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映画「戦火の馬」感想

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映画「戦火の馬」観に行ってきました。
イギリスのマイケル・モーパーゴ原作の児童小説を、スティーブン・スピルバーグが実写映画化した作品。

物語最初の舞台は、第一次世界大戦前夜のイギリス・デヴォン州。
この地にある牧場?で、一匹のサラブレッドの子馬が生まれるところから物語が始まります。
子馬が生まれるまでの一部始終を遠巻きに見物していたアルバート・ナラコットは、子馬が母馬離れするまでの間、子馬と仲良くなろうとしますが、子馬はアルバートから逃げ母馬の後ろに隠れるばかりで上手くいきません。
やがて子馬は、地元の市場で競売にかけられることになったのですが、そこへアルバートの父親であるテッド・ナラコットが居合わせます。
元々は農耕馬を買うために市場へとやってきていたテッドでしたが、競売にかけられていた子馬に何か惹かれるものでもあったのか、テッドは貧しい家の家計事情も顧みず、大金をはたいて子馬を購入してしまいます。
農耕馬を買うと思っていた妻のローズ・ナラコットは、家計を傾けるレベルの大金を投じて農耕に向かないサラブレッドなどを買ってきたテッドに当然のごとく激怒し、土下座してでも馬を返品してカネを取り戻して来いとテッドに詰め寄ります。
しかし、元々子馬を持つことに憧れていた息子のアルバートが割って入り、「自分が農耕できるように調教する」と説得し、何とか子馬を手放すことは避けられたのでした。
アルバートは子馬にジョーイという名前を付け、その日からアルバートによるジョーイの調教の日々が始まるのでした。
ジョーイは最初、冒頭と全く同じようにアルバートを警戒し近づこうとすらしないのですが、やがてアルバートが差し出した餌をちゃんと食べるようになります。
また、フクロウの鳴き声を真似た口笛を吹くことで自分の所へやってくる芸を仕込み、これも最初は無反応だったのを、最終的にはマスターさせることに成功。
そして最後には、石ころだらけの荒地を鋤で耕す訓練を始めるようになり、「そんなことできるわけないだろ」と周囲からの嘲笑を買いながら悪戦苦闘を続けた末、ジョーイは遂に農耕馬として自分が使える存在であることを証明してみせたのでした。
そして、これらの調教は、ジョーイの今後の運命に大きな影響を与えることになるのです。

ジョーイの調教は充分以上の成果を上げることができたアルバートでしたが、彼の能力とは関係なくナラコット一家には破局の危機が迫っていました。
元々ジョーイを買うために大金を投じたことが響いた上、せっかくジョーイを使って荒地を開墾して作ったカブ畑も暴風雨で全滅するという不運に見舞われてしまい、地主であるライオンズに支払う地代が調達できなくなってしまったのです。
そんな折、世界ではオーストリア皇太子がセルビアのガヴリロ・プリンツィプによって暗殺されたことが発端となって第一次世界大戦(欧州大戦)が勃発、イギリスもまたドイツに宣戦布告し連合国側に立って参戦することになったのです。
これを好機と見たテッドは、息子にも内緒でジョーイをひそかに運び出し、軍に売り飛ばすことを画策するのでした。
事態に気づいたアルバートがただちに駆けつけるも時既に遅く、ジョーイは軍馬として取引されてしまった後でした。
悲嘆に暮れるアルバートでしたが、ジョーイを買い取ったイギリス騎兵隊所属のニコルズ大尉はアルバートに同情し、ジョーイの世話をきちんと行うことと、戦争が終わったら必ずジョーイをアルバートへ返すことを約束します。
それでもジョーイと一緒にいたいアルバートは軍に志願しようとしますが、年齢制限を理由に拒絶されてしまいます。
しかたなくアルバートは、かつて父親が戦争に参加した際に所持していたという小さな軍旗?をジョーイの手綱に結びつけ、ジョーイと袂を分かつこととなるのでした。

ニコルズ大尉と共にフランスの戦場へと向かうことになったジョーイは、その初陣とも言える戦いで、ドイツ軍歩兵600に対し300の騎兵隊で突撃奇襲をかける作戦に従軍することになります。
しかし、この作戦は最初効果を上げたかと思われたのですが、森に避難したドイツ軍が隠していた大量の機関銃による一斉射撃であっさり形勢逆転、逆にイギリス軍の方が壊滅してしまい、ニコルズ大尉も戦死してしまうのでした。
ジョーイは他の馬達と共にドイツ軍によって捕らえられ、以後、自分と同じ境遇のトップソーンという黒馬と共にドイツ軍の負傷者輸送用の馬として使われることになるのですが……。

映画「戦火の馬」を観ていて疑問に思ったのは、アルバートの父親テッドについてですね。
テッドは作中で、過去に戦争に参加して味方を助けて足に障害を負い、そのことが讃えられて勲章と所属連隊の小さな軍旗を貰いながらも、「戦場で人を殺してしまったから」とそのことを誇りに思わず勲章を捨ててしまった(ただしテッドの妻のローズがこっそり保管していた)というエピソードが、ローズからアルバートに語るシーンが存在します。
このシーンが影響しているのか、アルバートは母親から貰った小さな軍旗を大事にしており、ジョーイとの別れの際にはそれをお守り代わりにジョーイの手綱に結びつけ、さらに物語のラストでは父親と抱き合い、人から人へと渡ってきた小さな軍旗を父親に返す、というシーンが展開されています。
しかし、作中におけるテッドは、農耕馬として役に立つかも分からないジョーイに大金を投じて家計を危機に陥れたり、ジョーイに銃を向けて殺そうとしたり、息子に無断でジョーイを軍馬として売り飛ばしたりと、全く良いところが見出せません。
アルバートの視点から見た父親テッドは、母親ローズの擁護が空しく思えてすらくるほどに「障害持ち&酒飲み&生活無能者&家庭内暴君」とダメ人間要素が満載の人物でしかないのです。
父親の過去に何があろうと、それは今現在における父親の言動を正当化するものではありえないのですから。
そんな父親が持っていた小さな軍旗を、何故アルバートが後生大事にしなければならないのか、実に理解に苦しむところがあります。
特に、ジョーイを軍に売り飛ばした件などは、たとえ家計が苦しいという事情を理解していてさえも反発を抱かざるをえないところですし、ましてや、あの時の父親の行動は息子に対する裏切り行為も同然です。
何しろ父親は、息子に対して「こういう事情があるから(ジョーイを売ることを)理解してくれ」といった類の説得すらも行っていないのですから。
もちろん、説得したところで、ジョーイに愛着がある息子が激烈に反発&反対するのは必至だったでしょうが、家の苦しい事情はアルバートだってきちんと理解しているのですから、最終的には納得という方向に行かざるをえなかったでしょう。
しかし、渋々ながらも納得してジョーイを売りに出されるのと、自分に無断でコソコソと売りに出されるのとでは、アルバートが受ける精神的ショックは桁違いなものになります。
ただでさえテッドには、農耕馬として役に立たないと見做したジョーイを息子の目の前で撃ち殺そうとした前科を持っているのに、そこへ来てさらにこの裏切り行為が重なるのです。
アルバートのジョーイに対する愛情を考えれば、アルバートは父親に対して憎悪どころか殺意すら抱いてもおかしくありません。
実際、件の場面でもアルバートは父親に対して「酷い」となじっていましたし。
にもかかわらず、ラストシーンではジョーイに乗って帰ってきたアルバートがテッドと抱き合うシーンが普通に展開されているのですから、大いに違和感を覚えざるをえませんでした。
あの場面ではむしろ、アルバートが父親に対して「ジョーイに近づくな!」と怒鳴りつけ、例の小さな軍旗を父親に叩きつける、といった光景でも繰り広げられる方がはるかに自然なくらいです。
まあ、父親のジョーイ売り飛ばし所業からあのラストシーンまでは最大4年近い時間が経過しているわけですから、その間に父親と息子が和解していた可能性もなくはないのですが、それならそれで、2人が和解するに至ったエピソードが作中に挿入されていないと、あのラストシーンには繋がらないのではないかと。
この父親テッド絡みの描写は、これまでのスピルバーグ作品には全く見られなかったもので、それも「あってはならない」的な最悪の部類に属するシロモノです。
細かいところではツッコミどころもあるにせよ、登場人物の設定そのものに重大な問題があってストーリーに多大な違和感を覚えたスピルバーグ作品というのは、今回が初めてでしたねぇ(-_-;;)。

あと、馬のジョーイが途中で出会うことになるドイツ軍脱走兵の2人、兄ギュンターと弟ミヒャエルのうち、特に弟の方が実に哀れに思えてなりませんでした。
ミヒャエルは別にドイツ軍から積極的に脱走したかったわけではなく、むしろ戦って軍功を上げたいとすら考えていたくらいなのに、母親との約束に固執したギュンターに無理矢理引き摺られる形で軍を脱走する羽目になった挙句、兄共々脱走罪で銃殺されるという最悪の末路を辿ることになったのですから。
これではミヒャエルは「兄のせいで殺された」も同然ではありませんか(T_T)。
兄は兄で、何故そんな危険極まりない「賭け」で助かると考えていたのか理解不能です。
大戦末期ならともかく、大戦がまだ始まって間もなくドイツ軍が優勢だった時期に、仮に脱走に成功して母親の元に返ったところで、ドイツ軍なり当局なりから後日改めて実家に連絡が行って脱走罪の容疑で逮捕されることなんて普通に目に見えていたはずなのですが。
母親と合流後、さらに当時中立国だったスイス辺りにでも逃げる計画があったのでしょうかね?

映画「戦火の馬」は、アカデミー賞6部門にノミネートされていた(賞そのものはひとつも受賞できていませんが(T_T))だけあってか、風景や戦争描写や馬の描き方などについてはさすが秀逸な出来ではあります。
アルバートとジョーイの再会も感動的ではありましたし、これで父親絡みの描写がないか、ラストは父親が既に他界でもしていたことにするか、あるいは映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」のごとき大逆転劇でもあれば言うことはなかったのですが(T_T)。


コメント一覧

KLY (03/03 02:23) 編集・削除

スピルバーグの如く、とにかく善意に解釈するならば、アルバートの人間性がとてつもなく良かったのだろうということに尽きるのかなと。あの酷い父親の行為すらも、自分の中で仕方ないことだったんだ、父が悪いんではないと思えるほどに。というかそうでもないと繋がらないですし(笑)
まあ、この作品でオスカーが部門賞すらとれないのはある意味仕方ないかなと思います。仰るとおり映像的な部分は良かったですが、『アーティスト』と『ヒューゴの不思議な発明』の争いの中で脇に追いやられた感は否めないかなぁ。

http://sorette.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-57ca.html

冒険風ライダー(管理人) (03/03 10:28) 編集・削除

>KLYさん
家の事情そのものはアルバートも理解しているのですから説得ができないわけではないのに、何故それすらもしないかなぁ、とは父親に対して抱かずにいられなかったですね。
あれでは「俺は息子を信用していない」「俺は息子に対して後ろ暗いことをやっている」というメッセージをアルバートに突きつけているも同然で、「父親の威厳」を盾に正当性を主張することすらも不可能です。
あの年頃のアルバートにとって「父親に裏切られた」というショックは相当尾を引くことにもなりかねませんし、家の事情も関係なくなりますからねぇ、あれでは。
それを許したとしたら、アルバートの人間性って聖人君子レベルの出来なのではないかと(苦笑)。

>アカデミー賞
「アバター」以来久々にヒットな3D映像と、少年少女向けのストーリーが売りになる「ヒューゴの不思議な発明」はともかく、サイレント&モノクロ映画という一般人が確実に引きそうなコンセプトの「アーティスト」がそこまで高評価というのも個人的には違和感を覚えるところですけどね。
「古き良き芸術作品」としては秀逸かもしれませんが、映画に面白さを求めているであろう一般人が求めている映画ではないよなぁ、と。

http://www.tanautsu.net/

ヒッチ (03/21 10:50) 編集・削除

はじめまして、トラックバックありがとうございました(^_^)/~
さてさて、『戦火の馬』は賛否両論ですが、あの父親の言動と主人公の言動は別におかしいものではなかったように思えます。

>アルバートのジョーイに対する愛情を考えれば、アルバートは父親に対して憎悪どころか殺意すら抱いてもおかしくありません。
>実際、件の場面でもアルバートは父親に対して「酷い」となじっていましたし。

まず親子関係で前提としておかれるのは家父長制度です。オープニングから家族関係を見ればわかるように、典型的な家父長制度に支えられ、アルバートも父親を慕っていることがわかります。また父親がサラブレットを買ってきてしまったシーンでは、陽気でコメディ・タッチのメロディが流れますね。父親のとぼけた態度を見ても彼が愛すべき「おとぼけキャラ」であることを示していたように思えます(^_^)/~
さらに一連の事件にしてもアルバートの父に対する態度は、紳士的で、敬意に満ちていたと感じました。
日本語の字幕では「酷い」と出ていましたが、英語では「酷い」という言葉でもいくつもの表現があって、アルバートの言っていた「酷い」はかなり控えめで、相手を罵倒し、憎むような言葉ではありませんでしたよ。

>あの場面ではむしろ、アルバートが父親に対して「ジョーイに近づくな!」と怒鳴りつけ、例の小さな軍旗を父親に叩きつける、といった光景でも繰り広げられる方がはるかに自然なくらいです。

私はそんなラストだったら観客が大ブーイングすると思います(笑)
むしろアルバートは父親を心の底から愛しているという設定で終始描かれてますからね。
母親が父親の過去を語っているシーンでもアルバートの表情を見れば、彼が父親を見直し、尊敬していることがわかります。まぁ、勲章をもらっているわけですから、男としては最高の名誉ですし、家父長制の強い田舎町ではアルバートが父親を誇りに思い、尊敬するのは当然です。
父親が馬を売り飛ばすシーンは、別にコソコソ売ろうとしたわけではなく、家父長制の基であれば、家畜を売るのを判断するのは父親なわけですから、わざわざ息子にお伺いをたてる必要はありません。また戦争になったら、軍に馬を差し出すのは当たり前ですし、いずれ没収されるわけですから、売ったとしても不思議ではないです。

またアルバートが父を愛している証拠に、彼は軍旗をジョーイに持たせます。名誉の軍旗は、彼が父親を誇りに思っている証拠ですし、美しい母親が父親のそばにいるのも彼女が父を尊敬し、愛しているからであり、どっからどう考えても家父長制度的な父親愛にあふれている家庭ですよね。だからアルバートは、最初から父親を憎んではいないし、心から愛していると描写されていました。
だから本作では父親と息子の確執はテーマになっていません。

また脱走兵の話でも兄と弟は、言葉なくても家族として愛し合っていることがわかります。若さゆえの行動であり、そんな兄の行動を憎むわけにもいかず、互いのすれ違いの思いをわかっていても愛ある行動だともわかっている二人の複雑な心境。それがドラマとなっています。
行動だけ見ていると馬鹿らしいですが、その行動と映像、音響と表情の間にあるドラマを体験すればわかってきますね。

テレビドラマだと行動や心境の理由をすべて言葉で説明しますが、映画は表情やメロディ、映像によって表現する傾向があります。本作はその典型で、彼らの言動の理由などは言葉で説明されませんが、彼らの表情やメロディ、映像がすべてを体験させてくれます。
そうした想像力と感性で体感しないと本作を楽しむのは難しいかなと思いますね(^^;)
冒険風ライダーさんの読みが浅いとかそういうわけではないと思いますが、英語のニュアンスや映画リテラシーに敏感でないと難しい作品かもしれません(>_<)
少なくとも構造としては、アルバートの父親に対する愛やドラマは万人に理解できるようには作られていたように思えます。

http://blog.goo.ne.jp/1553231

冒険風ライダー(管理人) (03/21 21:30) 編集・削除

>ヒッチさん
こちらこそはじめまして。
「戦火の馬」における父子関係についてですが、

> まず親子関係で前提としておかれるのは家父長制度です。オープニングから家族関係を見ればわかるように、典型的な家父長制度に支えられ、アルバートも父親を慕っていることがわかります。また父親がサラブレットを買ってきてしまったシーンでは、陽気でコメディ・タッチのメロディが流れますね。父親のとぼけた態度を見ても彼が愛すべき「おとぼけキャラ」であることを示していたように思えます(^_^)/~

あの父親って、作品的には「自分勝手なダメ親父」として描かれているのではないかと私は考えたんですよね。
家族に無断で大枚をはたいてジョーイを購入し家計を危機に陥れた経緯。
鉄砲を持ち出しジョーイを撃ち殺そうして息子に止められたシーン。
そして息子に無断でジョーイを売り飛ばそうとした行為。
これらは全て「あの父親が『一家の大黒柱』としては問題外な人間である」という証明には充分なものでしたからね。
飲んだくれな理由については一定のフォローがありましたが、上記3つには何のフォローもなかったですし。
同じくスピルバーグ製作の映画「スーパーエイト」でも似たような人間が登場していましたし、今作ではこの父親がそういう役どころなのだろう、というのが私の解釈なわけです。

> 私はそんなラストだったら観客が大ブーイングすると思います(笑)

私も当然そうなるだろうとは思うのですが(苦笑)、ただ実際問題として、あの場面は「ジョーイを売り飛ばした父親を息子が責める」シーンから繋がってしまっているわけで、演出的には「2人がジョーイ絡みについて和解する過程が抜けているのでは?」という疑問からあえてああいう風に書きました。
ジョーイのことで息子に責められた父親が、ただうなだれているだけで何も言い返さずに終わっているのがマイナスなんですよね。
あれでは「父親は息子に対して、言い逃れできない悪行を犯したことを自ら認めてしまった」とすら解釈できてしまいますし。
あそこで父親が自分の正当性を主張して息子が理解を示し、涙ながらに謝罪交換か何かをするシーンでもあればフォローになったと思うのですが。

> 父親が馬を売り飛ばすシーンは、別にコソコソ売ろうとしたわけではなく、家父長制の基であれば、家畜を売るのを判断するのは父親なわけですから、わざわざ息子にお伺いをたてる必要はありません。また戦争になったら、軍に馬を差し出すのは当たり前ですし、いずれ没収されるわけですから、売ったとしても不思議ではないです。

あの一家の家計事情から考えれば、最終的にジョーイを売ること自体は避けられなかったとは私も思うのですが、ただジョーイをアレだけ手塩にかけて育ててきたアルバートにしてみれば、たとえ家の事情を理解していても感情的な未練やしこりは残ってしまいますよね。
だからこそ彼は、無理を承知で「自分が働くから」と懇願したり、年齢を偽って兵に志願したりしてでも、ジョーイを自分の手元に残しておきたかったわけで。
ああいう負の感情というのは、あの年齢だと結構後々まで尾を引くことにもなりかねないと思うんですよね、私は。
だからこそ父親は、自分の正しさを主張して息子を最終的に納得させる必要があったのではないかと考えたわけで。
前述のように、作中における父親の態度では、ただでさえ感情的に納得できないであろう息子の目にはいかにも後ろ暗く不誠実に見えてしまいますし、父子対立が起こるには充分なものなのではないかと思ったのですよ。
もちろん、父親は父親で苦悩していたであろうことは想像に難くないのですが、だからこそあの父親はジョーイの件について息子ときちんと向き合わなければならなかったのではないかと。

> また脱走兵の話でも兄と弟は、言葉なくても家族として愛し合っていることがわかります。若さゆえの行動であり、そんな兄の行動を憎むわけにもいかず、互いのすれ違いの思いをわかっていても愛ある行動だともわかっている二人の複雑な心境。それがドラマとなっています。

個人的には、兄とおかしな約束を交わしていた母親の心情について回想シーンででも見てみたかったですね。
作中の描写では、兄が強権的な母親に呪縛でもされているかのようにすら見えてしまいましたし、その辺についても描かれていれば、行動は愚かであっても「家族愛」により共感することもできたのではないかと。

> 少なくとも構造としては、アルバートの父親に対する愛やドラマは万人に理解できるようには作られていたように思えます。

ただ、ラストシーンが父親との抱擁で締められているため、父子関係についても何らかのテーマが与えられているのではないかとは思えてならなかったんですよね。
そう見ると、父親と息子の関係が全く繋がりのないストーリーになっているように思えたため、今回の疑問となったわけで。

http://www.tanautsu.net/

HIDE (03/28 03:03) 編集・削除

昔、馬術部に所属してた事があったので、見に行ってしまいました。ALL理解できるので普通に見てたけど、ラストシーンがちょっと、感動的で可愛いすぎました。

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