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投稿ログ322 (No.5537 - No.5545)

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board4 - No.5537

Re:歴史研究家としての評価

投稿者:恵
2004年04月13日(火) 10時47分

こんにちわ、恵です。
菅根さん、お忙しい中お返事ありがとうございます。

<恵さんが言われた通り
「銀英伝」の一方の主役であるヤン・ウェンリーは歴史研究家志望と書かれていますが、はっきり言って資料も読めない無能モノに過ぎません。

と言うのは
「歴史研究家志望というわりには、軍人と政治家との付き合い方というものを過去の歴史から読みとることができなかったヤン・ウェンリーは(歴史研究家としては)資料も読めない無能モノに過ぎない」
という意味でほぼ間違いないです。
 暴論であると思われるのもしかたないかもしれませんね。>

<ですが、なぜそう私が思ったのかだけは、述べてみたいと思います。
 さて、
資料も読めない無能モノ

 (これを書き込んだ時の私の精神状態はあまり良好ではなかったようですね。これにつきましてはお詫びしたいと思います)

上の乱暴な表現で私が言いたかった事についてですが、
私の考える「歴史研究家」に必要とされる能力とは「無味乾燥な文字などの羅列でしかない歴史資料から何かを引き出し、まとめ、咀嚼して、自らのモノとして、それから何かを導き出していく」能力であり、ヤン・ウェンリー氏はこのうち「咀嚼して、自らのモノとする」能力に欠けた人物ではなかったかという事です。
 (「資料を読む」とは文字通りの意味だけでなく、「咀嚼して、自らのモノとする」事だと私は考えております)>

<適切な例とは言えないかもしれませんが、一つ例を挙げて、ヤン・ウェンリー氏について考えみました。

1.ヤン氏は歴史を学ぶ中で『前線指揮官と中央』の関係がどうだったかという史実を知りました。
2.当然、その史実の中には、中央側の心理についても述べられていたはずです。
3.後に軍人として敵将の心理を利用して武勲を挙げた、ヤン氏には人の心理を洞察する能力に欠けていたとは考えられません。
4.しかし、それを是正する為の、何の働きかけも結局為さぬままでした。
5.つまり、ヤン氏の中では、その史実は単なる知識でしかなく、十分に咀嚼し理解出来ていなかったという事になります。

 ヤン氏の性格や、民主主義下の軍人のあり方についての幻想があるにしても、分かっていたのなら中央への働きかけについては遣り用はあったと思います。
 (たとえば、非トリューニヒト派の政治家と自分の考えについてじっくり話し合い、自分の代弁者になって貰うとかとか)>

…論点が多少ごちゃまぜになってきているように思いますので、少し整理させてください。
わたしが前回最も言いたかったのは、

<歴史から教訓を読みとれないことと、知っている知識を生かさないこと(それもヤンなりの理由があってのことです)は別次元の批判だとわたしは思います。>

ということでした。
菅根さんがおっしゃる、

<ヤン氏の性格や、民主主義下の軍人のあり方についての幻想があるにしても、分かっていたのなら中央への働きかけについては遣り用はあったと思います。>

に関しては、

<歴史研究家志望として当然知っていたであろうはずの歴史知識(軍人と政治家の関係)を、軍人として活用することがなかったヤンの行動は問題では?」
という批判は問題ないと思うのですけど。(ただし、この批判はあなたのご想像通り既出だったはずです)>

と、書かせていただいております。

これだけでは論点のずれがわかりにくいでしょうし、これ以上お互いの認識に溝ができないように論点をできるだけ簡単に整理させていただきます。

5495番で菅根さんは

「歴史研究家志望というわりには、軍人と政治家との付き合い方というものを過去の歴史から読みとることができなかったヤン・ウェンリーは(歴史研究家としては)資料も読めない無能モノに過ぎない」

と、歴史を学ばない軍人・ヤンの行動に「歴史研究家としてダメ(無能)」の烙印を押されました。

それに対し、わたしは5497番で

「研究家と実践者の相違」と「歴史研究家として歴史から教訓を読みとれないことと、軍人として知っている知識(歴史)を生かさないこと(それもヤンなりの理由があってのこと)は別次元の批判」

と、反論いたしました。
(※ここでご留意いただきたいのは、「軍人と政治家との付き合い方」をヤンが上手に実践できなかったことそのものは批判としてわたしも認めていて(ただしそれは過去ログで既出ですけど、という注意付きで)、問題はそれがヤンの「歴史研究家」としての評価に直結するのかどうかということです。)

次に菅根さんは、わたしの反論を受けて5526番において

<1.ヤン氏は歴史を学ぶ中で『前線指揮官と中央』の関係がどうだったかという史実を知りました。
2.当然、その史実の中には、中央側の心理についても述べられていたはずです。
3.後に軍人として敵将の心理を利用して武勲を挙げた、ヤン氏には人の心理を洞察する能力に欠けていたとは考えられません。
4.しかし、それを是正する為の、何の働きかけも結局為さぬままでした。
5.つまり、ヤン氏の中では、その史実は単なる知識でしかなく、十分に咀嚼し理解出来ていなかったという事になります。>

と、5つの例を挙げられて、自説(ヤンが歴史研究家としてダメ)を補強されました。

ここでわたしと菅根さんの論の同意点と相違点を挙げてみます。

☆同意点
「ヤンは軍人として政治家との付き合い方が上手くなかった」

☆相違点

・菅根さん「ヤンは軍人として政治家との付き合い方が上手くなかった」=「歴史から学ばないヤンは歴史研究家としてダメ」

・わたし「ヤンは軍人として政治家との付き合い方が上手くなかった」≠「歴史から学ばないヤンは歴史研究家としてダメ」(←ちなみに、これはヤンが歴史研究家として「有能」という論では決してありません。念のため)」

わたしが、菅根さんが補強されたご意見で特に納得できないのは、5.の

<つまり、ヤン氏の中では、その史実は単なる知識でしかなく、十分に咀嚼し理解出来ていなかった>

という部分です。そもそも、菅根さんが定義する「歴史研究家に必要とされる能力」=「咀嚼して、自らのモノとして、それから何かを導き出していく」というのは、明らかにフィールドワークや論文等を実践する「学問上」のことであり(何かを導き出すというのは、それ以外の違うものですか?)、実生活における活動──というより、軍人としてのヤンの活動──とは、一線を画すべきではないのですか?
菅根さんの論では、まるで

「歴史を研究する(した)者ならば、現実社会においても歴史の教訓を踏まえて行動すべきである。それが実践できない者(ヤン)は『研究家』としてダメ(無能)な証」

↑とでも結論づけておられるようで、あまりにも乱暴ではないか、と思うのです。

わたしは銀英伝における歴史研究家としてのヤンの評価は未知数で、採点のつけようがないのでは、と思います。実際、作品内でも彼は純粋な歴史研究家としてではなく(ただ志望していただけ)、「民主主義社会における軍人」としてしか行動できなかった(しなかった)のは事実で、軍人として自分がもともと持っていた歴史知識を生かさなかったことに罪はあれど(前線指揮官として政治家との付き合い方がダメだったということでしょう)、それをもって

<『研究家』としてダメ(無能)な証>

と結論づけるのは納得できなかったのです。菅根さんの論を逆説的に言えば、

「優秀な歴史研究家は過去の教訓を倣うことができるので、現実においても常に的確な政治的・軍事的判断を下すことができる(できなければ無能)」

となるのでしょうか?
あまりくどくど申し上げるのは好みではありませんけど、ヤンを批判される上で彼を軍人としての立場で批判する分には構わないと思うのです。民主主義の捉え方も誤っていたと、わたしも思いますし。ただし、歴史研究家として行動したわけでもないヤンを「単なる知識でしかなく、十分に咀嚼し理解出来ていなかったという事になる」と断言するまではできないのではないでしょうか(その可能性がゼロとまで申しませんけど)。そういうことは、彼の「歴史研究家としての」論文なり考察文なりを紐解いて行うべき評価であり(そういったものは断片でしか残っておらず、後にユリアンが編纂することになっていたはずですよね、確か)、結局最後まで軍人の立場を貫いたヤンに対しての評価としては、わたしには妥当とは思われないのです。

菅根さん、わたしが主張しているのは、そういうことなのです。おわかりになりましたでしょうか?また、この「ヤンの歴史研究家として評価(←本当は評価しようがないことだと思われます)」の点さえ同意出来れば、お互い意見の相違点がなくなるのですけど、どう思われますか?

<ヤン氏の名言にこういうのがあります。『言葉では伝わらない事は確かにある。でも、それは言葉を言い尽くした者だけが言える事だ』
 はたしてヤン氏のこの言葉は自らを振り返っていった言葉なのでしょうかね?>

確かに、これは菅根さんのおっしゃる通りヤン本人にとっては耳の痛い言葉ですよね。政治家に対して言葉を尽くさなかったヤンに非があるとわたしも思います。まさに、自分の批判が自分に返ってきた好例ではないでしょうか。ヤン本人も「そうかもしれないなぁ」とボサボサの頭をかいて苦笑いしているかも(笑)

<以上答えになっていないと思いますが、思うところだけ書かせて頂きました。
 乱文申し訳ありませんでした。>

いえいえ、とんでもありません。ご丁寧にお返事をありがとうございました。
わたしとしては、菅根さんのご意見をある程度までは同意できるのですけど、「ヤンの歴史研究家として評価」の部分だけ、上記の理由で同意できないことを述べさせていただいています。わたし自身も、こちらになかなか書き込めない身なので、お返事のほうは気長に待っておりますので、あまり気負わずにゆっくり書き込んでくださいね。

では、こちらこそ乱文・長文いたしました。

親記事No.5495スレッドの返信投稿
board4 - No.5538

Re:掲示板でのやりとりに関するあれこれ

投稿者:恵
2004年04月13日(火) 12時03分

こんにちわ、恵です。
ななえさん、こちらこそよろしくお願いいたします。

<私の場合は、この田中芳樹を撃つ!以外の議論サイトにもたまに参加しているのですが、そこでも議論相手に“書き逃げ”されてしまうケースが結構あったものですから「ああ、またか…」と恵さんと同じく慣れっこになってしまいました。
 ですが、よりこさんの場合はまだ慣れないようで──というか彼女はインターネット上の議論に参加したのはこの掲示板が初めてですし──口頭での議論なら相手は目の前にいますから「沈黙」されてしまっても表情やボディランゲージからでも様子の見当がつきますけど、インターネットで「沈黙」されてしまったら文字通り手も足も出ないし、何も分からない事が辛いらしくて、國臣さんの時でも今回の菅根さんの時でも「レスが無い~!」…ってぶーぶー言ってましたから。
 そんな彼女の様子を見てると思わず懐かしさが込み上がります。
 「嗚呼…私にもこんな時代があったよ…あの時の私はどこへ行った?」───って感じで(笑)。>

あぁ、ありましたね~、わたしにもそんな時代が(笑)
ななえさんの「あの時の私はどこへ行った?」にはウケました、まさにわたしとまったく同じ感想でしたから。よりこさんの純粋で真っ直ぐな反応に、わたしもこちらでの参加年数とともに、すっかり忘れてかけていた純な(笑)感情を思い出させていただきましたです(^-^*)

<#(余談ながら「オーベルシュタインの遺言」での、よりこさんの議論──ええ、あれこそが彼女本来のスタイルなんですよ…たた、かなり“天然”なのが難なんですけど…)>

「オーベルシュタインの遺言」におけるよりこさんの投稿は、いつも楽しく拝見させていただいています。あちらでのやりとりは、純粋なファン論として、とても安心して読めますよね。こちらのサイトが、議論の応酬だけではない、ファンサイトの一面も備えている良い見本としても貴重だなぁ…と、しみじみ思ってみたり。
(“天然”のよりこさんを、ななえさんが優しく諭している姿が想像(邪推?)できて、微笑ましいですね(^.^*))

<全くおっしゃる通りですね。
 恵さんのご見解を、私は積極的に支持いたします。
 「根拠のない批判」も充分に問題がありますが、それ以上に『自分の批判が自分に跳ね返ってくる』という事が本当に恐ろしいと思いますから。(私も実際に「恐ろしい」という事を承知の上で、発言者に発言者自身の言葉を跳ね返したりもしていますし)
 私もかなり辛辣と思しき事を色々な方に色々と言っておりますから、「自分の衿こそを正していないと自分に跳ね返る」という事を常に忘れないようにしなくては。
 上記の恵さんのお言葉は、誰もが皆に当てはまる普遍的な事柄であるとも私は考えますし、改めて恵さんのお言葉を「自戒」として受け止めたいと思います。>

拙論に対し、ご理解ありがとうございます。
わたし自身(衿を正すことが)現実として完璧に実行するのは難しいと思いながらも、ななえさんと同じく「自戒」として常に意識させてもらっているつもりです。また同時に、もともと自分と違う意見に対しても、できるだけ真摯に耳を傾けられるような姿勢で臨めたら…とも思っています。(理想論ではありますけど、根拠や説得力が明確になっているご意見に対しては、特にそうありたいと思います)

<今回の私の「戦略目標」はまさしく上記で言われた< 菅根さんが返答される >事でしたから。
 達成できて非常に嬉しいですわ。>

重ねてお礼を申し上げます。おかげさまで菅根さんとの対話が再開できました。
)…自分で勝手にまとめてしまわなくて良かったです(笑)

<ええ、よく解ります。
 4318番からのスレッドでの好結果は恵さんだけではなく、ふみ女さんの功績も大きいことは充分に。
 少なくとも私は、ふみ女さんをそっち退けで恵さんばかりを称揚したつもりはありません。

 「建設的な議論って一人だけで躍起になってもダメだ。当事者双方(複数の場合は全員)の“尽力”が必要なんだ…ってつくづく実感した」──と、よりこさんも恵さんと同じ感想を、IKさんとの議論の後につぶやいていました。
 今だから言えますけど、彼女はIKさんとの議論での“苦痛”(詳細は5379番のログにて)の後遺症で、一週間ほどこの掲示板をまともに見る事もできませんでしたから…。
 そして、私のIKさんへの対応は「彼女に苦痛を与えた事に対する“友人として激怒した”」のもありましたが、「議論を悪用し冒涜した事に対して“建設的議論を目指す論者として許容不可能だった”」からでもありました。
 私が5379番の十さんへのレスで「恵さんとふみ女さんのやり取り」を引き合いに出したのも、「よりこさんとIKさんとの議論」との比較をしてもらえれば、私がくどくど説明する以上に、明確にご理解していただけると考えたからでしたし。>

そうだったんですね、あの件ではよりこさんも本当にお気の毒様でした。
ああいった体験(議論がこじれにこじれる)は、わたしにしてもなかなか簡単に「慣れる」ということはないのですけど…。
やはり世の中にはいろんな方がおられて、こちらがどんなに努力しても、価値観が合わず、わかりあえない方とは、どうしても最後は物別れにならざるをえないのが現実なんですよね。
でも、だからこそ、同じ価値観をもった貴重な人たちと共感しあえた時の喜びが大きいんです。その瞬間が限りなく少なくても、今のところゼロではないから──細々ではありますが──わたしはこちらでの投稿を続けていけているんでしょう。お二人も(もちろん、よりこさんとななえさんのことです)、少々のことではへこたれないバイタリティで(笑)、これからもタナウツを盛り上げていってくださいね。わたしも微力ながら、お二人の議論姿勢に共感をおぼえた人間として、これからも良いおつき合いをさせていただきたいと思います。わたしが間違った時は、どうぞ遠慮なく、厳しく正してくださいませ(^.^*)

では、この辺りで失礼いたします。

board4 - No.5539

フェザーン自治領の成立ないし存続についての(不)可能性について

投稿者:まるぼろ・すとらいく
2004年04月13日(火) 15時50分

考察シリーズで「フェザーンは成立しえない。田中芳樹は軍事にくらいのではないか」という文章を拝見しました。その理由として交戦ないし軍事的緊張関係にある2国がある状況下で軍事力の裏づけのない独立勢力が成立できるはずがない。かりに成立できたとしても、国連のような多少なりとも調整能力を有する第三者機関が存在しない以上、いずれかに併合されてしまう、というようなものだったと記憶しています。基本的には私もこの意見には賛成です。ただし、銀英伝と同一条件下とはいえませんが、ほぼ似たような条件下で軍事力の裏づけなしに存在しえた独立勢力があったことについて指摘しておきます。
わかりやすく日本における事例でいいますと、戦国時代における守護不入権を有していた寺社領をあげることができると思います。これは、特定の戦国大名の分国中にあって寺社の支配領域における領主権力の検断権と徴税権を排除する中世以来の荘園の特権を敷衍したものが多いのですが、少数ながら国境付近に存在していずれの領主権力からも検断権と徴税権を排除しえた独立国の様相を呈した寺社領の存在を資料によって散見することができます。私としては、ここにフェザーン自治領との類似性を見出せるのではないかと思っています。このような存在が独立勢力でありえた理由は2点ほどあるかと思います。
1.いずれの国においても無視することのできない程度の存在意義を有していたこと。この例では世俗的権力が無視できないほどの宗教的権威ということでしょうか。権力者の内心的要因に(たとえば信仰心とか)起因するもので政治的決定の要素とするにはやや弱いかもしれませんが、1945年以前の日本人の宗教に対する考え方は現代の日本人とはまったくちがいますし、乱世における宗教への傾斜も無視できないものがあると思います。ただし、その宗教の教義ないし指導者の意向が世俗的権力にとって存在を認容できないほど危険なものである場合には、一向宗やキリスト教のように殲滅の対象となってしまいますが。
2.非武装中立地帯の役割をはたしていること。交戦関係にあるとしてもなんらかの交渉は当然おこなわれたであろうし、それにはお互いの勢力範囲内でおこなうことはありえないので、緩衝材の役割をはたす存在がどうしても必要であり、こうしたいずれの影響力も及ばない守護不入の寺社領が交渉場所として選ばれたことはありうるかと思います。有名なエピソードで織田信長と斉藤道三が会見をするというのがありますが、あれは尾張と美濃の国境にある守護不入の寺領で行われたものであったかと思います(地名・名称は忘れました)。たぶん史実ではありませんが登場人物をこんな有名人にしなければありうる話でしょう。
話がそれてしまいましたが、1または2もしくは双方の条件をみたせば、つまり双方の国家にとって利用価値があるのであれば敵対する2国の中間に軍事力の裏づけなしに独立勢力が成立・存続する可能性も全面的に否定することはできないだろうと思います。これを、フェザーンにもあてはめることはできないものでしょうか。(2の条件のみであるとすると、2国の統一によって存在意義が失われることになりますが)
みなさんは、どう思われますか。

親記事No.5539スレッドの返信投稿
board4 - No.5540

Re:フェザーン自治領の成立ないし存続についての(不)可能性について

投稿者:茨木童子
2004年04月13日(火) 21時46分

信長と道三が会見したのは富田の正徳寺だそうです。(信長公記に書いてあるそうです)

ttp://japan.road.jp/History/Aichi-R22.htm

親記事No.5539スレッドの返信投稿
board4 - No.5541

Re:フェザーン自治領の成立ないし存続についての(不)可能性について

投稿者:倉本
2004年04月14日(水) 07時52分

> 1.いずれの国においても無視することのできない程度の存在意義を有していたこと。この例では世俗的権力が無視できないほどの宗教的権威ということでしょうか。権力者の内心的要因に(たとえば信仰心とか)起因するもので政治的決定の要素とするにはやや弱いかもしれませんが、1945年以前の日本人の宗教に対する考え方は現代の日本人とはまったくちがいますし、乱世における宗教への傾斜も無視できないものがあると思います。ただし、その宗教の教義ないし指導者の意向が世俗的権力にとって存在を認容できないほど危険なものである場合には、一向宗やキリスト教のように殲滅の対象となってしまいますが。
> 2.非武装中立地帯の役割をはたしていること。交戦関係にあるとしてもなんらかの交渉は当然おこなわれたであろうし、それにはお互いの勢力範囲内でおこなうことはありえないので、緩衝材の役割をはたす存在がどうしても必要であり、こうしたいずれの影響力も及ばない守護不入の寺社領が交渉場所として選ばれたことはありうるかと思います。有名なエピソードで織田信長と斉藤道三が会見をするというのがありますが、あれは尾張と美濃の国境にある守護不入の寺領で行われたものであったかと思います(地名・名称は忘れました)。たぶん史実ではありませんが登場人物をこんな有名人にしなければありうる話でしょう。

この二つの条件のうち1番はいいんですが2番は問題です。
なぜなら戦国時代の寺社は非武装中立とは言いがたい存在だからです。
当時の寺社は下手な戦国大名顔負けの重武装をしていました。
その重武装が独立を守っていたともいえるのです。
寺社が非武装になったのはもっと後のことなのです。
1番で現在とは宗教の考えが違うということを理解なさっているのに現在の寺社とは違う存在だったということに気づいていない2番の記述は理解できません。
ちなみに戦国時代の非武装中立的存在なら寺社よりもふさわしいものがあります。
それは公家および皇族です。

親記事No.5495スレッドの返信投稿
board4 - No.5542

菅根さんへの質問

投稿者:ななえ
2004年04月14日(水) 12時36分

 ななえです。
 こんにちは、菅根さん。

< こちらに非があった事は認めますし、以後はこんな事にならないように気を付けたいと思います。 >

 菅根さんの事情を知らなかったとはいえ、随分と手厳しい物言いをしてしまいました事をお詫びいたします。
 申し訳ありませんでした。

< さて、
 < 私が5178番の最後の方に書き添えたように、遅くなる事情を5495番のログに書き添える事も不可能でしたか? >

  という指摘がありましたが、申し訳ありませんが、全ての書き込みに目を通している訳ではないので、5178番については指摘がありましたから始めて目を通しました。
  なるほど、こういう手段を執っておくべきだったな、と思いました。 >

 なるほど、「全ての書き込みに目を通していなかった故に、私が騙りが二人も出没していたという状況を知らなかった」のと同様に、菅根さんもご存じなかったのですね。
 大変失礼いたしました。
 この件につきましても謹んでお詫びします。

 お互いの見解の相違も埋まった、と思いますので菅根さんに異論が無ければ終了させていただいても良いでしょうか?

 それでは、そろそろ失礼します。

親記事No.5495スレッドの返信投稿
board4 - No.5543

Re:掲示板でのやりとりに関するあれこれ

投稿者:ななえ
2004年04月14日(水) 14時58分

 ななえです。こんにちは、恵さん。
 こちらこそ、レスをありがとうございます。

< 「嗚呼…私にもこんな時代があったよ…あの時の私はどこへ行った?」───って感じで(笑)。 >

< あぁ、ありましたね~、わたしにもそんな時代が(笑)ななえさんの「あの時の私はどこへ行った?」にはウケました、まさにわたしとまったく同じ感想でしたから。よりこさんの純粋で真っ直ぐな反応に、わたしもこちらでの参加年数とともに、すっかり忘れてかけていた純な(笑)感情を思い出させていただきましたです(^-^*) >

 恵さんに共感していただけて嬉しく思います。
 …本当に、どこへ行ってしまったんでしょう(笑)。

< 「オーベルシュタインの遺言」におけるよりこさんの投稿は、いつも楽しく拝見させていただいています。あちらでのやりとりは、純粋なファン論として、とても安心して読めますよね。こちらのサイトが、議論の応酬だけではない、ファンサイトの一面も備えている良い見本としても貴重だなぁ…と、しみじみ思ってみたり。 >

 どうやら彼女の得意ジャンルは、“銀英伝のキャラクター論”のようです。
 他のキャラクターでは、帝国側はフェルナーやベルゲングリューン、同盟側はポプランとコーネフの話題に食いつく可能性が非常に高いと思われます(笑)。
 あと『アップフェルトラント物語』や『風よ、万里を翔けよ』などの田中作品も彼女は好きですから、その辺りの話題だと、きっとノコノコ出て来るでしょう(笑)。

 私の場合、「よくもまあ、そこまで深読みできるな…」と少し呆気に取られながら読んでいます…。
 確認したいんですけど、ここって「田中芳樹を“撃つ!”」ですよね?(笑)。

< (“天然”のよりこさんを、ななえさんが優しく諭している姿が想像(邪推?)できて、微笑ましいですね(^.^*)) >

 「優しく諭す」と言うよりも、彼女の“天然”に対して、「ツッコミを入れる」という方が正解かと…。
 よりこさんも“計算”でボケられるようになったら一人前と言って良いでしょう(お笑いの)。

******************************

< もともと自分と違う意見に対しても、できるだけ真摯に耳を傾けられるような姿勢で臨めたら…とも思っています。(理想論ではありますけど、根拠や説得力が明確になっているご意見に対しては、特にそうありたいと思います) >

 恵さんの上記のご意見を拝見していて、私はイギリスの思想家ジョン・ステュアート・ミルの著作「自由論」の記述を連想してしまいました。

< 自分に反対する立場の者とその反対意見とをありのままに看守できる冷静さを持ち、また反対意見をありのままに陳述する正直さを持っている人々、また反対者に不利となるようないかなる事実をも誇張せず、また反対者に有利になるような、または有利になると予想されるようないかなる事柄も隠蔽しない人々に対しては、彼らがどのような意見の持ち主であっても、当然の敬意を表さねばならないのである。
  これこそ、公の論議に関する真の道徳である。 >

(J・S・ミル「自由論」第2章 思想および言論の自由について、より抜粋)

 上記の文章は、『敬意を表すべき議論相手とはこういう人物だ』という話であり、私が議論において「自戒」としている事柄の一つでして(私自身がミルの記述通りの論者かどうかははなはだ怪しいのですが…)、ミルの上記の記述と…
< もともと自分と違う意見に対しても、できるだけ真摯に耳を傾けられるような姿勢で臨めたら >…や
< 根拠や説得力が明確になっているご意見に対しては、特にそうありたいと思います >…との恵さんのご意見はとてもよく似ている、と私は思いました。
 そして、恵さんとミルに準拠した私の考え方とは、そこまで似ているという事なのか、と驚いてしまいました……。

< 「建設的な議論って一人だけで躍起になってもダメだ。当事者双方(複数の場合は全員)の“尽力”が必要なんだ…ってつくづく実感した」──と、よりこさんも恵さんと同じ感想を、IKさんとの議論の後につぶやいていました。 >
 (中略)
< 私が5379番の十さんへのレスで「恵さんとふみ女さんのやり取り」を引き合いに出したのも、「よりこさんとIKさんとの議論」との比較をしてもらえれば、私がくどくど説明する以上に、明確にご理解していただけると考えたからでしたし。 >

< そうだったんですね、あの件ではよりこさんも本当にお気の毒様でした。
  ああいった体験(議論がこじれにこじれる)は、わたしにしてもなかなか簡単に「慣れる」ということはないのですけど…。
  やはり世の中にはいろんな方がおられて、こちらがどんなに努力しても、価値観が合わず、わかりあえない方とは、どうしても最後は物別れにならざるをえないのが現実なんですよね。
  でも、だからこそ、同じ価値観をもった貴重な人たちと共感しあえた時の喜びが大きいんです。その瞬間が限りなく少なくても、今のところゼロではないから──細々ではありますが──わたしはこちらでの投稿を続けていけているんでしょう。 >

 IKさんの場合は、価値感が合わないとか、わかりあえないのでは無く、自分に都合が悪いよりこさんの主張を封じ込める事が目的で「最初からこじらせる為によりこさんに議論をふっ掛けた」のです。
 「解っててやったからこそ悪質」なのです。
 それは本人自らが言っております。↓
(5224番 Re:これにて撤退します より抜粋)
< それは確かに苦痛でいらっしゃったのでしょう。その苦痛を与えた当人が言うのもなんですが、同情申し上げます。
  すこぶる健全な、極めて常識的とも言えるよりこさんのご意見にこうして異論をぶつけたのは、よりこさんが主張する「そうでなければならない」と言うご意見がこの掲示板の常識として通った時に、よりこさんが今回味わわれた苦痛を私もまたいつか味わうことになる可能性が強かったからです。 >

…「よりこさんに対して異論をぶつけた」のでは無く、「よりこさんに対して詭弁を弄し、言い掛かりをつけた」のですけどね、実際は。

 ええ、解ります。
 「言うだけ時間と労力の無駄だ」と思える人もいる、と感じる事もありますけど、皆が皆そうだと考えてはいませんし、恵さんと同じく「共感しあえた時の喜びが大きい」からこそ、私も知恵と力を絞ってまずは話してみよう、と考えております。
 そうして、これまでに十さんと恵さんとよしみを結べて非常に嬉しく思っています。

< お二人も(もちろん、よりこさんとななえさんのことです)、少々のことではへこたれないバイタリティで(笑)、これからもタナウツを盛り上げていってくださいね。わたしも微力ながら、お二人の議論姿勢に共感をおぼえた人間として、これからも良いおつき合いをさせていただきたいと思います。わたしが間違った時は、どうぞ遠慮なく、厳しく正してくださいませ(^.^*) >

 ありがとうございます。
 私たちの場合は、「二人」というのが最大の強みだと思います。
 「二人」で甘えず惰性に流されずに力を合わせている内は、おそらくへこたれずにいられるのではないかと(二人揃ってタフですしね(笑))。
 私も早く新しいパソコンを購入して、もう少し早く小マメにロクの閲覧と投稿ができれば…とも、思っていたのですが、私の場合は掲示板参加を自粛した方が良いかも知れませんね。
 どうも無用の乱を起こす気配が濃厚ですから。
 私も間違いや至らないところも多々あると思いますけれど、ご指摘あるいはお叱りをいただけると助かります。

 では、そろそろ失礼いたします。

親記事No.5539スレッドの返信投稿
board4 - No.5544

Re:フェザーン自治領の成立ないし存続についての(不)可能性について

投稿者:不沈戦艦
2004年04月14日(水) 15時37分

> > 1.いずれの国においても無視することのできない程度の存在意義を有していたこと。この例では世俗的権力が無視できないほどの宗教的権威ということでしょうか。権力者の内心的要因に(たとえば信仰心とか)起因するもので政治的決定の要素とするにはやや弱いかもしれませんが、1945年以前の日本人の宗教に対する考え方は現代の日本人とはまったくちがいますし、乱世における宗教への傾斜も無視できないものがあると思います。ただし、その宗教の教義ないし指導者の意向が世俗的権力にとって存在を認容できないほど危険なものである場合には、一向宗やキリスト教のように殲滅の対象となってしまいますが。
> > 2.非武装中立地帯の役割をはたしていること。交戦関係にあるとしてもなんらかの交渉は当然おこなわれたであろうし、それにはお互いの勢力範囲内でおこなうことはありえないので、緩衝材の役割をはたす存在がどうしても必要であり、こうしたいずれの影響力も及ばない守護不入の寺社領が交渉場所として選ばれたことはありうるかと思います。有名なエピソードで織田信長と斉藤道三が会見をするというのがありますが、あれは尾張と美濃の国境にある守護不入の寺領で行われたものであったかと思います(地名・名称は忘れました)。たぶん史実ではありませんが登場人物をこんな有名人にしなければありうる話でしょう。
>
> この二つの条件のうち1番はいいんですが2番は問題です。
> なぜなら戦国時代の寺社は非武装中立とは言いがたい存在だからです。
> 当時の寺社は下手な戦国大名顔負けの重武装をしていました。
> その重武装が独立を守っていたともいえるのです。
> 寺社が非武装になったのはもっと後のことなのです。
> 1番で現在とは宗教の考えが違うということを理解なさっているのに現在の寺社とは違う存在だったということに気づいていない2番の記述は理解できません。
> ちなみに戦国時代の非武装中立的存在なら寺社よりもふさわしいものがあります。
> それは公家および皇族です。

 さすがに、戦国期までの寺社を「非武装勢力」と見るのは無理でしょう。僧兵が暴れ回っていたのを、織田信長が徹底的に叩き潰したのを手始めに、ようやく「非武装勢力」となり果てたのは豊臣政権期後半から、徳川政権期になってからですからね。「宗教勢力から牙を抜く」ってのが簡単な話ではなかったのは、信長と一向宗が延々と戦った事例からも見えて来ますが。

 ということですので、戦国時代の寺社勢力はフェザーンとはかなり違います。また、「権威を与える力」だけを持っていた皇族や公家ともかなり違うのではないかと。フェザーンは、銀河帝国や自由惑星同盟の高官に官位を与えて自分たちを支持するよう仕向けた訳ではありませんから。

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board4 - No.5545

Re:フェザーン自治領の成立ないし存続についての(不)可能性について

投稿者:倉本
2004年04月15日(木) 08時40分

>  ということですので、戦国時代の寺社勢力はフェザーンとはかなり違います。また、「権威を与える力」だけを持っていた皇族や公家ともかなり違うのではないかと。フェザーンは、銀河帝国や自由惑星同盟の高官に官位を与えて自分たちを支持するよう仕向けた訳ではありませんから。

私もフェザーンと戦国時代の皇族と公家が似ているとは思っていません。
ただ戦国時代における非武装中立的存在をあげるなら寺社ではなく皇族と公家ということになるだろうというだけです。

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