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専用メガネ不要の3D映像が一般的になる日はいつ?

映画館でメガネなしの3D上映が実現するのは、その手の研究者によれば「真面目に研究をして、20年くらいかかる」とのことです。
テレビサイズはともかく、スクリーンの巨大サイズで3Dを実現するのはまだまだ課題も多いのだそうで↓

http://megalodon.jp/2012-0110-1748-00/www.cinematoday.jp/page/N0038284
>  ニンテンドー3DSなどで裸眼で観ることができる3D映像が身近になりつつあるが、映画館でメガネなしの3D上映が実現するのはいつになるのか……株式会社IMAGICAで、3Dスーパーバイザーを務める灰原光晴氏が語った。「真面目に研究をして、20年くらいかかります」。灰原氏が、研究者に話を聞くと、そう応えが返ってくるという。しかし、「ということは、その研究をしている人も、その研究を真面目にする気はないんですよね」と灰原氏。理論上はできるという映画館でのメガネなしの3D上映だが、その実現にはまだまだ長い道のりが必要だという。
>
>  左目を隠し、右目だけで見て指し示したものを、両目で見てみると、ずれが生じる。左目だけで見たものを、両目で見ても、同じようにずれが生じる。現在、映画館で導入されている3Dの映写システムは、この、幼いころに誰もが一度はやったことがあるであろう“目の遊び”、“視差”を利用している。2台のカメラを使って右目には右目用の映像、左目には左目用の映像を撮影し、3Dメガネを使い、右目には右目用の映像だけを、左目には左目用の映像だけを映し出すことによって、立体視が実現しているのだ。
>
>  では、映画館でメガネを使わずに立体視を実現するためには、どうすればよいのだろうか? 灰原氏は、現在は右目用の映像、左目用の映像と2視点で制作しているものを、多視点映像にすれば、メガネを使わない立体視は、理論上は可能だと言う。しかし、それを大きなスクリーンで実現するとなると、まだまだ課題は山積み。
「テレビの裸眼3Dは広がっていくと思いますが、スクリーンサイズは難しいですね」という灰原氏の言葉から“真面目に研究すれば20年”という月日は、リアルな数字なのであろう。

裸眼の3Dで連想するものと言えば、私の場合は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」の2015年の世界に登場していたジョーズの3D映像ですね。
主人公の眼前まで飛び出して消滅したあの3D映像は、いかにも「未来的な世界」を連想させるものではありましたし、当時は「30年後ならばああいうのも社会的に普及しているのではないか?」という期待感もあったのですが。
同映画に登場していたような「空を飛ぶクルマ」も、実験的なものはあっても未だ商用実用化の目処までは立っていませんし、あの映画における「2015年の未来世界」は本当に絵空事のままで終わってしまうのでしょうかねぇ(T_T)。

ただ3D映像については、裸眼よりもまず「メガネ付3D」で確実に立体感を持った映像が出せるようにして欲しい、というのが大多数の映画ファンの本音なのではないでしょうか?
ただでさえ3D映画は3D料金があるために普通の映画よりも料金が高いというのに、「どこら辺が3D映像なの? 映像が飛び出るシーンなんて全編通して全くないんだけど?」と首を傾げざるをえないような作品があまりにも多すぎるのですが。
「通常よりも料金が高い」というだけでも敬遠する理由になるというのに、下手すればアイスの当たり棒レベルくらいに当たり率が低いというのではねぇ……。
挙句の果てには、そもそも3D演出をしなければならないような描写がどこにもないはずの映画までもが3D対応になっていたりする始末ですし。
何故3D映画はアレほどまでにハズレが多いのかと、つくづく疑問に思わざるをえないのですが。
こういう惨状を呈しているから、「3D料金はボッタクリと同じ」「映画業界の利権でもあるのでは?」などと言われてしまうのですが。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」のような3D映像が、一部のテーマパークのアトラクションだけでなく、そこらの街角や映画館などでも一般的にも見られるようになる日が来るまでには、果たしてあとどれくらいの年月を必要とするのでしょうか?
そんな日が早く来てくれることを願いたいものなのですけどね。


3D版映画に纏わる料金と演出の問題点

2009年公開映画「アバター」以降すっかり定着した感のある、3D対応の映画と、それを観賞するための3Dメガネ。
私が映画館で観賞している作品でも、だいたい7~8本に1本程度の割合で3D対応映画が出てきます。
3D映画の利点としては、「画面から飛び出す立体感が体験できる」といった類のキャッチフレーズがよく謳われています。
しかし、実際に何度も3D映画を観賞した人間としては、
「通常の映画とほとんど大差のない映像にしか見えないものにわざわざ追加料金を払ってまで観る価値はない」
というのが感想だったりするんですよね。

3D映画を観ようとすると、通常の映画料金とは別に3D料金が300~400円ほどかかります。
映画館にある各種割引サービスでも、3D料金については対象外で割引が全く適用されず、1ヶ月フリーパスポートすら無効で別途料金を支払わなくてはなりません。
最近では3Dメガネを持参すれば料金100円割引というサービスも出てきましたが、以前は300円だった3D料金を100円値上げした上での措置なのですから、「どこまでアゴキな商売やっているんだ」とついついツッコミを入れたくなりましたね。
単純に「カネが余計にかかる」というだけでも3D映画には軽視できない問題があります。

それでも「3Dならではの迫力や魅力」があるのであればまだ良いのですが、3D映画の中には「何故この映画が3D対応になっているの?」と首を傾げたくなるような作品も少なくありません。
立体的に演出されているのが分かるのは字幕だけ、などといった事例も多々ありましたし、よしんば、「これぞ3Dの演出!」という描写があるにしても、映画全体を通じてたった1~2箇所程度の描写だけしかない、という事例もあったりします。
演出的にも、「通常の映画とどこがどう違うのか?」というところからすでに疑問を感じざるをえない作品がほとんどであると言っても過言ではありません。
観客的な視点から見ると、3D映画の利点ってほとんどないのではないでしょうか?

最近では、映画館で3Dと2Dが同時公開されている作品については、時間の都合等でやむをえない場合を除き、無条件で2D版を選択するようになってしまっています。
余計なカネがかかる上に特別な魅力もなく、さらにメガネをかけなければならない手間が増えるだけとなれば、3D映画を敬遠するようになるのは当然のことです。
観客のニーズと合致していない現行の3D版映画が製作される理由って、観客から余分にカネを搾取できる映画館と映画制作者の利権でも絡んでいるのではないかとしか思えないところなのですけどね。
本当に立体的かつ迫力のある3D映画を製作するとか、現行の料金体系を見直すとか、3D映画の現状は何らかの改善を行うべき時期にいいかげん来ているのではないでしょうか。


次々と「自粛」させられる映画はどこが問題なのか?

東日本大震災の影響による、映画の公開延期が相次いでいます
すでに当ブログでも取り上げていた「ヒアアフター」の上映中止と「唐山大地震 想い続けた32年」の公開延期に続き、以下に挙げる映画の上映延期が決定されています↓

3月19日公開予定映画「ザ・ライト ―エクソシストの真実―」
4月 1日公開予定映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」
4月16日公開予定映画「カウントダウンZERO」
4月22日公開予定映画「サンクタム」
5月21日公開予定映画「ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦」
6月 4日公開予定映画「父の初七日」

http://megalodon.jp/2011-0317-2020-13/www.moviecollection.jp/news/detail.html?p=2268
http://megalodon.jp/2011-0317-2024-25/news.livedoor.com/article/detail/5419888/

今回挙げた6つの映画には、そもそも地震や津波を連想させる要素自体がどこにも存在しません。

「ザ・ライト ―エクソシストの真実―」は、悪魔祓いとバチカンにおける正式な職業であるエクソシストの全貌に迫る作品。
「世界侵略:ロサンゼルス決戦」は、ロサンゼルスを舞台に地球に侵略してきたエイリアン達との戦いを描いた作品。
「カウントダウンZERO」は、核兵器の使用可能性について関係者の口から語られる社会派ドキュメンタリー。
「サンクタム」は、「タイタニック」「アバター」のジェームズ・キャメロン監督製作による、洞窟の中で展開される脱出劇を描いたアドベンチャー映画。
「ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦」は、戦隊モノの映画版。
そして「父の初七日」は、父親の死から葬儀までのゴタゴタを描いた台湾映画。

一体何を基準にすれば、被災者の心証を害すると判断され、公開を「自粛」しなければならないとされる要素が見つかるのか、ということすら理解不能です。
前述の「ヒアアフター」「唐山大地震 想い続けた32年」のように「地震や津波の描写が東日本大震災を連想させるから」的な言い訳すらありません。
同時多発テロ当時のアメリカにおける映画「コラテラル・ダメージ」公開延期でさえ、賛否はともかく誰でも理解はできる政治的な理由が付随していたというのに。
しかも、今回のような「自粛」が、ここで挙げている映画「だけ」で終わるなどという保証はどこにもなく、今後も「自粛」対象となる映画はさらに拡大する可能性すらあるのです。
「自粛」の基準が不透明かつ何の根拠もなく、ただ「被災者に対する配慮」と言いさえすれば何でもかんでも「自粛」に追い込まれる。
ここまで来ると「自粛」というよりも、もはや「被災者に対する配慮」という名を借りた「問答無用の表現規制」としか言いようがないではありませんか。
こんな「自粛」をすることが「被災者のためになる」などと、映画の配給会社はまさか本気で考えてでもいるのでしょうか?

今回の映画公開の「自粛」でひとつ疑問なのは、どうして過去の地震ではほとんど起こらなかった「自粛」が今回だけ凄まじいまでの猛威を振るっているのか、という点ですね。
多くの犠牲者が出た地震自体は、日本では阪神大震災や新潟県中越地震など他にも多々発生しているわけですし、にもかかわらずこれらの地震ではすくなくとも今回ほどの「自粛」は起こっていなかったわけです。
過去に類例のない大地震で犠牲者も多く出たから、というのであれば、スマトラ島沖地震など世界各地で発生した地震でも万単位もの多大な犠牲者を出しているものがあるのですから、それについても哀悼の意を表し、今回と同じような「自粛」があって然るべきだったはずですよね。
今回の地震における「自粛」ラッシュは、「被災者に対する配慮」とは全く関係のない別の理由ないし要素が他にあるのではないか?
一連の非合理的かつ理不尽な「自粛」の実態を見る限り、そうでも考えないと一連の社会現象に説明がつかないのですが。


コメント一覧

ta9yah!! (03/18 00:40) 編集・削除

阪神大震災と一連のオウム真理教事件があった1995年以降で日本の”危機意識”が変わったからだと思います。1995年以降で日本は変わりました。決定的に。
元来、大に飲まれることが美徳とされる側面がある国民性に加え、社会正義という主語を失った正義が国民の中に芽生えたからです。
自分が悪と思っていても、みんなが善だといえば善になります。逆もそうです。そして、それを口にすればほぼ非国民扱い同様のバッシングを受けます。
それが怖いからです。きっと、映画の配給会社も自粛と言っていますが、ある配給会社がある映画を自粛した、そのドミノ倒しで他からの"干渉を受けた自粛"という不思議な連鎖が起きたんじゃないかと思います。

http://yaplog.jp/moonfish/

冒険風ライダー(管理人) (03/18 21:39) 編集・削除

いわゆる「空気を読め(KY)」というやつですね。
個人的には「KY」というと朝日新聞の珊瑚捏造報道事件の方を連想することもあってあまり好きではありませんし、また大東亜戦争における勝算ゼロの愚劣な作戦の数々が「空気」によって遂行されたという話を聞いてからは、「空気を読め」という概念自体に嫌悪感さえ抱くようにもなってしまったのですが。
「空気」って全然合理的ではないのに、人を、ひいては組織や社会を支配する力があるから困り者なんですよね。

「被災者に対する配慮」については、「この映画の収益の○%は義援金に当てられます」的なチャリティー宣言でもすれば、KY的な批判なんて簡単にかわせると思うのですけどね。
むしろ、最初にそういう宣言をしてもらった方が、罪悪感を覚えることもなく素直に楽しめるという側面も出てくるでしょうし。
映画に限らず、地方で開催されるイベントや企画についても同じことが言えます。
どうしてそんな簡単なことが実行できないのだろう、とはずっと思わずにいられなかったのですが、これも「空気」の為せる業なのでしょうか。

http://www.tanautsu.net/

ta9yah!! (03/18 22:50) 編集・削除

"KY"という言葉はとても日本的な略語だと思います。"空気(K)読む(Y)"ではなく、"空気(K)読めない(Y)"なんですね。つまり、空気を読むのは当然の事だ、という意識があるんです。でも、森達也という人が言っています。「空気を読むことと、それに従う事は別のことなんだ」と。
全ての自粛が間違っているとは思いません。相手の気持ちを慮るというのは美徳です。素晴しいことです。でもそこには必ず主語が必要です。「"私が"慮った」という観点が無い。それが一番怖いところです。
今は、被災された方々は「周りが自制しているので」という気持ちで避難生活を送ってらっしゃると想像しています。これがある閾値を超えた時に「みんなやってるじゃないか」に変わらないか。今、刻々とその臨界に達しているんじゃないだろうか?それが心配でなりません。

この心配をしている俺は明らかに被災とは無縁といって良い場所にいます。そんな俺がいったい何を批判できるんだ?という葛藤が強いです。

冒険風ライダー(管理人) (03/19 00:35) 編集・削除

> 全ての自粛が間違っているとは思いません。相手の気持ちを慮るというのは美徳です。素晴しいことです。でもそこには必ず主語が必要です。「"私が"慮った」という観点が無い。それが一番怖いところです。

全く仰る通りで、この手の「自粛」が行われる背景にあるのは「自分が叩かれたくない」という保身が最優先になっていることの方が圧倒的に多いんですよね。
周囲と少しでも違うことをやったら周囲から叩かれるのではないか、だから事なかれ主義かつ付和雷同的に「大勢の空気」に従おう、というわけです。
今回の地震後に頻発している「自粛」ラッシュは、映画関係に限らず全てが【空気に逆らうのが怖い】という自己保身でやっていることでしょう。
それを打破するためには「その空気は間違っている」ということを理論でもって証明するのが一番であり、だから私は「そんな自粛は決して被災者のためにはならない」という文章を作ってみたのですが。

> 今は、被災された方々は「周りが自制しているので」という気持ちで避難生活を送ってらっしゃると想像しています。これがある閾値を超えた時に「みんなやってるじゃないか」に変わらないか。今、刻々とその臨界に達しているんじゃないだろうか?それが心配でなりません。

民主党の無能ぶりが災いして、救援物資が未だ全く、もしくは極めて不十分な量しか届いていないという地域があり、しかもそのような地域では生死を争う状況にまで至っていると聞きますからね。
すでに略奪が発生している地域もあるとのことですし。

> この心配をしている俺は明らかに被災とは無縁といって良い場所にいます。そんな俺がいったい何を批判できるんだ?という葛藤が強いです。

そんなに深刻に考えることもないのではありませんか?
被災して苦しんでいる人がいる一方で、そんなものとは全く関係なく普通の生活をしている人達は確実にいるのです。
今回、被災した地域がたまたま東北・関東地方だったというだけのことで、たとえば外国で戦争や災害の被害に遭った人々をTVで観ながら普通の生活を送っている、という光景は日本では日常茶飯事だったりしますよね。
そんなことにいちいち自己嫌悪を覚えていたらキリがないでしょう。
それよりは、「自分と被災者は立場も状況も違う」「被災者の心情を完全に理解することはできない」という【事実】をきちんと認めた上で「自分の立場で何かできることはないか?」と考える方がはるかに健全だと思います。

http://www.tanautsu.net/

多摩武蔵守 (03/20 00:29) 編集・削除

 横レス失礼します。ta9yah!! さんが言われることや、何者かの抗議を恐れているという推測も成り立ちますが、
「計画停電でいつ電気が止まるかわからない」
「人々が震災で気持ちが落ち込むなりパニックになっている中で、上映しても興行として成り立たない」
「余震が高い確率でくるといわれる中で、安全確保に気を使いたくない」
 という状況判断があって、上映を延期しているという推測も成り立つと考えます。
 映画関係者の根底にあるのは商売だからです(これは空気に関する議論とも矛盾はしませんが)。 

冒険風ライダー(管理人) (03/20 01:47) 編集・削除

> 「計画停電でいつ電気が止まるかわからない」
> 「人々が震災で気持ちが落ち込むなりパニックになっている中で、上映しても興行として成り立たない」
> 「余震が高い確率でくるといわれる中で、安全確保に気を使いたくない」

これについては私も最初は考えなくもなかったのですが、ただ、これだと説明できない事象がいくつか存在します。
ひとつは、何故特定の作品だけが「自粛」の対象になっているのかという点。
「上映しても興行として成り立たない」のであれば、全ての公開予定作品かもしくは全国の映画館全てが「自粛」にならないと変な話になります。
しかし実際には、すくなくとも関西以西の映画館は普通に営業していますし、「自粛」作品以外の映画もきちんと上映されています。
私自身、震災後に映画「SP 革命篇」を観に行ったりしていますし。
また、「世界侵略:ロサンゼルス決戦」「サンクタム」などは前評も高く充分な収益が期待できる映画であり、特に後者は「タイタニック」「アバター」とギネスブッククラスの興行収益をたたき出しているジェームズ・キャメロン監督製作作品です。
逆に、震災がなくてもあまり客入りが期待できそうにないマイナー映画や、4月公開予定の「GANTZ:PERFECT ANSWER」などのように「作中にスプラッタな残虐描写があって人がバンバン死んでいくことがすでに分かっている映画」が「自粛」を免れたりしています。
興行収益の観点から見た中止では、これらの現象が説明できない点がまずひとつ。

ふたつ目の問題は、計画停電や余震の問題は、すくなくとも現段階では関西以西にとっては全く何の関係もないということ。
計画停電や余震が問題なのであれば、該当の地域である関東・東北地方の映画館が「自粛」していれば良いだけで、それとは全く関係のない地域まで巻き添えを食らわなければならない理由がありません。
関西以西の映画館にしてみれば、それこそ商売上の観点から予定通り上映してくれた方が利益も上げられるのですから、「何でそんなことをするんだ!」と抗議のひとつがあっても不思議ではなさそうなのですが。

そして3つ目は、「自粛」が6月公開映画にまで及んでいるという点。
計画停電は(すくなくとも現段階では)4月末までの予定ですし、余震の問題も同じく4月一杯までが警戒対象です。
それ以降については(今のところは)特に何も言われていませんし、また5月以降になれば被災地もすくなくとも復興の目処くらいはとりあえず整う段階にはなるでしょう。
その時期の映画まで何故「自粛」をしなければならないのでしょうか?

あと、映画公開が延期されると、延期した時期に順当に公開される予定の有名映画との競合が発生し、客を食い合って結果的に興行収益が減る、という可能性もありえますよね。
私のように映画観賞が趣味で「とにかく映画を観まくる」的な人間は少数派なのですし。
まあ、これについては後でいくらでも調整できますし、映画公開の配分を間違わなければ大した問題ではありませんが。

これらの理由から、多摩武蔵守さんが挙げられている説では「自粛」の理由としてはあまり成り立たないのではないかと考えるのですが、どうでしょうか。

http://www.tanautsu.net/

bits (03/20 02:02) 編集・削除

トラックバックありがとうございます。一つの記事に二度もトラックバックしてしまってすいません。

こういった「空気」に呼応して正しい/正しくないが議論されないまま色々なことが決まってしまう現状に、日本の社会のいびつさを感じている自分がいます。最初はジョナサン・リーベスマンの新作が観れないもどかしさから記事を投稿しましたが、ひょっとしたらこれは表現の自由の危機なのではないか?と今は考えている次第です。

多くの方に議論されることによって、こういった状態が一刻もはやく解消されることを願っています。

http://yosntoiu.exblog.jp

ta9yah!! (03/20 02:09) 編集・削除

>多摩武蔵守さん
確かにそうかもわかりません。
でも、商売だったら逆に地震を利用しようとするような気がします。例えば、チャリティーの要素を付け足したりすれば、被災地以外では客は結構入ると思います。
21日に大阪日本橋で開かれるはずだった日本橋フェスティバルが中止になりました。
もちろん理由は言わずもがなです。
東京で開かれるはずだった同人イベントも中止になったりしているようです。
募金活動やチャリティーの色を少しでも足せば、かなり被災者の助けになるような気がします。
自粛して、イベントを流してしまうと、この被災者への助けは激減すると思います。
もったいない。せっかく、助けになるチャンスなのに。。。と思うのです。

やっぱり、”お祭り騒ぎでワイワイやるのはちょっと不味い。””地震を連想させる作品を今公開するのはちょっと不味い”といった程度の理由で自粛してるんじゃないかと思います。『ヒア・アフター』なんてのは、死をテーマとしていますから、今それを考える事は悪いことじゃないと思います。

自粛が悪いというわけでもないんですが、それが飛び火して、色んな所が”右に倣え”になってしまっているのは良いことではないと思います。むしろ危険な兆候です。

映画とは違うところの話になってしまいました。すみません。

冒険風ライダー(管理人) (03/20 11:27) 編集・削除

>bitsさん
こちらこそ、トラックバック返信ありがとうございます。

私の場合は、九州新幹線全線開業の祝賀イベントが全て中止されたことを残念に思いつつ僅かな違和感を抱いていたところに、「ヒアアフター」の上っ面だけしか見ていないかのような中止理由が追い討ちをかけ、さらに観賞予定だった「世界侵略:ロサンゼルス決戦」「サンクタム」が理由すら分からないまま延期されて「さすがにこれは変だ」と考えたことが、「自粛」「不謹慎」問題について書いてみようと決断するに至った理由ですね。
アメリカでも2001年の同時多発テロ事件直後にやはり同じような「自粛」が相次いだのですが、今回の「自粛」は理由があまりにも曖昧かつ意味不明なものが多いという点でさらに問題です。
「自粛」ラッシュは未だ拡大しているようですし、今回の「自粛」がそのまま前例となって恒久的な表現規制にまで発展するのではないかと私も憂慮せずにはいられません。
日本では特にこの手の前例踏襲主義が跋扈しやすいのでなおさらです。
当の被災者自身ですら、そんなことを望んでいるようには到底思えないのですけどね。

>ta9yah!!さん
今回の「自粛」ムードは映画関係のみならずありとあらゆるところに広がっていますし、私も「自粛」ムードそれ自体に大きな問題があると考えています。
各地のイベント中止や観光・娯楽の「自粛」によって、すでに観光業・ホテル・外食産業を生業とする企業や団体で数百億単位もの損害が出ているのだそうです。
吉本興業のように「自粛ではなく行動」をキャッチフレーズにあえてイベントを開催する企業もまだまだ少数派ですし。

http://megalodon.jp/2011-0315-2204-06/www.cinematoday.jp/page/N0031079

「自粛」の理由を突き詰めていくと、被災者のことなど全く何も考えていない自己中な実態が浮き彫りになるのが何とも言えないところなのですが、それ故に「自粛」ムードは吹き飛ばさなければならないものだと思います。

http://www.tanautsu.net/

劇場公開映画の地域格差について

よく「都会と地方には格差がある」と言われますが、実は映画館の劇場公開映画にも立派な地域格差というものが存在します。
地方の映画館で上映されている映画は全体のごく一部でしかなく、特定の映画館でしか公開されていない映画や、地方によっては全く公開されない映画の存在も決して珍しいことではありません。

映画情報サイトの「シネマトゥデイ」で公開されている映画情報を確認すると、全国公開されている有名どころだけでなく、地方によっては全く上映されていないマイナーな映画の名前も数多く存在していることが分かります。

http://www.cinematoday.jp/

これらの映画は地方ではちょっとした宣伝広告さえ全く流されることがないため、映画館やTVのCMなどからでは存在すらも全く知ることができないのです。

2010年11月27日から全国の映画館で、ヴァンパイアが世界を支配する近未来世界を描いた「デイブレイカー」という作品が公開されています。
映画「デイブレイカー」の情報についてはこちら↓

http://www.daybreakers-movie.jp/

この映画、私は「シネマトゥデイ」でその存在を知ったのですが、あらすじを読む限りでは好みのジャンルだったので観に行こうかと上映映画館を確認したところ、何と熊本では劇場公開予定すら全くないことが判明。
全国47都道府県のうち、「デイブレイカー」が上映されているのはわずか17都道府県のみ。
九州では福岡・大分・鹿児島の3県だけ、中国地方では1県のみ、東北・四国に至っては上映する映画館自体なしと、映画を観賞できない地域の方がはるかに多いのです。

せめて県内1箇所だけでも上映されていれば、そこまで足を運んで観に行くこともできたのですけどね。
実際、2008年公開映画「ゲット・スマート」や、今年公開された映画「第9地区」「パリより愛をこめて」などは、行きつけの映画館では上映されていなかったので、いつもとは違う映画館までわざわざ足を運んで観に行った作品だったりします。
最低でも1都道府県内で1箇所だけでも上映されていれば、映画公開の地域格差もかなり是正されるはずなのですが(まあ北海道や離島などではそれでも厳しいでしょうけど)。

かくのごとき映画公開の地域格差が存在するのは、「上映しても利益が見込めないから」という映画館側の事情に拠るところが大きいでしょう。
特にPG-12やR-15作品などは、観客を限定することもあってか、内容が面白くても上映予定から外されやすい傾向にあります。
最近はシネコンの隆盛で、地方でも観賞できる映画は昔よりも増えているのですが、それでも限りがあるスクリーン数で全ての映画を一斉に公開するのは不可能なのですし、映画館側にしてみれば、できるだけ人気がある映画を優先的に上映し観客動員数と収益を増やさなければならないところですからねぇ。

ただ、そういう映画館側の事情を勘案しても、地方の一映画ファンとしては、やはり可能な限り全ての公開映画をフォローして欲しいところではあります。
特に私の場合、レンタルDVDやTVなどではほとんど映画を観ることがありませんし、「映画は映画館で観る」というこだわりがあるのでなおさらそう思わざるをえませんね。
劇場映画公開の地域格差も、市街地中心部にしか映画館がなかった時代に比べれば大幅に是正されてはいるのでしょうが、今後も更なる改善を進めて欲しいものです。


ハリウッド映画は「アメリカ万歳」ばかりなのか?

ハリウッド映画について述べられる際、「アレはアメリカ万歳映画ばかり」的な評価がよく聞かれます。
確かに1996年公開映画「インディペンデンス・ディ」や1998年公開映画「アルマゲドン」、2001年公開映画「パール・ハーバー」など、その手の作品がハリウッド映画の中に存在し、かつ興行的には大ヒットして大きな成功を収めているのは事実です。

しかし、実際のハリウッド映画は、巷でよく言われているほどに「アメリカ万歳映画」で溢れかえっているのでしょうか?
私は色々なハリウッド映画を観てきましたが、ハリウッド映画の中には逆にアメリカの政府や社会を批判する意図で製作されたものも少なからず存在します。
たとえば、1980年代に映画公開された「ランボー」「ランボー 怒りの脱出」は、ベトナム戦争から帰還した兵士達の視点から、自分達を冷遇したり罵倒を浴びせたりするアメリカ社会に対する批判が、主人公ランボーによって展開されています。
初期の「ランボー」シリーズには「アメリカ万歳」的な雰囲気は微塵もなく、むしろアメリカ社会は一種の「敵」として描かれてすらいるのです。

また、映画「ロボコップ」シリーズでは、近未来のアメリカ社会のあり方をブラックユーモア的な暗さで描いていますし、「ロボコップ」1作目の監督を担っていたポール・バーホーベンは、1997年にアメリカ帝国主義を皮肉ることを目的にした映画「スターシップ・トゥルーパーズ」を製作しています。
「ロボコップ」で描かれているあの荒廃した犯罪都市デトロイトの描写のどこをどう見たら「アメリカ万歳」的な解釈ができるというのでしょうか?

アメリカが国家組織の総力を挙げて一個人を陥れていく恐ろしさを描いた1998年公開映画「エネミー・オブ・アメリカ」という作品もあります。
この映画では、犯罪とテロの撲滅を目的に、政府による全国民に対するプライバシーの侵害を合法化する「通信の保安とプライバシー法」という法案の成立をめぐり、NSA(アメリカ国家安全保障局)が暗殺・盗聴・冤罪のなすりつけ等のありとあらゆる手段を使って一個人の人生を破滅させるストーリーが描かれており、悪役にされたNSAにしてみればこれほど不愉快な映画もないでしょう。
また、アメリカでは同時多発テロ事件後に「アメリカ愛国者法」という法律が成立しているのですが、この法律は作中に登場する「通信の保安とプライバシー法」と主旨が同じだったりします。

21世紀に入ってからも、アメリカCIAの暗部を描いた「ボーン・アイデンティティー」「ボーン・スプレマシー」「ボーン・アルティメイタム」の3部作映画が大ヒットを記録していますし、イラク戦争開戦の発端である大量破壊兵器問題を批判的に扱っている映画「グリーン・ゾーン」も公開されています。
特に「グリーン・ゾーン」は実際の歴史的事件を映画の舞台にしているだけに、政治イデオロギー的な要素がかなり強い作品です。

繰り返しになりますが、確かにハリウッド映画には「アメリカ万歳」的な映画「も」ありますし、それが興行的に大きな成功を収めていることも事実でしょう。
しかし、ハリウッド映画にはそれと同じくらいにアメリカの政府や社会に対する懐疑的・批判的な作品も少なからず存在しますし、またそれ以前にアメリカ社会のあり方とは何の関係もない純粋な娯楽作品も多いのです。
色々な主旨の映画があって、結果的にバランスが取れている。その懐の広さこそがハリウッド映画の大きな魅力であると言えるのではないでしょうか。
にもかかわらず、何故ごく一部の映画のみをクローズアップして「ハリウッド映画はアメリカ万歳ばかり」などと評価されなければならないのか、私はそこが以前から疑問に思えてならないんですよね。
巷のハリウッド映画評にはおかしな予断と偏見でも入っているのではないか、そう思えてならないのですが。


コメント一覧

すずこ (08/27 14:35) 編集・削除

ランキングから来ました。
がんばってください!

http://suzuko.jimab.net/

猫遊軒猫八 (08/27 21:53) 編集・削除

自分が子供の頃は冷戦時だったのでスタローンやシュワルツェネッガーのアクション映画は頻繁にテレビで放映されていましたね。
現実にも大韓航空機撃墜事件やラングーン事件があって共産国は怖いもんだと思ってました。
これらの映画はラストで反戦厭戦を謳っていても肝心なのはアクションシーンなので
……だってベトナム兵やソ連兵を大量にブチ殺しちゃうワケで、結果アメリカを礼賛していると言えます。
そんな冷戦真っ只中に作られたのがウォーレン・ベイテイの"REDS"で実在したアメリカ人のジャーナリストで
社会主義者、ジョン・リードの半生を描いたもので革命時のロシアにリードが渡って人生を翻弄されるという傑作です。
まぁ冷戦時とはいえこんな映画も作られていました。
ハリウッド映画はやっぱりアメリカで上映されてアメリカ人が楽しむために作られているので「トラ!トラ!トラ!」や「1941」、
最近だと「硫黄島からの手紙」は向こうでは評判よくなかったみたいです。日本人からすると面白いんだけど。

http://www.led-zeppelin.jp/

冒険風ライダー(管理人) (08/27 23:16) 編集・削除

>すずこさん
 ありがとうございますm(__)m。

>猫遊軒猫八さん
 アメリカで製作される映画なのですから、アメリカの強さを強調し肯定&礼賛する映画が多く作られる、という構図そのものは私も理解できます。
 というより、むしろその方が健全なんですよね。残虐シーンと「日本が全面的に悪かった」と言わんばかりの結末ばかり持ってこようとする日本の反戦映画を見ていても、全く面白くないどころか虫唾が走りますし。
 イラク戦争の大量破壊兵器問題を否定的に扱った映画「グリーン・ゾーン」なども、アメリカでは評判が悪いみたいですからねぇ。まあこれはアメリカ人に限ったことではないでしょうが、自国のことを悪し様に言われて気分の良い人はあまりいないでしょう。
 この点に関しては、日本はむしろアメリカの「万歳」ぶりをもう少し見習うべきなのではないかとすら、私は思えてならないのですが。「日本版ダイ・ハード」と喧伝された映画「ホワイトアウト」は面白かったですし。

http://www.tanautsu.net/

蟹の人 (08/28 21:25) 編集・削除

ハリウッドの「アメリカ万歳路線」って、割と近年に入ってから増えたものだと思いますよ。70年代アメリカン・ニューシネマの反体制路線の反動で。
そもそもハリウッドはかつて「赤狩り」をくぐり抜けてきたこともあってリベラル派が主流ですから、本来はアメリカ万歳映画なんて少数派なんですよね。むしろごく一部の大衆向け超大作限定というべきでしょう。だから「ハリウッド映画=アメリカ万歳」なんて認識の方がおかしいのではないかと。
その大衆向け超大作映画にしても、大統領の陰謀や政府の陰謀系の映画も少なくありません。
というより、むしろ「Xファイル」みたいな作品がブレイクしたり、エリア51のような都市伝説がまことしやかに語られるように、「政府は秘密で何か企んでいる」というのがアメリカ人の基本認識でしょう。
一見して「アメリカ万歳映画」のように見えても、実際は「ID4」のように政府がUFOの存在を秘匿していたり、「アルマゲドン」のように政府やNASAのエリートを差し置いて民間人の主人公が活躍したりといった映画の方が主流ですから、アメリカ人もそう単純ではないのです。中には「ザ・コア」や「ユニバーサル・ソルジャー」「スピーシーズ」などのように、アメリカ政府や軍の極秘実験が事件の元凶なんて作品も少なからずありますし。
ごく最近も米軍的な地球の軍隊が異星人にボロ負けする「アバター」が大ヒットしましたしね。
あと、銃規制がなかなか進まないのも、アメリカ人が基本的に政府を信用してないからって事もあるそうです。

冒険風ライダー(管理人) (08/29 00:15) 編集・削除

> そもそもハリウッドはかつて「赤狩り」をくぐり抜けてきたこともあってリベラル派が主流ですから、本来はアメリカ万歳映画なんて少数派なんですよね。むしろごく一部の大衆向け超大作限定というべきでしょう。だから「ハリウッド映画=アメリカ万歳」なんて認識の方がおかしいのではないかと。

 ところが実際には、そのごく一部の少数派であるはずの映画の評価が、そのままハリウッド映画全体の評価にまでなってしまっているんですよね。Web上の映画評を見ても、「ハリウッド映画=アメリカ万歳」という認識が当然であるかのごとく語られているところが多い一方、「ハリウッド映画はアメリカ社会や政府に批判的」などという評価はほとんど見られませんし。
 興行的な成功と反響が観客に強烈なインパクトを与えているのかと考えたこともあったのですが、しばしば反米的と言われる「アバター」などはギネスブッククラスの記録的な大ヒットを飛ばしているわけですし、他のアメリカ批判的な映画もそこそこの成功は収めているわけですからねぇ。
 一体何が原因で「ハリウッド映画=アメリカ万歳」的な「その実態と著しく異なる」評価がまかりとおっているのか、その疑問から今回のブログ記事を書いたわけです。

> その大衆向け超大作映画にしても、大統領の陰謀や政府の陰謀系の映画も少なくありません。
> というより、むしろ「Xファイル」みたいな作品がブレイクしたり、エリア51のような都市伝説がまことしやかに語られるように、「政府は秘密で何か企んでいる」というのがアメリカ人の基本認識でしょう。

 最近リメイクされた「特攻野郎Aチーム」なども、主人公の四人組はアメリカ軍から冤罪を着せられ、軍から逃走して追っ手と戦ったりしていますし、巷で言われているのとは逆に「政府や社会に対する反体制」こそがアメリカのエンターテイメント作品の特徴であるとすら言えるのかもしれませんね。
 ただ、ここで言う「反体制」というのは日本におけるそれとは少し違っていて、彼らは政府や社会について批判したり反撃したりすることはあっても、「アメリカという国そのもの」については否定しないんですよね。むしろ「アメリカという国を【より良く】するために」政府や社会の問題点や矛盾を批判する、というスタンスです。
 アメリカ政府や組織を批判している映画でも、そこで描かれている政府や組織の悪役達は「アメリカという国を【如何にしてより良く】していくか」という考えの下に行動している、という設定がすくなくありません。もちろん、そこには自分自身や所属組織の利害が絡んでいることも多々ありますし、その方法論もえげつないシロモノになっていたり、「結果として」やり方が間違っていて破滅に至るものだったりすることがほとんどなわけなのですが、確信犯で「アメリカという国そのもの」を破滅に追い込もう、というところまで考える「政府および関連組織所属の悪役」は意外に少ないのではないでしょうか。
 このいわゆる「【アメリカという国】に対する愛国心」的なものが、他の国の映画ファンからは「アメリカ万歳」と解釈されてしまうのではないか、という可能性もあるかもしれませんね。

http://www.tanautsu.net/

猫遊軒猫八 (08/29 01:51) 編集・削除

アメリカで反体制的な映画やテレビ作品が製作されてヒットするのはまず独立戦争により独立を勝ち取ったことと
南北戦争によりアメリカ人の中にもワシントンの連邦中央政府を快く思わない人たちが潜在的に存在するからですね。
後者の作品(例えば爆発デューク)には密造酒をアメ車を飛ばして運搬する話で黒人が全く出てきません。
町山智浩さんのUSAカニバケツが勉強になります、ハイ。

http://www.led-zeppelin.jp/

蟹の人 (08/31 00:11) 編集・削除

> 一体何が原因で「ハリウッド映画=アメリカ万歳」的な「その実態と著しく異なる」評価がまかりとおっているのか、その疑問から今回のブログ記事を書いたわけです。

その辺、私の見方はシンプルで、ネットの普及によって「皮相的にしか物を見られない批評・感想が増殖している」といったことではないかと。
私もさほど映画史に詳しいわけでもないですが、そんな私でも呆れるほど知識のない「自称評論家」もいますからねえ。

>ただ、ここで言う「反体制」というのは日本におけるそれとは少し違っていて、彼らは政府や社会について批判したり反撃したりすることはあっても、「アメリカという国そのもの」については否定しないんですよね。むしろ「アメリカという国を【より良く】するために」政府や社会の問題点や矛盾を批判する、というスタンスです。

安保闘争の頃はともかく、現在においてその点は日本の場合も同じでしょう。「より良く」という認識の違いでそうではないように見えるだけで。
先日の「非実在青少年」騒動の時も、問題に真摯に向き合ったのはもっぱらネット上で「反日」扱いされているような政党ばかりでしたし。

> 確信犯で「アメリカという国そのもの」を破滅に追い込もう、というところまで考える「政府および関連組織所属の悪役」は意外に少ないのではないでしょうか。

その辺は日本映画の場合も同じですね。日本には松本清張のようないわゆる「社会派」作品の伝統がありますから、社会や体制の矛盾が事件のきっかけ、という作品が多数です。

そもそもこの問題は、日本とアメリカの社会の成り立ちそのものが違うので、そこから分析する必要があるのではないでしょうか。
猫遊軒猫八もおっしゃってますが、アメリカは独立で自治を勝ち取った社会であり、また移民社会でもあるので、個人と政府との関係性が日本とはかなり違います。
基本的にアメリカ人は自立心が強く、政府を信用してないからこそ、常にメディアが強く結束を呼びかけているという側面があるのでしょう。
そういう側面を知らずに上っ面だけで判断する人が「ハリウッド映画はアメリカ万歳映画ばかり」という誤認をするのではないでしょうか。

冒険風ライダー(管理人) (09/01 00:28) 編集・削除

> その辺、私の見方はシンプルで、ネットの普及によって「皮相的にしか物を見られない批評・感想が増殖している」といったことではないかと。
> 私もさほど映画史に詳しいわけでもないですが、そんな私でも呆れるほど知識のない「自称評論家」もいますからねえ。

 どちらかと言えばネット普及前の方が「皮相的にしか物を見られない批評・感想」的なものは多かったのではないでしょうか?
 たとえば、劇場公開された平成ガメラシリーズなどは、当時「自衛隊が全面協力した」というただそれだけの理由で、朝日新聞や赤旗などから「戦争映画だ!」的な「皮相的にしか物を見られない批判」を受けていましたし、1998年公開映画「プライド・運命の瞬間」の劇場公開の際にも、中身を吟味しようとすらせずに「A級戦犯を賛美するのか!」的な上映反対運動を起こす人間が続出しました。時代的に見ても、これらの評価は間違いなくネットがまだそれほど普及していなかった時代のものですよね。
 また、これは映画ではありませんが、やはり戦前の日本を歴史改変して勝利させる架空戦記に対して、「戦前の日本を賛美している」的な「架空戦記批判の中でも特に表層的かつ的外れな評価」が叩きつけられていたことがありましたし、これについては、今に至るもネットと疎遠な田中芳樹や、後に雑誌で映画批評を書いたりしていた山本弘なども加担していました。
 この手の皮相的な批判というのは、ネットよりも既存メディアの方が影響も拡散効果も大きいのではないかと。

> 安保闘争の頃はともかく、現在においてその点は日本の場合も同じでしょう。「より良く」という認識の違いでそうではないように見えるだけで。
> 先日の「非実在青少年」騒動の時も、問題に真摯に向き合ったのはもっぱらネット上で「反日」扱いされているような政党ばかりでしたし。

 しかし日本映画の場合、先に挙げた事例のように、戦前の日本や自衛隊を少しでも肯定的に描こうとすると、たちまちのうちに「右翼」「軍国主義者」のレッテルが貼られて非難の大合唱が起こるというパターンがすっかり常習化していますからねぇ(-_-;;)。
 最近はさすがにその手の勢力も衰退傾向にありますが、この「右翼&軍国主義的なものは存在すらも許さない」的な空気は、映画のみならずエンターテイメント作品全般を縛る一種の「自主規制」として機能している側面が未だにあるのではないかと、私は思えてならないのですが。

> そもそもこの問題は、日本とアメリカの社会の成り立ちそのものが違うので、そこから分析する必要があるのではないでしょうか。
> 猫遊軒猫八もおっしゃってますが、アメリカは独立で自治を勝ち取った社会であり、また移民社会でもあるので、個人と政府との関係性が日本とはかなり違います。
> 基本的にアメリカ人は自立心が強く、政府を信用してないからこそ、常にメディアが強く結束を呼びかけているという側面があるのでしょう。
> そういう側面を知らずに上っ面だけで判断する人が「ハリウッド映画はアメリカ万歳映画ばかり」という誤認をするのではないでしょうか。

 そうですね。アメリカは「人種の坩堝」な上に人種や宗教上の問題などから内部に色々な対立があるので、国民をひとつの共通項でまとめるために外部に敵を作ろうとする、という説は私も良く聞きます。
 同じような問題は多民族国家な上に地域によって言語体系すらも異なる中国も抱えていますし、その点ではむしろ、内部に民族や宗教的な対立がこれといって存在しない日本の方が世界的に見れば突然変異的(であるが故に幸福)な国であるとすら言えます。
 ひとりひとりが「その国の国民」としての意識をごく自然かつ普通に持っている、というのは国としての強みであり、また国民にとっても利益になる大変貴重な国家的無形財産だと私は思うのですけど、「それが当たり前」という環境で生きていると、その尊さはなかなか理解できないものですからねぇ(-_-;;)。

http://www.tanautsu.net/

タッスル (01/29 23:28) 編集・削除

アメリカ万歳の意味はアメリカが正しいとかじゃ無くて、勧善懲悪でラストがハッピーエンドに成って、気持ちよく見終えれるような映画の事を指してるんじゃないですか?
逆の映画はヒッチコックとか。
アイアンマンとかがアメリカ万歳にあたると思うのですが。
自分の個人的な意見ですいません。

映画を身近なものにしたシネコンの功績と今後の課題

21世紀に入ってからの映画の発展を語る際にシネマコンプレックス、通称「シネコン」の存在を外すことはできないでしょう。
シネコンとは、同一の施設に複数のスクリーンがある映画館のことで、日本ではワーナー・マイカル・シネマズ、TOHOシネマズ、シネプレックスなどが主な代表格です。

往時は2億5000万人を数えた日本の映画人口は、テレビやレンタルビデオなどの普及およびそれに伴う映画産業自体の衰退などにより、1990年代には半分以下の1億2000万人にまで落ち込んでいました。
ところがシネコンは、それまで「高嶺の花」だった映画をより身近でかつ手軽に観賞できる娯楽に昇華させると共に映画人口を1億6000万人にまで回復させ、映画の衰退と映画人口の減少に歯止めをかける存在となりました。

特に市街地郊外にショッピングモールと並んで併設されるシネコンには、移動の手間と交通費の負担が軽くなるという大きな利点があります。
市街地中心にある映画館の場合、移動だけでも少なからぬ時間と手間がかかる上に駐車代等の交通費が無視できず、これが客離れを起こす大きな原因となっていました。
それに対し郊外型シネコンは、市街地中心に比べて手軽に行ける距離にあり、また駐車代に至っては無料で済ませられるところも少なからず存在します。
都市圏と異なり、周囲に映画館というものがない上に鉄道網があまり発展していない車社会の地方において、このメリットは非常に大きなものがあり、それまで映画に興味がなかった人をも映画に引き込めるようになったわけです。

またシネコンの大きな特徴として、売店の存在は無視できません。
従来の映画館にあった売店は、映画グッズとスナック菓子が適当に置かれただけの、規模が小さい上に品揃えも品質もお粗末なシロモノでしかありませんでした。
そのため、以前は映画館に入る前にわざわざコンビニに入って買い物をし映画館に入る、などということすら行っていたほどです。
しかしシネコンの売店は映画グッズも飲食類も品揃えがはるかに豊富。
特に映画観賞の際の定番となるポップコーンに至っては、それ単品の店を作っても充分に儲かるのではないかとすら思えるほどの一品だったりします。
個人的にはワーナー・マイカル・シネマズで売られていたポップコーンが一番美味しかったですね。

映画を「より」身近で手軽に観に行けるものへと進化させ、売店をも充実させることで相乗効果的な売上アップと集客を行う。
この点においてシネコンは既存に映画館を大きく引き離しており、都市部に集中していた既存の映画館がシネコンに取って代わられてしまったのも必然かつ時代の流れというものだったでしょう。

一方でシネコンの今後の課題としては、その便利さと集客性故にあちこちに乱立され過剰競争が発生している問題についてどのように対処するか、ということがまず挙げられますね。
若干微増しているとはいえ、最盛期に比べればやはり少ない映画人口に対して、映画観賞が行えるスクリーン数はその最盛期と同等以上にまで増えている状態。
結果、映画館同士で客を取るための過剰競争が発生した挙句、1スクリーン辺りの利益が減ってしまい、採算割れを起こす危険性が懸念されるわけです。

熊本でも、2004年に熊本市の東隣にある菊池郡菊陽町にTOHOシネマズ光の森、熊本市ダイエー熊本店横にシネプレックス熊本がオープンしたのを皮切りに、2005年、2006年にも郊外型シネコンが立て続けに開館し乱立状態に。
熊本はシネコンの激戦地と言われており、シネコン同士が互いにシノギを削る一方、市街地にあった従来の映画館はシネコン群に客層を食われ、衰退傾向にあります。

シネコンが映画の発展に大きく寄与する存在であると共に、消費者にとっても便利なものであることはまず間違いありません。
シネコンには集客や採算性の問題をクリアしてもらった上で、今後も少なからぬ映画ファン達に数多くの映画を提供し続けてもらいたいものですね。


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