました。
ところがテナルディエ一家はファンティーヌに対して不当なまでに高い養育費を要求していたため、彼女は多額の借金を抱える身となっていました。
そこへ追い打ちをかけるようにして工員としての働き口を失ってしまった彼女は、とうとう売春婦としてカネを稼ぎ、身体を壊してしまうことになるのでした。
同じ頃、ジャン・バルジャンは自分の行方を追っていたジャベール警部から、自分とは全くの別人がジャン・バルジャンとして逮捕されたことを告げられます。
自分が名乗り出て別人を助けるか否か迷っていたジャン・バルジャンは、ふとしたきっかけから客と諍いを起こしていたファンティーヌのことを知ることになります。
ここでジャン・バルジャンは、自分の人生を左右する決断を迫られることになるのですが……。

映画「レ・ミゼラブル」では、1815年~1833年までのジャン・バルジャンの生涯が描かれています。
作中で描かれる大きなターニングポイントは、1815年・1823年・1832年の実質3年になるのですが。
今作はミュージカルの影響を色濃く受けているためか、作中で複数の歌が登場人物によって歌われるのはもちろんのこと、普通のセリフに至るまで歌のリズムに合わせるような口調でしゃべられていたりします。
私が観賞したのは字幕版なのですが、字幕版でさえ何らかのリズムに合わせて台詞が語られているのが一目で分かるほどのミュージカルぶりでした(苦笑)。
元々「レ・ミゼラブル」はミュージカル舞台として親しまれてきた経緯があるために、映画もファンを取り込むことを目的に、舞台と同じミュージカル調な展開にすることを優先したのでしょう。
さすがに戦闘シーンなどについてはミュージカル調ではありませんでしたが(苦笑)。
ただ、わざわざミュージカル調な展開にしたことで、物語全体が無駄に冗長なものになってしまっている感はどうにも否めなかったですね。
今作は上映時間158分にも及んでいるのですが、そのうちの40分ほどがミュージカルな展開に費やされていたのではないかと。
要所要所のみに歌や踊りのミュージカルを挿入するのであればともかく、今作はほぼ全編、それも登場人物達の会話まで含めて95%以上がミュージカル調だったのですし。
今回の「レ・ミゼラブル」はミュージカル舞台ではなく映画なのですから、畑違いの分野でわざわざミュージカル調な展開を持ち込まなくても良かったのではないかとは思わなくもなかったのですけどね。

個人的に少し疑問だったのは、1823年に市長の地位にあったはずのジャン・バルジャンが、ジャベール警部の追跡に対して何の圧力もかけていない点ですね。
仮にも市長の座にあったジャン・バルジャンなのですから、警察に圧力をかけて自分への追跡を止めさせることくらい普通に出来たのではないかと思えてならなかったのですが。
ある種のカタブツなジャベール警部自身に直接の賄賂や圧力などは通じなかったにしても、彼の上の人間は必ずしもそうとは限らないのですし、警察内部にジャベール警部を敵視する人間がいたとしても何ら不思議なことではないでしょう。
作中で示されているような性格では、むしろ敵を作らない方がおかしいのではないかとすら思われるくらいなのですし。
その手の人間に圧力なり賄賂攻勢なり誘導工作なりを展開することで、ジャベール警部を異動させたり失脚させたりすれば、自分に対する追跡を止めさせることも普通に出来たのではないのかと。

また、ジャン・バルジャンと誤認されて逮捕された男を救いたかったからといって、別に「自分こそがジャン・バルジャンである」などと名乗り出る必要もこれまたなかったはずでしょう。
近代裁判の論理で言えば、その男がジャン・バルジャンであるという証明を否定することさえできれば、「疑わしきは罰せず&被告人の利益に」という推定無罪の原則で彼の無罪は充分に証明されるわけです。
その男がジャン・バルジャンではないことを誰よりも知悉しているジャン・バルジャンにしてみれば、彼の嫌疑を再調査・精査させるだけでも相当程度の効果が見込めるのは確実なのですが。
元々全くの別人をジャン・バルジャンと誤認している時点で、捜査自体が相当なまでに荒くかつ穴だらけなシロモノであろうことが容易に推察されるのですし。
場合によっては、警察が手柄を立てるだけのために全く無実の人間の冤罪をでっち上げた、などという事態も考えられるわけで。
そういった観点から警察を攻めていけば、ジャン・バルジャンは自分の正体をバラすことなく冤罪をかけられた人物の無罪を勝ち取るという、「一挙両得」な成果を上げることも充分に可能だったのではないかと。
もしそれでも冤罪にかけられた人物が有罪になった場合は、市長の名で減刑嘆願を出したり保釈金等の金銭的な援助を自ら行って冤罪者を助けるということも、当時のジャン・バルジャンの立場であれば可能だったでしょう。
ジャン・バルジャンはジャベール警部に対して「俺は逃げはしないから猶予をくれ」的なことを口ではのたまっていても、実際には逃げる気満々だったわけなのですから、手段を問わず自己保身に邁進しても別に不思議なことではなかったのではないかと思えてならないのですけどねぇ。
その手の政治的権力や経済的支援などをもっと活用した保身術を駆使すれば、自分も他人もより幸福になることもできたかもしれないのに。

ミュージカル舞台版の「レ・ミゼラブル」が好きな方には、それなりにオススメできる作品と言えるでしょう。
ただ、そのミュージカル要素の挿入による冗長な展開は、「レ・ミゼラブル」の話を全く知らない一見さんには少々厳しいものがあるかもしれません。


コメント一覧

葵猫 (12/25 12:44) 編集・削除

こんにちは。
この映画についてですが、ユゴーの小説の実写映画化、
というのは違います。
ミュージカルの影響を色濃く受けているのではなく、
あくまでもミュージカル版の映画化です。
そしてレ・ミゼラブルはオペラミュージカルです。
台詞はほとんどなく、すべて歌で表現するのがオペラミュージカルです。
そこを変更するのならば、映画化の意味はありません。
シェルブールの雨傘等他にもオペラミュージカルの映画はあります。
最初は驚いたがすぐ慣れた、良かったという方もいますし、
つまらないと思われたのなら、残念ですが、合わなかったんですね、としか申し上げられません。
私自身はおおむね満足です。
あと三回は見る予定です。
舞台にはなかった司教さまが昇天するバルジャンを迎えてくれる場面で泣けました。

S.K (12/25 19:17) 編集・削除

>個人的に少し疑問
 
 お気持ちはわかりますが、この作品のテーマは
基本「無償の神の愛」なので、権謀知略でジャベールを
排除したり誤認逮捕の男を救ったりしてはそれこそ
「虚偽の罪」を犯してまで救ってくれたロレンス司教に
申し訳がたたないというものでしょう。
 そもそもジャン=マドレーヌ氏が成功したのも己の利益を
顧みない篤志家としての人望あっての事ですし
「逃げる気」と言っても「償いは必要だ、
しかしコレットの結婚を祝ってやりたいしそれなりに怖い」
というのは人情でしょう。
 葵猫さんがお書きになったラストのように、この話については
現世利益より天上の神の愛を優先するのが宜しいかと思います。
 ジャベールの最期なぞ「俺は神にも恥じる事なく
正しかった、しかし最低の罪人にさえ頭を垂れる他
ないほど愛がなかった」と自責して入水自殺ですから。

葵猫 (12/25 20:37) 編集・削除

S.K様
同感です。
言うまいと思ってましたが、管理人様、その突っ込みは「野暮の骨頂」です。
ジャン・バルジャンは、ラインハルト・フォン・ローエングラムでも、ヤン・ウェンリーでもないのです。
もし管理人様の言うような策を弄する主人公であったなら、原作はここまで世界中で愛されなかったでしょうし、ミュージカルも40か国以上の国々で上演されたりしなかったでしょう。
ただ、3日の猶予に関して。
バルジャンはコゼットの里親がまともな人物なら、金を預けて彼女の養育を頼み、逮捕されてもいいという気持ちはあったと思います。
だが現実は、寒空にあんな格好でこき使われ、虐待されてました。
しかも、すぐになつかれ「私のパパになってくれる?」ですよ。
元々小さな妹の子供のために前科作った彼です。
この子の為に逃げようと思うのは当然の結果だと思います。

冒険風ライダー(管理人) (12/25 23:06) 編集・削除

>葵猫さん
>S.Kさん
まずはじめに言っておくと、私は別に今作が駄作だったと言っているわけではありません。
むしろ、話の構成そのものについては、なるほどさすがミュージカル舞台でロングセラーを謳われるだけのことはあると感心したクチですし。

ただ、その上で違和感を覚えずにいられなかったのは、やはり何と言ってもジャベール警部に対して「3日間の猶予をくれ」と言っておきながら、結果的には彼を裏切り逃亡したジャン・バルジャンの選択なんですよね。
私はあの描写を見たとき、てっきり自分は素直に捕まり甘んじて罰を受けることを表明した上で、コゼットの身柄をジャベール警部に託すのではないかとばかり考えていたのですよ。
あの2人のやり取りは、どことなく「走れメロス」的な展開を髣髴させるものがありましたし、自分が捕まる時点でコゼットの今後に問題が生じるであろうことは、あの時点でジャン・バルジャンにも充分に理解できていたことのはずなのですから。
にもかかわらず、あっさりと前言を翻して逃亡してしまったジャン・バルジャンの決断は、本人の主観的には確かにコゼットのためではあったにせよ、客観的に見れば、結局疑心暗鬼ながらも猶予を与えてくれたジャベール警部の「信用」に対する裏切り行為を犯したことにもなるわけです。
せっかく温情を示したのに裏切られたジャベール警部にしてみれば、ジャン・バルジャンの言動は「我が身可愛さの身勝手な虚言」以外の何物でもなかったでしょうし、また他ならぬジャン・バルジャンにとっても、冒頭における神への誓いを裏切るものとなったのではないのかと。
物語序盤で改心して以降のジャン・バルジャンはまさに「聖人」のごとく描かれているだけに、あのシーンだけはどうにも納得できないものがありました。
だからこそ私は、「そんなことをするくらいならば、いっそ最初から権謀術数の限りを尽くしてジャベールの排除と自己保身に動いた方が良かったのでは?」と考えてしまったわけで。
後先考えずに行き当たりばったりな言動と対応に終始していたとしか思えなかったですからねぇ、あの時のジャン・バルジャンは。

また、1823年当時のジャン・バルジャンは、大きな工場を運営していた上に市長の座にもあり、その地位と権力と財力を活用して多くの人々を政治的・経済的に救済することもできる立場にありました。
市民は彼を慕っていましたし、また自分が市長の座にあることで民の暮らしを助けられることも、当然ジャン・バルジャンは承知の上だったはずです。
にもかかわらず、自らその立場を考えなしに放棄するかのごとき態度をジャン・バルジャンは取っているわけです。
彼が自分の立場を放棄することによって、ファンティーヌのごとき路頭に迷う人間が他にも多数出ることになるかもしれないのですよ?
たとえば、ジャン・バルジャンがジャベール警部に追われる身となった後のあの工場は、ファンティーヌを問答無用でクビにしたあの工場長が仕切ることになったかもしれないですし、あの工場長がジャン・バルジャン以上に(労働者にとって)理想的な工場運用をするとはとても考えられたものではないでしょう。
また、市長が逮捕されたとなれば、それが市政に与える影響や混乱は大きなものがあるでしょうし、後任の市長がジャン・バルジャンより市民のことを考えてくれる人物である保証などどこにもありはしません。
自分の立場が危うくなれば、それによって不幸になる人が出るかもしれない、と考えれば、あんな「考えなし」な行為になんてそうそう簡単に出れるものではないでしょう。
ジャン・バルジャンがファンティーヌやコゼットを助けること自体は何ら問題となることではありませんが、それをやるならばもう少し自分の保身と両立する形で上手くやるべきでしたし、結果的にはそれこそが「より」多くの人達を助けるという「改心の誓い」にも繋がることになるのではないのでしょうか?
せっかく人々を幸せにできる権力と社会的地位を持ちながら、それをあんな「自分の改心の誓いにすらも反する」最悪な形で放棄してしまったジャン・バルジャンの選択が、私にはどうにも歯痒いものに見えてならなかったというわけです。

あと、ミュージカルな全体構成については、確かにシネマトゥデイの映画紹介でも「ミュージカルを映画化」と書いてありますね。
ただ、他作品の映画観賞の際に何度も見た予告編では「普通のセリフに至るまでミュージカル調」な描写はどこにもなかったので、実物を観賞して「え?」と思った部分は多々ありましたが(^^;;)。
ミュージカル映画というと、一般的には「1箇所もしくは複数個所の要所な場面で歌と踊りのミュージカルシーンが挿入されている映画」を連想するものですし、今作もそうだとばかり考えていたもので。
今更分かりきった話ではあるでしょうが、世の中色々な形態の映画があるものなのですねぇ(^^;;)。

http://www.tanautsu.net/

S.K (12/26 00:19) 編集・削除

>私は別に今作が駄作だったと言っているわけではありません。

 それは承知しているつもりですので疑問点への
ちょっとした「私的解釈」を述べたのです。

>ジャベール警部の「信用」に対する裏切り行為

多分両者どちらに聞いても「その通りだ」と言う
でしょうし、更にジャン=バルジャンは「恨んで
くれて良いし『次』があったらどんな償いでも
受け入れる。しかし今はコゼットを幸せにして
やりたい」と続くでしょう。
必ずしも「我欲がある事=断罪されるべき事」な必要も
なくはないですか?

>市民は彼を慕っていましたし、また自分が市長の座にあることで民の暮らしを助けられることも、当然ジャン・バルジャンは承知の上だったはずです。

 それはどうでしょう?
「人の情けに感激して出来る事をしているだけの
元々学もない(実は前科者の)男」にそこまでの
視野がある方が奇跡的では。
 事実ファンテーヌを結果的に殺しコゼットを孤児に
した元凶の工場長はジャン=バルジャン=マドレーヌ氏
の雇い人であり治める市民だったではないですか。
 それにマドレーヌ氏の善政というのは献身であって
論理的結論ではありませんし、市民のその後の運命に
しても「惜しい指導者を失った」と嘆く権利はあっても
「お前のせいだ!」と糾弾する資格まではないのでは?
 慈善的な市長一人いなくなっただけで荒廃するような
街や産業はどのみちまともではないでしょう。

>せっかく人々を幸せにできる権力と社会的地位を持ちながら、それをあんな「自分の改心の誓いにすらも反する」最悪な形で放棄してしまったジャン・バルジャンの選択が、私にはどうにも歯痒いものに見えてならなかったというわけです。

 全くもって「不合理な話」ですからね。
 なので「ジャン=バルジャンは理を解する程賢くは
ないですし、あれが精一杯というのは汲んで宜しい
のでは?」と問うた次第です。
「そういう考え方もある」程度でご解釈下さい。

葵猫 (12/26 08:50) 編集・削除

確かにジャン・バルジャンのやった事は完璧ではありません。
でも人間には限界があります。
ジャン・バルジャンは貧しい、社会的には最下層のうまれです。
ろくな教育も受けてない彼が、事業を成功させ、市長になったわけです。
そして市民の為に尽くしている、すごいことです。
現代に生まれ、きちんとした教育を受けた人間の尺度で、あれが出来てないからいけないと言えるものでしょうか?
作者ユゴーは、バルジャンのような優れた潜在能力と人格を持った人物を教育も受ける事が出来ず、前科ものにしてしまった社会をこそ批判していると思います。
ファンテーヌの事にしてもそうです。
娼婦の言い分は最初から聞かず、「女には罰だ」
ちゃんと働いていた女性をあんなめに合わせる社会。
バルジャン一人では社会どころか、地域社会でさえ、変える事は難しいというのが現実でしょう。

冒険風ライダー(管理人) (12/28 00:33) 編集・削除

>S.Kさん
> 多分両者どちらに聞いても「その通りだ」と言う
> でしょうし、更にジャン=バルジャンは「恨んで
> くれて良いし『次』があったらどんな償いでも
> 受け入れる。しかし今はコゼットを幸せにして
> やりたい」と続くでしょう。
> 必ずしも「我欲がある事=断罪されるべき事」な必要も
> なくはないですか?

「走れメロス」的な約束を交わすシーンの後で、言い出しっぺの主人公の側から約束をバックれて逃亡、というのは話がおかしいと言わざるをえないところなのでは?
「走れメロス」も、苦難の末に主人公が何度もその誘惑に屈しかけるも、懊悩の果てに見事に約束を守ったからこそ美談になったのであって、アレでバックれたら興醒めもいいところでしょう。
それと全く同じことを、あのシーンではやっているような気がしてならなかったのですが。

> 「人の情けに感激して出来る事をしているだけの
> 元々学もない(実は前科者の)男」にそこまでの
> 視野がある方が奇跡的では。

ジャン・バルジャンに学はなかったにしても、彼には世の辛酸を舐めてきた人生経験と、資産家になれただけの商才や知識などは備わっているのではないですか?
そうでなければ、無一文の身から工場を構え市長にまでのし上がるなんてできるわけもないのですし。
ジャン・バルジャンともあろう者が、まさかブラック企業の経営者のごとき悪逆非道なことをやらかしているとは考えにくいところなのですし、視野や識見はそれなりにあると考える方が自然なのではないかと。

>  慈善的な市長一人いなくなっただけで荒廃するような
> 街や産業はどのみちまともではないでしょう。

ジャン・バルジャンの後釜にルーピーだのカンガンスだのといった「民主党的な面々」が居座るような事態を、この場合は想定すべきなのではないでしょうか?
ひとりの暴君ないし集団の類が政治を滅茶苦茶にした事例を、あの連中は見事なまでに示してしまっているわけで(苦笑)。
まああそこまで最悪な部類でなくても、あの当時のフランスは元々ナポレオン戦争に敗北した直後ということもあり、貴族優遇・市民冷遇の反動政治が横行していた時代でもあったわけですし、後釜の新市長が一般人を冷遇したり貴族に媚びたりする政治に走る危険性は充分にあったと言えるわけです。
ジャン・バルジャンのような「市民に慕われる市長」という存在の方がむしろ例外的なものであることくらい、当のジャン・バルジャンだって他ならぬ自分自身の経験から充分過ぎるほどに理解できることでしかなかったはずでしょう。
自分が市長の座を退いても今の体制が続けていける、という状況を作り出したのならともかく、ジャン・バルジャンのそれはどう見てもそうではなかったわけですし、彼には市長として市政の充実に全力を尽くす義務もあったのではないのかと。

>  全くもって「不合理な話」ですからね。
>  なので「ジャン=バルジャンは理を解する程賢くは
> ないですし、あれが精一杯というのは汲んで宜しい
> のでは?」と問うた次第です。
> 「そういう考え方もある」程度でご解釈下さい。

上でも述べたように、ジャン・バルジャンは無一文の身から市長になれてしまう程度には有能だし視野も広いはずですよね。
それであの行動は解せないし違和感も大きい、というのが私の主張です。

>葵猫さん
> ジャン・バルジャンは貧しい、社会的には最下層のうまれです。
> ろくな教育も受けてない彼が、事業を成功させ、市長になったわけです。
> そして市民の為に尽くしている、すごいことです。
> 現代に生まれ、きちんとした教育を受けた人間の尺度で、あれが出来てないからいけないと言えるものでしょうか?

私はむしろ全く逆に、それだけの有能性を持ち合わせている【からこそ】、作中の「考えなし」かつ「行き当たりばったり」な言動が理解に苦しむと考えてしまうんですよね。
ジャン・バルジャンには学が無くても「辛酸を舐めてきた人生経験」があるのですし、世の中は慈善どころか悪意に満ちてすらいることも充分に承知しているはずなのです。
お花畑な空想世界で生きているような人間ではないからこそ、あの一連の言動には違和感を覚えざるをえない、というのが私の正直なところなのでして。

> バルジャン一人では社会どころか、地域社会でさえ、変える事は難しいというのが現実でしょう。

いや、個人としてはともかく「市長」や「工場の経営者」としての立場であれば、ある程度は自分の意のままにできる部分もあるでしょう。
ジャン・バルジャンの場合は、むしろその力を自分や他人のためにロクに行使しなかったことにこそ問題があるのでしてね。
せいぜいコゼットの買収のためにカネを放出したくらいでしたからねぇ、彼が自前の「力」を行使していた場面は。
目先の事象にこだわるあまり、大局的なことが見えていない。
それが、あの場面におけるジャン・バルジャンの評価になってしまうのではないかと。

http://www.tanautsu.net/

通りすがり (01/04 11:25) 編集・削除

原作ではコゼットを助ける前に約束通り逮捕されていることを
知っていらっしゃるんだろうなとは思うのですが
原作では約束は守ってる、という事実は先に書き添えておきます。

逮捕後、再度脱獄し、コゼットの様子を見にいった時
ひどい扱いに心痛め、数年とはいえ後回しにしたことを
公開するシーンが原作にはあります。
逮捕~脱獄の部分が割愛されていると判断するか、
なかったことになっているとするかは
これは映画だけを観た人からすれば後者としか判断しようがないと思います。
尺の問題上致し方なかったのでしょうがこの映画だけでは
そう判断されても仕方ありません。
なのでその部分に対する管理人様のご指摘も至極尤もだとは思います。

ただ、この話は人を信じられず厚意を受けてなお裏切りで対応していた男が
その裏切りを無償のうちに許され「良い人間になりなさい」と送り出されたことから始まります。

だから男は常にその許してくれた人に恥じない「良い人間」を目指して生きているんです。
財産や権力のためにずる賢く生きるのでもなく、保身のために権力を振り回すこともしない、
そう生きようと決め、そう生きた男の話であって、成り上がりの話でもなんでもありません。
見ての通りとても修道的な話なのです。

権力を使って警察に手をまわすことを「良い人間」がしますか?
彼は自身の罪を知っており、警察の職務も知っています。
「君に恨みはない。君は職務を全うしただけ」と言うその言葉に嘘はないんです。
ジャベールが間違った行いをしていれば市長として正すことをしたかもしれませんが
していないのであれば、なぜ手を回す必要がありますか。

後任の者がダメ、使えない奴に決めつけて蔑み、
自分しかできないと自賛することが「良い人間」か、
まさに自分のせいでしかない罪のために一生をなくそうとしている男を
今の地位を守るためだけに見殺しにするのが「良い人間」か

確かに原作では市長逮捕後、市は衰退していきます。
ただ管理人様は映画の話だけに特化して話されているようですので
ここは観客の想像次第です。
もしかしたらすごく良くできた市長が就任されて一層の発展してるのかもしれません。

他者からその選択を愚かしい、大局的なことが見えていないと言われても彼は構わないと思います。
彼自身が彼の正義の中で「良い人間」であろうとしたんです。

全体的に非常に宗教的な話です。
日本では宗教は馴染みがない、というか、修道的に生きる、という感覚が
薄いので理解できる人が少なくて当然です。
諸外国がワビサビが理解できないのと同じで理解しなければいけないものでもありません。
かと言って理解していないのに否定するのは非常に滑稽ではありますが。

冒険風ライダー(管理人) (01/05 00:26) 編集・削除

>通りすがりさん
今回の場合、原作については映画観賞時まであえて全く目を通さず、観賞後にWikipediaで確認するという手法を取りました。
元々私は舞台を観に行ったことがほとんどないこともあり、今作を観賞するまで「レ・ミゼラブル」の詳細な内容については把握していませんでしたし。
そんなわけで、今回私が感想を述べているのは、2012年12月21日公開のミュージカル映画「レ・ミゼラブル」限定のものとなります。
原作からテレビドラマまで一切合財全部観賞して臨んだ「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」とは完全に対極なやり方ではありましたが、そういう前提で書いた感想だということはご承知下さい。

> ただ、この話は人を信じられず厚意を受けてなお裏切りで対応していた男が
> その裏切りを無償のうちに許され「良い人間になりなさい」と送り出されたことから始まります。
>
> だから男は常にその許してくれた人に恥じない「良い人間」を目指して生きているんです。
> 財産や権力のためにずる賢く生きるのでもなく、保身のために権力を振り回すこともしない、
> そう生きようと決め、そう生きた男の話であって、成り上がりの話でもなんでもありません。
> 見ての通りとても修道的な話なのです。

そこなんですよね、問題は。
まさに司教に対する裏切り行為について反省し、「良い人間」として生きることを目指したはずのジャン・バルジャンが、その裏切り行為を今度はジャベール警部相手にまたしても披露してしまう、という矛盾にどうしても違和感を覚えざるをえないわけです。
他の誰でもない当のジャン・バルジャン自身にとってこそ、アレはまさに最悪の行為そのものだったでしょう。
自分の行いを恥じ、「良い人間」になると誓ったのは一体何だったのか?
かつて己自身が恥じていた行為をまたしても繰り返すことに、彼は何の疑問も羞恥も覚えなかったのか?
そこが観ていてどうにも矛盾と破綻を感じざるをえなかったところでしたし、そんな愚かしいことをするくらいならば……と考えたのがアレだったわけです。
原作ではきちんと約束を守っているというのであれば、映画版のそれは「原作の改悪」とすら言って良いほどの失態です。
修道的・宗教的な要素がテーマになっている、というのであればなおのことです。
まさか、「人の懺悔という概念はかくも無意味なものである」などというシロモノが作品のテーマだった、というわけはないでしょうし。

> 確かに原作では市長逮捕後、市は衰退していきます。
> ただ管理人様は映画の話だけに特化して話されているようですので
> ここは観客の想像次第です。
> もしかしたらすごく良くできた市長が就任されて一層の発展してるのかもしれません。

いや、ジャン・バルジャンの後任の市長が仮に万が一にも優れた人物だったとしても、それを誕生せしめたのはジャン・バルジャンの功績ではないでしょう。
後任がいかなる人物であれ、ジャン・バルジャンが市政を混乱させ、今後の市政について不安の影を落とすことになる事実に変わりはないのですから。
まあ、ジャン・バルジャンが後継者を事前に指名していたとでもいうのであれば話は違ってくるでしょうけど、もちろんそんな描写は映画には全くなかったわけで。

また以前の投稿でも書きましたが、当時のフランスはナポレオン戦争後の反動政治で政治情勢は不安定でした。
1830年にフランス7月革命が勃発したのも、それなりに必然的な理由があってのことなのですから。
それに当のジャン・バルジャン自身の経験則から言っても、自分のごとき慈善な市長が極めて稀な存在であることくらい理解はできたはずでしょう。
そういった要素を鑑みれば、市政を預かる立場の人間としてのジャン・バルジャンは、自分が捕まった後の市の動静について無頓着・無責任に過ぎたのではないのかと。

市長とか工場所有の大富豪とかいった「私的な言動の影響力が大きすぎる」立場を変に付加していたのが、却ってジャン・バルジャンの選択肢と責任を無用に増大させた元凶ですね。
ちょっと小金を持つ一般人的な設定にでもしていれば、市政の責任などは全く問題にする必要もなかったのですが。

http://www.tanautsu.net/

そら (07/11 00:44) 編集・削除

今さらですが。
ジャベールはそもそも猶予を与えることに同意してませんから、バルジャンは裏切ってはいませんよ。

映画「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」感想

ファイル 850-1.jpg

映画「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」観に行ってきました。
白泉社が出版する隔月刊誌「メロディ」で連載されている、よしながふみ原作の同名少女マンガの実写化映画2作目で、徳川5代将軍綱吉の時代を舞台とした作品。
今回は1作目映画はむろんのこと、原作も全巻既読、さらにはTBS系列で放映されたテレビドラマ版をも全て網羅した上で臨むという、これ以上ないレベルの事前準備が整った上での観賞と相成りました。
正直、1作目映画を観賞するまでは、原作や原作者の存在すらも全く知らなかったくらいだったのですが、人生一体何がきっかけになるのか、分からないものですね(苦笑)。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

1作目映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】
コミック版「大奥」検証考察11 【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想  第6話感想  第7話感想  第8話感想  第9話感想  最終話感想  全体的総括

映画2作目の物語は、京の都にある冷泉家の閨で、後に右衛門佐と名を改める継仁が、子作りを目的に性行為に勤しむ様子が描かれる、原作5巻P13~P14のシーンから始まります。
冷泉家の女性とまぐわっている最中、突然ネズミの鳴き声と足音がして抱きついてくる女性をなだめながら、継仁は「自分はネズミや」と自虐まじりに思いを致すのでした。
そこで舞台は変わり、今度は原作4巻P117に戻り、メガネをかけ直した御台所付御中臈・秋本が、御台所(正室)・信平に刻限を告げ、桂昌院と伝兵衛と共に徳川5代将軍綱吉の「総触れ」が行われる様が描写されます。
大奥ではロクな男が物色できないことに飽きでもしたのか、綱吉は牧野備前守成貞に入り浸るようになります。
この世界では当然のごとく女性である牧野備前守成貞の夫は、館林時代に綱吉の愛人だった阿久里がおり、彼女は成貞が事前に用意した夜の世話のための男達には全く目もくれることなく、阿久里に自分の世話をするよう命じるのでした。
阿久里との「夜の営み」の後、満足気に帰っていく綱吉を見送る牧野家では、結果的に夫を寝取られることになった成貞のすすり泣きが響き渡るのでした。
その後、綱吉は1ヶ月の間に5回というペースで牧野家に入り浸り阿久里と夜を共にすることに。
さらに綱吉は、阿久里の健康状態が思わしくなくなったことを察すると、今度はその息子の貞安にも手を付け、大奥に入れてしまいます。
結果、阿久里と貞安は病死、貞安の妻も夫が綱吉に寝取られたことがショックで自害することとなり、一家をボロボロにされた牧野備前守成貞は隠居を申し出る羽目になったのでした。
それは、綱吉の寵愛?を自分ひとりで独占しようとする柳沢吉保の策謀でもあったのですが。

そんな中、綱吉にすっかり見向きもされなくなってしまった上、35歳のお褥すべりが迫っている自身の今後の立場や権力が気になった御台所・信平は、京から自身の子飼いとなるであろう公家の男を呼び、綱吉との間に子供を生ませることで、自身の立場を強化することを思いつきます。
そして、信平が京から呼び寄せた男は、物語冒頭に登場し改名した継仁こと右衛門佐だったのです。
右衛門佐は、巧みな社交辞令と政治的センスを駆使し、瞬く間に綱吉に気に入られたばかりか、有功ことお万の方以来長年空席だった大奥総取締の座を手にすることに成功。
さらに右衛門佐は、綱吉のひとり娘である松姫の「お腹様」だった黒鍬者の伝兵衛を隔離し、短期間のうちに大奥内で絶大な権勢を誇るようになっていきます。
しかし、右衛門佐が有功と瓜ふたつな顔立ちをしているために初対面でまんまと出し抜かれた綱吉の父親である桂昌院は、当然のごとく右衛門佐の台頭が面白くありません。
2人は綱吉の世継問題を巡って対立し、事あるごとに衝突することとなるのですが……。

映画「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」は、一応はテレビドラマ版から続く続編という位置付けではあるのですが、ストーリー自体は桂昌院関係のエピソードを除きほとんど関連性がないため、作品単体でも観賞は充分に可能です。
過去作を見ないと話の繋がりが分からない唯一のエピソードは、桂昌院が隆光に「綱吉に世継ぎができない理由」を尋ねた際、「殺生をしたことがあるか」と問われてショックを受けるシーンくらいです。
その理由については、原作2巻またはテレビドラマ版「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」の第3話で披露されていますので、今作が「大奥」初観賞で意味が分からなかったという方は、そちらを確認することをオススメしておきます。

また、テレビドラマ版に引き続き主演を担っている堺雅人が演じていた右衛門佐は、しかし原作と比べてもかなり大人しく静かなイメージがどうにも拭えなかったですね。
一応設定では「切れ者」ということになっており、綱吉や桂昌院相手にも物怖じすることなく堂々と渡り合っていた様が描写されてはいたのですが、どことなく「覇気」という要素が足りないというか……。
性格的には優しく誰にでも慕われるが鬱屈を自分の中に溜め込む気質な有功に対し、右衛門佐はどちらかと言えば野心と計算に基づいて他人を動かしている的なイメージがあるのですが、映画版の右衛門佐は「他人を動かす」的な描写が不足している感が多々あります。
秋本を自分の腹心として見出した理由とか、御用商人達を手玉に取って大奥へ搬入する物品の仕入値を値切るシーンとかいった、政治謀略家としての右衛門佐の側面が思いっきり省略されてしまっていましたし。
右衛門佐の腹心たる秋本にしても、大奥の動向を監視する「密偵の総元締め」的な一面はまるで描かれることなく、ただ右衛門佐の傍仕え兼語り部として登場していただけでしかありませんでした。
その手の描写は、右衛門佐の政治的センスやその方面における辣腕ぶりを示すものでもあったのですから、右衛門佐の有能性を示すという観点から言えば省略してはいけなかったのではないかと思えてならないのですが。
全体的に旧社会党ないしは社民党的な腐臭が漂う愚劣な女尊男卑的な人間や主義主張が披露されまくっている「大奥」世界において、右衛門佐というキャラクターは結構好評価なものがあっただけに、彼の有能性を示すエピソードの省略は何とも惜しいものがありますねぇ(T_T)。

今作では右衛門佐絡みのエピソードに限らず、原作におけるエピソードや設定を少なからず端折っていたり「なかったこと」にしたりしています。
たとえば、原作5巻における元禄赤穂事件の勃発から武家の男子相続禁止令までの流れは完全になくなっていましたし、秋本が大奥に入った真の理由「妹の絹との近親相姦と『他の女との間に子供を作りたくなかった』から」という動機も、結局映画版では言及されずじまいでした。
映画版は上映時間124分という時間枠しかなかったのですし、その限られた時間の中で原作ストーリーの全てを描くのは至難の業だった、という事情は当然あったでしょう。
しかし、テレビドラマ版が原作ストーリーの大部分を余すところなく描写していたことを鑑みると、原作既読者としては「やはり原作エピソードの抜けが多い」と言わざるをえないところですね。
その割に、原作でも右衛門佐の野心的な構想と共に鳴り物入りで登場していたにもかかわらず、結局いつのまにかフェードアウトしていた大典侍と新典侍は、原作の描写そのままな立ち振る舞いに終始していたりしましたし。
原作エピソードの取捨選択がどうにも中途半端で、もう少し何とかならなかったのかとついつい考えてしまいましたね。
まあ、原作でも問題だらけなエピソードだった、元禄赤穂事件後の綱吉が発した「武家の男子相続禁止令」がなくなったことについては、結果的には「削って良かった」と言えるシロモノではあったのですけどね。
検証考察6でも述べていますが、アレがあったら「大奥」世界における綱吉の歴史的評価がさらに悪化したであろうことは間違いないわけですし(苦笑)。

映画「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」が描きたかったテーマを挙げるとすると、それは「毒親からの解放」ということになるのではないですかね?
何しろ、綱吉の父親である桂昌院は、かつてのライバルだったお夏の方憎しという個人的感情と自己都合を、無理矢理綱吉に押し付けていた側面が多々あったわけで。
それだけに、次代の将軍として、綱吉の姉で故人の徳川綱重の娘・綱豊を養子に迎えることを決定した際の綱吉の決断は相当なまでに重いものがあったでしょうね。
彼女にしてみれば、父親たる桂昌院を文字通り「捨てる」覚悟で事に臨まざるをえなかったわけですし。
ただ、そこまでできたのであれば、ことのついでに桂昌院を安心させる【だけ】のために定めた感すらあった「生類憐みの令」も一緒に廃止してしまえば良かったのに、とは考えずにはいられなかったところなのですが(^^;;)。
あの状況で、綱吉が「生類憐みの令」を廃止してはいけない理由なんてどこにもないわけですしね。
結局、「生類憐みの令」は次代将軍の家宣が廃止を宣言することになるわけですが。

ところで、この「大奥」シリーズは、徳川5代将軍綱吉の死後以降のストーリーについても、やはり映画化なりテレビドラマ化なりされるのでしょうかね?
すくなくとも、江島生島事件がメインとなるであろう徳川6~7代将軍の話は、普通に実写化されそうな感じではあるのですが。
これが実写化すれば、映画版1作目のストーリーにも繋がることになるわけですし、ここまで「大奥」を実写化するのであればやらない方が変だとは思うのですけどね。
まあ、この辺りは予算の都合とか人気の度合いにもよるのでしょうが。

しかしまあ今作は、いくら原作からしてそうだったとは言え、ストーリーが全体的に暗く、テレビドラマ版以上にあまり一般受けしそうな構成ではないですね。
テレビドラマ版も視聴率が芳しいものではなかったわけですし、今作が果たしてどれくらいの興行的な成功を収め得るのか、はなはだ心許ない限りではあります。


コメント一覧

アニス (01/02 11:54) 編集・削除

2時間チョッとでは端折らざるを得ないでしょう。
全部やろうとしたら三回に分けての上映になりまます。
あの最低最悪の忠臣蔵は、端折ってOKですけど。
忠臣蔵のファンが怒ります。
せめて宝塚歌舞伎は観たかったけど。

冒険風ライダー(管理人) (01/04 23:21) 編集・削除

>アニスさん
映画1作目の「大奥」は、コミック版0.8巻分程度しかなかったので何とか全エピソードが再現できたのですが、2作目の綱吉時代のエピソードはその倍近くありますからねぇ。
テレビドラマ版の「有功・家光篇」の2.4巻分には届かないにしても、それでもかなりの分量がありますし。
分量的に難しいのではないか、とは事前にも予測がなかったわけではないのですが、テレビドラマ版から続けて観賞すると、やはり「物足りなさ」は否めないところですね。
ただ忠臣蔵エピソードについては、映画の公開時期がちょうど年末だったこともあり、時節柄入れてくるのではないかという予想もあっただけに、それを端折ったのは少々意外な展開ではありました。
個人的には私も(作品の政治的な矛盾の問題から)入れない方が良かったとは思いますし、そもそも予算の問題なども無視できなかったのでしょうけど。

http://www.tanautsu.net/

映画「エアポート2012」感想(DVD観賞)

ファイル 849-1.jpg

映画「エアポート2012」をレンタルDVDで観賞しました。
2012年にアメリカで製作された映画で、日本では劇場未公開の作品となります。
タイトルの末尾に「2012」とあるところを見ると、一応シリーズもの作品ではあるようなのですが、にもかかわらず劇場公開されない辺り、日本ではマイナーもいいところの映画であることが一目瞭然ですね(苦笑)。
ちなみに「エアポート」と銘打たれているタイトル名ではありますが、空港は何の関係もありません(爆)。

航空管制のミスが頻発したことから、アメリカでは人為的なミスを回避するための衛星ネットワークシステムが開発されていました。
その名はACATシステム。
軍用機で既に運用されているその衛星システムは、やがてスペースシャトルで2機目が打ち上げられ、民間機にも導入され、空の旅をこれまでよりもはるかに安全なものにするはずでした。
ところが、民間機での運用が開始されたその日のうちに、早くもACATはトラブルを引き起こしてしまいます。
宇宙空間で電気的なショート?を繰り返し、やがて衝撃波と共に衛星は破損。
破損によって発生した衛星の欠片が、次々と地球の引力に引き寄せられていきます。
それらの欠片群はアメリカ各地に落下、まずは地上での被害を拡大させていくのでした。

それより少し前、ACATが導入されたアメリカ東部クリーブランドの航空管制センターでは、かねてよりACATの導入に反対していたボブが、ACATと通信が取れなくなったことから懸念を抱き、中央の空域管理センターに対し、現在空を飛んでいる全ての航空機の着陸許可を求めていました。
しかし空域管理センターからは、「ただ今調査中、こちらで対処する」という官僚答弁的な返答をするのみで、ボブの意見を全く取り合おうとしません。
それどころか空域管制センターは、大統領一家を乗せた大統領専用機エアフォースワンを離陸させろとボブに命じてきたのでした。
当然ボブは「リスクが大きすぎる」と反対するのですが、その意見はまたも却下され、やむなくボブはエアフォースワンの着陸許可を出さざるをえなくなってしまいます。
デトロイトへと向かう予定のエアフォースワンの航路上には、同じくデトロイト行きの民間航空機アメリカーナブルー23便が飛行していました。
ボブはエアフォースワンとアメリカーナブルー23便と連絡を取ろうとするのですが、両者共に交信不能の状態。
事態の重大性を理解していたボブは、通常ならばまず考えられない非常手段を用いて両者との交信を試みようと画策を始めるのでした。
地上でそんな事態が発生しているとも知らず、つかの間の空の平和な旅を楽しむエアフォースワンとアメリカーナブルー23便の搭乗者達。
しかしそんな中、破損を続けつつもかろうじて稼働していたACATが、ついに破滅的な段階を迎えてしまい、システムが完全に狂ってしまうのでした。
狂ったACATは、エアフォースワンとアメリカーナブルー23便をコントロール不能にしてしまい、事態は悪化の一途を辿ることになります。
クリーブランド航空管制センターのボブ、エアフォースワンとアメリカーナブルー23便のパイロット達は、最悪の事態を回避すべく、それぞれの立場で動き回ることになるのですが……。

映画「エアポート2012」は、航空機で次から次に発生していく非常事態の数々と、それにパニックを引き起こしながらも対応していく人々の姿が描かれています。
パニックに襲われている当事者達は必死になって最悪の事態を回避しようとしているのですが、物語中盤は全く無為無力か、却って事態を悪化させているのが実情だったりします。
個人的に笑ってしまったのは、狂ったACATシステムによってエアフォースワンからミサイルを撃ち込まれたアメリカーナブルー23便の乗客達が、落雷の影響で機体に突っ込みながらも爆発しなかったミサイルを機外へ出すシーンですね。
機体から落下していった不発のミサイルが、地上のガソリンスタンドを直撃して爆発炎上した直後、ただただ目先の危機を回避した乗客達が安堵する姿が映し出される様は滑稽もいいところでした。
そりゃ彼らが立たされている状況的では、とにかく自分達が助かるためにもそうするしかなかったのでしょうが、地上では彼らの行為によって大変なことになってしまっているわけで(苦笑)。
また、飛行中の航空機に空中給油の要領で接続し大統領を救出する「サムフォックス作戦」の実行時には、大統領夫妻が揃いも揃って感情的かつヒステリックな対応に終始しているのはさすがにどうなのかと。
「サムフォックス作戦」は大統領を最優先で救出する作戦のはずなのに、それを自身の強権発動で強引に捻じ曲げ妻を先に機外へ出すよう指示する大統領とか、ただひたすら娘の安否ばかり心配して夫に食ってかかるファーストレディとか、自分達の立場や状況が本当に理解できているのかすら疑問視せざるをえない対応ばかりやらかす始末でしたし。
結果的にはその態度によって、元々失敗率が高かった「サムフォックス作戦」の失敗による犠牲を回避することができたとはいえ、それはあくまでも結果論でしかないわけで。
仮にも一国の、それも他国にまで多大なまでの影響力を及ぼす最高権力者として振る舞わなければならないアメリカの大統領一家がそれではちょっと……。
個人としては自己を犠牲にして他人を思いやる優れた人格と言えるのかもしれませんが、一国の最高権力者としては鼎の軽重を問われても文句は言えないでしょうに。
まあ、もしあの大統領が、実は「サムフォックス作戦」の成功率の低さを鑑みて、まずは自分の妻をある種の実験台として送り込んだ上でその成否を確かめるつもりだったというのであれば、その冷徹な判断ぶりは逆に賞賛に値するかもしれないのですが。
ただ、作中の描写を見る限りでは、件の大統領にそんな意図は全くなかったとしか言いようがなかったのですけどね。

ただこれ、全体的に見れば、航空機の中で生じた被害・犠牲者よりも、衛星破片の落下物によるそれの方が、数においても質においてもはるかに深刻な規模になっていると言わざるをえないでしょう。
アメリカーナブルー23便が地上の建造物等に与えた損害も、決して無視できるものではないのですし。
物理的なダメージだけでなく、ビルが立ち並ぶ街中を超低空飛行で飛んでいく様は、それを目撃したアメリカ国民の間で「911の再来」的な心理的恐怖まで与えていたのではないのかと(-_-;;)。
ラストはハッピーエンド的な結末で終わっていますが、事件後の後始末はさぞかし大変なものがあるでしょうねぇ、アレでは。
まずさし当たっては、欠陥だらけなACATシステムを導入した人間が責を問われ、場合によっては社会的に吊るし上げられることになるのでしょうけど。

航空機を扱ったパニック・ムービーや、緊迫感溢れるストーリー展開が観たいという方には、普通にオススメできる出来の作品ではあります。
ツッコミどころは色々とありそうなB級映画ではあるのですが(苦笑)。


コメント一覧

冬寂堂 (12/24 18:02) 編集・削除

エアポートという題名に聞きおぼえがあったので調べてみると、かつて「大空港」という映画がありまして、その後3作品作られた「エアポート」シリーズというのがありましたが、ウィキペディアで調べてみるとそのシリーズとは全く関係が無いようですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E6%B8%AF_(%E6%98%A0%E7%94%BB)#.E3.82.A8.E3.82.A2.E3.83.9D.E3.83.BC.E3.83.88.E3.82.B7.E3.83.AA.E3.83.BC.E3.82.BA

 とはいえ、このエアポートシリーズがあったからこそ、このビデオシリーズもエアポートの名前を冠しているのだと思います。きっと販売元の命名者は、映画マニアかいいトシのオッサンですな(笑)

冒険風ライダー(管理人) (12/25 23:03) 編集・削除

>冬寂堂さん
「エアポート20■■」シリーズというのは、アルバトロス・フィルムという会社が似たような雰囲気の航空機映画を買いあさってタイトルをつけているシリーズなのだそうです。
大ヒット映画の名前を借りたレンタル系の派生作品というのは他にもあって、私が知っている範囲でもたとえば「アルマゲドン2009」とか「デイ・アフター2020」とかいった作品があったりします。
元ネタ映画とは構成は似ているもののストーリー設定等の関連性はない、という形を取っていることがほとんどですね。
今作もそんな感じで世に出たものなのかもしれませんね。

http://www.tanautsu.net/

神様 (06/03 06:00) 編集・削除

駄作 時間の無駄 素人レベル 航空機や科学・物理をもっと勉強してから作れというレベルですね。
あんな映画に制作費出した人も常識を疑います。

YURIA (06/06 10:25) 編集・削除

管制官が二人で話し合ってるだけ?各地で落下物で炎上し大災害になってるのに航空機の対策にあたるのがそれだけ?え?大統領に解除コードを聞いてくれといわれたのに、ゆっくり娘を探す?管制官が小屋の外に出て女性と話したりその女性がチャリンコで山に向かうところは、大昔の怪獣映画のロケぐらいひどい。文化祭レベル。ミサイルが旅客機に突っ込んで爆発せず通路に落ちてたり、乗務員が吹き飛んでいった穴を、手荷物バッグあつめて詰められる?
女性客室乗務員は、ダイハード並のタフさ!迫真の演技にメジャーな映画に出て欲しいと心からおもいました。でもいろいろと面白かった。管制官の黒人50代130キロオーバーに屋外で歩かせるのもさらにD級以下ねらうわざとの配役?だとしたらすごいな

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」 全体的総括

全10話構成で放映されたTBS系列の金曜ドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」。
全話が揃い、いよいよ新作映画版「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」の劇場観賞も控える今回は、第1話から最終話までの全体的な構成と感想をまとめてみたいと思います。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】
コミック版「大奥」検証考察11 【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想  第6話感想  第7話感想  第8話感想  第9話感想  最終話感想

まず、全体的な視聴率の傾向について見てみましょう。
テレビドラマ版「大奥」各話の視聴率は、それぞれ以下のようになっています↓

第1話 …… 11.6%
第2話 …… 10.6%
第3話 ……  7.9%
第4話 ……  7.6%
第5話 ……  8.9%
第6話 ……  9.0%
第7話 ……  7.1%
第8話 ……  7.0%
第9話 ……  7.0%
最終話 ……  8.3%
平均値 ……  8.6%

こうやって並べてみると、結局、初回放映分で記録した最高視聴率を、ついに超えることができなかったという感が多々ありますねぇ、テレビドラマ版「大奥」は。
他のテレビドラマと比較しても、この平均視聴率は下から数えた方が早い部類に入るのではないでしょうか?
視聴率が低い水準で推移した理由としては、やはり何と言っても「男女逆転・大奥」というキャッチフレーズが一般、特に男性受けしないことが一番響いているのではないかと。
ただでさえ男女共同参画とやらの弊害で、男女平等を通り越して「女尊男卑」の感すら漂わせている現代の風潮でこのキャッチフレーズは、表面的に見ただけでも男性側の反発を招くに充分なものがあるのですから。
実際には女性側にもそれなりの葛藤や苦しみがあるにしても、そんなものは忌避の感情を一時的にせよねじ伏せてある程度観賞しないと分からないわけですし、そこまでして「大奥」なる番組を観てみようと考える人は、こと男性の場合はかなりの少数派だったのではないでしょうかねぇ。
私のように、男女逆転なるものが実現している「大奥」世界の政治・社会システムに疑問を抱き、作品検証のためにコミック全巻購入した上、テレビドラマ版まで完全視聴するなんて「物好き」が、そうそう世の中に溢れているとも思えませんし(苦笑)。
その他の理由としては、全体的に「男女の性の問題」を扱っているために、家族一同、特に子供を交えての観賞というのがやりにくい構成だったことも災いしているかもしれません。
どう見ても、年端の行かない子供の教育的には確実に良くなさそうな内容ですしねぇ、アレは(-_-;;)。
番組内容が視聴者層をかなり限定的なものにしてしまったというのが、テレビドラマ版「大奥」が低視聴率に終始した最大の元凶と言えるのではないでしょうか。

原作との比較という観点から見ると、テレビドラマ版の原作に対する忠実度は相当なものがあると評することができますね。
特に前半は、コミック版と読み比べながら観賞しても全く同じ展開と台詞が続いていたりしましたし。
逆に後半ではオリジナル要素が激増の一途を辿っていましたが、こちらも「やっつけ仕事」的に大幅に省略されていた感のある原作ストーリーの穴を上手く補完する形で進行していました。
「原作レイプ」とは全く無縁の構成なので、原作ファン的には問題なく観賞できるテレビドラマだったと言えるでしょう。
ただ、これで原作を知らない全く新規の視聴者を獲得できるのかと問われれば、前述のキャッチフレーズの問題もあって難しいものがあるかもしれないのですが。
個人的に少々気になったのは、「赤面疱瘡」によって男性が激減し女性中心の社会になっていく過程の描写が、原作と比較して弱く説得力が少ないのではないかという点ですね。
原作では神原家がその手のエピソードを担っていたのですが、テレビドラマ版では神原家がいなくなってしまったため、「庶民の視点から見た社会的変遷」というものが軒並み削除されているのが痛いところで。
神原家は、話の本筋である「大奥」絡みのストーリーとはまるで絡んでこないエピソードばかりなので削除されたのでしょうが、一方で「赤面疱瘡」および男女人口比率の歪みを解説するためのツールとしては重要性の高いツールでもあったのですけどね。
まあこの辺りは、もっと単純に「予算の都合」という要素も働いていたのかもしれませんが。
神原家のエピソードを挿入するとなると、相当程度の配役を配置しなければなりませんし、農村風景なども詳細に描写しないといけなくなるわけで。
昨今のテレビ局が悪戯に製作費をケチっている懐事情はもはや周知の事実なのですし、今回のテレビドラマ版もその弊害を免れることはできなかったのではないかと。

徳川4代将軍家綱のエピソードなどは軒並み削除されてしまったのですが、これって復活することはたぶんないのでしょうねぇ(T_T)。
原作からして1話分程度の内容しかなく、ドラマ化する際には相当な部分をオリジナルストーリーで補完しなければなりませんし、
6代将軍家宣および7代将軍家継の時代が舞台となる江島生島事件辺りのストーリーは、次作映画からの更なる続編として、次作映画の公開終了後に出てくる可能性もあるかもしれませんが。
徳川4代将軍家綱は、元々その治世や知名度からして、3代と5代に挟まれる形であまりパッとしないものがありますからねぇ(-_-;;)。
まあ次作映画がヒットした場合は「映画の前日譚」という形で新規にドラマ化される可能性もなくはないでしょうが、そこまで次作映画がヒットするのかと言われると正直微妙なところではないかと。

今回のテレビドラマ版で「基本は善良だがどことなく暗い世捨て人」的な役柄の有功役を担った堺雅人は、次作映画では全く正反対な野心家である右衛門佐(えもんのすけ)役を演じることとなります。
テレビドラマ版でそれなりに好演していた堺雅人が映画版ではどんな顔を見せてくれるのか、その部分が両作品を観賞する際の楽しみのひとつでもあるでしょうね。


ログ検索

検索フォーム
キーワード



リンク集

RSSリーダー

  • サイト内RSS登録
    • RSS 1.0 | タナウツネット雑記ブログ
    • RSS 2.0 | タナウツネット雑記ブログ
    • RSS Atom | タナウツネット雑記ブログ
  • 各種RSSリーダー
    • Add to Google
    • My Yahoo!に追加
    • Subscribe with livedoor Reader
    • HanRSSに追加

ブログランキング

  • 人気ブログランキング
    • 人気ブログランキング
  • にほんブログ村
    • ブログランキング・にほんブログ村
  • ブログの殿堂
    • ブログランキング・ブログの殿堂